きまぐれな日々

 週末は土曜日の深夜以後、ずっと木曽の御嶽山噴火のニュースをずっと追っていた。御嶽山は、東方の中部山岳から幾度となく望んだことがあるほか、西方の伊吹山から望んだこともある。どこから見ても姿の美しい山で、一度は登ってみたいと思っていたが、その機会を持たなかった。

 しかし、北海道から鹿児島まで、火山にはずいぶん登ったものだ。だから遭難された方々の不運を他人事とは思えなかった。もちろん山登りは基本的に自己責任の領域に属する行為だ。しかし、今回の御嶽山は、数週間前から火山性地震の頻発が観測されてはいたものの、噴火の危険は低いと判断され、「噴火警戒レベル」は「平常」を示す「1」にとどめられた。

 朝日新聞とともに民主党を非難することに余念のないネトウヨは、鳩山政権時代の2010年の「事業仕分け」で勝間和代が「仕分け人」として火山監視予算を縮小したと非難した(下記URL)。
http://matome.naver.jp/odai/2141182494501618101

 勝間和代はひところ一世を風靡した新自由主義者にして、中部電力のコマーシャルに出ているとして東電原発事故が起きた頃に強い批判を受けた人物だ。急に吹いた逆風に対応しようと、勝間は一時「脱原発」派に転向したが、原発再稼働に熱心な安倍政権の支持率が高止まりしている空気を読んでか、最近再び原発推進派に戻ったという話がある。私も勝間和代は大嫌いである。

 しかし、今回のネトウヨによる勝間和代批判は不当な言いがかり以外のなにものでもない。仮に勝間和代が「事業仕分け」で火山監視予算を削減すべきだとの判定を出さなかったとしても、今回の御嶽山の噴火は予知できなかった。地震の予知ができないのと同様、火山の噴火の予測など、ごく少ない例外を除いて不可能なのである。この事実を直視しようとせず、趣味とする「ミンス叩き」に血道を上げるネトウヨたちには激しい怒りを覚える。彼らには「恥を知れ」という言葉を贈りたい。

 昨夜(9/28)、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は、今回の御嶽山噴火のような火山の噴火を予知できないことをはっきり認めた。以下、NHKニュース(下記URL)から引用する。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140928/k10014945111000.html

予知連 藤井会長「現在の学問の限界」

御嶽山の噴火について、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は記者会見で「マグマ噴火と比べて今回のような水蒸気噴火を予知することは本来、非常に難しい。突発的に起こることが多く、事前に明確に把握することは困難で現在の学問の限界だ」と述べました。

そのうえで、噴火の前に山頂付近で火山性の地震が増えていたことや、地下深くで火山活動を反映しているとみられる体に感じない低周波地震が起きていたことなどについて、「異常なことが起きているということを自治体や、場合によっては直接、登山客に知らせるなど、情報伝達に工夫があってもよかったのではないか」と指摘しました。
また「比較的規模の小さな噴火でも人がいる場所では大きな災害につながる。一方で少しでも危険なら近づくなとなると、活火山にはすべて近づくなということになってしまう。前兆を把握するのは難しく、完全に安全と断定することはありえないので、丁寧な情報発信があってもいいかもしれない。今回の噴火を受けて、今後、噴火警戒レベルの上げ方なども改善の余地があると思う」と述べて、情報伝達や噴火警戒レベルの運用の在り方について、改めて検討すべきだという考えを示しました。

(NHKニュース 2014年9月28日 21時21分)


 それでも、「学問の限界」なら、まだ今後の科学の進歩で、いつかは予知が可能になるかもしれない。しかし、火山学者の早川由紀夫(この人が福島の被災者に投げつけた暴言は認めがたいが、今回は彼の専門分野にかかわるから、その意見には一定の信頼が置けると思う)は、

