昔、社会人になった頃、同期入社の人間に原子力工学科出身者がいた。彼は、俺は原発推進論者だけども電力会社は許せないと言っていた。電力会社は作業員をちょっとばかり高い給料で雇って平気で危険な作業をさせているというのが彼の言い分だった(現在では、作業員の報酬は「ちょっとばかり高い給料」でさえなくなっているに違いないが)。だから、全然学生時代の専門とは関係ない就職先を選んだのだ、そう言っていたが、もちろん彼の言っていることが正しいかどうか、私は判断する材料を持たない。しかし、東京電力が関連会社の関電工(関西電力と紛らわしい社名だが、「関東」の「関」であり、東電との関係が深い会社である)の社員2人と同社下請け社員1人を被曝させたニュースに接して、彼が言っていたことは事実だったのかもしれないと思った。
関電工の社員2人の被曝量は、当初2?6シーベルトと報じられ(朝日新聞記事など)、昨夜のテレビのニュースでは「2?3シーベルト」と言っていた。
いつの間にか、新聞やテレビに出てくる単位が変わっている。最初はマイクロシーベルトだった。福島原発1号機が水素爆発を起こす直前の放射線量が1015マイクロシーベルトだとテレビが報じて、水素爆発後が起きたのにその後の線量がなかなか公表されないことから、緊張が高まった。今でも東電は情報公開がなっていないと批判されているが、事故発生直後が一番ひどかった。菅直人首相が東電幹部を怒鳴りつけ、事態を政府がコントロールするようになってからは、東電に対応を丸投げしていた最初の頃よりはかなりマシになった(それでも「十分」からはほど遠いけれど)。東電とは本当にどうしようもない企業だ。
単位の話に戻ると、関電工の社員2人の被曝量は、当初の報道で用いられていた「マイクロシーベルト」に言い直すと、「200万?600万マイクロシーベルト」だったことになる。大地震翌日に弁を開けた作業員が106ミリシーベルトの放射線を被曝したことが政府の資料に記されていたが、これはマイクロシーベルトでいうと10万6千マイクロシーベルトに当たる。関電工の社員の被曝量はこれより1桁多く、全身に浴びた場合死亡しても不思議はない被曝量である。それなのに朝日新聞は見出しで「やけど治療も」などというのんきなフレーズをつなげている。同じ記事に、
と書いているにもかかわらずである。朝日の記事の緊張感のなさには頭がクラクラする。単純に比べられないが、全身の被曝量が3?5シーベルトだと半数の人が亡くなるという。
それにしても、原発を運転している東電や、原発を設計した東芝、日立など大手重電メーカーの体質は実にひどい。北海道新聞に、「『会社はコスト優先』 原発の元技術者ら ネットで自己批判」と題した記事が出ている(下記URL)ので、以下に引用する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html
「会社はコスト優先」 原発の元技術者ら ネットで自己批判
東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、インターネット放送などで自己批判と原発政策の告発を続けている。
「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。
「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。
「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。
4号機の設計にかかわった元日立グループ社員で科学ライターの田中三彦さんは今回「政府や公共放送が危機を正しく国民に伝えていない」と感じている。「格納容器内が8気圧になった時、普通は4気圧などと流していた。普通は約1気圧で、4気圧とは事故に備えた設計値だ。8気圧なら異常事態なのに、パニックにしないという配慮が多すぎる」
3人はこれまでも匿名、あるいは著作、集会などで原発の危険性を訴えてきた。だが国や企業から返ってきたのは「冷笑だった」(後藤さん)。
東京のNPO環境エネルギー政策研究所顧問竹村英明さん(59)は「日本には許認可権を持つ経産省、学者、電力会社などで作る原発ムラがある」という。竹村さんによると、ムラは強力で、疑問や批判を口にする技術者を村八分にする。3人がそうだったという。放送は、動画中継サイト「ユーストリーム」や「ユーチューブ」などで見られる。
(北海道新聞 2011年3月23日 6時55分)
記事中で、1979年のスリーマイル島原発事故を受けて格納容器に弁を設けたと書かれているが、事故後程なくして書かれた朝日新聞の記事で、東電は「日本の原発は安全」という神話を盾にとってなかなか弁を設けず、90年代半ばになってやっと弁を設けたと読んだ記憶がある。
まあなんにせよ重電メーカーや東電、特に東電の体質には呆れ返るほかない。よく、東電は運転者であって、技術的なことは原子炉を設計した東芝や日立の技術者でなければわからないと言われるが、私は経験上(前述のように原発とは全く無関係の人間だが、かつてメーカーでまかり間違えば事故を起こしかねない製品にかかわった人間として)、「プラントを運転をして利益を上げる企業」こそコスト重視による安全性切り捨てに走りやすいことをいやというほど痛感してきた。だからこそ、事故直後に「政府は何をしている、対応を東電なんかに丸投げするな」と叫び、菅首相や枝野官房長官を呼び捨てにして非難したのだ。
実際、コスト重視・安全軽視の極悪ネオリベ企業であるからこそ、東京電力は「ミスター・コストカッター」との異名をとる清水正孝なる人物を社長にしたのだし、そんな企業に原発事故の対応を丸投げした、事故発生直後の政府の対応は自殺行為というほかなかった。東電の情報の出し渋りは、事故発生直後がもっともひどかったし、菅首相が東電経営陣を怒鳴りつけたのは当たり前であって、それどころか菅首相が怒るのは遅すぎたと私は思っている。
東電が原子炉の維持を第一に考えて海水の注入が遅れたことも、もはや定説になっている。たとえば、元読売新聞編集委員の鶴岡憲一氏が書いた「東電と経産省が増幅した原発災害」という記事をご参照いただきたい(下記URL)。
http://eritokyo.jp/independent/tsuruoka-fnp001.html
東電は、大津波を伴う巨大地震について、一昨年年の経済産業省の審議会で、869年に起きた「貞観地震」の解析から再来の可能性を指摘されていたことも毎日新聞が報じている(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110327k0000m040036000c.html
この記事で毎日新聞は、
として東電を批判している。同紙は、主筆がゴリゴリの原発推進派・岸井成格であるにもかかわらず、事故直後の13日付紙面で既に厳しい東電批判を展開しており、全国紙の中では異彩を放っていた。東電は「十分な情報がない」と対策を先送りし、今回の事故も「想定外の津波」と釈明している。
一方で震災や原発事故にかこつけて、謀略報道とも思える政権批判記事ばかり掲載してきたのが産経と読売だ。その中でも産経の方にはまだ愛敬があり、見出しや文章は菅首相批判なのに、本文を読むと東電に対する怒りしか沸き上がってこない珍妙な記事さえあった。それに対して本当に悪質なのは読売だ。読売にも、かつては前述の鶴岡憲一氏のようなまともな記者もいたが、現在では骨のある記者はごく少数になっているようだ。おそらくそんな記者がいても、ナベツネやナベツネの意を受けた傀儡たちによって左遷されてしまったのだろう。歴史的に見ても、日本に原発を導入したのはナベツネの盟友・中曽根康弘と読売新聞社主の正力松太郎であり、1954年の第五福竜丸事件の際にも、読売は世論を沈静化させるべく事故を矮小化する報道に徹したのだから、読売新聞社の体質がむき出しになったと考えるべきだろう。
その読売の意図に反して、共同通信の世論調査では、「政府の原発対応を評価しない」が58%に達しているものの、菅内閣の支持率は28%と、少し上がった。私は、政府の原発対応を評価しないし、菅内閣も支持しないし、それどころか政界の癌・与謝野馨を閣内に取り込んだ菅内閣は、福島原発事故を含む震災対応が一段落した時点で総辞職すべきだと考えているが、それでも相対的な比較の問題として、自民党政権や鳩山政権下で予想される事態の推移よりは、菅?枝野ラインの方が少しはマシだったと思わざるを得ない。特に、電機労連の出身である無能な平野博文が官房長官のままだったら、原発事故への対応はどんなに醜悪なものになっただろうかと、想像するだけでもぞっとする。
飯田哲也氏のTwitterを見ていると、枝野官房長官以上に、自民党の河野太郎議員に対する評価が高い。そう、河野太郎は自民党はもちろん、民主党その他を入れた保守政治家の中でも絶滅危惧種となった原発慎重派の議員なのである。飯田氏のTwitterに、河野議員のメルマガに「19兆円の請求書」と題したプレゼン資料(下記URL)が紹介されたそうだ。ここでは資料(自民党政権時代のものである)に直接リンクを張るので、是非ご覧いただきたい。
http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf
河野太郎は、新自由主義に強く傾斜した経済政策を唱える政治家であり、その点については私は評価しないが、原発問題に対する姿勢は評価したい。
