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きまぐれな日々

「天皇の政治利用」に関する議論が止まない。昨日(12月27日)も、今年最後になるテレビ朝日『サンデープロジェクト』において、党首討論の議題に上がっていた。いまさら新しい論点など出てこないにもかかわらずである。

この件に関して、世論調査では小沢一郎を批判する意見が多数を占める。羽毛田信吾・宮内庁長官の思いがけない批判に遭って、小沢一郎が逆上して反論したいきさつがあり、これが国民の多くの反発を買ったためだろう。このところの鳩山政権の支持率低下には、この件がもっとも影響しているのではないかと私には思える。普天間基地移設問題については、世論は拮抗していて、支持率を大きく下げる要因になるとは考え難い。

のちに小沢一郎自身が認めた通り、天皇が外国の要人と会見するのは国事行為には当たらないのだった。これは、騒動が勃発した当初には私も気づかなかったのだが、共産党の志位和夫委員長の指摘によって周知のところとなった。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-16/2009121602_01_1.html

志位氏は、下記のように小沢氏を批判している。

 この問題をきちんと整理して考えると、外国の賓客と天皇が会見するというのは、憲法で規定された内閣の助言と承認を必要とする国事行為ではないのです。憲法を読んでも、国事行為のなかにはそういう項目は出てこない。国事行為以外の公的行為です。

 こういう国事行為以外の天皇の公的行為については、政治的性格を与えてはならないというのが憲法のさだめるところなのです。そういう憲法の規定から考えると、今回は、日本政府がその問題に関与することによって政治的性格を与えてしまった。これは日本国憲法の精神をたがえたものです。

 もしこれが許されたらどうなるか。たとえば国会の開会式で天皇の発言がおこなわれています。これも国事行為以外の行為です。この発言の内容について、ときの内閣の判断でどういうものでもやれるようになったらたいへんです。これは憲法の原則にかかわる大きな問題が問われているのです。

(『しんぶん赤旗』 2009年12月16日付記事より)


この説明は間違ってはいないだろう。だが、何度も書くようにどうしても釈然としないものが残る。

そもそも、天皇は政治的発言をしてはならないはずである。だったら、公的行為の場での発言は、誰がチェックしているかというと、それは宮内庁だろう。ところが、その宮内庁の長官が政権を批判する。これは十分政治的な行為であり、これこそ宮内庁の役人がやってはならないことではないのか。いろいろ考えてみたが、結局この疑問はどうしても解消できなかった。

もちろん、あえて「宿敵」の主張を認めるのだけれど、産経新聞の「社説」に相当する「主張」子が主張するように、小沢一郎が天皇の意図を勝手に忖度した発言をするのも不適当である。だが、小沢発言と同様に、天皇の発言に政治色を持たせてはならない宮内庁長官が、政府を批判することも不適当である。いや、問題のきっかけを作ったのは宮内庁長官の方だから、より問題が大きいのは羽毛田氏の方である。羽毛田氏の発言を、天皇の意を汲んだものだとする文章を書いた左派系の有力ブログもあったが、そういった言説もまた、天皇の意図を勝手に推測することによって、天皇を政治利用しようとするものにほかならず、これまた問題である。いかなる立場からでも、天皇を「政治利用」してはならないというのが、従来広く支持された考え方だったと私は思っていたのだが、違うのか。私に言わせれば、宮内庁長官も小沢一郎も件の左派ブロガーも全員に問題があるが、左記の順番で責任が重いと思う。今回の件でもっとも強く責められるべきは、やはり羽毛田信吾である。

このように、宮内庁の役人とは、天皇の言動に政治性を持たせてはならない重大な使命があるのだから、先々週の「サンプロ」で細野豪志が言っていたように、内閣と宮内庁は阿吽の呼吸でことを進めなければならないのである。それを破った羽毛田長官の責任は重大だ。もちろん、感情的な対応をして問題をこじらせた小沢一郎の責任も、羽毛田氏に次いで重い。

そして、この機に乗じて、安倍晋三だの平沼赳夫だの城内実だのといった極右政治家たちが、一斉に小沢一郎批判の声を挙げるに至っては、もう論外である。ところが、左側からも自称「真正保守」の人々による小沢批判の尻馬に乗る人たちがいるから困ったものだ。たとえば、「日本国憲法の第1条は大日本帝国憲法第3条の『神聖ニシテ侵スヘカラス』の規定をベースにしている」などという主張が、左側のブログから出てきた。普通には「護憲」側から出てくるはずもない憲法解釈だと私は思ったのだが、なぜかこれを批判する意見はほとんど見られなかった。

あまりの事態にあっけにとられている時に目にしたのが、田中角栄の天皇観である。石川真澄著『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』(岩波現代文庫、2009年;初出は岩波書店、1997年)に出ていた。以下引用する。

