きまぐれな日々

 運命を分けたその言葉が小池百合子の口を突いて出た瞬間、質問を行った横田一氏は「ああ、本性が出たな」と思ったという。

 以下、『週刊朝日』の「オンライン限定」の記事から抜粋する。
https://dot.asahi.com/wa/2017101400044.html

(前略)小池氏から「排除」発言を引き出す質問をしたのは、『検証・小池都政』(緑風出版)などの著書があるフリージャーナリストの横田一(はじめ)氏だ。

 当日のやり取りをこう振り返る。

「いつも厳しい質問をするためか、会見で手を挙げても小池氏に指名してもらえなくなっていましたが、なぜか半年ぶりに当てられたのがあの日でした。民進党から希望への公認申請者は排除されないという前原誠司代表の話と小池氏の話が食い違っていたので、素朴な疑問をぶつけた。『排除』発言を聞いた時は、ああ、本性が出たなと。『寛容な保守』をうたいながら、なんと愚かな発言をするんだと思いました」

(中略)

横田氏:「繰り返しになりますが、前原代表が昨日発言した『公認申請すれば排除されない』ということについて(中略)前原代表をダマしたのでしょうか。共謀して、リベラル派大量虐殺とも言われているんですが……」

(中略)

 横田氏の質問の表現が過激だったことや、前述の定例会見時から知事とのやり取りがかみ合っていなかったことなどもあったのか、会見室には小池氏を追及するのではなく〝空気を読まない〟質問をする横田氏を嘲笑するかのような、弛緩した空気が充満していた。

 小池氏も上機嫌で笑っていた。

 小池氏が〝運命の一言〟を放ったのは、まさにこの瞬間だった。

小池氏:「わかりました、お答えします。前原代表がどういう表現をされたか承知をいたしておりませんけれども、排除をされないということは、ございませんで、排除いたします」
 
 油断から思わず出たホンネだったのか。結果的には〝笑いごと〟では済まない発言となったのである。

 横田氏がこう振り返る。

「小池氏には、会見場は自分のフィールドだという油断があったのかもしれませんね。結果的に小池氏のホンネが早い段階でハッキリしたことで、枝野幸男氏らの立憲民主党の結党が公示前に間に合ったのは良かったのかもしれません」

 メディア戦術に長けた勝負師が見せた、一瞬の油断だった。
(本誌 小泉耕平)
※週刊朝日 オンライン限定


 横田氏の言葉にある通り、この直後に野田佳彦、菅直人両元首相らの「排除」が報じられ、枝野幸男による立憲民主党の立ち上げと、希望の党による東京の選挙区を中心とした立憲民主の候補への「刺客」の送り込みと続いた。

 しかし、2005年の郵政総選挙で小泉純一郎が送り込んだ「刺客」(言うまでもなく小池百合子もその中に含まれる)が有権者に「バカ受け」したのとは対照的に、今回の刺客への支持はほとんどなく、軒並み惨敗が予想されている。

 単に小池百合子と希望の党が自滅するだけなら「自業自得」と笑って済ませることもできるが、東京16区に見られるように、「野党共闘」が成功していれば自民党の不良候補(大西英男)を落選に追い込めたものをみすみす当選させてしまいそうな弊害をもたらしており、それが希望の党への強い逆風につながった。

 言うまでもなく、郵政総選挙の場合、強大な与党内での刺客だったから「どっちが勝つか」という興味を有権者に起こさせたのだが、野党内で刺客を送っても、「安倍一強」の自民党を助けるばかりで観客はドッチラケなのだ。小池百合子や細野豪志らにはそんなことさえも理解できなかったようだ。

 実は、野党内で刺客を送り合った選挙がつい5年前にあった。2012年に安倍晋三を総理大臣に返り咲かせた痛恨の選挙で、日本未来の党と民主党とが刺客を送り合っていた。

 今回、その時と大きく違うのは、立憲民主党が希望の党に刺客を一切送っていないところだ。立憲民主と希望とが同じ選挙区で戦うところは、前述の東京16区や、香川から元参院議員の植松恵美子が刺客として送られた東京6区など、ことごとく希望の党が立憲民主党に刺客を送った選挙区ばかりだ。

 しかも、希望の党に移った民進党候補は、希望の党の「踏み絵」を踏まされた転向者だ。そんな人たちが有権者の心をつかむことなどできるはずもない。マスメディアの衆院選情勢調査はほぼ出揃ったが、あとから調査したメディアほど希望の党の予想議席数が少なくなっている。

 今回の選挙で改めて思うのは、小選挙区制を中心とした現行の選挙制度の酷さだ。

 かつて一枚岩の政党といえば共産党と公明党だったが、今では自民党も安倍晋三が独断専行を行う独裁政党だし、党首に絶対服従で議員の自由な発言が禁じられる「小池ファースト」(「都民ファーストの会」と「希望の党」を仮にこう総称する)など、独裁政党の極北ともいうべき政党だろう。

 前原誠司も、民進党で独裁党首として振る舞いつつ「小池ファースト」に吸収合併されようとして失敗した。そして、民進党を割って出た立憲民主党の枝野幸男は「草の根からの民主主義」を訴えている。

 私は立憲民主党が発足した時、この党は議席をほとんど獲得できないだろうと予想したのだが、その予想はみごとに外れた。マスコミの情勢調査では同党の比例区議席は希望の党に迫るとされている。立民が有権者の心をつかんだ大きな理由の一つに、独裁政党ばかりのご時世にあって「草の根からの民主主義」を訴えたことが挙げられるだろう。

