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きまぐれな日々

しばらく東電原発事故の問題にかまけている間に、アメリカやヨーロッパの政治経済の状況が悪化しており、為替レートがまた円高に振れている。特に最近ニュースをにぎわせるのはアメリカの財政赤字の問題であって、27日付の朝日新聞6面(東京本社発行最終版)に、アメリカの財政赤字問題で、共和党内で力を増す「ティーパーティー」が、財政赤字の削減幅や債務上限の引き上げ幅に関して強硬な主張を行って、共和党と与党・民主党との折り合いがつかない原因を作っているとの記事が出ていた。茶会とは、朝日の記事の表現を借りれば、巨額の財政赤字や増税に強い危機感を抱き、「大きな政府」による市民社会への介入を極端に嫌う人々の集まりのことである。

「茶会」と聞けば反応しないわけにはいかない。アメリカで「茶会」の躍進が伝えられたのは昨年。日本でも、河村たかしが名古屋で地域政党「減税日本」を立ち上げ、副島隆彦や中田安彦(「アルルの男・ヒロシ」と自称する、ネットでは有名な反米系陰謀論者)が河村を「日本版ティーパーティー」の旗手として持ち上げ、民主党の小沢一郎一派が河村の名古屋市議会リコール運動を援助したのだった。

そんな風潮に危機感を抱いて立ち上げたのが「鍋パーティー」。リンクを張ったブログを立ち上げたのは今年1月だが、その少し前の昨年11月4日にmixiのコミュを開設した。この日が「鍋パーティー」の創立記念日だ。

東日本大震災の直前、名古屋市議会のリコールを受けた市議会選挙を控えて、なんとか「鍋パーティー」の運動を離陸させようと躍起になっていたものだが、3月11日の東日本大震災と、同日発生した東電原発事故の影響で、「鍋パーティー」が当面のターゲットにしていた河村たかし一派も大ダメージを受けて、4月の統一地方選では大阪の橋下徹一派(「大阪維新の会」)は大躍進したのに河村一派は伸び悩んだ。

ターゲットとしていた河村たかし一派の凋落に加えて、私は東電原発事故発生と同時に「脱原発」の主張や「原発推進勢力」への批判の記事を大量に書くようになって、「鍋パーティー」にかかわる度合いは大きく減少した。

しかし、私が「鍋パーティー」に飽きたとか、忘れたなどというわけでは全くない。ただ、人間の時間には限りがあって、自由時間の半分以上を、当ブログや『kojitakenの日記』に割いている私でも、「鍋パーティー」にまではなかなか手が回らなかったのだ。

そうこうしているうちに、アメリカがまた怪しくなって、ティーパーティーが突っ張るせいで米国債が債務不履行に陥りかねないとまで報じられるようになった。仮にそんなことになったら日本もただではすまないのは当然だ。

ところで、なぜ今日の記事でティーパーティーに言及するかというと、昨日さる有料の有名ブログ(公開直後のみ無料)を読んでいたら、

茶会に共感を寄せている中の少なくない部分が、実は3年前にオバマのChangeに熱く期待した者たちだ

と指摘されていて、これは当を得た分析だと思ったからだ。このブログは有料部分の引用を禁じているのだが、この一節は無料部分であるコメント欄に投稿されたコメントに引用されており、そのコメントは承認され、表示されているものなので、ここで引用してもかまわないだろう。

なぜこれが当を得た指摘だと思ったかというと、日本でも河村たかしの「減税日本」に共感を寄せている中の少なくない部分が、実は一昨年の鳩山由紀夫と小沢一郎の「政権交代」に熱く期待した者たちだからだ。しかも、日本においてはオバマの "Change" とティーパーティーの「減税真理教」の担い手が同一の政治勢力(民主党小沢派)であることが特異的だ。私は、さる知人から「小沢一郎というのは何でもかんでも取り込む人だ」との小沢評を聞いたことがある。だから、90年代には「規制緩和」と「小さな政府」を、2000年代半ばには社民主義的な政策を、10年代になると再び「小さな政府」指向の「減税」を取り入れた。その小沢一郎が「脱原発」の取り込みにはあまり熱心でないことには、むしろ奇異の念を抱くくらいだ。

そして、そんなカメレオンのような小沢一郎に根強い支持があるのも、現在の日本の「閉塞状況」があればこそだと強く感じる。前回のエントリにいただいた杉山真大さんのコメントは、そんな状況を的確に表現している。

何と言うのか、批判精神も責任感も無しに参加民主主義に突っ走った挙句の果て、って気がしますよね。自分の「民意」が実現されるエクスタシーに酔って、目先の政局で「裸踊り」しているとしか思えません。

「私たち一人一人が『脱原発』をなしとげるんだ」とは言っても、結局その意思を反映させるシステムが機能不全に陥っている訳で、そうなると(デモなどで声を挙げるにしても)「批判的な観客」であることでしか政策実現できないてのも何か寂しい気もします。

2011.07.25 10:32 杉山真大


「民意を反映させるシステムが機能不全に陥っている」というのは本当にその通りで、底なし沼のような原発災害の深刻さに慄然とした国民が、その7割とも8割ともいわれる人々が「脱原発」、もしくは消極的にでも「減原発」を求めているのに、議会で大部分を占める二大政党には原発推進派や原発維持派ばかりが大量にいる。菅政権は「減原発」へ工程表を作る、などと今朝(7/29)の朝日新聞一面が報じているが、2050年頃までの工程表などと書いていて、そんな頃には現在稼働中の原発が一基残らず耐用年数を迎えるではないか、政権はまだ原発を新規に建設するつもりなのかとうんざりしてしまう。しかも、その案に基づいて年末までに閣議決定することを目指すというのだが、その時の総理大臣はむろん菅直人ではあるまい。民主党代表選に名乗りをあげた馬淵澄夫も、「脱原発」を標榜していながらも、菅首相が口にした「原発がなくてもやっていける」方向性はとらない、原発を選択肢として残すなどと言っているし、以前から代表選に出馬すると見られ、仙谷由人一派も支援しているらしい野田佳彦に至っては、もっと積極的な「原発維持派」だ。これでは、民主党政権のエネルギー政策が今後どうなるか、少なくとも明るい展望は全く持てない。さりとて、野党第一党の自民党に至っては、これはもうゴリゴリの原発推進勢力だ。河野太郎は、そんな自民党に所属し続ける自身をどう思っているのか、それに関しては全く何の意思表示もしない。

こんな状況だから、誰か力の強い者に頼る傾向が強くなる。「原発を否定するわけではないが、原発は過渡的エネルギー源に過ぎない」としか言っていない小沢一郎に異常なまでの期待をかけるのもその表れだろう。「力の強い者に頼る」というのは、自分の願望を実現するためのもっとも短絡的な道の選択だ。「知識のありそうな者に頼る」というのも同じことである。私が思い出すのは、「小沢信者村」と縁を切ろうとしていた頃に、さる小沢信者の有力ブロガーから言われたことだ。ブロガー氏いわく、あなたは自分でもわかってもいないことを難しく書こうとする。植草さんはそうじゃない。私たちにもわかりやすく記事を書いてくださる。

私は、そういう態度こそ私が一貫して批判してきたものなんだけどなあ、と思いながら反論せず、ただ「小沢信者村」と化した「自End村」と訣別しただけだった。私はずっと以前から「わかりやすさの落とし穴」を指摘して、これを批判してきた。その当時はターゲットは小泉純一郎やその支持者たちに向けていたのだが、当時小泉純一郎や安倍晋三を批判していた同じ人間が、小泉信者や安倍信者(そんな人間がいるのかどうかは知らないが)と同じ思考パターンで小沢一郎や植草一秀を崇め奉るのを見て、「ダメだこりゃ」と思った次第だ。

小沢一郎にはまだ「鵺」的性質がある。河村たかしは、所詮その「鵺」と運命をともにする小物政治家でしなかった。今後の政治においてもっとも警戒すべき「敵」は橋下徹だ。「鍋パーティー」以上にお留守にしてしまっている橋下徹批判だが、今後は「鍋パーティー」に戦線復帰するとともに、以前橋下を批判していた頃にもまして橋下を厳しく批判していなければならないと思う今日この頃だ。
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「地デジ移行狂騒曲」が不快な週末だったが、バカげたニュースばかりの政治のニュースの中でも、経産大臣・海江田万里のアホバカ発言が際立っていた。

まず、東電原発事故で線量計をつけずに復旧作業に当たった作業員を「日本人の誇り」と絶賛した件。以下asahi.comの記事より引用する。

「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛

 海江田万里経済産業相は23日のテレビ東京の番組で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業に関連し、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。