プレゼンの23頁に、「選挙の事情」と題して、「自民党議員は電力会社から、民主党議員は電力労連、電機労連から様々な支援を受けている」と書かれている。民主党が小沢一郎代表時代の2006年にそれまでの「原発慎重派」から「原発積極推進派」に政策を転換したのも、連合、特に電力総連や電機労連の強い要望を受けてのものだと想像される。
資料には、「ある民主党議員の声」として、「この問題を取り上げるとすぐ労組から電話がかかってくるなぁ、もっと世の中が騒いでくれると取り上げられるのになぁ」と書かれている。
そう、世論が全然騒がず、電力会社や経産省や政府に飼い慣らされて何の疑問も持たずにきたからこんなことになってしまったのだ。この期に及んで、「この国難に、××××の力を活用しよう」(××××とは民主党の原発政策を積極推進に転換させた当時の責任者の名前)などと言っているようではどうしようもない。
日本を復興し、これまでの歪んだエネルギー政策を改めさせるのは、私たち一人一人の市民なのである。
asahi.comにも公開されたこの記事の「はてなブックマーク」を見ると、
などと書く、往生際の悪い人間がいる。むう、朝日ってのがなぁ。仮に真実だとしても信憑性を損ねかねない。レベルの話は国内と海外の評価が違うらしいし。
確かに朝日の記事は怪しい。ただ、それはブコメ主とは正反対の意味においてだ。以下asahi.comより引用する。
原子力安全委員会は、SPEEDI(スピーディ)(緊急時迅速放射能影響予測)システムで放射能の広がりを計算するため、各地での放射線測定値をもとに、同原発からの1時間あたりの放射性ヨウ素の放出率を推定した。事故発生直後の12日午前6時から24日午前0時までの放出量を単純計算すると、3万?11万テラベクレル(テラは1兆倍)になる。
国際原子力事象評価尺度(INES)は、1986年のチェルノブイリ原発事故のような最悪の「レベル7=深刻な事故」を数万テラベクレル以上の放出と定義する。実際の放出量は約180万テラベクレルだったとされる。今回は少なくともそれに次ぐ「レベル6」(数千?数万テラベクレル)に相当する。
(asahi.com 2011年3月25日3時0分)
朝日新聞記事の引用部分をよく読んでほしい。「事故発生直後の12日午前6時から24日午前0時までの放出量を単純計算すると、3万?11万テラベクレルになる」のに対し、「国際原子力事象評価尺度(INES)は、1986年のチェルノブイリ原発事故のような最悪の『レベル7=深刻な事故』を数万テラベクレル以上の放出と定義」している。つまり、INESの定義に基づくと、「3万?11万テラベクレル」という福島原発の放出量は「レベル7」になるのである。それを、朝日新聞記事はチェルノブイリ原発事故の放出量は約180万テラベクレルだったことを理由にして、勝手に「福島原発事故はレベル6」と過小に認定している。「レベル6」の事故の放出量は数千?数万テラベクレルとのことだから、最大限甘く見積もっても、「レベル6とレベル7の境界領域だが、レベル7により近い」としかいいようがないと私は単純に思うのだが、間違いだろうか。
どうしてもチェルノブイリと福島に差をつけたいというのなら、100万テラベクレル(=1エクサベクレル、10の18乗ベクレル)以上の「レベル8」を新設して、チェルノブイリをそこにランク付けすべきなのではないか。要するに、福島原発事故とはそれほどまでにもひどい原発事故だったということだ。上記のように再定義したところで、福島原発からは今なお放射性物質の放出が続いているから、いずれ福島も1エクサベクレル級の事故ということになってしまうかもしれない。
女子テニスのキム・クライシュテルス選手が、今年9月に東京・有明テニスの森公園で開催される東レ・パンパシフィック・オープンへの出場を見送るとのニュースも伝わってきた(時事通信)。クライシュテルスは10月1日からの中国オープン(北京)も欠場するそうだが、サッカーでも親善試合の来日を予定していたチームが、日本だけではなく韓国での試合もキャンセルした例があった。
クライシュテルス選手やサッカーのチームを笑うことはできない。今、世界が日本を見る目は、かつて日本を含む世界がチェルノブイリを見た目と同じであるととらえるべきだ。25年前には東欧諸国が現在の中国や韓国と同じような目で見られた。
「食の安全」に話を移すと、現在、野菜に含まれる放射性物質の量などが云々されているが、野菜についている泥も一緒に測定したという話などもあり、現段階では水洗いが有効で、洗ったり茹でたりして食べれば、被曝のリスクはかなり軽減されると思う。
だが、心配なのはむしろ今後だ。これほどまでにもひどい原発事故となれば、福島第一原発を中心とした地域の土壌は決定的に汚染される。そこでとれる農作物にはかなりの放射性物質が含まれるであろうことは想像に難くない。そうなると、水洗い程度では放射性物質を除去することはできない。つまり、今回の原発事故は東日本の農業に決定的な大ダメージを与えてしまったのである。東日本の農産物の風評被害を避けるためには、正確なデータをとって、農産物に含まれる放射性物質の含有量の推移を公開し続けるしかない。もうお上が隠しごとをできる時代ではなくなっていることを為政者や役人はよく知るべきだ。
こんな時期でもさすがは日経というべきか、昨日(24日)の日経電子板が、東京電力が今年度(2010年度)の期末配当を「未定」と発表したというニュースを伝えるとともに、
との注釈を付け加えている。読売の記事によると、資金流出を抑えるため、会社設立の年以来、59年ぶりに期末配当を無配とする公算が大きい。
とのことだが、配当など出せるはずもないし、万一配当を出すようなことがあったら、東電は「社会悪」として糾弾されるだけだ。東電は「減配か無配かは決まっていない」(広報部)と説明している。
政治家もひどい。たとえば与謝野馨は、「原発は重要エネルギー源であり、地震が多いのは運命だ」などとほざいた(時事通信の報道より)。この発言に対しては、『kojitakenの日記』で、読売新聞に対してともども大いに毒づいたので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。
当ブログでは、他のブログやマスコミと同様、このところ福島原発事故を取り上げる頻度が高いが、一部では「被災地では原発問題なんかより被災者への衣食住の救援の方が喫緊の課題だ。しかし東京の人間にとっては原発事故や計画停電のことしか頭にない」との声も聞かれる。
だが、計画停電はともかく、原発事故は地元の方々にとってこそ深刻な問題だ。たとえば、19日付朝日新聞に、福島県三春町の禅寺・福聚寺=ふくじゅうじ=の住職を務める作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんのインタビュー記事は出ている。玄侑さんは言う。
私の住む福島県三春町は、福島第一原発から約45キロにある。原発近くで被災した私たちにとって、刻々と事態が悪化する原発事故に関する情報が圧倒的に不足している。
どのテレビ局も、原発事故の状況をほかの避難状況や被災現場の報告などと場面を切り替えながら報じている。記者会見などがあれば横並びになる。この非常事態に、どこか1局でいい。原発事故に特化して正確な状況をリアルタイムで報じるべきだ。
(中略)
ニュース番組の解説者や専門家は、原発事故について、なお希望的な見方をしているように見える。必要なのは根拠の乏しい見立てではなく、正確で迅速な情報だけだ。パニック誘発を避けて情報を抑えているのなら、そういう次元はとうに過ぎている。
正確な情報とともに、せめて病院や緊急車両用の燃料、そして薬を届けてほしい。三春町だけではなく郡山市などの各病院も、気温0度前後の中、燃料不足で暖房が止まっている。薬も圧倒的に不足し、新たな患者を受け入れられない病院もある。
私の父は郡山市の病院に長期入院している。その病院から17日、緊急連絡があった。原発事故が最悪の局面を迎える事態を想定して、「いざという時にどうしますか」というのだ。
原発から離れた転院先を探す余裕はないという。最悪の局面を病院で迎えるか、今のうちに自宅に戻すかという判断を迫られているのだ。医師たちこそ、彼らの生き方にかかわる選択を迫られているのだろう。
(中略)
政府は屋内退避指示の範囲を変えていないが、本当にそれでいいのか。原発から30キロ圏外ならば、このままとどまっていても安全だという根拠は何なのか。いつまでとどまっていていいというのか。
現場はとにかく情報が交錯している。原発近くにいる我々は、この国の指示を本当に信じていいのかどうかという、自問の渦中にある。
(2011年3月19日付朝日新聞記事=本田直人記者によるインタビュー=より)
インタビューの全文は、「ウェブ論座」のサイトに掲載されており、無料で読めるので是非ご参照いただきたい(下記URL)。これは必読の、被災地からの訴えである。
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2011031900003.html
昨今の原発事故報道や上記玄侑宗久さんの訴えなどに接するにつけ、原発というのはいったん事故を起こしたが最後、とんでもない事態を招いてしまうものであることを痛感する。
私はずっと以前から「反原発」の立場に立つ人間だが、かつては「反原発」は別に「社共の専売特許」でもなんでもなかった。それが、今回の震災直後に福島原発が相次いで水素爆発を起こした段階で早々と事故を起こした時点で、東電および東電をコントロール下において事態に対処する姿勢を見せるのが遅かった政府を激しく非難した時、大きな反発を受けたことには本当に驚いた。そこまで身も心も「原発安全神話」に侵された人が大多数になってしまっていた。
