きまぐれな日々

今年最後の記事である。

1月1日付の新春のご挨拶を含めて今年44件目の記事。2006年のブログ開設以来最少の件数であり、年間アクセス数もその2006年に次ぐ少なさとなった。昨日(12月23日)、ユニークアクセス数の累計が700万件に達した『kojitakenの日記』は、3年連続150万アクセス、3年間累計で500万アクセスをいただいており、現在はもっぱらそちらへの投稿が多くなる一方、当ブログは年々さびれてきている。

しかし、『kojitakenの日記』は、あくまで思いついたことや新聞・テレビの報道の感想、それに読んだ本の感想文など、比較的気楽に記事を公開する場と位置づけている。こちらは、自分の文章を中心に組み立てた記事を公開する場のつもりなのだが、残念ながら年々パワーが落ちていることを認めざるを得ない。

今年最後の記事も、書く前から気勢の上がらないものになることは、題材の性質からも必然である。

今回は、来年1月告示、2月投開票が予想されている東京都知事選について書く。

さる19日の都知事・猪瀬直樹の辞意表明により、都知事選の実施が決定した。臨時都議会での申し出翌日から50日以内に知事選を行わなければならないとする規定及び都知事選が日曜日に行われてきた慣例から、都知事選の投開票日は遅くとも2月9日には行われる。1月26日や2月2日も候補に挙げられている。

現在、マスコミでは自公側の候補者が誰になるかでかまびすしいが、これに独自候補擁立を模索する党執行部と自公との相乗りをしたい右派が駆け引きをする民主党、自公の「補完勢力」ではないかと言われる日本維新の会、みんなの党、結いの党の保守系野党、それに昨年の都知事選で29年ぶりの「革新統一候補」宇都宮健児を擁立しながら猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかった共産、社民両党、さらには泡沫政党である生活の党などの動向もからんで大いに注目されている。

しかし、正直言ってこれほど気勢の上がらない選挙はない。

東京と大阪の地方選は、それでなくても「リベラル・左派」にとっての「躓きの石」である。第1次安倍内閣時代の2007年、東京都知事選を前にして都知事の石原慎太郎に対する批判が強まっていた。『週刊ポスト』、『週刊現代』、『サンデー毎日』などの週刊誌も一斉に石原慎太郎批判の大キャンペーンを張り、石原の苦戦も予想されたが、蓋を開けてみれば石原の圧勝だった。東京の石原慎太郎は、大阪の橋下徹ともども、選挙には無類の強さを見せる。東京都民も、1975年の都知事選では石原を落として美濃部亮吉を当選させたこともあるが、当時と今では都民のものの考え方が全く変わってしまったのだろう。東京と同じく1979年まで黒田了一の革新府政を選んできた大阪府民も、東京都民以上に激しく右傾化しているようであるが。

ところで前回(2012年)の都知事選で、私は宇都宮健児氏を支持すると表明し、宇都宮氏を応援する記事を書いていたが、今回は全く気乗りがしない。それは、昨年宇都宮氏が上原公子氏らとともに「緑茶会」を立ち上げたことに端を発する。

アメリカの「ティーパーティー」をもじったかのようなネーミングの「緑茶会」は、「脱原発を求める市民グループ」なのだそうだが、なぜアメリカの過激な経済右派である「ティーパーティー(茶会)」をもじるという最悪のネーミングをしたのか、このことにまず不信感を持った。さらに、「緑茶会」の発起人の一人に、ユダヤ陰謀論者として悪名高い安部芳裕なる人間がいることも指摘されて知り、不信感を強めた。当時(昨年4月)に『kojitakenの日記』に書いた2件の記事を、下記にリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130425/1366900958
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130426/1366908087

一昨年の都知事選で宇都宮氏を支持した弁護士の澤藤統一郎氏が、選挙後の総括として書いた文章が宇都宮氏陣営の不興を買ったらしく、宇都宮氏陣営から締め出しを食うという事件が起きていた。その澤藤氏が「宇都宮健児君、立候補をお辞めなさい」と題したブログ記事を書いている。下記にURLを示すが、リンクした記事のあとにも続編が書かれている。
http://article9.jp/wordpress/?p=1742

