きまぐれな日々

 昨日(1/24)投開票の行われた宜野湾市長選は、実に残念な結果だった。

 日本会議のメンバーであるとも言われる極右政治家の現職・佐喜真淳が再選されたのだ。しかも世論調査から予想された僅差ではなく大差がついた。実は、選挙戦中の沖縄地元紙の報道等を読む限り志村恵一郎氏陣営に勢いが感じられず、悪い予感がしていたが、それが的中してしまった。昨年8月以降の安倍内閣の支持率復調が米軍基地の飛行場を抱える宜野湾市長選にも表れてしまったのは痛恨事だ。以下、「客観報道」のスタイルで書かれた朝日新聞デジタルの記事を引用する。

宜野湾市長選、現職の佐喜真淳氏が再選
2016年1月24日21時09分

 米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選が24日、投開票された。安倍政権が支援する現職の佐喜真淳(さきまあつし)氏(51)=自民、公明推薦=が、翁長雄志(おながたけし)知事が支援する新顔の志村恵一郎氏(63)を破って再選された。普天間の同県名護市辺野古への移設計画をめぐる国と県の対立構図が持ち込まれた激戦となったが、辺野古移設の是非に言及せず地元向けの施策の訴えに徹した現職が逃げ切った。

 確定得票数は、佐喜真氏が2万7668票、志村氏が2万1811票だった。

 沖縄の主要選挙では一昨年の名護市長選以降、知事選、衆院選と、辺野古移設反対派が勝ち続けてきた。普天間飛行場の地元の首長選でこの流れが止まり、翁長氏の求心力低下につながる可能性もある。

 佐喜真氏は選挙戦で、普天間飛行場について「一日も早い閉鎖、撤去」を訴えつつ、辺野古移設の是非には言及しない姿勢に徹した。自民党の元閣僚ら多くの国会議員が応援に入ったが、安倍政権と佐喜真氏が一体視されるのを避けるため、水面下での支持集め中心で街頭に立たなかった。

 一方、志村氏は翁長氏との二人三脚で地域を回り、「普天間の無条件返還」「辺野古移設反対」を前面に訴えた。しかし、投票する際に辺野古移設問題を最重要視はしない有権者が一定数いるという地域事情も重なって、辺野古移設の是非を明確な争点にすることができなかった。

 翁長氏は選挙期間中、「(志村氏が)敗れれば、辺野古反対の民意は消えたと宣伝される」と危機感をあらわにしてきたが、「辺野古反対」に重心を置きすぎた戦略が裏目に出た面がある。「選挙で示された民意」を最大の後ろ盾として安倍政権と対立してきたが、今回の結果は6月の県議選、夏の参院選に影響する可能性もある。

 投票率は68・72%で、前回(63・90%)を上回った。

(朝日新聞デジタルより)


 ところで朝日といえば1月21日付オピニオン面に辺見庸のインタビューが出ていて、朝日新聞デジタル未登録者には冒頭部分しか読めないが、私は朝日を宅配で購読しているので読んだ。SEALDsを批判していることから、例によって木下ちがやに代表される旧「しばき隊」筋やらSEALDsシンパやら共産党シンパやらからやれ老害だのやれ暴走老人だのやれ新左翼だのやれ過激派だのやれ極左だのやれこれがあの辺見庸かだのといった悪罵を投げつけられているようだ。しかしその内容は辺見庸のブログ記事での痛烈なSEALDs批判を読んだ者からすると拍子抜けするくらいであり、今回のインタビューを機に、昨年来「積ん読」してあったのを読み始めている辺見の12年前(2004年)の著作『抵抗論―国家からの自由へ』(毎日新聞社)で展開されている小泉政権時代のイラク派兵反対デモに対する批判と、内容はほとんど変わらないと言って良い。しかし、イラク戦争に反対した頃の辺見庸は左翼から信奉されていたのに対し、今では悪罵が投げつけられている。私から見れば辺見庸は変わっておらず、変質したのは「左翼」の方だ。共産党も先般の天皇臨席通常国会開会式に出席するなど、このところ急に大きく変わった。

