ところで、小沢一郎の民主党代表選立候補をめぐって、対照的な2つの世論調査結果が話題を呼んでいる。一つは、共同通信が8月27日、28日の両日に行った全国緊急電話世論調査である。
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082801000428.html
菅氏69%、小沢氏15% 民主代表選で緊急世論調査
共同通信社が27、28両日実施した9月1日告示の民主党代表選に関する全国緊急電話世論調査で、代表になってほしい候補者に菅直人首相(党代表)を挙げたのは69・9%で、15・6%の小沢一郎前幹事長を大きく上回った。民主支持層では菅氏支持は82・0%に上った。首相続投支持が世論、支持層の大勢であることが鮮明になり、党所属の国会議員や地方議員、党員・サポーター票の動向に影響を与えそうだ。
菅内閣の支持率は48・1%で、7、8両日調査の前回から9・4ポイント増。不支持率は8・6ポイント減の36・2%で、7月の参院選後、初めて支持が上回った。代表選の結果、首相が交代した場合、「衆院解散・総選挙を行うべきだ」とする回答は56・1%。「行わなくてもよい」は39・1%だった。「小沢首相」は世論の解散圧力にさらされることになりそうだ。
(2010/08/28 19:21 共同通信)
一方、読売新聞がネットで実施した、小沢一郎の民主党代表選立候補の是非を問うアンケートでは、支持が不支持の3倍以上に達している(当記事執筆時点で、支持76%、不支持24%)。
http://sum.qooker.jp/O/election14/ja/sp1.html
これは別に不思議でも何でもなく、森喜朗内閣時代に行われた10年前の総選挙を前にして、ネットでのアンケートでは民主党支持が自民党支持を大きく引き離していながら、マスコミの世論調査及び選挙結果においては、自民党支持が圧倒的に上回ったのだった。決して「マスゴミの捏造」ではない。それに、読売がネットで行ったアンケートは、小沢一郎の立候補の是非を問うものだ。現時点で菅直人も小沢一郎も支持していない私でも、この質問に対してなら「(小沢の立候補を)支持する」という答えになる。小沢一郎の「立候補を」支持する理由は、民主党の勢力を二分する菅直人と小沢一郎の2人に、徹底した議論を期待し、民主党政権が目指す方向を示してもらいたいからである。
私自身は、繰り返し書くように、「民社国連立政権」の頃はその枠組を支持していたが、普天間基地移設問題で社民党が連立を離脱したあとは、菅政権に代わっても支持はしていない。ただ、昔から自民党を支持したことは一度もなく、自民党政治への逆戻りはごめんだと考えている。
ところが、菅直人と小沢一郎のガチンコの論戦を期待する声は、さほど大きくないようだ。朝日新聞や毎日新聞の社説は、「政治と金」の問題を盾にとって、小沢一郎を門前払いしたい本音がありありだし、両候補の論戦を求める読売新聞も、代表選後の民主党分裂や大連立政権成立を期待する下心がミエミエだ。実際、菅直人、小沢一郎の両候補とも、大連立への志向性を持った政治家であり、その意味で候補者がこの2人だけであることに物足りなさを感じる。
それでも、両巨頭が議論することの意味は決して小さくない。東京新聞(中日新聞)は、朝毎読とは違って、下心なしに両候補の論戦を求める論調をとっているように見える。
もっとも、昨日(8月29日)付の『kojitakenの日記』でも紹介したように、元宮城県知事の浅野史郎氏は、1997年の宮城県知事選で、新進党からの推薦を打診してきた当時の新進党党首・小沢一郎の依頼を断った翌日、自民党と組んで対立候補の推薦を発表した小沢一郎をテレビで見て、その時の経験から、
と書いている。小沢さん側が「政策で戦う」と言っているのが、信じられるものではない
私も、小沢一郎の「国民の生活が第一」は選挙に勝つための方便であって、小沢一郎の本質は、「政局が第一」「選挙が第一」の政治家だと思っている。それを承知の上で菅直人と小沢一郎の論戦を求めるのは、一つには現在のまま野田佳彦財務相続投で、財務省主導の緊縮財政や不況時の消費税増税などの政策をやられては国民生活はたまったものではないことと、もう一つはいい加減「小沢一郎の幻想」を剥ぎ取って、「剛腕の小沢さんなら何とかしてくれそう」とか、「小沢さんでなきゃアメリカ(官僚、財界、「悪徳ペンタゴン」などに置き換えても良いけれど)に対抗できない」などという世迷い言に終止符を打たなければならないと考えているからだ。そのためには、菅政権が続くよりも、いっそのこと小沢一郎が代表になって、小沢政権ができた方が良いのではないかと思っているほどだ。
だが、小沢一郎の支持者は菅直人との論戦など全く期待していないようだ。たとえば、前回のエントリに、下記のようなコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1103.html#comment10041
ややこしいことは不要。
09衆院選のマニフェストを守るか、否かが
争点だ!特に消費税。
2010.08.27 15:13
コメント主は無記名であり、こういうのは普段は承認しないのだが、いわゆる「小沢信者」の特徴がよく現れているので、悪趣味かもしれないが、特別にこれを承認した上、こうやって本文で晒し者にしている(笑)。
このコメントを見た時、私は爆笑した。なぜかというと、コメント冒頭の「ややこしいことは不要」というフレーズから、例の「具体的なことはよくわからないが、小泉首相のキャラクターを支持する層」、すなわち「B層」を思い出してしまったからである。「B層にフォーカスした徹底的なラーニングプロモーションが必要」と書かれた資料は、今でもネットで確認できるが、これは5年前の「郵政総選挙」のために、竹中平蔵と私的に親しい関係にあった有限会社スリードが作成したものである。今、小沢一郎を熱烈に応援している者の中には、5年前の総選挙では小泉の宣伝につられて自民党に投票した者が少なからずいるのではないかと私は想像している。小沢信者と小泉信者は、思考回路がよく似ている。
これと対照的なのが、民主党員のさとうしゅういち氏が主筆を務める『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「民主党代表選挙に期待される論戦」であって、毎度のことながら簡潔によくまとめられている。
リンク先記事に挙げられた論点のうち、普天間基地移設問題に関して、下記のように書かれている。
基地問題については、小沢候補が普天間基地の辺野古移設を批判しています。この点は歓迎したい。問題は、どのようにでは見直しを実現するか。どのような決意をもって事にあたるか、です。
どうも、辺野古は、結局は自衛隊基地にするという話も表ざたになっています。日本側の防衛利権関係者が、アメリカを出汁にしていたのではないか、という疑惑もあります。今一度仕切り直しをお願いしたい。
日本側の防衛利権関係者の話で思い出したのが、3年前に守屋武昌が関与した「防衛疑獄」が発覚した頃、自民党の野中広務が小沢一郎周辺の防衛利権疑惑を指摘したことだ。当ブログも2007年11月17日付エントリ「野中広務が指摘する小沢一郎周辺の『防衛利権』疑惑」で取り上げた。野中広務は、小沢一郎の「過去」について、既に 『政界裏面史』 に書きためており、それは野中の死後に公表されるようにしてあるのだそうだ(上記当ブログのエントリより)。当時、小沢一郎にも後ろ暗いところがあるから、民主党は「防衛疑獄」の追及に及び腰なのだ、などと言われていた。そもそも、防衛利権は自民党竹下派が押さえていて、それを清和会が奪取したものだった。だから、自民党時代の小沢一郎には防衛利権の陰がある。
そんな小沢一郎、しかもこの件に関して鳩山政権の幹事長時代に、何ら鳩山首相に影響力を及ぼさなかった小沢一郎が普天間基地問題を争点にしようというのだから筋は通っていないが、「白猫でも黒猫でも、ねずみを捕るのが良い猫である」とでも言っておこうか。
「政治と金」の問題については、当ブログはこの問題を盾にとって小沢一郎を門前払いすることはしない。しかし、上脇博之・神戸大教授は、
として小沢一郎を批判する一方、菅直人に対しても、小沢氏は、昨年の総選挙後の10月、民主党がマニフェストに明記していた企業・団体献金の全面禁止等について、「21世紀臨調」に「諮問」してしまい、「21世紀臨調」は、今年4月に、企業・団体献金の部分的にしか禁止しない提言を発表し、民主党は、企業・団体献金の全面禁止という選挙公約を反故にしてしまった。
と手厳しく批判している。小沢一郎、菅直人とも、なぜ企業・団体献金全面禁止がこれまで進んでこなかったのかについて説明するとともに、これを示す道筋を示さなければならない。取り調べの全面可視化についても同様だ。菅氏は、6月11日の所信表明演説では、「企業・団体献金の全面禁止」も「政治資金規正法の抜本改正」も一切発言しかった。
その後も、そのような発言は一度もない。
企業・団体献金の全面禁止を実現する気がないのだろう。
上記以外で重視したいのは、やはり政府のあり方をめぐる議論であって、何度も書くけれども「サービスの小さな政府」か「サービスの大きな政府か」の選択だ。「サービスの」という枕詞をつけたのは、菅直人も小沢一郎も好んで言う「ムダを省く」ことなど当然の前提であって、真に議論すべきは政府のサービスの拡大か、それとも現状のままの「小さな政府」の継続あるいはさらなる政府のサービスの削減かということが言いたいからだ。
