1つは、特別国会を11月1日から8日間開いたあと国会を閉じ、そのまま年内には臨時国会も開かず、第4次内閣を発足指せるであろう安倍晋三の所信表明演説も行わない意向が報じられたこと。
もう1つは、特別国会での質問時間の割り振りが与党2に対して野党8の割合になっていたのを改めて、与党の質問時間を大幅に増やしたいと自民党が言い出していることだ。
この件に関して、一昨日(28日)の毎日新聞から引用する。
https://mainichi.jp/articles/20171028/k00/00m/010/172000c
政府・与党 特別国会審議実施へ 野党の批判受け
毎日新聞2017年10月28日 07時30分(最終更新 10月28日 07時30分)
政府・与党は27日、来月1日召集の特別国会で、安倍晋三首相による所信表明演説と各党による代表質問を行う調整に入った。首相の外国出張で日程が窮屈なことから、実質的な国会審議は来年の通常国会に先送りする方針だったが、野党は「森友・加計(かけ)学園をめぐる疑惑から逃げている」と批判。こうした批判をかわすためには国会審議に応じる方が得策との判断に傾いた。
首相は27日、首相官邸で自民党の萩生田光一幹事長代行と会談。萩生田氏は会談後、記者団に「審議の場をちゃんと作っていきたい」と述べた。政府・与党は、特別国会の会期を11月8日までとする案をすでに野党に提示。これを修正し会期末を12月上旬までとするか、開会後、8日までに会期を延長するかの調整はついていない。
一方、自民若手衆院議員らは27日、森山裕国対委員長に対し、各委員会での与党の質問時間を増やすよう申し入れた。現在は慣例で与党2、野党8の割合で質問時間を割り振っているが、与党内には「野党の追及ばかりで政府の説明が国民に伝わっていない」との不満が根強い。与党は野党側に見直しを提案する意向だが、質問時間が減る野党側が反発するのは必至だ。【村尾哲】
要するに、日本国民にはもう何も知らせたくない、僕ちゃんの好きなように独裁政治をやりたいという安倍晋三のわがまま勝手のし放題にほんのわずかばかりの譲歩をしてみせるだけ、というふざけた態度だ。
こうした「安倍一強」の独裁政治の根源は、90年代の政治改革によって導入された小選挙区制にある、との認識を持つ人がずいぶん増えてきた。少年時代の大昔から小選挙区制を嫌っている私としては正直言って「やれやれ、今頃気がついたか」としか思えないが、それでも未だに小選挙区制にこだわっているよりははるかにましだ。
制度は、昔の中選挙区制に立ち返るのではなく、比例代表制で大枠を決め、当選者が各地域(たとえば全国を8分割したブロック)の代表になるように割り振る制度に改めるのが良いと思う。
最近では、立憲民主党の支持層からも、比例代表制推しの意見が増えている。たとえば、ブログ『読む国会』のブログ主・エリントン氏のツイートより。
https://twitter.com/yomu_kokkai/status/922495216359059456
衆院は完全に比例に議席数の連動する小選挙区比例代表併用制。
参院は選挙せず、各県議会からの推薦で決める。
ドイツの制度にならってこれでいいのでは。連邦じゃないと難しいけど。
9:09 - 2017年10月23日
小選挙区制について回る「一票の格差」の問題も、総枠を比例代表制で決める制度に変えてしまえば煩雑な再計算の手間など一切省ける。下記はやはり立憲民主党支持で、小選挙区制には必ずしも反対ではないと思われるくろかわしげる氏のツイートより。
https://twitter.com/kurokawashigeru/status/922586992147275776
一票の格差をなくすのなら、総枠を比例代表で決める制度にするのがベター。選挙区こちょこちょいじって、さらにわかりにくくすることをこれ以上続けさせるのでしょうか。
15:14 - 2017年10月23日
なお、「一票の格差」の問題は中選挙区制にもある(というより中選挙区制時代にもずっと問題になり続けていた)ことを付言しておく。当たり前のことではあるが。
さて、今回「躍進」したという立憲民主党だが、代表の枝野幸男の「「永田町の数合わせにコミットしていると誤解されれば期待はあっという間にどこかに行ってしまう」と発言した(たとえば日経の記事などを参照)。
それを言うのであれば(もちろん上記の枝野の発言は賢明だと私も思うが)、立憲民主党は従来の民主党〜民進党の、二大政党制を目指して選挙制度は究極的には単純小選挙区制を目指す(=全体の議席のうち小選挙区の占める比率を今よりもっと高める)という伝統的な政策と訣別して、小選挙区制を中心とした選挙制度を改める方向に舵を切るべきではないか。
