きまぐれな日々

昨年3月3日の大久保隆規氏逮捕で西松事件は幕を開けたが、当ブログは翌3月4日付で「小沢一郎代表は潔く退陣を、麻生太郎首相は早期解散を」と題した記事を公開した。読み返すと、朝日新聞の社説を引用するなど、現在の当ブログの論調からは考えられない記事だが、90年代初頭には「金竹小」(こんちくしょう、金丸信、竹下登、小沢一郎を指す)と呼ばれて、マスコミに叩かれていた小沢一郎なら、「政治とカネ」の問題に問われて当たり前という感覚だった。今でも小沢一郎がクリーンな政治家だとは全然思っていない。

しかし、今回の石川議員逮捕劇では、小沢一郎の説明責任を問うよりも、東京地検特捜部を強く批判した。何故か。それは、彼らが全然結果を出せなかったからだ。当ブログは小沢一郎退陣を求めてから19日後の昨年3月23日には、「ネズミ一匹出なかった「西松事件」とひどかった「リーク報道」」で既に結果を出せなかった検察と、そのリークを垂れ流すだけのマスコミを批判する記事を公開している。但し、記事をお読みいただければおわかりと思うが、私は小沢一郎に対するスタンスを変えたわけではない。検察とマスコミに対するスタンスを否定的なものへと変えただけだ。結果を出せなかった者を評価せず、疑いの目を向けるのは、政治に絡む問題を論じる上ではあまりにも当然の態度だ。

そんな私だから、今回の石川議員逮捕劇では、最初から検察やマスコミを厳しく批判している。昨年の西松事件の捜査でも十分な結果を出せなかった東京地検特捜部が、今回は通常国会召集直前の金曜日深夜に、国会議員を逮捕するさらなる暴挙に出た。昨夏の総選挙で政権は自民党から民主党に交代しているから、構図は国策捜査ではあり得ず、権力と権力の正面衝突であり、双方に対する批判精神が求められると思うが、どちらか一方にしか批判の目を向けない人が多すぎる。私が検察やマスコミを批判するだけで、「小沢信者」と歩調を合わせている、などと評する読者もいるが、馬鹿を言っちゃいかん! あんたらには文章の読解力があるのか! そう言いたい。私の小沢一郎に対するスタンスは昨年3月4日に民主党代表辞任を求めた時と全く変わっていない。変わったのは、マスコミ及び検察への評価を大きく引き下げたこと、それだけだ。

ネットを見渡しても、私同様検察やマスコミへの評価を引き下げたブログは多い。たとえば『反戦塾』がそうだ。同ブログは、

このブログでもこれまでに小沢氏に関する記事を書いてきたが、小沢氏の金権体質はぬぐいようがなく、その政治的信条や政治手法からみても代表は辞任すべきだと書いたことがある。

と書いていることからもわかるように、かつて小沢一郎代表(当時)の辞任を求めるエントリを上げていたのに、今では検察やそのリークを垂れ流すマスコミを批判している。

そもそも検察が歴史的に何をしてきたか。そこから見ていくべきだろう。このことに関連して、当ブログが昨年4月11日付のエントリ「『文藝春秋』5月号?平凡だった立花隆と驚かされた中西輝政」で取り上げ、『kojitakenの日記』及び当ブログの前回のエントリでも触れた、右翼学者・中西輝政の論文に関して、読者から批判のコメントを受けているので、これに言及しておく。

これらは、『文藝春秋』の昨年5月号に掲載された、中西輝政の「子供の政治が国を滅ぼす」と題された論文を紹介した文章であって、周知のように中西は「正論」文化人にして安倍晋三のブレーンでもある極右学者だが、その中西が「司法の暴走が昭和史を歪めた」という主旨の論文を書いたのを読んで驚き、これを昨年4月の当ブログで取り上げた次第だ。ここで中西は検察によるデッチ上げ事件である1934年の「帝人事件」を引き合いに出し、

端的に言えば、戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察のデッチ上げの疑獄事件だったのである。

と書いた。これは、前述の昨年4月11日付当ブログ記事で紹介した通りだが、Black Jokerさんから、帝人事件以前の「五・一五事件」(1932年)によって戦前の政党政治は終わっていた、「帝人事件」をきっかけに「検察による政党政治への挑戦」を受け、その結果として政党政治が転覆された、というのは史実に反する、というご指摘を受けた。さらにぽむさんからは、これは中西輝政の斎藤実内閣への過大評価である、史実は斎藤内閣時代に満州国を承認し、国際連盟を脱退したし、小林多喜二の虐殺、滝川事件なども起きているとのご指摘をいただき、中西のような極度に偏向した学者の論文を紹介する際には十分な慎重さが求められる、とのお叱りも受けた。

幸い、手元にまだ『文藝春秋』の当該号が残っていたこともあり、当ブログの過去ログを読み返しながら、再度中西の論文を吟味してみたのだが、結論から言うと、中西の論文にも当ブログのエントリにも、「帝人事件が政党政治を終わらせた」とはどこにも書かれていない。但し、そう誤読されても仕方ない文章になっていた。中西の歴史認識にも確かに問題はあるけれども、それ以上に私の引用が誤読を誘う主な原因になっている。