現在の日本が既に「小さすぎる政府」であるとは、元財務官僚の榊原英資氏なども認めているところで、榊原氏は人口の少ない北欧モデルは日本には合わないから、フランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパをお手本にして「大きな政府」路線をとれと主張しているのだが、菅直人は神野直彦氏をブレーンにしている割には「大きな政府」を言いたがらないし、小沢一郎にいたってはさらに怪しい。毎日新聞は、名古屋市の河村たかし市長が主導する市議会の解散請求(リコール)の署名活動を、小沢一郎に近い国会議員(おそらく民主党議員=筆者註)数人の秘書が手伝っていることを伝えているが、河村たかしの主張は、「民主党を減税政党にせよ」、つまり、民主党は「小さな政府」を目指せということだ。小沢一郎は、どうもそれに傾斜しているように見える。なぜかと考えると、高福祉だが負担も大きくなる「大きな政府」を主張するより減税を打ち出した方が選挙での得票が増えると小沢一郎が計算しているからだろう。
実際には、年収1000万円以下の層では、払う税金より政府のサービスを受ける分の方が多く(これは飯田泰之の試算だったと思う)、日本でも他国に比べて弱いとはいえ再分配が行われているわけで、「民主党を現税制党にせよ」という河村たかしの主張は、要するに政府は再分配なんかしないで、もっと市場に任せよ、そして格差を拡大させよと言っているに等しい。
ところがトンチンカンなことに、玄葉光一郎を新自由主義者だとして批判する小沢信者が(この批判自体は正しいが)、河村たかしを新自由主義への反対者であるかのように妄想し、「河村たかしのバックには小沢一郎がいる」などと得々と書いている。
私は昨日、『kojitakenの日記』でこれを批判したのだが、これに対して、bannbannさんと仰る方から、興味深いコメントをいただいた。実は、前述の河村たかし主導の名古屋市議会のリコール署名活動を、小沢一郎に近い国会議員数人の秘書が手伝っていることを伝えた毎日新聞記事も、このコメント欄でbannbannさんに教えていただいたのだが、さらにbannbannさんはこうも指摘している。
bannbann 2010/08/29 14:53
小沢一郎、多分権力維持のためなら右でも左でもくるくる主義主張を変える人だと思います。ある方のブログによれば国旗国歌法に賛成した小沢氏ですが自自公連立を離脱した直後に国会で国会掲揚を認めようとの決議がなされたとき反対したそうです。驚いて聞いた記者が、あたりまえだろ野党なんだからと平然と言ったとか。ですから、左右両方の人間にとって深入りは禁物の人物だと思います。裏切るときはおもいっきり骨の髄まで切り裂く裏切りをしてくる人でしょう。
この調子で、総理大臣になったら普天間基地問題も辺野古現行案で決着、企業・団体献金全面禁止も取り調べの全面可視化も骨抜き、消費税を増税しながら「小さな政府」路線をとり、果ては「大連立」を組んで、「あたりまえだろ与党なんだから」とうそぶきかねないのが小沢一郎という人間である。
そんな人間であってもあえて総理大臣にする、民主党議員や一般党員、サポーターの方々がそう判断されるなら、小沢一郎代表、小沢一郎内閣発足に突き進んでもらって結構だ。私は、小沢一郎が日本を良くするなどとは全く考えていないが、最初の方でも書いたように、このまま無策の菅政権が続くくらいなら、一度小沢一郎に総理大臣をやらせてみて、「剛腕小沢」の神話を、小沢一郎自身に打ち砕いてもらうしかないのではないか、やけくそ気味にそう考えている。
「小沢さんなら何とかしてくれそう」、「小沢さんでなきゃアメリカ(官僚、財界、悪徳ペンタゴン、etc.)に対抗できない」という馬鹿げた思い込みに侵されているのは、何も「小沢信者」ばかりではなく、リアルの政治家も同じだし、最近では江川紹子や池田香代子といった文化人にも信仰が広がっている。だから日本の政治は良くならないのである。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

ただ、両者にはっきり示してもらいたい論点を提示する前に、前首相・鳩山由紀夫を批判しておかなければならない。首相在任中に無能さを晒した鳩山の、キングメーカー気取りの言動には呆れ果てた。おそらく国民の多くが呆れ果てたであろう、鳩山邸で「気合いだ」と気勢を上げた政治屋たちにドン引きしたことは前回のエントリにも書いたが、大富豪の巨大な別荘で能天気に振る舞う人々には、自らの姿が「国民の生活が第一」のスローガンからいかに大きくかけ離れているかという自覚などなかったに違いない。
小沢一郎を人事で厚遇せよという、菅直人首相に対する鳩山の要求も無理筋である。昨夜のニュースでは鳩山が6月初めに、「私も退くが小沢幹事長にも退いてもらう」と言って「ダブル辞任」した映像が流され、現在の言動との矛盾が突かれていた。鳩山以外の人間ならともかく、当の鳩山が3か月足らず前の自らの言動と180度反対の言動をとるとは、この男の言葉は空気より軽い。昔、「真空総理」と評された人間(小渕恵三)がいたが、鳩山由紀夫の場合は「一酸化炭素総理」とでも言っておこうか。軽いだけではなく、極めて有害な人間だ。今回も、直前まで「菅直人支持」などと言っておいて、一夜にして「小沢一郎支持」に豹変したが、成果がほぼ皆無だった鳩山政権の失態が現在の国政の混乱を招いたのである。今回の政局においてもっとも腹立たしかったのが鳩山由紀夫であり、この無能な男には、6月に自らが公言した通り、次回の衆議院選挙には立候補せずに政界を引退してもらいたい。
さて、菅直人と小沢一郎の対決に話を移す。小沢一郎は「原点に返れ」とか「マニフェストを守れ」としか言わないのかも知れないが、それでは論争にならない。菅直人との対立軸をはっきりさせるとともに、国の将来像も示さなければならない。
その前に、事実を重視する当ブログとしては、その足がかりに、昨年の総選挙の前に毎日新聞が行った「えらぼーと」への両者の回答を比較してみたが、あまり参考にはならなかった。以下に示す。
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/mai/kaihyo/area_meikank.php?mid=A13018002002
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/mai/kaihyo/area_meikank.php?mid=A03004001001
問1:憲法9条の改正に賛成ですか、反対ですか。
菅:非該当 小沢:反対
問2:集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきだと考えますか。
菅:見直す必要はない 小沢:見直すべきだ
問3:日本の核武装について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。
菅、小沢とも:将来にわたって検討すべきでない
問4:国会議員の世襲について、あなたの考えに近い方を選んでください。
菅、小沢とも:制限すべきだ
問5:衆院議員の定数削減について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。
菅、小沢とも:比例代表を削減すべきだ
問6:政党への企業・団体献金を全面的に禁止すべきだと思いますか。
菅、小沢とも:禁止すべきだ
問7:衆院選後の政界再編が取りざたされています。当選した議員が所属政党を変えることは問題だと思いますか。
菅:問題だ 小沢:問題ない
問8:政治家と官僚の関係について、あなたの考えに近い方を選んでください。
菅、小沢とも:政府の仕組みを抜本的に変え、政治家が政策の決定と説明に責任を負うべきだ
問9:郵政民営化は成功したと思いますか。
菅、小沢とも:失敗
問10:犯罪の容疑者に対する取り調べの全過程を録音・録画(可視化)することに賛成ですか、反対ですか。
菅、小沢とも:賛成
問11:小泉純一郎元首相が進めた構造改革をどう評価しますか。
菅、小沢とも:まったく評価しない
問12:4年間の任期中に消費税の税率引き上げを決めることに賛成ですか、反対ですか。
菅、小沢とも:反対
問13:2020年までの温室効果ガス削減目標(中期目標)を「2005年比15%減」(1990年比8%減)とする政府の方針について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。
菅、小沢とも:もっと削減すべきだ
問14:地球温暖化対策として温室効果ガス排出などに課税する環境税について、あなたの考えに近い方を選んでください。
菅、小沢とも:導入すべきだ
問15:基礎年金は現在、国民の支払う保険料を財源にあてる保険料方式がとられていますが、全額を税で賄う方式にすべきだとの意見もあります。あなたはどちらがふさわしいと思いますか。
菅:非該当 小沢:全額税方式
問16:労働者派遣法について、製造業への派遣を禁止すべきだと考えますか。
菅、小沢とも:禁止すべきだ
問17:最低賃金を全国平均で時給1000円にすることに賛成ですか、反対ですか。
菅、小沢とも:格差是正につながるので賛成だ
