しかし今回は上記のいずれでもなく、サッチャー死亡のニュースが報じられる直前の4月8日に、朝日新聞など一部を除く多くの新聞に報じられた、1959年の「砂川事件」最高裁判決にアメリカが干渉した件を取り上げる。
私はこの件をサッチャー死亡の話題で持ち切りの9日に知ったが、それは朝日新聞が8日付の紙面で報じなかったからだ。あとで知ったことだが、東京新聞や毎日新聞では1面で報じられたらしい。読売も8日付で報じたが、1面ではなく目立たないスペースに載せた。しかしそれでも8日の紙面に載せただけマシで、朝日に載ったのは9日付朝刊の社会面だった。以下毎日新聞記事(下記URL)から引用する。
http://mainichi.jp/select/news/20130408k0000m040116000c.html
砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前
1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。【青島顕、足立旬子】
布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。
書簡は59年7月31日にレンハート駐日首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。
実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。
書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。
布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。
また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。
【ことば】砂川事件
1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。
毎日新聞 2013年04月08日 02時30分(最終更新 04月08日 08時51分)
記事は「1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが」と書いているが、これが明らかになったのは2008年である。その時にも毎日新聞と東京新聞は1面で報じたが、朝日には(少なくとも毎日や東京と同じ日の紙面には)載らなかったらしい。当時の毎日新聞記事は既にリンク切れだが、毎日の記事を引用したブログ記事経由で引用する。
砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に
米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。
◇米で公文書発見
国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。
電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】
◇批判されるべきだ--奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話
田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。
◇安保改定へ日米連携--我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話
安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた時期だ。日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていたことを文書は示している。
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■ことば
◇砂川事件
1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で、拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は、安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、最高裁大法廷は同12月に1審を破棄、差し戻しを命じた。判決は、国家統治の基本にかかわる政治的な問題は司法判断の対象から外すべきだとした(統治行為論)。7人は罰金2000円の有罪が確定した。
◇跳躍上告
刑事訴訟法に基づき、地裁や家裁、簡裁の1審判決に対して、高裁への控訴を抜きに、最高裁に上告する手続き。1審で、憲法違反や地方自治体の条例・規則が法律に違反したと判断された場合に限る。
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
5年前も今回も足立旬子記者が取材している(今回は青島顕記者の名前もクレジットされている)。毎日の報道に関しては足立記者GJといえようか。一方、5年前も今回も「特落ち」したらしい朝日はふがいないの一語に尽きる。
砂川事件とその一審判決および最高裁判決は、「統治行為論」や「跳躍上告」などといった言葉と一緒に高校で習った。当時は統治行為論を否定するのは当たり前で、肯定するのはサンケイ新聞(当時の表記)くらいのものだったが、その後間もなくナベツネが読売新聞の論説委員長に就任すると(1979年)、読売も「統治行為論」を正当とする論調に転換し、ナベツネの意見に反対したそれまでの論説委員を片っ端から左遷した。ナベツネが理想とする「権力と一体となったジャーナリズム」の始まりである。
ところで、植草一秀もこの件を8日付ブログで取り上げている。遅れずに8日に取り上げているのはさすがだが、植草のブログ記事は下記のように書き出される。
『戦後史の正体』がまたひとつ明るみに引き出された。
元山梨学院大学教授の布川玲子氏が今年1月、米国立公文書館に開示請求し入手した文書が明らかにされた。
文書は1959年8月3日付で、当時の田中耕太郎最高裁長官とレンハート主席公使の会談の内容および米大使館の見解をマッカーサー駐日米大使が米国務長官あてに送った公電などである。(以下略)
(植草一秀の『知られざる真実』2013年4月8日付記事「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」より)
だが、ここで大きな疑問が湧く。果たして米政府に「判断を仰いだ」のは「最高裁トップ」だけだったのだろうか。
植草自身が明記している通り、文書は1959年8月3日付である。いうまでもなく、岸信介政権の時代だ。2008年4月30日付の『しんぶん赤旗』の記事(下記URL)には、当時の外相・藤山愛一郎や首相・岸信介の動きを記した公電の内容が紹介されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043004_01_0.html
