きまぐれな日々

 最近気になって仕方がないのは、今月(2014年8月)5日と6日に朝日新聞が掲載した、自紙の従軍慰安婦に関する記事で故吉田清治氏の証言が虚偽だったとしてこれを取り消した件に関する世論だ。私はずっとというわけではないが、物心ついて以来人生の3分の2くらいは朝日新聞を読んできた。当ブログ開設以降に関していえば、途中2007年4月から1年間四国新聞をとっていた期間以外は、ずっと朝日をとっている(但し途中、転居に伴い、参照する紙面は大阪本社版から東京本社版へと変わった)。

 朝日新聞に対する不満は私も多々持っているが、特にブログ記事を書く場合、良きにつけ悪しきにつけ朝日を参照するのが得策だと考えている。『kojitakenの日記』に、NHKプロデューサーの村松秀氏が書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ,2006)を参照しながら、イギリスの科学誌『ネイチャー』とアメリカの科学誌『サイエンス』の商業主義(コマーシャリズム)、つまり「売らんかな」根性を批判する記事を書いたが、朝日新聞にもコマーシャリズムの悪弊が多々ある。主に「リベラル」層を読者層とする朝日の混迷は、そのまま日本の「リベラル」の混迷を象徴する。たとえば小泉構造改革に親和的だったことなどもその典型例だ。そして、よりにもよって極右の安倍政権時代になって故吉田清治氏の証言が虚偽だったことを認めた今回の件も混迷を象徴しているように思われる。誤解を恐れずに言えば、吉田氏の発言の虚偽を認めるなら90年代にやっておけ、右翼ナショナリズムの火に油を注ぐタイミングでやるのは、朝日の訂正それ自体は正しいけれども、政治的には有害だということだ(もっとも、今後さらにナショナリズムの火が燃え盛るようになってからやるよりは今やっておいて正解だったといえるかもしれないが)。

 この件に関しては、当の8月6日付朝日新聞に載った社会学者・小熊英二氏の論評に見るべきものがあったように思う。以下一部を省略して引用する。

 慰安婦問題が1990年代になって注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因だ。

 冷戦期の東アジア諸国は、軍事独裁政権の支配下にあり、戦争犠牲者の声は抑圧されていた。元慰安婦は、男性優位の社会で恥ずべき存在と扱われていた。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火がついた契機が、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞の連載だったのは象徴的だ。

 日本でも、自民党の下野と55年体制の終焉、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれていた。

 情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となった。しかし、このことは同時に、民族主義やポピュリズムの台頭や、それに伴う政治の不安定化も招き、慰安婦問題の混迷につながった。

 例えば、外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多い。だが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。

 政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因だ。

 大きな変化を念頭にこの問題をみると、20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎない。

(中略)

 この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。

 慰安婦問題の解決には、まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化を踏まえることだ。秘密で外交を進め、国民の了解を軽視するという方法は、少なくとも国民感情をここまで巻き込んでしまった問題では通用しない。

 具体的には、情報公開、自国民への説明、国際的な共同行動が原則になろう。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家(ソウル郊外にある元慰安婦が共同で暮らす施設)を訪れる。そして、それぞれの生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。

(朝日新聞 2014年8月6日付紙面より 小熊英二氏のコメント)


 赤字ボールドの部分は特に強調したい。軍人や役人が直接に女性を連行したのでなければ日本には責任がないという議論は、世界では通用しないのだ。ところが、日本においては小熊氏のいう「保守派」にとどまらず、リベラル気取りの人間までもが小熊氏のいう「保守派」に唱和する愚論を平気で発している。たとえば、他ブログのコメント欄からの無断引用で申し訳ないが、こんなことを書く「自称リベラル派」がいる。