問18:日本外交のあり方について、あなたの考えに近い方を選んでください。
菅:非該当 小沢:日米関係を最重視すべきだ
問19:アフガニスタン支援のため自衛隊を派遣すべきだと思いますか。
菅:非該当 小沢:派遣すべきでない
問20:北朝鮮が再び長距離弾道ミサイルを発射し、核実験を行いました。これまで政府がとってきた対北朝鮮政策について、あなたの考えに近いものを一つ選んでください。
菅:非該当 小沢:圧力をより強めるべきだ
(2009年の毎日新聞「えらぼーと」への回答)
上記をご覧いただければわかるように、両者の主張に大きな開きはない。たとえば私が激しく批判して止まない衆議院の比例定数削減に関しては、菅直人も小沢一郎も強硬な推進派である。両者の回答が異なる点を見ていくと、憲法9条改正の是非について、小沢は9条改正には反対と答えているが、集団的自衛権の政府解釈見直しを主張しており、要するに解釈改憲論者である。菅は、集団的自衛権の政府解釈見直しには反対しているが、9条改正には賛成とも反対とも答えていない。私の立場からは、9条関係では菅直人も信用できないが、小沢一郎は支持できないことになる。
外交に関する最後の3つの質問にも菅直人は答えていないが、小沢一郎の回答が興味深い。問18「日本外交のあり方について、あなたの考えに近い方を選んでください」に、小沢は「日米関係を最重視すべきだ」と答えているが、これは、「これまでよりアジアに比重を移すべきだ」という回答との二択だった。また、問19「アフガニスタン支援のため自衛隊を派遣すべきだと思いますか」に小沢は「派遣すべきでない」と答えているが、小沢は『世界』2007年10月号にISAF参加を主張する論文を書いていた。問20の北朝鮮問題は、対話路線、現状維持、圧力路線の三択だったが、小沢は「圧力をより強めるべきだ」を選んでいる。
問18と問20に対する回答を見ると、小沢一郎は自民党、自由党時代の親米(属米?)タカ派政治家としての姿勢を変えていないように見えるし、問19のアフガン自衛隊派遣反対に関しても、『世界』論文を思い出すと字面通りには受け取れない。一方、これらの問いにはっきり答えない菅直人も信用できない。
以上、憲法問題や外交・安全保障問題に関して、当ブログの立場は、「小沢一郎は支持できないが、菅直人も信用できない」というものである。これらの問題に関して、私はこれまでも民主党を支持してこなかったし、それは今後も変わらないと思う。
もちろん、昨年の「えらぼーと」の質問に上がっていない大きな争点として、普天間基地移設問題があり、菅直人の立場は鳩山由紀夫の最後っ屁である「日米合意」の継承であるとわかり切っているが、小沢一郎も昨年末に「あの青い海を埋め立ててよいのか」と言ったことはあるけれども、鳩山由紀夫に強いブレーキをかけることはなかった。ここで国外移設を公約するのであれば、小沢一郎は自民党・自由党時代から昨年の「えらぼーと」回答時に至るまで小沢自身がずっと続けてきた「対米従属」路線を転換することになり、それはそれで過去の言行との整合性の説明責任はあるけれども、評価を改める材料になるかもしれない。だが、現時点では私はこの件に関して小沢一郎には何の期待もしていない。
以上、憲法問題や外交・安全保障問題を見てきたが、現在の不況による厳しい雇用情勢を考えると、代表選の最大の争点は経済問題になるだろう。菅直人が財政再建路線に走りたがる傾向を見てきたからには、私は菅直人を支持するわけにはいかない。小沢一郎ももちろん支持できないけれども、今回に関してはどっちが勝っても構わないと考えている最大の理由はそこにある。菅直人に関しては、財政均衡主義のドグマにとらわれているように見える。財務相に野田佳彦を据えていることも最悪である。このまま菅政権が続けば、おそらく野田佳彦は財務相に留任するだろう。
思えば、前首相・鳩山由紀夫が昨年の組閣の際に小沢一郎と正面衝突したのは財務相人事だった。財務相に元大蔵官僚の藤井裕久を据えることにこだわったのは鳩山由紀夫で、これに強い難色を示したのは小沢一郎だった。藤井裕久は、菅直人や野田佳彦同様、財政均衡主義に傾斜した人間であることはいうまでもない。民主党政権の経済政策の混迷がここから始まったことを思えば、この点に関しては小沢一郎に軍配を上げるほかはない。
ただ、問題は小沢一郎がいかなる将来像を思い描いているかということだ。当面の積極財政は、竹中平蔵でさえ当然視していることであり、何の問題もない。こんな時に緊縮財政をやるのは大馬鹿者である。だが、小沢一郎が将来のビジョンを示したとは、私は寡聞にして知らない。「(サービスの)大きな政府」を目指すのか、(私は実現不可能だと考えているけれども)「良い小さな政府」を目指すのか、それとも自民党や「たちあがれ日本」と同様に、「小さな政府で消費税増税」を目指すのか。
たとえば「民主党を減税勢力にせよ」と叫ぶ河村たかしは「小さな政府」を指向している新自由主義者だと私は思うけれども、小沢一郎は河村たかしと同じ「小さな政府」指向なのか。それとも、財政の再分配機能を強めるべく、直接税を中心にした増税を視野に入れるのか。これらについて、小沢一郎はこれまでほとんど何も語ってこなかった。
さらに、経済問題に関しては、「みんなの党」が強く主張しているインフレターゲット政策をとるのかどうかの点も、両者に明確な意思表示を求めたい。今年初め頃、現在リフレ派の広告塔になっている勝間和代が、当時財務相だった菅直人にリフレ政策を進言したが、菅直人は取り入れなかった。しかし、リフレ派は前原グループにも小沢グループにも多い。最近、左派ブログの一部では、リフレ派に金子洋一や松原仁らのレイシズム系右翼がいることをめぐって議論が生じている。一方、いわゆる「小沢信者」はリフレの是非についてほとんど何も語らないが、これは彼らを先導(扇動?)する植草一秀が強力な反リフレ派であるにもかかわらず、これに関してブログでほとんど何も書かないことの影響が大きい(実際には多少書いているのだが、「悪徳ペンタゴン」式の強烈なレッテル貼りには至らないので、あまり目立たない)。現在は、リフレ派と反リフレ派がともに小沢一郎に対して幻想を抱いている状態かもしれない。なお、強力な反リフレ派として、有名どころでは金子勝がいるし、榊原英資もリフレの効果には懐疑的である。
雇用問題では、両者とも製造業への派遣を禁止すべきで、最低賃金も全国平均で時給1000円にすることに賛成だと答えているが、もちろん実現していない。この件ももちろん議論をしてほしい。
さらに、環境エネルギー問題に対するスタンスも明確にしてほしい。昨年の「えらぼーと」への回答では菅、小沢の両者にほとんど差はないが、毎日新聞のアンケートは、温室効果ガス削減といっても、原発推進の口実に使うのか、再生可能エネルギー開発に使うのかで中身は大きく違ってくる。再生可能エネルギーの全額買取制度についても、昨夏の毎日新聞「えらぼーと」は質問していない。
このあたりは、自民党政権であれば経団連、民主党政権であれば電力会社や電機会社の御用労組の横やりが入って、なかなか大きな改革ができない分野である。現に、旧民社に支えられた鳩山政権も、松下政経塾出身者に支えられた菅政権も、ともに何もできていない。小沢信者の間で一時流行し、過激な新自由主義者である池田信夫(ノビー)と歩調を揃えた「地球温暖化懐疑論」というのもあるから、彼らは小沢一郎が温室効果ガスをもっと削減すべきだとしたり、環境税を導入すべきだとした主張を改めて欲しいと思っているのかもしれないが、私は逆にこれらの主張がどこまで本物なのかを知りたい。環境エネルギー政策で、小沢一郎には鳩山由紀夫や菅直人ができなかったことができるのか。例によって私は期待していないけれども、小沢一郎には見解をはっきり示してもらいたい。
あと、両者とも賛成しながら前進していない取り調べの全面可視化の問題など、議論してほしい点は山ほどあるが、時間切れになったので今日はここまでにしておく。一方で激しい多数派工作が、国民世論をにらみながら展開されるだろうし、それは権力抗争にはつきものだから大いにやってもらって構わないが、政策論争を置き去りにすることだけは止めてほしいと菅直人・小沢一郎の両政治家には強く求めたい。
もう一つ私が注目しているのは、民主党員やサポーターの意思表示である。2001年の自民党総裁選で小泉純一郎総裁が誕生した時、国会議員の力関係から橋本龍太郎の勝利が予想されていたが、地方が橋本では持たないと悲鳴をあげて、最後には小泉への雪崩が生じた。今にして思えば、あの時、地方の自民党は自分で自分の首を絞めたのだが、それはそれで自民党員の意思表示ではあった。今回は、民主党員及びサポーターの方々の意思表示が注視される。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

鳩山政権時代の3月に、民主党で生方幸夫副幹事長を解任する動きがあったが、一転して留任となった際に用いられた。生方氏が小沢一郎幹事長(当時)を批判したとかで、小沢一郎の側近が過剰反応したのだが、小沢一郎自身が、何も解任するほどのことでもないと言ったとか言わないとかで、一転して解任が取りやめになった。この時以来、大親分である小沢一郎の意図を忖度して側近が動くことが「忖度政治」と揶揄されるようになった。
