きまぐれな日々

東京都知事選は告示の時点でもはや「勝負あった」情勢だ。この都知事選について、宇都宮健児の前回都知事選選対の問題と細川護煕及びその背後にいる小泉純一郎に対する批判は先週までの記事に書いた。今回は、保守・右翼の側で対照的な世論調査結果となっている舛添要一と田母神俊雄について書く。

舛添要一については多くを書く必要はあるまい。かつて第1次安倍内閣が法制化しようとした「ホワイトカラー・エグゼンプション」を、「家庭団らん法」と言い換えようとした男。それでいて2008年に新自由主義批判が強まると、「日本人には高福祉高負担が合っている」と言うなどの変わり身の早さも見せたが、舛添は現在では「日本の現状は、明らかに『低負担高福祉』国だ」などと言っているそうだ。『AERA』の1月13日号に出ているとのこと。

舛添の議論から抜け落ちている観点は、もちろん舛添は意識的に語っていないのだろうが、「再分配」であろう。私はまず富裕層減税をやり過ぎた過去の失政を認め、行き過ぎた浮遊増減税を元に戻した応能負担の税制をベースにして、それに「広く薄い」間接税を上乗せするというのが福祉国家の税制のあり方だと信じているのだが、日本では「行き過ぎた浮遊増減税を元に戻す」議論がどうしても前に進まない。それはリベラル・左派側が「増税反対」ばかりを言っているせいもあるのだが、そんな流れに乗って舛添は「サービスを受けたければ増税を甘受せよ」と脅し文句を言っているのである。

こんな舛添の都知事選当選がほぼ間違いないのは嘆かわしいことこの上ないが、対立候補が弱すぎるのだからどうしようもない。前回都知事選における選対に「政治と金」の問題や「村八分」体質が指摘されながら立候補を強行した宇都宮健児と、宇都宮陣営よりもさらに大きな「政治と金」の疑惑を抱える上、小泉純一郎に応援されるばかりか、自身も21年前の連立政権で新自由主義経済政策をとろうとした細川護煕では、舛添に勝てる見込みは万に一つもない。これでは、共同通信の世論調査で、自民と公明のそれぞれの支持層の約半分しか押さえることのできていない、必ずしも強くない候補・舛添といえども左うちわの選挙戦が戦えるというものだ。

今回の都知事選には、もう一人「有力」とされる舛添の対立候補がいる。田母神俊雄である。

この田母神俊雄の応援団の顔ぶれがすごい。石原慎太郎、平沼赳夫、渡部昇一、西部邁、西尾幹二といった「老極右」の巨頭連中に始まり、中西輝政、中山成彬、西村眞悟、三橋貴明、すぎやまこういち、アパグループ代表の元谷外志雄、大阪の百田尚樹、果てはデヴィ・スカルノ夫人に至るまで、まさしく「右翼オールスターズ」の豪華メンバーである。

しかし、それにもかかわらずマスコミの世論調査によると、田母神は舛添はおろか細川護煕にも宇都宮健児にも及ばない4位が予想されている。

ここで考えてみたいのは、現在総理大臣である安倍晋三に主義主張の上でもっとも近い候補者は誰かということである。いうまでもなく田母神俊雄である。しかし、その田母神は都知事選で数パーセントの支持しか受けない「泡沫候補」も同然である。つまり、安倍晋三は日本の有権者の平均的な考え方とは相当かけ離れた思想信条の持ち主であるとはっきり言える。

その安倍晋三が、国内外での暴走をさらに強めている。

安倍晋三は先日のダボス会議で「現在の日中関係は第1次世界大戦前のイギリスとドイツの関係に似ている」と発言し、世界各国の代表を呆然とさせた。今年は第1次大戦の開戦100年にあたるが、安倍晋三が日本を当時のイギリスに、中国を当時のドイツになぞらえていることは明らかだ。第1次大戦でイギリスは戦勝国、ドイツは敗戦国だったが、日本は途中でドイツに宣戦布告し、「戦捷」の戦果に至っている。この安倍晋三の妄言に対して中国が怒ったことは当然だが、第1次大戦でドイツに勝ったイギリスからも、安倍晋三に対する痛烈な批判が飛び出した。フィナンシャル・タイムズなどが安倍晋三を批判したのである。

