きまぐれな日々

ついに消費税率引き上げ前の最後の日になった。

消費税率引き上げ前のこの時期、私はたとえば電化製品を買い込もうなどとは思わなかった。税率引き上げ後の需要の落ち込みによる値下げも考えられると思ったからだ。しかし、再販制によって価格が維持されている書籍は買い込んだ。

食料品や日用品は、既に消費税と関係なく値上がりが始まっている。同じ価格で内容量を減らすことも行われている。それに加えて明日からは消費税率が上がるから、家計の負担はその分重くなる。

インフレそれ自体には再分配効果がある。「持てる者」の資産価値を引き下げるからである。しかし、現在に見るように、大手企業では(スズキなどの例外もあるが)ベースアップ(ベア)が行われるが、中小企業では行われていない。そもそも、賃金とは物価上昇に遅れて上がるものだが、これは言い換えればインフレには「家計から企業への再分配」の効果を持つことを意味する。

などなどと考えると、安倍政権の「再分配政策を伴わない金融緩和」という経済政策は、やはり成功しないのではないかと予想する。「インフレ誘導も再分配の強化も両方行う」という行き方もあるはずだとずっと思っているのだが、なかなかそういう意見がメディアでも見られないし、日本の左派の多くはなぜかまず金融緩和やインフレターゲットを批判したがる。ただ、昨年6月の朝日新聞に掲載されたジョセフ・スティグリッツのインタビューで、スティグリッツは再分配政策の必要性と、安倍政権の政策にそれが欠けていることを指摘していたから、上記はあながち素人の妄想とも限るまいと勝手に考えている。

いずれにせよ、いよいよ安倍政権の経済政策の結果が出る時がくる。現在は時代における一つの区切りの時期なのではないかと思う。

外交・安全保障政策でも、時代は大きく変わりつつある。昨日(3/30)、TBSの『サンデーモーニング』を見ていたら、寺島実郎がワシントンを訪れた時、「西のイスラエル、東の日本は、地域の不安定要因を作る『迷惑な同盟国』になりつつあると見ている」と発言していた。

「日本 迷惑な同盟国」を検索語にしてググると、2ちゃんねらーどもが「寺島実郎が安定の韓国目線ww」などと噴き上がっていたことがわかる。保守派にして強硬な原発推進派、何かといえば国会議員定数削減を口にしたがるなど、私にとっても印象の悪い寺島実郎だが、ネトウヨたちは違った方向から寺島実郎を「反日」と決めつけているようだ。

しかし、さらにググってみると、「迷惑な同盟国」論は昨年から寺島が言っていたことがわかった。その文章は、寺島が属する三井物産戦略研究所のサイトに掲載されている。『世界』2013年11月号に掲載されたものらしい。
http://mitsui.mgssi.com/terashima/nouriki1311.php

他の事項に関する寺島の主張はともかくとして、この件に関しては寺島の指摘は正鵠を射ているというほかない。以下引用する。

(前略)三つは、米国にとって日本が「迷惑な同盟国」に変わりつつあることである。日本では集団的自衛権に慎重な論者の論点は「アメリカの戦争に巻き込まれない」だったが、米国では前のめりの日本に「日本のナショナリストが作り出す地域紛争に不用意に巻きこまれてはならない」という当惑が見え始めている。忘れず触れておきたいのは、野田政権下の民主党も「日本再生戦略」と銘打って、「集団的自衛権行使容認」に踏み込もうとしていたという思慮の浅さと愚かしさである。歴史的使命を見失い「米国と一体化してアジアの脅威と向き合う」程度の構想しか思いつかない政党だったということだ。しかもこの党は、二〇一三年夏という大切な時に、外交安保について一切のメッセージを出すことなく立ち尽くしている。

結局、安倍政権下の日本が二〇一三年の夏に見せた一連の動きを貫くものは何なのだろうか。ある種の自己主張への願望だろうが、近隣の韓国、中国との関係がささくれだち、竹島・尖閣などの領土問題、従軍慰安婦問題などにおいて多くの日本人にとっても不愉快な空気が漂い、「近隣の国には侮られたくない」という次元でのプチ・ナショナリズムに引き寄せられている状況を受け、政治的に強い自己主張をし、軍事的にも「強い国」に回帰する流れを作るということであろう。

日本の右傾化を図るメッセージの底流に存在するのは、「近代史において、日本だけが悪かったわけではない」という歴史意識であり、「アメリカを頼りにアジアに向き合おう」という「親米ナショナリズム」の矮小で屈折した心理である。二一世紀のアジアをリードする熱い情熱とビジョンに裏付けられた自己主張ではない。近隣との相互理解・交流への踏み込みなしに二一世紀への希望など存在しない。中国の脅威を日米同盟を中核とする「自由と繁栄の弧」で封じ込めようとする安倍外交の姿勢は冷戦イデオロギー外交を一歩も出ていない。(後略)

