それは、多くの人々の「沈黙」である。人々は橋下について何も語ろうとしないのだ。人一倍関心を持っていながら。なぜそう断定的に書くかというと、ほぼ毎日更新している『kojitakenの日記』において、他のいかなる話題を取り上げた記事と比較しても、橋下について書いた記事のアクセス数が多くなるからだ。えっ、こんなつまらない記事がアクセスされるの、と驚いたことも数知れない。
今では小沢一郎関連の記事は典型的な「不人気記事」だし、原発問題について書いた記事もアクセス数は頭打ちだ。それなのに橋下について書いた記事ばかりアクセス数が伸びる。それくらい、みんな橋下に注目しているのだ。
そのくせ、橋下についてなかなか旗幟を鮮明にしたがらない。しかも、最近では「反・反橋下」の気運が見られるという。「反・反橋下」というのは、「橋下を叩いている奴らが気に食わない」というもので、本当は心情的には「橋下シンパ」なのだけれど、報道されている橋下の言動には、論理的に言って支持できない部分が多く、その自己矛盾を解消するために、「気に食わない反橋下派」を叩いて、「自分は橋下支持なんかじゃない、橋下批判派を批判しているのだ」という理屈で自己を正当化するのだ。
当ブログのコメント欄でよく見られた、「橋下を『右翼』とみなすのは正しくない」、「橋下を『新自由主義』と決めつけるのは不適切だ」などという言説もそんな空気に通じており、どこか橋下を批判することを自己規制しているかのように思われる。毎度のように書くけれども「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」などという左翼人士氏の言説もそうだ。左翼人士氏にとっては、橋下という名前に条件反射して批判ばかりする左翼が多くの人々の共感を得ることはないと思うのかもしれないが、頭脳の明晰さは私とて認める左翼人士氏の発言の影響によって、ますます橋下批判がしにくくなり、「反・反橋下」の言説が、ほかならぬ「左派・リベラル」側から多く出てくる弊害の方がはるかに大きいと思う。
こういう風潮は、辺見庸がかつてよく書いた「鵺のような全体主義」につながるのではないか。今では事態はもっと深刻かと思われるが。近著『死と滅亡のパンセ』(毎日新聞社)で辺見は、東日本大震災1周年のために詩作と朗読とインタビューを朝日新聞記者から電子メールで依頼され(辺見は依頼を断ったとのこと)、その中で「社会に意義のある言葉」を求められたことを、戦時中の昭和18年(1943年)に「朝日新聞大阪厚生事業團」が主催した「戰詩の朗讀と合唱の夕」のリーフレットに「戰意昂揚と精神醇化のために」と書かれていることとの類似を指摘しそれを批判している。そしてその直後に、マスメディアと橋下徹を批判する文章が続く。以下引用する。
坪井秀人は「メディアは戦争が作る(あるいは戦争はメディアが作る)」と書いているけれども、大正解だね。これがマスメディアというものの本性だろうね。そうこうするうちに三月十一日の奈落はまるでなかったかのように塗りかえられ、テレビからはまたぞろばか笑いが聞こえてきている。大阪でおきているバックラッシュもテレビ、新聞を中心とするマスメディア由来のものだ。テレビはバラエティショーおなじみのタレント弁護士を売りだし、チンピラ・アジテーターに過ぎなかったかれをヒーローにしたてあげた。ボクシングの世界タイトルマッチで大阪の知事と市長をリングにあげ、「君が代」をうたわせてそれを実況中継したのはTBSだった。これだって別種の「声の祝祭」なんだよ。新聞もハエのように橋下という、テレビがひりだしたアジテーターにたかりついた。坪井秀人風に言えば、「ファシズムはメディアがつくる」さ。チンピラ・アジテーターは調子にのってどんどんしゃべくり、香具師のようにしゃべくりがうまくなっていった。このテレビ産の香具師は図にのっているうちにいずれはまちがいなく転けるだろうけれども、この社会は大震災後もヘラヘラ笑いながら新型ファシズムの道を歩んでいるし、橋下がいようがいまいが、今後もそうだろう。
(辺見庸『死と滅亡のパンセ』(毎日新聞社, 2012年)72-73頁)
辺見庸が槍玉に挙げているのは朝日新聞社だが、本の出版元の毎日新聞社も同罪であることはいうまでもない。朝日も毎日も、先日アメリカの保守系新聞『ワシントン・ポスト』が書いた程度の橋下評も行わない。同紙は橋下を「扇動市長」と表現し、「ティーパーティー(茶会)のような、小さな政府の哲学を持っている」と評している。選挙で勝った者は「白紙委任」されているとして、読売新聞主筆の渡邉恒雄(ナベツネ)に「ヒトラーを思い出させる」と批判されたことも紹介した。
橋下の酷薄な新自由主義的な施策は実にひどいものだが、多くの大阪市民はそれを手放しで賛美している。その橋下に安倍晋三(自民党)、渡辺喜美(みんなの党)、小沢一郎(民主党反主流派)など中央政界の「大物政治家」たちや、極右マッチョイズムでは橋下の先輩格とも思われた東京都知事の石原慎太郎までもがすり寄る。「小沢信者」たちは橋下にすり寄る小沢一郎について何も言わなくなるか、あるいは積極的に橋下と小沢一郎の連携を期待したりして「ファシズム」に組み込まれている。