 番組終了後、記者団に対し、線量計なしで作業した日時は確かでないとしたうえで、「勇気のある人たちという話として聞いた。今はそんなことやっていない。決して勧められることではない」と語った。

 労働安全衛生法では、原発で働く作業員らの健康管理に関連し、緊急作業時に作業員は被曝(ひばく)線量の測定装置を身につけて線量を計るよう義務づけられている。作業員らが被曝線量の測定装置をつけずに作業をしていたのなら、法違反にあたる。厚生労働省は、多くの作業員に線量計を持たせずに作業をさせたとして5月30日付で東電に対し、労働安全衛生法違反だとして是正勧告している。

(asahi.com 2011年7月24日0時15分)


これはいかなる文脈から切り取られた発言であろうが言語道断だろう。

また、同じテレビ番組での発言と思われるが、海江田はトルコへの原発輸出にも前向きな姿勢を見せた。こちらは毎日新聞記事より。


海江田経産相:原発輸出交渉 トルコに経産職員派遣へ

 海江田万里経済産業相は23日、テレビ東京の番組に出演し、原発プラントの受注に向けて交渉中のトルコに、近く経産省職員を派遣し、日本の原子力技術の安全性などについて説明することを明らかにした。菅直人首相は「脱原発依存」を打ち出したが、海江田経産相は原発輸出に力を入れる姿勢を改めて明確にした。

 海江田経産相は番組で、トルコや既に受注が決まったベトナムが、東京電力福島第1原発事故後も日本の原子力技術に期待しているとの認識を示し、「トルコに行って実際の技術をしっかり話して来てくださいと(指示した)」と述べた。

 原発輸出については、21日の参院予算委員会で、菅首相が「議論したい」との答弁を繰り返す一方、海江田経産相はベトナムやトルコに「特派でも派遣して説明する必要がある」と交渉を続ける姿勢を示していた。【和田憲二】

毎日新聞 2011年7月23日 19時06分(最終更新 7月23日 22時56分)


私は読売新聞はほとんど読まないので知らないが、先日の玄海原発再稼働の件で菅直人に「梯子を外された」海江田万里は、読売新聞や田原総一朗らの報道操作によって、国民の間に一定の同情を呼び起こしたらしい。図に乗った海江田は、掌に「忍」と書いて、そ掌を外に向けて手を高々と掲げる幼稚なパフォーマンスを行っていた。

図に乗った海江田の暴走はまだまだ止まらない。「経産省に情報開示を要請した菅首相に不快感を示した」とも報じられた。以下毎日新聞記事より。

菅首相:経産省に情報開示を要請 海江田氏、不快感

 菅直人首相が経済産業省に対し、電力需給などに関する情報を適切に開示するよう文書で求めていたことが23日、明らかになった。海江田万里経産相は同日、東京都内で記者団に「なんでそういう文書になっているのかよく分からない」と述べ、不快感を示した。

 文書は東京電力福島第1原発事故以降、電力需給が逼迫(ひっぱく)する中、経産省が提出してきた資料について、水力発電や自家発電の設備容量などをより詳細に示すよう求める内容で、首相の指示を受けて、国家戦略室が作成したものだ。首相が個別省庁に文書で指示するのは異例。同省の姿勢を問題視したもので、菅首相の不信感が表れたものと言えそうだ。

 海江田経産相は、「全部、資料を持って行って(菅首相への説明を)やってきた」と反論した上で、「(求められているのは)特に(自家発電などの)『埋蔵電力』のところなので、その資料を持ってしっかり菅首相と話してきたい」と、追加説明に応じる姿勢を示した。【和田憲二】

毎日新聞 2011年7月23日 東京夕刊


ここまでくると、もう菅内閣を崩壊させるための「自爆テロ」としか言いようがないだろう。同じく閣内で原発推進発言を繰り返す与謝野馨ともども、菅内閣の原発推進勢力の急先鋒が大爆発している形だ。

本来なら与謝野馨・海江田万里という「日本の恥・東京1区コンビ」は閣僚罷免相当だと思うが、菅直人もここ数代の内閣総理大臣同様閣僚の首切りには消極的だ。そして、与謝野や海江田を罷免せず、内閣支持率が下がるにまかせている菅直人を見ていると、いよいよ辞任の時期を明示するタイミングは近づいているなと感じる。一頃言われた「原発解散」はもはや全くあり得ない状況となった。民主党には「脱原発」派などほとんどおらず、今から大量の候補者をかき集めることは不可能だ。

政界がこんな状態に陥っているせいか、このところ「脱原発」側の言論も盛り上がらないと感じる。もはや「鼻をつまんで菅首相を支持する」程度では「脱原発」への道は開けない。共同通信の世論調査では、菅首相が打ち出した「脱原発」の方針への支持は70%(「賛成」31.6%、「どちらかといえば賛成」38.7%)に達しているが、菅内閣の支持率は17%と過去最低を記録した。そりゃそうだ。閣僚が次々と原発推進発言を行う内閣なんて支持できるはずがない。

思うのだが、民主党から「原発推進派」という垢を落とそうとして身体を洗い続けると、どんなに洗っても洗っても垢が次々と落ちていき、しまいには身体を洗っていた人は消え失せて垢の山だけが残るのではないか。つまり民主党全体が原発推進勢力で成り立っているのではないのか。

この期に及んで「小鳩派に政権を渡せ」と叫ぶ小沢信者も少なくないが、海江田万里が鳩山派の政治家であることを忘れてはならない。しかも、何度も書くけれども先の内閣不信任案騒ぎの際、小沢一郎と鳩山由紀夫は自民党の長老たちという札付きの原発推進勢力と手を結ぼうとした。あの時不信任案が可決されて、小鳩派と自公の連立政権が成立したなら、いとも簡単に玄海原発の最下位が認められたであろうことは火を見るより明らかだ。

小沢一郎事務所は、震災直後に予定されていながら延期していた政治資金集めパーティー(「小沢一郎政経フォーラム」)を8月に開催することにした。会費2万円也のこのパーティーで講師を務めるのは、少し前に「福島原発はアブナくない」と主張して鳩山派では珍しい脱原発派議員の川内博史と口論を繰り広げた副島隆彦だ。陰謀論者にしてレイシストとしても知られる副島のごとき人間を「講師」に招くこと一つとっても、小沢一郎の正体はあまりにも明らかだ。

「脱原発」を求める者は、菅直人も小沢一郎も頼ってはならない。私たち一人一人が「脱原発」をなしとげるんだ、という強い意志を持たない限り、「脱原発」が現実のものとなる日は到来しない。
5月の浜岡原発停止と今月の玄海原発再稼働中止で盛り上がった「脱原発」の機運も、空気を読もうとして「脱原発」を口にする人間が急増したこともあって争点がぼけてきた。

玄海原発の再稼働中止の影響は大きく、真っ先に原発を再稼働させるハードルは上がった。この先、東京電力が供給する電力が不足する事態はまず考えられないが、原発推進勢力は、原発依存度の高く、かつ近畿地方以外では保守が強い西日本から巻き返しを図っていくのだろうか。

政局だが、当初陰謀論の匂いが強いと思っていた「菅降ろしに原発の影」の話は、それを否定する材料が全然現れないどころか、仙谷由人一派や岡田克也らが「菅降ろし」に加担するようになり、しかも連中が揃いも揃って原発推進勢力だったため、ますますその確からしさが強まった。

菅直人の命脈は、ほぼ尽きつつあるように思われる。海江田万里との確執については、あまりに経産官僚の言いなりの海江田万里の主張は論外だとは思うけれども、最初に海江田が原発再稼働を言い出した時に菅直人がストップをかけなかった「初動の遅れ」が最終的に菅直人の命取りになったのではないか。もちろん、もっと問題だったのは先月の不信任案提出劇で菅直人が鳩山由紀夫と取り引きしたことだったけれど。

菅直人は、最初、海江田と同じ意見だと口にした。だが、後日になって玄海原発再稼働をひっくり返した。そのタイミングで九電の「やらせメール」問題を共産党が国会で取り上げ、玄海原発から再稼働が始まる原発推進勢力のもくろみは潰えた。

実は、海江田と経産省は菅直人に相談せずにことを進めたという話があとから出てきたが、世間の同情は菅直人に「梯子を外されて」目を赤くした海江田万里に集まり、菅内閣の支持率はさらに下がった。

菅直人は、8月6日に広島で「脱原発」のスピーチをして、その反応を見て場合によっては「原発解散」に踏み切るとの見通しが少し前まで語られていたが、もはや菅直人が何を言おうが内閣支持率が上がる状況ではない。終戦記念日後には菅直人は退陣時期を明言し、8月末(9月にずれ込むとの観測もある)には民主党代表選が行われ、9月には新内閣が発足すると思われる。「原発解散」はもはやあり得ない。

