きまぐれな日々

都議選だが、1989年以降前回まではずっと他人事(非有権者)だったので関心は高くなかった。今回は28年ぶりに有権者になったこともあって、事前に1965年以降の各党の投票率と議席数のデータを分析するなどした。

近年の都議選との対比で私が注目したのは1997年の都議選だった。その4年前、1993年の都議選は7党連立の細川護煕政権が成立する前の選挙で、都議選初挑戦の日本新党が20議席を獲得し、政権交代につなげた。投票率は当時としては史上最低の51.43%であり、マスメディアが煽りに煽った「政治改革」が有権者の支持を必ずしも得られていないことを物語っていたが、それでもその後の都議選の投票率と比較すれば高い部類だった。

その7党連立政権が翌年瓦解したのち、二大政党制による政権交代を目指した小沢一郎の新進党が衆院選で敗れて自民党単独政権が復活したのが1996年だった。翌1997年に行われた都議選の投票率は、40.80%という空前の低さになったが、この選挙で伸びたのが共産党だった。共産党は1993年都議選の13議席から26議席へと議席を倍増させ、同党史上都議会での最多の議席数を記録したのである。

共産党躍進の最大の要因は、与党入りした社会党が支持者を裏切り、それまで社会党に投票していた票の多くが共産党に流れたためだった。投票率は10ポイント以上も下がったのに、共産党の絶対得票率は1.8ポイントも増えた。

その後民主党が発足し、反自民の票の最大の受け皿になり、2009年には政権交代も果たしたが、民主党はその直前の都議選でも議席を大きく増やした。しかし、鳩山、菅、野田と続いた民主党政権が有権者の期待を裏切ると、昨年の総選挙で民主党は惨敗。自民党が政権を奪回するとともに、日本維新の会が躍進した。

しかし、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった維新の会も、自民党にすり寄って「自民党の補完勢力」である正体をあらわにして支持率を落とした。4月の兵庫県宝塚、伊丹両市長選での惨敗が維新の党勢の凋落を象徴していた。焦った橋下徹は、右翼的な有権者に媚びようとしたのか、従軍慰安婦に関する妄言を連発し、それが中韓のみならず欧米からの批判も招いた。橋下があてにした極右票も安倍晋三へとなびき、維新の会の党勢はさらに下落した。

政界の現状は1997年と似ている。となると、都議選の投票率は大きく下がるに違いない。私はそう予想した。そして、政権交代に裏切られた有権者の票の一部が共産党に流れることもある程度は予想した。

大きく分けて、前回の都議選で民主党が得た票から流出する分は、自民、共産、みんな、維新、棄権などに回り、そのうち少し前なら維新に流れるはずだった票を維新が取りこぼすだろうと予想したのである。

だから、今回の選挙結果(自民59、公明23、共産17、民主15、みんな7、生活者ネット3、維新2、社民・みどりの風・生活各0、無所属1)には大きな驚きはなかった。ただ共産が民主を上回ろうとまでは予想しなかったけれども。

共産の伸長は予想を超えていたが、民主の壊滅は想定内だった。民主は共産に負けて第4党になったが、昨年の衆院選で民主は比例区で維新に負けて第3党になっている。それくらい有権者の民主への絶望は深い。

これに関して、昨年までの民主の主流・反主流のどちらにも大きな責任がある。ネットでは今でもいわゆる「小沢信者」が民主党憎しの叫びを上げ続けているが、有権者の大半にとってみれば、小沢も反小沢も同じ「民主党」の括りで切り捨てられる存在に過ぎない。自公に大きくすり寄った菅直人や野田佳彦もひどかったが、東日本大震災・東電原発事故の直後に小沢一郎と鳩山由紀夫が菅直人に対して繰り広げた権力抗争も醜かった。

今回の都議選では、生活の党はわずか3選挙区で候補者を立てるにとどまった。いわば「アリバイ作り」のために候補者を立てただけであって、候補者を当選させようなどという戦意は最初から皆無だった。生活の党は、もはや政党の体をなしていないと言っても過言ではない。もちろん、それぞれ1選挙区で1人の候補を立てるにとどまった社民党及びみどりの風も、生活の党と同じく政党の体をなしていない。

