http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130816/1376611808#c1376659175
MakegumiKyoji 2013/08/16 22:19
久しぶりです。日本はおかしくなっていますね。はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
http://mainichi.jp/select/news/20130817k0000m040031000c.html
現実を見つめることさえできない人々、もはやなにをかいわんや。
コメントにリンクされているのは毎日新聞の下記の記事である。
はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。
ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。
松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。
現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。
これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。
「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。
教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。【宮川佐知子、山田奈緒】
毎日新聞 2013年08月16日 19時22分(最終更新 08月17日 14時24分)
松江といえば、もっとも保守的な県庁所在地という偏見を私は持っている。その松江だからこんな騒ぎになったのかと一瞬思ったが、その背景には「在特会」(在日特権を許さない市民の会)を含む狂信的な国家主義者(極右)らの執拗な行動があったようだ。
当該方面の妄動を追及する記事はネットに多く出回っているので、この記事では書かない。故中沢啓治氏の漫画『はだしのゲン』についても、当ブログだったか『kojitakenの日記』だったか、はたまた他ブログのコメント欄だったかで何度も語っているので、繰り返さない。ただ今回の一件について、若干コメントをしておきたい。
この件で私が連想したのは、5年前に、「テロを肯定する女・稲田朋美が今度は映画を検閲しようとした」(2008年3月14日)というタイトルの当ブログの記事で取り上げた、稲田朋美の蛮行だった。稲田らが、中国人監督のドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』を公開前に検閲しようとしたところ、多くの映画館が上映を取り止める「自粛」に走り、映画館の弱腰とともに稲田朋美の暴虐非道が強い非難を浴びる事態になったのだ。
2008年の憲法記念日、私は当時住んでいた四国からわざわざ上京して、渋谷の映画館で『靖国 YASUKUNI』を観たが、稲田朋美の妄動がなければこの映画を映画館で観ることなどなかった。その意味で、稲田は誰よりもこの映画を世に広めた人間といえよう。それもそのはず、この映画には稲田自身も「出演」しているのである。
今回も、松江市の騒動によって『はだしのゲン』が改めて注目されることになった。現第2次安倍内閣の副総理で財務相を務める麻生太郎が、第1次安倍内閣で外務大臣を務めていた2007年に、『はだしのゲン』を国連でアピールしていた事実も発掘され、麻生財務相の先見の明が改めて評価されている(笑)。
http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042901000192.html
はだしのゲンで核軍縮訴え 外務省、NPT会議で配布
ウィーンで30日から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の英語版を会場内で展示、配布することになった。 大の漫画ファンで知られる麻生太郎外相の肝いりで実現、原爆の悲惨さを生々しく描写した漫画で核軍縮を訴える。 「はだしのゲン」は広島に投下された原爆で父、姉、弟を失い、自らも被爆した少年ゲンが母親、妹とともに懸命に生きていく姿を描いた物語で、米国はじめ各国で出版されている。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受けた。 同省は「各国政府、非政府組織(NGO)関係者にぜひ手に取って読んでほしい」とPR。今後も国際会議などの場で漫画やアニメを使った情報発信を検討しており、「漫画外交」が活発に展開されそうだ。
(共同通信 2007/04/29 07:08)