橋下の「扇動政治」にヒントを得たのか、それとも静岡7区において長年「極右レイシスト」の城内実(自民党衆院議員)との抗争を続けた結果ライバルの城内にすっかり感化されたのか、自民党参院議員の片山さつきは、さる有名芸能人(私はこの人のことを知らなかったが)の母親が生活保護を受けていたとしてバッシングする愚挙に出た。昨日のテレビ朝日の『報道ステーション』日曜版だかなんだかが、番組の最初の方にいきなり片山が出てきたから私はチャンネルを変えたが、こいつはなんと自らがバッシングした相方の芸能人に「『夫の会社を潰してやる』と脅された」などと言って泣いて見せたのだそうだ。この「相方の芸能人」の発言とやらは、片山による捏造だろうと言われている。
「劣化版橋下」としか思えないこいつの醜態について、かつてこいつと選挙で争った城内実(1勝1敗)や、こいつに「こいつ」呼ばわりされた前原誠司のコメントが聞きたいところだが、こいつはなんと前自民党衆院議員の杉村太蔵(通称「タイゾー」。現お笑い芸人)にまで批判された。
しかし、さらに呆れるのは「2ちゃんねらー」がこいつを支持して芸能人をバッシングしていることだ。この事態を知って私は2004年の「イラク人質事件」における人質バッシングを思い出した。あの時の「自己責任論」はひどく、自民党の陣笠議員が誤った風説(自作自演説)を捏造してこれを煽り、その仕掛け人は官邸であるとの複数のメディアによる報道もなされた(当時は小泉純一郎政権時代。例の強面秘書あたりの仕業か)。
今回は、野田政権はバッシング劇に直接関与はしていないが、小宮山洋子厚労相が国会で生活水準の保護引き下げを示唆する発言を行った。これでは極右野党の極右政治家に「戦果」を与えるようなものである。そもそも「大連立政権」を目指しているとされる野田政権こそ「ファシズム志向」の最たるものだろう。しかし、朝日新聞も毎日新聞も社説で民主党と自民党は互いに歩み寄れと何度も何度も書き続けている。
事態は、「イラク人質バッシング」が起きた2004年当時よりも、ずっと悪化しているように思われる。
だが、ブログ記事は今日もいつもの無粋な橋下ネタで行く。更新頻度がめっきり少なくなった当ブログだが、今年に入ってから橋下徹の批判ばかりしている。政治に関するニュースの主たる関心事が橋下をめぐることばかりだからだが、それは橋下が次から次へと仕掛けをしてくるからでもある。一昨日には関西広域連合の会合で「原発の『ピーク時限定』再稼働」とやらを「提案」して呆れさせた。リンク先の日経新聞記事の見出しは、「大飯原発、橋下市長が夏だけの再稼働案に言及」となっているが、公開されたばかりの時には、「大飯原発、橋下市長がピーク限定再稼働案に言及」となっていた。あたかも真夏の電力需要のピークになる数時間だけ原発を稼働させるかのような見出しだったのだが、橋下の発言自体がそのようなものだったのではないかと思われる。原発は運転を開始したり停止したりするのに日数を要するから、いったん再稼働させれば一定期間動かし続けなければならないくらい中学生でも知っているが、橋下がそれを知っていたかどうかはともかく、橋下がいつでも「原発のスイッチを入れ」て森永卓郎の熱い支持を調達できる人間であることは、この一件ではっきりした。しかし、翌日関西広域連合の会合に細野豪志が現れると、橋下は何食わぬ顔をして「脱原発」の闘士気取りに逆戻りしていたようだ。
そんな橋下だが、中央の政治家たちの間での人気は絶大だ。
少し前まで、当ブログは小沢一郎を批判することが多かったが、最近では私が小沢に対して腹を立てる最大の理由も「橋下にすり寄っていること」になった。橋下にすり寄ってはつれなくされる小沢からは、かつての「剛腕政治家」の面影が失われつつある。
小沢一郎に限らず、鳩山由紀夫にせよ菅直人にせよ野田佳彦にせよ、以前から、というのは3年前の衆院選の前から橋下に周波を送り続けていた。橋下の新自由主義は、民主党の体質にも相通じるものがあるからだろう。しかし、今年行われるのか来年になるのかはわからないけれども、支持率が暴落している民主党に最近の橋下は冷淡だ。
その一方で橋下は東京都知事の石原慎太郎に対しては思わせぶりな言葉を口にする。それに有頂天になったのか、石原は橋下と連携し6月にも政治塾「日本維新の会」を立ち上げたいと抜かした。以下読売新聞より。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120518-OYT1T01005.htm
石原知事「日本維新の会」設立へ、橋下氏と連携
東京都の石原慎太郎知事は18日の記者会見で、新党構想に関連し、橋下徹大阪市長が率いる地域政党・大阪維新の会との連携を念頭に、6月にも政治塾「日本維新の会」(仮称)を設立したいとの意向を表明した。
