勇ましいだけの政治思想極右・平沼赳夫の入閣も論外だが、それ以上に問題なのが与謝野馨の与党入りだろう。
与謝野馨は、安倍晋三・平沼赳夫・城内実・稲田朋美ら政治極右と並ぶ、当ブログにとっては天敵中の天敵である。与謝野は、政治思想的には単なる保守だが、財務省に経済思想をみっちり叩き込まれた財政再建至上主義論者であり、私の基準に照らすと、「経済極右」に当たる。
この与謝野馨が平沼赳夫と野合すると報じられた今年(2010年)4月5日に、当ブログは「よりにもよって与謝野馨と平沼赳夫が『たそがれ新党』を結成」と題したエントリを公開した(下記URL)。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1060.html
この記事を書いた時には、まだ「たちあがれ日本」という党名は発表されていなかったので、「たそがれ新党」と書いたのだが、「たちあがれ日本」と聞いて、「黄昏」と「立ち枯れ」を掛け合わせた、芥川賞受賞の大作家ならではの絶妙なネーミングにうならされたものだ。
12月26日現在、「たちあがれ日本」を検索語にしてGoogle検索をかけると、上位に当ブログの4月12日付エントリ「志の低い野合新党『たちあがれ日本』に議席を与えるな」が引っかかる。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1063.html
これもまた、この政党が民主党と連立を組もうとしたニュースが年末に流れたことで、「志の低い野合政党」とは、われながら本質を突いたタイトルだったなあと手前味噌ながら思ってしまうが、もちろんこの記事を書いた時の「野合」は、政治思想極右の平沼赳夫と経済極右の与謝野馨の野合のことであり、今問題になっているのは政権与党の民主党とこの野合政党の野合だ。要するに、たちあがれ日本は野合に野合を重ねようとしているわけである。その意味で、読売新聞が「揺れるたちあがれ日本、『野合批判』を懸念」と書いているのには笑える。極右の好む言い回しを借りれば、たちあがれ日本こそ「野合」のDNAを持った政党なのだから。
ところで、4月5日付の「よりにもよって与謝野馨と平沼赳夫が『たそがれ新党』を結成」は、主に与謝野馨の経済極右思想、すなわち財政再建至上主義を批判したエントリだ。「お国の借金」を帰さなければならないとして、財政均衡論を唱える与謝野の主張は、一般の人たちの耳になじみ易いため支持を受けやすいが、これは大変な誤解である。菅直人のブレーンにして、今年の参院選前に一部から「消費税増税論者」として叩かれた神野直彦・東大名誉教授が、「均衡財政派」、「上げ潮派」、「消費税増税派」のいずれもが新自由主義のドグマ(教義)の限界を抱えていると指摘していることを前掲リンク先記事で紹介したが、その神野名誉教授をブレーンとしておきながら、与謝野馨と連立を組もうとした菅直人は、なるほど「経済オンチ」と言われても仕方ないな、と思う。
菅直人は、もう一人のブレーン・小野善康阪大教授の思想も理解しているとは言い難く、「一に雇用、二に雇用」と言いながら法人税率引き下げの決断を下した。財務官僚やマスコミから見ると、神野直彦も小野善康も異端なのであり、財務官僚の思想に沿った財政再建至上主義者の与謝野馨こそ、マスコミや財務官僚がもっとも好む政治家である。そして今回、菅直人はその与謝野馨にすり寄った。
菅直人の支持を受けた岡田克也が、平沼赳夫に拉致担当相での入閣を打診したのも、与謝野馨を引きつけるための撒き餌であると私は考えている。つまり、本当に菅直人が組みたいのは平沼赳夫ではなく与謝野馨なのである。
リベラル系民主党支持者の中には、「与謝野馨には政権に入ってほしいけれど平沼赳夫はノーサンキューだ」と言っている人たちがいるが、私に言わせればそういう人たちは官僚やマスコミの財政再建論に騙されている。いかに与謝野が依って立つところの財政均衡論が間違っているかを書くと長くなるので、ここでは前述の菅直人のブレーン・神野直彦東大名誉教授の著書『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)を参照してほしい、とだけ書いておく。たとえば、この本の第5章(125?149頁)は、「借金は財政にどんな意味を持つか」と題されている。この本を読んで、それでも与謝野馨を支持するというのなら、私はそれ以上何も言わない。
しかも与謝野は、単に財政再建至上主義をとるだけではなく、4月5日付エントリにも書いたように、『文藝春秋』4月号に掲載された「新党結成へ腹はくくった」と題した「論文」の中で、自らが「社会保障費自然増の2200億円抑制」で悪名高い「骨太の方針2006」策定の責任者であったことを堂々と書き、その業績を誇っているのである。与謝野がここまであからさまな新自由主義者であるにもかかわらず、小泉・竹中の構造改革を批判しているはずのリベラル系民主党支持者の中に、与謝野にシンパシーを抱く人がいることが私には理解できない。
もっとも、与謝野は自民党を含む大連立を組みたい中曽根?ナベツネラインにとっても大事な人間のはずだ。そもそも与謝野は、もともと中曽根康弘の直系の政治家である。今回の連立話は読売にとっても寝耳に水だったようで、急遽たちあがれ日本に冷水を浴びせるような記事を立て続けに掲載した。
一方、諫早湾裁判の上告断念の時には官邸からリークを受けていたと見られる朝日も後追いが遅れた。
親自民の読売、親菅政権の朝日の両紙を慌てさせたかに見える今回の連立模索劇も、昨日(26日)テレビ朝日のローカル番組に出演した田原総一朗が語った政局話によると、菅直人が追い詰められての行動だという。田原は、現在民主党内で繰り広げられている菅直人と小沢一郎の抗争において、追い詰められているのは小沢ではなく菅だと言い、民主党とたちあがれ日本の連立はあり得ない、民主党と自民党の連立ならあり得ると語った。田原が自民党首脳から聞いた話によると、自民党は民主党と連立を組む意欲は満々だが、連立には条件があって、首相・菅直人の退陣が前提なのだという。菅が退陣したあと、自民党が連立を組む民主党に小沢一郎が入っているかどうかについては何も言わなかった。そして、菅抜き(小沢も抜き?)の民主党と自民党の連立に、田原は大いに期待している様子だった。
私はこれを見ながら、6年前の年金未払い政局で、田原が菅の年金未納を責め立てて民主党代表辞任へと追い込んだことを思い出した。あの頃、田原はしきりに民主党は菅や小沢の世代から若返りせよと叫んでいたが、その田原は菅や小沢よりも年上である。この政局では、小沢の後継代表が確実視されたが、小沢にも年金未納があり、それを理由に小沢は代表就任を辞退した。そして、菅を退陣に追い込んだ田原自身にも年金未納が発覚したことは、当ブログでも何度か書いたと思う。
それはともかく、田原の言う通りなら、自民党と大連立を組みたくても組めない窮地に追い込まれた菅直人がたちあがれ日本に助けを求めたのが今回の政局だということになる。田原の言葉の真否は不明だが、ありそうな話ではある。
だが、いかに自民党から嫌われているといっても、たちあがれ日本なんかと組もうとした時点で菅直人を許すわけにはいかない。極右の平沼赳夫を入閣させようとしたことも論外だが、与謝野と組んで消費税増税を実現しようとしたり、あわよくば自民党とも話をつけて大連立に持っていこうという発想もあったに違いない。菅直人が目的のためなら手段を選ばない人間であることは、菅を激しく罵倒している石原慎太郎が名付け親になったたちあがれ日本と組もうとしたことが証明しているし、そもそも菅には自社さ政権で大臣になった経歴もある。
ついつい政局話にそれてしまったが、本エントリの核心は与謝野馨批判である。仮に今回の民主党とたちあがれ日本の連立話が立ち消えになったところで、民主党と自民党が組むかもしれない次の政権にだってたちあがれ日本が参画する目が消えたわけではない。白猫黒猫論ではないが、どこと組もうがたちあがれ日本と連立を組む政党は悪い政党である。
しかも、その悪さは、単に同党に思想極右である平沼赳夫がいるからではない。平沼赳夫は口では勇ましいが別に政権を右に傾けた実績があるわけではない。平沼は、社会党の村山富市が総理大臣を務めていた内閣(1995年8月の村山改造内閣)で運輸大臣として初入閣したのだし、小泉政権時代に初代経産相として、「大学発ベンチャー3年1000社計画」がウリだった「平沼プラン」のような新自由主義政策を推進したことはあるけれども、そりゃ小泉内閣の経産相なら誰でもそうしただろう。経産大臣以外の平沼の仕事というと、イギリスを視察してサッチャーの教育カイカクにかぶれたことが思い出されるくらいで、これも思想右翼というよりは新自由主義にかぶれた側面の方が強い。意外と極右政治家としての実害は少なかったともいえる。
本当に警戒すべきなのは、平沼よりもむしろ与謝野の財政再建至上主義なのである。それを行うのが「民た野合政権」であれ、菅直人が退陣したあとに成立するかもしれない「民自た大連立政権」であれ、必ずや日本経済を破滅のどん底に突き落とすものである。
その意味で、昨日の朝日新聞2面に掲載された記事(下記URL)にはぞっとした。
http://www.asahi.com/politics/update/1225/TKY201012250203.html
以下引用する。
財政再建の考え方「共通」 岡田幹事長、たち日連携意欲
民主党の岡田克也幹事長は25日、たちあがれ日本に連立政権への参加を打診したことについて「考え方が違うところもあるが、財政健全化に向けた考え方はかなり共通している」と、三重県川越町での記者会見で語った。
