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きまぐれな日々

 今年最後の記事。ふだん月曜日の更新だが、今週は飛び石連休を口実にして休んだ。しかし来週はもう年末年始休暇の時期で、その次となると、来年は今年までやっていた元旦付の挨拶のエントリはもう止めようと思っているので、1月5日付になって、前回、衆院選投開票日翌日の12月15日付記事から3週間も間隔が空いてしまう。そこで、その間1度は記事を上げておこうと考えた次第。といっても、維新の党と民主党の連携を批判するだけの、言ってみればどうでも良い内容である。

 今年の衆院選では選挙戦の最後の最後に、思わぬアンダードッグ効果があった。それは維新の党の思わぬ「健闘」(この言葉はあまり使いたくないが)だった。衆院選では当初から維新の苦戦が予想され、選挙戦が進むにつれてその傾向は顕著になった。このところの衆院選で中盤戦の情勢を報じている毎日新聞が維新の議席を24議席程度と予測したのに続き、朝日新聞は終盤選の予想で序盤戦の予想から維新の議席を下方修正して、やはり20議席台と予想した。だがそこからわずか数日で維新が盛り返し、大阪で劣勢と見られたいくつかの選挙区で自民に競り勝ち、終わってみれば解散前と比較してわずか1議席減の41議席を獲得したのだった。比例ブロックでも、維新は15.72%の得票率を記録した。これは20.38%の前回よりは大幅に下落しているものの、普段マスコミが発表する政党支持率では、維新はいつも1%前後であることを思えば、平時の政党支持率と得票率に差があり過ぎる。

 選挙では、特定の支持政党を持たない人(私もその1人である)でも、棄権や白紙投票でもない限り、どこかの政党に投票するしかない。「特に支持政党はないけれど、どれかを選ぶなら維新」という人が、想像を絶して多いようだ。2000年代前半の民主党にも同じような傾向があり、2003年の衆院選や2004年の参院選では、あれだけ普段の政党支持率が低い政党が、なぜ国政選挙になると自民党と張り合えるのか不思議だった。しかし、その当時の民主党でさえ、平時の政党支持率が1%そこそこということはなかった。維新の党とは、まさに「『風』だけが頼り」の政党だ。

 その維新の党にちょっとした変化が起きた。橋下徹が共同代表を「一時的に」退いたのである。但し橋下が同党を「離党」したわけではなく、読売新聞などは来春の統一地方選後の代表復帰の線で調整していると報じている。とはいえ、政治の世界においては口約束ほどあてにならないものはない。

 橋下や松井一郎にとっては、来年の統一地方選ほど大事な選挙はないのは事実だろう。その重要性は公明党にとっての統一地方選の重みの比ではない。安倍晋三による年末の解散総選挙は、統一地方選に影響しないという公明党の意を受けたものだと言われているが、橋下にとっても「渡りに舟」だったかもしれない。橋下は選挙戦最終日に「敗北宣言」をして注目を集め、票を掘り起こして苦戦の伝えられた大阪の小選挙区で5議席を獲得するなど、トータルでも前回総選挙より13議席減らしたものの、解散前と比べてわずか1議席減らしただけの41議席を獲得した。しかし、維新の勢いが確実に落ちていることは、比例代表の得票率が大幅に下落したことからも明らかだ。

 実は、2011年の統一地方選でも、大阪維新の会は苦戦を伝えられながら、いざ蓋を開けてみると強さを発揮し、選挙に勝った。それは、名古屋(愛知)で勢いを失った河村たかしの「減税日本」と好対照をなした。

 しかし、その時と比較しても現在は、維新の党同様大阪維新の会も支持を失っている。だから、今度の統一地方選は橋下にとっては伸るか反るかの大勝負であることは間違いない。そんな時に維新の党の共同代表なんかやってられるかというのはおそらく掛け値なしの本音だろう。

 ともあれ、橋下は維新の党の共同代表を「一時」離れた。以下これを報じる朝日新聞記事を引用する。『kojitakenの日記』の12月23日付記事「橋下、維新の党代表辞任を表明」に同じURLの記事を記録したが、その後記事が書き加えられるなどしたらしく、中身がずいぶん変わっている。
http://www.asahi.com/articles/ASGDR52CQGDRUTFK001.html

橋下氏、維新代表を辞任 都構想や統一地方選に当面専念

 維新の党の橋下徹代表(大阪市長)は23日の党執行役員会で、辞任を表明した。大阪都構想や来年4月の統一地方選の準備に専念するため。一時的に党の中枢から離れるもので、執行役員会で了承された。維新の代表は江田憲司衆院議員が1人で務める。

 松井一郎幹事長(大阪府知事)の辞任も決まった。執行役員会では橋下、松井両氏が「都構想の実現に専心したいので、いったん職をひきたい」と発言。「統一選後、すみやかに元の職に戻ってもらいたい」という意見が相次いだという。

 橋下氏は2012年9月に維新の党の前身の「日本維新の会」を結党。石原慎太郎氏らと合流した直後の一時期を除き、維新のトップを続けてきた。衆院選では公示前勢力から1減の41議席を獲得。執行部の責任を問う声はなく慰留もされたが、統一選優先という橋下氏の意向は強かった。

