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きまぐれな日々

明日からゴールデンウィーク。私は暦通り、3連休、出勤、3連休、出勤、連休(土日)の予定だ。

今年はたいへんな春だった。東日本大震災で被災された方々のご苦労はいかばかりだろうか。心よりお見舞い申し上げる。

東日本大震災では、福島第一原発で大事故が起きたため、この問題ばかり追い続ける羽目になった。原発のおそろしさが現実のものとなった事故だからやむを得ないと考えている。

大地震及び原発事故から1か月半以上が経過した現在求められるのは、当初政府や東電が隠蔽していたものの徐々に明らかになった情報を再検証し、原発事故の経緯を振り返ることだろう。

最終的には「レベル7」の大事故と判定されるに至った原発事故だが、原子力安全・保安院は当初、「事故」ではなく「事象」の範疇に属する「レベル3」と暫定的に判定していた。枝野幸男官房長官が「爆発的事象」という意味不明の日本語を使っていたのはこれが理由だ。

「レベル3」の事象というのはいくらなんでも楽観的に過ぎたにしても、事故後最初の3日間は「レベル7」には至っていなかった。それが、おそらくは格納容器につながる部分の損傷により大量の放射性物質が漏出し、15日には「レベル7」に至った。

ここで、菅直人首相が東電幹部を怒鳴りつけたのが3月15日の早朝だったことを思い出そう。あの時、東電幹部は、おそらく現場から放射線量が多過ぎて手に負えないという報告を受け、事故対応からの撤退を言い出し、菅直人はそれに切れたのだった。大量の放射性物質の漏出は、遅くとも15日未明までには起きていた。当時私は、ようやく政府が東電を管理下において統括する姿勢を見せたことを評価したが、今にして思えば、評価するも何も、そうせざるを得ないほど事態は緊迫していたのだ。あの時、保守マスコミは「東電を怒鳴りつけても萎縮させるだけだ」として菅直人を批判したが、これなど見当違いの論外な批判だったことがわかる。

4月20日付の東京新聞は、政府が3月15日、福島原発で事故対策にあたる作業員に限り、被曝限度を従来の計100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにする規則の特例を定め、17日には自衛隊員や警察官、消防隊員などに対する限度も同様に引き上げたあと、政府がさらに被曝限度を引き上げて「救命時は無制限」にしようと検討したことを報じている。

原発とは、緊急時にこういう作業が存在することを容認せざるを得ない技術なのだ。原発を推進した者ばかりではなく、原発を消極的にだろうが容認した人間、さらには原発推進を阻止することができなかった原発反対派にも責任がある。上記東京新聞が報じた政府の方針を軽々しく批判することはできない。これは原発を建てた以上、避けて通れない選択なのだ。私はこういう事態に二度と陥らないためにも、原発を段階的にであれ撤廃せざるを得ないと考えるが、今後は今後として、今回政府がこういう検討をしたことは批判しない。

思い出すのはひところ話題になった「暴力装置」という言葉であり、政府こそ合法的な暴力装置なのだ。政府にこういう命令を下させまいとするなら、これはもう原発を撤廃するしかない。

私は事故発生直後に政府と東電を激しく批判し、3月15日に政府が東電を制御下に置いたあとは、もっぱら東電を激烈に批判してきたが、これに対して、「この非常時に東電批判は行うべきではない。事故が終息してから東電や原発の批判はいくらでもできる」と主張された方もおられた。だが、その主張は誤りだと今になって強く確信する。というのは、どんな非常事態であってもそれが日常と化してしまうことを、この1か月半でいやというほど痛感したからだ。

政府や官僚や電力会社(何も東電だけではなく原発を持っていない沖縄電力を除く9社すべて)が言い続けてきた「絶対に起きない」事態は今も続いており、先日の朝日新聞の報道によると、原子力安全委員会が、事故発生4日後の3月15日までの放射線の総放出量が19万テラベクレルであったのに対し、4月5日時点での1日当たりの放射能放出量は154テラベクレルだったとの試算を明らかにした。放出量のピークだった3月15日に15万テラベクレルが一気に放出されたと仮定すると、現在の放出量はその頃の千分の一程度になっている。しかし、同時に注意しなければならないのは、仮に4月5日時点での放出量が1年続くとすると、あとから放出された放射線量だけでも「レベル7」に相当する5万テラベクレルを超えてしまうということだ。

だが、こんな異常な事態でさえ日常と化してしまっている。東京で配られた今朝の新聞の折り込みチラシは、大型連休の直前ということもあって、震災前と変わらないと思えるほどの分厚さだった。権力のやることも、朝日新聞が書くことも、テレビ朝日でキャスターがしゃべることも、以前と同じに戻りつつある。自民党や民主党の小沢派はおろか、馬淵澄夫ら民主党の「親菅派」でさえ復興の財源としての消費税増税に反対しているのに、朝日新聞と与謝野馨と菅直人は消費税増税に執念を燃やすし、一色清に代わってテレビ朝日に出演するようになった朝日新聞の五十嵐浩司という記者は、日本人はこれだけの大事故があっても冷静だ、なぜなら世論調査で原発の縮小や廃止を求める意見は4割なのに、増強または現状維持を求める人は6割もいるなどとほざいていた。ひどいネオリベだった経済記者出身の一色清に代わって、外報部出身の五十嵐浩司に代わって少しはマシになるかと思ったが、とんだ見当違いだった。世論調査の読み方については、当ブログの前々回のエントリで書いたが、毎日新聞の調査では縮小や廃止を求める意見の方が多かったことを五十嵐は意識的に無視して、原発温存へ世論を誘導しようとした。

そして朝日新聞はチェルノブイリ原発事故25周年という特別な日に、なんと原発を推進した張本人・中曽根康弘の巨大なインタビュー記事を掲載するありさまだ。あの岸井成格が主筆を務める毎日新聞でさえ社論を「脱原発」に転換したから、朝日も変わるかと思っていたが甘かった。朝日はやっぱり朝日だった。

政治家もひどくて、東京都知事の石原慎太郎は「震災は天罰だ」と言ったり、わざわざ福島まで「私は原発推進論者」だと言いに行った。与謝野馨は、壊れたレコードのように「自民党の原発推進政策は間違っていなかった」と連呼する。民主党でも鳩山由紀夫は毎日新聞の取材に対して、絶対に大惨事をもたらさない原発システムを研究すべきだ、日本が原発を売り込むベトナムでは、事故を契機に技術が進むとの期待もある、などと答えて、今でも原発推進の姿勢を崩していないことを明らかにした。

要するに、日本に限らないかもしれないが、社会においてもっとも強く働く力は慣性力(惰性)であって、一度方向づけがなされたら、それを止めることは難しい。これは何も政治の世界に限った話ではなく、日々の仕事を通じて痛感されている方も多いだろう。私もその一人だ。

だからこそ、政府批判や東電批判、それにこれまで原発を推進してきた勢力(自民党、民主党、電事連、電力総連、電機連合など)を、事故が起きた瞬間からずっと、特にもっとも危機的な状態にある時にこそ強く批判しなければならないのである。その時の批判の強さが、その後の政策や大手マスコミの社論の転換につながる。批判の自粛などもってのほかだ。今回は、世論の批判がかなり強かったから毎日新聞も社論を転換したし、菅直人も原発推進の政策を白紙に戻すと発言し、自民党総裁の谷垣禎一でさえ一時は原発推進政策の見直しを口にした。だが現在は、原発推進派の巻き返しが目立つ。鵺(ぬえ)的な朝日新聞は、結局社論の転換にまでは至らなかった。先日の五十嵐浩司の発言などを聞いているとそう判断せざるを得ない。

一方で橋下徹が「原発新設を止める」ことを関西広域連合に提案する動きもあり、綱引きは活発だ。関西の場合、関西電力の原発依存度が5割近くに達していて、仮に福井に大災害があった場合などに想定されるリスクが大き過ぎる問題があるが、そういった特殊事情は別にしても、現在は「脱原発」の流れがまだ強い。この流れを大事にしなければならない。