岡田氏は22日、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、与謝野馨共同代表と都内で会談。社会保障政策などを協議した。25日はその経緯は触れなかったが、「ひとかどの政治家が集まっている」と評価した。
たちあがれ日本内には連立参加への慎重論も強く、27日に議員総会を開いて対応を協議する予定だ。
社民党の福島瑞穂党首は25日、東京都西東京市での街頭演説で「民主党政権がどんな政治をしたいのかますますわからなくなってきた。たちあがれ日本との連立は国民が期待した生活再建の政治から遠ざかるものだ」と批判した。
(asahi.com 2010年12月25日 20時19分)
この記事には、本当に背筋が凍る思いがした。民主党は断じて与謝野馨なんかを入閣させてはならない。
だが、自民党の谷垣禎一も同じことを言いそうな気がする。自民党を飛び出してたちあがれ日本を設立した与謝野を、自民党は除名処分にしているとはいえ(新党改革の舛添要一も同様に除名されている)、除名した政治家がトップにいる政党と連立を組まないとは限らない。民主党にせよ自民党にせよ何でもありの政党だし、何より谷垣禎一自身もしばしば財政再建至上主義者と思われる発言を繰り返し行ってきた政治家である。
日本の政治は、またしても財政再建至上主義の誤りを繰り返すのだろうかと暗い気持ちになる。今年の年の瀬は、本当に最悪だ。
http://www.asahi.com/politics/update/1224/TKY201012240568.html
たちあがれ日本に連立打診 首相、内閣改造も視野
菅直人首相がたちあがれ日本に対し、連立政権への参加を打診したことが明らかになった。来年の通常国会に向け政権基盤を強化するための内閣改造を視野に入れ、平沼赳夫代表を拉致担当相で入閣させることを要請した。ただ、たちあがれ日本内では連立に反対する声が強い。
首相が内閣改造を視野に入れたことで、参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官の進退が焦点となる。民主党の岡田克也幹事長は24日の記者会見で内閣改造について「通常国会をどう持っていくか、首相といろいろ意見交換している」と語った。
首相はこれまで公明党や自民党との連携で、ねじれ国会を乗り切ることを検討してきた。だが両党は対決姿勢を強めており、参院での過半数確保に少しでも近づくことをめざし、小政党との連携を模索。新党改革の舛添要一代表とも9日に会談し、舛添氏の入閣も検討している。
首相は11月18日にたちあがれ日本の与謝野馨共同代表と会談して「連立を組む用意がある」と打診。今月4日にも極秘会談し、平沼氏の入閣を求めた。与謝野氏は6日に平沼氏に報告。連立入りへ本格検討に入っていた。
一方、首相の指示を受けた岡田幹事長も22日、平沼、与謝野両氏と極秘に会談。連立に向けて社会保障財源の安定化などの政策について意見交換した。
ただ、たちあがれ日本は民主党政権打倒を掲げて4月に結党した。平沼氏は24日に園田博之幹事長らに初めて伝えたが、園田氏は朝日新聞の取材に「連立はありえない」と強く反発。党内がまとまるかは微妙だ。
たちあがれ日本は衆参6人で、連立入りしてもねじれ国会は解消されない。首相は24日にあった内閣記者会とのインタビューで、連立打診について「正式に申し入れた形になっているとは承知していない」と述べるにとどめた。
(asahi.com 2010年12月25日 3時1分)
前のエントリで、たちあがれ日本を「論外極右政党」と表現した私がブチ切れたことはいうまでもない。菅直人は絶対に越えてはならない一線を、いとも簡単に踏み越えた。こうなった以上は、菅内閣の即時総辞職を求める立場で記事を書くしかない。
たちあがれ日本は、経済極右の与謝野馨と政治思想極右の平沼赳夫が野合してできたトンデモ政党であるが、菅直人にせよ民主党反主流派の小沢一郎にせよ、財政再建厨の与謝野と妙に親和性があって、そのことは当ブログでも以前から警戒していた。民主党内には、かつて新党さきがけに所属した園田博之と一緒にやりたい、などという声が結構あって、それにもうんざりしていた。
しかし、その園田博之は民主党との連立に反対する一方、菅直人は拉致担当相で入閣させることを要請し、平沼はどうやらそれを承諾したらしい。これには言葉もない。しかも菅は、もう一つのトンデモ極右新党である新党改革の代表を務める舛添要一の入閣まで検討しているというから、開いた口がふさがらない。
ここは、園田氏らに頑張ってもらうとともに、たちあがれ新党の政治思想極右勢力側からも、平沼赳夫のご乱心を諫め、連立参加を思いとどまるよう強く働きかけてほしい。党外にいる城内実も、平沼に民主党との連立に参加されてはたまったものではないだろうから、全力で平沼を引き留めてほしい。城内実以外にも、昨年の総選挙で平沼グループから立候補した人が多くいるが、このままでは今後平沼の資金力をあてにできなくなる彼らも、平沼を引き留めるべく働きかけてほしい。
平沼も平沼であり、このジジイが単なる権力亡者に過ぎないことを露呈したといえる。何が「共産党員すら認める、平沼赳夫という人物」かと毒づきたくなる。
しかし、平沼赳夫よりずっとずっとどうしようもなく程度が低いのが菅直人という人間である。まさに権力の座を維持する目的のためには手段を選ばない人間。ついこの間、社民党に接近したかと思ったら、それと並行してたちあがれ日本、新党改革の論外極右二政党に接近していた。
民主党とたちあがれ日本・新党改革との野合が、これにとどまるものではないことはいうまでもない。1999年1月に、時の首相・自民党総裁の小渕恵三と、自由党党首の小沢一郎が行った「自自連立」が、公明党を加えた「自自公連立」への準備に過ぎなかったのと同様、民主党とたちあがれ日本・新党改革との野合は、自民党を加えた「大連立」への準備であり、もちろんシナリオを書いているのは渡邉恒雄(ナベツネ)である。
当ブログは、2007年に小沢一郎が自民党との大連立に走った時、直ちにこれを批判して小沢一郎の民主党代表辞任を求めた(2007年11月7日付エントリ「民主党は小沢一郎を慰留せず速やかに代表選を行うべし」参照)。それと同様、菅直人が自民党との大連立につながるたちあがれ日本・新党改革との野合に走ったことが明らかになった以上、直ちに菅直人の総理大臣及び民主党代表辞任を求めるものである。
今回の件は、菅直人の致命傷になるだろうし、致命傷にしなければならないと私は思う。絶対にやってはならないことをやった菅直人を、可能な限り早期に内閣総辞職に追い込まなければならない。そのためには「国士さま」や「小沢信者」とだって勝手に共闘するぞ、と心に誓ったクリスマス・イブだった。
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY201012210477.html
参院選、比例9ブロック案 選挙区は廃止 議長提示へ
7月の参院選で最大5倍の「一票の格差」を違憲とした東京高裁判決を受け、西岡武夫参院議長が格差を1.2倍以内に抑える抜本改革案をまとめたことがわかった。参院選で都道府県単位の選挙区を廃止し、非拘束名簿方式の比例区を全国9ブロックに分けて全議員を選出するという内容だ。22日に参院各会派に提示し、年明けの通常国会で法案成立を目指す考えだ。
西岡議長は21日までに、改革案を参院各会派に非公式に打診した。ただ、選挙制度改革をめぐる各党間、議員間の意見には隔たりがあり、成案を得られるかは不透明だ。
議長案の議員定数は、廃止する選挙区分をあわせ現行と同じ242を維持し、九つの比例区ブロックに割り振る。政党名と候補者名の投票の合算で各政党の当選者数をまず決め、政党内で得票が多い順に当選する「非拘束名簿式」をブロックごとに採用する。
都道府県をどう分け、各ブロックにどう議員定数を割り振るかはなお最終調整を続けているが、中国と四国の計9県を一つのブロックにするなどして「一票の格差」を最大で1.2倍以下に抑える考え。議長案だけに、今後の改革論議のたたき台となる。
参院の「一票の格差」をめぐっては東京高裁が11月、今夏の参院選を「違憲」と断じ、「著しい不平等状態が固定した観があり、憲法が許容する事態とは考えられない」と指摘。今月10日に広島高裁、16日には東京高裁の別の担当部と広島高裁岡山支部が「違憲状態」とするなど、厳しい判決が続いている。
これを受けて、民主党内では比例代表を廃止し、選挙区を衆院比例と同じ全国11ブロックに分け、一票の格差を最大1.2倍以内に抑える抜本改革案が浮上していた。西岡議長の改革案は同じブロック制でも、比例代表の考え方を重視したのが特徴だ。
西岡議長は7日の記者会見で、2013年の次回参院選からの導入を念頭に「年内に(議長案の)方向性に基づいた作業に入れるかどうか議論をいただく」と強調。自らの抜本改革案を尾辻秀久参院副議長や輿石東参院民主党議員会長ら参院各会派の代表者で構成する検討会に示し、各党が提出する案とあわせて年明けから本格的協議に入り、来春をメドに成案作りを目指す考えだ。
ただ、民主党内でも有権者の少ない1人区選出の議員らが現行制度を前提とした私案をまとめ、ブロック案に反対する意見がある。職域代表を送り込んできた支援団体や労働組合からも、ブロック化で票が分散することへの懸念から異論が出る可能性もある。
