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きまぐれな日々

高き屋に

 のぼりて見れば

        煙り立つ

 民のかまども

  にぎはひにけり


天皇が民を貧困から救い、高台から見渡すとどの家のかまどからも立ち昇る煙が見えた、というこの和歌を詠んだことで知られる仁徳天皇が、ずっとのちの未来に、やはり天皇として転生されました。

その国では、かつてと同じように、多くの家ではその日に食べる食料すらなくなり、人々は飢えに苦しんでいました。天皇は「民のかまどより煙が立ち昇らないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられました。

しかし天皇が発せられた詔(みことのり)は、かつてとは違って、「向こう3年、税を免ず」ではありませんでした。

天皇は、古代と今では社会の構造が全く異なっていることにお気づきだったのです。その国では、普通の民家からは全然煙が立ち上らないのに、土豪が住む大きな家のかまどから立ち上る煙の勢いだけは強かったのでした。

その国では、少し前の時期まで、税はお金や土地などをたくさん持っている土豪たちからはより多く、貧しい人々からはより少なく集められたうえ、一部は民に平等に分け与えられ、他には民が病を得た時のための病院や、子供たちの通う学校の建設や、都から遠い僻地までの道路の整備などのために使われていました。もちろん病気の治療費や子供たちの学費も免除されました。天皇家の軍隊を大きくするためなどに勝手に使われていた古(いにしえ)とは全然違っていたのです。

ところが、どういうわけかその国の税は、ある時期から土豪が払う分が減って、貧しい人々が払う分が増えていました。土豪たちが国の長(おさ)とつるんで、自分たちの都合の良いように勝手に制度を変えさせていたのです。天皇は、これこそが民のかまどから煙が立ち上らなくなった原因だと見抜かれました。

もちろん、民から集めた金をねこばばしたり、道路を整備するためと称して必要のない工事を行い、そのためのお金を一部かすめ取る不届き者もいました。国の評議員の中にも感心しない人たちはずいぶんたくさんいたことも確かです。

勢いよくかまどから煙をたちのぼらせている大きな家に住む土豪は、それに乗じて一計を案じました。国の長と謀をめぐらせて、そんなことなら税を免じて、評議員も半分にしてしまえ、評議員の給料も半分にしてしまえ、あいつらがぜいたくをしているから民のかまどから煙が立ち上らないのだと長に大声で叫ばせ、各地を説いて回らせたのでした。長は弁の立つ人気者でしたから、だまされる貧しい人たちも次々と出てきました。

しかし、そんな嘘の宣伝にだまされる天皇ではありませんでした。天皇は、昔のように土豪からはより多くの税を、貧しい人たちからはより少ない税をいただく、という詔を発せられました。

その後3年たって、天皇が同じ高台から見渡すと、どの家々からもかまどの煙が立ち昇っていたそうです。

もちろんその間天皇は、民のために使うべき税をねこばばするような不心得者を追放しました。でも、評議員の数を減らしたり、報酬の総額を減らすことはしませんでした。不心得者に横取りされていた分を取り戻した天皇は、これを民のために使いました。土豪の屋敷で奴隷としてこき使われていた人たちを解き放してやり、天皇家で直接雇ったりもしました。そのせいで、皇居の大殿はぼろぼろになり、あちこちから雨漏りがするほどになりましたが、どの家々からもかまどの煙が立ち上るようになった頃には、天皇家で直接雇わなくとも人々の仕事が見つかるようになり、集まる税も増えました。

でも、その国では周りの国々との関係もあって、仕事を変えなければならない人たちが出てきました。そうした人々を援助するために税を使うことにしたために、皇居の大殿を修理するのはもう少し先になりそうです。

それでも天皇は、「私は豊かになった。もう心配ないよ」と仰いました。

それを聞いた皇后が、「皇居がこのように朽ち果てているというのに、何故豊かとおっしゃるのでしょうか。今お聞きしたら、あと三年、さらに民のためにだけ税を使うという話ではないですか」と聞き返すと、「天皇の位は、そもそも人々のために作られたもの。だから、人々が貧しいということはしなわち私が貧しいということであり、人々が豊かであるということはすなわち私が豊かになったということなのだ」と天皇はお答えになりました。

「天皇とは、そもそも人々のために立てられたもの」、そう天皇は仰いました。

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サッカーJリーグでもプロ野球セントラルリーグでも、名古屋のチームが首位に立っているが、最近私が名古屋というと気になるのは、名古屋市長・河村たかしが呼びかけている市議会リコール運動の件だ。

これまでにも何度か書いたかもしれないが、毎日新聞が8月29日に、小沢一郎に近い国会議員数人の秘書が手伝っていることを伝えた。以下に引用する。

名古屋市議会:リコール署名活動、小沢系議員秘書が支援

 名古屋市の河村たかし市長が主導する市議会の解散請求(リコール)の署名活動を、民主党の小沢一郎前幹事長に近い国会議員数人の秘書が手伝っていることが、28日わかった。市長の支援団体幹部らは同党代表選での「小沢氏勝利」を待望。河村市長は小沢氏に近いとされ、「小沢代表が誕生すれば署名活動などへの追い風になる」と期待する。一方、河村市長への推薦取り消しを党本部に求めている党愛知県連は「市長はすでに民主党とは関係ない」と冷ややかだ。【高橋恵子、丸山進、加藤潔】


これは民主党代表選告示直前の記事だが、民主党代表選では、小沢一郎が大規模な減税政策を打ち出してくるのではないかという観測が流れたこともあり、私は注目していた。実際、小沢一郎は記者クラブ主催の討論会(9月2日)で、大幅な減税案も考えていると口にしたのだが、これを主要な争点にすることは避け、その代わりに打ち出したのが、論議を呼んだ「ひも付き補助金の一括交付金化」だった。これで財源を捻出するのだと当初言っていたから批判を浴び、小沢一郎はこれを修正したのだが、所得税・住民税の減税を撤回したわけではない。減税するなら、なぜ消費税ではなくて所得税・住民税なのか私にはどうしても理解できず、小沢支持者や小沢信者に質問しているが、まともな答えが返ってきたことは一度もない。

毎日新聞が伝える、「複数の国会議員」の中には、かつて河村たかしの秘書を務めた田中美絵子が含まれるのではないかと推測される。「森を伐採する」というスローガンを掲げて、一時は森喜朗に落選の不安を抱かせた議員だ。もちろん「小沢チルドレン」の一員だが、本人は「小沢チルドレンというより河村チルドレン」だと言っている。

今日のエントリは小沢一郎や小沢チルドレンに対する批判を目的としたものではない。河村たかし批判が主要な目的である。しかし、河村たかしを批判するに際して、小沢一郎や小沢系国会議員はともかく、小沢信者への批判は欠かすことができない。

河村たかしの主張については、当ブログにいただいた「飛び入りの凡人」さんによる河村市長批判のコメントを再掲しておく。

その河村たかしが市長をしている名古屋市民のひとりです。
私は名古屋市議会とも市職員ともなんの関係もありませんが、彼らがリコールを批判する理由の方がまったく正しく思えてしまいます。

ひとつ
河村たかしは税金の意味を180度間違えて解釈しているということです。
河村氏は「税金は安ければ安いほどいい」と主張しています。これは大衆的な人気を得るためには手っ取り早い主張です。しかし市議会側の計算でも、10%恒久減税による恩恵は年収1000万を境にして損得が分かれるというものでした。
河村氏の支持率は今も50%ほどはあります。年収1000万を超える人がそんなにいるとは思えないので、市民の多くも「税金は個人負担を軽減するためにある」ことを完全に誤解していることになります。

ひとつ
議会の存在意義を勘違いしている。
確かに地方議会にはオール与党化が進んで、チェック機能に不全の見られるところもあります。そういう面は正していかなければならないでしょう。
しかし河村氏の理想とする議会は「自分と同じ思想の者ばかりを集める」ことであり、これでは市長の暴走という、阿久根市で見られる呆れるばかりの混乱を防ぐ能力を削ぎ取ってしまいます。地方官僚イエスマンが市長イエスマンばかりになって改革と言えるでしょうか?

ひとつ
本来リコールは市民が自発的に行うものです。
ところが今回のリコールは市長が音頭を取っています。テレビへの露出度を武器に、リコールがいかに正当であるかを耳に聞こえの良い言葉を並べ立てて扇動します。さすがに阿久根市でも議会はリコールに対して前面には出てきてはおらず、その意味でルールは守られているようです。

「人気者」の河村氏による議会リコールは、理屈抜きで成立する可能性も高いと思います。
しかしそれは「プレビシット」。すなわち??不要なリコールや投票で人気者が事実上の独裁者になる??そんな愚かしい現実が生まれる悪しき地方自治の前例になるだけのように思えます。

2010.08.30 23:43 飛び入りの凡人


ところでこの市議会リコールだが、わざわざリコールなどせずとも、来年(2011年)4月の統一地方選で名古屋市議会は改選を迎える。それを2か月早めるだけのリコールで、4億5千万円もの費用がかかる。これを、たの使い道に使えば何ができるかを示したのが、9月18日付の中日新聞である。リンク先をご覧いただきたい、と書いて済ませたいが、リンク先を参照して下さる読者は、10人に1人くらいしかおられないことを私は知っているから、長くなるけれども以下にこの新聞記事を引用する。

リコール費用4億5千万円 ほかに使えば何ができる?

2010年9月18日 09時16分

 4億5千万円?。名古屋市の河村たかし市長が先導する市議会解散請求(リコール)運動で必要な署名数が集まった場合、住民投票までにかかる費用だ。実は、リコール不成立でも市議会は来年4月に任期満了を迎える。選挙を2カ月、早めるためだけの税金の無駄遣いか、民主主義のコストなのか。そもそも、このお金があれば何ができるか。市の予算を基に試算した。

■待機児童

 定員超過の状態が続く市内の保育所。入園を希望しながらかなわない待機児童は4月現在で約600人、潜在的な需要も加えると2400人に上る。

 民間の保育所を整備すると、国の補助制度があるため、市の負担は1園あたり1300万円で済む。4億5千万円なら34園を整備できる計算だ。90人定員で3060人が入所でき、問題を一気に解消できる。

■給食費

 小学生の給食費は各家庭が毎月、児童1人につき3800円を負担している。4億5千万円を充てると、1年間は月額3470円と、300円程度の値下げになる。

 中学生の半数が利用するスクールランチ。1食280円で、ほぼ全員がスクールランチを食べた場合の30日分に相当する。「スクールランチ月間」と銘打ち1カ月間、生徒に無料で食べてもらう試みも可能だ。

■敬老パスなど

 市の公共交通機関が乗り放題となる敬老パス。65歳以上なら、収入に応じて年1000?5千円で入手できる。45%の「値下げ」ができ、550?2750円まで引き下げられる。

 名古屋港水族館の人気者の雌シャチ「ナミ」を和歌山県太地町から譲渡してもらった際には5億円を支払った。5千万円を上積みして雄シャチを購入し、繁殖に期待するアイデアも夢ではない。

 ちなみに、河村市長と市議会の間で激しい応酬が続く議員報酬(制度上は年1600万円)と、第2報酬とも指摘される政務調査費(同600万円を会派に支給)に置き換えると、市議20人分に当たる。一方、市長が引き下げた自身の給与(800万円)だと任期14期分(56年)となる。

 <リコールの費用> 名古屋市選管の試算によると、提出されたリコール署名が有効かどうかを審査する人件費などに5000万円が必要。その後、住民投票を行うことになれば、職員の超過勤務手当やはがきの作成などで4億円がかかる。リコール成立なら市議選は来年2月ごろに実施される見込みで、任期満了の場合の2カ月前倒しとなる。

(中日新聞)


これだけの無駄遣いをしたあげく、自らに忠誠を尽くす市議を集めて独裁へと突き進む。しかもその結果、年収1000万以上の高所得者でもない限り市民の得にはならない減税を行うという。

これでは名古屋市民は踏んだり蹴ったりだろうと思うのだが、なぜか名古屋市における河村市長への支持率は高い。

名古屋市民の皆様には、河村市長の人気取りに騙されず、市議会リコールの署名など絶対に行わないよう、強く訴えたい。市長の呼びかけに乗ってしまうと、名古屋市民の暮らしは破壊されてしまうだろう。

ところで、この河村たかしを応援しているのは、名古屋市の支援者たちだけではない。ネットで、小沢一郎を熱烈に応援している人たちのうち、かなりの数の人間が河村を支持し、応援している。