単純に考えても、100年前のヨーロッパにおけるドイツと現在のアジアにおける中国では重みが違う。第1次大戦から第2次大戦の間の期間において、中国と戦争を起こすかたわらで、日本に沸き上がってきたのは「日米開戦論」だった。当時の日本において、「日米もし戦わば」という議論が盛んになされていたが、それは、現在夕刊紙や週刊誌などが特集を組んで多くの読者を得ているらしい「日中もし戦わば」と通底する。その頃も日本とアメリカとの経済的な結びつきは決して希薄ではなかったが、1924年に「排日移民法」が制定されたことに対して日本のアメリカに対する反発が高まり、1931年以降の日本と中国との戦争においてアメリカが中国寄りの姿勢をとったことによって日本人の反米感情は強まっていった。

「現在の日中関係と似ている」というなら、1920年代から1941年の太平洋戦争開戦に至る日米関係こそ、まず第一に挙げられるべきであろう。第1次大戦前のイギリスとドイツとの関係などよりもずっと似ている。それに何よりも、第三者が言うのではなく、世界から緊張関係を指摘されているその当事者、しかも昨年末に靖国神社を参拝してその緊張をさらに強めた張本人である安倍晋三が、あたかも他人事のように日中関係を100年前の英独関係にたとえたのである。「安倍晋三は何を馬鹿なことを言っているのか」と世界中から呆れられたのも当然だ。

しかし、そんな「日本の常識は世界の非常識」を隠蔽し、このところ安倍政権に翼賛する放送ばかりを行っているのがNHKである。その報道姿勢が北朝鮮にたとえられるのも当然であろう。

たとえば、NHK新会長の籾井勝人は、就任早々こんな暴言を吐いた。
http://mainichi.jp/select/news/20140126k0000m040043000c.html

NHK:籾井会長、従軍慰安婦「どこの国にもあった」

 NHK新会長の籾井勝人(もみい・かつと)氏(70)は25日の就任記者会見で、従軍慰安婦問題について「戦争地域にはどこの国にもあった。ドイツにもフランスにもヨーロッパはどこでもあった」と述べた。過去にも経営委員長が国際放送の編集方針について「国益を主張すべきだ」と発言して問題になった。政治的中立を疑われかねない不用意な発言を繰り返し、トップとしての資質も問われそうだ。

 さらに個人的意見として「今のモラルでは悪い」としつつも「韓国が『日本だけが強制連行した』と言っているからややこしい。補償問題は全部解決した。なぜ蒸し返すのか、おかしい」と韓国の姿勢を批判した。特定秘密保護法の報道が少なく、姿勢が政府寄りとの指摘があることについて、「(法案は国会で)通ったこと。あまりカッカする必要はない」と、問題点の追及に消極的な姿勢を示した。

 また、籾井氏は3年間の任期中に取り組む最重要課題の一つに国際放送の充実を挙げ、領土問題について「尖閣諸島(沖縄県)や竹島(島根県)について日本(政府)の立場を主張するのは当然」として早急に強化する姿勢を示した。「政治との距離」については「(政府と)相談しながら放送していく必要はないが、民主主義に対するわれわれのイメージで放送していけば、全く逆になることはない」との認識を示した。【土屋渓、有田浩子】

毎日新聞 2014年01月25日 21時26分(最終更新 01月26日 00時59分)


安倍晋三は、7年前の2007年に総理大臣の職を自ら投げ出した後も、自らの息のかかった人間をNHKに送り込むことに執念を燃やしていた。否、安倍晋三のNHKへの介入は、2001年の番組改変事件の頃には既に始まっていたのである。この不逞の極右政治家による公共放送私物化の野望は、残念ながらほぼ成就してしまった。

私は、一部の人間が言うように、今回の都知事選で舛添要一の当選を阻止できなければ安倍晋三が戦争へと突き進むのを阻止できないとは思わない。しかし、安倍晋三が現在行っているような妄動を止めなければ、日本が再び破滅的な戦争へと突き進んでしまうだろうとは確信している。安倍晋三は何が何でも止めなければならない。安倍を止めなければ、私たち日本に住む人間が破滅してしまう。ただ、安倍晋三は細川護煕を都知事選に当選させたくらいで止められるものではないし、仮に舛添要一を当選させてしまったからといって止められないわけでもないと思うだけである。細川だの舛添だのは所詮同類であって、どっちが勝とうが大勢に影響ない。急所はそこにはない、そう直感する。頭の中で想念がもやもやしていてうまく文章で表現できないが、何かもっと根源的な変革を引き起こさなければならないと思う。