■「部外秘」
1959年3月30日午前6時52分受信
夜間作業必要緊急電
伊達秋雄を主任裁判官とする東京地方裁判所法廷は本日、…「…米軍の駐留は……憲法に違反している」と宣言した。
(中略)
当地の夕刊各紙はこれを大きく取り上げており、当大使館はマスメディアからさまざまの性格の異なる報道に関した数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議の後、これら問い合わせには、「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのはきわめて不適切であろう…」むね答えている。在日米軍司令部もマスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。
(後略)
■「極秘」
1959年3月31日午前1時17分受信
至急電
今朝八時に藤山(外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生みだすだけでなく、四月二十三日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの重大な時期に大衆の気持ちに混乱を引きおこしかねないとの見解を表明した。
(中略)
私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的には感じている、…上告法廷への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけだからであると述べた。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろう。
藤山は全面的に同意すると述べた。…藤山は、今朝九時に開催される閣議でこの行為を承認するように勧めたいと語った。
■「部外秘」
1959年4月1日午前7時06分受信
至急電
日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、日本国内に当初どきっとさせるような衝撃をひろげた。
(中略)
岸(首相)は、政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は憲法違反ではないことに確信を持って米国との安保条約改定交渉を続けると声明した。
■「秘」
1959年4月1日午前7時26分受信
至急電
藤山(外相)が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、日本政府が憲法解釈に完全な確信をもっていること、それはこれまでの数多くの判決によって支持されていること、また砂川事件が上訴されるさいも維持されるであろうことを、アメリカ政府に知ってもらいたいと述べた。法務省は目下、高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告する方法と措置について検討中である。最高裁には三千件を超える係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に優先権を与えるであろうことを政府は信じている。とはいえ、藤山が述べたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決をくだすまでにはまだ三カ月ないし四カ月を要するであろうという。
(中略)
一方、藤山は、もし日本における米軍の法的地位をめぐって、米国または日本のいずれかの側からの疑問により(日米安保)条約(改定)交渉が立ち往生させられているような印象がつくられたら、きわめてまずいと語った。
そこで藤山は、私が明日、藤山との条約交渉関連の会談を、事前に公表のうえ開催することを提案した。(後略)
(砂川事件・伊達判決に関する米政府の解禁文書(2008年解禁)〜『しんぶん赤旗』2008年4月30日付より)
岸は、一審判決(「伊達判決」)が出るや否や声明を発表し、藤山外相側から駐日米大使に会見を求めるなどしている。つまり、事実は植草がブログ記事のタイトルにしたような「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」にとどまらず、岸信介政権とアメリカがグルになって司法権の独立を侵し、最高裁長官・田中耕太郎も自ら進んで司法権の独立を放棄し、岸政権とアメリカに協力したということだ。つまり、「属国の作法」とやらを行った張本人は岸信介だったと考えなければならない。
植草は、ブログ記事の冒頭で孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』のアマゾンのサイトにリンクを張っているが、当記事ではリンクを削除して引用した。その代わり、当ブログの昨年10月9日付記事「安倍晋三『長期政権』の悪寒/左派内から崩れる『護憲論』」にリンクを張っておく(下記URL)。この記事で私は孫崎のトンデモ本『戦後史の正体』を批判した。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1272.html
上記リンク先の記事で批判したように、孫崎は日本国憲法を「押しつけ憲法」史観で軽く退け、岸信介を天まで届かんばかりに絶賛している。そして、岩上安身や植草一秀はこのトンデモ本を大々的に宣伝した。孫崎・岩上・植草らの意図がどこにあるのか私にはわからないが、結果として起きたのは、「小沢信者」と呼ばれる一部の左派(主に新左翼崩れ)の連中が一斉に改憲派に転向したことだ。安倍晋三にとってこれ以上ありがたい話はないだろう。
現在、マスコミの調査で生活の党の支持率は0.1〜0.3%程度のようだから、「小沢信者」の数などたかがしれているかもしれない。しかし、彼らの聖典になったように見受けられる『戦後史の正体』はベストセラーとなり、孫崎は岩波書店からも本を出すようになったし、何を勘違いしたのか自民党議員が国会の質疑で「孫崎享のような人間をテレビに出すとは何事か」と発言するなど、現在、孫崎はあたかもリベラル・左派の代表的論客であるかのように思われている。
しかし、それは誤りである。引用文が多くて長くなったこの記事で示したように、孫崎享・岩上安身・植草一秀といった人たちは、なぜか岸信介を持ち上げる。今回報じられた最高裁長官と駐日米大使の密談についても、植草は「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」とは書くものの岸信介政権の動きについては何も書かない。
孫崎・岩上・植草らこそ、「小沢信者」が好む表現を借用すると「工作員」(笑)ではないか。彼らはリベラル・左派に取り入ってこれを転向させ、安倍晋三・石原慎太郎・橋下徹らが目指す憲法改定に大きく寄与している。