政治塾はたちあがれ日本の人材育成塾を母体とする予定で、次期衆院選をにらみ、第3極の結集を目指す。
石原氏は先月、新党構想の「白紙」を宣言していたが、構想の具体化に向けて再始動した形だ。
石原氏は、昨年1月に開講したたちあがれ日本の人材育成塾について、「すでに優秀な人材を修練している。さらに拡大した形で、積極的に手伝って人材を育てたい」と述べた。
大阪維新の会については、「東京と大阪が連携して新しい人材を政界に送り込む。全体で『日本維新の会』のようなものを作っていきたい。6月に大阪とも話して具体的なメッセージを発したい」と語った。民主党の小沢一郎元代表との連携に関しては、「手を組むことは全くない」と強調した。
(2012年5月18日23時34分 読売新聞)
悪いが私はこのニュースを知って鼻で笑ってしまった。だって、「日本維新の会」とは、同じように橋下にすり寄ろうとした民主党の原口一博が昨年結成していたからだ。
東日本大震災と東電原発事故が起きる前の昨年2月24日、毎日新聞が下記の記事を掲載した。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110224ddm005010085000c.html(註:リンク切れ)
原口前総務相:「日本維新連合」準備会合に57人 橋下氏は「一線画す」
原口一博前総務相は23日、国会内で地域主権改革などの政策実現を目指す政策グループ「日本維新連合」の準備会合を開いた。統一選を控えて内閣支持率が低迷するなかで、橋下徹大阪府知事や河村たかし名古屋市長らの地域政党と連携する布石としたい考えだ。
会合には、民主党の若手を中心に国会議員計57人が出席。小沢一郎元代表に近い議員が多く、3月中旬にも正式に発足させる。原口氏は首長や非議員も参加して地域主権改革を進める政治団体「日本維新の会」も発足させる考えを示した。
民主党の中山義活衆院議員ら小沢元代表に近い東京都選出の国会議員9人も24日、「東京維新の会」を設立する。ただ、橋下氏は23日、原口氏との電話で「民主党が日本維新の会に入ると分かりにくくなる。一線を画させてもらう」と慎重に対応する考えを伝えた。【笈田直樹】
(2011年2月24日 毎日新聞)
この時、民主党の連中は橋下に振られている。なお、記事に「小沢元代表に近い」とある中山義活は、当時鳩山派に属していたが、現在では「中間派」の鹿野派に移籍した。「気合いだあ」で悪名高いが、半面計算高いところもある人間だ。
今回の石原の発言は、原口一博や中山義活の「二番煎じ」に過ぎない。あの極右のマッチョ政治家までもが橋下にゴマをすりまくる姿を見て「石原慎太郎ヲワタ」と思ったのは私だけではなかろう。
しかし、そんな石原のラブコールには橋下が脈のありそうな反応を示すものだから、鳩山由紀夫がやきもちを焼いている。
http://mainichi.jp/select/news/20120520k0000m010049000c.html
鳩山氏:大阪維新の会の政権公約案を批判
民主党の鳩山由紀夫元首相は19日のテレビ東京の番組で、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」が政権公約に「参院廃止」などを検討していることに関し「できないぐらい大きなテーマを挙げて『すぐにできる話ではない』で済まそうとしている。マニフェストとはほど遠く、正攻法ではない」と批判した。
鳩山氏は小沢一郎民主党元代表に近く、橋下氏と連携する石原慎太郎東京都知事が「小沢切り」を明言していることへの反発が発言の背景にあるとみられる。石原氏は小沢グループなど現職議員との連携も否定しており、鳩山氏は「国政をより理解している方々が加わって行動することが必須ではないか」と不快感を示した。
鳩山氏はまた、野田佳彦首相が政治生命を懸ける消費増税法案の衆院採決について「まだタイミングではない」と反対する姿勢を示した。【木下訓明】
(毎日新聞 2012年05月19日 20時15分)
記事には「批判」などという見出しがついているが、そんな格好良い発言ではむろんなく、「橋下さんよ、石原なんかと組まないでわれわれ(民主党小沢・鳩山派)と組んでくれよ」と泣きついていると読むべきだ。
以前から橋下に露骨にすり寄っている小沢一郎、安倍晋三、渡辺喜美といった面々も含め、全く懲りない人たちだと思う。ところで、今回過去の報道をたどって気がついたのだが、最近原口一博の影がさっぱり薄い。やはり昨年の菅内閣不信任案の時に態度を豹変させた件のイメージが悪く、人気を暴落させたのだろう。政治家の人気なんてそんなものだ。
原口一博もマスコミにおだてられて「大物」っぽいイメージを演出していた政治家だったが、今ではすっかり凋落している。橋下もそうならないものかと思っているのだが、橋下は次から次へと話題を提供してくるものだから、なかなか人気が落ちない。
