昨年末の衆議院選挙では、自民党が圧勝して、民主党と日本未来の党(当時)が惨敗した一方で、日本維新の会とみんなの党という2つの新自由主義政党(維新の怪は極右政党でもある)が躍進した。
そのため、もう3か月先に迫った参院選を控えて、野党では民主党と生活の党の両党が敬遠される傾向が顕著だ。特にひどい例が小沢一郎の地元・岩手県選出の参議院議員で、当然ながら小沢Gに属していた平野達男の動向だ。平野は、小沢らとともに民主党を離党する行動には踏み切らず、民主党に残ったが、ここにきて民主党に離党届を出した。それで、元の親分だった小沢一郎の下に走るかと思いきや、自民党の一部と交渉していたのだった。無所属で出馬して自民党の応援を受けたいというのが、平野の卑しい魂胆だった。さすがに自民党からも反対論が相次いでおり、岩手選挙区は諸勢力入り乱れての混戦になる可能性さえある。
平野達男の例は民主党と生活の党の没落を象徴するような話だが、ここにきて政党支持率の消長で目立つのは、昨年末の衆院選で議席を伸ばして上げ潮に乗っていたと思われた維新の怪とみんなの党の支持率が急落し、特に維新の怪の政党支持率はこのところ民主党をも下回っていることだ。民主党もいっこうに党勢が下げ止まっておらず、先月の時事通信調査では政党支持率が4.2%となって、ついに公明党(4.3%)を下回ったが、維新の怪(2.0%)、みんなの党(1.4%)はその民主の半分以下の政党支持率に凋落した。なお生活の党も民主党同様凋落が下げ止まらず、政党支持率は0.2%にまで落ちた。かといって、共産(1.3%)、社民(0.2%)が伸びているわけでもない。完全な自民(28.2%)の一人勝ちである。
その「強い自民」に維新の怪とみんながすり寄っている。たとえば昨日投開票の東京・小平市長選では、自民・公明・維新・みんなの相乗り候補が民主・共産・社民・生活・生活者ネット推薦の現職に挑んで敗れた。当選した現職の小林正則市長は、Wikipediaの記述を信じれば、全国の首長で唯一社民連在籍歴のある人(のち新党さきがけ、民主党を経て無所属)ということで、中央の政局を考えれば生活の党に推されることなどあり得ないが、地方選ではそんな常識は通用しないのが面白い。そういえば岩手県の陸前高田市長選では現職市長は自民党と共産党の推薦を受けて当選した戸羽太氏だったりする。
だから、国政選挙とリンクしてはいけないのだろうが、維新の怪やみんなの党の人気も、自民党と相乗りしてしまえばほぼゼロに近くなってしまうことが証明された、という程度のことはいえようかと思う。
それでも、みんなの党には曲がりなりにも、結構良くできている「一人一票比例代表制」の衆議院選挙案を提案するなど、少しは見るべきものもある。私は新自由主義には反対なので間違っても同党は支持しないが、新自由主義的な思想信条を持っている人たちにとっては、維新の怪なんかよりははるかにましな選択肢だろうと思う。
最悪なのはなんといっても維新の怪だろう。「軽い」(かどうか知らないが)脳梗塞で入院していた石原慎太郎が退院するや、朝日新聞のインタビューを受けて、「軍事国家になるべきだ」という暴言を吐いたが、この発言に慌てふためいて、「困った時の朝日叩き」で批判をそらそうと躍起な橋下徹のTwitterや、その橋下のシンパらしい「アルファブロガー」とやらの歯切れの悪いブログ記事などを見ると、大阪やその周辺はいざ知らず、全国的に見ればすさまじいばかりの維新の怪の没落に快哉を叫ばずにはいられない(笑)。
最近では維新の怪は「与党でも野党でもない『ゆ』党」(かつて旧民主党を揶揄して用いられた言葉)などと言われるようになったが、少なくとも「既成政党と対決する政党」のイメージを演出(捏造)して日の出の勢いだった昨年前半あたりまでとは様相が一変した。
選挙制度についても、太陽の党出身者が中選挙区制の復活を提唱するのに対して、橋下は「小選挙区制論者」だとしてこれに反対している。しかし、小選挙区制で一票の格差を是正するとなると、筋論から言えば選挙の度毎に選挙区の区割りを見直さなければならないはずだし、その手間や「一票の格差」を違憲とする訴訟を受けての裁判や議論がいつまでも必要となるなど、これまでにも費やされてきた壮大な「ムダ」をこれからも延々と続けることになる。
原理主義的に「小さな政府」を目指すのであれば、制度は簡素であればあるほど良い。だから、そういう意味ではみんなの党の「一人一票比例代表制」の提案は新自由主義政党らしい筋の通ったものだと思う。それに対して、橋下の場合は筋もへったくれもない、単なる権勢欲の化け物みたいな醜悪ななにか、と言ったところだろう。
こんなのをいつまでも支持する大阪人には反骨精神のかけらもないと言うほかない。日本一流れに流されやすく、強きを助けて弱気を挫く情けない大阪人は、いい加減おのれのふがいなさを恥じて改心すべきだろう(笑)