小沢一郎の側近らのやる「忖度政治」とは、「長いものには巻かれろ」式の思考に基づいており、これほど彼らがスローガンとして掲げる「国民の生活が第一」からかけ離れたものはないと思うのだが、そんな彼らが鳩山由紀夫前首相の別荘で「気合いだ!」と気勢を上げていたことにはドン引きさせられた。
軽井沢に160人もの民主党議員が集まったことに植草一秀などは狂喜乱舞して、
などと軽口を叩いているが、『日本がアブナイ!』に紹介されている、「あまり政治に関心のない年配の婦人」の言葉が、庶民の感情をよく言い表していると思う。ご婦人はこう仰っていたという。皆で「カンけり遊び」でもすればさらに盛り上がったのではないかと思われる
もし小沢氏が首相になりたいのなら、自分でそう言って、動けばいいのに。軽井沢の懇親会もそうだけど、まるで皇室の方とか、すごくエライ人を扱うように、周囲が気持ちをおしはかって、きちんとお膳立てして、「お出まし頂く」みたいな形をとらないといけない感じになっていることに、違和感を覚える。
これが「庶民感覚」というものだろう。「闇将軍」といわれた田中角栄の秘蔵っ子だった小沢一郎にとってはごく当たり前の行動形態かも知れないが、政治手法としては「古い自民党」そのものであり、いまどき自民党の政治家だってこんな行動様式はとらない。
ところが、ここからが問題である。単に小沢一郎の政治手法が古いというだけなら、すんなり菅直人が再選されればよいし、当ブログもそのような論陣を張るだろう。だが、最近金子勝がしばしば指摘するように(昨日もTBSの『サンデーモーニング』で言っていた)、民主党が昨年の衆院選で掲げた「国民の生活が第一」のスローガンに基づくマニフェスト(その中にはスローガンと相容れないものも一部含まれるが)を骨抜きにして参院選で敗北したのは菅直人首相の方なのである。金子勝は、政治手法は小沢・鳩山の方が「古い自民党」と同じだが、政策は菅の方が自民党と同じ(というより小泉構造改革路線と同じ)であるという「ねじれ」が生じていると言っている。
私は、金子勝の見方は民主党に甘すぎると思う。実際には鳩山政権でも「旧民社の害毒」がマニフェストの実現をずいぶん妨害してきたし、官房長官を務めた無能な平野博文をはじめ、中井洽や直嶋正行といった「旧民社」の政治家たちを任命したのは鳩山前首相だった。鳩山由紀夫は政権末期に、ウリにするはずだった環境・エネルギー政策が骨抜きにされたと嘆いていたが、旧民社の直嶋正行なんかを経済産業相に任命したら、御用労組の意を受けて、金子勝が必要性を力説するような「環境・エネルギー革命」を目指す政策などをことごとく潰し、これを原発推進の口実にすり替えてしまうことなど目に見えていた。
要するに、小沢・鳩山は単に政権に与える影響力が小さくなってしまったために「マニフェストを守れ」とか「原点に返れ」などと言っているだけであって、そもそも民主党に「原点」なるものが存在するのかどうかさえはっきりしない。民主党には「綱領」は存在しないし、「綱領を作れ」と主張しているのは旧民社系の議員だという。旧民社なんかが主導する「綱領」だったら、ない方がまだましだ。
小沢一郎の理念や政策も不明である。前回のエントリにTBいただいた『Afternoon Cafe』は、こう書いている。
去年の衆院選では小沢さんは「国民の生活が第一」という耳に心地良いキャッチフレーズを全面に出しましたが、リップサービスだけなら誰でもできます。
問われるのは何をどう行動に移したのか、です。
で、小沢さんの行動といえば、民主党が野党だったときに自民党との大連立を目論んだり、比例定数削減に熱心だったり、普天間基地問題では鳩山さんのそばにいながらだんまりを決め込んだり・・・およそ「国民の生活が第一」とはほど遠い内容ですね。だからこの人は政策や理念より「政局が第一」の政治家に思えて仕方ありません。
過去の言動にも評価できないところが多いが、小沢一郎のビジョンもはっきりしない。明らかに菅直人より勝っている部分は一つだけあり、それは小沢一郎が緊縮財政指向をきっぱり否定している点である。しかし、小沢は日本の将来像は示していない。
菅直人のブレーンには高福祉高負担を目指せとする学者がいる一方、菅直人を支える前原グループや野田グループは低福祉低負担(新自由主義)を目指す政治勢力だ。この「呉越同舟」も問題だが、小沢一郎にも今なお「小さな政府」指向が強いように私には思われる。
例によって小沢一郎自身ははっきり語らないのだが、テレビ番組などで「みんなの党」の渡辺喜美らから「民主党は大きな政府だ、社会主義だ」と言われると、小沢一郎に比較的近いとされる原口一博は、「大きな政府を目指すなどとは言っていない」と議論を遮るし、小沢信者の間で人気が高いらしい名古屋市長の河村たかしは、最近テレビに出演するたびに、「民主党は減税勢力の代表となるべきだ」と主張している。ところが現実には、年収1000万円以下の国民は、税金にとられる分より公共サービスのお世話になる寄与の方が大きいのだから、河村たかしの主張通りに民主党が「減税勢力の代表」になって政策を推進すれば、日本社会の格差はさらに拡大することになる。
冒頭に触れた植草一秀などは「良い小さな政府」を標榜しているが、「小さな政府」に良いところなど何一つない。「小さな政府=悪」なのである。ところが私は、小沢一郎はもしかしたら「良い小さな政府」を主張したいのではないかと疑っている。30年にも及んだ新自由主義全盛期に、「小さな政府」という言葉は、「官から民へ」と並んで、肯定的な意味合いで語られてきた。2005年の「郵政総選挙」でも、小泉自民党は「小さな政府」を掲げて圧勝した。
それから5年が経過し、流れはずいぶん変わった。かつて「新自由主義寄りのリベラル」だと思っていた榊原英資が、近著『フレンチ・パラドックス』(文藝春秋、2010年)で堂々と「大きな政府」を目指せ、と主張するようになった。しかし、河村たかしの主張にハートをわしづかみにされる名古屋市民が今でも大勢いることも、反面の事実なのである。政局が第一、選挙が第一である小沢一郎は、「国民の生活が第一」をスローガンに掲げておきながら「小さな政府」を目指す、実際には実現不可能な「良い小さな政府」の路線が、選挙でもっとも多くの票を得られるとでも考えているのではなかろうか。
以上は邪推かもしれない。だが、小沢一郎が表舞台に出てきて、堂々と自らの政策を主張して菅直人と戦おうとしない限り、私には小沢一郎とはその程度の政治家だとしか思えないのである。
何度でも書くが、小沢一郎は民主党代表選に立候補して、菅直人と堂々と政策を議論すべきだ。そして、論争に勝った方が民主党代表になる。そんな代表選にしてもらいたいと思う。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

特に苛立ったのは、樽床伸二が自らを中心としたグループを立ち上げたりとか、海江田万里が代表選出馬を示唆したりした時だ。彼らは、小沢一郎に担がれて、あわよくば日本国総理大臣の座に直結する民主党代表になりたいとの下心を隠さなかった。だが、誰が「郵政総選挙」にも勝てないほどの新自由主義者(樽床伸二)や主義主張不明の政治家(海江田万里)なんかに総理大臣をやらせたいなどと考えるものか。国民をバカにするのもたいがいにしろ。そう思って、猛烈に腹が立った。
かと思うと、鳩山由紀夫は菅直人と小沢一郎の両にらみで、考えていることは自らの影響力を確保することだ。鳩山由紀夫には金はあるし権力欲もある。しかし信念も、「友愛」という漠然とした観念以外の政治思想もない。そのことは、失政を繰り返した9か月の鳩山政権を振り返れば明らかだ。
小沢一郎がどういう政治手法を好んでいるかは昔からよく知られており、要するに「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」のだ。かつて海部俊樹政権時代に自民党幹事長を務めて猛威をふるった小沢一郎は、49歳だった1991年の「ポスト海部」の局面で、宮澤喜一、渡辺美智雄(渡辺喜美の親父)、三塚博の3人を「面接」した。小沢一郎の権勢がピークに達した時期の出来事として人々に記憶されている。今、菅直人首相が一年生議員との「面談」を強要したと言っていきり立っている人たちも、当時は小沢一郎を嫌っていたか、または政治に関心がなかったかのいずれかだろうと私は推測している。
小沢一郎が現在でも自らがトップに立つより誰かを担ぐことを好んでいるのは明らかで、昨年の「西松事件」で検察はもしかしたら小沢一郎の権勢に挑んだのかも知れないが、もしそうであったなら逆効果だった。「政治と金」のイメージが強い小沢一郎が代表のままだったら、昨年8月の衆院選で民主党があそこまでの圧勝をおさめたかどうかは疑問だ。あの衆院選で民主党が勝ったことにより、闇将軍小沢一郎の権威はますます高まった。
小沢一郎が強い影響力を持つ鳩山政権は、全然成果をあげられなかった。だから内閣支持率は急降下し、鳩山由紀夫前首相は辞任に追い込まれたが、鳩山政権の不首尾には、むろん小沢一郎の責任も重い。だから一緒に辞任したのだが、誰が何と言っても総理大臣は鳩山由紀夫だったのであり、普天間にせよもっとも重い責めを負ったのは鳩山だった。これは当然ではある。
思い出すと、あの時鳩山は、「普天間で社民党を切ったら小沢さんに政局にされる」と周囲に漏らしてびびりながらも「沖縄・社民党切り捨て」を断行して、実際に小沢一郎に政局にされたのだった。だが、小沢一郎は果たして沖縄県民の側に立って、県内移設、国内移設に強く反対したのだろうか?
