きまぐれな日々

昨夜(2月27日)の「NHKスペシャル」は、先の戦争におけるマスメディアの責任を問う番組だった。NHKのラジオ放送や朝日・毎日などの大新聞が戦争を煽り、それに民衆が熱狂したことが伝えられたが、信濃毎日新聞の主筆・桐生悠々(政次)が軍部を批判する記事を書いて退職に追い込まれた有名な一件を含んで、認識を新たにさせられる内容ではなかった。戦時中の報道について関心を持っている人間なら誰しも同じ感想を抱いたことと思う。

むしろそれより、現在の日本人の特定の政治家たちに対する熱狂ぶりの方が、私には気になる。もうすっかり河村たかしに対する批判が看板になってしまった当ブログだが、3年前には大阪の橋下徹を批判する記事を売り物の一つにしていた。今でも、検索語「橋下徹」でGoogle検索をかけると、当ブログの2007年12月13日付エントリ「大阪府民は『極右ポピュリスト』橋下徹を打倒せよ」が最初のページに現れるが、このエントリもかなり批判を受けた。

しかし、それにもまして驚いたのは、2008年9月20日付エントリ「一度に346人の府立高校非正規職員の首を切る橋下徹」を公開した時、大阪在住(だけに限らないかもしれないが)の橋下信者、もとい橋下支持者から激しいブーイングを浴びたことだ。このエントリについた「はてなブックマーク」は、当ブログとして初めて50件を数えたが、その大半が記事を批判するコメントであり、記事で取り上げた大阪の府立学校で働く非正規職員の側に立つ意見はほとんど見られなかった。私自身もこのエントリにブクマをつけ、

ブログ著者の自己ブクマだけど、3年前の郵政解散・総選挙の頃のネット言論かと錯覚したよ。大阪のネオリベ諸君は、全国から3年遅れてる。化石も同然だよ(笑)。

と書いて橋下徹を支持する大阪人に毒づいたが、現在では河村たかしと大村秀章を圧勝させた名古屋人に毒づく羽目に陥っている。別に大阪だから、名古屋だからという問題ではないことは、もちろん現在では十分了解している。

橋下徹が大阪府知事選に圧勝した頃、ブログで「反自公政権」の意見を発信していた人間は、大部分が橋下徹を批判していたはずだが、彼らの多くが「小沢信者」となり、小沢一郎と親しい河村たかしを応援し、河村たかしの名古屋市議会リコールを橋下徹が支援するに及んで、橋下を批判する小沢信者はほとんどいなくなった。植草一秀が、「正統民主党」(民主党反主流派)は「減税日本」(その正体は「強者への逆再分配日本」)や「地域新党」と共闘すべきだと絶叫していることについては前回のエントリに書いたが、つい昨日も天木直人が橋下徹を持ち上げている。みんなの党を持ち上げたり稲田朋美を持ち上げたりと節操のない人だが、ついに橋下徹にも取り入った。困ったものである。

橋下の方は、小沢一派にすり寄られるのはいい迷惑、と考えたのか、突如方針転換し、民主党(反主流派)とは「一線を画する」と言い出したことは前回にも書いたが、河村たかしのもくろみは橋下とは異なり、民主党小沢一派との共闘に向かってばく進している。「減税日本」は、統一地方選で行われる東京の区議選に民主党離党者を含む公認・推薦候補10人を発表したが、「多くが民主党の小沢一郎元代表支持グループの議員に近い候補者だ」と産経新聞は報じている。もっとも、10人のうち「強者への逆再分配日本」の公認は3人だけで、残りの7人は民主党の公認を得ているとのことだ。

当ブログは当然ながら、「減税日本」の公認や推薦を得ている候補に対する落選キャンペーンを行う。文化的にいっても、東京は名古屋の文化を受け入れる土壌のない土地柄だが、東京だ名古屋だという理由ではなく、「強者への逆再分配」にしかならない「減税日本」の公認・推薦候補など、区議選で当選させてはならないと思う。東京都民は、愛知の八丁味噌に対する反発その他理由は何でもかまわないから、「減税日本」の公認・推薦候補には投票しないでほしい。

もっとも東京では、民主党の東京都選出国会議員10人らが、「東京維新の会」とかいう名前の「政策集団」(笑)を立ち上げたとのことで、この政局集団は、名前からも明らかなように露骨に橋下徹にすり寄っている。計算高い橋下が、損得勘定をして直ちにこいつらに食いつかれるのは「損」だと判断したのは当然であって、中山義活や松原仁ら民主党の面々は、「改革者」を気取って好き放題にふるまっている橋下にとっては足手まとい以外のなにものでもない。これら権力亡者を切り離そうとする橋下とくっつこうとする河村。どちらが賢明な判断をしたといえるか、私は自明だと考えているが、その答えは4月10日の統一地方選で明らかになるだろう。

東京では都知事選もある。当ブログに「東京都知事選についても書いてくれ」というコメントが寄せられたが、既に当ブログは2月10日付エントリ「河村にすり寄る小沢一郎の地元で『減税真理教』候補が敗北」において、都知事選に無所属で立候補予定の前共産党参院議員・小池晃氏を支持することを明記している。

名古屋トリプル選挙の圧勝に図に乗る河村たかしは、やはり都知事選立候補を明言している「ワタミ」創業者・渡辺美樹に対し、「商売をやっている人は基本的に減税路線だ」として連携を模索したが、渡辺が名古屋市の市民税10%減税に否定的な見解を示したために物別れに終わったと朝日新聞が報じている。

私は、河村のこの動きは、最終的に東国原英夫を推すためのフェイクではないかと想像しているが、河村は東国原が「減税を公約に盛り込んで実行する」ことを連携の条件だとしている。東国原は、むろん河村の誘いに乗ると私は予想しているが、その前に石原慎太郎が本当に立候補しないかを東国原が見極めているフシもある。石原が出馬しなければ、東国原は河村の誘いに乗るだろう。もし東国原対松沢成文の争いにでもなれば、東国原に勝機は十分あるからだ。もっとも松沢成文も負ける選挙は嫌だろうから、本当に都知事選に立候補するかはわからない。場合によっては石原が土壇場で四選の出馬を表明する可能性もまだ消えていない。東京都民というのは大阪府民や名古屋市民よりももっとポピュリズムにもマッチョイズムにも弱いから、石原が出馬すれば四選を果たしてしまいそうな悪い予感を私は持っている。

いずれにしても、小池晃氏を除けばろくでもない候補者ばかりだ。東京都知事選において、小池晃氏に投票する以外の選択肢があり得るとは、私は全く考えていない。

もちろん河村たかしが小池晃氏を推すことなど、天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。この都知事選で、河村一派や小沢一派が最終的に誰を担ぐのか。河村一派の方向性は既に明らかだが、小沢一派の方向性も明らかになるだろうと私は考えている。

いずれにせよ、「減税日本」の東京進出の野望は、絶対に挫かなければならない。
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2011.02.28 08:53 | 河村たかし批判 | トラックバック(-) | コメント(24) | このエントリーを含むはてなブックマーク
ブログ「Nabe Party - 再分配を重視する市民の会」に今朝公開された記事「『保育所の最低基準緩和』が招いた悲劇 これでも河村たかしの『減税日本』を支持できますか?」(下記URL)は、名古屋在住のとらよしさんが書かれた記事だ。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-16.html

これは、2月22日、著者のとらよしさんから当ブログにいただいた非公開コメントを「鍋ブログ」の記事として掲載したものだ。なんといっても息を呑んだのは、記事中からリンクを張られている報道番組の動画だ。「保育園の最低基準緩和:子どもをギュー詰めに詰め込む方針」と題されたこの動画(下記URL)は、河村たかしの盟友・橋下徹が旗を振って推進しようとしている保育園の面積の最低基準緩和に警鐘を鳴らした、大阪・関西テレビのローカルニュース番組(「スーパーニュースアンカー」)を収録したものだ。
http://www.youtube.com/user/janemay95#p/a/u/0/2BJgkl0aiHY

戦後間もない1948年に制定された保育所の面積の最低基準。アメリカの制度の輸入だが、貧しい敗戦国・日本の現状にあわせて、わざわざ基準を緩めて定められた。その基準が未だに変えられていないどころか、橋下徹ら全国の47知事のうち41知事がさらなる基準緩和を求めているのだ。

橋下らのこの動きは、元をたどれば、10年前に小泉純一郎が総理大臣に就任した時にブチ上げた「待機児童ゼロ化」に遡る。待機児童を減らすといえば聞こえはよいが、その実態は、子供たちを最低基準ギリギリに近い狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めにすることだった。その結果保育所における死亡事故は、コイズミが総理大臣に就任した2001年以降急増した。番組では、保育所で毛布を被された上に重しを乗せられて窒息死した一歳児のお母さんが痛切に訴えかける印象的な映像が流された。

ところが、橋下ら全国のほとんどの知事は、その最低基準のさらなる緩和を求めているのだ。これが橋下の言う「維新」とやらの正体である。

問題は橋下だけではない。最低基準の緩和は、国会で成立していない地域主権改革法案に含まれているとのことだが、東京都の児童福祉審議会は法案が国会を通ってもいないのに、最低基準を緩和して子供たちを詰め込む案で審議しているらしい。JPホールディングスの山口洋や学習院大学経済学部の鈴木亘らが名を連ねる専門部会で、3月に決定する方針だということを知った。

