きまぐれな日々

黄金週間の谷間に更新する今回は、記事番号が区切りの1300番(公開前または公開後に削除した記事が14件あるので1286番目の記事だが)になる。だが、気分は重く、記事を書く力がなかなか入らない。

連休直前、大量の国会議員(朝日、毎日、日経などは168人、読売は169人としている)が靖国神社の春季例大祭に合わせて参拝した。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)とやらの行事だそうだが、副総理の麻生太郎も参拝した。総理大臣の安倍晋三は参拝しなかったが、靖国神社に真榊(まさかき)とかいう祭具を奉納した。これを中国・韓国に強く咎められた。

能天気な安倍晋三は、中韓に配慮して節を曲げてまでも参拝しなかったから、まさか真榊を奉納したくらいで非難を浴びようとは全く思っていなかったらしく、ブチ切れて「脅かしには屈しない」と放言したが、靖国神社は単に戦犯を合祀しているのみならず、戦没者を鎮魂するのではなく顕彰する施設である。安倍晋三が批判されるのは当然であり、それは何も中韓のみならず、いつものようにワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズといったアメリカのメディアからも安倍は痛烈に批判されている。特にワシントン・ポストは保守系の新聞であるが、同紙は社説で、その書き出しではTPP参加を決断した安倍晋三を評価しながら、後段で安倍の歴史修正主義をこき下ろしている。

先週は他に「主権回復の日」の式典があった。これも発想が占領政策の全否定からきているので、切り捨てられた沖縄のみならず、アメリカもこうした安倍自民党を警戒しているのではないかと思う。こんな式典を開催するという発想は、私には孫崎享のトンデモ史観を連想させるものだった。孫崎は米軍の駐留を許しておきながら何が主権回復かと言っているようだが、この先も安倍晋三が歴史修正主義をアメリカに咎められるなどされ続ければ、切れやすい生来の性格を持つ安倍が切れて、日米関係が険悪になる可能性だってある。もしそうなったら、孫崎のトンデモ史観を持ってすれば、「安倍総理は『自主独立派』の偉大な政治家だった祖父・岸信介の精神に立ち返った」ことになり、大いに称賛されてしかるべきという結論になるだろう。「孫崎史観」とはそれほどまでにも論外なものであり、孫崎はそのトンデモ本『戦後史の正体』で日本国憲法を「押しつけ憲法論」にもとづくわずか4頁の記述で切り捨てるという暴挙に出ているのだが、そんな孫崎を「リベラル・左派」側から批判する言論がほとんどないことも、日本の危機的な言論状況を物語っている。

危機的な言論状況といえば、最近右翼雑誌などが「朝日新聞が変わった」などと言っていることも気になる。第1次安倍内閣の時のような朝日の厳しい政権批判は影を潜め、最近は妙に安倍晋三に友好的なのだという。朝日新聞の沈黙ないし安倍晋三への迎合のみならず、安倍晋三や自民党を批判する言論が全く力を持たなくなった。

それは何も昨年末の総選挙以来そうなったというわけではなく、それ以前から準備されていたことは、上記の孫崎享のトンデモ本に多くの「リベラル・左派」がなびいたことからも明らかだが、総選挙以降一層ひどくなった。昨年の総選挙以降しばしば思い出していたのは、昨年読んだ坂野潤治氏の著書『日本近代史』の巻末におかれた下記の言葉だった。

これ(引用者註・近衛文麿内閣が発足し、日中戦争が開戦した1937年)以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

 「改革」→「革命」→「建設」→「運用」→「再編」→「危機」の六つの時代に分けて日本近代史を描いてきた本書は、「崩壊の時代」を迎えたところで結びとしたい。(略)第6章で「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

(坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書, 2012年)より)


安倍自民党が圧勝し、明白な自民党の補完勢力である日本維新の会が比例代表で第2党になった衆院選を終えて、ああ、これで日本は「崩壊の時代」に入ったんだなあと思っていたが、先日、知人に教えてもらった毎日新聞夕刊に載った坂野氏のインタビュー記事で、坂野氏自身が下記のように語っていることを知った(下記URL)。
http://mainichi.jp/feature/news/20130422dde012040021000c.html