そうではないだろう。小沢一郎が本気になれば、易々と鳩山由紀夫を操れただろうが、小沢一郎はそれをやらなかったのである。菅直人も、普天間問題では知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいたが、小沢一郎だって何もやらなかった。
そんな小沢一郎が、この期に及んでまだ海江田万里だの樽床伸二らを担ごうというのは最悪である。原口一博でもダメだ。小沢一郎ともども「靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーである原口一博は、松下政経塾出身のタカ派政治家であり、ずっと首都圏に住んでいる人たちは知らないかも知れないが、大阪のよみうりテレビをキー局として首都圏などの一部地域を除いて全国ネットされている、やしきたかじん司会の極右番組で、出演者たちに「次期総理大臣候補」などと持ち上げられていた原口に対して、私は強い不信感を持っている。幸か不幸か、原口は最近小沢一郎とやや距離を置いているようである。
小沢一郎が「誰かを担ぐ」ことの最大のメリットは、小沢一郎自身に深い傷がつかないため、人々が小沢一郎に対して持つ「信仰」を保ち続けられることだ。普天間基地問題が自公政権時代の案に戻ってしまったことを、鳩山由紀夫や岡田克也、北澤俊美らのせいにしてしまえることなど、その典型例である。
ここまで小沢一郎に対する批判をずっと書いてきたが、だからといって私は菅直人を支持しているわけではない。『kojitakenの日記』にも書いたが、何より不満なのは、菅首相に現在の雇用状況に対する危機感が感じられないことだ。大企業男性正社員の根城である東京・武蔵野市を地盤とする菅首相には、日本経済の惨状が見えていない。だから、不況下で財政再建を行おうなどという、かつて小泉純一郎や竹中平蔵が小泉政権初期に犯した失敗を繰り返そうとする。菅首相と同じ方向性を持つのが、自民党の谷垣禎一、たちあがれ日本の与謝野馨、読売新聞の渡邉恒雄(ナベツネ)、朝日新聞の船橋洋一といった面々であり、彼らの思うように日本を舵取りされたのではたまったものではない。
小沢一郎を支持しない私が、それでも菅直人より小沢一郎の方がましだと思う部分は、不況下の財政再建路線などという菅直人の馬鹿げた路線を小沢一郎が批判していることだ。だが、同時に私は、小沢一郎が総理大臣になったところで、財政再建路線の元締めである財務官僚に逆らって積極財政政策を打ち出せるかどうかは疑問視しているし、景気回復したあかつきに、日本が福祉国家を目指す路線をとるかについては、全く期待していない。「良い小さな政府」などという、あり得ない路線をとってせいぜい格差を拡大させるだけだろうと考えている。
そうは思っているけれども、最悪なのは菅首相が何の反省もせず、財政再建路線をばく進することだ。そのためにナベツネや船橋に唆されて「大連立」に走る可能性もある。「大連立」というと小沢一郎が元祖だし、小沢一郎は与謝野馨とも碁打ち仲間であって、政局によっては小沢一郎自身が財政再建路線を走った可能性さえあるのだが、それは別として、現時点では日本経済をさらに傷めるリスクをより強く持っているのは、菅直人の方だ。最低でも、菅首相に財政再建路線を改めさせなければならない。
だから、無風の代表選だけはやってはならない。だが、繰り返し書くように、小沢一郎が誰かを担いで総理大臣を作り、その人間をリモートコントロールすることを許してはならない。それこそ、国民をバカにした所業である。
菅直人に政策や信念がないことは、総理大臣に就任したあとの言動ではっきりしたが、それでは小沢一郎にはいかなる政策があるのか。これに対しても、私は極めて強い疑問を持っている。結局、菅直人と小沢一郎の間に、いかなる政策的対立軸があるのかよくわからないのである。
当面、菅直人が財政再建路線を走りたいらしいことはわかるし、それには私は反対である。一方菅直人は、財政再建路線とははっきり矛盾する福祉国家路線を理想としているらしいこともわかるが、小沢一郎のビジョンはわからない。ネットで必死に「小沢マンセー」を繰り返している「良い小さな政府」論者・植草一秀は、デフレマンセーの論者だが、経済学で流行っているのはリフレ派らしく、小沢一郎系列の民主党議員の中にもリフレ派は大勢いる。反金融緩和派である植草は、もちろん大の「反リフレ派」のはずだが、ブログでは何も書かず、ひたすら「小沢信者」を煽っているだけだ。
それもこれも、小沢一郎が自らへの幻想をいつまでも振りまくことによって生じた弊害である。今や、かつての左翼、リフレ派、デフレマンセーの反金融緩和派など、呉越同舟の人たちが小沢一郎にすがっているが、その小沢一郎の国民的人気は、全く高くない。だが、民主党内での影響力は異様に強い。不健全きわまりない状態である。
こんな状態は、一刻も早く終わらせなければならない。現在の菅直人と小沢一郎だったら、私はどちらも支持しないが、今の民主党にもっとも必要なのは、菅直人と小沢一郎の両者が、正面から政策を議論することだろう。つまり、菅直人と小沢一郎は、民主党代表選で戦わなければならないと考える次第である。
最後に、2つの「声」を紹介する。まず、『kojitakenの日記』にお寄せいただいた、greenstoneさんのコメント。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100819/1282172584#c
greenstone 2010/08/19 22:32
私は、小沢一郎氏を、政治ゲーム、権力闘争の好きなゼネコン政治家だと思っています。
彼は、権力を取る過程に情熱をかけ、そして権力を取った後、掌の上でそれを転がすことを楽しみます。しかし、政策には何の関心もない方だと思います。
かつては「普通の国」論を唱え、保守的な政治家を装いましたが、現在は左派の政治集団と緊密です。農家の所得補償も、子ども手当も、選挙のためであり、それにより実現したい理念があるわけではないと思います。
しかし小沢待望論を唱えている人たちの気持ちは別な所にあります。
一種の英雄願望だと思います。
民主党に期待を抱いていて、裏切られた人が、小沢一郎なら豪腕を発揮して政治を変えてくれる、官僚主導の政治を打破してくれる、という願望を抱いた。それが小沢待望論だと思います。
政権交代によって分ったことは、少なくとも日本では一夜にして全てが変わるというようなことは起きないということです。多くの日本人は民主党に色々なものを託したと思います。ある人は改革を望み、ある人は福祉の充実を望んだ。そして、それぞれが裏切られた。
政治任用制をとらない日本では何事にも時間がかかり、我々は辛抱強くあらねばいけないのかもしれません。
もうお一方、『平成海援隊Discussion BBS政治議論室』(このBBSも最近すっかり「夏枯れ」してしまっているように見える)に掲載された、浮舟亭田中屋さんの投稿を紹介する。
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=liberal7&mode=res&no=12922
仁義なき戦い 頂上作戦 - 浮舟亭田中屋
わたしだけじゃないでしょう、
菅 直人VS小沢一郎の真っ向からの激突を望んでいるのは。
民主党がどのような政党であり民主党政権が何を目指すか、そのことが明らかになるためには、もっともわかりやすい戦いです。いろいろベールに包まれた虚像としてではなく、実体あるもの同士の激しい論戦を見てみたいですね。
本当は第一世代には一線を引いてもらいたい気もしますが、まあしょうがない。
例え最後はグチャグチャの数の論理とかポストを餌とかなっても、徹底した議論が展開されることを望みます。
[No.12922] 2010/08/19(Thu) 10:24:10
もちろん、菅直人対小沢一郎の真っ向からの激突を望んでいるのは、浮舟亭田中屋さんだけではなく、私も同じである。そして、小沢一郎を熱烈に応援されている方々も、立場こそ違え同じ思いだろう。いや、小沢一郎信奉者ばかりではなく、「判菅びいき」を自認されている『日本がアブナイ!』の管理人・mewさんも、最新のエントリで、
と書かれている。菅氏も小沢氏も覚悟を決めて<民主党としても、分裂の可能性があることを覚悟した上で>、この2人が代表選でガチンコ勝負をするのが、色々な意味で、一番すっきりするのかも知れないな?と思い始めている
来月の民主党代表選こそ、「勝負の秋(とき)」である。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