エントリ後半は彼ら小沢・河村信者に対する批判なので、これに興味のない方も多くおられるだろうから、興味のおありの方のみ、下記の "More" をクリックしていただきたい。
「日本共産党を日本共生党に!」と叫ぶ異端の共産党支持ブログ、『BLOG BLUES』が「菅首相だろうが小沢首相だろうがどっちだっていい、問題は自分が首相ならどうゆう政治を行うかだ」と書いている。同ブログは「高福祉高負担の政治を望む」と主張している。

私も、繰り返し当ブログで書いているように、「高福祉高負担」の政治を望んでいる。2007年に安倍晋三率いる自民党が参議院選挙で惨敗した時、ようやく「小さな政府」を目指す、小泉・竹中・安倍の時代が終わり、社民主義が復権へと踏み出すかと思われた。しかし、昨年の衆院選前、鳩山由紀夫も菅直人も橋下徹に秋波を送り、橋下は橋下で小沢一郎にすり寄った光景などを見た時、民主党に「高福祉高負担」の政治は無理だと思うようになった。だから、民主党が圧勝する選挙を目前に控えた昨年8月には、既に心が重くなっていた。一方その頃、「小沢信者」たちは大勝利に狂喜乱舞していた。

今でもよく覚えているのは、民主党、国民新党、社民党の連立協議の時、「小政党はつべこべ言わず民主党を圧勝させた民意を重視せよ」、要するに「国民新党と社民党は民主党の言いなりになれ」と、かつて「野党共闘」を声高に叫んでいた人たちが言っていたことだ。要するに、彼らのいう「野党共闘」とは、民主党独裁、小沢一郎独裁と同義だったのである。

財務相に菅直人が就任したのは1月で、菅氏は直ちに神野直彦・東京大学名誉教授を税制専門家委員会の委員長に招聘した。当ブログでも繰り返し紹介したように、神野氏はまず所得税・法人税の課税範囲拡大や所得税の累進性強化などで直接税による税収を増やし、「小さな政府」を目指すのであれば税収はそのまま直接税を中心とするが、「大きな政府」を目指す場合は税収が不足するので、環境税の創設や消費税の増税によって不足分を補うという道筋を示した。神野氏自身は「大きな政府」志向と見られ(ご自身ではほどよい規模の政府がよいと書かれていたと記憶するが、現在の日本政府よりははるかに「大きな政府」になる)、将来的な消費税増税を視野に入れていると見られる。

ところが菅直人は、上記のような道筋をねじ曲げて、消費税増税を先行させるために専門家委の議論を利用しようとした。今となってみては、そうした結論にしかならない。その過程では、松下政経塾出身者や旧民社、経団連や大企業の御用労組などの圧力に菅直人が屈したのだろうが、政治は結果がすべてであり、菅直人は弁護できない。財務相就任当時には法人税率引き下げに難色を示していたという菅直人は、今では代表選に向けた街頭演説で「企業を出て行かせないための法人税減税」を大声で叫ぶまでにもなった。

これが菅直人の限界である。東京都武蔵野市という、首都圏でも屈指の金持ちの街を選挙区(東京18区)とする菅直人では、東京に本社を置く大企業の男性正社員のニーズに応えるくらいがせいぜいで、この枠組の外にいる人たちのための政治はできない。

では小沢一郎はどうか。「国民の生活が第一」というスローガンを掲げれば選挙に圧勝できることを2007年の参院選と2009年の衆院選で示したのが小沢一郎の功績だった。私は、こんなスローガンを掲げたからには「サービスの大きな政府」への道を民主党は進むほかはないと思うのだが、現実には菅直人も小沢一郎も「ムダの削減」を叫ぶばかりで、将来のビジョンを示さなかった。

菅直人の場合、新自由主義と福祉国家の中間をとる「第三の道」(のちに、土建国家でも新自由主義でもない「第三の道」に軌道修正した)をスローガンとしては掲げたが、小沢一郎の場合はそれさえもなく、「大きな政府」を目指すか「小さな政府」を目指すかさえ明確にしてこなかった。

こう書くと、小沢信者は「小沢一郎は大きな政府、小さな政府などというつまらないことではなく、国民主権の政治を目指しているのだ」と言うが、反論になっていない。国民主権の政治を実現するためには、高福祉高負担の「大きな政府」路線をとるのか、低福祉低負担の「小さな政府」路線、すなわち小泉・竹中路線をとるのか、はたまた低福祉高負担の「たちあがれ日本」路線(与謝野馨は消費税増税と「小さな政府」を同時に主張している)をとるのか。小沢一郎はそれさえ示してこなかった。

ビジョンを示さないのは小沢信者も同様であり、「小沢先生が日本を正しく導いてくださいます」という、どこぞの民主党若手議員と同じようなことを日々唱和している。彼らの司令塔的存在である植草一秀が「良い小さな政府」を理想としていることは、当ブログで何度も紹介した。要するに小泉・竹中路線であり、それにもかかわらず植草一秀が小泉純一郎を支持しなかったのは、天下り全廃などの政策を小泉純一郎がとらなかったからだという。植草は、それらの条件が満たされれば「小泉構造改革」を支持すると明言していた。

2000年代初頭において、植草一秀が安倍晋三と結構親密だったことは、植草の著書『知られざる真実』を読めば知ることができる。安倍晋三は、小泉の人気取りに利用されたために小泉路線を踏襲させられたが、本来経済政策はどうでも良くて、狂ったような改憲志向しか頭にない。安倍は、古き良き家族制度などを理想としているだけの人間であり、2006年末の朝日新聞で星浩が喝破した通り、安倍晋三の本音は「反小泉」なのである。そんな安倍晋三とウマが合う植草一秀が、小沢信者たちの旗を振り続けた。

4年前、安倍晋三が統一協会系の大会に祝電を送った件を暴いて、私が「政治ブログ」の世界に足を突っ込むきっかけを作ってくれたカマヤンさんが、

かつて「安倍END」でリンクしていた政治系ブログの多くが今回小沢一郎支持だったようで、「え?」と私は思った。

と書いているが、「AbEnd」には、かつて小沢一郎の掲示板に書き込んだら返事をもらえたというブロガーや、昔、『日本改造計画』を読んで感銘を受けたという保守的なブロガーや、大の共産党嫌いで植草一秀の大ファンだというブロガーなどがいた。特に、「AbEnd」ブロガーで最初に植草一秀を持ち上げたのは、論敵を「日共」呼ばわりすることが大好きな、病的なまでの反共ブロガーだったことを想起したい。彼のロジックは、おそらく「安倍は許せても日共は許せない」というものだったに違いない。だから、安倍晋三と親和性の高い植草一秀に対して何の違和感も持たない。そういう人たちが持ち上げた植草一秀への信奉を、「自End」中枢のブロガーに吹き込んだ何者かがいて、これがきっかけになって彼らの「植草信者化」が進行したと私は見ている。「小沢信者化」はそれよりかなり古く、2007年の参院選で民主党が大勝した前後からだろう。その直後に起きた「大連立騒動」でも彼らの大部分は小沢一郎を弁護し、小沢一郎は民主党代表を辞任せよと主張した私は少数派となった。

話を小沢一郎に戻すと、代表選の論戦が始まり、ようやく小沢一郎は北欧モデルは無理だろうと語った。つまり、高福祉高負担の政策はとらないことを示したが、これは容易に予想されたところだ。菅直人だって、かつて念頭に置いていたという北欧モデルはもはや目指さない。

かえすがえすも残念だったのは、「北欧モデルは日本には合わないが、フランス、ドイツ、イギリスにならって『大きな政府』の政策をとれ」と日頃から主張している榊原英資氏が、フジテレビの小沢・菅両候補の討論会に同席したのに、両候補にどういう政府をとるのか質問する機会がなかったことだ。司会者がその機会を与えなかった。司会者は、「小沢さんにはしばらくおとなしくしてもらった方が良い」と言った菅直人が小沢一郎に対して謝意を表明するかどうか、などというどうでも良いことではなく、両候補のビジョンを聞いてほしかった。

政策論で小沢一郎が当初打ち出した「一括交付金による財源捻出」は、すぐに「小泉・竹中の『三位一体改革』の再現で、社会保障切り捨てだ」という批判を招いて、小沢一郎は社会保障費は削減しないと軌道修正したが、一番選挙への影響が大きい日曜日に、フジテレビでもNHKでも「一括交付金化によって3割4割の削減が可能だ」と力説したことは、地方の票を逃す原因となった。

さらに、選挙戦の序盤で「所得税・住民税の大幅減税」を打ち出そうとしたことも、小沢一郎が本音では今でも「小さな政府」志向ではないかという疑念を招いた。一部の小沢信者は、苦し紛れにこれを「景気対策の一環ではないか」と言っていたが、『日本改造計画』に書かれ、2006年の代表就任時や、2007年の参院選前の公約に盛り込もうとした(結局いずれも引っ込めた)小沢一郎が、そんな短期の政策として住民税・所得税の減税を掲げるはずがない。これは恒久減税であり、その後には必ず消費税の大増税がやってくる。事実、小沢一郎は消費税増税を何度も主張してきた政治家であり、2007年の参院選前にも消費税増税を口にしている。

つまり、小沢一郎のもともとのビジョンは、「小さな政府」でありながら直接税の税率を抑え、税収は消費税など間接税で賄うというものである。かねてから金持ち減税を声高に唱えてきたナベツネが「大連立」における自民党のパートナーとして見込んだだけのことはある。

今回の民主党代表選は、そんな小沢一郎の矛盾が噴出した選挙だった。だから小沢一郎に勢いが得られず、「弱い現職」である菅直人を崩すことができなかったのである。参院選で菅直人に「ノー」を突きつけた地方が、代表選ではその菅直人と比較してさえ小沢一郎に「ノー」を突きつけた意味は、あまりにも重い。論理的に言えば、「地方は菅直人を否定した」というロジックを、もはや小沢信者は使えないはずだ。もっとも論理を突き抜けているからこその「信者」であり、彼らが何を言い出すかわからないのだが。

現在深刻なのは、格差や貧困の問題である。松下政経塾、旧民社、経団連、大企業御用労組にがんじがらめにされた菅直人政権にはほとんど何も期待できないが、格差や貧困の解消を目指す者たちが、いつまでも小沢一郎ごときに頼っていてどうする。今求められるのは、「第一の道」(旧来自民党)である小沢一郎でも、「第二の道」(新自由主義)である菅直人でもない、社会民主主義的な「第三の道」である。そう私は言いたい。


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民主党代表選で小沢一郎が惨敗した。

参院選で民主党代表として戦って惨敗した菅直人に、小沢一郎が惨敗したのである。

国会議員票で200人対206人。ポイントで400対412。しかし、ほぼ議員数に比例する地方議員票では40対60、さらに小選挙区制をとる党員・サポーター票では、得票率は40対60ながらポイントでは51対249。まさに小沢一郎の惨敗だった。

私は、「菅直人が勝った」とは言わない。菅直人は、選挙戦の最初から最後まで、「消極的な支持」しか得ることができなかった。要は、さほど強くない現職。しかも、参院選では惨敗している。

しかし、そんな菅直人に小沢一郎は勝てなかった。

これは、「マスゴミ」のせいなどではない。小沢一郎自身が、現職の菅直人に取って代われるだけの魅力を、国会議員、地方議員、一般の党員・サポーターに示すことができなかった。これがすべてである。

よく論評されるように、左派・リベラルのネットワーカーの小沢一郎支持が目立った。そればかりではなく、岡留安則、佐高信、魚住昭、江川紹子、池田香代子ら、リアルの「リベラル・左派」文化人たちの間にも小沢一郎への信仰は深く浸透してきた。

中でも、「小沢信者」の弱点をよく示しているのが池田香代子氏の文章である。比較的最近になって政治に関心を持つようになったという池田氏をあげつらうことには気が引けるところもあるが、政治に関する彼女の文章はあまりにひどいので、これを批判した私の裏ブログ『kojitakenの日記』の記事へのリンクを張っておく(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100912/1284275386

なんといっても気になるのは、「反英米」の小沢一郎なら「敵の敵は味方だ」という論法に従って小沢一郎を応援するかも、という池田香代子氏のメンタリティだ。池田氏が翻訳したヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』のどこをどう読めば、こんなに陳腐にして危険な発想が出てくるのだろうか。10年前、『ソフィーの世界』を読んで、とても楽しい時間を過ごさせてもらった私の思い出を完膚無きまでにぶち壊すひどい文章だ。