中西論文の、当ブログの過去のエントリには引用しなかった部分に、下記のように書かれている。

 よく、「五・一五事件で、戦前の政党内閣制は崩壊した」と言われるが、斎藤内閣は実質的には政党に支えられた内閣といえた。首相の斎藤実こそ海軍出身だったが、高橋(是清)、鳩山(一郎)、三土(忠造)は政友会に属し、主要官僚には多くの政党人が起用されていた。

(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)


つまり、中西は斎藤内閣が政党内閣とはいえない史実は一応おさえているわけで、それを引用しなかった当ブログに問題があったかもしれない。ただ繰り返すが、当ブログも「帝人事件が政党政治を終わらせた」とは書いていない。

中西は、戦前の検察官僚(元検事総長)だった平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)が、「政党政治に対して半ば公然と反対の姿勢をとっていた」とか、「政党つぶしを目論」んでいた、とは確かに書いている。しかし、それは「帝人事件」を単独に指すものではなく、極右としても有名な平沼騏一郎という男が一貫してとってきた態度を指す。これについては、昨年4月の「ダイヤモンド・オンライン」に上久保誠人氏が書いているし、『kojitakenの日記』でも、「戦前には極右・平沼騏一郎が牛耳っていた検察」と題した記事で、上久保氏の記事を引用しながら平沼騏一郎がなした主な悪事をまとめた。特に上久保氏の記事を参照いただくと良いと思うが、平沼騏一郎は約100年前に、汚職事件に関連している政治家を罪に問うかどうかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとする「政治的検察」を誕生させた。その頃平沼騏一郎は、大逆事件で幸徳秋水らに死刑を求刑している。1914年のジーメンス事件では山本権兵衛(ごんのひょうえ)首相を失脚させた。1925年には加藤高明内閣に接近して治安維持法の成立を認めさせ、この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党や共産党を弾圧した。これらは、中西論文には書かれていないけれども、中西が、平沼騏一郎(検察)が政党政治を破壊しようとしたと書いたのは、こうした事実を踏まえてのことだったと考えるべきだろう。「帝人事件」はその総仕上げに過ぎなかった。中西は、戦前の日本が道を誤ったのは、一般的には軍部の暴走が原因だったとされているが、それは結果であって原因ではない、原因は政党政治を内部から崩壊させていったことだ、と主張しており、それを行ったのが検察であり、そのトップに立っていた平沼騏一郎だったと指摘している。斎藤内閣は続く岡田内閣とともに、軍人首班ながら、政党人を多く入閣させた「中間内閣」とされていて、斎藤内閣は軍国主義化を止められず、岡田内閣時代は「二・二六事件」で倒れたが、斎藤内閣成立の時には、軍部及び政友会右派は軍人の斎藤よりも検察官僚の平沼を総理大臣にしようとしたし、岡田内閣時代には平沼に近いとされた蓑田胸喜(みのだ・むねき)らが岡田内閣を攻撃したとのことだ(注:これらについても中西論文に書かれているわけではなく、別途調べたものです)。つまり、戦前において平沼騏一郎は一貫して政党政治を攻撃し続けたとんでもない人間だった。「戦前政治のガン」と言っても良いだろう。検察には、こんな歴史があるし、私が常日頃から批判して止まない平沼赳夫の養父・平沼騏一郎は、そんな戦前の検察のトップに立って、政党政治の破壊を自らの使命としていたかのような人物だった。岸信介の比ではないほどたちの悪い人間だったと、私には思える。

戦後、平沼騏一郎はA級戦犯容疑で逮捕され、東京裁判で終身禁固刑の判決を受けて、1952年に病気で仮釈放された直後に死亡したが、平沼が築いた検察の伝統である政党政治への攻撃は、戦後も続いた。昭電事件や造船疑惑などがその現れとなった事件だ。政権政党と官僚との癒着が進んだ自民党政権の後半期には、検察が政権与党を攻撃することはほとんどなくなったが、その方が例外的な時代だったのかもしれない。

安倍晋三のブレーンである極右の中西輝政を弁護することなど当ブログの本意ではないのだが、本件に関しては、斎藤実内閣への評価が甘いことなどを除けば、中西は間違ったことは書いていないと思うし、むしろ読者の誤読を誘ったのは私の引用に問題があったと思われるので、それだけは書かねばならないと思った次第である。もちろん、中西の思想信条に私が露ほども共感していないことはいうまでもない。だが、権力と権力のぶつかり合いである現状を分析するのに、マスコミが主導して世論の主流になっている意見は、検察への批判が弱すぎるように私には思えるし、昨年の中西論文は、戦前の検察のゆがんだ権力行使を批判した点で、一定の評価は与えられるのではないかと考える。この論文は、中西がブレーンを務める安倍晋三らの利益に沿ったものにもなっていない。だから、極右学者の論文であることを百も承知の上で、あえて紹介した次第だ。もっとも、確かにぽむさんが指摘されるように、戦前の政府の戦争犯罪については評価が甘く、私の引用の仕方にも問題があったのは確かで、この点については真摯に批判を受け止めて反省したい。