学問の限界ではなく、原理的に不可能なんだと思う。地震予知と同じ。

とまで言っている。だから、今回御嶽山に登って噴火に巻き込まれた方々は、航空機事故に遭遇したのと同じ「不運」としか言いようがない。

 御嶽山では、山岳写真家や山岳ガイドなど、職業で山に入る人たちも命からがら下山した。このうち、毎日新聞に報じられた山岳写真家の津野祐次さんと中央アルプスで言葉を交わしたことがあることは『kojitakenの日記』に書いた。産経新聞は「生きて帰れないと思った」という女性山岳ガイドの体験談を報じている。

 記事で山岳ガイドの小川さゆりさんの語るところによると、軽トラック大の石が飛んできて地面にぶつかって割れ、破片が四方八方に飛び散り、黒い雨が降り始め、雷のような音も鳴ったという。なんとも恐ろしい地獄絵図である。私なら生きて帰ることはできなかったかもしれないと思う。

 ところでこの御嶽山は、かつては「死火山」と思われていたが、1979年10月28日に水蒸気爆発を起こした。これが有史以来最初の御嶽山の噴火であった。それ以来、「死火山」や「休火山」という言葉は用いられなくなった。1979年の噴火の前兆として、1968年から噴気が観測されていたとのことだ。

 火山活動や地震といえば、1991年に雲仙普賢岳の大噴火、1995年に阪神淡路大震災が起きた。この頃から、普段は地震がさほど多くなかった西日本で地震がよく起きるようになり、2000年に鳥取県西部地震、2001年に芸予地震が起きた。それ以降になると2007年の能登半島地震、同年の新潟中越沖地震と、北陸での地震が目立つようになったが、2011年には西日本でも北陸でもなく東北に、東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災が起き、この地震によって東電福島第一原発事故(東電原発事故)が引き起こされた。

 東日本大震災・東電原発事故のあと、9世紀に起きた貞観地震が東日本大震災に匹敵する大地震であったとして注目された。しかし、1000年以上昔のこの時代に起きたのは何も貞観地震のみにとどまらない。貞観地震の数年前には富士山の貞観大噴火が起き、九州では阿蘇山が噴火した。また貞観地震の数年後には、東北で鳥海山が、鹿児島で開聞岳がそれぞれ大噴火を起こし、貞観地震の9年後には関東で多数の死者を出した大地震が起きている。

 当時と同じような「大地動乱の時代」が到来しているのではないかと思えるのである。もちろん、今回の御嶽山の噴火は、上記の大噴火と比較するとごく小規模なものであって、運悪く紅葉シーズンの好天の週末に起きたために多数の死者を出してしまったものだが、それでも御嶽山の噴火としては1979年と並ぶ有史以来最大規模の噴火だった。そして、何より注目したいのは、噴火の予測は実質的に(特殊な場合を除いて)不可能であることがはっきりと示されたことである。

 むろん私が言いたいのは、安倍政権が再稼働を決めたと言っている九州電力の川内原発のことだ。首相の安倍晋三は、22日の国連総会で、原発の再稼働について、安全が再び100パーセント確保されない限り行わないと明言した。その言葉に嘘がないなら、川内原発は再稼働してはならないことになる。なぜなら、川内原発こそ日本におけるあらゆる原発の中で、火山の噴火によって重大な事故を起こす可能性がもっとも高い原発とされているからである。

 東日本大震災・東電原発事故直前の2011年1月に起きた霧島・新燃岳の噴火も予知できなかった。これまで噴火の予知に成功したのは、2000年3月の有珠山噴火など、特に「噴火を予知しやすい」限られた火山だけである。これが現実だから、川内原発に事故をもたらす火山の噴火が起きないとして安全を100パーセント保証するのは不可能である。すなわち、安倍晋三が自らの国際公約を守るためには、川内原発を再稼働してはならないという結論が導かれるのである。