(『世界』2013年11月号掲載 連載「脳力のレッスン」〜「思考停止の夏と希望への視界——リベラルの危機と再生 (その4)」(寺島実郎)より)


その後、昨年末に安倍晋三が靖国神社を参拝した時、直ちに米オバマ政権が「失望」を表明し、その流れが現在も続いている。

寺島も書くように、安倍晋三の政策のレールをわざわざ敷いてやったのが、私が「野ダメ」と言い習わしていた野田佳彦の民主党政権であり、社説でその野田を熱心に応援していたのが朝日新聞だった。当時朝日の社説で「決められない政治」という文字列を見る度、朝日は今に痛烈なブーメランを食うぞと思ったものだが、それがいま現実になっている。さらにその野田路線を生み出したのは、ともに権力闘争を生き甲斐にしていただけではないかと疑われる小沢一郎と菅直人だった。2010年6月の民主党代表選で、菅直人が野田佳彦や前原誠司を含む松下政経塾上がりの連中と組み、小沢一郎もまた新自由主義者の樽床伸二を担いだ。松下政経塾と組んだ菅も菅だが、それと対抗するのにわざわざ「他の新自由主義者」を担いだ小沢も小沢だった。

小沢は、菅政権退陣を受けての2011年の民主党代表選でも、原発推進派の野田佳彦に対抗する候補として、同じく原発推進派でその直前に玄海原発の再稼働を経産官僚とともに企んだものの菅直人にそれを阻まれて国会で悔し涙に暮れた海江田万里を担ぎ、代表選の争点から原発問題を消した。小沢が明確に「脱原発」を打ち出したのは、配下の者たちの相次ぐ離党によって、新党結成に追い込まれてからのことだった。その時には既に、野田佳彦が自民党の政権復帰へのレールを敷く政治を進めていたのだった。

その頃政界から干されていたも同然の安倍晋三がにわかに政界の中心に復帰したのは、橋下徹らによる安倍晋三引き抜き失敗がきっかけだったが、その橋下にしきりにラブコールを送っていたのも小沢一郎だった。

何よりも、自民党政治の旧弊の打破を小沢一郎の「剛腕」に託そうという、自民党政治の批判者たちの多くが「落とし穴」にはまってしまったのが痛かった。初めそれはネットの「小沢信者」だけかと思われたが、リアルの政界にも十分影響があったことを示したのが一昨年の「日本未来の党」結成であり、それが鎌田慧や澤地久枝といった文化人たちにも影響してしまったことが、今年の東京都知事選で明らかになった。何しろ、彼らは小泉純一郎さえ容認してしまったのだ。

権力に対抗するのに他の権力に頼る弊害を、現在はっきり見せているのが、かつての「小沢信者」の一部がロシアのクリミア併合を積極的に容認している件だ。大国の覇権主義の容認は、かつての「社会主義国の核はきれいな核」、つまりソ連や中国の核兵器開発を非難できなかった反核運動を連想させる。もちろん今ではそんな考え方をする人たちはほとんどいない。共産党は明確にロシアのクリミア併合を批判しているし、小沢一郎がプーチンに理解を示したという話も聞いたことがない。ただ、安倍晋三や麻生太郎がロシアに融和的な態度を取りたがっていることはしばしば報じられる。

アメリカであろうがEUであろうがロシアであろうが中国であろうが、覇権主義をきっちり批判できないようでは、今後安倍晋三がやらかしかねない日本の覇権主義を批判する資格はないだろう。一部の「小沢信者」たちの考え方は、誰よりも安倍晋三と親和性が高い。そんな「リベラル」が跡を絶たない現状では、安倍政権によって日本がどんどん間違った道を進むことを止められるとは、残念ながら到底思えない。

文章の後半はタイトルとはかけ離れた内容になったが、収拾がつかないのでここまでにする。
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先週は都合により当ブログを更新しなかった。2週間ぶりの更新になる。

いよいよ来週月曜日で「2013年度」が終わり、「2014年度」が始まるが、新年度は今後の日本の進路を決める重要な1年になるだろう。

4月1日からの消費税引き上げに伴う日本経済の状況も気になるが、今回は原発問題を取り上げたい。

原子力規制委員会が、再稼働に向け審査中の10原発のうち、鹿児島県にある九州電力の川内原子力発電所の安全審査を優先的に進めることを決めたと報じられたのは3月13日だった。

これに対して、先週の日曜日(16日)に鹿児島市で脱原発を求める集会とデモが行われ、主催者発表で6千人が参加した。
http://www.asahi.com/articles/ASG3J5GJ9G3JTLTB00D.html