 「今はもう崩壊の時代に入っちゃっていますね」

 新緑がまぶしい庭を望む東京都大田区の自宅で、歴史学者の坂野潤治さんはあっさりそう答えた。幕末の1857(安政4)年からファシズムが台頭する1937(昭和12)年までの80年間の歴史を改革、革命、建設、運用、再編、危機の六つの時代に分けて描いた著書「日本近代史」(ちくま新書)は200字詰め原稿用紙で1200枚を超える大著。新書大賞2013(中央公論新社主催)で3位に入るなど、大きな反響を呼んだ。

 実は危機の時代の先には、日中全面戦争に始まり、太平洋戦争の敗戦で終わる「崩壊の時代」があるという。この7段階の歩みは戦後史の中にも見いだせるというので、今はどの時代にあたるのかと尋ねたところ、冒頭の答えが返ってきた。内心、まだ「危機」のあたりだろうと思っていたので意外だった。

 「危機の時代は小泉純一郎政権から野田佳彦政権まで。第2次安倍晋三内閣で崩壊の時代に入りました。みなさん、今はアベノミクスに満足しています。昨日もタクシーに乗ったら、運転手さんが『いい時代になりました』と言っていました。安倍内閣の支持率が70%近くという世論調査の結果は正しく反映していると思う。しかしその先に何があるのかなんて誰も想像できません。未来がなくて、今の状態だけに満足している」

 今が戦前の第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発足した崩壊の時代の始まりと重なって見えるというのだ。近衛内閣はあらゆる政治勢力を包摂して発足し、異議を唱える者が絶え果てた時代という。確かに今も巨大与党に対抗する勢力の衰退が止まらない。「あの時は戦争に負けて焼け野原になったように崩壊の形が目に見えた。しかし今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」(後略)

(毎日新聞 2013年04月22日 東京夕刊)


坂野氏にインタビューした毎日新聞の大槻英二記者は、「内心、まだ『危機』のあたりだろうと思っていたので意外だった」と書いているが、私には想像通りだった。

一昨日参院選山口補選で、考えられる限りもっとも劣悪な候補である自民党公認候補の江島潔が、民主党系無所属の元法相・平岡秀夫をダブルスコアを上回る圧勝で下すという不愉快千万なニュースもあった。これなども「崩壊の時代」でなければ起こり得なかったことだと私は考えている。
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今月行われた地方選挙は、「ミニ統一地方選」と呼ばれるのだそうで、7月に行われる参院選の前哨戦として注目されているとのことだが、概ね自民党の堅調が目立った。但し、地域によっては東京都小平市長選(7日)や香川県丸亀市長選(14日)のように自民党候補(小平市長選の場合は自公のほかにみんなの党と維新の怪が相乗りした)が敗れた選挙も少なくなかった。

強い印象を受けたのは、14日に行われた兵庫県の伊丹市長選と同宝塚市長選で維新の怪公認の候補が惨敗したことで伊丹市長選は自民・民主・公明が推す現職の勝利だったが、宝塚市長選は元社民党衆院議員の現職・中川智子市長を共産党系の団体も推し、いわば「社共共闘」の形で、民主党系の応援なども得て維新の怪公認の侵略者、もとい挑戦者を退治、もとい破ったのだった。

いまやすっかり凋落した「小沢信者」は、昨日(21日)の名古屋市長選で3選を目指した河村たかしの楽勝に溜飲を下げたかもしれない。だが、河村たかしは絶頂期の一昨年の市長選では2位の候補の3倍を超える66万票の大量得票で圧勝したのに対し、昨日の市長選では得票数を一昨年の3分の2にも満たない42万票台に落とした。それでも自民と民主が相乗りした2位の候補の倍以上の得票で圧勝したのだが、河村の勢いは確実に落ちている。橋下の維新の怪が兵庫県侵略に失敗したといってもそれはアウェーの戦いに敗れただけだが、河村の場合はホームでも明らかに勢いを落としているのだ。まるで今年のプロ野球・中日ドラゴンズのようだと言ったらドラゴンズファンの方々からお叱りを受けるかもしれないが。

ところで個人的に注目しているのはこの週末(28日)に投開票の行われる参議院山口補選である。先週、民主党参院議員の室井邦夫(統一協会とズブズブの関係にある元小沢系の極右議員)が離党を表明し、さらに山口補選で自民党公認の江島潔が当選すれば参院の議席数で自民党は民主党と同数の第1党になるとマスコミは囃し立てている。

選挙自体は蓋を開けてみるまでもなく江島潔の圧勝で決まりである。江島が下関市長を務めていた頃、当ブログは江島をこき下ろす記事を何本も書いたし、現在も『kojitakenの日記』で江島をdisっている。江島潔が安倍晋三の腰巾着であるばかりか、下関市長時代や4度戦った市長選で悪行三昧だったトンでもない人間だからだ。

