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きまぐれな日々

安倍晋三というと、自ら「岸元総理の孫」を売りものにしていて、例の安倍が祝電を送った統一協会系総会でも、わざわざ「岸元総理のお孫さんでいらっしゃり」という枕詞つきで司会者に紹介されているほどだ(笑)。

ところで、現在、野口英昭さん怪死問題、安晋会の件、統一協会祝電問題や今回の昭和天皇の件など、買い集めた新聞・雑誌等の資料があふれ返ってきたので、整理を始めている。

その過程で、「AERA」 2006年3月20日号の安倍晋三特集が、非常に興味深い記事であることを再発見した。

特集は、「安倍晋三 怪異な人脈」と題された、安晋会、ゴールネット社、杉山敏隆(びんりゅう)氏および慧光(えこう)塾を取り上げた、AERA編集部取材の記事(但し記事中では、安晋会は実名だが、他はG社、S氏、E塾などとイニシャル表記になっている)と、「昭和の妖怪継ぐ血と骨」と題された、ノンフィクション作家・吉田司氏の書いた記事の二本から成る。

前者も非常に面白い記事だが、今日取り上げるのは後者である。昨日、美爾依さんの「カナダde日本語」に、またしても非常に面白い記事 「昭和天皇が嫌っていた松岡洋右と安倍晋三は親戚だった!そして岸信介がA級戦犯不起訴になった本当の理由。」 が載り、AbEnd にもTBされているが、この吉田氏の記事は、その安倍の血脈に関するものだ。
以下引用する。

安倍一族のルーツはなんと平安時代の陸奥の国。源頼義・義家と戦って敗れた安倍宗任(あべのむねとう)が九州の大宰府に配流され、その子孫が海賊・松浦党の祖となる。源平合戦で平家についた松浦党は壇ノ浦に散り、その落人が長門国(山口県)に隠れ棲んだ?ここが晋太郎の故郷である。その父親は安倍寛(かん)といい、「大東亜戦争中、軍部に反抗して"反東条"を貫いた気骨ある政治家で、いわば当時の"平和主義"の立場だった。‥‥晋太郎はその寛の志を継いで生きた」と地元の関係者は語っている。

ところが岸はそれとまるっきり逆の立場で、中国侵略の「満州国」経営の経済的基礎を築いた男だ。

俗に満州を支配したのは「二キ三スケ」と言われ、政治的実権は「二キ」東条英機・星野直樹が握ったが、産業経済は「三スケ」の満鉄総裁・松岡洋右、満州重工業・鮎川義介、政府実業部・岸信介が支配した。

実はこの「三スケ」はみな山口・長州藩の名門士族・佐藤家と姻戚関係にある。例えば岸は佐藤家の分家の次男に生まれ、岸家に養子に出たのである。佐藤の三男が栄作(元首相)だから、考えてみれば満州と70年代までの戦後日本はある意味、長州の佐藤一族に牛耳られたとも言えるのである。

(「AERA」 2006年3月20日号 「昭和の妖怪継ぐ血と骨」より
ナント、安倍晋三は「A級戦犯(のなりそこね)の孫」である一方、戦争に反対した平和主義者の孫でもあったのだ。
白状すると、これはちょっと前から知っていたことで、AERAの記事には書かれていないが、安倍寛は、リンクを張ったWikipediaの記事に書かれているように、1942年の翼賛選挙で、大政翼賛会の非推薦でありながら当選した硬骨漢だった。

以後、長くなるがまた「AERA」から引用する。

ところで、岸は戦争末期に東条英機と対立して国務大臣を辞任。故郷の山口に帰り、「防長尊攘同士会」を結成し、政治家への道を模索するのだが、この時に軍部批判の先輩・安倍寛と出会い、"反東条"で手を組んだ。このいわば <戦争と平和> の出会いが、彼らの子供=晋太郎と洋子の結婚へと発展していったのである。だから、晋三の血脈には、"私は岸信介のDNAを受け継いでいる"などと軽々しく一方の血脈を選択してはならない約束=宿命(さだめ)が流れ込んでいるともいえるのだ。

(前掲「AERA」記事より)

岸が「反東条」に転じたなどというと聞こえは良いが、戦争が敗色濃厚となって、このままでは戦後に政治家として生き延びることはできないと判断した岸が、先手を打って、「敵の敵は味方」の論理で、平和主義者であった安倍寛と手を結んだというだけのことだろう。こんなことくらいで岸が戦争責任を免れると思ったら大間違いだ。
そして、安倍晋三は一方的に岸信介の血脈だけを選択したのである。

