安倍晋三は来年(2016年)に憲法改正を狙う姿勢を明確にしてきた。昨日(22日)朝のTBSテレビ「サンデーモーニング」で岸井成格が警鐘を鳴らしていた。かつて「毎日新聞の社論を『護憲』から『論憲』に変えた」と言って威張っていたはずの岸井成格が、第1次安倍内閣時代とは打って変わって第2次安倍内閣以降「リベラル」側にプチ転向した、その理由は不明だが、2013年の特定秘密保護法案審議中に、岸井が若手記者だった頃の1972年に起きた「西山事件」(外務省機密漏洩事件)の思い出を刺激されたことも一因だろう。もっともそれ以前に、父の安倍晋太郎にはシンパシーを持っていた岸井が、安倍晋三を見限ったものと私はみている。
だが、70年代当時と今ではマスコミの布陣も大きく変わった。何より、1972年頃には毎日新聞と大してスタンスが変わらなかった読売が、79年の渡邉恒雄(ナベツネ)の論説委員長就任を機に右傾化を始め、現在ではすっかり「御用新聞」となった。そしてそのさらに右には、ネトウヨ御用達の産経がいる。
新聞よりさらに大きいのがテレビ媒体の支配で、特に安倍晋三が送り込んだNHK会長・籾井勝人やNHK経営委員・百田尚樹といった布陣のインパクトは大きかった。現在のNHKは、ジャーナリズムに求められる批判精神を完全に失い、国営放送さながら、いや「大本営発表」に近いのではないかと思われる惨状を呈している。
ここまで言論統制をしてしまえば、安倍晋三はもっとどっしりと構えそうなものだが、そんな気配は全くなく、安倍晋三やその一味は、とにかく早くゴール(改憲)にたどり着きたいと、しゃかりきになっているように見える。
たとえば先週は籾井勝人と民主党衆院議員・階猛との猛烈な怒鳴り合いがあった。また、やはり民主党衆院議員の玉木雄一郎が国会で西川公也農水相の政治献金問題を追及する質問を始めると、安倍晋三が突然「日教組、日教組!」と意味不明の野次を飛ばし始める異様な光景があった。翌日、その野次を改めて問題にした前原誠司も、安倍と激しくやり合った。
階猛、玉木雄一郎、前原誠司の3人は、いずれも揃って民主党のタカ派議員である。そんな人たちを離反させて、安倍晋三はいったい何をそんなに神経質になっているのかと不思議に思うほどだ。
かくも余裕のない姿を見ていると、安倍晋三は内心「自分の持ち時間は長くない」と思っているのではないかと思えてならない。
それは、一部で噂される健康不安というよりも、現在の自らの政権への追い風がいつまで続くかわからないという不安なのではないか。
勝手な想像だが、安倍晋三には、自らの政権が「砂上の楼閣」で実は脆いものだという自覚があるように思われる。それには根拠がないわけでもない。2005年の郵政総選挙圧勝の4年後に自民党が下野に追い込まれ、それに取って代わった民主党政権も、3年後には総選挙で大敗した。これらは、日本国民、というより選挙に投票した人たちのおよそ10%が投票行動を変えただけの結果だ。自分の政権もいつまで続くかわからないから、早いとこ宿願の憲法改正をやってしまおうというのが安倍の狙いだろう。
既に、安倍人気に便乗して成り上がった者の中にも、没落を始めた者もいる。百田尚樹である。
一昨日、百田の「ベストセラー」であるらしい『殉愛』(幻冬舎)の「嘘を暴いた」という宝島社の新刊『百田尚樹『殉愛』の真実』が書店に置いてあった。東京では、やしきたかじんは没後に有名になった芸能人という位置づけの人が多いと思われる。だから、この本が出版されることも私は知らなかったし、本を店頭に置いていない本屋も多いようだが、幸運にも私が入った本屋に置いてあったので早速買って読んだ。その感想文の一部は『kojitakenの日記』に連載の形で、「(1)」と「(2)」を書いた(続きも書くつもりだがまだ書いていない)。
ただ、この本でもっともセンセーショナルであると思われる「やしきたかじんの死を看取った三番目の妻」の正体については、上記感想文で少し触れたものの、基本的には些末事だと思っている。渦中の家鋪さくら氏には情状酌量の余地もある。それよりも私が問題にしたいのは、百田尚樹の「言論弾圧」的態度である。百田は、自らが出版社に利益をもたらす人気作家であることを利用して、自らにとって不利益な週刊誌の記事を掲載させないという圧力を雑誌編集部にかけた。一例を挙げると、「大阪が人を明るくするまちにしたい」との趣旨で、やしきたかじん肝煎りで設立された一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」のメンバーとの雑談で、百田は、「文春から、さくらさんに対する失礼な質問状がきたので、俺がすぐに圧力をかけて記事を潰した」と得意げに話していたらしい(前出『百田尚樹『殉愛』の真実』245頁)。
先日、「国境なき記者団」が発表した2015年版「報道の自由度ランキング」で、日本はおそらく調査が始まって以来最低と思われる61位にランキングされたが、百田尚樹による週刊誌の記事潰しなども、ランキングを下げた要因の一つだったに違いない。
一事が万事、すべてがこの調子である。政治に話を戻すと、国会で農水相・西川公也の政治献金疑惑を質問している最中に首相・安倍晋三に「日教組、日教組!」という野次を飛ばされた民主党衆院議員の玉木雄一郎は、すぐさま産経新聞に「民主・玉木氏団体に280万円」と書き立てられた。ネトウヨは「ミンス得意のブーメラン」と喜んだのも束の間、玉木雄一郎(私の好まない右派政治家ではあるが)の逆襲によって、ブーメランは産経に突き刺さったのだった(笑)。
この件の詳細は、「たまき雄一郎ブログ」の記事「権力とメディア」を参照していただきたいが、玉木氏の国会質問の報復として産経が、玉木氏を取材した現場の記者の本位に反してまで掲載した記事は、おそらく自民党からのリークだったと思われる。
私はかつて香川県に6年あまり住んでいたが、産経は行きつけのうどん屋に置いてあったのを昼食時にたまに見るだけで、それ以外の場所で産経を見かけた記憶は一切ない。香川県における産経の発行部数は、人口約100万人に対して、少し古いが2010年で7,568部しかない。つまり人口100人あたり1部にも満たないのだ(それでも、都道府県別の産経新聞発行部数のランキングにおいて、香川県は14位である。つまり、香川県よりもっと産経のシェアの低い道県が33もある)。だから香川県における産経の取材力は貧弱そのものだ。このことからも、また玉木氏自身がブログ記事で指摘する状況証拠からも、自民党によるリークである可能性がきわめて高い(なお朝日もこの件を後追いしているが、記事の中身もコメンテーターも産経とほぼ同一という手抜き記事である)。
最高権力者の安倍晋三と蜜月の百田尚樹は、自らの都合の悪い週刊誌の記事を、編集部に圧力をかけて潰させ、政権政党は都合の悪い質問をする国会議員に報復記事を御用メディアを使って流させる。その御用メディアの記者自身が、「上の判断で掲載することになりました。」、「個人的には掲載する必要はないと思います。」などと弁解する記事を、である。これでは、日本の「報道の自由度ランキング」が世界61位であるのもむべなるかな、であろう。いや、100位以下でも不思議はないのではないか。
ただ、安倍晋三のブレーンの一人である百田尚樹の化けの皮は、御用出版社・幻冬舎(ここの社長である見城徹は、政界に睨みの効くフィクサーにして安倍晋三にきわめて近い人間とのこと)から出版した、これまた安倍晋三を持ち上げて晩節を汚した芸能人・やしきたかじんゆかりの人間を持ち上げた「ベストセラー」に盛り込まれた数々の大嘘がもとで、勢いを大きく失った。既にNHK経営委員の退任も決まっており、百田は今後坂道を転げ落ちるような大転落を演じるだろう。5年後には百田の小説を読む人など誰もいなくなるのではないかと私は予想している。