小選挙区制と二大政党制に合わせて無理な数合わせをしようとしてもののみごとに失敗したのが今回の希望の党だといえるだろう。右の希望の党から左の共産党までを糾合して自民党に対抗しようとする方針に最初から無理があった。それは、小選挙区制原理主義、二大政党制原理主義ありきの戦術にほかならなかったのであり、それを「野党共闘」および共闘を推進した「市民連合」が正しく認識し、総括しない限り、何度選挙があっても共闘は分裂して自民党の厚い壁にはね返されるだけだ。
90年代の「政治改革」の主唱者の一人だった山口二郎は、今も「市民連合」に関わっているようだが、しばらく前から小選挙区制の誤りを認めるようにはなっている。山口氏は26日に下記のツイートを発信した。
https://twitter.com/260yamaguchi/status/923725909898571777
(前略)現在の選挙制度の下では穏健な多党制は困難。ゆえに選挙制度を変えることとセットで議論しなければならない。改革案としては、実現可能性が大きい順に、
1.比例を全国1本にして小選挙区と1対1の割合に(先日の細川護熙氏の朝日インタビューの案)。
2.小選挙区比例代表連用制。比例のドント式の割り算の時に、小選挙区での獲得議席数から割り始める。ゆえに小選挙区でたくさん議席を取ったら比例では不利になる。
3.ドイツ式比例代表小選挙区併用制。これだと基本は比例代表なので、単独過半数は難しい。今から議論だけは始めるべきだと思う。
上記はいずれも90年代の「政治改革」で議論された案だが、そのうち現行制度に最も近い「1」の案をもっとも実現可能性が高いとして筆頭に持ってくるところは全くいただけない。この点は強く批判したい。しかし、選挙制度の再改革が必要だとの認識を山口二郎も持っていることには注目したい。
しかし、「野党共闘」や「市民連合」が選挙制度再改革への方向を打ち出す上で大きな障害がある。それは、「野党共闘」に深く食い込んだ小沢一郎が、今なお頑迷な小選挙区制原理主義者・二大政党制原理主義者と見られることだ。
前回のエントリにいただいた多くのコメントのうち、特定の「小沢信者」からのコメントが多くを占めたが、それらのコメントで特徴的だと思ったのは、小選挙区制に対する批判を一蹴し、選挙制度にはなるべく触れまいとする姿勢が明らかに読み取れたことだ。もちろん小沢一郎に対する阿りあるいは「忖度」から発する態度であることはいうまでもない。
前記のような「小沢信者」は極端な例であるにせよ、「野党共闘」や「市民連合」には明らかに小沢一郎に対する批判がタブーとされており、そのことが「野党共闘」や「市民連合」に与えるデメリットは計り知れないくらい大きい、というのが私の意見だ。
このような馬鹿げた「タブー」は一刻も早く克服されなければならない。
今後の「野党共闘」及び「市民連合」、それに出身政党が小選挙区制・二大政党制原理主義に拠っていた立憲民主党は、一刻も早く小選挙区制を軸とした衆議院の選挙制度を改める方向を打ち出すべきだ。
台風の影響で一部島嶼部の票などが翌日開票となった選挙区があり、まだ佐賀2区と沖縄4区と比例代表の2議席の計4議席が確定していない。これが確定すれば、おそらく自民党は衆院の定数が10議席減ったのに公示前勢力を維持する284議席獲得が確定するだろうし、悪天にもかかわらず私が期待していたほどには凋落しなかった希望の党の議席が50議席に達してしまうだろう。
今年は年齢の影響がついに出たというべきか、体のあちこちに不調があって疲れやすく(それでも中部山岳で山歩きができる程度の体力は保ってはいる)、昨日の開票速報もいつものようには集中して見ることができなかった。それでも昨夜は深夜2時頃まで起きて開票速報のテレビをつけっ放しにしていたのでだいたいのところは把握している。今回の衆院選は紛れもなく自公与党の圧勝であり、野党共闘は神奈川6区で立憲民主党の青柳陽一郎が公明党の上田勇を破るなど限定的な効果は見られたものの、全体としてはうまくいかなかったとしか言いようがない。
野党共闘を失敗に追い込んだのは、直接には民進党代表選に勝った前原誠司が小池百合子が立ち上げた希望の党と合流しようとして民進党を真っ二つに割ったことによるのは言うまでもない。割れた時には希望の党の方が民進党の前職が多く選挙区でも優勢かと思われたが、蓋を開けてみると民進右派の大物だった馬淵澄夫が奈良1区で比例復活もならず落選するなど不振で、公示前勢力の57議席を割り込んだ。
あまり時間がないので「立憲民主党の躍進」の話ははしょって(そんなものは「リベラル」のブログなどでいくらでも読めるだろう)、ここでは今回なぜ野党共闘が希望の党による邪魔を許してしまったか、野党共闘は今後どうすべきかに関する私見を述べる。
今回の野党共闘で一番いけなかったのは、小選挙区制論者(二大政党制論者)をあてにしてしまったことだ。具体的には前原誠司と前原のバックにいたと思われる小沢一郎が筆頭に挙げられるが、民進党から分かれた三勢力(立憲民主党、希望の党、無所属)の中には同様の論者が多くいるだろう。立憲民主党では今回は小選挙区制で勝ち上がった菅直人がその筆頭格だ。
