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きまぐれな日々

昨日(8月29日)に行なわれた民主党代表選で、野田佳彦が民主党次期代表に選ばれた。これに伴い、菅直人内閣は総辞職し、野田新内閣が誕生する見通しだ。

前回のエントリで、タイトルに「『前原誠司新首相』が確定的」と銘打ったが、そうはならなかった。前原誠司は主流派内に敵を作り過ぎた。その結果菅直人陣営も岡田克也も離反した。

一方の小鳩派だが、前回の記事に

もし今回小鳩派が担ぐのがあの「原発の守護神」海江田万里だとしたら笑ってしまう。

と書いたのは、もちろん小沢一郎が海江田万里を担ぐだろうと予想していたからだ。だいたい6割から7割くらいの可能性で、小沢が海江田を担ぐのではないかと思っていた。鹿野道彦もいたが、1997年の新進党最後の党首選で鹿野と争った小沢が鹿野を支持するとは思えなかった。だが、小鳩派にはまだ小沢鋭仁もいたし、「隠し玉」がどうこうと言っている連中もいたから(私は「隠し玉」なんか信じてなかったけど)、3~4割程度は不確定要素があると考えて、断言はしなかった。

それは当たったのだけれど、タイトルにまで掲げた「前原圧勝」の予想は大外れだった。「野田佳彦では勝てないから俺が出る」と言わんばかりの前原誠司の自信満々の態度からは、とてもでないけれどもこんな大失速は予想できなかった。

だが、いざ前原が失速した時に思ったことは、「これはみんな小沢一郎の術中にはまっているのではないか」ということだった。

以下は一種の陰謀論というか陰謀仮説かもしれない。だが、どうしてもこの仮説を捨て切れないので書く。

現在は、誰が総理大臣になっても舵取りが難しい時期だ。自民党政権時代にもこんな時期があった。それは2008年9月1日に福田康夫が突然辞意を表明したあとのことで、急遽自民党総裁選が行なわれることになった。当時は民主党に勢いがあり、誰が総理総裁をやっても難しいと思ったが、「国民的人気」があるとされていた麻生太郎が総理大臣になった。しかし、朝日新聞の政治記者・曽我豪に書かせたと言われている『文言春秋』誌上での解散予告に反して、麻生は議会を解散できず、就任後わずか半年で内閣支持率は一桁にまで落ち、その後「西松事件」の影響で一時持ち直したものの、民主党代表が小沢一郎から鳩山由紀夫に代わると再び自民党の勢いは落ち、ついに衆院選で惨敗を喫してしまった。

今民主党が置かれている立場も当時の自民党と同じ、否、それよりさらに厳しい。3年前には、麻生が勇気を持って解散すれば、自民党はたとえ下野したとしてもそれなりの議席数は獲得できただろう。しかし現在は、当時の麻生同様「国民的人気」があるとマスコミが喧伝している前原誠司が新代表・首相に就任したところで、解散総選挙をやれば民主党は惨敗するに決まっている。

しかも現在は原発の問題がある。世論は「脱原発」指向が支配的だが、永田町や霞ヶ関では「原発維持」や「原発推進」が圧倒的多数を占める。菅政権下では、ずっと前から調整運転を続けてきた北電の泊原発3号機こそ菅首相が辞意を表明した隙を突いて北海道知事の高橋はるみが営業運転を認めたものの、定期点検で停止中の原発は再稼働していない。これを1基でも再稼働させるだけでも世論の批判を浴びる。内閣支持率は下がる。

菅首相が「脱原発」を打ち出したのも、東電原発事故への対応から原発の恐ろしさを身を持って感じたこともあるだろうけれど、東日本大震災が起きなければ3月に菅政権は倒れていただろうと言われるほど追い詰められていたこととも関係がある。つまり、何らかの政権浮揚策が必要だったのだ。菅首相は、「脱原発」に活路を求めた。

しかし、菅首相の「脱原発」路線は一定の支持を得たものの、菅内閣の支持率上昇には結びつかなかった。私は、せっかく「脱原発」を口にしながら、菅政権の腰が引けていたことが原因だろうと考えている。特に経産省からの「原発維持・推進」の圧力は強い。それにいとも簡単に屈したのが経済産業大臣の海江田万里だった。

今回、小沢一郎が担いだのはその海江田万里だったのである。私は海江田に言及する時、意識して「あの『原発の守護神』海江田万里」と書くようにしている。それくらい、海江田の妄動は目を覆うばかりだった。海江田は何の根拠もなく原発の「安全宣言」を出し、わざわざ九州に出向いて玄海原発の再稼働を要請した。そのあげくに菅直人に「梯子を外され」て菅と大喧嘩。国会で自民党議員に追及されては泣き出し、掌に「忍」と書いて、その文字がわざわざテレビカメラに映るように手を高々と掲げた。

いくら「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」とは言っても、ここまで手の施しようのない無能な政治家を担いで代表選に勝つつもりが果たして本当に小沢一郎にあったのか。私にはとてもそうは思えなかった。

そもそも、民主党の党勢が今後回復する可能性はあるのか。それさえ疑わしい。そんな情勢下で小沢一郎はこれまでどんな行動をとってきたか。それは組織を「ぶっ壊す」ことだった。

古くは1992年の佐川急便事件のあと、金丸信、竹下登、小沢一郎の3人が連日新聞に「金竹小」(こんちくしょう)と叩かれていた頃に遡る。あれほどマスコミに叩かれていたはずの小沢一郎が、「政治改革」の旗手となり、自民党を割って出て新生党を作り、細川護煕連立政権を樹立したのは翌1993年のことだった。その後新進党を結成して政権奪取を狙った1996年の総選挙で自民党に敗れ、野中広務や加藤紘一らに「一本釣り」をやられて新進党の党勢が縮小すると、小沢一郎は1997年の新進党最後の党首戦に勝利したあと、新進党を解党した。そのあと結成したのが自由党だった。自由党は2003年の民自合併で民主党と合流した。

小沢一郎は経世会を飛び出し、新進党を解党し、自由党を民主党に合流させたわけだが、その度ごとに政党のグループ(経世会)や政党(新進党、自由党)の政治資金の残金をせしめては、自派の拡大に金を使ってきた。自民党時代から幹事長の座を小沢は好んできたが、それは幹事長というポストが候補者の公認権や金庫を押さえることができるからだ。だから「西松事件」で民主党代表を退いた時にも小沢一郎は幹事長に居座った。小沢一郎は、自らに従順な議員には手厚く援助するが、小沢に楯突くような人間は徹底的に干し上げる。だから周りにはイエスマンしか残らない。

そんなことをしているから自派から候補者が出せなかったんだといえなくもないけれども、それでは小沢一郎は「海江田万里代表」にリアリティがあると本気で思っていたのだろうか。政治バラエティ番組でビートたけしが言っていたが、海江田が総理大臣になったら経産省と小沢一郎の板挟みでまた泣き出すんじゃないか。誰もがそう思うのではないか。

今回の代表選の決選投票における海江田万里の票は177票。昨年菅直人と小沢一郎が争った時に小沢一郎が獲得した票は200票だから、それと比べると大幅に減っている。これを「小沢一郎の影響力の低下」と見るべきなのか。そうではないだろう。今回、鹿野道彦やその支持者のかなりの部分が決選投票で野田佳彦に投票したとされる。また、野田佳彦のかつての腹心だった馬淵澄夫及び支持者の多くは決選投票で海江田万里に投票したとされる。さらに、2005年の代表選で前原誠司に敗れた菅直人のグループの多くは第1回投票から野田佳彦に投票したとされる。

これらのことからわかるのは、鹿野道彦にせよ馬淵澄夫にせよ菅直人にせよ、皆「敵味方思考」で行動しているということだ。「敵の敵は味方」の論理。政治家は政策で動くのではなく、自らの感情で動くのである。それら一切合財を考慮に入れて、それでも海江田万里で勝てると小沢一郎は踏んだのか。

永田町や霞ヶ関の論理に従えば、現在定期検査で停止中の原発を一刻も早く動かす方向の圧力しかかからない。しかし、原発を再稼働させれば間違いなく世論、特に「脱原発」論者を敵に回すことになる。「脱原発」派の機嫌もとりたい小沢一郎にとっては、それは避けたいところだろう。

原発の件に関して言うと、経産官僚の意を受けて玄海原発再稼働へと動いた海江田万里は、代表選の告示を受けて、それまでの原発に対する姿勢を突如転換して、「40年で原発をなくす」と言い出した。これは「転向」ではあるけれども、40年といえば原発の耐用年数。つまり、定期点検中の原発を1基残らず再稼働しても、耐用年数に達した原発の再稼働さえ認めなければ自然に達成できるという、きわめてハードルの低い目標だ。しかも、耐用年数に達する原発が次々現れるのは数年後からであって(1973年の石油危機を機に「田中曽根」が原発推進へと舵を切ったことを想起されたい。現在は、石油危機からまだ40年は経過していない)、その頃には海江田はもう政界にはいない。つまり、古い原発の存廃を判断する機会は次の首相あたりには、まだわずかしかないのである。現在はそういう時だ。そんな時に打ち出した「40年で原発ゼロ」とは、要するに「脱原発」の政策なんて何もやらないよ、と言っているのと同じことだ。だから、仮に海江田万里が総理大臣になったら、定期検査中の原発はいとも簡単に再稼働させてしまうだろう。もちろんそれは野田佳彦が今後行なうであろうことでもある。要するに、総理大臣が野田佳彦であっても海江田万里であっても「脱原発」は菅政権より大幅に後退する。

現時点で、菅直人は「脱原発」の功労者だった、言われるほど悪い政権ではなかったという評価が一部から出され、かなり広く共感を得ている。私は、東日本大震災以前の菅政権は全く評価しないが、大震災に伴って起きた東電原発事故を機に曲がりなりにも「脱原発」(それは「減原発」へとすぐに後退したが)を打ち出し、浜岡原発を止めて玄海原発の再稼働を阻止したことだけは一定の評価を与えることができると思う。そして海江田万里が総理大臣になって原発を次々再稼働させれば、「菅直人=脱原発、小沢一郎=原発推進派」という評価が国民の間で定着することになる。そんな選択を小沢一郎がするだろうか。

勘繰り過ぎかもしれないが、今回の代表選を小沢一郎が本気で勝ちにいったとは、私にはどうしても思えないのである。

ただ、一つだけ間違いないのは、今後どうやっても民主党の党勢は低下するしかない現状で、小沢一郎が次にとる手は「民主党の解体」以外にはないということだ。人間は一度やったことは何度でも繰り返す。ここでポイントになるのは、党を解体する時に金庫を押さえていることだ。経世会、新進党、自由党。全部のケースで小沢一郎は政治資金を持ち逃げした。民主党でも同じことをやる。だから前原誠司との交渉で幹事長のポストを要求したけれども、前原がそんな要求をのむはずがなかったとは前回にも書いた。

