きまぐれな日々

 今週は年度替わりの週ということで、TBSでは早々と今夜(3/28)から『NEWS23』のアンカーとして朝日新聞で民主党政権時代に「決められない政治」を批判して野田佳彦に消費税増税を求めていた星浩が登場する。一方テレビ朝日ではの『報道ステーション』では31日木曜日まで古舘伊知郎がキャスターを務める。星浩と同様に鬱陶しい元共同通信政治部長の後藤謙次は月〜木曜のコメンテーターだと聞いているから登場は来週からになる。

 『リテラ』の田部祥太は星浩について「保守寄りの記者だった星氏に期待などできそうにない」と書いているが、この文面だと自民党寄り、安倍政権寄りという意味にとってしまう人もいるかもしれない。しかし、先週も書いたと思うが、実際には星は民主党(現民進党)寄りにして経済右派の記者だ。つまり必ずしも自民党寄りではなく、民進党の岡田克也や野田佳彦に立場が近いとみられる。懸念されるのは、今年5月に安倍晋三が間違いなく打ち出す消費税増税延期に対して星が財政右派の立場から批判するコメントを発することだ。TBSのニュースでこれをやると、星のコメントは民進党の立場の代弁と見られて、「民進党(特に従来の民主党)=本音では消費増税派」との印象を与え、参院選というよりおそらく衆参同日選挙になるだろうが、これを自民党有利に働かせる可能性がある。もっとも民進党のスタンスは、枝野幸男が理解不能の言葉で共産、社民、生活の3党が提示した「消費税率10%への引き上げ凍結」を盛り込んだ法案の原案に難色を示したことからも明らかなように消費増税の凍結または延期に対して実際に及び腰なのだから、この政党に期待せよという方が無理だ。

 さて先週マスメディアが大きく取り上げたのはベルギーのテロだったが、テロの容疑者が同国の原子力施設を攻撃する計画を立てることが報じられている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3T5SJ7J3TUHBI02H.html

原子力施設もテロ標的か ベルギーテロ容疑者が襲撃計画

 ブリュッセル=吉田美智子、青田秀樹
 2016年3月26日09時36分

 死傷者約300人を出したベルギー連続テロの容疑者が、原子力施設の襲撃を検討していた疑いがあることが25日までに分かった。フランスでは24日、ベルギーやパリ同時多発テロの容疑者と同じグループの男が逮捕され、新たなテロ計画が発覚した。これまでに実行に移されたのは計画の一部にすぎない恐れがあり、当局は実態解明を急ぐ。

 原子力施設の襲撃を計画していたのは、ベルギーのテロで自爆死したイブラヒム・バクラウィ(29)、ハリド・バクラウィ(27)の両容疑者らとみられる。

 地元紙DHなどによると、2人は同国北部モルの原子力施設に勤める技術者の動向をひそかに撮影していた。技術者は、ベルギーの原子力研究の責任者の一人とされる。動画は昨年末、パリのテロに関連した家宅捜索で押収された。

 ベルギーでは中部ティアンジュと北部ドールの2カ所で原発が稼働している。治安当局は原発などの警備を強化し、2月から計140人の兵士を配置した。また公共放送RTBFによると、3月中旬以降、ティアンジュ原発の従業員11人が何らかの理由で施設への立ち入りを禁じられた。

 連続テロの発生直後には、運転や保守にかかわる必要最小限の作業員以外が原発から退避した。DH紙は「原子力施設へのテロが察知され、標的が空港や地下鉄に切り替えられた可能性がある」と指摘した。

(朝日新聞デジタルより)


 ここで想起すべきは、明日3月29日に安保法が施行されることだ。参院選(あるいは衆参同日選挙)まではおとなしくしているに違いないが、選挙が終わったら自衛隊が米軍とともに「テロとの戦い」をやる局面が出てくるだろう。

 その一方で、安倍晋三政権は原発再稼働にも前のめりだ。

 安倍晋三が自衛隊をアメリカとともに戦う「テロとの戦い」の戦場に送り込んで全能感に浸っている201X年のある日、自称「イスラム国」だか他のグループだかのテロリストに日本の原発が狙われて、日本の広範囲に人が住めなくなる事態だって起こり得るのだ。