橋下が振りまく話題の多くはろくでもないものである。文楽やオーケストラの弾圧、「親学」のトンデモ思想を取り入れて批判を浴び、結局引っ込めた「家庭教育支援条例案」、「つくる会」の歴史修正主義を取り入れた「子どもたちが近現代史を学ぶ施設」、それに毎日放送(MBS)記者罵倒事件。最後の件については、橋下が25分間にわたってブチ切れてMBSの記者を怒鳴りまくり、しかも橋下の認識の方が誤っていたというオチまでついたひどいものであり、私は『kojitakenの日記』で、「橋下徹を非難し、『毎日放送叩き』に反対するキャンペーンを開始します」と宣言した。この日の同ダイアリーへのアクセス数は、トータルアクセス数で4万2千件、ユニークアクセス数で3万2千件を超えた。多くは「橋下信者」によるアクセスと思われ、記事に対する反応もネガティブなものが大多数だったと思われるが、橋下が何かやらかすたびにタイムリーに反撃し、「橋下へと草木も靡く」状況に少しでも抗いたい。
今年に入ってからの当ブログの橋下批判の記事に対し、「橋下を右翼だというのは間違っている」とか、「橋下を新自由主義者と決めつけるのは適切ではない」などというコメントをいただいたが、ここ最近の橋下の妄動を見るだけでも、橋下が右翼にして新自由主義者であることは明らかだ。
3年前の「政権交代」直前の時期に出版された新書の類を読み直してみると、小泉・竹中の新自由主義「構造改革」路線への怒りをストレートに表したものが多い。リアルの政治においても、安倍晋三政権が発足早々にブチ上げた「ホワイトカラー・エグゼンプション」は世論の猛反発にあって潰れた。ほんの数年前にはそんな熱気があったが、政権交代が失敗に終わると、小泉よりひどい新自由主義者の橋下徹に人々が靡くようになった。思うのだが、ホワイトカラー・エグゼンプションも言い出したのが安倍だったから潰れたのであって、小泉や橋下のような「人気者」が言い出したのであれば世論は受け入れてしまうのではないか。実際には小泉政権時代から準備されていた政策だったのにもかかわらず、今でも「ホワイトカラー・エグゼンプション=安倍晋三の失政」というイメージが人々に強く残っているように思われる。
橋下人気の源泉の一つは「脱原発」(のポーズ)だが、これもいつまで続くかわかったものではない。橋下はずいぶんと財界の期待も集めているようだが、その財界にとって絶対に譲れないのが「原発再稼働・原発維持」である。これまで橋下は「脱原発」の看板を掲げて自らの人気浮揚に利用してきたが、どうやって「脱原発」志向の民意の支持を保ちながら方向転換しようかと頭を悩ませていることだろうと想像する。それが、「小沢一郎無罪判決」の日に路線転換を示唆したり、一昨日の「ピーク限定再稼働」(笑)発言につながったものだろう。
橋下徹に信用できるものなど何一つない。何が何でも橋下を打倒しなければならない。
原発に関しては、5月5日に北海道電力の泊原発3号機が定期点検のために運転を休止し、ついに42年ぶりに国内で稼働している原発が1基もなくなった。その直前、「小沢裁判」の判決のあった4月26日、大阪市長の橋下徹は、市役所で報道陣に「節電に住民支持がない場合は原発再稼働を容認する」と語り、同日行われた関西広域連合の会議では「節電新税」を提案した。「節電に取り組む企業への奨励金の財源として、関西の住民に1か月千円程度の新税を課す」というものだ。後者について、佐藤優が「橋下総理誕生を支持する」とした文章を寄稿したのと同じ『週刊文春』5月17日号で、橋下と同じ極右の小林よしのりは、「電力会社が負担すべき金を、住民が肩代わりするのは『脱原発』の立場からの発想ではない。彼(橋下)の『脱原発』は単なるポピュリズムに過ぎない」と喝破した。
要するに橋下は、「小沢無罪判決」という大きなニュースのある日を選んで、原発問題のスタンスを転換しようとしたのだ。しかし、これらの発言への反響から、この路線転換は橋下の人気に致命的なダメージを与えると見て取った橋下は、結局この時点における明確な路線転換を先送りした。
原発再稼働容認派への転換に失敗した橋下が率いる「大阪維新の会」は、連休中にも騒動を巻き起こした。「大阪維新の会」が市議会への提出を予定していた「家庭教育支援条例案」が激しい批判を浴びて撤回を余儀なくされたのだ。
条例案は5月1日に「維新の会」の市議団が公表したもので、「児童虐待が相次ぐ現状を踏まえ、家庭教育の支援や親に保護者としての自覚を促す」との名目で作られた。しかし、児童虐待や子どもの非行などを「発達障害」と関連づけて、親の愛情不足が原因だと、全く医学的な根拠なく決めつけるトンデモな内容に、医師や保護者らが「根拠がない」、「偏見を助長する」などと猛反発し、結局「維新の会」の市議団は議会での提案見送りに追い込まれたのである。