自民党の谷垣禎一総裁と、政府・民主党の枝野幸男官房長官が、ともに原発推進の政策転換を口にしたのは当然のことである。歴史的に見ると、原発政策を推進したのはむろん自民党政権だが、保守本流よりむしろ保守傍流が推進した政策だった。特に、中曽根康弘と読売新聞の正力松太郎(「原子力の父」と呼ばれる)が原発導入に骨を折った。与謝野馨がこの期に及んで異常とも思える原発推進論を口走った理由は、与謝野が母の知人・中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社した経歴を持つことを考えれば了解できる。原発は与謝野のレーゾン・デートルのようなものなのである。与謝野馨こそ菅政権の癌であり、与謝野が閣僚でいる限り、私が菅内閣を支持することは間違ってもない。
今やどの政党もエネルギー政策を転換し、脱原発へと舵を切るべき時だ。中曽根の影響を比較的受けにくい谷垣禎一が自民党の総裁を務めているのは不幸中の幸いかもしれない。一方の民主党は、かつては旧社会党系の意見を一定程度容れた「原発慎重派」(消極的容認派)だったが、2006年に代表に就任した小沢一郎が、自民党と同じ「原発推進派」(積極的推進派)に変えてしまった(『kojitakenの日記』参照)。その後、地球温暖化対策としても原発推進を掲げたり、果ては外国に日本の原発技術を売り込もうとするなど、今や「民主党は原発推進勢力」というのは国民の常識となっているが、民主党の原発政策も早急に最低でも「小沢一郎より前」に戻すべきだろう。
いや、菅直人らにそれができないというのなら、民主党の政策を転換した小沢一郎自身が「脱原発」を旗印に掲げたって構わない。かつて、「規制緩和」と「小さな政府」を旗印にしていた小沢一郎が、同じ旗印を掲げた小泉純一郎と竹中平蔵が日本をぶっ壊すや、かつてとは正反対の旗印である「国民の生活が第一」というスローガンのもと、政権交代を実現させたという故事もある。それと同様に、民主党の原発政策を「積極推進派」に転換させた小沢一郎が、率先して「脱原発」を唱えたとしても、政治家としては「それもあり」だろう。要は、「白い猫だろうが黒い猫だろうが、ネズミを捕るのが良い猫」なのであって、政治家に求められるのは何より「結果を出す」ことだ。自民党、民主党菅一派、民主党小沢一派の三者は、今こそ「原発推進政策の転換」の速度を競うべきだろう。
私は、全国すべてで統一地方選を繰り延べにすべきだと考えていたが、そうはならなかった。みんなの党、共産党、国民新党、たちあがれ日本などが全国的延期を求めたが、民主、自民、公明、社民の各党は被災自治体のみの延期として、統一地方選の予定期日での実施を強行した。自公には民主党政権が批判を浴びている今のうちに地方選を強行したいという党利党略があったと見られるが、民主党や社民党は何を考えているのかさっぱりわからない。
これに伴い、東京都知事選も予定通り行われることになった。告示日はもう明後日の24日(木)であって、看板も既に立てられている。
東日本大震災の影響で東京都知事選はさっぱり話題にならなくなったが、震災の日の朝に公開した11日付エントリ「どこまでも卑劣な石原慎太郎がまたも『後出しじゃんけん』」で、東国原英夫と松沢成文は都知事選への立候補を取りやめるだろうと予想した。その後松沢は立候補取りやめを発表したが、出馬を取りやめると見られていた東国原は、昨日(21日)になって出馬の意向を表明した。石原以上の「後出しじゃんけん」には呆れるばかりだが、東国原は石原に歯が立つまい。
都知事選には、石原と東国原のほか、渡辺美樹と小池晃が立候補する見込みだ。このうち、「都政を経営する」という渡辺美樹がいまさら有権者の心をつかむ可能性は全くない。一方、小池晃については、いやでも今回の都知事選の争点になる「防災」を争点して徹底的に石原を叩けば、大逆転の可能性があるのではないかと私は希望を託している。
共産党の元参議院議員である小池晃は、今回無所属で立候補するが、共産党が以前から福島第一原発の危険性を訴え続けてきたことはよく知られている。同党には、京大工学部原子核工学科卒の吉井英勝衆院議員がいて、小泉政権から安倍政権の時代にかけて、国会で政府を厳しく追及した。ブログ「天漢日乗」に掲載されている下記エントリをご参照いただきたい。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/03/2005-073-4f4d.html
15日付記事でも少し触れたように、共産党(吉井議員)がもっとも強く警告していたのは、地震の際の津波の引き波によって海水の取水ができなくなるケースであり、今回、津波の侵入によって制御不能になった場合とは少し異なる。このため、病的な反共主義者の中には、「共産党は福島原発事故を予見していたとは言えない」など強弁する者もいるが、吉井議員は国会の質問で次のようにも言っている(上記リンク先の「天漢日乗」より引用)。
あわせて、大規模地震が起こった直後の話ですと、大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊されるということがありますから、今おっしゃっておられる、循環させるポンプ機能そのものが失われるということも考えなきゃいけない。その場合には、炉心溶融という心配も出てくるということをきちんと頭に置いた対策をどう組み立てるのかということを考えなきゃいけない
原発がとまっても機器冷却系が働かなきゃいけませんが、外部電源からとれればそれからも行けるんですが、それも大規模地震のときはとれない
外部電源が得られない中で内部電源も、海外で見られるように、事故に遭遇した場合、ディーゼル発電機もバッテリーも働かなくなったときに機器冷却系などが働かなくなるという問題が出てきます
これらはまさしく今回起きたことである。つまり、東京電力が言う「想定外」などとんでもない。吉井議員が国会で質問しているということは、これらの想定が公知だったことを意味する。つまり、東京電力は当然想定しなければならない事態を想定してこなかったということだ。私は、東電がコスト等を考慮して意図的に想定しなかったものと断定している。
東京都知事選に話を戻すと、今回、小池晃氏は無所属で出馬予定とはいえ、「共産党の小池議員」として認知されている人である。だから、かつて共産党が国会で福島原発の危険性を訴えてきたことは、選挙戦で大々的に前面に打ち出すべきだろう。
同時に何より必要なのは、巨大な敵である石原慎太郎に対するネガティブキャンペーンである。ネガキャンというと、日本ではアンフェアというイメージを持たれることが多いが、アメリカなど海外では遠慮なくネガキャンをやっている。石原に対するネガキャンなど、何ら躊躇することはない。情け容赦なく石原陣営に向かってネガキャンの雨あられを降らせるべきだ。
下記リンク先のTwitterをご覧いただきたい。
http://twitter.com/ishihara_said/status/49072075826143232
「東京湾に造ったっていいくらい日本の原発は安全だ」 2001年5月28日、プルサーマル計画反対が過半数の住民投票の結果を受け→「故障と事故は違う」2011年3月14日福島原発事故のあと会見で
上記はいずれも石原の発言だが、これらに加えて、石原が今回の震災を「天罰」と言った、きわめつきの失言もある。3月14日付の朝日新聞記事から引用する。
「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事
石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。
発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。
石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している。
(asahi.com 2011年3月14日19時34分)
小池晃陣営は、これらの石原発言を積極的に広め、都民の間に反石原の気運を高めるべきだ。他にもいろいろ石原都政には問題点があるが、今回は防災と原発の問題に集中して石原を叩くしかない。
というのは、もう時間がないのである。4年前の都知事選の時には、浅野史郎、吉田万三、黒川紀章各氏と石原によるテレビ討論が何度も何度も行われたが、今回はそんな機会は全然期待できない。人々が選挙に関する報道にろくに接する機会がないうちに選挙戦に突入する。何もしなければ、石原の圧勝は避けられない。だから、小池晃陣営としては石原を倒すために手段を選ぶ余裕などないはずだ。何が何でも、どんな手段をとっても石原を倒しにかからなければならない。
なお、今回のエントリは、当ブログにgreenstoneさんからいただいたコメントに触発されて書いた。greenstoneさんのコメントを最後に紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1166.html#comment11736
吉井議員は福島原発の津波による冷却装置損傷のリスクまで警告していたそうですね。
今度の都知事選は、間違いなく防災が最大の争点になると思う。
共産党は、吉井質問を最大限利用して、たまには下品な選挙戦をやって欲しい。
選挙は勝つことも大事なのだから。
そして石原を退治してくれ!