 役職を離れる期間について、松井氏は記者団に「当面の間」と説明。その上で「必要とされれば国のために戦い抜きたい」と、統一選後に復帰する可能性を示唆した。橋下氏は最高顧問、松井氏は顧問に就き、後任の幹事長は松野頼久国会議員団会長が兼務する。橋下代表、松井幹事長という地域政党「大阪維新の会」の体制は変わらない。

 橋下氏は対立する公務員労働組合が支援し、都構想に反対する民主党との連携に否定的だが、江田氏に党運営が委ねられることで当面は民主党との連携が深まりそうだ。

(朝日新聞デジタル 2014年12月24日00時17分)


 記事の末尾は朝日に限らず新聞記事によくあるいやらしい書き方だが、これを書いた朝日の記者が民主党と江田憲司率いる維新との連携を期待していることは明らかだ。さる「リベラル」のブログにも、橋下・松井抜きの江田維新と民主党の連携を待望する記事が上がっていたのを見かけた。

 しかし、9年前の「郵政総選挙」投開票日に小泉純一郎を持ち上げる社説を掲載した、新自由主義色の強い朝日新聞はともかく、同じ頃に小泉の郵政総選挙とその後の「小泉独裁」を批判していたはずの「リベラル」ブログまでもが民主と江田維新との共闘を期待するなど、いったい何を考えているのかと言いたい。

 江田憲司は、政治思想的には右翼色は薄いが、強烈な新自由主義者である。総選挙における維新の党のスローガンは「身を切る改革」だった。このスローガンといい、党首討論における江田憲司の発言といい、救い難い「ネオリベ」だなあと改めて思った。橋下徹も総選挙のテレビ討論に登場したが、極端な「経済右派」という点においては、江田憲司と橋下徹は同程度との感想を持った。

 そんな江田維新と民主党が国政で協調すると、鵺的な民主党の経済政策は、「経済右派」側に大きく引き寄せられるのではないか。つまり、安倍政権の経済政策の弊害として今後深刻になると思われる「格差の拡大」に歯止めをかけるどころかこれを助長する可能性が高いと思う。

 なお私は、来年1月に行われる民主党代表選で細野豪志か前原誠司が勝てば、民主と維新の合流の可能性が強まると思っていたが、人材の払底した党の中間派ないしリベラル派は、どうやら新自由主義者ではあるが維新との合流には前向きでない岡田克也を推すような気配で、その場合民主と維新との合流は当面先送りされる。とはいえ岡田克也は括弧付きの「リベラル」からさえほど遠い政治家であり、今後民主党の経済政策が「経済右派」寄りになることはほぼ確実だろうと私は見ている。

 まあ総選挙に投票した民意が維新を惨敗から救ったとしか言いようがない選挙結果だから、それも必然の流れなのかもしれないが。どの政党も支持しないが、あえてどこかに投票するなら、と消去法で維新を選んだ有権者は相変わらず多かったのだ。民主党は、一度政権運営に失敗したから、有権者の「民主アレルギー」は強い。維新はまだ国政で政権運営をしたことがないから、幻想が残っているのだろう。私が思い出すのは、一度も権力の頂点に立たなかったことを最大の強みとして、「剛腕信仰」で多くの「信者」を集めた小沢一郎である。

 しかし、かつて自由党時代に「根強い」と思わせた小沢一郎の人気も、東日本大震災・東電原発事故の際に逃げ出す臆病さを見せながら「菅降ろし」に血道を上げた頃から急下降し、今や政党要件の維持に汲々とするまでに落ちぶれた。橋下徹も江田憲司もいずれ同じように凋落すると私は予想しているが、そんな人たちが牛耳る維新の党との協調を重視する民主党が、そうでなくとも怪しかった経済政策をますます「経済右派」寄りに舵を切ると思うと嫌になる。

 そうなると、またぞろ「希望は、戦争」という声が出始めるのではないか。赤木智弘の場合はレトリックだったが、本気でそう思い始める人たちが増えるかもしれない。

 「橋下抜き」であろうとなかろうと、民主党と維新の党との連携は「地獄への道」であるとしか私には思われない。
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 正直言って、今回ほど気分の乗らない衆院選は、選挙権を持って以来初めてか、これと比較するとすれば、「政治改革」に否定的な意見を持っていて、内心自民党の健闘を期待していた当時の1993年(とはいえこの時も自民党候補には投票しなかったのだが)くらいしか思い出せない。なんでこんな時期に選挙なんかやらなきゃいけないんだよという不満を持ちつつ投票した。非自民系無党派層の一員だが、前回に引き続いて今回も、小選挙区・比例代表ともに共産党に投票したことを最初に明記しておく。但し熱心な共産党支持者には申し訳ないけれども、消去法による選択であることも申し添えておく。

 結果はあまりにも当たり前の自民党の圧勝だった。民主党は議席を増やしたとはいえ党代表の海江田万里の落選に象徴される大苦戦だった。対照的に、維新の党は議席を減らしたとはいえ、事前のマスコミの予想と比較するとはるかに多くの議席を獲得し、ほぼ解散前の議席を維持した。維新から分かれた次世代の党が惨敗し、前回「日本未来の党」で惨敗した生活の党もさらなる惨敗を喫したことを思うと、維新のしぶとさは異常だ。