とらよしさんの記事によると、名古屋市は4年前、2016年までの9年で123ヵ園のうち最大50ヵ園の公立保育所の廃止・民営化をする、と決めたとのことだ。4年前というと、まだ河村が名古屋市長になる前のことだが、河村自身も

「これこそ地域委員会でやらないかん。認可とか認証とかを役所がやるより地域のみなさんが見たほうがどんだけええですか。物すごいきめ細かくできますよ」

と名古屋市議会で答弁したとのことだ。地方自治の公共サービスを片っ端から「民営化」するのが、橋下や河村などのネオリベ首長の目指す方向性である。

政権交代から1年半が経とうとしているが、鳩山、菅と続いた政権がいっこうに成果をあげられずにいるうちに、国民の政治への不信がまたも沸騰してきた。麻生政権末期もそうだったが、それ以上に私が思い出すのは森喜朗政権の末期の空気が今と似ていることだ。

あの時は、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎の人気が沸騰した。現在標的になっているのは、「官僚支配」、「既得権益」、「既成政党」などだ。「既成政党」という言葉で、民主党、自民党、公明党、共産党、社民党はおろか、「みんなの党」までもがひとくくりにされ、勇ましい「減税日本」や「大阪維新の会」が人気を博する。政権与党内で権力抗争をする反主流派の人たちは、露骨に河村や橋下にすり寄り、「日本維新の会」だの「東京維新の会」だのを立ち上げようとしているが、そのあまりに露骨なすり寄りは下心がミエミエであるため、計算高い橋下は、足を引っ張られてはたまらないとばかり、警戒して民主党反主流派と一線を画する姿勢をとるようになった(毎日新聞記事参照)。

国会議員たちの醜態は論外だが、彼らのみならず国民の多くが期待を寄せる橋下、河村らはさらに危うい。戦前の「革新官僚」を思わせる、「革新首長」とでもいうべき面々が、今後国政にも大きな影響力を及ぼすと思うが、その主張の中心は、「既得権益の打破」、「官僚支配から政治支配へ」、「既成政党をぶっ壊す」、「地方主権」などだ。

なんとなく、誰かを思い出さないだろうか。

そう、小泉純一郎である。「抵抗勢力の打倒」、「官から民へ」、「自民党をぶっ壊す」、「小さな政府」などを叫んだ小泉純一郎は、空前の大人気を博し、大勢の「小泉信者」を生み出した。当時の「小泉信者」と現在の「小沢信者」は、寸分違わない同じ言葉を叫んでいる。

この光景に接して、私は、「十年一昔とはよく言ったものだ、もう10年前のことなんか誰も覚えてないんだなあ」という感慨にとらわれる。当ブログにも、「既得権益のにおいがする」などという罵倒のコメントをよくいただくようになった。

橋下や河村が叫ぶ「地域主権」がもたらすものは何か、それを象徴的に示すのが、保育所で窒息死させられた一歳児の悲劇だ。「小さな政府」、「官から民へ」の社会の行き着く果てが、そこにはある。

前記「Nabe Party」の記事を書かれた名古屋のとらよしさんは、個人ブログ『明けの翼』も開設されている(下記URL)。
http://kanom35.blog.shinobi.jp/

とらよしさんも、一昨年の政権交代に期待を託しておられたようだ。現在の菅政権には批判的でありながら、なお「国民の生活が第一」をスローガンに掲げた小沢一郎には期待をしておられたが、その小沢一郎が名古屋のトリプル選挙で「ムラムラツィンズ」(河村たかしと大村秀章)を応援したことに対するやりきれない思いが、「愛知・名古屋の低民度 - 虚しい喝采」と題されたエントリ(下記URL)から痛いほど伝わってくる。
http://kanom35.blog.shinobi.jp/Entry/320/

上記リンク先から一部引用する。

ふぅ。

何から言えばいいのだろう。
愛知・名古屋のトリプル選挙を終え、その結果に熱が出そうなほど怒りまくってました。

当選の喜びを伝えるテレビ画面に向かって汚い言葉を吐き、やり場の無い気持ちを、養母に向かって投げつけ続けました。

なんで?
河村氏でいいの?大村氏でいいの?
国政で与党である民主党がダメダメだからといって、地方政治とは事情が違いますよ。
河村&大村のムラムラツインズは、新自由主義の権化ですよ。
前原さん、玄葉さん、岡田さんと思想が近い方達ですよ。
近いというより同じ、松下政経塾の方達ですよ。

それに対抗したのが石田氏と御園氏。

どうしてこの両陣営の応援として、小沢さんがムラムラツインズに付き、岡田さんが石田&御園氏に付いたのか、全くわからないんです。

ムラムラツインズはまだ日本の首相であらせられる方と同じ路線の人で、石田&御園氏は鳩山マニフェストと近い公約を掲げた人達です。
応援に付くとすれば、逆でなければおかしい、どう考えてもおかしい。

岡田氏は河村氏に私憤を抱いているというけれど、どうだか。
そのうち手を握って、笑ってカメラの前で「和解」などと言うんじゃないかと思う。
それくらい路線は同じだと思う。

なんで小沢さんがムラムラツインズなんかを応援したのかわからない。

(中略)

名古屋市の歳出の5割が社会保障費です。ま、これはどこの市町村もほぼ同じ割合だと思いますが。
まずは、減税を行い、報酬カットをしても、財源の確保はできません。
きっと、保育園と幼稚園を一元化することで予算を削減してくるでしょう。

(中略)

なんで小沢さんはこんな人を応援したんだろ?
これも、ムラムラツインズと岡田さんの狡猾なショーだったりして。

名古屋も愛知もきっと悪くなる。
さらに分配されない貧しい都市となっていくと思う。
その際には、応援した小沢さんに批判の目を向けさせる二人の冷酷さを感じないわけではありません。
無ければいいけど、無いなら無いで、小沢さんもムラムラツインズも同等ってことで理解せざるを得ません。

しつこいくらいに言うけど、小沢さん、、、なんでこんなヤツらの応援に来たんだろ?

名古屋だけに、ご自分の経歴に味噌をつけちゃったことにならなきゃいいけど。

(『明けの翼』 2011年2月8日付エントリ「愛知・名古屋の低民度 - 虚しい喝采」より)


残念ながら、現実はとらよしさんが懸念されるよりさらに深刻だ。

小沢一郎は、今年4月27日に行われる「第62回小沢一郎フォーラム」に副島隆彦を講師として招くと、「小沢一郎ウェブページ」に告知されている。
https://www.ozawa-ichiro.jp/support/seikeiforum.htm

この副島隆彦は、「アポロの月着陸はなかった」とするトンデモ陰謀論で有名な御仁だが、思想的には「リバタリアン」(自由至上主義者)を自称しており、「すべての税金は悪である」と主張して憚らない、究極の「小さな政府」論者なのだ。

私は、昨年9月20日付の『kojitakenの日記』に、「『全ての税金は悪である』と言い切るソエジーと、それに付き従う河村たかし信者のブログを見て頭痛がしてきた」という、長ったらしいタイトルの記事を公開した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100920/1284955128

「すべての税金は悪」、「税金は罰金」などと叫ぶ人たちと小沢一郎は組もうとしているのである。

これには背景があって、副島隆彦は、一昨年来ネットにおける小沢一郎応援団長ともいうべき植草一秀に取り入り、共著を出版するなどした。副島はいまでは植草一秀どころか小沢一郎まで取り込んだと見るべきだろう。植草もブログで

「正統民主」は「減税日本」や「地域新党」と連携し、悪徳ペンタゴン勢力=「増税日本」と対峙しなければならない。

などと絶叫し、新自由主義者の獰猛な本性をあからさまに見せるようになった。

私はしばらく前から、小沢一郎自身の「小沢信者化」を感じていたのだが、副島隆彦を「小沢一郎フォーラム」の講師として招くと知るに及んで、小沢一郎は完全に終わった、そう思った。

日本の未来は、菅・与謝野・谷垣の「財政再建至上主義」にはないが、橋下・河村の「減税真理教」、「強者への逆再分配」にもない。小沢一郎は、橋下にすり寄ろうとして最終的には拒絶され、このままではその政治生命を無惨な形で終えるほかないだろう。

「小さな政府」を「サービスの大きな政府」に改め、「官から民へ」を「私から公」に改めるほかに、日本の明るい未来はない。そう思って、「鍋党?再分配を重視する市民の会」をmixiに立ち上げたし、広く執筆者を募るブログ「Nabe Party - 再分配を重視する市民の会」も立ち上げた。

コミュの参加者も、ブログの執筆者も引き続き募集中なので、皆さまのふるってのご参加をお待ちしている。
2011.02.25 09:10 | 橋下徹 | トラックバック(-) | コメント(30) | このエントリーを含むはてなブックマーク
日本で最初に消費税の政局になったのは、1979年に大平正芳が一般消費税の創設を公約して総選挙に臨もうとしたものの、世論の強い反発に遭って公約を引っ込めた上選挙に敗北し、「40日抗争」を招いた時のことだ。

現在の民主党内の抗争は、40日どころでなく続いているが、昨年7月の参院選で菅直人が消費税増税を掲げて敗北したことがきっかけになっている点が当時と同じだ。

ただ、全然違うところがあって、それは政権与党の強さだ。当時の自民党は、1976年の衆院選と1977年の参院選で底を打った党勢が回復・拡大基調にあり、それは中曽根政権時代の1986年の衆参同日選挙でピークに達するのだが、上り坂にあった自民党が、大平正芳の失策でたまたま負けただけだったから、翌年に福田(赳夫)派と三木(武夫)派が造反して衆参同日選挙になった時にも自民党は圧勝した。