 自称リベラル勢力が社説や党見解として、戦争の加害者責任や平和を訴えるのは、当然のことです。好戦的な安倍首相や産経が反省しない異常なだけです。その異常な政権がなぜ支持率が高いのか。朝日・毎日や社民・民主が偽善者で、市民から嫌われ、偽善者が批判する安倍内閣に支持が流れているからでしょう。慰安婦調査についての福島前党首のウソもネットでさらされていましたし、なぜ偽善者たちは自らの行為に「ごめんなさいといえないんですか?」。いっそ朝日や社民が自民支持にまわってくれた方が、真のリベラル平和勢力にとってありがたい。

 まがりなりにも(たとえエセでも)リベラル平和を主張する人が、無批判で朝日や民主・社民などを支持すればするほど、安倍自民を図に乗らせ、フツーの市民を右に誘導するのだ、ということを自覚した方がいいと思います。

 慰安婦問題に熱心だった人たちが、真夏に冬眠に入ってしまったことも、フツーの人は白眼視してます。沖縄密約同様、いまこそ徹底的な検証をすべきで、真実を白日の下にさらすべきです。知りたいのは真実のみです。


 おそらくコメント主は「右の安倍晋三や産経と、左の朝日・毎日・社民・民主(!)を両方叩くボクちゃんこそ『中道』なんだよね」などと思っているのだろう。彼(彼女かもしれないが)は、安倍晋三が政権に返り咲いて早々やろうとした「河野談話の否定」が、なぜアメリカにストップをかけられて安倍晋三が「河野談話の継承」を約束させられたのか理解していないに違いない。産経・読売や週刊新潮・週刊文春だけではなく、週刊ポストも週刊現代も朝日を叩いているから、ポストや現代が中道で朝日は「左翼偏向」なのだろうと安易に類推でもしているのではないか。だが、上記コメント主の物差しで計れば「アメリカも左翼偏向」(!)ということになってしまうのだ。

 週刊ポストや週刊現代は、それこそコマーシャリズムに基づいて、40〜50代の男性サラリーマンの平均的なニーズに応えてあのような誌面を作っているのだろう。しかしそれは日本の世論が国際標準(グローバル・スタンダード!)から大きく右に、というかナショナリスティックな方向に逸脱しつつあることを反映するものだ。これは、日本にとって危機的な状況だと思う。かつて晩年の森嶋通夫が、日本の国力が衰えた時に中国や韓国を敵視する言論が強まり、それがアメリカなど世界各国の日本からの離反を招くと予言したが、森嶋の予言が現実のものとなりつつある。

 河野談話に代わる新しい官房長官談話を要請した高市早苗と、高市に同調した自民党の政治家たちも、バッカじゃなかろうかと思う。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140821/k10013977241000.html

慰安婦問題で新たな官房長官談話要請へ

自民党の政務調査会は会合を開き、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、朝日新聞が一部の記事を取り消したことなどを踏まえて、戦後70年となる来年、新たな官房長官談話を出すよう政府に要請することを決めました。

 朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡る自社のこれまでの報道を検証する特集記事を掲載し、この中で「慰安婦を強制連行した」とする日本人男性の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断した」として記事を取り消しました。

 これを受けて、自民党の政務調査会は、政府がことし6月に従軍慰安婦の問題を巡り謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話の検討結果を公表したこととも合わせて対応を協議するため、会合を開きました。

 この中で、出席者からは「朝日新聞の関係者を国会に招致すべきだ」という意見や、「河野談話の検討結果を国内外でしっかりと情報発信すべきだ」という指摘が相次ぎました。

 そして、戦後70年、日韓国交正常化から50年にもなる来年、新たな官房長官談話を出すことなどを政府に要請することを決め、高市政務調査会長が、来週にも菅官房長官に申し入れることになりました。

(NHKニュース 2014年8月21日 17時59分)


 リンク先のNHKニュースで、高市早苗のドヤ顔を拝むことができるが、本当に無知で下品な女だと思う。12年前の田原総一朗の発言は正鵠を射ていた。高市は、なぜ安倍晋三がたびたび「河野談話を継承する」と言わされているのか全く理解していないに違いない。本当に馬鹿な女である。