終戦記念日というと毎年騒ぎになるのが閣僚の靖国神社参拝である。終戦30周年の1975年に、三木武夫首相が「私人として」参拝したのが、終戦記念日に総理大臣が靖国に参拝するようになった発端だが、3年後に福田赳夫首相が「内閣総理大臣」の肩書きをつけて「私人として」参拝して以来、終戦記念日の総理大臣参拝がトレンドとなった。続く大平首相(1979年)は終戦記念日の靖国参拝は避けたものの、鈴木善幸(1980?82年)、中曽根康弘(1983,84年)と5年連続で総理大臣が「私人」として参拝し、1985年、ついに中曽根が靖国を「公式参拝」した。しかし、これが中国・韓国の反発を受けると、翌1986年に中曽根は靖国神社を取りやめた。すると、今度はこれが踏襲すべき前例となり、以後2006年に小泉純一郎が参拝するまで、終戦記念日に靖国を参拝する総理大臣は現れなかった。中曽根は「裏切り者」とばかり、右翼に攻撃のターゲットにされた。
総理大臣は参拝しないものの、閣僚やその他の国会議員には参拝する者が多く、例年ニュースになった。たとえば安倍晋三は、総理大臣在任中(2007年)は参拝しなかったものの、退任後、これ見よがしに終戦記念日に靖国を参拝するのが恒例だ。安倍自身はナベツネに釘を刺されて終戦記念日の靖国参拝を避けておきながら、政争の具にしようとする。そんな人間だ。
今年、菅内閣の閣僚は誰一人として靖国に参拝しなかった。これは、靖国問題が騒がれるようになった1980年以降では初めてのことらしい。ここぞとばかり、靖国に参拝した安倍晋三や平沼赳夫は民主党政府を攻撃したが、産経新聞などごく一部のメディアを除いて、大きくは報じられなかった。先の参院選で自民党は勝ったが、安倍らが力を入れた山梨選挙区では敗れ、安倍のお仲間・平沼赳夫が与謝野馨と野合して立ち上げた「たちあがれ日本」は獲得議席1議席と惨敗し、山田宏と中田宏が立ち上げた「日本創新党」は獲得議席ゼロに終わった。右翼イデオロギーを前面に出した政治勢力が国民に支持されていないことがはっきりしてきて、大手メディアもあまりイデオロギー対立を煽らなくなったし、城内実のように「機を見るに敏」な政治家は、右翼色の強い「地」を隠すようになってきた。
イデオロギー論争が大きく扱われなくなったおかげか、今年は静かに戦争を振り返るという視点が、メディアにも戻ってきたように思える。ようやく終戦記念日らしい空気が戻ってきたともいえるが、戦争を知る人々が高齢化して、生きているうちに真実を伝えておきたいという気持ちになられたことも影響しているかもしれない。戦争に限らず、同様の心境になられたのではないかと私が推測しているのが、元外交官の吉野文六氏であって、90歳を目前にした頃に、沖縄返還をめぐって交わされた日米の「密約」について証言を始めた。同様のことが戦争体験についてもいえて、たとえば元プロ野球選手の張本勲氏は、4年前から自らの被爆体験を語るようになった。
昨夜NHKで「龍馬伝」のあとに、「NHKスペシャル」の枠として放送されたドラマ「15歳の志願兵」は、昭和18年(1943年)に現実に起きた、愛知一中で生徒達が予科練志願に総決起した事件を下敷きにしたフィクションだそうだ。調べてみると、NHKがドラマの下敷きにした本が見つかった。江藤千秋著『積乱雲の彼方に 愛知一中予科練総決起事件の記録』である。ドラマに合わせてということなのか、先月「新装版」が出たようだが、原著は1981年に出版されている。江藤氏は1928年生まれで、愛知一中を卒業し、のち同校の後身・愛知県立旭丘高校で化学の教鞭をとった。2003年に逝去されている。上記リンクを張った法政大学出版局のウェブページの「内容紹介」には、
と書かれている。蛇足ながら、愛知一中は、東京府立一中(現日比谷高校)、神戸一中(現神戸高校)とともに「一中御三家」と並び称され、現在(旭丘高校)もそうだが、当時から中京の俊英が集う学校だった。「征く者は立て」──戦雲急をつげる昭和18年7月、県内屈指の進学校・愛知一中で生徒達が予科練志願に総決起した。実際に56名が入隊し、5人が戦没、征かなかった者も心に傷を負う。本書は、この渦中にあった著者が事件の意味を問い、学友を鎮魂するため、幾多の証言と遺された日記をもとに、“中学生学徒動員”の軌跡を追った貴重な記録である。
私はこの本を読んでいないので、どこまでが事実に基づいていて、どこからがNHKの創作なのかはわからない。だが、インターネットの威力というべきか、この本の内容を紹介する、5年前に東京新聞(中日新聞)に掲載された記事を転載したブログが見つかった。
http://wind.ap.teacup.com/people/470.html
上記リンク先記事に、こんな記述がある。
南洋で特攻・戦死した愛知一中出身の成瀬謙治さんは、海軍兵学校時代に母校の事件を新聞で知り、「全校生徒の予科練志願は無意味だ。生徒の能力に応じた道に進ませることが、本当に国に報いること」という手紙を校長あてに出した。「校長は当時、権威の象徴。真に勇気のある発言だった」と、同級生たちの語りぐさになっている。
さらに調べてみると、故成瀬謙治氏が読んだ新聞とは、朝日新聞だったことがわかる。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-naruse.htm
昭和18年、朝日新聞が大見出しで「愛知一中の快挙、全四、五年生 空へ志願」と報じた。
成瀬の母校の愛知一中の四、五年生全員が予科練を志願するというものだった。
海軍兵学校に在学中だった成瀬は、一中出身者代表として校長に手紙を送った。
昭和初期までは政府に批判的な新聞として知られていた朝日新聞は、日本が国際連盟を脱退した頃には、「連盟よさらば!我が代表堂々退場す」という見出しで、松岡洋右(安倍晋三と縁戚関係にある)の演説を称揚するようになっていた。これが1933年のことだから、その10年後の朝日新聞が「愛知一中予科練総決起事件」を大々的に称賛したのは、当然の成り行きだった。
とはいえ、朝日新聞が(昔も今も)「巨悪」であることはあまりにも当然だ。昨夜のドラマでもっとも辛辣な描かれ方をしていたのは、主人公の愛知一中生の父親である英語教師だった。学校の方針に疑問を抱きながら、強くは逆らわないこの教師は、強く学校の方針に反発した歴史教師と対比されて描かれ、家では息子に志願するなと「本音」を口にして「卑怯だ」と反発され、教師宅を訪ねてきた生徒の母親が「止めてくれ」と嘆願するのに対しては「私の息子も一中生で、志願する」と言って引き取らせる。もちろん戦争が終わると転向し、教室で民主主義の伝道者であるかのように振る舞う。それが彼にとっての「戦争責任」の取り方なのだろうが、おそらく当時の日本国民の多くが、こうした腰の引けた振る舞いによって、犠牲者を増やしていったのだろう。もちろん、戦時ではない今だからこんな書き方ができるのだが、果たして私だったらどういう対応ができただろうかと自問すると、あのようには振る舞わなかったはずだと自信を持って答えることはできない。
流れに抗するのはたやすいことではない。今の政治家を見ていてもよくわかる。だから、小沢一郎のような「剛腕」の政治家が、自らの意に沿う政権の時にはこれを遠隔操作し、意に沿わない政権の時には引っかき回すことができる。本当に自己の主張を貫く者などそうそういないし、たまにいても、小泉純一郎のように暴走して、日本を間違った方向(新自由主義)に引っ張ったあげく、「郵政総選挙」のような暴挙を行い、それを国民が熱狂的に支持する。
あの時小泉純一郎を熱狂的に支持したのと同質のものが、日本を無謀な戦争へと突っ走らせ、いかに戦局が泥沼化しようとも、原爆を投下されるまで止めることができなかったのである。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

6日の広島の原爆記念式典では、広島の秋葉忠利市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたが、菅首相は記念式典での挨拶では「核の傘」には何も触れず、式典のあとに行われた記者会見で、「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」と述べた。
http://www.asahi.com/politics/update/0806/TKY201008060151.html
これは、右傾化したといわれる朝日新聞や毎日新聞レベルからも批判の対象となる発言であって、かつて安倍晋三をテレビで露骨に応援した前科があり、「自民党寄り電波芸者」の代名詞になっている毎日新聞主筆の岸井成格は、「誰か(官僚かナベツネ?)にアメリカの核の傘から離れるなんて言っちゃいけないと言われたんだろうけど、誤ったメッセージを出すことになる。核拡散によって欧米の『核の傘』が成り立たなくなったというのが世界の基本認識であり、そこがオバマのプラハ演説(昨年4月)のキモなのだから」と言って菅首相を批判した(8日放送のTBSテレビ『サンデーモーニング』)。岸井の言説には、核を保有する超大国・アメリカに対する批判が欠けているけれども、アメリカの「核の傘」を所与のものとする菅首相の発言と比較すると、岸井の主張の方がずっとまともだ。
