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きまぐれな日々

黄金週間の谷間に更新する今回は、記事番号が区切りの1300番(公開前または公開後に削除した記事が14件あるので1286番目の記事だが)になる。だが、気分は重く、記事を書く力がなかなか入らない。

連休直前、大量の国会議員(朝日、毎日、日経などは168人、読売は169人としている)が靖国神社の春季例大祭に合わせて参拝した。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)とやらの行事だそうだが、副総理の麻生太郎も参拝した。総理大臣の安倍晋三は参拝しなかったが、靖国神社に真榊(まさかき)とかいう祭具を奉納した。これを中国・韓国に強く咎められた。

能天気な安倍晋三は、中韓に配慮して節を曲げてまでも参拝しなかったから、まさか真榊を奉納したくらいで非難を浴びようとは全く思っていなかったらしく、ブチ切れて「脅かしには屈しない」と放言したが、靖国神社は単に戦犯を合祀しているのみならず、戦没者を鎮魂するのではなく顕彰する施設である。安倍晋三が批判されるのは当然であり、それは何も中韓のみならず、いつものようにワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズといったアメリカのメディアからも安倍は痛烈に批判されている。特にワシントン・ポストは保守系の新聞であるが、同紙は社説で、その書き出しではTPP参加を決断した安倍晋三を評価しながら、後段で安倍の歴史修正主義をこき下ろしている。

先週は他に「主権回復の日」の式典があった。これも発想が占領政策の全否定からきているので、切り捨てられた沖縄のみならず、アメリカもこうした安倍自民党を警戒しているのではないかと思う。こんな式典を開催するという発想は、私には孫崎享のトンデモ史観を連想させるものだった。孫崎は米軍の駐留を許しておきながら何が主権回復かと言っているようだが、この先も安倍晋三が歴史修正主義をアメリカに咎められるなどされ続ければ、切れやすい生来の性格を持つ安倍が切れて、日米関係が険悪になる可能性だってある。もしそうなったら、孫崎のトンデモ史観を持ってすれば、「安倍総理は『自主独立派』の偉大な政治家だった祖父・岸信介の精神に立ち返った」ことになり、大いに称賛されてしかるべきという結論になるだろう。「孫崎史観」とはそれほどまでにも論外なものであり、孫崎はそのトンデモ本『戦後史の正体』で日本国憲法を「押しつけ憲法論」にもとづくわずか4頁の記述で切り捨てるという暴挙に出ているのだが、そんな孫崎を「リベラル・左派」側から批判する言論がほとんどないことも、日本の危機的な言論状況を物語っている。

危機的な言論状況といえば、最近右翼雑誌などが「朝日新聞が変わった」などと言っていることも気になる。第1次安倍内閣の時のような朝日の厳しい政権批判は影を潜め、最近は妙に安倍晋三に友好的なのだという。朝日新聞の沈黙ないし安倍晋三への迎合のみならず、安倍晋三や自民党を批判する言論が全く力を持たなくなった。

それは何も昨年末の総選挙以来そうなったというわけではなく、それ以前から準備されていたことは、上記の孫崎享のトンデモ本に多くの「リベラル・左派」がなびいたことからも明らかだが、総選挙以降一層ひどくなった。昨年の総選挙以降しばしば思い出していたのは、昨年読んだ坂野潤治氏の著書『日本近代史』の巻末におかれた下記の言葉だった。

これ(引用者註・近衛文麿内閣が発足し、日中戦争が開戦した1937年)以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

 「改革」→「革命」→「建設」→「運用」→「再編」→「危機」の六つの時代に分けて日本近代史を描いてきた本書は、「崩壊の時代」を迎えたところで結びとしたい。(略)第6章で「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

(坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書, 2012年)より)


安倍自民党が圧勝し、明白な自民党の補完勢力である日本維新の会が比例代表で第2党になった衆院選を終えて、ああ、これで日本は「崩壊の時代」に入ったんだなあと思っていたが、先日、知人に教えてもらった毎日新聞夕刊に載った坂野氏のインタビュー記事で、坂野氏自身が下記のように語っていることを知った(下記URL)。
http://mainichi.jp/feature/news/20130422dde012040021000c.html

 「今はもう崩壊の時代に入っちゃっていますね」

 新緑がまぶしい庭を望む東京都大田区の自宅で、歴史学者の坂野潤治さんはあっさりそう答えた。幕末の1857(安政4)年からファシズムが台頭する1937(昭和12)年までの80年間の歴史を改革、革命、建設、運用、再編、危機の六つの時代に分けて描いた著書「日本近代史」(ちくま新書)は200字詰め原稿用紙で1200枚を超える大著。新書大賞2013(中央公論新社主催)で3位に入るなど、大きな反響を呼んだ。

 実は危機の時代の先には、日中全面戦争に始まり、太平洋戦争の敗戦で終わる「崩壊の時代」があるという。この7段階の歩みは戦後史の中にも見いだせるというので、今はどの時代にあたるのかと尋ねたところ、冒頭の答えが返ってきた。内心、まだ「危機」のあたりだろうと思っていたので意外だった。

 「危機の時代は小泉純一郎政権から野田佳彦政権まで。第2次安倍晋三内閣で崩壊の時代に入りました。みなさん、今はアベノミクスに満足しています。昨日もタクシーに乗ったら、運転手さんが『いい時代になりました』と言っていました。安倍内閣の支持率が70%近くという世論調査の結果は正しく反映していると思う。しかしその先に何があるのかなんて誰も想像できません。未来がなくて、今の状態だけに満足している」

 今が戦前の第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発足した崩壊の時代の始まりと重なって見えるというのだ。近衛内閣はあらゆる政治勢力を包摂して発足し、異議を唱える者が絶え果てた時代という。確かに今も巨大与党に対抗する勢力の衰退が止まらない。「あの時は戦争に負けて焼け野原になったように崩壊の形が目に見えた。しかし今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」(後略)

(毎日新聞 2013年04月22日 東京夕刊)


坂野氏にインタビューした毎日新聞の大槻英二記者は、「内心、まだ『危機』のあたりだろうと思っていたので意外だった」と書いているが、私には想像通りだった。

一昨日参院選山口補選で、考えられる限りもっとも劣悪な候補である自民党公認候補の江島潔が、民主党系無所属の元法相・平岡秀夫をダブルスコアを上回る圧勝で下すという不愉快千万なニュースもあった。これなども「崩壊の時代」でなければ起こり得なかったことだと私は考えている。
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