 辺見の『抵抗論』には、ちょっと驚くくらいオーソドックスな近代立憲主義肯定論が語られているくだりがあり、これを旧しばき隊・SEALDs・共産党シンパなどが宣伝するおどろおどろしい「過激派」云々の宣伝を真に受けている人が読むと意外に思うかもしれない。「過激派」云々の宣伝しか知らない人は、先入観を持たずに辺見庸の文章を読んでみてはどうかと思う。なお、『抵抗論』の読書メモは、近いうちに『kojitakenの日記』に公開する予定だ。

 予定で思い出したが、共産党の通常国会開会式を取り上げた前回の記事に、「スレ違い」ではあるが経済問題に関する多くのコメントが寄せられたが、読者数の少ないこのブログのコメント欄ではせっかくの議論も数十人オーダーにしか読まれずもったいないと思う。そこで、5年前に立ち上げたものの運営に行き詰まって更新が止まっているブログ『Nabe Party ~ 再分配を重視する市民の会』の後身となる共用ブログを立ち上げることを予定している。従来のブログは投稿のバリアが高かったので、新ブログではそのバリアを下げ、投稿者に記事を自由に書いてもらって、編集者(私)はこのブログのコメント欄と同じように記事の承認だけを行うというシンプルな形にするつもりだ。今週具体的な内容をアナウンスする予定だったが、こちらはちょっと作業が遅れていて、今週の金曜日までにはアナウンスできないかもしれない。

 気の滅入ることの多い今日この頃だが、どうにかして前を向いていきたいと思う今日この頃だ。
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 最近は週刊誌の立ち読みをほとんどしなくなっていたのだが、一昨日(16日)、たまたま本屋に置いてあった『サンデー毎日』と『週刊朝日』を覗いてみたら、どちらにも今年夏に行われる参院選の議席を予想する記事が出ていて、ともに自民党の圧勝と「安倍政権の改憲」に反対する野党(安倍政権以外であれば改憲を容認する政党を含む)の敗北を予想していた。安倍晋三が強気を貫き続けるのも道理だと思った。

 そういう議席予想になるのは、何も安倍政権が行っている政治が良いからではなく、野党がふがいないからであり、さらにいえば野党の支持者たちがふがいないからだ。

 最近特に私が気になって仕方がないのは、昨年末から今年初めにかけての共産党の2つの行い、つまり慰安婦問題をめぐる日韓合意に対する積極的評価と今年1月4日の天皇が臨席した通常国会開会式への共産党の出席をめぐる政権への反対者たちの沈黙だ。

 いつもいつもネガティブなことばかり書いているので、その反省も込めて今回は大いに称賛したいのが、いまや1日当たり数万件のページビューを誇る弁護士の宮武嶺(徳岡宏一朗)さんのブログ『Everyone says I love you !』の昨年12月25日付記事「共産党が『天皇陛下御臨席』の国会開会式に出席する方針に転換、本当にいいことなのか。」だ。長くなるが以下に引用する。赤字ボールドは引用者によるもので、特に共感した箇所だ。

 天皇の個性で政治が左右されたらいけないというのが象徴天皇制です。そもそも、国民主権と天皇制が併存するということ自体が妥協の産物なのに、そちらの現実に理念を合わせていたら、日米軍事同盟という現実に憲法解釈を合わせてしまうという、立憲主義破壊の集団的自衛権行使容認の解釈改憲も批判できなくなるでしょう。

 これを、共産党が安保法制反対など立憲主義という大事なものを守るために、妥協をしたもので、現実主義でいい、という人もいるでしょうが、こんな妥協をしても、1議席も増えないと思いますよ。