もちろん安倍晋三にとっては百田尚樹の代わりなどいくらでもいるに違いないから、百田が大きな打撃を受けたところで、安倍晋三にとっては蚊に刺された程度のものですらない。しかし、安倍晋三自身もかつて得意の絶頂から失意のどん底へと突き落とされたこともあり、人心の移ろいやすさは誰よりも身にしみて知っているはずだ。
だから、今のうちにやりたいことをやってしまえ、と安倍晋三は思っているのだ。
今は、安倍晋三が国民に対して戦争を挑んでいる状態にほかならない。それも将棋の棒銀さながらの急戦だ。心ある国民は、全力で安倍晋三を迎え撃ち、これを倒さなければならない。
だが、70年代当時と今ではマスコミの布陣も大きく変わった。何より、1972年頃には毎日新聞と大してスタンスが変わらなかった読売が、79年の渡邉恒雄(ナベツネ)の論説委員長就任を機に右傾化を始め、現在ではすっかり「御用新聞」となった。そしてそのさらに右には、ネトウヨ御用達の産経がいる。
新聞よりさらに大きいのがテレビ媒体の支配で、特に安倍晋三が送り込んだNHK会長・籾井勝人やNHK経営委員・百田尚樹といった布陣のインパクトは大きかった。現在のNHKは、ジャーナリズムに求められる批判精神を完全に失い、国営放送さながら、いや「大本営発表」に近いのではないかと思われる惨状を呈している。
ここまで言論統制をしてしまえば、安倍晋三はもっとどっしりと構えそうなものだが、そんな気配は全くなく、安倍晋三やその一味は、とにかく早くゴール(改憲)にたどり着きたいと、しゃかりきになっているように見える。
たとえば先週は籾井勝人と民主党衆院議員・階猛との猛烈な怒鳴り合いがあった。また、やはり民主党衆院議員の玉木雄一郎が国会で西川公也農水相の政治献金問題を追及する質問を始めると、安倍晋三が突然「日教組、日教組!」と意味不明の野次を飛ばし始める異様な光景があった。翌日、その野次を改めて問題にした前原誠司も、安倍と激しくやり合った。
階猛、玉木雄一郎、前原誠司の3人は、いずれも揃って民主党のタカ派議員である。そんな人たちを離反させて、安倍晋三はいったい何をそんなに神経質になっているのかと不思議に思うほどだ。
かくも余裕のない姿を見ていると、安倍晋三は内心「自分の持ち時間は長くない」と思っているのではないかと思えてならない。
それは、一部で噂される健康不安というよりも、現在の自らの政権への追い風がいつまで続くかわからないという不安なのではないか。
勝手な想像だが、安倍晋三には、自らの政権が「砂上の楼閣」で実は脆いものだという自覚があるように思われる。それには根拠がないわけでもない。2005年の郵政総選挙圧勝の4年後に自民党が下野に追い込まれ、それに取って代わった民主党政権も、3年後には総選挙で大敗した。これらは、日本国民、というより選挙に投票した人たちのおよそ10%が投票行動を変えただけの結果だ。自分の政権もいつまで続くかわからないから、早いとこ宿願の憲法改正をやってしまおうというのが安倍の狙いだろう。
既に、安倍人気に便乗して成り上がった者の中にも、没落を始めた者もいる。百田尚樹である。
一昨日、百田の「ベストセラー」であるらしい『殉愛』(幻冬舎)の「嘘を暴いた」という宝島社の新刊『百田尚樹『殉愛』の真実』が書店に置いてあった。東京では、やしきたかじんは没後に有名になった芸能人という位置づけの人が多いと思われる。だから、この本が出版されることも私は知らなかったし、本を店頭に置いていない本屋も多いようだが、幸運にも私が入った本屋に置いてあったので早速買って読んだ。その感想文の一部は『kojitakenの日記』に連載の形で、「(1)」と「(2)」を書いた(続きも書くつもりだがまだ書いていない)。
ただ、この本でもっともセンセーショナルであると思われる「やしきたかじんの死を看取った三番目の妻」の正体については、上記感想文で少し触れたものの、基本的には些末事だと思っている。渦中の家鋪さくら氏には情状酌量の余地もある。それよりも私が問題にしたいのは、百田尚樹の「言論弾圧」的態度である。百田は、自らが出版社に利益をもたらす人気作家であることを利用して、自らにとって不利益な週刊誌の記事を掲載させないという圧力を雑誌編集部にかけた。一例を挙げると、「大阪が人を明るくするまちにしたい」との趣旨で、やしきたかじん肝煎りで設立された一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」のメンバーとの雑談で、百田は、「文春から、さくらさんに対する失礼な質問状がきたので、俺がすぐに圧力をかけて記事を潰した」と得意げに話していたらしい(前出『百田尚樹『殉愛』の真実』245頁)。
先日、「国境なき記者団」が発表した2015年版「報道の自由度ランキング」で、日本はおそらく調査が始まって以来最低と思われる61位にランキングされたが、百田尚樹による週刊誌の記事潰しなども、ランキングを下げた要因の一つだったに違いない。
一事が万事、すべてがこの調子である。政治に話を戻すと、国会で農水相・西川公也の政治献金疑惑を質問している最中に首相・安倍晋三に「日教組、日教組!」という野次を飛ばされた民主党衆院議員の玉木雄一郎は、すぐさま産経新聞に「民主・玉木氏団体に280万円」と書き立てられた。ネトウヨは「ミンス得意のブーメラン」と喜んだのも束の間、玉木雄一郎(私の好まない右派政治家ではあるが)の逆襲によって、ブーメランは産経に突き刺さったのだった(笑)。
この件の詳細は、「たまき雄一郎ブログ」の記事「権力とメディア」を参照していただきたいが、玉木氏の国会質問の報復として産経が、玉木氏を取材した現場の記者の本位に反してまで掲載した記事は、おそらく自民党からのリークだったと思われる。
私はかつて香川県に6年あまり住んでいたが、産経は行きつけのうどん屋に置いてあったのを昼食時にたまに見るだけで、それ以外の場所で産経を見かけた記憶は一切ない。香川県における産経の発行部数は、人口約100万人に対して、少し古いが2010年で7,568部しかない。つまり人口100人あたり1部にも満たないのだ(それでも、都道府県別の産経新聞発行部数のランキングにおいて、香川県は14位である。つまり、香川県よりもっと産経のシェアの低い道県が33もある)。だから香川県における産経の取材力は貧弱そのものだ。このことからも、また玉木氏自身がブログ記事で指摘する状況証拠からも、自民党によるリークである可能性がきわめて高い(なお朝日もこの件を後追いしているが、記事の中身もコメンテーターも産経とほぼ同一という手抜き記事である)。
最高権力者の安倍晋三と蜜月の百田尚樹は、自らの都合の悪い週刊誌の記事を、編集部に圧力をかけて潰させ、政権政党は都合の悪い質問をする国会議員に報復記事を御用メディアを使って流させる。その御用メディアの記者自身が、「上の判断で掲載することになりました。」、「個人的には掲載する必要はないと思います。」などと弁解する記事を、である。これでは、日本の「報道の自由度ランキング」が世界61位であるのもむべなるかな、であろう。いや、100位以下でも不思議はないのではないか。
ただ、安倍晋三のブレーンの一人である百田尚樹の化けの皮は、御用出版社・幻冬舎(ここの社長である見城徹は、政界に睨みの効くフィクサーにして安倍晋三にきわめて近い人間とのこと)から出版した、これまた安倍晋三を持ち上げて晩節を汚した芸能人・やしきたかじんゆかりの人間を持ち上げた「ベストセラー」に盛り込まれた数々の大嘘がもとで、勢いを大きく失った。既にNHK経営委員の退任も決まっており、百田は今後坂道を転げ落ちるような大転落を演じるだろう。5年後には百田の小説を読む人など誰もいなくなるのではないかと私は予想している。