野党共闘の構想も、例の「民進党、自由党、社民党が一つになって小池新党と合流した上で、共産党と共闘する」という小沢一郎の構想も、小選挙区制(二大政党制)論者ならではの発想であって、それに無理があったために破綻した。最低限それだけは間違いなく言える。
私は本当のところ、小沢一郎は上記に書いたよりももっと積極的に希望の党の設立に関わって暗躍したに違いないと推測しているのだが、今回も小沢は尻尾を出さなかったため(尻尾は「軽くてパーな御輿」である前原誠司に出させるだけ出させた)、まだ野党共闘を支えた「市民連合」などでは小沢への信頼を捨てていないようだ。しかしそれでは、野党共闘が引き続き二大政党制に引きずられて今後も目立った成果を出せない道を歩むことになる。それは小沢云々を棚に上げても間違った方向性だとしか言いようがない。
今回の政変の最中に『kojitakenの日記』で教えられて意外に思ったことの一つに、今回躍進した立憲民主党の代表である枝野幸男は、二大政党制に批判的な面も持っているのだという。それを示す記事が10月9日付のハフィントンポスト日本版に載った。私は13日付の『kojitakenの日記』でそれを紹介した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20171013/1507849561
私は、今後の野党共闘は、選挙制度の改革、具体的には大政党ほど有利になる小選挙区制の見直し(本当は廃止と言いたいところだが今回は妥協しておく)を柱に据えるべきだと思う。代替案としては、以前にも何度か書いたが、かつて「みんなの党」が提案した比例代表制が良いと思う(但し、その提案に含まれる議員定数の大幅な削減には断固反対だが)。これは、確か全国一区の比例代表制で選挙を行い、名簿に記載された候補者の所属ブロック(全国を8ブロックに分ける方式だったと思う)に応じて当選者を決定するというものだった。だから地域と縁のない候補者が当選することもない。これを知った時、なかなかよくできていると思った。
もちろん目指すべき制度は上記に限らない。重要なのは、民意を反映しない弊害だらけの小選挙区制を改めることだ。
それを目指すためには、民進党の再結集などあってはならないことはいうまでもない。昨夜、テレビのインタビューで民進党の再結集について聞かれた枝野幸男は、これをきっぱり否定していたが、無所属で当選した民進党の大物や、今回意に沿わない形で希望の党から立候補して当選した連中の間には、立憲民主党に行きたくてたまらない「風見鶏」たちが大勢いるだろう。市井のいわゆる括弧付き「リベラル」たちの中にも、民進党の再結集の可能性に「ワクワク」している人たちが少なくないのではないか。
しかし枝野幸男が彼らに妥協して、またぞろ図体ばかりがでかい「民主党」ができても、それでは元の木阿弥のぶち壊しにしかならない。そんな道を歩めば後世の歴史家に「失敗に学ぶことができなかった愚か者」と判定されるだけだ。
民進党の再結成など必要ない。そうはいっても選挙は小選挙区制で行われるではないか、と言われそうだが、そこは選挙制度の改革が終わるまでの戦術として統一名簿方式を採用すれば良い。
立憲民主党は規模を大きくすることを目指すよりは、今回の衆院選でなぜ一定の評価を受け、議席を伸ばすことができたのかをよく考えるべきだ。幸い枝野幸男には全面的な信頼が置けるとはいえないけれども見識を感じる。「草の根の民主主義」を、口だけではなく実践してもらいたいと思う。
とにかく、90年代以来の「政治改革」の失敗をそろそろ総括し、選挙制度の改革に再び取り組むべき時がきた。私はそう確信している。
以下、『週刊朝日』の「オンライン限定」の記事から抜粋する。
https://dot.asahi.com/wa/2017101400044.html
(前略)小池氏から「排除」発言を引き出す質問をしたのは、『検証・小池都政』(緑風出版)などの著書があるフリージャーナリストの横田一(はじめ)氏だ。
当日のやり取りをこう振り返る。
「いつも厳しい質問をするためか、会見で手を挙げても小池氏に指名してもらえなくなっていましたが、なぜか半年ぶりに当てられたのがあの日でした。民進党から希望への公認申請者は排除されないという前原誠司代表の話と小池氏の話が食い違っていたので、素朴な疑問をぶつけた。『排除』発言を聞いた時は、ああ、本性が出たなと。『寛容な保守』をうたいながら、なんと愚かな発言をするんだと思いました」
(中略)
横田氏:「繰り返しになりますが、前原代表が昨日発言した『公認申請すれば排除されない』ということについて(中略)前原代表をダマしたのでしょうか。共謀して、リベラル派大量虐殺とも言われているんですが……」
(中略)
横田氏の質問の表現が過激だったことや、前述の定例会見時から知事とのやり取りがかみ合っていなかったことなどもあったのか、会見室には小池氏を追及するのではなく〝空気を読まない〟質問をする横田氏を嘲笑するかのような、弛緩した空気が充満していた。