最近とみに感じることだが、小沢信者にとっての「アメリカ」とは、ネット右翼にとっての「特亜三国」と同じではないのか。「特亜三国」に対して挑発的な言葉を繰り返し発する安倍晋三、平沼赳夫、城内実らに肩入れするネット右翼と、「小沢さんでなきゃアメリカに対抗できない」などという幻想を持つ小沢信者はどこが違うのか。よりにもよって、ヴィクトール・E・フランクルの名著『夜と霧』を翻訳した池田香代子氏がこんな落とし穴にはまってしまうとはと、私は大きなショックを受けた。小沢信者にとっての「アメリカ」は、ナチスドイツ信奉者にとっての「ユダヤ人」でもあることに気づくべきだ。現に、ネットにおける「小沢信者」と「ユダヤ陰謀論者」はかなりの重なりを見せる。アメリカに対する正当な批判は必要だが、無力感をすべてアメリカ金融資本のせいにする陰謀論は有害であり、1997年に亡くなったフランクルは、草葉の陰で「こんな人に私の著書を翻訳してほしくなかった」と思っているのではないか。

植草一秀の文章にいたっては、全くの論外であり、今さら何も書きたくはない。しかし、民主党代表選で小沢一郎が惨敗した翌日の記事だから、植草の駄文(下記URL)も少し紹介しておく。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-9b62.html

 党員・サポーター票は、小選挙区ごとに、49対51の得票率でも0対1ポイントで計算される。僅差で菅直人氏が勝った選挙区が多かったため、ポイント数に大きな差がついた。
 
 そして、より重大な点は、この党員・サポーター票に不正が介在する余地が極めて大きかったことである。投票を保管した倉庫から、小沢一郎氏に対する投票を一部抜き取れば、今回の代表選結果を得るということも、完全に否定できる想定ではない。
 
 仮に不正がなかったとしても、国会議員票は49対51、地方議員と党員サポーター票は40対60であった。したがって、菅直人氏圧勝、あるいは大勝は事実と異なるのである。


特に赤字ボールドで示した部分など噴飯ものである。

植草は、かつて小沢一郎の経済政策に影響を与えたエコノミストといわれていたが、現在では小沢一郎とは無関係だろうと私は考えている。おそらく、小沢一郎を商売に利用しているだけだろう。現在の植草のブログを見ていると、益より害の方が圧倒的に多い。とりわけ、ブログで小沢支持者を扇動し、「信者化」させた害毒の大きさは計り知れない。植草一秀もまた、ユダヤ陰謀論者と平気で共闘している。

「小沢幻想」とでもいうべきものの害毒は、国会議員にも及んでいる。今朝(9月15日付)の朝日新聞を見ると、「『小沢先生が導いてくださる』といった若手議員の声も聞こえてきた」(「天声人語」)とか、「1年生議員が『小沢さんなら官僚主導を変えてくれる』と言う」(渡辺勉の署名記事)などと書かれている。渡辺勉は、普天間基地移設問題に関して「日米合意」を支持する文章を書いた右派と思われる記者であり、私は好まないが、その渡辺勉よりも、意気地のない菅直人政権よりも、もっと危険なのが小沢一郎を「救世主」として崇め奉る風潮である。そして、民主党若手議員の中には「小沢信者」としかいいようのない人たちもいることが今回の代表選で示された。これはもう政策論争以前の問題だ。

今では「小沢信者」に転んでしまったネットワーカーの中には、かつて辺見庸の文章の魅力を力説していた人が何人かいる。その辺見庸が地方紙に載せたエッセイ「ツユクサの想い出 直腸熱39度の孤独」の文章の一部を、ネットで知った。

貧しい老人が熱中症で死んだ。遺体の腸の温度は39度。その4日後、

国会議員らが百数十人も「研修」と称して軽井沢の緑陰にあつまった。涼風で風邪などひかぬように上着を着けて、よく冷えた地ビールやワインを飲みかわし、「キアイダー、キアイダーツ!」とげびた声をあげて、こぶしを宙につきあげたりした。

議員たちは貧者のくらしに役立つなにを研修したというのだろう。

研修というのなら、全員そろって死んだ老人の木造アパートにおもむき、順ぐりにせんべい布団にあおむいてみて、死んだ人が腹が39度の熱をたもっていた厳酷無比のわけを、とくと探求すべきだった。

しかし、老人が熱中症で死んだ部屋と軽井沢の涼しい風景のつなぎ目がどこか、さがしても結局は見えはしない。

つなぎ目もなにも、2つの風景は交わることがない。ふつうと異様に境界はもうない。

老人が死んだ日の熱い夜、シャモの卵黄みたいに赤黄色い弦月がぽかっとあがった。

ツユクサはみんなで合掌した。

老人の腹はあのとき、いくらか冷えていたのだろうか。

(辺見庸「ツユクサの想い出 直腸熱39度の孤独」(2010年9月14日付中日新聞夕刊に掲載)より)


辺見庸は「キアイダー、キアイダーツ!」とげびた声をあげた国会議員たちに対する怒りの文章を書いたが、同じ軽井沢の集いに狂喜乱舞し、

皆で「カンけり遊び」でもすればさらに盛り上がったのではないかと思われる

と書いたのは植草一秀である。その植草に小沢信者たちは盲従している。彼らは、気づいてみれば辺見庸からはるか遠く隔たってしまった。

もういい加減に目を覚ます時だ。私は何も菅直人を支持しているわけでも何でもない。菅直人の直近の経済政策には非常に問題が多く、菅氏の再選によって日本経済が大きなリスクを抱えることを憂慮するものでもある。だから、この代表選でもいっそのこと小沢一郎が勝って、直近の景気対策として菅直人より少しはマシな政策を実行してもらうとともに、「小沢幻想」を小沢一郎自身の手によって粉々に粉砕してほしいと思ったし、当ブログにもそう書き続けてきた。

しかし、文化人や国会議員にも及んだ「小沢信仰」の広がりを見るに及んで、考えを改めた。今回の民主党代表選は、菅直人の再選で止むを得ない。

朝日新聞に、300選挙区における党員・サポーターの得票が出ている。小沢一郎が勝ったのは、青森、岩手、富山、石川、福井、沖縄の6県だけであり、鳥取、長崎でイーブン、あとはすべて菅直人が勝っている。このうち、沖縄は小沢一郎のリップサービスが功を奏したものだろう。しかし、小沢一郎は鳩山由紀夫に何の影響力も及ぼさなかった。北陸にはどんな事情があるのかはわからないが、中国・四国・九州の民主党員は、小沢一郎には心を動かされなかった。特に、2007年の参院選で四県すべて民主党が勝った四国では、小沢一郎は全滅した。そりゃそうだ、軽井沢の豪邸で「キアイダー」の掛け声をあげる姿は、「国民の生活が第一」からあまりにもかけ離れている。

さらに私が注目するのは、東京・千葉・埼玉で小沢一郎が善戦したことだ。小沢一郎が沖縄などを除く地方で支持されず、都市部で支持を増やしてきたことは、どう解釈すべきなのか。私は、都市部から「小沢信者」が増えてきているのではないかと邪推している。

朝日新聞を見ると、社説などが「反小沢」で一貫しているのに対し、前述の政治エディター・渡辺勉の記事は、少し毛色が変わっている。一日も早く挙党態勢を築くことが政権党の責務だとする渡辺は、

小沢氏の「政治とカネ」の問題にけりがついたら、財務相など主要閣僚で起用したらどうか。

と提案しているのである。

なるほど、これは良いアイデアだ。小沢一郎を主要閣僚につけることは、有害な「小沢幻想」の広がりを抑えることにも役立つ。菅政権の支持率は下がるだろうが、経済関係の閣僚に小沢一郎を起用することは、小沢一郎の退路を断つことにもつながる。菅直人には、是非この案を真剣に検討してほしい。

もっとも、小沢一郎の昔からの持論である「所得税と住民税の大幅減税」(要するに金持ち減税)なんかをやられてはたまったものではないけれど、菅直人は「高額所得者に対する所得税の負担増」も視野に入れているそうだから(今朝の朝日新聞6面による)、そこは菅直人に抑えてもらえばよい。そして、菅直人がもくろむ不況下の消費税増税については、逆に小沢一郎に菅直人を抑えてもらえばよい。

要するに、菅直人と小沢一郎の政策の悪いところをそれぞれ排除していけば、民主党政権も今までよりは多少ましになるかもしれない。そして、政府を監視して圧力をかけていくのは、われわれ市民の役割だと思う今日この頃である。


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民主党代表選の論戦はこのまま尻すぼみに終わりそうだ。結局菅直人と小沢一郎が示す政策に大きな違いは見られなかった。多少小沢一郎に分があるように見えるが、それは攻める側が守る側より強く見えるだけの話で、普天間基地移設問題にしても税制の問題にしても、小沢一郎は決定打を放つことができなかった。

もっとも、これは私の予想通りではあった。同じ民主党に所属し、ともに独断専行の性格を持つマキャベリスト的政治家で、どちらも自民党などとの「大連立」をやりかねない者同士(但し、その恐れは小沢一郎の方が菅直人より強いと思う。なにしろ前科もある)。なぜお前は傍観者的な態度をとるのだなどと批判されたが、両政治家を含む民主党自体を支持していないのだから仕方ない。

党員・サポーターの投票が締め切られたあとの昨日(12日)は日曜日だったが、もはや菅直人も小沢一郎もテレビには出演しなかった。国会議員への働きかけに専念するためなのだろう。その代わりに細野豪志と蓮舫が論戦を繰り広げていたが、政策の差はますますわかりづらいものになった。細野豪志はもともと前原グループの政治家であり、昔から小沢一郎と行動をともにしてきた旧自由党の政治家とも、小沢一郎が民主党入りしてから親密だった旧社会党の政治家とも違って、民主党オリジナルの政治家に近い。つい最近まで代表選の支持先を明確にせず、Wikipediaには、昨日まで「菅を事実上支持している」という記述が残っていたほどである。

小沢陣営がその細野豪志を自陣営の代表的論客としてテレビに送り出した理由は、もともとの小沢応援団にろくな論客がいないからであって、山岡賢次、松木謙公、森裕子らがテレビ出演しては炎上し、小沢一郎のイメージを下げ続けたために、やむなく外様だが論客として頭角を現してきた細野豪志に頼ったのだろう。

その細野豪志は、重要な政策として法人税減税とFTAを挙げ、この点で両陣営に主張の違いはないはずだ、と繰り返し語っていた。一部には、菅直人の法人税減税政策を批判し、小沢一郎が法人税減税に消極的だったり、非正規雇用を減らして正規雇用にせよなどと言っている点を取り上げて、この点を両候補の差とする人たちもいるが、私は、普天間基地移設問題で小沢一郎が「あの青い海を埋め立ててよいのか」と言っただけで鳩山由紀夫前首相に何の影響力を及ぼすこともなかったことを思い出すだけだ。昨日、名護市議選の投開票が行われ、辺野古基地建設反対派の与党が圧勝したが、沖縄から「県内・国内移設に反対する小沢一郎さんを是非民主党代表に」と熱望する声など全く聞こえてこない。それもそのはずで、小沢一郎は代表選の論戦で、「日米合意を尊重する」と発言した。辺野古の件にしても税制の件にしても、いざ総理大臣になったら小沢一郎は態度を豹変させて、より一層反動的な側にハンドルを切るのではないかと私は邪推しているが、それを検証する機会は今回も得られそうにない情勢になってきた。それもこれも、小沢一郎が菅直人との違いをはっきり打ち出すことができなかったからだ。言っていることが同じであれば、いくら「剛腕」の持ち主だろうが、票は現職へと流れる。

私がもっとも注目していた政府のあり方の長期ビジョンについては、結局両候補ともはっきり打ち出さなかった。3年前の『論座』のインタビューで北欧モデルを念頭に置いていると語った菅直人からは、それに類する言葉は聞かれなかったし、小沢一郎に至っては、代表選の序盤戦で「所得税と住民税の大幅減税」を言い出す始末だった。要するに小沢一郎は「小さな政府」志向ということだが、それにしても所得税の大幅減税(要するに金持ち減税)とは納得のいかない話で、アメリカの税制は直接税中心であり、もし「良い小さな政府」(笑)を小沢一郎が目指すのであれば、打ち出すべき政策は所得税・住民税の大幅減税ではなく、逆進性の強い消費税の減税もしくは消費税の撤廃だったはずだ。だが、恐らく小沢一郎のブレーンである財務官僚の政策に反するためだろう、小沢一郎がそんなことを言い出す可能性は全くない。