しかし、江島が下関市長の5選断念に追い込まれた人望のない政治家だとはいっても、安倍晋三系と林芳正系の自民党内での対立構図で林芳正系に押されて劣勢になっただけで、国政選挙ではその林芳正系の支援も受けられるわけだから、現在の圧倒的な自民党への支持を背に受ける江島が負けるはずがない。実際、朝日新聞は「自民・江島氏が優勢」と報じている。

朝日の記事には「無所属新顔の平岡秀夫氏らは厳しい」と書かれている。民主党政権で法相を務めた平岡氏は、今回の補選では無所属で、民主党とみどりの風の推薦、社民党の支持をそれぞれ受けている。また、共産党が藤井直子氏を擁立し、他に幸福実現党の候補もいる。選挙が間違いなく江島潔圧勝と思われる情勢を考慮すると、各党の対応はそれぞれの立場からすれば理にかなったものといえるだろう。

今朝(4/22)の朝日新聞には、参院山口補選に関して3面をほぼ丸々とって(他には連載記事の「プロメテウスの罠」が載っているだけ)長い記事を書いているが、そこで一度も党名の言及がないのが生活の党である。この党は全く動いていない。ネット検索をかけてみたが、同党の佐藤公治参院議員(今年改選)が「個人として」平岡候補の応援演説を行ったというのが唯一見出した同党議員の動きだった。小沢一郎が菅直人に近い平岡秀夫を嫌っているほか、旧日本未来の党で小沢と袂を分かった飯田哲也が平岡氏を応援していることなどが、同党が動かなかった理由と思われる。

一方、リベラル・左派系ブログに昔からアクセスしている人にはおなじみであろう戸倉多香子氏(民主党山口県議)やさとうしゅういち(佐藤周一)氏(緑の党)は平岡候補の応援を行っている。戸倉氏に民主党籍があるのが意外だったが、昨年の衆院選直前に一端離党届を出しながら、自ら棚上げしてもらって衆院選後の昨年末に離党届を取り下げたようだ。ずいぶん政治的な動きにも見えるが、その結果平岡候補を心置きなく応援できるのであれば、同県議にとって賢明な選択だったのではないかと思える。こう書くと県議の本意ではないと言われそうだが、変な「忖度」を強いられるような空気に構成員の行動が縛られるような政党は、やはり問題外のダメ政党だと思う。

私自身は政治家になるつもりなど毛頭ないから、われながらずいぶんひどいお気楽な記事を書いているなと思うのだが、勝ち目の全くない戦いでもやらなければならない時がある。そういう時にどういう行動を取ったかということは、政治家の評価を大きく左右するのだ。政治家には持続力と忍耐力が必要である。追い風に乗っている時には偉そうにしていながら、逆風を受けると全く動かなくなってしまう政治家など、全く信用できない。

ブログも同じである。5年前の衆院山口2区の補選の時、最初のマスコミの情勢調査で平岡秀夫と山本繁太郎がほぼ互角と見られ、中には山本繁太郎の名前を先に書いたメディアもあったが、それをブログで紹介したら、今では「小沢信者」と化した有名ブログ主に「あんたはノーパンしゃぶしゃぶ(山本繁太郎)を勝たせたいのか」とずいぶんな剣幕で怒られたものだ。しかし、そのブログは現在では参院山口補選など見向きもしない。そんなブログよりは、今でも参院山口補選で平岡氏に好意的な記事を載せるブログの方がよほど良いと思うのである。私は今回の補選では単に大嫌いな江島潔をネットでdisっているだけの腰抜けなので、偉そうにいえた筋合いはないのだが、それでも個人ブログに何を書こうと勝手なのでこうして書いている(笑)

来週の月曜日には、また産経その他の保守メディアが参院山口補選の江島潔圧勝に沸いているかと思うとむかつくが、それは避けられない事態だからどうしようもない。
先週の大きなニュースといえばイギリス元首相のマーガレット・サッチャーの訃報があり、TPPで安倍晋三がアメリカに大きな譲歩をして財界をも失望させた件があった。前者は『kojitakenの日記』にずいぶん書いたし、後者は日米構造協議における小沢一郎の譲歩を思い出させるものだった。

しかし今回は上記のいずれでもなく、サッチャー死亡のニュースが報じられる直前の4月8日に、朝日新聞など一部を除く多くの新聞に報じられた、1959年の「砂川事件」最高裁判決にアメリカが干渉した件を取り上げる。