原発反対派や慎重派は、この流れが主流になるように、根気よく、というより執念深く発言を続けて行かなければならないと考える次第である。
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統一地方選の後半戦、東京23区では区長選と区議選が行われたが、昨日は午後に用事に出かけたあと、その帰り道で投票所に行った。帰宅すると疲れが出て、夕方7時前からずっと寝てしまい、目が覚めたのは午前3時前だった。だから地方選の開票速報は全く見ていないが、「減税日本」(その実体は「強者への逆再分配日本」)が事前の予想通り惨敗したことだけはネットで確認した。

以下、毎日新聞記事より引用する。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110425k0000m010121000c.html

減税日本:河村流、広がらず 3市長選も全敗

 有権者の政党不信や地方議会批判の受け皿として党勢を広げてきた首長政党の勢いに陰りが出てきた。河村たかし名古屋市長の率いる「減税日本」は、24日に投開票された衆院愛知6区補選で公認候補が落選。東日本大震災の復興ムードの中で減税政策に支持が集まらず、統一地方選では公認候補を立てた静岡、平塚(神奈川)、田原(愛知)の3市長選で全敗した。

 「とりあえずは力不足」。河村市長は24日夜、愛知県春日井市の候補者事務所で、補選敗北の弁を語った。

 減税日本は統一地方選後半戦で、東京都の区長・区議選などで70人を超える公認・推薦候補を立てた。愛知6区補選では、菅直人首相を批判する民主党の小沢一郎元代表のグループと連携。19日に愛知県小牧市を訪れた松木謙公前農水政務官は、政府が復興財源として増税を検討していることについて「2年前の衆院選は増税を約束して戦ったわけではない。復興増税には全く反対だ」などと述べ、政権批判を展開した。

 だが、復興財源の確保が政治課題に浮上するなか、減税の訴えはかつてほど有権者の理解を得られなかった。河村市長は「日本中が増税、増税と言っている時に、減税から震災復興を進める主張を掲げたことは大きな挑戦だった」と強気の姿勢を崩さなかったが、国政参画のあり方も含め、戦略の見直しが求められそうだ。

 一方、橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」は、大阪府吹田市長選で公認候補が現職を破り初当選。前半戦の大阪府議選、大阪・堺両市議選に続いて好調を維持し、減税日本とは対照的な結果となった。

 維新の会は前半戦の3選挙で、大震災の自粛ムードの中、新人候補がトップ当選を果たすなど躍進。自民からの離脱組が大半とはいえ、3議会で第1党を確保し、大阪での最大の政治勢力となった。今後は、府と両市を解体・再編する「大阪都構想」の実現に向け、3議会の他会派への働きかけを強める構え。12月に任期満了を迎える大阪市長選では、知事自らの市長選くら替え出馬も含めた「知事・大阪市長ダブル選」にも言及している。

 首長政党の躍進の背景には、民主、自民など既成政党に対する有権者の不満があった。だが、河村市長が国政志向を強めて既成政党への接近を図るのに対し、橋下知事は既成政党と距離を置く構えを崩さず、路線の違いが表面化。減税日本幹部は「橋下知事は河村市長に距離を置き始めている」と漏らしており、両党の今後の連携の行方にも不透明感が増している。【福田隆、丸山進】

毎日新聞 2011年4月25日 2時30分(最終更新 4月25日 2時37分)


やはり小沢一派は愛知6区補選で「減税日本」と連携していた。愛知6区における川村昌代候補の惨敗は、民主党小沢一派の惨敗でもある。公認候補を擁立できなかった菅主流派ともども、小沢一派にとってもさんざんな統一地方選だったといえる。

一方、2008年の大阪府知事選当選以来独裁を進めてきた橋下徹は、すっかり大阪に根付いたようだ。当ブログも、メインターゲットを「減税日本」から橋下に戻さなければなるまい。これからは名古屋よりも大阪が熱い。橋下をなんとしても止めなければならない。

その橋下は、河村を見限ろうとしているかのようだ。思えば、河村にぞろぞろ民主党の反主流派の連中がくっつこうとしたことがあった。あの「気合いだ!」のおっさんが主唱する「東京維新の会」だの、ビートたけしやたかじんの極右番組で大人気の電波芸者が主唱する「日本維新の会」などだ。その頃から、橋下が「なんだこいつら」と言わんばかりに民主党小沢一派の切り捨てに方向転換した。ちなみに、「気合いだ!」のおっさん(中山義活)は電力総連から金を受け取っているため、脱原発の政策は期待できない。『kojitakenの日記』にpuyonyanさんからいただいたコメントによると、減税日本が推薦し、電力総連の支援を受ける候補者までいたとのことだ。なお、河村自身は一応「脱原発」を気取っているらしいが、なにぶん旧民社であり、信用は一切できない。現在は逆風下にある電力会社が勢いを取り戻せば、すぐにでも再び寝返るだろう。

ところで、昨日テレビで、河村と気の合いそうな人物を見つけた。竹中平蔵である。竹中は、復興のための増税に激しく反対していた。私は、復興のための消費税増税には反対だが、法人税や所得税は、時限的にでも増税すべきだと考えている。特に、租税特別措置だの証券優遇税制だのは、恒久的に廃止すべきだ。何が何でも増税反対の河村たかしや竹中平蔵には賛成できない。現在は、東北が激しく痛んでいる状態であり、強い再分配が必要だ。経団連にもそれがわかっているから、自ら法人税減税の中止はおろか、法人税と所得税の増税さえも受け入れると言ったほどだ。それなのになぜ政治家が増税にはいっさい反対するか、消費税に重点を置いて増税するかのどちらかしか考えないのはどういうことなのか、全く理解できない。河村たかしや小沢一郎、それに現在では政治家ではないが竹中平蔵は前者で、菅直人、与謝野馨、谷垣禎一らは後者だが、私はどちらも間違っていると思う。

ただ、電力政策に関しては、竹中は見るべき発言をしていた。竹中は、東京電力処分の強硬論を唱えていた。「電力の自由化にもっとも強く反対したのが東京電力だった」とも言っていた。それを聞いて私は、やはり竹中は新自由主義者らしく、電力自由化を行いたいという希望は持っていたのか、それなら新自由主義者なりにまだ筋は通っているなと思った。あれほど規制緩和と「小さな政府」に熱心だった小泉政権が、それを電力政策に及ぼさなかったことを私は批判していたが、竹中平蔵でも自民党や経産省の「電力利権」を守りたい連中にはかなわなかったということなのか。

私は、規制緩和は何でもかんでも悪ではなく、電力の自由化はなさねばならない規制緩和だと考えている。そして、東京電力などの電力会社や電力総連、それに経産省官僚らがたくらむ東電の温存は最低であり、現在の自民党(や小沢一派)の「菅降ろし」にも、東電温存の意図が働いているのではないかと推測している。だから、菅政権の消費税増税志向には大反対だけれども、「菅降ろし」には与することができないのだ。竹中が今回東電への厳しい処分を主張したことに、藤原帰一は「私が竹中さんと意見が一致することは珍しい」と言いながら賛成していたが、実は私も同感だった。戦時中の統制経済にルーツを持つ10電力会社の現体制維持は、今後の日本を滅ぼすことに限りなく近い。

現在は「脱原発」を気取っているとはいえ、旧民社で、電力総連とつながりを持った連中とのしがらみがある河村たかしにどこまでそれが貫けるのか、大いに疑問だ(同じ疑念は、先日、原発を過渡的エネルギーと位置づけるという、民自合流以前の民主党の政策に立ち返る発言をした小沢一郎に対しても持っている)。そうして考えると、「減税日本」は竹中平蔵にさえ劣るといえるかもしれない。