この条例案の背後には、安倍晋三のブレーンである高橋史朗という人物の「親学」なるトンデモ思想があることが指摘された。「親学推進議連」なるものもあり、会長は安倍晋三で、顧問に鳩山由紀夫、森喜朗、山口那津男、渡辺喜美、平沼赳夫らが名を連ねる。また渡部恒三も参加している。要するに自民党、民主党主流派および反主流派、公明党、みんなの党、たちあがれ日本など、与野党「右派オールスターズ」の「トンデモ思想」の流れに、橋下「維新の会」が出そうとした「家庭教育支援条例案」も位置づけられるものである。
なお、この条例案の提出撤回を報じる朝日新聞は、橋下が条例案を批判したなどと書いたが、冗談じゃない、橋下は条例案を出そうとした側ではないかと、朝日の腰の引けた報道に腹が立った。
条例案を批判して格好をつけた橋下だが、今度は近現代史を学ぶ施設を大阪府市で設置すると言い出した。これにあたって橋下は、「新しい歴史教科書をつくる会」や元会員らによる教科書づくりに携わった「有識者」らに意見を聴く考えを示した。「歴史観や事実認定で意見が分かれる近現代史について『子どもらが両論を学べる施設』をつくる」のだという。「両論併記」といえば聞こえがいいが、これを報じた朝日新聞記事についた「はてなブックマーク」のコメントの1つが絶妙にたとえている通り、「天動説と地動説を対等に教える」ようなものだ。こんなニュースに接すると、「家庭教育支援条例案」の仕掛け人も橋下徹本人だったのではないかと勘ぐりたくなる。逆に言えば、この件で批判を浴びたら橋下はいつでも「つくる会」系の「有識者」とやらに責任を押しつけるだろう。橋下とはそういう人間である。しかも、何かにつけ支出を「バサーッと切る」のが大好きなはずの橋下が、こんな馬鹿げた事業に無駄金を使おうという。いったい橋下という人間はどんな神経をしているのか。
さらに呆れるのは、8日に橋下が起こした「MBS記者罵倒」事件である。25分間も延々とMBS(毎日放送=大阪)の記者に怒鳴り散らした動画がネットで流れて話題になった。この時の橋下の振る舞いはあまりにも呆れるほどひどかったので、普段は橋下の提灯持ちに余念がない大阪のスポーツ紙も橋下に批判的に報じた。
まず日刊スポーツの長い記事。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120509-947846.html
橋下市長が記者に30分の「公開口撃」
大阪市の橋下徹市長(42)は8日、登庁時の記者団のぶら下がり取材で、大阪府が施行した君が代起立条例に関して“逆質問”を繰り返し、30分近く、まくしたてた。「ここは議会とは違う。対等の立場」「質問に答えなければ回答はしません」「答えられなければここへ来るな」などとヒートアップ。登庁時ぶら下がり取材の全時間、キレ続けた。また同日夕、府市統合本部の会議後に開いた会見でも、終了間際に橋下氏自らこの件を切り出し、約20分にわたり持論を展開した。
橋下市長が、登庁時のぶら下がり取材で、記者団の質問にキレた。重箱の隅をつつくように約30分、質問者を追及した。発端は、大阪府が施行した君が代起立条例での起立斉唱について、記者団から「(起立に加え)歌うことまで強制するのはおかしいのではないか」といった内容の質問が飛んだことだった。
橋下市長は、この中の「起立斉唱」の文言的な意味を取り上げ「この言葉の中に『立つ』だけしか入っていませんか? (ゆっくりと)起・立・斉・唱・命令です」と、質問の細部にこだわった。文言をめぐるやりとりが5分ほどあり、その間に質問しようとする当該記者を何度も制して「ここは議会とは違う。(記者も)僕の質問に答えるべきだ。答えなければ質問には答えない」などと迫った。
記者側が「歌う意味も入っている」と答えると、今度は「じゃ、誰が誰に命令しているんだ?」と詰問。代表を務める大阪維新の会は条例を提案したが、あくまでも教育委員会が決めたこととし、社員が社歌を歌うように「国民に強制しているのではない。(君が代は)公務員の社歌だ」と、再三にわたり説明した。橋下氏のブチギレの原因は、記者の質問を、君が代起立条例は橋下氏が“主導”しているようなニュアンスに、とらえたためとみられる。
暴走モードに入った橋下市長は「(質問に)答えられないならここに来るな」「何言ってんだよ」「不細工な取材するなよ」と、言葉を乱す場面も。橋下氏のぶら下がり取材は、市役所の公式ホームページから一般視聴も可能で、記者に対し「これ全部、後で放送するからいいけれども、自分でとんちんかんさが分かんないの?」とも言い、所属社を聞き出し「そんなとんちんかんな質問しながら採用されて…」と個人攻撃のような発言もあった。
取材の終わり際、記者が「今日はこれくらいに…」と言うと、橋下氏は「『今日はこれくらいにしときます』って、どうですか? 吉本の新喜劇でも、もっと丁寧な言い方しますよ」と、徹底的にかみついた。
さらに、夕方には府市統合本部の会議後に会見を開き、約10分で会見が終わりかけると「ちょっと、いいですか。昼間の話を…」。自ら切り出して「あの記者、帰ったんですか?」「また来させてくださいよ」と、当該社の別の記者に話し掛けていた。
