きまぐれな日々

2011年は、三大都市で大きな地方選が行なわれた年だった。もともと統一地方選の年ではあるのだが、今年は2月の愛知県・名古屋市のトリプル選と11月の大阪府・大阪市のダブル選挙が行なわれた。4月にはあの恥知らず老人・石原慎太郎が4選を目指した東京都知事選が行なわれた。

これらのすべての選挙において、私の気に食わない結果となったが、これらのうち東京については処置なしで、最初から石原を負かすことができるだろうとは思っていなかった。愛知・名古屋については、トリプル選挙こそ河村たかし、大村秀章と「減税日本」(その実態は「強者への逆再分配日本」)が勝利を収めたものの、東日本大震災・東電原発事故の2日後に行なわれた名古屋市議選では早くも勢いに陰りが見え、4月の愛知県議選では名古屋市の14区中13区で議席を獲得したものの、名古屋市外では「減税日本」は伸び悩んで苦戦した。現在では、「減税日本」はすっかりひところの勢いを失っている。

対照的なのは大阪の橋下徹率いる「大阪維新の会」だった。当初苦戦が伝えられた統一地方選では大阪府議選で過半数を獲得し、大阪市議選でも第一党になるなど躍進し、やはり当初接戦といわれた11月の大阪府知事選、大阪市長選の「ダブル選挙」でも、いざふたを開けてみれば、橋下徹と松井一郎が投票締め切り時刻である8時の時報と同時に橋下徹と松井一郎の2人の当確が報じられた。

選挙戦で票を伸ばすのは橋下徹と「大阪維新の会」の選挙ではいつものことだから、今回もきっとそうなるに違いないと思っていたらその通りだった。橋下は人心を掌握するのが得意だが、「既成の権威に立ち向かう」挑戦者のポーズをとるところが、(私はそうは思わないけれども)一般的には「反骨精神旺盛」と言われる大阪の人たちの心をつかんだとされている。

橋下は人々のルサンチマンを刺激して自らを支持するように仕向けたが、大阪府知事時代から、「反権力」のポーズをとる橋下が実際に行なってきたことは「まず弱者から切り捨てる」ことだった。2008年以来何度も書いているが、私学助成金削減をめぐって大阪の私立高校生と討論会で真剣勝負を行なって女子高校生を泣かせた件や、一度に346人の府立高校非正規職員の首を切った件に、橋下の本質が現れている。こんな人間を熱狂的に支持する大阪人が「反骨精神旺盛」だなどとは私にはとうてい信じられない。

それは、ダブル選挙に圧勝して大阪市長に就任した現在も変わらない。『vanacoralの日記』の昨日(12月25日)付記事「橋下市長が目指すのは『新自由主義・警察国家』だ!!」に書かれている通りである。同記事に取り上げられている「救急車の有料化」など、橋下の勝機を疑わざるを得ない政策だし、生活保護の認定を厳しくせよ、というのもいかにも橋下らしい「弱者に苛酷な」政策といえるだろう。

さらに、同記事に引用されている産経の記事にある

待機児童問題では「ありとあらゆる手段を使って解消を目指してほしい」と言及。

というくだりが目を引いた。

というのは、当ブログに「橋下徹が進める『保育所の最低基準緩和』で失われる幼い命」と題した記事(2011年2月25日付)を書いたことを思い出したからだ。以下、同記事の一部を抜粋して再掲する。

なんといっても息を呑んだのは、記事(註:『Nabe Party ~ 再分配を重視する市民の会』掲載「『保育所の最低基準緩和』が招いた悲劇 これでも河村たかしの「減税日本」を支持できますか?」=2011年2月25日付:とらよしさん執筆)中からリンクを張られている報道番組の動画だ。「保育園の最低基準緩和:子どもをギュー詰めに詰め込む方針」と題されたこの動画は、河村たかしの盟友・橋下徹が旗を振って推進しようとしている保育園の面積の最低基準緩和に警鐘を鳴らした、大阪・関西テレビのローカルニュース番組(『スーパーニュースアンカー』2010年12月2日放送)を収録したものだ(下記URL)。
http://www.youtube.com/watch?v=2BJgkl0aiHY&lr=1