もちろん安倍晋三にとっては百田尚樹の代わりなどいくらでもいるに違いないから、百田が大きな打撃を受けたところで、安倍晋三にとっては蚊に刺された程度のものですらない。しかし、安倍晋三自身もかつて得意の絶頂から失意のどん底へと突き落とされたこともあり、人心の移ろいやすさは誰よりも身にしみて知っているはずだ。
だから、今のうちにやりたいことをやってしまえ、と安倍晋三は思っているのだ。
今は、安倍晋三が国民に対して戦争を挑んでいる状態にほかならない。それも将棋の棒銀さながらの急戦だ。心ある国民は、全力で安倍晋三を迎え撃ち、これを倒さなければならない。
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昨日(2/15)、租税回避地(タックス・ヘイブン)に国籍地を持つ有名人として、モナコ国籍を取得した元プロサッカー選手の中田英寿(とプロテニス選手のクルム伊達公子)の例を挙げた記事を『kojitakenの日記』に書いた。さらにその関連記事を書いたら、そちらがはてなの「ホッテントリ」になった。それは、2010年に書かれた中田英寿の「節税」に関するブログ記事を引用・紹介しただけの記事なのだが、私はその記事に「中田英寿と『永遠の旅人』と租税逃れと」というタイトルをつけた。タイトルのせいかどうかわからないが、アクセス数が集中する記事になった。
私は、自ら書いた記事についた「はてなブックマーク」のコメントは原則として読まない。だが、コメント欄に投稿された文章は、それがいかなネトウヨや「小沢信者」の手になるコメントだろうが読む。「はてブ」に何を書いても私には伝わらない(もちろん例外はある)。それは、もうほとんど「はてブ」(はてなブックマーク)がつかなくなったこのブログの記事についてもいえる。だから、私に読んでほしいコメントのある人は、「はてブ」ではなくブログのコメント欄に書いてほしい。
中田英寿個人に関しては、私は特に悪感情は持っていない。ただ、とかく「違う世界の話」として人々の関心が薄いと思われる税制やタックスヘイブンについて、現にそれを利用している有名人である中田英寿(やクルム伊達公子)の実名をあげて、世の人々の関心を多少なりとも喚起したいという意図はあった。
それにしても「ピケティ・ブーム」で呆れるのは、経済学に関係する人たちの「我田引水」ぶりだ。日本の経済学関連の人たちでいうと、例の安倍晋三の名前を冠した「経済学」(?)の是非に関して、リフレや金融緩和を是としない人たちも、はたまた金融政策さえやっておけば税制や財政政策などどうでも良いと言わんばかりの人たちも、みんながみんな「ピケティの言っていることは我々と同じだ(あるいは『矛盾しない』)あいつらが言っていることは間違いだ」と言って「我田引水」に走る。ピケティが何を言おうが私は私、という気骨のある人がなぜかくも少ないのかと愕然とする。
「トリクルダウン」や「××ノミクス」に関する質問は、ピケティは来日して(来日する前から)何度となく浴びせかけられて、もう聞きたくもないとうんざりしたのではないか。私が確信しているのは、ピケティは何も金融政策を否定するものではないが、かといって財政政策や税制よりも金融政策を偏重する安倍政権の経済政策も是とはしないだろうということだ。実際ピケティはそういうことを語っている。
それならそれでいいじゃん。なんでわざわざ「ピケティ氏の理論を都合よく“編集”した言説にはご注意を」などと言って、「ピケティの言い分は俺と違わないんだ」と強弁したがるのか、私にはさっぱり理解できない。「彼は彼、俺は俺」とどうして言えないのか。
一方で、「経済学者」たちは、われわれ素人に対してバカ高い障壁を築く。いや、素人に対してだけではない。「経済学者」同士で「お前はマクロ経済学を理解していない」などとなじり合いをしている。そして両者の主張は正反対だったりする。部外者から見ると、彼らはいったい何をやっているのかと思ってしまう。
このあたりは正否が自然現象や実験事実によって実証される理系の世界とは全然違う。工業技術であれば製品化の可能性がないと判断されると開発は中止される。自然科学のアカデミズムについて私は門外漢だが、昨年大きな問題になった小保方晴子らによる「STAP細胞」は、最終的に「再現」できなかった(一度も実現できなかったのではないかと疑われるが)ことによって成果が全否定されたといえるだろう。「STAP細胞」や韓国の黄禹錫による「ヒト胚性幹細胞捏造事件」(2005年)のような再生医療関係だけではなく、物理学でも2002年に捏造が発覚した、ヤン・ヘンドリック・シェーンの「有機物の高温超伝導」のような事例があった。
それに対し、経済学では、現象がモデルに合っているかどうかを検証することが難しいせいかもしれないが、理論(仮説)に現実が合致しなくても、それが仮説が間違っていたせいだと認めたがらない傾向が強すぎるように思う。そして、経済学の場合は特に時の政治権力と結びつく傾向が強いせいか、政権や強者(大企業や富裕層など)に都合の良い理論が受け入れられやすいようにも見受けられる。
かくして、経済学者に対する不信感が強まる一方の今日この頃なのである。
私は、自ら書いた記事についた「はてなブックマーク」のコメントは原則として読まない。だが、コメント欄に投稿された文章は、それがいかなネトウヨや「小沢信者」の手になるコメントだろうが読む。「はてブ」に何を書いても私には伝わらない(もちろん例外はある)。それは、もうほとんど「はてブ」(はてなブックマーク)がつかなくなったこのブログの記事についてもいえる。だから、私に読んでほしいコメントのある人は、「はてブ」ではなくブログのコメント欄に書いてほしい。
中田英寿個人に関しては、私は特に悪感情は持っていない。ただ、とかく「違う世界の話」として人々の関心が薄いと思われる税制やタックスヘイブンについて、現にそれを利用している有名人である中田英寿(やクルム伊達公子)の実名をあげて、世の人々の関心を多少なりとも喚起したいという意図はあった。
それにしても「ピケティ・ブーム」で呆れるのは、経済学に関係する人たちの「我田引水」ぶりだ。日本の経済学関連の人たちでいうと、例の安倍晋三の名前を冠した「経済学」(?)の是非に関して、リフレや金融緩和を是としない人たちも、はたまた金融政策さえやっておけば税制や財政政策などどうでも良いと言わんばかりの人たちも、みんながみんな「ピケティの言っていることは我々と同じだ(あるいは『矛盾しない』)あいつらが言っていることは間違いだ」と言って「我田引水」に走る。ピケティが何を言おうが私は私、という気骨のある人がなぜかくも少ないのかと愕然とする。
「トリクルダウン」や「××ノミクス」に関する質問は、ピケティは来日して(来日する前から)何度となく浴びせかけられて、もう聞きたくもないとうんざりしたのではないか。私が確信しているのは、ピケティは何も金融政策を否定するものではないが、かといって財政政策や税制よりも金融政策を偏重する安倍政権の経済政策も是とはしないだろうということだ。実際ピケティはそういうことを語っている。
それならそれでいいじゃん。なんでわざわざ「ピケティ氏の理論を都合よく“編集”した言説にはご注意を」などと言って、「ピケティの言い分は俺と違わないんだ」と強弁したがるのか、私にはさっぱり理解できない。「彼は彼、俺は俺」とどうして言えないのか。