 私は桜島の頂上に登ろうなどとは間違っても思わないし、そもそも桜島の登山は禁止されているが、1999年に登ったことのある開聞岳は、形から明らかに火山だとは認識していても、まさかこの山が噴火しようとは夢にも思わなかった。それが現に起きたのが今回の御嶽山だった。だから、仮にあの時開聞岳の頂上で、突如火山が爆発したらどんな恐怖を味わっただろうかと想像してぞっとしたのである。

 なお、たまたまネット検索で見つけたのだが、桜島にもかつて登山できた時代があった。桜島には北岳、中岳、南岳などがあって、最高峰の北岳(標高1117メートル)は別名御嶽(おんたけ)というそうだ。現在のように桜島が登山禁止になったのは、1955年(昭和30年)に、それまで平穏だった南岳が突然爆発して、登山客に死傷者が出たことから入山規制が始まって以来だという。
http://www.sakurajima.gr.jp/sakurajima/arekore/001518.html

 つまり、火山の安定・不安定は、人間の短い一生のタイムスケールで語られるべきではない。それどころか、「有史以来」のタイムスケールでも不十分であることは明らかだ。木曽の御嶽山は、有史以来前例のない、活動が活発な状態になったのであって、これまでのこの山に関する世間一般の「常識」は今後は一切通用しないと考えなければなるまい。

 また、御嶽山だけでなく、日本の地殻が不安定になっているのは東日本大震災が起きたからも明らかだ。つまり、世間一般の「常識」が今後通用しないのは、何も御嶽山に限らないのである。それならなおのこと、川内原発の再稼働などもってのほかであろう。
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 先週は更新を休んだが、その間、民主党(野田佳彦)政権時代に政府が東京電力・福島第一原発の吉田昌郎前所長(故人)から東電原発事故の事情を聴取した「吉田調書」を安倍政権が公表し、このタイミングで朝日新聞社が同調書に関する「誤報」を訂正するともに、この誤報と慰安婦問題に関する誤報の双方について謝罪を行い、大きな話題となった。

 「吉田調書」の朝日新聞報道については、京都弁護士会所属の渡辺輝人弁護士のブログ記事「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」が素晴らしく、『kojitakenの日記』で賛辞を呈した。これにつけ加えるものは何もないのだが、世間一般では相変わらず「吉田昌郎氏の意に反した従業員の撤退があったか」という、朝日新聞記者が誤って設定した論点の議論ばかりが行われている。以下に、渡辺弁護士の記事の核心部を再掲し、この件の議論はそれに基づいて行われるべきだと、改めて指摘したい。

吉田調書が開示されたことで判明した重要なことは、命令下だろうが命令違反だろうが、最悪の事態に向けて対処すべき職員らが、最悪の事態を前に、混乱して指示すら行き渡らない状況で、退避しなければならない、という原子力発電所の性質が再確認されたことでしょう。

(中略)自衛隊員ではあるまいに、東京電力の職員には死に至る可能性がある業務命令を拒否する権利があります。2011年3月15日朝の段階で職員らが退避したことは、命令があろうがなかろうが正しい判断なのであり、残った作業員の奮闘に感謝こそすれ、安易な「名誉」とか美談にしてはいけません。それは「名誉の戦死」を賛美しながら強制することにも繋がる危険な風潮です。

(渡辺輝人「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」(2014年9月12日)より)


 以上の論点の前では、「東電従業員の『命令違反』はあったかなかったか」という議論は意味をなさない。現在までに行われてきた議論を戯画化すれば、「原発事故を目前に吉田所長の『業務命令』に違反して逃げだそうとした東電職員は怪しからん」という朝日新聞の「右翼」的主張と「いや、愛国的な東電職員たちは『命令違反』などしていない」という読売や産経の「極右」的主張とのバトルに、「極右」が勝ったという図式になる。「命令違反」があったかどうかという議題設定自体がナンセンスであって、そんな土俵に乗るなと言いたいのである。