私(注:故石川真澄・朝日新聞編集委員)は一つだけ、記事にするわけではないが、と田中氏の天皇観を尋ねた。佐藤栄作氏が私のインタビューに答えて「天皇様がいらっしゃるから、日本という国家の連続性が保たれるのです」と語ったことが念頭にあったからである。田中氏はむしろけげんな顔で言った。「そりゃあ、天皇陛下と皇室を私は敬っておるよ。両陛下の写真を応接間に飾っている。しかし、天皇が象徴天皇であって政治的機能を有しないことくらいは、もちろんわきまえている。戦前とは違う

(石川真澄 『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』(岩波現代文庫、2009年) 93-94頁)


これは、田中角栄が首相を退任した翌年、1975年に石川記者が田中氏にインタビューした時のコメントである。34年前の保守政治家の方が、現在の宮内庁長官やほかならぬ田中氏の弟子や左派ブロガーと比較しても、日本国憲法を当然とする思考をしていることに感心した。何より、田中角栄は、戦前と戦後の連続性を強調する佐藤栄作とは対象的に、両者の断絶を意識している。日本国憲法第1条は、象徴天皇制とともに国民主権を規定しており、大日本帝国憲法第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と鋭い対照をなす。

こんなことを書くと、昭和天皇には戦争責任があったけれども、今の天皇にはそんなものはないし、何より今の天皇は日本国憲法を尊重する平和主義者だ、戦犯の昭和天皇と一緒にするなと言う人もいるだろう。だが、昭和天皇には政治的発言が許されず、今の天皇には許されるなどという理屈が通るはずはない。1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されたことが翌年明らかになったが、以後昭和天皇は靖国神社に参拝しなかった。しかし、多くの人はその理由を感づいていたにもかかわらず、それはあからさまには語られなかった。当ブログでは、2006年7月5日付エントリ『靖国神社と昭和天皇』でこの件を取り上げたところ、その15日後に日経新聞がこれを裏づける「富田メモ」をスクープしたものだから、びっくり仰天した思い出がある。それはともかく、誰もが気づいていた天皇の行動の意図さえ、在位中には言及しなかったのがかつての「象徴天皇」の言動に対する姿勢だった。もっとも、靖国の件で右翼が黙っていたのは、彼らにとって都合の悪い話だったからに違いなく、それ以前には右側による「天皇の政治利用」はしょっちゅう問題になっていたし、昭和天皇の発言自体が問題視されることもあった。しかし、天皇の名の下に軍部と政府が好き勝手をやって勝てるはずのない戦争に突っ込んでいった戦前への反省から、「天皇の政治利用」は戒められるのが普通だった。

今では、誰も彼もが天皇を政治利用しようとする。特に安倍晋三や産経新聞などの「右側」が今回の件で大騒ぎするのは、国民の間に「反中」の意識を広め、ナショナリズムの機運を高めようとする狙いがある。そして、産経新聞が小沢一郎を批判するのに、赤旗に掲載された志位委員長の批判を援用するに至っては、呆れるほかはない。

実は、裏ブログの方で、「政治は結果がすべて、現実を変えられない政党や政治家は無価値だ」と書いて、左側から大ブーイングを受けたのだが、現実は民主党がその気になれば憲法を改正できるところにまできているし、現に鳩山由紀夫首相が改憲を口にした。毎日新聞の「えらぼーと」への回答を見る限り、一昨年の参院選と今年の衆院選で増えた民主党議員にはリベラル派が多いように思うが、彼らには世論の動向に敏感だという特性もある。改憲が実現してしまえば、社民党や共産党は「結果を出せなかった」ことになるのだ。

どんな仕事であっても、結果で評価されるのが当たり前だが、政治家の場合、国民の生活にもろに影響するから、他のどの職業にも増して結果が重視される。アマチュアや、職業人でも経験の浅いうちはプロセスも重視されるが、国政にかかわる人たちともなれば、結果を出さなければ存在価値はない。そう繰り返し強調したい。国民が小泉純一郎にフリーハンドを与えた結果、暮らしがどうなったかを思い出せば明らかだろう。護憲にしたところで、社民党と共産党の勢力だけで護憲はできない。民主党のリベラル派を何とかしなければ、改憲など簡単に実現してしまうことを、世の護憲派は忘れてはならない。自ら民主党のリベラル派を「右」に追い込む言動をとるのは、国会での議席数から考えても自殺行為以外のなにものでもない。しかし、このことを左翼がどれくらい自覚しているかは大いに疑わしい。

それを考えれば、志位氏の主張がいかに正しくとも、やはり釈然としないものが残るのである。なお、共産党支持系ブログでも、『超左翼おじさんの挑戦』『BLOG BLUES』が、それぞれ独自の視点からエントリを公開し、後者が前者を批判しているが、両者の議論にまでは発展していないようだ。