一方で、「経済学者」たちは、われわれ素人に対してバカ高い障壁を築く。いや、素人に対してだけではない。「経済学者」同士で「お前はマクロ経済学を理解していない」などとなじり合いをしている。そして両者の主張は正反対だったりする。部外者から見ると、彼らはいったい何をやっているのかと思ってしまう。
このあたりは正否が自然現象や実験事実によって実証される理系の世界とは全然違う。工業技術であれば製品化の可能性がないと判断されると開発は中止される。自然科学のアカデミズムについて私は門外漢だが、昨年大きな問題になった小保方晴子らによる「STAP細胞」は、最終的に「再現」できなかった(一度も実現できなかったのではないかと疑われるが)ことによって成果が全否定されたといえるだろう。「STAP細胞」や韓国の黄禹錫による「ヒト胚性幹細胞捏造事件」(2005年)のような再生医療関係だけではなく、物理学でも2002年に捏造が発覚した、ヤン・ヘンドリック・シェーンの「有機物の高温超伝導」のような事例があった。
それに対し、経済学では、現象がモデルに合っているかどうかを検証することが難しいせいかもしれないが、理論(仮説)に現実が合致しなくても、それが仮説が間違っていたせいだと認めたがらない傾向が強すぎるように思う。そして、経済学の場合は特に時の政治権力と結びつく傾向が強いせいか、政権や強者(大企業や富裕層など)に都合の良い理論が受け入れられやすいようにも見受けられる。
かくして、経済学者に対する不信感が強まる一方の今日この頃なのである。
前回の記事の公開後、ヨルダン軍のパイロット、ムアーズ・カサースベ中尉を「イスラム国」(IS)が惨殺した映像を公開した。その残虐さは度を超えている。ISは有志連合の空爆に対抗しているだけだと言う向きもあるが、同意できない。有志連合の空爆もISの蛮行もともに強く非難すべきだと私は思う。ISの蛮行は全く許されるものではない。
カサースベ中尉の殺害は、1月3日に既に行われていたとヨルダンは発表したが、中尉を焼き殺した残忍な映像をISが公開したのは、ヨルダン国王の訪米のタイミングを狙ったものであった。
これで思い出されるのは、湯川遥菜、後藤健二両氏の身代金を要求するビデオをISが公開したのは、安倍晋三が中東を歴訪している最中であって、しかも安倍晋三はイスラエルでダビデの星を象った同国国旗を背にしてテロリストたちを非難するメッセージを発する羽目に追い込まれた。そういうタイミングになるようISが狙ったとしか解釈できない。
安倍晋三の中東歴訪の直前、保守派の論客である青山繁晴が「安倍総理はネタニヤフと仲の良いところを見せつけるな」とラジオで言っていたが、まさに「ネタニヤフと仲良くしている」ところを狙った理由は、アラブ諸国に「日本はイスラエルの仲間なんだぞ」とアピールする狙いがあったと見なければならない。人質を抱えている時に、保守派の論客の助言を振り切って、わざわざ「アメリカさえも手を焼く右傾した政権」のボス・ネタニヤフに会いに行った安倍晋三と外務省の失態というほかない。
安倍晋三に人質を救出する気など最初からなく、殺されたら殺されたで報復を宣言して「テロとの戦い」に突き進もうと思っていたことは明らかだが、自らの中東歴訪のさなかに人質の身代金要求の動画が公開されたのは安倍晋三にとって誤算だったに違いない。
安倍晋三は、湯川・後藤両氏が「イスラム国」に拘束されていることは当然知っていた。しかるに安倍晋三は国会で、「残念ながら、われわれは、20日以前の段階では『イスラム国』という特定もできなかった」と述べ(NHKニュースより)、朝日新聞も抜け抜けと「政府が早期に2人の拘束を把握する一方、『イスラム国』の犯行だと断定できなかったこともわかった」と書いた。
これに関して、昨日(8日)放送されたTBS『サンデーモーニング』でコメンテーターの岸井成格は、「日本人人質映像が公開されるまで、政府が『イスラム国』と特定できなかった」とという安倍晋三の答弁について「あり得ない」と断言した。当然だ。
もっとも、NHKニュースを見ると、上記の発言に先立って安倍は「日本人2人が人質となっており、『イスラム国』かどうかは定かではなかったが、それも排除されないという分析はしていた」と言っているから、いざとなったら「『イスラム国』の仕業だろうと考えていたが、断定はできなかったのだ」と言い訳できるように、「特定」という言葉を用いて答弁したことがわかる。こんなものは単なる言葉のあやであって、実際には安倍晋三も外務省も『イスラム国』の犯行であることは昨年10月末には知っていたのである。
この日本人人質事件について、外務省は人質拘束に関する情報を逐一官邸に官邸に報告していたことが知られている。ただ、真偽のほどは確かではないが、ISが人質の動画をネットにアップする前には、外務省内でも「自己責任論」が強く、人質解放にはさして熱心に動いていなかったともいわれている。一方で、故後藤健二氏は日本政府のエージェントだったとする陰謀論を唱える者もいるが、私は信じていない。陰謀論を唱えるのは自由だが、その挙証責任は言い出しっぺにあると指摘しておく。言いっ放しのままなら、それは現在ではすっかり下火になった「9.11陰謀論」と同レベルでしかなく、早晩誰からも相手にされなくなるに違いない。
私はただ、「20日以前には『イスラム国』のしわざだったとは特定できなかった」と言い、それに関連する書類を「特定秘密」にしておけば逃げ切れると高をくくり、その一方でテロリストに「罪を償わさせる」と発言して "revenge" と英訳された安倍晋三という人間にますます我慢できなくなっただけである。なお安倍晋三が発した「罪を償わさせる」という表現は、ATOKで仮名漢字変換を行おうとすると「《さ入れ表現》」と表示されることからもわかるように、明らかに日本語の標準的な文法から外れているが、かつてブッシュ(ドラ息子の方)が発する英語の文法が間違いだらけだと指摘されたことが思い出される。
そのブッシュから安倍晋三は「政権を批判する者はテロリストを支援する者だ」という論法を借用していると指摘されている。かつてヨーロッパの最高指導者には教養人が多く、日本でも大平正芳や宮澤喜一と話すと哲学的な話になると、これはナベツネ(渡邉恒雄)が回顧録で語っていたことだ。ナベツネはそれに対し、岸信介と話しても哲学の話にはならないので、この人は本当の教養人ではないと思った、などと言っていたのだが、岸信介は哲学には興味が薄くとも政治経済の古典は読み込んでいた(そのあげくに岸が傾倒したのが、国家社会主義者にして「2.26事件」実行犯たちの理論的支柱・北一輝だったが)。安倍晋三にはそれすらなく、暇を見ては「2ちゃんねる」だのそれをまとめた「保守速報」だのを見ては悦に入っている程度の人間だ。その知性は、ブッシュにも劣るかもしれない。
この男が政権を維持する期間が長引けば長引くほど、日本国民が受けるダメージは日々大きくなり、そこから回復する道は険しくなる一方だと思うのだが、そうは思わない人間が約半分いるのがこの国の現状らしい。しかし、「この国は滅びる」などと言って匙を投げる趣味は私にはない。
たとえどれほど力のない「蟷螂の斧」であろうとも、安倍晋三とその政権の打倒を目指すのみである。
カサースベ中尉の殺害は、1月3日に既に行われていたとヨルダンは発表したが、中尉を焼き殺した残忍な映像をISが公開したのは、ヨルダン国王の訪米のタイミングを狙ったものであった。
これで思い出されるのは、湯川遥菜、後藤健二両氏の身代金を要求するビデオをISが公開したのは、安倍晋三が中東を歴訪している最中であって、しかも安倍晋三はイスラエルでダビデの星を象った同国国旗を背にしてテロリストたちを非難するメッセージを発する羽目に追い込まれた。そういうタイミングになるようISが狙ったとしか解釈できない。