自民党は今月から議論を始めたが、「格差是正より各県代表の性格を明確にすべきだ」とし、米国上院をモデルに各都道府県に改選数1ずつを割り振る方式を主張する意見が出ている。行政区分の実態がないブロック制への異論は根強い。
公明党にはブロック制を歓迎する意見があり、みんなの党は21日、ブロック制を前提に定数を100に減らす案を西岡議長に提出した。一方で共産、社民の両党は定数削減や比例区の廃止には慎重な姿勢を示し、とりまとめは難航が予想される。(南彰、関根慎一)
(asahi.com 2010年12月22日3時0分)
余分なことかもしれないが、このasahi.comの記事であれっと思ったのは、記事の末尾に共産党と社民党の反応が書かれていることだ。というのは、私はこのニュースをネットより前に朝日新聞(22日付一面記事)で知ったのだが、新聞紙面では、東京本社発行最終版(14版)であるにもかかわらず、共産党と社民党の反応が省かれていたからである。その直前の、公明党とみんなの党の反応のところで記事が終わっている。
こんなところに、最近の朝日新聞の報道姿勢がうかがわれる。前主筆の船橋洋一は、満66歳の誕生日を迎えた12月15日に退社したが、紙面に大きな変化はないように見える。同じ「洋一」という名の加藤洋一編集委員は、船橋洋一に近い主張の記者で、防衛大綱の改定でもこの人が一面で記事を書いていた。また、最近朝日の一面で目立つのは、テレビでおなじみの星浩編集委員だが、これまで、「ニュースステーション」時代から、テレビ朝日の報道番組のコメンテーターは、朝日新聞本紙にはあまり一面に記事を書いたりしなかった印象があるのに、星浩は違う。朝日新聞グループは、テレビも新聞も同じ方向性で読者をリードしていこうという、読売新聞グループと同じような傾向を強めているように感じる次第だ。
ついつい朝日新聞批判の方向に脱線してしまったが、西岡議長の提案自体は悪くないと私は思う。政治家としての西岡武夫は、あまり評価しないどころか「大嫌い」の部類に属するが、私は発話者より発話内容でものごとを判断することにしている。西岡試案は、少し前に出され、上記朝日新聞記事でも言及されている民主党案より、確かに比例代表の考え方をより重視するものになっている。定数削減を先送りしているところも良い。
ネットには載っているのに朝日新聞本紙では削除されたasahi.comの記載によると、共産党と社民党は定数削減と全国一区の比例区削減に難色を示しているとのことだが、西岡案は定数を維持している。つまり、共産・社民両党は、全国一区の比例区が9つのブロックに分割されることが党利に合わないということなのだろうが、23日付朝日新聞4面に掲載されている試算を見ると、今年の参院選に西岡議長が提案した試案を当てはめると、共産党は1議席増、社民党は増減なしとなる。つまり、共産・社民両党とも党の利益に反するわけではないので、反対の姿勢をとるのはどうかと思う。
西岡氏の試案で躍進するのは、みんなの党と公明党で、それぞれ7議席増となる。また、選挙で第二党だった民主党は2議席の微増だが、第一党となった自民党が15議席減の激減となる。しかし、2007年の選挙に当てはめれば、民主党の議席が激減し、自民党の議席が増えるはずである。要するに、民主党に有利、自民党に不利という話ではなく、現行制度が第一党に不当なまでのアドバンテージを得るという、小選挙区制である地方の一人区の問題なのだ。
個人的には、西岡氏試案では新党改革とたちあがれ日本の議席がゼロになるところに注目した。これらの政党に議席を与えてしまったことは、参院選の痛恨事の一つだった。
もっとも、私は国会議員は全国一区の比例代表制で選ばれるべきだと考えており、その場合、新党改革とたちあがれ日本が議席を獲得してしまう。まあ、いかな論外極右政党といえど、それなりに支持者がある以上、1議席くらい与えるのは止むを得ないだろう。それよりも、参院より衆院も比例代表制にすべきだと思うのだが、それに至る道筋をつけるためにも、この西岡試案を是非とも成立させてほしいと思う。現行の選挙制度と比較して、民意をより正確に反映できる。「みんなの党」も、自党の議席占有率が増える方向の改革なのだから、定数削減は一時棚上げして、まず西岡案を成立させることに協力してほしい。
私は、衆議院の小選挙区制ほど日本の政治をダメにしたものはないと最近特に強く思う。
2005年の郵政総選挙で自民党の使えないネオリベ衆院議員が大量に誕生した。城内実の落選以外良いことが何一つなかった、悪夢のような選挙だった。また、昨年の政権交代前、多くの人が政権交代ムードに浮かれていた頃から、私はなぜか気分が沈んでいくのを感じていた。それは、民主党の使えない衆院議員が大量に誕生し、その結果政局が混迷することを予感していたからだ。
それは現実のものとなった。今、民主党内では主流派(反小沢)と反主流派(親小沢)が権力抗争を繰り広げているが、国民生活そっちのけの内紛に腹を立てているのは私だけではないだろう。仮に、年明け早々、「小沢政局」がきっかけとなって衆院が解散され、総選挙が行われれば、間違いなく自民党が「郵政総選挙」と同程度か、あるいはそれを上回る議席を議席を得て圧勝すると私は予想している。
もちろん、そうなれば菅政権は倒れる。東京を選挙区とする菅直人首相自身、落選する可能性もある(2005年の総選挙で、東京都の選挙区で当選した民主党候補は菅氏だけだった)。また、選挙に弱いとの定評があり、2000年の総選挙だったか、代表でありながらなかなか当確がつかなかった前首相・鳩山由紀夫にも落選の可能性があると思う。一度口にした引退宣言をあっさり撤回した鳩山の醜態は、選挙区の有権者に悪印象を与えたに違いない。元代表・小沢一郎はむろん盤石だろうが、小沢チルドレンだの小沢ガールズだのと呼ばれている人たちは、ほぼ全滅に近い状態になるだろう。つまり、小沢一郎の権威は地に堕ちる。つまり、「小沢新党」の創設は、普通に考えれば不可能であり、小沢一郎は自らがなしとげた「政治改革」によって手足を縛られているようなものである。
それが小選挙区制というものだ。そして、小沢チルドレンや小沢ガールズに代わって当選するのは、下野後、右翼色と新自由主義色をさらに強めた自民党候補たちである。彼らが行う悪政は、小泉純一郎や安倍晋三の時代よりさらにひどいものになることは疑う余地はない。自民党総裁は保守本流出身の谷垣禎一ではあるが、今でさえ党内の右翼バネや新自由主義バネを抑えきれない谷垣は、政権についたって右翼や新自由主義者、それに財界の喜ぶ政策しか行えないし、それさえ「手ぬるい」と批判されて、早々とより右翼色や新自由主義色の強い人物にとって代わられるだろう。私は、安倍晋三が復活するのではないかと警戒している。
これが、1990年代以来の「政治改革」の行き着く先なのだ。
私は、政治家では小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫の「民主党トロイカ」、学者では山口二郎や後房雄、マスコミでは田原総一朗や久米宏らが旗を振った1990年の「政治改革」こそ諸悪の根源だと考えている。だから、今、「親小沢」と「反小沢」が抗争を繰り広げているのを、冷ややかな目で見るだけだ。両陣営の人間とも、私から見れば「政治改革」を総括できない「同じ穴の狢」でしかない。
ついでにいうと、自民党内でもいろいろ権力抗争があり、現在は安倍晋三、麻生太郎らの極右勢力はどちらかというと不遇だが、彼らにせよ自民党の主流にせよ、新自由主義的な方向性の強い中川秀直や河野太郎らと同様、「小泉構造改革」を総括するのことのできない「同じ穴の狢」であるように見える。つまり、自民党は「小泉構造改革」、民主党は「政治改革」を総括しない限り、党を再生することはできないと私は見ている。現在の民主・自民の保守二大政党は、かたや90年代の「政治改革」を総括できず、かたや00年代の「小泉構造改革」を総括できず、ともに日本をぶっ壊していっている。
先月SNS (mixi) で立ち上げた「鍋党?再分配を重視する市民の会」は、私自身にとっては「小泉構造改革」に象徴され、その後自民党政権のみならず、小鳩・仙菅と続く民主党政権も継承している新自由主義に対する抵抗の意味合いを持っているが、来年のブログのもう一本の柱として、「政治改革の総括」というテーマを掲げ、衆議院の小選挙区比例代表並立制を改める声を盛り上げていきたいと考えている。
そのためにも、西岡武夫参院議長の参院改革案を支持し、与野党の政治家にこれを成立させることを強く求める次第である。
[PS]
首相・菅直人が、本エントリで「論外極右政党」と表現した「たちあがれ日本」に連立を打診していたことが報じられた。私の価値基準に照らすと、絶対に越えてはならない一線を菅直人は越えたことになる。今後は菅内閣の即時総辞職を求める立場で記事を書かざるを得ない。
たとえば、ここ10年間漸減が続いた「思いやり予算」の向こう5年間維持もその一例だ。これに関していえば、アメリカ政府が、中国漁船衝突事件での中国の強硬姿勢などを理由に、「思いやり予算」を「対中戦略経費」と位置づけて、大幅な増額を要求してきた背景があり、結局5年間据え置きで妥結したものと見られるが、中国やロシア同様、アメリカも弱体化した日本の足元を見てきたものといえるだろう。