いずれにせよ、「減税日本」の栄華には、早くも終止符が打たれた。敵の本丸は大阪だ。
東日本大震災と福島原発事故は、日本のみならず世界を大きく変えた。

もうブログに何を書いてもすぐ陳腐化してしまう。それくらい変化は急激だ。特にエネルギー問題は、日本のみならず世界的に大転換を迫られている。長年の「脱原発」から「原発推進」へと舵を切ろうとしていたドイツは、再び「脱原発」へと政策を再転換した。一方、フランスやアメリカは原発推進に固執している。

あの「原発推進御用放送局」・NHKでさえ、米・ギャラップ社が世界的に行った原発の賛否を問う世論調査で、日本などの国において、原発「反対」が「賛成」を上回ったニュースを、昨夕(21日)に報じていた。全世界ではまだ「賛成」が「反対」を上回っているが、このニュースは19日に共同通信が配信したが、東京新聞の記事には日本における賛否の数字が出ていない。それが、20日のasahi.comには出ていて、

原発がある国だと、日本では原発反対が28%から47%に増え、原発賛成は62%から39%に激減。

と書かれている。朝日自身の調査によると、原発反対は2007年の28%から福島原発事故後の41%と、13ポイントしか増えていないが、いうまでもなく朝日の調査では「現状維持」という選択肢に流れたためだ。朝日の調査だと、「原発賛成」は2007年の13%から原発事故後の5%に減っているが、これとギャラップ社の調査を比較すると、面白いことがわかる。

朝日の調査には「現状維持」という選択肢があるが、ギャラップは賛成か反対かのみ問うている。朝日調査での「現状維持」は、2007年の53%から今回の51%へとほとんど変わっていないが、その中身が違うということだ。つまり、2007年の「現状維持」53%は、その大半が現状追認だったのに対し、今回の「現状維持」51%の中には、「原発は好ましくないが、電力の3割を原発に依存している以上、すぐに原発を止めるのは非現実的だ」という意見が相当程度混ざっているということだ。加えて、新聞社による調査結果の違いもある。「脱原発」へと社論を転換した毎日新聞の調査では、

日本の電力の約3割を原発でまかなう現在のエネルギー政策については「やむを得ない」が40%。「原発は減らすべきだ」(41%)と「全て廃止すべきだ」(13%)を合わせると、54%がエネルギー政策の見直しが必要との認識を示した。

となっているが、これは別に毎日新聞が調査結果を捏造したわけではなく、「日本の電力の約3割を原発でまかなう現在のエネルギー政策をどうするか」という設問だと、「依存度を下げろ」といった答えが増えるのは当然だということだ。毎日の設問には、「原発依存度は3割もあるんだぞ」というニュアンスが込められているからだ。一方、朝日は単に「原子力発電は今後どうしたらよいか」と聞いている。つまり、朝日の聞き方だと「現状維持」を選ぶ人のうち、かなりの人は毎日の聞き方だと「減らすべきだ」と答える。ちなみに、読売は朝日と同様の設問をして、ほぼ朝日と同様の結果を得ているが、文章に悪意がある。読売は、

国内の原発に関しては「現状維持」が46%で最多だった。

と書いているのである。読売調査でも、原発を「増やすべきだ」10%、「減らすべきだ」29%、「すべてなくすべきだ」12%となっており、「減らす・なくす」の合計は朝日と同じ41%なのだが、こちらを強調する朝日に対し、読売は「現状維持」の数字が一番多かったことを強調している。

正しくは、こう書き改めるべきだ。

  • 読売:原発増設 10%、現状維持 46%、原発縮小ないし廃止 41%
  • 朝日:原発増設 5%、現状維持 51%、原発縮小ないし廃止 41%
  • 毎日:原発増設または現状維持 40%、原発縮小ないし廃止 54%
  • ギャラップ:原発賛成 39%、原発反対 47%

みごとに、朝日と読売、毎日とギャラップの調査がそれぞれ似通った数値を出していることがわかる。「賛成寄り」から「反対寄り」まで分布している「現状維持」を分析しなかったのが朝日調査の問題点だとするなら、「現状維持」をあたかも「原発政策の肯定」であるかのようにすり替えようとするのが読売の詐術だ。一方、毎日の調査で不満なのは、「原発依存度をさらに高めるべきだ」という選択肢を用意しなかったことだ。「日本の電力の約3割を原発でまかなう現在のエネルギー政策をどうするか」と聞かれて「原発依存度をさらに高めるべきだ」という選択肢を選ぶ人がいったいどれくらいいるか見ものだったのに。毎日新聞は、「脱原発」を社論にするのなら、そのくらいのあつかましさがあっても良かったのではないか。

当エントリの文章を書き始めた時の意図に反して、各社の世論調査の話題ばかり書いてしまったが、原発事故の件では書きたいことがありすぎて困る。だが、震災前とは打って変わって、原発問題は日本のみならず全世界的な関心事になっており、反原発の機運もこれまでにないほど高まっており、それらはとうてい紹介しきれない。

これまで、関心を持っていた人間なら誰でも知っていたことが、マスコミ界の「タブー」というか「黒歴史」になっていて、どの社も触れなかった事実を、一部のメディアが記事にするようになっている。この流れは、読売、朝日、NHKを頂点とするマスコミ界の大勢力には及んでいないが、権力の中心からの距離が遠いメディアほど取り上げるようになっている。『週刊東洋経済』や『週刊文春』といった週刊誌のほか、毎日新聞も加わった。特に、毎日新聞が20日付夕刊に掲載した「特集ワイド:『国策民営』 日本の原子力、戦後史のツケ」(下記URL)は画期的な記事だ。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110420dde012040004000c.html

500件を超える「はてなブックマーク」がついたこの記事は、実は昔からの「反原発」派の間にとっては、特に目新しいことは書かれていない。だが、読売新聞の正力松太郎、自民党の中曽根康弘といった「保守傍流」の人間が原発を推進し、首相在任中に石油危機に遭遇した田中角栄が原発推進を加速させたことを、震災前までは大勢に流されて安易に「原発推進」の社論をとっていたマスコミの一角・毎日新聞に載ったことに意味がある。

惜しむらくは、発行部数の少ない同紙の夕刊に載ったことだ。この記事をネットで見た私は、毎日の夕刊を買いにコンビニに出かけたが、置いてなかった。コンビニに置いてあった新聞の夕刊は読売だけで、そういえば最近は朝日の夕刊も、昔首都圏でとっていた頃と比較してペラペラになったなあと思っていた。私は、昨年までの十数年、中国地方と四国に住んでいて、そこでも朝日を購読した時期もあったが、中四国では全国紙の夕刊は発行されていないので、全国紙の夕刊の事情はよく知らなかったのだ。東京本社管内の産経が夕刊を廃止したことは知っていたが(大阪では発刊されている)。コンビニには、朝日の夕刊も置いてなかったのだが、朝日や毎日の夕刊が売り切れたのではなくコンビニはそもそも読売以外の夕刊を仕入れていないのだろう。首都圏における読売のシェアは、十数年前と比較しても上がっていることを実感する。そしてその読売は、上記毎日夕刊の記事にある通り、元社主自らが原発を推進した、札付きの原発推進新聞なのだ。

毎日夕刊の記事に戻ると、原発推進の歴史には、もう一つ大きな転機があった。以下引用する。

 原子力政策の専門家で、97~09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は「政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も原発を継続する強い意志を持っていた。2度の大事故の影響は日本では限られていました。世界の情勢に逆行して日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった」と話す。

 ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。さらに90年代半ばに発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる。

 「通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです」

 吉岡教授には、忘れられないエピソードがある。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年)を受け、97年に科学技術庁が設置した高速増殖炉懇談会に委員として招かれた。

 「ところが、議論のさなかに自民党が存続方針を出してしまったのです。懇談会の結論もそれを追認した。われわれの議論は何だったのかと思いました」

 戦後、日本は米国から原発を導入し、オイルショックで公共事業として推進し、バブル崩壊後も政府の手厚い保護下に置いてきた。政府が計画を立て民間の電力会社が運営する「国策民営」(吉岡教授)の二元体制。それが、福島第1原発の事故対応でも混乱を招いているのではないか。