安倍晋三の中東歴訪の直前、保守派の論客である青山繁晴が「安倍総理はネタニヤフと仲の良いところを見せつけるな」とラジオで言っていたが、まさに「ネタニヤフと仲良くしている」ところを狙った理由は、アラブ諸国に「日本はイスラエルの仲間なんだぞ」とアピールする狙いがあったと見なければならない。人質を抱えている時に、保守派の論客の助言を振り切って、わざわざ「アメリカさえも手を焼く右傾した政権」のボス・ネタニヤフに会いに行った安倍晋三と外務省の失態というほかない。
安倍晋三に人質を救出する気など最初からなく、殺されたら殺されたで報復を宣言して「テロとの戦い」に突き進もうと思っていたことは明らかだが、自らの中東歴訪のさなかに人質の身代金要求の動画が公開されたのは安倍晋三にとって誤算だったに違いない。
安倍晋三は、湯川・後藤両氏が「イスラム国」に拘束されていることは当然知っていた。しかるに安倍晋三は国会で、「残念ながら、われわれは、20日以前の段階では『イスラム国』という特定もできなかった」と述べ(NHKニュースより)、朝日新聞も抜け抜けと「政府が早期に2人の拘束を把握する一方、『イスラム国』の犯行だと断定できなかったこともわかった」と書いた。
これに関して、昨日(8日)放送されたTBS『サンデーモーニング』でコメンテーターの岸井成格は、「日本人人質映像が公開されるまで、政府が『イスラム国』と特定できなかった」とという安倍晋三の答弁について「あり得ない」と断言した。当然だ。
もっとも、NHKニュースを見ると、上記の発言に先立って安倍は「日本人2人が人質となっており、『イスラム国』かどうかは定かではなかったが、それも排除されないという分析はしていた」と言っているから、いざとなったら「『イスラム国』の仕業だろうと考えていたが、断定はできなかったのだ」と言い訳できるように、「特定」という言葉を用いて答弁したことがわかる。こんなものは単なる言葉のあやであって、実際には安倍晋三も外務省も『イスラム国』の犯行であることは昨年10月末には知っていたのである。
この日本人人質事件について、外務省は人質拘束に関する情報を逐一官邸に官邸に報告していたことが知られている。ただ、真偽のほどは確かではないが、ISが人質の動画をネットにアップする前には、外務省内でも「自己責任論」が強く、人質解放にはさして熱心に動いていなかったともいわれている。一方で、故後藤健二氏は日本政府のエージェントだったとする陰謀論を唱える者もいるが、私は信じていない。陰謀論を唱えるのは自由だが、その挙証責任は言い出しっぺにあると指摘しておく。言いっ放しのままなら、それは現在ではすっかり下火になった「9.11陰謀論」と同レベルでしかなく、早晩誰からも相手にされなくなるに違いない。
私はただ、「20日以前には『イスラム国』のしわざだったとは特定できなかった」と言い、それに関連する書類を「特定秘密」にしておけば逃げ切れると高をくくり、その一方でテロリストに「罪を償わさせる」と発言して "revenge" と英訳された安倍晋三という人間にますます我慢できなくなっただけである。なお安倍晋三が発した「罪を償わさせる」という表現は、ATOKで仮名漢字変換を行おうとすると「《さ入れ表現》」と表示されることからもわかるように、明らかに日本語の標準的な文法から外れているが、かつてブッシュ(ドラ息子の方)が発する英語の文法が間違いだらけだと指摘されたことが思い出される。
そのブッシュから安倍晋三は「政権を批判する者はテロリストを支援する者だ」という論法を借用していると指摘されている。かつてヨーロッパの最高指導者には教養人が多く、日本でも大平正芳や宮澤喜一と話すと哲学的な話になると、これはナベツネ(渡邉恒雄)が回顧録で語っていたことだ。ナベツネはそれに対し、岸信介と話しても哲学の話にはならないので、この人は本当の教養人ではないと思った、などと言っていたのだが、岸信介は哲学には興味が薄くとも政治経済の古典は読み込んでいた(そのあげくに岸が傾倒したのが、国家社会主義者にして「2.26事件」実行犯たちの理論的支柱・北一輝だったが)。安倍晋三にはそれすらなく、暇を見ては「2ちゃんねる」だのそれをまとめた「保守速報」だのを見ては悦に入っている程度の人間だ。その知性は、ブッシュにも劣るかもしれない。
この男が政権を維持する期間が長引けば長引くほど、日本国民が受けるダメージは日々大きくなり、そこから回復する道は険しくなる一方だと思うのだが、そうは思わない人間が約半分いるのがこの国の現状らしい。しかし、「この国は滅びる」などと言って匙を投げる趣味は私にはない。
たとえどれほど力のない「蟷螂の斧」であろうとも、安倍晋三とその政権の打倒を目指すのみである。
先週に続いて、重い気分で記事を書かざるを得ない週の初めとなった。まるで、日本の日曜日の朝を暗くすることを狙ったかのような「イスラム国」(IS)によって、湯川遥菜氏に続いて後藤健二氏も殺害された。心からお二方のご冥福をお祈りする。
このブログと『kojitakenの日記』とを通じて、私は「テロは言語道断だ」とは意識的に書かずにきた。そんな当たり前のことをいちいち断らなければ文章を書けない空気を作る片棒を担ぎたくなかったからだ。だが、事件が大きな区切りを迎えたので、今回はその当たり前のことを断っておく。いかなる理由があれ、テロが許されないことは当然だ。
ただ、一部に蔓延している下記の主張にははっきり反対しておきたい。その主張とは、「今は政府の対応を見守るべきであって、政府批判はテロリストを助けるだけだ」という主張だ。私が『kojitakenの日記』に書いた一連の記事も、「似非サヨクのなんやらかんやら」などと非難された。とんでもない話である。
今回はたまたまテロリストに拘束されたのは2人だけだったが、これが何人も、何十人もの人質がテロリストに拘束されていて、人質解放の交渉が五月雨式に行われているとしよう。その場合、上記の理屈に立てば、全員の人質が釈放されるなり全員殺されるなり、あるいはその中間の結果になるなりして事態が最終的に確定するまで、国民は政府批判が何もできなくなってしまう。そんな馬鹿な話があるかと声を大にして言いたい。
湯川遙菜氏については、24日に既に最悪の結果が出た。このタイミングで、湯川氏を救出するために政府が何をやったか、何をやらなかったのかを総括すべきであるのは当然である。しかし、湯川氏が殺害されたあと後藤氏が脅迫された状態だけが継続した時、湯川氏の死はろくに語られずに放置された観すらあった。果たしてそんなことで良かったのか。
思い出すことが1つある。それは、4年前の東日本大震災の翌日、日本中を震撼させた東電原発事故のことだ。私は、原発の炉心溶融が懸念される事態になるや否や、直ちに東電批判の声を挙げたが、国民の多くはあれほどのおおごとになるとは思わなかったのか、「今は東電批判を控えて、東電の対応を見守るべきだ」という批判を受けた。私はその時、「何を言うか、今東電を批判せずしていつ批判するのか」と応じた。その後、東電の初動に大きな問題があったことがわかり、原発事故勃発の一報を知るや否や直ちに東電を批判したことは間違いではなかったと思った。
今回もそれと同じである。湯川遙菜氏については、24日に明白な結果が出たのだから、後藤健二氏の拘束への影響を意識しながらも、最低限の安倍政権批判は必要だったと思う。そして、後藤氏についても最悪の結果が出た今は、後藤氏が拘束された昨年10月末以来、いや、湯川氏が拘束された昨年8月以来、安倍政権は何をやって何をやらなかったのか、厳しく検証される必要がある。