 天皇制に対する態度で投票行動を決めている人なんてそんなにいないですし、共産党が国会の開会式に出ないから、国民連合政権構想がとん挫しそうなわけでもないですしね。

 共産党は2004年の綱領改定により、天皇制について

「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」

との立場をとっており、これを踏まえ、志位氏は国会の開会式に

「出席した場合、『天皇制に反対する立場から欠席している』との要らぬ誤解を招くことなく、憲法順守のため改革を求める真意がよりストレートに伝わる」

と語ったというのですが、ぜんぜんストレートじゃありません。

 そんなに天皇制に反対しないということを表明することがいま大事でしょうか。

 なぜ2004年の新綱領から10年以上、開会式を欠席してきたのに、次回から出席するのでしょうか。
それは明仁天皇の言動が穏当だからだと志位さんも説明しています。

 しかしその発想は。天皇の政治的影響力を極力排除しようとした象徴天皇制にも反する発想なのです。

 それにしても、今年5月の通常国会の開会式には欠席したんでしょうに、いきなり来年からは出席しますとは急な話です。

 いつ決めたんだという質問に、12月21日の常任幹部会で一発で全員賛成で決まったというのですが、共産党のように権力が中央に集中している組織は決めることが早くて効率的なように見えて、危険ですね。

 こういう大事な問題は、下から積み上げて議論を尽くして方針転換したらどうなんでしょうか。

 いったん共産党のような中央集権組織が「右傾化」しだしたら、もう歯止めをかけるのは大変だろうなと危惧を抱いた事件でした。

(『Everyone says I love you !』 2015年12月25日付記事「共産党が『天皇陛下御臨席』の国会開会式に出席する方針に転換、本当にいいことなのか。」より)


 この記事のコメント欄を見ると、「反kojitaken」と思われるコメンテーターが、

この項の管理人様のご意見は、kojitaken風(笑)。でも確かにそうかも。今後、次の天皇が融和的じゃなくなった時、わしら天皇気に入らんからもう開会式出えへんねん、とは言えないだろう。

などと書いていたのに笑ってしまったが、私の「敵」であろうコメンテーター氏のご明察の通り、私の心の琴線に触れる記事だった。

 なお、私の天皇制に対するスタンスだが、基本的に廃止すべきだが、それは日本国民がもっと成熟してからの話であって、今憲法第1条から8条までに関する改憲論を持ち出しても、安倍晋三や自民党や日本会議に代表される反動・復古的改憲勢力にとって「飛んで火にいる夏の虫」にしかならないからという理由で、当面象徴天皇制の存続を容認する、というより護憲派の立場に立つ、というものだ。おそらく私の目の黒いうちに「日本国民が成熟する」ことなど想像できないから、今後もずっと護憲の立場からの象徴天皇容認論に立つと思っていただいて結構だ。こう考えるようになった理由は単純で、中学生の頃だったか、「なんで福沢諭吉も『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言っているのに、天皇制なるものが存在するのか、と思ったのがきっかけで、その後40年にわたってこの考えは変わっていない。現在の天皇・皇后の護憲的な立場は評価するが、それと天皇制とは別の話だと考えている。早い話、次の天皇も現天皇と同じようにリベラルに決まっているなどとは誰も保証できない。

 上記ブログ記事は大いに称賛に値するが、このような発言が「反安倍勢力」からなかなか出てこないことには大いに憂慮させられる。

 概してこの件で共産党を評価するのは、同じ反安倍の立場に立つ論者であっても保守系にカテゴライズされる者が大半だ。たとえば、元旦から明白な戦争責任のある昭和天皇を賛美したり、普段から民主党を中心にした「野党再編」(民主党と維新の党との合流も含まれると思われる)を熱望したり、時には橋下徹を評価してみたりするような明白な保守系のブログが、「野党共闘、連合政府構想に対する共産党の本気度を再認識した人も少なくなかったのではないだろうか」と書いた。共産党に投票する気など全くないくせに無責任な記事を書くなよ、と腹を立てたが(なお私自身は共産党の「民主集中制」に大反対であるにもかかわらず、最近は消去法で共産党に投票せざるを得ないことが大半だ。なお一昨年の東京都知事選のように、白票を投じる場合もある)、それでもこの件に言及した、つまり自分の立場を明確にしただけまだマシだ。