 2人の「吉田」氏の証言に関する謝罪以来、朝日新聞の紙面はそれこそ「自虐」色一色になっていて、安倍晋三、高市早苗、稲田朋美ら極右政治家が朝日新聞の報道姿勢に注文をつけた、などの報道を繰り返してひたすら「恐縮」している。中でもぶっ飛んだのは9月18日付紙面の3面(!)に掲載された投書欄の大特集だった。それを嬉しそうに取り上げているのが産経である。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140918/crm14091809170006-n1.htm

「購読やめた」 朝日新聞、誤報への批判投書欄を拡大特集 慰安婦問題の意見広告も

 朝日新聞は18日付朝刊で、慰安婦問題や東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長=昨年7月死去=の証言をめぐる誤報について、読者の反応を集めた投書欄「声」の特集版を掲載した。通常のオピニオン面とは別に3面の大部分を使う異例の扱いで、「購読をやめた」など厳しい批判を紹介している。

 このうち京都府の英語塾経営者(77)は、今回の不祥事で約40年間続けた購読をやめたと告白。「真実を守ってくれている新聞だと思っていた。謝罪記事は読むにつれ、嫌悪感が増すばかり。ちらちら言い訳が入っていると感じられる」などと糾弾した。

 東京都の会社員(44)は、朝日新聞の「スクープありきの姿勢」が問題だと指摘。「朝日が嫌う『戦争』が起きた構造と同じではないか。軍部の暴走が戦争を招いたとされるが、同じ過ちが朝日にも起きてはいないだろうか」と述べ、社の体質を鋭く批判した。

 一方で、この日の声欄では「今は小さな声で『まだ朝日をとっています』と言うしかない。一日も早い名誉挽回と信頼回復を心待ちにしている」(宮崎県の保育園職員(65))などと、朝日の再生を期待する声も載せている。

 また、朝日新聞は同日付朝刊で「『慰安婦』国際中傷を跳ね返せ」と題する国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の意見広告も掲載した。広告では、朝日が「女性を強制連行した」とする吉田清治氏の証言記事を取り消したことについて、「吉田氏を『良心的日本人』ともてはやし、32年後に虚報と認めたが、この間日本はどれだけ辱めを受けてきたでしょうか」などと批判している。

(MSN産経ニュース 2014.9.18 09:17)


 私は朝日新聞を購読していながら投書欄にはほとんど目を通していないのだが、これまでに掲載された投書の中に、渡辺輝人弁護士のような視点から朝日の報道を批判するものは果たしてあったかどうか。右翼の指弾にいちいち「お説ごもっとも」と恐縮するばかりの紙面で、朝日は一体何をしたいのか。

 朝日新聞社の木村伊量という社長は、従来から「権力と妥協的な人物」との人物評を耳にしていた。その木村社長は、いずれ自らの意に沿う後継社長を指名して退陣するのだろうが、「刷新」後の朝日新聞がどのような論調を示すのか、これまで以上に監視していく必要がある。その意味からも、朝日新聞の購読は当分やめられないと思う今日この頃なのである。
 第2次安倍改造内閣が3日に発足した。それからもう5日経つけれども、当ブログの更新は原則毎週月曜日なので、内閣改造後最初の記事になる。だからこれを取り上げるけれども、正直言って5日も経っているし、安倍晋三らしい嫌らしさはあるけれどもたいしたサプライズもない改造だったから、あまりキーボードを打つ指にも力が入らない。

 特にやいのやいのと言われているのが、「女性閣僚が5人」誕生したということだ。昨日(9/7)朝、最近あまり見なくなったテレビ朝日の「報道ステーション」の日曜版を久々に見ていたら、星浩が例の慰安婦問題をめぐる池上彰と朝日新聞の問題について何やら言ったあと、女性閣僚についてキャスターに聞かれて、結構なことじゃないですかとか答え、さらに何やらゴニョゴニョとノーテンキなことを言っていた。番組終了直前で、心ここにあらずみたいな受け答えではあったが、いかにも星浩らしいぬるさに呆れてしまった。