2011.03.20 11:37 greenstone
「共産党は、たまには下品な選挙戦をやって欲しい」。これは、都知事選を前にして私も思っていたことであり、greenstoneさんのコメントに強く共感した。
保守分裂も、当選の見込みからはほど遠い渡辺美樹と石原以上の「後出しじゃんけん」の東国原だけになりそうな現状は、ふだんだったらどうあがいても石原には歯が立たない。しかし現在なら、ありとあらゆる手を尽くして、原発の危険性を訴えてきた共産党及び小池晃氏と、無責任な「原発安全神話」を撒き散らしてきた上に「震災は天罰」とまで放言した石原との対比を有権者に訴えていけば、都知事選での勝機が生じるのではないか。
重ねて書くが、小池晃陣営は死にものぐるいで都知事選に勝ちに行くべきだ。石原を倒すことは、決して不可能ではない。
地震発生直後に危険な状況を東京電力が認識していたと見られる福島第一原発事故に関して言えば、事故発生直後からずっと政府や東京電力が「安全だ、安全だ」と言い続けてきて、それがことごとく裏切られてきたことが人々の疑心暗鬼を招いている。
私もえらそうなことは言えない。地震発生翌日の12日、午後3時半に福島中央テレビ(日本テレビ系)が福島原発1号機で爆発が起きた映像を流し、その後これが「水素爆発と見られる」と政府(枝野幸男官房長官)が発表するまで5時間もかかったから、臨界が起きてチェルノブイリ級の爆発事故が起きたと早合点してしまい、別ブログに記事を垂れ流した。政府の発表後の記事で、その記事の誤りを認めたが、勘違いして書いた恥さらしの記事はそのまま残してある。
別ブログに一連の記事を出したことで、13日にはかなりの非難も浴びた。もちろん私に非難されても仕方ない面は多々あったが、非難した方も原発の安全神話を過信していたところがあって、14日以降次々と福島原発の事故は続き、大気中に大量の放射性物質が放出されるなど事態が悪化すると、原発安全神話を信じていた人たちからの非難はこなくなった。
それもこれも、事故に関する正確な情報発信がなかったからだ。この時点で日テレは爆発の映像を流していたし、BBCは「日本の原発で巨大爆発」などと報じていた。それまで、「安全だ、安全だ」と連呼していたNHKのコメンテーター(東大教授の関村氏)は、真っ青になって最悪の事態を覚悟する言葉を二、三発したあと沈黙してしまった。それなのに、政府と東電は爆発後の放射線量さえ爆発後5時間経つまで発表しなかったのだ。だから私は「政府は情報を隠しているに違いない」と思ってしまった。実際には水素爆発後、線量は増えていなかった(その後、放射性物質の漏出によって放射線量は増えた)。
マスコミのほか、インターネットが世界中から発信されているこの時代に、「下手に情報を流したら住民や国民のパニックを招く」などという古い観念は通用しない。政府や東電が情報を流さなければ、他から流れてくる情報によってかえってパニックに陥ってしまう。現に私は、12日の夕方から夜にかけて完全に冷静さを失ってしまった。たとえ原発近辺に住む被災者の方々にとってつらい情報ではあっても、政府や東京電力は正確な情報を発し、マスコミは正しい解説を行う必要がある。
たとえば、現在、1時間あたりに浴びる放射線量を1年間に浴びる放射線量と比較して「安全だ」と解説するテレビ放送がまかり通っているが、視聴者をバカにするのもたいがいにしてほしい。
昨日朝、NHKテレビを見ていたら、この手の解説が放送されたあと、視聴者からのFAXがあって、「CTスキャンで浴びるのは1回だけの話で、放射線ををずっと浴びる場合とは違うのではないか」との問い合わせをアナウンサー(有働由美子)が紹介したところ、解説者は渋々「放射線を浴びた時間を掛け合わせる必要がある」と認め、アナウンサーはちょっと驚いたようなリアクションをしていた。NHKは、自らの信用を落とすような馬鹿げた解説をいい加減止めるべきだ。「安全だ、安全だ」と連呼する解説者たちを、私は「逆狼少年」と呼ぶことにしている。
15日付記事に書いたように、私は朝日新聞の竹内敬二編集委員が書く記事を信頼している。今朝の朝日新聞2面にも竹内記者の記事「最悪回避へ最終局面」と題した記事が出ているが(見出しは東京本社発行14版による)、重い問いかけをしていたのは、昨日(17日)の朝日新聞に載った竹内記者の「緊急事態 知恵集める時」(同上)と題した記事だ。
この記事で竹内記者は、「放射線量値が高い原発事故では誰が作業するのか」という問題を論じている。
この記事を紹介する前に少し脱線するが、竹内記者の記事には書かれていないけれども、12日の段階で、緊急作業の上限である100ミリシーベルトを超えた、106ミリシーベルトを被曝した作業者が出たことが政府の資料に書かれていた。この情報が2ちゃんねるに流れた時、早とちりの2ちゃんねらーは「ミリシーベルト」と「シーベルト」を取り違えて、致死量の何十倍も被曝した作業員がいるなどと騒いでいた。それが間違いである(2ちゃんねらーが値を3桁取り違えている)ことくらいは、無知な私にもコメントを読んだ時点に直ちにわかったが、間違った情報はこのように拡散する。だから政府や東電は正確な情報を発信しなければならない。
今回の事故に対応するために、厚生労働省は福島原発事故への対応に限って、上記の上限の被曝量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げた。これを、「菅が作業員を見殺しにしようとしている」として非難する向きもあるが、竹内記者は下記のように書いた。
原子力は本質的にこうした作業(大量の放射線被曝を受ける作業)の存在を否定できない技術だ。大規模な汚染は住めない土地をつくる。
86年のチェルノブイリ事故では、露出した炉心にヘリコプターで砂を投下した。地上でも多くの人が至近距離で作業し、大量放出は1週間で止まった。この決死的な作業がなければ、世界はもっと汚染されていた。
この後、日本でも強い放射線下の作業が話題になった。しかし、民主国家で体に有害な仕事を命令できるのか、という社会の根本問題に触れることもあり、立ち消えになった。「日本では大事故は起きない」という神話もあった。
しかし、今は緊急事態だ。速い判断と対応が必要だ。
15日に政府と東電が設置した「福島原発事故対策統合本部」に情報と判断の権限を集中させる。厚生労働省が15日に、福島第一原発の緊急作業向け被曝上限を引き上げたように、制度も柔軟に変える。
原子力を推進してきた人、反対の人を問わず、今こそ原子力を知る人、企業の知恵を結集して欲しい。事態は差し迫っている。
(2011年3月17日付朝日新聞1面掲載 「緊急事態 知恵集める時」=竹内敬二編集委員の署名記事=より)
この記事に異論のある読者の方も多かろうと思うが、この問題を考える材料とするためにブログで紹介した。
以下は蛇足である。緊急事態への対応とは関係ないので、関心のある方のみお読みいただきたい。
同記事からリンクを張られている、静岡ボランティア協会のウェブサイト(下記URL)から転載して紹介する。ブログ主のお玉さんや翻訳家の池田香代子さんも協力されているとのことだ。
http://www.chabashira.co.jp/~evolnt/
緊急のお願い
壊滅的な被害を受けた被災地より、
「毛布50,000枚を至急手配をしてほしい」との要請を受けました。
福島県の原発周辺地域の被災者に配布する毛布の絶対量が足りないとのことです。
そこで、広く県民の皆さまに毛布のご提供をお願いいたします。
なお、毛布1枚につき、送料1,000円のご協力をあわせてお願い申し上げます。
詳しくは、次のとおりです。
1.提供希望品: 毛布
※使われずに家庭で眠っている毛布、
もしくは洗濯済みの清潔な毛布
2.送付方法: 持参もしくは宅配便(元払い)でお送りください。
【送り先】特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
420-0856
静岡市葵区駿府町1-70 静岡県総合社会福祉会館2階
TEL:054-255-7357 FAX:054-254-5208
※持参の場合、9:00?20:00までにお願いします。
3.送料支援:毛布1枚につき、送料1,000円のご支援を
お願いします。
持参もしくは、郵便振り込みにてお送りください。
【振込先】<郵便振替>
口座番号:00800?4?131280
口座名:特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
※通信欄に「毛布送料カンパ」と明記ください。
4.募集期間:3月19日(土)必着
ご協力をお願いします。
昨夜は、静岡県東部にも直下型地震があり、怪我をされた方や火災の発生があった。東日本の巨大地震が各地で地震を誘発してもおかしくない状態だ。こんな時だから、被災地からの距離にかかわらず、日本に住む人々みんなで被災地を支えていきたいものだ。
政府の対応も変わってきた。朝日新聞の報道によると、
とのことだ。私はこれまで別ブログなどで、政府が事故への対応を東電に丸投げしているように見えるとさんざん批判してきたが、事態の深刻さを受けて、政府もようやくこのような対応をとったものと見られる。私にいわせれば遅きに失しているけれど。菅直人首相は15日早朝、原子力発電所の事故問題などで、政府と東京電力が一体となって情報を入手し、対策を検討するため、東電内に「統合連絡本部」を設置すると発表した。本部長には菅首相、副本部長には海江田万里経産相と清水正孝東電社長が就く。