私自身は、天皇制は必要とは思わないが、象徴天皇が存在することによって日本国の社会がうまく機能するのであれば、存続しても良いのではないかと思っている。逆に、天皇制はもう必要ない、という考えが国民の総意になった時には、憲法を改正して天皇制を廃止すれば良い。しかし、現時点では日本国憲法は国民より先を行っており、仮に「時代に合わなくなった部分や不自然な日本語表現を改める」という意図の改憲であっても、現在の政治勢力を考えた場合、国民の権利を制限する改正が加えられるのは確実だから、日本国憲法を現在のまま守るべきであるという立場に立っている。したがって象徴天皇制容認の立場であるから、天皇が海外の要人と会見することは、大いに続けるべしと考えている。そして、「1か月ルール」は、天皇の体調を配慮して守られるべきであるが、このルールを政治利用などしてはならないと考える次第である。いや、それだけの話なのに、これほど大騒ぎになって、年末のテレビの党首討論でも蒸し返されること自体、天皇の政治利用ではないか。それを言い出したら、ブログでこんな記事を書くのも天皇の政治利用になってしまうのかもしれないけれど。


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私も天皇制は必要とは思わないが、強いてこれを廃止すべきだと思うほど天皇制廃止論者ではない。
これが今の日本人の大勢ではないか。
データがあって言っている訳ではないが、個人的経験で言えば天皇を敬っている人などついぞ見たことがない。
だから、この処の民主党の支持率低下に今回の天皇問題が多少なりとも寄与しているとすれば、小沢会見での小沢氏の態度や言動に対する反感、嫌悪などであって天皇に対する不遜などと言った方向での批判は一般国民はあまりないと感じている。
これすらもマスコミが根拠薄弱のまま盛んに作り上げている独裁者小沢一郎という虚像、これを強調する格好の機会となったこともあり、マスコミが盛大にこの問題を取り上げたことで、思考停止の読者、視聴者の多くが影響を受けた面が大きいと言える。
肝心の天皇の取り扱いについては一般国民の多くが根本的には関心がなく、逆に右派が声を大にして言えば言うほど天皇の国民への影響力が実際には小さいことを明らかにしていっているパラドックス的状況。ヒステリックな右派の言動を聞けば聞くほど、時代錯誤、天皇への嫌悪の感が強まる。今の天皇及び皇室を支え様としているのが、この程度の人物達であることが、逆に天皇及び皇室の不幸と言えなくない。
私が言う話ではないが、彼らは自身が天皇をどれほど敬っているかと世間に開陳するだけの自慰行為を止めるべきだろう。広く一般国民に天皇に対する自分たちの思いを共有して貰いたいのであれば、天皇を少しは見倣って自制的な態度と言動で対応すべきだろう。

2009.12.28 10:57 URL | 無党派層 #- [ 編集 ]

こんにちは
年末年始は自宅にいないのでPCが使えずトラバができないので、コメント欄で失礼致します。

お時間のあるときにでも私の「天皇の政治利用?」と、その追記に目を通していただけると嬉しく思います。(実は2エントリーに渡ってだらだら書いてしまったので、年明けにすっきり一つのエントリーにまとめるつもりでいます)

2009.12.28 11:35 URL | 秋原葉月 #449pMq2M [ 編集 ]

天皇はいてもいいと思います
天皇なんかよりも、今は橋下徹とか経団連企業の方がリスクとか害悪が多いはずです
ほとんどの人は関心はないでしょう
>反中
これは仕方ないでしょう
毒ギョウザ事件とか、チベットや人権活動家に関係した人権問題、なぜか平和主義者が批判しない中国軍拡、こういう話しを聞くと普通は怖いと思います

ネットにいる平和主義者は本当は、アメリカに代わって中国と仲良くして、民主党が政権を取り続ければなんでもいいのかとさえ思っています
ああいう手合いは、人権問題や食品の安全性、ひどい言い方ですが中国人労働者を奴隷のように動かしている日本企業、こういう問題を語るでもなく、リスクが多い過剰な対外進出や相互依存を援護射撃しているわけですから経団連企業にとってはトロイの木馬と言わざるを得ません

2009.12.28 13:06 URL | フスキー #- [ 編集 ]

志位委員長の発言が釈然としないのは、あたかも小沢氏を批判するために「天皇を政治利用」したように思えるからです。

極右政治家や小泉元首相などと比べたらはるかにましとは思いますが、小選挙区制導入の立役者であり解釈改憲論者である氏の政治思想には私も批判的です。更に、現在はどうであれ新自由主義の促進にも責任の一端を担っている政治家でもあります。また、現在小沢氏が成立させようとしている国会法改革と内閣法制局長官の国会答弁禁止にも強い懸念をいだいています。