何より、安倍晋三の思想上の「同志」である田母神俊雄の惨敗が確実であること、それにもかかわらず、少数の極右思想信奉者を代表しているに過ぎない安倍晋三がなぜ総理大臣の座に居座って、現在見られるような独裁政治を行うことが可能になっているのか。不条理もはなはだしいと私は思う。その権力構造のメカニズムを解明して安倍晋三を頂点とする敵の急所を突き、一日も早く安倍晋三を退陣に追い込む必要があるだろう。
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昨日(19日)のニュースで特筆すべきは、やはり沖縄の名護市長選だろう。開票結果は下記の通り。

(当)稲嶺  進 無現 19,839票
   末松 文信 無新 15,684票


以下に毎日新聞の論評を紹介する(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000m010115000c.html

名護市長選:沖縄振興策より基地受け入れを拒否した市民

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設の是非を最大争点とした同県名護市長選が19日投開票され、日米両政府が進める名護市辺野古への移設に反対する現職の稲嶺進氏(68)が、移設推進を訴えた前自民党県議の末松文信氏(65)を破り再選を果たした。

 名護市民は、移設反対を訴える稲嶺氏に再び軍配を上げた。「アメとムチ」で民意を誘導しようとした手法が、沖縄では通用しなかったことを安倍晋三政権は自覚すべきだ。

 名護市の人口は約6万人。沖縄本島北部の拠点都市とはいえ、経済の衰退にあえぎ、抜本的な振興策を見いだせないでいる。多くの地方自治体が抱える悩みと同様だ。そんな窮状を狙うかのように、安倍首相は昨年末、仲井真弘多知事に膨大な予算を投じる沖縄振興策を約束。基地負担軽減も示した。

 今回の市長選で、政府の振興策に有権者が揺らいだのは確かだ。だが基地に経済を依存する本土の自治体がある中、沖縄戦の悲劇を経験し「銃剣とブルドーザー」で米軍に土地を奪われた沖縄では、カネと引き換えに軍事施設を受け入れることを特に嫌悪する。

 本土復帰から40年以上たった今も、県土面積が全国の0.6%の沖縄には、在日米軍専用施設の74%が集中している。事故の危険におびえ、騒音に苦しみ、米兵による犯罪も絶えない。負担は限界で、これ以上は受け入れられないという民意を示したといえる。

 一方、沖縄が強く発してきた普天間の「県外移設」を安倍政権は真剣に検討してきただろうか。代替施設が辺野古である理由も理解されていない。移設を拒否する名護に無理強いすれば溝は広がるばかりで、日米安保の土台もぐらつきかねない。「県外」が本当に無理なのか、一から議論すべき時に来ている。

 普天間の返還合意から18年、国策によって地域は分断され、苦しんできた。そもそも、普天間の危険性除去を大義名分に地域を壊すのは本末転倒だ。民意を「アメ」で誘導することで安全保障を構築しようとする政治手法に問題がある。国策優先のあまり、国民を軽視していないか。政権の姿勢が問われる。【井本義親】

毎日新聞 2014年01月19日 23時03分(最終更新 01月19日 23時23分)


この名護市長選は、もうずいぶん前から結果は見えていた。ただ、最終的には思ったほど差は開かなかった。それだけ自民党の陰湿な締め上げが強かったのだろうが、自民党も最後には勝負を諦めていたフシがあった。

それでも、この選挙結果は、安倍晋三が昨年後半に沖縄県知事の仲井真弘多に強い圧力をかけて承認させた辺野古埋め立てへの明確な拒絶の意思表示であって、安倍晋三にダメージを与えるものであることは確かだ。