事態の進行につれて徐々に変わってはきたが、これまでの報道が「大気中に放出された放射性物質の量は、人間の健康に影響を与えるものではない」という説明に終始してきたことは全くいただけない。彼らマスコミは、周辺住民に無用な懸念を抱かせないという大義名分を盾にとっている。それにはもっともな部分もあるのだが、一方で彼らは見え透いた嘘も平気でしゃべる。
たとえば、放射線の被曝量をCTスキャンと比較して、大したことはないと強弁するのもその一つだ。病院でCTスキャンを受けても、それは一回こっきりだが、放射性物質が体内に残ると、人体はいつまでも放射線を浴び続けることになるのである(体内被曝)。つまり、最初に浴びる放射線量はCTスキャンよりずっと少なくても、長い間かけて浴びる放射線の総量は、体内に放射性物質を摂取した場合の方が、比較にならないほど多くなる。だから、セシウムが検出された、つまり「死の灰」が撒き散らされた福島原発の近辺には、今後長い間人間は住めない。チェルノブイリ原発の事故のあと、いまだに炉を中心として半径30kmに住むことが禁じられていることを思い出してほしい。なお、この記事をいったん書き上げたあとの、今朝(15日)の「朝ズバ」で、ようやくコメンテーターから体内被曝についてのコメントを聞くことができた。
あまりに長い間「原発安全神話」にすっかり洗脳された日本人は、原発の危険性に対して鈍感になっている。私がブログで原発を批判する記事を書くと、それじゃ電力供給量が今より20%少ない生活に、お前は我慢できるのかと迫る。なんだ、社民党か共産党かよ、という反応を示す者もいる。だが、社民党や共産党くらいしか原発を批判する勢力がなくなっている現状の方が、よほどおかしい。
東北で地震や津波に遭難して苦しんでいる被災者には目もくれずに、東京の人間は福島原発のことばかり騒いでいる、などとしたり顔で書いているブログもあった。アホか。まだ収束していない今回の原発事故が、格納容器が破損して周囲に大量の放射性物質を撒き散らす結果に至ったら(現にそうなっている可能性が高い)、もっとも大きなダメージを受けるのは、原発近辺に住む人たちではないか。そういう間抜けな文章を書くブログ主もまた東京に住んでいることを私は知っているのだが、この手のブログのお馬鹿な文章を読むにつけ、朝日新聞の方がよっぽどまともな報道をしているよなあと思う。
そう、今回の原発事故について、もっとも的を射た記事を書いているという印象を受けるのは、朝日新聞で環境・エネルギー問題を専門で扱ってきた竹内敬二編集委員の記事なのである。ところがどういうわけか、竹内編集委員の記事は、asahi.comにはなかなか載らない。原発推進の立場と思われる朝日新聞の社論と合わないからなのだろうか。3月12日付に掲載された「地震国と原発 どう共存するのか」と題する記事は、朝日をとっていなかったり、とっていても竹内記者の記事を読まない読者にも知ってもらいたいと思って、『kojitakenの日記』の「東日本大震災で崩れ去った日本の原発の『安全神話』」と題したエントリで、抜粋して紹介した。福島第一原発をめぐる推移は、結局竹内記者の見立て通りに進んだというのが私の感想だ。
3月14日付朝日新聞3面にも、竹内記者による「甘い想定 頼った『最終手段』」と題した記事が掲載されたが、この記事にも教えられるところが多かった。こちらも、asahi.comには見つからなかったので、以下に抜粋して紹介する。
今回の原発事故で、格納容器にある弁を開ける作業が行われたのは前述の通りだが、実はこの弁は、原発の建設時(1号機の場合は1971年)には「日本では炉心溶融は起こらない」として装備されていなかったそうだ。専門家は、もし弁がなければ、格納容器の爆発から大惨事に至った可能性が高かったと見ているとのことだが、この弁は1979年のスリーマイル島原発事故や1986年のチェルノブイリ原発(炉の型が違う)の炉心爆発事故のあとつけられたものだ。それも、フランス、スウェーデン、ドイツ、アメリカなどが次々と弁を取り付けたのに、日本ではその後も「過酷事故は起こらない。対策は不要」とされてきたものを、1992年に原子力安全委員会が「検討が必要」との見解を出したあとになって、ようやく電力会社が「確率はきわめて低いが安全性を高める」として方針を変えたとのことである。東京電力などがもつ沸騰水型炉(BWR)は90年代半ばから弁の設置を始めたが、関西電力などの加圧水型炉(PWR)には弁は作っていないそうだ。
竹内記者の記事の末尾近くで、今回の事故は日本人の原子力への考え方を決定的に変えるだろう、「想定外の」の繰り返しでは片づけられない、と書かれているが、今回の重大事故につながったのは、非常用ポンプを動かすためのディーゼル発電機がすべて津波にやられて動かなくなったためだった。そして、1995年の阪神大震災以降、耐震強度には注意が払われてきた原発も、津波対策は盲点になっているとは、以前から指摘されていたことだった。
たとえば、2010年3月1日付「しんぶん赤旗」の記事「チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ/対策求める地元住民」などがその例だ。この記事で想定されているのは、津波の引き波で海水の取水が不能になるケースで、今回の事故の原因とは異なるが、津波対策が不十分だったこと自体は既に指摘されていたことであって、「想定外」でも何でもない。
原子力に関する事故が起きるたびに、「想定外」「100万分の1しか起こり得ないことが起こった」などと言われるのだが、そういう文句を聞くたびに思う。「100万分の1」とはどんなタイムスパンでの話なのか。原発が稼働している数十年の間を通して一度でも事故を起こす確率が「100万分の1」であったのなら、それは「運が悪かった」ことになるのだが、それは事実とは違うだろう。確率の見積もりが間違っていたのである。それも、原子力推進という国策第一で、安全性をおろそかにしたというのが本当のところだったはずだ。「100万分の1」の事象が何度も起きれば、それは「100万分の1」などではなかったことはあまりにも当たり前であって、要するに、「想定外」の事態が何度も起きたならば、それは「想定できなかった」のではなく、意図的に「想定しなかった」のだ。「想定される事態」を意識的に無視したのだ。
先の戦争の例を引くまでもなく、権力とは、平気で人民を犠牲にするものである。今回の原発事故には、それが悪い形で表れた。
昨日の新聞記事で一番頭にきたのは、毎日新聞に掲載された、「福島第1原発3号機も水素爆発 11人けが」と題された記事の末尾だ。
などと、事故現場での作業に責任を押し付けるような文章になっている。2号機で弁が開かなくなった事態が起きた件でも、現場の作業を批判するような報道が流れている。3号機の燃料は上部約2メートルが冷却水から露出し、このため燃料棒が溶ける「炉心溶融」が続いたとみられ、注水の方法に問題があったことが危機的な状況を招いたという。
私は、報道が現場の作業を批判するということは、事態が一段と深刻な段階になったことを示すのではないかと憂慮する。事故が起きてからの作業のミスなんかよりずっと大きな責任があるのは、原発の安全神話をうたいながら、実は国策第一で安全性をおろそかにしてきた電力会社、経済産業省、そして自民党時代から民主党に代わってからの今に至るまで続く政権である。
現場で必死に作業をされている方々を私は心から応援するし、その結果、仮に最善を尽くしたにもかかわらず最悪の結果に至ってしまったとしてもやむを得ないとさえ思っている。しかし、電力会社と経産省と政府の責任は厳しく追及しなければならないし、日本は今回の大地震と原発事故を機に、エネルギー政策を大きく転換させなければならない。
(注)この記事は、3月14日深夜にいったん書き上げたあと、3月15日早朝に加筆したものです。3月15日付朝日新聞にも竹内編集委員の解説記事が出ていますが、朝日新聞社には竹内記者の一連の記事をasahi.comに掲載してほしいと思います。
岩手県北上市在住の伊東勉さんから、当ブログにコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1162.html#comment11666
はじめてコメントさせていただきます。
…とはいっても、こういう形ではしたくなかったです。
今回の地震で、私の故郷・大船渡や陸前高田が壊滅してしまいました。本当に悔しくてなりません。
拙稿でも書きましたが、自分たちでがんばるにしても今は何もかもが足りません。Kojitakenさんはじめ、皆様のご協力よろしくお願いします。
後ほどあらためて挨拶に来ます。
2011.03.13 14:27 伊東勉
伊東さんの最新のブログ記事は下記。
http://plaza.rakuten.co.jp/benitoh/diary/201103130000/
以下転載する。
11枚目 今回の災害に関して…エールおくります。
[ 筆者からのお知らせ ]
拙稿お読みの皆様、この度の地震ではそれぞれに大変な思いをされた事と思います。御自宅は大丈夫ですか?ライフラインは大丈夫ですか?御家族や大事な方と無事を確かめられたでしょうか?