このところ日本では、9月に総理大臣が代わるのが恒例になっている。鳩山由紀夫だけはもっと早く潰れたが、菅直人の「粘り腰」で「9月の総理交代」に戻るのだろう。次の内閣も、発足当初はそこそこの支持率を得て、冬には失速し、春には「降ろし」の強風が吹き、来年9月にはまた総理大臣が代わるだろう。

ちょっと前まで、私は民主党の代表選が行われたら、「脱原発」を強く訴える候補が勝ち、次期総理大臣に就任するだろうと思っていたが、最近その考えを改めた。民主党の政治家で、他の政治家より「脱原発」を多少は前面に押し出しそうなのは、馬淵澄夫か細野豪志あたりだろうが、その彼らにしても、人気とりのためとはいえ、浜岡原発停止や玄海原発再稼働阻止を実行した菅直人ほどにも実行力はないだろう。そして、前原誠司は「脱原発」の争点化を阻止すべく(そう私は前原の意図を推測する)、一昨日の『報道ステーション』で「20年メドに脱原発」と口にした。その前原は、しばらく前には菅直人の「脱原発」は「ポピュリズム」だと批判していた。

それでは小沢派は「脱原発」候補を押し立てるのかというと、そんなことにもなるまい。当初、民主党執行部が早々と菅直人を降ろすとマスコミがミスリードしていた頃、小沢派が「増税を封印する」という条件と引き換えに野田佳彦を推すという観測が流れたことがあった。小沢派にとっては「増税阻止」が第一義で、原発問題は二の次ということらしいなと私は思った。

震災前、小沢派は名古屋の河村たかしを強く推し、当ブログはそれをずっと批判してきた。小沢一郎は今でも基本的に「小さな政府」論者なのである。2009年に民主党が掲げたマニフェストは「小さな政府」とは矛盾するのだが、おそらく小沢一郎には「秘策」があるのだろう。それは、「三人寄れば文殊の知恵」といった類のものに違いない。そういえば、菅直人も小沢一郎も「もんじゅ」の廃炉は全然言い出さないなと思っていたら、「みんなの党」に先を越された。このあたりが菅や小沢のKYなところだ。菅直人は、国会で「みんなの党」の江田憲司の質問に対して、やっとこさもんじゅの廃炉を含めた「議論を始めたい」などと答弁したらしいが、腰が重過ぎる。

最近では当ブログは「鍋パーティー」的話題を取り上げていないが、復興財源に所得税と法人税の一部増税を充てるという話がようやく出てきたことについては、私は当然の方向性だと考えている。この議論は震災直後からあり、東西ドイツ統一の際の「連帯税」に範をとるものだったはずだ。ところが、それを所得税や法人税ではなく、逆進性の強い消費税で賄おうとしていたのが与謝野馨で、その一方で「いかなる増税にも反対」とか「税金は罰金だ」などと唱えていたのが、東日本大震災前には飛ぶ鳥を落とす勢いだった河村たかし一派であり、それを支援してきたのが小沢一派だった。財政再建原理主義勢力と減税真理教勢力が不毛の論戦を行って結局何も進まない、税をめぐる議論は最悪だ。震災後、河村一派が支持を失い、与謝野馨も度重なる原発擁護発言などで閣内にも味方を失いつつあるのは良い傾向だ。おそらく、次の内閣に与謝野は入閣しないだろうし、入閣させてはならない。そして、次の総選挙では与謝野馨は絶対に落選させなければならない。与謝野を政界引退に追い込まなければならない。

ついつい「My大天敵」である与謝野馨や河村たかしへの批判のボルテージが上がってしまったが、小沢一派の話に戻ると、彼らに「脱原発の旗手」を期待するのは、それこそないものねだりだと私は考えている。小沢派で「脱原発」論者というと、タカ派で有名な森ゆうこか、軽挙妄動が目につく川内博史あたりだろうが、ともに「ポスト菅」ではあるまい。特に、川内博史は総理大臣はもちろん「政治家の器」ですらないと私は考えている。この男は、そのうち「トンデモ」とでもつるんでしまいそうな気がする。そう、あの浜田和幸のように。

こうして考えると、結局仙谷一派とも小沢一派とも適当に妥協できる無難な人物がとりあえず菅直人の後継の総理大臣になって、重厚長大産業が牛耳る経団連や、天下りのポストなどを手放したくない経産官僚にとってはより「御しやすい」内閣が発足するという以外の展望は持ち得ない。結局野田佳彦あたりが総理大臣になってしまうのではないか。想像したくないけれど。

この期に及んで「小沢さんなら何とかしてくれそう」と思っている「小沢信者」は多少は残っているとは思われるものの、その数は激減してきたようだ。ブログでも小沢信者の絶叫の声は次第に小さくなり、そんな中で橋下徹の地元近くから若干の毒電波が引き続き飛んできてはいるものの、それらのブログが発信する意見はほとんど相手にされなくなってきている。

「脱原発」は人まかせではなく、自分たちが進めるんだと思う人々が増えない限りは現実のものとはならない。このところ、毎度この同じ結論で記事を締めくくることが多くなった。このワンパターンも閉塞状況の反映かもしれない。
前回のエントリで、現在のような閉塞状況下においては、橋下徹のような(強権指向の)人物が台頭する恐れが大きいと書いたところ、コメント欄で批判を受け、それに対する反論などもあって、久しぶりにコメント欄が盛況になった。

コメント欄でのやりとりの中には、当ブログ恒例の「小沢信者」に対する批判に関するものもあったが、私は小沢信者と橋下の支持者には考え方に共通するものがあるように思う。

それは、強力な指導者に対する依存心だ。「小沢さんなら何とかしてくれそう」という考え方を、私は当ブログでずっと批判してきた。だが、小沢一郎の場合はまだ支持に広がりがない。自民党や自由党時代からの支持者の気質にも「信者」的なところがあり、根強い支持は受けていたのだが、小沢一郎人気が多数派になることは、民主党代表時代を含めてもなかった。

一方、橋下は違う。大阪府民の熱狂的な支持を受けている。関西のテレビは、橋下と仲の悪い平松邦夫市長が長く勤務していた毎日放送を除いて、概ね橋下翼賛報道に塗りつぶされているらしい。それもあって、橋下を支持しなければ人に非ず、みたいな空気があってげんなりする。先日、当ブログと相互リンクを張っているあるブログでも、次の選挙では維新の会に投票するかもしれないという記述を見かけてショックを受けた。大阪に住んでいるとそういう意見を持つのが当然のような空気があるのだろうか。

当ブログは2008年には橋下徹批判をウリにしていた時代があり、その頃アクセス数の多かった記事は橋下を取り上げたものが多かった。しかし、その反応は必ずしも好意的なものばかりでないどころか、2008年9月20日のエントリ「一度に346人の府立高校非正規職員の首を切る橋下徹」につけられた「はてなブックマーク」のコメントを見ればわかるように、橋下を支持して記事を批判する反応の方が多かった。

前回のエントリのコメント欄では、最初に、橋下を批判する私に「幻滅した」というコメントがつき、2番目に
suterakusoさんから

ここ数日で、原発問題も、復興問題も、所得の再分配や経済システムの問題と同じところに根があるのではないかと感じるようになりました。

の書き出しで始まるコメントをいただいた。

原発問題が再分配の問題と密接に関わっているというのは、東電原発事故が起きた直後から私がずっと考えていることで、一時、「鍋パーティー」のブログにも原発問題を盛り込もうかと思った時期もあるが、それはやめた。当ブログと同じように原発の記事ばかりで埋め尽くされると、「みんなでつくる」ブログの意味がなくなるからだ。

原発は、過疎の地に都会に便益をもたらす危険な設備を押しつけるというところに大きな問題がある。この構図はまた、沖縄の基地問題とも相通じる。そして、少数者の圧殺を得意にしているのが橋下徹だ。橋下の本質がもっともよく表れたのは、首都圏などにはネットされていない、大阪のよみうりテレビが制作している極右番組で、橋下が山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団への懲戒請求を呼びかけた一件だ。

この橋下の発言によって業務を妨害されたとして、弁護団のメンバーら4人が損害賠償を求めた訴訟が起こされ、橋下は一審、二審でともに敗れて損害賠償を命じられたが、先日、最高裁がこれをひっくり返して橋下の逆転勝訴となった。なんともふざけた最高裁の判断だが、マスコミでこれを批判する報道は目にすることができなかった。