私自身の立場は、緊急で景気対策が必要な現時点での増税は認められないが、景気が回復すればまず直接税を増税し、「サービスの大きな政府」のためにはそれだけでは不足だろうから、消費税の増税や環境税の創設を行うべきだと考えている。この点からいうと、長期の税制改革に関してより私との意見の開きが大きいのは小沢一郎の方である。しかし、菅直人は短期の政策が悪すぎる。法人税減税の穴埋めや財政再建のための消費税増税など論外である。

小沢一郎が、おそらく20年来の持論である「所得税と住民税の大幅減税」を前面に打ち出さなかったのは、名古屋市議会のリコール運動を呼びかけている河村たかしが、思うように署名を集められずに苦戦している影響があるのではないかと私は見ている。「民主党を減税政党にせよ」と主張し、日曜日のテレビ朝日の番組にも頻繁に出演するなど、マスコミのバックアップも得ながら、河村が思うように署名を集められないと聞いて、ああ、名古屋市民も何とかの一つ覚えの「減税」に釣られるほど愚かではないのだなと思う今日この頃だ。

ネットで検索すると、共産党の名古屋市議・榑松(くれまつ)順子さんが、「”金持ち減税日本”の署名に賛成するのですか」と題したブログ記事を書かれている。これを読むと、

後援会ニュースをお届けしている方の中にも、”河村署名されますか?”と聞くと考え込む方もある。

とのことで、共産党市議の支持者にも、いまだに河村の主張が一定の説得力を持っているようだが、榑松さんは

そういった方には、金持ち減税ですよ、税収不足になるから、福祉予算が削られましたよ、借金もふえています。

などと説得しながら、河村の市民税減税を批判するパンフレットを配っているとのことで、地道な活動が実を結ぶことを期待したい。

小沢一郎が持ち出そうとした所得税・住民税の大幅減税(おそらく半減程度)もまた、税収不足を招いて消費税増税につながることは必至で、現に自民党?自由党時代だけではなく、民主党代表に就任後の2007年の参院選の時点でもなお、消費税を10%に増税する政策を持っていた。根っこにこんなものがあるから、菅直人の消費税増税案を強く批判することもできず、結局「消費税を含む税制の議論」自体は認める、として消費税増税への道を開くことに小沢一郎も同意し、税制の問題も代表選の争点ではなくなった。

もちろん、税制の議論はどんどんすべきである。問題は、なぜそれに「消費税を含む」などという枕詞がつくのかということであって、私は「金持ち増税を含む税制の議論」と言うべきだと思う。かつての村野瀬玲奈さんの主張を単純化したものだが、いいたいことを端的に表現するために、「金持ち増税を含む」と言い換えた。

そんなこんなで、小沢一郎はどうやら苦戦で、国会議員と地方議員の票の合計ではなんとか勝てても、党員・サポーター票で菅直人に逆転されるのではないかとの見方がもっぱらだ。私は、1978年の自民党総裁予備選や2002年9月の民主党代表選を覚えているから、党員・サポーター票はどうなるかわかったものではないと思っている。1997年の新進党党首選については全然知らないのだが、石破茂がこんなことを書いている。

 新進党時代に「小沢一郎対羽田孜」という代表選挙があり、私は選挙管理委員を務めていたのですが、同じ筆跡で「イチロー」とだけ書かれた投票用紙がダンボール箱一杯に詰められて送られてきたのを鮮明に覚えています。
 選挙管理委員の一部から、筆跡鑑定の必要があるのでは、との意見も出ましたが、投票用紙はすべて焼却されたとのことで、そのままうやむやになってしまいました。


ところが、そんな小沢一郎の集票力などはなから信じようともせず、マスコミが報じる党員・サポーター票での小沢一郎の惨敗が心配でならないらしいのが、ご存知植草一秀センセである(下記URL)。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1065.html

以下引用する。

 国政選挙の場合、投票人本人が投票所に足を運び、選挙の立会人が監視する下で、本人確認を行い、衆人環視の下で投票が行われる。投票箱に投入された投票用紙は厳重な管理の下で搬出され、公開の場で開票作業が行われる。
 
 厳正の上にも厳正な手続きが定められている。
 
 ところが、民主党代表選挙の場合、投票用紙の取り扱いがあまりにも杜撰である。そもそも、サポーター登録している人物、党員登録している人物が、サポーターである、あるいは党員であることを本当に認識しているのかどうかが疑われるケースが発覚している。
 
 民主党の支部代表が、氏名が記載されている本人の了解を取らずに、勝手に名義を利用しているようなケースが存在し、その投票用紙を不正に利用するようなケースが存在しないのかどうかを確認できていないのではないか。
 
 サポーター登録、あるいは党員登録している人物の宛名住所に、当該人物が実際に居住していることを確認できなければ、不正投票が行われる危険を払拭できない。

(中略)

 本来、党の規約であるから、サポーターおよび党員票を算入すべきところであるが、内閣総理大臣を選出する選挙であるとの重大性を鑑みるならば、すでに不正が介在することが確認されてしまったサポーター票および党員票を、集計値から取り除くことを決断するべきである。
 
 小沢一郎氏支持は全国的に菅直人氏支持を実際には上回っており、公正な選挙が実施されるなら、国会議員票でも党員サポーター票でも小沢一郎氏が比較多数を獲得するはずである。しかし、不正投票によって、結果が覆されることはあってはならないと考えられる。
 
 国会議員が411人おり、822ポイントが存在する。地方議員の投票に不正が入り込む余地がないのなら、この投票を算入する。ポイントは100ポイントである。
 
 この合計、922ポイントで決着をつけることを検討するべきであると思われる。国会議員票とサポーター票が同じ結論を示す場合には問題は生じないが、国会議員票とサポーター票の結果が異なる場合には、必ず、サポーター票の集計、あるいは投票用紙の配布の適正性をめぐって、大きな混乱が引き起こされることになると予想される。
 
 2000年米国大統領選挙フロリダ州以上の混乱に陥ることは間違いない。この混乱を回避するには、9月14日の代表選実施前に、党員・サポーター票をポイント集計から除外することを決定するべきである。

 これまでに観察されているNHKを含むマスゴミ全体の狂気に満ちた偏向報道と、あまりにも実態とかけ離れた菅直人氏が優勢であるとする虚偽の世論調詐報道を踏まえると、これらの偏向報道と虚偽報道が、党員サポーター投票および集計での不正を隠蔽するためのアリバイとして用いられる可能性が極めて高くなっているとも考えられる。
 
 この不正を排除するには、党員サポーター票を集計除外とする以外に有効な方法は存在しない。
 
 民主党代表選は国民に対する重大な責任を伴うものである。不正が介在する可能性を完全に除去しないまま、選挙を実施することは、日本の百年の計を誤るものであり、日本国民に対する背信行為になる。

(植草一秀 『知られざる真実』 2010年9月11日付エントリより)


なんとも呆れた「ちゃぶ台返し」である。そういえば植草一秀自身は果たして民主党員なのかなあとふと思った。植草のいうことには何でも付き従う「信者」たちは、今回も植草の主張に賛同しているが、彼らの大部分が民主党員ではないことは確信を持って断言できる。民主党員やサポーターの方々は、自分たちへの投票権を剥奪せよと主張する植草一秀やその信者たちの暴言に対して強く抗議すべきだろう。

そんな植草が、小沢一郎のブレーンではないかと『夕刊フジ』が書いている(下記URL)。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100911/plt1009111312004-n2.htm

この記事には、民主党関係者が、

ブログで小沢氏を徹底的に擁護する一方、菅直人首相を徹底的にけなしています。党内では、小沢氏の経済政策の発案にかかわっているのでは、ともいわれています

と言ったなどと書かれている。「党員サポーター票を集計除外とせよ」などとブログで堂々と主張する人物が、「ブレーン」だとか「経済政策の発案者」だなどと言われるとは、小沢一郎陣営にとってもいい迷惑だろう。ここは一つ、植草一秀は小沢一郎のブレーンでも政策発案者でもないことを小沢一郎陣営は言明すべきではなかろうか?

こんなつまらない話題を取り上げるくらいしかなくなるほど、民主党代表選の後半戦は盛り上がりを欠くものとなった。
来週の火曜日には結果の出る民主党代表選だが、ネットの熱気はやや低下してきたように感じられる。「小沢信者」という言葉を使って揶揄し続けるのもマンネリ化してきた。もっとも、それはネット全般の話であって、こと「小沢信者」に限れば、彼らのボルテージは上がる一方である。

一昨日、臨時のエントリを立ち上げるきっかけを作って下さったわどさんからは、

いま起こっている代表選は、いうまでもありませんが民主党の問題にとどまらず、従来の支配層(政官財+マスコミ)と国民を縦に2分した【内戦】だというご認識はございますか?

というコメントをいただいているが、全然そんな認識はしていない。

というより、小沢一郎と菅直人のどこがどう違うのかよくわからないのである。「社会民主主義」対「新自由主義」の対決構造には間違っても見えない。二人とも新自由主義者に見える、というのが、告示日に受けた印象だったが、最近は「二人とも鵺(ぬえ)のように感じる」のが正直なところだ。小沢一郎も菅直人も正体不明、政策より政局の人たちであるように私には感じられる。

私の見るところ、善意に解釈すれば、両者とも自分の真意を伝えるのが下手だ。悪意に解釈すれば、国民を騙そうとしている。たとえば、昨夜(9日)の『報道ステーション』で、小沢一郎が争点に持ち出してきた「一括交付金」について伝えていた。小沢一郎は、日曜日(5日)のテレビ出演で、ひもつき補助金の21兆円を一括交付金化することによって、21兆円のうち3割、4割の削減が可能であるかのような印象を与える言葉を発していた。例に挙げた福井県のスキー場の話は、フジテレビでもNHKでもしていたから、視聴者の心をつかむ、「殺し文句」のつもりだったのだろう。

しかし、そんな宣伝でいつまでも目くらましできる時代ではない。小沢一郎の言葉に虚飾があることは、あっという間に知れ渡る。私は、前回の東京都知事選の頃に読んだ浅野史郎・元宮城県知事の著書によって、小泉・竹中の「三位一体の改革」の弊害が少し頭に残っていたから、「えっ、それって『三位一体の改革』の焼き直しじゃん」とすぐ思った。浅野史郎氏は、ご自身のウェブサイト『夢らいん』で、次のように書いている。

 民主党代表選で小沢さんが、一括交付金のことを話している。国から地方自治体への補助金を一括交付金に変えることによって、大きな財源が得られると主張している。全国知事会の麻生会長が反論しているように、小沢さんの言っていることには現実性がない。東国原知事も、ブログの「そのまんま日記」に、昨日、同じような反論を書いている。国から地方への補助金21兆円のうち、17兆円は社会保障、教育など、削りようがないものに宛てられている。残りの補助金を一括交付金化したことによって、削減できる額は、ごくわずかである。しかも、補助金の一括交付金化は、民主党の政策として、すでにマニフェストにも掲げられている。小沢さんの独自の政策ではない。もう少し、緻密な議論をしなければ、的を得た政策論議にはならない。

(浅野史郎『夢らいん』? 2010年9月7日付「ジョギング日記」より)


麻生渡福岡県知事(麻生太郎と血縁関係はない)は浅野氏ともども元官僚だし、東国原英夫は右翼にして新自由主義者じゃないか、そんなやつらが信用できるものか、と「小沢信者」たちは言い出しそうな気がするけれど、問われるのは発話者が誰かということではなく、発言内容が正しいかどうかだ。

『週刊東洋経済』 2010年5月10日号の記事に出ているグラフ(上記リンク先に掲載されている)を見れば、なるほど、21兆円の地方向け補助金・負担金の7割強(14.8兆円)が社会保障費、1割強(2.3兆円)が文教・科学振興費であって、削りようのない用途に充てられている。『週刊東洋経済』に載ったグラフの出所は財務省だから、これらの数字は官僚の捏造だとでも小沢信者は言うのだろうか?