さらに「AERA」の記事からの引用を続ける。

『妖怪・岸のDNAにとりつかれると、こういう"危険な政治家"像が全面開花してゆく可能性が高い。

「大陸間弾道弾(をつくること)はですね、憲法上は問題ではない。憲法上では原子爆弾だって問題ではないですからね。小型であれば‥‥。戦術核を使うということは岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています」(2002年5月、早稲田大学での講演会での発言。岸答弁は正確には「使用」ではなく「保有」)

また以前、私が晋三氏にインタビューした時にはこう語っていた。
「祖父以降(の政治家)はむしろ確固たる国家観(強い国家像)を出すのを避けてきた。‥‥とにかく経済発展至上主義で‥‥その極みが田中角栄‥‥だった」と。

しかし、いま、『わたしの安倍晋太郎?岸信介の娘として』(安倍洋子著)のページをひらくと、こう記してある。 <データ■岸信介 (昭和)三十二年二月に総理大臣の座に就く。ここに至る間の名言(?)に「政治は力であり、金だ」があるが、金権政治はここに始まるといわれる>。

(前掲「AERA」記事より)

そりゃそうだろう。岸信介というと、ありとあらゆる疑獄事件に関与がささやかれながら、尻尾を出さずに逃げ切った政治家としてあまりにも有名だ。
1979年に発覚した「ダグラス・グラマン事件」もその一つで、まだ AbEnd に参画するどころか、安倍の統一協会祝電事件も明るみに出る前の5月16日、弊ブログで「ダグラス グラマンといえば」 と題した記事の中で、簡単に取り上げている。

なお、安倍晋三が統一協会とつながりがあるだろう、とは以前から言われていたことだった。これも安倍の統一協会祝電事件が明るみに出る前の5月24日に、弊ブログで「カルト教団と巨大権力構造」 という記事を掲載したことがある。

それだけに、6月5日にネット(カマヤンやハムニダ薫さん)によって祝電事件が暴き出され、ようやく闇が白日のもとにさらされ始めているのは、とても感慨深いことだ。

さて、「戦争と平和」の両方の血を受け継ぎながら、一方的に「戦争」の側に肩入れしている、「A級戦犯の孫であり平和主義者の孫でもある」安倍晋三だが、母・安倍洋子ともども、父親・安倍晋太郎の晩年には父に冷淡な態度をとっていたと、週刊誌に書かれたことがある。
安倍晋太郎自身、平和主義者・安倍寛の息子でありながら、自民党タカ派の政治家となり、統一協会とどっぷり癒着していた、決して感心できない男だが、晋三は、その父より母方の祖父・岸信介に心酔し、癌に侵された晋太郎に冷淡に接したのだろうか。
おそらく、安倍晋三は「安倍晋太郎の息子」としてより、「岸信介の孫」として生きようとしているのだろう。

安倍寛氏は、草葉の陰でさぞお嘆きのことだろう。


PS

当記事は、『リベラル系キャッチコピー研究会 - 日本の呆守化を憂いつつキーワードを登録していくブログ - 安倍寛が忘れられていることこそ現代日本の不幸・キーワード「安倍寛」』 に取り上げていただきました。感謝します。

ところで、「AERA」の安倍特集には、もう一本記事があったことを見逃していました。朝日新聞編集委員・星浩氏による『「安倍首相」意外な妨げ』という、政局観測記事ですが、星氏の予想は全くといって当たっていないので、実質的に今でも資料としての価値があるのは、本文であげた二本の記事だけといえると思います。
(2006.07.30 18:54追記)
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2006.07.30 10:12 | 安倍晋三 | トラックバック(-) | コメント(8) | このエントリーを含むはてなブックマーク

安倍の先祖が安倍の宗任だという「家系自慢」は、眉唾と思っています。江戸時代に大いに流行ったそうですから。また、本当だとして、海賊の松浦党の「松浦」という地名は大和王権が蝦夷地(東北)から捕虜として連行しゲットー(別所)として成立した起源を持っている、と以前学習した覚えがあります。そして捕虜の子孫が支配者側に同化したわけです。

2006.08.14 04:43 URL | どんぐり #- [ 編集 ]

どんぐりさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
「安倍の先祖が安倍宗任」というのは、吉田司氏の記事の引用なので、真偽のほどを確認して書いたものではありません。でも、話の前振りとしては面白いなと思います。本筋は、あくまで安倍寛以降の部分にあります。