 もっと問題なのは、内心志位氏ら党執行部の方針に反対ないし不快感を持っているにもかかわらず沈黙してしまう人たちだ。党を離れたくない党員の場合はまだわかるが、そうでない単なる支持者の場合、さらには私のように共産党支持者ではないけれども共産党に投票する機会がある者の場合など、あとで挙げた者ほど反対意見を言い易いはずだ。それなのに反対意見がなかなか出てこない。一体どういうことか。彼らは何を「自粛」しているのか。野党支持者や「リベラル」はそこまで「同調圧力」に弱い人間ばかりなのか。等々、呆れるやら腹が立つやらで非常に気分が悪い。もちろん澤藤統一郎弁護士のように明確な反対論を述べた方もおられるが、澤藤弁護士は2014年の東京都知事選でも共産党推薦の宇都宮健児氏の不支持の論陣を打ち出して注目された人だ。それに対し、当時宇都宮氏を推し、最近ではSEALDsを手放しで持ち上げたような人たちの間から今回の共産党の転向に対する異論は出たかと言えば、中にはいるのかもしれないが思い当たらない。このていたらくでは、無党派層が「安倍政権の改憲」に反対する政党に投票する気が起きなくても仕方ないのではないか。物を言えない「リベラル」なんて自己矛盾もいいところであって、肩書きと中身が一致していないどころか正反対だ。

 実際問題、共産党の今回の転向が選挙における獲得議席にどう影響するかは、既に記事の冒頭で書いた週刊誌の参院選予想議席数に表れている。『サンデー毎日』を見ても『週刊朝日』を見ても、参院選での共産党の予想獲得議席数は、改選議席数は上回るものの、2013年の参院選からは伸びず、それどころか1議席減らすなどの数字である。宮武嶺さんが「こんな妥協をしても、1議席も増えない」という通りだ。もちろんこれらは政治評論家が丼勘定で弾いた数字に過ぎないが、時事通信が毎月発表する政党支持率の数字を見ても、共産党は昨年夏や秋と比較して政党支持率を落としており、なんと「安倍政権の改憲」を支持する立場の「おおさか維新の会」と同じ1.4%の政党支持率でしかない(他の政党では、民主党との合併が噂される維新の党が0.2%と、民主党に吸収される形での合併は不可避ではないかと思わせる数字になっているのが目立つ)。少なくとも通常国会界解析出席を含む共産党の昨今の「現実路線」が有権者から評価されていないどころか支持者離れを招いているといえそうだ。一方、社民党や生活の党と(以下略)は、0.1%とか0.2%が定番だったのが少し上向いている。政党支持率のコンマ以下の数字を議論する意味などないと言われればそれまでだが、「『現実路線』を打ち出した共産党など支持する価値なし」として、もともとの支持政党だった社民や生活に回帰した人もいるかもしれないとの印象論にどうしても傾いてしまう。それにしても各政党とも微々たる支持率しかない。

 それにしても状況が悪くなると自滅を招く悪手を繰り出す現象は昔から嫌というほど見てきたが、まさか「秀才揃い」の印象の強かった共産党までもがこの罠にはまるとは、少し前なら想像もつかなかった。

 本当に、何が起きるかわからない時代になった。
 通常国会が始まったが、国会論戦を取り上げた新聞記事やネットの議論を見ても、心に訴えてくるものはない。だから具体的な論戦を取り上げる気にはならなかった。ナンセンスとしか私には思われない軽減税率の話を書こうかと最初は思ったがやめた。

 昨年末に慰安婦問題の日韓合意があった。これに反対する極右が安倍政権を批判し、政権を退陣するデモまでをも行い、それを応援する極右ブログもあったようだが、読売新聞の世論調査で安倍内閣の支持率はまたしても上昇し、ついに5割の大台に乗せた。

 昨年8月に安倍晋三が「4つのキーワード」を形だけ盛り込みながら「村山談話」を骨抜きにしたばかりか「積極的平和主義」(=「自衛隊の海外での戦争への参戦」の言い換え)まで宣言した「安倍談話」を発表した時、安倍が「4つのキーワード」を盛り込んだことによって右翼の失望を買って内閣支持率が下がるだろうと取らぬ狸の皮算用をした「リベラル」がいたが、実際には内閣支持率が上がった。