 この選挙でせめてもの救いは、共産党が解散前の倍以上である21議席に躍進したことと、非自民共闘で沖縄県知事選を制した沖縄で自民が全敗したくらいのものだろう。選挙結果の概略はそんなところだ。

 こうして選挙が終わってみると、朝日・毎日や政治評論家(鈴木哲夫など)や「リベラル」ブロガーらが推奨した「野党共闘」は、維新の党を助けて、民主党内にあって少なくとも「右派」ではなかった海江田万里を(私は全くといって買っていなかったとはいえ)落選させるほどの大きなダメージを与えただけだったと言わざるを得ない。海江田は既に辞意を表明しており、民主党代表選が行われることになるだろうが、右派の政治家が代表に就任して、維新の党の一部だか全部だかと合流して、名実ともに保守政党として本当の「自公の補完勢力」になる可能性が高い。そうなると、党勢はますます下がっていくだろう。

 そもそも民主党は、小選挙区制を中心とした選挙制度において、第一党の自民党と比較すれば圧倒的に不利だけれど、第三党の維新の党と比較すれば圧倒的に有利だった。そんなことは自明である。しかるに、民主党が、朝日・毎日両紙や鈴木哲夫ら政治評論家や「リベラル」系の政治ブログのあと押しを一見得たような形で、維新の党に譲歩しまくったばかりか、競合しているはずの自民党を利するばかりで、民主党にとっては何の利益もなかった維新の党との「野党共闘」にかまけていた。

 その危うさを、私は公示直前の頃あたりから再三指摘・警告をしてきた。たとえば、『kojitakenの日記』では下記の文章を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141207/1417924022

 こうして、維新に過大な譲歩をした東京の民主党は、今回惨敗する可能性が極めて高い。なにしろ、マスコミの情勢調査報道を見る限り、上記「得票力の高い」と書いた長島や松原らでさえ、小選挙区で負ける可能性がある。海江田万里や菅直人には、長島や松原よりももっと苦戦が予想されているので、海江田や菅には、比例復活も果たせず落選する可能性が高まってきたのではないかと私は見ている。比例復活の枠を長島や松原らが占めてしまうと自動的にそうなるわけだ。そうなると、民主党代表選が行われ、保守派の政治家が民主党代表に就任することは目に見えている。その場合、民主と維新が丸ごと合流する可能性が高まる。

 上記は最悪のシナリオだが、そんな可能性を孕んだ「野党共闘」を、「リベラル」派と目される朝日・毎日両紙や政治評論家や政治ブロガーたちは応援してきたわけだ。その責任はきわめて重いと思う。

(『kojitakenの日記』 2014年12月7日付記事「東京(東日本)で維新が弱いワケ/東京の民主『リベラル』候補落選の可能性が高まる」より)


 そうは書いたものの、まさか海江田万里が本当に落選するとは思わなかった。正直言って菅直人の方が落選するだろうと予想していたのだが、菅はまたしても比例で復活した(小沢一郎ともども、もう政界への影響力は全くないのに、本人の生命力は本当にしぶとい)。私が問題視した東京6区は、下馬評に反して自民の越智隆雄はやはり「落ちた顔」の異名を取るだけあって選挙に弱く、維新の落合貴之は越智の約8割の得票を得て比例復活の議席を獲得してしまった。なるほど、江田憲司が「この選挙区を寄越せ」と強硬に要求したのも道理だ。海江田がこのような、民主党にとっても金城湯池であるに違いない選挙区を気前よく維新にくれてやったことが、民主の伸び悩みと維新の党勢維持のみならず、海江田自身の落選という結果につながったといえるだろう。これで民主党が近く選ばれるであろう保守派の新代表の下、維新との統合を目指す右派路線を歩む恐れがますます強まった。

 維新は、そんな民主の自滅に助けられたこともあるが、前回の総選挙で維新に投票した人たちが、維新苦戦が報じられてから重い腰を上げた効果もどうやらあったらしく、当初予想されたほどの惨敗にはならなかった。活性が低く、比較的政治に関心の薄い、橋下徹が言うところの「ふわっとした民意」を持つ層へのアピール力は、維新にまだ残っていたともいえるし、「野党共闘」のキャンペーンなんかもそれを助長したように私などには思われる。とにかく、マスコミが予想し、私も期待していた「20議席台」どころか、41議席もの大量の議席を維新が議席を確保しやがったことは、私にとっては「いまいましい結果」以外の何物でもない。

 そして、「野党共闘」を応援したり、『日刊ゲンダイ』や政治評論家・鈴木哲夫の甘い予想にいい気になっていた「リベラル」系の政治ブロガーが、自民党300議席超の圧勝を予想した新聞の情勢調査報道が出るやいなや、「国民が何を考えているのかわからない」などと国民批判をやらかし始めたことには腹が立った。ベテランブロガーをしてそんな「政治音痴」でどうする、と怒りが収まらなかった。こんなブロガーに国民(有権者)を批判する資格などない。何より必要なのは自己批判だろうと思った。