私はこの件をサッチャー死亡の話題で持ち切りの9日に知ったが、それは朝日新聞が8日付の紙面で報じなかったからだ。あとで知ったことだが、東京新聞や毎日新聞では1面で報じられたらしい。読売も8日付で報じたが、1面ではなく目立たないスペースに載せた。しかしそれでも8日の紙面に載せただけマシで、朝日に載ったのは9日付朝刊の社会面だった。以下毎日新聞記事(下記URL)から引用する。
http://mainichi.jp/select/news/20130408k0000m040116000c.html

砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前

 1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。【青島顕、足立旬子】

 布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。

 書簡は59年7月31日にレンハート駐日首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。

 実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。

 書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。

 布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。

 また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。

 【ことば】砂川事件

 1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。

毎日新聞 2013年04月08日 02時30分(最終更新 04月08日 08時51分)


記事は「1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが」と書いているが、これが明らかになったのは2008年である。その時にも毎日新聞と東京新聞は1面で報じたが、朝日には(少なくとも毎日や東京と同じ日の紙面には)載らなかったらしい。当時の毎日新聞記事は既にリンク切れだが、毎日の記事を引用したブログ記事経由で引用する。

砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に

 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。

 ◇米で公文書発見

 国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。

 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。

 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。

 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。

 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】

 ◇批判されるべきだ--奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話

 田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。

 ◇安保改定へ日米連携--我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話

 安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた時期だ。日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていたことを文書は示している。

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 ■ことば

 ◇砂川事件

 1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で、拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は、安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、最高裁大法廷は同12月に1審を破棄、差し戻しを命じた。判決は、国家統治の基本にかかわる政治的な問題は司法判断の対象から外すべきだとした(統治行為論)。7人は罰金2000円の有罪が確定した。

 ◇跳躍上告

 刑事訴訟法に基づき、地裁や家裁、簡裁の1審判決に対して、高裁への控訴を抜きに、最高裁に上告する手続き。1審で、憲法違反や地方自治体の条例・規則が法律に違反したと判断された場合に限る。

毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊


5年前も今回も足立旬子記者が取材している(今回は青島顕記者の名前もクレジットされている)。毎日の報道に関しては足立記者GJといえようか。一方、5年前も今回も「特落ち」したらしい朝日はふがいないの一語に尽きる。

砂川事件とその一審判決および最高裁判決は、「統治行為論」や「跳躍上告」などといった言葉と一緒に高校で習った。当時は統治行為論を否定するのは当たり前で、肯定するのはサンケイ新聞(当時の表記)くらいのものだったが、その後間もなくナベツネが読売新聞の論説委員長に就任すると(1979年)、読売も「統治行為論」を正当とする論調に転換し、ナベツネの意見に反対したそれまでの論説委員を片っ端から左遷した。ナベツネが理想とする「権力と一体となったジャーナリズム」の始まりである。

ところで、植草一秀もこの件を8日付ブログで取り上げている。遅れずに8日に取り上げているのはさすがだが、植草のブログ記事は下記のように書き出される。

『戦後史の正体』がまたひとつ明るみに引き出された。

元山梨学院大学教授の布川玲子氏が今年1月、米国立公文書館に開示請求し入手した文書が明らかにされた。

文書は1959年8月3日付で、当時の田中耕太郎最高裁長官とレンハート主席公使の会談の内容および米大使館の見解をマッカーサー駐日米大使が米国務長官あてに送った公電などである。(以下略)

(植草一秀の『知られざる真実』2013年4月8日付記事「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」より)


だが、ここで大きな疑問が湧く。果たして米政府に「判断を仰いだ」のは「最高裁トップ」だけだったのだろうか。

植草自身が明記している通り、文書は1959年8月3日付である。いうまでもなく、岸信介政権の時代だ。2008年4月30日付の『しんぶん赤旗』の記事(下記URL)には、当時の外相・藤山愛一郎や首相・岸信介の動きを記した公電の内容が紹介されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043004_01_0.html


 ■「部外秘」
 1959年3月30日午前6時52分受信
 夜間作業必要緊急電

 伊達秋雄を主任裁判官とする東京地方裁判所法廷は本日、…「…米軍の駐留は……憲法に違反している」と宣言した。

 (中略)