「思いやり予算」については、5日に放送された「日曜討論」において、内橋克人氏が「思いやり予算」が事業仕分けで「A判定」(問題はなく、削減しない)とされたことを批判していたところ、司会のNHK解説委員・島田敏男が「『思いやり予算』は俗語ですからね。これは駐留経費ですから、『思いやり予算』という言葉は使わないようにしましょう」などと口走った。なぜ島田がこんなことを言ったかというと、9月末にアメリカの高官が日本のメディアに対して注文をつけていたからであることがあとでわかった(下記産経新聞記事=共同通信配信=参照)。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100930/amr1009301008005-n1.htm
以下引用する。
「思いやり予算」の呼称変更を 駐留経費負担で米高官
2010.9.30 10:07
米国務省の在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)交渉に携わる高官は29日、共同通信など一部の日本メディアに対し「思いやり予算」という呼び方は「時代遅れで、当てはまらない」と述べ、見直しを求める考えを示した。また日本が予算削減を検討していることについて「間違った方向だ。増額が適切だ」とし、日本政府に対し予算を増やすよう求めた。
米国は厳しい財政赤字が続く中、軍事費削減が強く求められ駐留経費の負担増は難しい状況。日本側との交渉が本格化するのを前に、削減を目指す日本を牽制(けんせい)する狙いがある。
同高官は「思いやり予算」の通称について「その呼び方が適切な時期もあったかもしれないが、われわれは『思いやり』の予算だとはみなしていない」と強調。「日本防衛費」や「日本防衛のために分担する経費」との呼び方が適切だとの考えを示した。(共同)
要するに島田敏男は、アメリカさまのご命令に唯々諾々と従ったわけであり、国辱ものとしか言いようがないが、これが「NHKクォリティ」なのだろう。植民地根性そのものである。島田は、ヘラヘラとアメリカにゴマをする卑屈な男だ。
島田への悪口はともかく、上記産経(共同)の記事にあるように、日本政府は、自民党政権時代もそうだったように、「思いやり予算」の減額を意図していたが、アメリカは逆に増額を求めた。で、その妥協点が「5年間据え置き」だったわけだが、だからといって民主党政権の努力を認めてやれ、とは私は言わない。なんだかんだ言って自民党政権でさえ減らしてきた「思いやり予算」の5年間据え置きは、外交の敗北である。
さらに、防衛大綱の件もある。前回の改定は2004年だったが、本来なら鳩山政権時代の2009年に見直されるはずだった。それを前首相・鳩山由紀夫が、連立のパートナーだった社民党に配慮して1年間先送りしたとされる。しかし、先送りした代わりに鳩山が発足させた「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が今年2月に開いた初会合において、鳩山は新防衛大綱の策定に関し「タブーのない議論をしてほしい」と要望した。北澤俊美防衛相もこの懇談会で「装備産業の基盤整備をどう図るか議論してほしい」と武器輸出三原則の見直しを要望した。
社民党のご機嫌をとるために大綱の改定を1年先送りしておきながら、それと同時に鳩山由紀夫はこんなことを言っていたのである。とんでもない二枚舌男であり、当時から鳩山は、いずれ沖縄の米軍基地移転問題で社民党を切り捨てることを念頭に置いており、社民党を切ってから防衛大綱を自分の思うように改定したいと思っていたのではないかと勘繰りたくなる。
朝日新聞が伝えるところに寄ると(18日付4面)、防衛費増額を強硬に主張する北澤俊美防衛相や前原誠司外相と、防衛費増額に難色を示す野田佳彦財務相らが連日激論をかわす中、菅直人首相はほとんど口を挟まず、武器輸出三原則見直しを大綱に明記するのを見送るよう要請したことが目立つ程度だったという。結局、武器輸出三原則見直しは明記されなかったものの、見直しの議論を継続することがうたわれた。菅首相の成果は、「見直し」と「見直しの議論」の違い程度のものだった。
それでも、『日本がアブナイ!』を読むと、麻生太郎内閣当時の自民党案や、(民主党でもかなり突出した軍事タカ派である)鳩山由紀夫らの構想と比較すれば穏健派である菅首相が、は今回の大綱で「専守防衛」「集団的自衛権の禁止」「武器輸出三原則」「非核三原則」の4原則を堅持したと評価している。
だが、新聞の社説を見てみると、全国紙は例によってムニャムニャした曖昧な論調だが、地方紙の中には今回の防衛大綱改定を厳しく批判するところが多い。北海道新聞、信濃毎日新聞、琉球新報という、北・中部・南の3紙の社説を例として挙げておく。
特に問題視されているのが「動的防衛力」という概念である。確かに、「動的防衛力」は「専守防衛」に反しているのではないかとは私も思う。
北海道新聞の社説は、下記のように書く。
従来踏襲してきたのは「基盤的防衛力構想」である。脅威に直接対抗するのではなく必要最小限の装備で対処するという構想は自民党政権でも防衛力抑制の原則となってきた。
これに対し動的防衛力という考えは脅威対抗型である。「力対力」の構図では軍拡競争を招きかねない。
(北海道新聞 2010年12月18日付社説「新防衛大綱 脅威あおる重大な転換」より)
信濃毎日新聞による批判は下記だ。
初代の大綱を決めたのは東西冷戦期。2代目が冷戦終結後、3代目は01年の米中枢同時テロの後だった。時々の国際情勢がその内容に反映されてきた。前回は、テロなど新たな脅威への対応が必要との理由から「多機能、弾力的な防衛力」という考え方が登場してきたけれど、基盤的防衛力の基本的な考え方は残していた。
ところが今回、それに代わる新概念が明記された。軍事活動を活発化させる中国などへの対応を念頭に置いた「動的防衛力」である。これまでの自衛隊の対処の仕方を見直し、活発な活動ができるようにすることを狙っている。
「日本を米国のポチにする極めて危険な考え」?。元防衛庁幹部で、新潟県加茂市の小池清彦市長の言葉を思い出す。前回の大綱が基盤的防衛力の概念を弱め、自衛隊の海外活動を積極的に推し進めようとしていることを、こんな例えで批判していた。
動的防衛力は、防衛政策の基本的な在り方を最終的に換骨奪胎する恐れがあるもの、と考えていい。「使える自衛隊」への脱皮を急いでいるようにみえる。
(信濃毎日新聞 2010年12月18日付社説「新防衛大綱 危険過ぎる政策変更」より)
琉球新報は、「動的防衛力」批判に加えて、沖縄への負担の増加を厳しく批判する。
新大綱は南西諸島を含む島しょ部の防衛力強化を打ち出した。
空自那覇基地はF15戦闘機を1・5倍に増やし、海自は南西地域の警戒監視に向け潜水艦やヘリコプター搭載護衛艦を整備。陸自は与那国、宮古、石垣島と想定される地域へ部隊配備する。
一方で民主党がマニフェスト(政権公約)に掲げた日米地位協定の改定については触れていない。負担軽減の具体策は見あたらない。沖縄にとって米軍基地の負担軽減どころか、自衛隊の配備強化でますます過重な負担がのしかかることになる。
新大綱は「我が国の存立を脅かすような本格的な侵略事態が生起する可能性は低い」と指摘している。にもかかわらず、日米同盟を「深化・発展させる」と記述し、情報、周辺事態、弾道ミサイル防衛などで協力を強化する。シーレーン(海上交通路)確保や宇宙、サイバー分野、気候変動分野の連携も盛り込んだ。
何のために米軍と一体化するのだろうか。逆に周辺国は日本への警戒を強め、軍事力を増強する可能性が高まるだろう。米国への協力を強化すればするほど、自国ではなく同盟国の戦争に巻き込まれるリスクは増大する。「安全保障のジレンマ」に陥っている。
(琉球新報 2010年12月19日付社説「新防衛大綱 ソフトパワーこそ必要だ」より)
東京では、すっかり右傾化した朝日新聞がいまだに「左」扱いされたり、勇ましいだけの極右知事に12年も都政を担わせたり、あるいは大阪や名古屋でも新自由主義の旗を掲げる主張を府民や市民が熱狂的に支持するていたらくだが、地方における政権批判は都市部よりずっと厳しい。地方経済は、都市部と比較してずっと痛んでおり、それなのに防衛力強化にかまける民主党や自民党への視線はおのずと冷たいものになるのである。
仮に今回の防衛大綱で菅直人が示した態度が、麻生太郎や鳩山由紀夫よりマシだとしても、五十歩百歩のレベルでしかないと私は思う。小沢信者は、小沢一郎だったらそうはしなかったというかもしれないが、小沢一郎は集団的自衛権の政府解釈変更を主張する「解釈改憲派」であり、小沢政権だったらもっと突っ込んだ形になったのではないか。小沢一郎自身は民主党入りした時に横路孝弘と政策協定を結んだが、小沢派の主力である旧自由党の議員には軍事タカ派が多く、松木謙公にいたっては歴史修正主義者でさえあるし、森ゆう子もゴリゴリのタカ派である。
私は、小選挙区制を軸とした90年代の政治改革によって保守二大政党制が成立したことが、今日の惨状を招いたと考えている。特に、「左」側の勢力が社民党と共産党という2つの政党しかなく、両党とも党勢がすっかり衰えていることが、民主党や自民党の暴走に歯止めをかけられない原因になっている。かつて政治改革を「右」から推進した小沢一郎と「左」から推進した菅直人の罪は特に重いと思うが、選挙制度については稿を改めて別途書きたい。
とにかく気分の悪い年の瀬であり、来年はもっと悪くなるだろうと確実に予測できるだけに、気分が重くなる一方だ。
諫早湾の上告断念は良かったのだが、その前日(14日)、菅首相が法人税の5%減税を決断したのは全くいただけない。5%も減税すると税収増の穴埋めができない、法人税減税は3%にとどめよとする野田佳彦財務相と、5%減税にこだわる玄葉光一郎民主党政調会長の意見が折り合わなかったのを、菅首相が調停したものだ。いうまでもなく、野田財務相は財源の確保にこだわる財務省の意見を、玄葉政調会長は法人税減税を強硬に要求する財界(経団連)の意見を代弁したものであり、菅首相は「官僚対経団連」のマッチで、経団連側に立った判断を下したことになる。