小池氏も上機嫌で笑っていた。
小池氏が〝運命の一言〟を放ったのは、まさにこの瞬間だった。
小池氏:「わかりました、お答えします。前原代表がどういう表現をされたか承知をいたしておりませんけれども、排除をされないということは、ございませんで、排除いたします」
油断から思わず出たホンネだったのか。結果的には〝笑いごと〟では済まない発言となったのである。
横田氏がこう振り返る。
「小池氏には、会見場は自分のフィールドだという油断があったのかもしれませんね。結果的に小池氏のホンネが早い段階でハッキリしたことで、枝野幸男氏らの立憲民主党の結党が公示前に間に合ったのは良かったのかもしれません」
メディア戦術に長けた勝負師が見せた、一瞬の油断だった。
(本誌 小泉耕平)
※週刊朝日 オンライン限定
横田氏の言葉にある通り、この直後に野田佳彦、菅直人両元首相らの「排除」が報じられ、枝野幸男による立憲民主党の立ち上げと、希望の党による東京の選挙区を中心とした立憲民主の候補への「刺客」の送り込みと続いた。
しかし、2005年の郵政総選挙で小泉純一郎が送り込んだ「刺客」(言うまでもなく小池百合子もその中に含まれる)が有権者に「バカ受け」したのとは対照的に、今回の刺客への支持はほとんどなく、軒並み惨敗が予想されている。
単に小池百合子と希望の党が自滅するだけなら「自業自得」と笑って済ませることもできるが、東京16区に見られるように、「野党共闘」が成功していれば自民党の不良候補(大西英男)を落選に追い込めたものをみすみす当選させてしまいそうな弊害をもたらしており、それが希望の党への強い逆風につながった。
言うまでもなく、郵政総選挙の場合、強大な与党内での刺客だったから「どっちが勝つか」という興味を有権者に起こさせたのだが、野党内で刺客を送っても、「安倍一強」の自民党を助けるばかりで観客はドッチラケなのだ。小池百合子や細野豪志らにはそんなことさえも理解できなかったようだ。
実は、野党内で刺客を送り合った選挙がつい5年前にあった。2012年に安倍晋三を総理大臣に返り咲かせた痛恨の選挙で、日本未来の党と民主党とが刺客を送り合っていた。
今回、その時と大きく違うのは、立憲民主党が希望の党に刺客を一切送っていないところだ。立憲民主と希望とが同じ選挙区で戦うところは、前述の東京16区や、香川から元参院議員の植松恵美子が刺客として送られた東京6区など、ことごとく希望の党が立憲民主党に刺客を送った選挙区ばかりだ。
しかも、希望の党に移った民進党候補は、希望の党の「踏み絵」を踏まされた転向者だ。そんな人たちが有権者の心をつかむことなどできるはずもない。マスメディアの衆院選情勢調査はほぼ出揃ったが、あとから調査したメディアほど希望の党の予想議席数が少なくなっている。
今回の選挙で改めて思うのは、小選挙区制を中心とした現行の選挙制度の酷さだ。
かつて一枚岩の政党といえば共産党と公明党だったが、今では自民党も安倍晋三が独断専行を行う独裁政党だし、党首に絶対服従で議員の自由な発言が禁じられる「小池ファースト」(「都民ファーストの会」と「希望の党」を仮にこう総称する)など、独裁政党の極北ともいうべき政党だろう。
前原誠司も、民進党で独裁党首として振る舞いつつ「小池ファースト」に吸収合併されようとして失敗した。そして、民進党を割って出た立憲民主党の枝野幸男は「草の根からの民主主義」を訴えている。
私は立憲民主党が発足した時、この党は議席をほとんど獲得できないだろうと予想したのだが、その予想はみごとに外れた。マスコミの情勢調査では同党の比例区議席は希望の党に迫るとされている。立民が有権者の心をつかんだ大きな理由の一つに、独裁政党ばかりのご時世にあって「草の根からの民主主義」を訴えたことが挙げられるだろう。
ただ、参院民進党の一部の動きにもあるように、民進党が「再結集」などされてしまうと、元の木阿弥、何の魅力もない野党第一党に戻ってしまう。それではたまったものではないので、私は今回の衆院選の比例区では、死に票になるとはわかりきっているが社民党に投票することに決めた。私の選挙区は自民と希望が激突する選挙区で、共産党候補が出ているので選挙区は共産党候補に入れる。これは、今の選挙区に移ってきてから一貫した投票行動だが、過去2回は比例区も共産党に入れた。しかし今回は比例区の投票先を変える。それは、自民や希望といった独裁政党を見るにつけ、それにこの土日に図書館で見つけた『伊藤律回想録』(文藝春秋,1993)を読んで、共産党の最高指導者の一人だった野坂参三(のちに100歳の1992年に『週刊文春』にソ連のスパイだったことが暴かれ、野坂自身もその事実を認めたために共産党を除名された)によって27年間も北京に幽閉された伊藤律とその家族(律の妻と次男は1980年の律の帰国後も共産党員だった)を思うにつけ、どんな指導者でも誤りを犯す、やはり民主集中制は間違っているとの確信を強めたことにもよる。