前原なら、来年の代表選までの「つなぎの代表・総理大臣」なんかに甘んじるはずもなく、解散・総選挙をやるかもしれない。そんなことをされては金庫の鍵を握り損ねる。だから小沢にとっては「前原代表」だけは阻止しなければならない。一方、野田なら来年の代表選までの間の解散はまず考えられない。その間、「消費税増税」だの「原発再稼働」だの「TPP」だのの不人気の政策は野田に全部やらせて、野田内閣の支持率が下がり切ったところで「次の代表」の座を勝ち取る(=金庫の鍵を握る)。これが小沢一郎の青写真だったのではないか。そのためには、何が何でも前原を潰さなければならない。表面に出てきた情報は何もないが、水面下では小沢一郎による猛烈な「前原潰し工作」がなされていたか、さもなければ事前の情勢調査によって主流派で決選投票に残るのが野田佳彦だと確信したのか、そのいずれかの理由によって前原の線は消えたと確信した小沢が、およそ勝てるはずもない海江田万里をあえて担いだのではないか。そう私は想像する次第である。この流れと関連するが、野田佳彦が幹事長に誰を指名するかも注目されるところだ。まさか小沢系の人物にはならないとは思うが、中間派の人物が選ばれれば、それだけでも小沢一郎にとっては成果だろう。

ついでに言うと、今後野田がやるであろう「消費税増税」も「原発推進」も「TPP」も、すべて小沢一郎本来の政策と一致する。小沢一郎の昔からの主張は「所得税と住民税の半減と消費税率の大幅引き上げ」であり、小沢一郎は「原発利権」に絡んできた人間でもあり、自他ともに認める自由貿易論者である。今はそれらの本来の持論を偽装しているけれども、小沢一郎の本質は野田佳彦と何も変わらない。それでも看板だけはしばしば架け替えるのは、「政策は大道具、小道具」で「金がすべて」というのが小沢一郎の本質であることを理解すれば不思議でも何でもない。

長々と書いたが、来年、またも不毛な「政界再編」が起きるのではないかというのが私の予想である。野田佳彦の政策や思想信条については何も書かなかったが、「原発推進」、「消費税増税」、「TPP推進」、「沖縄米軍基地の県内移設」が軸となる上、野田佳彦は民主党内でも有数の右翼政治家であることには注意を喚起したい。民主党ではよく前原誠司が「タカ派」の代名詞とされるが、実際には旧自民党の羽田孜系、旧自由党の小沢一郎系、旧民社などとともに野田グループが前原より「右」に位置する。前原はもちろん軍事タカ派の新自由主義者だが、民主党内では「まん中」程度に過ぎない。野田の政治は前原にやらせるよりもっと悪くなる。はっきりいって野田政権に期待できるものは何一つない。

しかし、野田政権でさらに悪くなる日本を「変える」のに、無定見の権力亡者である小沢一郎がまたぞろしゃしゃり出てくるのであれば、1982年の中曽根内閣発足以来の「失われた30年」を「失われた40年」にするだけの話である。最近の小沢グループはますます「カルト教団」と化していて、同グループの決起集会で、ある若手議員が「今回は海江田首相を目指そう。来年は小沢首相を実現するぞ!」と叫ぶと、会場から万雷の拍手がわき上がり、「ガンバロー」三唱が響いたという。冗談じゃない。最初から「1年限定の傀儡政権を作りますよ」と言っているようなものだ。これほど国民をバカにした話はない。

この異常な集会のニュースを聞いて私が思い出したのは、突飛な連想かもしれないが、5年前に加藤紘一の実家が放火されて全焼した時、ある講演会で自民党の稲田朋美がこの件に言及して「先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話したところ、会場が爆笑に包まれたという話だった。カルト集団には、世間の常識が通用しない独特の空気がある。それは極右もリアルの小沢信者(=民主党の小沢・鳩山グループ)も同じことだ。

いずれにせよ、次期政権にも期待できなければ、党内野党ともいえる「小鳩派」も完全なカルト集団と化した民主党に、もはや未来はない。昨日の民主党代表選は、民主党の「終わりの始まり」を告げるできごとだった。
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最初に、「シンキロウ」と仰る方から寄せられた当ブログへの痛烈な批判コメントから紹介しよう。

もういいかげんに小沢信者に
偏執的に執着して批判するのはやめた方がいいぞ!
もっと視野を広く持てよ!
世間一般の人が小沢信者のブログの動向などなんの興味もないし、そもそも認知もしてない。
不毛な事はよせ!
そんな政治ブログ村のバケツの中のせせこましい争いなどどうでもいいんだよ!
もっと危惧すべき事、優先して批判することがあるはずだ!
あなたのブログを数年来信頼して読んできたが、いつからか小沢信者批判がしつこすぎる。別に俺は小沢信者てわけではない。選挙ではいつも消去方で社共に入れてる。もっと大衆に訴えることを書けよ!小沢信者の動向なんて
政治ブログオタクの間でしか通用しねえの!つまり不毛な事をやめろ!
あなたの鋭い感覚に期待してるから言ってんだ!

2011.08.26 04:13 シンキロウ


言わんとすることはわかる。だが、「選挙ではいつも(消去法で)社共に入れてる」という「シンキロウ」さんに問いたいが、なぜその社共が国会での議席数が数議席の零細政党に転落してしまったのかと疑問に思われないだろうか。

小選挙区制のせいだ、あるいは同じような政策を持つ社民、共産両党がいつまでも互いに争っていて国民から呆れられているからだ、等々いろいろ意見はあるだろう。

だが、最大の問題は何かというと、本来社民党や共産党に投票をしてしかるべき考えを持っている人たちが、このところずっとそうではない投票行動をとってきたためだろう。彼らの投票先は民主党であり、その中でも、かつての社会党(横路グループ)や社民連(菅直人や江田五月ら)を支持する人たちを除けば小沢一郎に支持が集中している。しかも横路グループは小沢一郎が民主党入りした当初の時期に政策協定を結んだ。小沢一郎は旧自由党系の人たちが「小沢派」として結成した「小さな政府研究会」には加わらなかった。

毎日新聞が国政選挙の前に全候補者にアンケートを行なう「えらぼーと」を始めたのは2007年の参院選前である。あの時私は民主党の各候補者の回答を調べてみて、旧自由党系、小沢一郎系の候補者の主張の「タカ派」ぶりに閉口した。例として一人挙げれば森ゆうこ(森裕子)がそうだ。あの頃小沢一郎率いる民主党は「国民の生活が第一」をスローガンに掲げて支持を拡大していた。小沢一郎は2006年の民主党代表選で「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」と発言して当選してからまだ1年あまりしか経過していなかった。私は「なるほど小沢一郎は変わったのかもしれないけれど、取り巻きは変わっていないんだなあ。小沢グループって『キメラ』みたいなもんだなあ」と思ったものだ。

だが、小沢一郎は変わってなどいなかった。最初にそれをあらわにしたのが、参院選のあと雑誌『世界』に発表した自衛隊のISAF参加論であり、それに続く「大連立」未遂だった。その頃から、それまでうかつにも「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」という小沢の言葉を信じて、ブログで「政権交代」の旗振りをしていた当ブログの論調に変化が生じ始めた。

翌2008年には今で言う「小沢信者」の「植草一秀のもとに『反自公』が結集しよう」という呼びかけに応じず、さらに「政権交代選挙」のあった2009年には「自エンド村」から出たこともあって「小沢信者批判」を強めた。私はこの時点においては「政権交代」の旗まで降ろしたわけではなかったが、票欲しさに橋下徹にまですり寄る民主党に呆れ、それをブログの記事にしたことはあった。

しかし、この時点でもまだまだ私は甘かったのである。当時私は、植草一秀を筆頭とする「小沢信者」は呆れたものだけれど、小沢一郎本人はそこまでひどくあるまいと思っていた。だが、それもまた誤りだった。そのことを痛感したのは、昨年6月の民主党代表選挙で小沢グループが新自由主義者の樽床伸二を推した時だった。この選挙では、前原誠司や野田佳彦らがいち早く菅支持に回った。というより鳩山内閣が潰れると見た彼らが素早く菅直人と手を結んだものだろう。菅直人の応援団が開いた「決起集会」に前原誠司や野田佳彦の名前を見つけて、菅政権はろくでもないものになるなと嫌な予感がしたが、その菅直人に対する対立候補が樽床伸二とは、これでは党全体が新自由主義政党だということではないか。あの「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」という小沢一郎の言葉はいったい何だったのかと思った。

以来、私は「小沢信者」と「小沢一郎」を分けて考えることを止め、小沢一郎を徹底的に批判する立場に転じた。その後の小沢一郎の言動を見ていると、小沢一郎自身が最大の「小沢信者」に堕した観さえある。

冒頭の「シンキロウ」さんの批判についてコメントすると、当ブログや『kojitakenの日記』には、確かに叩き易い「小沢信者」批判に流れるきらいがある。だが、「もっと危惧すべき事、優先して批判すること」となると、これは小沢一郎という政治家が、本来社民党や共産党に流れるべき国民の支持を集め、選挙で議席を獲得することによって日本を大きく右傾化させたそのことだろう。これこそが、現在の国内政治の最大の問題点である。「小沢信者批判」にかまけて「小沢一郎批判」から逃げてきたとするなら、私はそのことを強く批判されなければならないだろうが、小沢一郎に対する批判の手は決して緩めてはならない。今こそ小沢一郎を徹底的に批判すべき時である。

小沢一郎を支持するのは何もネットの狂信的な「小沢信者」たちばかりではない。鳥越俊太郎や江川紹子ら、テレビの常連コメンテーターの中にも支持者は多いし、昨年の菅直人と小沢一郎ががっぷり四つに組んだ民主党代表選を見ても、小沢一郎への支持がきわめて根強いことは明白だ。

参院選における自民党大敗を受けて成立した海部俊樹内閣の発足とともに自民党幹事長に小沢一郎が就任したのは1989年(平成元年)だった。以来、日本の政治は小沢一郎と小泉純一郎に引っかき回され続けた。小泉純一郎が引退した現在も、小沢一郎は生き残っている。

小沢一郎の最大の罪は、「政治改革」と称して衆院選に小選挙区制を導入したことだ。小選挙区制下では多数政党の力が異常に強くなるが、政党の組織論からいっても、公認権を持つ執行部の力が異様に強くなり、個々の政治家たちは執行部に逆らえなくなる。だから有能な政治家が育たないのである。今回の民主党代表選でもマスコミが書き立てる「候補者候補」の顔ぶれはお寒い限りだが、それは3年前に麻生太郎が当選した時の自民党総裁選とて同じだった。小泉純一郎自身は「政治改革」に反対した政治家だったが、2005年の「郵政総選挙」ではこの悪しき選挙制度を最大限に悪用して自民党が圧勝した。あのあと、自民党の政治家たちが「わが世の春」を謳歌したかと思いきや、みな小泉純一郎の顔色ばかり伺って何も言えなくなるというお寒い状況が現出したのだった。