戦後間もない1948年に制定された保育所の面積の最低基準。アメリカの制度の輸入だが、貧しい敗戦国・日本の現状にあわせて、わざわざ基準を緩めて定められた。その基準が未だに変えられていないどころか、橋下徹ら全国の47知事のうち41知事がさらなる基準緩和を求めているのだ。

橋下らのこの動きは、元をたどれば、10年前に小泉純一郎が総理大臣に就任した時にブチ上げた「待機児童ゼロ化」に遡る。待機児童を減らすといえば聞こえはよいが、その実態は、子供たちを最低基準ギリギリに近い狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めにすることだった。その結果保育所における死亡事故は、小泉が総理大臣に就任した2001年以降急増した。番組では、保育所で毛布を被された上に重しを乗せられて窒息死した一歳児のお母さんが痛切に訴えかける印象的な映像が流された。

ところが、橋下ら全国のほとんどの知事は、その最低基準のさらなる緩和を求めているのだ。これが橋下の言う「維新」とやらの正体である。

(当ブログ2011年2月25日付記事「橋下徹が進める『保育所の最低基準緩和』で失われる幼い命」より。一部表現などを変更した)


橋下徹というのはこういう人間だ。冷酷非情な独裁者。こんなやつに、総理大臣の「野ダメ」こと野田佳彦、野党第一党の総裁である谷垣禎一、それに政界再編劇を起こして政局をかき回そうと虎視眈々の「剛腕先生」小沢一郎らがゴマを擦るのだからどうしようもない。もっとも「虎視眈々」と書いた小沢一郎を、橋下は「虎の威を借る狐」だと評したとの記事が『週刊文春』に出ていた。小沢はしょせん田中角栄や金丸信といった実力者の庇護のもとで権力者になった程度の人間だという意味で、正鵠を射た論評だと私は思うのだが、橋下自身は「『バカ文春』の捏造記事だ」と言って怒っていたらしい。

だが、大阪市長に就任して中央の政治家に面会する橋下を、1991年の自民党総裁選における「小沢面接」(小沢一郎が宮澤喜一、渡辺美智雄、三塚博の自民党総裁候補三者を「面接」した件)になぞらえて「橋下面接」だと書いた『週刊文春』は、確かにヨタ記事だらけの四流週刊誌ではあるけれども、あの記事に関しては良い線を突いていると思った。中央の与野党の政治家のうち、「偉大な人間」であられるらしい橋下徹大将軍にもっとも長時間謁見を賜る栄誉に浴したのは小沢一郎センセだったらしいが、小沢「狐」が威を借ろうとしている「虎」とは、もしかしたら橋下徹のことではないかと思った。「虎」といえば大阪、大阪といえば橋下だ。

もちろん、橋下にゴマを擦る点では「野ダメ」や谷垣禎一も同罪だし、分不相応にも次期民主党代表・総理大臣を狙っているかもしれない原口一博のように、誰よりも露骨に橋下に擦り寄る論外政治家もいる。いつしか、中央の政界はこんなやつらばかりになってしまった。

ところで、橋下徹を「虎」に仕立て上げたのはもとはといえばマスコミ、特にテレビだった。昨日、延々とやっていたTBSの「報道特集」でも橋下を礼賛し始めたのでチャンネルを替えたが、来年以降この男がどこまでのさばるのか。まことに気分の悪い年の瀬だ。

なんとも後味の悪い締めくくりになったが、当ブログの今年の更新はこれで最後。皆さま、どうか良いお年をお迎えください。
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いよいよ2011年も残すところあと2週間を切り、テレビは年末恒例の一年を回顧する番組をやっているが、今年は正直言ってこの手の番組をあまり見たくない。今年の重大ニュースといえばなんといっても東日本大震災と東電原発事故であって、何もこの時期に特別に回顧しなくても一年中、いや3月11日以来ずっとこのことばかり考え続けていた。

最初は「念のための措置です」、「直ちに影響はありません」という言葉が、政府高官だけではなくテレビ、特にNHKから集中的に放射されていたが、原発事故はいっこうに収束しなかった。5月に菅前首相による中部電力浜岡原発の停止要請があり、「脱原発デモ」が大きく盛り上がり、マスメディアの世論調査でも時を経るにつれ「脱原発派」が増えていることが示された。