平沼騏一郎の養子である平沼赳夫は、17日に岡山で開かれた政治資金パーティーで、極右新党結成をぶち上げたが、その際にレイシズム剥き出しのトンデモ発言を行った。これは毎日新聞が報じ、『日本がアブナイ!』も紹介し、毎日新聞記事についた400件を超える「はてなブックマーク」に添えられたコメントの大半が、平沼赳夫を批判するものだった。今日のエントリでは平沼赳夫批判にもスペースを割くつもりだったが、平沼騏一郎批判が長くなりすぎたので、赳夫批判の方はまたの機会に回したい。


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文春の中西論文はすべてのブロガーが一読すべき内容ですね。
古寺多見さんのものの見方は、たとえ主義主張が異なろうとも、その意見の中に有意義なものがあれば頭から拒否してかかるのではなく、素直に参考にしていくというものですね。
いまの地検特捜部にその考え方を説いて聞かせたいです。

それにしても検察の、戦前から続く政党政治・民主政治への干渉ぶりは、今もまったく変わっていないようですね。
私は小沢さんも鳩山さんも、国民にとっては将棋の駒みたいな存在だと思っています。
いま検察に腹立たしいのは、せっかく戦後60年も続いた一般国民を排除した政治が終焉を迎えようとしている時に、それを元に戻すような事をしようとしている点です。
何もあんた達に心配されなくても、国民は小沢さんらがアホな方向へ舵を切り始めたら、その首を自分達で挿げ替えるだけですよということです。
余計な真似はして欲しくないというのが正直な気持ちです。

2010.01.20 09:32 URL | 風太 #seTEoywg [ 編集 ]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000036-mai-pol

取り調べ全面可視化法案の今国会断念説が出ました。
検察の母上を人質にした逮捕恫喝に屈したのではないかと残念です。

2010.01.20 13:45 URL | トホホ #/Amn5WiM [ 編集 ]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000073-jij-pol

こっちの時事では輿石さんが議員立法でと言っています。
政府提案にしないことで検察の顔を立てるということでしょうか?
まだ揺り戻しもありそうです。

2010.01.20 14:08 URL | トホホ #/Amn5WiM [ 編集 ]

まあ民主主義とか人権とか自由とか正義とか言ってみたところで世の中はカネとか権力を持ったモノが勝つようなシステムが出来ています
そして、カネや権力を持ったモノは他者を支配したりする「常任理事国、先進国←→発展途上国」とか「大企業←→中小企業、下請け」とか「政府、政治家、霞ヶ関←→一般人」とか「社長、スポンサー←→社員(雇用形態は問わない)」とかもみんなそれそうじゃないですか
だから、政界とか霞ヶ関にはそれほど期待していないわけです
こういうことについてはどこが政権を取っても変わりませんよ

2010.01.20 15:53 URL | マケイン #- [ 編集 ]

さすがの中西も、戦前の日本を肯定しまくり、というわけではなかった。ということは
最低限いえますね。
 自分が批判している側の人でも、頭から全否定するのではなく、丁寧に読んでみる事が必要だと思いました。そうしないと的確な批判などできません。そのうえ、当の人物から学ぶべきものすらあるということですね。肝に銘じます。

2010.01.20 18:42 URL | puyonyan #- [ 編集 ]

 中西輝政さんもたまにはいいことを言うなと思いました。私も正直論敵を頭ごなしに否定する態度を改めねばならないと反省する次第です。特定の論客を叩くことを活動の中心としているブログがありますが、正直こうした態度は叩かれ主がたまにいいことを言っていても意地でも全否定してしまいがちなのであまりほめられたものではないと思います。

2010.01.21 23:00 URL | 谷本篤史 #gKumvUXs [ 編集 ]

平沼騏一郎といえば、なんと言っても「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」の迷台詞を残して総辞職した内閣の首相として有名ですね。日独伊三国同盟を結ぼうと画策していた矢先に独ソ不可侵条約を締結され、寝耳に水の衝撃を受けたわけですが、国際政治における冷徹なパワー・ポリティックスの現実を理解できない政治家として無能な人で、1939年にやっと念願の首相になれたもののノモンハンの敗北を置き土産に半年程度で総辞職に追い込まれてしまいました。
大正~昭和の言論弾圧にも数多く関わっていますが、有名なものに1920年に東京帝経済学部助教授だった森戸辰男に実刑判決を下した「森戸事件」があります。(ちなみに森戸辰男氏は、戦後日本社会党に入党、衆議院議員となりますが、日本国憲法に生存権を明記した25条を加えることに尽力したことで有名)。
その他、岡田内閣倒閣に利用しようとあの天皇機関説排撃にも一役かったようです。

2010.01.21 23:28 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]













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