 私は最近、「良いナショナリズムも悪いナショナリズムもない。ナショナリズムには百害あって一利なし」という意見に大きく傾いている。2008年の世界金融危機で示されたように、資本主義の暴力性はもはや制御困難になりつつあり、フランスの経済学者トマ・ピケティが「所得と資産の両方に国際協調で累進課税をかける」と提言した本『21世紀の資本(論)』がアメリカでベストセラーになっている。つまり、もはや国民国家のレベルの税制で再分配を行おうとしても、富裕層を優遇する税制の国(たとえばロシア)に金持ちが逃げたり、世界各国の政府が法人税引き下げ競争をしたりしている現状に阻まれてしまうのである。

 だから、韓国や中国のナショナリズムも時代後れだと私は思うが、それを招いたのはほかならぬ日本である。日本は1945年まで韓国を植民地として支配し、中国に侵略戦争を続けていた。日本の敗戦でようやくそこから脱却した中国や韓国が、先進国からずっと遅れてナショナリズム全盛になっているのであろう。本来なら、日本はとっくにナショナリズムから脱却して資本主義の暴力性に対する国際的強調を伴う対策の議論をしていかなければならないくらいのポジションにいるはずなのに、かつて韓国や中国に対してなした悪行を棚に上げて、ナショナリズムにはナショナリズムで対抗しようとする愚かな言論が世論を支配している。そんな「新興衰退国」日本の現状は「みっともない」としか私には思えない。経済の問題でも、日経新聞を読んでこれまた時代後れの新自由主義的経済思想にかぶれる「エリート」たちが後を絶たないのだからどうしようもない。

 最後に朝日新聞の従軍慰安婦記事検証問題について、私の意見をまとめる。こんな問題で世論が朝日新聞批判一色に染まるようでは、日本の将来はきわめて暗い。昔、安全保障問題で竹村健一が「右」から世論を批判して言った決めゼリフ「日本の常識は世界の非常識」に私は共感せず反発したが、人権問題に関しては「日本の常識は世界の非常識」は間違いなく今の日本に当てはまる。
スポンサーサイト
 初めに、『kojitakenの日記』へいただいたコメントより。

breakwater3 2014/08/17 23:37
最近ネット上では安倍バッシングを多く見かけるのと同時にネトウヨへバッシングもよくみるようになった気がする。印象にすぎないけど気のせいじゃないだろう。これまでネトウヨの書き込みしかなかったところにネトウヨへの批判、反論、嘲笑などの書き込みが見られるようになっている。(後略)


 ありきたりの感想だけれど、現在の第2次安倍政権下の政治及び社会を語る時、というより独裁的な内閣総理大臣・安倍晋三を論じる時、「ネトウヨ」という言葉がもはや無視できなくなったからではないかと思う。

 たとえば、この週末に読んだ笠井潔と白井聡の対談本『日本劣化論』(ちくま新書, 2014)から引用する。初めにお断りしておくが、私は笠井氏と白石のいずれに対しても、その主張に賛同できない点が少なからずあったが、安倍晋三をめぐる下記の指摘には全面的に同感だった。

†ネトウヨレヴェルの総理大臣

笠井 今の話を聞いていて、いくつか感じたことがあります。ひとつは、安倍の鈍感さとおっしゃったことについてです。あれはネトウヨと同じですよね。共通の事実認識が最低限ないと、そもそも議論にならない。あるいは論破された時、一歩引いて理屈を組み立てなおしてまた反論してくるんだったら再論の余地があるけど、安倍は論破された後も同じことを繰り返し言い続ける。

白井 いつも「真意を説明する」って言ってますよね。これも噴飯もので、「真意」が伝わっていないからこそ日本の保守は助かっているんで、例えば靖国の「遊就館」がどんな展示をしているのか。アメリカ人の大多数が知ってしまったら、「真意」が理解されたら、大変なことになる。だからきっと、本当の「真意」は説明していないのでしょうね(笑)。あやふやなことしか言えないから、何度も「説明」する羽目になる。