 政治に利用され続けた原子力。それは資源小国ニッポンの宿命だとしても、代償はあまりにも大きかった。

(毎日新聞 2011年4月20日付夕刊「特集ワイド:『国策民営』 日本の原子力、戦後史のツケ」より)


電力自由化や原子力政策の転換を求める議連には、自民党の一部の議員も加わっていたのだが、自民党政権はあくまで「原発推進」を貫いた。あれほど「小さな政府」や「規制緩和」を大声で叫んだ小泉純一郎政権も、エネルギー政策に関しては「大きな政府」と「規制死守」にこだわったし、自民党議員時代に小泉と同じ「小さな政府」、「規制緩和」論者だった小沢一郎の後援会長を、東京電力の平岩外四(2007年没)が務めたこともあるという。その流れを引きずっているのか、小沢一郎が民主党に転じた今も、電力総連出身議員のうち特に原発擁護、東京電力擁護に熱心な藤原正司は、昨年の民主党代表選で小沢一郎に投票した。藤原に対する批判については、『kojitakenの日記』を参照されたい。

毎日新聞には、さまざまな立場の記者が比較的自由に意見を述べる社風があり、原発擁護記者が書いたひどい記事もよく載るが、原発批判記者が書いたもう一つの例として、日野行介記者が書いた4月21日付「記者の目:『原子力ムラ』の閉鎖的体質」もあげておく(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110421k0000m070156000c.html

この記事中に、下記の記述がある。

 ある地方テレビ局が数年前、原子力に批判的な研究者をドキュメンタリー番組で取り上げたところ、地元電力会社が「原子力を理解していない」と猛烈に抗議した。番組はこの電力会社を直接批判する内容ではなかったが、テレビ局は広告主の抗議を無視できず、記者による定期的な原発見学を約束した。

 この件について取材した私に、電力会社の役員は「(原発が)いかに安全か理解していない。『反省しろ』ということだ」と言い放った。その傲慢な態度は、今回の事故を巡る会見で見た東電幹部と重なり合う。

(毎日新聞 2011年4月21日付「記者の目:『原子力ムラ』の閉鎖的体質」より)


私が調べた限り、ここで実名が伏せられている地方テレビ局とは大阪の毎日放送、電力会社は関西電力と思われる。関西電力といえば、被災地・東北のプロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務める星野仙一が、阪神タイガースの「シニア・ディレクター」とやらを務めていた頃、原発推進のコマーシャルに出演していたとのことだ。楽天は、こんな男に監督を任せていて良いのだろうか、即刻星野を更迭すべきではないかと思うが、それは別にしても、関西電力の発電に原発が占める比率は、東京電力の23%と比較しても格段に高い48%というとんでもない数字であることを、特に関西人はよく考えるべきだろう。東日本大震災は彼らにとって人ごとであってはならないのである。

原発をめぐる言論状況の変化はとにかくすさまじいので、到底フォローしきれないのが現状だが、今が肝心な時期だ。これからしばらくの間の日本における政治的判断の数々が、今後の日本を大きく左右する。
FC2ブログのサーバー障害には終息宣言が出たようなので、本格的にこちらのブログを再開する。1日あたりのアクセス数においては、もともとは「裏ブログ」だった『kojitakenの日記』の方がこちらのブログより相当多くなってきたが、週に2回まとまった文章をこちらに公開するパターンは、当面継続したい。

東日本大震災と、同日に起きた福島第一原発事故は、東日本の被災地にとどまらず、日本の社会全体にとって大きな打撃となったが、特に原発事故で余分なリスクを背負い込んだことによって、日本の社会、経済、それに政治に大きな転換を迫ることになった。

朝日新聞は世論調査結果の記事で、これだけの大事故にもかかわらず、原発を「減らすべき」及び「止めるべき」という意見は41%にとどまっていると報じているが、この世論調査に「現状程度(を維持)」と答えている51%のうちどれくらいの人が、10年代半ば以降、既存の原子炉が次々と耐用年数に達して、運転を停止しなければならないこと、そして、新しい原発の建設を受け入れてくれる地域などありはしないことを認識しているだろうか。おそらくそんなことは考えたこともないという人が大半だろう。

この51%の人たちのかなりの部分は、原発の新設には消極的だろうし、特にそれが自分の住んでいる地域の話だとしたら、絶対に賛成しないだろう。そこまで考えると、原発を「減らす」と「止める」の合計が41%だからといって、決して日本人が今後とも原発推進を支持し続けるという結論にはならない。

全国紙の中では、原発事故発生直後からもっとも厳しく東京電力を批判してきた毎日新聞は、4月15日の紙面に、従来の「原発推進」の社論を転換する社説を掲載した(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110415k0000m070174000c.html

毎日新聞はこの社説で「地震国の原発 政策の大転換を図れ」と政府に迫っているが、毎日新聞社の社論自体も政府に先駆けて転換したことになる。あの岸井成格が主筆を務める新聞社の社説とは信じがたい。岸井は、昨日(17日)のTBSテレビ「サンデーモーニング」で、「レベル7は厳し過ぎるという外国の意見もある」などと言って、なお原発推進に未練のありそうな口ぶりだったが、毎日新聞社においては、読売新聞社とは違って「主筆」の重みはずいぶん軽そうだ。まさか、「主筆は軽くてパーがいい」というのでもあるまいが。

ただ、その岸井も「首都を東北に移転してはどうか」という、岸井の口から出たとは信じられないような発言をしていた。日本政府の政策を大きく転換しなければならない、という空気は、毎日新聞社には充満しているように思える。そこには、震災前から経営難が言われていた毎日新聞社自体が変わらなければ、社の存続が危ういという記者の危機感もあるのではないか。当ブログは、岸井が主筆を務めている間は、かつてやっていた「毎日新聞叩きに反対するキャンペーン」を再開するつもりはないが、同紙の記事には今後注目したいと思っている。

毎日新聞は、4月16日付社説「『低エネ』社会 日本モデルは可能だ」でも、下記のように書いている。

 今後、日本は強いエネルギー制約下に置かれる。政府のエネルギー基本政策は2030年までに14基の原発を新設し電源の半分近くを原子力に頼るというものだったが、増設は政治的に不可能になったと思われる。それどころか、既存の原発も定期検査で休止した後、地元が再稼働に同意するかどうか予断を許さない。原発の今後は非常に危うい。

(中略)

 原発の比重は低下せざるをえず、当面、天然ガスが代替の主役になるとみられる。また、高効率の石炭火力の増設も有力だ。石油火力の新設は停止されているが、既存施設の再開も必要だろう。

 長期的には太陽光や風力による再生可能エネルギーの拡大だ。また、日本の送電ネットが東西で事実上分断され、緊急時に電力を融通できない現状も早急に改めるべきだろう。

(毎日新聞 2011年4月16日付社説「『低エネ』社会 日本モデルは可能だ」より)


そう、いくら「政界の癌」・与謝野馨が壊れたレコードのように「原発推進政策は間違っていなかった」と逆ギレ気味に叫び続けても、これ以上日本に原発を推進することはできない。仮に岸井が言うように首都を東北に移転して、天皇家にも東北に移っていただけば、皇居にスペースができるが、東京1区選出、もとい東京1区で落選して比例区で復活当選したくせに自民党を勝手に離党して議員辞職もしない外道政治家・与謝野馨は、果たして「皇居跡に原発を建設せよ」と言ってくれるだろうか。

毎日の社説に話を戻すと、この一節にも注目したい。

 私たちはエネルギーへの激しい渇望に突き動かされて、自然への畏怖(いふ)を忘れ、いつの間にか自然の許容限度を踏み外してしまったのかもしれない。


この文章が、社説後半の節電を説く文章へとつながるのだが、そこにはこうも書かれている。

 低エネルギーは低成長を意味し、一般に国民の福利を引き下げるとされている。しかし、今度の大災害で諸外国は日本人のさまざまな美徳を絶賛した。我慢強さ、助け合い、地域や職場の信頼の絆。日本には石油はないがこうした「社会資本」は多量にあり、それを社会の隅々に織り込んでいきたい。

