(当)稲嶺 進 無現 19,839票
末松 文信 無新 15,684票
以下に毎日新聞の論評を紹介する(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000m010115000c.html
名護市長選:沖縄振興策より基地受け入れを拒否した市民
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設の是非を最大争点とした同県名護市長選が19日投開票され、日米両政府が進める名護市辺野古への移設に反対する現職の稲嶺進氏(68)が、移設推進を訴えた前自民党県議の末松文信氏(65)を破り再選を果たした。
名護市民は、移設反対を訴える稲嶺氏に再び軍配を上げた。「アメとムチ」で民意を誘導しようとした手法が、沖縄では通用しなかったことを安倍晋三政権は自覚すべきだ。
名護市の人口は約6万人。沖縄本島北部の拠点都市とはいえ、経済の衰退にあえぎ、抜本的な振興策を見いだせないでいる。多くの地方自治体が抱える悩みと同様だ。そんな窮状を狙うかのように、安倍首相は昨年末、仲井真弘多知事に膨大な予算を投じる沖縄振興策を約束。基地負担軽減も示した。
今回の市長選で、政府の振興策に有権者が揺らいだのは確かだ。だが基地に経済を依存する本土の自治体がある中、沖縄戦の悲劇を経験し「銃剣とブルドーザー」で米軍に土地を奪われた沖縄では、カネと引き換えに軍事施設を受け入れることを特に嫌悪する。
本土復帰から40年以上たった今も、県土面積が全国の0.6%の沖縄には、在日米軍専用施設の74%が集中している。事故の危険におびえ、騒音に苦しみ、米兵による犯罪も絶えない。負担は限界で、これ以上は受け入れられないという民意を示したといえる。
一方、沖縄が強く発してきた普天間の「県外移設」を安倍政権は真剣に検討してきただろうか。代替施設が辺野古である理由も理解されていない。移設を拒否する名護に無理強いすれば溝は広がるばかりで、日米安保の土台もぐらつきかねない。「県外」が本当に無理なのか、一から議論すべき時に来ている。
普天間の返還合意から18年、国策によって地域は分断され、苦しんできた。そもそも、普天間の危険性除去を大義名分に地域を壊すのは本末転倒だ。民意を「アメ」で誘導することで安全保障を構築しようとする政治手法に問題がある。国策優先のあまり、国民を軽視していないか。政権の姿勢が問われる。【井本義親】
毎日新聞 2014年01月19日 23時03分(最終更新 01月19日 23時23分)
この名護市長選は、もうずいぶん前から結果は見えていた。ただ、最終的には思ったほど差は開かなかった。それだけ自民党の陰湿な締め上げが強かったのだろうが、自民党も最後には勝負を諦めていたフシがあった。
それでも、この選挙結果は、安倍晋三が昨年後半に沖縄県知事の仲井真弘多に強い圧力をかけて承認させた辺野古埋め立てへの明確な拒絶の意思表示であって、安倍晋三にダメージを与えるものであることは確かだ。
それでは、昨年末の前東京都知事・猪瀬直樹の辞意表明を受けて実施が決まった東京都知事選の告示直前の状況をどう見るべきか。
まず自公が推す舛添要一だが、これは石破茂や石原伸晃らの意に沿った形の候補と言えるであろう。安倍晋三は昨年末に「若い女性が良い」などと発言して主導権を握ろうとして失敗した。ここで思うのだが、「若い女性」とは安倍晋三はいったい誰をイメージしていたのだろうか。私は(若いかどうかはわからないが)橋本聖子あたりだろうと思っていた。あるいは、丸川珠代だろうとか、いや滝川クリステルだろうという声があった。だが彼女らのいずれも出馬することはなく、安倍晋三に思想信条の近い人たちは、頭に来て玉砕覚悟で田母神俊雄を築いてきた。