 公示前に『毎日新聞』に掲載された政治評論家たちの議席予想記事を読んだ時にも思ったことだが、衆院選の議席数が、あたかも得票率に比例するかのような思い込みを持っている人間が多すぎる。NHKの開票速報を参照すると、自民党の各ブロックにおける得票率は、北海道30%、東北33%、北関東35%、南関東34%、東京32%、北陸信越36%、東海33%、近畿29%(維新26%)、中国38%、四国35%、九州34%である。「保守王国」としてしばしば「リベラル」系のメディアなどに論難される北陸信越・中国・四国・九州を含めて、自民党の得票率が4割を超えているブロックは一つもない。その程度の得票率で6割もの議席が獲得できるのが、小選挙区制を中心とした現在の選挙制度なのである。

 選挙制度が小選挙区制中心ではなく比例代表制中心であれば、自民党の議席は過半数にも及ばない。自民党の得票率は前回の衆院選よりは増えているが、さほど劇的な増加ではない。そんなことも頭に入っていないで、自民党を圧勝させる国民が何を考えているかわからないとは、何という言い草か。あなたは、小選挙区制を中心とする現行の選挙制度を正面切って批判したことがあるのかと言いたい。

 そして、解散前の議席配分とはたいして変わらなかったとはいえ、自公政権を批判する人たちには、自公圧勝に意気消沈する必要などないとも言いたい。政治に追い詰められた沖縄では、選挙の時だけ選挙協力を行って自民全敗に追い詰めたではないか。民主と維新の「野党共闘」が成功しなかったのは、国民不在の党利党略から発するものに過ぎなかったからだ。状況はますます厳しくなったし、前述の選挙制度などそんな簡単に変えられるものではないが、自民党の得票率は35%前後に過ぎないという事実を常に頭に置き、それが小選挙区制によって巨大議席に膨れ上がろうが、民意から乖離した政治は必ず是正できるという信念を持って、自信を持って前進しよう。改めてそう思った。
 衆院選が公示され、14日の投開票日に向けて今日(8日)が折り返し点になるのだが、直近の3回(2005年、2009年、2012年)がいずれも騒然とした雰囲気で、異様なまでの盛り上がりがあったのに対して、今回は気持ち悪いくらい論戦も低調で、毎日新聞がいつもやっている「えらぼーと」も、一昨日にやってみたけれども、設問が15問しかないうえ、その減らした設問の出来も悪く、分野も偏っている。いつもの意欲が感じられず、解散が急だったためにやっつけ仕事になっている感が否めない。特に問5の「安倍政権の経済政策『アベノミクス』を評価しますか」なんかは答えようがない。

 例の略称を用いているだけでも、私は設問を作った毎日新聞に対して怒り心頭なのだが、これが「安倍政権の経済政策を評価しますか」という設問であってもまだダメだ。不況時の金融緩和と財政出動自体は当たり前の政策だけれど、財政支出の内訳に問題があって、安倍政権の経済政策が続くと、格差はますます拡大し、貧困も解決しないだろうとか、私ならそういう答えになるが、これだと設問に対しては「賛成」にも「反対」にも該当しないから「無回答」と答えざるを得ない。安倍政権の経済政策は、その財政政策において支持しないが、なんとかのミクスという言い方で賛成か反対かと聞かれたら、それには答えようがないのである。

 過去には、「えらぼーと」の質問に対する各党候補者の回答の傾向を分析して、ブログ記事として発表したりもしていたが、今回はそんな気にもならない。また、政治を扱っているブログを見ても、「えらぼーと」を紹介している記事はほとんど見かけないし、各党の政策の違いを論じている例も少ない。いたって低調なのである。

 毎日新聞にしてみれば、今回はそのように読者というか利用者のニーズが乏しいから、「えらぼーと」の作りもいつもより格段に雑で、しょぼいものになってしまったのかもしれない。

 そんな中、早期解散に打って出た安倍晋三の狙いはピタリ的中しているとしか言いようがなく、各紙自民党の圧勝を予想している。昨夜、毎日新聞が新たに「衆院選中盤情勢」を発表したが、序盤情勢を発表していた各メディアの予想と比較すると、維新の党がますます勢いを落としている様子がうかがわれる。本記事の末尾に毎日新聞記事を引用しておくが、「維新の党は計30議席に届かない見通しだ」とはっきり書かれている。何しろ小選挙区で4〜5議席にとどまる見通しというのだからかなりの惨敗だ。先週の段階では、「40議席に届かず、30議席を割る可能性がある」との予想で、それでも分不相応に多いなあと思っていたが、どうやら「野党共闘」の効果が予想以上に乏しく、特に民主党の支持層が、同党の候補者がいない選挙区であっても維新には投票しない人が、当初の予想より多くいそうな感じだ。

 私としてはそんなことは当然だと思うし、逆に維新の支持層が、維新の候補のいない選挙区で民主党に投票するともとても思えないのだが、先日の朝日新聞の世論調査だと6割程度もいるらしい。しかし、自民党候補に投票すると答えた人も3割程度いるらしく、それにはさもありなんとしか言いようがない。