川内原発の「再稼働反対」で集会 鹿児島、6千人が参加

 原子力規制委員会の優先審査により、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)が今夏にも再稼働する見通しになったことを受け、脱原発を訴える市民集会が16日、鹿児島市であった。「再稼働は絶対に許されない」「原発のない地球で暮らしたい」と声を上げながら、参加者は市中心部をデモ行進した。「反原発・かごしまネット」などでつくる実行委が呼びかけ、約6千人(主催者発表)が参加。県内での反原発集会としては過去最大規模となった。

 集会で壇上に立った福島の原発事故の被災者、木幡ますみさん(58)は「3年たったが福島の状況は変わっていない。再稼働させないで」と呼びかけた。(小池寛木)

(朝日新聞デジタル 2014年3月16日22時29分)


鹿児島県では、4月27日に衆院鹿児島2区の補選の投開票が行われる予定になっているが、これは川内原発再稼働が主な争点にはなりそうにない。というのは、民主党、日本維新の会、生活の党、社民党、結いの党の5党が推すとみられる打越明司氏は、元民主党衆院議員で補選に立候補するために民主党を離党したとのことだが、もともとは松下政経塾出身の自民党の鹿児島県議であり、2005年の郵政総選挙で自民党の公認が得られず敗退すると、2009年の政権交代選挙で民主党公認で出馬し、選挙区では徳田毅に敗れるも、比例で復活当選した人物だからである。

だから、この補選では、共産党が独自候補を立てるほか、山本太郎が候補者の公募を発表した。
http://www.asahi.com/articles/ASG3L6KMXG3LTLTB015.html

山本太郎議員が候補者公募 衆院鹿児島2区補選

 参院議員の山本太郎氏(無所属)が18日、鹿児島市内で記者会見し、衆院鹿児島2区補選(4月27日投開票)で候補者の公募を始めたことを明らかにした。九州電力の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働に反対する県内在住か県出身者から募り、独自に擁立する考え。28日までに公募し、自ら面談したうえ4月1日に発表予定という。山本氏はまた、消費増税反対、環太平洋経済連携協定(TPP)不参加などへの賛同も候補者の条件に挙げた。

 今回の補選には、自民新顔の金子万寿夫氏(67)、共産新顔の三島照氏(72)、無所属前職の打越明司氏(55)らが立候補を表明している。

(朝日新聞デジタル 2014年3月18日22時25分)


鹿児島県は自民党が特に強い土地柄でもあり、選挙は自民党候補の圧勝が目に見えていると思うし、原発の立地は2区ではなく3区に当たるが、山本太郎が脱原発票の掘り起こしを図っていることは前向きに評価して良いだろう。

しかし、首都圏では今のところ川内原発の再稼働については関心が低いように思う。今後、一昨年の大飯原発再稼働反対のデモに大勢の人たちが参加したような熱気が再現できるかも心許ない。

それに加えて思うのは、一口に原発と言っても、運転開始後40年以上が経つのに未だに廃炉が決まるでもなく再稼働されるわけでもない原発が、福井県の関西電力の原発を筆頭に多数あり、その一方で現在建設中であったり、建設計画が持ち上がっている原発もある現状への理解が、なかなか人々の間に浸透しないことに苛立ちを覚える。

たとえば前者については、田原総一朗が『原子力戦争』を書いた1975年に、著者が燃料棒破損事故を暴露するとともに、なぜこんなトラブルだらけの原発が稼働され続けるのかと呆れた関電の美浜原発1号機は、1970年の運転開始だが、未だに廃炉になっていない。美浜原発1号機が今後再稼働する可能性など、万に一つもないにも関わらずである。

よく知られているように、関電に限らず原発を抱える電力海社は、原発を廃炉にする費用が積立不足なのである。今後遠くない将来に、電力会社は老朽原発の廃炉を次々と迫られることを考えると、(原発を持たない沖縄電力は別として)電力会社の経営は誰がどう考えても持続不可能である。それは何も重大事故を起こしてしまった東京電力に限らない。

また、中国電力は瀬戸内海に上関原発を建設する計画を持っており、これは東電原発事故を経ても放棄されていない。この上関原発を含む新規原発の建設を、決して許してはならない。新規原発が運転を開始すると、その先40年は原発の運転が続くと考えなければならないからである。

原発が "NIMBY"("Not In My Back Yard"=「自分の裏庭には来ないで」)と呼ばれる「迷惑施設」の代名詞であることが既に十分明らかになっていた90年代には、新規原発の建設を認める地域がほとんど現れなくなっており、電力会社は既設の原発のあるプラントに新たな原子炉を増設するしか手がなくなっていた。

民主党政権時代、私が激怒したことの一つが、青森県のJパワー(電源開発)大間原発の建設再開を容認したことである。民主党政権がこれを容認したのが野田政権末期の2012年9月であった。これは、菅政権時代に決定した「脱原発依存」の方向性に逆行するものであり、安倍晋三(自民党)へのこの上ない政権復帰前祝いのプレゼントになった。