2006.08.18 01:56 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

安倍家が安倍一族だと言うのは、安倍晋太郎氏が岩手に来ていく先々で直接人々に話していったことです。
地元新聞でも大きく取り上げられ、吉田司さんに限らず、多くの人が晋太郎さんにお会いして直にお話を伺いました。(私も)
ですから岩手では以前から有名な話でした。

晋太郎さんの言葉が事実どおりであるかどうかは検証されていません。
そもそも松浦党は30いくつの起源の異なる系図を持ち、安倍宗任につながるのはそのひとつに過ぎないのです。
ですから松浦党が奥州安倍氏の後継であること自体が疑わしいのです。
しかし、岩手県民にとって重要なのは安倍の血脈ではなく、安倍を名乗ることそのものにあります。
奥州安倍氏は奥州12年合戦で勢力としては滅亡しましたが、時代が後になるにつれ逆にその権威は高まっていきました。
東北の戦国大名の多くは中央政権向けには源平姓を名乗りますが、地元では安倍氏・藤原氏の婿筋でなければ権威・権力を維持できませんでした。
また、東北の民衆が抵抗のむしろ旗を上げるとき、指導者たちは血縁に関わらず安倍を名乗ることが少なくありませんでした。
歴史的には、東北で安倍を名乗ることは人々のために命をかけて反骨と正義を示す決意したとみなされてきたのです。
晋太郎さんが安倍をなのったのは、最初は東北における支持集めが同機だったのではないかと私は疑っています。
しかし、晋太郎さんのその後ののめりこみようは尋常ではなく、ついに国家権力側だった自分の政治姿勢を恥じて涙したほどです。
あの時晋太郎さんは蝦夷の魂を取戻しただと私は思いました。
しかし、そのとき既に晋太郎さんはガンに侵されており、東北行脚のわずな期間でお亡くなりになったのでした。

2006.09.07 18:44 URL | sonic #- [ 編集 ]

それにしても安倍寛こそ蝦夷にふさわしい反骨と正義の心の持主ですね。

2006.09.07 18:45 URL | sonic #- [ 編集 ]

sonicさん
たいへん興味深いコメントありがとうございます。このようなコメントを頂くとは、記事を書いた甲斐があったと感激しています。

> 歴史的には、東北で安倍を名乗ることは人々のために命をかけて反骨と正義を示す決意したとみなされてきたのです。

なんと、「安倍」の姓は、もともと反骨精神の象徴だったわけですね。
安倍晋太郎氏は、「俺は岸信介の娘婿じゃない、俺の父は安倍寛だ」と言っておられたそうです。
最晩年、東北で本来の自分を取り戻された時には、余命いくばくもなくなっていたとは、なかなか胸を打つ話です。
私は、そのタカ派の政治姿勢や統一協会とのつながりから、安倍晋太郎氏はあまり好きな政治家ではなかったのですが、sonicさんのコメントを読んで晋太郎氏を見直しました。
それにひきかえ、父方の祖父を軽んじ、父を軽んじる安倍晋三は、「安倍」の姓を汚しているとしか言いようがありませんね。
安倍寛氏だけでなく、安倍晋太郎氏も草葉の陰でお嘆きでしょうね。

2006.09.07 19:01 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

こんにちは
 いまさら出る幕ではありませんが、安倍には二流あります。阿倍比羅夫とか阿倍仲麻呂(平安時代には子孫が好字・安倍に変えた)の古代豪族、もう一つが蝦夷の勇将・貞任らです。双方の起源は一緒になりません。
 壇ノ浦で安倍宗任の子孫である松浦党が落ちのびた、これも??だらけです。まず、松浦党各氏は、片方の先祖の源(嵯峨源氏)を名乗ることはあっても安倍を名乗る子孫はありません。まして頼朝の追求の厳しい当時、壇ノ浦の沿岸といっいいところに落ちのびる(平家の残党は大抵山奥深くに)わけがありません。
 なお、後の大名・秋田がは蝦夷の出身というのはたしかでしょう。
 いずれにしても、姓氏というのはいいかげんなもので、「氏より素性」。なにかにつけ先祖を持ち出すような輩は警戒しましょう。

2006.12.18 11:58 URL | ましま #- [ 編集 ]

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2012.06.09 18:28  | # [ 編集 ]

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2012.06.09 18:29  | # [ 編集 ]













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