だが、それでも東京都議選は多くの選挙区が中選挙区だからまだ救いがあった。民主にも維新にも入れたくなくても共産党に入れれば、定数4の選挙区の4番目の得票であっても当選できるから、東京都議選はかなりの程度民意を反映した議席配分になるのである。共倒れの多かった民主党が得票率では2番目でも獲得議席数では第4党になるといったこともあるが、それは第1党から転落する政党の宿命であって、次回の都議選では自民党が同じリスクを抱えることになる。

しかし、小選挙区制ではそうはいかない。第一党に対する批判的な意見がある程度存在しても、小選挙区における議席にはつながらないからである。「自民党から政権を奪う」ためだけに野合していた「二大政党」の一方である民主党が小選挙区制主体の衆院選で惨敗すると、現在のような「政権批判の言論が力を失い、実質的に政権に対するチェック機能が失われる」状態になってしまう。

この惨状を招いた1990年代の「政治改革」の罪はあまりにも重い。小沢一郎や鳩山由紀夫は(おそらくは菅直人も)未だに小選挙区制のドグマに固執しているようだが、今回の都議選についていろいろ考えをめぐらせるにつけ、「政治改革」は本当は小選挙区制ではなく、比例代表制を中心とした選挙制度を目指すべきだったと改めて思う。

8年前に小選挙区制の泣き所を突いたのが小泉純一郎だった。その「B層にフォーカスした徹底的なラーニングプロモーション」はあまりにも悪名高いが、2005年に小泉自民党に投票した「B層」は、2009年には鳩山民主党に投票し、2012年には日本維新の会に投票したが、今回の都議選では行き場を失って寝てしまった。今回の都議選はそんな選挙でもあった。

だが、「B層」が寝てしまった一方、今や極右政党と化してしまった自民党に毎回毎回変わらずに投票する人たちが根強くいることを改めて痛感させた今回の都議選の結果を見ると、自称「哲学者」のトンデモ極右・適菜収に罵られている「B層」たちと、自民党の内実の劇的な変化に全く無頓着で、惰性で自民党に投票し続ける人たちのどちらがより強く責められるべきなのだろうかと思ってしまう。適菜収が後者を批判することは決してないが、後者は前者に負けず劣らずたちが悪いと私は思う。

それでも、維新の会の惨敗は大いに歓迎できる結果だった。維新の会の候補には、たとえばもともと小沢一派の自由党代議士(当時)の秘書からスタートして、民由合併に伴って民主党に所属したものの、消費税増税に反対して離党しながら、民主党よりも税率の上げ幅の大きい消費税増税を主張する維新の会に移ったなどという呆れた経歴の人間がいた。つまりその時その時でもっとも勢いのありそうな政党を渡り歩こうという魂胆の人間である。

そんな奴らは、今回片っ端から落選した。前記の候補者ももちろん落選したし、昨年の衆院選前に同様のパターンで民主から維新に移籍して当選した小沢鋭仁のドラ息子も維新の会から都議選に挑んで落選した。「泥舟から乗り移った先もまた泥舟だった」わけである。

今回の選挙では、上記のようなあさましい輩を寄せ集めた日本維新の会が惨敗した。小泉純一郎と小沢一郎と橋下徹に三たび騙された人たちも、彼らのエピゴーネンたちには騙されなかった。

政権批判票の一部は共産党に流れて同党が勢力を伸長させたものの、それでも1997年都議選の26議席には及ばない17議席だった。国政選挙では小選挙区制ないし参院選の一人区に阻まれて、共産党は比例区の票が頼りということになるだろうから、都議選のような大幅な議席増は望み薄だ。参院選の東京選挙区に関していえば、「脱原発」の無党派票をかっさらおうとする山本太郎のごとき輩が出馬を決めている。この山本の出馬を「実質的な脱原発候補つぶし」として論難する声があるけれども、その通りだと思う。そして、無所属で出馬する山本太郎を、もはや政党の体をなしていない生活の党が支援する。開いた口がふさがらない。

その生活の党の党首・小沢一郎が旗を振って進めた「政治改革」のなれの果てが現状である。この記事の最初の方で、1993〜94年の「政治改革」が有権者に必ずしも支持されず、都議選の投票率を大きく下げたと書いた。しかし、このように最初から問題含みだった「政治改革」を剛腕氏はどんどん推進し、最初は半信半疑だった有権者も、4年前にはそれを信じてみようかという気になった。そして期待は裏切られ、民主党のバブルは崩壊した。