だが、小選挙区制の導入に関しては小泉純一郎は「抵抗勢力」であり、小沢一郎は「改革派」の旗頭だったことは、どんなに強調しても強調し過ぎることはない。

小選挙区制導入の責任だけではなく、小沢一郎の問題点はそれこそ山のようにある。政治と金の問題に関しては、西松事件こそ捜査した側の問題を強く感じるけれども、政党助成金を懐に入れ、政党を作っては潰す過程で政治資金の残金を全部せしめるなどの小沢の悪行は枚挙に暇がない。経世会の金庫から忽然と大金が消えて、橋本龍太郎が大騒ぎしたという話があり、この時消えた金は6億円だったと野中広務は言っていたらしいが、小沢一郎の秘書を務めた経歴を持ちながら、一昨年の「政権交代総選挙」で岩手4区から小沢一郎の対立候補として自民党から立って惨敗し、現在では政界から引退した高橋嘉信によると金額は13億円だったらしい。

何より最大の問題は政策だ。「国民の生活が第一」というスローガンや、2009年の民主党マニフェストに掲げられた政策は良いだろう。しかし、それと小沢一郎が昔からやりたくてたまらない「減税」はどう整合性を持つのか。昔小沢一郎が掲げていた政策は、「所得税と住民税を半減し、その代わりに消費税を大幅に上げる」というものだった。現在ではその後段を隠して、「次の総選挙までは消費税増税の議論を棚上げする」ことになっている。だが次の総選挙と言ったって、それはもう遅くとも2年後に迫っている。

私は、2009年民主党マニフェストを実行して所得税の大幅減税もやるなんてことはできっこないと考えているのである。小沢一郎だってそんなことはできっこないと考えているに違いない。だから今は「党内野党」でいる方が楽なのだ。

これでやっとこさ民主党代表選に話がつながった。今朝(8/26)の朝日新聞(東京本社発行最終版)の一面トップの見出しは「小沢氏、前原氏不支持へ」である。その方針で鳩山由紀夫と一致したらしい。ここまでの一連の流れを見ていて、私は「ああ、結局小沢一郎は『八百長負け』を選んだな」と思った。小沢一郎には今回の代表選で勝つ気など最初からさらさらなかったのだ。

昨日の『kojitakenの日記』にkagisouさんからもコメントいただいたのだが、昨日(8/25)の朝日新聞に、小沢一郎が前原誠司との駆け引きで「幹事長」の座を要求して両者の折り合いがつかないことが書かれている。この記事には、「政策はしょせん大道具、小道具。権力持たないと何の意味もない」という小沢一郎の言葉が引用されているが、これこそが小沢一郎の政治哲学なのである。

幹事長とは何か。朝日新聞記事から以下引用する。

 幹事長は政権党のナンバー2。選挙の公認権から党・国会の役員人事を一手に握り、党の資金も手中に収める。小沢氏は代表時代、関係の深い鳩山由紀夫氏を幹事長に起用。2006年から08年にかけて「党の機密費」とも呼ばれる組織対策費22億円を側近議員に渡し、接戦の選挙区に集中投下した。「人事とカネ」の権限を背景に、党内最大の小沢グループを結成した。

(2011年8月25日付朝日新聞2面掲載記事より)


記事は以下、昨年民主党代表・首相に就任した菅直人の下で、幹事長の岡田克也が組織対策費を事実上廃止し、投資金を透明化したこと、「金の力」を失った小沢一郎の求心力が低下し、グループを脱落する者も出てきたことを書いている。その後の段落で、「政策はしょせん道具」という小沢一郎の言葉が出てくるのだ。

小沢一郎が前原誠司に突きつけた条件は、前原にとってのめるものであろうはずがない。だから小沢一郎は前原支持を取りやめたのだが、小沢一郎が前原誠司の不支持を表明した今となっては、最初から小沢一郎は今回の代表選に勝つつもりなどなかったのではないかと思わざるを得ない。

歴史は繰り返すという。小沢の狙いは14年前と同じなのではないか。民主党最後の代表選で勝つ。そして党は解体する。金庫を押さえている小沢はその金を全額押さえる。これが新進党の最後に小沢一郎が行なったことであり、当時の新進党党首選の対立候補は鹿野道彦だった。小沢一郎が今回の民主党代表選で鹿野道彦を支援することなど最初からあり得なかった。

だが、いつまでこんなことをやっているつもりなのだろうか。14年前には小沢一郎はまだ55歳、政治家として脂の乗り切った頃だった。だが現在はもう69歳。政治家としての先はもう長くない。

歴史は繰り返すというのは前原誠司にも当てはまる。2005年の「郵政総選挙」のあと、民主党代表選で前原誠司が菅直人を2票差で破って当選した時、なんでこんな軍事タカ派なんかが民主党代表になるのかとショックを受けたものだ。なんでも投票直前のスピーチが民主党国会議員の心をとらえ、それで菅直人から前原誠司に乗り換えた議員が複数いたらしい。なるほど前原誠司は口は達者だし、党内政治にも長けている。昨年6月の民主党代表選でいち早く菅直人にすり寄ったのもそうだったし、今回、フライング気味に飛び出して「増税」を前面に出して総スカンを食った「野ダメ」こと野田佳彦を横目で見ながら、「派内の突き上げに動かされる」形で土壇場になって出馬したいきさつもそうだ。もしかしたら前原は最初から「あと出しじゃんけん」を狙っていたのではないかと思えるほどだ。

だが、前原誠司には「偽メール事件」の失敗がある。私はいつも思うのだが、一度誤りを犯した人間は、同じ誤りを必ず繰り返す。前原誠司もまた誤りを繰り返し、その政権は長くは持たないだろう。

野田佳彦であれば、来年9月までの「つなぎ」の首相・代表を務めることになっただろう。だが前原は「つなぎ」には甘んじず、解散の道を選ぶと思う。そうなれば総選挙で民主党は大敗し、自民党政権が復活することは確実だ。

そうはならず、来年9月に代表選が行なわれ、小沢一郎が代表に復帰した場合も、民主党の解体が起きる。その場合は政界再編が起き、政治資金を持ち逃げした小沢一郎が一定の影響力を保つ。小沢新党と安倍晋三らが組む連立政権だって誕生しかねない。ちなみに、今回もし前原誠司が小沢一郎の要求を受け入れて幹事長ポストを渡したとしても、民主党が分裂して小沢一郎が政治資金を持ち逃げする日が来るのが前倒しされることしか意味しない。前原が小沢の要求を受け入れなかったのは当然のことだ。

どっちみち民主党という政党はそう長続きはしない。日本の政治は廃墟になりそうだが、そのあとに出てくるのが橋下徹かどうか、そんなことは今はもう考えたくもない。

とりあえずは小鳩派が誰を担ぐか見てみることにしようか。昨年担いだのは新自由主義者の樽床伸二だった。もし今回小鳩派が担ぐのがあの「原発の守護神」海江田万里だとしたら笑ってしまう。リフレ派から一定の支持を得た馬淵澄夫を担ぐことはよもやあるまい。馬淵はリフレ派からは支持を得たものの、「原発を選択肢として残す」という寺島実郎ばりの「エネルギーのベストミックス」論を持ち出し、曲がりなりにも原発ゼロを掲げている前原誠司と比較してもさらに「脱原発」に後ろ向きなところを見せた。しかし、海江田万里となるとこれはもう前原誠司や馬淵澄夫どころの話ではなく、「原発推進積極派」である。野田佳彦よりさらにひどいのではないだろうか。

とにかく、小沢一郎はここまで日本の政治を引っかき回し、めちゃくちゃにした。これでもなお日本の「リベラル・左派」諸氏は小沢一郎を支持するというのか。支持するとしたらその理由は何なのか。「国民の生活が第一」というスローガンや「2009民主党マニフェスト」? そんなものを信じてはいけない。

他ならぬ小沢一郎自身が「政策はしょせん道具」と言っているのだから。
前回のエントリ「『脱原発』置き去りで『茶会』が台頭? 民主党代表選の憂鬱」を書いたあと、前回ではなく前々回の記事に対してだが、こんな書き出しのコメントをいただいたのには脱力した。

別に原発問題だけが重要な事でもないと思いますけどね。
他にも財政とか経済の問題とかあるわけで、原発への態度だけが政治家評価の基準にはならないと思います。


当該コメントは、これに続く部分ではまあまあまともなことが書かれているのだが、私が言いたいのは、誰が「原発問題『だけ』が重要な問題だ」なんて書きましたか、ってことだ。前回のタイトルには「茶会」という文字もあるし、以前から当ブログをお読みいただいている方であれば、当ブログが「富の再分配」の問題(税と社会保障の問題)を大きなテーマとして取り上げ、「茶会」的動きに対抗する「鍋パーティー」も主宰していることはご存知だろうし、一見さんであった場合でも、前回のエントリの後半で野田佳彦の「財政再建至上主義」や小沢一郎や河村たかしらの「日本版ティーパーティー」を目指すかのような妄動を批判していることくらいは読み取れるはずだ。コメントの書き出しを見たとき、「俺に喧嘩売ってるんか」と思ってむっとしたことはいうまでもない。その後の部分を読むと、そうでもないかとも思い直したけれども。

なお、「鍋パーティー」のブログには今朝(8/22)最新エントリ「責任を果たそうとするアメリカの富豪とそうしようとしない日本の富豪」が公開されたので、こちらも当ブログ記事と併せてご覧いただければ幸いだ。上記「鍋パーティー」のブログ記事に関して付け加えると、日本の富裕層が欧米のような「ノブレス・オブリージュ」を自覚しないことももちろん問題だけれど、それ以上に問題なのは、「富の再分配」を求める意見に対して、日本に住む人々の大半を占める貧乏人自らが「富裕層に対するひがみだ」、「努力が報われない社会になる」などと「やせ我慢」的な批判をしていきがっていることだ。「カイカクの痛みを耐えるオレってカコイイ」みたいな妙ちきりんな風潮が幅を利かせているから、「富裕層」を自認する「ちきりん」なる人物が書いた「はてなダイアリー」が大人気を集めたりする。バカバカしいことこのうえない。「やせ我慢」ほど日本社会にとって有害なものはない。

話を「脱原発」に戻すと、今月に入って「脱原発」の言論が急速に弱まっていることは強く感じる。今月の初めくらいまでは、小沢信者の一部が「ブログ主や社民・共産両党や飯田哲也氏は『10年を目処に脱原発』なんて言っている。即時原発全廃論者はこれを批判せよ」などと当ブログのコメント欄で煽っていたというのに、月半ばになると、「脱原発」が民主党代表選の争点から外されようとしているとしてこれを批判する当ブログに対して、「別に原発問題だけが重要な事でもない」というコメントをいただくとは、あまりの空気の変化の激しさに頭がクラクラする。

民主党代表選の方は、われもわれもと手を挙げる人間が続出し、現在は反小沢系では前原誠司が立候補するかどうか、親小沢系では海江田万里と鹿野道彦以外の有力候補が出るかどうかが話題になっているらしい。

だが、看板だけは「脱原発」を掲げる馬淵澄夫も含め、どの「ポスト菅」候補も「脱原発」に関しては現首相の菅直人より腰が引けている。菅直人だって十分腰が引けていたと私は思うのだが、その菅と比較してもさらに腰が引けている。

