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きまぐれな日々

東京都知事選も終わり、本命の候補こそ立てられなかったものの、自公が推した舛添要一が対立候補を寄せつけなかったことでますますつけ上がっている安倍晋三が「憲法解釈は俺が決める」と豪語して、野党はもちろん自民党内からも批判を浴びている。

そればかりか、都知事選に当選したばかりの舛添要一からも、自民党が作成した憲法草案をケチョンケチョンにけなされた。これにネトウヨがいきり立っていることは言うまでもない。だが、連中がいかに泣こうが喚こうが、連中が熱烈に応援した田母神俊雄は、供託金没収こそ免れたものの、わずか12%の得票率で都知事選に惨敗したのである。若年層の比較的高支持こそ懸念されるものの、とりあえずはネトウヨどもに「ざまあみろ」と言っておく。

その舛添の自民党憲法草案批判はまずまずまっとうである。舛添が記者会見でしゃべった内容は、東京都のサイトで確認できるが、舛添自身はもちろん改憲論者であって、小泉政権時代(2005年)の自民党の第1次憲法草案は、舛添自身が「一言一句全部私が書いた」という。しかし、2009年の政権交代以降、極右化の度合いを強めた自民党は、その舛添ですら容認できない「トンデモ」な第2次憲法草案を作ったのである。

舛添の批判は、自民党の第2次草案が、天賦人権論を否定していること、天皇を元首と規定していること、9条改正で「国防軍」を明記していることなどだが、このうち9条については、舛添が書いた第1次草案では「自衛軍」となっているから、五十歩百歩ではないかと思う。しかし、舛添の元妻・片山さつきが声高に唱えていることでも知られる天賦人権論否定論への批判や、以下に紹介する憲法24条及び13条の改正案への批判はまっとうそのものである。

舛添は下記のように語っている(前記東京都のサイトより引用)。

(前略)それから、24条の家族のことも両性の合意だけでいいじゃないですか。そんな家族、どういう家族であろうと、そんなこと国が文句言うべきじゃない。全ての、だから1つ言うと、その、家族のところはですよ、何が書いてあるか、両性の合意のみでいいと。しかし、家族を書いている諸外国の憲法も、国家は家族を守りなさいって書いてるんですよ。家族同士で相互支援しなさいなんて憲法が言うことではありません。私は最初の会見のときに言ったように、介護をめぐって家族が崩壊したりするわけですから、そこだって私は1つも触れさせなかったですよ。

 それから、人として尊厳に値するって書いちゃだめなんです。絶対個人自体守られている。個人の対抗概念が国家なんですよ。国家権力に対して個人を守らないといけないから憲法があるんであって、憲法っていうのは国家権力が強硬に私たちの言論の自由、今、こうして発言しているとこを、特高入ってきてつぶしたらどうするんですか。憲法があるじゃないかってやるためにあるんです。国家の対抗概念は個人であって、人として何で書きかえたんですかと、人の対抗概念は犬や猫ですよ。基本的に立憲主義がわかってない。


たまたま、読み終えたばかりの稲葉剛著『生活保護から考える』(岩波新書,2013)に、舛添が批判したのと同じ、自民党の第2次憲法草案の第24条と第13条への言及があった。以下、同書より引用する。

 「絆原理主義」

 自民党が二〇一二年四月に発表した日本国憲法改正草案では、二四条一項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文が新設されています。わざわざ家族の支え合いを明文化しているのです。

 また改正草案の一三条ではわざわざ現行憲法の「すべて国民は、個人として尊重される」という規定を「全て国民は、人として尊重される」と変更しています。「個人」から「人」への文言変更は、私には「個的領域」を認めず、公私二分法に戻るという宣言のように感じられます。

 家族や地域の「絆」を強調することで国の責任を後退させようとする考え方を、私は「絆原理主義」と呼んでいます。

(稲葉剛『生活保護から考える』(岩波新書,2013)129頁)