『週刊東洋経済』の記事は、『kojitakenの日記』でも紹介したから、このエントリでは、『しんぶん赤旗』(9月9日付)の記事を紹介する。

削減は福祉と教育切り捨て

 地方への国の補助金・負担金は2010年度予算で21兆円。その8割は社会保障・文教関係です。そのうちの約9割が高齢者医療や国民健康保険、介護保険、義務教育など法律で定められた国の負担金です。このなかには民主党政権が始めた子ども手当や高校無償化も含まれています。

 これを使途の定めない交付金化するとしても、総額を2?3割も減らせば、福祉や教育をばっさり切り捨てることになります。

 小沢氏は、公共事業分野に限っても2、3兆円の財源をねん出できるといいますが、公共事業は3・1兆円しかなく、とても大きな財源はのぞめません。

 小沢氏は、6日のTBS系番組などでそのことを問われて反論できず、「補助金とは別に、全体の裁量的経費が約20兆円ある」などと別の話を持ち出しています。しかし、その根拠もあいまいです。

 一括交付金化について全国知事会は、小沢、菅両氏に出した公開質問状のなかで、「一括交付金の総額については、一括交付金の対象となる現行の補助金等と同額を確保し、いやしくも国の一方的な財源ねん出の手段とすることがあってはならない」と指摘しています。

 麻生渡会長(福岡県知事)は6日、「補助金は大部分は社会保障など削減が難しいもので実態にあわない」と指摘。一括交付金化について「いつのまにか財源ねん出論になっている」とのべました。

 一括交付金の創設は、民主党が昨年の総選挙で政権公約(マニフェスト)に掲げたもので、そこでは「義務教育・社会保障の必要額は確保する」としていました。それを大幅削減するなどというのはマニフェストにも反するものです。

(『しんぶん赤旗』 2010年9月9日付記事より)


なんと、「マニフェスト原理主義者」と言われることもある小沢一郎が、マニフェスト違反を共産党の機関紙に問われているではないか。これにはウケた。

『赤旗』にこんなことが書いてあると知ると、小沢信者たちはいきり立って、「共産党は隠れ自公」ならぬ「隠れカンカラカンだ」などと言い出しそうだが、『しんぶん赤旗』は、上記に続く段落で菅直人の消費税増税論を厳しく批判している。

この記事で、小沢一郎が問われて反論できなかったという「6日のTBS系番組」とは、夜のニュース番組のことだろう。私はその番組を見ていないが、翌日ネット上で小沢信者たちが怒り狂ってTBSのキャスター・杉尾秀哉を一斉に非難していたことを思い出した。彼らは一体何を怒っているだろうかと思ったが、何のことはない、「一括交付金」について突っ込まれた小沢一郎が立ち往生しただけの話のようだ。なるほどそういうことかと合点がいった次第である。

蛇足だが、小沢信者の常として、小沢一郎を批判した人間を攻撃する際、批判された人間が何を言ったかについてはまともに言及しない。たとえば、ある小沢信者のブログのコメント欄には、こんな文章があった。

何があろうとも絶対小沢先生は総理大臣になります。そしてこの日本をきっとよくしてくださると確信します。
それにつけても、小沢先生の偉大さを分からずこしゃくないちゃもんをつける様なまねをしている故痔蛇犬とか飽鬼腹爬津忌等々の、本来なれば我々の味方になって一枚岩となって戦うべきブロガーをみていると、なんだか哀れに見えてきます。
小沢先生の功績を見て吠え面かくなと今から言います。


「故痔蛇犬」とは私、「飽鬼腹爬津忌」とは、『Afternoon Cafe』を運営されている秋原葉月さんをそれぞれ指すのだろうと想像するが(『Afternoon Cafe』の最新エントリ「英雄を必要とする国は不幸だ」は、なるほど小沢信者がいきり立ちそうなエントリだ)、彼らは、「こしゃくないちゃもんをつける」としか言えないのである。これが「小沢信者」の姿だ。

いつものように、小沢信者への悪口に話がそれてしまったが、小沢一郎の話に戻ると、TBSに出演した時には「補助金とは別に、全体の裁量的経費が約20兆円ある」などと別の話を持ち出したそうだ。そんな話は、日曜日にはしていなかった。21兆円のうち3割、4割を削減するようにしか聞こえなかった。

小沢一郎の応援団長格・植草一秀は、次のように書く。

 小沢一郎氏は政府支出の無駄排除によってねん出できる財源として地方政府への補助金削減だけを提示しているわけではない。政府支出210兆円を精査すると、社会保障給付と国債費を除くいわゆる政策支出が約70兆円あり、このなかに地方への補助金21兆円と地方交付税18兆円が含まれる。
 
 これらを差し引いた約30兆円が無駄排除の対象になる。このなかには公共事業関係費や人件費などが含まれるが、それ以外に独立行政法人や公益法人などへの補助金が含まれる。

(植草一秀の『知られざる真実』 2010年9月7日付エントリより)


なんと、植草のこの主張では、「地方への補助金」は一転して「無駄排除の対象」から差し引かれてしまっている。実際問題、政府支出に無駄な部分はいろいろあるのだろうけれど、仮に植草が書くような内容が小沢一郎が本当に主張したいことだったとすると、小沢一郎は国民に上手に説明できていないことになる。日曜日のテレビ番組を見た視聴者は皆、小沢一郎は21兆円のひもつき補助金を「一括交付金」にして、その3割から4割に当たる、6.3兆円から8.4兆円を削減すると言っているようにしか聞こえなかった。浅野史郎氏もそういう意味にとったから、前述のような文章を書かれたのだろうと思う。

ところが、昨夜の『報道ステーション』では、小沢一郎は社会保障費は削減しないとしている、と言っていた。それなら小沢一郎が日曜日に大々的に打ち出した「ひもつき補助金を一括交付金にして財源捻出」という話は何だったのか、ということになる。最大限小沢一郎に好意的に解釈しても、私には小沢一郎が国民をミスリードしたようにしか思えず、そこから消費税増税発言をめぐって発言を二転三転させた菅直人を連想したのだけれど、これは、小沢一郎先生の偉大な思想を理解できない、故痔蛇犬だか依怙地駄犬だか知らないが、無能なブログ書きが恥をさらしているだけの話なのだろうか?

一方の菅直人だが、日曜日にはフジテレビとNHKで小沢一郎と討論したが、テレビ朝日では単独で出演して、くつろいだ気分でしゃべっていた。論争相手がおらず、キャスターが比較的大物ゲストに甘い番組に出演すると、とたんに饒舌になるのが、小沢一郎、菅直人に共通する特徴であって、なんだかなあと思ってしまう。

ここで菅直人は、財務官僚主導だと批判の強い「一律10%カット」について、カットではない、10%分の割り振りをやり直すのだ、民主党政権は社会保障費を増やして公共事業費を減らしたのだ、などと力説していたが、そんなことは小沢一郎との討論で、小沢一郎が「一律10%カット」を批判した時に即座に反論するべきだろう。そうでなければ議論にならない。菅直人もまた、私には全然信用ができない。

代表選の戦況がどうなっているのかは全然わからないが、菅直人は来年度からの法人税減税の検討を指示したと伝えられた。朝日新聞の夕刊(9日付東京本社発行4版)には、

ただ、税収減を避けるため、首相は企業向け税制優遇措置を廃止・縮小して課税対象を広げる方針。

と書かれているが、菅直人は全然この点を強調しない。札幌での演説の映像がニュースで流れたが、企業が逃げていかないように法人税を減税するというアピールしか印象に残らなかった。

結局、代表選の論戦をめぐる私の感想は、浅野史郎氏が9月5日付の「ジョギング日記」に書いていることと似たようなものになってしまうのである。以下引用する。

 日曜日である。選挙サンデーである。昨日は、東京新宿で民主党代表選挙の街頭演説が猛暑の中で行われていたが、今日は、菅さん、小沢さん、テレビ生出演の掛け持ちで舌戦を繰り広げていた。フジテレビの新報道2001、NHKの日曜討論に二人並んで出演していたが、何度も同じような繰り返しの「政策」披露に飽きてしまったので、早々とチャンネルを変えてしまった。テレビ朝日のSフロントラインには、菅さんが単独出演していたし、他の報道番組には、それぞれの陣営を代表する民主党議員がいろいろ語っていた。

 そこで語られる内容だが、現職でない小沢さん側の目玉「政策」は具体性がないか、具体的なものには実現性に乏しい。その他の政策では、言い方の違いだけで、争点となるものではない。なのに、声高に言い合う感じになっているのに、どうも違和感がある。「激突」ぶりが、同じ党の中の代表選びというより、対立する政党間での論戦模様である。政策の違いを無理やり持ち出したてはいるが、本質は単なる権力闘争ということを見誤ると、一体、これなんなのだろうという感じになる。

(浅野史郎『夢らいん』? 2010年9月5日付「ジョギング日記」より)


「一体、これなんなのだろう」とは、まさしく私も感じていたところである。

税制の問題にしても、所得税・住民税を減税して、地方の「土豪」を優遇したい小沢一郎と、法人税を減税して、東京に本社を持つ大企業を優遇したい菅直人の違いにしか見えず、土豪優遇が社会民主主義であるとは私には到底思えない。カマヤンさんから、私が小沢一郎を「労組を票田とする社会民主主義政治家」と評したというご紹介があったが、ニュアンスが少し違っていて、「労組政治家に転向した、表向き社会民主主義の政治家」というのが私の小沢一郎評である。よくsonicさんがコメントされるように、小沢一郎は新自由主義者ですらない。かつて新自由主義者を気取っていた頃は、その実像は利益誘導型の政治家で、労組をバックにするようになってからは、新自由主義から「国民の生活が第一」に180度転向したように見えるが、新自由主義も社民主義も小沢一郎の身につけたものではなくメッキであって、正体不明の「鵺」なのである。

そして、同じような「鵺」的性格は、菅直人にも感じられる。最近私はしばしば、菅直人がここまで小沢一郎に似ているとは、と思うことが多い。小沢一郎同様、正体不明の政治家だ。

あえていえば、ポピュリズム的手法が共通しているだろうか。たとえば、両者がともに主張し、私が批判して止まない「国会議員の比例区定数削減」がある。政治について語るブログの世界では、こんなトンデモ政策は当然のように批判されているが、まだ民主党代表選に小沢一郎が立候補を表明するよりだいぶ前、NHKの世論調査で、菅直人が人気取りのために言い出したこの政策への支持が異様に高く、これに反対する世論はわずか数パーセントしかないことを知って愕然とした。「まず身を切る」と称して少数政党の勢力を削ごうとするこの言語道断の政策に、菅直人も小沢一郎も固執する。

あるいは、小沢一郎が持ち出そうとして今回の代表選の争点には持ち出さなかった所得税・住民税の大幅な減税にしても、レーガノミクスの影響を受けた小沢一郎(というより90年代に小沢一郎を後押ししていた大蔵官僚)が1993年の『日本改造計画』の頃から打ち出している政策なのだが、この政策に小沢一郎がいつまでも固執する理由の一つに、「『減税』を唱えれば『B層』は食いついてくるはず」という有権者蔑視があるように思われてならない。

これを体現している政治家が河村たかしで、森昌子の「せんせい」の替え歌で、「減税、減税、それは減税」と河村がカラオケで歌っている映像を見てぞっとした。河村は、民主党は「減税政党」、つまり新自由主義政党であるべきだと主張するが、その河村による名古屋市議会リコール運動に小沢一郎系の民主党議員秘書たちが支援していると毎日新聞が報じた件を、私は重視している。小沢一郎にはいつまで経っても『日本改造計画』の構想に固執しているふしがある。現に最近も、『日本改造計画』の頃と考えは変わっていないと公言したようだ。

なぜ「国民の生活が第一」というスローガンを掲げながら、小沢一郎がそれと矛盾する、金持ち優遇のこんな政策に固執するかだが、かつて小沢一郎を担いだ財務官僚たちが、今財務省では主流ではないけれど、財務省内に「小沢派」が脈々と息づいている影響があるのではないかと私は邪推している。「小沢さんなら官僚と戦える」というのは都市伝説に過ぎない。かつての『日本改造計画』は官僚が代筆したといわれているのである。自ら掲げた新自由主義政策が一因となって地元のゼネコンが破綻し、やむなく2003年、岩教組を支持基盤に乗り換えたとされる今でも、当時の小沢派官僚と小沢一郎がつながっているのではないかと推測しても、何の不自然もないのではなかろうか。

一方の菅直人だが、本来の菅直人の出自からすると、税制の問題は、直接税の税収増から始めるのが自然であるが、こちらも経団連と御用労組、あるいは松下政経塾と旧民社の意向には逆らえない政治家になっていて、法人税減税とその穴埋めないしは財政再建のための消費税増税を打ち出す政治家に成り下がっている。

おそらく両者のこの体質は、自民党政権を打倒するための野党政治家として、ポピュリズム的手法を用いる必要があったところからきているのだろうと推測する。90年代から20年近く続いてきた政界バトルにあって、小沢一郎や菅直人のような人たちでなければサバイバルできなかったのかもしれない。だが、私にはもはや2人とも時代遅れの感が強い。一括交付金をめぐる小沢一郎のパフォーマンスの失敗は、それを象徴しているように思う。

民主党代表選がどうなるかだが、菅直人では先が見えている、小沢一郎だとさらにボロボロになるかもしれないが、何かが変わるかもしれないという意見は、何人もの新自由主義側の論者も言い出している。過激な新自由主義者である池田信夫(ノビー)までもがそんなことを書いているのを見て驚いた。何度も書くけれども、私も、ノビーとは全然違う意味合いから、小沢一郎に総理大臣になってもらうしかないと考えている。小沢一郎にまつわる伝説、神話、幻想、信仰、崇拝の類を破壊しなければならず、その意味で小沢一郎に総理大臣になってもらうしかない、それが私の意見だ。

小沢一郎政権により、日本は焦土と化すと思うが、菅直人政権の継続だと日本は徐々に滅びていくだけであり、それくらいなら小沢政権で一気に焦土と化した方が、長期的にはまだましかもしれず、そこからでなければ日本の再建はできないのではないかとの思いを強める今日この頃なのである。


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いやあ、ものすごい小沢フィーバーだ。

何がって、ネットの小沢一郎狂熱のすごさは、ちょっと信じられないほどだ。

5年前、耐震偽装事件とライブドア事件で売り出して天下の立花隆にも取り上げられたカリスマブロガーも、反小泉運動で名を売った某有名ブロガーも、反安倍晋三運動の中核となったブロガーたちも、人を「海棠」呼ばわりするのが好きな、私が「極左冒険主義」の生き残りだとばかり思っていた布引の滝(?)のおっさんも、みんなみんな小沢一郎をマンセーしてるじゃないか!!!