あるいは、橋下が大阪の市立高校に通う女子高校生を、討論で泣かせた一件。この件を論じた、"kom's log" の秀逸なブログ記事「ボクタチの闘争」があり、私はこの記事を2008年のブログ記事のナンバーワンに推した。当ブログの前回のエントリをめぐる論戦に参加された方には、是非「ボクタチの闘争」の全文をご参照いただきたいと思うが、終わりの方に

「人民共同戦線を謳う<佐藤優現象>」

に言及し、

半身不随の辺見庸が金融不安に際しかつての「鵺のような」なる文学的表現からさらに一歩踏み込んで国家社会主義の再来に警鐘を鳴らすのも無理はない。(当ブログの2008年10月27日付エントリ「新自由主義のあとにくるもの - 国家社会主義を阻止せよ」がリンクされている)

と続けられている。そう、「橋下と共闘する」ことは、佐藤優が呼びかける「人民共同戦線」に参加することを意味するのだと思う。そんなものに参加してはならない。

そもそも、なぜ橋下と「共闘」しなければ「脱原発」を実現できないのかという理由がさっぱりわからない。「橋下と共闘する」とは具体的にどんな行動を指すのか。これを、「橋下との共闘」の必要性を説く方々には是非ご教示いただいたいと思う。私は、橋下が「脱原発」の立場をとって関西電力とバトルを展開する分には、別にその一点に限っては間違ったことをやっているわけではないから、これに関して橋下を批判などしないが、関西電力と戦っているからといって、橋下の他の言動に対する支持まで強要されたのではたまったものではないと思う。

そういう「同調圧力」は、それこそ「原子力村」と表裏一体なのではないか。「村社会」というと、ブログでかつて「安倍晋三を終わらせる」("AbEnd")から「自民党を終わらせる」("自End")へと進んだ「自エンド村」も同じ体質を持っていて、自己批判すると私にもその「ムラ社会」の形成に加担した責任がある。「自エンド村」は「西松事件」をきっかけに「小沢信者村」に衣替えしたのだが、その頃私は排除の対象となった。ちょうどこちらから縁を切りたいと思っていたところだったので「渡りに舟」だったわけだが、この時、ムラ社会の影の支配者(そう、前回のエントリでリンクを張ったあそこ)から、村長を通じて指弾されたトガには呆れた。数年前に村を追い出されたさるブログ(バナーをいっぱい張っているところ)からトラックバックを受け取って承認しているのが怪しからん、というのがその理由だったのだ。当ブログが行っていた小沢一郎批判をあげつらうのではなく、「村八分にしたあいつとつきあうとは怪しからん」というのを「村八分」の理由に持ってきたところが、「小沢信者ブログ村」の「ムラ社会」的体質を象徴している。

だから私は「小沢信者」が大嫌いなのである。橋下との「共闘」を強要する態度も、行き着く先はこういう「ムラ社会」であり、それが極限まで肥大したのがナチスドイツや大日本帝国だったに違いない。

そう、「ファシズムへの道」だ。
昨日(7/14)の枝野幸男官房長官の発言には呆気にとられてしまった。

http://www.asahi.com/politics/update/0714/TKY201107140323.html

首相の「脱原発」発言を修正 枝野氏「総理の希望」

 枝野幸男官房長官は14日の記者会見で、菅直人首相が「脱原発」社会をめざす考えを表明したことについて「政府の統一見解というより、国民的な議論を進めていこうというのが今の政府の立場だ」と語った。首相発言は政府見解ではないとの認識を示し、事実上、発言を修正したものだ。

 首相は13日の記者会見で「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と表明した。

 これについて枝野氏は「総理は遠い将来の希望を語った。今すぐにという次元で言ったのではない」と説明。そのうえで「原発を活用しながら、段階的に依存度を下げることは、ほぼ国民的なコンセンサスが得られている」とし、今後、原発を稼働させながら依存度を下げる手法について議論を深める考えを示した。

(asahi.com 2011年7月14日14時14分)


このニュースを知って最初に思い浮かんだのは、菅直人首相が「シャブ中(麻薬中毒)止めます」とは言ったけれども「シャブやめます」とまでは言えなかったのに、それにさえ永田町や霞ヶ関界隈では反発が猛烈に強くて、絶対にシャブを止めるな、という麻薬密売人が日本の政治経済を支配してるんだな、ということだ。

さらに思い浮かんだのは、「みんなでラリれば怖くない」という標語であって、もちろん昔のツービートの標語のパロディだが、最初に何を入れるかがすぐ決まらなかった。「原発」では字足らずだし、「メルトダウン」だと字余りのうえ、意味のつながりもあまり良くない。だから、ピッタリくるとはいえないけれども「放射能」として、それをこの記事のタイトルにした次第だ。

さらに、「脱原発」の応援歌として、プロ野球・阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」(正式名称は「阪神タイガースの歌」)の替え歌「原発降ろし」も思いついた。「六甲おろし(颪)」とは六甲山から吹き下ろす風のことだし、また歌詞の中にある「蒼天翔ける日輪」の「日輪」というのは太陽のことだから、「阪神タイガース」を「自然エネルギー」と言い換えれば、脱原発、自然エネルギーの応援歌になるかもしれない、などと馬鹿なことを考えて現実逃避していたのだ。まあ、現実に吹いている風は、巷では「原発降ろし」が強いけれども、永田町では「菅降ろし」の方が圧倒的に強い。

ところで、枝野発言のニュースを、読売や産経は大はしゃぎで伝える一方、毎日や東京(中日)は論評抜きで淡々と枝野幸男のコメントのみを伝えている。朝日はその中間で、

首相発言は政府見解ではないとの認識を示し、事実上、発言を修正したものだ。

という論評を差しはさんでいる。このあたりに、報道各社の原発問題に対するスタンスがよく出ている。

朝日は、7月13日の菅直人首相の記者会見に合わせて(に決まっている)「脱原発」の社説特集を組み、これまでにも徐々に「脱原発」へと傾斜してきた社論を鮮明にするとともに、菅首相の記者会見に対しても、全国紙の中ではもっとも強く支持を打ち出した(7/14)。

しかし、政治部や経済部の記者はそうではなく、2面や3面の記事は「菅降ろし」に同調するような見出しを掲げた記事ばかりだ。それは、社論を決める論説室でも同じらしく、14日付「社説余滴」で同紙の松下秀雄論説委員が書くところによると、朝日新聞の論説室でも「菅降ろし」の声は日に日に高まっているらしい。それは、松下氏と同じ政治社説担当のほか、経済社説担当の論説委員に特に強い傾向だろうとは容易に想像される。

松下氏のコラムの全文は、asahi.comには掲載されていないが、ブログ『きょうも歩く』の7月14日付記事「代案なき首相不信任案はファシズムの道」に転載されている。同ブログ経由で松下氏のコラムの一部を引用する(一部誤記を訂正した)。

(前略)

 もちろん文句はある。指示が遅い、内閣の足並みをそろえてくれ・・・ 。それを批判するのは当然としても、「とにかく辞めろ」と騒げば、原発を守りたい人たちと同じ動きになる。脱原発に向かう次のリーダーの目星もつけずに菅おろしを急げば、原発推進派を利する。合理的ではない。

 「けしからん」の一点のみで手を組むのは危うい。

 典型例が戦前のドイツだ。多くの政党が政府を倒そうとするばかりで、議会は首相を選べなくなった。その混迷をついて、ナチスが台頭する。

 おそらく現代の日本も、同じ罠にはまりかけている。

 先月の内閣不信任騒動を思い出そう。自民党とともに、民主党の小沢一郎元代表のグループも不信任案に賛成しそうだった。でも政策がまったく異なる両者の共闘は、たぶんそこまでだ。ドイツの例となんと似ていることか。

(中略)

 次の政権を「つくる」ための議論より、「おろす」ことに血道を上げる。そんな理性的でない対応こそが、日本政治の病理であり、短命政権と政治の混迷を招いてきた。

 ドイツは戦後、過去を反省して、後任を決めないと首相を不信任できない「建設的不信任」制度を設けた。

 日本も、その精神に倣ってはどうか。ポスト菅は誰か。新首相のもとで与野党はどう協力し、何を実現させるか。菅おろしに明け暮れるより、「次」の議論を進めるのだ。

(朝日新聞 2011年7月14日付 「社説余滴『菅おろし』に見る政治の病」(松下秀雄)より)


穏当な主張であって、松下氏の言う通りだと思うが、ドイツで台頭したのがナチスなら、日本で台頭するかもしれないのは橋下徹だとは、これまた私だけではなく多くの人たちが思っていることだろう。