しかし、その動きと正反対だったのが政治の動きだった。民主党と自民党の政治家がもっとも強くエネルギー政策転換の必要性を語ったのは東電原発事故の発生直後であり、枝野幸男内閣官房長官(当時)と谷垣禎一自民党総裁だった。しかし、谷垣禎一はすぐに自民党内の原発推進勢力の突き上げに遭って発言撤回に追い込まれた。枝野幸男も菅前首相が打ち出そうとした「脱原発」を「脱原発『依存』」に押しとどめた。

それでも、まるで浜岡原発停止要請をとがめるかのように自民党と公明党の内閣不信任案提出を煽ったのが小沢一郎と鳩山由紀夫だった。鳩山由紀夫は、「小沢信者」たちさえ庇い立てすることが難しいほどの筋金入りの「原発推進論者」であり、今現在も平沼赳夫(たちあがれ日本)が会長を務める「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」の顧問を務める。小沢一郎は代表時代の2007年に民主党のエネルギーをそれまでの「慎重に推進」から「積極的に推進」へと舵を切った。小沢自身はエネルギー政策には関心がないと思われるが、東電福島原発の利権に絡んでいるともされる。ただ、小沢は「脱原発」派にも媚を売りたいらしく、川内博史を使ってあたかも「脱原発」派に転向したかのように見せかける「飛ばし記事」を週刊誌に書かせたり(『AERA』2011年6月6日号;『kojitakenの日記』6月5日付記事「小泉純一郎に続いて小沢一郎も「脱原発」に転換、と思いきや」にて論評)、「脱原発」に目覚めたという14歳(現在は15歳)の「B級アイドル」(12月3日付朝日新聞で高橋純子記者が用いた表現を借用)の少女に手紙を送る(『kojitakenの日記』11月23日付記事「東北の被災者はシカトして14歳の少女に手紙を送る小沢一郎の偽善」にて論評)などの小細工を弄していた。

しかし現実に小沢一郎がやったことは、自公の内閣不信任案提出を煽りながら自らは欠席で逃げたことのほか、8月末に行なわれた民主党代表選で原発推進論者の海江田万里を擁立したことだった。海江田万里の擁立に関する論評としては、下記に示す8月30日付の金子勝氏のTwitterが印象に残っている。

原発推進、再生エネ妨害、TPP推進の海江田氏を候補者にした時点で、小沢グループはマニフェストを守れという錦の御旗を失いました。やりたくないことを語る海江田氏の演説は惨めでした。鹿野氏を妨害して中間派の離反を招きました。もう一度、政策の基本に立ち返ってほしい。


代表選で小沢が海江田万里を担いだことは、「小沢信者」のみならず、リアルの「小沢ガールズ」たちにも衝撃を与えたらしい。それに対して、小沢一郎が「(海江田を)俺だと思って(応援して)やってくれ」と語ったという話は、若干の表現の違いがあるとはいえ複数のソースで確認できるので、おそらく事実だろう。ここでは、『週刊現代』9月17日号掲載の記事から引用する。

 代表選直前の8月26日夜、ホテルオークラに集まったグループの議員を前に、それまで態度を曖昧にしていた小沢氏が「海江田を応援しよう」と呼びかけると、会場からは一斉に「えーっ!?」と落胆した声が上がった。特に激昂したのが、いわゆる〝小沢ガールズ〟と言われる女性議員たちだ。ガールズはこの会合後、別の店に15人が再集結。「海江田さんには決断力がない」「泣いたしね」「原発も推進派だよね」と、不満をぶちまけあったという。彼女たちを宥めるためか、間もなく小沢氏がその場に駆けつけた。すると、ガールズたちはここぞとばかりに、「なんで海江田さんなんかを!」と、ボスを吊るし上げたのだという。「彼女らの剣幕に、小沢氏はタジタジとなったそうです。あまりに突き上げが激しいため、『とにかく、今回は海江田をオレだと思ってやってくれ』と、小沢氏が頭を下げ、ようやく彼女たちも矛を収めたとか」(民主党若手代議士)


「小沢ガールズ」たちが怒ったのは当然だが、小沢一郎に頭を下げられておめおめと引き下がるあたりが情けない。結局彼女らは小沢の言いつけに従って代表選では海江田万里に投票したのだろう。

もっとも、その海江田と決選投票で争ったのが現総理大臣の「野ダメ」こと野田佳彦なのだから、どちらが民主党代表・総理大臣になったところでともに「論外政治家」であって、似たり寄ったりだったには違いない。そもそも民主党代表選で「脱原発」を訴えた人間は誰もいなかった。