私はこれを読んで、来年の都知事選で宇都宮健児氏を支持する気を完全に失った。

もめごとの詳細は澤藤氏のブログをご参照いただきたいが、何よりも私がうんざりしたのは、宇都宮陣営の「村八分」式のやり方だった。澤藤氏は

さすがに、「お・も・て・な・し」を期待はしていませんでしたが、まさか「だ・ま・し・う・ち」に遭うとは思ってもいませんでした。

と書いているが、このことから私自身に関するある出来事を思い出したのである。

それは、2009年における「政権交代ブログ村」での出来事であり、私は当時民主党を中心とした連立政権による「政権交代」を待望する論調に立つ「村民」だったのだが、平沼赳夫や城内実といった無所属の極右政治家を支持するかどうかをめぐって、他の「村民」との間で論争をやっていた。

そんなある日、「村内政治」を得意とする、さる熱烈な城内実支持者の差し金がついに功を奏した。私は、彼らのリーダーの1人から、「もう『トラックバック・ピープル "自民党"』にTBしないでもらえないか」と言われたのである。いつかはそんな日がくるだろうと予期していた私は、渡りに舟とばかりにこちらから絶縁状を叩きつけて「村」を出た。2009年6月のことである。彼らは村内政治戦には勝ったが、彼らの平沼赳夫や城内実への支持が誤りであったことは、特定秘密保護法をめぐる平沼や城内の行いから明らかであろう。かつてあれほど熱心に城内実を応援したあの男も、ついに城内実を「亡国奴」呼ばわりせざるを得なくなった。ざまあみろ。

私自身にとっては、7年間のブログ生活で何が良かったかと言って、あの「政権交代ブログ村」から出て行ったことほど良かったことはない。自由に書きたいことが書けるようになったからである。「ブログ村」にいた頃には、「同調圧力」に屈した恥ずかしい記事をしばしば書いたものだ。一例を挙げると、さる「元痴漢」に謝罪したことがあった。当該記事は削除せず残してある。確か2008年のことだった。

バーチャルとリアルを一緒にするなと言われるかもしれないが、そんな個人的な出来事を思い出さされたこともあって、宇都宮健児氏に期待する気持ちなどこれっぽっちも残らず失ってしまった次第である。

それに、人脈的に見ても、宇都宮氏はむしろ絶滅危惧種となっている民主党左派や同じく絶滅危惧種の生活の党から支援されるならまだわかるとして(それさえも党内中道や右派が主導権を握る民主党は支援しそうにないが)、昔で言う「革新統一候補」にふさわしい人物かどうか非常に疑問である。あるいは「反自公」「反秘密保護法」の幅広い民意を結集する「リベラル・左派プラス中道右派」の候補としても適任であるとはおよそ思えない。昨年の都知事選で猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかったという結果からも明らかである。もちろん、孫崎享など「小沢信者」が擁立を待望しているらしい、極右へのすり寄りを十八番にしている田中康夫などは論外であるが。

それなら対案を示せ、と言われそうだが、対案は持っていない。「対案主義」を強要するのは小泉純一郎ら新自由主義のドグマでしかない。

「良いお年を」とも「メリークリスマス」とも言い難い結びになったが、今年の記事はこれで締めくくる。
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7年前の2006年12月に強行採決された「改正教育基本法」の成立の再現とも思える「特定秘密保護法」の成立劇で、さしもの日本国民の中にも安倍晋三や石破茂の危険性に気づいた人たちが少なからずいたらしく、安倍内閣の支持率は私の予想を超えて大きく下落した。同法成立前と比較しておよそ10ポイントの支持率下落であり、私としては歓迎すべき「誤算」だった。とはいえ安倍内閣支持率はなお5割前後もある。

特定秘密保護法が成立した翌週、今度は北朝鮮で、安倍晋三の強権政治の印象がかすむほどの恐るべき粛清劇が演じられた。金正恩の父・金正日が死んだのも一昨年(2011年)の12月だったが、私が今回の北朝鮮の粛清劇から思い出したのは、1989年12月のルーマニアにおけるチャウシェスクの処刑だった。ナンバー1の処刑とナンバー2の処刑の違いこそあれ、独裁体制末期に矛盾が噴出して、体制が崩壊しようときしむ音が聞こえるようなイメージが両者に共通する。いくらなんでも金正恩の独裁体制が年内に崩壊するとは考えられないが、北朝鮮の「金王朝」の終焉もそう遠い未来のことではなかろうと予感させる粛清劇だった。