『伊藤律回想録』を読む前には、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』(新潮社,1999)を読んだ。小説の主人公・恩地元のモデルにされた元日本航空労働組合委員長の小倉寛太郎(1930-2002)は、会社(日航)に逆らった懲罰として、10年間も海外(カラチ、テヘラン、ナイロビ)での勤務を強いられた。これもひどいが、27年間もの北京での幽閉は、日航よりもさらにひどいとしか言いようがない。
現在、共産党執行部は自由党の小沢一郎と連携しているが、この小沢は今回の政変で実に不可解な動きをしている。「野党共闘」側に立っているのか、希望の党側に立っているのかはっきりわからず、おそらく二股かけたコウモリのように動いていると思われるのだが、小沢に対する批判が一種のタブーになっていることが「野党共闘」の最大の問題点であり、それが前原誠司と小池百合子、それに小沢一郎自身も関与したであろう(と私は推測している)「クーデター」を許す原因になった。
そんなこともあって、現在の国政政党の中では政策的にはもっとも買える共産党ではあるが、少なくとも岩手3区で小沢一郎を支援などしているうちは比例区での同党への投票は見送ることに決めた。で、立憲民主党には民進党への逆戻りのリスクが大きいから、消去法で比例区の投票先は社民党しか残らない。
「下からの民主主義」も良いが、それを定着させるには、やはり小選挙区制を改めなければならない。
90年代前半に「政治改革」が議論された頃、私は生涯でももっとも仕事に追われていた時期だったので、記憶がかなりあいまいだ。そこで、その経緯をおさらいしようと思ってネット検索をかけ、下記の文書を見つけた。
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/khabara20.pdf
上記リンク先は、帝京大学教授・羽原清雅氏の書いた「小選挙区制導入をめぐる政治状況―――その決定に「理」は尽くされたか」と題された論文だが、その中にある下記の記述に注目した。1993年の衆院選前に、最初小選挙区制比例代表併用制(事実上の比例代表制)を公明党とともに求めていた社会党が、小選挙区制比例代表並立制受け入れへと「変節」した時に関する記述だ。
この選挙に先立つ6月24日、社公民、新生、日本新党の5党で「連立」の基本合意に達し、選挙後の7月23日にはまず統一会派で一致した日本新党とさきがけが「政治改革政権」を提唱して、小選挙区比例代表並立制に賛同するかどうかを他党派への踏み絵とした。29日には8党会派とも、細川を擁立する連立政権樹立に関して合意した。こうして、非自民の新政権は、政治改革、さらに言えば小選挙区比例代表並立制導入に向けて仕切り直しの作業に取り掛かった。閣僚には、日本新党の細川首相、新生党の羽田副総理・外相、民社党の大内啓伍厚相、公明党の石田幸四郎総務長官、さきがけの武村官房長官、それに社会党の山花貞夫政治改革担当相、社民連の江田五月科学技術庁長官の各党首が就任した。
最大課題の政治改革には、担当相に社会党の山花委員長を、また実務にあたる自治相には併用制を推進してきた佐藤観樹を充てたが、これは選挙制度改革に反対・消極論の残る社会党内の状況を懸念し、党内を取りまとめる責任に期待をかける、という人事でもあった。この国会では、社会党の元委員長土井たか子が衆院議長に推されたのも、一面では小選挙区制導入をめぐる国会運営上の不安を防止するためでもあったといえよう。
(羽原清雅「小選挙区制導入をめぐる政治状況―――その決定に「理」は尽くされたか」(『帝京社会学』第20号(2007年3月)より)
1993年、山花貞夫の社会党は小選挙区制を認める「踏み絵」を踏んで、絶対に越えてはならない一線を越えた。踏み絵を踏ませたのは、枝野幸男、前原誠司、小池百合子らが属していた日本新党と、菅直人や鳩山由紀夫が属していたさきがけだった。
社会党が踏み絵を踏んだ先にあったのは荒廃した独裁政治の世界だった。そこから、「草の根からの民主主義」を唱える政党が立ち上がろうとしているが、それに対してこれまでの惰性を続けろという圧力が古巣(参院民進党など)からかかっている。今はそんな状況だろう。
そこで私は、枝野幸男が唱える「草の根からの民主主義」に一定の期待はかけつつも、「比例は社民党」で行くことに決めたのだった。
https://this.kiji.is/290088724749091937
希望、比例名簿で混乱
異例の発表遅れ
小池百合子東京都知事が率いる新党「希望の党」が、10日に公示される衆院選比例代表各ブロックの名簿作成を巡って混乱し、発表が公示当日の10日にずれ込む見通しとなった。発表が遅れるのは異例。既成政党は公示前日までに発表するのが通例だが、突然の衆院解散に伴う新党結成で準備不足が露呈した格好だ。
