その間のニュースは、アメリカと北朝鮮の危ない火遊びの話ばかりだった。先週(13日)のTBS『サンデーモーニング』では、安倍晋三側の御用人士である岡本行夫が「北のミサイルが日本の上空を飛び越えて米本土に向かうというのに、日本が(何もしないで)行ってらっしゃいと手を振って見送るわけにはいきませんから」と妄言を発したが、アメリカに向かって発射された北朝鮮のミサイルを日本から迎撃して撃ち落とそうとしても、技術的に言って成功確率などほとんどないだろうとは、多少なりとも迎撃システムについて聞きかじったことのある人なら誰しも思ったことだろう。
しかし、岡本の発言にはそれ以前の問題があったらしい。『日刊ゲンダイ』で高野孟が下記の指摘をしている。以下引用する。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/211575
(前略)ところが残念なことに、北朝鮮から米本土に向かう大陸間弾道弾は、日本列島はもちろん日本海の上空すら通らない。ミサイルは最短距離を飛ぶので、北朝鮮からほぼ真北に向かって中国ハルビンの東、露ウラジオストクの西の辺りを通り、北極海、カナダ・ハドソン湾の上空を通ってワシントンに到達する。これを日本海に浮かべたイージス艦で横から撃ち落とすというのは全く不可能なのである。グアムに向かうというのであれば、日本の中国・四国地方の上空を通るし、またハワイに向かうというのであれば東北地方の上空を通る。しかし今の日本の感知システムでは、発射から数分後に通過したことを後になって分かるのが精いっぱいで、せいぜいが誤って部品の一部が落ちてきた場合にそれを空中粉砕できるかどうかである。
私は岡本さんとは3分の1世紀ほど前、彼が外務省北米局安全保障課長の時からの知り合いで、今もあちこちでご一緒することが多いので、こんなことを言うのはイヤなのだが、北朝鮮や中国の“脅威”を強調する安倍政権の立場に寄り添おうとすると、こんな初歩的な間違いを犯すことになるのだろう。
(高野孟「永田町の裏を読む - 米本土に向かうミサイルを日本が打ち落とすという錯誤」、『日刊ゲンダイ』2017年8月17日付より)
要するに岡本行夫はテレビで安倍政権を擁護するために「見え透いた嘘の宣伝」をやっていたわけだ。日本のテレビ番組で数少ない「リベラル」側の番組と一般には思われている『サンデーモーニング』で明らかに政府側の立場に立った嘘のプロパガンダが行われ、それを私が常日頃からバカにして止まない『日刊ゲンダイ』に、高野孟の署名記事とはいえ指摘されるとはなんというていたらくだろうか。開いた口が塞がらない。
なお、この件に関しては外務副大臣の佐藤正久も終戦(敗戦)記念日に「日本がミサイルを撃ち落とさないでどうする?」と発言した。
もちろん、そもそも北朝鮮からグアムに向かって撃たれたミサイルを日本が撃ち落とすことは技術的に不可能だから実際には起こりえないシチュエーションなのだが、岡本や佐藤の真の狙いは、「北朝鮮の脅威」を印象づけて安倍内閣の支持率を引き上げることにあるのだろう。
盆休みの影響もあって、先々週末にはどのメディアも内閣支持率調査をやらなかったし、先週末も同様だろうが、私は、次に内閣支持率調査結果をメディアが発表する時には、かなりの確率で安倍内閣支持率が大幅に回復しているのはないかと恐れている。というのは、一部の人たちの言説に反して、安倍内閣が支持される主な理由は、その経済政策によるのではなく、外交や安全保障政策によることが調査結果で示されているからだ。北朝鮮のミサイル発射は常に安倍内閣支持率を引き上げる効果を持つ。ましてやこのところテレビのニュースはトランプと金正恩の愚かしいチキンレースの話ばかりだから、さぞ安倍内閣の支持率が上がっているだろうと私は想像するのだ。
加えて民進党代表選が今日(21日)告示されるが、これも、特に前原誠司が勝った場合は大いに安倍晋三を助けることになるだろう。というのは、前原は野党共闘の見直しを明言しているからだ。「野党共闘を継続するかどうか」が代表選の争点であるかどうかはここにきて急に明白になってきた。テレビ番組の討論で、前原が野党共闘の見直しを、対抗馬の枝野幸男が共闘の継続をそれぞれ明言したからだ。それでなくても、安倍晋三は2014年の衆院選で埼玉5区の開票速報を見ながら「なんだ、枝野は落ちないじゃないか」とヒステリーを起こしたほど枝野を嫌っている(安倍はきっと、側近から「今度の選挙で枝野幸男は危ないですよ」と耳打ちされていたのだろう)。「野党共闘」継続の可否ともども、安倍政権を倒したいならば民進党代表選で前原誠司を選んではならず、(消去法的な意味合いしか認められないとはいえ)枝野幸男に勝たせるほかないと私は考えている。