 今朝(9/8)の朝日新聞も、安倍内閣の支持率が47%に上昇して(前回42%)、特に女性の支持率がめざましく回復した(44%、前回36%)とか、女性閣僚を5人に増やしたことを「評価する」人が55%だったなどなど、何やらお追従たらたらの気配である。いよいよ朝日のヘタレぶりは極まりつつあるようだ。

 もちろん、女性閣僚の数がいれば良いというものではなく、5人のうち4人までもが安倍晋三に思想信条の近い極右であることが問題視されるべきであるのは当然だ。名前を挙げると、高市早苗、山谷えり子、有村治子、松島みどりである。このうち松島みどりだけは当ブログで取り上げたことがなかったが、この朝日新聞出身の法務大臣も、日本会議にこそ属していないものの右翼政治家だ。他の3人は、一般的にはあまり知られていなかった有村治子を含めて何度か記事に取り上げてきた。

 有村治子は自民党政調会長に就任した稲田朋美とともに、映画『靖国 YASUKUNI』を潰そうと画策した悪行で知られる。山谷えり子は「親学」信奉その他の「トンデモ」への傾倒や元「ウィークエンダー」(読売テレビ)レポーター出演歴など、第1次安倍政権時代の首相補佐官として数々の話題を振りまいた人間だ。そして高市早苗は言わずとしれた「無知で下品な」馬鹿だが、この高市がNHKを所管する総務大臣に就いたことの危険さを、ブログ『日本がアブナイ!』の記事「米中韓も右に傾く改造内閣を懸念&高市のNHK支配も要警戒+錦織が決勝進出」(下記URL)が指摘していた。
http://mewrun7.exblog.jp/22365170/

 余談だが、『日本がアブナイ!』のコメント欄に、下記のコメントがあった。

(前略)
>安倍シンパの女性議員(有村、山谷、松島氏)・・・
mew様の言葉では並列になっているけど、この中では有村が最も危険。

大島派なので今まで気付かなかったけど、根っ子がとんでもなく右翼、
有村を見ると、山谷・松島・高市が左翼政治家に見える。

ですから、現段階で山谷・松島・高市をパッシングするのは具の骨頂。

パッシング対象を有村と稲田に絞るのは勿論、
時と場合によっては、山谷・松島・高市を応援してしまった方が良い。

当然、山谷も松島も高市も、有村の右翼姿勢に困っているはず。


 似たような文章を最近見たことがある。そう、当ブログの先週の記事への、shinoshi氏のコメントである。以下引用する。

>高市たちウヨ
どうでも良いけど、高市って右寄りか?

ある程度の保守派
(具体的にはhttp://botsubo.publog.jp/ぐらい)
から見たら、やや左寄りに見える。

と言うのも、
高市の村山談話や河野談話に関するスタンスは
「わたしは戦後生まれだから謝罪するいわれはない」
って感覚。

それ以外、
森ないし小泉時代、人権擁護法案を提出してるし、
旧安倍ないし福田時代、「小沢民主党は信用できるか」を出版してる。
(小沢を批判したら菅になるリスクがある)

今回の改造、高市が(松島や山谷や小渕も)潰れるなと思われる所を当てられてるし、
安倍も高市を左寄りと見てるのではないかな。

原発に関しては右寄りなんだけどね。

2014.09.03 23:18 shinoshi


 誰が見ても同一人物の書いたコメントであろう。shinoshi氏の意見に構わず、『日本はアブナイ!』は「高市のNHK支配も要注意」と書いた。私もshinoshi氏の意見を全く容れない記事をこうして書いている。それどころか、shinoshi氏のホームページまで出血大サービスで宣伝してあげているのだから、shinoshi氏におかれては、自らのホームページ運営に専念されてはいかがかと愚考する次第である。