この件に関して昨日、「安倍晋三、統一協会主催合同結婚式に祝電」(2006年)の件以来お世話になっている「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」から『kojitakenの日記』に「idトラックバック」をいただいた。そのエントリ「菅政権の終わりと原発政策の後退と『呪的闘争』」に、

菅政権にどれだけ不満があろうと、菅政権の次の政権は菅政権より必ず原発政策に関しては後退する、という言説って、私がすぐ思い出せるところではid:kojitakenさんくらいなんだが、どの程度存在しているんだろう。

と書かれていたのだが、えっ、私の意見ってそんなに少数派なのかと驚いた次第だ。実際、民主党代表選の出馬が取りざたされている人たちの発言を見聞きしていたら、ごく自然に得られる結論だと思うのだけれど。

でも確かに、私よりもっと過激な「即時全原発停止」を言っていたはずの小沢信者は、小沢一郎が「脱原発」を争点から外そうとしていることについてなぜか口を噤んでいる。こう書くと小沢信者は「いつ小沢一郎氏がそんなことを言った」と反論してくるかもしれないが、小沢には自らの党員資格停止を解除するかどうかを代表選の争点にさせるほどの影響力がありながら、「脱原発」が争点にならないことについては何も言ったり動いたりしないのだから、これは小沢一郎自身が「脱原発」を争点から外そうとしているという以外の解釈はできない。そして、「脱原発」を争点から外したいのは仙谷由人や岡田克也らいわゆる「執行部」系とて同じだから、いわゆる「反小沢」と「親小沢」の利害が完全に一致する。だから「脱原発」は民主党代表選の争点にはならないのだ。

もっともこんな事態を招いたことに関しては菅政権の責任も重い。前記「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」から再び引用する。

後のない菅政権は明確に「脱原発」を表明すれば良かったのに、なぜあんなに原発勢力に未練たらたらなんだろうな。どうも日本では原発勢力と結託しないと政権維持も政権就任もできない仕組みになっているみたいだけど、なぜなんだろうな。

菅政権は明確に「脱原発」を表明しなかったから、脱原発な国民の「空気」を利用することもできなかった。

「脱原発な空気の国民」のほとんどは、菅政権が終われば菅政権より脱原発に関して確実に後退することを、想像もしていないだろうな。もちろん想像させないように入念に「情報操作」されているからなんだが。


そう、菅政権の腰が引けていたから国民の支持が得られなかった。あの東電原発事故を起こしていながらなお原発にこだわるなんて私には信じられないのだが、これが現実なのだ。

かつて正力松太郎は、民放テレビ局(日本テレビ)を開設し、その電波に力道山のプロレス中継や読売ジャイアンツのプロ野球中継を乗せて成功したが、その正力が晩年政界に進出した際に力を入れたのが原発だった。私は先々週から先週にかけて、ノンフィクション作家の佐野眞一が1994年にまとめ上げた大著『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫、2000年)を読んだが、この長大な物語が4分の3にさしかかったあたりから原発の話が始まる。正力が社主を務めた読売新聞は、原発がもたらす夢を煽りに煽り、原発導入を決めた後あっという間の短期間で日本最初の原子炉を稼働させた。その際正力が駆使したのがマスメディアの影響力のほか、「金の力」だった。

1950年代に読売が煽った「ウランキャンペーン」はそれこそメチャクチャなもので、当時は当の読売新聞自身がスクープした「第五福竜丸事件」が起きた直後だったにもかかわらず、低線量放射線の悪影響などほとんど知られていなかったのをいいことに読売は「原子力発電の夢」をばら撒き、そのあげく「安もののお茶でも放射能をかければ玉露のような味になり、二級酒が特級酒並みになる」という俗説まで一人歩きしたという(佐野眞一著前掲書下巻287頁より)。当時、ウラン鉱山で一儲けをたくらんでいた東善作という人物は、岡山・鳥取県境の人形峠でウラン鉱脈を発見し、1957年にウラン鉱業株式会社を設立したが、人形峠のウラン鉱石はアメリカ産と比較して品質がはるかに劣ったので結局商売にならなかった。東は、「健康にいい」と言ってウラン鉱を風呂に入れ、「野菜がよく育つ」と言って庭に埋めたりしたが、その結果東は10年後に肺ガンで死んだばかりか、彼の妻と養女の一人も同じようにガン死した(同296頁)。朝日新聞のインタビューに答えて「少量の放射線は体にいい」と言った東電元副社長にして自民党元参院議員の加納時男にこの件に関する見解を伺いたいものだ。

それはともかく、現在60代後半以上の人たちにとっては、あるいは原発に夢を託した時代の思いが残っているのかもしれない。だが、現在の日本人の大半にはそんな記憶などないだろう。かくいう私ももういい年なのだが、原発への夢を読売がかくも大々的に煽っていたとは、上記佐野眞一の本を読んで初めて知って目を白黒させた次第だ。私の子供時代には、家でとっていた朝日も毎日も原発には消極的だったし(まだ朝日が原発に対して "Yes, but" などと言い出して当時同紙科学部記者の大熊由紀子が「核燃料」と題した連載記事を書く前の頃だった)、『少年ジャンプ』に掲載された中沢啓治の漫画『はだしのゲン』で広島に原爆が投下されたシーンを見て強い衝撃を受けたものだった。

だが、読売が煽った夢は早々に消えても利権は残り、「政官産学報労」が形成する「原発推進ヘキサゴン」が惰性で原発を推進した。その推進力となったものの一つが、過疎の地をシャブ漬けにする「電源三法交付金」だった。これによって、原発を止める権限のある原発立地自治体が原発を止めることが事実上できなくなり、菅首相は浜岡原発を止めて玄海原発の再稼働を阻止したが、そこまでで精一杯で、北海道原発の泊原発3号機の営業運転は、北海道知事にして元通産官僚の高橋はるみが再開させてしまった。

次の代表が反小沢系になろうが親小沢系になろうが菅直人内閣と比較して「脱原発」が大幅に後退することだけは絶対に間違いない。どうせそういうことなら、親小沢系の内閣ができた方がまだマシではないかと私は思う。なぜなら、次の政権が「脱原発」を後退させた時に小沢信者が言い訳できなくなるからだ。2009年の民主党マニフェストに掲げられた社民主義的な政策と「減税真理教」(=「日本版ティーパーティー」)が両立できるものなのかどうかの審判も下されよう。現在の、特にブログにおける政治に関する言論においてもっとも「病的」だと私が思うのは、「反新自由主義」だとか「脱原発」の立場をとっているはずの人間の多くが、小沢一郎に根拠のないシンパシーを寄せていることだ。

彼らがいい加減にその馬鹿げた夢から覚めない限り、日本の政治をめぐる言論はどんどん劣化する。ネットだけならまだしも、リアルの有名人でも江川紹子や、少し前には池田香代子あたりも「小沢熱」に冒されていた。これほどまでにも小沢一郎の批判を繰り返している当ブログだが、昨年の民主党代表選の時、「いっそのこと小沢一郎が勝った方が良い」と書いたのも、小沢信者の目を覚まさせるためにはそれしかないと思ったからだ。

次の総選挙で「小沢チルドレン」がほぼ全滅することは間違いないことを考えると、「親小沢・反小沢」の抗争など長くてもあと2年しか続かないのは確かなのだが、その2年の間に民主・自民の保守二大政党がこれ以上国民に不満を与え続けるようだと、次には橋下徹が国政を牛耳る未来しか私には思い浮かばない。冗談じゃない。そんなことになったら私は日本から逃げ出すことにするよ。
菅直人首相が事実上辞意を表明し、政権運営の気力が萎えた隙を経産官僚と北海道電力と北海道知事の高橋はるみに突かれて、定期点検中のはずなのに既にフル稼働していた北電泊原発3号機の営業運転が再開された。

特に8月に入ってからの原発推進・維持派の巻き返しはすさまじい。菅直人の辞意はそれに拍車をかけており、先月には来年夏の原発全基停止を前提としてNHKテレビで発言していた玄葉光一郎は、早くも「小型原発」推進論を口にして地金を出した。玄葉は福島3区選出の議員だが、次の総選挙では同区の有権者は玄葉を落選させてもらえないものか。

玄葉に限らず、民主党全体が原発推進・維持政党である事実がはっきりしてきた。民主党代表選は、一昨年5月の鳩山由紀夫代表選出や昨年6月の菅直人代表選出の時と同様、同党の執行部は短期でケリをつけるつもりらしいが、ここは今朝の朝日新聞社説が言うように、「最低でも1週間程度の論戦は必要」だと私も思う。いったい次の総理大臣は原発問題で、そして税制や社会保障の問題でいかなる政策をとるのか。鳩山由紀夫や菅直人のようには(中身は別として)知名度の高い政治家たちではなく、にもかかわらずほぼ間違いなく次期総理大臣になるのだから、その政策を国民に知らしめる必要があるだろう。

どうも岡田克也あたりは野田佳彦がボロを出さないうちに短期で野田に決めてしまおうと思っている様子がありありだが、それでは一昨年に鳩山由紀夫と小沢一郎がやったことと何も変わらない。一方、執行部が企む「菅抜き小沢抜き」に、当然ながら小沢一郎は反発する。

小沢は一昨日(17日)、あの悪名高い副島隆彦を「講師」に呼んで政治資金集めパーティーを行ったのだが(この事実だけでも小沢一郎が全く支持に値しない政治家であることは明白だろう)、民主党代表は「経験や知識があって命懸けでやる人でなければいけない」と述べたという。

例によってはっきりしたことは言わない小沢一郎だが、これは鹿野道彦か海江田万里のいずれかを指すのではないかと見られる。しかし、新進党最後の党首選で小沢一郎と争った鹿野道彦の支持を小沢一郎は渋っているようにも見える。海江田万里となると、これは玄海原発再稼働問題で菅直人と対立した「原発の守護神」だ。だが、政策なんか二の次三の次で、ひたすら「敵味方思考」しか行なわない小沢一郎にとっては、海江田万里という選択肢も「あり」なのだ。

なお、当ブログによくコメントする小沢信者が「小沢が推すのは実は横路孝弘ではないか」とする希望的観測のコメントを当ブログに寄越したことがあるが、そんな気配は全くない。トリウム溶融塩原発推進論者の小沢一郎は、そもそも「脱原発」論者とはとうてい言えないだろう。ボスに平沼赳夫をいただく「地下原発推進議連」に参加している鳩山由紀夫ともども、小鳩派もまた執行部系と同様の「原発推進or維持派」とみなすべきだ。

はっきり言ってしまうと、民主党代表選では「脱原発」は論点にはならない。看板だけは「脱原発」の馬淵澄夫や前原誠司(出馬説が急浮上している)を含め、名前の挙がっている全員が「脱・脱原発」派だ。