『日本がアブナイ!』の最新エントリ「菅の脱原発会見に批判続出も、橋下は絶賛。首相の思いを、国民の思いに。」でも、橋下の発言が取り上げられている。同記事には、橋下ともども「My大天敵」であるあの『スポーツ報知』の記事がリンクされているが、この記事によると、

 大阪府の橋下徹知事は府庁で記者団に「確実に国民の声をくみ取っている。これからが大勝負なので具体図を描いてほしい。今まで誰もこんな大号令は掛けられなかった」と首相の姿勢を評価。

 低迷する首相の支持率については「吹っ切れた状態でぐいぐい進んでいけば、確実に上がると思う」と持ち上げた。

とのこと。橋下には空気が読めているのだ。つまり、いっとき「菅降ろし」の風が吹き荒れようと、東電原発事故はいっこうに収束しておらず、放射能による汚染の悪いニュースは今後もどんどん出てくるのは絶対に間違いない。その時、過去に原発を擁護していた政治家は淘汰され、生き残るのは自分だ、そう橋下は計算している。ある意味、橋下にとってこんなにおいしい状況は滅多とないだろう。

原発推進勢力の顔ぶれを見よ。中曽根康弘、渡邉恒雄、石原慎太郎、与謝野馨、平沼赳夫、鳩山由紀夫などなど。みんな、もうすぐ政治の世界からいなくなってしまう人たちばかりだ。現在、橋下の世代の人間が「原発推進勢力」に同調するほど愚かなことはない。

それがわかっていないのが、民主党の吉良州司、長島昭久以下の右翼議員で、彼らは菅首相の記者会見が行われた13日、なんと「原発の早期再稼働」を求める文書を提出した(『kojitakenの日記』7月13日付エントリ「民主党の右翼系国会議員11人が「原発の早期再稼働」を要求(菅首相の即時退陣も)」参照)。

愚かな小沢信者は、このニュースを報じる読売新聞ほかの記事にリンクを張って「菅降ろし」の気勢を上げているが、ついに小沢信者は極右にして原発推進勢力である連中とも意気投合するかに至ったかと呆れるばかりだ。

数年後、彼らが橋下徹を熱狂的に支持している様子が目に浮かぶ。もし橋下が天下をとるようなことがあったら、その時こそ私は日本を脱出することを決意するだろう。
先週土曜日(9日)に放送されたNHKスペシャルは、まず中部電力の浜岡原発停止を受けて、佐賀県知事の古川康があたかも懊悩しているかのような映像を流したあと、原発推進ないし維持派が2人(奈良林直、澤昭裕)、脱原発派が2人(飯田哲也、後藤政志)、それに東電原発事故を契機に「脱原発」の意見を持つようになったというノンフィクション作家の吉永みち子の5人が、三宅民夫の司会で討論するという構成だった。

イントロの映像があまりに古川康の真意からかけ離れた白々しいもので、父親が九電社員の古川は、最初から原発を再稼働させたい意図しかなく、玄海町長の岸本英雄に至っては、弟が経営する地元の土建業者が「原発マネー」で潤っていたという「トンデモ首長」だった。これを報じる西日本新聞及び朝日新聞の記事を追記欄で紹介する。

Nスペの討論の方は、吉永みち子が「脱原発」寄りだったから3対2かと思いきや、司会の三宅民夫が露骨に原発推進派寄りだったから3対3で、しかも現在話題の九電「やらせメール」事件は、番組開始時にテロップで示されただけで討論では一切議論されず、原発にはつきものの「被曝労働」や「電源三法交付金」の問題にも全く触れないなど、NHKが原発推進勢力に迎合する土俵を作っているのがミエミエで、きわめて不愉快だった。

しかし、討論で過激な原発推進の立場でしゃべっていた奈良林直の発言があまりにひどかったせいか、討論は「脱原発」側の優勢に終わった。番組が紹介していた視聴者の意見は、賛否相半ばしていたが、後半では「脱原発」寄りの意見が若干多く紹介されるようになったのは、現実に番組に寄せられた意見には圧倒的に「脱原発」側に立つものが多かったであろうことを想像させるものだった。

なお、奈良林直に対する批判は、別ブログの『kojitakenの日記』で行っている。これまでに下記の3件を書いた。


2件目の記事に書いたように、当初今回のエントリは奈良林直を批判するものにしようかと思ったのだが、あまりにデタラメな「トンデモ学者」であることがわかったのでやめた。ただ、こんな「トンデモ」な人間でも、東芝で原子力村のために貢献すれば大学教授に「天上がり」でき、原子力安全委員会の専門委員になれたというアカデミズム及び原発行政の腐敗には暗澹たる思いだ。

昨日は、それなら原発再稼働に関する政府の統一見解をテーマにしようかと思ってブログの更新を延期したのだが、これがまた典型的な「玉虫色」の決着、問題の先送りであって、論評する気にもならないものだった。

そこで、meditation2011さんが当ブログへのコメントで教えてくださった、「原発を再稼働させなければ電力不足になる」という虚偽宣伝に反論する名古屋大学・高野雅夫准教授の試算の紹介を、今回のエントリの目玉にしたい。以下転載する。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1197.html#comment12325

比嘉様がすでに紹介されていますが、名古屋大学の高野雅夫准教授による東電、中電、関電電力供給量についての試算、私もかなり説得力あると思いました。

●電力は本当に足りないのか?を検証
http://www.youtube.com/watch?v=oHQX2QboIyc
●原発電力は足りないのか?を検証vol2
http://www.youtube.com/watch?v=VAOzja7J0-c
↓は高野准教授ブログの該当エントリー
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/5d6a77320c641c30b6ed32cf97bde105

ポイントとしては

  1. エネ庁発行電力開発の概要2010、すなわち一般電気事業者(電力会社)が経産省へ届け出ている供給量を元に現在停止中の原発分を差し引いた形で試算している。
  2. 番組では水力、卸電気事業者(電源開発)揚水、稼動原子力、火力、卸電気事業者火力に(東電分について)緊急設置電源分も加味した上で、精査し供給量を出している。結果東電6207万kW(昨年並み需要6000万kWとすると3.3%余力)、中電3035万kW(昨年並み需要2709万kWとすると12.5%余力)、関電3863万kW(昨年並み需要3138万kWとすると18.8%)となる。
    高野准教授の推測では、関電は燃料調達計画により15%削減目標としている可能性が高い。
    なお、中電、関電は稼動原子力0。
  3. 東電から稼動原子力491万kW分を0とした場合、供給量5716万kWとなり、昨年並み需要とすると余力▲5.0%となる。
    という試算に対して
  4. 番組として東電へ確認。他の一般電気事業者からの応援融通や自家発等からの受電あるも、卸電気事業者含む揚水で7(,8)月とも▲284万kW、火力で▲259万kW(、他に細かな部分で差があり)東電回答供給量は7月で5680万kW(、8月で5750万kW)となる。
  5. 東電によれば、揚水で差がある理由は貯水池推量変化、夜間電力需要により最大出力使えるかどうか変化する。火力で差がある理由は定期点検や経年劣化により停止中の発電所がある、とのこと。
  6. 揚水に関して番組は㈱日本総合研究所、宮内洋宣研究員に確認。宮内氏は揚水は毎日フル稼働できないが、ピーク時にはフルに使える切り札中の切り札、と回答。
  7. 橋下府知事によると関電は詳細資料出してこなかったが、府と関電で今後詳細詰めていく。今までも供給量について突っ込むと大ガスの自家発電があるとか色々言ってきた。
  8. 電力会社には更なる説明責任がある。
といったところでしょうか。

いずれにせよ、大手メディアも経済界も電力不安をあおりにあおっています。
今までも火力の稼働率を50%→70%にUPすればとか、企業に自家発電は6000万kWもあり、送電線使用料=託送料を安くして送電網を開放すれば、原子力より確かなバックアップ電源となる、またはPPS(特定規模電気事業者)がどんどん増える、といった原発0時代対策あるいは今夏のピーク需要対策に関する論はありました。
しかし、あまりにアバウトすぎる、また、送電網の開放には安全面含め詳細な制度設計が必要となる=時間がかかる、さらに企業の自家発電をピークに使うには個々の企業負担となる燃料代、メンテ費、人件費等ランニングコストの問題やNOx,SOx規制他法的規制面を無視した論と言わざるを得なかった。
高野准教授試算も東電、中電、関電三電力のみの紹介であり、他電力の状況はわかっていません。
しかしながら、東電も一方で4-5月にエネットなど特定のPPSより適正価格(=買い叩)で供給を受けていますし、仮に他社受電(=他電力よりの受電)分110万kWがなくなろうと自家発等からの受電70万kWではなく更に増やせば、5700-5800万kW程度までは積み上がるのではないかと思っています。
そういったことからも三電力に関しては、彼らの自助努力にて無理な節電を行わずとも十分乗り切れる、非常に説得力のある試算だと思います。