もっとも、その検証が今回の記事のメインテーマではない。そのような検証であれば、適任者はいくらでもいて、良い記事を書く人が出てくるだろう。私にはその能力はないので、そのような記事の出現に期待したい。
今回の記事の主題としたいのは、前回の記事の最後に触れた、自己責任論と「村八分」あるいは阿部謹也流の「世間」との関係である。
前回の記事を書いたあと、ネットを見回してみると、「自己責任論」に対して、私がやったような「『村八分』あるいは阿部謹也の言う『世間』だ」という指摘の他にも、いろいろな「自己責任論」批判が見られた。批判者の中には、新自由主義的主張で知られる人たちも少なからずいた。たとえば、ビッグイシュー・オンライン編集部がまとめた「日本のおかしな『自己責任論』に対するたくさんの反論」の冒頭にある、finalvent氏のTwitterもその例だ。
2004年のイラク人質事件の時とは状況が違う。あの頃は、読売新聞やその系列のテレビ局が、狂ったように「自己責任論」を連呼していた。適当な検索語でネット検索をかければ、当時の読売(産経も同様だったが読売はよりひどかった)の狂った記事の数々に今も接することができる。当時はナベツネ(渡邉恒雄)が今と違って元気だったから、ナベツネ自らが書いた狂った社説もあったかもしれない。読売系のメディアでは、大阪・読売テレビのニュース番組のキャスター・辛坊治郎がひどかった。その辛坊がのちの2013年に、ヨット太平洋横断中に遭難して救助されたあと、過去のイラク人質事件における「自己責任論」を蒸し返されていたことが思い出される。
今回も、主にネトウヨが湯川・後藤両氏に浴びせた「自己責任」の罵声はすさまじかったが、読売は、自紙が応援する安倍晋三が抱いているであろう「テロとの戦い」による集団的自衛権行使の野望に配慮してか、10年前のような「自己責任論」は唱えていないようだ。現在の読売の真意がどこにあるかも問題だが、かつてネトウヨの「自己責任論」を、世界最大の発行部数を誇るといわれる読売新聞が大々的に煽ったことは今なお問われるべきだし、そもそもあの時は小泉純一郎が率先して「自己責任論」を唱えていた。その小泉は、イラク戦争に加担した責任を未だに総括していない。そんな小泉が、「脱原発派」に転じたからと言って嬉々として歓迎した一部の「リベラル」ともども、改めて批判されるべきであろう。
湯川・後藤両氏に浴びせたネトウヨの「自己責任論」について言えば、「イスラム国」が湯川氏を殺害したあと、要求を後藤氏とヨルダンに収監されている死刑囚との交換に切り替えると、ネトウヨは今度は「ヨルダンに迷惑をかけるな」と言い出した。だが、実際にヨルダンに迷惑をかけたのは「イスラム国」であって、後藤氏ではなかった。ああいう言いぐさを見ていると、ネトウヨこそテロリスト集団である「イスラム国」の最大の応援団ではないかと、厭味の一つも言いたくなった。しかも、「人様に迷惑をかけるな」と聞くと、いかにも日本のイエ的あるいはムラ的な物言いと思わせる。おかげで、「自己責任論は『村八分』あるいは阿部謹也流の『世間』の論理」だという私の仮説の確からしさにますます確信を強めてしまった。
自己責任論はこれくらいにして、テロへの対応の件に移るが、今回の人質事件を通じて改めて思い知らされたことがいろいろあった。たとえば人質の奪回について、米軍がイスラム国に拘束されたヨルダン軍のパイロット、ムアーズ・カサースベ氏の奪回作戦を1月2日に行ったものの失敗したことを知った。手練れであろう米軍を持ってしても、軍事的手段による人質奪回はうまくいかなかったのだ。安倍晋三は自衛隊に実力で人質救出作戦を実行させたくてたまらないようだが、非現実的であると断定せざるを得ない。それに、実力での人質奪還のような、自衛隊員をリスクに晒すことは、「自己責任論」に凝り固まった、安倍晋三最大の応援団であるところのネトウヨが許してくれまい。
この場合の安倍晋三の「テロとの戦い」とネトウヨの「自己責任論」の齟齬はたまたまで、両方とも間違っているとしか言いようがない。安倍の「テロとの戦い」など、さらなるテロを生み出すだけである。安倍晋三が会見を拒否したと伝えられる後藤健二氏の母親・石堂順子さんも「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはならないと信じます」と語った。しかし安倍晋三は石堂さんの気持ちを踏みにじるかのように、テロリストに「罪を償わせる」と吼えた。
しかしここは、2013年のシリアのアサド政権攻撃、2003年のイラク戦争、1991年の湾岸戦争(第1時イラク戦争とも)やそれに先立つ1990年のイラクによるクウェート占領、さらにはイラン・イラク戦争でアメリカがイランを叩くためにサダム・フセインという怪物を育てた80年代に遡ってそれ以来の歴史を概観し、ここ30年あまりの間にアメリカが中東で何をやってきてどういう結果に終わったかを思い返すべきである。深く考えるまでもなく、アメリカがずっと行ってきた軍事力に頼った方法は成果を挙げるどころか現地に混乱と不幸を招いただけだったことは明らかだ。
日本にはかつて、特に田中角栄内閣時代に起きた第4次中東戦争が思い出されるが、アメリカとは一線を画した中東外交を行ってきた実績があった。私は孫崎享や「小沢信者」が言うような、「田中角栄はアメリカの虎の尾を踏んで失脚した」という陰謀論は退けるが(図に乗った孫崎は、その後岸信介や佐藤栄作をも賞揚するという言語道断の挙に出た)、当時と比較して、小泉純一郎や安倍晋三が、自ら日本をテロの対象にしてしまう愚かな選択をしているとは確かに思う。
第二次安倍内閣の最初の頃は、安倍晋三は中国や韓国との関係を悪化させる方向にばかり走って、それがアメリカの不興を買っていた。安倍晋三はその一方で、オバマにシリア空爆の支持を表明するよう要請されたが、首を縦に振らなかったと報じられた。2013年9月のことである。
当時私は、安倍晋三は中東にかかわるより中韓と喧嘩したいのかと思ったが、安倍晋三というのも結構コロコロ方針を変える人間である。安倍政権の円安誘導政策の影響もあって、昨年(2014年)は中国から日本を観光に訪れる人(主に富裕層と言われる)が急増した。日中関係はまだまだ悪いとはいえ、日中戦争にアメリカを巻き込むという、かつて石原慎太郎が熱望したシナリオは、どうやらアメリカの協力が望み薄のため実現不能として棚上げになっている気配を感じる。
そういえば、昨年の総選挙について、「リベラル」派のブロガーの中には、安倍晋三のお仲間である次世代の党が惨敗したのは安倍にとって大誤算だったなどと書いている人がいた。しかしそれは間違いである。次世代の党の政党支持率や過去のたちあがれ日本の参院選における得票のデータなどが頭に入っていれば、次世代の党が2議席しか獲得できないことなど容易に予想できるし、現に私は昨年11月21日に『kojitakenの日記』に書いた「石原慎太郎が実は『落選確実』であることに今頃気づいた(恥)」の中で、
その後、マスコミの調査で次世代の党に投票すると答える人が増えてきたり、同党が田母神俊雄を担ぎ出したりしたので、少々弱気になって予想議席を「2〜5議席」に後退させたが、蓋を開けてみると「平沼赳夫と園田博之のたった2人だけの当選」という一番最初に書いた予想がもっとも正しかった、というよりドンピシャだった。私にしてみれば、次世代の党の実力(平時の政党支持率)通りの結果が出たという感想である。