公示直前まで名簿を発表しない別の理由として「比例順位で優遇されない候補の出馬辞退を懸念しているのではないか」との見方も出ている。
自民、共産、社民、日本のこころの各党は9日までに比例順位を含めた名簿を発表している。
(共同通信 2017/10/9 20:48)
特に注目されているのは九州ブロックの比例名簿であって、「日本のこころ」所属の元衆議院議員・中山成彬(2014年衆院選・2016年参院選で落選)を比例単独1位で名簿に登載すると一部で報じられた。
その途端、比例九州ブロックで希望の党公認で立候補を予定していた人たちの間で混乱が起きた。小沢一郎にすり寄った極右政治家として私が激しく嫌っている原口一博も一転して希望の党公認を返上して無所属での立候補となり、Twitterだけを見ている分には、原口が共産党系社会学者と目されている木下ちがや(「こたつぬこ」)氏や元衆議院議員の三宅雪子氏らの説得に原口が応じたかのように見えるが、その実態は「中山が比例1位なら比例復活も難しいし、それなら無所属で出て「野党共闘」の候補者(原口が出る佐賀1区では共産党候補)を下ろしてもらう方が得だ。無所属なら希望の党も刺客を送らないだろうし」と原口が算盤を弾いた結果の判断だろう。原口の他にも大分で希望の党の公認を返上した候補がいる。
なお、比例名簿の登載順位で揉めた例で私が直ちに思い出すのは2012年の日本未来の党であって、中国ブロックで名簿下位に登載されそうになった飯田哲也が普段のテレビ向けの「温顔」はどこへやら、血相を変えた本性むき出しの醜い表情を晒していたことが忘れられない。
希望の党の話に戻ると、小池百合子が『文藝春秋』10月号で自らの不出馬を表明していたことがわかった。こうなると、今回の衆議院選挙で小池が何をやりたかったのか、その意図もわからなくなる。
橋下徹と同じで、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、その反応を見て次の行動を決める刹那主義の生き方なのだろうか。
しかしその破壊力だけは猛烈だった。3か月までの都議選では自民党にあわや第3党転落かという惨敗を味わわさせ、今回の政変では旧民主党から数えて21年、新民主党から数えても19年続いた野党第一党を一夜にして実質的に消し去った。
そして、その野党第一党から党内の中間派や左派を「排除」し、右派だけを生き残らせて奴隷としてこき使った。奴隷たちは独裁女王に言われるがまま、かつての同じ党の仲間に「刺客」を送る候補者の選挙区への割り振りをやらせた。
もちろん、その過程で「こんな独裁者の下で何も言いたいことも言えずにやってられるか」と反発する者も現れた。「都民ファーストの会」の音喜多駿と上田令子がそうだし、前記の候補者の割り振りをやらせていたと伝えられた玄葉光一郎も早々と希望の党の公認を返上して無所属からの出馬を決めた。
結局、希望の党には元民進党の中でもクズ議員ばかりが残った。その中でもっとも偉そうな態度をとったのが細野豪志であって、今回の政変でこの男ほど世間に悪い印象を振りまいた人間はいないだろう。こういう混乱期にあって人間はその本性を露呈する。
結局、解散から公示日前日までの政変をまとめると、泥舟(民進党や自由党)から逃げ出したい、あるいは再び権力の座をうかがう位置に戻りたいという男たちの欲望・野望といったものが、小池百合子という恐るべき独裁女王の破壊衝動にとって格好のエネルギー源になったといったところだろうか。
都議選で「都民ファーストの会大勝、自民・民進惨敗」の結果が出た翌日(7月3日)、多くのリベラル・左派系論者が自民党の惨敗をひとまず喜ぶ記事を書いたのに対し、私はひたすら小池百合子や「都民ファーストの会」、さらには「小沢信者」や「民進党信者」らに悪態をつき続ける記事を書いた。そのエントリにいただいた、かつてのこの日記のコメント常連の方のコメント(下記URL)をしばしば思い出す。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1481.html#comment20676
確かに国民、多くの有権者は近視眼的な政治・政局しか見えない、二手三手先が想像できない、聞いてもピンと来ない、かつ熱しやすく冷めやすい傾向がある。
そのために嘘も方便と割りきる極右や小沢一郎等の選挙・政局テクニックに惑わされて、一歩も先に進まない日本の政治風景に見えるかもしれない。
ただ、今回の選挙でいえば、たとえ極右に惑わされ、先の政治では右よりの社会政治に困ることになるとはいえ、安倍自民党に亀裂を生むカウンターを入れることが出来た。
この民主主義の成果に、まずは小さく喜んでいいんだと思う。
こういう民意がダイレクトに政治を動かした、という選挙の実感が国民に積み重なることが、この国の「お上におまかせでない」民主主義を育てることに繋がるのではないか?
(この結果をガス抜きに終わらせないことが大事)
その兆しが今回の都議選における市民活動に見られなかったか?