それでは、昨年末の前東京都知事・猪瀬直樹の辞意表明を受けて実施が決まった東京都知事選の告示直前の状況をどう見るべきか。

まず自公が推す舛添要一だが、これは石破茂や石原伸晃らの意に沿った形の候補と言えるであろう。安倍晋三は昨年末に「若い女性が良い」などと発言して主導権を握ろうとして失敗した。ここで思うのだが、「若い女性」とは安倍晋三はいったい誰をイメージしていたのだろうか。私は(若いかどうかはわからないが)橋本聖子あたりだろうと思っていた。あるいは、丸川珠代だろうとか、いや滝川クリステルだろうという声があった。だが彼女らのいずれも出馬することはなく、安倍晋三に思想信条の近い人たちは、頭に来て玉砕覚悟で田母神俊雄を築いてきた。

しばしば言われる「ファシズム」とのからみでいえば、安倍晋三が(単なる思いつきの発言であったかどうかは別にして)本当に「若い女性」を担ぎ出していたなら、その時こそファシズムの危機だっただろう。先週の日曜日(12日)だったかと思うが、TBSの『サンデーモーニング』で、ハリス鈴木絵美という人だったか、「若い女性」に該当するといえるコメンテーターが、安倍晋三が「若い女性」発言をした時それに期待したが、蓋を開けてみればおじさまばっかりでがっかりしたと言っていた。このことから、安倍晋三が「若い女性」か、それに限らずソフトな雰囲気を持った掌中の人間を担ぎ出すことに成功していれば、その候補が圧勝する流れができていたに違いないと私は思うのだ。そしてその時こそ、日本がファシズムの未知を一直線に突き進む開始の合図になったといえるだろう。ファシズムとは、田母神俊雄のようなマッチョな人間が勇ましく叫ぶところから生まれるものではない。

幸運にも、と言って良いと思うが、安倍晋三の思惑通りにはならなかった。現在有力といわれている舛添要一と細川護煕は、ともに新自由主義系の候補だが、舛添は石破・石原(伸)、細川は既に政界を引退した小泉純一郎や中川秀直らをそれぞれ代弁する候補者であるといえ、どちらが勝っても似たり寄ったりであろうと私は考える。

いや、舛添が勝てば原発が再稼働され、推進されるが、細川ならそれに歯止めがかけられる、だから「よりまし」な細川に投票すべきだという人もいる。確かに原発政策に全くの影響はないとはいえないかもしれない。しかし、細川・小泉・中川(秀)らに対応する国政の勢力はどうなるだろうかと考えると、それは結いの党をブリッジとして民主党の多くと日本維新の会の橋下派を糾合して今秋にも発足が予定されているあの「新党」ではないかと私には思えるのである。橋下徹は現時点でこそ細川とは距離を置いているが、時が来れば「新党」の中心人物になるであろう。そんなろくでもない結果につながりかねない候補に投票するのが賢明であるとは、私にはどうしても思えない。

安倍晋三が戦争に突き進むのを止めるために細川護煕を支持するのだという人がいる。しかし私が思い出すのは、一昨年、橋下徹が人気絶頂だった頃、ある人と交わした会話である。彼は、「橋下が総理大臣になったら本気で中国と戦争を始めかねない」と言っていた。安倍晋三を止めたつもりが橋下徹というさらなるモンスターを呼び起こしてしまっては何にもならない。それどころか、安倍晋三と橋下徹のそれぞれの勢力が合体する可能性すらあると私は思っている。現に橋下徹は安倍晋三を担ごうとした過去を持っているのである。

近年の私の主義主張からいえば、本来私が投票すべきは宇都宮健児しかいない。しかし、昨年末からずっと書いている理由によって、今回は宇都宮氏には投票しない。昨年、前回都知事選における宇都宮選対のなした悪行が告発されるや、おそらくその旧宇都宮選対の中心となった人たちが既成事実を作って先手を打とうとした。それが宇都宮候補予定者が早々と出馬を表明した理由だと私は確信している。なお、旧宇都宮選対の中心にいた人たちは「非共産党系」の人たちだったことに注意が必要である。つまりこの問題を「共産党の体質」に求める一部の指摘は正しくなく、共産・非共産を問わない「リベラル・左派」全体の問題としてとらえられるべきである。これは、「同調圧力」や「全体主義」という言葉で論じられるべき問題であろう。

そのような体質を容認するのであれば、広く国民の支持を得られる勢力に拡大できる可能性は皆無であると信じる。これは何より、民主主義の価値観を重視すると自認する人自身が、昔からの「ムラ社会」の行動様式から全く脱却できていないことを示すものだ。そんなものを容認してはならない。私はそう考えるに至った。