稲葉氏の言う「個的領域」とは、精神科医・宮地尚子氏の論考に負うもので、舛添要一とも縁が深いと噂されるDV(Domestic Violence, パートナーからの暴力)に対処するにあたって、従来の「公私二分法」では、「家庭という私的領域に公が介入すべきではない」として退けられてしまうので、「私」をさらに「親密」と「個」とに分け、「DVとは親密的領域における暴力と支配であり、それによって被害者の個的領域が奪われること」と定義すればすっきり定義できるとする。稲葉氏は、この考え方を貧困問題に拡張し、親族によって個人の「溜め」が奪われている状況があり、それは、「親密的領域」における人間関係によって「個的領域」が侵害されている状況にほかならないとする(前掲書69頁)。

稲葉氏は、昨年の臨時国会で特定秘密保護法に注目が集まるどさくさに紛れて改悪されてしまった「生活保護法」において、扶養義務が強化されることを批判しているのである。そして、憲法13条の「個人」を「人」に返ることによって、自民党が「国の責任を後退させようと」しているのではないかとしてこれを批判している。舛添要一は稲葉氏とは少し観点が違って、個人と国家を対置し、憲法を国家から個人を守るものとする「立憲主義」を自民党が否定しようとしているとみなしてこれを批判している。

おそらく、その両方の狙いがあるのであろう。「個人」を「人」に書き換えるたったそれだけのことにも、自民党は被支配者と彼らがみなしている国民に対するどす黒い悪意というか嗜虐心を込めているのである。

さて、前記稲葉氏の本に、とても興味深い指摘があったので、これを紹介したい。

それは、大平正芳政権時代の1979年に自民党が叢書として発表した『日本型福祉社会』と、2012年の自民党の「政策ビジョン」の比較である。

稲葉氏は『日本型福祉社会』を引用する。

 「日本型福祉社会は、個人に自由で安全な生活を保障するさまざまなシステムからなる。そのようなシステムの主なものは、

  1. 個人が所属する(あるいは形成する)家庭、
  2. 個人が所属する企業(または所得の源泉となる職業)
  3. 市場を通じて利用できる各種のリスク対処システム(保険など)
  4. 最後に国が保障する社会保障制度である。
 すなわち、高度福祉社会は、個人の生活を支えるに足る安定した家庭と企業を前提として、それを 3.によって補完し、最終的な生活安全保障を国家が提供する、という形をとるものである。そこで重要なのは、まず家庭基盤の充実と企業の安定と成長、ひいては経済の安定と成長を維持することである。これに失敗して経済が活力を失い、企業や家庭が痩せ細って存立が困難になっていく中で国が個人に手厚い保護を加えるという行き方は『福祉病』への道であるといわなければならない」

(自民党『日本型福祉社会』(1979)~稲葉剛『生活保護から考える』(岩波新書,2013)122-123頁より孫引き)


少し前の1973年に田中角栄が打ち出した「福祉元年」構想を否定するかのような思想である。近年、大平正芳と田中角栄に関する従来の私の評価が逆転し、大平正芳よりも田中角栄の方にずっと「先見の明」があったと考えるようになっているが(但し、田中角栄の弟子である小沢一郎は、田中角栄と真逆の方向性を持つ新自由主義を目指した悪質な反動政治家であると考えている)、その理由が上記の『日本型福祉社会』に見られるような「小さな政府」の思想を大平が持っていたことである。これが持続可能なものであればまだ大平を評価する余地もあったが、そうではなかったことが、その後現在に至るまでの歴史に示されている。

稲葉氏は、2012年の自民党の「政策ビジョン」について書く。

 自民党の目指す社会保障ビジョン

 次に、扶養義務強化の背景にある政治状況や政治理念について検討したいと思います。

 生活保護バッシングの火付け役である自民党は、二〇一二年二月に発表した「政策ビジョン」の中で、現金給付から現物給付への移行(住宅確保、食料回数券の活用等)、医療扶助の適正化、就労支援の強化、不正受給対策の厳格化などにより生活保護予算を大幅に減額させることを公約として打ち出しました。二〇一二年一二月の自民党の政権復帰後、現実性の乏しい現物給付化を除いた諸施策は実現されつつあります。

 この政策ビジョンがめざす「自助・自立を基本とした安心できる社会保障制度」像を一部引用してみましょう。

 「額に汗して働き、税金や社会保険料を納め、また納めようとする意思を持つ人々が報われること。また、不正に申告した者が不当に利益を受け、正直者が損をすることのないようにすることを原点とする」