 当地の夕刊各紙はこれを大きく取り上げており、当大使館はマスメディアからさまざまの性格の異なる報道に関した数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議の後、これら問い合わせには、「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのはきわめて不適切であろう…」むね答えている。在日米軍司令部もマスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。

 (後略)

 ■「極秘」
 1959年3月31日午前1時17分受信
 至急電

 今朝八時に藤山(外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生みだすだけでなく、四月二十三日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの重大な時期に大衆の気持ちに混乱を引きおこしかねないとの見解を表明した。

 (中略)

 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的には感じている、…上告法廷への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけだからであると述べた。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろう。

 藤山は全面的に同意すると述べた。…藤山は、今朝九時に開催される閣議でこの行為を承認するように勧めたいと語った。

 ■「部外秘」
 1959年4月1日午前7時06分受信
 至急電

 日本における米軍の駐留は憲法違反と断定した東京地裁の伊達判決は、政府内部でもまったく予想されておらず、日本国内に当初どきっとさせるような衝撃をひろげた。

 (中略)

 岸(首相)は、政府として自衛隊、安保条約、行政協定、刑事特別法は憲法違反ではないことに確信を持って米国との安保条約改定交渉を続けると声明した。

 ■「秘」
 1959年4月1日午前7時26分受信
 至急電

 藤山(外相)が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、日本政府が憲法解釈に完全な確信をもっていること、それはこれまでの数多くの判決によって支持されていること、また砂川事件が上訴されるさいも維持されるであろうことを、アメリカ政府に知ってもらいたいと述べた。法務省は目下、高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告する方法と措置について検討中である。最高裁には三千件を超える係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に優先権を与えるであろうことを政府は信じている。とはいえ、藤山が述べたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決をくだすまでにはまだ三カ月ないし四カ月を要するであろうという。

 (中略)

 一方、藤山は、もし日本における米軍の法的地位をめぐって、米国または日本のいずれかの側からの疑問により(日米安保)条約(改定)交渉が立ち往生させられているような印象がつくられたら、きわめてまずいと語った。

 そこで藤山は、私が明日、藤山との条約交渉関連の会談を、事前に公表のうえ開催することを提案した。(後略)

(砂川事件・伊達判決に関する米政府の解禁文書(2008年解禁)〜『しんぶん赤旗』2008年4月30日付より)


岸は、一審判決(「伊達判決」)が出るや否や声明を発表し、藤山外相側から駐日米大使に会見を求めるなどしている。つまり、事実は植草がブログ記事のタイトルにしたような「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」にとどまらず、岸信介政権とアメリカがグルになって司法権の独立を侵し、最高裁長官・田中耕太郎も自ら進んで司法権の独立を放棄し、岸政権とアメリカに協力したということだ。つまり、「属国の作法」とやらを行った張本人は岸信介だったと考えなければならない。

植草は、ブログ記事の冒頭で孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』のアマゾンのサイトにリンクを張っているが、当記事ではリンクを削除して引用した。その代わり、当ブログの昨年10月9日付記事「安倍晋三『長期政権』の悪寒/左派内から崩れる『護憲論』」にリンクを張っておく(下記URL)。この記事で私は孫崎のトンデモ本『戦後史の正体』を批判した。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1272.html

上記リンク先の記事で批判したように、孫崎は日本国憲法を「押しつけ憲法」史観で軽く退け、岸信介を天まで届かんばかりに絶賛している。そして、岩上安身や植草一秀はこのトンデモ本を大々的に宣伝した。孫崎・岩上・植草らの意図がどこにあるのか私にはわからないが、結果として起きたのは、「小沢信者」と呼ばれる一部の左派(主に新左翼崩れ)の連中が一斉に改憲派に転向したことだ。安倍晋三にとってこれ以上ありがたい話はないだろう。

現在、マスコミの調査で生活の党の支持率は0.1〜0.3%程度のようだから、「小沢信者」の数などたかがしれているかもしれない。しかし、彼らの聖典になったように見受けられる『戦後史の正体』はベストセラーとなり、孫崎は岩波書店からも本を出すようになったし、何を勘違いしたのか自民党議員が国会の質疑で「孫崎享のような人間をテレビに出すとは何事か」と発言するなど、現在、孫崎はあたかもリベラル・左派の代表的論客であるかのように思われている。

しかし、それは誤りである。引用文が多くて長くなったこの記事で示したように、孫崎享・岩上安身・植草一秀といった人たちは、なぜか岸信介を持ち上げる。今回報じられた最高裁長官と駐日米大使の密談についても、植草は「最高裁トップが外国政府に判断仰ぐ『属国の作法』」とは書くものの岸信介政権の動きについては何も書かない。