これでも「中道左派」を出発点とした総理大臣なのかと、首相になってからの菅直人には呆れる一方だが、政権政党の民主党は現在、来月1日告示の同党代表選に向けて権力闘争が真っ盛りであり、山岡賢次だとか無能な平野博文といった、顔も見たくない、名前も聞きたくない人たちが声を張り上げている。そういや小沢一郎が核廃絶について発言したこともほとんどないんじゃないかと思ってちょっとネットで検索してみたが、やはり過去に強いメッセージを出したとはいえない。『小沢一郎ウェブサイト』には、安倍晋三政権時代の2006年11月に民主党が策定した「政権政策」が出ていて、その中に「核廃絶の先頭に立つ」とは書かれている。しかし、この「政権政策」は、筆頭に「日本国教育基本法の制定」(民主党案は06年12月に成立した自民党案より悪いとの評価も聞かれた)を掲げるなどした冴えないものだ。
『小沢一郎ウェブサイト』には、『文藝春秋』1999年9月号に掲載された小沢一郎の「日本国憲法改正試案」が今も堂々と掲げられているが、そこにも、
と書かれているのみである。「核」という文字は、この部分にしか出てこない。直接的に武力攻撃を受けたときの反撃手段のため、最小限度の軍事力として自衛隊を持つ。加えて国連の一員として平和維持活動に協力して「国連常備軍」の創設を計画したり、軍縮や核兵器廃絶などの具体的な目標を法律(安全保障基本法)に織り込むことも可能である。
官僚だかナベツネだかは知らないが、誰かに唆されて易々と「核抑止論肯定発言」をする菅直人も菅直人だが、自由党時代のバリバリの改憲論を今でもウェブサイトに掲載している小沢一郎が「核抑止論否定」に踏み込んで発言したとも聞かない。要するに、民主党とはその程度の政党だということだろう。私は正直言って、安全保障政策に関しては、宏池会系の自民党「保守本流」の政治家の方が大部分の民主党の政治家より穏健だと考えているが、彼らも自民党内で絶滅危惧種であり、なおかつ、かつての故宮澤喜一元首相は護憲派だったが、現総裁の谷垣禎一も、谷垣の師匠格だった加藤紘一も改憲派である(毎日新聞「えらぼーと」への回答などより)など、彼ら自身も変質している。そもそも、現在の自民党を主導する清和会は、政治思想右派の集団であって論外だ。
だから、核抑止論の否定など、民主党の政治家からも自民党の政治家からも聞かれるはずがないのである。いや、民主党の一部や、もしかしたら自民党のごく一部にも、核抑止論否定論者がいるのかもしれないが、その声が主流となることは決してない。
そんな中、長崎は65回目の原爆記念日を迎える。広島の原爆記念日に書いた前回のエントリに続き、本記事も、静かに犠牲者を悼み、過ちを繰り返さないことを誓う日にはふさわしくないかもしれないが、反戦・平和論が論外の妄論のように扱われる現状はあまりにひどい。
岸井成格が菅直人を「左」から批判した昨日のTBSテレビ『サンデーモーニング』では、鳩山由紀夫前首相に近い「リベラル派」言論人とされている寺島実郎もトンデモ発言をしていた。前回のエントリにいただいたぽむさんのコメントが、この件のほか、インドとの原子力協定締結交渉にも触れているので、これを下記に紹介して記事の結びとしたい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1098.html#comment9964
私も今日の「サンデーモーニング」「風をよむ」コーナーを見て、Kojitakenさんと同じ感想をもちました。式典では被爆者を前に「いいかっこ」を見せた後で冷や水をかぶせるような発言をするとは、政治信条以前に単純に頭が悪いのではないかとさえ思いました。6月の「沖縄慰霊の日」での「感謝」発言もひどかったですが、岸井成格に「左から」批判されるようではおしまいですね。
しかも、政府は、6月からインドとの原子力協定の締結交渉に入っています。インドはパキスタン等と同様、NPT核不拡散条約に署名していません。当然、唯一の被爆国でありながらNPTをあまりに軽視しているのではないかとの批判があがっています。もっとも岡田外相は、「日本はこれによって、インドにNPTへの署名を働きかけるつもりだ」と説明していますが、日本政府の核兵器廃絶への「本気度」を疑われても仕方ないでしょう。
ところで今日の「風をよむ」コーナーでは寺島実郎も聞き捨てならないことを言ってました。「そろそろ『過ちはくりかえしません』などというセンチメンタルなことばかり言ってないで具体的に核廃絶への道のりを考えるべき」とかなんとか。核廃絶への道のりを考えることには異論はありませんが、センチメンタル云々という被爆者や長年反核運動にかかわってきた人たちの心をふみにじるような表現には唖然としました。今日の寺島氏は最近の十八番「議員定数削減」は言ってなかったみたいですが、それ以上にひどい発言でした。「議員定数削減」は「人それぞれの政治的意見」として認められますが、「センチメンタル云々」は人間として許せないです。
2010.08.08 17:13 ぽむ
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

今日(8月6日)は広島原爆忌である。
日本の敗色が濃厚になった1945年夏、中国・四国地方にも空襲が繰り返された。6月29日に岡山、7月4日には高知、高松、徳島の四国三県県庁所在地、7月27日には残る愛媛の松山が空襲の被害を受けた。地方都市でもっとも多くの空襲を受けた都市は浜松(静岡県)であり、浜松は判明しているだけでも27回の空襲を受け、あわせて3000人以上が犠牲になったとされている。そんな浜松から、極右政治家・城内実を国政に送り出さないでほしいと思う。
だが、静岡7区の有権者たちは城内実を国政に送り出した。そして、田母神俊雄は今年も広島に殴り込みをかける。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100804/acd1008042229007-n1.htm
慰霊の日である広島の原爆忌だが、近年は右翼だけではなく、一昨年には「ユダヤ陰謀論」に侵された元左翼が、あるトンデモ本に書かれていた、「湯川秀樹博士は、戦時中に「新兵器」に関する大変重要な情報をアメリカに流したため、その論功行賞としてノーベル賞を与えられた」というヨタ話を、トンデモサイトから転載したことがあった。
同じ元左翼は、武田邦彦の「地球温暖化懐疑論」にも入れ込んでいたが、最近、この武田邦彦が自ら「トンデモ極右」のお仲間であることを露呈する文章をネットに公開した。
http://takedanet.com/2010/08/post_8bc6.html
「幼児の死と日本の家族文化」と題された武田の駄文は、これを読んだ人たちから激しい怒りを買い、「はてなブックマーク」も、武田批判一色に塗りつぶされた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/takedanet.com/2010/08/post_8bc6.html
いかに武田がトンデモかということは、「田母神が言っている事は世界のスタンダード」だと主張する論者でさえ、「それでもトンデモだよね」と武田を評していることからもうかがわれる。
『kojitakenの日記』でも武田の文章を批判したが、そこにも書いたように、醜悪さにおいて武田の文章と比肩できるものとしては、国籍法改正に反対して一昨年に城内実が書いたブログ記事 "bakawashinanakyanaoranai" (下記URL)以外には思い浮かばなかった。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
武田邦彦や城内実ばかり叩いていても仕方がないので本論に戻る。件の「元左翼」氏が大仰に書いている、戦時中に日本で行われていた原爆製造プロジェクトについては、今年ようやく日本語訳が出版されたジョン・W・ダワー著『昭和――戦争と平和の日本』(みすず書房、2010年、原著は1993年出版)の第3章「『ニ号研究』と『F研究』 日本の戦時原爆研究」に書かれている。
上記リンク先は、日本語訳出版元であるみすず書房のサイトだが、以下に関連箇所を引用する。
1978年1月7日、『ニューヨーク・タイムズ』の第一面に、突然こんな記事が出た――「第二次大戦時、東京で原爆研究、日本側資料から明らかに」。これは『サイエンス』誌のライター、デボラ・シャプリーが流した「暴露記事」なるもので、大手メディアの配信網に乗って、世界中に流れた。反応はただちにあった。核拡散の制限の問題にかかわるアメリカの研究者たちから。さらに、アメリカの反日感情が煽られたのだ。当時は、日本のいちじるしい経済成長への反発が大きく、ただでさえ反日感情は勢いを増していた。