(次期代表戦をにらんで)前原氏が鳩山氏に協力要請とか、鳩山氏が海江田氏に早く辞任して代表戦に立候補しろと言ったとか、山岡氏が前原氏に接近とか、何が真実かはわかりませんが民主党内原発維持・推進派も必死のようです。しかし経産省や電力会社の原発安全PRはもはや止め処も無く疑われている。
11日には例のストレステストの位置付けを政府統一見解として発表されるようですが、どんな中身になろうと説得力は無いでしょうね。
次は(必然的に電源三法交付金の位置付けも明確になる)コスト面、供給量面両方セットで論理的に反論できる場をどうにか作っていくことですね。

2011.07.09 18:18 meditation2011


「電力が足りない」キャンペーンの嘘を暴く作業は、これまで「そんなの当たり前だよなあ」と思ってほとんどやってこなかったが、梅雨明けして猛暑の季節になった現在、電力会社やNHKなどマスコミの虚偽宣伝に対する反論の必要性が増してきたことに、鈍感な私もようやく気づいた次第だ。meditation2001さんをはじめ、同主旨のコメントをお寄せくださった皆さまに感謝したい。

以下は追記。ブログのトップページからアクセスされた方は、下の "More ..." をクリックすると、玄海町長の弟が経営する企業「岸本組」に巨額の原発マネーがわたっていた新聞記事の紹介が表示されます。
いわゆる原発政局は、九州電力の「やらせメール」事件で九州電力社長の眞部利應(まなべ・としお)の首が飛ぶかという情勢になり、ますます先行きが混沌としてきた。というより、多くの人々が期待しながらも実現が無理だろうと半ば思っていたであろう「脱原発」の現実味が急に強まってきた。

今回の「やらせメール」で思い出した事件が2つある。いずれも2006年の事件だが、2つは私が当ブログを開設した同年4月を挟んで起きた。

一つは、ライブドア事件に絡んだ「偽メール事件」(2006年2月)だ。先日、安倍晋三が東電原発事故の海水注入を菅直人首相が中断させたというガセネタで菅政権を追及した件も「偽メール事件」を思い出させるものだったが、それは安倍晋三が事実無根の「ガセネタ」を政府攻撃に用いたからだった。

「偽メール事件」の時には、誰が見ても怪しいと思ったであろう電子メールのプリントアウトをもとに小泉政権を攻撃した故永田寿康衆院議員(当時)と、それを後押しした民主党の前原誠司代表(同)や野田佳彦国対委員長(同)には呆れ返ったものだ。

今回は、なんでメールで「やらせ」を依頼するなどという無防備な真似を九電の課長がしたのかと呆れた。テレビ報道(テレビ朝日の『報道ステーション』)では、こんなヤラセは電力会社は昔からやっている、普段は足のつかない口頭での依頼なのだが、今回はメールで流して足がついてしまったという、匿名の電力会社社員のコメントを紹介していたが、それは私が想像していたことと寸分違わず同じ内容だったので、非常に説得力が高かった。

社長の眞部利應をはじめ、実際に指示を発したと伝えられる九電の執行役員も、それを受けて課長に直接メールを流す指示を出した部長も、皆「なんで今回に限ってマスコミに騒がれるんだ」という思いに違いない。電力会社は日常茶飯事でこんなことをやってきて、経産省も政権もグルだったのだ。だが、それは東電原発事故が起きる前の話だった。時代がすっかり変わったことを認識できなかった彼らは、常識的に考えたらバレるに決まっている手段に訴え、自分で自分の首を絞めたのだ。私は、まるで「偽メール事件のメールが本物だった」ような事件だなと思った。

もう一つは事件が世論を騒がせるにまで至った経緯だ。朝日新聞は、この「やらせメール」が「(7月)6日にわかった」と書いたが、その日には共産党の笠井亮衆院議員が国会で質問していた。そして、同党の「しんぶん赤旗」が2日付で記事にしていた(下記URL)。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-02/2011070201_01_1.html

しかし、もっと早い段階でこの件はネットで情報が拡散されていたのだ。それをなんとフジ産経グループの『夕刊フジ』が報じている。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1107/07/news062.html

九電の原発やらせメール、ネットで暴露されていた

九電が原発賛成のやらせメールを送るよう指示していた内容は以前からネットで暴露され、これを皮肉る“賛成メールの例文”も作られていた。

2011年07月07日 15時54分 更新


 玄海原発再稼働に向けた佐賀県民への説明番組で、九州電力が原発賛成の「やらせメール」を出すよう指示していた問題で、インターネット上では放送があった先月26日以前から、やらせメールの存在が暴露されており、九電の姿勢を皮肉る複数の例文がネットユーザーらによって用意されていたことが分かった。

 「明日の説明会で、九電がグループをあげて佐賀県民を装って発電再開容認のメールを送るよう業務命令が出されている」

 6月25日、ツイッターなどで、こんな情報が出回った。参加の方法なども詳しく記されていたため、報道各社は九電側に事実関係を問い合わせたが、広報は真っ向否定。しかし、共産党の日刊機関紙「しんぶん赤旗」は7月2日付で「九電が“やらせ”メール」などと報じていた。

 眞部利應・九電社長によると、問題のメールは、原子力発電本部の課長級社員が6月22日、子会社4社や九電の原発関連社員3人に「説明会の進行を見ながら自宅から、再開容認の立場で意見を発信してほしい」といった内容で送信。実際に何通のメールが番組に送られ、紹介されたかは把握していないという。子会社の社員は福岡市民を中心に約2300人。

 ツイッターでこの事実が暴露された直後から、ネット上では、「真摯にかつ国民の共感を得ることができる」メールを求める九電への皮肉を込めて、次のような例文が公開されていた。

 《原子力発電所とは何の利害関係もない、中立的な県民の一人です。保安院や専門家のお話をお聞きし、福島の事故は津波によるものだと確信できるようになりました。地震対策は後でもいいと感じられるようになり、暑い夏にクーラーが使える日が楽しみです》

 この例文をもとにしたメールが実際に送られたかは不明だが、やらせメールを送った子会社はすべて福岡市が本社。メールを受信した原発関連社員も、2人が川内原発(鹿児島)所属で佐賀県民ではない可能性が高い。佐賀県民は県外の“九電ファミリー”に寄ってたかって小馬鹿にされた格好だ。



私はこの話は知らなかったが、昨日の『kojitakenの日記』のエントリ「偽メールならぬ『やらせメール』が潰した『玄海原発再稼働』」に、

5年前の「安倍晋三、統一協会に祝電」の件と同様、赤旗が報じる前にネットでは知られた話だったに違いない。

と書いた。

そう、同じようにネットが火をつけ、「しんぶん赤旗」が取り上げ、『週刊朝日』や『サンデー毎日』といった新聞社系週刊誌が取り上げた政府要人のスキャンダルがあった。5年前の2006年6月、ネットの一部を中心に騒がれた「安倍晋三、統一協会系の大会に祝電」の事件だ。この事件は、私がブログで政治について書くきっかけを与えてくれた。報道が広がった経緯を、当時、2006年6月23日付エントリ「『電通と暴力団とカルトが作ったものじゃない』」にまとめたが、この件の報道は、テレビがほとんど報じず、大新聞も東京本社版や大阪本社伴の朝夕刊セット地域でベタ記事程度の扱いをするにとどまったために(当時私が住んでいた四国に配達された朝日新聞の大阪本社発行朝夕刊統合版には載らなかった)、安倍晋三にダメージを与えるには至らなかった。

今回の「九電『やらせメール』事件」は、まずネットで広がり、赤旗が取り上げたところまでは安倍晋三の祝電事件と同じだったが、マスコミが大きく取り上げたところが違った。それは、5年前の「ポスト小泉」一番手のスキャンダルよりも現在の原発問題に対する国民の関心が高いせいもあるだろうし、もしかしたら5年前と比較してネットが世論に与える影響が強くなったのかもしれない。