 今回はさすがにそんな都合の良いことを考える「リベラル」はいなかったようだが、予想通り安倍内閣の支持率は上がった。北朝鮮の核実験(北朝鮮の自称「水爆実験」)も、安倍内閣支持率を押し上げる効果があったようだ。

 今考えているのは、どう考えても持続可能であろうはずもない、今の「復古自民党政治」がいつまで続くのか、その間日本はどうなるのかということだ。いつもいつも、1945年のような「リセット」が起きるとは限らない。暗鬱な反動の時代あるいは混乱の時代が何十年も続いても何の不思議もない。

 1989年11月にベルリンの壁が壊され、同年末にはルーマニアでチャウシェスク大統領が処刑された。その時、北朝鮮の体制(当時はまだ金日成が主席だった)もいつか崩壊するのではないかと思ったが、「金王朝」は祖父と父が死んで三代目の今も崩壊の兆しはなく、若い三代目が元気に(?)「水爆実験」をやらかす始末だ。

 北朝鮮にはもちろん「立憲主義」などないが、安倍晋三は「立憲主義が権力者を縛るという解釈は古い」と言い放ったことがある。自身は特に政治的に「色のついた」キャスターとも思われない国谷裕子氏が、2014年7月3日放送の「クローズアップ現代」で内閣官房長官の菅義偉に「他国の戦争に巻き込まれるのではないか」「憲法の解釈を変えていいのか」などと質問したことを根に持った安倍政権は、ついに国谷氏をキャスターから追放することに成功した。それを伝える朝日新聞記事の表現は結構生々しい。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1765P2J17UPQJ00K.html

NHK「クロ現」の国谷裕子さん降板へ 出演は3月まで
川本裕司
2016年1月8日05時45分

 NHKの報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子(くにやひろこ)キャスター(58)が降板することが7日、わかった。出演は3月までで、4月以降は、現在月~木曜の午後7時30分からの放送時間を午後10時に移し、番組名も「クローズアップ現代+(プラス)」にするという。

 国谷さんは1993年からキャスター。現在は1年契約で出演している。NHK関係者によると、クロ現を担当する大型企画開発センターは続投を強く求めたが、上層部は「内容を一新する」という方針を昨年末に決定。同センターを通じ、国谷さんにも契約を更新しない方針を伝えた。後任は同局アナウンサーを軸に検討しているという。

 国谷さんは「プロデューサーのみなさんが、編成枠が変わってもキャスターは継続したいと主張したと聞いて、これまで続けてきて良かったと思っている」と周囲に話しているという。(川本裕司)

(朝日新聞デジタルより)


 どう考えても、安倍晋三の息のかかった籾井勝人による強権発動だ。

 北朝鮮のように「粛清」されないだけマシだって?

 現政権が政敵の命までは奪わないのは、平和憲法によって、また立憲主義によって権力者の行動が縛られていたからに過ぎない。その縛りさえなければ、たとえば東条英機は自分に逆らう者に赤紙を出させて、敗色濃厚で戦死または餓死する可能性の高い激戦地に送り込んだりしたものだ。基本的に、権力者は何だってやる。反対者の命を奪うことが可能ならば、それを平然とやる。権力とは、人間とはそういうものだ。

 だから平和憲法は守らなければならない。また立憲主義をないがしろにしようとする安倍晋三のような人間は、一刻も早く権力の座から追い落とさなければならない。

 自衛隊を「国防軍」などにしてはならない。軍隊が守るのは国家であって国民ではないからだ。軍隊とはそういうものだ。だから「現実に合わせて個別的自衛権を守るために9条を変えて、自衛隊を国防軍にする」などと軽はずみに言ってはならない。