わたくし伊東勉は無事でいます。
今住んでいる北上市は一時ライフラインが切れていたりもしましたが、昨日夜あたりから復旧し始め、今では生活するには何とか、という状況には持ってきました。この件でがんばられた皆様に心から感謝します。
故郷の大船渡市をはじめ、東北地区太平洋沿岸地域は壊滅してしまいました。
今、現場で多くの方が苦しんでいます。
物資が絶対的に足りない中で生きていく事の苦しみ。
大切な人の行方がつかめていない苦しみ。
どれほどのものか。
言葉が見つかりません。
そうしてゆるぐない思いをしている方の?とくに大船渡、高田と知人が多くいる私にとって?力になれない事に、苛立ちを覚えます。
この文を読まれた皆様へお願いします。
私の故郷大船渡を
知人の多い陸前高田を
この震災にゆるぐない思いをしているすべての方を
どうか助けてください!
そして…今、現場で生きることに必死でたたかっている皆様?大船渡、高田、沿岸地域の社会人野球と共産党の仲間をはじめとした?に、エール送ります。
俺たちは、できることすべて使って皆さんを助けるために全力尽くします!
皆さんを決して見捨てやしない!
地震や、津波で俺たちが生きることを…折られてたまるか!
絶対にこの災害に、自分たちからは負けてやらないぞ!
だから…現場でたたかわれている皆様には頑張ってほしいです。
こんな言葉しか送れない、俺の非力さを、許してください。
いつか条件が許したら、大船渡、高田に向かいます。
思いは一つ。
このつらい状況乗り越えましょう。
この一文だけ書かせていただきまして、今回の記事とします。
失礼します。
(『“希”動力?袖番号96、伊東勉のページ。』 2011年3月13日付エントリ「11枚目 今回の災害に関して…エールおくります。」より転載)
伊東さんは、私が「AbEnd (安倍を "The End" させよう!)」を合言葉としたブログキャンペーンを始めた2006年から存じ上げている方だ。
いただいたコメントを読んで、そして伊東さんのブログ記事を読んで、絶句した。ブログの記事に出てくる「ゆるぐない」とは、ネットで調べたところ、「疲れた難しい、大変なこと、簡単ではないこと」という意味の岩手の言葉とのことだ。
コメントをいただいてから何時間も経って、ようやく自らのブログに転載するしか能のない己のふがいなさを恥じるばかりだが、私にもやれるだけのことはやりたいと思う。当ブログの読者の方々にもご支援をお願いしたい。
特に、新自由主義の権化ともいえる河村たかしの「減税日本」(=「強者への逆再分配日本」)を小沢信者が持ち上げるさまは異様の一語に尽きる。『kojitakenの日記』には、kemouさんが下記のようにコメントされている。
こんな発言でも肯定できる人達だからこそ、社民主義やリベラリズムとは対極にある河村さえも肯定できるのだろうな、なんて思います。ちなみに私はかつて小沢氏のメールマガジンを取っていたことがありますが、この発言が届いたその日に解約したのをおぼえています。社民主義やリベラルを強く志向する人間として、全く許容できるものではありませんでした。
しかし、小沢信者の感性はkemouさんとは全く異なる。当ブログにも、小沢支持者と小沢信者のボーダーのようなコメント常連客が複数名おられるが、さすがに河村たかしを手放しで持ち上げる態度はとらないけれども、自公や菅直人と比較して河村たかしを「よりマシ」と判定される。その基準は私には理解不能だ。時々訪れてたまに書き込みもする「平成海援隊Discussion BBS政治議論室」になると、河村たかしを賛美する小沢信者は少なくないし、その傾向がさらに尖鋭化した「阿修羅」に至っては、河村たかしへの熱狂的支持がデフォルトになっている。
最近は小沢信者の言説がリアルの媒体にも影響を与えている。小沢信者御用達の週刊誌として悪名高い『週刊ポスト』を昨夜少し立ち読みしたが、「小沢・河村・橋下『嫌われ者の盟約』」なる記事が出ていて、「政官業報のピラミッド」などという、どこかのミラーマンを思わせるようなフレーズが出てくる上、小沢・河村・橋下の「減税勢力」対菅・谷垣・大新聞の「増税勢力」などというありもしない対立構図を勝手に描いていた。ちなみに、自民党の「上げ潮派」は「増税勢力」側に描かれていたので大爆笑! だって、中川秀直一派の思想と小沢・河村・橋下の思想なんて寸分違わないじゃない(笑)。「減税」によって金持ちが市中に回す金が増えて経済が活性化して税収が増えるって、「トリクルダウン論」そのものじゃん(爆)。
かつての「上げ潮派」の支持者にせよ、今の河村・小沢信者にせよ、金持ちは金をポケットに入れて回さないから経済が沈滞化するんだよ、だから貧乏人に金を回して経済を活性化させる必要があるんだよ、と何度書いても理解できないらしい。ちなみに、河村たかしの「減税」が「金持ち減税」であることについては、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」のブログに月曜日に公開されたエントリ「河村市長の減税をもう一度考えてみましょう」に詳しい。
上記リンク先の記事からさらにリンクされている熊谷俊人・千葉市長のブログが指摘するように、
のである。これなら、人頭税に相当する分の減税だから、「庶民減税」の看板に偽りなしになる。ところが、実際に名古屋市議会でそのような議論がなされたにもかかわらず、河村は、もし、庶民向けの減税ということであれば、均等割・所得割ともに10%減税するのではなく、所得割はそのままで均等割を3,000円から一気に半額以下にまで引き下げれば良い
などと反論した、というかほざいた。それどころか、「減税日本」(=「強者への逆再分配日本」)のホームページに至っては、そこまで安くすると低所得者は徴収コストの方が高くなり、税を取る意味が無くなる
などと開き直っている。この経緯から、熊谷・千葉市長は河村の減税を「高所得者向けの減税が目的」だと認定している。こんなものは「庶民減税」ではないし、河村たかしが起こそうとしているのは「庶民革命」などでは毛頭ないのである。金持ちが貧乏人を騙そうとしている図式。その指導者が愛知の土豪である河村たかしで、河村を支援するのが岩手の土豪・小沢一郎である。確かに累進課税に対して一律減税を行うと高額所得者に効果が厚くなりますが、これは元々の納税率が高かったためであり、「納税者への敬意」を掲げる減税日本としてはある程度は妥当と考えています。
その河村?小沢ラインに乗って東京都知事選の座を伺っていたのが、宮崎の土豪と結託していた東国原英夫だったが、ここにきて石原慎太郎が引退の意向を撤回すると報じられた。以下時事通信の記事から引用する。
石原氏、都知事選4選出馬へ=不出馬意向から一転
今期限りで退任の意向を固めていた石原慎太郎東京都知事(78)は10日、4月10日投開票の都知事選に無所属で4選出馬する意向に転じた。11日の都議会本会議で正式表明する。既に出馬表明した外食チェーン「ワタミ」の渡辺美樹前会長(51)や出馬意向を固めた東国原英夫前宮崎県知事(53)らについて政策面などから分析した結果、場合によっては石原都政の継承が困難になるとの懸念を強めたとみられる。
都知事選では、渡辺氏のほか松沢成文神奈川県知事(52)、共産党の小池晃前参院議員(50)らが既に無所属での出馬を表明。民主党は独自候補擁立を断念する方針を固めている。自民、公明両党は石原氏を支援する方針で、同氏出馬は選挙戦に大きな影響を与えることになる。
石原氏は、高齢や多選批判を招きかねないことを考慮し、いったん4選不出馬の意向を固めた。ただ、その後も自民党などは出馬するよう懸命の説得を続けていた。