笠井 自分のそういう行動パターンに何の疑問も抱かない。これは安倍個人の知性の問題であるのはもちろんですが、日本社会に深く根を張りつつある新たな反知性主義の問題でもあると思うんです。「反知性主義」という言葉が、適切かどうかはともかくとして、だからアメリカは困っていると思いますよ。日本の知識人がネトウヨを相手に議論をして、唖然とするようなもので。

白井 まさにそうです。

笠井 「これこれの文献にこう書いてあるじゃないか!」と言っても、そもそも読んでいないし、これから参照しようという気もない。「自分の意見に反する文献なら、どっちみち嘘が書いてあるにきまってる」というわけです。この種の人間が目の前に現れたら、さすがにアメリカも面食らうでしょう。これは、同時代的な広がりを持つ非常に根深い鈍感さだと思いますね。

白井 こういう時代にああいう人が首相になって、最高権力者になってしまったということは偶然ではなく、ある意味必然ですよね。社会全体に反知性主義が蔓延しているのですから、見方によっては、日本国民を正しく代表しているとも言えるわけです。(後略)

(笠井潔・白井聡『日本劣化論』(ちくま新書, 2014) 37-39頁)


 その安倍晋三が「終戦記念日に靖国神社を参拝しなかった」ことがニュースになる。昨年と同様安倍は「玉串料」を靖国に奉納しているにもかかわらずである。

 「ネトウヨ」という言葉が安倍晋三(安倍政権)と絡めて論じられているもう一つの例として、豊下楢彦・古関彰一著『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書, 2014年)から引用する。引用箇所は豊下氏が書いている。著者は、安倍晋三が唱える「戦後レジームからの脱却」における「戦後レジーム」には、「押しつけ憲法」からの脱却と、「東京裁判史観」からの脱却の2つの含意があると指摘したあと、下記のように書く。

 安倍がかねてより主張してきた、「村山談話」や「河野談話」の見直し、「侵略の定義」の後世の歴史家への“委託”、さらには靖国神社への参拝などは、ことごとく「東京裁判史観」からの脱却という課題の具体化なのである。

 しかし、第一次政権の場合とは異なり、こうした「東京裁判史観」からの脱却という路線には、広範な支持基盤が形成されている。それは例えば、超党派の議員二〇〇名を擁して組織された創生「日本」であり、安倍自身が会長を務め、廃憲を唱える平沼赳夫が最高顧問に就いている。さらにはいわゆる「ネトウヨ」と称される若い世代の支持層があり、「日本の侵略戦争の否定」を叫ぶ元幕僚長の田母神俊雄や百田尚樹などが彼らを鼓舞する役割を担っている。

(豊下楢彦・古関彰一『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書, 2014) 50-51頁)


 著者はさらに、「東京裁判史観」からの脱却志向が国際問題化を招く必然性を指摘する。

 (前略)日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ国際社会に復帰したのである。従って、A級戦犯の合祀が「東京裁判の否定」を前提としている以上、靖国に参拝する政治指導者たちがどのような理由づけを行おうが、国際問題化せざるを得ないのである。なぜなら事は、サンフランシスコ講和条約を基礎として米国がつくり上げてきた戦後秩序そのものへの挑戦を意味するからである。

 かくして戦後史において、米国主導の戦後秩序を否定する心情と論理を孕み、それに共鳴する広範な支持基盤を有した政権が初めて登場し、今や日本を担っているのである。これこそ、日本の孤立化が危惧されるゆえんであり、日本をめぐる安保環境の悪化をもたらしているのである。

(豊下楢彦・古関彰一『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書, 2014) 54-55頁)


 私がブログで政治について書き始めた2006年、ネットでは既に「ネトウヨの脅威」が存在したが、それは「2ちゃんねる」などごく少数の勢力に過ぎず、当時誇大に宣伝されたその影響力は、実際にはたいしたことがなかった。しかし、その後「2ちゃんねる」自体のネット言論全体に占めるシェアは低下したものの、ネトウヨの脅威は広がり、田母神俊雄や百田尚樹などに代表されるように、ネットにとどまらない大きな脅威になったのである。