こんなところからも、「諸悪の根源は官僚」という俗説の愚かさがわかる。最近は、もともと左翼だった人が、「現代日本の対立軸は、資本主義対社会主義、小さな政府対大きな政府などではなく、官僚主導対政治主導だ。左翼は資本家の労働者からの搾取を問題視するが、本当に問題なのは官僚による税金の搾取なのだ」などというトンデモ理論をのたまっている実例を知って、私は腰を抜かした。いかにも河村たかし信者が泣いて喜びそうな言説だが、政治主導の結末が法人税の5%減税だった。
この法人税減税の見返りに、菅首相は財界に雇用の拡大を求めたが、財界は頑として応じようとしない。減税してもらいながら雇用も拡大しない企業とは、「やらずぶったくり」以外のなにものでもない。こんなことなら、いっそインセンティブ制にして、雇用を増やしたり、非正規雇用を正規雇用に転換した企業に限って法人税の一定率を減免し、逆にリストラした企業には法人税を増税するなどすれば良かったのではないかと思ってしまう。
この法人税減税は、菅首相が言っていた、「一に雇用、二に雇用」という言葉を自ら裏切るものだ。自民党やマスコミは、この菅発言に対して、「雇用あっての経済成長ではなく、経済成長あっての雇用ではないのか」と批判していた。増税してそれを政府による雇用に充てるという小野善康・阪大教授の主張はトンデモ扱いされた。私は小野教授の主張に全面的に賛成はしないが、不況期に政府が直接雇用を行う案は理にかなっていると思う。しかし、マスコミが強調したのは、その前段に当たる「増税」の部分であり、特にマスコミにとっては「増税イコール消費税増税」だから、小野教授は神野直彦・東大名誉教授ともども、「消費税増税論者」の代表格であるかのようにマスコミに伝えられた(小野教授自身が「所得税増税が望ましいが、消費税増税でも良い」と発言したことに問題はあったけれど)。
今回の法人税減税とは、まさに自民党やマスコミなど、菅首相を批判した側の主張に沿った政策といえる。政府は、今回の法人税減税に合わせて、企業向けの減税措置を縮小したり、富裕層を中心とした個人向けの増税を行うことで、1.5兆円になる法人税減税を一部埋め合わせる。それでは足りないからと財務省が反対していたのだが、逆に財界やマスコミはその増税分を批判している。財界は、それが資本の論理なのだろうから、彼らにとっては当然の言い分なのだろうが、看過できないのがマスコミである。「個人には増税」などというキャッチフレーズを使っている。あたかも「減税ならなんでも善、増税ならなんでも悪」と言わんばかりであり、そんなことばかり言っているから、河村たかしの噴飯ものの「減税真理教」が人々の共感を呼ぶのだ。
朝日新聞は、16日付社説で、いろいろと留保をつけながらも菅首相の法人税5%減税の決断を評価した。その留保が「財政の規律」であるから、これは財務省に沿った主張であって、悪いとこ取りをする朝日新聞には呆れるほかない。この社説でも、今日(17日)の社説でも、朝日は政府に合わせるかのように「消費税」の文字を封印しているが、社説には書かなくとも、朝日新聞経済部を代表するスター記者・伊藤裕香子が書いてくれている(笑)。
14日付の朝日新聞3面に伊藤裕香子が書いた記事の見出しは、「消費税封印 遠い抜本改革」、「財源かき集め帳尻合わせ」、「資産家や役員、高負担」となっている(東京本社発行最終版)。見出しだけ並べると、富裕層にばかり負担を求めないで、消費税で薄く広く財源を確保せよ、と言っているように見える。実際、伊藤裕香子は下記のように書く。
個人向けの増税も、財源のかき集めの色彩が強い。財務省の五十嵐文彦副大臣は13日の記者会見で「これまでの税制は所得の高い人に有利な仕組みで、(所得の)格差拡大を生んできた。行き過ぎた部分の是正は急務であり、前進したと思う」と説明。民主党が掲げる「格差是正」の理念に沿ったものだが、税金を取りやすい富裕層に負担を求めただけに終わった側面は否めない。
(中略)
消費税増税の封印を解き税制の抜本改革に着手できなければ、所得税の税率構造の見直しなどの実現は難しい。結局は毎年、財源探しと「小手先」の税制改革を繰り返すことになりかねない。
(朝日新聞 2010年12月14日付 伊藤裕香子記者の署名記事より)
もういい加減にしてくれと言いたくなる。日本は、他の先進諸国と比較して、税収に占める所得税の比率が低い。長年にわたって累進制を緩和し続けてきたことに加えて、分離課税だらけの税制になっているために、年収1億を超の超富裕層になると、累進制が弱まるどころか逆進的になるということは、当ブログで何度も何度も書いてきたことだ。その所得税の見直しが、なぜ消費税増税の議論とリンクさせなければ進めることができないのか。伊藤裕香子の論理は、私には理解不能である。
今回の税制改革では、環境税の創設も盛り込まれた。だが、政権交代前の民主党の構想と比較すると小規模で、しかも段階的に実施されることになった上、特別会計に組み込まれる。昨夜のテレビ朝日『報道ステーション』では家計に与える影響の話をしていたが、この環境税にもっとも強硬に反対していたのはいうまでもなく経団連である。社民党や共産党はもちろん、「みんなの党」でさえ環境税導入に賛成していることは、以前当ブログで指摘したと思う。環境税が腰砕けになっているのも、政府が財界に配慮したものといえるのである。
飯田哲也氏の【20世紀型産業経済vs21世紀型知識社会の戦い】と題された10月22日付のTwitterをつなげて下記に紹介する。
民主党の環境政策が急速に劣化しているらしい。昨日、開催された民主党税制改正PTで、諸富京都大教授などの良識・良質な方をお呼びしながら、鉄鋼など経済界からの怒号で環境税潰しの空気を作るような運営がされたらしい。
民主党の税制改正PTメンバーは、中塚一宏委員長のほか、主要な参加メンバーとして、細野豪志、近藤洋介、吉田治、岸本周平、大谷信盛、小川淳也、川内博史。
民主党の税制改正PTメンバー、大阪選出の吉田治氏などは、関西人独特の雰囲気を漂わせながら、環境税が入ればカーボンリーケージが起きてしまうという、業界団体代表の発言を引き出すことを狙った質問を繰り返す。
川内氏などは、「民主党はマニフェストでガソリン税の揮発油税を廃止するだけでなく、その減税を公約したはずで、現在揮発油税の暫定税率部分が、つなぎ税によって維持されているのは公約違反だ」と叫ぶ。
経団連や電事連が温暖化政策(環境税・総量削減義務)や自然エネルギーの固定価格制度を「アンチビジネス」とレッテル貼りするなら、こちらは向こうを『反社会団体』と呼んだ方が良いかも。
経団連や電事連が「反環境税」の論陣を張るなら、こちらは彼らを「フリーライダー」(タダ乗り)で批判しなければ。
(2010年10月22日の飯田哲也氏のTwitterより)
かくして環境税は骨抜きにされた。
ついでに、同じ頃の飯田氏のTwitterに興味深いものがあるので紹介する。
祝島こそ、この国の『20世紀なるもの』と『21世紀を目指すもの』とが激しくぶつかり合う場所。名古屋のCOP10でも激しく非難されたように、瀬戸内に最後に残る、世界遺産級の自然が残るところに『遅れてきた原発』を作るセンスには絶句。原発を必要と考える人でも、変だと思うはず。(10月23日付)
名古屋(自治労全国大会)で前講演者(環境省)に対し、2派の「温暖化懐疑論」からの質問。一つは「トンデモ懐疑派」、もう一つは反原発から派生した温暖化懐疑派。極右と極左が図らずも共闘する結果に。2つの「トンデモ」の陰で、20世紀型のエネルギー既得権益が温存される。(11月6日付)
当ブログで池田信夫(ノビー)とその後小沢信者と化した人々が、「地球温暖化陰謀論」で共闘していることを批判したのは一昨年のことだ。当ブログがその後小沢信者たちと袂を分かったのは必然だったのだなと思う。温暖化懐疑論で一部小沢信者たちがあがめていた武田邦彦は、政治思想的には極右である。まさに極右と極左のトンデモの共闘。
そして、彼らの共闘が行き着く先が、再分配の否定である。初めの方に書いた、「資本家の労働者からの搾取より、官僚の人民からの税金の搾取の方が問題」と主張する、左翼崩れのトンデモ言説などがそれを後押しする。これに乗じて河村たかしは「庶民革命」を叫ぶが、権力者が主導する「庶民革命」などあろうはずがない。
「小沢信者御用達」の週刊誌というと、週刊金曜日、週刊朝日、週刊ポストなどが挙げられると思うが、その中の一つ、週刊ポストが「無税国家論」をブチ上げている(2010年12月24日号)。同誌の10月8日号で大前研一が「不平等な制度である現在の所得税、法人税、消費税などをすべて廃止し、平等な資産課税と付加価値税を導入する」などと主張していたらしいが、それを再度引き合いに出して「無税国家論」をアピールしたものだ。この「無税国家論」は、もとは松下幸之助の主張で、民主党、自民党などに数多くいる松下政経塾出身議員は在塾当時にたたき込まれたはずの思想だ。財務省の野田佳彦も民主党政調会長の玄葉光一郎も松下政経塾出身議員である。
資産課税の強化はもちろん必要だと私も思うが、税制の基本は直接税である。所得税や法人税の廃止などトンデモとしか言いようがないが、週刊ポストの記事は、金持ちを優遇するこれらの言説を批判する識者のコメントを載せながら、レーガンやサッチャーの政策を賛美しているのだから、読んでいて目が点になった。新自由主義そのものではないか。