(中略)

 窮乏生活をする必要はない。浪費を避け、資源の再生につとめ、リサイクルを促進する。そして、小型水力発電などでエネルギーの地産地消を可能な限り進めたい。分散型の国土形成で防災力を高める。エネルギー制約は早晩、ほかの国をも襲う。それに先だって低エネルギーでも福利の低下しない日本モデルを構築することこそ、3・11への何よりの鎮魂となるだろう。


私が思い出したのは70年代のことだ。二度にわたる石油ショックで、「省エネ」が合言葉とされた時代があった。1974年から75年にかけては、不況下の物価高(スタグフレーション)も経験したが、日本経済がこの危機を乗り越えると、「省エネ」なんて誰も言わなくなった

工業技術の世界で、昔から私が不満に思っていたことは、パソコンなどがどんどん電力を食うようになっていったことだ。インテルのCPUは、演算速度が速くなるにつれてどんどん消費電力が大きくなっていったし、ノートパソコンや携帯電話に搭載されるリチウムイオン電池でさえ、同じ体積でどんどんエネルギー容量が大きくなっていった。機器のデザインはいくら軽薄短小でも、消費する電力はどんどん増えていくのを見て、これはおかしいのではないかと長年思っていたのだ。スピンドルモーターをブン回すハードディスクにSSDがとって代わろうとしている流れなども一部にあるとはいえ、基本的には電力を食う方向に技術が進んできたし、リチウムイオン電池などは容量密度が大きくなったために安全性の問題が出てきて、2006年頃からノートパソコンに搭載されたリチウムイオン電池が爆発するなどの事故がしばしば起きて、マスコミにも大きく報じられた。

だが、その流れも今回の大震災と原発事故で変わるだろう。今後は、かつてのように「省エネ」が脚光を浴びることになると思う。

テレビなどに出てくる御用コメンテーターたちは、大なり小なり原発利権とかかわりのある人たちだから、彼らの言うことを信用してはならない。御用コメンテーターの中でも、勝間和代のように機を見るに敏な人間は、原発事故発生直後には声高に原発擁護論をぶっていたことに「謝罪」もどきの文章を発表して転向したりもしているが、まだ既得権益派が大勢で、少し前までの「原発は安全」との言説を、「放射能をいくら浴びても安全」にバージョンアップさせながら妄言を延々と繰り広げている。

そんな洗脳工作に騙されかかっている方々に是非ともお読みいただきたい文庫本がある。

柳澤桂子さんが書いた『いのちと放射能』(ちくま文庫、2007年)である。この本は、チェルノブイリ原発事故が起きた2年後の1988年、『放射能はなぜこわい―生命科学の視点から』と題して地湧社から出版した本を改題して、2007年にちくま文庫に収録されたものだ。

なぜ私がこの本を推薦するかというと、何より著者が著名な生命科学者だからである。著者は書く。

 ただひとつ、私は生命科学を研究してきたものとして、はっきりと言えることがあります。それは『放射能は生き物にとって非常におそろしいものである』ということです。そのことをひとりでも多くの方に理解していただくように努めることが「私のいま、なすべきことである」と思います。


テレビに出てくる御用コメンテーターたちは、みな立派な肩書きを持ち、「正しい知識を持て」などというから視聴者は騙される。だが、柳澤さんは生命科学者として放射能が生命に与える悪影響を熟知している。その柳澤さんがわかりやすい言葉で、放射能のおそろしさを訴えている。

書評を『kojitakenの日記』に書いた。この本を読めば、「少量の放射線は体にいい」とか、「チェルノブイリ原発事故では放射性ヨウ素が引き起こす甲状腺ガンは増えたけれども、他のガンは増えていない」などという見え透いた嘘を撒き散らす御用コメンテーターたちに騙されることはなくなるだろう。
2011.04.18 08:48 | 東京電力原発事故 | トラックバック(-) | コメント(10) | このエントリーを含むはてなブックマーク
12日、原子力安全・保安院と原子力安全委員会が福島第一原発事故を「レベル7」との暫定評価を発表した。

当ブログが「いまや『チェルノブイリ』と比較される福島原発事故の深刻さ」と題した記事を公開したのは3月25日だが、この記事は同日付の朝日新聞記事に基づいて書いたものだ。朝日新聞は、原子力安全委員会が公表したデータに基づいて、事故を「レベル6」と評価し、これを記事にした。

このことは、朝日新聞の紙面にはっきり書かれている(特に、上記リンク先には書かれていないけれども当日の5面に掲載された高橋真理子記者の署名記事「安全委は国民の前に立て」)。それにもかかわらず、ネット右翼筋からは、「朝日にレベルを決める何の権限があるんだ」などという、筋違いの悪口が聞かれた。

今回も、当ブログは「レベル7であることは3月下旬の時点でわかっていた」と批判するのだが、4月14日付の朝日新聞3面に掲載された記事「『レベル7』遅れた認定」を読むと、官邸スタッフの12日の会食で「チェルノブイリと同じ『レベル7』はおかしくないか」という意見が相次いだらしい。

だが、同じ朝日新聞記事には、

INESのマニュアルに従えば、5万テラベクレルを超えれば「レベル7」に相当する。

とある。つまり、放出された放射能放出量でレベルは決まるのだから、チェルノブイリと比較してどうこうという議論はおかしいのではないかと思うのだが、マスコミや政界を含めて奇妙な議論がまかり通っている。

どうにも納得できないので、4月12日に公表された原子力安全委員会の資料に当たってみた。
http://www.nsc.go.jp/info/20110412.pdf

この資料には、放出量の積算値の推移を示すグラフが出ている。一見、放出された放射能の大部分は3月15日から16日にかけて出ているように見えるが、よく見るとこれは片対数グラフになっている。縦軸が、100テラベクレル、1000テラベクレル、1万テラベクレル、10万テラベクレル、100万テラベクレルと、10倍間隔で刻まれているのだ。これだと、グラフの上の方では、実際にはかなりの放射能の放出があっても曲線の傾きは小さくなってしまう。

これを3月15日から24日までの部分だけ、通常の(リニアの)プロットに書き改めたグラフを示したブログがあった(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/chemist_at_univ/e/4880fe4a4f204d03b8852b2e08c3f117

こちらのグラフを見ると、3月15日から16日にかけて放射性ヨウ素の大量放出があったあと、少し収まったものの22日にかけてコンスタントな放出があり、22日から24日頃にかけて再び放射性ヨウ素の放出量が増えたあとようやく放出量が減ったことがわかる。また、もとの原子力安全委員会のグラフを見ると、22日から24日にかけてはセシウム137の放出量はさほど増えていないものの、29日から30日にかけてセシウム137の放出量が目立って増えたことが読み取れる。それぞれの放出量の増加がいかなるイベントと関係しているのか私にはわからないが、何度かなんらかの危機的なイベントがあったことは想像できる。

原子力安全委員会の資料には、こう書いてある。

3月11日から4月5日までの大気中への一部の核種の放出放射能総量として、ヨウ素131が1.5×10^17Bq(15万テラベクレル)、セシウム137が1.2×10^16Bq(1.2万テラベクレル)という推定的試算値が出されました。



原子力安全委員会の「放射性ヨウ素換算」の放射能放出量は63万テラベクレルとのことだが、どうやらセシウム137の放出量を「放射性ヨウ素換算」する時には40倍するらしい(1.2万テラベクレルを40倍すると48万テラベクレルとなり、ヨウ素131の15万テラベクレルと合計して63万テラベクレルになる)。INESが定める「レベル7」の基準をとうに超えている。

ここで私が声を大にして言いたいのは、原発事故のレベルは放射性物質の総放出量で決まるから、政治的判断で「レベル4」だの「レベル7」だのと決められる話ではないということだ。このことを読者の皆さまにご理解いただきたいと思う。一部で憶測されているような、「アメリカが日本の原子力行政を支配下に置く目的で『レベル7』の判定を日本政府に強要した」という俗説は、有害な陰謀論以外の何物でもない。