早くもその1年前の2011年5月12日(東電原発事故のわずか2か月後)には、当時の民主党幹事長・岡田克也は記者会見で「福島原発の重大な事故を教訓とし、より安全性の高い原子力発電を実現していかなければいけない」と発言して、建設続行方針を表明していた。私は岡田克也を「原発推進派」としてブログで批判したが、とある「小沢一郎も前原誠司も支持する」立場に立つ「民主党信者」の人間から、「kojitakenは岡田克也までをも『原発推進派』と決めつけるのか」と怒りを買ったものだ。しかし、新規原発の建設が中期的な「脱原発」を妨げる最たるものである以上、その建設再開を容認する政治家は「原発推進派」としか呼びようがない。

また、上関原発についていえば、海水の流れが太平洋などの外海と比較して緩やかな瀬戸内海は、一度汚染されてしまうとそれを除去することは難しい。既に60年代に重化学工業のコンビナートなどが多く作られたことで瀬戸内海の汚染が深刻になり、後追いで「瀬戸内海環境保全特別措置法」が高度成長期最末期(田中角栄政権時代)の1973年秋に成立、施行されたが、法律が施行されたのは、まさに高度成長期の終わりを告げる「第1次石油危機」の真っただなかだった。要するに遅きに失したと言うほかないのだが、それでも何もやらないよりははるかにましだった。仮に瀬戸内海で原発事故が起きたなら、その原状回復は、東電の福島原発などの太平洋に面した原発以上に困難だろう。このことは、四国電力の伊方原発にも当てはまる。

しかも、この地域にはさる3月14日に震度5の地震が起き、2001年にも「芸予地震」があって、この時には石鎚山の登山道が一部通行止めになっているのを目の当たりにした経験がある。伊方原発や、上関原発の立地予定地は、瀬戸内海の中でも特に地震発生のリスクが大きな地域といえる。その意味からも、上関原発の建設は絶対に阻止しなければならない。

各電力会社が再稼働を目論むのは、比較的新しい原発ばかりであることに気づいておられる方も少なくないと思うが、その中には伊方原発3号機も含まれる。

この記事で私が言いたいのは、原発の再稼働が決まってから、後追いのように「再稼働反対デモ」を行って空しく終わるだけの繰り返しだけではなく、老朽原発の早期廃炉や、新規原発建設の絶対阻止など、もっと重点を絞った「脱原発」運動があってしかるべきではないかということだ。現在の「脱原発」運動には、そのあたりについてもう一工夫が求められるのでないかと思う今日この頃である。
明日3月11日で、東日本大震災から丸3年になる。3年前は金曜日だったが、閏年は2つ、平年は1つ、同じ日の曜日が先に進む。だから3月11日は2012年が日曜日、2013年が月曜日、今年は火曜日になる。次に3月11日が金曜日になるのは2016年である。

昨日(9日)のTBSテレビ『サンデーモーニング』は、被災地である岩手県宮古市から中継していた。明日はテレビ朝日の『報道ステーション』あたりも、どこかから中継するのではないかと思う。

東電原発事故や今後の原発再稼働についても言及されているが、東電原発事故から3年経って思うのは、たとえば原発事故からまだ間がなかった2011年の夏頃までと比べて、公立の図書館の書架における原発関係の本が一変したことだ。2011年当時は原発推進の立場から書かれた本が、反原発あるいは脱原発の立場から書かれた本の2倍くらい置いてあったが、現在では9割方が反原発あるいは脱原発の本の立場から書かれた本に置き換わっている。かつて置かれていた原発推進本は、閉架書庫にでも移されたか、さっぱり見かけなくなってしまった。驚くべき様変わりである。

東電原発事故で炉心溶融(メルトダウン)が起きたことは、原発事故発生直後のマスメディアの報道によって確信していた。その後、東電や政府が炉心溶融をなかなか認めなかったため、マスメディアの論調も後退してしまったが、事故発生直後には産経新聞の紙面にさえ「炉心溶融」の文字が躍っていたのだった。

炉心溶融が起きた以上、原発事故がそうそう簡単に収束するはずがないことなどわかり切った話だったから、私は原発事故の影響はじわじわと現れて長く続くと事故発生直後から確信し、その予想をブログの記事にも強く打ち出した。そしてその通りの状態になった。物理学者の大槻義彦などは当時ずいぶん楽観的な予想を書いていたが、これでも本当に物理学者なのかと目を疑ったものだ。そして当時大槻らが誤っていたことは、今や誰の目にも明らかだろう。

ただ、「脱原発運動」の劣化も当時から私は予想しており、これも残念ながら現実のものになってしまった。「『右』も『左』もない脱原発運動」が起きることは、その数年前にネットで一部の人間が「『右』も『左』もない政権交代」を求めて、当時自民党を離れていた城内実や平沼赳夫らの「極右政治家」にまで肩入れした事実を思い起こせば容易に予想できた。ただ、大江健三郎や澤地久枝といった人たちまでもがその悪影響を受けるとまでは想像もつかなかった。