 そのことを安倍晋三は、政権の要人たちは、自公与党はどう考えているのだろうか。

 何も考えていないのではないか。

 『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)第3巻に、2001年9月11日の同時多発テロの直前に、アメリカの諜報機関はオサマ・ビンラディンがアメリカを攻撃する準備をしているという情報をつかんでおり、ブッシュをはじめチェイニー、ライス、パウエルらブッシュ政権の要人たちへのブリーフィングも行われたが、テロをやられる話など聞きたくもなかったブッシュらによって黙殺されたと、多数の参照文献を根拠に指摘している(「無視された9.11の前兆」249-252頁)。もしかしたら、あの荒唐無稽な「9.11自作自演説」はこうしたブッシュ政権の無為無策を根拠の一つにしているのかもしれない。しかし、ブッシュらがそんなことをすると考えるのは買いかぶりもいいところだ。ブッシュやチェイニーやライスやパウエルは、起きてほしくない出来事のことなど考えたくもなかったので耳を塞いだだけだ、という著者(オリバー・ストーンとピーター・カズニック)の指摘の方がはるかに説得力がある。権力者たちの頭の中など、一般人が想像するのとは全然違って空っぽなのだ(日本を無謀な戦争に引きずり込んだ戦前の指導者たちを想起せよ)。

 それと似たことが、2011年3月11日の東電福島第一原発事故についてもいえる。炉心溶融を伴う原発事故の可能性など考えたくもなかった政府・経産省・電力会社によって「安全神話」がでっち上げられ、事故対策を怠っていたツケが東電原発事故を引き起こした。

 集団的自衛権を発動して「テロとの戦い」にのめり込んだあげく、テロリストたちがその報復として福井や鹿児島や愛媛の原発を狙うというリスクは間違いなく存在する。四国電力は伊方原発1号機を廃炉にする見返りに同3号機の再稼働をもくろみ、安倍政権はその後押しをしている。瀬戸内海にある伊方原発なんかで重大事故が起きたりテロの対象になったりした日には、四国のみならず九州、中国、近畿の広範囲にわたって人が住めなくなることは確実だ。東部安倍晋三ら政府と自民党は、一方で集団的自衛権を前提とした安保法を成立させ、明日施行されるが、さらに明文改憲のために衆参同日選挙をやろうとしている。それらはすべてが日本のリスクを高める行動であるとしか私には思われない。安倍晋三を筆頭とする安倍政権や自公与党や官僚の要人たちの頭の中も、かつてのブッシュ政権の要人に負けず劣らず空っぽだ。権力の座に登り詰めた人間だろうが市井の人間と知能程度は何も変わらないどころか、ブッシュ・ジュニアと同様最高権力者に祭り上げられた世襲権力者である安倍晋三の場合など、平均レベルの市井の人間と比較しても、その知能程度は明らかに劣る。

 第2次安倍内閣が発足して以来、早くも4度目の年度替わりを迎える。日本国民はこんなにも長く、私がいうところの「この人間だけは総理大臣にしてはいけなかった」人間の独裁を許してしまっている。私は以前、いくらなんでも第4次安倍内閣ができることなどあり得ないと一度ならず書いたが、その楽観的な予想が外れることはもはや確実になった。衆参同日選のあとに第4次安倍内閣ができれば、「崩壊の時代」の崩壊の今まで以上にその速度を速めるだろう。なんとか阻止したいものだが、それは日に日に困難さを増す一方だ。
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 歳をとるにつれて、年々3月は憂鬱な月となり、4月にも新たな意欲など湧かなくなるのだが、今年は特にそうで、これほど憂鬱な3月というのも珍しい。

 テレビ番組でも3人の司会者がレギュラー番組を去ることが話題になっている。このうち、NHKの国谷裕子は番組を見る機会がほとんどなかった。TBSの岸井成格は、4月から同局のスペシャルコメンテーターに就任とのことで、『NEWS23』のアンカーは朝日新聞を定年退職する星浩に代わるらしいけれども、『サンデーモーニング』を降りるという話は聞かないし、『NEWS23』にももしかしたらたまに登場するかも知れない。昔このブログで岸井の悪口をずいぶん書いたが、昔は嫌な安倍晋三びいきのコメンテーターだった。それは岸井が昔故安倍晋太郎の担当記者だったらしく、その縁で安倍晋三に期待していたようなのだが、安倍晋三は父をないがしろにして岸信介にばかり心酔して改憲を宿願とするばかりで、第2次安倍内閣発足の頃には岸井は既に安倍晋三を見限っていたようだ。そのせいもあって、特定秘密保護法や安保法案の報道で、岸井は一貫して政府・自民党を批判してきた。