[2012年5月9日9時25分 紙面から]
次にスポーツニッポンの記事。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/05/08/kiji/K20120508003207990.html
「答えられないなら来るな」橋下市長 記者相手にヒートアップ
大阪市の橋下徹市長は8日、記者団のぶら下がり取材で、大阪府が施行した君が代起立条例に関し起立斉唱の職務命令を出したのは誰かを問う“逆質問”を繰り返した。「ここは議会とは違う。(記者も)僕の質問に答えるべきだ。答えなければ質問には答えない」と迫り、応じなければ取材拒否する考えを示した。
市長は、卒業式の君が代斉唱の際に教職員の口元を見て実際に歌っているかを確認していた校長に関する質問でヒートアップ。質問した記者に「答えられないならここに来るな。勉強してから来い」と、興奮を抑えられない様子で約30分間まくしたてた。
職務命令は府教委が出していた。
[ 2012年5月8日 12:32 ]
MBS記者と橋下とのやりとりは、ブログ『Afternoon Cafe』のエントリ「詭弁術講座」に、ブログ主・秋原葉月さんの注釈つきで紹介されているので、是非ご参照いただきたい。抱腹絶倒ものである(下記URL)。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-975.html
橋下徹は
などと言っているが、秋原さんのブログの文字起こしを見れば一目瞭然、橋下は自らは記者の質問にまともに答えずにはぐらかした上で「質問で質問に返して」いる。「答える必要はない」という態度を先に示したのは橋下の方である。MBSの例の記者とのやり取りで、何が原因だったかと言うと、僕の記者に対する質問に対して記者が「答える必要はない。私が聞いているので答えよ」と平然と言ったんだよね。ここが全てだった。
橋下は、「MBSの記者の無礼な質問に切れた」風を装っているが、これはおそらく演技であろう。記者は、さる2月16日と17日に同局で放送された番組『VOICE』中の特集「大阪の教育未来図―アメリカ落ちこぼれゼロ法から学ぶ」を取材した人である。この番組については、当ブログでも2月20日付エントリ「思想調査、教育カイカク、新自由主義。橋下徹に取り柄なし」でも少し触れたことがある。橋下はこの番組に怒り狂い、Twitterを連打した。私はこれを、『kojitakenの日記』の2月18日付エントリ「橋下、毎日放送(大阪)のニュース番組に痛いところを突かれてキレる(笑)」に記録しておいた。この時橋下がいかに冷静さを失っていたかは、Twitterに書かれた「VOICE」の文字が、「VOICE」、つまり最初の3文字が全角文字で、あとの2文字が半角文字になっていることからも想像がつく(笑)。
おそらく執念深い橋下は、「教育基本条例」をこっぴどく批判したこの番組をずっと根に持っていて、いつか番組のスタッフに対して報復してやろうと手ぐすね引いてその機を待ち構えていたのではないか。そして5月8日にそのチャンスが巡ってきた。私はそう邪推している。
信じられないのは、普段あれほど橋下の宣伝に余念がないスポーツ紙でさえ橋下に批判的な記事を書いているというのに、ネット民の多くは橋下を擁護し、MBSと記者を非難していることだ。私は橋下が切れ続けている動画を見て、橋下に非があるとしか思えなかったし秋原葉月さんのブログに文字起こしされた記者と橋下のやりとりを見てさらにその感を強めたが、2ちゃんねらーなどのネット民はヒステリックにMBSと記者を非難し続けるばかりだった。
今回のような権力者の横暴が許されて良いはずがないし、「長いものに巻かれろ」という、昔の大阪人気質からは考えられないような風潮が蔓延しているネットの現状も、あまりにひどく病んでいる。
以上に言及した件以外でも、橋下をめぐる話題は異常なものばかりだ。たとえば橋下が主催する「維新政経塾」のグループディスカッションで「徴兵制」がテーマとなり、25人中20人が「賛成」と答えたという件。あるいは、「維新の会」が提案する所得税の「定率課税」(フラットタックス)が国会の質疑で取り上げられた件などだ。後者について、野田佳彦首相は「今後消費税率の引き上げで税制全体の累進性が低下することをふまえれば、所得税はむしろ累進性を高める必要がある」と難色を示したと新聞記事にはあるが、元来所得税を重視するのが新自由主義者本来のあり方であり、竹中平蔵でさえその立場に立つ。橋下ら「維新の会」は、竹中平蔵や松下政経塾出身の政治家たちさえ唱えない、異様な富裕層優遇税制を提案しているのである。
今回のMBS『VOICE』は別として、こんな橋下をマスコミは持ち上げる。週刊誌や月刊誌は「橋下総理待望論」を記事にするようになり、機を見るに敏な佐藤優などは早くもそれに乗っかろうとしている。