石原氏は10日夜、松沢氏や長男の石原伸晃自民党幹事長、森喜朗元首相と会談した。石原、松沢両氏は親密な関係で、石原氏不出馬を想定していた松沢氏に対し、石原氏が出馬の意向を伝え理解を求めたとみられる。会談後、松沢氏は記者団に「お話しすることはない」と硬い表情で語った。
石原氏は、自民党衆院議員として運輸相などを歴任した後、1999年4月の都知事選で初当選。「東京から日本を変える」とのスローガンを掲げ、大手銀行への外形標準課税の導入やディーゼル車排ガス規制などに取り組んだ。
一方、石原氏が旗振り役となって設立した新銀行東京は一時経営危機に陥り、都が400億円を追加出資。都民の批判を招いた。3期目の公約に掲げた2016年の夏季五輪招致は失敗した。(2011/03/11-01:05)
やれやれ。これで流れは見えた。石原が立てば、「石原が怖い」チキンの東国原英夫は絶対に立候補しない。「減税日本」(=「強者への逆再分配日本」)から衆院選に立候補するだろう。松沢成文も石原の対抗馬としては立候補しないだろう。渡辺美樹はそのまま立候補するだろうし、小池晃氏はもちろん立候補する。だが結果は見えていて、石原が敵なしの大差で四選を果たす。名古屋市民よりも大阪府民よりもポピュリズムに弱い東京都民がそれ以外の選択をするはずがない。都民の一人としてはまことに遺憾ながら、東京都民の民度は全国一低い。
要するに、石原は小沢?河村?東国原のラインが嫌いなのだ。東国原に都政を渡すくらいなら、俺がもう一期やる。そう考えたに決まっている。そう、東国原が「松沢になら勝てる」と思ったのと同じように、石原もまた「松沢では東国原に勝てない」と思ったに違いない。石原は、こんな時に盟友とされた松沢に対する気遣いなど頭に浮かぶ人間ではない。なにせ石原は、罪なきベトナム人を殺そうとしたとも言われている人間だ。その冷酷非情さは、常人には想像もつかない。
だが、そんな石原を東京都民は熱狂的に支持するのである。エントリの前半で、なぜ小沢信者があんな「自己責任厨の保守オヤジ」を神格化するのかわからないと書いたが、石原の場合は特殊な信者ではなく一般的な都民が熱狂的に支持するのだ。その点で大阪の橋下徹や名古屋の河村たかしと酷似しているのだが、石原は、河村や橋下といった次世代にとって代わられるのがいやで、死ぬまで自分がナンバーワンでありたい人間であるのに違いない。
いずれにせよ、自身にとって最後の都知事選になるであろう今回も、1999年の最初の都知事選と同様に「後出しじゃんけん」をしようとは、石原とはどこまで卑劣な人間なのだろうか。
こんな人間の四選を決して許してはならない、と声を大にして叫びたいところだが、「負け犬の遠吠え」にしかならないことは覚悟している。
名古屋の市議会解散に伴う出直し市議会議員選挙が先週末の4日告示されたが、「鍋パーティー」のブログ、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」に、mixiの「鍋党コミュ」のメンバーである、名古屋市民の「THE EDGE」さんが書いた記事「河村市長の減税をもう一度考えてみましょう」が今朝公開された(下記URL)。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-20.html
上記リンク先の「THE EDGE」さんの記事は、名古屋市民の方には、投票を前に是非ご参照いただきたいと思う。
ところで、この記事からは一昨年の千葉市長選で民主党の推薦を受けて当選し、最年少の政令都市首長として話題になった熊谷俊人市長が開設しているブログの2月7日付記事「愛知県知事選挙・名古屋市長選挙結果を受けて」(下記URL)が引用されている。
http://kumagai-chiba.seesaa.net/article/184734986.html
この記事で熊谷市長は河村たかしや大村秀章の「減税日本」が掲げた「市民税10%減税」の政策を批判している。その批判はまことにもっともなものだと思う。
ところが、このエントリはコメント欄が荒れている。25件のコメントがついているのだが、河村信者が乱入して熊谷市長を罵倒している。特に「木田茂夫」と名乗る人物のコメントはひどい。あまりに腹が立ったので、「鍋ブログ」に「THE EDGE」さんの記事を公開する前の昨日、「kojitakenの日記」で、「木田茂夫」を罵倒するエントリを公開した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110306/1299383722
ここで言っておかなければならないのは、この「木田茂夫」は、副島隆彦や「アルルの男・ヒロシ」(中田安彦)、孫崎享、きくちゆみといった人たちに共鳴する「トンデモ」であり、特に副島や中田の影響を非常に強く受けていることだ。
そして、その副島隆彦は、来月27日に行われる「小沢一郎政経フォーラム」で講師を務めるのである。
副島は、一昨年4月に行われた福岡のコンサルタント会社「夢大陸」が主催する「お金の木セミナー」で講師を務めた。その動画が残っている(下記URL)。
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=1585011
こんな動画は見る気も起きないが、動画に「“Jay”と“David”のイシヤ内部分裂!? 」なる注釈がつけられている。ちなみに、「夢大陸」の主宰者で、「六本木の巫女」との異名をとる原知遥(原千春)は、今年1月に詐欺罪の容疑で逮捕された。「夢大陸」を検索語にしてGoogle検索をかけるとわかるが、植草一秀や田母神俊雄も「夢大陸」が主催するセミナーの講師を務めていた。
要するに副島隆彦や植草一秀など、トンデモの一味に過ぎないのだが、小沢一郎はそんな人間と堂々と手を組む。「ネット重視宣言」をして以来の小沢一郎は、本格的におかしくなった。もともとおかしかったが、タガが外れたという印象だ。小沢一郎は、もはや日本の政治にとっての「ガン」に成り下がった。熊谷俊人・千葉市長のブログを荒らした「木田茂夫」は転移したガン細胞といったところだろう。
それでは、間もなく倒れるであろう内閣の総理大臣・菅直人のほうはどうかというと、こちらももともとおかしかったが最近は常軌を逸している。特に与謝野馨を内閣に取り込んでからは、やることが自公政権と全く変わらなくなった。「規制緩和による経済の活性化」なる新自由主義のドグマにとらわれている。これは、河村・小沢一派がとらわれている「減税による経済の活性化」と並んで、典型的な新自由主義政策だ。要するに、「民主党A」も「民主党B」も、ともに新自由主義勢力なのである。
最近特にひどいなと思っているのが、菅政権が「事業仕分け」に続いて「規制仕分け」をしようとしていることだ。その一つとして、日本が世界をリードする技術を持っているリチウムイオン電池の安全規格の緩和だと知って、私はブチ切れてしまった。この件は当ブログで取り上げるのは初めてだと思うが、「kojitakenの日記」に「リチウムイオン電池の安全基準緩和の動きに激怒! 文系ネオリベの馬鹿野郎どもが技術立国・日本を滅ぼす」という長いタイトルの記事(下記URL)を書き、読者から一定の肯定的な評価をいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110302/1299074121
上記リンク先記事に追加するとしたら、現在の民主党政権はせめて70年代の自民党政権(田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳)並みには財界との緊張関係を持ってほしいということだ。また、経団連のボスどもに言いたいことは、お前らは70年代の経営者たちの爪の垢でも煎じて飲めや、ということだ。本当に今の政治・経済を牛耳っている連中の低劣さには腹が立つ。