こんな週刊誌が小沢信者にウケる。週刊ポストは、そのうち河村たかしのマンセーもやり始めるのではないか。来年の2月6日には、河村たかしの思惑通り、名古屋市ではトリプル選挙が行われることになりそうだ。新自由主義に酔いしれる人々が歓呼の声を上げる、2005年の「郵政総選挙」を思わせる悪夢の再来を見ることになりそうだ。河村信者が当ブログに「税金は罰金だ」というコメントを寄せたことを思い出す。こんな思想が蔓延するから、やすやすと法人税は減税され、環境税は骨抜きにされる。
なんとトンデモな年の瀬か。
外野では、あまりに「小沢信者」がうざいので、ついつい彼らの批判ばかり書いてしまうが、就任から半年を過ぎてもさっぱり成果が上がらない菅直人首相も批判しておかなければなるまい。
菅内閣が普天間基地移設問題で辞任した鳩山前首相の路線を受け継いだ以上、沖縄の米軍基地問題でこの内閣に何も期待できないのは当然だし、松下政経塾出身議員の支持を受けて総理大臣になったいきさつから、政策が新自由主義に傾いたのも予想通りだった。もっとも、小沢一郎も河村たかしを支援したりしているから、小沢なら良かったとはとてもいえない。
しかし、それでも最低限の期待だけはあった。それは、環境・エネルギー関係や取り調べの全面可視化、あるいは企業・団体献金の全面禁止などの政策だった。だが、「最低限」と思っていたそれらの期待までも、菅政権は裏切りつつある。
政権交代直後の一時期、当ブログの人気エントリだったのが、昨年9月25日付の「八ッ場ダムをめぐる謀略マスコミのとんでもない『やらせ』報道」だった。鳩山政権発足直後、前原誠司国土交通大臣(当時)が八ッ場ダムの建設中止を言明したのに対し、マスコミが猛反撃したのだが、当時よくテレビに登場した星河由起子という「一般市民」が実は、「長野原町議会ダム特別委員会副委員長」だったという話だ。だが、その後八ッ場ダム建設中止は、前原誠司の後任・馬淵澄夫国交大臣によって撤回された。マスコミのバッシングにもかかわらず、世論は八ッ場ダム建設中止支持の方が多かったにもかかわらずである。今、検索語「星河由起子」でネット検索をかけても、昨年秋当時の記事しか引っかからない。星河氏は、その後もダム建設推進に地道に活動していたと思われるが、その間民主党政権は何をしていたのかという問題だ。
無駄な公共工事を止めて環境を取り戻すというのは、鳩山由紀夫や菅直人など、「オリジナル民主党」の政党発足時からのウリだったはずで、菅直人は、鳩山政権発足直後の昨年9月18日には、「ダムは不要」の市民運動家・天野礼子さんと祝杯をあげている。当時、菅直人は天野さんにこう語った(下記URLの天野さんの記事を参照)。
http://www.the-journal.jp/contents/amano/2009/11/918.html
今日、総理官邸の中に、まず国家戦略室をつくりました。次の国会で法制化されると"国会戦略局"になります。三人で、お祝いしたかったのです。ワインを空けましょう。何のお祝いかというと、これは天野礼子が起こした"市民革命"なのです。だってそうでしょ。あなたが、岐阜の社民連の事務局長の村瀬惣一さんが細々とやっていた「金丸の河口堰」に反対する闘いに、1988年に火をつけ、国会の中に持ち込んで、1994年からは、日本に「日照権」を確立した辣腕弁護士の五十嵐さんも味方につけて、「長良川」を、"公共事業の悪しき図式"と闘う国民運動とした。
今、政権交代が成立して、見てごらんなさい。総理も「ダム反対」と言う、民主党や与党もそう言う、国土交通大臣も、あなたがずっと言い続けてきた「ダム反対」を言っているじゃありませんか。あなたは「建設省」という本丸をついに倒したのです。これが"市民革命"なんですよ。(後略)
今年2月6日には、天野さんは「長良川河口堰も撤去!」と題する記事にこう書いている。
長良川河口堰撤去は、私が今これ以上の行動をとらなくても、今年は秋に名古屋で「生物多様性条約締結国会議」もあり、必ずや民主党の政治的課題に挙がると信じて、「あえて」動かずにいるということです。
だが、課題が八ッ場から長良川へと展開するどころか、とっかかりに過ぎないと私も思っていた八ッ場さえ、政権は交代するていたらくだった。
最近では諫早湾開門の問題がある。これもオリジナル民主党が結党以来中心的な課題に挙げていた件で、菅直人は諫早湾干拓事業反対の急先鋒だった。長崎や佐賀など沿岸4県の漁業者らが、国を相手に堤防撤去や排水門開門を求めた訴訟の控訴審判決が先日あり、福岡高裁が一審に続いて諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の常時開門を命じたが、これに対して民主党政策調査会の農林水産部門会議が9日、参院議員会館で開かれ、福岡高裁判決について、民主党、農水省の側双方から「上告はやむを得ない」との考えが示されたという。
http://mytown.asahi.com/areanews/nagasaki/SEB201012090051.html
上記朝日新聞記事には、「小沢親衛隊」の急先鋒・松木謙公農水政務官も上告を容認する姿勢を見せたとある。環境問題に消極的なことに関して、小沢も反小沢もないというべきか、いや、むしろ自民党時代には土建業への利益誘導政治家だった小沢派の政治家らしいというべきかもしれない。諫早湾の件に関して、地元選出の福田衣里子の名前も聞かれないが、それもそのはず、彼女は「現時点では開門に反対」の立場をとっているのだ。まさに、「親小沢も反小沢もない」。民主党にはこんな政治家ばかりだ。
この問題では、最近論調がすっかりおかしくなった朝日新聞でさえ、7日付で「諫早湾干拓―開門を決断するときだ」と題する社説を掲載している。岸井成格が主筆に就任して以来、「大連立」を容認する記事をしばしば掲載するなど、完全におかしくなった毎日新聞も、朝日より2日遅れの9日に、「諫早湾判決 政治の責任で開門を」と題する社説を掲載した。毎日の社説の後半部分を下記に引用する。
この諫早湾干拓事業は、一度始めたらとまらないとされてきた大型公共事業の代表例だった。コメの増産という当初の目的はコメ余りを受けて変わったのに事業は継続した。
これを野党時代の民主党は痛烈に批判してきた。政権交代後、政府・与党が検討委員会を設け、今年4月には開門調査を妥当とする報告書を当時の赤松広隆農相に提出した。
しかし、菅内閣発足時に赤松氏が再任されず、後任についた山田正彦前農相が、開門に反対している長崎県選出であることもあってか、開門へ向けた動きはとまってしまった。
野党時代に「無駄な公共事業の典型」と強調していた菅直人首相は、判決に対し「しっかり政府として検討していきたい」と語っているものの、これまで指導力を発揮した形跡はうかがえない。
党内での意見の取りまとめができず方針が定まらない。その結果、結論を先送りする。そんな民主党の姿が政権交代以降、繰り返されてきた。諫早湾の堤防問題についても同じ経路をたどっているように映る。
判決を受けて、政府は開門調査を実施する方向に動き始めたようだ。しかし、逆に上告についても検討しているという。
群馬県で建設が進められていた八ッ場ダムについても中止の方針が棚上げされた形になったことも含め、ふらついているように見える。菅政権は公共事業改革を本気で実施する覚悟があるのか。はっきりした形で示してもらいたい。
(2010年12月9日付毎日新聞社説「諫早湾判決 政治の責任で開門を」より)
この社説に出てくる山田正彦は、自民党から新生党、新進党、自由党を経て民主党入りした人物で、要するに小沢一郎系列である。前述の松木謙公といい、小沢系の政治家は環境問題には消極的だ。福田衣里子が開門反対の立場をとって、地元の支持者を落胆させていることにも、小沢系の先輩政治家が影響を与えているのかと勘繰りたくなる。
それならばなおのこと、菅直人は上告断念を政治決断すべきではないのか。現状のような党内抗争を繰り広げていては、国民は親小沢も反小沢も支持しない。1年ちょっと前の自民党と同じように、「民主党」という看板だけで、「あ、これはダメ」と判断されるだけだ。
これは、取り調べの全面可視化、企業・団体献金の全面禁止、情報公開の推進など、他の政治課題についてもいえることで、菅政権は何もしないから全く評価されない。党内で軋轢が生じようが、総理大臣・党代表のリーダーシップで前進すれば良いのである。それは、小沢派との違いを国民に印象つけることにもつながるだろう。
それさえもできないのであれば、菅直人は退陣に追い込まれても仕方ない。
まずナベツネだが、自民党の谷垣禎一総裁に、「大連立」を持ちかけたらしい(下記asahi.comの記事参照)。
http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY201012080371.html
谷垣氏、渡辺恒雄氏と会談 「大連立」めぐり意見交換
自民党の谷垣禎一総裁は8日、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長・主筆と党本部で会談した。関係者によると会談は渡辺氏側が要請。同席者はおらず、2人だけで約1時間話し合った。渡辺氏は福田政権時代に浮上した自民、民主両党の大連立構想に深くかかわっており、谷垣氏とも大連立について意見交換した。
(asahi.com 2010年12月8日19時16分)
8日に首相官邸で行われた自民党の森喜朗元首相と菅直人首相との会談で、「大連立」が話し合われたのではないかと勘繰るのは時事通信である(下記リンク先記事参照)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010120800948