その怒濤の流れの中で、ブログで何を書いても無駄なのかもしれないが、たとえ「蟷螂の斧」であろうが意見の発信を止めるつもりはない。
ゴールデンウィークの谷間の平日だった一昨日、昨日にもブログを更新できなかった。このまま連休中は更新しないでおこうかと思っていたが、憲法記念日の1面が、選挙制度の根本に触れないまま「一票の格差」解消のみ求め、しかも「首相公選制、賛成68%」などという見出しもついている世論調査の記事だったのでこれに呆れ、朝日新聞を批判する記事を書いてみようと思い直した。
まず「朝日新聞デジタル」に無料公開されている記事を引用する(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0502/TKY201205020376.html
一票の格差放置で総選挙、反対53% 朝日新聞世論調査
憲法について朝日新聞社が実施した全国世論調査(電話)によると、衆院小選挙区の「一票の格差」が違憲状態のまま、衆院を解散し、総選挙をすることについて、「してもよい」は27%で、「するべきではない」が53%と大きく上回った。違憲状態を放置している国会に対し、有権者の厳しい視線が示された。
世論調査 ― 質問と回答〈4月21、22日実施〉
最高裁は昨年3月、一票の格差が最大2.30倍となった前回衆院選を「違憲状態」と判断。格差を2倍より小さくする案が与野党で議論されているが、まとまる見通しは立っていない。
このような状態での総選挙について「するべきではない」と答えた人は、住んでいる自治体の規模が大きいほど、増える傾向にある。人口5万人未満の市町村では「するべきではない」39%、「してもよい」36%だが、東京23区と政令指定都市では59%対24%だった。
また、一票の格差をどの程度まで許容できるかを聞いたところ、「1倍に近くする」20%、「2倍より小さければよい」51%で、「2倍以上でもよい」はわずか13%だった。
■首相公選制、賛成68%
一方、憲法改正については、全体をみて改正する「必要がある」は51%(昨年54%)、「必要はない」は29%(同29%)だった。
戦争放棄と戦力不保持を定めた9条を「変えるほうがよい」は30%(同30%)で、「変えないほうがよい」は55%(同59%)。全体で改正の「必要がある」と答えた人でも、9条については「変えるほうがよい」は44%、「変えないほうがよい」は43%と並んだ。
9条が日本の平和や東アジアの安定にどの程度役立つと思うかを聞くと、「大いに」「ある程度」を合わせて66%が「役立つ」と答え、「あまり」「まったく」を合わせた「役立たない」27%を大幅に上回った。
憲法を改正し、首相を国民が直接選ぶ公選制にすることには、賛成が68%と圧倒的に多く、反対は17%。衆参両院ある国会を一院制にすることには、賛成は42%で、反対38%を少し上回った。ただし、憲法改正の手続きを緩和することには、賛成36%で、反対45%の方が多かった。
「進まない政治」の原因は、どちらかといえば、政治家にあるのか、憲法に基づく制度にあるのか、と聞いたところ、「政治家にある」は67%で、「制度にある」の20%を引き離した。
調査は4月21、22日に実施した。
(朝日新聞デジタル 2012年5月2日22時27分)
世論調査結果を報じるトップ記事の横には、「座標軸」と題したコラムに、大野博人論説主幹が「投票ボイコットさせる気か」と題された論説を書いている。副題は「憲法記念日に問う」。記事は、昨年3月に最高裁によって「違憲状態」と指摘された「一票の格差」を放置したまま選挙をしても、選挙区によっては無効になる恐れがあるから、「そんな政治イベントに唯々諾々と応じて投票していいものかどうか。国民は切なく情けない思案に暮れることだろう」と書いている。
だが、これはいささかズレた問題意識ではないかと思わずにはいられない。国民の多くは、「一票の格差」以前に、投票したい政党や候補者がないことに絶望しているのではないかと思われるからである。
「RealPoliticsJapan」というサイトに、森喜朗内閣末期の2001年1月以降の内閣支持率と政党支持率の変遷のグラフが掲載されている(下記URL)。
http://www.realpolitics.jp/research/
森喜朗内閣の末期に、同内閣が記録的な低支持率を記録したが、その直後小泉純一郎が総理大臣に就任し、空前の人気を博した。その直後小泉純一郎内閣が発足して空前の人気を博し、小泉の後を継いだ安倍晋三も内閣発足時の2006年9月には小泉と同じくらいの高支持率を得たが、それから麻生政権末期に向かって安倍、福田康夫、麻生太郎と続いた内閣は真っ逆さまに支持率を落としていった。代わって2009年の「政権交代」選挙で鳩山由紀夫内閣が高支持率を得たが、やはり菅直人、野田佳彦と続いた内閣で支持率を暴落させている。そして、「野ダメ」こと野田佳彦内閣の支持率が20%台前半に落ちてきた現在、自民党の支持率は森政権末期の頃と同じくらいに落ち、民主党の支持率も2003年の民由合同当時と同じくらいにまで落ちた。一方で、「支持政党なし」は森政権末期と同じくらいの高率になった。11年前に回帰した形だ。