孫崎・岩上・植草らこそ、「小沢信者」が好む表現を借用すると「工作員」(笑)ではないか。彼らはリベラル・左派に取り入ってこれを転向させ、安倍晋三・石原慎太郎・橋下徹らが目指す憲法改定に大きく寄与している。
昨年末の衆議院選挙では、自民党が圧勝して、民主党と日本未来の党(当時)が惨敗した一方で、日本維新の会とみんなの党という2つの新自由主義政党(維新の怪は極右政党でもある)が躍進した。

そのため、もう3か月先に迫った参院選を控えて、野党では民主党と生活の党の両党が敬遠される傾向が顕著だ。特にひどい例が小沢一郎の地元・岩手県選出の参議院議員で、当然ながら小沢Gに属していた平野達男の動向だ。平野は、小沢らとともに民主党を離党する行動には踏み切らず、民主党に残ったが、ここにきて民主党に離党届を出した。それで、元の親分だった小沢一郎の下に走るかと思いきや、自民党の一部と交渉していたのだった。無所属で出馬して自民党の応援を受けたいというのが、平野の卑しい魂胆だった。さすがに自民党からも反対論が相次いでおり、岩手選挙区は諸勢力入り乱れての混戦になる可能性さえある。

平野達男の例は民主党と生活の党の没落を象徴するような話だが、ここにきて政党支持率の消長で目立つのは、昨年末の衆院選で議席を伸ばして上げ潮に乗っていたと思われた維新の怪とみんなの党の支持率が急落し、特に維新の怪の政党支持率はこのところ民主党をも下回っていることだ。民主党もいっこうに党勢が下げ止まっておらず、先月の時事通信調査では政党支持率が4.2%となって、ついに公明党(4.3%)を下回ったが、維新の怪(2.0%)、みんなの党(1.4%)はその民主の半分以下の政党支持率に凋落した。なお生活の党も民主党同様凋落が下げ止まらず、政党支持率は0.2%にまで落ちた。かといって、共産(1.3%)、社民(0.2%)が伸びているわけでもない。完全な自民(28.2%)の一人勝ちである。

その「強い自民」に維新の怪とみんながすり寄っている。たとえば昨日投開票の東京・小平市長選では、自民・公明・維新・みんなの相乗り候補が民主・共産・社民・生活・生活者ネット推薦の現職に挑んで敗れた。当選した現職の小林正則市長は、Wikipediaの記述を信じれば、全国の首長で唯一社民連在籍歴のある人(のち新党さきがけ、民主党を経て無所属)ということで、中央の政局を考えれば生活の党に推されることなどあり得ないが、地方選ではそんな常識は通用しないのが面白い。そういえば岩手県の陸前高田市長選では現職市長は自民党と共産党の推薦を受けて当選した戸羽太氏だったりする。

だから、国政選挙とリンクしてはいけないのだろうが、維新の怪やみんなの党の人気も、自民党と相乗りしてしまえばほぼゼロに近くなってしまうことが証明された、という程度のことはいえようかと思う。

それでも、みんなの党には曲がりなりにも、結構良くできている「一人一票比例代表制」の衆議院選挙案を提案するなど、少しは見るべきものもある。私は新自由主義には反対なので間違っても同党は支持しないが、新自由主義的な思想信条を持っている人たちにとっては、維新の怪なんかよりははるかにましな選択肢だろうと思う。

最悪なのはなんといっても維新の怪だろう。「軽い」(かどうか知らないが)脳梗塞で入院していた石原慎太郎が退院するや、朝日新聞のインタビューを受けて、「軍事国家になるべきだ」という暴言を吐いたが、この発言に慌てふためいて、「困った時の朝日叩き」で批判をそらそうと躍起な橋下徹のTwitterや、その橋下のシンパらしい「アルファブロガー」とやらの歯切れの悪いブログ記事などを見ると、大阪やその周辺はいざ知らず、全国的に見ればすさまじいばかりの維新の怪の没落に快哉を叫ばずにはいられない(笑)。

最近では維新の怪は「与党でも野党でもない『ゆ』党」(かつて旧民主党を揶揄して用いられた言葉)などと言われるようになったが、少なくとも「既成政党と対決する政党」のイメージを演出(捏造)して日の出の勢いだった昨年前半あたりまでとは様相が一変した。

