きまぐれな日々

 黄金週間に入って月が替わり、今日(5月1日)はメーデーだが平日。今年の黄金週間は後半(3日〜7日)が5連休で、今日と明日は仕事という人が多いだろう。私もそうだ。それで今年は黄金週間中もブログを更新する。

 2月から3月にかけての森友学園事件追及の流れが一転し、米朝関係の緊張が政治の話題の中心になった。安倍政権は緊張を煽って「共謀罪」法案成立に勢いをつけようとしている。しかし、あまりにも杜撰な法案であるため、法相の金田勝年が国会でまともに答弁できない事態を招き、金田法相が野党やマスコミの集中砲火を浴びていることは周知の通りだ。

 しかし、金田法相がまともに答弁できないのは、法相自身より法案に問題があるからであって、本当に批判されるべきは、「現代の治安維持法」としか言いようのない「共謀罪」法案を強引に成立させようとしている安倍晋三であることはいうまでもない。然るに、野党やマスコミは金田法相ばかり批判している。これを、「『安倍一強』の政権の緩み」だとする論調がマスコミの主流になっている。しかし、そのような一種の「連帯責任」を負わせるような論調は、巨悪である安倍晋三を助けるものでしかない。

 私は、これは野党やマスコミの安倍晋三に対する「忖度」と位置づけられるべきだと考えている。

 思えば、森友学園事件の追及に政党がびくともしなかったのは、追及する側の野党やマスコミに、安倍晋三やその妻の安倍昭恵に対する「忖度」があったからだった。

 たとえば、民進党の福山哲郎が質問した時、安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」と切れた時、「そんなことは言ってません!」と福山が声を張り上げた場面があった。その場面を思い返すと、福山は「昭恵夫人は被害者だったんじゃないかと思います」と言いながら、「官僚の忖度はあったのかなかったのか」という論法で質問をしていたのだった。ところが財務官僚のせいにしようとしている福山の質問に対して安倍晋三が「妻を犯罪者扱いするのか」とブチ切れたことによって、安倍昭恵がそれまで想像されていたよりもずっと深く森友学園事件に関与していたことが明らかになった。要するに安倍晋三が自ら墓穴を掘ったわけだが、野党やマスコミ、それに世間一般の「リベラル」たちは、せっかく安倍晋三自身が掘ってくれた穴に安倍夫妻を埋めようとせず、安倍夫妻への「忖度」に終始して好機を逃してしまった。

 この事件に関しては、菅野完が籠池泰典に食い込んだことによって、役人とのやり取りを録音していた籠池から提供された録音テープによって安倍昭恵の口利きがますます明らかになってきている。しかし、安倍昭恵の証人喚問を求める世論はいっこうに盛り上がらない。昭恵の証人喚問自体は、あの腰の引けた民進党代表・蓮舫でさえ要求しているのだが、ここ数年安倍昭恵の「家庭内野党」の虚像(それは明らかに安倍夫妻や政権のブレーンによる批判勢力に対する懐柔策だった)に騙されてきた政権批判勢力が、未だに昭恵へ未練が捨てがたいのか、攻撃の矛先を鈍らせていることを私はずっと批判している。

 その最大の悪例は三宅洋平だろう。三宅は森友学園事件について貝になってしまった。また、昨年の参院選で三宅を応援し、投票したりした人間も、森友学園事件について口を開かない三宅を批判できない。もちろんこれも「忖度」の一例だが、三宅に対する忖度は間接的な安倍昭恵(や安倍晋三)に対する忖度にほかならない。

 まとめると、「忖度」ではなく安倍夫妻による「口利き」が森友学園事件「財務省・安倍夫妻ルート」の核心だが、民進党はその核心である安倍晋三・昭恵夫妻への直接の追及を回避して、「財務官僚による安倍夫妻への忖度」の構図を描いての追及を試みたが、当然のごとく「忖度などなかった」という答弁にいとも簡単にはね返された。また、マスコミや世論も安倍夫妻の口利きをとがめることが全くできていない、というのが現時点の状況ではないか。