そのため、もう3か月先に迫った参院選を控えて、野党では民主党と生活の党の両党が敬遠される傾向が顕著だ。特にひどい例が小沢一郎の地元・岩手県選出の参議院議員で、当然ながら小沢Gに属していた平野達男の動向だ。平野は、小沢らとともに民主党を離党する行動には踏み切らず、民主党に残ったが、ここにきて民主党に離党届を出した。それで、元の親分だった小沢一郎の下に走るかと思いきや、自民党の一部と交渉していたのだった。無所属で出馬して自民党の応援を受けたいというのが、平野の卑しい魂胆だった。さすがに自民党からも反対論が相次いでおり、岩手選挙区は諸勢力入り乱れての混戦になる可能性さえある。
平野達男の例は民主党と生活の党の没落を象徴するような話だが、ここにきて政党支持率の消長で目立つのは、昨年末の衆院選で議席を伸ばして上げ潮に乗っていたと思われた維新の怪とみんなの党の支持率が急落し、特に維新の怪の政党支持率はこのところ民主党をも下回っていることだ。民主党もいっこうに党勢が下げ止まっておらず、先月の時事通信調査では政党支持率が4.2%となって、ついに公明党(4.3%)を下回ったが、維新の怪(2.0%)、みんなの党(1.4%)はその民主の半分以下の政党支持率に凋落した。なお生活の党も民主党同様凋落が下げ止まらず、政党支持率は0.2%にまで落ちた。かといって、共産(1.3%)、社民(0.2%)が伸びているわけでもない。完全な自民(28.2%)の一人勝ちである。
その「強い自民」に維新の怪とみんながすり寄っている。たとえば昨日投開票の東京・小平市長選では、自民・公明・維新・みんなの相乗り候補が民主・共産・社民・生活・生活者ネット推薦の現職に挑んで敗れた。当選した現職の小林正則市長は、Wikipediaの記述を信じれば、全国の首長で唯一社民連在籍歴のある人(のち新党さきがけ、民主党を経て無所属)ということで、中央の政局を考えれば生活の党に推されることなどあり得ないが、地方選ではそんな常識は通用しないのが面白い。そういえば岩手県の陸前高田市長選では現職市長は自民党と共産党の推薦を受けて当選した戸羽太氏だったりする。
だから、国政選挙とリンクしてはいけないのだろうが、維新の怪やみんなの党の人気も、自民党と相乗りしてしまえばほぼゼロに近くなってしまうことが証明された、という程度のことはいえようかと思う。
それでも、みんなの党には曲がりなりにも、結構良くできている「一人一票比例代表制」の衆議院選挙案を提案するなど、少しは見るべきものもある。私は新自由主義には反対なので間違っても同党は支持しないが、新自由主義的な思想信条を持っている人たちにとっては、維新の怪なんかよりははるかにましな選択肢だろうと思う。
最悪なのはなんといっても維新の怪だろう。「軽い」(かどうか知らないが)脳梗塞で入院していた石原慎太郎が退院するや、朝日新聞のインタビューを受けて、「軍事国家になるべきだ」という暴言を吐いたが、この発言に慌てふためいて、「困った時の朝日叩き」で批判をそらそうと躍起な橋下徹のTwitterや、その橋下のシンパらしい「アルファブロガー」とやらの歯切れの悪いブログ記事などを見ると、大阪やその周辺はいざ知らず、全国的に見ればすさまじいばかりの維新の怪の没落に快哉を叫ばずにはいられない(笑)。
最近では維新の怪は「与党でも野党でもない『ゆ』党」(かつて旧民主党を揶揄して用いられた言葉)などと言われるようになったが、少なくとも「既成政党と対決する政党」のイメージを演出(捏造)して日の出の勢いだった昨年前半あたりまでとは様相が一変した。
選挙制度についても、太陽の党出身者が中選挙区制の復活を提唱するのに対して、橋下は「小選挙区制論者」だとしてこれに反対している。しかし、小選挙区制で一票の格差を是正するとなると、筋論から言えば選挙の度毎に選挙区の区割りを見直さなければならないはずだし、その手間や「一票の格差」を違憲とする訴訟を受けての裁判や議論がいつまでも必要となるなど、これまでにも費やされてきた壮大な「ムダ」をこれからも延々と続けることになる。
原理主義的に「小さな政府」を目指すのであれば、制度は簡素であればあるほど良い。だから、そういう意味ではみんなの党の「一人一票比例代表制」の提案は新自由主義政党らしい筋の通ったものだと思う。それに対して、橋下の場合は筋もへったくれもない、単なる権勢欲の化け物みたいな醜悪ななにか、と言ったところだろう。
こんなのをいつまでも支持する大阪人には反骨精神のかけらもないと言うほかない。日本一流れに流されやすく、強きを助けて弱気を挫く情けない大阪人は、いい加減おのれのふがいなさを恥じて改心すべきだろう(笑)
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