海江田万里だったら小沢一郎の傀儡政権になったはずだと仰る方もおられるかもしれないが、野田佳彦にだって充分「角影」ならぬ「一影」が差している。参院で問責決議案が可決された一川保夫と山岡賢次の首を切れないことがそれを物語っている。小沢は、表で海江田万里を推す一方で、裏で野田佳彦と取引をしていたことが代表選後に報じられた。これには、野田が1993年の衆院選初当選時に所属していた「日本新党」元党首にして元首相の細川護煕が仲介したとされる。

首相に就任した野田佳彦は、発足当初、国内では「脱原発依存を継承する」と言いながら、外遊先で「世界最高水準の原発の安全性を目指す」と原発維持を明言し、さらに原発の輸出にも積極姿勢をとった。先日(16日)は東電福島第一原発が「冷温停止状態」に至ったとして事故の「収束宣言」をしたが、原発事故が収束からほど遠いことは誰の目にも明らかであり、内外の強い批判を浴びた。気づいてみれば、東電原発事故発生直後によくテレビに出ていた、関村直人東大教授に代表されるような「御用学者」の出番は少なくなり、マスメディアが普通に政府を批判するようになった。つまり、メディアは収束する気配のない事故の現状を前に、安全幻想を振りまくことが徐々にできなくなってきたのに対し、政府や経産省、電力会社などは事故の「風化」に期待してなし崩しに「原発再稼働・維持」をなし崩しで進めてきたのであって、そのことが野田政権の原発対応に7割の人が不満を持つという世論調査の結果につながった。そして、「脱原発『依存』」を目指しただけの菅内閣を不信任案で倒そうとした小沢一郎は、「野ダメ」政権の原発対応については何も語らない。このまま総選挙を迎えては「小沢チルドレン」全滅必至の小沢は、いずれ政界再編を目指すのだろうが、小沢一郎自体を排除しない限り政治の混迷は続く。

小沢一郎がいなければ、原発維持、TPP推進、消費税増税、辺野古基地建設などの方向性が強まるではないかと仰る方に言いたいのは、小沢一郎が影響力を行使している現在、果たしてそれらの動きに歯止めがかかったかということだ。小沢一郎は何もしていないではないか。ネット住民だけではなく、リアルでも鳥越俊太郎や江川紹子、それに佐藤優に取り込まれた魚住昭らなど、今なお小沢一郎に幻想を持っている「リベラル」ないし「左派」の連中は珍しくない。有名無名を問わず広く見られる小沢一郎の「剛腕」への幻想が日本の「リベラル・左派」を徹底的にダメにしていることを痛感した一年だった。年末に世間を騒がせた火山学者・早川由紀夫の暴言もろくに撃てない一部の「脱原発派」も情けなかったが、特に「小沢信者」に早川を擁護したがる傾向が強く見られた。

東電原発事故と小沢一郎以外については、今年最後の更新になるであろう次回の記事で触れたい。
前回の記事を書いた時には、特に群馬大教育学部の火山学専攻の教授・早川由紀夫だけを批判する意図はなかった(前回の記事では「地質学」と書いたが、「火山学」とするべきだったらしい)。だがその後、群馬大が早川由紀夫を「訓告」にして、それを早川自身がtogetterで拡散したため、大騒ぎになった。

私も『kojitakenの日記』などでこの件を取り上げてきたが、騒げば騒ぐほど、早川由紀夫のみならず早川と対立関係にあるはずの原発推進勢力の思うつぼにはまってしまうので、この騒動とのかかわりに区切りをつける意味も込めて今回取り上げることにする。

といっても私の言いたいことはごくシンプルである。早川由紀夫にどのような意図があるにせよ、あのようなやり方では多数派を形成することは到底できず、一部で言われているように「脱原発・反原発派」の「分裂」を招くなどして原発推進勢力の思うつぼにはまってしまう、従って、早川は結果的に「脱原発」、「反原発」を妨害しているとしかいえない、ただそれだけである。

早川は単に「ネットワーク・ハイ」になっているだけにしか私には見えないのだが、ネットの世界には「早川信者」が次々と生まれ、早川由紀夫を「殉教者」のように崇め奉っている。