議論があるとすれば測定誤差だが、朝日新聞の記事によると、原子力安全委員会が初めて「3万~11万テラベクレル」試算を公表した3月23日の段階では、「測定地点が3地点しかなく、試算値は10分の1から10倍程度の幅で誤差があると考えられた。とのことだ。この書き方だと、3月23日段階でも試算値の中心値は6万テラベクレル程度だが、真の値は6千テラベクレル程度から60万テラベクレル程度まで幅を持っているかのように読める。誤差の下限の数千テラベクレルでも「レベル6」相当だから、この時点で朝日新聞が原発事故の深刻さを「少なくともレベル6以上」と判定したことは理にかなっていたのである。ただ、この時点で朝日新聞があえて書かなかったことは、「おそらくレベル7に達している」ことだった。

このようなことは、豊富な人材を多数抱えるマスコミ各社の高給を取っている優秀な記者たちは、朝日新聞の記事を読んで理解に至ったはずだ。朝日新聞が政治的思惑だとか、ましてやアメリカの意を受けて(笑)「レベル6」と判定したと思う人がいるなら、その人は陰謀論的思考方法に侵されすぎている。

私は、朝日新聞が3月25日付紙面で「レベル6」と報じたことを評価する。「レベル7の疑いが強い」ことを、枝野幸男官房長官のみならず朝日新聞記者も気づいたであろうにもかかわらずそうは書かなかったことは適切だとは思わないが、それは政府と同様、朝日新聞にも読者をパニックに陥れないための配慮が働いたものと推測している。そして、そうした新聞報道に対して疑義を呈することが、われわれ市井の人間がとるべき態度だと考えているから、私は前記3月25日付の当ブログ記事「いまや『チェルノブイリ』と比較される福島原発事故の深刻さ」でそれを実践した次第である。

それだけに腹が立つのが、「レベル7」の見込みと原子力安全・保安院と原子力安全委員会したあとになって、読売新聞と産経新聞を代表格とする右翼マスコミや、自民党の諸政治家たち、みんなの党の渡辺喜美、民主党の小沢一郎といった獰猛な保守政治家たちが、これを菅政権転覆の口実にしようと躍起になっている姿だ。

だが彼らも皆、枝野幸男や朝日新聞記者たちと同様、3月下旬にはこの事故が「レベル7」相当だと知っていたはずだ。知らないとは言わせないし、もし本当に「知らなかった」のであれば、その程度の情報収集能力しかないのであれば、彼らはジャーナリスト失格だし、政治家失格だ。

何より、彼ら元ないし現自民党政治家及びそれを後押ししてきた右翼マスコミは熱心な原発推進勢力である。その中でももっとも悪質なのは中曽根康弘・正力松太郎につながる人脈であって、現役の政治家やマスコミ人でいうと与謝野馨、石原慎太郎、渡邉恒雄(ナベツネ)といった人たちだが、他の連中も五十歩百歩だ。

私とて菅政権の震災対応には強い不満を持っているが、上記の連中が主導するような「右からの倒閣」だと、事態はさらに悪くなる。単にトレンドに安易に乗って原発推進政策を進めたに過ぎない菅政権よりも、根っからの原発推進勢力である彼らが政権を担った方が、情報隠しはさらに徹底されて既得権益(原発利権)は守られ、その結果日本が取り返しのつかないほど破壊されてしまうことは火を見るより明らかである。

同じ保守政治家、しかも新自由主義系であっても、河野太郎のような反原発論者が首班指名を受ける政権であれば、原発政策に限っては菅政権より良くなる期待も持てるが、上記保守政治家や保守マスコミにとっては、「河野政権」など、菅政権よりさらに悪い論外の選択肢に違いない。

本来なら、3月下旬の時点で、自民党や渡辺喜美や小沢一郎が、そして読売新聞や産経新聞が「本当は『レベル7』ではないのか」との疑問の声を上げていなければならなかった。その時そういう行動をとっていて初めて、「今頃になって『レベル7』を認めるとは何をやっていたのか」と菅政権を批判する資格があるといえる。しかし、彼らは3月下旬にはそんなことは言わなかった。なぜかというと「反原発」の世論が盛り上がるのを恐れたからであり、原発推進の政策、ひいては原発利権を守りたかったからだ。

なんという卑怯な連中か、と私は怒り心頭に発している。
2011.04.15 08:20 | 東京電力原発事故 | トラックバック(-) | コメント(7) | このエントリーを含むはてなブックマーク
http://fc2support.blog85.fc2.com/blog-entry-903.htmlの追記に、こんな恐ろしいことが書いてある。

【2011年 4月6日(水) 16時10分 追記】

障害が長引きまして、大変、申し訳ございません。

blog8, 63, 66, 120 の障害につきましては
現在も復旧作業を行っております。

なお、御利用のブログに異常が見られる場合には
新規記事の投稿など、ブログの更新をお控えいただけますでしょうか。
お客様のブログを復旧した際に
新たに更新したデータが消えることがございます。


万一まだ動作がおかしいなどの場合は
恐れ入りますが、サポートまで詳細を添えてお問い合わせください。

ご利用の皆様には大変ご不便をお掛けしますが
ご協力のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

以上、今後ともFC2を宜しくお願いいたします。


運の良いことに、当ブログはエントリ本文はすべて生き残った。コメントの一部とトラックバックの大部分は消失したが、コメントは古いエントリにいただいたもの以外キャッシュから復元することができた。

しかし、深刻な被害に遭われた方は多いようだ。前のエントリにいただいたコメントを2件紹介する。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1171.html#comment11803

初めまして。
私もblog63サーバーのブロガーです。

5年もブログ運営なさってるんですね^^
今回のようなトラブルはこの五年間では無かったんですか。
なんかすごく運が悪いなぁって思ってます…

私のブログは今、一年かけて書いてきた全ての記事が無くなってしまっています。
これから復旧すると思っておりますが、やはり不安です。

いきなり幼稚なコメントを失礼しました;

2011.04.07 01:02 URL | キャロ


キャロさんのブログはこちら。
http://yuilog0326.blog63.fc2.com/

現在は、http://yaplog.jp/yui_26/に一時避難中とのこと。


続いては、コウさんからいただいたコメント。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1171.html#comment11804

はじめまして、コウと申します。
私も今回のFC2サーバー障害に巻き込まれたのですが、何故かすべての記事が消えていました。

これって、どうにかならないのですかね?
もしも、対処法をご存知でしたら、教えていただけると幸いです。

かなり力を入れていたブログなので、脱力感でいっぱいです。

2011.04.07 02:04 URL | コウ



"blog63" では、ここまでひどいトラブルは、私がブログを開設した2006年以降はなかったが、他のサーバーではしばしばあったようだ。

http://butikasegu.livedoor.biz/archives/64780653.html

FC2ブログの一部サーバーを利用している
ブログデータが飛んだそうです・・・


ブログサービス「FC2ブログ」を運営する米FC2はこのほど、ユーザーのブログ記事データの一部がハードウェア障害で消失したとし、該当ユーザーに「Googleキャッシュからデータを復帰してほしい」と呼びかけている。

 9月29日から10月1日にわたって障害が発生し「blog88」という名のサーバを利用していたユーザーで、9月12日から10月1日までの記事が消失した。一部ユーザーの記事はバックアップからも復帰できなかった。コメントやトラックバックは保存されている。

 同社はユーザーに対して、Googleのキャッシュや、キャッシュ検索ページから、自分のブログのキャッシュを探しだして本文をコピーし、ペーストで投稿し直してデータを復帰させる方法を紹介している。

 キャッシュを見つけられないユーザーは、同社にブログURLを送れば、同社のキャッシュからデータを探して復帰できる場合があるが「時間がかかり、確実に復帰できるとは言えない」としている。