これに対し、旧宇都宮選対を告発した人も元来同じ体質を持っていて、たまたま身内がその体質に巻き込まれたからそれを批判したものの、自らの過去のあり方には目をつぶっている。だからその人の言説には信を置くに値しないといって、私に宇都宮氏への投票を勧めた方もいた。しかし、仮にそうであってもその告発自体は正しく、むしろそうであればなおさらのこと、今回の出来事をきっかけに、そのような体質の一掃を図らない限り「リベラル・左派」の未来はないと私は考えるのである。

だから私は宇都宮健児氏には投票しない。もちろん細川護煕や舛添要一やましてや田母神俊雄にも投票しない。その他の候補者の中から選ぶか白票を投票するかのどちらかである。
前回の記事を公開したあと、東京都知事選に細川護煕が出馬するという話が持ち上がった。その噂は昨年末からあったのだが、私は真に受けていなかった。夕刊紙や週刊誌が書くことが現実になったためしがなかったからである。しかし、9日に朝日新聞が1面で報じて以来、一気に可能性が現実味を帯びてきた。なんでも、今日(14日)予定されている細川護煕と小泉純一郎の会談によって細川氏が決断をするらしい。

細川氏は政党からの推薦を受けず、無所属で出馬する意向とのことだが、民主、生活や維新の会の一部議員(旧日本新党など)が細川氏を応援するのではないかと言われる。実際、民主党主流派の松原仁、先頃まで民主党員資格停止処分を受けていた菅直人、民主党を離れて生活の党の代表を務める小沢一郎という、三つ巴の対立関係にある三者がいずれも細川氏支持を明言している。

もちろん細川護煕の最大の後ろ盾は小泉純一郎である。これだけ揃えばもう「お腹いっぱい」としか言いようがない。誰が何と言おうが、私は細川護煕には投票しないし、舛添要一にも投票しない。もちろん田母神俊雄なんかには間違っても投票しない。投票する可能性があるとすれば宇都宮健児であるが、昨年末先週の記事に書いた理由によって、積極的に宇都宮氏に投票したいという気持ちには全くなっていない。宇都宮氏に投票するか白票を投じるかはまだ決めていない。

皮肉だなと思うのは、細川氏を推す人たちから、宇都宮氏は出馬は辞退せよという声が上がっていることだ。そういうことを主張する人たちの論拠は「脱原発派は団結せねばならず、当選が全く期待できない宇都宮氏は辞退すべきだ」とか「宇都宮氏を推す共産党は自公の『補完勢力』だ」などと言うものである。むろん後者を公言しているのは「小沢信者」であり、一昨年の衆院選と昨年の参院選の結果は、「日本未来の党」やら「生活の党」やらこそ「自公の補完勢力」以外も何物でもないことを示していることを思えば噴飯ものである。

こうした意見は強力な「同調圧力」をかける「全体主義」的思想そのものであり、宇都宮氏を応援する人たちが反発するのは当然である。しかし、細川護煕応援団に反発する人たちが支持する宇都宮氏の前回都知事選における選対は、澤藤統一郎弁護士親子その他の人たちに対して、細川応援団が宇都宮陣営に対して現在行っているのと全く同質の「同調圧力」をかける「全体主義」的暴挙を行っていた。そのことが実に皮肉だと私は思うのである。

候補者との距離感の差異はあるとはいえ、今回の都知事選にどの候補者も応援しない私から見ると、一番当選に近いのは舛添要一、次いで細川護煕であり、宇都宮健児と田母神俊雄は舛添・細川両候補予定者から大きく水を開けられる結果になると思われる。既に前回宇都宮氏を応援していた人たちのうち、少なくない人たちが細川護煕に寝返っているので、宇都宮氏は前回都知事選と比べて大きく得票を減らすだろう。また、ネットでは最強の田母神俊雄は選挙では最弱と思われ、細川護煕に票を奪われる宇都宮健児との3位争いはどちらに分があるか、私には想像がつかない。

