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きまぐれな日々

前回の記事を公開したあと、東京都知事選に細川護煕が出馬するという話が持ち上がった。その噂は昨年末からあったのだが、私は真に受けていなかった。夕刊紙や週刊誌が書くことが現実になったためしがなかったからである。しかし、9日に朝日新聞が1面で報じて以来、一気に可能性が現実味を帯びてきた。なんでも、今日(14日)予定されている細川護煕と小泉純一郎の会談によって細川氏が決断をするらしい。

細川氏は政党からの推薦を受けず、無所属で出馬する意向とのことだが、民主、生活や維新の会の一部議員(旧日本新党など)が細川氏を応援するのではないかと言われる。実際、民主党主流派の松原仁、先頃まで民主党員資格停止処分を受けていた菅直人、民主党を離れて生活の党の代表を務める小沢一郎という、三つ巴の対立関係にある三者がいずれも細川氏支持を明言している。

もちろん細川護煕の最大の後ろ盾は小泉純一郎である。これだけ揃えばもう「お腹いっぱい」としか言いようがない。誰が何と言おうが、私は細川護煕には投票しないし、舛添要一にも投票しない。もちろん田母神俊雄なんかには間違っても投票しない。投票する可能性があるとすれば宇都宮健児であるが、昨年末先週の記事に書いた理由によって、積極的に宇都宮氏に投票したいという気持ちには全くなっていない。宇都宮氏に投票するか白票を投じるかはまだ決めていない。

皮肉だなと思うのは、細川氏を推す人たちから、宇都宮氏は出馬は辞退せよという声が上がっていることだ。そういうことを主張する人たちの論拠は「脱原発派は団結せねばならず、当選が全く期待できない宇都宮氏は辞退すべきだ」とか「宇都宮氏を推す共産党は自公の『補完勢力』だ」などと言うものである。むろん後者を公言しているのは「小沢信者」であり、一昨年の衆院選と昨年の参院選の結果は、「日本未来の党」やら「生活の党」やらこそ「自公の補完勢力」以外も何物でもないことを示していることを思えば噴飯ものである。

こうした意見は強力な「同調圧力」をかける「全体主義」的思想そのものであり、宇都宮氏を応援する人たちが反発するのは当然である。しかし、細川護煕応援団に反発する人たちが支持する宇都宮氏の前回都知事選における選対は、澤藤統一郎弁護士親子その他の人たちに対して、細川応援団が宇都宮陣営に対して現在行っているのと全く同質の「同調圧力」をかける「全体主義」的暴挙を行っていた。そのことが実に皮肉だと私は思うのである。

候補者との距離感の差異はあるとはいえ、今回の都知事選にどの候補者も応援しない私から見ると、一番当選に近いのは舛添要一、次いで細川護煕であり、宇都宮健児と田母神俊雄は舛添・細川両候補予定者から大きく水を開けられる結果になると思われる。既に前回宇都宮氏を応援していた人たちのうち、少なくない人たちが細川護煕に寝返っているので、宇都宮氏は前回都知事選と比べて大きく得票を減らすだろう。また、ネットでは最強の田母神俊雄は選挙では最弱と思われ、細川護煕に票を奪われる宇都宮健児との3位争いはどちらに分があるか、私には想像がつかない。

細川護煕が小泉純一郎の応援を得て都知事選に出馬したら、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の大きな争点になり、それは都政とはなじまないのではないかという声もある。しかしその意見は間違いだ。東電原発事故は福島で起きたが、東電福島原発で起こされた電力をもっとも多く使用しているのは東京である。正力松太郎や中曽根康弘の時代に始められ、惰性で続いてきた原発推進は、東電原発事故があってもなお止まっていないが、その一方で、東電原発事故によって新たに「脱原発」の慣性力が生じた。現在はその両者がせめぎ合っている状態であり、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の争点になるのは歴史的必然であると私は考える。ただ、原発に関していえば、細川護煕を応援すると言われている小泉純一郎は、今世紀初頭の日本のエネルギー政策を「原発偏重」へと大きく舵を切った人間である。そして小泉はその責任を取ろうともしていない。小沢一郎も民主党で同じような政策転換をやっているが、小泉は内閣総理大臣だったのであるから小沢とは比較にならないほど責任が重いのである。その小泉が推す候補に投票するつもりなど、私には全くない。

もちろん、原発問題だけが都知事選の争点ではない。その他の政策において、舛添要一は全く支持できないが、細川護煕にも期待できないし、もちろん田母神俊雄なんかは論外だ。この点でも宇都宮健児が一番マシだが、同氏の前回都知事選選対の非民主的性質はどうにも我慢ならないし、どうせ同じような人たちが今回も選挙を切り回すのだろうから、それには強い拒絶反応を持つ。

かくして、記事を書いている時点では気持ちは「白票」へと大きく傾いている。もっとも気持ちには波があり、数日前には宇都宮氏へとかなり傾いていた。だがまた気が変わり、氏の取り巻きの非民主性だけは許せないという気が改めて強まってきた今日この頃なのである。
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