私は現在、佐野眞一が1994年に書いた『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫、2000年;単行本初出は文藝春秋、1994年)を読んでいる。ちょうど正力が奮闘して日本初の原子炉が稼働したところまでを描いた第12章と第13章を読み終えたところだ。文庫本で本文およそ1000頁にわたって描かれた長大な物語の4分の3にさしかかったところから、原発導入の物語が始まる。もちろん著者・佐野眞一の目を通した記述ではあるのだが、正力は決して政治的信念を持って原発を日本に導入したわけではなかった。正力とともに日本における原発の創始者と目される中曽根康弘にはまだ多少の政治的信念があったようだが、当時読売新聞社主から政界への進出を図り、衆議院選挙に初当選して自民党総裁の座を狙っていた正力松太郎にとっては、原発とは「次期総理・総裁にふさわしいスケールの大きな事業」でしかなかった。正力の読売新聞が展開した「原子力の平和利用」キャンペーンは、アメリカからメジャーリーガーを呼んで読売ジャイアンツを立ち上げ、阪神タイガースとの「天覧試合」でプロ野球を国民的人気スポーツにしたプロ野球事業と同じ手口で行なわれた。だから読売新聞というかナベツネ(渡邉恒雄)にとっては原発もプロ野球も同じ彼らの「私物」なのであって、その悪しき伝統がナベツネの今も引き継がれていることは、読売の原発報道とプロ野球報道を見ていればよくわかる。

プロ野球のジャイアンツ戦の方は、これも正力松太郎が創設した民放テレビ地上波のゴールデンアワーの枠からほぼ弾き飛ばされるほど人気が落ちたが、原発推進ないし維持派の勢力も、長期的視野に立てば間違いなく低落していく。プロ野球と原発のいずれにおいても「抵抗勢力」となっている。両者を私物化している以上は当然だ。

以後はプロ野球の話は持ち出さずに原発のみの話をするが、問題は政官業の中枢近くにいればいるほど、これまで惰性で進められてきた原発政策を「止める」のが難しいと皆が思うことなのだろう。だから、政権をとった民主党議員のほぼ全員が「原発推進・維持派」になるのである。

こう書くと、小沢・鳩山派には「脱原発」の森ゆうこや川内博史だっているぞ、との反論が(小沢信者から)返ってくるかもしれない。だが、なぜ彼らは「ポスト菅」に名乗りを上げないのか。党内野党の気楽な立場だったから「脱原発」が言えただけなのではないか。私はそう思っている。当選回数など関係ない。正力松太郎は年をとって政界入りするなり自民党の総理総裁を目指した。だが民主党小沢派ではそうもいかない。小沢一郎の意向が絶対であり、小沢に逆らうことは決してできないからだ。

原発を論点から外すとなると、民主党代表選で論点に設定されるのは何か。もちろん税の問題であり、特に小鳩派の気を引こうとする候補者たちは「増税反対」を訴える。一方財務相の野田佳彦は「財政再建至上主義」の立場に立つ。

後者の「消費税増税による財政再建論」には私は大反対だ。それは前々から当ブログでも言っている。しかし、復興財源としての所得税と法人税の増税は是非行なうべきだと思う。国債を増発しなければならないのは仕方ないが、東日本大震災という大災害を受けた被災地を支援するためには、考えられるあらゆる手段で財源を捻出する必要があり、そのために所得税と法人税を一時増税するのはオーソドックスな政策なのではないか。

ところが「増税反対派」は、不況に苦しむ日本経済に悪影響を与えるとして「復興財源としての所得税と法人税の一時増税」にまで反対している。これではまるでアメリカの「ティーパーティー」(茶会)の思想ではないか。あるいは少し前の小泉・竹中時代や中川秀直ら自民党の「上げ潮派」が好む「トリクルダウン」の考え方ではないか。

現在、アメリカでは著名投資家のウォーレン・バフェット氏が15日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄せた論説で、議会に「甘やかされ」たくはないと述べ、米政府は富裕層にもっと税金を課すべきだと主張して話題になっている(下記URL参照)。
http://www.cnn.co.jp/business/30003702.html

この記事にもあるように、米オバマ大統領は「金持ち増税」の構想を持っている。そのオバマを批判するのは野党・共和党の経済右派である茶会だ。だが、日本では与党・民主党の中に「茶会」的勢力があって力を増している。

「増税反対」や「減税」というと、東日本大震災・東電原発事故の前に当ブログが批判のターゲットにしていた河村たかしが思い出されるが、なにも河村たかしだけではない。小沢一郎も、民主党代表に就任して「国民の生活が第一」のスローガンを打ち出したあとも、「所得税と住民税の半減」を民主党代表選の公約に掲げようとしたことがあった(下記URLの森田敬一郎氏のブログ記事を参照)。
http://morita-keiichiro.cocolog-nifty.com/hatsugen/2006/08/post_439b.html

つまり、小沢一郎こそ民主党「茶会勢力」の中心なのだ。「日本版茶会」を批判する際には小沢一郎批判が欠かせないと私が強く主張するゆえんである。そしてその小沢一郎のたくらみによって、民主党代表選の主要な争点は「税」の問題になり、「原発」は置き去りにされそうな雲行きだ。岡田克也ら原発推進派の執行部にとっても、「税」はともかく「原発」が争点にならないことは歓迎だろう。

かくして、誰が民主党代表に選ばれようが、菅直人内閣と比較しても確実に数段階低劣な内閣が誕生することだけは確かなので、夏バテがますますひどくなる今日この頃なのである。
昨年と同様、お盆前の金曜日に当ブログを更新しなかったが、この時期にはお盆休みをとられている方も多いかもしれない。そして、「月遅れの盆」の日、8月15日は終戦記念日だ。マスコミもこの日ばかりは戦争を大きく取り上げるのが通例だ。

昨年の終戦記念日に、NHKはドラマ『15歳の志願兵』を放送した。その翌日、当ブログに「NHKドラマ『15歳の志願兵』を見て思ったこと」と題するエントリを上げ、13件のコメントをいただいた。上記のドラマは、江藤千秋著『積乱雲の彼方に 愛知一中予科練総決起事件の記録』(法政大学出版局、1981年;新装版2010年)に書かれた史実である、昭和18年(1943年)に現実に起きた愛知一中で生徒達が予科練志願に総決起した事件を下敷きにしたフィクションだったとのこと。

このドラマはNHK名古屋放送局の制作で、同局は2007年以来4年連続で終戦記念ドラマを制作してきたとのことだったから、今年はどうなのかと思ったが、特に放送予定はなさそうだ。それに限らず、各マスコミとも終戦記念日の報道に力が入っていない。大新聞社は今年は終戦記念日を新聞休刊日にあててしまっている。

今年は3月11日に東日本大震災と東電原発事故が起きた。先の戦争とは被害の大きさという点で震災に、そして核分裂反応に伴う放射線発生の脅威という点でそれぞれ共通する。

しかし、一部には「核兵器と核反応の平和利用を分けて考えるべきだ」とする主張もある(私はここで「原子力」という欺瞞の満ちた言葉の使用を意識して避けている)。だが、私はこれは誤りだと考えている。この議論からは放射性廃棄物の問題が抜け落ちているからだ。原子爆弾は、核分裂反応を爆発的に進ませて、一度に大量のエネルギーを放出させるが、原発は核分裂反応が一定の割合で連続的に起きる(=臨界)ように制御する技術だ。起こさせる反応自体は同じで、しかもその過程で生成する放射性物質の処理技術が確立されていないどころか目処も立っておらず、次世代以降の課題として先送りされている。原発のプラントでは被曝労働が日常的に行われており、一方、「核のゴミ」である高レベル放射性廃棄物は、有史以来の人類の歴史よりはるかに長い時間、安定した状態で管理されなければならない。そんな期間にわたる安全性を保証することなど誰にもできないのは当然だ。

上記の問題点に目をつぶって「子や孫世代の叡智には期待できないのか」などと「脱原発」論を批判する「科学的社会主義者」たちがいるが、その姿勢のどこが「科学的」なのかと鼻で笑いたくなる。1960年代の公害工業と同じ発想で原発を擁護するのを「科学的」と称する姿勢は、かつて「ソ連は誤りを犯さない」としたいわゆる「教条左翼」の姿そのままだ。日本共産党が東電原発事故を機にこうした体質を完全に切り捨てて「脱原発」の立場を明確にすると、彼らは共産党批判に走るていたらくであり、これには開いた口が塞がらない。

もっとも上記は「ごく少数派」の左翼の話であり、現実問題としてもっとたちが悪いのは、「原発擁護」にかこつけて今年は「原爆」のことも何も言わなくなった右翼メディアである。産経新聞がその典型だ。彼らも放射性廃棄物の問題については、できもしない「核燃料サイクル」論という名の「虚構」に頼るが、それは上記の「科学的社会主義者」と同じ態度であり、現実を直視しない「極右」イデオロギーの一種だ。私に言わせれば、「原発推進派」や「原発維持派」は一種の「極右」である。よく言われる「極左と極右は根が同じ」とは、原発の件に関しても成り立つことなのだろうと思う。ただ違うのは、「極右」の人間は「極左」とは比べものにならないほど数が多いということだ。

原発以外の経済においても、かつては工場が有害物質を排出して「四大公害病」の問題を引き起こしたが、現在では公害を撒き散らすような企業は市場から退出を促される。しかし、原発は一度プラントを建てたら30年から40年の長きにわたって使われる(それどころか60年間使おうとの画策もなされている)せいか、技術も古ければ放射性廃棄物の問題に対する考え方も古い。そのくせ技術的な難易度は昔も今も変わらず高い。原発とはそんな厄介な技術なのだ。

原子炉においては、材料の温度履歴、中性子を浴び続けることによる劣化、長期間の振動に対する耐久性などが問題になるが(他にも問題はたくさんあるだろうが、私の能力では包括的に表現することはできない)、東電原発事故において福島第一原発1号機が短時間でメルトダウンに至った重大な原因の一つには地震動による配管の破損があったという説が有力だし、九州電力の玄海原発1号機は炉が継続的な中性子線の照射によって劣化して「脆性遷移温度」(それ以下の温度では原子炉の容器が脆くて割れ易くなるという温度)が急激に上がるという問題点が指摘されている。後者は、最初は低温では脆くても高温では強靭だった材料が、中性子線を浴び続けることによって高温でも脆くなっているという意味であり、要するに玄海原発1号機とはきわめて危険なプラントなのだ。だから、この1号機は何があっても早期に廃炉にしなければならない。

原発は、現在の普通の企業であれば、処理方法に大きな技術革新がなければとうてい商業化などされるはずのない技術だが、それが無理矢理推進されたのはもちろん「国策」だったからであり、なぜ国策になったかというと、もちろん東西の「冷戦」があったからだ。これは何も日本だけでの話ではない。チェルノブイリ原発事故を考察する際にも、「冷戦」があったがためにソ連が未完成の技術を無理矢理実用化して大事故を招いたという視点は欠かせない。だから私は「原爆と『核反応の平和利用』は分けて考えるべきだ」という意見は原発推進論者の強弁に過ぎないと主張する。