このことから私が思い出したのはもちろん「小沢信者」のことである。かたや東京地検の暴走の「殉教者」となった小沢一郎、こなた「原子力ムラ」とつながった群馬大当局に迫害される早川由紀夫。この類似性に気づいた「小沢信者」たちがこの騒動に参入してきた。これが先週の「ブログシーン」だった。

ああ、あほらしい。

学問の世界、特にいくら「白」を「黒」といいくるめようが最後には自然によって嘘が覆される自然科学の世界と違って、政治では多数派を形成できなければ意味がない。そのためには、「殉教者」を祭り上げて入れあげ、自己陶酔する態度は有害以外の何物でもない。「早川信者」や「小沢信者」に見られるのはそういう態度であり、世論にとっては彼ら「信者」たちに浴びせかけられる「放射脳」という(主に)原発維持・推進勢力による揶揄の方が説得力を持つ。そんな事態を招くだけの早川由紀夫の暴言の数々には何の意味はないと言いたいのである。

あと、早川で問題なのは政府や東電よりも福島県の農民に対してすさまじい罵詈・雑言を浴びせかけていることであるのはいうまでもない。食品に含まれる放射性物質の含有量に関しては徹底的な情報公開をすべきだと考えている私から見ても、福島の生産者に対して早川が発している激烈な罵詈雑言は到底容認できるものではない。

人が住んでいる土地や従事している職業、所属している共同体から引き離されることがどういうことか、正直言って関西、中国、四国、首都圏などを移住してきた私に実感を持って理解できるかというと自信はないけれども、間違ってもゆるがせにできないことであることは了解しているつもりだ。だが、一部の「リスク厨」に代表される人々はそんなことを歯牙にもかけない。

昨年、中国地方の限界集落をとりあげた本を読んだついでに調べものをしていた時に痛感したことだが、「限界集落で農業にこだわって貧困に陥るなんて自己責任だ」と主張する新自由主義者が多かった。いま早川由紀夫や早川の主張を支持する「リスク厨」たちも彼ら新自由主義者と同類だ。「福島はもう再生できない、福島の人々は土地を捨てて逃げ出すべきだ」とはあまりにも無責任な主張である。

だが、そんな彼らの主張であっても、もし「脱原発」の実現につながるものであればまだ少しは見るべきところも出てくるかもしれない。しかし、「福島を廃県にせよ」などと主張する早川由紀夫の主張は、誰が考えたって多数派を形成するためには百害あって一利なしである。

「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」というトウ小平(「トウ」は機種によって正しく表示されないのでカタカナにする)の名言があるが、「小沢一郎であれ早川由紀夫であれ、『原子力ムラの住人たちを取り逃がす』のは悪い人間である」としか私には思えない。小沢一郎は自公の内閣不信任案提出を煽ることにより、早川由紀夫は福島の農民たちに罵詈雑言を浴びせかけることにより、それぞれ「原子力ムラ」に多大な貢献をした。

最後に、小沢一郎や早川由紀夫の信奉者たちに対して言いたいことは、政治的発言とは「反権力ごっこ」のオママゴトではないということである。彼らの多くは、前回の記事のタイトルにもしたように「反権力ごっこ」を娯楽として消費しているだけにしか、私には見えない。
「TPP」と「橋下徹」が話題をさらった11月が終わり、師走の12月となったが、今年の大きな出来事というと東日本大震災とそれに伴う東電原発事故に尽きるだろう。しかし震災と原発事故の議論は先月はTPPと橋下の陰に隠れた形となった。

このあとは消費税増税が政治の焦点になって、TPPも橋下も人々の関心の外に去るのではないかと私は思っているが、それ以上に気になることがある。それは、東電原発事故が他ならぬ「反原発派」の間で「娯楽」として「消費」されるようになってきていることだ。

具体的に言えば、急性白血病に関する話だ。誰それが急性白血病で亡くなった、その人は東電原発事故後に福島入りしていた、などという話がネットで広まる。しかし、東電原発事故が起きてから9か月も経たない現在、不運にして白血病で亡くなられた方が罹患した原因が東電原発事故であることなど断じてあり得ないのだ。それらは「根も葉もないデマ」である。しかし、次から次へとその種のデマが発生して拡散される。