現在注目されているのは、2001年の小泉政権成立時や2005年の「郵政総選挙」時には小泉自民党、2009年の「政権交代選挙」時には民主党支持へと流れたあげくにいずれも裏切られた民意が、橋下徹の「大阪維新の会」に三度だまされる、もとい幻想を抱いてしまうのかということだ。橋下と「大阪維新の会」は、私に言わせれば、小泉自民党や松下整形塾系の主流派と小鳩系の反主流派が抗争を繰り広げている民主党よりさらに危険な存在である。その橋下は「首相公選制」の主張を「改憲」への足がかりにしようとしているように見える。
ところが、その橋下の脅威に対しては、朝日新聞は何の警告も発さない。「首相公選制、賛成68%」などと見出しをつけ、2面には、「突き上げる橋下市長 政治制度を覆す憲法改正案」との見出しで、橋下の改憲への動きを「客観報道」のスタイルで報じている。記事には、
と書かれているが、橋下は今年2月24日にこんなTwitterを発している。橋下氏は、保守層などに根強い9条改正論への賛否は明らかにしない。
世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。
中曽根康弘らが似たようなことを口にしたと報じられたが、中曽根の目の黒いうちの改憲はさすがにもう不可能だろう。だが、橋下の持ち時間は長い。それなのに朝日新聞は橋下の危険性を指摘しない。
かつて小泉自民党や民主党に期待して裏切られた有権者が、性懲りもなく橋下に「変革」を託そうとするのも、トレンドに乗っかって多数派に加わらない限り、有権者自身の意思が政治に反映されないと思えてしまうからなのではないか。つまり、「与党にならなければ何も始まらない」というわけだ。かつての「1と2分の1政党制」の時代、社会党は万年野党だったが、自民党の政策に修正を加える程度の影響力はあった。今はそれさえもない。だから、有権者も政治家もその時々にもっとも勢いを得ている人間にすり寄る。非常にリスクの大きな状態である。
私は、小選挙区制こそ政治を悪くした元凶の一つであると思うし、同様の主張が多くの論者からなされるようになったにもかかわらず、今朝の記事で朝日は小選挙区制の是非の議論から逃げていた。比例区定数削減にこだわる民主党と比例区議員の多い公明・共産・社民各党が対立していることを「客観報道」のスタイルで伝えるのみであって、朝日自身は小選挙区制が政治に与えた影響について評価を下さない。それでいて、しばしば議員定数削減をけしかけるような記事を書く。冗談ではない。
たとえば「みんなの党」は過激な改憲論を掲げているし、橋下と同様に首相公選制を求めているが、一つだけ共感できるのは選挙制度を「全てを比例代表制にせよ」と求めていることだ。但し、同党の主張は改憲を必要とする一院制であり、なおかつ過激な議員定数削減を求めており、これにはとうてい同意できない。
しかし、すべてを比例にすれば、有権者の投じた票が死票になる可能性は大幅に減る。小選挙区制では死票が大量に出る。これは「一票の格差」どころの話ではない。1996年に初めて小選挙区制下の総選挙が行われて以来、政治の劣化は劇的に進んだ。現在政権与党の民主党は、主流派の松下政経塾組、反主流派の小沢・鳩山グループを問わず、いずれも強硬な小選挙区制論で「政治改革」を推進してきた政党だ。彼らが言うように制度を変え、ついに彼らは政権についたが、政治の閉塞感はますますひどくなった。小選挙区制が彼ら自身を束縛しており、新党を作ったところで単独で動いても勝ち目はないので、橋下徹のような人気者に小沢一郎のようなベテラン政治家がゴマをすりまくる醜態を演じるていたらくだ。
しかし、こういう現状にもかかわらず、民主党はなお「比例区削減」に強烈にこだわり続ける。まるで「小選挙区制原理主義」にとらわれているかのようだ。民主党は、民意をゆがめる上、現在の政党支持率から考えて確実に自分たちに不利に働く「比例区定数削減」になぜそこまで血道を上げるのか、私にはさっぱり理解できない。不思議なことに、あれだけいろんな争点でぶつかる松下政経塾系主流派と小鳩系反主流派は、こと「比例区定数削減」に関しては信じがたいほどの一枚岩ぶりなのだ。
これと比較すると、定数減は当面小選挙区の「0増5減」だけにとどめておこうという自民党は、この件だけに関しては現実的な対応をとっているといえよう。
ここまでズタズタに劣化した政治の劣化をさらに進めようとする民主党の「比例区定数削減」への動きは狂気の沙汰以外の何物でもない。それを全く批判することなく、「一票の格差」のみを問題する、「憲法記念日」の紙面にしてはあまりにもお粗末な朝日新聞を見ていると、民主党と同様、朝日新聞の将来も限りなく暗いと言わざるを得ない。