 さて、shinoshi氏のコメントへの批判はこれくらいにして安倍内閣の女性閣僚の話に戻ると、唯一、安倍晋三と思想的に距離があるのは経産相の小渕優子であるが、小渕経産相と聞いた時点で、原発再稼働のための小渕人気の悪用だろうなとピンときたから、『kojitakenの日記』に、「谷垣禎一幹事長、小渕優子経産相の人事に見る安倍晋三のえげつない狙い」と書いた。

 ついでに谷垣幹事長は安倍晋三が消費税率10%への再引き上げの腹があることを示すものだと書いたが、案の定ニュースでそのような見方が報じられていた。谷垣幹事長任命について、安倍晋三が消費税債引き上げを意図していることが懸念されると、ネガティブな意味を込めて書いていたのは、どこだったか忘れたがアメリカかイギリスの新聞だった。これに対し安倍晋三びいきの夕刊フジは、再増税見送り狙いだろうと書いていた。

 昨年秋に安倍晋三が消費税率引き上げを決断した時には、政権べったりのブロガーを含む保守の連中がえらく落胆していたが、どうして「安倍ちゃんが増税を阻止してくれる」などと信じられる、というか安倍晋三をあてにできるのか、私には全く理解できない。安倍晋三という人間は、自らの思想信条である「偉大なおじいちゃん・岸信介に倣う」こと以外に関心はなく、官僚の言いなりなのであって、既定路線を変更するという官僚の嫌う政策をとるはずがないと私は考えている。

 あと、党の政調会長に稲田朋美を任命したことにも、いい加減にしろよとしか思えないが、稲田朋美の悪口はこれまでさんざん書いてきたし、これからも書く機会はいくらでもあるだろうから、今日は止めておく。
 前回の記事「朝日・従軍慰安婦報道問題の『日本の常識は世界の非常識』」は、当ブログとしては久しぶりに反響が大きかった。これに関連して一昨日(8月30日)に『kojitakenの日記』に書いた記事「2007年、慰安婦問題に関する竹村健一の主張を一変させたもの」Gunosyからリンクされて多くのアクセスをいただいた。

 現在、政界では第2次安倍内閣の改造人事、特に自民党幹事長を退くことがが決まっている石破茂の処遇が最大の焦点になっているが、私はそれにはあまり関心がない。站谷幸一という保守系の「安全保障アナリスト」が、安倍晋三と石破茂の確執を、親米派(石破)対自称親米派(安倍)の対立と見立て、「軍事マニア」(ミリヲタ)と「ネット右翼」(ネトウヨ)の関係と見立てていることについて、全くその通りだとは思うし、このまま安倍「ネトウヨ」政権が続けば、日本が国際的に孤立する日が急速に近づいていくとは思うけれども、だからといって「ミリヲタ」石破茂を「敵の敵は味方」の論法で応援しようとは全く思わない。

 石破茂とは、安倍晋三とはまた違った脅威であって、安倍晋三が国際的孤立へと日本を導く「亡国の指導者」であるとするなら、石破茂は、それこそ左翼の決まり文句である「アメリカと一緒に戦争する国」を目指す、古典的な「タカ派政治家」だからである。現在は引退して悠々自適の生活を送っていると思われる竹村健一も、石破茂とならウマが合うだろう。それならそれで、こちらとしても批判しなければならない対象である。

 確かに今の「(自称)保守」は、石破茂と安倍晋三の対立構造なら、安倍晋三を支持するのが圧倒的多数ではあるようだが、だからといって安倍晋三に対立する石破茂に必要以上に肩入れすることは、「リベラル」側にとっては自殺行為だろう。同様の論法によって、過去には橋下徹、さらに遡れば小沢一郎などに肩入れしてきたことがいかにアブナイ結果を招いたか、いい加減「リベラル」たちは自覚するべきだ。安倍晋三も石破茂も彼らの悪質さに応じて撃つ。これで良いのではないか。