 岸井の後任の星浩は、民主党野田佳彦内閣時代の2012年6月から第2次安倍内閣時代の翌年3月まで、朝日新聞論東京本社オピニオン編集長兼論説主幹代理を務めた。野田政権後半の朝日の社説といえば、消費税増税を強硬に主張したり、それに関する民主・自民・公明の三党合意をせよと突っついたりしていたが、三党合意に関する社説などは星が書いていたのではないかと私は疑っている。星はゴリゴリの財政タカ派であって、民主党政治を失敗に導いたA級戦犯の一人だと私は見なしている。月替わりを待たず、もう来週(28日)から星の出番だ(蛇足だが、「hosino」とタイプして変換すると「星野」と表示されることも私の血圧を上げる)。

 もう一人の退任するキャスター・古舘伊知郎ははっきり言って嫌いだった。小泉政権時代の郵政解散・総選挙で古舘が熱心に小泉を応援した恨みは忘れようにも忘れられない。その後も、何かと言えば財政再建を言ったり(最近は批判を受けてか財政再建を口にする時には保留をつけるようにはなっていた)、例の「身を切る改革」を言い出すなど、やっぱり古舘はダメな奴だなあと思っていた。

 しかし、18日に放送された古舘のドイツ取材は良かった。この件については、リテラの記事を引用して書いた『kojitakenの日記』の記事「安倍晋三をヒトラーに重ね合わせた『報ステ』に拍手喝采した」を参照されたい。もっとも、こう書いたものの、最近ではこのブログにアクセスする人の多くは『kojitakenの日記』の告知記事経由で来られていて、逆にこちら経由で『日記』にアクセスされる方はほとんどいなくなっているが。もうすぐこのブログも開設10年を迎えるが、更新が週1回でそれも休むことがあるので、すっかりさびれてしまった。

 そんな古株のブログ書きから見て、最近のブログに思うのは、政権批判側に妙な自主規制が目立つことだ。たとえば、「人を呼び捨てにするのでは言いたいことが伝わらない」と言って、いったん書いた安倍晋三を呼び捨てにした記事を自ら修正した人気ブロガーがいた。

 でも私は思うのだ。それって、呼び捨てに対する自主規制にならないのか、と。

 スポーツ選手や芸能人は呼び捨てにされる。囲碁や将棋の棋士は「八段」「九段」などと呼ばれるが、観戦譜の記事では呼び捨てにされる。また、論文においても引用文献の著者は呼び捨てだ。このブログもそうだが、政治家を呼び捨てを原則としている市井のブログは少なくない。ある時期から、このブログでは呼び捨てにする時は原則としてフルネームで書くようにしているが、頻繁に名前を書く時や、特に非難を込める場合などに姓だけで呼び捨てにすることがある。第1次安倍内閣の頃はよく「安倍は」と書いたが、今では「安倍晋三は」と書く場合が大部分だ。非難を込めて「安倍」と書く用例としては、前記『kojitakenの日記』の記事「安倍晋三をヒトラーに重ね合わせた『報ステ』に拍手喝采した」では下記のようなものがある。

 つまり、「安倍晋三のことをいってるんじゃありませんよ」とわざわざシラを切りながら、古舘が発した言葉(赤字引用部分)はまんま安倍晋三に当てはまることだった。強いドイツ(日本)を取り戻す(トリモロス)、安倍じゃん。「決断できる政治」、安倍が政権に復帰する前に、マスコミ(私はNEWS23の後任アンカー予定者である星浩を思い浮かべた)が言ってたことじゃん。「戦争の準備を『平和と安全の確保』と表現していた」、安保法(戦争法)を「平和安全法制」と言い換えてるのは安倍じゃん。

 ここには「古舘」という呼び捨ても出てくるが、「これで良いじゃん。なんで『呼び捨てにするな』と自主規制するんだよ」と思ってしまう。

 まあこの件も『kojitakenの日記』の記事「自己規制なんて不要に決まっているし、『安倍晋三』と呼び捨てにして何が悪い」(2016年3月20日)に書いた。その記事についたnesscoさん(はてなダイアリー『一人でお茶を』の運営者)からいただいた下記のコメントを紹介する。

nessko 2016/03/20 12:54

呼び捨て、ですけれども、私は子供の頃、著名人に対しては敬称をつけないのが礼儀と教わった記憶があるので、著名人に対してはうかつにさん付けしないように気を付けているくらいです。でも、ときどきつけてしまうのは、最近はさんづけする人が増えているから影響されているせいでしょうね。