 それと同時に私が指摘したいのは、いわゆる「政権交代」を後押しする側にも、彼らネトウヨに貢献する者が少なくなかったことだ。たとえば前記の引用文中で楢下豊彦が挙げた極右議連である「創生『日本』」は、2007年12月に「真・保守政策研究会」として発足したが、2010年2月に現在の名称に改称した。安倍晋三会長、平沼赳夫最高顧問の体制下でリニューアルスターチするのに汗をかいたのが、2009年に衆院議員に返り咲いたばかりの城内実だった。問題は、こうした平沼赳夫や城内実を「『反新自由主義』の闘士」と持ち上げた「政権交代を求める人たち」がネットには少なくなかったことだ。その最大の旗振り役はブログ『喜八ログ』だったが、日本共産党系の出版社の編集者にして、かつて参議院選挙に共産党公認で立候補したことのある人物も、「喜八」や城内実をあと押ししていた。これらに関して自己批判を行った関係者は誰もいない。

 こういう態度が傷口を広げるのである。当ブログのコメント欄で話題になっている、朝日新聞の従軍慰安婦報道に絡めて言えば、当の朝日の紙面で吉見義明がこう指摘していた。

 吉田清治氏の証言については、朝日新聞をはじめ複数のメディアが取り上げていた。証言の信用性が疑われるようになり、強制連行はうそで、慰安婦問題自体が虚構だという一部の主張を勢いづかせるきっかけの一つにもなった。

 証言が虚偽でもこの問題に与える影響はない。今回、関連する記事を訂正したことには賛成するが、問題の研究が進んだ1990年代の早い段階でできなかったかと残念に思う。

(朝日新聞 2014年8月5日付紙面掲載 吉見義明氏のコメントより)


 現在朝日新聞の販売はあまりふるわないらしく、先頃、私の自宅でとっている朝日新聞販売店も、近所にある他の販売店と併合されて消滅した。ネットで調べてみると、東京都内では同様の例が多いらしい。現在の朝日は、山中季広、星浩や曽我豪を引き合いに出すまでもなく、ずいぶん「右バネ」が働くようになっていることは読者には自明なのだが、それでも、「左傾した紙面」を販売低迷の原因と見る幹部がどうやら朝日にはいるらしく、それが、よりにもよって極右の安倍政権下でやっと「吉田清治氏の証言の虚偽」を認めることにつながったのだろう。朝日が過去の記事を訂正したこと自体は正しいと私も思うが、そのタイミングは最悪だった。吉見氏の言う通り、最低でも1997年に吉田氏の証言が虚偽だったことを認めていたら、こんな事態は招かなかった。1997年というのは、この年に朝日は今回と同様の検証を行っていたらしいのである。

 なお、朝日と同様のリスクを「脱原発派」諸勢力も抱えていることを指摘しておく。「脱原発なら何でもあり」という姿勢で突き進んでいくと、いざ原発再稼働や再推進の局面になった時にそれを反対勢力に指摘されて信用を失うリスクを抱える。そのような「脱原発派」は、私の見るところ少なくない。

 さて、盆休みも明けて2014年の政治戦も後半になるが、今後は(年内にあるかどうかは別として)解散総選挙と、それに続く第3次安倍内閣発足を許すか否かが、日本の今後を大きく左右することになる。もちろん第3次安倍内閣なんかを許したら、日本は後戻りできない道を進んでしまうことになる。
 8月に入った。例年政治のニュースも夏休みに入り、原爆忌(6日, 9日)と終戦記念日(15日)がクローズアップされる月だが、遅れてきた「冷戦思考」の政治家ともいえる安倍晋三にとっては、これからが勝負どころであろう。もちろん安倍が狙っているのは政権の長期化であり、9月には確実に行われる内閣改造と、安倍が「切り札」と考えているらしい北朝鮮訪問、それに衆議院解散という本物の切り札の3点を巡って、これから政局が賑やかになる。今月は、それらを前にした「嵐の前の静けさ」の月になろうか。