 公示直前の先週の記事にも書いたが、この「野党共闘」はどうしようもない愚策だ。安倍晋三が衆議院を解散した当初、みんなの党の解党やら生活の党から有力候補の民主への移籍やらがあって、小選挙区では第1党と、せめて第2党でなければなかなか勝負にならないから、雪崩を打って民主へと寄り集まるんだろうなあなどと思って見ていたら、いつの間にか野党の「候補者調整」が急速に進んで、その過程で民主党が維新の党に譲歩しまくったので呆気にとられてしまったのだった。で、気づいて批判の声を挙げた時には、もう公示の直前だったというわけだ。最近、政局を追う気力が減退していたから、不穏な動きには敏感になれなかった。

 『kojitakenの日記』に書いた東京6区の件は、週刊誌に載っていたから気づいた。東京6区の自民党候補である越智隆雄は、親父の越智通雄の頃から「落としやすい(弱い)自民党候補」としていつも注目していたのだが、そこに維新の候補が一本化で入り込む話になっていたことは、確か週刊文春だったかを立ち読みして初めて知った。

 書いた記事にいただいた、おそらく中部地方在住の民主党支持者と思われる方からのコメントによって、東京6区に民主党が大河原雅子氏の公認を決定したという話があったことを思い出した。この話が一度は本決まりになりかかっていたことは、民主党最高顧問である江田五月のサイトで確認することができる。以下、江田氏の活動日誌の11月20日付のページから引用する。
http://www.eda-jp.com/katudo/2014/11/20.html

 夜になって、大河原雅子さんの東京6区での民主党公認出馬が決定し、また生活の党から何人かの民主党への移籍のニュースが飛び込んできました。民主党に求心力がつくことは、民主党のためを越えて、巨大与党に対する対抗勢力を作るために、必要な流れだと思います。


 つまり、11月20日の時点では、民主党はリベラル派の思惑に沿って動いていたといえる。それが、いつの間に東京6区を維新の党に明け渡す話になったか、そんないきさつは知りたくもないが、事実として確認できたのは、維新の党から東京6区に立った落合貴之というのは、元みんなの党で、結いの党を経て現在は維新の党共同代表を務める江田憲司の元秘書だったということだ。落合は、前回の選挙でみんなの党から東京6区に出馬して落選し、比例復活もできなかった。

 その東京6区で次点だった民主党の小宮山洋子が引退したから、江田憲司は繰り上げで先占権を得た東京6区を寄越せと強硬に主張し、おそらく選挙後に維新とくっつきたい民主右派の連中も江田の肩を持ったのではないか。かくして、大河原氏の公認内定が取り消されたのではないかと推測する次第である。

 しかし、前回比例復活さえできなかった落合は、自民党候補としては特別に弱い部類である越智隆雄にさえ全く歯が立たず、読売新聞の情勢調査記事で、

越智がリードする。(中略)落合は商店街を歩くなどして知名度向上に努めている。

と、バカにされるていたらくである。

 日本全体が急速に右傾化した現在、かつてはリベラル色の強かった世田谷でも、大河原氏が出馬していたら越智隆雄に勝てたとまでは私は思わないが、聞くところによると落合貴之は、維新の候補のくせに民主か社民の候補みたいなことを言っていて、維新の右派色を期待する有権者からはそっぽを向かれ、かといって維新という看板だけではリベラル層からはとうてい信用が得られないなど、散々な選挙戦らしい。落合はしょせん、旧日本維新の会ほどではないけれどもみんなの党公認候補としてそれなりの追い風を受けていたはずの前回も落選した「弱い候補」なのだ。そうであるなら、そんな選挙区には、民主も遠慮せず候補を出して競合すれば良かったのである。維新と民主の批判合戦もまた、お互いの比例票を掘り起こす効果があったに違いない。しかし、江田憲司に恥をかかせる可能性が高いこの選択肢を、民主党は選ばなかった。これには、どうしても選挙後の「右側からの」野党再編を画策する、民主党右派の政治家たちの思惑があったのではないかと勘繰らずにはいられないのである。

 いずれにせよ、朝日や毎日の記者や鈴木哲夫ら政治評論家や「リベラル」系政治ブロガーらが、野党間の選挙区調整が進んでいるとして書いていた「前向き」な記事の実体は、東京6区の例に見られるような、到底勝てるはずもない弱い維新の候補に一本化したがために、議席獲得の可能性も比例の得票もドブに捨てた、民主党の壮絶な自爆があったといえる。

 仮に、民主党が最善を尽くしたとしても、旧維新の会(維新の党及び次世代の党)の没落と小選挙区という選挙制度の性質を考慮すると、自民の議席増を防ぐのは難しかっただろうと思う。それに加えて、民主党が自滅としか言いようのない、過剰に維新に譲歩する「野党共闘」という愚策をとったものだから、今回の衆院選は、自民党がこれ以上議席を獲りようがないくらいの空前にしておそらく絶後の大圧勝になるだろう。

 そして、第3次安倍政権によって憲法改正が行われるかどうかはわからないが、一つ確実に言えるのは、格差はますます拡大し、貧困も解消されないだろうということだ。

 沖縄では、4回続けて知事選に自民党候補を選び続けた結果、仲井真弘多が掌を返して県民が追い込まれたことによって、保革共闘の選挙戦が実現し、今回の衆院選でも野党共闘の奏功が2区(社民党)と3区(生活の党)で確実視され、1区(共産党)も可能性が出てきた状況だという。