 こういう意見もある。「呼び捨ては失礼だから(あるいは意見が伝わらないから)止めましょう」などと言うのは大きなお世話だと、そう声を大にして言いたい。

 上記も自主規制の例だと私は思うが、リアルの政治状況にさらに悪い影響を与える自主規制として、「リベラル・左派」が「野党共闘」の共闘先とみなしている「民進党」予定政党(民主党と維新の党)に対する批判を自粛している(としか私には思えない)ことは実に気持ちが悪い。

 たとえば、さる民主党びいきの保守系のブログは、「1度だけホンネを書くなら、そんな党名、イヤだ~。」などと書いた。なぜその本音を書くのを「1度だけ」にしなければならないのかと思ったが、1度だけとはいえ本音を書いただけまだマシであって、多くの人間は内心では苦虫を噛み潰しながら、建前では「民進党を応援しよう」などと書く。

 そんな自己欺瞞は止めてくれ、と言いたい。彼らの中には「民進党」の党名を批判する他人のTwitterのつぶやきをリツイートするだけで自ブログには何も書かない人間もいる。もちろん中には「維新の党は政党支持率が0.3%しかないくせにずいぶん態度が大きいですね」などとはっきり書く民主党支持者もいるし、それで良いと思う。私は、現状の延長線上には民進党の大敗、「野党共闘」の失敗、参院選の自公圧勝という結果しかないのだから、そうさせないためにも「民進党」予定政党に対する活発な批判こそ今は必要だと思う。しかし、現実に「野党共闘」推進者の間に通用しているのは、「『野党共闘』のパートナーに対する批判は『野党共闘』の足を引っ張るだけだから止めよう」という論理だ。それで選挙に勝てるなら良いけれども、現状の延長でそんな結果になりっこないだろ、と思う。

 それどころか安倍晋三はここにきて「衆参ダブル選挙」を露骨に狙い始めた。スティグリッツ、次いではクルーグマンを呼んで消費税増税を止めろと言わせているのは、巷間言われている通り安倍晋三が消費税増税延期を打ち出し、それを争点にして参院選、場合によっては衆参同日選挙を戦おうとしているからだ。

 前記の「批判を受けて安倍晋三を呼び捨てにした記事を修正した」というブロガー氏は、財務相の麻生太郎が消費税を予定通り10%に上げるべきだと言ったというニュースに怒ったそうだが、長年政治を見てきた人間として、そんな心配は無用だと断言できる。来年4月の消費税率引き上げは絶対になく、間違いなく安倍晋三自身が消費税増税延期を決断して内閣支持率を上げにくる。100%間違いない。

 この現状に対して政権批判側の人間のなすべきことは、先日さとうしゅういちさんがスティグリッツの発言の直後にいち早くブログに書いたように、「野党は総理の機先制し、消費減税&再分配強化打ち出せ」と野党に提言して実行を迫ることだろう。

 ただ私には、財政再建原理主義者の岡田克也を代表にいただき、同様の主義主張を持つ前代表・前総理大臣の野田佳彦がいる現民主党及び民主党が維新の党とが野合してできる「民進党」に「安倍晋三の機先を制して消費減税と再分配強化を打ち出す」ことなど現状ではできっこないとしか思えない。

 私は参院選では東京選挙区だから、わざわざ民進党の候補なんかに投票する必要はないのだけれど、衆院選となれば実は頭の痛い選択を迫られる選挙区にいる。鼻をつまんでも投票したくない民進党予定政党のかなり強力な現職議員がいるのだ。長島昭久のようなひどいネオコンではないが、好き嫌いで言えばその議員は大嫌いだ。だから東京移住後過去2度の衆院選では共産党候補に投票していた。

 それでも衆院選になればそいつに投票することもあり得ると思うが、そいつが属することになる民進党には文句を言わずにいられない。そして民進党予定政党に対する「リベラル・左派」の批判の自粛にはめちゃくちゃ腹を立てている。