ところで、2008年に『靖国 YASUKUNI』の上映自粛が相次いだのは、稲田朋美の「検閲」に呼応した右翼が騒ぎ立てる可能性に映画館がびびったというお粗末な話だった。今回の松江市の「『はだしのゲン』隠し」は、政治家の行動がきっかけになったものですらない。右翼の末端の末端からつけられたクレームに対するリアクションだった。当の漫画は、かつて麻生太郎が世界にアピールしたほどの作品なのである。マスコミは今回の松江市の件に関して、麻生太郎からコメントをとったらどうだろうか。
ともかく、2007,08年当時と比較しても事態ははるかに悪化している。今回の時流におもねたというべき「『はだしのゲン』隠し」は百害あって一利なしの愚行というほかない。昨夜(8/19)の『報道ステーション』で、「『はだしのゲン』隠し」に加担した松江市教育委員会の委員がインタビューに答えていたが、恥ずべき小心さを露呈した教委に哀れを催した。同教委の「長いものに巻かれろ」根性は、あまりにも卑しい。
だが、言論弾圧や表現の自由への侵害は、居丈高な権力者が行うというより、上記の松江市教委のような小心な人間が、事なかれ主義でじわじわと進めていくものなのだろう。それらに対してはいちいち抗っていくほかないが、それは思いのほか大変なことだ。億劫になって「ま、いいか」と思ってしまう人が増えるとともに、悪しき流れが加速していく。
安倍晋三は今年靖国に参拝しなければもう首相在任中の終戦記念日に靖国に参拝できる機会は二度とめぐってこないのではないかと思っている。それは、現在「安倍総理黄金の3年」などと言われている3年間を安倍晋三が大過なく過ごせるとは全く想像できないからだ。
先の参院選の選挙戦のほんの短い間だけでも、安倍内閣はずいぶん支持率を落として、20議席以上獲得できるとみられていた比例代表の議席は18にとどまった。これには安倍晋三のじきじきの要請によってワタミ(渡邉美樹)が参院選比例区の候補に立てられたことと関連づけらるだろう。
今後の安倍政権に黒い影を落とすだろうと私が予想しているのは、労働問題と原発問題である。第2次安倍内閣発足から8か月目に入り、参院選も難なく圧勝で乗り切ったが、経済政策に効果が出るかは未知数だ。
12日に4〜6月期のGDP一時速報値が発表され、年率2.6%の増加で3四半期連続のプラス成長だと言っていたが、速報値は予測を下回り、当日の日経平均株価は下がった。設備投資は依然として6四半期連続のマイナスで、GDPデフレーターも「下げ幅を改善した」というもののマイナスだった。
少し前に、マスコミが消費者物価(コアCPI)が上昇に転じたと喜んでいたが、新聞記事に載っていたグラフを一瞥して、上がったのは主に円安によるエネルギー価格上昇の影響だとわかった。実際、この影響を除いたコアコアCPIと呼ばれる指数で見るとまだまだ下がっている。つまりまだデフレを脱却できていない。エコノミストと呼ばれる人たちは、コアコアCPIも年内には上昇に転じる見通しと言っているが、本当にそうなるかどうかはまだわからない。
国の中央最低賃金審議会は先日(6日)、今年度の地域別最低賃金をまとめ、これによると最低賃金が3年ぶりに2桁引き上げられることになった。結構な話である。しかし、安倍政権成立後、まだ実際に労働者の賃金が上がったといえる状況ではない。実際に賃金が上がるかどうかは来年の春頃にならなければわからないだろう。そしてその時期に待ち構えているのが消費税の増税である。早くも、消費税が増税されれば賃上げはしないぞと労働者を脅している経営者もいる。消費税を予定通り来年4月に引き上げるかどうかは、安倍政権の命運を左右する事項になるだろう。
以上は一般的な話だが、安倍晋三の政策で明らかに誤りなのは、生活保護の水準切り下げなどに典型的に見られる政府支出の切り下げを図っていることだ。私の見るところ、世のリフレ論者を粗っぽく分類すると、金融政策さえしっかりやっておけば財政出動は削減できるとする論者と、金融政策と財政政策の適切な組み合わせが必要だとする論者とがいるが、後者はさらに財政支出においてどの分野に重点を置くかで分かれる。自民党の政策は、公共事業に偏重した形での「金融政策と財政政策の組み合わせ」を目指したものといえるだろう。
私は、自民党の財政政策が「国土強靱化」に偏重して、生活保護の水準切り下げに端的に表れているような福祉・社会保障切り捨てを目指していることが最大の問題だと思う。安倍政権の経済政策に対する批判はこの点に集中させるべきだと以前からずっと主張しているのだが、どういうわけか左翼政党や民主党リベラル派(や生活の党w)はまず安倍政権の金融政策への批判から入りたがる傾向が強く、この点に強い不満を持っている。そこを議論しても「神学論争」にしかならないと思っているからだ。しかし左翼政党や民主党リベラル派や生活の党は、金融緩和やインフレターゲットの批判から入りたがる。これは、安倍政権の「福祉・社会保障切り捨て」批判を自ら論点からそらす愚行だと私は考えている。なお、金融緩和やインフレターゲットを嫌う点では朝日新聞や毎日新聞も同じだが、朝日や毎日は財政再建と消費税増税への指向が強く、「経済極右」とでもいうべき論陣を張っている(呆)。