「大連立」の動きか=菅・森会談で自民に波紋
自民党の森喜朗元首相が8日、菅直人首相と首相官邸で会談し、同党内に波紋が広がった。森氏は福田政権下の2007年秋に起きた民主、自民両党による大連立構想の仲介役。菅政権の苦境を踏まえ、実現に向け再び動きだしたとの見方が多いが、党内には反発も強い。(後略)
(時事ドットコム 2010/12/08-23:41)
一方、こうした動きに不快感をあらわにしているのが小沢一郎である。小沢は、「大連立なら俺が本家本元」と思っているだろうから、「イチ抜き大連立」を目指しているかに見えるナベツネやシンキローの動きに心穏やかであろうはずがない。朝日新聞によると、小沢は大連立と分党の可能性を口にしたという(下記asahi.comの記事参照)。
http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY201012080108.html
小沢氏、両院議員総会の開催促す 中堅通じて首相側牽制
民主党の小沢一郎元代表は7日夜、東京都内で会食した党中堅議員に対し、「近く両院議員総会を開催するべきだ」と語り、党執行部に開催を要望するよう求めた。菅直人首相の政権運営に不満を持つ議員らが公然と異議を唱える場作りを指示したことで、「脱小沢」路線を進める首相側を強く牽制(けんせい)したものとみられる。
会食の複数の出席者によると、小沢氏は12日投開票の茨城県議選に触れ、「仮に大惨敗すれば地方組織から不満が噴き出す。自分は動けないが、君たちが動いて地方の声を代弁するため、(党執行部に)両院議員総会の開催を求めて欲しい」と話した。「菅直人首相、仙谷由人官房長官のコンビでは政権が成り立たない」とも述べ、仙谷氏の交代の必要性も示唆した。
さらに小沢氏は、自民党との大連立や民主党の分党にも言及。「今の党執行部は、自民党と主義主張が違うので大連立も出来ない。自分は大連立も分党もやる覚悟があるが、まず、君たちに動いて欲しい」とも語ったという。(後略)
(asahi.com 2010年12月8日11時32分)
ネットでは小沢信者たちが、「空き缶が与謝野と会った」、「空き缶がシンキローと会った」、すわ大連立だ、と騒ぐが、3年前に小沢がやろうとして未遂に終わった大連立は「良い大連立」であり、現在菅直人がやろうとしている大連立は「アメリカの指示による」などとほざいている。あほらしい。菅直人(や鳩山由紀夫)には、「自社さ政権」の過去があるが、小沢一郎には、もっと罪の重い「自自連立」と「自自公連立」の前科がある。私に言わせれば、菅直人と小沢一郎は、ともに自民党と「大連立」を組みかねない、信用できない政治家であり、菅直人の大連立も小沢一郎の大連立も、ともに「悪い大連立」である。白い猫だろうか黒い猫だろうが、自民党にすり寄る猫は悪い猫なのだ。
個人的な話をすると、東京に来てから団塊世代の中産階級の人と接する機会がかなりあるが、彼らの大多数は自民党など支持していない。期待を寄せた政権交代に裏切られたと怒るものの、自民党政権に戻ってほしいという声はほとんど聞かない。それより上の階級の、いわゆる「エスタブリッシュメント層」の多くが、今も変わらず自民党を支持しているのと鋭い対照をなしている。団塊世代の中産階級の人たちは、小沢一郎より菅直人を支持する傾向が強く、外交・安全保障政策では比較的ハト派で、尖閣ビデオ流出問題や自衛隊の「暴力装置」問題で、なぜ仙谷由人が批判され、自民党など野党に辞任を求められているのか理解できないという。菅政権の経済政策に強い批判を持つ私も、その部分では同感である。一方、非正規雇用の問題や、沖縄の米軍基地の問題ではおおむね冷淡であり、これが「都市部リベラル」の限界だろうと思える。
一方、マスコミ、特にみのもんたがやっているTBSとか、テレビ朝日の朝のワイドショーっぽい番組は、団塊世代の中産階級と比較しても相当に「右寄り」の度合いが強く、これが世論を動かしているように見える。「右寄り」というのは、外交や安全保障の問題もあるが、経済政策における新自由主義への親和性が際立って高い。テレビ朝日の河村たかしへのお追従など、呆れ返るばかりの露骨さである。こうして、かつての国民政党からいまや支配層のための「階級政党」と化した自民党への支持を、支配者層の一員であるマスコミ人たちが誘導していく。
今日は、民主党政権がなぜつまずいた上、傷口を広げたのかを、『世界』2011年1月号に掲載された飯田哲也氏の論考「新政権の環境エネルギー政策はなぜ逆噴射したか」を引用しながら論じるつもりだったが、裏ブログの方で政治以外の件にちょっと熱中しすぎて、時間がなくなったので、詳細は次回以降に回すことにする。とはいえ、ブログで環境エネルギー政策の問題を取り上げると、「反戦」や「平和」の話題どころではなく極端にアクセス数が減るので、記事は裏ブログに回してしまうかもしれない。内需の拡大という観点からも、再生可能エネルギーの開発はもっと熱心に論じられてしかるべきだと私は思うが、アメリカでオバマ人気の低下に伴って「グリーンニューディール」があまり言われなくなると、日本人もそれに追随してしまうのだから、情けない限りである。小沢信者の少なからぬ人々に至っては、「地球温暖化陰謀論」にはまって、池田信夫(ノビー)と共闘する始末であり、その「反知性」ぶりには、空いた口が塞がらない。そんなことだから、今年もまたCOP16で「化石賞」を受賞したのである。おかげで、当ブログの昨年6月12日付の記事「不名誉な『化石賞』を受賞した日本と、それを報じない読売・産経両紙」へのアクセスが増えた(笑)。今回は、上にリンクを張った通り、読売新聞もきっちり報道している。
飯田氏の記事について少しだけ書くと、民主党政権の環境エネルギー政策のつまずきは、鳩山政権の発足直後の無策が最大の原因だった。さらに注目したのは、民主党の政策に見られる極端な原子力への傾斜について、自民党では経団連の影響を受けた同党の政治家の主張のを官僚が抑えて、原子力を突出させないようにしていたのが、政権交代前の民主党の政策においては、官僚の干渉を受けない分だけ、電力会社や電機会社の御用労組の影響を受けた民主党の政策に原子力突出が目立ったという飯田氏の指摘である。昨年の総選挙に向けてのマニフェストで、その原子力の突出を抑えた民主党議員は、岡田克也や福山哲郎だったとのことだが、彼らは鳩山政権で外務大臣と同副大臣に転出してしまった。これらの指摘を読むと、「政治主導=善、官僚主導=悪」、「親小沢=善、反小沢=悪」という、小沢信者の単純な「善悪二元論」のバカバカしさを改めて感じる。官僚は、政治家や財界(御用労組を含む)に歯止めをかける必要がない、と思えば、簡単に暴走を容認するだけのことだ。
環境エネルギー政策でも、目立つのは、電力会社や電機会社の御用労組とつながりの深い「旧民社の害毒」であることはいうまでもない。「広島瀬戸内新聞ニュース」が、「民主党の『民社化』進みて、ネオリベ巻き返す」と題した記事で、「菅首相の支持基盤である大都市リベラルは『一周遅れ』、旧民社は『二周遅れ』、自民党は『三周遅れ』」と書いているが、納得できる喩えだ。一方、「親小沢か反小沢か」で敵味方を区別する小沢信者は、「ハーメルンの笛吹き」に導かれて、あさっての方向に歩き出している人たちであるといえる。彼らの言うことを真に受けることは、百害あって一利なしである。現に彼らの多くは副島隆彦に導かれて河村たかしを支持している。今朝の朝日新聞3面には、「橋下・河村連合が始動」という見出しが踊っている。いまや、小沢信者の多くは新自由主義の先兵と化している。
最近、新自由主義の主張が再び強まってきたことを感じさせられたことを一つあげておく。7日のNHK「日曜討論」に、土居丈朗なる「経済学者」が出演して、新自由主義むき出しの主張をしていたのだが、その土居が4年前に書いた文章をその当時に批判した「うさたろう」さんのブログ記事「『貧乏人は故郷を捨てろ』か。」が、今になって注目されて、多数の「はてなブックマーク」がついたものの、土居を支持してブログ主を批判するコメントをつけた人が非常に多かったことだ。明らかに、2年前や3年前とは空気が違う。小泉政権から安倍政権初期の頃に、空気が戻ってしまっている。いや、当時以上に、政治思想では右翼国家主義、経済思想では新自由主義の力が増している。気が滅入る一方の年の瀬である。
これを、手放しで賛美する人たちもいる。参院選で「みんなの党」に投票し、臨時国会冒頭では稲田朋美を絶賛した天木直人もその一人である。
http://www.amakiblog.com/archives/2010/12/05/#001762
上記リンク先で天木直人自身が書いているように、天木はテレビ朝日のサンデーなんとかに出演し、ウィキリークスを絶賛した。
天木は、「ウィキリークスの判断基準は、『お前は権力側に立つのか、弱者の側に立つのか』だ」とか、「アサンジ氏を『弱者に代わって不義を討つ』英雄だと思っている」などと、例によって熱を込めてウィキリークスを絶賛しているが、これでよく外交官が務まったものだと呆れる。
というのは、どんな情報にも、情報を流す側によってバイアスがかかっており、情報を評価するものは冷静でなければならないからだ。初めからウィキリークスを熱狂的に賛美する天木直人のような人間は、外交官の適性を欠く。こんな人間を雇っていたから、日本の外交はダメだったのだと言いたいくらいだ。