当時は大平正芳が選挙期間中に急死したことで自民党が同情票を集めて勝ったのだろうと思っていたが、最近知ったところによると、病室の大平正芳の元には選挙の情勢が明るいことが伝えられていたという。つまり、大平正芳の急死がなくとも自民党が選挙に勝った可能性が高い。それくらい当時の自民党には地力があった。

今の民主党はそうではない。菅直人が解散したら民主党の惨敗は必死だから、民主党議員の中には「羽交い締めをしてでも解散させない」と息巻く者がいる。それとそっくり同じ言葉を、麻生太郎に対して自民党議員が吐いたのは2年前のことだ。郵政総選挙も政権交代選挙も、小選挙区制の特性によるところが大きい結果であって、ああいう選挙結果はかえって政権与党に悪影響を与えるもののようだ。報道各社による内閣支持率調査でも菅内閣の支持率は20%前後を記録するようになった。2年前の麻生内閣の支持率も同じくらいだったと記憶している。

こういう時に台頭するのがポピュリズムである。ここでは、ポピュリズムという言葉を、わが国で普通に通用している「大衆迎合主義」(または「大衆扇動主義」)という意味で使う。国政レベルでポピュリズムを駆使して国民の支持を得たのは、いうまでもなく小泉純一郎だったが、地方自治レベルでいうと3年前の大阪府知事になった橋下徹、一昨年名古屋市長選に初当選し、今月上旬に行われた「名古屋トリプル選挙」を仕掛けて圧勝をおさめた河村たかし、それに先日の阿久根市長選で敗れた竹原信一などがあげられる。

見過ごせないのは、民主党の小沢派や鳩山派が橋下・河村の首長連合と連携する構えを見せていることである。発想は、「反菅執行部」という政局的なものなのだろうが、単純な官僚叩きのポピュリズム政党としてスタートしたかのように見えた「みんなの党」が橋下・河村の首長連合と訣別したと報道されたあとでもあり、その空席を占めて、小沢・鳩山派がポピュリズム色を強めていくだろうと私は予測している。

ここで忘れないうちに鳩山由紀夫をぶっ叩いておく。前のエントリのコメント欄でぽむさんに教えていただいたのだが、鳩山は、例の「方便」問題でトンデモ方言を行ったことを共同通信が報じている。以下東京新聞記事(下記URL)から引用する。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011022001000220.html

鳩山氏「真理に導く手段の意」 方便発言で

 民主党の鳩山由紀夫前首相は20日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設断念の理由に米海兵隊の抑止力を挙げたのは「方便だった」と発言したことについて「方便とは真理に導くための手段のことだ。真理とは、すなわち(名護市)辺野古への移設で、そこに導くための手段として『抑止力』と言った」と釈明した。北海道伊達市内での後援会会合で語った。

 県外移設断念の経緯をめぐっては「普天間の海兵隊ヘリ部隊の役割は決して敵を襲うものでなく、(当初は)それを抑止力と言い切るのは無理があると思った。しかし地上部隊とヘリ部隊は密接で離せないとの米側の理屈、さらに空軍、海軍、海兵隊パッケージ全体が抑止力だとの言われ方をすると、なるほどと(考えた)」とした。

 さらに「私の考え方は正しいと思っているが、正しくないなら、いろいろお聞かせ願いたい」とも述べた。
(共同)

(東京新聞 2011年2月20日 18時33分)


鳩山の「方便」発言を、「勇気ある告白」などとして天にも届かんばかりに持ち上げた小沢信者たちの顔を潰す、この新たな鳩山発言に対して、小沢信者たちはいったいどんな言い訳をするのだろうか。楽しみでならない(笑)。

一事が万事、鳩山由紀夫はいつもこの調子なのだが、鳩山にせよ前回のエントリで叩いた原口一博にせよ、あるいは現在は対立陣営にいる総理大臣の菅直人にせよ、最悪なのはすぐポピュリズムに走ることだ。特に、今回小沢や鳩山が手を組む構えを見せている河村たかしや橋下徹は、日本の政治家の中でも特に過激な新自由主義的主張を持つポピュリストだから始末が悪い。

昨夜遅く、『kojitakenの日記』に、「橋下・河村と手を組んで『減税』を掲げた時、小沢一郎は再転向する」と題した記事を書いたのだが、飯田泰之ら再分配「も」重視する「リフレ派」の経済学者の政策を取り入れて、結党当時の「単純な官僚叩きのポピュリズム政党」から脱皮して経済軸の中道へと軸足を移そうとしているかに見える「みんなの党」とは対照的に、安易に河村の「減税ポピュリズム(減税真理教)」に飛びつき、河村の盟友である橋下徹にまで秋波を送る小沢一派の無節操ぶりには目を覆うばかりである。これには橋下の側から警戒を見せており、橋下は原口一博には接近しても、小沢一郎とは距離を置こうとしているように見える。橋下側からすれば当然の反応であり、またしても小沢信者にとって「いい面の皮」になることは目に見えている。

しかし、2008年の大阪府知事選で自民・公明両党の推薦を受けて選挙戦を戦った橋下徹はともかく、河村たかしやその忠実なウナギ犬・大村秀章が今後小沢一郎とべったりの関係を続け、小沢の方も「減税」で河村・大村と連携する動きを示すことはまず間違いないと思われる。前記『kojitakenの日記』にも書いたが、私は、小沢が「減税」を前面に打ち出した時点で、小沢自身が掲げた「国民の生活が第一」のスローガンを捨てて、経済中道に移ろうとしている「みんなの党」はおろか、同じ民主党の菅一派と比較してもさらに経済軸上の「右」側へと軸足を移すことになると見なしている。

「鍋党」のブログ『Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会』の初回のエントリに、私は次のように書いた。

日本でも、河村たかし・名古屋市長が「減税日本」を立ち上げ、名古屋市議会の定数や報酬を半減すると息巻き、名古屋市議会のリコールを自ら主導しました。同様の方向性を持った人として大阪府の橋下徹知事がいますし、国政でも「みんなの党」が「小さな政府」を目指す主張を打ち出して、議席を伸ばしています。でも、それで良いのでしょうか。


しかし、小沢一派が本当に河村の「強者への逆再分配日本」(=「減税日本」の実体)と連携することが確定したら、私は直ちに「国政でも」以下の部分を次のように書き換えるつもりである。

国政でも政権与党・民主党の小沢・鳩山派が河村たかしや大村秀章らと連携して、「減税」をだしにして国民を騙し、「小さな政府」への支持を得ようとしています。でも、それで良いのでしょうか。


私は、小沢一郎が「国民の生活が第一」をスローガンに掲げれば国政選挙に勝てることを示してきた実績を高く評価していた人間である。だが、その小沢一郎が国民を裏切ろうとしている。だから怒っている。こう書くと、なぜ菅直人を批判しないのかなどとコメント欄に書く人間が出てくるだろうから釘を刺しておくと、私は社民連の支持者としてスタートした人間であるけれども、菅が与謝野馨を入閣させようと「たちあがれ日本」に接触したことが報じられた時点で、これに激怒して当ブログに「たちあがれ日本との野合に動いた菅内閣は即時総辞職せよ」と題したエントリを公開した(下記URL)。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1140.html

以後、当ブログはずっと「反菅」のスタンスをとっている。しかし、小沢一派が「減税真理教」を前面に打ち出したりしたら、それは前回のエントリでも書いたように「究極の新自由主義政策」なのだから、菅一派よりさらに厳しく小沢一派を非難するのは当然である。現在総理大臣にいるのは菅直人の方だから、菅をより強く非難すべきだという主張にも一理あるが、支持率が20%を切って「死に体」である菅政権より、今後政権を握るかもしれない「減税ポピュリズム」政党、「強者への逆再分配日本」(「減税日本」と「日本維新の会」の当ブログ流の総称)の方が、今後の日本にとってより大きな脅威であると私は考えるのである。
2011.02.21 08:41 | 河村たかし批判 | トラックバック(-) | コメント(13) | このエントリーを含むはてなブックマーク
小沢一郎に近い民主党の比例区単独選出議員16人が菅執行部に反旗を翻したことで、政局は一気に流動化したとされている。

「とされている」と書いたのは、政権与党のくだらない権力争いなんかどうでも良いと私が考えているからであって、自民党政権末期時代の「麻生降ろし」に対しても私は冷淡だった。「麻生降ろし」には、どうせ次の選挙で大敗する諸氏がいったい何やってるんだと思ったものだが、現在では同じことが民主党衆院議員諸氏に当てはまる。今回菅直人に反旗を翻した16人は、昨夜のテレビで一色清と古舘伊知郎が言っていたように、おそらく今のままだと、ほぼ全員次の総選挙で落選するだろう。だから、早く泥船から逃げ出したいのである。

そういった点では、まだ一昨年の自民党議員たちの方に誇りを感じる。彼らは、自民党公認で立候補して、堂々と散っていったからだ。現在、「小沢一郎に近い」といわれる民主党の比例区単独選出議員たちが考えているのは、橋下徹や河村たかしと提携して原口一博が立ち上げようとしている「日本維新の会」とやらに加わって、「改革者」を気取って、あわよくば次の選挙でも生き残ることだ。そこには、「国民の生活が第一」の信条も心情も、そのかけらもない。