 「『自助』、『自立』を第一とし、『共助』、さらには『公助』の順に従って政策を組み合わせ、安易なバラマキの道は排し、負担の増大を極力抑制する中で、真に必要とされる社会保障の提供を目指す」

 「家族の助合い、すなわち『家族の力』の強化により『自助』を大事にする方向を目指す」

(自民党『日本型福祉社会』(1979)~稲葉剛『生活保護から考える』(岩波新書,2013)120-121頁)


1979年と2012年の33年間でどこがどう変わったのか。再び稲葉氏の著書より引用する。

 一九七九年の文書と二〇一二年の「政策ビジョン」を比較すると、自立や家族の支え合いを強調している点、社会保険原理を重視し、公助を否定的に描いている点はまったく変化していないことがわかります。しかし、企業福祉に関する記述は消えています。その背景には何があったのでしょうか。

 日本型福祉社会は終身雇用制、年功序列、企業内労使関係を特徴とする日本型雇用システムと相補的な関係にありました。

 しかし、日本型雇用システムは一九九〇年代以降の自民党政権のもとでの規制緩和策により崩壊しました。非正規雇用の拡大は、医療保険や雇用保険などの社会保険制度に加入できない大量の労働者を生み出しています。自民党が日本型福祉のシステムを構成するとした四つの要素のうち、2.の企業福祉と 3.の社会保険は、多くの低所得者にとって機能を果たさないものになったと言えます。

 そうであれば、残るのは 1.の家族による自助と 4.の国家による公助だけになります。

 たとえて言うなら、企業福祉と家族福祉を両翼にして飛行してきた日本型福祉社会は、企業福祉の翼が剥離し、家族福祉の翼もボロボロんになっている状態です。しかしそれでも飛行機を飛ばそうと自民党は言っているのです。それはなぜか。「国が個人に手厚い保護を加えるという行き方」を徹底的に否定することこそ、自民党の党是だからでしょう。

(自民党『日本型福祉社会』(1979)~稲葉剛『生活保護から考える』(岩波新書,2013)120-121頁)


いかがだろうか。

自民党の政策は持続可能なものではない。「国が個人に手厚い保護を加えるという行き方」、すなわち「サービスの大きな政府」しか正解はないと私はずっと言っている。一部に、「日本型雇用システム」を80年代までの昔に戻せと言う人もいるが、当時から現在に至る変化は不可逆的なものであるうえ、かつての「日本型雇用システム」は、それに含まれない多くの国民を排除してきたという、憲法違反ともいうべきものだったことを見逃してはならないと私は思う。

結論は一つ。自民党の政策は持続不可能であり、近い将来必ず破綻するということだ。

以上書いてきたのは内政の問題だが、安倍晋三は自民党の中にあっても特異な極右政治家であり、先の都知事選でも自公が推した舛添要一よりも、石原慎太郎らの支援を得ていた田母神俊雄の方がずっと安倍晋三に思想的に近いことは常識である。そして、このことが外交面でも日本を窮地に追い込む多大なリスク要因になっている。既に安倍晋三や田母神俊雄や、事実上安倍晋三によってNHK経営委員に送り込まれた百田尚樹らは、アメリカを含む全世界から大ブーイングを浴びているのである。たとえば百田尚樹に関して、こんなニュースがあった。
http://www.47news.jp/CN/201402/CN2014021401002679.html

米大使館、NHK取材に難色 百田氏の発言理由に 

 NHKがキャロライン・ケネディ駐日米大使のインタビュー取材を米国大使館(東京都港区)に申し込み、調整を進めていたところ、経営委員を務める作家百田尚樹氏の東京裁判や南京大虐殺をめぐる発言を理由に大使館側から難色を示されていたことが14日、複数の関係者の話で分かった。

 NHK広報部は「取材・制作の過程に関わることについては回答を差し控える」とコメント。米国大使館は「大使のスケジュールはお話ししないことになっている」としている。

 NHKの最高意思決定機関である経営委員会委員の発言の影響が、報道の現場に及んでいることが明らかになったのは初めて。

(共同通信 2014/02/14 21:45)


日本国民は早く目を覚まさなければならない。このまま安倍晋三とその一味を野放しにしておくなら、日本国民は遠くない将来、とんでもない塗炭の苦しみをなめることになる。
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