以上に書いた、素人の私にさえ容易に見通して予想を的中させることのできた次世代の党の惨敗は、当然プロの政治集団である自民党も予想していたはずである。私はもともと、総理総裁が平沼赳夫に思想信条の近い安倍晋三だから、次世代の党は自民党に吸収されて、各候補は選挙区は既に埋まっているから無理としても、比例代表の候補として処遇されるのではないかと予想し、これを恐れていた。しかし自民党はそうはしなかった。私が内心ほくそ笑んだことは言うまでもない。
これはつまり、自民党は次世代の党のような、というより石原慎太郎が持論としていた対中国の冒険主義的路線を受け入れないと決断したのだと私は解釈している。孫崎享の言い方を借りれば、安倍晋三の外交スタンスが、2013年にシリア空爆支持を見送った頃のような「自主独立」路線から、小泉時代のような「対米従属」に回帰したといえるかもしれない。それには、中韓との衝突はアメリカが許さないけれども、中東の「テロとの戦い」への参加には、アメリカは大歓迎であるという事情もあるのではないかと思われる。
安倍晋三が石原慎太郎をどう思っているかは知らないが、平沼赳夫を極右思想を共有する同志として敬愛していることは間違いないと思う。しかし、総裁の権威を持ってしても、次世代の党を仲間に引き入れることはできなかった。あるいは安倍自身、次世代の党を引き入れるつもりなど最初からなかった可能性がある。どうせ平沼赳夫自身の当選は堅いのだから、その他の有象無象は必要ないと安倍が考えても不思議はない。
そのいずれの場合にしても、次のことだけは絶対に間違いないと断言できる。それは、安倍晋三は次世代の党の惨敗にショックなど全く受けていない。当然その結果を予想していたはずだということだ。
そして、安倍は欧米とともに「テロとの戦い」に参加する気満々だ。もっとも、自民党の政治家の多くは、「テロとの戦い」のために自衛隊を中東に送ることには消極的だと聞く。もちろんそれが正常であって、異常なのは安倍晋三の方である。
今回、湯川遥菜・後藤健二両氏を救出できなかったことを含めて、安倍政権が国民の命を守ることなどできないばかりか、むざむざ自らの手で国民の命をリスクに晒す無能な政権であることがはっきりした。
この政権は絶対に倒さなければならないと言いたいところだが、残念ながら安全保障問題でこの政権が倒れる期待は薄いように思う。政権が倒れるとすれば、経済政策に行き詰まったあげくということになるのではないか。現在の日本国民に、安全保障問題で安倍政権を倒せる力があるとはあまり思われない。だからといって政権に抗うのをやめるわけにはいかないけれども。
このブログと『kojitakenの日記』とを通じて、私は「テロは言語道断だ」とは意識的に書かずにきた。そんな当たり前のことをいちいち断らなければ文章を書けない空気を作る片棒を担ぎたくなかったからだ。だが、事件が大きな区切りを迎えたので、今回はその当たり前のことを断っておく。いかなる理由があれ、テロが許されないことは当然だ。
ただ、一部に蔓延している下記の主張にははっきり反対しておきたい。その主張とは、「今は政府の対応を見守るべきであって、政府批判はテロリストを助けるだけだ」という主張だ。私が『kojitakenの日記』に書いた一連の記事も、「似非サヨクのなんやらかんやら」などと非難された。とんでもない話である。
今回はたまたまテロリストに拘束されたのは2人だけだったが、これが何人も、何十人もの人質がテロリストに拘束されていて、人質解放の交渉が五月雨式に行われているとしよう。その場合、上記の理屈に立てば、全員の人質が釈放されるなり全員殺されるなり、あるいはその中間の結果になるなりして事態が最終的に確定するまで、国民は政府批判が何もできなくなってしまう。そんな馬鹿な話があるかと声を大にして言いたい。
湯川遙菜氏については、24日に既に最悪の結果が出た。このタイミングで、湯川氏を救出するために政府が何をやったか、何をやらなかったのかを総括すべきであるのは当然である。しかし、湯川氏が殺害されたあと後藤氏が脅迫された状態だけが継続した時、湯川氏の死はろくに語られずに放置された観すらあった。果たしてそんなことで良かったのか。
思い出すことが1つある。それは、4年前の東日本大震災の翌日、日本中を震撼させた東電原発事故のことだ。私は、原発の炉心溶融が懸念される事態になるや否や、直ちに東電批判の声を挙げたが、国民の多くはあれほどのおおごとになるとは思わなかったのか、「今は東電批判を控えて、東電の対応を見守るべきだ」という批判を受けた。私はその時、「何を言うか、今東電を批判せずしていつ批判するのか」と応じた。その後、東電の初動に大きな問題があったことがわかり、原発事故勃発の一報を知るや否や直ちに東電を批判したことは間違いではなかったと思った。
今回もそれと同じである。湯川遙菜氏については、24日に明白な結果が出たのだから、後藤健二氏の拘束への影響を意識しながらも、最低限の安倍政権批判は必要だったと思う。そして、後藤氏についても最悪の結果が出た今は、後藤氏が拘束された昨年10月末以来、いや、湯川氏が拘束された昨年8月以来、安倍政権は何をやって何をやらなかったのか、厳しく検証される必要がある。
もっとも、その検証が今回の記事のメインテーマではない。そのような検証であれば、適任者はいくらでもいて、良い記事を書く人が出てくるだろう。私にはその能力はないので、そのような記事の出現に期待したい。
今回の記事の主題としたいのは、前回の記事の最後に触れた、自己責任論と「村八分」あるいは阿部謹也流の「世間」との関係である。
前回の記事を書いたあと、ネットを見回してみると、「自己責任論」に対して、私がやったような「『村八分』あるいは阿部謹也の言う『世間』だ」という指摘の他にも、いろいろな「自己責任論」批判が見られた。批判者の中には、新自由主義的主張で知られる人たちも少なからずいた。たとえば、ビッグイシュー・オンライン編集部がまとめた「日本のおかしな『自己責任論』に対するたくさんの反論」の冒頭にある、finalvent氏のTwitterもその例だ。
2004年のイラク人質事件の時とは状況が違う。あの頃は、読売新聞やその系列のテレビ局が、狂ったように「自己責任論」を連呼していた。適当な検索語でネット検索をかければ、当時の読売(産経も同様だったが読売はよりひどかった)の狂った記事の数々に今も接することができる。当時はナベツネ(渡邉恒雄)が今と違って元気だったから、ナベツネ自らが書いた狂った社説もあったかもしれない。読売系のメディアでは、大阪・読売テレビのニュース番組のキャスター・辛坊治郎がひどかった。その辛坊がのちの2013年に、ヨット太平洋横断中に遭難して救助されたあと、過去のイラク人質事件における「自己責任論」を蒸し返されていたことが思い出される。
今回も、主にネトウヨが湯川・後藤両氏に浴びせた「自己責任」の罵声はすさまじかったが、読売は、自紙が応援する安倍晋三が抱いているであろう「テロとの戦い」による集団的自衛権行使の野望に配慮してか、10年前のような「自己責任論」は唱えていないようだ。現在の読売の真意がどこにあるかも問題だが、かつてネトウヨの「自己責任論」を、世界最大の発行部数を誇るといわれる読売新聞が大々的に煽ったことは今なお問われるべきだし、そもそもあの時は小泉純一郎が率先して「自己責任論」を唱えていた。その小泉は、イラク戦争に加担した責任を未だに総括していない。そんな小泉が、「脱原発派」に転じたからと言って嬉々として歓迎した一部の「リベラル」ともども、改めて批判されるべきであろう。