図書館の話に戻ると、昨年文藝春秋から発売された小熊英二編著の『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』も置いてあった。読んだが、著者と私では東電原発事故に対するスタンスはかなり違う。例えばこの本には「それぞれの証言」として、反原発・脱原発の運動家50人の寄稿を紹介しているが、そのうちの1人である「おしどりマコ」は「自由報道協会」の「理事」を務めていた芸能人だが、この人が「週刊文春取材班」との連名で出した『週刊文春』のトンデモ記事を、私は『kojitakenの日記』で批判したことがある(下記URL)。このトンデモ記事にはあの政治ゴロ・上杉隆が関与していた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120226/1330219939

「おしどりマコ」や上杉隆のような人士を厳しく批判せずして「脱原発」運動の未来はないというのが私の立場である。

しかし、著者と私の立場は不一致点ばかりではない。この本には著者と東日本大震災・東電原発事故発生当時の総理大臣だった菅直人との対談が掲載されているが、対談の最後に著者・小熊英二が述べた下記の発言には深く共感した。そのくだりを以下引用する。

 明るく考えるしかないですよ。いまの日本の状況を暗く考えていたら、何も出てきません。自民党が選挙で勝ったのを見て、「日本は何も変わらない」といった「暗い」見通しを語る人がいますが、その見方のほうがよほど楽観的です。これだけ雇用も家族も不安定になっているのに、「日本は何も変わらない」なんて、のんきな見方としか言いようがない。政治にしても、自民党がそれなりにしっかりしていた三〇年前ならいざ知らず、下手をすればこのままでは国が持たない。「社会は変わらない」などと言っていられるほど、もう余裕はないのです。

(小熊英二編著『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』(文藝春秋,2013)191-192頁)


著者と菅直人との対談は第2次安倍内閣発足直後の2013年1月25日に行われ、『現代思想』2013年3月号に「官邸から見た三・一一」後の社会の変容」と題して掲載されたものが再録されている。

この小熊英二の言葉から私が思い出したのは、昨年末、やはり私とは意見の合わない部分の多い、保守系の思想家・松本健一が書いた文章である。それは、松本氏の著書『官邸危機―内閣官房参与として見た民主党政権』(ちくま新書,2014)に載っている。この本の感想文を『kojitakenの日記』に書いたので(下記URL)、それから孫引きする。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140301/1393650150

(前略)三年三カ月まえの民主党への国民の幻想は、一気に幻滅へと変じていった。そしてそれは、政権政党としての長い経験を持つ自民党への幻想を大きくふくらませることになった。しかし、安倍晋三政権を支えているのもまだ、大衆の幻想にすぎないのである。

(松本健一『官邸危機 - 内閣官房参与として見た民主党政権』(ちくま新書,2014)272頁)


このように、実は「大衆の幻想」という根拠も実体もないものに支えられている安倍晋三は、原発再稼働に向けてまっしぐらであるばかりか、原発の新増設まで視野に入れている。しかし、「脱原発」にも今や十分強い慣性力がついている。それには、東電原発事故の現状からいかに目をそらそうとしても、厳然としてそれは存在するという事実の力がもっとも強いと私は考えている。

さて、小熊英二といえば、昨年10月31日付朝日新聞に小熊英二が寄稿した論考「『脱原発』実現しつつある日本」が思い出される。これを、『kojitakenの日記』にメモしておいたので(下記URL)、それを引用する。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131031/1383178822

 福島第一原発事故後に、もっとも劇的に脱原発した国はどこか。そう質問すると、多くの人が「ドイツ」と答える。しかしドイツは、政府が脱原発を宣言したが、実際には多くの原発を動かしている。
 では、政府は宣言していないが、実質的に脱原発した国はどこか。いうまでもなく日本である。いま日本では、一基の原発も動いていない。
 ではこの状況を作ったのは誰か。政治家がリーダーシップをとったのか。賢明な官僚が立案したのか。財界やマスコミの誘導か。アメリカの「外圧」か。いずれでもない。答えはただ一つ、「原発反対の民意が強いから」だ。それ以外に何かあるというなら、ぜひ挙げてみてほしい。

(朝日新聞 2013年10月31日付「オピニオン面」掲載「あすを探る - 思想・歴史」小熊英二「『脱原発』実現しつつある日本」より)


 昨年来の選挙結果は何か、と思う人々がいる。即席で脱原発を唱えた政党が信用されなかったのは、むしろ健全というべきだ。自民党の比例区得票数は大敗した2009年の数を回復しておらず、09年の民主党の約6割である。自民党は棄権の多さと野党の分裂で、少ない得票で漁夫の利を得たにすぎず、基盤強固とは言えない。しかも自民党の得票の7割は脱原発支持者のものだ。(小熊英二著『原発を止める人々』参照)