この北朝鮮の粛清劇は、何より人の命をいとも簡単に奪ってしまうところにその恐ろしさがある。そして、金正恩が張成沢の生命を奪わせた同じ12月12日、日本でも2人の死刑囚に対して死刑が執行された。

これを報じる読売新聞記事によると、安倍政権の法務大臣を務める谷垣禎一は、死刑が執行された12日に行われた記者会見で、

死刑に批判があることについて「死刑は国民が支持している。現状、死刑制度を維持していくことに変わりはない」と述べ、今後も粛々と執行を続ける姿勢を示した。

とのことである。このニュースに接して、私に言わせれば、谷垣禎一とは「マイルドな金正恩」に過ぎない。

東京都では、都知事の猪瀬直樹が「死に体」に陥った。金銭をめぐる疑惑を追及された猪瀬の答弁はぶざまの一語に尽きるが、こんな人間に400万人以上もの東京都民が都知事として適任と判断して投票したのもまた恐るべきことである。

おそらく来年早々、また都知事選になる。2011年、2012年、2014年と4年間で3度も都知事選が行われる異常事態であるが、それもこれも都民が石原慎太郎、猪瀬直樹と、都知事に選んではならない人間ばかり選んできた結果である。

そして、不適格な人間や政党を選んできたのは、何も東京都民だけではない。日本国民は国政選挙で自民党を、安倍晋三を選んできた。日本国民はかつて戦争を積極的に支持し、戦争に負けると一転してマッカーサーに熱狂した。どこまでも権力に屈従するのが好きな人間が多いようである。

東電原発事故への批判にしても、日本政府のエネルギー政策を「積極的な原発推進」へと舵を切った小泉純一郎の「変節」(転向)に拍手喝采し、「小泉さんなら『脱原発』を進めてくれそう」などとまたぞろ依存心を全開にするていたらくである。つける薬がない。

私としては、いかに徒労に終わろうが、「蟷螂の斧」を振るい続けるだけである。
12月6日に特定秘密保護法が成立した。

総理大臣が安倍晋三である以上、国会の会期末に強行採決で成立させることは最初から見えていた。安倍晋三は極めて悪質な独裁者であり、どんなに理を尽くして反対論を盛り上げたところで折れる人間ではない。ある報道で、祖父の岸信介(A級戦犯容疑者でもある)が1960年の日米安保条約改定で見せた行動を手本とする安倍晋三の強い執念が、これほどまでにも反対論が多かった法律を成立させたと言った人がいた。その通りだろう。

報道では、かつての第1次安倍内閣ではやけに安倍晋三を庇い立てる姿勢に強い不信を持っていた毎日新聞元主筆の岸井成格が、テレビで批判の先陣に立っていたのが目立った。岸井は、安倍晋三の父・安倍晋太郎の担当記者で、晋太郎の代筆まで行ったことがあるらしく、そのよしみで第1次安倍政権では安倍晋三に期待をかけていたと見られるが、半年ほど前に読んだ岸井と佐高信との共著における岸井の言葉から、かつて安倍晋三に期待したことは誤りだったと岸井が感じているらしい様子がうかがわれた。

それに何より、岸井がまだ駆け出しの記者だった頃に毎日新聞社を揺るがした外務省機密漏洩事件、通称「西山事件」(1972年)の記憶が、岸井らの世代のベテラン記者には今も鮮明に残っているに違いない。事実、法案担当大臣の森雅子が「『西山事件』が法案の処罰の対象になる」と答弁したことを、岸井は繰り返し強く非難していた。

それとともに、経営の苦しい毎日の記者は朝日その他ほど高給取りでないと思われるため、多少のハングリー精神が残っており、それが地方紙やブロック紙と比較して遅きに失したとはいえ、全国紙としては先陣を切って法案反対の立場を鮮明にしたことにつながったのだろう。朝日も、安倍内閣が法案を閣議決定した翌日に法案に反対の社説を掲載し、それ以降は積極的な論陣を張った。あの麻生太郎の「論文」代筆者にして安倍晋三にも近いとされる政治部長の曽我豪も法案反対の記事を書いたほどだったが、いかんせん腰を上げるのが遅かった。