そして与党・民主党と野党第一党・自民党の政治家の大部分が「原発推進派」である現実にはただただ嘆息するばかりなのである。「原発維持が現実的」などと語る、次期総理大臣候補の筆頭らしい野田佳彦など、その典型的な人間だ。そして、「地下原発推進」論者の鳩山由紀夫、「トリウム溶融塩原子炉」推進論者の小沢一郎、菅政権退陣が確定的になるや「小型原発」推進論を言い出した玄葉光一郎などなど、執行部系だろうが小沢・鳩山系だろうが問わず「原発推進・維持論者」ばかりの民主党には、もはや何の期待も抱くことはできない。

13日の『kojitakenの日記』に、「『ポスト菅』に『脱原発』論者が一人もいない件について」と題した短い文章を書いたが、これが「はてなブックマーク」で注目されたのにはちょっと驚いた。多くの人が思っているであろうことをさらっと書いたに過ぎなかったからだ。私が書く記事の場合、「はてブ」のコメントは、ブックマーク数が多くなる場合はたいていネガコメの方が多数になるのだが、上記エントリの場合は必ずしもそれには当てはまらず、賛否のコメントが入り交じっている。

終戦記念日なのに戦争のことは書き出しの部分でしか触れず、もっぱら原発のことばかり書いたのにはもちろん理由がある。広島の原爆慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻み込んでおきながら、今また「過ちを繰り返」そうとしている日本を見て、ああ、だから岸信介は総理大臣になり、正力松太郎は「『原子力』の父」になり、中曽根康弘は「大勲位」になったんだなあと、戦後日本が繰り返してきた「過ち」に思いを致すからものだからである。

今度こそ過ちを繰り返してはならない。上記の「はてブコメント」にもあるが、「脱原発」を「後向きだ」という人がいる。そういう人たちに聞きたいが、戦争を放棄すると誓った66年前の日本人たちは果たして「後向き」だったのか。「後向き」の人間に、奇跡といわれた高度経済成長を実現させることができたのか。70年代の自動車業界が排ガス規制を克服してその後世界を制することができたのか。

「後向き」だったのは戦前の体制に郷愁を持つ人たちの方だった。現在で言うと、「地下原発」だの「トリウム溶融塩原発」だの「小型原発」だのにこだわったり、「脱原発」を「後向き」と言ったりする人たちの方がよほど後向きである。今後の「脱原発」は、日本の政治からなんかではなく、企業活動が引っ張っていくと思いたいところだが、日本経団連の腐敗堕落ぶりを見ているとそれも期待薄かもしれない。

なんとも気が重くなるばかりの終戦記念日なのである。今年の「8.6」から「8.15」までは、「原発」を含む「核」の廃絶を思う期間でなければならなかったと思うのだが。
毎年8月は戦争に思いを致す月なのだが、東日本大震災と東電原発事故のあった今年は、原爆と原発をリンクさせることから逃げてはならないと考えている。だが、8月6日の松井一実・広島市長の「平和宣言」はそれから逃げるものだった。

この平和宣言の中に、

今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。

というくだりがあるが、66年前の広島と今年の東北は違う。地震は天災だが、戦争は人災だ。さらにいうと、津波は天災だが東電原発事故は人災だ(ちなみに、東電原発事故は、単に津波による全電源喪失だけではなく地震動によって原子炉の配管などが破壊されたという説が有力だ)。その東電原発事故に関して、

「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

と片づけられると、これはもう力が抜けてしまう。今年ほど広島の「原爆記念日」で脱力感を抱いた年はなかった。

菅直人首相はかろうじて「脱原発」を「個人の考え」としてではなく政府の立場として表明したが、既に経産省の人事争いで海江田万里-経産省官僚のラインに敗れ、原発輸出の継続を閣議決定したとあっては、その言葉に説得力があろうはずもなかった。

当日の朝日新聞も、BLOGOS編集部などは毎日新聞ともども「特集満載」だったと書くのだが、原爆特集は紙面の中ほどに追いやられていて、何か力を感じなかった。毎日新聞はどうだったのかなともちらっと思ったが、確認しようという気にもならなかった。毎日新聞の原発報道にもっとも力が入っていたのは震災直後で、これは主に社会部の記者たちの活躍によるものだったのだろう。原発推進派だった岸井成格を転向させるほどの力があったが、同紙の政治部長は頑迷固陋な保守派であって、「脱原発」の言論が活性を失ってきた現在、同紙も政治部や経済部の悪弊が目立つようになって、最近ではあまりパッとしない印象を持っている。

首都圏では東京新聞(名古屋の中日新聞が親会社)がもっとも「脱原発」に力を入れている新聞だが、同紙も定評のある社会部の記者たちの奮闘には敬意を表するけれども、論説面では高橋洋一に近い論説副主幹の長谷川幸洋がリードする形となっていて、手放しでは賛意は表せない。その長谷川幸洋はこんなことを書いている。

 首相官邸サイドは先週から、改革派官僚として知られた古賀茂明官房付審議官に数回にわたって電話し、事務次官更迭を前提にした経産省人事について相談していた。そこでは次官の後任だけでなく、海江田経産相が辞任した後の後任経産相についても話が出たもようだ。

 このタイミングで古賀に相談したのは、当然、古賀自身の起用についも視野に入っていたとみていいだろう。少なくとも、官邸サイドが「改革派の起用は論外」とは考えていなかった証拠である。

 経産省のスパイとなる官僚は官邸にいくらでもいるから、官邸サイドが古賀に接触したのは経産省も知っていたはずだ。そんな動きを察知して、経産省が先回りして松永ら3人のクビを自ら差し出し、引き換えに後任人事を牛耳ろうとしたのではないか。

 2日に海江田が官邸を訪ねて菅に後任を含めた人事案リストを提示した段階では、問題が決着していなかった。朝日が4日朝にスクープしてから、経産省は一挙に勝負に出て同日午後、なんとか安達昇格の発表にこぎつけた。そんなところではないか。


この長谷川の推測が当たっているかどうかは私は知らない。ただ、あらゆる情報は海江田と経産官僚は一枚岩、というより海江田が経産官僚の言いなりになっていることを指している。例の海江田の記者会見にしても「人事権者はあなたなんですよ」と念を押された操り人形の言葉とでも解さなければ意味が通じないものだった。

とはいえ、「改革派官僚」の古賀茂明を手放しで礼賛する、一部の「脱原発派」の論調にも私は与しない。ベストセラーになっているという古賀の著書を本屋で手に取ってページをめくってみたが、買って読む価値はないと判断した。私は当ブログでも別ブログでも古賀茂明を取り上げたことは一度もなかったはずだ。

だが、古賀茂明は評価しないけれども、今回の東電原発事故を引き起こしたばかりか、数々の問題が明らかになった原発を維持することなどとんでもない、その立場には変わりはない。あの東電福島第一原発の近くに再び人が住めるようになるのはいつのことだろうか。おそらく今世紀中には不可能なのではないかと思う。世論調査でも、「脱原発・反原発」の世論は、およそ7割から8割を占める。

それでも動けないのが権力機構というものなのだろう。「ポスト菅」として名前の挙がっている政治家たちが、ことごとく菅直人程度の「脱原発」の姿勢さえ示せないことは、当ブログでも少し前から論難しているが、最近よく頭に浮かぶアナロジーは、先の戦争に敗れた日本政府が占領軍に憲法改正案の作成を要求された時、松本烝治らが国体護持を基本として明治憲法から大きく踏み出すものではなかった憲法草案を提出して、GHQにあっさり否定されてしまったことだ。今の民主党を見ていると、当時の日本政府と同じではないかと思えてしまう。

憲法に関しては、マッカーサー草案を下地とした日本国憲法が制定された。右翼はこれを「押し付け憲法」として否定するが、GHQが叩き台とした憲法研究会の憲法草案は、古くは植木枝盛らの思想なども反映されており、日本にももともと下地があったものだ。そもそも当時「国体」と称されていたものには、明治以来80年弱の歴史しかなかった。

とはいえ、GHQの強制力なくして平和憲法が生まれなかったのは事実だ。外国からの強制力のない現在、いかに「脱原発」を実現していくかはわれわれ日本国民に問われているのだ、そうずっと思っている。

東電原発事故後、特に5月か6月頃から、書店に大量の「原発本」が並ぶようになった。その大部分が「脱原発・反原発」の立場に立つものだ。つまり、「脱原発」はもはやコマーシャルベースに乗っている。東電原発事故の直後にテレビ番組で過激な原発擁護発言を行った勝間和代の人気が、その後勝間が「脱原発」への転向を表明したにもかかわらず凋落気味であることなど、「原発推進」の方が「金にならない」のが現状だ。

しかし、東電原発事故後に新たに出版された「脱原発」本の多くは、私の心をとらえない。私が読んで「これはいい」と思ったのは、高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書, 2000年)や鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)など、東電原発事故以前に出版された本がもっぱらだ。内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版, 2011年)も、中身は非常に良い。ただ、事故後あわてて編集されたらしく、初出が明記されていないなどの難点がある。この本では、80年代に取材を始めた時には原発に対して中立だったと思われる内橋氏が、取材を重ねるうちに原発に疑問を持つようになったことがよく伝わってくる。

ところで、現在の国政および地方行政の関係者では、自民党も民主党(菅直人も小沢一郎も含む)も「原発」にがんじがらめになっているところに、一件奔放に「脱原発」を論じているかに見えて人気を集めている橋下徹のことがどうしても頭に引っかかる。橋下は、巧みに民意の多数を占めながら国や地方の政治家がなかなか踏み込めない「脱原発」にポジショニングすることで自らの人気の浮揚を狙っている。

たまたま昨日から佐野眞一著『巨怪伝 - 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫, 2000年=単行本初出は1994年)を読み始めている。まだ上巻の半分ちょっと、第5章までしか読んでおらず、原発どころか終戦にさえ至っていないが、正力松太郎とは橋下徹に似た人間だったんだなという思いを持ち始めている。

「原子力の父」と言われた正力松太郎は、最近では「ポダム」とのコードネームを持つCIAのエージェント、という印象が一人歩きしているきらいがあるが、正力がアメリカに忠誠を誓う「ポチ」だったわけでは全くない。警察官僚時代の関東大震災の時には「朝鮮人の煽動」のデマを自ら撒き散らして朝鮮人虐殺を招く張本人となったり、王希天虐殺事件の真相を知りながら沈黙を貫いたりなどの悪行で知られるが、1924年に事業が傾いた読売新聞を買収するや、戦時中には読者の目を引く戦場の写真を大きく掲載するなどの扇情的な紙面作りによって部数を大きく伸ばした。

以上の点が、タレント弁護士時代には光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求を煽るなどの悪行で知られながら、当初劣勢を予想された大阪府知事選を圧勝で制するや、次々と人気とりの政策を打ち出しては大阪府民の拍手喝采を得て、現在は気に食わない平松邦夫・大阪市長を追い落とそうと躍起の橋下徹と重なり合う。