 とはいえ現在は安倍政権下だから、安倍晋三及び同類の極右政治家を重点的に叩くのは当然である。当ブログ及び『kojitakenの日記』は過去、山谷えり子、城内実、平沼赳夫、稲田朋美、それに最近では片山さつきといった極右の面々を叩いてきたが、その間あまり話題にしなかったのが高市早苗だった。それには理由があって、私がブログを始めた2006年以降、高市はあまり存在感をアピールできない日々が続いていたのだ。

 仮に、ブログ開設がもっと以前で、2002年にブログ記事を書いていたとするなら、高市早苗は私が槍玉に挙げる政治家の筆頭格だっただろう。2002年8月のテレビ朝日『サンデープロジェクト』で田原総一朗が高市早苗を「無知で下品」と罵倒した時には、田原擁護・高市批判の論陣を張ったことは間違いない。現に今でも私が高市に被せる枕詞は「無知で下品」である。

 ただ高市早苗は、田原総一朗に泣かされたあとが冴えなかった。2003年の衆議院選挙において、奈良1区で民主党の馬淵澄夫に惨敗を喫し、比例復活もならず落選した。2005年の「郵政総選挙」では奈良2区に鞍替えし、郵政民営化法案に反対した滝実(自民党の公認を受けられず、新党日本公認で出馬)の刺客として立候補して当選したが、滝の比例復活を許した。そして2009年の「政権交代選挙」では、民主党に鞍替えした滝実に敗れ、辛うじて比例復活を果たしたのだった。ちなみに私は高市をずっと嫌い続けてきたから、2009年の衆院選で高市が比例復活で当選した時には激怒したものである。そういえば高市早苗は新進党に所属していた時代もあり、小沢一郎とも接点がある。

 その後、高市早苗は安倍晋三にうまく取り入ったのかどうか、2012年の衆院選に当選した直後、自民党政調会長の座を射止めた。安倍晋三も、自分より頭の良いと思われる城内実や稲田朋美らよりも、自分と同程度の低能としか思われない高市早苗が気に入ったものであろうか。

 その高市の呆れた行状の一つが、前回の記事でも紹介したが、慰安婦問題に関する「新しい官房長官談話」を発表するよう菅義偉に要請したことである。当然のことながら菅義偉はこれを拒否した。
http://www.47news.jp/47topics/e/256453.php

菅官房長官、慰安婦新談話を拒否 高市政調会長の申し入れに

 自民党の高市早苗政調会長は26日、菅義偉官房長官と官邸で会談し、従軍慰安婦問題をめぐる1993年の河野洋平官房長官談話に代わる新たな官房長官談話を戦後70年となる来年に出すよう申し入れた。菅氏は「新談話は考えていない」と拒否した。(後略)

 (共同通信 2014/08/27 13:05)


 さらに、高市の「下品さ」を象徴するような一件がある。それが、国連人権委員会から改善勧告を受けて検討されているヘイトスピーチの規制に便乗して、国会周辺のデモや街宣を規制しようという企みである。これを8月29日付の東京新聞が厳しく批判した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014082902000140.html

自民、国会デモ規制検討 政権批判封じの疑念

 自民党は二十八日、人種差別的な街宣活動「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)を規制するとともに、国会周辺の大音量のデモ活動の規制強化を検討し始めた。デモは有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段。その規制の検討は、原発や憲法などの問題をめぐる安倍政権批判を封じる狙いがあるとみられる。

 自民党は二十八日、ヘイトスピーチ規制策を検討するプロジェクトチーム(PT)の初会合を開催。高市早苗政調会長は、国会周辺のデモや街宣について「(騒音で)仕事にならない」などと指摘し、「秩序ある表現の自由を守っていく観点から議論を進めてほしい」と求めた。

 PTは今後、国会周辺での拡声器使用を制限する静穏保持法などで対応が可能かを調べて、新たな法律が必要かどうかを判断する。国会周辺では、東京電力福島第一原発事故後、脱原発を訴えるデモが毎週金曜日夜に行われている。警察庁の担当者はPTの会合で、静穏保持法による摘発は年間一件程度と説明した。