 先月は、つい先日ついに大臣を更迭された今村雅弘の「失言」が話題になったが、野党やマスコミはこれを「政権の緩み」だとして批判した。これに対し、「緩みではなく本音」だとする指摘がされている。昨日(4/30)のTBSテレビ『サンデーモーニング』でも西崎文子が「緩みではなく本音では」と言っていた。ところが最後にコメントした岸井成格は「政権の驕り、緩みだ」というマスコミ人士の常套句を口にしたので失望させられた。

 昨年春、安倍晋三の不興を買って『NEWS23』のアンカーを下ろされた(後任の元朝日新聞特別編集委員・星浩の腑抜けぶりは周知)と言われている岸井成格でさえこれだ。

 「緩みではなく本音だ」と指摘した言説の中で、もっともよくまとまっていると思うのは、先週も紹介したブログ『読む国会』の記事(下記URL)だ。
http://www.yomu-kokkai.com/entry/shitsugen-yurumi

 記事の中で、共謀罪法案の審議中に、東京18区選出の自民党衆院議員にして元武蔵野市長の土屋正忠が露呈した「本音」は、まさに心胆を寒からしめるものだ。以下引用する。

(前略)

 「共謀罪」法案を審議した二十一日の衆院法務委員会で、法務省の林真琴刑事局長の席に詰め寄った民進党議員に、自民党の土屋正忠理事が「テロ行為だ」とヤジを飛ばしたとして、民進、共産両党が抗議した。
東京新聞


■ 共謀罪の根幹を揺るがす土屋発言

共謀罪(テロ等準備罪)における土屋正忠議員の発言である。共謀罪法案の根幹を揺るがす発言だ。

単なる冗談や軽口ではすまない。

この発言によって、土屋議員が、内心では「テロ等準備行為」という言葉そのものが、自分たちにとって都合の悪いことを潰す、言論に対する脅しとしての要素を持っている、と認識していることが明らかになったからだ。

これは曲解ではない。思っていなければこの種の軽口は出ないだろう。都合の悪いことを潰すために「テロ」という言葉を使っているのではないか?という疑念は、全く解消されていない。

(中略)

「東京より東北が震災にあったほうがまだ良かった」

「民進党がこそこそ打ち合わせをしているのはテロ等準備行為だ」

そのような姿勢・人品そのものが問題であり、議員としての資格を問われるものだ。

大臣に関しては、任命してしまった責任も免れ得ないだろう。


■ マスメディアは、即刻「ゆるみ」という言葉を使うのをやめるべき

「ゆるみ」という言葉を使ってしまうことによって、まるであたかも議員が執行部の言いつけを守れないことが問題であるかのような論調になり、もっとも重要な資質の問題や、首相の任命責任はどこかに行ってしまう。

国務大臣というのは、失言をしなければいいわけではない。人間的に的確であるかを常にチェックされ、監視されるべき立場にいる。失言そのものではなく、その裏にある人品をこそ問題にしなくてはいけない。

マスコミは、二階発言に恫喝されることなく、

なぜなるべきでない人間を復興大臣に任命してしまったのか?
本当にテロ等準備罪はテロを予防することを目的とされているのか?