掲示板を見ていても、「目覚めた民」を名乗る投稿者が、「マスコミ(=マスゴミ)は洗脳機関である」、「ウィクリークスこそ真の情報媒体である」などと高揚感に浸っているが、かつて日本政府の中枢にいた小沢一郎に都合の悪い情報がリークされた場合、目覚めた方々はどう反応されるのだろうかと、他人事ながら心配になる(笑)。
昨日は、TBSの「サンデーモーニング」でも、冒頭でウィキリークスの話題が出て、毎日新聞の主筆様を務める岸井成格は、ウィキリークスから得た情報でも、「裏がとれれば毎日新聞も記事にするだろう」と語った。岸井の言う「裏取り」には疑念もあるが、言っていることは間違っていない。
そして、その岸井が引き合いに出したのが、武器輸出三原則緩和をめぐるウィキリークスの暴露だった。ウィキリークスへの対応は、朝日新聞主筆様の船橋洋一も同じらしく、1日付のasahi.netで参照することができる(下記URL)。
http://www.asahi.com/international/update/1201/TKY201012010342.html
以下引用する。
武器輸出三原則見直し求める米公電暴露 ウィキリークス
【ワシントン=伊藤宏】日米両国が2014年をめどに共同開発を進める海上配備型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」について、米政府が欧州への輸出を可能とするために、日本政府に武器輸出三原則の見直しを求めた内容の外交公電が明らかになった。民間告発サイト「ウィキリークス」が公表した。
この外交公電は昨年9月17日付で、米国務省からミサイル防衛関係各国の米大使館にあてられている。
それによると、米国のミサイル防衛戦略として、SM3ブロック2Aを「将来的には北大西洋条約機構(NATO)や欧州の同盟国に売却する可能性を探りたい」と指摘。将来的にミサイル防衛の地球規模のネットワークを構築するために「日本政府が戦略的な決断ができるよう協力していきたい」としている。
ゲーツ米国防長官が昨年10月、北沢俊美防衛相と会談した際、「SM3ブロック2A」の第三国供与に言及。三原則を見直し、新型ミサイルを欧州などに輸出できるようにするよう非公式に求めたとされる。公電の日付は、こうした時期とも符合しており、菅政権が進める三原則の見直し議論にもつながっている可能性がある。
(asahi.com 2010年12月1日19時19分)
北澤俊美は、鳩山内閣からずっと防衛大臣を務めている。先般政界を引退した羽田孜の系列の保守政治家で、自民党を出発点として、新生党、新進党、太陽党、民政党を経て民主党入りした。
岸井成格は、民主党政権になって急に武器輸出三原則の緩和を言い出したのはなぜなのかなあ、と思っていたら、こんないきさつがあったことがわかった、などと言っていたが、なるほど、これでは「対米従属」の政権と言われても仕方ないだろう。
この件は別として、ウィキリークスに流れた日本関係の情報はごく少なかったという。それだけ日本の地盤低下が深刻だということなのだろうが、先の国会の醜態を見ていれば止むを得ないかとも思う。
もっとも、ウィキリークス自体に対して手放しで賛美するような態度は、当ブログはとらない。先の「尖閣ビデオ」の流出事件もそうだったが、これらは権力側からの情報流出であって、「尖閣ビデオ」の流出が日本において右翼的言説が力を増したことと同様、クーデター的な動きにつながる恐れもある。日本の民主党政権同様、アメリカのオバマ政権も深刻な支持率低下に悩まされており、「ティーパーティー」の台頭に見られるように、右翼的・新自由主義的な動きが強まっている。
そういえば、天木直人らと親和性が高いのではないかと思われる副島隆彦一派も、「ティーパーティー」に入れ込んでいる。そして、副島は小沢信者の間で神格化されている植草一秀とつるんでいるので、小沢信者は誰も副島を批判できない。こうして彼らは右翼的・新自由主義的な方向へとどんどん引っ張られる。少し前までは植草一秀が果たしていた「ハーメルンの笛吹き」の役割を、今では副島隆彦が担っている。そんな彼らの「ネットde真実」とはいったい何なのか。
世の中には、色のついていない情報などあり得ない。「知られざる真実」や「ネットde真実」など、幻想に過ぎない。
この国会期間中に、菅政権の支持率が大きく低下し、発足後半年も経たないのに早くも「末期的」と評されている。一昨年の麻生内閣は発足後わずか5か月の昨年2月に支持率が一桁に落ち込んだ。菅政権はそこまでひどくはないが、支持率の落ち方は安倍内閣や福田内閣よりひどい。
前の鳩山政権もそうだったが、菅政権も何もしない、というより何もできない政権のように思われる。私は、政権が目指す国家像を明確に示さず、菅直人にしても前首相の鳩山由紀夫にせよ、八方美人で誰にも良い顔をしようとするから何もできないのだと思う。
民主党が政権交代を実現したのは、小沢一郎が掲げたスローガン「国民の生活が第一」が国民に受けたからだろう。子ども手当や、朝鮮学校除外という大問題はあるものの高校無償化、農業者戸別所得補償制度などは、「国民の生活が第一」のスローガンに沿ったものであるとともに、「(サービスの)大きな政府」を目指す政策だ。
ところが、党内に松下政経塾出身議員や、御用労組を通じて実質的に経団連と同様の主張をする旧民社党系議員を抱える民主党は、「大きな政府」の国家像を打ち出すことができない。それどころか、「国民の生活が第一」を掲げた小沢一郎自身が、地域政党「減税日本」を立ち上げた新自由主義者・河村たかしを支援するという支離滅裂ぶりであり、新自由主義に反対しているはずの小沢信者が、リバタリアンを自称する副島隆彦の主張に付き従うという漫画のような光景が現出している。これではどうしようもない。
では自民党はどうかというと、かつて加藤紘一邸への放火を笑いものにしたり、映画『靖国 YASUKUNI』を検閲しようとした稲田朋美を代表質問に立てたり、仙谷由人が自衛隊を「暴力装置」と表現したことに噛みついて、社会学や政治学では普通の用語を「言葉狩り」しようとしたりと、従来から持っていた極右色をさらに強めた。
経済問題でも、自民党の税制調査会は法人減税について、政府税調が法人税減税と引き替えに企業向けの優遇税制見直しを検討しているのに反対して、無駄の削減による財源確保を主張し、環境税にも慎重な対応を求めた。つまり、自民党は民主党よりさらに過激な新自由主義をとる。政治思想、経済政策の両方で、自民党は極右政党となり果てた。
野党第一党がこのざまだから、民主党から武器輸出三原則を見直そうなどという妄動が出てくる。社民党や共産党は零細政党になってしまっている。逆に、自民党よりさらにひどい政党が続々と現れている。
その一つが平沼赳夫と与謝野馨の「たちあがれ日本」であることはいうまでもないが、その「たちあがれ日本」や自民党を含む、大多数の政党が司法修習生の給費制復活法に賛成する中、唯一反対したのが「みんなの党」だった。この政党が民主党よりも自民党よりも「たちあがれ日本」よりも過激な新自由主義政党であることをよく示しているといえるだろう。
だが、今後の政局で、この「みんなの党」は、地域政党というより橋下徹の私党である「大阪維新の会」や河村たかしの私党である「減税日本」とともにますます台頭していく可能性が高い。小沢信者もこれに呼応する。ある掲示板では、小沢信者が「みんなの党と小沢派で河村市長を盛り立てていこう」などと気勢を上げていた。彼らがかつて口にしていたコイズミ・竹中の構造改革ハンタイとはいったい何だったのかと思わざるを得ないが、単に流行に乗って、つるんで騒ぎたいだけの人たちなのだろう。だが、彼らが河村たかし、橋下徹、渡辺喜美らに惹かれるのは、それがトレンドになっているからであり、これは由々しき問題だ。
橋下徹の最近の話題では、沖縄県知事選で再選された仲井真弘多知事が、関西空港への米軍基地受け入れの可能性を示唆した橋下の呼び掛けに応じたいとして、関空を視察する意向を示したところ、橋下が前言をあっさり撤回し、受け入れ先候補として神戸空港を勝手に名指した件が挙げられる。大阪の地元放送局が、この橋下発言に対する沖縄出身大阪府民や神戸市民の怒りの声を報じていたが、それでも大阪の報道の多くは橋下をマンセーし続け、大阪府民の多数は橋下を支持し続けるのだろう。
名古屋・愛知では、前回のエントリでも取り上げたが、愛知県知事選で立候補を予定している大村秀章の選挙戦を有利にするためだけに、名古屋市長の河村たかしが辞意を表明し、県知事選と市長選のダブル選挙を行おうとしている件が挙げられる。これを「究極の税金の無駄遣い」と批判した岡田克也は正しい。日頃、岡田克也の政策には賛成できないものが多いが、これは文句なしの正論だ。「減税」をスローガンにする人間が、名古屋市政を私物化し、税金を無駄遣いする矛盾。だが、それでも名古屋市民の多数は河村たかしを支持し続けるのだろう。
そして、国政では、自民党や「たちあがれ日本」までもが賛成した司法修習生の給費制復活法に唯一反対したみんなの党。以前から渡辺喜美は、自民党は「大きな政府」だ、本当に「小さな政府」を目指すのが「みんなの党」だ、と主張している。同党は、日本でもっとも過激な新自由主義政党だといえるだろう。
そこで、今回のエントリのタイトルを、「橋下は大阪の恥、河村は名古屋の恥、渡辺喜美は日本の恥」とした次第だ。
石原慎太郎はって? あんなのは過去の人間ですよ、現在でも強烈な害毒を撒き散らしてはいるけど。石原が名付け親になって力を入れた「たちあがれ日本」が参院選で1議席しか獲得できなかった時点で、石原は終わってます。