心情、あるいは信条と書いたが、この言葉から思い出すのは、昨年「暴力装置」をめぐる問題で一躍クローズアップされたマックス・ウェーバーの「職業としての政治」であって、ウェーバーは、政治家たる者は自分が正しいと信じるままに行動する「心情倫理」ではなく、 結果への責任を重んじて行動する「責任倫理」に基づいて行動すべきだと論じた。この「心情倫理」を「信条倫理」と訳する訳者もいる。

となると、ウェーバー流にいえば鳩山由紀夫は「心情倫理」に従って行動する人間の典型例であり、政治家失格ということになる。当ブログもしばしば、政治は結果がすべてだと論じているが、鳩山政権も菅政権もその意味では失敗した政権であり、民主党比例区単独選出議員の意図はどうあれ、菅直人内閣は早期に総辞職すべきだし、同様に昨年6月初めに鳩山由紀夫内閣が総辞職に追い込まれたのも当然だったと思う。

そもそも鳩山由紀夫の場合、「心情(信条)倫理」に従って行動したといえるかも怪しい。今でも忘れられないのは政権交代直後のことで、私には鳩山由紀夫から新政権が発足する緊張感といったものが全く感じられなかった。えっ、これが政権交代なの? と思ったくらいだ。1993年に発足した細川連立政権の時には、私はこの政権を支持していなかったけれども、もっと締まった緊張感があった。しかし、鳩山由紀夫から感じられたのは、「まあ何とかなるさ」という安易さだけだった。人事についてもそうで、官房長官にあの無能な平野博文を据えたのはその典型例だし、官僚の人事にしてもほとんど自民党時代のままで手をつけなかったために官僚の反撃をもろに食った。環境エネルギー問題における迷走はその好例であり、羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く菅直人は、鳩山の失敗を見て懲りたか、環境エネルギー政策にはきわめて消極的な態度をとり続けている。これでは、政権交代をした意味が何もない。

小沢・鳩山の支持者は口を開けば官僚ガーとうるさいが、そもそもの政権交代時に鳩山らが指導力を発揮しなかった(できなかったのではない)ことが問題なのであって、明治以来の官僚支配がどうのこうのという話など、私は聞く耳を全く持たない。そんなものは鳩山らが結果を出せなかったことの責任逃れでしかない。

例の「方便」発言にしても、その本質はどうしようもない無責任な責任逃れであって、『琉球新報』の論説委員が烈火のごとく怒って鳩山に「万死に値する」と最大限の非難の言葉を浴びせた気持ちも理解できる。結果責任をとることができない政治家は、そもそも政治家になってはならなかったのであり、本来ならあのような形で内閣総辞職をした時点で鳩山は次の衆院選に出馬しないどころか即刻議員辞職すべきだったと思うが、その引退宣言さえも鳩山は撤回してしまった。無能な人間ほど議員の座にしがみつく。自民党の比例代表候補として当選しながら、民主党政権入りした与謝野馨も、議員辞職をしなければ筋が通らないが、呆れたことに「モチベーションを保つため」という手前勝手な理屈で議員の座にしがみついている。鳩山も与謝野も、「権力亡者」の本質に何も変わりはない。

鳩山の「抑止力」発言のオーソリゼーションを鳩山自身が否定したことの意義を評価する向きもあるが、そんなのは当たり前でのことではないだろうか。私は、鳩山の首相当時の「抑止力」発言を聞いた時、中学生くらいの頃に習った核抑止論否定のロジックを思い出し、未だに「抑止力」などという言葉を一国の総理大臣が使うのかとあきれたものだ。普通、「抑止力」というと想起するのは「核抑止論」であり、そんなものは冷戦時代の思考だ。鳩山は総理大臣在任中にこそ「抑止力」論の批判をすべきだったのであり、今頃あんなことを言い出したって、かけらほども私は評価しない。

だが、世の小沢信者諸氏はそんな鳩山にとても甘い。それは、鳩山由紀夫が小沢一郎の従順な犬だからにほかならない。「方便で私はクビになったのか」と鳩山にたてつく福島瑞穂の社民党や、「今後影響力を失う小沢一郎にいつまでもついていかない方が良い」と鳩山に忠告したという亀井静香の国民新党に対しては、かなりの小沢信者が冷淡だ。特に社民党に対しては、「共産や社民」というひとくくりで切り捨てようとする小沢信者が増えてきた。具体的にいうと、『雑談日記』というブログを運営しているSOBAという人間などがその代表格である。

社民党(や国民新党)を切り捨ててもいっこうに構わないという態度を小沢信者が取り始めたのは、むろん河村たかしや橋下徹との連携で小沢一郎一派の政権奪取が可能だと踏んでいるからにほかならない。政権交代前から橋下徹に秋波を送るはしたない挙に出ていたのは、鳩山由紀夫や菅直人も同様だったが、特に目立ったのが原口一博だった。そして、その原口が「日本維新の会」なる政治集団を立ち上げる構想を表明すると、それに呼応するように民主党比例区単独選出議員16人が菅直人に反旗を翻したわけである。要するに彼らは次の総選挙で橋下や河村の人気にあやかって、「改革者」面をして地位を守ろうなどという狭い了見で行動したに過ぎない。

そんな民主党の雑魚議員たちなどいちいち批判していてもしょうがないが、原口一博が橋下徹や河村たかしと連携しようとしていることは批判しておかなければなるまい。松下政経塾出身の原口一博という人間は、同塾出身の政治家の中でも有数の政治思想右翼にして新自由主義志向の政治家であり、評価できる部分は全くないといっても過言ではない。そんな原口が橋下や河村にすり寄って政治勢力を形成しようとは、まさしく「類は友を呼ぶ」である。

そんな原口一博を積極的に評価する政治家の一人に、あの城内実がいる。

城内は、自身のブログの昨年1月30日付エントリ「小沢一郎幹事長と『陸山会』の問題」に早くも

民主党は原口一博総務大臣を総理にして7月の参議院選挙を闘うしかない。

などと書いている。また、岩釣兼生氏という元拓殖大柔道部監督が先日死去した際、政治家名義の花輪を贈ってくれないかと支援者に頼まれた城内実が声をかけた10人の政治家の中に原口一博もいる。

蛇足だが、花輪の件は城内ブログの最近のエントリ「岩釣兼生先生逝く」に顛末記が書かれている。城内が他に花輪の贈呈を依頼した政治家たちには中曽根康弘、西岡武夫、平沼赳夫、安倍晋三らがいるが、城内がブログを書いた時点では平沼赳夫の同意は得られていない。城内自身がそう書いている。城内から依頼を受けた政治家のうち、はっきり断ったのが文部科学大臣の高木義明なのだが、高木の秘書が無礼千万だ、と城内は怒り狂っており、それで発作的にエントリを上げたようだ。この城内実というのも、浜松では無類の強さを誇る政治家だが、いつも思うのだけれどもこの男は極端な自己中心主義者だ。知り合いでも何でもない拓殖大の元柔道部監督の葬式に花輪を贈る道理はないと政治家が考えたって何の不思議もないと思うのだが、城内実にはそういう常識が理解できず、「おれさまが直々に頼んでいて、中曽根先生や安倍先生も同意してくれたのに、なんたる無礼者か」くらいにしか考えていないのだろう。そんな城内実を一昨年まで持ち上げていたのも、一部の小沢信者だった。

その城内実は、いずれ自民党に復党するだろうと私は考えていたのだが、昨年小沢一郎をめぐる怪情報をブログの記事にした時から「原口総理」をほのめかしていたことを考えると、「原口新党」に城内実が参加する可能性もあるように思えてきた。

もっとも、以上は余談で、城内実が参加しようがしまいが「日本維新の会」がろくでもない政治集団であることは間違いない。橋下徹や河村たかしと提携する以上、「減税」を主張の柱に据えることは間違いない。

「減税」というと、最近感心したのが下記のTwitterだ。
http://twitter.com/tikani_nemuru_M/status/37160731279364096

子ども手当がバラマキで、減税がバラマキででないという理屈がまったくわからない。貧困層に金を撒いても無駄だという社会ダーウィニズムなんかね?


いや全くその通りであって、これには拍手喝采した。

いうまでもなく、「減税」とは公共事業と同様の財政政策だが、マスコミは何かというと公共事業を目の敵にするのに、「減税日本」が先日の名古屋トリプル選挙で躍進すると、「政治を変えるきっかけになる」とか「新しい政治の始まりを告げる」などと言ってこれを絶賛する。なぜか。

理由は簡単、たいていの公共企業には曲がりなりにも格差を縮小する再分配効果がある(東京に本社を持つ企業に傾斜的に配分されるなどの問題はあるが、ここでは措いておく)のに対し、減税は富裕層への逆再分配効果がある財政政策であり、全員に同額の税金をかける人頭税よりもっと格差拡大と階級固定化の効果が強い「究極の新自由主義政策」といえるからだ。つまり、格差を拡大し、階級を固定化したいマスコミにとって、河村の「減税」のワンフレーズポリティクスは大歓迎なのだ。

私はこのTwitterを見て、以後「減税日本」を「強者への逆再分配日本」と呼ぶことに決めた。「バラマキ日本」や「ネオリベ日本」の方が単純で良いのだが、やはり「逆再分配」という言葉を入れなければ、「減税日本」の本質を表現したことにはならない。

そんな「減税日本」の河村たかしと連携するという原口一博の新党もまた、「強者への逆再分配」を目指す政党という位置づけになることはいうまでもない。これは、小泉・竹中が君臨していた頃の自民党の比ではない、究極の新自由主義政党になる。