このような論点を、きちんと主張し、発信していただきたい。

(『読む国会』 2017年4月28日付記事「政治家の失言は『政権のゆるみ』ではなく、『本音の吐露』だ」より)


 論旨明快で間然するところのない記事だが、さらにつけ加えれば、最近しばしば指摘されている通り、現在の安倍政権は、どこまで「本音」が通用するのか試しているようなところがある。これを別の言葉で言い換えると「露悪」になろうか。たとえば森友学園事件で知らぬ存ぜぬ、書類は廃棄してしまったなどの強弁がどこまで通じるか、ミエミエの嘘をついて(=露悪的な態度をとって)試してみる。通用すれば、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」式のゴリ押しをやる。

 上記のフレーズは1980年にビートたけしが言い出したものだ。この1980年という年は、選挙戦中に大平正芳首相(当時)が急死した衆参同日選挙で自民党が圧勝し、米大統領選でレーガンが圧勝するなど、右傾化や新自由主義化のエポックメイキングな年だった。1993〜94年(衆院選小選挙区制の成立)、1999年(小渕恵三と小沢一郎による「アブナイ」法案の数々の成立)、2001年(小泉純一郎政権成立)、2005年(郵政総選挙で自民党圧勝)、2012年(第2次安倍内閣成立)などと並ぶ、悪い思い出の多い年だったが、上記のフレーズを発して以来、私はずっとビートたけしという芸人を嫌い続けている。政治に関しても、いくらたけし本人が「9条護憲」を口にしても、たけしが司会を務めるテレビ朝日の『TVタックル』(都議選と同日に行われる兵庫県知事選への出馬を表明した勝谷誠彦が常連の出演者だった)が視聴者の右傾化に大いに資したことは見逃せない。

 ビートたけしが「赤信号……」と言い出した1980年にはブラックジョークだったものを、今や日本国の総理大臣が率先してやるようになった。だから先日筒井康隆がTwitterで発した慰安婦に関する暴言もギャグにならず、産経「正論」系極右人士ら(その代表格が先日死んだ渡部昇一だった)の煽動に踊るネトウヨ、否、最近は一般人もそれに加わっている有象無象が発する暴言と何も変わるところがなかった。ギャグのつもりで老筒井が発したTwitterは何の異化作用も持たず、只野、もといただの老ネトウヨの暴言に堕してしまったのだ。筒井、老いたり。そう思った。

 恐るべき忖度と露悪と崩壊の時代。最後に『広島瀬戸内新聞ニュース』の簡潔な記事(下記URL)を引用して本記事を締めくくる。
http://hiroseto.exblog.jp/25733394/

安倍ジャパン】「忖度」ではなく「ご下命」、「緩み」ではなく「露悪」だ

「安倍ジャパン」(安倍晋三総理(皇帝)・昭恵(皇后)「両陛下」とそのお友達が、「法の支配」や「立憲主義」を無視した立法行為や行政行為を行い、国家を私物化している状態)を批判する側も、「初動」を誤った感はあります。

森友学園問題では「忖度、忖度」と言い過ぎた。
官僚は忖度で仕事をするものではない。
「ご下命」に近いものがあってはじめて仕事をするものです。

ここへ来て、まだ国有地の売却が決まる段階で、籠池のおっさんに詳細なマニュアルが財務省サイドから渡ったり、田村という財務省の担当室長が「特例です」と言った録音記録が暴露されたりしています。

安倍昭恵さんの関与は明らかです。

ハッキリ言ってしまうと、特に民進党の一部議員やマスコミこそ「安倍総理や安倍昭恵さんに対して忖度=追及の手を緩めてしまった」と言わざるを得ないと思います。

さらに、今村復興大臣の「東北で良かった」失言や、山本地方創生大臣の「学芸員一掃」発言。

これらを、安倍総理は「緩み」と表現し、それ(「緩み」という認識)をそのままマスコミも是としています。

冗談ではない。「緩み」なんかではないのです。

今村復興大臣(当時)の発言は緩みなんかではなく「安倍政権の閣僚としての平常運転=露悪」なのです。

安倍総理は、今年の3.11において、記者会見を打ち切りました。これが安倍総理の本音でしょう。その総理の本音を体現したのが「東北で良かった」という今村大臣の発言ではないのか?

山本大臣のそれも、結局は、文化というものを金銭的な価値でしか測れない、そうした安倍政権的なるものが露悪的に出てきただけです。

(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2017年4月29日付記事より)

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