いずれにしても、もはや政官業労報学の六角形が(植草一秀流の言い方だが)どんなに原発を守ろうとしても守れない事態に立ち至っているといえるだろう。

そもそも総理大臣の菅直人自身が、原発問題を政権延命のダシに使おうとしている。しかし、流れの激変は菅首相自身にも到底制御できないほどだ。

菅直人は、当初は玄海原発再開を容認する意向だった。原発の「安全宣言」が海江田万里の独断だったなどと誰に信じられようか。しかし、菅直人は「安全宣言」に対する反発の強さに驚くとともに、ネットで騒がれている情報も官邸に入ったに違いなく、それで態度を豹変させたのだろう。それでストレステストを持ち出した。ストレステストはコンピュータシミュレーションだから、パラメータの設定によってどのようにも結果を操作できるという指摘もあるけれども、菅直人の意図が原発再稼働の引き延ばしにあることは疑う余地もない。過去何度も議論され、時の政権が検討を約束したこともありながら全然実行されていない、原子力安全・保安院が経産省からの分離しないままストレステストを行う主体となることの問題も議論され、保安院の経産省からの分離もようやく動くことになるかもしれない。というか、分離は必ずや行われなければならない。ストレステストの妥当性も当然議論されるだろうから、「原発を再稼働させるための口実としてのストレステスト」にしようという経産官僚のもくろみは、そうそう簡単には実現しない。

そうこうしているうちに、原発推進勢力が原発を増設するどころか、定期点検のために停止した原発を再稼働させるハードルも上がる。どこも、最初に再稼働させて国民の非難を浴びることはやりたくないからだ。「村」の論理が一転して逆方向に作用する。つまり、日本全国横並びで原発を止めているのに、それを再び動かすためには強い力、言ってみれば「剛腕」が必要になるのである。別に、特定の政治家だとか、その男が原発再開のスイッチを入れるなら支持すると表明した某電波芸者のことを言っているわけではない。ただ一つだけ今になって感心するのは、菅直人には原発の再稼働をできないと早くから見抜いていた森永卓郎(おっと実名を出してしまったw)の眼力だ。目のつけどころは良いが、原発を再稼働させたい森永の方向性には全く感心しない。

ここで話題を変え、昨夜の『報道ステーション』でも取り上げられた、原発のコストと電源三法交付金の話へと移る。トップページからご訪問の方は、下記の "More ..." をクリックすれば続きが表示される。「また電源三法の話かよ」という方は別にお読みいただかなくてもかまわない。
岩波新書の新刊である内橋克人編『大震災のなかで』という本を読んでいる。これは、岩波新書編集部によると、

 現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名が、〈3・11〉の意味、復興のあり方などについて、それぞれの思いと考えをつづります。

とのこと。それに内橋克人(と岩波書店の編集者)が編集したものだ。

3番目に柄谷行人が「原発震災と日本」という題で書いた文章が載っている。柄谷氏は、「原発に関する本以外に何も読めなくなった」と書いている。私もそうで、震災前に読み始めていた本の続きが読めなくなった。それで、全然ん本を読まない日が続いたが、ある日原発に関する本を読んだら、あっという間に読めてしまった。それで今に至る。

柄谷氏は、私は自身が原発建設に対して何の抵抗もしなかったということに、忸怩たる思いがある。

と書いているが、私も含めて同じ思いの方は多いのではないだろうか。私は、原発事故がここまでひどいものになろうとは予想もしていなかったが、被曝労働や放射性廃棄物の問題、それに今ブログでキャンペーンを張っている「電源三法交付金」による原発立地自治体の「シャブ漬け」の問題などを認識していた。でも知っていただけで何もしなかった。4年前に東電が柏崎刈羽原発の事故隠しをしたことを指摘する英語記事を訳して『kojitakenの日記』に書いたりもした。でも、辛うじてそれくらいのことをして、以前からの原発批判派だった証拠を残しているだけであって、それ以上のことは何もしなかった。

昨日、テレビ朝日の『サンデーフロントライン』で、大学を辞めて在野の科学者として原発を批判し続けた高木仁三郎(1938-2000)を紹介していた。高木仁三郎の『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書、2000年)は、現在書店に並んでいる数多くの原発本の中でも特に推薦したい一冊だ。リンクを張ったamazonのサイトに掲載されている読者レビュー10件のうち9件までが東電原発事故後に書かれている。

夜にはNHKスペシャル「広がる放射能汚染」で、放射性物質を多く含んだ雲のようなもの(プルーム)が上空を通過している時に雨が降ると、放射性物質が雨粒によって地上に叩き落とされ、ホットスポットができるのだと言っていた。その例として、東京電力の福島第一原発から100km以上も離れた栃木県のある地域で線量を計測した例を紹介していた。私は原発事故の直後から、事故の悪影響はじわじわ出てくると予想してそれをブログにも書いたが、ホットスポットの話などをよく認識していたわけではない。

この番組が終わるとNHKはスポーツニュースを始め、それが終わるとウィンブルドンテニスの男子シングルス決勝戦の中継を始めた。私はパワーテニス全盛になって以来あまりテニス中継を見なくなっていたので、新聞のテレビ欄を見ると、なんと6月に「Eテレ」に改称したらしい教育テレビの「ETV特集」で原発特集をやっていた。大江健三郎と第五福竜丸の乗組員だった大石又七氏が対話していたが、東京の夢の島に第五福竜丸が展示されていることも知らなかった。昨日、たまたま夢の島公園の横を通過し、はるか昔、関西で過ごした小学生時代にこの地名を初めて知った頃のことを思い出していたが、第五福竜丸が展示されているとは、これは一度見に行かなければならない。

番組はその後、中曽根康弘や読売新聞の正力松太郎が原発を始めた話が紹介され、読売が紙面で原発キャンペーン記事を書いた現物を画面に映し出していたが、ああ、とうとうNHKまでもがこの史実を紹介するようになったんだなあと思った。しかし、このあたりで疲れが出て不覚にも寝てしまった。再放送があれば続きを見たいと思う。

延々と書いたが、このように時代は急激に変化している。変化は被災地の福島でもっとも大きく、これまで原発を推進してきた自民党福島県連でさえ「脱原発」を掲げざるを得ないまでになっている。原発から離れれば離れるほど「脱原発」の強度は弱くなるが、首都圏ではまだかなり強く、だから首都圏での「脱原発・反原発」デモは盛り上がる。柄谷行人も参加したという6.11のデモに私も参加したが、通りがかった長距離バスが信号待ちで止まったと思うと窓が開いて、「頑張れよー」という応援の声が飛び、デモ隊が歌う替え歌にバスの乗客が唱和してくれた。道を歩いていたスーツを着た男性がデモに飛び入り参加したりもした。そのくらい脱原発の気運は高まっている。ただ、同じ東京であっても永田町は外界から遮蔽されているらしくて、未だに原発を推進した自民党を引き入れて「大連立」政権をつくろうなどという妄動を、民主党側でも岡田克也らが展開している。呆れ返るばかりのKYぶりだ。

一方、西日本ではどうなのだろうか。空気を読んで「脱原発」へと舵を切ったあの橋下徹に牽引されているようでははなはだ心もとない。橋下の狡猾さには舌打ちするばかりだが、それでも「脱原発」を言わないよりは言った方がマシには決まっている。「原発銀座」の福井に近い滋賀県では、知事が「脱原発」のスタンスを示した。

前回のエントリで取り上げた玄海原発が現在は焦点になっているが、次に注目されるのは四国電力の伊方原発だろう。四国電力も関西電力や九州電力と同様、原発依存度が高いが、伊方原発には玄海原発や高浜原発(3号機)同様プルサーマル燃料を用いた原子炉がある(3号機)。東電の福島第一原発でもそうだったが、なぜプルサーマル燃料は「3号機」にばかり用いられるのだろうか。

伊方原発に話を戻すと、これは鎌田慧が「金権力発電所」と表現した(鎌田慧著『原発列島を行く』 集英社新書, 2001年)ほど、四国電力が札束で地域の人たちのほっぺたをひっぱたいて作った原発だ。この伊方原発に関して、南海日日新聞社の社主を務めて2006年に亡くなった斉間満氏の著書『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』が2002年に南海日日新聞社から出版されている。現在では絶版で入手困難とのことだが、pdf化されており、読むことができる(下記URL)。ちなみに私は、この本のことをブログ『SIMANTO114残日録』で知った。
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf

ここには、原発建設が単に環境に悪影響を与えて放射線の危険を生じさせるだけではなく、いかに地域のコミュニティを破壊するかが描かれている。元伊方町長・井田與之平さん(1890-1990)の妻・キクノさんの自殺については、伊方原発を「金権力発電所」と痛烈に批判する鎌田慧のルポにも触れられているが、それがより詳細に記述されている。

こういう本を読むと、ますます強く原発を止めなければならないと思うのだ。「菅の脱原発は悪い脱原発、小沢の脱原発は良い脱原発」なんて言っている場合ではないし、そもそも菅直人も小沢一郎も「脱原発」などとはいえない。共産党支持者の一部には「脱原発」に冷淡な人や批判する人もいるようだが、そういう人たちに対しては、今回の東電原発事故の深刻さとか、事故前から営々と続けられた被曝労働の問題とか、積みあがる一方の放射性廃棄物の問題とか、札ビラで過疎地の人たちのほっぺたをひっぱたき、地域内でのいがみ合いや痛ましい自殺その他を引き起こした電力会社や政府のやり方(「電源三法交付金」の問題を含む)などなど、もろもろの問題をどう評価するのか聞いてみたい。