 今後、本土でも安倍政権によって国民が追い詰められれば、沖縄のような共闘が可能になるかも知れない。今回はまだ、国民がそこまでのギリギリに追い詰められたという危機感がなかったのではないか。だから、沖縄方式はまだ夢のまた夢だったように思う。民主を右派が牛耳っていたり、民主や生活の支持者が共産党を蛇蝎のように嫌う(その典型例が「小沢信者」)現状で、共産党を含めた野党共闘が可能だったとはおよそ思われないし、何より維新の党が、前回のバブル議席を盾にとってやりたい放題をやっていた。

 同じようなことは、前回の衆院選でもあった。言わずと知れた「日本未来の党」である。同党の結成以前から、小沢グループは数の力をバックに傍若無人に振る舞っていたし、嘉田由紀子を口説き落として日本未来の党を結成すると、東京新聞までバックにつけて(東京新聞は日本未来の党を「4大政党」扱いしていた)華々しく選挙戦を戦ったものの、惨めな敗北に終わった。しかし、未来の党に代わって、日本維新の会とみんなの党という、マスコミが人為的に作り上げた「第三極」が、新たなバブル議席を獲得したのだった。その前の民主党圧勝の大バブルよりははるかに小規模ではあったが。

 今回で、維新のバブルも弾ける。不幸中の幸いといえるのは、維新の分裂劇の時に、予想以上の多くの議員が次世代の党に流れたことだった。彼らのうち分裂時の衆議院議員は、今回の選挙で、平沼赳夫と園田博之だけを残して他はすべて落選する。これが真っ二つに割れていなかったら、「野党共闘」は今よりもさらに維新が分不相応な候補者数の取り分を取り、その議席はほとんどすべて自民党がかっさらって行ったに違いない。

 この「日本維新の会」の分裂劇について、当時の産経新聞に、今読むと興味深い記事が掲載されていたので、下記に引用する。
http://www.sankei.com/politics/news/140605/plt1406050018-n2.html

 分党が決まると、石原氏に近いベテランは中間派にこうささやいて回った。

 「次の衆院選では必ず自民党の協力が得られるから安心してほしい」

 この作戦は奏功したようだ。橋下系の幹部ら約30人は4日夜、都内のホテルに集まり、引き抜きにあわないよう引き締めを図ったが、ある橋下系議員は「ベテランの味でからめとられるように石原系になびいていった」と苦虫をかみつぶした。

(産経ニュース 2014.6.5 00:33)


 「次の衆院選では必ず自民党の協力が得られるから安心してほしい」と言って説得に回ったのはおそらく園田博之だろう。事実、園田が立った熊本4区に、自民党は候補を立てていない。だが、実際に「自民党の協力」を得たのは当の園田自身だけだった。口約束をあてにした前議員は、知名度のある山田宏や中田宏を含めて全員討ち死にする運命にある。それどころか、自民党熊本県連の政治家は、公示直前になって、園田博之に次世代の党からの離党を要求していた。これは、園田の地元・熊本テレビが報じていた。その記事のリンクは切れているが、『kojitakenの日記』に記録しておいたので、そこから引用すると、自民党の西岡一成熊本県議は、記者の質問に下記のように答えた。

「われわれもずっと党派は違っても園田代議士と近いところで活動してきた県会議員ばかりです。4区は特に。そういう流れの中で急々だったけど園田さんに『ぜひ無所属になってほしい』と(伝えた)」(次世代の党を離党しろと?)「そういうことですよ」


 結局園田博之の離党には至らなかったが、「役立たずは要らない」と言わんばかりの、この自民党の厳しさこそ当たり前の姿だ。安倍晋三は個人としては次世代の党の面々と思想信条が近いから、できれば救済してやりたかったというのが本音かも知れないが、自民党は政党としてそんな甘っちょろい対応は取らなかった。これぞプロの政治集団のあり方だ。

 これと比較すると、江田憲司の顔を立てるために、得意としていた選挙区をいともあっさり維新の党に引き渡した民主党は、プロの政治集団というにはあまりにお粗末であり、負けるべくして負けるんだなと納得できる。自民党と民主党には、その政治に対する真剣さにおいて雲泥の差があるとしか言いようがない。

 ともあれ、今回でバブルの要素は一通り除かれ、小選挙区制の性質がそのまま議席に反映される。多党制下で5割の得票があれば、議席の大多数が自民党のものになるのは当たり前である。それが「小選挙区制」である。それを実現させるために、鳩山一郎や岸信介や田中角栄は野望を燃やしていたのだ。バブルの要素が取り除かれて残った、自民党圧倒的多数という議席配分こそ、小選挙区制の必然的帰結である。

 民主党、みんなの党、日本維新の会と行った、人為的なカウンターパートづくりで「二大政党制」を実現させようとする試みは、完全な失敗に終わったことを最終的に確認する選挙として、今回の衆議院総選挙は位置づけられるだろう。