 ただ、参院民進党の一部の動きにもあるように、民進党が「再結集」などされてしまうと、元の木阿弥、何の魅力もない野党第一党に戻ってしまう。それではたまったものではないので、私は今回の衆院選の比例区では、死に票になるとはわかりきっているが社民党に投票することに決めた。私の選挙区は自民と希望が激突する選挙区で、共産党候補が出ているので選挙区は共産党候補に入れる。これは、今の選挙区に移ってきてから一貫した投票行動だが、過去2回は比例区も共産党に入れた。しかし今回は比例区の投票先を変える。それは、自民や希望といった独裁政党を見るにつけ、それにこの土日に図書館で見つけた『伊藤律回想録』(文藝春秋,1993)を読んで、共産党の最高指導者の一人だった野坂参三(のちに100歳の1992年に『週刊文春』にソ連のスパイだったことが暴かれ、野坂自身もその事実を認めたために共産党を除名された)によって27年間も北京に幽閉された伊藤律とその家族(律の妻と次男は1980年の律の帰国後も共産党員だった)を思うにつけ、どんな指導者でも誤りを犯す、やはり民主集中制は間違っているとの確信を強めたことにもよる。

 『伊藤律回想録』を読む前には、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』(新潮社,1999)を読んだ。小説の主人公・恩地元のモデルにされた元日本航空労働組合委員長の小倉寛太郎(1930-2002)は、会社(日航)に逆らった懲罰として、10年間も海外(カラチ、テヘラン、ナイロビ)での勤務を強いられた。これもひどいが、27年間もの北京での幽閉は、日航よりもさらにひどいとしか言いようがない。

 現在、共産党執行部は自由党の小沢一郎と連携しているが、この小沢は今回の政変で実に不可解な動きをしている。「野党共闘」側に立っているのか、希望の党側に立っているのかはっきりわからず、おそらく二股かけたコウモリのように動いていると思われるのだが、小沢に対する批判が一種のタブーになっていることが「野党共闘」の最大の問題点であり、それが前原誠司と小池百合子、それに小沢一郎自身も関与したであろう(と私は推測している)「クーデター」を許す原因になった。

 そんなこともあって、現在の国政政党の中では政策的にはもっとも買える共産党ではあるが、少なくとも岩手3区で小沢一郎を支援などしているうちは比例区での同党への投票は見送ることに決めた。で、立憲民主党には民進党への逆戻りのリスクが大きいから、消去法で比例区の投票先は社民党しか残らない。

 「下からの民主主義」も良いが、それを定着させるには、やはり小選挙区制を改めなければならない。

 90年代前半に「政治改革」が議論された頃、私は生涯でももっとも仕事に追われていた時期だったので、記憶がかなりあいまいだ。そこで、その経緯をおさらいしようと思ってネット検索をかけ、下記の文書を見つけた。
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/khabara20.pdf

 上記リンク先は、帝京大学教授・羽原清雅氏の書いた「小選挙区制導入をめぐる政治状況―――その決定に「理」は尽くされたか」と題された論文だが、その中にある下記の記述に注目した。1993年の衆院選前に、最初小選挙区制比例代表併用制(事実上の比例代表制)を公明党とともに求めていた社会党が、小選挙区制比例代表並立制受け入れへと「変節」した時に関する記述だ。

 この選挙に先立つ6月24日、社公民、新生、日本新党の5党で「連立」の基本合意に達し、選挙後の7月23日にはまず統一会派で一致した日本新党とさきがけが「政治改革政権」を提唱して、小選挙区比例代表並立制に賛同するかどうかを他党派への踏み絵とした。29日には8党会派とも、細川を擁立する連立政権樹立に関して合意した。こうして、非自民の新政権は、政治改革、さらに言えば小選挙区比例代表並立制導入に向けて仕切り直しの作業に取り掛かった。閣僚には、日本新党の細川首相、新生党の羽田副総理・外相、民社党の大内啓伍厚相、公明党の石田幸四郎総務長官、さきがけの武村官房長官、それに社会党の山花貞夫政治改革担当相、社民連の江田五月科学技術庁長官の各党首が就任した。

 最大課題の政治改革には、担当相に社会党の山花委員長を、また実務にあたる自治相には併用制を推進してきた佐藤観樹を充てたが、これは選挙制度改革に反対・消極論の残る社会党内の状況を懸念し、党内を取りまとめる責任に期待をかける、という人事でもあった。この国会では、社会党の元委員長土井たか子が衆院議長に推されたのも、一面では小選挙区制導入をめぐる国会運営上の不安を防止するためでもあったといえよう。

(羽原清雅「小選挙区制導入をめぐる政治状況―――その決定に「理」は尽くされたか」(『帝京社会学』第20号(2007年3月)より)


 1993年、山花貞夫の社会党は小選挙区制を認める「踏み絵」を踏んで、絶対に越えてはならない一線を越えた。踏み絵を踏ませたのは、枝野幸男、前原誠司、小池百合子らが属していた日本新党と、菅直人や鳩山由紀夫が属していたさきがけだった。

 社会党が踏み絵を踏んだ先にあったのは荒廃した独裁政治の世界だった。そこから、「草の根からの民主主義」を唱える政党が立ち上がろうとしているが、それに対してこれまでの惰性を続けろという圧力が古巣(参院民進党など)からかかっている。今はそんな状況だろう。

 そこで私は、枝野幸男が唱える「草の根からの民主主義」に一定の期待はかけつつも、「比例は社民党」で行くことに決めたのだった。
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