前のエントリに、小沢信者から「真の敵は植草や河村ではなく、菅一派だ」という趣旨のコメントをもらっているが、いわゆる「菅一派」の位置づけは、政権交代直前の麻生自民党と同じで、ほっといても勝手に自滅する勢力だ。当ブログは、政権交代選挙直前にはもう麻生自民党をあまり叩かなかったが、現在、河村たかしらへの批判に注力し、菅一派をあまり叩かないのは同じ理由による。麻生自民党も菅一派も、ともに主要経済閣僚に与謝野馨を戴く最悪の政権だが、ほっといても自壊する存在であり、むしろその後に控えているさらなる新自由主義勢力への批判とその脅威への警告に当ブログが集中するのは、私にとってはあまりにも当たり前のことである。

敵は、名古屋、大阪、そして佐賀にあり。今後当ブログは、河村たかしや橋下徹とともに、原口一博を徹底的に叩いていくことを宣言する。
河村たかしと大村秀章が小沢一郎を表敬訪問したニュースは、ちょっとした話題になった。

当ブログを継続してお読みいただいている方は、河村が名古屋市議会リコールに向けて行っていた署名運動の応援するために、小沢一郎直系の国会議員である三宅雪子や松木謙公がわざわざ名古屋に駆けつけたことを記事に書いたことを覚えておられるだろうから、河村・大村と小沢のスリーショットにも驚かれなかったことと思うが、世間一般には河村・大村と小沢がつながっていたことはあまり知られていなかったらしく、波紋を呼んだ。

「小沢信者」、「小沢左派」などと呼ばれる、左派系の小沢一郎支持者の中にもいろんな流派があって、小沢一郎は支持するけれども、それは小沢が「小さな政府」路線を捨てて「国民の生活が第一」路線に転換したからであって、河村たかしの「減税日本」なんか支持しないよ、という行き方をとる人たちもいる。そんな人たちも、小沢が河村・大村とつながっているらしいという情報は知っていたはずだが、見て見ぬふりをしていた。だから、小沢直系の議員が河村・大村に協力したことや、過去に小沢一郎が何度も「所得税・住民税の減税」を政策公約に盛り込もうとしたことを執拗に指摘する当ブログは、コメント欄で小沢を強く支持する人から「『河村=小沢』と決めつけている」とか「想像力豊かだ」などと嫌味を言われていたのだが、想像も何もない、当ブログは事実に基づいて記事を書いていたのであり、河村・大村と小沢のスリーショットは、大相撲の八百長の相談が書かれた携帯メールよりもっとあからさまな動かぬ証拠となった。

小沢一郎は支持するけれども河村たかしは支持しないという向きは、このスリーショットには政局的な狙いがあり、小沢一郎が存在感をアピールしているに過ぎず、政策的には両者は相容れないはずだと強弁するのだが、そうだろうか。一昨日(12日)、酔っぱらった河村たかしが東京都内で開かれていた「小沢一郎政治塾」の懇親会に乱入し、「小沢イズム」を勉強中の塾生たちを激励するという一幕があった(下記URLの産経新聞記事参照)。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110212/stt11021222530006-n1.htm

もちろんこれはハプニングでも何でもなく、間違いなく事前に小沢一郎と河村たかしが示し合わせて実行した猿芝居である。小沢一郎が今後いかなる方向性をとるか、これでほぼ想像がつく。それにしても、「国民の生活が第一」と教えられているはずの「小沢一郎政治塾」生が、松下幸之助の「無税国家論」の劣化版を思わせる河村の「減税真理教」を叩き込まれて、自分の中でこれらを両立させるロジックを組み立てることができるのだろうか。私には不思議でならないが、徹底的に教祖を信じれば悟りが得られるものなのかもしれない。

さて、先に「小沢の『国民の生活が第一』は支持するが河村は支持しない」というスタンスをとる人もいると書いたが、これはネットにおける小沢支持派の中ではごく少数派であって、圧倒的に多いのは「小沢も河村もマンセー」という信者たちだ。その信者たちにありがたいご託宣を下さるのが、われらが植草一秀大センセである。植草センセは、「増税日本VS減税日本が次期総選挙の対立図式だ」とのご託宣をブログで下された(下記URL)。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-33b7.html

ところが、私が別ブログ『kojitakenの日記』に書いた記事「消費税増税日本VS金持ち減税日本が新自由主義者の内紛図式だ」に書いたように、小沢派支持するが河村は支持できないという人が結構いるため、植草センセの号令に従って小沢支持者が一糸乱れず行軍するわけにはいかなかった。

植草センセは、「マスゴミに迫害される小沢一郎」という構図を描いて、かつてテレビ東京で深夜に放送されていた経済ニュース番組のキャスターを務めながら現在では不遇をかこつ自らと重ね合わせて人々の同情を得るとともに、ネットにおける小沢一郎の人気浮揚に貢献してきた。

しかし、河村たかしはその「マスゴミ」に絶賛されている。たまに「危うさを感じる」と言うコメンテーターがいても、その警告は「既存政党に飽き足らない有権者にアピールしている」とか「日本の政治を変えるきっかけになる」などと絶賛する声にかき消される。「マスゴミに迫害される河村たかし」という構図は描けないので、植草センセの河村賛美も、小沢賛美ほどには人々の心に届かない。

目算が狂ったと見たか、植草センセは昨日(13日)公開した「民衆は小異を残し消費税大増税阻止で団結すべし」というタイトルのエントリで、

消費税大増税に反対する勢力のなかに経済思想の大きな相違があることなど当然理解している。「小さな政府」を指向する立場から消費税大増税に反対する主権者が存在する一方で、「セーフティネット強化」が重要だが、消費税大増税による財源調達は逆進性が強く反対だとの立場もある。

と書いている。「良い小さな政府」を理想とする植草が前者、河村たかしを批判する人たち(当ブログを含む)が後者に当たることは言うまでもない。

しかし植草は、両者が消費税増税反対で団結しなければならないと言いながら、

名古屋で「山は動いた」のだ。このムーブメントを日本全国に広げてゆかねばならないのだ。

などと書いて、河村一派への翼賛を強する。植草は、民主党が菅直人を筆頭とする「悪徳10人衆」に支配され続ければ、

選挙制度改正が強行に推し進められ、小政党はせん滅されるだろう。

などと恫喝までする始末だ(太字は植草の記事に倣った)。おおかた、再分配重視派には社民党や共産党の支持者が多いと見て、お前らが河村一派翼賛に加わらなければ、選挙制度改悪が強行されて社民党も共産党も消えてなくなるぞ、と脅しているつもりなのだろう。小沢一郎が民主党の中でももっとも強硬な小選挙区制推進論者であり、小沢一郎を支持したところで選挙制度改悪は行われることを、植草は意図的に無視している。

植草のブログ記事は、下記の言葉で結ばれる。

 不正で不当な消費税大増税を断固阻止しなければならない。この大目標を成就させるためには、主権者国民が大同団結しなければならないのだ。この結束を破壊する行動は、消費税大増税実現を推進するためのものだと判断される。


要するに、小沢一郎や河村たかし一派をマンセーしない人間は、菅直人や与謝野馨が意図する消費税大増税を実現を助ける「抵抗勢力」であると言っているのだ。さすがは新自由主義者の植草一秀だけあって、その手口は小泉純一郎にそっくりである。

小沢・河村応援団の植草一秀ばかり批判していても仕方がないので、ここでようやく本論の河村たかし批判へと移る。テレビ朝日がやっている「サンデーなんとか」などでは、河村たかしに突っ込んだ質問をすることはほとんどないが、フジテレビの「Mr.サンデー」は、河村が当選した夜に、インタビュアーが河村の痛いところに突っ込んだ質問をしたらしい。「ニコブログ」の下記エントリ(下記URL)に紹介されているので、以下に引用する。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1696.html

河村
「…今後は自分たちの一票で誰かを選ぶだけじゃなくて、ほんとに社会の仕組みを変えていけるんだというね、日本民主主義の夜明けの第一歩になったと思いますよ」

宮根
「以前河村さんにお会いしたときに、僕に直ちに住民票を移せと。市民税10%カットになったからと。それはやられるんですね?」

河村
「今年はやったのよ、161億。1割。議会がね、自分の俸給1円も減らさずに、ボーナス1円も減らさずに否決してまったで」

宮根
「ここにね、こういうの作ったんですけど。例えば10%減税なら、やっぱりお金持ちの方が非常に優遇されるんじゃないかという声もあるんですが、このあたりどうなんですか?」

夫婦と子供2人世帯の場合…(名古屋市による試算)
・年収300万円 → 減税額(年間)1400円
・年収500万円 → 減税額(年間)9500円
・年収1000万円 → 減税額(年間)3万2900円

河村
「あのね、宮根さん。減税というのは、一割減税で、お金持ちがようけ減税されますけど、それはようけ払っておったということと。平成18年に法律が変わって、実は同じ税率なんですよ、金持ちでも。所得税と違うんですよ。だから、金持ち優遇という批判は、法律に則ってやる限りはそれはあたらないんです」

宮根
「あとね、市長就任のときから市議会とずっとバトルになってたじゃないですか。河村さんがあらためて思うね、市長と市議会の関係。それから、議会の解散というのもほとんど確実になりましたので、河村さんの考えは信任を得たということなんですが、ある部分で強引すぎるんじゃないかという批判もありましたよね。そのあたりどうですか?」

河村
「なにが強引過ぎるんですか、宮根さん。衆議院だったら解散になるんです。裏で手を握るとことは、市民に対する独裁なんです反対に。最後は衆議院だったら解散して民意を問う。これ地方自治でも解散権ないけど、リコールという民意を問う道は実はあったんです」