でも、簡単に言えば要するに「これはこれ、それはそれ」なのです。今回の小沢発言は言い方には大いに問題はあるにせよ、憲法解釈という点からすれば筋は通っているわけです。国事行為と公的行為の言い間違いは、この場合大した問題ではなく、これを強調して批判するのは揚げ足取りと言われても仕方ないでしょう。
志位委員長の発言は、どうも「小沢憎し」で理性でなく感情的なものから発せられているような気がしてなりません。
これは、「科学的思考」にも同党が掲げる現政権対応の基本理念「良いことは認め、悪いことは批判する」にも反しているのではないでしょうか。
こうした反理性的な主張は、リベラル派に同党への不信をもたらすだけでしょう。

私は、共産党に反感をもっているわけではありません。同党の体質にはいろいろ問題はありますが、既存の政党の中でもっとも共感できるマニフェストを掲げる共産党には、もっと伸びてもらいたい、できれば与党の一角を担うようになってもらいたいと思っています。
とにかく、戦前、天皇制の名のもとに過酷な弾圧を受けた共産党が、結果的に宮内庁や右翼を利したり、産経に「共感」を示されるようでは、本末転倒にして面目丸つぶれというものです。

福島社民党党首の今回の件に関する発言も消極的ながら世間一般並みの小沢批判になってますね。
以前にも書いたことですが、護憲派にとって一番手強い相手は、いわゆる極右翼勢力などではなく小沢氏のような筋の通った改憲論者なのです。
2007年の参院選と今年の衆院選で増えた「リベラル派民主党議員」が露骨な改憲はともかく解釈改憲にどの程度抵抗できるかは正直大いに不安なものがありますが、それ以前に肝心の護憲派政党がこんなふらつきをしているようでは、護憲運動を自滅へと追いやりかねません。

2009.12.28 13:39 URL | ぽむ #mQop/nM. [ 編集 ]

恐らく、古寺多見さんの言う“ 左派系の有力ブログ ”と同じもの(天皇の意を汲んだ云々っていうヤツ)を私も閲覧しました。 古寺多見さんと全く同じ感想を持つと同時に、この問題に関する左右両側の冷静さを欠く異様な議論に辟易し、以後この問題から目を背けてきました。 

正直なところ、今回の古寺多見さんの記事を拝見し、自分とほぼ同じように感じている人がいるのだとホッとしております。 もっとも、私には管理人さん程、深い洞察力はありませんが・・・。

2009.12.28 17:01 URL | Aranjuez #- [ 編集 ]

私は今上天皇を尊敬しているレアな人間ですが(笑)、今回の騒動には正直あまりコメントする気になれません。

陛下も今回の騒動を残念に思っているのではないでしょうか?(私も忖度してしまった!)

今年のコメントはこれぐらいにします。
よいお年を。

2009.12.28 19:06 URL | nohohonn68 #- [ 編集 ]

 ブログ主様やコメント欄の皆様のご意見とだいたい同じです。「無党派層」様のご意見に一番近いかな。
 ウヨ系の観客(人数不明ですが)に対して、右の政治家や言論人は「私は皆さんの代表者です。だからご支持を」と、左の政治家や言論人は「私も天皇への敬意は皆さんと同じです。だから邪魔しないで」と、それぞれアピールしているだけでしょう。
 (必ずしもサヨでは無いけれど)ウヨでは無い観客は、うんざりしているんじゃないですか。

2009.12.28 19:15 URL | トホホ #/Amn5WiM [ 編集 ]

こんばんは。ご紹介、ありがとうございます。管理人様もご承知のように、僕は、自由闊達に意見を交わそう。もし、僕が、間違った発言をしたならば、その時は、潔く謝罪訂正する。論破されたならば、潔く兜を脱ぐと広言している。

「超左翼おじさんの挑戦」は、僕の批判に対して、TBを送ったのにも関わらず、梨の飛礫だ。自分の意見表明に対して、誇りや責任を持たぬ人なのであろう。

同様の意見を述べた「大津留公彦」は、僕の批判に対して、『傾聴に値する、読者諸氏は読み比べ、各々判断されたい』と対応した。立派な態度だと思う。

ブログの論争は、ともすれば、当事者同士が、周りを忘れて我田引水に終始するが。どっこい、ブログといえども、公のメディアである。判断は、読者がするものだ。

今回の僕の批判エントリも、然り。「超左翼おじさんの挑戦」が、ダンマリを極め込む以上、そのリアクションも含め、読者諸氏の賢察を願う次第である。

2009.12.28 22:43 URL | BLOG BLUES #- [ 編集 ]

こんにちは。昨日から気になっていまして、おじゃまします。

>羽毛田氏の発言を、天皇の意を汲んだものだとする文章を書いた左派系の有力ブログもあったが、そういった言説もまた、天皇の意図を勝手に推測することによって、天皇を政治利用しようとするものにほかならず