しばしば言われる「ファシズム」とのからみでいえば、安倍晋三が(単なる思いつきの発言であったかどうかは別にして)本当に「若い女性」を担ぎ出していたなら、その時こそファシズムの危機だっただろう。先週の日曜日(12日)だったかと思うが、TBSの『サンデーモーニング』で、ハリス鈴木絵美という人だったか、「若い女性」に該当するといえるコメンテーターが、安倍晋三が「若い女性」発言をした時それに期待したが、蓋を開けてみればおじさまばっかりでがっかりしたと言っていた。このことから、安倍晋三が「若い女性」か、それに限らずソフトな雰囲気を持った掌中の人間を担ぎ出すことに成功していれば、その候補が圧勝する流れができていたに違いないと私は思うのだ。そしてその時こそ、日本がファシズムの未知を一直線に突き進む開始の合図になったといえるだろう。ファシズムとは、田母神俊雄のようなマッチョな人間が勇ましく叫ぶところから生まれるものではない。
幸運にも、と言って良いと思うが、安倍晋三の思惑通りにはならなかった。現在有力といわれている舛添要一と細川護煕は、ともに新自由主義系の候補だが、舛添は石破・石原(伸)、細川は既に政界を引退した小泉純一郎や中川秀直らをそれぞれ代弁する候補者であるといえ、どちらが勝っても似たり寄ったりであろうと私は考える。
いや、舛添が勝てば原発が再稼働され、推進されるが、細川ならそれに歯止めがかけられる、だから「よりまし」な細川に投票すべきだという人もいる。確かに原発政策に全くの影響はないとはいえないかもしれない。しかし、細川・小泉・中川(秀)らに対応する国政の勢力はどうなるだろうかと考えると、それは結いの党をブリッジとして民主党の多くと日本維新の会の橋下派を糾合して今秋にも発足が予定されているあの「新党」ではないかと私には思えるのである。橋下徹は現時点でこそ細川とは距離を置いているが、時が来れば「新党」の中心人物になるであろう。そんなろくでもない結果につながりかねない候補に投票するのが賢明であるとは、私にはどうしても思えない。
安倍晋三が戦争に突き進むのを止めるために細川護煕を支持するのだという人がいる。しかし私が思い出すのは、一昨年、橋下徹が人気絶頂だった頃、ある人と交わした会話である。彼は、「橋下が総理大臣になったら本気で中国と戦争を始めかねない」と言っていた。安倍晋三を止めたつもりが橋下徹というさらなるモンスターを呼び起こしてしまっては何にもならない。それどころか、安倍晋三と橋下徹のそれぞれの勢力が合体する可能性すらあると私は思っている。現に橋下徹は安倍晋三を担ごうとした過去を持っているのである。
近年の私の主義主張からいえば、本来私が投票すべきは宇都宮健児しかいない。しかし、昨年末からずっと書いている理由によって、今回は宇都宮氏には投票しない。昨年、前回都知事選における宇都宮選対のなした悪行が告発されるや、おそらくその旧宇都宮選対の中心となった人たちが既成事実を作って先手を打とうとした。それが宇都宮候補予定者が早々と出馬を表明した理由だと私は確信している。なお、旧宇都宮選対の中心にいた人たちは「非共産党系」の人たちだったことに注意が必要である。つまりこの問題を「共産党の体質」に求める一部の指摘は正しくなく、共産・非共産を問わない「リベラル・左派」全体の問題としてとらえられるべきである。これは、「同調圧力」や「全体主義」という言葉で論じられるべき問題であろう。
そのような体質を容認するのであれば、広く国民の支持を得られる勢力に拡大できる可能性は皆無であると信じる。これは何より、民主主義の価値観を重視すると自認する人自身が、昔からの「ムラ社会」の行動様式から全く脱却できていないことを示すものだ。そんなものを容認してはならない。私はそう考えるに至った。
これに対し、旧宇都宮選対を告発した人も元来同じ体質を持っていて、たまたま身内がその体質に巻き込まれたからそれを批判したものの、自らの過去のあり方には目をつぶっている。だからその人の言説には信を置くに値しないといって、私に宇都宮氏への投票を勧めた方もいた。しかし、仮にそうであってもその告発自体は正しく、むしろそうであればなおさらのこと、今回の出来事をきっかけに、そのような体質の一掃を図らない限り「リベラル・左派」の未来はないと私は考えるのである。
だから私は宇都宮健児氏には投票しない。もちろん細川護煕や舛添要一やましてや田母神俊雄にも投票しない。その他の候補者の中から選ぶか白票を投票するかのどちらかである。