>「平成18年に法律が変わって、実は同じ税率なんですよ、金持ちでも」

これを補足すると、平成18年に小泉政権の「三位一体の改革」の中で、所得税のような累進制から一律10%にしたんですね。翌年から実施され、さらに各種控除が廃止された結果、低所得者の負担は増え、お金持ちは優遇されました。累進制をやめたらお金持ち優遇になるんです。だから河村氏は矛盾したことを庶民には分からないと思って平然と言っているわけです。社会の仕組みが変わるといっても、それは本当の意味での「庶民革命」ではありません。逆方向です。そもそもそれは、河村氏・首長側が主導した運動でしたから。

(『ニコブログ』 2011年2月7日付エントリ「名古屋トリプル投票、河村・大村陣営完勝 首長新党に追い風」より)


ここで名前が出ている「宮根」というのは宮根誠司のことだろうか。だとすると、かつて大阪の朝日放送に在籍した現在はフリーのアナウンサーで、橋下徹応援団の一人なのだが、その宮根でも橋下の盟友・河村に一応突っ込んではみるらしい。

それはともかく、「三位一体の改革」とは、国庫補助負担金の廃止・縮減、税財源の移譲、地方交付税の一体的な見直しの三つを軸として小泉政策が推進した税財政改革だが、その過程で住民税の累進制をやめて一律10%にしてしまったことを「ニコブログ」は指摘する。「累進税制から比例税制へ」とは、新自由主義政策のシンボルのような政策で、「これぞ小泉・竹中改革の精華」ともいえるものだが、河村が「庶民革命」をいうのであれば、一律に税率を引き下げるのではなく、累進制を復活される訴えをしてしかるべきだろう。

しかし、本質的に新自由主義者である河村は、そんなことはせず、減税も一律に行う。そして、「平成18年に法律が変わって、実は同じ税率なんですよ、金持ちでも」などとしゃあしゃあと発言する。そこには、小泉・竹中の構造改革への批判など微塵も見られない。河村自身が新自由主義者である以上当然のことであり、河村の政策の恩恵を受けるのは名古屋の「土豪」だけであり、名古屋の「庶民」たちのフラストレーション解消は、ぬか喜びに終わる。

そんな河村を絶賛する植草一秀とはいったい何者なのか。経団連の代弁メディアである日経新聞系のテレビ東京で、かつて経済番組のキャスターを務めていたことは既に書いたが、植草は、「小泉構造改革」について、植草が提言する「天下り全廃」などの5条件が満たされれば、これを支持するとした。植草が小泉政権を批判するようになったのは、行政改革に関する植草の提言を小泉が受け入れなかったからに過ぎず、植草は小泉政権の「小さな政府」という理念自体には反対ではなかった。それに植草は、尊敬する経済学者として、ケインズとともにミルトン・フリードマンを挙げる人間である。Wikipediaに「ケインジアン呼ばわりされている」と植草がブログで不満を表明したところ、Wikipediaが書き換えられた。

植草は、「スリーネーションズリサーチ株式会社代表取締役社長」とのことだが、この会社は、「有益な国際政治経済情報提供とそれに基づく投資コンサルティング」とのことである。小泉政権当時の2005年にこの会社のウェブページにつけられた「はてなブックマーク」から確認できる。その後、植草が自公政権を批判し、小沢一郎を信奉するブログを立ち上げた後、こっそり「投資コンサルティング」という文言は消されたが、もちろん実体は変わっていない。植草は、もともと富裕層や企業相手に商売をする人間なのだ。証券会社の花形エコノミストで、日経新聞系列のテレビ局で夜の経済番組のキャスターを務めたという植草の経歴も忘れてはならない。

こんな男に、チェ・ゲバラを信奉する全共闘世代の人間が入れ込み、それが歴史修正主義者にして新自由主義者の河村たかしや、コバンザメのように河村にくっついている大村秀章までもマンセーする状態にまで至り、政治に不満を持つネット市民たちが、メダカの群れよろしくこれについていく。

一つだけいえるのは、メダカの群れの行き着く先には明るい未来はないことである。
当ブログは普段は毎週月曜日と金曜日に更新しているが、明日は休みの日なので、木曜日の今日更新する。実は、今週は月曜日1回だけの更新にして、「名古屋トリプル選挙」における河村たかしと大村秀章の圧勝に悪態をついた前回のエントリがしばらくトップに表示されるようにしておこうと思っていたのだが、書きたいことが出てきたので、予定を変更してエントリを立てることにした。

まず、なんといっても小沢一郎が河村たかし・大村秀章コンビとの提携をアピールしたニュースは見逃せない。下記URLの読売新聞記事から引用する。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110208-OYT1T00941.htm

小沢氏、河村市長・大村氏と会談…連携を確認

 民主党の小沢一郎元代表は8日、河村たかし名古屋市長、愛知県知事選に当選した大村秀章氏と国会内で約1時間会談した。

 河村、大村両氏が当選のあいさつで訪れた。河村氏が「減税をやらないといけない」と訴えると、小沢元代表は「そうだ。新進党の時に減税を言ったのは俺だ。やればできる」と応じ、今後の連携を確認した。

 小沢元代表は、民主党の岡田幹事長が名古屋市長選の際、「減税の恩恵を被る人がどれだけいるのか」と河村氏の減税政策を批判したことを、「言えば言うだけ民主党の票を減らした。仲間を大事にしないで政権を運営できない」と厳しく批判した。

 会談は、小沢元代表が処分問題を巡って岡田氏ら執行部と対立している中で行われただけに、「民主党の推薦候補を破って当選した河村氏らとの連携をアピールし、執行部をけん制した」という見方が出ている。

(2011年2月8日21時07分 読売新聞)


このニュースは、小沢一郎もまた「減税真理教」を布教する一人であることを示している。当ブログは以前にも、小沢一郎は『日本改造計画』を書いた(実際には小沢ブレーンの官僚が代筆したといわれている)頃から所得税と住民税の大幅減税と消費税の増税を唱えており、その後も2007年の参院選における民主党の公約や昨年の民主党代表選における自らの公約に同様の減税政策を盛り込もうとしながら、理由は不明だが盛り込まなかったことを指摘した(小沢一郎は消費税については、2007年参院選の時点では税率引き上げを念頭に置いていたが、昨年の代表選の際にはその気配は見せなかった)。

つまり、河村の「減税日本」は、小沢一郎の経済思想に近いのである。ひとことでいえば、「小さな政府」を志向する新自由主義だ。菅直人・与謝野馨・谷垣禎一らの「財政再建至上主義」と一見対極にあるように見えるが、両者は実は同じ穴の狢だとは毎回のように書いているが今回もまた書く。要するに、これまでにもたび重なる減税によって優遇されてきた金持ちをさらに減税で潤わせようというのが小沢一郎や河村たかしであり、国家財政が厳しいからといって貧乏人から増税した上に社会保障を削減しようというのが菅直人や与謝野馨や谷垣禎一である。

もちろん、小沢一郎や河村たかし流の「減税真理教」でも、税収が減るからいずれは社会保障切り捨てや消費税増税が待ち構えており、小沢一派と菅一派は「同じ穴の狢」を通り越して、将来の政策では完全に一致する。現在の菅直人と小沢一郎の抗争など、新自由主義者同士の醜い権力闘争に過ぎない。

いずれにせよ、小沢一郎が河村たかしや大村秀章との提携を公言した今回のニュースから、小沢の「国民の生活が第一」というキャッチフレーズなど単なる方便に過ぎないことがはっきりした。やはり小沢一郎は小沢一郎だった。再分配重視へと舵を切ったかのように見えたのは、あの当時(5年前)の世論であればその方が選挙に勝てる、と判断したからに過ぎない。現在はむしろ新自由主義的な行き方のほうが支持を得られると判断して、小沢は河村との連携を鮮明にした。小沢一郎とはやはり「政策より政局が第一、国民の生活より数の力と金の力が大事」という政治屋である。

先に新自由主義者と書いたが、実際には新自由主義者でさえなく、どうやったら権力闘争に勝てるかを真っ先に考える機会主義者と評するのがより正確だろう。これは菅直人についてもいえることで、だから両者とも、かたや「国民の生活が第一」をスローガンにしながら、かたや4年前に「北欧の社民主義を念頭に置いている」と語りながら、ともに新自由主義に邁進するのだ。両者がそういう動きをするのは、日本において本当に新自由主義を批判する議論が説得力を持ち得ていないからである。

ところで、名古屋での仲間の圧勝にご機嫌の小沢一郎だが、地元ではその威信がゆらいでいる。名古屋のトリプル選挙と同じ6日に投票が行われた岩手県・陸前高田市長選で、民主党推薦の小沢系候補・菅原一敏氏が前副市長の戸羽太氏に敗れたのである(下記URLの毎日新聞記事参照)。
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110207ddlk03010064000c.html

リンク先の毎日新聞岩手版記事にあるように、ここは、全国でも珍しい自共共闘市政が続く自治体で、共産党籍のある中里長門現市長を、元自民党員の戸羽氏が継ぐ形だ。朝日新聞岩手版の記事もネットで読めるが、陸前高田市でも小沢一派は「減税真理教」を打ち出して選挙戦を戦ったらしい。菅原陣営は、借金を減らした中里市政を「元気を失わせた」と批判し、「減税して雇用創出もする」と訴えたが、戸羽候補に敗れた。つまり、小沢一郎のお膝元でも「減税真理教」など支持されていない。名古屋での河村たかしの圧勝は、もっぱら河村たかしのキャラクターによる。そう、「具体的なことはよくわからないが河村たかしのキャラクターを支持する層」、いわゆる「B層」の心を河村たかしがつかんだためだ。