選挙制度についても、太陽の党出身者が中選挙区制の復活を提唱するのに対して、橋下は「小選挙区制論者」だとしてこれに反対している。しかし、小選挙区制で一票の格差を是正するとなると、筋論から言えば選挙の度毎に選挙区の区割りを見直さなければならないはずだし、その手間や「一票の格差」を違憲とする訴訟を受けての裁判や議論がいつまでも必要となるなど、これまでにも費やされてきた壮大な「ムダ」をこれからも延々と続けることになる。

原理主義的に「小さな政府」を目指すのであれば、制度は簡素であればあるほど良い。だから、そういう意味ではみんなの党の「一人一票比例代表制」の提案は新自由主義政党らしい筋の通ったものだと思う。それに対して、橋下の場合は筋もへったくれもない、単なる権勢欲の化け物みたいな醜悪ななにか、と言ったところだろう。

こんなのをいつまでも支持する大阪人には反骨精神のかけらもないと言うほかない。日本一流れに流されやすく、強きを助けて弱気を挫く情けない大阪人は、いい加減おのれのふがいなさを恥じて改心すべきだろう(笑)
このところ「一人一票国民会議」の話題がいわゆる「リベラル」系のメディアでかまびすしい。私がアクセスする範囲でも、朝日新聞やTBSの『サンデーモーニング』がそうだし、安倍政権発足後見る習慣がなくなったテレビ朝日の『報道ステーション』も同じらしい。

だが、これらの報道には大きな欺瞞がある。それは、選挙区の区割りばかり言って選挙制度には全くといって言及しないことだ。

どう考えたって、大選挙区の選挙制度にすれば一票の格差は小さくなり、全国1区にすればゼロになるに決まっている。しかし、そういう議論はマスコミではほとんどなされない。まるで「タブー」であるかのように。

大選挙区と相性の良いのは比例代表制だが(他に、候補の得票順に当選者を決める、かつての参議選の全国区の方式がある)、比例代表制というと左翼政党の専売特許であって論外、と思われる風潮もありそうだ。

しかし、現実に一昨年10月、新自由主義系の保守政党である「みんなの党」が「『一人一票』比例代表(ブロック制)」というのを提案している。これをざっと見たが、議員定数を現行の480から300に削減する点を除いて(みんなの党は一院制を主張しているからこれも除いて)よくできた案だ。
http://www.your-party.jp/file/press/111021-01a.pdf

これは、「ブロック制」とはなっているが、「政党票・候補者票を政党得票として全国で合算集計した得票に基づき政党毎の議席各政党内でブロック投票に応じ各ブロックへ議席配分確定(各政党内でブロック投票に応じ各ブロックへ議席配分。各政党内の各ブロック内で候補者票が多い順に議席確定)」としている。

要するに、各党の議席数全体は全ブロック合計の総得票から決め、ブロック毎の議席数は各党の総得票に基づいて配分されるのだ。従って投票率の高いブロックは議席配分数が増える可能性がある。非拘束名簿式だから、名簿搭載順位をめぐって党内で暗闘が生じる可能性もない。非常に合理的な仕組みだ。

みんなの党は、この制度では公明党が有利ではないかと聞かれ、それでも構わないと応じたという。この方式だと、ブロックごとに得票率を競うインセンティブにもなる。地方は総じて都市部よりも得票率が高いが、それが議席配分に反映されるかもしれない。

実は、「一人一票国民会議」はこの案を高く評価していた。「みんなの党 ネット対策本部」というみんなの党のブログの2011年11月3日付エントリ「[画像あり]みんなの党選挙制度改革案を好意的に掲載」に、読売新聞に掲載された新聞広告の画像が出ている。

私は当該番組を見なかったから知らないのだが、テレビに出演して「一人一票」をアジっている「一人一票実現国民会議」の主宰者は、果たして比例代表制の導入を口にしていたのだろうか。また、「一人一票実現国民会議」の発起人・賛同者を見ると、極右と新自由主義者がやたら目立つが、新自由主義者はともかく、極右の諸氏も比例代表制の導入に賛成するのだろうか。聞いてみたい。

また、みんなの党の案とは別に、衆議院ではなく参議院の選挙制度について、公明党と社民党が共同提案を行ったというニュースが昨年(2012年)あった。NHKの報道はリンクが切れているが、2ちゃんねるのログから報道内容をたどることができるので、以下に引用する。

