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きまぐれな日々

 先週は来年春の更新停止を決めているこのブログだけではなく、『kojitakenの日記』も更新しなかった。週の後半には、一時ネットそのものからも離れていた。

 だが、今週もこの日記を更新しないと、またまたトップページに広告が表示される。止むを得ず、というわけでもないが久々の更新をする。このあと7回更新したら、ブログの更新を停止する。

 先週はジャーナリストの安田純平氏の解放と、安倍晋三の中国訪問が注目された。このうち安倍訪中では、安倍が習近平に対して「競争から協調へ」などの3原則を提示した。

 これについて、「安倍晋三がネトウヨの梯子を外した」という見方と、「いや、それは見せかけであって、安倍政権はアメリカ中間選挙の結果を受けて再び中国との対決姿勢を強めるアメリカの尖兵になる」との見方があるようだが、私の意見は前者に近い。

 なぜなら、安倍政権は「経産省政権」と言われていることからも明らかなように、この政権は基本的に財界の嫌がることはやらないからだ。

 安倍は長年極右思想をウリにして、いわゆるネトウヨ(その実態は「安倍信者」に近くなっていた)ばかりではなく、月刊誌『正論』や『WiLL』や『Hanada』などに寄稿する極右文化人たちの絶大な支持を受けてきた。

 しかし、安倍が本当にこだわっているのは極右思想ではなく、「お祖父ちゃんのなし遂げられなかった『憲法改正』」を自らの手で達成することだけだ。極右思想のアピールも、なんとかのミクスと呼ばれている経済政策も、みんなそのための手段に過ぎない。だから、改憲のためならネトウヨだって平気で切り捨てる。

 とはいえ、安倍は自らの改憲構想をまず日本会議に提示した。そもそも、安倍の改憲構想自体が日本会議から入れ知恵されたものだ。ネトウヨを切り捨てれば安倍が「リベラル右派」の歓心を買うことに成功して改憲を達成できるとの見通しを安倍が持っているとしたら、それは楽観的に過ぎるだろう。まさか安倍も最初からそんなことを考えていたわけではあるまい。

 安倍訪中で見せた中国へのすり寄りは、日本経済の力が急速に落ちている結果採らざるを得なくなった方策であり、その結果ネトウヨの梯子を外さざるを得なくなった、というのが真相ではないかと思う。第2次安倍内閣発足とともに始まった「崩壊の時代」(by 坂野潤治)は、日本経済の崩落とともに終わりを告げ、安倍政権も同時に倒れると私はみている。

 安田純平氏の解放については、安倍に梯子を外されたネトウヨたちの相変わらずの「自己責任論」には心底うんざりさせられたが、この件でダルビッシュ有を見直すことができたのは唯一の収穫だった。今回はこの件をメインに取り上げようかと思ったが、あまりにも語り尽くされているのでいまさらと思う。ここではダルビッシュ有が発したツイートのURLを示すにとどめる。
https://twitter.com/faridyu/status/1055450819645132800

 ここでダルビッシュは、意見を言いっ放しにするのではなく、自らの意見に異を唱える人たちに丹念に反論している。たいしたものだ。いつも書きっ放しの私には真似できない(笑)。

 一方、破廉恥なネトウヨの連中は、戦場カメラマンの渡部陽一氏が「捕まるやつはその時点でジャーナリスト失格」という一文を含む「戦場取材の掟」を捏造し、それが何万回もリツイートされたというから開いた口がふさがらない。

 この件で思い出すのは、2015年にISIS(自称イスラム国)に後藤健二・湯川遙菜両氏が殺害された時、安倍晋三が平然と2人を見殺しにしたことだ。あの時安倍は、わざわざイスラエルでネタニヤフと会談して「テロとの闘い」の姿勢を示すなど、暗にテロリストたちに後藤氏らの処刑を促すかのような言動をとっていた。さらに呆れたことには、世論はこれに安倍内閣支持率上昇で応えた。「崩壊の時代」には為政者のみならず人心もすっかりおかしくなっていた見本だと思う。

 今回は、政権が安田氏を見殺しにしようとしたもののそれに失敗したのか、それとも本当は影で動いていて、身代金もカタール政府が払ったというのが本当でも、あとから日本政府がカタール政府に払うなり、あるいはそれに相当する見返りをするなりするのか。これにも諸説紛々で、本当のところはわからない。

 だが、2015年には勇ましく見殺しにできたことが今回はできなかっただけでも、安倍政権の足腰は確実に弱っているのではないか。そう思う今日この頃だ。
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 昨日(9/30)投開票された沖縄県知事選は、予想外の大差で玉城デニー候補が佐喜真淳候補に圧勝した。玉城候補の得票が396,632票(得票率55.1%)に対して佐喜真候補の得票が316,458票(得票率43.9%)であり、得票率で10ポイント以上の差がついた。

 55%対45%というと、たまたま20日の自民党総裁選での安倍晋三と石破茂の党員票の数字と同じだが、まああれは得票率でもないし裏返しの数字でもあるから偶然だ。

 しかし、自民党総裁選で安倍晋三が党員票で石破茂に追い上げられたことと、沖縄県知事選で佐喜真淳が思わぬ大差をつけられたこととの間には密接な関係があるとはいえるだろう。