(前掲記事より)


赤字ボールドに下部分は、「政党」を「候補者」に置き換えれば、先の東京都知事選にも当てはまると思うが、それはともかく、小熊英二自身が朝日の寄稿に「『原発を止める人々』参照」と書いている通り、この本にも同じ主張の文章が載っている。但し私は、昨年朝日の記事が載った時、下記のように書いた。

 いちいちお説ごもっともではあるが、どうしても気になることが一つある。それは、現在の「脱原発」には、浜岡原発停止によって作られた流れが「惰性」で続いている面が多々あるということだ。経産省と海江田万里は、浜岡原発をスケープゴートにして、他の原発の再稼働をもくろんだが、九電の玄海原発再稼働を阻止された。原発再稼働のバリアが高くなったのはこの時からであり、この点だけは、首相在任中功績が極めて少なかった菅直人の数少ない功績に数え入れて良いだろう。

 しかし、強引に事を進めて悪しき「既成事実」を作ることを得意とする安倍晋三が総理大臣に返り咲いていることを、間違っても甘く見てはならない。2006年に安倍が改悪した「教育基本法」は今もそのままである。現在では「秘密保護法案」の強行突破を図っている安倍だが、今後原発に関しても再稼働をどんどん推進して、それによって作られた「既成事実」を国民は再び黙認してしまうのではないか。その懸念から私はどうしても離れられない。

(『kojitakenの日記』2013年10月31日)


上記の文章を書いた時点では「特定秘密保護法」はまだ成立していなかったが、私が予想した通り、2006年の「改正教育基本法」と同様、安倍晋三は「特定秘密保護法」成立を強引に推し進めた。

このような安倍晋三の強権的な政治手法に油断は禁物であって、絶対に警戒を緩めてはならない。残念ながら、日本の政治においては、いかに既成事実を作り上げて慣性力を発生させるかが政治の要諦になっているが、第1次内閣時代から、安倍晋三の悪しき実績は枚挙に暇がないのである。

すっかり「トンデモ極右勢力」と化した安倍晋三一派は、昨年暮の安倍晋三の靖国参拝以来、米オバマ政権との関係も悪化させてしまい、今では新聞の株価欄に載る保守系のコラムにも「首相と側近の言動が米中という二大貿易相手との経済関係まで損なう危うさが出てきた」(3月7日付朝日新聞「経済展望台」)と書かれるようになった。自民党の憲法改正「第二次草案」にしても、自らが推した東京都知事・舛添要一に「近代立憲主義憲法について理解していない」、「そもそも憲法論議に加わる資格がない」(舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書,2014)116頁)などと痛烈に批判される始末である。どこからどう見ても安倍晋三の政策に持続可能性など全くなく、こんな政権を倒すことができない方が不思議に思われるのだが、安倍内閣支持率が高止まりしているのもまた事実なのである。

こんな危険極まりない政権は一刻も早く打倒しなければならないのだが、残念ながらその手がかりはまだ誰にもつかめていない。

原発に関して、今後安倍政権が進める原発政策は、既に十分強まった「脱原発」の慣性力とぶつかり合うことが予想されるが、それを安倍政権打倒のきっかけにできるかどうか。こう書くと、「われわれの目的『脱原発』なのであって、政局などどうでも良い」と言う人が出てくるかもしれないが、安倍晋三が属する集団のイデオロギーを考えると、「脱原発」は安倍晋三(安倍政権)の打倒と密接につながらざるを得ない。

これを「安倍政権打倒なくして『脱原発』なし」というと、私の大嫌いな誰かさんを連想させるのでわれながら不満だが、安倍政権は原発問題に限らず、あらゆる政策において「反国民的」「反市民的」「反人民的」なのであるから、これを打倒せずして日本に未来はないのである。
私が宮武外骨(みやたけ・がいこつ)の名を知ったのは、香川県に住むようになって間もない頃だった。「讃岐の三畸人(きじん=奇人)」として空海(弘法大師)、平賀源内と並び称されるのが、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストの宮武外骨なのである。ちなみに私は数年前に香川を離れたが、不精なもので、当時からブログのタイトルバックに使っていた讃岐富士(飯野山)の画像を今もそのまま使い続けている。

「宮武」は香川県に目立って多い姓だが、外骨は幼名を亀四郎(かめじろう)と言った。17歳の時に戸籍上の本名を「外骨」 に改める。亀四郎の亀が 「外骨内肉」の動物であることにちなんだものだが、ペンネームではなく本名の改名である。外骨は自ら「予の先祖は備中(岡山県西部。倉敷など)の穢多(えた)であるそうな」と書いた。これは事実ではなかったそうだが、外骨は部落差別に反対する運動も行っていた。蛇足ながら、私も讃岐に住む前には備中に住んでいた時期があった。