 また、ユーザーに対して「万一に備え、ユーザーのローカルPCにも記事をバックアップしておいてほしい」とすすめている。


私の場合は、ブログ名を検索語にしてGoogle検索を行い、さらにエントリのタイトルを検索語にしてGoogle検索を行うことによって、飛んでしまったコメントを復元した。エントリ本文が飛んでしまった方も、Googleキャッシュである程度記事を復元することができるかもしれない。

あと、トラブルに遭われなかった方も、管理画面にある「データのバックアップ」で、ブログのデータをバックアップすることをおすすめする。私はかつてはこまめにこの作業を行っていたが、ここ1年あまりの間は全くバックアップをとっていなかったため、トラックバックのデータなどを失ってしまった。

もちろん、手に負えない場合FC2に問い合わせるのが良いと思うが、どこまで対応してくれるかはわからない。

結局、「無料ブログ」の場合、ブログを守るには自衛するしかなさそうだ。
2011.04.07 09:15 | ブログ情報 | トラックバック(-) | コメント(2) | このエントリーを含むはてなブックマーク
今回のFC2サーバのトラブルは実にひどかった。

http://fc2support.blog85.fc2.com/blog-entry-903.html より。

【ブログ】blog8, 63, 66, 120サーバー緊急メンテナンスのお知らせ

FC2サポートです。
平素はFC2をご利用いただきありがとうございます。

FC2ブログ ( http://blog.fc2.com/ )の以下のサーバーにて
緊急メンテナンスを実施しております。

【対象サーバー】
blog8, blog63, blog66, blog120 サーバー

【影響】
ブログの表示、及び、ブログの管理画面での操作や
モブログ投稿、コメント投稿など

【発生期間】
日本時間 2011年 4月02日 (土) 20時13分頃 ~

ご利用の皆様には大変ご不便をお掛けしますが
復旧まで今しばらくお待ちください。

-----------------------------------------------
【2011年 4月3日(日) 18時00分 追記】

長時間に渡りご不便、ご迷惑をおかけし誠に申し訳ございません。

引き続き復旧作業を実施しております。
今しばらくお待ち下さい。

メンテナンスサーバーに該当するお客様には下記の障害が発生しております。

【障害内容】
管理画面へのログインができない
一部のブログにアクセス出来ない

-----------------------------------------------
【2011年 4月4日(月) 10時45分 追記】

機器の故障によりご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
復旧のため最善を尽くしておりますが
完全な形でデータを復旧させることが出来ない可能性がございます。

問題のあった機器は新しく交換し
バックアップよりお客様のサイトデータを復旧する作業を行っています。

なお、バックアップのデータは最新のデータではなく
一部のファイルがなかったり、削除したファイルが復活している
または、ファイルの中身が過去のものに巻き戻る可能性があります。

-----------------------------------------------
【2011年 4月4日(月) 22時35分 追記】

復旧までに時間がかかっていることを、お詫び申し上げます。
blog63, 120につきましては、復旧が完了しました。

なお、データの復旧を試みましたが
一部、復旧できなかったデータもございます。
この度は、大変、御迷惑をおかけ致しました。

-----------------------------------------------
【2011年 4月4日(月) 23時30分 追記】

blog63とblog120の一部のブログにおきまして
ログインできない、文字化けが発生するなどの現象が発生しています。
blog8とblog66のサーバーも併せて
引き続き、対応中ですので、今しばらくお待ちください。
復旧作業が完了次第、再度お知らせ致します。

ご利用の皆様には大変ご不便をお掛けしますが
ご協力のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

以上、今後ともFC2を宜しくお願いいたします。

----
FC2, inc


当ブログの記事は、文字化けはしていないようだが、他の "blog63" のサーバーにあるブログには、文字化けして読めないところもある。それも、「復旧」作業が進めば進むほど、データが壊れていっているように見える。

また、当ブログの記事数は、前の記事までで1156件だったはずだが、なぜか1件増えて1157件になっている。また、当ブログが過去5年間にいただいたトラックバックの記録は、ほとんどが飛んで消えてしまった。しかも、過去のエントリはすべて「トラックバックを受け付けない」設定に変更されてしまっている。また、コメントについても、過去3件のエントリにいただいたコメントが全部飛んでしまった。

そのうち、前回のエントリにいただいたコメントは、サーバーの「復旧」直前にコピペしておいた。また、3月29日付のエントリのコメント欄はGoogleキャッシュから復元した。長くなるけれども、これらを追記欄に表示する。

上記のFC2の障害情報には、障害の発生は4月2日の20時13分頃などと書かれているが、冗談じゃない。もうずいぶん前からサーバーの調子が悪く、しばしばビジーでアクセスできなかったり、コメントやトラックバックを承認できなかったりした。

それにしても、間もなくブログ開設から満5年になるが、ここまでひどいトラブルは初めてだ。ブログのバックアップは、以前はしばしば行っていたが、ここ1年あまりはバックアップをとっていなかったらこの大トラブルだ。無料ブログとはいえ、ここまでトラブルがひどいと安心して使えない。

今年に入ってからは、当ブログよりも裏ブログの『kojitakenの日記』の方がアクセス数が多い状態がずっと続いているが、FC2ブログがこのありさまだと、このブログサービスは安心して使えない。今後、従来通りFC2ブログでの運営を続けて良いのどうか考えてしまう。
2011.04.05 00:53 | ブログ情報 | トラックバック(-) | コメント(3) | このエントリーを含むはてなブックマーク
新年度の最初の日を迎えた。

西日本、というか電力の60Hz地域(中部電力以西)や北海道にお住まいの方には実感がわかないかもしれないが、東日本大震災の被災地のみならず、広く東北・関東では「3・11」以前と以後で社会が変わったというのが実感だ。いうまでもなく、福島原発事故の影響が大きい。

本エントリでは、原発事故に言及する前に、日本の政治の大枠に大きな変化が生じつつあることを指摘しておきたい。それは、「小さな政府」論の猛威が、震災とともに止まったことだ。震災の直前には、名古屋市長・河村たかしの「減税日本」(その正体は「強者への逆再分配日本」)が注目し、地方議会の民主党議員には、民主党を離党して「減税日本」入りする人間が続出した。東日本大震災の被害を受けなかった名古屋市では、震災2日後の3月13日に予定通り名古屋市議選が行われ、「減税日本」が第一党となったが、同党が目指していた議席の過半数は獲得できず、一部で予想されていたほどの圧勝にはならなかった。

それでも、震災の被害のなかった名古屋で、原発事故についてもマスコミのミスリードによって楽観的な見通しが支配的だった大地震2日後の選挙だから「減税日本」第一党という結果になった。震災後、「減税日本」が注目される頻度は減り、それどころか被災地をはじめとする東日本の再興には莫大な政府支出が必要であることは自明だから、「減税」の主張自体が説得力を失っている。今や経団連でさえ法人税減税を諦め、それどころか法人税と所得税の増税を自ら言い出している。

昨日読んだ新聞記事に、経団連が「消費税増税」を言い出したという記載はないが、今朝(4月1日)の朝日新聞一面トップ記事「復興へ新税創設案」を読むと、政府・民主党は「復興基本法案」の一環として「特別消費税」の創設を検討する、などと書かれている。政界の癌・与謝野馨を内閣に取り込んだ民主党・菅政権の悪弊が出たと評すべきだろう。いったい、震災で何もかも失った東北の人たちまで含めて「薄く広く」税を徴収しようというのか。こういう時にこそ「持てる者」から「失ってしまった者」への富の再分配が必要ではないのか。だから経団連でさえ法人税増税を言い出す一方で消費税増税には触れなかったというのに。与謝野は、原発事故に関しても原発推進論に固執するトンデモ発言を行ったが、新自由主義と原発政策を推進した中曽根康弘の腹心だっただけのことはある。私が与謝野を「政界の癌」呼ばわりするゆえんだ。

ともあれ、菅政権や与謝野への批判はともかく、「小さな政府」論が自然災害によって一気に勢いを失ったことは事実だ。こんな時に「小さな政府」では東北など東日本の再興はままならないことは誰の目にも明らかだからだ。