このような内容の発言が一般市民から出てくるのは当然のことと思われ、それを「政治利用」というのは腑に落ちません。天皇の意図を忖度して意見を言うのはかまわないでしょう。忖度の内容が間違っていると思えばその旨批判すればいいでしょう。日本の最大のタブーは何といっても「天皇タブー」だと思います。自由な意見や議論は必要で、たがをはめるようなことには賛成できません。当該ブログのことは何も知りませんが。

>志位氏の主張がいかに正しくとも、やはり釈然としないものが残る

この発言が産経や極右に利用されるので釈然としないというのであれば、民主党批判は自民党を利するものだという民主党支持者の一部の言説と同じような構図になるような気がします。論拠が異なる意見は結論が似ているように見えてもやはり異見だと思います。議論の筋道を明確にすればそのことははっきりするはずなので、これからはそういう試みが必要ではないでしょうか。

そのうち自分のブログで意見を書いてみるつもりですが、すぐに反応できないので、コメント欄におじゃましました。

2009.12.29 12:20 URL | yokoita #- [ 編集 ]

「象徴天皇が存在することによって日本国の社会がうまく機能するのであれば、存続しても良いのではないかと思っている。」
という部分が既に天皇の政治利用なんじゃないでしょうか。厳密に天皇の政治利用をやめるためには、憲法の天皇条項を破棄して、天皇の人権を回復する以外にないように思います。恒常的な天皇利用状態を放置しておいて、30日ルールにおける「天皇の政治利用」を云々するのはナンセンスではないでしょうか。

2009.12.29 15:38 URL | ぽんきん #Hf2/Ef0s [ 編集 ]

憲法が天皇に優越するのだから、日本国憲法に基づく戦後民主主義を維持発展させるために天皇を利用するのはまったくかまわんでしょ?
と言うか、すべての公務員には現行憲法を尊重する義務があるんだから、現在の戦後民主主義を維持発展させるようなことしか内閣は天皇にたいして助言しないはずだし、それ以外は承認しないんだから、良いんでないか。

と言うか、この議論、不毛。
どうしたいかは天皇陛下にしゃべらせたらいい。
それが憲法と戦後民主主義に即していれば承認するし、即していなければ拒否すれば良い。

なんでこんなにもたもたしてんだ?

2009.12.29 23:43 URL | sonic@田舎から #GCA3nAmE [ 編集 ]

今回の問題は天皇が絡んでいる為、格好のテーマとなっている。
だが、批判している人の意見を見てみると何を主眼としているのかやや判りづらい気がする。
これも天皇テーマに常につきまとう問題ではあるが。

単純にもともと小沢氏が嫌いだったが、この問題を機に更に嫌いになったで良いのではないか。

尊皇家でない、専門家でもないのに小難しい天皇問題を受け売りで取って付けても説得力がない。

結局、何だかんだと言いつつ天皇問題を小沢氏批判の小道具にしかしていないからだと思う。

これだけは言える。小沢氏を批判している尊皇家、専門家と称する輩達も相当に怪しい。彼らの立ち位置、意図(自慰行為、売名行為なのか)を見極めず鵜呑みにするのは止めた方が良い。

2009.12.30 00:22 URL | 無党派層 #- [ 編集 ]

天皇は自分がどうしたいかをしゃべる権利を保障されてないんですよね? それに、天皇の人権侵害状態を放置しておいてよいかどうかを考えるのは日本国民全体の責任ですよね? 日本には「天皇利用主義者」はいても、天皇の人権を真剣に考えてる国民はほとんどいないみたいです。それが戦後民主主義とやらの「内実」ではないでしょうか。他の差別がなくならないわけです。

2009.12.30 06:51 URL | ぽんきん #Hf2/Ef0s [ 編集 ]

天皇は基本的人権を制限されているのです。これがオーソドックスな憲法解釈だったはずですし、国民主権の下で天皇制を認めるのであれば、当然ながら皇族には参政権や表現の自由をはじめとする基本的人権の制限を受け入れてもらうことになります。私はそれでかまわないと思います。これを改める道は二つあって、一つは天皇制を認めながら天皇の政治的発言を認めるもので、これは大日本帝国憲法への復帰を目指すものです。日本国憲法を守る側の発言であれば構わないだろうという意見もありうるでしょうけれども、現天皇は確かに護憲派だけれども、今後どういう天皇が現れるかわからないわけで、復古的改憲論側に「ダブルスタンダード」だと批判される余地を与えるべきではないと思います。もう一つは天皇制を廃止して憲法を改正するものです。いずれにしても「護憲」ではないわけで、「護憲」を言うなら、天皇の基本的人権が制限されている現状を容認すべきだというのが私の意見です。

天皇の政治的意図を勝手に推測することについては、発言するのはもちろん自由ですが、その政治的意図が批判の対象になります。たとえば、yokoitaさんが例示した左派ブロガーですが、明記しませんでしたが、エントリの後段で述べた、大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性を主張した左派ブロガーと同一人物であり、彼は右翼による復古的改憲と同じ方向性を持って小沢一郎の発言を批判したから、私はこれを批判したのです。議論自体を封じているのではありません。