 これからは、いわゆる90年代の「政治改革」の失敗を正しく総括した上で、新たな選挙制度に変革していく必要があると思うが、それにはまず、巨大化した自民党政権とどう対峙していくかが問題になる。安倍晋三は第3次内閣でいろいろと急いでやろうとするだろうから、もうあまり時間はないかもしれない。

 今後必要なのは、沖縄で行われているような、本当に民意を反映した、保守から共産党まで含めた「保革共闘」であろうと私も思うが、それはわれわれ一般人の立場からいえば、今後どこまで事実を直視し、危機感を持てるかにかかっている。政治家といえど、民意からかけ離れた行動はできず、無理にそれをやろうとしたらいずれ自滅するなり党勢が衰えるなどして行き詰まる。その意味からも、圧勝でますます盤石かに見える第3次安倍内閣の行方とて、本当に盤石であるとは私は思わない。
 前回の記事を公開してから2週間が経ち、第47回衆議院選挙の公示はもう明日(12月2日)となった。選挙というのは、公示日の時点でほぼ情勢は固まっており、そこまでの期間における動きが大勢を決する。2005年の「郵政総選挙」では、解散から公示までの期間に小泉純一郎が繰り出した「刺客戦術」が、残酷趣味を刺激された大衆の心を鷲掴みにして、空前の自民党圧勝をもたらした。それに対し、今回は、解散直後に分裂して小政党になってしまったみんなの党(11月28日解党)と生活の党の一部の議員が民主党に移籍した報道が少し話題になった程度で、特に大きな話題もなく公示を迎える。

 情勢は自民党の圧勝が決定的となった。解散直前に、GDPの2四半期連続下落が報じられ、その後も2014年の年間経済成長率がマイナスになる見込みという報道が流れたが、大衆の多くはもうそんなことは覚えていないだろう。安倍晋三の言葉をテレビが垂れ流している効果が出ているのか、あたかも「成果を上げつつある安倍政権の経済政策の是非」が争点であるかのような錯覚に陥っている人が多いのではないか。

 ごく私的な、つまり私が日々観察するところ、要するにごく狭い自分の周囲の状況から観察する限り、金融緩和とリフレを売り物にする安倍政権の経済政策は、確かに政権成立直後には一定の成果があったように見受けられた。しかしその効果は、今年4月の消費税率引き上げとともにピタリと止まっている。それよりも悪いのは安倍政権の財政政策で、再分配を軽視する、というより、金を大企業や富裕層に重点的に流す、「逆再分配」とでも言うべき政策の弊害が表れ始めているのではないかと思う。

 頭の悪いマスメディアによって、安倍晋三の苗字をもじった妙ちきりんな名前で呼び慣わされている安倍政権の経済政策だが、せめて金融政策と財政政策を切り分けて評価するくらいの水準が報道には求められるとは、経済学のど素人である私でさえ思うところだ。マスメディアには経済学部出身の人間もずいぶんたくさんいるのではないかと思うのだが、現在のていたらくには開いた口がふさがらない。

 また、野党もいただけない。なんとかのミクス批判というと、まず金融政策の批判から始めたがる。世界的にも実験的な政策として注目され、リベラル派の経済学者であるクルーグマンやスティグリッツも支持している安倍政権の金融政策を批判することから始めるのでは、有権者の説得は難しい。そんな論法では、昔から一貫した反安倍晋三である私ですら説得できない。もう指にタコができるほど書いているが、スティグリッツは昨年6月15日付朝日新聞掲載のインタビューで、安倍政権の経済政策からは再分配が抜け落ちていることを批判している。安倍政権を批判する勢力はまずこの点を突け、とはずっと言い続けているのだが、それは現実とはならない。

 ネット言論も「なんだかなあ」というレベルで、たとえば某氏の『民主党に学んでもらいたかったこと』派、民主党こそリフレを採用すべきだったと言っているのだが、そんな過去の話より、安倍政権の経済政策には再分配の観点がない、あるいは「逆再分配」をやっていることの是非を問う論点の記事を私は読みたい。しかし現実には、かつて書名に「脱貧困」の文字が入った雨宮処凛との共著を出したことのある「再分配も重視するリフレ派」の経済学者が、安倍政権が再分配を軽視、無視ないし逆再分配を重視しているとさえいえる現状を直視しようとせず、口をつぐんでいるのが現実だ。たとえば甘利明が「トリクルダウンがまだ弱い」との妄言を吐いたが、「トリクルダウン理論」とは「逆再分配の経済学」の別名ではないか私などは思う。しかし、そういう現実を「再分配も重視するリフレ派経済学者」は正しく指摘しない。おそらく経済学者仲間の人間関係を重視しているのだろうが、そんな日本の経済学界の堕落の気配を私は感じる。

 いろいろ繰り言を書いたが、たぶん安倍政権の経済政策は「信任」されてしまうんだろうなと思う。

 それから衆院総選挙における各党の得票率と議席のゆくえだが、解散直後の見通しと比べて、野党第一党の民主党の議席を低く見直さなければなるまい。マスメディアや一部リベラル派が推奨する「野党共闘」が、民主党の敗北をもたらすだろう。