私が何を思い起こしているかというと、マスキー法と呼ばれたアメリカの一部の州における厳しい環境基準をクリアする自動車を開発した、かつての日本の自動車メーカーのことである。現在でも、かつてより傾いたとはいえ日本の工業技術の水準はなお高い。日本のメーカーには、苛酷な安全規格をクリアするリチウムイオン電池を製造する能力がある。それなのに、民主党政府と財界は、厳し過ぎる安全規格が日本の電池の競争力を落とした、だから韓国のメーカーにシェアを抜かれた、などとして安全基準を緩和しようとする。
話が全然違うのである。日本の敗因は、厳しい安全規格を世界標準にしようとしなかった政治の無策にある。そもそも「安全規格」は、自民党政権時代の後期から民主党政権にかけてずっと続いている新自由主義政治の思想に反するから、政府は全然そんなことを考えもしなかったのだろう。その無策によって、日本のメーカーが持つせっかくの優れた技術力というアドバンテージをふいにしてしまい、日本のメーカーのシェアを落としてしまった。要するに、馬鹿な政府と経団連が、自ら「技術立国・日本」を傾けてきたのである。
とりわけ我慢がならないのは、総理大臣の菅直人が、弁理士の資格を持つ理系出身の政治家であるにもかかわらず、こんな馬鹿な政策を進めていることだ。前首相の鳩山由紀夫も理系だった。政権交代前には、民主党という政党の性格が新自由主義的であるにせよ、トロイカ3人のうち2人までもが理系の人間である民主党には、自民党と違って少しは日本の工業技術のためになる政策を行ってくれるのではないかと期待していたが、無惨に裏切られた。中国政府の要人には多くの理系出身者が占めるというが、日本では政権交代が実現して2代の理系出身総理が生まれても、政治を牛耳るのは相も変わらず文系の馬鹿ネオリベどもなのだ。そして、トロイカの残り1人である文系出身の「剛腕政治家」とやらに至っては、「『文系』も『理系』もない、俺は『トンデモ』や」の世界へと堕ちていった。
もう民主党につける薬はない。私は自公政権を復活させるだけの解散総選挙にはずっと反対だったが、今では解散も止むを得ないと考えている。民主党は下野して出直すほかはない。
以前にも書いたかもしれないが、2003年の都知事選に石原が出馬するかどうかが注目を集めたことがあった。当時石原は、小泉純一郎に代わって総理大臣になる可能性を探るべく、都知事選に出馬せず、同年に予想されていた(現に行われた)解散総選挙で国政に復帰するのではないかと取り沙汰されていたからだ。私はもちろん当時から小泉は大嫌いだったが、石原は小泉よりもっと嫌いだったので、「踏ん張れ小泉。石原を国政に復帰させるな」と念じていた。結局石原は2003年の都知事選に出馬して、民主党と社民党が推した樋口恵子氏の4倍近い票を獲得して圧勝したが、当時四国の住人だった私は、石原が国政に害毒を撒き散らすよりはましだと思ったものだ。
これで自民党と公明党は都知事選に松沢成文を推すことになるだろう。民主党はというと、今朝の朝日新聞(4面)を見ると、党主流派が期待する蓮舫は気乗り薄で、党内極右の長島昭久は松沢支持を表明したものの、党都連が松沢を推す可能性は10%以下とのことで、渡辺美樹との共闘を唱える向きもあるという。松沢は、4年前の都知事選で民主党が実質支援した浅野史郎氏を応援せずに石原を応援したいきさつがあるから、そりゃ民主党の都連はおいそれと松沢は推せないだろう。そういえば、石原も神奈川県知事選で松沢を応援して自民党神奈川県連が推した杉野正氏(但し自民党本部は推薦しなかった)を惨敗に追い込んだから、自民党からも河野太郎あたりの松沢批判の弁も聞きたいところだ。
それにしても、渡辺美樹との共闘論が出るあたりが民主党の情けないところだ。東京都を「経営」するとかほざいている時点で渡辺美樹など論外だが、そんな渡辺も民主党には「すり寄ってくるな」と思っているのではないか。今の民主党は、まるで一昨年の自民党のような政党に成り下がってしまった。
とはいえ、河村たかしの「減税日本」(私は「強者への逆再分配日本」と呼んでいる)などもっと論外、最低最悪だ。今日、名古屋市議会選挙が告示されるが、「減税日本」は自民党よりも民主党よりも多くの候補者が立候補予定だそうだ。一次公認候補には会社役員や自営業者が多かったとのことだが、最終的にはどうなったのか。「減税日本」のブームにのぼせた市民派あがりの候補者も結構いるのではないか。
ところで、あからさまな新自由主義勢力である「減税日本」に対して、社民主義を標榜する側からの批判が極めて弱いことに、私は多大なストレスを感じている。当ブログには、「金持ち増税なんかしたら景気を冷やすだろ」という主旨の、竹中平蔵や中川秀直ばりの「トリクルダウン」論むき出しのコメントを多くいただくようになったが、そんな言説がまかり通っている現在、社会民主主義を標榜している社民党から積極的に「減税日本」を批判するコメントが聞かれないことは、全く理解できない。
昨日(3日)、河村たかしの元秘書だったという衆院議員・佐藤夕子が民主党に離党届を出して「減税日本」入りを表明したが、民主党は離党届を受理せず、佐藤を除名する方針だという。当然の処置だと私は思う。ところが、名古屋市長選や愛知県知事選で民主党や国民新党とともに「減税日本」と戦ったはずの社民党党首・福島瑞穂のコメントはというと、「(佐藤氏は)減税日本の方が民主党で戦うより得だと判断したのではないか」(時事通信)というものであり、社民党と180度政策が違うはずの「減税日本」に対する批判は、ニュアンスさえ感じられない。
現在、社民党は「小沢一郎の別働隊」と見られており、過去の国政選挙において、4年前までは比例区で「社民党」と書いた頻度が他のどの党よりも高かった私は、いまや社民党から完全に心が離反している。それでも、小沢一郎に遠慮してかどうかは知らないが、「減税日本」に対する批判さえ全然伝わってこない社民党とはいったい何なのかと思い、腹が立つ。今みたいな社民党だったら、完全に消滅してしまった方が良い。そう言いたくなるくらい、社民党は社民主義勢力の台頭を待望する人間を裏切り続けている。
当ブログが都知事選で小池晃氏を推すと言明したことに対し、「なんだ、やっぱり共産党支持者か」というコメントもきているが、私は昔も今も無党派の人間だ。だが、河村たかし一派に次々となびく「民主党A」、財界や自公になびく「民主党B」はもちろん、小沢別働隊にしか見えず、河村一派さえろくに批判できない社民党なんかをどうやったら支持できるというのか。たとえば今年解散総選挙があっても、消去法によって小選挙区も比例区も共産党に投票するしかないと私は考えている。
たとえば「自由と生存のメーデー」に社民党の福島瑞穂が来ることはあっても共産党の政治家が姿を見せることはないことなどについて、私は共産党にも疑問を持っており、決して手放しで共産党を支持するものではない。しかし、現時点で投票行動をとる時には、新自由主義系の候補を国政なり地方自治なりの場に送り出す選択肢は決して選べない、それだけの話である。
それに、小池晃で勝てるのか、共産党候補ではダメだというのならいったい誰なら良いというのか。そもそも小池晃氏は無所属で立候補するのだが、なぜ小池氏に乗れないのか、小池氏の立候補を批判する「左」側の人たちは、「勝てない」以外の理由を示すことができない。彼らは、自公の候補に勝てるのであれば、「減税日本」の候補さえ担ぎかねないが、はっきりいって「減税日本」と比較したら自公の政治家の方がまだマシだ。
「反共」に凝り固まっている「左」側の人間につける薬はない。そう半ば諦め気味につぶやく今日この頃なのである。