2009.12.30 07:22 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

「いずれにしても「護憲」ではないわけで、「護憲」を言うなら、天皇の基本的人権が制限されている現状を容認すべきだというのが私の意見です。」

憲法の天皇条項とそれ以外の部分は明らかに異質ではないでしょうか。基本的人権を旨とする日本国憲法において、天皇条項はそれを制限するわけですから悪性新生物のようなものではないかと思います。ガンが蔓延したから本体も瀕死状態なのか、本体が元々脆弱だったからガンが移転したのかは分かりませんが、そこを切ったら本体まで死にそうなので、9条という年金を受け取るために延命措置(護憲)されている老人のような気がしてなりません。その9条も日米(軍事)同盟と自衛隊の海外派兵という事実によって、本当に平和の配当としての「年金」と言えるかどうかは定かではありませんけども・・。
人権のない天皇がいてくれないと自立=自律できないほど日本人のアイデンティティは脆弱なのか・・・脆弱なんだろうな・・と思った次第です。現実の政治的な力関係は無視できないと思いますが、せめて作業仮説としての「天皇制廃止」くらいはあってもいいのではないかなと思いました。
ご挨拶が後先になってしまいましたが、いつも楽しみに拝見しております。とても勉強になります。失礼しました。

2009.12.30 08:30 URL | ぽんきん #Hf2/Ef0s [ 編集 ]

象徴天皇制の話ですが、天皇制が差別意識と密接な関係があることは、私もしばしば実感するところです。しかし、差別につながる天皇観を持っている人たちって、大日本帝国憲法と日本国憲法の断絶より連続性を意識している人たちではないかとも考えています。あとは効果というか政治的言説から予想される結果との兼ね合いですね。素人の生かじりでマックス・ウェーバーを引き合いに出したら怒られるかもしれないけれど、心情(信条)倫理より責任倫理、政治家とは結果責任を問われるものではないかと思います。

2009.12.30 09:52 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

天皇がそんなに大事なもんだとは知らなかった。
私らにはぜんぜん関係無いですからね。
やはり岩手県民は日本人にして日本人にあらず。
特に奥州市民はしかり。
小沢一郎もしかり。
どうせ「なんで天皇なんちゅうもんがあんだ?」くらいにしか思ってませんて。
今回の騒動は小沢さんの心の隙、蝦夷意識をを抵抗勢力が上手に突いたと言うところでしょうか・・・

こんなに面倒くさいなら天皇なんてやめちまったほうが良いなぁ・・・と小沢さんも思っているに違いない。

2009.12.30 11:39 URL | aonic@田舎から #GCA3nAmE [ 編集 ]

ぽんきんさんご指摘の、天皇条項と9条が引き換えだったというのは、その通りでしょうね。将来的には、国民の総意に基づいて天皇制は解消し、その際に憲法を改正すべきだと私も考えています。しかし、現時点はその機にあらず。まず論外の復古的改憲を阻止するのは最低限の必要条件で、その後に、小沢一郎流の改憲論とどう向き合うかが課題でしょう。天皇条項の見直しは、その後でなければ危なっかしくて進めません。現に、昨今のように共産党の主張を自主憲法制定派が利用する状況が現出しています。

あと、憲法9条と不可分の関係にあると私が考えている25条にかかわる問題も重要ですが、どういうわけか、一部の共産党支持系の方も含めて、明らかなレイシストである城内実のごとき人物を、あたかも「25条護憲派」であるかのごとく見なして、部分共闘を唱える人たちもいるようです(私から見れば、噴飯ものの一語に尽きますが)。このような人たちが日本国憲法を危うくしているのではないかと私は考えています。

2009.12.30 11:59 URL | kojitaken #e51DOZcs [ 編集 ]

ま 国民のレベルを超える政治家は出ないと言うことですね。ポピュリズム上等。
志位さんには「はぁ? 象徴天皇制って国民が天皇を政治利用することを憲法で規定してるってことじゃなかったんすか~? その意味じゃ小沢さんの発言は何の問題もないでしょ。いや もちろん我が党は天皇のいかなる政治利用にも反対してますけど、なにか?・・」くらいのボケをかましてほしかったですわ
余談ですが、ウェーバーはひどい鬱に苦しんでたそうですね。

2009.12.30 12:17 URL | ぽんきん #Hf2/Ef0s [ 編集 ]

 初めてコメントを書き込みます。「さつき」さんのブログでお世話になっておりますが、そこで「kojitaken さんを支持します」とあったことがきっかけで、そのエントリ経由でこちらにきました(このブログ主さんはkojitakenさんなのですね?)。