陸前高田市長選に話を戻すと、「弱者のための政治」を貫いて(前述の毎日新聞岩手版記事による)、自民党市議の支持も得ていた中里市長を、小沢系の候補はあからさまに経済軸上の「右」側から批判して挑戦したあげくに、元自民党員の副市長にみじめな敗北を喫して赤恥をさらしたわけである。世の「小沢信者」たちは事実を直視すべきだろう。地域のため、住民のための政治をやったのはいったい誰で、それを倒そうとした者を後押ししたのはいったい誰だったのかということを。

前記リンク先の朝日新聞岩手版の記事を見ると、小沢一郎は黄川田徹衆院議員に職責を果たすことを求めた要請書をわざわざ発表したという。小沢は、自らが推す「減税真理教」の候補者の応援に黄川田議員が熱心でなかったことに切れたのだろうか。小沢一郎子飼いの岩手県知事・達増拓也(「小さな政府」論者であるこの男は、「小沢信者」を自称していることでも知られる)や民主党国会議員らが市長選の応援に駆けつけたというから、自共共闘市政を倒そうする執念はたいへんなものだった。何より、菅原候補が主に掲げた公約が「減税」だったことが、小沢一郎がやりたいことが何なのかを雄弁に物語っている。そして、それほどまでの小沢一郎の執念と信念をもってしても、陸前高田市長選には勝てなかった。

公明党にすり寄り、それがダメなら社民党にすり寄るというひどい迷走を続ける菅政権の先ももう長くないと思うが、一方の小沢一郎もお膝元でこのていたらくである。「財政再建至上主義」と「減税真理教」に分かれて、その政策の実体はともに新自由主義であるにもかかわらず、菅直人と小沢一郎が醜い権力抗争を延々と続ける民主党そのものに未来はないと思う。

民主党は結党当時から新自由主義色の強い政党だったから、当然の末路といえなくもないが、哀れをきわめるのは社民党である。昨今の民主党の迷走もひどいが、社民党の迷走はさらにひどい。社民党が「小沢一郎の別働隊」と酷評されていることはかなり知られていると思うが、教えてもらったところによれば、同党の機関紙「社会新報」には、昨年の民主党代表選の際に小沢一郎を賞賛する佐高信(社民党員ではないらしい)の評論が載ったそうだ。そして、「名古屋トリプル選」で河村たかし・大村秀章が圧勝すると、もう腰がふらつく。前回のエントリでも触れた保坂展人氏のブログ記事は、河村ら「減税日本」の政策には何も触れず、

今の永田町の政府・与党と多数派の議論が「増税の仕方」に傾いていることを考えると、影響は予想以上に大きいかもしれない。

などと、新聞にでも載りそうな、客観性を装ったというかひとごとみたいな文章を書く。私が感じるのは、社民党と良好な関係にあり、河村一派と友好関係にある小沢一郎に対する遠慮である。このていたらくでは、民主党より前に社民党が潰れてしまうだろう。

名古屋では3月に市議選があるが、これも「減税日本」大躍進以外の選挙結果は考えられない。さらに統一地方選があり、それには東京都知事選が含まれる。私は、もう民主党も社民党も都知事選は自主投票にすべきで、格差の縮小や貧困の解消を求める心ある都民は元共産党参院議員の小池晃氏の支援で一本化すべきだと考える。私は特に共産党を支持する人間ではないが、もうそれしか選択肢はない。

いったい民主党は誰を立てるというのか。蓮舫は立候補しないだろうし、出ても勝てないだろう。そもそも新自由主義色の強い蓮舫は、格差縮小や貧困解消を実現できる政治家でもないから、応援できる候補者でさえない。小池晃の擁立を、「共産党による反石原分断工作だ」という「日共嫌い」の人間もいるが、そもそも反石原の市民派候補が誰も名乗りをあげていないのに、どうして「分断」になんかなるというのか。

小沢一郎やその信者たち、それに社民党などが、都知事選でいかなる選択をするのかも興味しんしんだ。特に河村たかしとの提携をおおっぴらにした小沢一郎からは、今後も目を離せない。
2011.02.10 07:58 | 河村たかし批判 | トラックバック(-) | コメント(31) | このエントリーを含むはてなブックマーク
昨日(6日)の名古屋市長選、愛知県知事選と名古屋市議会解散の可否を問う住民投票のトリプル選挙は、河村たかし・大村秀章コンビの圧勝だった。

私は、河村たかしが大村秀章に誘いをかけ、トリプル選挙を目指す動きを始めた昨年秋の時点で、もしそれが実現したら河村と大村の圧勝に終わることを確信していた。だから、昨日の結果は意外でも何でもない。昨年末に、民主党王国である名古屋や愛知で、民主党に弓を引いた河村や大村が勝てるはずがないと言っていた民主党員を私は知っているが、正直言って政治のセンスが全くない人間だな、民主党員なんてこんな程度なのかと思った。今回の結果は必然であって、こういう結果以外にはなりようがなかった。

名古屋や愛知県の地域性とも関係ない。東京や大阪が名古屋と同じ体質を持っていることは、4月の東京都知事選や今秋の大阪市長選(大阪府知事選とのダブル選挙になる可能性もある)において間違いなく示されるだろう。

ただ、鹿児島県阿久根市より名古屋の方が民度が低いことだけははっきりわかった。同様に、東京や大阪も阿久根市より民度がはるかに劣っていることは、今年順を追って示される。

名古屋市長に再選された河村たかしは、「減税vs.増税」を政治の対立軸にするのだという。だが、当ブログで繰り返し主張しているように、これはまやかしの対立軸であり、国政で消費税増税路線を推進する菅直人や与謝野馨と、地方で減税を訴えて首長選に圧勝した河村たかしや大村秀章は「同じ穴の狢」である。要するに与謝野や菅が金持ちを優遇して貧乏人から税金をむしり取ろうとしているのに対し、河村や大村は、これまでにも十分すぎるほど優遇されてきた金持ちの負担をさらに軽くしようとしているに過ぎない。名古屋市や愛知県の実験は早晩失敗し、名古屋市民や愛知県民は手痛いしっぺ返しを受けることになるだろうが、彼ら自身が河村や大村に熱狂して投票したのだから仕方がない。

いうまでもなく、「鍋党?再分配を重視する市民の会」(鍋パーティー)にとっては、昨日は大いなる敗戦記念日である。そこで、昨日は「やけ酒闇鍋パーティー」をあちこちで開催した。

鍋パーティーのブログでは「河村たかし・大村秀章圧勝! 闇鍋パーティー開催中」と銘打って、当ブログにお寄せいただいた河村たかし批判のコメントを中心にした記事を公開した(下記URL)。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-8.html

また、「はてな」にも「Nabe Party らくがきブログ」を設け、「河村たかし・大村秀章圧勝、名古屋市議会解散! やけ酒闇鍋パーティーはてな版」と題してコメント特集を組んだ(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken+nabe-party/20110206/1296990187

地方選のこととて関心の低い人も多く、しかも地元の名古屋市及び愛知県では河村たかしや大村秀章が圧倒的に支持されていることもあって、パーティーは盛況からはほど遠い状態だったが、それでも河村・大村の圧勝で酒が不味いという名古屋市民の方のぼやきもあり、mixiのコミュ「鍋党?再分配を重視する市民の会」への新規加入者ありと、それなりの収穫はあった。

コメントで教えていただいて知ったのだが、今回の選挙結果を受けて、社民党の保坂展人氏は自らの所属した政党が推薦した候補が惨敗したことには何も触れずに、河村たかしに妙に親和的なブログ記事を公開するという、ふがいない姿をさらしている(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7b4a0e9f64eeb7452dccc78bb0c8ea58

また、やはりコメント欄で教えていただいたのだが、河村たかしと訣別した元ブレーンにして、90年代の「政治改革」を主導した学者の一人である後房雄氏は、

河村=大村陣営には小沢グループの秘書たちが支援に入っていたということですから、小沢氏の動きとも水面下で連動しそうです。

と書いている(下記URL)。
http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/229

後氏は、「最悪のシナリオだ」とか「地方議会のこれまでの実態、民主党政権の惨状から見れば自業自得」などと書くのだが、ご自身が「二大政党制」を目指した90年代の政治改革を旗振りしたことや、河村たかしのブレーンをつとめたことの責任をどう考えているのかと言いたくなる。

私はといえば、今回の選挙結果は昨年秋から予想していた通りであって、何の驚きもない。名古屋市長選の得票はトリプルスコアだったが、それを上回るクアドラプルスコアを予想していた私としては、思ったほどではなかったくらいだ。

こんな事態は織り込み済みで「鍋党(鍋パーティー)」を立ち上げたのだから、全く意気消沈などしていない。かえって闘志の高まりを感じるほどである。

勝負はこれからだ。これからが、戦いの本番なのである。
現在テレビのワイドショーでは大相撲の八百長の話で持ち切りだ。相撲への興味をすっかり失ってから久しい私にとっては、相撲で八百長をやっているのは当たり前のことであって、何で今頃騒ぐのかと思えるほどだが、それでも「週刊ポスト」が大相撲の八百長疑惑追及キャンペーンを始めてから30年以上経って、ようやく大相撲の八百長が事実として認められ、追及が始まったことに感慨を覚える。