 みんなもっと言いたいことを言おうよ、と強く思う。

 4月からは、TBSの月曜夜8時に辛坊治郎が、テレビ朝日の同じ月曜の深夜11時台には橋下徹が進出してくる。TBSは既に『NEWS23』の後任アンカー・星浩の宣伝をコマーシャルで流しているが、テレビ朝日の『報道ステーション』の新コメンテーター・後藤謙次(元共同通信政治部長)も星浩に負けず劣らず嫌な奴だ。

 4月からは今よりもさらに気分が暗く沈む日が多くなるに違いないが、自分が書く文章くらいは何の遠慮もなく言いたいことを思いのままに書きたいと思う今日この頃なのである。
 この週末は2011年の東日本大震災と東電福島第一原発事故(以下「東電原発事故」と略称)から5周年、かつ暦が5年前と同じということで、嫌でも大地震と原発事故が思い出された。5年前の11日金曜日、私は東京でビルの上層階にいて大きな揺れに驚かされたが、同じビルでも下層では上層よりかなり揺れは少なかったようだ。しかし上層階ではこれまでに経験したこともない大きな低周波の揺れがかなり長く続いた。震源地が東北沖と知って驚き、東京でこんなに揺れるのだから東北ではたいへんな被害なのではないかと思ったが、帰ってテレビを見ると予想を大きく超えたたいへんな災害だった。翌朝には東電の福島第一原発に異常が生じていることを知り、テレビでは情報が遅いのでネットで2ちゃんねるにかじり付いていた。いい加減な情報も多かったが正確な情報もあり、夕方起きた1号機の爆発は2ちゃんねるでいち早く知った。日テレ系の福島中央テレビが映像を流していると知り、チャンネルを日テレに合わせると、事実爆発が起きていた。しかし政府(菅政権の枝野幸男官房長官)からの発表は遅れに遅れ、夜にずれ込んだ。私は爆発が水蒸気爆発だと勝手に思い込み、大変なことになったとネット(『kojitakenの日記』)で大騒ぎしていたが、夜の枝野官房長官の発表で、水蒸気爆発ではなく水素爆発だと知った。それでひとまず胸をなで下ろしたが、その数日後、2号機から大量の放射性物質が撒き散らされたのだった。

 被災したとはいえない私でさえ、あの週末のことは忘れようにも忘れられない。ましてや被災された方々や現在も震災や原発事故の悪影響を受けている方々の心情はいかばかりか、察するに余りあるものがある。

 一方、懲りないのが安倍晋三政権や自民党の面々であって、彼らに対しては激しい怒りを禁じ得ない。

 たとえば自民党の谷垣禎一は、震災5周年の3月11日に、こんなことをほざきやがった。以下11日のTBSニュース(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2723402.html)より。

自民・谷垣氏、東日本大震災の初動対応検証組織を立ち上げへ

 自民党の谷垣幹事長は、東日本大震災の当時の初動対応を検証する組織を党内に立ち上げる考えを明らかにしました。

 「5年たちますと、やはり少しみんな冷静になってきて、いろいろな行政関係者等のご発言も出てきているように思います。しっかり検証していくことが、やはり経験を蓄積しておくということが必要じゃないかということですね」(自民党 谷垣禎一幹事長)

 自民党の谷垣幹事長はこのように述べ、震災当時の初動対応などを検証する組織を党内に新たに設置する考えを明らかにしました。

 検証する内容として、谷垣氏は「原発事故だけでなく津波の対応なども含めて、整理をしたいと思っている」と述べ、当時の民主党政権の対応や東京電力の対応などについて検証するものとみられます。

(TBS「News i」 2016年3月11日 14:16)


 何が「震災当時の初動対応などを検証する組織を党内に新たに設置する」だよ、と呆れてしまった。東電原発事故は菅政権が東電の邪魔をしたから3基の原発を炉心溶融に至らせてしまったのであって、そんなことをしなければ「原発は安全」なのだから、自民党政権だったら東電原発事故は起きなかった、とでも言うつもりなのだろうか。