植草一秀センセもさぞご満悦だろう。

最近は魚住昭、江川紹子、池田香代子といったリアルの文化人たちにも、広く感染が観察される。魚住昭など、つい4, 5年前には「朝日新聞の民主党化」を批判していたはずなのに、ご自身が「民主党(右派)化」しておられる。共同通信の先輩・辺見庸には、現在の魚住の姿がどのように映っているだろうか。現在の魚住昭は、辺見庸には「鵺(ぬえ)のような全体主義」の体現者にしか見えないのではなかろうか。

私は、小沢一郎だろうが菅直人だろうが谷垣禎一だろうが福島瑞穂だろうが志位和夫だろうが批判すべきは批判し、評価すべきは評価することをモットーにしている。安倍晋三、平沼赳夫、城内実ら一部の政治家に対しては激しい嫌悪感を抑えられないが、それは彼らが極端に過ぎるせいもある。

民主党代表選での、菅直人・小沢一郎両候補の論戦にあたっても、両者の主張で気になった点を批判している。当ブログや『kojitakenの日記』で、小沢一郎の批判ばかりが目立つのは、従来小沢一郎が自らの主張をあまりアピールしてこなかったからだ。ここにきて小沢一郎の政策が明らかになってきたので、批判を加えている次第である。

さて、今日は臨時エントリである。なぜ普段は更新しない水曜日にブログを更新するかというと、前回のエントリに「わど」さんと仰る方からいただいたコメントを受けて書いた『kojitakenの日記』の記事について、当のわどさんから下記のリクエストをいただいたからだ。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1106.html#comment10124

kojitakenさん、こんばんは。

ふつーこんなコメントはダメなんですが、ハテナの記事「小沢一郎の主張は本当に『社会民主主義的』なのか?」をこちらのFC2ブロウのほうにもアップしていただけませんか。
どういうわけか、PCを替えたからか、ハテナにログインできなくなって、自然、コメントもできなくなりました。
タクシー運転手のおれなんかとお話しても、どうという参考にはならないかもしれませんが、あるいはB層、白痴と呼ばれる貧乏人の一部の気持ちはお伝えできる可能性もなきはないです。

2010.09.07 18:43 わど


このコメントを読んだ時、わどさんのリクエストには是非応えなければならないと思った。特に、「タクシー運転手のおれなんかとお話しても、どうという参考にはならないかもしれませんが」というくだりが気になった。そんなことを言ってはいけない。このブログだって、政治・経済のど素人である一市民が運営しているブログなのだ。開設から4年半近くが経って、ずいぶんと生意気なことを書くようにもなったが、素人の意見発信であることには変わりない。

前置きが長くなったが、わどさんのリクエストにお答えして、『kojitakenの日記』に公開したエントリを、こちらに再録する。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100907/1283816503

小沢一郎の主張は本当に「社会民主主義的」なのか?

民主党代表選だが、菅直人、小沢一郎両候補の接戦が伝えられている。私には、小沢一郎の勢いが伸び悩んでいるように見える。

それは、一つには山岡賢次、松木謙公、森裕子ら「武闘派」の取り巻きや、「小沢先生が日本を正しい方向へ導いて下さいます」などと口走る信者系国会議員が小沢一郎にマイナスイメージを与えていることが影響しているだろう。それなら小沢一郎陣営は、著名人が応援していることをPRすれば良いと思うが、ネットで調べてみたところ、小沢一郎を応援すると公言している著名人の主張にはろくなものがない。たいていの著名人は、菅を応援するでも小沢を応援するでもない立場をとっているが、そりゃそうだろう。あんなしょぼい論戦では、どちらも応援するわけにはいかないと思うのが普通だ。

小沢一郎を応援する著名人の典型例が魚住昭である。日刊ゲンダイに魚住が載せた記事のコピペが出回っているが、菅直人の政策は新自由主義だが、小沢一郎の政策は極端に言えば社会民主主義だ、などと言っている。

果たして社会民主主義者が「所得税・住民税の大幅減税」など言い出すだろうかと魚住昭には聞いてみたいが、「小沢信者」と化した魚住昭には、何も答えられないだろう。

菅直人の消費税増税論を批判する小沢一郎が、財源捻出の手段として「一括交付金」を持ち出したことにも、私は疑問を感じたが、「きまぐれな日々」でそのことに触れても、小沢信者から下記のコメントが返ってきただけだった。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1106.html#comment10111

kojitakenさんの小沢批判にも、すこしデリカシーに欠ける傾向はありませんか(笑)。たとえば地方交付税の問題では、ひもつきの補助金のように使途を限定されなければ、無駄がはぶかれ、もうすこし地方行政はやりやすくなると首長たちは考えてきたようです。


言うに事欠いて、「デリカシーに欠ける」とはね。大いに笑わせていただいた。もう少し小沢一郎大先生の意図を「ソンタク」せよとでも仰りたいのだろうか?

それはともかく、このコメントで問題なのは、ひもつきの補助金を一括交付金にする際、小沢一郎が金額を3?4割カットする意図をテレビであからさまにしゃべったことを無視している点にある。

そりゃ、使途を限定されなければ、無駄を省ける分だけ地方行政はやりやすくなるに決まっている。だがそれは、金額が削減されなければの話だ。

小沢一郎が言うように、金額を3?4割もカットしたらどうなるか。それこそ、小泉・竹中の「三位一体の改革」の再来ではないか。テレビで小沢一郎の話を聞きながらそう思ったし、実際菅直人は小泉・竹中の名前を出して、「(小泉・竹中同様の)福祉切り捨てにつながらないか」と突っ込んでいた。

小沢信者諸賢が大嫌いなマスゴミ・毎日新聞にもこの件を取り上げた記事が出ている。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100907ddm008010143000c.html

民主党代表選:小沢氏主張「一括交付金」 地方、補助金減を懸念

<分析>

 民主党代表選で、マニフェスト(政権公約)の実現を訴える小沢一郎前幹事長が、財源捻出(ねんしゅつ)をめぐり「補助金を一括交付金化すれば、現在の6、7割に減らせる」と打ち出したことが波紋を広げている。もともと一括交付金化は民主党が政権公約で掲げた方針だが、補助金を減額することについては地方自治体側が強く反発。菅直人首相も補助金で財源を捻出する手法には懐疑的で、代表選の主要な論戦テーマに浮上している。【坂井隆之、久田宏】

◇「財源捻出の手段」に反発 7割、削減困難な社会保障

 「私の近しい首長(註:岩手県知事を務める小沢一郎子飼いの達増拓也あたりを指すと思われる)に聞くと、本当に自由に使えるなら今の補助金総額の5割で十分やっていけるという話がある。補助金を全部自主財源として地方に交付するだけでも、かなり多くの財源が見込める」。小沢氏は菅首相との共同会見などで、再三にわたってこう主張し、独自の財源論を展開している。

 小沢氏は、補助金を支出するにあたって国が定める基準が地方の実情に合わず、過剰な設備や社会保障サービスが行われていると主張、一括交付金で地方の自主性に任せれば国の支出を大幅に減らせると説く。また、「中央がやれば大手企業が全部受注して、地方にはお金が回らない。(地方が自主的に行えば)表面上は金額が減るが、地方に回るお金は増える」とも主張。地方分権推進と、マニフェストの財源確保、地域振興が同時に実現するという算段だ。

 これに対して、菅首相は、「補助金をやめて交付金にしても、額そのものを2?3割削るのはなかなか難しい」と小沢氏の主張に反論する。補助金総額21兆円のうち、約7割を削減が困難な社会保障費が占めるためで、「一括交付金化しても地方の自由裁量の拡大につながらない」との見方は、地方にも根強い。

 さらに、小沢氏が主張する交付金化による財源確保は、地方の財源縮小にもつながりかねないことから、地方自治体側からは懸念や批判の声が相次いでいる。麻生渡全国知事会長(福岡県知事)は6日、東京都内で記者会見し、「そもそも(補助金を)地方の創意工夫に基づいたものにするという話だった。いつのまにか財源捻出論になっている」と、小沢氏の補助金削減論をけん制した。

 知事会や市町村会は従来から、地方の自主財源を増やすよう求めている。警戒しているのは小泉純一郎内閣の下で行われた「三位一体の改革」の再現だ。「地方自治体の財政基盤と自立性を強化する」とうたったものの、04?06年度で補助金削減額が4・7兆円にのぼったのに対し、税源移譲は3兆円にとどまった。民主党の一括交付金化の議論に対しても、当初から「国の一方的な財源捻出の手段とすることがあってはならない」として、総額削減をけん制してきた。

◇「権限縮小につながる」 各省庁も必死の抵抗

 ひも付き補助金の一括交付金化は本来、民主党が昨年の衆院選マニフェストで打ち出した政策だ。昨年12月には、当時の鳩山由紀夫首相を議長に地域主権戦略会議を設置。関係閣僚のほか、橋下徹・大阪府知事ら地方の代表も加わって一括交付金化などを議論し、今年6月に「11年度予算から一括交付金化を段階的に実施する」との方針を盛り込んだ大綱をまとめている。

 しかし、補助金の廃止が権限の縮小につながるとの危機感を抱く各省庁は、一括交付金に対し強い反発姿勢を示した。同会議が実施したヒアリングでは、「国が政策の必要性を認めて交付するので、使途に全く制約がないことはありえない」(国土交通省)、「保育や介護は国を挙げて取り組むべき重要施策で、国が主体的に取り組む必要がある」(厚生労働省)などの声が続出した。

 地域主権戦略大綱の策定では、国の関与を抑えるために試案の段階で盛り込まれていた「一括交付金は地域が自己決定できる財源」との文言が、最終的に削除されるなど骨抜き化も目立った。メンバーの神野直彦東大名誉教授は「国交省が反対して削除された」ことを明かす。

 戦略会議では今後、一括交付金の対象となる補助金や、交付金の配分などの議論を進める方針だが、各省庁が激しい抵抗を続けることも予想される。これに対し、小沢氏は「民主党が国民の期待を担って誕生した以上、どんなに官僚の抵抗が強かろうが約束を実行するために政策を断行しないといけない。私はやることに自信を持っている」と、強い態度で臨む姿勢を示している。

==============

■ことば

◇一括交付金

 国が地方自治体に使途を特定して支出する補助金や負担金(ひも付き補助金)を、基本的に地方が自由に使えるお金として一括交付すること。民主党は09年衆院選のマニフェスト(政権公約)で、ひも付き補助金の一括交付金化を明記。地方の実情に応じて効率的に財源が活用できるほか、補助金申請にかかわる経費や人件費が削減できるとしている。

(毎日新聞 2010年9月7日 東京朝刊)