崩壊の時代ではありましょう。
けれど下ばかり見ていては、上から差す光に気づけないこともある。
蜘蛛の糸のような細く頼りない活路さえ見失ってしまっては、あらゆる智恵も崩壊の絶望に飲み込まれるばかりではないでしょうか。
2017.07.04 17:04 朱の盤
私は、「そう思いたい気持ちはよくわかるけれども、これは『民主主義の成果』といえるものからはほど遠いよなあ」と思っていた。そして、私の危惧はやはり当たっていたな、都議選の結果を「小さく」も喜ばなかったのはやはり正解だったな、と思うのだ。何しろ、「蜘蛛の糸」を他ならぬ巨大毒グモたる独裁女王様自らが容赦なく切った、それが今回の一連の政変だったのだから。
以上、衆院選の公示日だというのに、本来第一に書かなければいけないはずの安倍政権批判を一言も書かずに、小池百合子と希望の党の批判ばかり書いてしまったが、私は小池と希望の党とは安倍と自民党以上に悪質で、選挙で有権者の厳しい親藩を受けなければならない政治家であり政党であると確信しているから止むを得ない。
「野党共闘」はその小池百合子と希望の党に表裏両面からすり寄った前原誠司と小沢一郎を信頼してしまうという大失策を犯してしまったために、今回の衆院選では厳しい戦いを強いられることになった。立憲民主党が擁立した候補が限られていることや、共産党が岩手3区(小沢一郎)や佐賀1区(原口一博)の選挙区まで、いやそれどころか自民党(平井卓也)と希望の党(小川淳也)の一騎打ちになっていて立憲民主や社民の候補者もいない香川1区のような選挙区にまで候補者を立てないことなどへの批判もあるが、初動で大失敗を犯してしまった選挙である以上、「負けを最小限に留める」戦法をとらざるを得ない。そう私は考えている。
そう、この選挙には勝ちはない。いかに「良く負けるか」の選挙にしかなりようがない。「次につながる」と言っても、安倍晋三や小池百合子がそれを許してくれる保証は全くないが、それでも次があるかもしれないという望みを捨てずに生きていこう。それ以上には何も言えない今日この頃だ。
だが、事態はその真逆(まぎゃく)の方向へと進んだ。まさしく悪夢のような2週間だった。それも、その大半は先週1週間に起きた。
まず、小池百合子が「希望の党」を立ち上げ、自ら党代表に就任すると発表した。これが9月25日で衆院解散の3日前。
次いで、民進党代表に選ばれたばかりの前原誠司が、事実上民進党を解党し、希望の党に合流すると発表した。衆院解散前日の27日だ。
実は私は民進党の解党には全然驚かなかったが、当初希望の党への「合流」と報じられた時には「あり得ない!」と思った。というのは、私はまだ民進党代表選が行われる前の8月2日付の『kojitakenの日記』に、下記のように書いていたからだ。
なお、仮に民進党代表選が枝野幸男と前原誠司との争いになる場合の私の予想は下記の通り。
まず枝野幸男が勝った場合、民進党は分裂するか、または右派の議員が衆院選前に大量に離党し、次の衆院選では「国民ファ★ストの会」から出馬する。
また、前原誠司が勝った場合だが、この場合も民進党が丸ごと「国民ファ★ストの会」と合併することはあり得ない。民進党とは、国ファがそうなるであろうような右派ポピュリズム政党にとっては疫病神なのだ。特に民進党内の中間派やリベラル系議員は、長島昭久や渡辺喜美や若狭勝や、その背後にいる小池百合子(小池自身は次の衆院選には間違いなく出馬しない)に排除されるだろう。民進党の看板があっては国ファには絶対に受け入れられないから、結局前原が勝った場合に起きるのは、民進党の解党だろう。「国ファ」の公認さえもらえれば、いくら「元民進」だろうが勝てることは都議選の結果がはっきり示している。ついでに書くと、無所属の推薦程度ではダメなことは柿沢幸絵が示した(ざまあ!)。
一部から、
と驚かれているこの予想だが、特に驚かれるには値しない。なぜなら、民進党の右派議員たちが自ら「解党」を言い募っていたのは周知だし、先の東京都議選でも「小池ファースト」(=「都民ファーストの会」と「希望の党」の総称として用いる。以下同様)が民進党候補者の選別した実績があるからだ。この人、8月からこんな予想をしてたのか。ほとんど当たってるし。なんでこんな先のことが見通せるのだろう。
但し、私は40歳前後の頃に大会社で人事権の濫用に私自らが振り回された経験があることから(それは2度の転職によって大都会・東京に移住する原因となった)、権力者が振り回す人事権に敏感だという特性はある。だから今回の小池百合子の「排除」劇を、まさしく「排除」という言葉そのものを用いて2か月前に言い当てることができたのだ。私の経験から言って、小池百合子は2005年の「郵政総選挙」における小泉純一郎や現総理大臣の安倍晋三と同様、もっとも強烈な独裁者で、絶対に上司に持ちたくない人間だ。だから、小泉だの安倍だの小池だのに少しでも惹かれる人間を見つける度に、私は瞬間湯沸かし器と化す。