 どうやら自民党は、東電原発事故でも得意の「歴史修正主義」に走ろうとしているかのようである。

 民主党と維新の党が野合してできる「新党」の名前も公募する(なんでも今日決定らしいが)という野党のていたらくを良いことに、自民党はちょっとつけ上がりすぎだろう。

 私は覚えている。谷垣禎一が東電原発事故直後の2011年3月17日に何を言っていたかを。事故当時自民党総裁だった谷垣は同日、「現状では、原発を推進していくことは難しい状況」と述べた。しかしその1週間後には「安定的な電力供給ができないと製造業など維持できるのかという問題もある」と軌道修正した。これは2011年5月5日付朝日新聞に、「自民 原発推進派はや始動 『原子力守る』政策会議発足」との見出しが打たれた記事に基づいて書いているのだが、谷垣がわずか1週間で発言を修正したことは、「党内では『推進派から反発されたため』と受け止められた」と論評されている。

 そして、事故から5年も経った今になって、すべてを民主党政権のせいにして原発の「安全神話」の再構築をしようとでもするかのように動く。厚顔無恥も極まれりと言うほかない。

 自民党寄りのマスメディアも呼応するかのように動いた。たとえばフジテレビは8日、原子力安全委員会(現・原子力規制委)の委員長だったあの班目春樹にインタビューした内容を報道した。1週間近く経つが、まだその内容は参照できる(http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00318311.html)。呆れたことに、班目は「あんな人を総理にしたから天罰が当たったんじゃないかな、というふうに、このごろ運命論を考えるようになっちゃってますよ(笑)」と言い放った。震災当時似たような暴言を石原慎太郎が吐いたが、当事者の班目本人が「5年も経ったから誰も覚えてないだろう」とばかりに自分の責任を棚に上げたのだ。

 リテラはこれを

“原発事故は菅直人を総理にした国民への天罰”──。そんな耳を疑う発言をしたのは、東日本大震災時に原子力安全委員会(現・原子力規制委)の委員長だった班目春樹・東京大学名誉教授だ。

と評した。また、フジテレビの報道についた「はてなブックマーク」の「人気コメント」7件は、すべて班目を批判するものだった。以下いくつかのコメントを引用する。

FUKAMACHI 原子力安全委員会の班目春樹元委員長。いろいろと発言もやばいが、他人事のように笑う姿が印象的。わりと必見。

Gl17 脱原発に反感抱く層の主張に「政治マターや党派性で騒ぐな」てのがあるが、そもそも原子力行政と保守政治側の主たる問題対処がこういう「政敵に責任を擦り付ける」メソッドなんだよな。安倍メルマガのデマとか。

snobbishinsomniac こんな男が責任者だったのに菅内閣はよく辛抱強く対応したものだと改めて感じる。自民党政権だったら全ての責任を押し付けられてこんな思い出話などできなかったに違いない。

sotokichi 菅元総理にもいろいろ落ち度はあっただろうけど、事故をこの程度で済ませたのだから及第点。事故に至るまでの主に自民党による原発行政と事故防止の機会をスルーした第1次安倍政権の責任の方が問題。


 自民党幹事長・谷垣禎一のありようを見ていると、「自民党政権だったら(班目春樹は)全ての責任を押し付けられてこんな思い出話などできなかったに違いない」とは、本当にその通りだと思える。そして、引用した最後のコメントにある通り、「事故に至るまでの主に自民党による原発行政と事故防止の機会をスルーした第1次安倍政権の責任」の方がよほど問題だろう。

 安倍政権と自民党は「一強多弱」の現状に浮かれて、際限なく倫理を弛緩させてしまっている。斜陽国ニッポンのダメさ加減を象徴するありようとしか言いようがないが、このていたらくではいずれまたとんでもない災厄をこの国にもたらしかねない。

 せめて、謙虚さを持とうとするくらいの心構えを持てないものか、などというのはないものねだりでしかないのだろう。こんな政権と政権政党は一刻も早くお払い箱にするしかないのだが、日本国民もあの政権を容認していることからもわかるように、意気阻喪してしまっていて、明るい展望は何も持てない「崩壊の時代」の今日この頃なのである。
 先週もネットにあまりアクセスしなかった。何日か何も書かない時のパターンとして、最初は忙しかったり調子が悪かったりで休むのだが、何日か経つと記事を書くことが空しいと思われて何も書く気がしなくなる。今回もそうだった。

 2012年末に第2次安倍内閣が始まり、2014年末からは第3次になっているが、この3年あまりで言葉が通じなくなったとつくづく思う。それは言葉の力を無化する厚顔無恥な人間が最高権力者の座に居座り、あろうことか4割だか5割だかの内閣支持率をずっと保っている(大手紙各社最新の世論調査では、読売49%、朝日40%、毎日42%)。