突飛な連想かもしれないが、私が思い出したのは沖縄返還をめぐる密約の話だ。この密約は、元首相・佐藤栄作の密使として若泉敬が動いた「核持ち込み」の密約と、元大蔵大臣・福田赳夫(のち首相)と元大蔵省財務官・柏木雄介(2004年死去)が推進した、沖縄返還に伴うアメリカへの巨額の支払いに関する密約の二つに大きく分けられるが、これらについても密約の存在が歴史的事実とみなされるようになるまでには、長い年月を要した。

これほどまでにも社会に働く慣性力は大きく、流れを止めたり変えたりすることは容易ではない。誰もが無謀だとわかっていた先の戦争は、結局2つの原爆を落とされなければ止まらなかった。チュニジアの政変をきっかけにエジプトなどアフリカに飛び火した反政府運動の件もあるから、何も日本ばかりとはいえないかもしれないが、日本人の辛抱強さは際立っているように思えてならない。

戦時中には「欲シガリマセン勝ツマデハ」というスローガンもあったし、10年前にも「痛みに耐えるカイカク」を絶叫した「ライオン宰相」もいた。その宰相を感動させた、痛みに耐えて土俵に上がって賜杯を抱いた横綱の末路を例に引くまでもなく、やせ我慢が良い結果をもたらすことなどほとんどない。日本人はもっと言いたいことを堂々と言うべきである。

だが、それをしないから日本人といえるのであって、与謝野馨の入閣について、世論調査の結果ではこの人事を評価しない意見が過半数を占めるが、その反面、消費税増税やむなしという意見が6割以上を占める。国民の多くは、もうこれまでのような経済成長は無理だし、税収も増えないとして、多くの人々は前述のように消費税増税受け入れに傾き、他のある種の人々は小沢一郎による特別会計の見直しに期待を託す。

たとえば、ある掲示板のスレッドで、私が例によって「小さな政府」論と、その代表的な政治家である河村たかしと与謝野馨を批判したところ、こんなレスが返ってきた。
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=liberal7&mode=res&no=15528

Re: 大きな政府 理想的です (No.15522 への返信) - なおもて

> 「小さな政府」は、災害に遭った貧乏人は死ねという思想に基づく思想です。河村たかしなんかがその典型例ですね。与謝野馨も同類でしょう。
> 生活が大変だから他に引越せば良いという考え方には無理があります。


私が言っている「移動の自由」とは個人が変化して行く事です。そして、そうやって変化された社会が更に、個人を変化させていきます。
自由主義社会の基盤であり、個人と社会とはそのような連関性をすなわち循環(スパイラル)を持っているという事です。
ですから、すべての社会的現象はその二つの連関で見て行く必要があるという事を言っただけの事です。

「大きな政府」、それがすべてを解決してくれるなら「ユートピア」だし、無論反対意見はありません。
しかし、「大きな政府」を維持していくためには「大きな税収」が必要となってきます。
それこそ、「小さな政府」に反対をされるのでしたら、「大きな政府」を維持して行く「財源」をどのように考えておられるのでしょうか?
現実的に、1000兆円にちかい国債を発行して、支出予算の3割ほどの税収しかない今の日本国財政での「財源」という観点で教えてください。


この投稿者は小沢一郎の支持者であり、コメント冒頭の「>」がついた、河村たかしと与謝野馨を批判した部分は、私のコメントの引用である。

上記の掲示板では、スレッドの最初の記事から5日を経過したらコメントがつけられなくなるので、返事はしていない。上記投稿者が当ブログを読んでいるか私は知らないが、この場で答えたいと思う。

まず所得税の税収を増やすことである。去年のいつだったか、『AERA』に、「所得税の最高税率を1%上げても税収は対して増えない」などと書いてある記事があったが、なぜ1%なのか。これまで何十パーセントも下げてきたではないか。おまけに、分離課税だらけの税制と、その分離課税の税率が異様に低いために、日本は世界に冠たる金持ち優遇国家になっており、その恩恵に浴している金持ちを、さらなる自称「庶民減税」(笑)で優遇し、それでいながら貧乏人の支持をむしり取ろうとしている詐欺師が河村たかしである。その詐欺師は日曜日の夜に高笑いするであろうから、来週月曜日に当ブログで何を書くかは、今からもう決めている。

河村たかしや与謝野馨の悪口になるとついつい延々と続けてしまうが、与謝野馨の増税に嫌悪感を持つ人たちが、河村たかしの「減税」に惹かれてしまうところが救いのないところである。これも毎回のように書くけれども、貧乏人から取り立てる与謝野馨と金持ちに奉仕する河村たかしは、ともに「格差拡大と階級固定のためのプロジェクト」であるところの新自由主義を、もっとも過激に推進する人たちなのだ。

実は、証券の売却益や配当にかかる税金はヨーロッパでも分離課税になっている国が多く、高福祉高負担の代名詞であるスウェーデンでも90年代初頭の税制改革によって金融所得が分離課税になったのだが、それでも税率は日本の10%に対しヨーロッパでは25?30%になっている。日本のように、「景気への悪影響を配慮する」などといって、10年以上の長きにわたって軽減税率を続け、それに国民が文句一つ言わない国とは全然違う。この従順な国民のおかげで、日本の個人所得課税による税収は、先進諸国の間では際立って少ない。まずこれを増やさなければ、税収が増えるはずがない。

前回前々回のエントリで引き合いに出した飯田泰之のような、「大きな政府」論者ではない「みんなの党」シンパの学者でさえ、日本の税収が減ったのは金持ち減税をやりすぎたせいだ、税収を増やすにはまず所得税を増税することだ、と言っているのだ。これが現実だ。

しかし、実際には貧乏人に厳しい消費税増税をメインに据えている菅政権が、申し訳程度にへっぴり腰で富裕層増税にも手をつけようとしただけで、自民党や経済タカ派のテレビコメンテーターは、「努力した者が報われない社会だ」、「社会主義を通り越して共産主義だ」などと批判する。そして、これに対する国民世論の反発はほとんどなく、与謝野馨が言うがままの消費税増税を受け入れようとしている。なんという我慢強い国民だろうか。しかし、その我慢強さは、貴乃花のようにろくでもない結果をもたらすだけなのである。

昨日(2月3日)の朝日新聞に、「税を語る作法」という特集記事が出ていて、赤木智弘(フリーライター)、萱野稔人(津田塾大准教授)、西岡純子(証券会社所属のエコノミスト)の3人が記者のインタビューに答えているが、3人のうちもっとも共感できる主張をしていたのは赤木智弘だった。記事には「頑張れない人にも再分配を」という見出しがついているが、赤木の主張はいたってシンプルである。下記に赤木のインタビューの後半部分を要約した。

戦後企業が社会保障を仲介してきたけれども、現在は福利厚生を削って給与を下げている。国が企業を守り、企業が国民を守るという関係性は崩壊したのだから、国は企業を守るのではなく個人を守る方向に転換すべきだ。その意味で税と社会保障の一体改革という菅政権の考え方は正しい。増税が弱者への打撃になるという考えもあるが、増税分が弱者に再分配されるなら、そうはならない。しかし、考え方は正しくとも、政策レベルでは良い方向にはいかない。今の日本社会の考え方では、頑張っている人に再分配したいということになるだろうから。

(朝日新聞 2011年2月3日付 赤木智弘インタビューより抜粋・要約)


これは朝日新聞に載った記事だから、「税と社会保障の一体改革という菅政権の考え方は正しい」などという目障りな文言があるが、赤木が言いたかったのは「国は企業を守るのではなく個人を守る方向に転換すべきだ」という部分だろう。そこに私は全面的に共感する。赤木が言う「政策レベルでは良い方向にはいかない」というのは、具体的には法人税減税や消費税増税を指すと解釈される。つまり、与謝野馨が主導する税制改革では、「頑張っている人に再分配する」ことになってしまうのだ。

折しも、「鍋党」のブログ、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」では今週、Takky@UCさん執筆の「法人税」シリーズを連載した。その最終回「法人税(3) 国際競争力とは?」(下記URL)が今朝公開されたので、当エントリと併せてお読みいただければ幸いである。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-7.html

「鍋党」ブログ(「鍋ブログ」)では、mixiの「鍋党コミュ」参加者だけではなく、広く読者の皆さまからの投稿も募集しているので、掲載希望の記事があればご連絡いただければ幸いである。ブログのコメント欄(非公開コメントの投稿が可能)などを利用することができる。

さて、朝日新聞の「税を語る作法」に話題を戻すと、3人の論者の中でもっともいただけなかったのは、証券会社所属のエコノミスト・西岡純子だった。所属から想像がつく通り、基本的に企業の側の視点に立っている。本当に、証券会社のエコノミストにはろくな人間がいない。しかし、その西岡でさえ、富裕な高齢者層が持つ金融資産を移転させることが必要だと言い、相続税増税や贈与税減税を評価し、日本の国民負担率はヨーロッパと比較して高くないことを指摘している。国民負担率が高くないのは、特に富裕層に対する所得税が低いことが最大の原因である(分離課税だらけでかつその税率が低いために、超高所得者層では逆進性さえ示している)。萱野稔人のインタビューも感心しない部分がかなりあるが、萱野も所得控除や特別措置だらけの税制の構造を批判している。

河村たかしの「減税日本」は、そうした問題は無視して、「減税すれば富裕層の消費意欲を刺激して経済が活性化される」とでも言いたいのだろうか。そして、その河村の言い分を支持する人たちがいかに大勢いるか、それが示されるのはもう間もなくである。