あげくの果てに安倍晋三が政権をトリモロしたが、国民が安倍晋三(自民党)から政治を取り戻すのは並大抵のことではない。
スポンサーサイト
参院選の前哨戦とされる東京都議選が14日告示された。今回から都議選の有権者になった。それで1965年以降の都議選について少し調べてみた。『kojitakenの日記』に、各党の絶対得票率(政党の得票数を有権者数で割ったもの)の推移をプロットしたグラフを掲載した。

都議選の投票率は1977年(昭和52年)の65.2%を最高にして以後は低下する傾向にあり、元号が平成に変わった1989年以降は一度も60%を超えたことがない。1989年から4年おきに、58.7%、51.4%、40.8%、50.1%、44.0%、54.5%と推移している。

このうち投票率が50%を超えた4回を見ると、消費税創設(1989年)、政治改革(1993年)、コイズミブーム(2001年)、政権交代(2009年)があった。つまり国政への関心が高まっていた時期に、都議選の投票率も上がっている。

一方、1997年には秋に北海道拓殖銀行、山一証券の破綻などの経済危機があり、2005年には悪名高いコイズミの「郵政解散・総選挙」があったが、都議選が行われた時期にはそれらの兆しはまだなく、国政への関心が低迷していた。都議選の投票率も大きく下がっている。

1989年に大きく党勢を伸ばした社会党が失速したあと、政治に不満を持つ民意の受け皿になったのが、1992年に結成された日本新党だった。同党は1993年の都議選で12.1%の得票率を記録して20議席を獲得したが、それも束の間、翌1994年に日本新党は解散して新進党に吸収された。そして1997年の都議選で新進党は1議席も獲得できなかった。

今回、民主党バブルが弾けたが、昨年の衆院選で民主党の失速を見越して結成されたのが「日本維新の会」だった。このいかさま政党の結成までには橋下徹、石原慎太郎、小沢一郎の3人が水面下で繰り広げた醜い裏工作がいろいろあったようだが、結局橋下と石原が組み、あぶれた小沢は滋賀県知事・嘉田由紀子に目をつけて「日本未来の党」を結成したものの、維新が躍進して未来が惨敗したことは記憶に新しい。

しかし、衆院選における維新の会は、民主を抜いて比例第2党になったとはいえ、昨年の今頃の季節に膨れ上がっていたバブル人気を思えば既に失速気味だった観は否めなかった。そしてその失速が明らかになったのは、今年春の兵庫県伊丹市・宝塚市両市長選における維新公認候補の惨敗だった。退潮に焦る橋下が、安倍晋三に奪われてしまった右翼的な有権者の人気をトリモロスべく従軍慰安婦に関する妄言を口にしたところ、内外から批判を浴びて退潮に拍車をかけた。これが現時点での情勢である。

結局橋下・石原の「日本維新の会」は、1993年の日本新党にも及ばず、結党翌年の都議選で早くも退潮が浮き彫りになる結果になりそうなのだが、橋下は当初、都議選告示にタイミングを合わせるかのように訪米する予定だった。しかし、「慰安婦妄言」が災いして訪米中止に追い込まれた。そのため、橋下は16日、当初の予定になかったであろう東京での遊説を行った。

橋下の演説を、時事通信(下記URL)はこう伝えている。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061600113

(前略)日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は告示後初めて上京し、マイクを握った。多摩市での街頭演説では、「都議選でも参院選でも自民党が独り勝ちしたら、かつての自民党に戻る」と指摘。板橋区内では、批判を浴びた従軍慰安婦問題をめぐる発言に関し「間違ったことを言っているとは思わない。日本が不当に侮辱されている」と強調した。(後略)

(時事通信 2013/06/16-17:31)


私の住む近所にも橋下がやってくるらしいと知ったので、いったい奴は何をほざくのかと思って聞きに行ったが、橋下は概ね時事通信の記事に書かれているようなことを絶叫していた。自らの「慰安婦問題」については、朝日新聞、毎日新聞、毎日放送、TBSを名指しして「誤報」をされたと開き直り、噂に違わず「真意」とやらの説明に延々と時間を割いた。聴衆の中には右翼的な思想信条を持つ者もかなりいたらしく、時折拍手も起きたが、「万雷の拍手」からはほど遠かった。そもそも聴衆の数も少なく、橋下の絶叫に退屈してか、途中で立ち去ってしまった人も多かった。