このような野党やマスコミの愚策やら堕落やらに助けられて、安倍政権の経済政策が世論に「信認」されているかのような様相を呈しているが、私は世評とは大いに違って、安倍政権の最大の泣きどころは経済問題だと考えている。安倍晋三は経済政策でポイントを稼いで、本丸の改憲へと突っ込みたいものとみられるが、経済政策への批判が改憲をも阻むのではないかと予想する次第である。
原発問題でも、参院選後すぐに報道されて今も世論の強い批判を浴びている東電の福島第一原発の汚染水垂れ流しの問題がある。そもそもの最初の東電原発事故が起きた早々に核燃料がメルトスルーしてしまっていて、放射性物質は以後ずっと垂れ流し状態だったのではないかと私は疑っている。
どうみても破綻している原発に惰性で頼ろうとする経産省や経団連などに安倍政権が迎合して、原発再稼働・推進政策を続けようとしていることも、今後政権支持率を下げて政権を不安定にする要因になると見ているが、長くなったのでこの点は尻切れトンボにしてひとまず記事を終わらせることにする。
要旨は建前としてはナチスを否認する立場に立っているはずの麻生太郎の本音が表れたというもので、同様の論考は記事からリンクして言及した2件のブログ記事をはじめとして多数あると思う。
今回、朝日や毎日などの新聞の初動が遅れ、海外(中韓や欧米)が騒ぎ始めてからやっと麻生太郎を追及する記事を書くようになったことが批判されている。新聞記者にしてみれば、「ナチスを否認している麻生さんが言い間違えただけだから」と考えて、発言の問題になった部分を省いた上で論評抜きの短い記事にしたり(朝日)、そもそも発言の翌日には報道しなかったり(毎日)したものであろう。記者たちの気持ちはわからないではないが、朝日・毎日とも後手に回った印象の悪さは否めない。
実際、麻生太郎は総理大臣時代の2008年に、民主党をナチスにたとえて批判する発言をしている(下記URL)。以下引用する。
http://www.afpbb.com/article/politics/2501065/3187903
麻生氏の民主党ナチス発言、鳩山氏「看過できない」
【8月5日 AFP】自民党の麻生太郎(Taro Aso)幹事長が4日、民主党をナチス(Nazis)に例えたと受け取れる発言をしたことに対し、同党の鳩山由紀夫(Yukio Hatoyama)幹事長は、党として麻生氏に謝罪を求める方針を明らかにした。
日本経済新聞によると、麻生氏は前日、民主党の江田五月(Satsuki Eda)参院議長に就任のあいさつをした際、「歴史を見れば政権与党から民心が離れた結果、ナチスのような政党が政権を取った例もある」と述べたという。
ときに舌禍で知られる麻生氏だが、ほかの報道によると「ドイツでもナチスにいっぺん(政権を)やらせてみようと選んで、ああなった」とも述べた。
5日、記者会見した麻生氏は「民主党をナチスに例えたわけではない」と述べ、民主党が第1党を占める参院で、審議が行き詰まる状況を批判したのだと釈明した。
しかし鳩山民主党幹事長は、「許し難い暴言。民主党と国民を冒涜(ぼうとく)している」と反発、「看過できる問題ではない。党として謝罪を求めたい」と述べた。(c)AFP
(AFP BBニュース 2008年08月05日 21:50)
改めてこの件を報じた記事を読み返して思うことは、「歴史を見れば政権与党から民心が離れた結果、ナチスのような政党が政権を取った例もある」という麻生の指摘にずばり当てはまるのが、安倍晋三を総裁に戴く自民党が圧勝した昨年の衆議院選挙にほかならないということだ。
かつての自民党政権は、岸信介が1960年に退陣して以降、2000年に森喜朗が密室の不明朗な選出過程を経て総理大臣になるまでの40年間で、保守傍流に政権を明け渡したことはわずかに福田赳夫(1976〜78年)と中曽根康弘(1982〜87年)の2度を数えるだけだった。しかし自民党は近年急速に右傾化し、小泉純一郎や安倍晋三など、本来絶対に総理大臣にしてはならなかった人間に長期政権を担わせた。2人の中でも特に論外な安倍晋三は、最初は1年で総理大臣の座を追われたが、しぶとく復活して2度目の今回は長期政権になる恐れが強い。
そんな中、「保守本流」の出である麻生太郎も極右の本音を抱いている。政敵をナチスにたとえたり、ナチスの「手口」などとネガティブな言葉遣いをするあたりが、「保守本流」の出である麻生の「建前」であろうが、『kojitakenの日記』で見たように、ナチスを容認し、そのやり方を学べというのが麻生の「本音」なのである。
さて、長くなるのでいったんブレイクを入れる。後半は小沢一郎とその支持者たちへの批判なので、「またか」と思われる方は読まない方が賢明かもしれない(笑)