細川護煕が小泉純一郎の応援を得て都知事選に出馬したら、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の大きな争点になり、それは都政とはなじまないのではないかという声もある。しかしその意見は間違いだ。東電原発事故は福島で起きたが、東電福島原発で起こされた電力をもっとも多く使用しているのは東京である。正力松太郎や中曽根康弘の時代に始められ、惰性で続いてきた原発推進は、東電原発事故があってもなお止まっていないが、その一方で、東電原発事故によって新たに「脱原発」の慣性力が生じた。現在はその両者がせめぎ合っている状態であり、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の争点になるのは歴史的必然であると私は考える。ただ、原発に関していえば、細川護煕を応援すると言われている小泉純一郎は、今世紀初頭の日本のエネルギー政策を「原発偏重」へと大きく舵を切った人間である。そして小泉はその責任を取ろうともしていない。小沢一郎も民主党で同じような政策転換をやっているが、小泉は内閣総理大臣だったのであるから小沢とは比較にならないほど責任が重いのである。その小泉が推す候補に投票するつもりなど、私には全くない。

もちろん、原発問題だけが都知事選の争点ではない。その他の政策において、舛添要一は全く支持できないが、細川護煕にも期待できないし、もちろん田母神俊雄なんかは論外だ。この点でも宇都宮健児が一番マシだが、同氏の前回都知事選選対の非民主的性質はどうにも我慢ならないし、どうせ同じような人たちが今回も選挙を切り回すのだろうから、それには強い拒絶反応を持つ。

かくして、記事を書いている時点では気持ちは「白票」へと大きく傾いている。もっとも気持ちには波があり、数日前には宇都宮氏へとかなり傾いていた。だがまた気が変わり、氏の取り巻きの非民主性だけは許せないという気が改めて強まってきた今日この頃なのである。
元旦の挨拶を除けば今年最初の記事になるが、新春早々とげとげしい内容であることを最初にお断りしておく。

昨年最後の記事のあと、安倍晋三が靖国神社を参拝した。年末と年始の時事問題を扱うテレビ番組では、この件がもっぱらの話題になった。

かつての第1次安倍内閣時代における安倍晋三へのすり寄りが嘘のように安倍晋三に厳しい論評の言葉を発する毎日新聞元主筆・岸井成格は、昨日(5日)もTBSの番組(『サンデーモーニング』)で、総理大臣の靖国参拝は中国や韓国が怒るから問題なのではない、憲法違反なのだと正論を吐いていた。その通りであるが、国際関係もやはり気になるところだ。

中国や韓国はもちろん、アメリカが安倍晋三の靖国参拝を厳しく批判しているのが目立つ。EUやロシアも同様である。

面白いのは、安倍政権が特定秘密保護法を成立させたことを高く評価する池田信夫(ノビー)が安倍晋三の靖国参拝というか、靖国そのものに徹底的に批判的なことで、ノビーは昨年12月26日のブログ記事に

安倍首相が靖国神社を参拝したことで騒ぎが起きているが、これはもともと招魂社という天皇家の私的な神社であり、国家の戦死者をまつる神社ではなかった。国家神道という国定宗教をでっち上げ、靖国神社をその中心にしたのは明治政府である。

と書き、翌12月27日にはこんなことを書いている。

靖国神社は、このような西洋の政教分離の伝統とは無関係な、天皇制のイデオロギー装置である。それが戦争に大きな役割を果たしたのは、もともと政治の一部だったのだから当たり前だ。したがって靖国に政教分離なんてありえない。そこには「政」と分離して存在する「教」がないからだ。

「どこの国でも戦争のために命を落とした英霊を慰霊するのは当然だ」という話もよくあるが、ちっとも当然ではない。戦争では非戦闘員も大量に殺されるのに、なぜ兵士だけが慰霊施設にまつられ、遺族は年金をもらうのか。それは戦争という個人的には不合理な(しかし国家的には必要な)行動を奨励する装置なのだ。

靖国神社から「A級戦犯を分祀する」なんてナンセンスだ。それは国家神道の中で名簿を書き換えるだけで、靖国そのものが政治的装置なのだから意味がない。A級戦犯だけが戦争を起こしたわけではない。戦争をあおったマスコミも、それに熱狂して旗を振って兵士を戦場に送った国民も含めた無責任体制が、あの戦争の原因である。