昨日(3月31日)付の朝日新聞に苅部直・東京大学教授が書いた「あすを探る」というコラムに、山口二郎が「週刊金曜日」の3月25日号に書いた論考が紹介されている。同コラムによると、山口は、東日本大震災が小泉政権から「減税日本」にまで続く、「人々に剥奪されているという被害者意識を植え付け、それを公共的なものの破壊に向かわせる」動きを停止させる機会だと指摘する。被災者に対して何かをしたいと思う、多くの人たちの気持ちを、「社会的連帯と相互扶助の政治」を作りあげる基盤にしてゆくことが求められていると論じているとのことである。

私は山口二郎とか「週刊金曜日」と聞くと眉につばをつける人間だが、小泉純一郎の「構造改革」から河村たかしの「減税日本」に至る流れを批判した主張自体はまっとうそのものだ。苅部直は山口の論考を受けて、

「小さな政府」の喧伝という、多くの人が疑問に思っていたにもかかわらず、止めることのできなかった問題を、改めてとらえなおし現状を変えてゆく、大胆な構想力。それがいま必要なのであり、もはや課題の先送りは許されない。

と書いているが、その通りだと思う。「鍋パーティー」もその思いから立ち上げた。震災により鍋パーティーのブログも先月中旬以来更新を中断しているが、近く再開を予定している。


政治の世界も流れが変わった。子ども手当のつなぎ法案は、共産党と社民党が賛成し、参院本会議では「みんなの党」の参院議員・寺田典城(てらた・すけしろ)が党の方針に造反して賛成に回った。採決は、民主党を牽制する国民新党の亀井亜紀子が欠席したために賛否同数となり、参院議長・西岡武夫が可決を宣言して成立した。「小さな政府」側の足並みが乱れ、「減税日本」(=「強者への逆再分配日本」)に露骨に接近していた民主党の小沢グループには、焦りの色も見られる。

福島原発事故を契機に、あれほどエネルギー政策問題に無関心だった世論も一変した。政治にせよ社会にせよ企業活動にせよ、物事が一度動き始めたら慣性を止めることは非常に難しい。だから、政治権力は「既成事実を作る」ことに腐心するのだが、「日本の原発は安全」という神話に基づく原発政策や東京電力を筆頭とする企業活動はその最たるものだった。その神話が、東日本大震災に伴って起きた福島原発事故によってあっけなく崩壊した以上、政府が政策転換を迫られるのは当然だ。

菅直人首相や枝野幸男官房長官は、矢継ぎ早に「エネルギー政策の見直し」の言動を行っている。「特別消費税創設」については評価できない「復興基本法案」にも「原子力に依存しているエネルギー政策を見直す」と明記されることになったのは当然だが、自公政権だったらこの点だけでももめたに違いない。実際、産経新聞は、

 自民党の谷垣禎一総裁は31日午後の記者会見で、日本の原子力政策の見直しについて「諸外国みなが見直すと世界中のエネルギー需要の変更につながるので、視野を大きく取りながら組み立てないといけない」と述べ、慎重に検討すべきだとの見方を示した。

と報じている。とはいえ、同記事によると、原子力政策に関する自民党の新たな基本方針はエネルギー政策合同会議(甘利明委員長)で取りまとめる予定だというから、自民党の政策も今までと同じというわけにはいかないだろう。もちろん、当ブログに前にも書いたように、政権を担う民主党は、小沢一郎代表時代の2006年に「原発慎重論」から「原発積極推進論」へと転換したエネルギー政策を、最低でも元に戻すべきだ。

東京電力は賠償に巨額の費用が必要で、もちろん東電に賄い切れるはずもないから、東電の一時国有化は必至だろうし、議論は原発国営化論にまでつながるだろう。何が問題だといって、営利企業に原発のような危険なプラントの運転を任せていたことほど大きな問題はない。営利企業には、何より収益を上げることが第一に求められるから、自ずとコスト低減の圧力が強くかかる。採算を度外視した安全対策など企業にはできず、原発のような国策でなければ、ソロバンが合わなければ企業は事業から撤退するのだが、国策だからそれもできない。その必然の帰結として地震やそれに伴う津波などの対策がおそろかになる。これが「資本の論理」である。この「資本の論理」が、今回の福島第一原発の事故を引き起こした。

決して「想定外」などではない。今回の原発事故以降、これまで惰性で原発推進論をとってきた朝日新聞や毎日新聞の論調に顕著な変化が見られるが、その一例として、毎日新聞の福岡賢正記者が書いた記事(下記URL)を紹介したい。なおこの毎日新聞記事は、ブログ『反戦塾』の記事「原発は国営化せよ?」経由で知った。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110329ddm004070015000c.html

発信箱:すべて想定されていた=福岡賢正

 原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。

 《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》

 《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》

 《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》

 《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》

 すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災?破滅を避けるために」から引いた。筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。

 石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。

 05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。(西部報道部)

(毎日新聞 2011年3月29日 東京朝刊)


この記事はほんの一例であり、「平成23年東北地方太平洋沖地震」によってもたらされた津波の被害が、決して「想定外」などではなかったことはいたるところで指摘されている。今までと違うのは、それが大新聞などのマスメディアでも報じられるようになったことだ。

事故が起きてみると、今まで日本でこれほど大きな原発事故が起きなかったことが不思議に思えるほどだ。世界的に見ても、原発の運転を民間企業にだけ任せている国は、他に例を見ないそうだ。これからは、「資本は災厄をもたらす」ことを国民の共通認識として、これまでのように原発の運転を9つの電力会社に任せるやり方は改めなければならない。原発は当然国営化されるべきだ。私は、今後原発は段階的に廃止すべきだと考えているが、一度に廃止するのは無理だから、国の責任で十分な安全対策を施した上で、耐用年数(40年)を迎えた原発の継続運転を行わず、段階的に原発を廃止していくしかないと思う。もちろん、中部電力の浜岡原発のように特に危険な場所に立地している原発は、早急に運転を停止すべきだが。

福島第一原発の1号機は、事故直後の先月下旬、運転開始満40年を迎えた。今後、一時の原発建設ラッシュ時に建設された原子炉が次々と耐用年数を迎え、今回の福島第一原発事故によって、新たな原発建設を受け入れてくれる自治体があるとはまず考えられないから、民主党であれ自民党であれ、政策を「脱原発」へと舵を切らなければならないことは当然だ。それしか選択肢がない。そんなことはあまりにも明らかだから、菅直人も枝野幸男も思い切った政策転換を口にするのである。

『Living, Loving, Thinking』の記事「原発論争(メモ)」経由で知ったのだが、不動産コンサルタントの伊東良平氏が東電の送発電分離論を唱えているという。飯田哲也氏や金子勝氏の論考を読んできた読者なら、何も東電に対象を限らずとも送発電分離論はおなじみだろうと思うが、要するに発電を自由化せよという議論だ。これは、自然エネルギーを推進する議論において必ず出てくる話だが、従来はそれこそ「1940年体制」以来の規制に守られて、電力会社が発電事業を地域ごとにほぼ独占していた。この体制は、原発を推進する国策には不可欠であり、だからあれほど新自由主義者たちが「規制緩和」を声高に叫んでも、その規制緩和は発電事業には決して及ばなかったのだ。

直近の東電の「計画停電」に対しては、あの新自由主義の象徴のような森ビルが、自家発電した電力を売電をしても良いと申し出たことがテレビなどでも報じられたので、耳にした方も多数おられると思う。東電などは技術的な課題を理由に反論してきたのだが、この問題は技術的な問題より規制が支配的な要因になってきたことは、これまでにも識者が指摘してきたことだ。

この件も、政府が「原子力に依存しているエネルギー政策を見直す」方針を明らかにした以上、今後活発に議論されることになるだろう。
2011.04.01 09:07 | 東日本大震災 | トラックバック(-) | コメント(2) | このエントリーを含むはてなブックマーク