湯川・後藤両氏に浴びせたネトウヨの「自己責任論」について言えば、「イスラム国」が湯川氏を殺害したあと、要求を後藤氏とヨルダンに収監されている死刑囚との交換に切り替えると、ネトウヨは今度は「ヨルダンに迷惑をかけるな」と言い出した。だが、実際にヨルダンに迷惑をかけたのは「イスラム国」であって、後藤氏ではなかった。ああいう言いぐさを見ていると、ネトウヨこそテロリスト集団である「イスラム国」の最大の応援団ではないかと、厭味の一つも言いたくなった。しかも、「人様に迷惑をかけるな」と聞くと、いかにも日本のイエ的あるいはムラ的な物言いと思わせる。おかげで、「自己責任論は『村八分』あるいは阿部謹也流の『世間』の論理」だという私の仮説の確からしさにますます確信を強めてしまった。
自己責任論はこれくらいにして、テロへの対応の件に移るが、今回の人質事件を通じて改めて思い知らされたことがいろいろあった。たとえば人質の奪回について、米軍がイスラム国に拘束されたヨルダン軍のパイロット、ムアーズ・カサースベ氏の奪回作戦を1月2日に行ったものの失敗したことを知った。手練れであろう米軍を持ってしても、軍事的手段による人質奪回はうまくいかなかったのだ。安倍晋三は自衛隊に実力で人質救出作戦を実行させたくてたまらないようだが、非現実的であると断定せざるを得ない。それに、実力での人質奪還のような、自衛隊員をリスクに晒すことは、「自己責任論」に凝り固まった、安倍晋三最大の応援団であるところのネトウヨが許してくれまい。
この場合の安倍晋三の「テロとの戦い」とネトウヨの「自己責任論」の齟齬はたまたまで、両方とも間違っているとしか言いようがない。安倍の「テロとの戦い」など、さらなるテロを生み出すだけである。安倍晋三が会見を拒否したと伝えられる後藤健二氏の母親・石堂順子さんも「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはならないと信じます」と語った。しかし安倍晋三は石堂さんの気持ちを踏みにじるかのように、テロリストに「罪を償わせる」と吼えた。
しかしここは、2013年のシリアのアサド政権攻撃、2003年のイラク戦争、1991年の湾岸戦争(第1時イラク戦争とも)やそれに先立つ1990年のイラクによるクウェート占領、さらにはイラン・イラク戦争でアメリカがイランを叩くためにサダム・フセインという怪物を育てた80年代に遡ってそれ以来の歴史を概観し、ここ30年あまりの間にアメリカが中東で何をやってきてどういう結果に終わったかを思い返すべきである。深く考えるまでもなく、アメリカがずっと行ってきた軍事力に頼った方法は成果を挙げるどころか現地に混乱と不幸を招いただけだったことは明らかだ。
日本にはかつて、特に田中角栄内閣時代に起きた第4次中東戦争が思い出されるが、アメリカとは一線を画した中東外交を行ってきた実績があった。私は孫崎享や「小沢信者」が言うような、「田中角栄はアメリカの虎の尾を踏んで失脚した」という陰謀論は退けるが(図に乗った孫崎は、その後岸信介や佐藤栄作をも賞揚するという言語道断の挙に出た)、当時と比較して、小泉純一郎や安倍晋三が、自ら日本をテロの対象にしてしまう愚かな選択をしているとは確かに思う。
第二次安倍内閣の最初の頃は、安倍晋三は中国や韓国との関係を悪化させる方向にばかり走って、それがアメリカの不興を買っていた。安倍晋三はその一方で、オバマにシリア空爆の支持を表明するよう要請されたが、首を縦に振らなかったと報じられた。2013年9月のことである。
当時私は、安倍晋三は中東にかかわるより中韓と喧嘩したいのかと思ったが、安倍晋三というのも結構コロコロ方針を変える人間である。安倍政権の円安誘導政策の影響もあって、昨年(2014年)は中国から日本を観光に訪れる人(主に富裕層と言われる)が急増した。日中関係はまだまだ悪いとはいえ、日中戦争にアメリカを巻き込むという、かつて石原慎太郎が熱望したシナリオは、どうやらアメリカの協力が望み薄のため実現不能として棚上げになっている気配を感じる。
そういえば、昨年の総選挙について、「リベラル」派のブロガーの中には、安倍晋三のお仲間である次世代の党が惨敗したのは安倍にとって大誤算だったなどと書いている人がいた。しかしそれは間違いである。次世代の党の政党支持率や過去のたちあがれ日本の参院選における得票のデータなどが頭に入っていれば、次世代の党が2議席しか獲得できないことなど容易に予想できるし、現に私は昨年11月21日に『kojitakenの日記』に書いた「石原慎太郎が実は『落選確実』であることに今頃気づいた(恥)」の中で、
と断言したのである。つまり、次世代の党で衆院選の当選があり得るのは、平沼赳夫と園田博之のたった2人しかいない。現時点における次世代の党の予想獲得議席数は「最大2議席」なのだ。
その後、マスコミの調査で次世代の党に投票すると答える人が増えてきたり、同党が田母神俊雄を担ぎ出したりしたので、少々弱気になって予想議席を「2〜5議席」に後退させたが、蓋を開けてみると「平沼赳夫と園田博之のたった2人だけの当選」という一番最初に書いた予想がもっとも正しかった、というよりドンピシャだった。私にしてみれば、次世代の党の実力(平時の政党支持率)通りの結果が出たという感想である。
以上に書いた、素人の私にさえ容易に見通して予想を的中させることのできた次世代の党の惨敗は、当然プロの政治集団である自民党も予想していたはずである。私はもともと、総理総裁が平沼赳夫に思想信条の近い安倍晋三だから、次世代の党は自民党に吸収されて、各候補は選挙区は既に埋まっているから無理としても、比例代表の候補として処遇されるのではないかと予想し、これを恐れていた。しかし自民党はそうはしなかった。私が内心ほくそ笑んだことは言うまでもない。
これはつまり、自民党は次世代の党のような、というより石原慎太郎が持論としていた対中国の冒険主義的路線を受け入れないと決断したのだと私は解釈している。孫崎享の言い方を借りれば、安倍晋三の外交スタンスが、2013年にシリア空爆支持を見送った頃のような「自主独立」路線から、小泉時代のような「対米従属」に回帰したといえるかもしれない。それには、中韓との衝突はアメリカが許さないけれども、中東の「テロとの戦い」への参加には、アメリカは大歓迎であるという事情もあるのではないかと思われる。
安倍晋三が石原慎太郎をどう思っているかは知らないが、平沼赳夫を極右思想を共有する同志として敬愛していることは間違いないと思う。しかし、総裁の権威を持ってしても、次世代の党を仲間に引き入れることはできなかった。あるいは安倍自身、次世代の党を引き入れるつもりなど最初からなかった可能性がある。どうせ平沼赳夫自身の当選は堅いのだから、その他の有象無象は必要ないと安倍が考えても不思議はない。
そのいずれの場合にしても、次のことだけは絶対に間違いないと断言できる。それは、安倍晋三は次世代の党の惨敗にショックなど全く受けていない。当然その結果を予想していたはずだということだ。
そして、安倍は欧米とともに「テロとの戦い」に参加する気満々だ。もっとも、自民党の政治家の多くは、「テロとの戦い」のために自衛隊を中東に送ることには消極的だと聞く。もちろんそれが正常であって、異常なのは安倍晋三の方である。
今回、湯川遥菜・後藤健二両氏を救出できなかったことを含めて、安倍政権が国民の命を守ることなどできないばかりか、むざむざ自らの手で国民の命をリスクに晒す無能な政権であることがはっきりした。
この政権は絶対に倒さなければならないと言いたいところだが、残念ながら安全保障問題でこの政権が倒れる期待は薄いように思う。政権が倒れるとすれば、経済政策に行き詰まったあげくということになるのではないか。現在の日本国民に、安全保障問題で安倍政権を倒せる力があるとはあまり思われない。だからといって政権に抗うのをやめるわけにはいかないけれども。