 最近感じるのは、ようやく潮目が変わり、「安倍晋三独裁」にかげりが見られることだ。その主な理由は日本経済の変調である。集団的自衛権の政府解釈変更の強引さもあげられるかもしれないが、残念ながら外交・安全保障のタカ派姿勢は大きく内閣支持率を押し下げるには至らないのが最近の「民意」だ。経済の状況の方が影響は大きい。第1次安倍内閣があっけなくぽしゃったのは、経済問題そっちのけで改憲一本槍に走っていたところに「消えた年金」問題の直撃を受けたためだった。

 これに対し、第2次安倍内閣の支持率がこれまで好調を保っていたのは(デフレをこよなく愛する一部の「リベラル」や「左派」にはご不満かもしれないが)例の安倍の名を冠した経済政策のうち、金融緩和とリフレの効果が出て雇用が改善されたためだった。それが、ここにきての変調をきたしつつあるのは、1つには消費税率の引き上げの悪影響があるだろう。これは昨年秋に安倍晋三自身が決断したことだったから、安倍の責任は免れないのである。

 これに加えて、いつまで経っても悪いニュースが出てくる東電原発事故の影響が、原発再稼働を急ぐ安倍政権にボディーブローのように効いている。さらに、人々の強い関心を集めた理研の「STAP細胞」など実は存在せず、小保方晴子による悪質極まりない研究不正であった(さらに大科学者・笹井芳樹が研究不正に加担した)ことがほぼ確実になりながら、文科相の下村博文が妙に小保方晴子氏を庇い立てるという愚行を見て、政権に不信感を抱いた人も少なくなかろう。

 安倍政権の経済政策では、「成長戦略」がガンであろう。「成長分野」を国が支援するという発想は、新自由主義的政策を指向する方向性、私のように福祉国家的政策を指向する方向性のいずれとも相容れない。両派はともに、「成長分野は市場が決めるもの」と考えるのである。新自由主義派はその上で「小さな政府」を求めるし、福祉国家指向派は、政府の支出は市場原理と相容れない福祉や社会保障に使われるべきだと考える。安倍政権の経済政策はそのいずれでもない。政府が「成長戦略」を決めるという、傲慢な思想に基づいている。

 例の「STAP細胞」の件についていえば、理研CDBへの多額の税金投入や、提携する企業などはおそらく既に内定しており、そのように惰性で進んでいる計画を(官僚が)止めたくないことが、一見理解不能な下村博文の小保方晴子擁護の背景にあるのではないか。

 現在の安倍政権のように、政府が「成長分野」を決めるのは、戦後の復興期のような開発独裁的あるいは旧ソ連のような統制経済的な思想によるものであろう。いずれも岸信介的な方向性といえる。原発再稼働へ前のめりの姿勢や、武器輸出三原則撤廃による軍需産業への肩入れなどに、安倍政権の性格がよく表れている。

 反面、安倍政権は労働政策においては新自由主義的性格を露骨に示す。派遣労働の規制緩和や残業時間の撤廃等の政策がそれだ。だが、これこそせっかく上がった平均賃金を思いっ切り引き下げる方向へと圧力をかける「トンデモ政策」である。

 いくら富裕層に金が回ったところで、トリクル効果など起きないことは既に明らかだ。だから、今後安倍政権の経済政策に明るい展望はない。

 ただ、北朝鮮訪問の「サプライズ」がもしあれば、政権の支持率が上向いたところで安倍晋三が解散に打って出る可能性がある。その場合、自民党の圧勝と第3次安倍内閣の発足はほぼ不可避であるとともに、日本が破局を迎える可能性がきわめて高くなる。

 この事態だけは何としても避けたいところである。