「自民党には『カイカク』はできない」とか、「明治維新以来続いてきた官僚の支配」がどうのとか言い募り、「霞が関ガー」を連呼する橋下の絶叫を聞きながら私が思い出したのは、昨年の総選挙まで、よく当ブログに投稿していた某「小沢信者」のコメントだった。彼が量産したコメント群と橋下の絶叫はそっくりだった。昨年小沢一郎が口癖のように言っていた「橋下市長と基本的に考えは同じ」という言葉に嘘はなかったんだなあと妙に納得してしまった(笑)。

橋下はいわゆる「アベノミクス」の批判もした。橋下は金融緩和には賛成だが、既得権益の打破なくして国民にお金は回らない、安倍政権は「既得権益を守りたい勢力」に縛られてまともな「第三の矢」を放てなかった、だからいったん上がった株価も急落して元に戻ったんだと言っていた。

一昨日(15日)の朝日新聞にスティグリッツのインタビューが出ているが、見出しに「3本目の矢にない格差是正への配慮 再分配を工夫せよ」とある。橋下は「規制緩和」「既得権の打破」を求めて「霞が関ガー」と叫んでいたが、再分配への言及はひとこともなかった。規制緩和さえすればすべてがうまくいくかのような幻想を振りまいていたが、それは2001年の都議選で自民党を圧勝に導いた小泉純一郎が発していたのと同じ言葉だった。そしてそんな言葉を信じる人はもはや多数ではなくなったはずだ。

だが油断は禁物。東京都民の感性は、大阪市民と非常に近いものがあるとは常々感じるところである。今回の都議選で維新の会には惨敗してほしいが、若干の議席を獲得するのではないかとの危惧は捨て切れない。

今回の都議選では、残念ながら自民党(自公)の圧勝は不可避と思われるが、東京都民がきっちり橋下に「NO」を突きつけられるか、それを注視している。せめて「維新の会」くらいは撃退できなければ、東京にも日本にも明るい未来はないと思う今日この頃である。
橋下徹が安倍晋三の歴史修正主義を援護射撃しようとして発した「従軍慰安婦発言」は、それでなくても凋落の兆しを見せ始めていた橋下と「日本維新の会」の勢いを決定的に殺ぐものとなったが、呆気にとられたのは、ここ20年ほどの右翼の議論がすっかり「自分は穏健保守だ」と思い込んでいる人たちの間に浸透し切っていることだ。それは世界標準(グローバルスタンダードw)から見れば「極右」に他ならない。

橋下の妄言のどこがどう問題かということは、懇切丁寧に解説しているサイトがいくらでもあるのでここでは論じない。一連の騒動と最近の当ブログのコメント欄にあまりにも辟易したので、まず当ブログのコメンテーターたちに毒づくことから始める。

当ブログのコメント欄もすっかりネトウヨの巣窟と化した。ここまでコメント欄の大半が迷惑なネトウヨの妄言に占められるようになった記憶はちょっとないが、そのうちの1つにこんなことが書いてあった。

大阪テレビのたかじんNOマネーで生放送視聴者緊急電話アンケートで”橋下発言問題なし”が7713人、問題ありが2011人となりました。コメンテイターの大谷氏などが「吐き気がする!」とかかなり強烈に批判されていたのでかえって反感を呼んだのだと思いますが正直ビックリしました。

もちろん私は”問題あり”の立場ですが・・。
理由はこの繊細な問題について、なぜこのタイミングであんなに酷い過激なことを言ったのか理解できないからです。


橋下の妄言を「タイミングが悪かっただけ」と評するこの人は、「橋下の発言には問題があった」とするだけで、おそらく穏健派に属しているつもりなのであろう。だが、それはテレビ大阪(「大阪テレビ」じゃないだろ)の極右番組(だろうと思う。私は知らないけどw)の視聴者の大半がそうであるような「ウルトラスーパー極右」のうち「ウルトラ」か「スーパー」のいずれかが外れるだけの話である。コメント主が「極右」でないことにはならない。

そもそも「韓国が過去にこんなことをやった」と言い募るのは、もっとも程度の低い「議論のすり替え」であり、自らの痴性を露呈するものだ。そんなことをいくら人のブログのコメント欄で吠えたって世界には通用しない。その現実が日本人に突きつけられているのが現状なのだ。コメント種には「恥を知れ」と言いたい。

ところで、橋下の妄言のきっかけになったのは、安倍晋三が橋下と組んで推進しようとしていた憲法96条改正がアメリカの批判を受けてトーンダウンさせられたことだった。橋下は苦境に立った安倍晋三の援護射撃をしようとして火に油を注いだ。安倍晋三が内心間違いなく思っていながら口にできないアメリカ批判を橋下は一時行っていた。