誤解を与えやすいのは、「急性白血病」という病名である。名前こそ「急性」となっているが、決して「急に」発症する病気ではない。「血液のガン」と言われる急性白血病は、その大半の症例において、病気に罹患していることがわかった時点で、最初に骨髄で異常が発生した時点から年単位(2年以上)の時間が経過しているのである。つまり、「急性白血病」は「早期」に発見されることは現実的にほとんど考えられない(自覚症状もないのに非常な苦痛を伴う骨髄検査がなされれば早期発見もあり得るが、現実的な想定ではない)。だから、上記のようなネットで広まるうわさ話は「根も葉もないデマ」と断定して100%間違いない。

私の知る限り、その種のデマの早い例は、8月に東電福島第一原発で1週間働いていた従業員が急性白血病で亡くなった時に拡散された。この件に関しては、当時注目を集めた『NATROMの日記』の記事「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」(2011年8月30日付、下記URL)に詳しい。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110830

リンク先の記事に引用されている毎日新聞記事によると、

 東電によると、男性は関連会社の作業員で8月上旬に約1週間、休憩所でドアの開閉や放射線管理に携わった。体調を崩して医師の診察を受け急性白血病と診断され、入院先で亡くなったという。東電は16日に元請け企業から報告を受けた。事前の健康診断で白血球数の異常はなく、今回以外の原発での作業歴は不明という。

とのことだ。これについて、ブログ主は

作業と急性白血病での死亡の間の期間が短いことから、「因果関係がないはずがない」と、つい考えてしまうのは無理もありません。しかしながら、報道されている情報が事実だとすると、現在得られている医学的知見からは「原発事故後の作業と急性白血病での死亡の因果関係はない」と言わざるを得ません。

と断定する。その根拠として、次のように書いている。

そもそも、被曝と白血病の因果関係を我々が知っているのはなぜでしょう?それは、原爆による被爆者の中に白血病を発症する人が多発したからです。しかし白血病が増え始めるのは被爆後約2年からだとされています。急性放射線障害で死亡するほどの量の放射線被曝を受けた人が多くいたにも関わらずです。もし、被曝後数週間で白血病になりうるとしたら、広島や長崎で、同様の症例が観察されていたはずです。

さらに、0.5ミリシーベルトという被曝後、短期間で白血病になりうるとしたら、これまで、原発作業員、放射線業務従事者、医療被曝を受けた患者さんからの白血病の発症が観察されるはずです。

そうは言っても、今回の事例が特別に運の悪い事例である可能性を否定しきれないという主張もあるでしょう。しかしながら、疫学とはまた別の、白血病細胞が増殖する速度という知見からも、「8月上旬に被曝、少なくとも8月16日までに死亡」という期間を考慮するに、8月上旬の被曝が白血病の原因であるとは言えないと考えられます。

腫瘍細胞が増殖して体積が2倍になる時間を「ダブリングタイム」と言います。白血病細胞の場合は数日から10日ぐらいとされています。仮にダブリングタイムを4日とすると、1個の白血病細胞が生じてから急性白血病の症状が出るまで、どれくらい時間がかかるでしょうか。

大雑把に1兆個まで増えると白血病を発症するとして計算してみましょう。私の計算が確かなら、約160日で発症します。ダブリングタイムが2日なら80日で発症します。ダブリングタイムが1日なら40日で発症します。つまり、知られている限りもっとも早い増殖をする白血病細胞であったとしても、白血病細胞が生じてからわずか2週間あまりで発症から死亡にいたるようなことはありません。

なお「数日から10日ぐらい」のダブリングタイムは、既に白血病を発症した患者さんの白血病細胞から得られた情報です。生じたばかりの白血病細胞の増殖速度はそれほど速くないと考えられます。増殖しているうちに、より速く増殖できる能力を獲得しますし、相対的に数が少ないころは免疫系により増殖が抑制されるからです。そう考えると、「原爆による被曝から早くて2年間で白血病が発症する」という疫学的な知見は、白血病細胞が増殖する期間の知見からも、矛盾なく説明できます。

「事前の健康診断で異常がないのに、福島での作業との因果関係はないというのはおかしい」という意見もあるようです。数週間後に死亡するような病気を事前の健康診断で発見できないというのはおかしいと感じる気持ちは理解できます。しかし、報道が事実であるとするならば、事前の健康診断で白血球数の異常がなかったとしても、まったく不思議はありません。