単にムード的に「政権交代熱狂に疑問を挟んだら『自民の補完勢力』になることなど、脱原発に疑問を挟んだら『原発推進派』になることとはよく似ている」などと言っている場合ではない。今朝(7/4)の朝日新聞にも、「志位氏が原発撤廃強調」という見出しの小さな記事が出ているが、それによると、志位和夫・共産党委員長は共産党の第3回中央委員会総会の幹部会報告で「多くの国民が『原発撤退』を真剣に考え、行動し始めている。その一点で広い共同をつくり上げたい」と述べて原発撤退を前面に押し出す考えを強調したという。これを「共産党も『脱原発』の翼賛体制に加わった」というのは勝手だが、原発の危険性、放射性廃棄物、被曝労働、地域の破壊などの論点について説得力のある主張を示せなければ、誰もついてこないだろう。
7月。年の後半に入ったが、被災地の東北を含め、6月末には梅雨明けを思わせるような高温の日が続いた。半年前、2011年が明けた時には、こんな年になろうとは誰も思わなかったに違いない。

阪神大震災が起きた1995年もそういう年だったが、今回の東日本大震災は、その阪神大震災と比較しても震災への対応が遅れ、そのことをもって政府を追及する声も、特に自民党など野党から強い。しかし、被災した地域の広がりが桁違いであることに加え、東電原発事故が起きた影響を無視するわけにはいかない。そして、原発事故対応は、仮に「原発を守りたい」モチベーションの強い自民党政府であったなら、現政権よりさらにひどいものになったであろうことは、想像に難くない。

現在の焦点は原発の再稼働へと移りつつあり、九州電力で停止している玄海原発2号機と3号機の再開の是非が議論になっている。予想通り、再開容認の姿勢を打ち出した古川康佐賀県知事について、『kojitakenの日記』で、

この古川康という人物、父親が元九州電力社員で、玄海原子力発電所のPR館の館長を務めていたらしい。古川康自身は中学生時代まで佐賀県で過ごしたあと、鹿児島のラ・サール高校に入学、東大法学部を卒業して1982年に自治省に入省し、2003年から佐賀県知事を務めて現在3期目。もちろん自民党系の知事だ。経歴からも、佐賀の「土豪政治家」といえると思う。土豪の御曹司が40代になって里帰りし、地元の知事になったのだ。こんな人間だから、全国で真っ先に原発の再開に応じる。

論外だ。

と書いて、古川康を批判したところ、読者の間でちょっとしたコメント欄のやりとりがあった。

kagisou 2011/06/30 09:48

日本という国は電力会社が支配しているみたいですね。恐るべきことです。身の毛がよだつほどいやです。
この際、電力会社のいいなりになるのは嫌で、民主党も自民党も公明党も嫌いわれわれは国民は、一人ぼっちのドンキホーテみたいな菅さんを支持し、ともに進むしか道はないように思います。


yossie90 2011/06/30 10:40

そもそも菅首相が再開要請しなければ知事の判断も問われないわけで、知事の素性を云々する以前に政府の責任を問うべきでしょう。むしろ知事はともかくも最初は慎重姿勢を見せていたわけです。山口二郎氏が言っていたように、逆手にとって、この夏を(新たに稼動させる)原発なしで乗りきれるかどうかというチャレンジにすることもできたのではないですか。「原発解散」やもろもろの法案よりもはるかに少ない労力で(首相の一存で)、最大限の効果が得られる「脱原発」アピールになると思います。

百歩譲ってほんとうに再稼働が必要なら、首相本人が矢面にたつべきだとも思います(福井のように難航が予想されるケースにおけるカードのつもりか?)。いったいこのニュースを見て「一人ぼっちのドン・キホーテみたいな菅さん」なんて感想がどこから出てくるのでしょう。普天間基地問題の鳩山首相について、「官僚とアメリカと閣僚にハメられた」みたいなことを言ってた人たちを思い出します


Gl17 2011/06/30 13:13

どっちも極論だなあ、菅氏は確かに他より現状マシだし、でもアテにできるはずもないでしょ。首相は世の空気を読んでいるだけですから世論が脱原発に盛り上がればそちらへ動くし、政界で維持の動きが強ければ追従するし、社会の要請の向きに行くでしょ当然。

但し首相以外は「脱・原発」の世論を見て逆に旧来方針の固執に動いてるのが困るわけだけど。


私の意見はGl17さんに一番近いのだけれど、古川康の素性に言及してまで古川氏を批判したのは、原発を止められるのは原発立地自治体の首長だからである。玄海原発の例でいえば玄海町と佐賀県、敦賀の原発だったら敦賀市と福井県知事だ。敦賀市の前市長・高木孝一は1983年に

100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。

などという暴言を吐いたが、こんな人物を首長に選んでいるようでは原発は止められない。なお高木孝一は1995年に落選したが、その高木を破って以後5選された河瀬一治・現敦賀市長も原発推進派である。しかも、高木孝一の倅である高木毅は福井3区選出の自民党衆院議員であり、5月の国会で菅首相に退陣を迫った。高木毅もまた、古川康同様「土豪政治家」であって、それが国政に進出してきている。もちろん典型的な利益誘導型の政治家であろうことは容易に推察できる。これが自民党なのだ。

今回の東電原発事故で、福島県民の間には「反原発」の気運が高まっている。言葉には言い尽くせない被害を受けたのだから当然だろう。原発推進派の民主党議員・渡部恒三の秘書を務めた経歴を持つ佐藤雄平知事も「脱原発」に転じたし、東電原発事故以前にはプルサーマル計画受け入れを声高に叫んでいた自民党福島県連も、腰を引きながらも「脱原発」を打ち出した。すると、東電原発事故直後には「エネルギー政策の転換」を口にしたこともあった自民党総裁の谷垣禎一は自党の福島県連をとがめるコメントを発するていたらくで、だから自民党はダメなのだ。

かつての「国民政党」から「階級政党」へと堕落した自民党は論外だけれども、私が言いたいのは、首長にどんな政治家を選ぶかが地域の住民に問われているということだ。いつまでも地域の住民が「土豪」の首長を選んでいたのでは、「土豪の、土豪による、土豪のための政治」しか行わず、地域は衰退する一方になる。

これに関連するのが「電源三法交付金」の話だ。地方を重視する論者の間でさえ、「交付金がなければやっていけない過疎の地方」などという表現で、電源三法交付金を問題視しようとしない傾向が強いが、とんでもない。電源三法交付金でできるのは、「なんでこんな場所にこんな立派な建物ができると誰もが思う」(東京電力の社員自らそう語っていた)ハコモノであり、その維持費には、かつては電源三法交付金は使えなかったので、原発立地自治体の中でも財政規律の緩い放漫財政をやっていたところでは自治体の財政を悪化させるところも出た。

さらに問題なのは、どの原発立地自治体においても、原発の黎明期は別として、ある程度原発が各地に建ち始めた時代には、どの地域でも例外なく反対運動が初期には強く、それを政府が「札ビラでほっぺたをひっぱたいて」強引に原発の建設を推進していったという事実だ。その結果、地域のコミュニティでいがみ合いが生じ、原発推進派の数が反対派を上回るようになると、「村八分」が起きた。その結果、今年の東通村議選などもそうだったようだが、原発の是非を争点にすること自体が憚られる悪しき空気が自治体を覆ってしまった。

これらの事情は、たとえば鎌田慧のルポに詳しい。私は鎌田氏の『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)を東電原発事故後に読んだ。

この本に、70年代半ばに愛媛県伊方町で四国電力の伊方原発に反対する運動(原発設置反対共闘委員会)をしていた元伊方町長の川口寛之氏の話が出てくる。川口元町長はもともとは原発賛成派だったが、他の原発立地地域の実態を知って反対に転じていたという。やはり伊方町長を長年にわたって務めていた川口氏の兄・井田與之平氏の妻が、ボーリング調査のための「仮契約書」だと言う四国電力の嘘に騙されて、夫の留守中に「承諾」の判を押してしまった。怒った井田氏に離別された妻は、鬱病になって自殺してしまったとのことだ(前掲書82頁)。これが「原発を建てる」ということだ。

だから、「電源三法」を廃止せよと私は叫ぶのだ。今回はエントリの半ばに合言葉を挿入する。

いる? 電源三法
きる! 電源三法


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