外骨の本領は、ノンポリでありながら誰にも負けないほど反骨精神が旺盛だったことである。大日本帝国憲法が発布された1889年(明治22年)には、憲法発布式をパロディ化した「大日本頓知研法」の第一条として、「大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統轄ス」と書いた上、憲法を下賜する天皇のパロディーとして、頓知研法を授与する外骨ならぬ骸骨を描いた戯画を掲載したところ、不経済、もとい父兄材、いや違った、漢字をど忘れしてしまったが、「フケイザイ」とやらに問われて3年8か月もの間、牢屋入りを喰らい込んだのだった。当時外骨はまだ22歳であった。外骨自身は反天皇制論者でも何でもなく、それどころか敗戦翌年の1946年に書いた文章に、昭和天皇のことを「御一人様」と書いているくらいである。要するに当代一流のパロディストだったに過ぎないのだが、戦前の政府はそれすら許さなかったのだった。外骨はその後も3度(計4度)投獄され、発行した雑誌等が発禁になること実に29回を数え、雑誌の創刊号しか発行できなかった例も多数あった。

外骨自身は前述のようにノンポリだったが、社会主義者の幸徳秋水に深いシンパシーを抱いていた。外骨は、やはり戦後の1946年に書いた文章で、幸徳秋水の明治30年頃の文章を引用して、いずれも「フケイ」の科で久米邦武内村鑑三が教職を負われたり、尾崎行雄が大臣を免職されたりしたことに触れている。

上記の宮武外骨の文章は、最近ちくま学芸文庫から発行された外骨晩年の著書『アメリカ様』を参照した。筑摩書店のサイトから、この本の宣伝文を以下に引用する。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096036/

この本の内容

『アメリカ様』は東京裁判の開廷日1946年5月3日に刊行された。戦争にひた走った政府や無批判に隷従していった人々を痛烈に断罪しつつ、自らを「半米人」と名乗り、アメリカを褒め殺すことで、新たな主人にしっぽを振りはじめた日本人の姿を皮肉る。入獄4回、罰金・発禁29回という輝かしい記録を持つ外骨は、本書でGHQによる検閲・削除命令を受け、日米両政府からのダブル弾圧という栄誉に浴した。巻末に弾圧を受けたジャーナリストたちの記録を外骨が綴った『改訂増補筆禍史』を抄録。


この文句はやや誇大宣伝だと思う。本書における外骨は、「自らを『半米人』と名乗り、アメリカを褒め殺すことで、新たな主人にしっぽを振りはじめた日本人の姿を皮肉る」ところにまでは至っていない。敗戦時、外骨は既に78歳だったが、それまでの人生でさんざん痛い目に遭わされた日本政府が戦争に負けてアメリカに占領され、その下で民主主義の時代が始まることをストレートに喜んでいるようにしか私には読めない。本書には西谷修氏と吉野孝雄氏の解説がついているが、そのうち吉野孝雄氏が

 戦後のスピード感ある自由化政策を見て、言論の自由を完全に保障する国だと拙速に思い込んでしまうような人の良さと単純さも、外骨は持ち合わせていたのだ。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)231頁=吉野孝雄氏の解説「『筆禍史』と『アメリカ様』のあいだ)より)

と書く通りである。ところがそのアメリカも、『アメリカ様』の一項に削除命令を出した。吉野氏の解説に、この時の外骨の反応が書かれている。

「なんだ、自由の国といっても(戦前の日本と)変わらないじゃないか」といって落胆した、という話を弟子の西田長寿さんから聞いたことがある。(前掲書231頁)


そうは言っても戦前の日本の言論弾圧は、占領軍の比ではなかった。外骨の『アメリカ様』は、初めの方の部分は、以外に思えるくらいにストレートなアメリカ賛美で、正直言って「外骨も歳をとって鋭さがなくなっていたのかなあ」と思ったが、読み進めるにつれ、それまで外骨がなめさせられた辛酸や、他の人々に対する「大日本帝国」政府の苛烈な弾圧が描き出されるにつれ、そりゃ占領軍の政策を歓迎したのも無理からぬ話だなあと考えを改めた。

さて、ちくま学芸文庫版で復刊された宮武外骨の『アメリカ様』を取り上げたのには理由がある。それは、前述の吉野孝雄氏の他、もう1人解説を書いている西谷修氏の安倍晋三評を紹介したかったからだ。西谷修氏のブログ記事もネットで読めるが、氏のブログ記事に「(中略)」として省略されている部分にも興味深い指摘がある。以下その部分を引用する。