成立した「特定秘密保護法」の本質は、岸井成格が明確に述べている通り、「一般市民がターゲットにされる治安立法」であろう。

ただ、「『西山事件』が処罰の対象となる」という森雅子の答弁に対する岸井の激怒は、41年前に「西山事件」によってジャーナリズムに関心を持つようになった私には十分伝わるけれども、あの当時から世論は「ひそかに情を通じて」と喧伝された西山太吉元記者の手法ばかり問題にしていたことを想起すると、多くの視聴者には十分伝わらなかったのではないかと思う。当時私の家では毎日新聞をとっていたが、親は「知る権利」を掲げて佐藤栄作政権を激しく批判する毎日の報道に眉をひそめていたものだ。

そうでなくても、TBS、特に『サンデーモーニング』や毎日新聞は、朝日新聞とともに右翼のターゲットになっているし、一般人の間にも「朝日・毎日の論調は偏向している」という偏見を持つ人々は少なくない。今回は、穏健保守の人々を動かせるかどうかが鍵だったが、元「保守本流」の谷垣禎一の沈黙に象徴されるように、彼らは動かなかった。土壇場で保守系にして改憲論者の憲法学者である小林節が法案賛成から反対へと「転向」するなど、一部の人たちは動いたが、大きな流れにはならなかった。

また、ネットの世界はマスメディア以上に激しく右傾している。ネット右翼は論外だが、そうではない「アルファブロガー」と呼ばれる評判の高いブロガーたちの記事もひどいものだった。

たとえば、ある「アルファブロガー」は「ツワネ原則」を引き合いに出して秘密保護法案の制定を肯定する記事を書いた。「ツワネ原則」とは、Wikipediaを参照すると、

ツワネ原則(ツワネげんそく)とは、50項目からなる「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則(英語:Global Principles On National Security And The Right To Information )」の通称。アメリカの財団(Open Society Justice Initiative) による呼びかけにより「安全保障のための秘密保護」と「知る権利の確保」という対立する2つの課題の両立を図るため、国際連合、米州機構、欧州安全保障協力機構、人及び人民の権利に関するアフリカ委員会の関係者を含む、世界70か国以上から500人を超える専門家により、2年以上かけて作成された。2013年6月に南アフリカの都市・ツワネで採択されたことから「ツワネ原則」と呼ばれる。

というものである。「アルファブロガー」氏は、

「ツワネ原則」に則った形で熟議を経て法案をまとめていくとよいだろう。

などと書いていた。

しかし、当の「ツワネ原則」の策定を主導した米国の財団が、特定秘密保護法案に「深い憂慮」を表明したのだった。以下毎日新聞記事(下記URL)より引用する。
http://mainichi.jp/select/news/20131207k0000m040049000c.html

秘密保護法案:「ツワネ原則」策定の米財団「深い憂慮」

 情報公開と国家機密のバランスをとるための国際的な指針として注目されている「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)の策定を主導した米国の「オープンソサエティー財団」が5日、特定秘密保護法案に「深い憂慮」を表明した。

 発表文によると、同財団の担当者は法案について「国家安全保障についての市民の知る権利を厳しく制限しており、国際的な標準を逸脱している」と指摘。同財団顧問で米国家安全保障会議(NSC)の元高官、モートン・ハルペリン氏は「市民や国際的な専門家を含む幅広い意見聴取をせず、急いで法案が策定されたことも憂慮している」と見解を示した。【日下部聡】

毎日新聞 2013年12月06日 20時47分(最終更新 12月06日 20時48分)


「オープンソサエティー財団」の声明の詳細は、『明日の自由を守る若手弁護士の会』のブログ記事「ツワネ原則発表のオープン・ソサエティ財団が“今世紀最悪”と声明発表」(2013年12月6日付)で参照できる(下記URL)。
http://www.asuno-jiyuu.com/2013/12/blog-post_4434.html

上記毎日新聞記事の引用文にある通り、「市民や国際的な専門家を含む幅広い意見聴取をせず、急いで法案が策定された」ことが批判されている。つまり、「アルファブロガー」氏が求めた

「ツワネ原則」に則った形で熟議を経て法案をまとめていく

ことを、安倍政権はやらなかったのである。

そうであれば、「アルファブロガー」氏は安倍政権を批判すべきだったはずだ。しかし、法案の成立に当たって新たに公開した記事で、彼は、

自民党、特に安倍首相はかなり譲歩したし、国内外から批判されていた問題点の多くも修正されたので、ここで廃案にするデメリットとメリットをバランスして見れば、しかたがなかったか