 「天皇を政治利用してはならない」という問題と、「天皇は政治的発言をしてはならない」という問題とが、同一の平面で論じられているように思います。しかし、主語(前者には主語はない)の違いから明らかなように、分析的に見れば、この両者はまったく別問題です。

 ブログ主さんの引用中で志位和夫氏が述べているのは、もともとは、後者の側面に関するものです。日本国憲法第4条第1項の「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という文言解釈に関わる問題です。



 前者の問題が後者の問題に関わりを持ってくるのは、後者の問題で一定の立場に立った場合(こういう検討順序になるのは、憲法の明文規定が後者について存在しながら、前者については直接には存しないからです)、天皇に与えられた禁止規範を厳格に貫く必要が生じるからです。

 例えば、天皇が憲法上それ「のみを行」うことが許されている「国事行為」の解釈について拡張解釈を認めず(全国植樹祭への参加は第7条第十号の「儀式を行ふ」には該らないとするなど)、しかも、一般私人がなしうるところでない「公的行為」の存在を一切認めない見解に立てば、国事行為以外で何らかの政治性をもつ行為を行うことは、およそ天皇には憲法上許容されない、という結論になります。

2009.12.31 02:00 URL | 樹々の緑 #x.Wkipnc [ 編集 ]

 こうした立場に立てば、習近平副主席の接受など政治外交上の意味が濃厚な行為を行うことは、もともと天皇が憲法上なしえないことなのだから、「内閣の助言と承認」がいくらあったとしても、時の内閣がそれを天皇に行わせることも憲法上許されず、したがって、内閣として「許されない天皇の政治利用」であることになります。

 これに対して、「天皇は憲法第1条で象徴としての地位を認められているのだから、その象徴たる地位にふさわしい行為(象徴行為)は当然に憲法上なしうる」(象徴行為説)、または「天皇は国及び国民統合の象徴として国事行為をなすという『公人』の地位を憲法上認められているのだから、そのような公人たる地位にふさわしい行為を行うことは、憲法も容認している」(公人行為説)と考えれば、これに「国事行為に関する内閣の助言と承認」と同じ内閣の関与行為・国会に対する連帯責任を要求する解釈をとったとしても(この見解が現在の憲法学界の多数説ではないかと推測されます)、今回の天皇の接受行為が、直ちに「天皇が憲法上なしえない『国政に関する権能』行使」になるかは不分明になってきます。

 この点、象徴行為説や公人行為説に立つ論者も、憲法の明文規定にないこの種の天皇の行為が「政治的性格」を帯びることに警戒的な態度を示しつつも、象徴天皇制という妥協的制度の現実からやむをえない現実的必要性を認めて、さらに何らかの細目規準を挙げながら、一定範囲でのみ「象徴行為」「公的行為」を認めているのですが、侵略戦争をしかけた相手国の次期国家主席候補者という接遇相手の地位から見て、おそらく習副主席の接受を「憲法上なしえない」とは言わないでしょう。

 ところで、少し視点を変えて見ると、この種の行為が憲法解釈論上の問題となるのは、まさにそれらが、何らかの政治的性格を帯びているからです。象徴行為説や公人行為説が如何にその点に警戒心を隠さなかったとしても、このこと自体は避けられません。(続く)

2009.12.31 02:01 URL | 樹々の緑 #x.Wkipnc [ 編集 ]

 つまり、何らかの「政治的性格」をもつことが不可避な「天皇が象徴ないし公人として行うことが許される行為」を認める以上、その行為を時の内閣が行わせること自体が、「天皇の政治利用となる」として必ず非難されることにはならないのです。おそらく、せいぜい「天皇のその種の行為の具体的内容が、政治的に見て不適当である」という批判を内閣が受けるだけであろう、と考えられます。これが、この種の見解が意図する「内閣の連帯責任」の中身であろうと思われるのです。

 天皇が、個別具体的な行為において内閣の政治方針と異なる行動をとった場合には、天皇自身が憲法に反して政治的権能を行使したこととなると同時に、それを行わせた内閣に(国民及び国会に対する)政治的責任が生じる、ということになります。他方、天皇が時の内閣の政治方針に従って具体的に行動すれば、天皇の行為が「象徴ないし公人行為」として容認されるものであった限り、その具体的行動内容の当否について内閣のみに責任が生じるわけです。

 日本共産党の志位委員長の見解は、ご引用部分によると、「公的行為」の存在を認める口ぶりでありながら、憲法上、「公的行為に政治的性格を与えてはならない」という禁止規範があると解釈して、今回の天皇の行為自体を「憲法上許されない」と結論づけるもののようですね。これは、最近の憲法解釈学界に出てきた学説なのかも知れませんが、あまり聞きません。