 だが安倍を倒す目処は今のところ全く立たない。
 2016年最初の公開。今年もよろしくお願いします。

 昨年(2015年)は夏から秋、秋から冬へと季節が進むにつれて暗さを増した年だった。戦争法(安保法)に対する反対論は、衆院での強行採決時にピークに達したが、8月の「安倍談話」あたりを境に、参院での採決を待たずして法案反対の気運はしぼんで行った。安倍政権は秋の臨時国会を開かなかったが、国民は安倍内閣の支持率上昇でそれに応えた。つまり秋の臨時国会を開かないという政府・与党の怠慢に、国民はあろうことかスタンディングオベーションで応えたようなものだった。

 結局通常国会が今日(1月4日)に開会されることになった。天皇が臨席する開会式には共産党も出席する。また同党の志位和夫委員長は、昨年末の慰安婦問題に関する日韓合意を「前進と評価」した(『しんぶん赤旗』より)。

 共産党員や共産党支持者はそれで良いと思っているのだろうか。

 昨年には、公明党の執行部が、安保法案を「違憲」と断じた長谷部恭男ら憲法学者に対して、同法案が合憲であるとして「理解を求めた」が、これにも、自らの支持政党が「平和の党」であると思ってきた公明党員や同党支持者には異論はないのだろうかと思った。安保法案反対のデモには一部の創価学会員たちも参加した。しかし、極右の安倍政権にコバンザメのようにくっつく公明党の姿勢は全く変わらなかった。

 2012年末の第2次安倍内閣発足以来、政治をめぐる言論は、この日本においては全体が大きく右傾したとしか言いようがない。特に一枚岩の2つの政党が大きく右傾した。また、「リベラル・左派」も、「右」への妙な物分かりの良さが目立つようになった。市井のブログやTwitterなどにもこの傾向が見られる。

 今年は戦争法(安保法)も施行される。戦争が始まり、自衛官に戦死者でも出た日には、戦争法反対論が盛り上がるどころか、逆に「敵」への報復を求める強硬論が声高に叫ばれ、安倍内閣支持率はますます上昇し、既に解釈改憲されている憲法は明文改憲されるのではないかと危惧される。

 しかし、安倍政権の政策が格別にうまく行っていたり、今後の成功が期待される決め手があったりするわけでもなんでもない。それは、安倍政権の応援団長格ともいえる読売新聞の元旦付社説を見てもわかる。それは特に経済政策で顕著だ。

 読売の社説は、何とかノミクスによる「経済再生は足踏み状態にある」とはっきり認めている。読売は、成長戦略が不十分だから、規制緩和を進めてTPPの活用をせよなどと説くが、自民党の最大の支持基盤である地方の保守層には全く説得力のない議論だろう。

 読売は、「低賃金で身分が安定しない非正規雇用では、将来に不安が残り、賃金が増えても消費を増やす気にならない」、「若年層を中心に非正規から正規雇用への転換を進めねばならない」と書く。これはその通りだと私も思うが、昨年読売新聞も賛成したに違いない改正労働者派遣法は、その正反対の方向性を持つ法律だ。

 さらに読売は、「原子力発電所の再稼働や新増設を着実に進める必要がある」などと書く。中曽根康弘や正力松太郎(元読売新聞社主にして、警視庁時代に起きた1923年の関東大震災の際に朝鮮人大虐殺を煽った極悪人)の時代からの惰性をそのまま続けよという主張だ。

 読売はあげくの果てには「政府は、2020年度に基礎的財政収支を黒字化する目標の実現へ、最近の税収増に気を緩めず、歳出効率化を進めるべきだ」と説く。財政再建至上主義と緊縮財政のすすめを力説するのだ。

 この読売の社説を読むと、敵の主張のあまりのしょぼさに拍子抜けする。敵にも勢いは全く感じられない。

 なぜ敵はこの程度なのに、右傾化の圧力はここまで強く、転向者が後を絶たないのか。国力の衰退と関係あるようには思われるが、打開策は思い浮かばない。誰にも思い浮かばないから今みたいな状態になっているのではないかとも思う。

 はっきり言って、今年の政治に期待するものは何もない。個として安倍晋三とその政権を否認するのはもちろんだが、それ以上のことを書いて自分自身を納得させることは、今はできない。