1923年の関東大震災では、東京の新聞が大打撃を食い、大阪に本社を持つ朝日(東京朝日新聞)や毎日(東京日日新聞)が勢力を拡大したが、朝日も毎日も大阪本社でお家騒動があり、朝日の騒動によって社を追われたリベラル派の記者が読売に流れ、正力による買収以前の読売は、東京でもっともリベラルな新聞だった。それを正力は、センセーショナリズムを売り物にする紙面が特徴の新聞に変えてしまい、戦争も利用して部数を拡大した。といっても読売の特徴は国家主義ではなく、あくまでセンセーショナリズムだった。もちろん私は「朝日・毎日=善玉、読売=悪玉」などという立場に立つものでは全くない。東京日日新聞の幹部は、正力暗殺を企て、正力は暴漢に襲われて大怪我をしたこともあった。その事件には、正力を快く思わない警察の一部が関与していたというのだから驚きだ。

正力が育てた読売は、その後正力自身の原発推進によって、現在でも原発推進勢力の中枢を占める。橋下徹が育てたものは、いったい日本にいかなる災厄をもたらすのか。現時点では想像もつかない。

尻切れトンボになったが、時間切れでもあり今回はここまで。この続きを書くかどうかは気分次第だ。きまぐれな個人ブログのこととて、ご了承いただきたい。
いつもは月、金のブログ更新だが、管理人の都合により今週は週末の更新を一日繰り上げた。

といっても、何を書くかは決めていなかった。そこで、新聞を見て決めるかと思って朝日新聞の一面を見たら、菅直人首相が松永和夫経産省事務次官、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官の原発関連3首脳を更迭する方向で経産相の海江田万里と最終調整に入ったとのニュースが出ていた。海江田も3首脳を更迭したら辞めるらしい(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0804/TKY201108030752.html

経産省事務次官ら3首脳更迭へ 首相、経産相と最終調整

 菅直人首相は3日、経済産業省の松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官(58)の3首脳を更迭する方向で、海江田万里経産相と最終調整に入った。東京電力福島第一原発事故の一連の対応や、国主催の原子力関連シンポジウムを巡る「やらせ」問題の責任を問う目的だ。海江田氏も3首脳を更迭後、速やかに辞任する考えだ。

 首相は、電力会社と一体となって原発政策全般を推進してきた経産省への不信感を強めている。今回の3首脳の更迭をテコに、経産省から保安院を分離し、環境省に新設する「原子力安全庁」に規制部門を担わせるなどの組織再編を進める考えだ。さらに、太陽光など再生可能エネルギーの拡大や電力会社による地域独占の見直しに道筋をつけたい意向だ。

 ただ、辞任表明した首相の求心力は著しく下がっている。経産省や与党内から反発が出るなどして更迭人事が混乱すれば、政権運営が一層厳しくなるのは必至。逆に首相の早期退陣につながる可能性もある。

(asahi.com 2011年8月4日3時2分)


海江田も辞めるのだろうが、私は菅直人ももう辞めるつもりで、その置き土産として「原子力村」の元締めとしてあまりにも悪名の高い松永和夫の首をとることにしたんじゃないかと思った。

金子勝はTwitterで「遅過ぎる」と評し(私はそれでも更迭しないよりした方がマシだと思う)、海江田については、

菅降ろしの先兵になるか東電・経産省の利益を守るかで迷う?3首脳と一緒に辞任が筋では。

と書いている。私も見出しを見た時、なんで海江田は同時辞任しないのかと思ったが、そんな海江田を小沢一郎は「次期総理大臣候補」として期待しているらしい。

最近は小沢信者の間からも「小沢派は民主党の『サハッ』」だ、などという妄言は聞かれなくなった。たとえば昨日当ブログに寄越してきた小沢信者のコメントには、山崎康彦という人物がTwitterで、

菅、仙石,枝野は「元左翼」。前原、岡田、野田、玄葉、安住は「新自由主義・市場原理主義」者。米国支配層は彼らを育て民主党内に潜入させた。「元左翼」と「新自由主義」者は「反小沢」「対米従属」で一致。昨年年6月2日「鳩山・小沢辞任」クーデターで民主党を乗り「第二自民党」へ変質させた。

などと書いているのを紹介して、

これに異論はないだろう?

などと抜かしている。ちゃんちゃらおかしい話で、ついこの間まで小沢信者の一部は小沢派を民主党の「サハッ」だとか言っていたが、今では「左派」を僭称するのは止めて、「酷使様」を思わせる国粋主義的なアピールに特化するようになった。

「山崎康彦」とやらのTwitterは、なにか城内実の支持者を思わせる物言いだが、小沢信者の間で城内実の人気が異様に高かったことを納得させてくれる。しかし時の流れは残酷で、その城内実は「自民党復党」で同党本部と基本的に合意したというニュースが既に流れている。これについて、かつて城内実応援団の旗振り役だった『喜八ログ』をはじめ、同ブログにメダカの群れのように付き従った連中は黙して何も語らない。そして、小沢信者の「ネトウヨ化」はますますその度を強めていっている。

原発問題にしても、かつては「菅こそ原発推進派、小沢は『隠れ脱原発』派だ」と言っていたのが、今では「小沢も菅と同じ程度には脱原発派だ」としかいえないのだから開いた口が塞がらない。そのうち、海江田万里だか馬淵澄夫だか知らないが、前原誠司程度の消極的な「脱原発」さえ打ち出せない政治家を小沢一郎が民主党代表選で担いだら、その候補を天まで届かんばかりに持ち上げるのだろう。かつて植草一秀が民主党きっての新自由主義者である樽床伸二を絶賛したように。

ついつい小沢信者の末期症状を嘲笑する文章が長くなってしまったが、以上は長い長い前振りで、実は今日一番紹介したかったのは、南相馬市が「電源三法交付金」の受け取りを辞退するというニュースだった。朝日新聞(東京本社発行最終版)では5面のトップに、かなり大きな見出しで報じられている。asahi.comにも出ている(下記URL)。
http://www.asahi.com/national/update/0803/TKY201108030706.html

南相馬市、新原発の交付金辞退へ 住民の安全を優先

 東北電力の原発新規立地計画がある福島県南相馬市は、この計画に関連する「電源三法交付金」の受け取りを、今年度から辞退する方針を固めた。原発の見返りに自治体財政を潤してきた交付金だが、東京電力福島第一原発の事故で、自治体の判断にも変化が生じている。交付金よりも住民の安全を優先させた被災自治体の判断は、全国に広がる可能性がある。

 電源三法交付金は、発電所の立地計画や建設が進む自治体に配分される。南相馬市が辞退するのは、この交付金の一つで、建設計画のある自治体に交付される「電源立地等初期対策交付金」。東北電の計画では、同市と浪江町の境で、浪江・小高原発の2021年度運転開始をめざしている。南相馬市は1986年度から、交付金を受けている。昨年度は約5千万円で、これまでの累計は約5億円にのぼる。

 交付金の対象自治体は例年5月と10月に、国に交付申請する。南相馬市は、東日本大震災の影響で5月分を申請していないが、10月も申請しない方針だ。

 桜井勝延市長は、朝日新聞の取材に「今回の原発事故を受け、将来的にも住民を脅かす原発を認めない。交付金を申請しないことで、新規立地に反対する市の立場を明確にできる」と説明している。

(asahi.com 2011年8月4日3時1分)


これは大英断だ。南相馬市は、東北電力の新規原発なんて要らないよ、だから「シャブ」もとい「電源三法交付金」なんて要らないよと言っているのだ。まさしく、

いる? 電源三法
きる! 電源三法

の後段、「きる(切る、kill)! 電源三法」を実践しようとしているのである。

asahi.comに掲載された記事はここまでだが、朝日新聞本体の紙面には、南相馬市は現在も東電の福島第一原発関連で、近隣自治体として年5500万円の交付を受けているが、この東電分の辞退も今後検討すると書かれている。今年度の南相馬市の一般会計当初予算は277億円なので、東電分の交付金を辞退する影響は小さいとのことだ。

さらに、朝日新聞本紙には「危険の代償 脱却目指す」と題した小森敦司記者の解説が載っていて、電源三法交付金は原発という迷惑施設を引き受けてもらう「アメ玉」であること、地方は交付金による経済効果を期待して原発を受け入れたが、現実には地方経済の自立を促しておらず、ハコモノばかりを造っては財政規模が膨らむことなどを指摘された上で、下記のように書かれている。

 運転開始後は、交付金の額や原発の固定資産税が次第に減る。歳出を維持するには、新たな原発が欲しくなる。交付金には「麻薬」のような作用がある。南相馬市の判断は、そうした構造を断ち切るものだ。

 交付金の原資は、電気料金に電源開発促進税を上乗せして集められてきた。政府資料によれば、東電管内の標準家庭で月の電気代約6222円のうち、約108円が電促税分だ。

 交付金は、自然エネルギーの普及にも使われるが、大半が原発関連だ。電促税は電気料金の明細書には示されず、消費者は知らない間に原発促進のための資金を出していたことになる。

 交付金は「危険の代償」ともいえる。その代償があまりにも高くつくことが、今回の事故ではっきりした。地方が原発異存からの脱却を目指すとき、国はどう支援するのか。原発を通じた都会と地方との関係を、どう変えるのか。エネルギー政策の見直しには、そうした視点も欠かせない。

(朝日新聞 2011年8月4日付5面掲載 小森敦司記者署名記事より)


私は、「電源三法」を廃止し、その代わりに違った形で地方の「脱原発」、自然エネルギー推進などを支援するしかないのではないかと思う。最後にスローガンをもう一度掲げよう。

いる? 電源三法
きる! 電源三法

原子力安全・保安院が、小泉純一郎政権から安倍晋三政権当時にかけての2006年と07年に、中部電力と四国電力で行われた経産省主催のシンポジウムで、電力会社の社員らに、プルサーマル計画に賛成する内容の「やらせ」の質問をさせるよう電力会社に要請していたことが報じられた。

私は正直言って、そんなことは保安院だったらほとんどすべてのこの手の催し物で手を回していたのは当たり前であって、むしろ一度でもガチンコでやったことがあったなら、その方がよほどニュースバリューがあるんじゃないかと思った。小泉政権とやらせといえば、即座に同政権が頻繁に開いた「タウンミーティング」におけるやらせの件が思い出させる。特に「郵政総選挙」で自民党が圧勝した2005年以降、強烈な原発推進政策をとった小泉・安倍政権時代には、プルサーマル計画に関するシンポジウムでも「やらせ」が行われなかったことなど、まず考えられない。

だが、このように斜に構えて「何当たり前のこと騒いでるんだ」と思ってしまうのが、おそらく私の悪い癖なのだろう。世間の人はもっと忘れっぽい。ブログで不特定多数の人に訴える場合は、己の感覚と多数の世の人たちの感覚が同じだと思ってはならないことは、ブログ開設以来の5年間にいやというほど思い知った。だから、内心食傷気味ながら、中部電と四電の「やらせ」シンポジウム、しかもやらせの張本人が原子力安全・保安院(「不安院」と揶揄されることが多い)であることが明らかになった事実を、ここに書き留めておく。

この一件で、保安院を経産省から分離する必要があるとの声が、政府・与党の政治家の間で強まっている。ここでポイントになるのが、これらの「やらせ」が小泉・安倍政権時代に行われたことだ。つまり、これまでなかなか「前政権の自民党が原発を推進したせいだ」と言えなかった民主党が、ようやくこのことで自民党を攻撃するきっかけをつかんだのだ。

