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きまぐれな日々

 このところ『kojitakenの日記』ではずっと「石破茂を応援する『リベラル』」を批判しているのだが、ここでは「崩壊の時代」の元凶・安倍晋三の論外な姿について、私としてはあまりにも当たり前で普段は改めて書く気もしない批判を書き留めておく。

 そもそも来月行われる自民党総裁選に、安倍晋三はまだ出馬表明すらしていないが、間違いなく出馬するといわれている。

 マスメディアの報道では、地方票で石破茂が検討するのではないかと願望混じりに言っている人もいるようだが、そうはならず、石破の政治生命が危うくなるくらいの安倍晋三の圧勝になるであろうことは疑う余地がない。

 マスメディアの世界でさえ、テレビ朝日の小川彩佳のように「ちょっと自分の意見を言うこともあるけれども、基本的には原稿を読む人」(小川氏はアナウンサーだ)でさえ番組を追われるほど、「政権に対するちょっとの文句も許さない」言論空間ができつつある。

 前記小川アナの場合は、まさかあの程度の意見を言うくらいで番組を追われるとは信じられない。実際には昨年週刊誌に書き立てられた芸能人との結婚に伴う退社など、別の理由ではないかと最初は訝ったくらいだ。しかし、その後の報道を追うと、実際にはそうではなく、安倍晋三と昵懇といわれるテレビ朝日会長・早河洋の「鶴の一声」で決まった人事だそうだ。まさかと思っていたが、やはり「官邸筋」の人事ではないかとの心証を強めるに至った。

 小川アナの後任はかつてテレビ朝日のアナウンサーだった徳永有美だそうだが、この人はかつて芸能人との不倫騒動で局を追われた。2004年に報道ステーションが始まった時、1年間だけ木曜日と金曜日のスポーツコーナーを担当していたが、私はこの人にやってほしくないな、月曜から水曜までやっている武内絵美がずっとやれば良いじゃないかと思っていたら、同じことを思う視聴者が多かったせいか、翌年春の改編で徳永は外され、月曜から金曜まで武内アナがやるようになった。

 その徳永が戻ってくるというのだから、それでなくても番組の開始時刻から見ることがほとんどなくなった「報棄て」は、10月からはもうほとんど見なくなるのではないかと思う。徳永有美に「報道」のイメージなどない、とは誰もが思うことだろうし、報道ステーション自体、来年3月には視聴率低下を理由に打ち切られるのではないかとさえ私は疑っている。

 別に自民党員によって構成されているわけでもないテレビ局でさえこんなありさまだから、自民党内にはとんでもなく強い「同調圧力」が働いているとみなければならない。そんな「空気」にあっては、「物言えば唇寒し」だとか「長いものには巻かれろ」などといった諺に従って自民党員が行動するであろうことは火を見るよりも明らかだ。自民党総裁選は間違いなく安倍晋三の歴史的圧勝に終わる。

 しかし、独裁者の欲には本当に限りがないらしく、独裁権力を強めれば強めるほど、少しの文句を言う者も許せなくなるようだ。同じ体質は2008年の民主党代表選を無理矢理無投票にしてしまった小沢一郎にもあったが、小沢の場合はまだ民主党や「小沢信者」たちの間で独裁権力をふるっていたに過ぎなかった。安倍晋三の方が母集団が大きいだけに、小沢よりもずっと悪質だ。

 その表れの一つが、自民党総裁選で候補者同士の公開討論を行うことを安倍が阻止しようとしていることだ。前記の小沢一郎についても言えることだが、安倍は論戦をきわめて苦手としている。国会でも質問にまともに答えず、質問をはぐらかして答えになっていない妄言を延々と垂れ流して、自分が口を開かない場面ではニヤニヤ不敵に笑みを浮かべるというふざけた態度をとるのが常だが、それは安倍がその強大極まりない権力とは不釣り合いなほど論戦を苦手にしているからにほかならない。

 そんな背景を考えると、安倍の意向通り安倍晋三と石破茂との公開討論は行われないまま投票日に至り、自民党議員たちが「ハイル・晋三」と言わんばかりに万歳を三唱する姿が目に浮かぶ。これは絶対に間違いなく現実になる。

 思想信条や主義主張からいえば、石破茂の方がずっと右翼(極右)・タカ派色が強く、だからこそ石破を公然と応援する「リベラル」たちを私は日々批判しているのだが、政治手法に関しては、というより現在の力関係をそのまま反映して、石破のほうは普通の合意形成方法を主張するのに対して安倍晋三はひたすら権力で押しまくる。もっともこれについては、石破茂も万一総理大臣になった場合は、現在口にしているようなまっとうな合意形成方法をとるとは到底思われず、やはり権力をゴリ押しするであろうから、その点に注意が必要だ。

 いずれにせよ現時点では安倍晋三の方がずっと脅威だし、これまでに安倍が学習した独裁権力の揮い方から類推して、今後さほど長い時間をかけずに日本国憲法が改変される危険性は、現在「リベラル・左派」が楽観しているほど低くはなく、総裁戦後のこの国にとってきわめて大きな脅威になることは間違いない。

 坂野潤治は2013年春に毎日新聞のインタビューに答えて、現在の日本が「「異議を唱える者が絶え果てた『崩壊の時代』」に入ったと言った。その「崩壊の時代」においては、個々の人間が「長いものには巻かれろ」式の行動をとっている悪弊も見逃せないが、何より独裁権力者である安倍晋三が、「異議を唱える者を根絶やしにしようとしている」ことを見逃してはなるまい。

 こうして、「崩壊の時代」の帝王・安倍晋三が自らへの異見を圧殺し続けている間、あれほど独裁者を賛美する者たちが叫び続けてきた「日本スゴイ」のメッキはすっかり剥がれ、昨日(8/19)のTBS『サンデーモーニング』で保守論者の寺島実郎と大宅映子が言っていた通り、いまや日本の産業の世界的競争力は、かつての高度経済成長時代を反転させたかのような、高度凋落時代に差しかかった様相を呈しつつある。前回の「崩壊の時代」は日本の軍事が破滅して終わったが、どうやら今回の「崩壊の時代」は日本経済の崩落とともに終わる気配が見えてきた。

 なお、今回書いたような安倍晋三批判は私にとってはあまりにも当たり前のことで、だからこそこうしたことを前提にした上で、「リベラル・左派」の世界の中に働く同調圧力に流される人たちを批判する記事を書く方が、安倍を非難する記事を書くよりずっと頻度が多くなっている。

 だが、自民党総裁選のような機会を捉えて、たまには安倍の正体を指摘する記事を書いておかなければなるまい。そう思って今回の記事を書いた。
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