 この予想には2つの根拠がある。前回の記事及び『kojitakenの日記』にいただいたコメントを引用しながら論じる。まず、『kojitakenの日記』の記事「『野党共闘』は本当に『良いこと』なのか?」にいただいたコメントを紹介する。この記事で私は、民主党(や生活の党)と維新の党との「選挙区調整」に疑義を呈し、前回の総選挙以降、「バブル人気」を失った維新の党と民主党が選挙区調整をして民主党が候補を立てない選挙区、特にそこに立候補している維新の党の候補が、猛烈な追い風を受けた前回総選挙でさえ選挙区で当選できなかった「弱い候補」である場合、選挙区に非共産系野党が維新の党しかいなければ、戦わずして自民党に議席を差し出すようなものだと指摘した。これに対する、中部地方(愛知県だろうか?)在住の、民主党支持と思われる方からコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141128/1417103697#c1417226155

tanyayoshi 2014/11/29 10:55
まったく同感。中部では、え?と思うようなところが(民主でなく)維新の候補になっていたりしてビックリすることが多いです。選挙区事情も考慮せずに、「競合を避ける」という大方針優先というのは大いに疑問。


 このように中部地方では、民主党がかなり強い選挙区にまで、「非共産系野党候補が維新の党の候補しかいない」状態が現に生じている。大阪のように維新の強い地域には弱めに、愛知のように自党(民主党)の強い地域には強めに候補者を立て、その場合競合も厭わないといった当たり前の戦術さえ、民主党執行部は取れずにいる。このことは生活の党に対しても当てはまり、神奈川1区では岡本英子の公認を取り消した。生活の党ではほかにも、また民主党にも、維新の党との競合を避けて公認を取り消した例があるが、海江田万里、枝野幸男、それに小沢一郎らは、「野党共闘」の美名に自分たちが振り回されているといえる。

 何より、選挙区調整によって小選挙区で候補を擁立しない選挙区においては、その政党の比例代表の得票も激減することが予想される。前回の記事「安倍晋三の身勝手な『自己都合解散』と小選挙区制の弊害」にいただいたコメントより。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1368.html#comment18405

選挙区で民維調整をするってのは、まあわかるのだが、民主がなし崩し的に擁立断念してるのを見ると、比例票は大丈夫なのかなと思う。悪名高い?「比例は公明」みたいな調整もないようだし、どれくらいワークするのか、果たしてどのくらい緻密な戦略のもとにやってるのか、ちょっと興味深いところ。

純粋に与党に対抗するという点だけ考えるなら、やっぱり小沢大先生がいうように、現状では統一新党でもつくらんと厳しいだろう。江田憲司が投票日から再編議論を始めるというのは、よくわからない

2014.11.28 00:38 都筑


 どことなく、立ち読みした『週刊文春』に載っていた飯島勲の文章を思い出させるコメントではあるが、まあその通りだろう。付け加えると、「小沢大先生」は今回の選挙では正論を言っているものの、前回の選挙では自ら小政党を作って自滅したことをも飯島勲はきっちり指摘していた。

 小沢大先生云々はともかく、よく非共産系野党支持者の間に、全国ほとんどの選挙区に候補者を立てる共産党を批判する声が挙がるし、これを特に声高に叫ぶのは、今や絶滅危惧種となった「小沢信者」なのだが、共産党は全国くまなく候補者を立てているからこそ比例代表の議席を獲得できるのである。「全国11ブロックの小選挙区比例代表並立制」というふざけた制度のせいで、その議席は微々たるものにとどまってはいるが。

 そして、理不尽な議員定数削減の別名「身を切る改革」よろしく、自ら公認候補を絞りに絞っている民主党は、比例票はそんなに伸びないどころか減らす可能性が高く、前回惜敗した候補が選挙区で多少議席を取り返したところで、民主党の議席全体としては、あの大敗した前回と大差ないものになるのではないかとの予想に私は傾きつつある。そういう結果をもたらしかねないのが「野党共闘」という美名に隠された戦術の致命的な欠陥なのだ。この衆院選でも、自民党の議席が解散前よりさらに増える可能性がますます高まってきたように思う。

 余談だが、こんなことを書いてもご存知の読者はもうほとんどおられないだろうが、私には「野党共闘」という言葉に、実に嫌な思い出がある。昔「野党共闘」と銘打ったブログキャンペーンを主唱していた、私にとっての仇敵がいたのだが、その人物は、2009年の「政権交代選挙」を終えて、民主、社民、国民新の3党が政策協定の協議がもめていると報じられた時、「小政党は民意を受けて選挙に大勝した民主党の言い分に(つべこべ言わずに)従うべきだ」と言い放った(書き放った)のだった。何だ、それがこの人の言う「野党共闘」の正体なのかと鼻白む思いだった。

 嫌な思い出云々はさておいても、政党とは本来主義主張や政策を共にする者は集まってできるものだと思うが、それを妨げ、政党やその構成員を「数合わせの野合」に走らせるのが、「小選挙区制」の性質である。

 第47回衆議院総選挙公示を明日に控えた、選挙前最後の日である今日、改めて思いっ切り叫びたい。小選挙区制を廃止し、比例代表制中心の選挙制度に切り替えて、政党が政策本位で集まり、その政策を競う政治を実現させようと。