それでなくとも、小沢信者たちの大嫌いな神野直彦・東大名誉教授が、「一括交付金は地域が自己決定できる財源」との文言が、国交省の反対によって最終的に削除されたと指摘するように、官僚によって骨抜きされ、本当に地域が自己決定できる財源になるかも危ぶまれているのに、金額が3割カットだ4割カットだなどになったら、それこそ「小泉構造改革の再来」以外の何物でもなくなってしまう。

一括交付金を財源捻出の手段にするという小沢一郎の政策は、小泉・竹中の「三位一体の改革」といったいどう違うのか。小沢一郎の支持者には、この疑問に答えて欲しいものだと思うのだが、誰も答えてくれない。

これでは、「小泉・竹中の構造改革は悪い構造改革、小沢一郎の構造改革は良い構造改革」、「小泉・竹中の『小さな政府』は悪い小さな政府、小沢一郎の『小さな政府』は良い小さな政府」ということになってしまうではないか。

それにしても、論戦を通じて、小沢一郎が「サービスの大きな政府を目指す」ビジョンを明言した場面には、一度も遭遇しなかった。その点は菅直人も同じだが、魚住昭曰く「菅直人は新自由主義者」だそうだから、魚住昭の主張と矛盾はない。しかし、小沢一郎の主張は「社会民主主義」からあまりに遠く隔たっているのではなかろうか。

残念ながら、魚住昭は(江川紹子や森永卓郎ともども)「終わった文化人」だと断じざるを得ない。


今日の臨時版は、長文のコピペを用いているせいもあってバカ長いので、ここらで一区切りとする。興味をお持ちの奇特な方々は、下の "More" をクリックすれば続きが読める。
民主党代表選だが、昨日(5日)、産経新聞が「旧民社が菅直人首相支持に回り、国会議員票は互角。地方議員票や党員・サポーター票で先行する菅首相が優勢になった」と伝えた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100905/stt1009050130000-n1.htm

これが本当なら、確かに菅首相が小沢一郎前幹事長に対して優勢ということになる。私は、4日の毎日新聞読売新聞の予想を見るまでは、代表選は小沢一郎の楽勝だとばかり思っていたので、思わぬ展開に驚いている。

もっとも、昨日フジテレビとNHKで行われた論戦を見る限り、予想通りだが両候補とも大きなポイントを稼ぐことはできず、これでは「挑戦者」である小沢一郎の苦戦も止むを得ないかもしれない。今朝のNHKニュースなどでは、両候補互角の情勢だと報じられている。

一部の「小沢信者」によると、小沢一郎は身を粉にして「国民の生活が第一」のスローガンに忠実に汗を流す政治家であるのに対し、菅直人は魂を「悪徳ペンタゴン」に売り渡した新自由主義者だということになっている。しかし、両者のテレビ出演を見る限り、どちらも「サービスの大きな政府」の福祉国家路線は打ち出さなかった。それどころか、小沢一郎は所得税と住民税の減税に言及する一方で「消費税は上げない」とは言わず(次の総選挙までは上げないとは言ったが、議論をすること自体は否定しなかった)、菅直人は法人税減税の穴埋めに消費税増税分を充てる意図を隠さなくなってきた。

本当に小沢一郎が「反新自由主義」なのであれば、消費税問題で菅直人を鋭く追及してもよさそうなものだが、小沢はそうはしなかった。それは、所得税・住民税減税で不足する税収分を消費税増税で補おうという意図があるからだと私は推測した。ネットで調べてみると、「所得税・住民税を半分にする」ことと、「消費税を増税する」ことは、自由党時代からはおろか、1993年に小沢一郎が『日本改造計画』を書いた頃からずっと一貫した政策だったことがわかった。

たとえば、2006年9月の民主党代表選で小沢一郎が無投票当選した際の「基本政策」当初案で所得税・住民税の半減を盛り込むことを検討したもののこれを見送ったことを当時の読売新聞(2006年9月11日付)が報じていたらしく、リンク先は消えているが、これにリンクを張った「2ちゃんねる」の書き込みから確認することができる。

また、安倍晋三を退陣に追い込んだ参院選を直前に控えた2007年7月9日、小沢一郎がテレビ東京に出演した時の発言も、同じく「2ちゃんねる」から確認することができる(元は日刊スポーツの報道)。以下引用する。

 民主党の小沢一郎代表は9日夜、テレビ東京の報道番組で、消費税率を将来は10%程度まで引き上げるべきだとの持論は変わっていないとした上で「ただし、所得税や住民税をものすごく安く、簡素化するなどの大減税と同時に考えていかないといけない」と述べた。

 政権を担った場合、税制の抜本改革をどの程度の期間で行うかについては「(担当してから)そう長くはかからない。所得税の控除などもすっきりさせ、所得の低い人などは(生活保護など)歳出でみた方がいい」と説明した。


安倍晋三と小沢一郎の消費税増税論をともに批判する、上記リンク先、3年前の「2ちゃんねる」の議論を見ていると、小沢一郎に入れ上げている、江川紹子ら文化人を含むネットでの熱狂なんかよりよほど冷静であることがわかる。

なにしろ、今の「ネットで真実」な方々というのは、「このまま菅直人が総理を続ければ、来年の春から消費税の増税、所得税の増税、大企業の減税の財務省の言いなり政策が始まる」などと言っているのだ。要するに、小沢一郎が唱える「所得税減税」は善で、菅直人が次第に傾斜している(というより経団連や大企業御用労組の圧力に屈しつつある)「法人税減税」は悪だと思っているのだろう。法人税については同意するが、所得税については、この人たちは所得税の累進性というものをご存じないのだろうかと思ってしまう。

要するに小沢一郎の言う「所得税減税」は「金持ち減税」と同義なのであり、これは小沢一郎が土地の豪族(地方の大金持ち)を支持基盤としていることが影響していそうだ。ちょうど、菅直人が東京に本社を持つ大企業の男性正社員を支持基盤としていることと対応している。しかも、小沢一郎の前々からの持論が、「所得税・住民税半減と消費税10%への増税」なのだから、いずれ所得税減税分を穴埋めするために消費税増税を言い出すことは目に見えている。おそらく、小沢一郎の税制改革に関する腹づもりは、自民党時代からずっと変わっておらず、本音は今も3年前と同じだ。現に小沢一郎は、当面の消費税増税反対論についても「消費税を上げる前にムダの削減をやる」としか言っていない。

だから、税制の議論については、「『お金持ち減税』か『大手企業減税』では消化不良だ」とする、『広島瀬戸内新聞ニュース』のまとめに説得力を感じる。この記事によると、菅直人を支持する財務相の野田佳彦が、小沢一郎を「金持ち優遇だ」と批判したそうだが、開いた口がふさがらなかった。これぞ「お前が言うな」の極致だ。

ところで、小沢一郎が菅直人の消費税増税論を批判する一方で、その代わりに持ち出したのが、ひも付き補助金を廃止して一括交付金化することによる財源捻出だった。フジテレビの番組で、榊原英資が「国債発行を恐れることはない。ゆくゆくは消費税増税も考えられるが、それは5年後、10年後の話だ」としゃべっていたのを小沢一郎が遮って、私は榊原先生ほど大胆にはなれないとかなんとか言って切り出したのが、一括交付金の話だった。ひも付きをなくせば、首長は現在の補助金の7割で現在と同等以上の仕事ができるというのが小沢一郎の主張で、これは田中角栄から受け継いだ政策だとか、レーガンやクリントンがやった手法だなどという指摘がなされている。

これに対し、岩手県元知事の増田寛也氏らが、「21兆円の補助金のうち17兆円は医療、介護、生活保護などに充てられていて、7割では仕事ができない」と主張する映像が番組で流されると、小沢一郎は「今の岩手県知事(達増=たっそ=拓也)はできると言っている」と色をなした。増田寛也はかつて小沢一郎系列だったが今は離反しており、代わりに小沢一郎が岩手県知事に送り込んだのが達増拓也だが、達増は、自由党が民主党と合併した直後の2004年1月に、河村たかし、達増拓也、一川保夫、鈴木克昌、海野徹らとともに、「小さな政府研究会」を結成した人物だ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1068688996/317

当然小沢一郎自身も参加すると見られたこの「小さな政府研究会」に小沢一郎は参加せず、逆方向の指向性を持つ旧社会党の横路グループと組んだのだが、それにもかかわらず小沢一郎は2006年にも2007年にも所得鋭・住民税の半減を打ち出そうとしたのだから、小沢一郎は鵺(ぬえ)のようでありながら、政策の根幹だけは自民党時代から一貫しているともいえる。

脱線したが、達増拓也のような「小さな政府」論者にして小沢一郎には逆らえない人物が「ひも付き補助金の7割でやっていける」と言っても、眉に唾をつけてしまうのだが、5月に一括交付金制度の試案を示した神野直彦・東京大学名誉教授が、6月に正式に閣議決定した地域主権戦略大綱では、国土交通省などの横槍によって試案の一部が書き換えられてしまい、地方自治体の自由度が拡大しない制度になりかねないとの懸念を示したのは、7月のことだった。
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010070301000634.html

地方自治体の自由度が拡大しない状態で、金額だけ減らされてしまうと、小泉・竹中時代の「三位一体改革」の再来になる、福祉切り捨てになるのではないかというのが、昨日のテレビ討論で、一括交付金自体は是とする菅直人が示した懸念の意味だろうが、小沢一郎は「それは小泉・竹中に限らず自民党政権は官僚主導のまま金額だけ削減したからだ」と反論した。いずれにせよ小沢一郎は、当面の不況対策としての財政支出は別として、長期的には財政規模の拡大はしない方針のようだから、小沢一郎がおよそ「サービスの大きな政府」を志向する政治家ではないことは間違いない。

私は、菅直人も「サービスの大きな政府」をどこまで志向しているのか疑っているのだが、せっかく「民主党は『大きな政府』を打ち出せ」と日頃から主張する榊原英資がフジテレビの両候補討論の番組に出演していたのだから、榊原氏に両候補がどのような政府を目指すのか聞いてほしかった。しかし、その機会がないまま両候補はスタジオを後にしてしまった。物足りなかった。

私の結論をいうと、当面の不況に対処するためには菅直人は論外、消去法で小沢一郎をとらざるを得ないが、長期ビジョンに関しては、「小沢一郎は支持できないが、菅直人も信用できない」という、ちょうど憲法問題に関するスタンスと同じになる。本当に不毛だ。

ここまで長く書きすぎて、今日も残り時間が少なくなったが、普天間基地移設問題でも、「日米合意順守」で固まっている菅直人に対して、小沢一郎は見直しの含みを持たせているものの、基本的には「日米合意を尊重する」スタンスであり、菅直人と大差ない。このことを、沖縄の地元紙は厳しく批判している。以下、『琉球新報』9月3日付社説から引用する。

 米軍普天間飛行場移設問題について、小沢氏の発言はぶれている。1日の共同記者会見で、再交渉による日米合意見直しの可能性に言及。しかし2日の討論会で、日米合意を前提とする考えを明言した。
 これでは日米合意を順守する意向の菅氏との違いはほとんどない。一夜明けて発言をトーンダウンさせた真意が分からない。鳩山由紀夫前首相の二の舞いはこりごりだ。


このように、「小沢も鳩山や菅と同じ」というのが沖縄の声であり、沖縄でも小沢支持が菅支持を多少上回る程度に過ぎないと聞く。普天間問題が菅直人支持の根拠になることはあり得ないが、小沢一郎を積極的に支持する根拠になることもまたなさそうだ。


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個人的なことを書くと、8月の盆明けから少し忙しく、そこにもってきて猛暑だったので、昨日はついに夜9時前に帰宅したあと、テレビのニュースも見ずに朝6時まで寝ていた。だから、昨日行われた民主党代表選の公開討論会(日本記者クラブ主催)も、新聞とブログにいただいたコメントで知るばかりである。

既に告示日の報道で、単刀直入に言えば「菅直人も小沢一郎もともに新自由主義者だ」と断じるに至った私としては、選挙期間を通じて、この民主党両巨頭を徹底的に批判し続けるだろう。菅も小沢もダメだ。だが、どちらかを選べといわれれば、迷わず小沢一郎の代表選当選と小沢政権の成立を望む。その理由は、いつも当ブログを読んで下さる方には自明だろうけれど、あとで改めて書く。

上記のように、昨日の公開討論会は見ていないので、このエントリでは新聞記事(朝日新聞)や討論会をご覧になった方のコメントを参照しながら意見を述べていくスタイルにしたい。