しかし、全くだらしがないと思うのは、「リベラル」たちの行動様式だ。右を見て左を見て自分の意見を決める彼らは、「野党共闘」のオピニオンリーダーたちが前原誠司に甘言を弄しているせいか、はたまた彼らのかなりの部分がかつて崇拝していた小沢一郎が影響力を持っている松野頼久グループが前原誠司を推しているせいか、なぜか前原の「野党共闘見直し論」を批判することすらろくすっぽできずにいる。
いま自分の意見を言わずしていつ言うんだ、仮に現在はあたかも「死に体」であるかのように言われている(私は全くそうは思わないが)安倍晋三が息を吹き返して暗黒時代が本格化したら、言いたいことも言えなくなるぞ、今こそ正念場なのに何を自分の意見を発信するのをためらっているのかと、たまらない苛立たしさを感じる。
苛立ちの原因はこればかりではない。小池百合子一派に対する「リベラル」たちの反応にも私は大いに苛立つ。このところ、長島昭久、細野豪志、木内孝胤といった、民進党でも札付きの右翼や新自由主義系の国会議員が民進党の離党届を出し、小池ファースト(地域政党の「都民ファーストの会」及び今後間違いなく結成される名称未定の国政政党の総称として以後「小池ファースト」と表記する)入りが確実視されている。このうち細野は民主党政権時代に小沢一郎に接近した人間だし、木内孝胤は他ならぬ小沢グループに属していた人間だ。
一昨日には、自民党を離党した小池側近の若狭勝が主宰する政治塾の入党希望者に思想調査を行っているらしいことが読売新聞に報じられた。以下引用する。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170819-OYT1T50020.html
若狭議員、入塾希望者に「政治志向」テスト
小池百合子東京都知事に近く、国政新党の年内結成を目指す若狭勝衆院議員(無所属)が、自ら設立した政治塾の入塾希望者向けに、憲法や外交・安全保障などを問う「選抜テスト」を行っている。
新党が結成されれば、塾生は次期衆院選に出馬する可能性が高く、将来の「党内不一致」の芽を摘む狙いがあるとみられる。
若狭氏は7日、政治団体「日本ファーストの会」の設立と、政治塾「輝照塾」の開講を発表した。小池氏が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」と連携した国政新党結成を狙う。
塾は満25歳以上を対象に8月末まで希望者を受け付けている。希望者はインターネット上の「応募フォーム」に回答するほか、必要書類を送る仕組みだ。
(読売新聞 2017年08月19日 11時11分)
要するに若狭は右翼的な思想信条を持つ者を選抜したいのだ。若狭は民進党きっての右翼議員の一人だった細野豪志とも連絡を密に取り合っているという。そんな若狭が小池百合子の腹心なのだ。
このことから、小池百合子自身の思想信条が容易に読み取れる。
世評では小池百合子は「商売右翼」であって、政局次第で右にも左にも動き得る人間だと見ている人もいる。しかし私の意見は違う。
小池百合子の父・小池勇二郎(故人)は1969年、石原慎太郎に誘われて兵庫2区から衆院選に出馬したが落選した。その「ゆうじろう」という名前に石原が惹かれたのかどうかは定かではないが、政治に夢中になった勇二郎は貿易商の仕事をおろそかにして自らの海社を倒産させてしまい、巨額の借金を背負った小池一家は兵庫県の芦屋から東京の港区に移住したという。
そんな、石原慎太郎の盟友だった父親の影響を受けた小池百合子は一貫して極右人士であり続けて今に至ると私はみている。おそらくその地金において、小池百合子は前原誠司よりずっと右で、安倍晋三と比較しても一歩も引けを取らない極右人士とみるべきだろう。小池は2009年の「政権交代選挙」で議席が危なくなった時には幸福実現党の選挙協力も受けたほどの人間だ。また側近の野田数(かずさ)が安倍晋三も顔負けの極右であることはよく知られている。そして小池ファーストの国政政党入りが確実視される面々はといえば、前述の若狭勝のほか、長島昭久、渡辺喜美、松沢成文、細野豪志、木内孝胤と、右翼(極右)か、さもなければ強烈な新自由主義者ばかりだ。
さすがに、少し前まで小池百合子が民進党と連携してくれるのではないかと、私から見ればあり得ない状況の実現を期待して「ワクワク」していた人たちも今やすっかり押し黙ってしまっているが、その「黙って」いることこそ問題なのだ。自らの誤りを誤りと認め、むしろ声を大にして小池ファーストを批判していく姿勢こそ求められるのに、かつて小池を応援したうしろめたさのせいか、それをやらずに安倍政権批判に逃げ込む姿ばかりが目につく。
沈黙と逃避と言えば、ひところ安倍昭恵とつるんでいたため、森友学園問題の発覚以来安倍政権批判ができなくなって貝になってしまった三宅洋平という人間も思い出される。
どうしてどいつもこいつもこんな勇気のない人間ばかりなのか。これではいつまで経っても安倍政権を倒すことなどできるものか、と強い憤懣にかられる今日この頃なのである。