鼻で笑ってしまうのは、自民党の反応だ。読売新聞時事通信といった、「保守系」とされるメディアが、自民党国対委員長・逢沢一郎らの発言を「歯切れ悪く」と報じている。以下、時事通信の記事から引用する。

保安院解体求める声=自民は歯切れ悪く-電力やらせ問題

 経済産業省原子力安全・保安院が、原発推進に肯定的な発言をシンポジウム参加者にしてもらうよう中部電力などに指示していた問題は29日、政界に波紋を広げた。自民党は政権与党当時の不祥事発覚に困惑しており、幹部らは記者会見などで歯切れの悪い受け答えに終始。与野党で原子力行政の見直し論議が勢いづくのは確実で、国会での攻防にも影響を与えそうだ。
 自民党の逢沢一郎国対委員長は同日の会見で、「やらせ」指示について「今初めて耳にする。事実であるとすれば大変遺憾なことだ」と述べるにとどめた。小池百合子総務会長は会見で記者団から質問を受けたものの、「確認してからということで答えとさせていただく」と、コメントを避けた。(以下略)

(時事通信 2011/07/29 19:35)


「今初めて耳にする」とは、なんと白々しい言葉だろうか。脱力してしまう。一昨年の総選挙で幸福実現党とコラボして話題になった "ecoyuri" こと小池百合子のコメントも、この女の「化けの皮」をはがすのに十分なものだ。もっとも、幸福実現党と選挙で「共闘」したトンデモ陰謀論者でもある小池のごとき化け猫に総務会長をまかせていること一つとっても、自民党は「終わった」政党だといえる。さらに、一連の報道からはっきり読み取れるのは、自民党の政治家たちが保安院の経産省からの分離をひどくいやがっていることである。

さらに、保安院ばかりではなく、先日のNHKスペシャルで「苦悩する原発立地自治体の首長」として同情的に紹介されていた佐賀県知事・古川康が九電の「やらせメール」事件を誘発していた悪行も明るみに出た。以下asahi.comの記事から引用する。

佐賀知事やらせ誘発 「発言軽率だったが依頼ではない」

 九州電力の「やらせメール」問題で、佐賀県の古川康知事は30日、記者会見を開き、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開を巡る国の説明番組放送前に、九電副社長らに「この機会に再開容認の声を出すべきだ」と促していたことを明らかにした。この問題を調査している九電の第三者委員会は同日、知事の発言が結果的にやらせメールを引き起こしたとの見解を発表した。

 古川知事によると、番組放送5日前の6月21日朝、段上守副社長(当時)が退任あいさつのため知事公舎を訪問し、諸岡雅俊・原子力発電本部長(同)と大坪潔晴・佐賀支社長も同席した。その場で知事は「運転再開の議論を深めるには賛成、反対双方の幅広い意見を寄せてもらうことが必要。自分の所に来るのは反対意見ばかりだが、電力の安定供給の面から再開を容認する意見を出すことも必要だ」と話したという。

 ただ、会見では「やらせメールを依頼したことは全くない」「九電として何かをやってほしいという意味ではなかった」などと述べ、具体的に番組への賛成メールを増やすようなことは求めていないとした。

 九電の調査報告書によると、(知事と会談した)幹部3人は直後に番組について協議し、賛成の投稿を増やす必要があるとの認識を共有。大坪支社長から対応を指示された佐賀支社の3部長が賛成メールを投稿するよう支社の取引先26社に働きかけることを決めた。

 30日夜に福岡市で記者会見した第三者委の郷原信郎委員長(名城大教授、弁護士)によると、大坪支社長が作成した古川知事との会談メモには、知事の発言として「インターネットを通じて、賛成意見も集まるようにしてほしい」と記録されていた。メモの内容は社内の複数の関係者にメールで配信されたという。

 郷原委員長は「知事の発言は結果的に、やらせメールの引き金になった」と述べた。ただ、メモの発言内容は古川知事自身の説明と食い違い、番組へのメール投稿を、より明確に求めた表現になっている。この点について第三者委は今後、事実確認を進める方針。

 古川知事は会見で「当事者である九電に『声を出すべきだ』と発言したのは軽率で、反省している。私が言ったから(やらせメールが)行われたとは考えていない。第三者委による事実関係の解明を待ちたい」と述べた。

 7月6日に、やらせメールが発覚した際には、古川知事は「原発の運転再開に理解を、という思いからだと思うが、行き過ぎだ」などと話していた。

(asahi.com 2011年7月30日23時44分)


古川康とは、なんと呆れたペテン師なのだろうか。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

この古川康は、父親が元九州電力社員で、それもよりによって玄海原子力発電所のPR館の館長を務めていた。古川康自身は中学生時代まで佐賀県で過ごしたあと、鹿児島のラ・サール高校に入学、東大法学部を卒業して1982年に自治省に入省し、2003年から佐賀県知事を務めて現在3期目。もちろん自民党系の知事だ。経歴からも、佐賀の「土豪政治家」といえる。土豪の御曹司が40代になって里帰りし、地元の知事になったのだ。こんな人間だから、平然と九州電力に「やらせ」を促す。この件では、九州電力も悪いけれども、経産省やその配下にある保安院、それに官僚あがりの「土豪首長」である古川康らが、一大「癒着」の構造を形成していたことは明らかだ。

一方の政府・民主党だが、党内に多数の原発推進勢力を抱えていることは周知の通り。少し前まで私は「ポスト菅」も「脱原発」を打ち出さざるを得ないと見ていたが、その観測は楽観的に過ぎたと反省している。実際に名前の挙がっている前原誠司、馬淵澄夫、野田佳彦らの主張を聞いていると、彼らはいずれも菅直人程度の「脱原発」さえ打ち出せない。いずれも民主党右派にあたるこの3人の中では、改憲派にして新自由主義者だとして評判の悪い前原誠司が「脱原発」度では他の2人よりまだまし、多少は前向きといえるほどだ。

昨日のNHKテレビ『日曜討論』では、原発推進派だとばかり思っていた玄葉光一郎が、来年夏の原発全基停止を視野に入れた発言をしていて驚かされたが、これには玄葉が福島県選出の議員だという特殊事情がある。福島では、自民党県連でさえ「脱原発」を打ち出さざるを得ないほど、県民感情が「反原発」で固まっている。東電原発事故で大きな被害を被ったわけだから当然のことだろう。だが、昨日の玄葉の発言や、先週までの間に『報ステ』で見た前原誠司と馬淵澄夫の発言を比較してみると、実質的に「ベストミックス」論に立つ馬淵澄夫や、旧態依然の原発政策維持を唱える野田佳彦らしか対抗勢力がないのであれば、早くも「自然エネルギー利権」に注目している(肯定的な表現をすれば「産業構造の変革を目指している」)ように見える前原誠司や玄葉光一郎の方がまだしも、今後の民主党をリードしていく可能性があるのではないかとふと思った。

もちろん、前原誠司も玄葉光一郎も、「松下政経塾」出身の新自由主義政治家であり、私は全く支持しないが、菅直人を除けば民主党内で原発へのこだわりが比較的少ないのは前原らであるように思われる(玄葉は無派閥とのことだが、前原との親和性が強いように私には思われる)。

野田佳彦や、野田派から分かれた馬淵澄夫は、前原らよりもっと復古的な右派であり、原発への執着は前原らより強いように思う。また、鳩山派は多くの旧民社系議員を抱えており、鳩山自身も原発推進派だ。涙を流して同情を買おうとするあのゲス男・海江田万里も鳩山派である。小沢一郎も、連合を手中にしているといわれるものの、その連合が足かせになる弱みがある。連合全体としては原発推進論を凍結したとのことだが、電力総連は相変わらずの原発推進勢力だ。そして、関西電力労組出身で原発擁護発言を繰り返している藤原正司は、昨年の民主党代表選で小沢一郎に投票し、小沢への支持拡大を呼びかけた人間である。

こう考えていくと、小沢信者が妄想するような「小沢派=脱原発、反小沢派=原発推進派」などという単純な図式には収まりそうにもない。「七奉行」の筆頭格である仙谷由人は原発推進派だが、玄葉や前原が「自然エネルギー利権」と言って悪ければ、自然エネルギー推進による産業構造の変革に目を向けている点は、「ポスト菅」の政権がいかなる政策をとるかを暗示しているといえるかもしれない。

残念なのは、民主党には「リベラル」といえる有力政治家がほとんどいないように思われることだ。自民党の「脱原発」政治家である河野太郎も新自由主義者だが、本当に市場原理を重視する政治家なら自然エネルギーに目をつけることはわかる。しかし、自然エネルギー推進は社民的立場とも矛盾しないはずだ。現に社民党はそういう主張をしている。それなのに、民主党リベラル派から力強い「脱原発」の主張で頭角を現す政治家が出てくる気配がいっこうにないのは残念だ。そもそも、「民主党リベラル派」に相当する政治家の名前さえ出てこない。だから「民主党左派なんてそもそも初めから存在しないのではないか」という疑念が頭をもたげる。小沢信者が好む、あらゆる増税(所得税や法人税も含む)に反対する「ティーパーティー」的な政治家は「リベラル」の対極にある存在だと私はみなしている。馬淵澄夫にはそういう傾向が感じられるので、強く警戒している次第だ。

結局、誰が「ポスト菅」の総理大臣になろうが日本の政治が良くなることは期待できないのが現状であって、そのことがまた閉塞感を強める。たとえば、仮に前原誠司や玄葉光一郎らが中心となる政権が成立するとして、彼らが自然エネルギーを推進し、「脱原発」政策をとったところで、それと格差や貧困の問題はまた別であり、その方面では彼らには何の期待もできない。同じことは河野太郎や「みんなの党」についてもいえる。

だからといって、小沢派の支持が得られるような政権ができ、「増税なき復興計画」とやらの「実験」を行ったとして、本当にうまく行くのか? 「復興のための消費税増税」には私も反対だが、あの経団連でさえ震災直後に政府に申し入れていた法人税の一時的増税(もちろん昨年菅政権が決断した法人税減税は凍結)による復興財源捻出の案まで、一部の学者や政治家から批判を浴びてなかなか前に進まない状態は異常ではないか? エネルギー政策では「原発」を選択肢に入れる「ベストミックス」論は認められないと私は思うが、復興や景気の回復、格差や貧困の解消のためには、増税を含む政策の「ベストミックス」が必要なのではないのか? 少なくとも再分配効果のある所得税や法人税の課税強化でさえ「日本版ティーパーティー」に相当する人たちが否定しているのは筋が通らない話だ。

これまで、私は「鼻をつまんで菅直人支持」という意見には否定的だったが、それも考え直さなければならないと思っている。菅直人にはイライラさせられ通しなのだが、それでも少なくともこの1か月は「鼻をつまんで菅直人容認」で行かざるを得ないのではないか。遅かれ早かれ民主党代表選は行われるのだろうが、次期総理大臣選びに直結するこのイベントのあと、国政の混乱がさらに深まることは避けられないと思うのである。