この政変においては、小沢一郎が大きな役割を果たしたことも指摘しておかなければならない。
従来、小沢は「野党共闘」の中心人物の一人とされた。一昨年以来、「SEALDs」だかを介して共産党と小沢一郎が「手打ち」し、それに岡田克也代表時代の民進党や社民党も加わって「野党共闘」が成立した。私は当初それを馬鹿にしていたが、昨年の参院選の「激戦1人区」で「野党共闘」が11勝1敗の好成績で健闘したことから考えを改めていた。
一方で私は従来からずっと続けていた小沢一郎と「小沢信者」に対する批判も継続していたが、小沢一郎があそこまで「野党共闘」のイデオローグである学者たちの(根拠のない)信頼を得ていたとは、うかつにも認識していなかった。
もちろん90年代からの「政治改革」の旗手として、小選挙区制実現に尽力した山口二郎(山口はのちに小選挙区制の誤りを認めてはいるが)と小沢との「蜜月関係」は承知していたが、中野晃一や木下ちがや(「こたつぬこ」)といった、一般に共産党系と目されている学者たちまでもがここまで小沢に入れ込んでいたとは、という驚くべき事実を、小沢が前原誠司や小池百合子と共謀して今回の「クーデター」をしかけたあとに認識せざるを得なかった。
中野晃一はあまりTwitterへの意見表明が活発ではないが、木下ちがやはきわめて活発であり、それを眺めながら、小沢がクーデターに加担したあとになっても、小沢への幻想を捨てきれない迷走ぶりには驚かされた。
また、「野党共闘」への関わりの程度は存じ上げないが、「戦史/紛争史研究家」の山崎雅弘が発した下記のツイートには呆れたというより激しい怒りを覚えた。
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/913264796262293504
今回の小池新党騒動で一番意外な感じがするのは、小沢一郎氏が全面的にこの流れに同調していること。一部では「小沢氏が仕掛け人」との説もある。小沢一郎氏と自由党の政治的路線は、日本国憲法の理念に一番近いと思っていたが、大きな勘違いだったのかもしれない。山本太郎議員のコメントも聞きたい。
21:51 - 2017年9月27日
私は、この山崎氏のつぶやきに反応した下記河野義弘氏の下記の呟きに共感する。
https://twitter.com/jossence/status/913367267840106496
すっげぇなぁ…この二十余年、小沢一郎の何を見てきたのだろう。民意を反映せず議員たちが政局に明け暮れる主因である小選挙区制と政党助成金を作り、保守二大政党樹立がライフワークの小沢が日本国憲法の理念に一番近いはずがないでしょうに…
4:38 - 2017年9月28日
だが、多くの「野党共闘」支持者の感覚は、上記の河野氏よりはむしろ山崎氏に近いのではないか。それが証拠に、小沢一郎がここまで明白な「寝返り」をやらかした今になっても、まだリベラルや左派や左翼から、あるいは社民党や共産党といった「左派政党」からさえ、小池百合子や前原誠司を批判する言葉は聞かれても、小沢一郎に対する批判の言葉はほとんど聞かれない。むしろ、政権交代の時代には「小沢信者」の代表的ブログとみられていたブログから、もっとも苛烈かつ的確な小沢批判の言葉に接することができる。あるいは、「小沢ガールズ」の一員とされた三宅雪子のTwitterに、玉石混淆とはいえ中には有用な情報も含まれている。「野党共闘」成立以前には、あれほど激しく小沢を批判していた共産党支持者たちは何をやっているのかと、腹が立ってならない。
「野党共闘」側がこのていたらくだから、前原・小池・小沢の三者による「クーデター」の煽りを直接食らった枝野幸男らの「新党」も、今日(10月2日)の未明になって毎日新聞がようやく報じたものの、迅速な結成どころか本当に結成されるかどうかも危ぶまれる状態だ(少なくとも私はかなり危惧している)。
それもこれも、「野党共闘」にとっての「トロイの木馬」だった小沢一郎に、あまりにもリベラル・左派・左翼が入れ込みすぎたせいだ。
衆院選は、まだ出馬するかどうかわからない小池百合子が出馬しない場合は、直近2度の衆院選をはるかに凌駕する、想像を絶する自民党の歴史的超圧勝になるだろうし、小池が本腰を挙げて維新その他の新自由主義勢力との糾合などで衆院選を戦う場合には、「極右二大政党制時代」の幕開けを告げる選挙になるだろう。
しかし、このように最初から劣勢とわかっている戦いであっても、戦わなければならない時がある。枝野幸男らにとって、今がその時だ。
それさえもできないようでは、日本の将来には暗黒以外の何もない。
小沢一郎について口を閉ざしているリベラル・左派・左翼は、日本に暗黒をもたらすべく生きているに等しい、最低の生物だ。
恥を知れ!