討論会では、いまや反小沢の急先鋒といえる朝日新聞編集委員・星浩が小沢一郎の急所を突いたようだ。『kojitakenの日記』にいただいたgreenstoneさんのコメントを紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100902/1283382744#c

greenstone 2010/09/02 21:59

本日、菅・小沢の公開討論を見ることができました。
実に愉快な場面がありましたのでお伝えしたいです。
確か、星浩氏だと思いますが、昨日の共同記者会見で小沢氏が普天間に関して沖縄、米国双方が受け入れられる案があると言ったことについて質問しました。
小沢氏は昨日の段階で、菅氏の反論に対して、米国との合意を白紙撤回するものではないと、既に答えていました。
星氏は、小沢案の内容について、さらに突っ込んで質問しました。
小沢氏の回答は、
「三人寄れば文殊の知恵」というものでした。
私は、大受けしました。多くの人も同じだったと思います。
ちょっと政治の場では、なかなか聞くことのできない、破壊的なギャグでした。
大体、小沢の政策はそんなものです。普天間に関しては、社民との連立を復活させるためのエサに過ぎません。


朝日新聞1面の記事を読むと、小沢一郎は「日米合意を原点として尊重していく」とまで言ったらしい。これでは菅直人と寸分の違いもない。「普天間を争点にする」と息巻いていたのは、小沢一郎一流の目くらましに過ぎなかった。

次いで税制の問題だが、不況である現時点では、政府の積極的な財政出動が必要だ。榊原英資は「新日本建設のための国債発行を恐れるな」と書くし(同氏著『フレンチ・パラドックス』(文藝春秋、2010年)第6章のタイトル)、新自由主義者の代名詞・竹中平蔵でさえ、経済対策のための財政支出が少なすぎると指摘している。この点では、当面の積極財政を主張する小沢一郎が、緊縮財政に傾斜する菅直人に勝っている。

だが、政府の将来像となると話は違う。菅直人は、1日の告示日に「高福祉高負担」とは言わなかったものの、それを意味する言葉遣いをしたが、小沢一郎が目指す政府の将来像は、従来不明だった。

しかし、今朝の朝日新聞1面にまとめられた「民主党代表選討論会の論点」と4面の「焦点採録」を読むと、小沢一郎は「所得税、住民税の大幅減税を考えている」と言っている。当然、法人税減税も行うつもりだろう。

私はここ数日、「減税」のワンフレーズポリティクスに突き進み、名古屋市市議会のリコール運動を推進している河村たかしを批判しているが、前回のエントリにも書いたように、その河村のリコール運動を小沢一郎系国会議員秘書が支援している。これは小沢一郎本人が支持したと考えるのが自然だし、それ以外の解釈はあり得ないと私は考えている。

だから、小沢一郎が「減税」政策を打ち出し、河村たかしが望む「減税民主党」にしようとしていると私は思うのだが、だとするとこれは玄倉川さんが指摘するように、レーガノミクスそのものである。

玄倉川さんからは、私が大のコイズミ嫌いであるのは知っているが、政治家批判の「ヲチ」が小泉元総理ばかりなのは感心しない、オカルト番組に呼ばれた大槻教授が何でもプラズマで説明しようとする姿を思い出してしまう、というご批判もいただいているが、ならば今後はコイズミとオザワをセットで批判することにしようか、などと思ってしまった。小沢一郎が今なお「小さな政府」を理想とする新自由主義者であることは、今回はっきりした。

所得税と住民税を減税するのであれば、考えられるのは将来の消費税増税だが、これについても前記greenstoneさんは下記のように書いている。

しかも、消費税増額について次期衆院選以降の実施には含みを残し、今期についても消費税増税について検討することは問題ないと明言しました。
はっきり言えば、財務省の考えに沿っているのです。菅氏と変わりません。
これでは、子ども手当を増額しても、後でその請求書が回ってくるので、消費に回せません。
小沢氏の言っている、国有財産の証券化にしても、埋蔵金発掘にしても恒久財源にはなりません。そこに違いはないのです。


「消費税増額について次期衆院選以降の実施には含みを残し、今期についても消費税増税について検討することは問題ない」というのであれば、これまた菅直人と寸分の違いもない。小沢が菅に勝る点は、あくまで「当面積極財政政策をとる」、ただその一点だけだ。

一方の菅直人は、「政府税調と並んで党の政調で議論を進める。社会保障と税制全体を与野党で議論する」と言っているが、民主党の税調も自民党も消費税の早期増税を求めることは目に見えている。

要するに、「高福祉高負担」を求めるのは良いけれども、そのプロセスがおかしいことと、それとは別に、不況下で当然求められる当面の積極財政に不熱心であるのが菅直人の問題点だ。一方小沢一郎の将来ビジョンには賛成できないうえ、それに至るプロセスもめちゃくちゃだが、当面の経済政策だけは正しい。

なぜ「小さな政府」という小沢一郎の理想に至るプロセスがめちゃくちゃなのかというと、「大きな政府」だろうが「小さな政府」だろうが、まず直接税の税収増を図り、「小さな政府」であれば間接税は重くしない、「大きな政府」であれば、直接税だけでは足りない分を補うために間接税の税率を上げるというプロセスをたどるからだ。

小沢一郎のように、「小さな政府」を目指すにもかかわらず所得税や住民税の大幅な減税を図る、というのはあり得ない政策であって、騙された大勢の人が喜ぶかもしれないが、得をするのは大金持ちだけだろう。早晩税収の不足分を補うために消費税増税を言い出すのは目に見えている。論外である。私は、菅直人政権の継続よりは小沢政権の成立を望むが、それは菅直人の緊縮財政による恐慌の招来を恐れるからであって、当面の不況対策を終えればとっとと小沢一郎をお払い箱にすべきだと考えている。どのみち、小沢一郎の政治生命はそう長くない。とにかく、税制改革の問題に関しては「小沢一郎の正体見たり」の思いだ。

ただ、このことと矛盾するのは、昨年の総選挙で、派遣社員出身の候補が当選するなどした事実であって、そうした一年生議員はみな小沢一郎を熱心に支持している。要するに、「××を応援する○○」状態である。一方、東京の武蔵野市を本拠地とする菅直人には、相変わらず東京に本社を置く大企業の男性正社員的な視野しか持ち得ていないように思われる。四国遍路にも賞味期限があるらしい。前回の遍路から2年が経つ菅直人は、早くその続きを行い、54番札所・延命寺を訪れる機会を持った方が良いかもしれない。

しかし、菅直人自身は意気軒昂に見える。そもそも、今回の代表選に小沢一郎が出てきたのは、菅直人の挑発にたまらず引っ張り出された側面が強いように思われる。その点を指摘するのが、当ブログにいただいたこころさんのコメントである。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1104.html#comment10081

普天間ではとうとう具体案がないとまで言ってしまったね。「小沢首相が誕生した場合には普天間飛行場の国外移設を主張することになる」などといっていた川内氏はどうするのだろう。

それはともかく、全体のプロセスを見ていると、小沢は出馬に乗り気でなく、菅側が挑発を繰り返すうちに、出ざるを得なくなった印象を受ける。参院選後、もっといえば政権交代後腑抜けになっていた菅だが、戦いとなると俄然元気になるようだ。

2010.09.02 22:59 こころ


以上、小沢政権を望むと書きながら、もっぱら小沢一郎を批判する記事を書いてきたが、公開討論会を見て、小沢一郎が圧倒的に優勢だったという印象を持たれた方もいる。その例として、風太さんからいただいたコメントを紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1104.html#comment10080

代表選討論見ました。
あれを最後まで見たら殆どの人は菅さんではなく小沢さんに総理になってもらいたいと思うでしょうね。
例によってマスコミ陣は小沢さんに「政治とカネの問題」とやらでしつこく食い下がっていましたが、軽くあしらわれていました。
その後も外交・防衛問題等でも小沢さんへ集中砲火を浴びせていましたが、逆に記者からの質問形式の後半は、その為に菅さんの存在が希薄になり、菅さんの顔が焦りで歪んでいくのがよくわかりました。
この討論をみてもまだ菅さんが選ばれるならば、それはそれで日本の民度というものでしょう。
それしか言えませんね。
菅さん、ただのアホです。
ご本人は視聴者を意識して盛んに小沢さんを古いタイプの政治家と攻撃していましたが、私には菅さんこそが古いタイプの政治家というようにみえましたが。
大風呂敷を並べての演説口調、しかし中身はまるでない。
笑えますねえ、ほんと。
あれでは国際社会ではまったく通用しません。
ちなみに小沢さんでも国際社会では普通のレベルです。
日本人はもっと有能な政治家を育てなければ、だめですね。
政治をお上(霞が関)まかせにしていては損をするばかりだということです。

2010.09.02 15:49 風太


政治家が政治を霞が関まかせにしていてはいけない。それは正しいと思うが、もう一つ私が思うのは、有権者が政治家に過度の依存心を持ってはいけないということだ。小泉純一郎や小沢一郎に多い「信者」にはその傾向が強いが、最近はそれが文化人(池田香代子氏や江川紹子氏ら)、さらには民主党国会議員(川内博史氏ら)にまで蔓延してきた。

この悪弊を絶ち切るためには、いっそのこと小沢一郎に総理大臣になってもらうほかないという気分が、日に日に高まる今日この頃である。

最後に、秋原葉月さんが運営するブログ『Afternoon Cafe』からいただいたTBに紹介されている東本高志さんのブログ『草の根通信の志をついで』のエントリ「終りのはじまりとしての菅VS小沢の対決と妥協 民主党代表選をどう見るか」を紹介して、今日のエントリを締めくくりたい。光栄にも、このエントリには当ブログの前回のエントリが紹介されている。

(前略)私は、菅氏にも小沢氏にも、また民主党そのものにも期待していません。すでに民主党政権の政治には見切りをつけています。民主党は自民党からの「政権」奪取でその役割を終えた、というのが私の認識です。「政権」奪取後の同党のこの1年間の軌跡を見ると、そこに見られるのは前自民党政権とほぼ同質といってよい体質と民衆不在、対米従属の政治姿勢です。民主党は自民党からの「政権」奪取でその役割を終えた、と判断するゆえんです。

しかし、その民主党にまだまだ期待する向きは、いわゆる「革新」系の人びとにも少なくないようです。その民主党に期待する向きは鳩山首相時代は「友愛」信奉という形で現れ、いまは内実不明の「小沢理念」なるものに共鳴する小沢信奉という形をとっているようです。また、菅氏にも「薬害エイズ問題」を解決した市民運動出身のリベラリスト、という昔の名前で出ています、というたぐいの菅幻想が巷界隈にはいまだに根強く存在しています。

「菅幻想」がたんなる幻想にすぎなかったことは、彼が首相に就任した最初の言説が「日米同盟」への忠誠を再確認することであり、また普天間基地についての日米合意を守るということであったことなどから意外に早く「革新」市民の間に広く認識されるようになりましたが、その分小沢信奉者の間に「小沢革命政権」待望論が再沸騰し、さらには鳩山復権論まで飛び出すようにもなりました。

それが如何せんこの国の大半の国民意識というものであれば、「いっそのこと小沢一郎が代表になって、小沢政権ができた方が良い」。そうすれば (1)小沢は「百戦錬磨の政局職人」(毎日新聞「風知草」2010年8月30日)ということはいえても、政治の表舞台には立ったことはないのだから装った化けの皮は意外に早く剥がれてしまうだろう。彼の保守的本質の暴露とともに。そうすれば (2)小沢幻想のみならず鳩山幻想、菅幻想、民主党幻想も決定的に終焉することにもなるだろう、と私はかなり本気で思っています。

(『草の根通信の志をついで』 2010年8月31日付エントリ 「終りのはじまりとしての菅VS小沢の対決と妥協 民主党代表選をどう見るか」より)


私が民主党代表選で小沢一郎の勝利を望む理由は、一つには上にも書いたように、菅直人がやりかねない緊縮財政政策による恐慌到来を避けたいためだが、それより大きい最大の理由は、東本さんが書かれるのとほぼ同じ、「小沢幻想の終焉」を望むからだ。もちろん、同時に「鳩山幻想、菅幻想、民主党幻想も決定的に終焉することにもなる」と私も思う。

もっとも、「小沢幻想」にとって代わるものが、「河村たかし幻想」や「橋下徹幻想」であっては何の意味もないのだが、とはいえ有害な「幻想」は一刻も早く粉々に砕け散った方が良い。私は、小沢一郎の勝利は望むけれども、同時に小沢政権が短期で終わることも望む。「国民の生活が第一」の政治ができないのであれば、次々と総理大臣が代わることになろうが、それは止むを得ない。


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