 つまり、安倍晋三に対する忌避感が、全国の自民党員の間に続いて沖縄県民の間にも広がってきたことを意味する。

 その他にも、常識的に誰もが思う「弔い合戦」の効果(私など首長の死を受けた選挙の時にはいつも選挙戦中に時の首相だった大平正芳が急死した1980年の衆参同日選挙を思い出す)もあろうし、『広島瀬戸内新聞ニュース』が指摘した、小池百合子や松井一郎といった本土の大都市における新自由主義者の首長が佐喜真候補を応援したことで同候補への票が逃げたこと(「『公務員に天誅!』は大都会以外では通用しない」と表現されている)もあろう。特に後者には無視できない効果があると私も考えており、たとえば6月の新潟県知事選で小泉純一郎が新潟県入りして「野党共闘」の候補者を応援したこと及び共産党の志位和夫や立憲民主党の枝野幸男が小泉の新潟入りを歓迎するコメントを発したことは、新潟県知事選で「野党共闘」候補の票を逃がす原因の一つになったのではないか。こうした意見には賛同者は少ないのだが、ずっとそんな仮説を持っている。

 しかし、それよりも今回は「安倍晋三が滅茶苦茶な力の入れようをしている佐喜真淳候補には入れたくない」心理が強く働いたのではないかと思えてならない。こんなことを書くと「沖縄のことを何も知らない本土の人間がいい加減なことを言うな」とお叱りを受けるかもしれないが、一つの仮説として、全国的に大規模な「安倍離れ」が起き始める前兆が、自民党総裁選に続いて沖縄県知事選でも観測されたのではないかと考えている。

 独裁で締めつけを強めれば強めるほど、また誰にでもわかる嘘の上にさらに嘘を重ねることを続けるほど、地震が起きる前の状態にも似て、歪みのエネルギーが蓄積していく。そしてそのエネルギーはいつか解放される。そのエネルギーの解放が、他国に戦争に負けることによってしか実現しなかったのが前回の「崩壊の時代」が終わった1945年であって、日本の国民や日本に住んでいた人々の甚大な犠牲をもたらした。

 現在の「崩壊の時代」は、あの時の反省を踏まえて徐々にエネルギーを解放していくものでなければならない。今回の沖縄県知事選は、その絶好のきっかけになり得る可能性がある。

 もちろん、今回の知事選における玉城デニー陣営にも問題はいくつもあった。その最たるものは、存在するかどうか未だに疑いの晴れない「翁長知事の音声データ」であって、候補者が密室で選定された過程は、2000年に小渕恵三が倒れたあと自民党長老の談合で森喜朗が自民党総裁・日本国総理大臣になった経緯を思い出させるものだった。「新9条論」の推進者として一部で悪評を買っている東京新聞の記者が、今回の候補者選びを「どこの独裁国家の話か」と評した一幕があったが、「新9条」では彼に与しない私も、この候補者選びに対する彼の批判には同意する。

 それでなくても「野党共闘」には不透明な点が多く、特に政党としては泡沫政党としかいいようのない自由党の党首(代表)に過ぎない小沢一郎が異様な影響力を駆使し、自らやその配下の者が接着剤になる形で立憲民主党と共産党とをくっつける形を作り上げてしまっていることは不健全極まりない。

 小沢は先週、自らの改憲論を『AERA dot.』のインタビューに答える形で発表した(下記URL)。
https://dot.asahi.com/dot/2018092700037.html

 これは、私の見るところ、『世界』2007年11月号に小沢が発表したアフガニスタンに展開するISAF(国際治安支援部隊)への自衛隊派兵論を思い出させるものだ。『世界』の「小沢論文」は当時大きな話題になり、左派から強い批判を受けたものだが、現在では打って変わって小沢の改憲構想はそもそも話題にもならない。それが、小沢の影響力が低下したことの反映であればまだしも、現実の野党間の政治においては、小沢が今も強い影響力を持っていることは明らかだ。先日も立憲民主党との間で国会議員の移籍があり、私はあれは今後行われる衆院選沖縄3区(沖縄県知事選の前までは自由党の玉城デニーが議席を持っていた)に立憲民主党から候補を出すことを容認する見返りなのではないかと推測している。つまり小沢一郎と枝野幸男とは「握っている」と想像するのだ。

 表面には出てこないが、立憲民主党以上に小沢が強い影響力を行使していると推測されるのは共産党に対してであって、ネットでも野党支持者たちの間で小沢の改憲構想に触れることが一種のタブーになっているのではないか。そう私は思っている。

 この現状は、安倍晋三の独裁政治の弊害によって日本社会に溜まっている歪みエネルギーを、大きな被害をもたらさない形で解放するためには、むしろ逆効果になっているとしか私には思われない。

 ちょうど安倍晋三が自らに「まつろわない」者は、たとえ自らと同じ極右である石破茂であっても容赦なく弾圧するのと同じように、今の「市民連合」と共産党とが表に立ち、背後(せいごではない)に影の最高指導者として小沢一郎が控える「野党共闘」は異論を許さずタブー化してしまっている。そのことは、反安倍・反自民の勢力の間に別の歪みエネルギーを溜め込むことになると同時に、「野党共闘」の勢力を拡大する上での障害にもなり、安倍独裁政治によって溜まった歪みエネルギーを徐々に解放するための阻害要因になってしまっているのだ。

 心ある反安倍・反自民の者にとっては、安倍晋三の独裁政治を打倒することももちろん必要だが、「市民連合」や「野党共闘」の同調圧力をはね返すことも求められると信じる。後者は、前者を実現するための必要条件だと思うからである。