 安倍政権は「強い日本をとりもどす」ことを謳っている。そのとき反面で示唆される「弱い日本」とは、近くは自民党が下野しているうちに東日本大震災で痛めつけられた日本であり、より長期的には、自国の軍隊を失って牙を抜かれ、他国の核の傘に頼るだけでなく、戦う気概を失ってしまったとされる「平和ボケ」の日本である。それに対して「強い日本」とは、近くは力強く成長を続け、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われる経済的繁栄の日本、そして長期には、強力な軍事力を背景に世界統治に参加し、力によって「平和をもたらす」ことのできるような日本だ(ただし、今度はアメリカに対抗してではなく協力して)。それができない「弱い日本」! 嗚呼、だから彼らは、ここ半世紀の日本の歴史を、軍隊ももてずに一人前の国家になれない「屈辱の歴史」とみなしている。

 だがそこには深い倒錯が隠されている。日本がそういう意味で「強く」なるためにはアメリカの支配を脱却しなければならない。というのは、まさにアメリカは多大な対価を払ってそのような日本を戦争で打ち負かし、屈服させることで「親米国」にしたのだから。それ以来アメリカにとって日本は、その意図に背かず従順であるかぎりでの「親米国」なのである。屈辱といえばそれが屈辱であるはずなのに、日本の支配層はその点を見ず、日本が「弱い」のは戦前の日本のような気概を日本人が失ってしまったからだと思っている。だが、もし戦前の日本が復活したとしたら、アメリカのミサイルの照準はただちに中国から日本に変えられるかもしれない。「強い日本」はアメリカの敵だったのだから(それに対して、中国はアメリカと共に連合国だった)。アメリカが一時方針を変えて日本に再軍備を求めたのは、冷戦下の状況で反共戦略の前線基地に使おうとしたからであり、いまも一部でそれが求められているのは、アメリカの軍事戦略の有効なコマとして働かせたいからであり、あるいは軍産複合体の兵器を買わせたいからであって、戦前のような、つまりアメリカのコントロールのきかない軍隊の再生を求めているわけではない。

(中略)

「強い日本を取り戻す」という日本の超保守勢力は、この「平和憲法」とそれが支える国の形を「屈辱」とみなすが、いわゆる「逆コース」と呼ばれた再軍備路線は、もとはといえば彼らの独力で敷かれたわけではなく、アメリカの世界戦略の都合で求められたものであって、その「お役に立つ」かぎりで彼らは放免されたのである。だが、冷戦後は国際状況が根本的に変わってきている。アメリカは冷戦向けの戦闘部隊を必要としているのではない。グローバル世界秩序でアメリカの戦略を費用をかけずに請け負う協力者を必要としているのである。世界秩序を変える独自の要因を求めてはいない。だからアメリカは日本の超保守派の動きを牽制するのである。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)212〜215頁=西谷修氏の解説「『アメリカ様』と『強い日本』)より)


前回の記事に、安倍内閣が集団的自衛権の政府解釈見直しを急ぐ動機として、日本が起こす中国との戦争にアメリカを巻き込む意図があると思われるが、仮に尖閣諸島をめぐって日中の戦端が開かれてもアメリカは介入しない可能性があるという主旨のことを書いた。日中戦争がアメリカの国益に反することは明らかだろう。仮にアメリカが日中のどちらかにつくとして、アメリカが日本を選ぶとは限らないとは、既に前世紀末に故森嶋通夫が(日本の没落及び反中・反韓の世論の高まりを予測するとともに)指摘していたことである。

今回の記事も長くなったが、宮武外骨が大日本帝国発布のパロディーで牢屋入りを喰らい込んだ件に関しても、前述の西谷修氏の解説に感心したので、これを最後の引用とする。

 もうひとつ、外骨の指摘で肝心なことがある。「強い日本」には「不敬罪」というものがあったが、「不敬」とは天皇がケシカランと思うことではなく、天皇の権威を笠に着る連中が、その権威を「不可侵」とするために、自分の気に入らない(都合の悪い)者を取り締まるときに使う道具だった。頼まれてもいないのに自分を天皇の「名代」のような位置に置き、そのご意向を忖度すると称し、あるいは自分がこうあるべきだという意図を勝手に押し付け、見えない「不敬」の網でケシカランとみなされる言論や行為を封殺するのだ。外骨の下獄の原因になったのもその「不敬」だが、「天皇もくそもあるものか」などと言うとお縄になり、理詰めの判断があって「この戦争は負ける」と言うと国賊と非難され、教壇を追われる。それは天皇のためというより、天皇を口実に自分の権力を行使しようとする者たちのやり口である。戦前の天皇制はそのようにして機能していたが、最近世間を騒がせた山本太郎の「園遊会事件」は、このような「不文律」が今でも生きていることをはしなくもさらけ出していた。

(宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014)219〜220頁=西谷修氏の解説「『アメリカ様』と『強い日本』)より)


西野氏の解説に蛇足をつけ加えるなら、当の山本太郎自身もその「不文律」に縛られていたように見えたことくらいだろうか。