その伝統は今も残っている。責任の所在を明確にしないで、みんなで相談して何となく「空気」で決める意思決定が、日本の政治や経済の行き詰まる原因だ。リーダーにはそれを突破する合理的な指導力が必要だが、安倍氏は支持層に忠誠を誓う非合理主義を世界に表明してしまった。これでいちばん喜ぶのは、外交的に行き詰まっていた中国や韓国だろう。

(池田信夫blog 2013年12月27日付記事「靖国神社に『政教分離』はありえない」より)


なぜ、新春早々、私の天敵ともいえるノビーの記事を延々と引用したかというと、何も「ノビーでさえ安倍晋三の靖国参拝を批判している」などという月並みなことが言いたいからではない。そんな論法でたとえば小林よしのりなどを肯定的に引用するのは有害である。

ただ、ナベツネ(渡邉恒雄)などと同様、若い頃マルキストだった池田信夫の指摘する日本的意思決定のプロセスに対する批判が、現在の「リベラル・左派」にも見事に当てはまっていると感じたから、酔狂にもノビーの文章を長々と引用したのである。

ノビーの言う「責任の所在を明確にしないで、みんなで相談して何となく『空気』で決める意思決定」の問題とは、「同調圧力」の問題でもあろう。それが端的に見られる例の一つが、東京都知事選への出馬を表明した宇都宮健児氏の、2012年の東京都知事選における選挙対策本部の問題だと思う。

昨年最後の記事のタイトルは、「東京都知事選、宇都宮健児氏は支持できない」である。その意見は今も変わらない。

昨年暮の記事にも書いたが、私がこの立場に立った最大の理由は、2012年の東京都知事選における宇都宮氏陣営の選対が澤藤統一郎氏父子に対して取ったとされる「排除」のやり方に、私自身がかつて「政権交代ブログ村」で経験したことと同じ匂いを感じたからである。その他に宇都宮氏が昨年「緑茶会」とやらの発起人に名を連ねた一件もあるが、そんなものは宇都宮氏選対の体質の問題と比較すれば、取るに足らない軽微な問題に過ぎない。

また、私が宇都宮健児氏を支持できないと思うのは、政治的な思想信条とも関係ない。澤藤弁護士は共産党支持だそうだが、共産党は既に宇都宮氏の推薦を決めたと報じられている。澤藤氏は19日、「活憲左派の共同行動をめざす会」の発足記念集会で「特別発言」を行うそうだが、この集会で「日本経済はどうなるか?」と題した記念講演を行うという伊藤誠氏を私は買わない。昨年、伊藤氏の著書『日本経済はなぜ衰退したのか 再生への道を探る』(平凡社新書, 2013年)を読んだが、正直言って感心しなかった。伊藤氏は宇野弘蔵系のマルクス経済学者だそうだが、小泉純一郎の「構造改革」を引っ提げて登場した時、少々小泉に期待した点もあったようだ。それに限らず、全般的に小泉構造改革への批判が弱く、全く食い足りなかった。

私は、上記のような思想信条にかかわる点とは関係なく、澤藤氏父子の告発を黙殺し続ける宇都宮氏選対の体質には強い不信感を持つものである。これは、何も私だけではないようだ。ネットを見渡してみると、旧社会党を支持していた方や、生活の党に近い人など、思想信条がさまざまな「リベラル・左派」の人たちが宇都宮氏選対の体質や宇都宮健児氏本人の資質を疑う声を上げている。それに対し、宇都宮氏陣営はただ沈黙を守り続けるだけだ。

一方で、「リベラル(・左派)は団結すべきだ」「割れてはならない」と主張する人たちも多い。だが、こうした意見ほど私を反発させるものはない。この手の意見は有害な「同調圧力」を助長するだけのものだと私は声を大にして主張する。私は何も「東京都知事選には勝てる候補を出せ」などとは言わない。たとえ誰が出たって、東京都民はろくな選択はしない。私はただ嫌なものは嫌なだけである。宇都宮氏が嫌なら代案を出せと言う人もいるが、宇都宮健児氏で負けるのも白票を投じて負けるのも同じである。私は、「同調圧力」を行使する人間にさんざん悪態をつきながらも、いざ投票日になったら宇都宮健児氏に投票するという行動を取る可能性もあるが、それでも百害あって一利なしと信じる「同調圧力」に対する全的な "NO" を、ここにはっきり表明しておく。