 一方、在日コリアンに対するヘイトスピーチについて、高市氏は「特定の民族を名指しした中傷はやめなければいけない」と強調。ヘイトスピーチに対象を限定した規制法はないため、PTは刑法の運用強化や新規立法を検討する。

 民主党の大畠章宏幹事長は記者会見で、「ヘイトスピーチ(規制)とデモ規制は性格が違う。デモ規制が行き過ぎると民主主義のベースが壊れる」と批判した。

 ヘイトスピーチは人種や民族、宗教上の少数者に対する憎悪をかき立てるような表現で、保守をうたう団体による在日コリアン批判が社会問題化している。国連人権委員会も改善勧告を出すなど、国際的な批判が強まっている。

◆揺らぐ民主主義の根幹

 自民党がヘイトスピーチと国会周辺のデモを同列にして規制しようとしている。人種差別などを助長する表現のヘイトスピーチと、政治に対して市民が声を上げるデモは全くの別物だ。音量規制強化を名目にひとくくりにして制約する動きは見過ごせない。

 ヘイトスピーチに対しては、国連でも規制を求める意見が出ており、放置は許されない。表現の自由を守りながら、差別的な言論や表現方法をいかに規制するかは議論する必要はある。

 一方、国会周辺で行き過ぎた大音量の抗議活動は現行法でも規制できる。にもかかわらず、自民党が新たに規制強化に乗り出したのは、市民による原発再稼働や集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法に抗議するデモを標的に入れているとの疑念を招く。

 在日外国人の人権を守るという議論に乗じて、規制してはならない市民の政治活動を制約するだけでなく、民主主義の基盤である表現の自由という別の人権も侵す恐れがある。

 上智大の田島泰彦教授(メディア法)はヘイトスピーチと国会周辺デモの音量について「別々に検討すべき問題だ」と指摘。「国会周辺は、あらゆる言論が最も許容されなければならず、その規制強化は民主主義の在り方にかかわる」と話す。 (大杉はるか)

 <静穏保持法> 国会や外国公館、政党事務所周辺での拡声器の使用を制限する法律。1988年、国会周辺の右翼団体の街宣活動を規制するため、議員立法で成立した。静穏を害する方法で拡声器を使用し、警察官の制止命令に応じなかった場合、6月以下の懲役か20万円以下の罰金が科せられる。

(東京新聞 2014年8月29日 朝刊)


 この高市早苗の企みに、「火事場泥棒」という言葉を思いついたのは私だけではあるまい。現にネット検索をかけてみたら、「火事場泥棒」というそのものずばりのタイトルのブログ記事があって、

「火事場泥棒」という言葉が在るけれど、安倍首相及び其の取り巻き連中の念頭に在るのは、「国連人種差別撤廃委員会の勧告案を利用して、自らに不都合な連中を排除出来ないものか。」という事ではないか?

と書かれていた。その通りであろう。

 それにしても、国連からのヘイトスピーチ規制の勧告を国会周辺のデモの取り締まりに悪用しようという発想がいかにも「下品」である。政治家本人が "bakawashinanakyanaoranai" という文字列を含むURLのブログ記事にヘイトスピーチ満載の記事を書いたりとか、(小泉政権時代に)加藤紘一が小泉純一郎の靖国参拝を批判した発言が地元紙に載ったら加藤紘一の実家が放火されたと笑いながら話したりするなど、自らヘイトスピーチを平然とやらかす国会議員も悪質だが、あからさまな火事場泥棒を企てる高市早苗の下品さには、城内実や稲田朋美とはまた違った嫌悪感を抱かずにはいられない。田原総一朗の「無知で下品」との高市早苗評はまことに的確だった。

 そんな高市早苗が明後日(3日)の第2次安倍改造内閣で重要閣僚に任命されるという噂には、呆れるほかない今日この頃なのである。