もし、事前の健康診断で、骨髄の検査まで行えば、なんらかの異常が発見されていたかもしれません。あるいは、末梢血であっても、白血球の形態の異常の有無を顕微鏡で詳しく見ていれば、なんらかの異常が発見されていたかもしれません。けれども、白血病を疑われているわけでもない人に対する健康診断で、骨髄や末梢白血球の形態まで見る検査は行われていません。

(『NATROMの日記』2011年8月30日付エントリ「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」より)


長々と引用したのは、この記事に書かれていることこそ、白血病について語る時に必ず押さえておかなければならない基本的な事柄だからだ。

私はもとより医学の専門家ではないが、必要があって白血病について詳しく調べたことがあった。その時に得た知識と照合しても、『NATROMの日記』の記述が簡潔にして要を得たものであることはよく理解できる。逆にいうと、ここに書かれていることを押さえていない議論には全く意味がないのである。

ところが、ネットで横行した議論はそうではなかった。それは、上記『NATROMの日記』の記事のコメント欄を見るだけでもよくわかる。そして、白血病で亡くなった方の死を東電原発事故と結びつける例は後を絶たなかった。

私が知る限りもっとも悪質な例は、現役の医者であって白血病に関する専門知識を十分に持っているはずの、ある九州在住の開業医が、動物保護活動をされていた女性が福島第一原発から20km圏内に入ったために白血病を罹患して亡くなったというデマを拡散したことだった。亡くなった女性の友人が、このデマを広めたTwitterのまとめサイトに抗議して、「院長」氏のブログにもそれを指摘したコメントが掲載されたにもかかわらず、「院長」氏は当該エントリに

この件に関するコメントは、以降投稿禁止処置をとります。

という冷血な文章を書き添えて、コメントを受け付けなかったのだ。

この件は思い出すのも汚らわしいので当該ブログ名も書かないし記事へのリンクも張らないが、当エントリを書くために見に行ってみたところ、コメント禁止は解除され、ブログ主の意図に沿ったコメントが掲載されていた。どこまでも卑劣な人間であり、こんなのが開業医をやっていると思うとぞっとする。

それから4か月近くが経って、またまたデマの拡散が相次いで問題になった。一つは、9月に急性白血病で死去した釣りコラムニストが「原発周辺で野宿し、釣った魚を食べていた」という噂がネットで流れた件だ。この件について、噂を否定するのであれば亡くなった方が福島で釣った魚を食べなかったことを示す挙証責任があるなどという馬鹿げた議論を、医学の門外漢であって放射性物質の拡散マップ作成に寄与した某地質学者がしていたとのことだが、上記『NATROMの日記』に書かれている通り、亡くなられた方が白血病に罹患した原因は東電原発事故ではあり得ない。地質学者氏の議論はナンセンスである。この件に関しては、『産経新聞』が(いつもとは全く違って)文字通りの「正論」の記事を書いているが、産経に一本取られるようではどうしようもない。産経の記事中にある専門家(北海道がんセンターの西尾正道院長)のコメントを以下に紹介する。

 北海道がんセンター(札幌市)の西尾正道院長は「被曝によるがんや白血病は通常、数年以上潜伏する。この時期に(原発事故での)被曝が原因で発症する確率はゼロと言い切れる」と断言する。

 西尾院長によると、被曝で細胞が傷ついてがん細胞が生じても、がん細胞が増えるには何十回もの細胞分裂が必要で、期間は年単位になるという。その上で西尾院長は「誤った情報を国民が安易に信じたり広めたりしないために、国はもっと正確で丁寧な情報発信をすべきだ」と話した。

(産経新聞 2011年12月2日付記事「『被曝発病』デマがネットで拡散 『原発周辺で釣った魚食べ死亡』 『福島にいたから急性白血病に』より)


この西尾院長のコメントは上記『NATROMの日記』の記述と一致することはいうまでもない。これが医学的な「常識」なのだ。

さらにひどいと思ったのは、東電福島第一原子力発電所の所長を先日まで務め、病気を原因に退任した吉田昌郎氏の病名が「急性白血病」であると決めつける噂が流れていることだ。まるで、「吉田前所長のかかった病気は『急性白血病』であってほしい」と願っているように見える醜い文章がネット上のあちこちに見られた。