ところで、本エントリのテーマである「同調圧力」といえば、昨年12月25日付朝日新聞オピニオン面に掲載された作家・星野智幸氏の論考「『宗教国家』日本」が記憶に新しい。私は新聞紙面で読んだが、下記Togetterで全文が読める。
http://togetter.com/li/607261

一読して強い印象を受けたので、『kojitakenの日記』に要旨と感想を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131225/1387930380

上記記事中、2箇所で星野氏の論考を直接引用している。それを下記に再掲する。

 今や同調圧力は、職場や学校の小さな集団で「同じであれ」と要求するだけではなく、もっと巨大な単位で、「日本人であれ」と要求してくる。「愛国心」という名の同調圧力である。「日本人」を信仰するためには、個人であることを捨てなければならない。我を張って個人であることにこだわり続けた結果、はみ出し孤立し攻撃のターゲットになり自我を破壊されるぐらいなら、自分であることをやめて「日本人」に加わり、その中に溶け込んで安心を得た方が、どれほど楽なことか。
(朝日新聞 2013年12月25日付オピニオン面掲載「『宗教国家』日本」(星野智幸)より)


 「日本人」信仰は、そんな瀬戸際の人たちに、安らぎをもたらしてくれるのである。安倍政権を支えているのも、安定を切望するこのメンタリティーだろう。

 もちろん、このように有権者が自ら主体を放棄した社会では、民主主義を維持するのは難しい。民主主義は、自分のことは自分で決定するという権利と責任を、原則とした制度だから。だが、進んで「日本人」信仰を求め、緩やかに洗脳されているこの社会は、その権利と責任の孤独に耐えられなくなりつつある。自由を失うという代償を払ってでも、信仰と洗脳がもたらす安心に浸っていたいのだ。それがたんなる依存症の中毒状態であることは、言うまでもない。みんなでいっせいに依存状態に陥っているために、自覚できないだけである。

 この状態を変えようとするなら、強権的な政権を批判するだけでは不十分だ。それをどこかで求め受け入れてしまう、この社会一人ひとりのメンタリティーを転換する必要がある。難しくはない。まず、自分の中にある依存性を各々が見つめればよいだけだから。

(朝日新聞 2013年12月25日付オピニオン面掲載「『宗教国家』日本」(星野智幸)より)


引用文から明らかなように、「同調圧力」の問題とは「全体主義」の問題である。現在の日本においてもっとも広く蔓延している「同調圧力」は、星野智幸氏が書いた「『日本人』信仰」であり、安倍晋三政権を支えるものでもある。それに対抗する陣営が擁立する候補の選対が、同じような「全体主義」的体質を持っていてどうする。そう私は言いたいのである。澤藤統一郎氏父子の告発に沈黙を持って応じる。そんな体質だから、前回の都知事選で宇都宮健児氏は猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかったのではないかと私は思うし、同様の意見を持つ人は少なくなかろう。

前回の宇都宮氏陣営は、その他にも選挙違反の疑いが澤藤弁護士に告発されているが、そうした具体的な疑惑以前に、宇都宮氏陣営のあり方自体が論外であると私は思う。そもそも民主的に運営されていないのである。それは「全体主義的」であるとさえいえるものだ。

宇都宮氏選対の体質に象徴される「個」なき群れたがりの度し難い集団が、安倍晋三や石原慎太郎ら国家主義者たちが立ててくる都知事候補に勝てるとは、私には全く思えない。現在いくら批判者の声を無視する全体主義的な態度を取ったところで、選挙にはあっけなく惨敗しておしまいになるだけである。

なお、2007年の都知事選における石原慎太郎圧勝のあと2か月間支持率が高止まりした安倍内閣が、その後支持率急落に見舞われて安倍の政権投げ出しに至った。都知事選に惨敗すれば安倍晋三は止められないという事態には必ずしもならない。それが唯一の救いだろうか。
新年あけましておめでとうございます。

本年が皆さまにとって良き年になりますよう、心より祈念いたします。

今年は、何があろうと前を向いて歩き続ける。これをモットーにします。できる限り毎週初めにブログを更新したいと考えております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


  2014年元旦

  「きまぐれな日々」 管理人 古寺多見(kojitaken)