だが、それは橋下が予定していた訪米の実現を危うくするものだった。慌てた橋下は、「米軍に風俗業活用を求めた」意見は取り下げてアメリカに謝罪する一方、「慰安婦発言」は取り下げないという妥協策に出たが、結局アメリカは橋下を許さず、橋下は訪米中止を止むなくされる煮え湯を飲まされた。

もともとこの橋下の訪米は、日本維新の会の惨敗が予想されている今月行われる東京都議選から逃げて遠くアメリカに遊びに行くのが目的だったが、それが封じられた。国連からは橋下と日本政府(安倍政権)にさらなる追い討ちがかけられている。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000006378.html

“橋下発言”で政府に勧告 国連拷問禁止委員会

 国連の拷問禁止委員会は、慰安婦問題を巡る日本維新の会の橋下代表の発言を受けて日本への勧告をまとめ、「事実を否定し、元慰安婦を傷つけている」として政府に対応を求めました。

 拷問などの禁止を定めた国連の条約に関する委員会は先月31日、橋下代表の慰安婦問題に関する発言などを念頭に「地方のトップや政治家が事実を否定し、元慰安婦を傷つけている」と指摘しました。そのうえで、日本政府がこうした発言に反論したり、慰安婦問題の法的責任を認めることを求めています。これに対して日本政府は、条約の発効が1987年であることから、太平洋戦争中の慰安婦問題は対象にならないと主張しつつ、歴代の内閣が示してきた元慰安婦へ痛切な反省とおわびを表明する立場を国際社会に説明していきたいとしています。

(ANNニュース 06/01 11:49)



高まる国際社会からの批判を受けて、小野寺五典防衛相も橋下の妄言を批判した。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013060100160&rel=j&g=soc

国際会議で橋下発言批判=「安倍政権はくみしない」-小野寺防衛相

 【シンガポール時事】小野寺五典防衛相は1日、アジア安全保障会議での演説で、従軍慰安婦をめぐる橋下徹日本維新の会共同代表(大阪市長)の発言について「日本の過去の歴史に関し、不適切な発言を繰り返し、周辺諸国に誤解と不信を招いた」と批判した。その上で「安倍政権は、そのような発言や歴史認識にくみするものではない」と述べ、各国の理解を求めた。
 閣僚が国際会議で野党党首の言動に言及するのは異例。橋下発言が海外でも反響を呼び、日本の国際的なイメージ低下が懸念されていることから、政府の立場を明示する狙いがあるとみられる。 
 防衛相はまた、防衛費増額や憲法改正論議に触れる中で、「日本の右傾化を指摘する声もあるが、全くの誤解だ」と反論。過去の戦争と植民地支配を謝罪した村山富市首相談話を引用し、「安倍内閣は歴代内閣と同じ立場を引き継いでおり、私自身、同様の認識だ」と強調した。

(時事通信 2013/06/01-12:07)


だが、安倍晋三自身が明確な言葉で橋下を批判した例を私は知らない。安倍晋三には、自らの意に反するコメントは官房長官の菅義偉や閣僚に任せて、自らは口を開かないという悪癖がある。そして、例えばマスコミの世論調査で内閣支持率が上がったりしてちょっと気をよくすると、すぐに改憲だの歴史修正主義的発言だのを口にして国際社会から批判を浴びる。

日本にとってこれほど大きなリスク要因はない。橋下と維新の会は大阪以外では凋落するだろうが、自民党の場合は今回の騒動があったくらいで圧勝が予想されている参院選の情勢は全く動かない。維新の会が獲ると思われた議席の一部が回ってくる可能性さえある。

日本が国際社会から孤立するリスクを取り除くためには「安倍晋三を終わらせる」しかない。第1次内閣時代から私はそう思っていて、参院選惨敗をきっかけにして第1次安倍内閣がわずか1年で終わった時には心からこれを喜んだものだが、今回は選挙がきっかけで安倍政権が終わることはまず考えられない。自民党の自浄能力には全く期待できず、それは安倍晋三を批判する発言を古賀誠が発するために、『しんぶん赤旗』という共産党の機関紙に頼らなければならなかったことからも明らかだ。

橋下徹の凋落はまことに喜ばしいが、日本の前途に垂れ込める暗雲に光が差すところまでには全く至っていないのである。