私が調べた限り、この噂の出所は「2ちゃんねる」であり、根も葉もないその噂をブログだのTwitterだの陰謀論者と「小沢信者」の巣窟として悪名高い某掲示板などが拡散している。それらの中には、ひところは貴重な情報源として私が買っていたブログも含まれていたし、Twitterや陰謀論系掲示板のコメントの中には、勝手に吉田前所長を殺してしまっているものさえ散見された。

ここまできたら、もう呆れ返るほかはない。これらの件で騒いでいる自称「反原発」派の人たちは、実際には「東電原発事故」を「娯楽」として「消費」しているに過ぎない。私が思い出したのは「万物の商品化」という言葉だった。人々は、ネットにアクセスして、ブログやTwitterや掲示板のコメントを書く、あるいはそれらを読むというコストを支払って、人の死や病気という不幸、あるいは「東電原発事故」を楽しんでいるのだ。そんなのと比較したら、まだしも『産経新聞』の記事や、「リスク厨」たちの馬鹿騒ぎを批判する「原発容認派(あるいは推進派)」の指摘の方がまだしも説得力を持つ。これは「反原発」「脱原発」にとって危機的な状況なのではないだろうか。

放射能による白血病やガンなどのリスクが顕在化するのはもっと先の話であり、その時どの程度放射性物質の影響が出るかはまだわからない。以下、前記『NATROMの日記』の記事の結びの部分を引用する。

忘れるな

今回の東電の対応について、不満を表明している人たちが多くいます。「これ以上調査する予定はない」とした東電の対応には私も問題があると考えます。しかし、「福島での作業との因果関係はない」という結論については同意せざるを得ないのです。東電を批判するとしても、少なくとも、現在得られている医学的知見からは「原発事故後の作業と急性白血病での死亡の因果関係はない」としか言えないことを十分に理解した上で、批判するほうが望ましいと私は考えます。

「現在の科学ではわかっていないだけかもしれないだろう」という理屈でなら因果関係を疑うことも可能です。しかし、そのようなことが容認される世界では、たとえば、「1ヶ月前に撮影したCTが原因で白血病を発症した」といったクレームも容認されるでしょう。あまり良い世界だとは私には思えません。

数年後から十数年後には、今回とは違って、本当の「因果関係は不明」という事例が発生します。それまで、今の気持ちを忘れないようにしましょう。たとえば、3年後に、原発作業員からの白血病の発症が報道されたとして、現在ほどの関心を呼ぶでしょうか。東電批判が流行に終わらないことを願っています。

(『NATROMの日記』2011年8月30日付エントリ「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」より)


現在のような「リスク厨」の軽挙妄動が続くと、「数年後から十数年後」には原発推進勢力の思うがままになっていて、それがいつになるかわからないさらなる将来に「第二の東電原発事故」が起きるのではないかと私は恐れる。

それともう一つ。数年後から数十年後、本当に白血病やガンによる死者が増えたとしても、個人個人の病気と東電原発事故で発生した放射性物質との因果関係を証明することは難しいことも強調しておきたい。わかるのは統計的な数字だけであって、個々の場合に因果関係をはっきり証明できる例は極めて少ない。だからこそチェルノブイリ原発事故による死者数を「御用学者」たちが過小評価するという詐術がまかり通っているのであるが、それにもかかわらず個々の症例と原発事故の因果関係は一般的には示せないことが多い。

何が言いたいかというと、誰それが白血病にかかった、それは東電原発事故のせいだ、とはやし立てることは、病気に罹患された方や不幸にして亡くなられた方の尊厳を侵すものだということだ。病気や死がはやし立てる人間の政治的な主張を強化するために利用されるのでは、やられた方としてはたまったものではない。

そんなおちゃらけた態度を排し、あくまで統計的なデータに基づいて放射線の影響を議論し、原発の危険性を訴え、「脱原発」のゴールを目指すのが「反原発派」、「脱原発派」のあるべき姿ではないかと思うのだ。現在横行している「リスク厨」をまともに批判できないようでは、「脱原発」など永遠に実現できない。

「脱原発」運動に関しては、他にも「脱原発」を妨害した某大物政治家や「『右』も『左』もない」という一種のイデオロギーによって利用されようとしているさる少女アイドルの件など、気がかりなことはたくさんあるのだが、長くなったのでこれらについては機会があれば別途取り上げることにしたい。