などとぬけぬけと書いたのである。最初から「法案賛成ありき」でブログ記事を書いていたことがミエミエである。実は最初の記事で、「アルファブロガー」氏は「ツワネ原則」を「ツネワ原則」と誤表記していたのだが(もちろんすぐ訂正された)、これでは「ツワネ」でも「ツネワ」でもない「スネ夫原則」とでも言うほかない。これが「アルファブロガーの処世術」というものなのであろうか。

上記のブロガーはもちろん保守系の論者であるが、政権批判側でもほめられない例はある。それは、この特定秘密保護法案が国連の人権部門のトップであるピレイ国連人権高等弁務官に批判されたことにキレたあの「安倍晋三の腰巾着」城内実の醜態に関して、かつての有力な「(民主党を中心とした)政権交代を求めるブログ」の運営者がしぶしぶながらまともな方向へと「転向」した件であるが、この件について『kojitakenの日記』に「城内実は『転向』も『darksideへの転落』もしていないのだが」と題した記事を書いた。要点は、城内実は「転向」など何もしておらず、城内実の本質を見誤って城内を応援してきた当該ブロガーのかつての主張が破綻しただけだということだ。2009年の自民党から民主党への「政権交代」を後押しした人たちの中にも、城内実の如き「敵」に「塩を送った」者が少なくないにもかかわらず、自らの誤りを認めようともしない醜態を晒しているのだが、こんな笑止千万の態度がとがめられもせずまかり通る言論状況が「特定秘密保護法」の成立を易々と許してしまった一因だと私は考えている。

さて、法案の成立自体は安倍晋三という人の言うことを聞かない人間を総理大臣にしてしまった必然的帰結ではあるが、今後は安倍政権を再度打倒した上、法案を廃棄するというエネルギーを要する作業が求められる。これに関して、「生活の党」代表の小沢一郎が、

多数さえ取れば、3年後に法律を変える事はいくらでも出来る。

などと強がっている。しかし、第1次安倍内閣時代の2006年にやはり強行採決で成立した「改正教育基本法」は民主党政権になってもそのまま変わらなかった。小沢代表時代の2006年、民主党が対案として提出した「教育基本法」の改定案は「自民党案よりひどい」と酷評された代物だったから、さもありなんといえばそれまでだが、政権交代で新首相になった鳩山由紀夫は、2009年の臨時国会で下記のように答弁したのだった。

 (鳩山由紀夫)首相は答弁の中で、安倍晋三内閣時代に成立した郷土・国への愛情の育成といった「愛国心条項」を盛り込んだ改正教育基本法について「尊重するのは当然のことだ。一気に変えていくと考えているわけではない」と述べた。ただ、「見直すべきものがあれば見直したい」とも言い添えて、将来的な見直しには含みを残した。
(産経新聞 2009年11月5日 20時24分)

上記の産経新聞記事はリンクが切れているが、『kojitakenの日記』の2009年11月7日付記事「安倍晋三が改悪した『教育基本法』を鳩山首相は『尊重する』そうだ」に記録しておいたものである。鳩山由紀夫が小沢一郎の傀儡であったことを考え合わせると、小沢一郎がいかに口先だけの大嘘つきであるかがわかろうというものだ。

今度安倍政権を倒したあとには、前回の「政権交代」における鳩山由紀夫のようなふざけた態度は絶対に許されない。「ツワネ原則」策定の中心を担ったアメリカの財団に「21世紀に民主政府によって検討された秘密保護法の中で最悪なもの」とまで酷評された今回の「特定秘密保護法」は廃棄して、新たに情報公開をベースとする法律を制定する以外ないだろう。

もちろん上記の実現のハードルが極めて高いことはわかり切っている。しかし、2000年の森喜朗政権成立以来、間に(清和会と同質の麻生太郎政権と)民主党政権をはさんで続いた清和会支配の政治を清算しなければ日本の政治は絶対に良くならない。「改正教育基本法」にしても、2006年以前の旧教育基本法に戻さなければならない。未だにこんなことを言う人間はほとんどいないことは承知しているが、私は今後もずっとこれを主張し続けていく。