 もともと、「国事行為」でもないし、私人がなしうると同等の「私的行為」(例:散歩・相撲見物―但し特別席の使用は問題・全国植樹祭への参加―但しそこで「お言葉」を述べる行為は若干問題)でもない、「公的行為」という、憲法の明文にないカテゴリーを承認する解釈学上の意味は、まさに、「『一般私人が到底なしうるところにない政治的性格を帯びた行為』(例:外国からの要人の接受)を一定の範囲で憲法上容認する」という点にこそあったのでした。(続く)

2009.12.31 02:02 URL | 樹々の緑 #x.Wkipnc [ 編集 ]

 志位氏の解釈は、こうした解釈学上の「問題の由来」をあまり考えない、その意味で拙劣な憲法論であるように思います。
 もし、「国事行為の多くは純粋に形式的・儀礼的な行為だから(例外は衆議院の解散など)、公的行為もそれに準じて形式的・儀礼的な行為でなければならない」と言いたいのであれば、それは「国事行為に準ずる行為のみが許されうる」という「準国事行為説」であって、「公的行為肯定説」ではありません。そして、志位氏の結論を主張するのであれば、「憲法が定める国事行為に該当しない上に、私人と同等の私的行為でもない『外国要人の接遇』などは、憲法上許されるものではない。そのような行為は、当然に何らかの政治的性格を帯び、『国政に関する権能行使』に繋がるからだ」と端的に言うべきで、「公的行為」など持ち出すべきではありませんでした(この見解は、「二分説」と呼ばれて、少ないですが論者は居るようです)。

 しかも、おかしなことに、一般の議論では、「外国要人の接受」は、かなり形式的・儀礼的行為に近いものとして語られているのです(準国事行為説でも肯定しています)。したがって、今回の行為が「政治的性格」を与えられたというのも、一般の議論からは離れているのです。

 さらにまた、今回の具体的な天皇の接受行為について、憲法上禁じられている「国政に関する権能の行使」に該るような言動があったとも聞いていません。したがって、天皇が内閣の方針通りに行動した以上、当不当の問題は生じえても違憲の問題は生じえないはずです。これを、「憲法の原則に関わる大きな問題が問われている」というのならば、現在の議論に即して、自己の立場を鮮明にする必要がありました。

 おそらく、ブログ主さんが「どうしても釈然としないものが残る」と言われるのも、そうしたところに原因があると思っています。(続く)

2009.12.31 02:03 URL | 樹々の緑 #x.Wkipnc [ 編集 ]

 ところで、いま検討してきたような理屈は、あくまで日本国憲法が規定する天皇制、議院内閣制という構造から出てくる論理であって、宮内庁長官が、天皇の個別的行為の当否に関して時の内閣の方針を批判する、ということは、それらとは次元が異なる問題です。

 宮内庁といえども、「行政権は、内閣に属する」とする憲法第65条の下で、その「外交関係を処理する」(第73条第二号)内閣の権限に基づき発せられる行政上の指揮命令に従うべき、一行政機関に過ぎません。したがって、宮内庁長官が内閣からの指示を公然と批判する行為は、これに反していると言ってよいでしょう。

 ここで、いわゆる「30日ルール」が、天皇が行うべき行為の「内容」に関するルールではなく、「手続」のルールであることにも着目できるように思います。

 いかに、「天皇の行為の政治性をチェックするための検討期間である」という高邁な理屈を持ち出したとしても、そのようなルールが明確に規定されているわけではない以上、当不当の問題は生じえても、違法違憲の問題は生じえない、というのが筋だと思います。

 結局、今回の問題を「天皇の政治的利用」の「可否」という切り口から論じるのは不適当であるように、私は考えています。

 その意味では、たしか小澤氏が同趣旨のことを述べていたように思いますが、この件に関する限り、(好きでも支持してもいませんが)小澤氏は真っ当な議論をしているように思います。(以上)

2009.12.31 02:04 URL | 樹々の緑 #x.Wkipnc [ 編集 ]

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
天皇政治利用問題について、拙ないものですが、記事を書いてみました。トラックバックを送ろうと努めてみましたが、どうもうまくいきません。
下記にアドレスを書いておきます。お暇なおりにご一読いただければありがたく思います。

http://yokoita.blog58.fc2.com/blog-entry-42.html

2010.01.04 10:31 URL | yokoita #- [ 編集 ]

「天皇様がいらっしゃるから、日本という国家の連続性が保たれるのです」という言葉から〈戦前と戦後の連続性を強調する佐藤栄作〉とするのは短絡的ではないでしょうか。もっと長い期間――鎌倉時代や江戸時代なども視野に入れての発言でしょう。

2011.01.09 15:32 URL | アトランダム #UMtEH1cc [ 編集 ]

あっ、しまった。これじゃあまるで2010年1月9日に投稿したコメントみたいですね。
最後の一文とともに、こう加筆訂正しておきます。鎌倉時代や江戸時代なども視野に入れての、日本の一体性についての発言でしょう。201119

2011.01.09 15:58 URL | アトランダム #- [ 編集 ]













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