★公明・社民 参院選挙制度の改革案

 参議院の選挙制度を巡って、公明党と社民党は、1票の格差是正のため、
選挙区を現在の都道府県単位から、全国を11のブロックに分けた
「広域選挙区」に変更するなどとした、公職選挙法の改正案をまとめ、
各党に協力を呼びかけることにしています。

 参議院の選挙制度を巡っては、最高裁判所の判決で1票の格差を是正するよう
求められていることを踏まえて、各会派の協議会が今の国会での法改正を
目指して協議を続けていますが、意見の隔たりが大きく、難航しています。

 こうしたなか、公明党と社民党は、比例代表は現状を維持する一方、
選挙区については、現在の都道府県単位から、衆議院選挙の比例代表と同様に
全国を11のブロックに分け、人口に応じて6から22の定員を割りふる
「広域選挙区」とする、公職選挙法の改正案をまとめました。

 両党は、この制度改正が実現すれば、おととしの参議院選挙で
最大で5倍あった1票の格差が2倍以内に抑えられるとして、
各党に協力を呼びかけることにしていて、難航している協議の打開を図りたい考えです。

 ただ、民主党と自民党は、都道府県を単位とした現在の選挙区制を、
原則維持したうえで、選挙区の定員を見直すことで、格差の是正を図るべきだ
という立場を崩しておらず、両党の理解を得られるかどうかが課題となります。

NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120303/t10013450651000.html


このニュースが報じられたのは民主党政権時代の2012年3月3日だったから、「民主党と自民党」という表記になっている。

現在では、民主党は小選挙区制あるいは参院選の一人区のメリットをほとんど受けない政党に転落しているが、海江田執行部はこの期に及んで衆議院の「小選挙区30削減、比例定数50削減」などという妄案を出すていたらくである。まだ小沢一郎の影響が6割ほど残っているようだ。さらにひどいのは、一昨日『kojitakenの日記』であげつらった生活の党であって、いまだに「比例定数80削減」に妄執している。あたかも「『小沢一郎語録』は一言一句違えてはならない」という教義でも存在するかのようだ。同党の望み通り本当に「比例定数80削減」が実現されたなら、間違いなく生活の党は小沢一郎の「劇団ひとり」になるだろう(笑)。

「小沢信者」のブログを見ても、マスコミの報道になびいて「選挙無効判決」が出たぞと形ばかりの記事を掲げるばかりで、選挙制度をどのように変更したいかなどということは一切書かれていない。教祖が唱えた「比例定数80削減」に逆らうわけにはいかないからである。

上記は、私の言う「同調圧力」の一例である。つまり、「小沢信者」グループの内部では、明文化はされていないものの、「小沢一郎に100%盲従しなければならない」という不文律があり、それが成員の行動を縛る。これは極端な例だが、それに類した体質は大なり小なりどんな集団(政治集団に限らない)を持っていると言いたいのだ。だから日本ではわざわざ言論統制を行う必要もない。ついでに言えば、前回のエントリの趣旨は阿部謹也の「世間」の議論から一歩も出るものではない。「世間」という言葉を用いたコメントを一件いただいたが、その方が読解された通りであって、前回言いたかったことはそれだけである。

今回の記事で言いたいのは、今の「一人一票」の議論は定数削減をめぐる議論にしかなっていないが、そういう方向に世論を誘導しようとするマスコミや寺島実郎の議論は論外であって、「小選挙区制」対「比例代表制」の対立構造の議題に転換しなければならないということだ。寺島は昨日のテレビ討論で、今の「一人一票」をめぐる議論について、「少数意見が尊重されなくなる恐れがある」と言いながら、なぜか出し抜けに定数削減を叫び始めた。全く論理がつながって折らず、この人大丈夫だろうかと見ていて心配になったほどだ。また、マスコミ報道の悪例として読売新聞の記事を挙げておく(下記URL)。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130327-OYT1T00248.htm

ここで読売はみんなの党の案について「みんなの党は180削減を主張している」と書くのみで、同党が比例代表制を主張していることは無視している。もちろん朝日新聞も選挙制度を論点にした記事などほとんど載せない。マスコミはどこも、90年代の「政治改革」を推進してきた。

これではいけない。「小選挙区制」対「比例代表制」の議論にしなければならない。「『一人一票』を言うなら小選挙区制廃止・比例代表制実施を」とタイトルに掲げた通りである。蛇足ながら付言すると、橋下徹は小沢一郎と同様に小選挙区制に固執しているが、橋下の妄論も打倒しなければならない。