 私自身は、2002年に安倍晋三という人間が視野に入って以来、一貫してこの男を全否定の対象としてきた。2002年にこの男が売り出したのは対北朝鮮強硬派としてだったが、その当時から私はこの男が拉致問題を政治利用しているとしか思わなかった。どこかの保守的な反安倍・反自民ブロガー氏のように、「拉致問題への対応にみられるように、本当はいい人」だなどと思ったことは一度もない。安倍晋三は私にとって常に全否定の対象だったし、それは今も変わらない。安倍晋三に対して嫌悪以外の感情を催したことはない。

 日本国民は、一度はこの男を異物として体外に排泄した。2007年のことだ。これまでの人生において、政治のニュースであの時ほど心から喜んだことは後にも先にもなかった。あの日の新聞もあの当時の週刊誌も今も保存してある。しかしその5年後、あろうことかあの男は総理大臣の座に舞い戻ってきた。そこから現代日本の「崩壊の時代」が始まった。

 あの男を全否定の対象とする言説は、いまやほとんど見聞きすることはできない。昨年読んだ田中慎弥の小説『宰相A』(新潮社)か、さもなくば辺見庸くらいのものだ。田中慎弥の『宰相A』は、明らかにジョージ・オーウェルの『1984』を下敷きにしていた。戦争法(安保法)を「平和安全法案」と呼ぶ安倍晋三は、まさにオーウェルの世界の独裁者だといえる。

 また、最近人気の「SEALDs」を批判したことで世の「リベラル・左派」から悪評を買った辺見庸も、安倍晋三を全否定する人の一人だ。先週末、昨年末に買ったまま読んでいなかった辺見の『もう戦争がはじまっている』(河出書房新社)を読んだ。いや、実は最後の30頁ほどはまだ読んでいないのだが、本の9割近くは読んだ。その大部分は、2014年に『辺見庸ブログ』に書かれた「日録」(現在は削除されている)の再録だが、2014年当時には私は「日録」はごくたまにしか読んでいなかった。だからその多くは初めて読む文章だった。

 以下『もう戦争がはじまっている』からいくつか引用する。

 わたしはやつのツラがきらいなのだ。(略)Aの顔の場合、とりわけ「取り返しのつかない仕方で露出している」のは、無知と暴力と嘘と劣等感である。アゲハの幼虫の顔はどれも、わたしの知るかぎり、無知も暴力も嘘も劣等感も感じさせたことはない。こうした言い方でわかるように、わたしは市民的、民主主義的見地からAに批判的なのではない。顔がいやなのだ。あの顔(と声)とともにあらねばならないことが堪えがたいのである。わたしはあの顔(と言葉)を、臆面もなく差別する。(63頁, 2014.08.08)


 堀田(善衛=引用者註)が生きていたら、もちろん、首相Aに危険を嗅ぎ、はげしく嫌悪したはずだ。埴谷も武田も野間も梅崎も、AとA的なるものだけはきびしく拒絶しただろう。Aは敗戦後社会の産んだもっとも恥ずかしい愚昧だからだ。とんでもない落第生。落第生でも勉強家はいる。人格の高潔な落第生もいる。だが、Aはちがう。無知にいなおり、無知を仲間とし、無知を増殖し、無知を培養し、ひたすら無知にのみ依拠している。右でも左でもそのことに気づかぬ者は、かつてなら、いなかったろう。いまは右も左もほとんど死んだ。(102-103頁, 2014.11.03)


 ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたこともない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権を知らない。この国の過去をこれほど反省しない政権は自民党でさえめずらしい。これほど浅薄な人間観、これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほどのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。(160頁, 2014.12.06)


 ここに挙げたどの文章も、本当にそうだと思える。というより、言葉が通じなくなっていることを訴えるこうした言葉に接することさえ今ではもうすっかりできなくなってきている。2012年末に安倍晋三が政権を取り戻して以来、日本国民の箍(たが)が緩んだどころか外れてしまったと思うのだ。

 このブログは2006年4月に開設した。この記事が10年目の最後の月に最初に公開する記事になるが、10周年というゴールを目の前にして、果たして来月まで書き続けることができるだろうかと思うほど気が重くなった今日この頃なのである。