さて、ジョン・ダワーは、この事態をどう受けとめただろうか。新刊『昭和』には、この『ニューヨーク・タイムズ』の記事と反響をめぐる一編が収められている(「ニ号研究」と「F研究」――日本の戦時原爆研究)。反響の分析はもちろんだが、さらに戦時日本の原爆研究の現場で、実際に何が起きたのかを克明に描き出す。
詳細は本書に譲るが、分析の末に明らかになるのは、日本はこの原爆研究を隠したこともなく、むしろそれは1970年までにとっくに周知の事実だったこと、そして現実の研究現場に目を移すと、そこには「科学的才能の場当たり的な動員」があっただけで、原子爆弾の製造など、さまざまな国内対立――科学界内部、陸軍、海軍、軍需省、文部省の党派争いなど――が渦巻いていた当時、結果として「雲をつかむ」ようなものだったことだ。「一億みな家族」と叫ばれた社会の内実はこんなものだった。
(みすず書房のサイトより)
「一億みな家族」と叫ばれた戦争中の日本社会の内実は、城内実や武田邦彦らが抱く妄想とは大違いだったのである。個人的には、ジョン・W・ダワーの著書は、この本より『敗北を抱きしめて』の方がよりおすすめだが、『昭和』も読者の皆さまには是非お読みいただきたいと思う。少なくとも、くだらないユダヤ陰謀論に感化されている方は、絶対に読むべきだ。
『昭和』の第7章「日本人画家と原爆」には、中沢啓治の漫画『はだしのゲン』や丸木位里・丸木俊夫妻が描いた原爆の絵画を紹介している。『はだしのゲン』で原爆投下が描かれた回の『週刊少年ジャンプ』を私はリアルタイムで読み、言いようのないショックを受けた。あの号が、生まれて初めて買った『ジャンプ』だっただけになおさらだ。何度も何度も読み返した。1973年のことである。
この文章を書いている直後の、今日午前8時から行われる平和記念式典で、広島市の秋葉忠利市長は平和宣言で、核廃絶を求める世界市民の声が「国際社会を動かす最大の力になりつつある」と強調し、被爆国の日本政府に対して非核三原則の法制化や、米国の「核の傘」からの離脱など具体的な行動を取るよう訴えるという。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100806ddm001040052000c.html
核抑止論に対する批判は、70年代は学校教育でも行われていたし、少年少女向けに書かれた出版物にも普通に掲載されていた。当時の大人たちには戦争の記憶が生々しく、保守の人たちの間でも「反戦」は当たり前だった。
ところが、今では読売新聞が、広島原爆忌の日の社説で、秋葉市長を「現実を踏まえた議論とは到底言い難い」と批判するありさまである。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100805-OYT1T01121.htm
そして、そんなエスタブリッシュメント層の変質と呼応するかのように、元左翼がユダヤ陰謀論に基づく妄想によって、平和に尽力した故湯川秀樹博士を誹謗中傷する。
前記ダワー著『昭和』に、第4章「造言飛語・不穏落書・特高警察の悪夢」に興味深い記載がある。『特高警察』昭和17年6月号からの引用として、下記のような「不敬言辞」が紹介されているのだ。
俺は召集されても天皇陛下の為めに死ぬのは厭だ
日本は皇室を倒さんと本当の幸福は来ないのだ
天皇陛下はユダヤ財閥の傀儡だぞ
(ジョン・W・ダワー『昭和』(みすず書房、2010年) 118頁)
『昭和』には、『特高警察』昭和17年6月分:18」という引用元の文献が示されるとともに、「これらの侮蔑的言辞には、反ユダヤ思想がときおり現われる」(以下略)と付記されている。
くだらない陰謀論的思想も、戦争中と現在で何も変わらないようだ。
もっとも今日の記事は冗舌に過ぎた。本来、今日8月6日は、静かに犠牲者を悼み、過ちを繰り返さないことを誓う日だ。だが、最近不穏な動きや、トンデモ・陰謀論の類の跳梁跋扈があまりに目立つため、どうしても書かずにはいられなかった。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

臨時国会召集日に、「異例」の記者会見(異例かどうかは異論もあるようだが)を行って、何を言い出すかと思うと、「国会議員が自ら身を切る必要がある」と称して、衆議院80、参議院40の定数削減を言い出した。
おそらく、「公務員叩き」で人気を急上昇させた「みんなの党」にあやかろうという魂胆だろう。
だが、そんな浅知恵はすぐに見透かされてしまう。
この議員定数削減は、小沢一郎や鳩山由紀夫が強硬に主張していた政策だから(小沢一郎と鳩山由紀夫は菅首相よりもっと悪質で、削減の対象を比例区に絞っていた)、世の「小沢信者」はこの件では菅首相を批判はしないだろう。だが当ブログは菅首相を批判する。
何よりふざけているのは、菅首相自身が、アメリカ以外の国と比較すると日本の国会議員定数は決して少なくないことを知っていることだ。そのことに言及した映像がテレビで流れた。世界的には必ずしも少なくないけれど、アメリカ並みに少なくしたいと言ったのである。
ネットでも、ちょっと調べただけで日本の国会議員の数はアメリカを除く先進国より極端に少ないことがわかる。たとえば、「おしえてBP!」という日経BPのサイトに、下記エントリが掲載されたのは2007年である。
http://oshiete.nikkeibp.co.jp/qa3424711.html
以下引用する。
確かにアメリカ合衆国の連邦議会との比較であれば多いです。
軍事・外交権限は連邦政府にありますが、各州政府は合衆国憲法の範囲内で、それぞれ立法権、行政権、司法権を持ちます。
各州には上下両院があり、50州の下院議員の合計は5488人(96年)となり人口100万人あたり20.41人となります。
G7各国(96年)の下院議員の定数の人口100万人比では
日本 3.98
イギリス 11.21
イタリア 10.98
カナダ 10.05
フランス 9.90
ドイツ 8.01
米連邦下院 1.62
となっています。
よって、アメリカの連邦議会の下院と比較して多いが、
先進主要国中では極端に少ない、という実態である事がわかります。
それなのに、「国会議員自らが身を削る」という名目で、菅首相が議員定数削減にこだわるのは何故か。
いうまでもなく、二大政党の一つである民主党は、少数政党の議席を減らしたいからである。
もともと選挙制度の改悪は、90年代の「政治改革」の目玉だった。かつて鳩山一郎や田中角栄が企て、そのたびに野党や朝日新聞などマスコミの反対にあって潰れたが、90年代の政治改革の局面では、マスコミが選挙制度改悪に加担する形となった。朝日新聞にも、故石川真澄記者のように小選挙区中心の選挙制度に反対したジャーナリストがいたが、それは社論とはならなかった。
たまたま、処分しようとしていた『論座』2007年9月号に、河野洋平と若宮啓文(当時朝日新聞論説主幹)が宮澤喜一氏を追悼する対談をした記事が出ているが、1993年当時マスコミが小選挙区制実現に熱心で、梶山静六・自民党幹事長以下、河野洋平氏やYKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)ら、小選挙区制に反対する議員は「守旧派」とのレッテルを張られた。宮澤首相は、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演し、政治改革を「どうしてもこの国会でやらなければならない。やるんです。私はうそをついたことはありませんよ」と発言したが、自民党執行部は反対派で固められていたため、宮澤内閣は最終的に政治改革法案の成立を断念した。これが田原総一朗らに「嘘つき」と攻撃され、内閣不信任案可決につながった。「政治改革」論を唱えていた自民党羽田派(実質的には「小沢派」だった)は大勢で自民党を離党し、新生党を結成した。
この時の衆院選の結果を受けて細川内閣が成立したのだが、この選挙では自民党が勝った。私は自らの思想信条に従って、何があっても自民党には投票しない人間なのだが、この時は「政治改革」の目玉である選挙制度の改悪には絶対反対だったので、意識的に死に票となる無所属候補に投票し、開票速報では自民党の善戦を期待したほどだった。そして、現に自民党は勝ったのである。一般には「負けて下野した」ことになっているが、自民党は解散時に羽田派が抜けて既に過半数を割っており、解散時より1議席増やしたのである。つまり、当時の日本国民の多数は必ずしも小沢一郎らが推し進めた「政治改革」など支持していなかった。
あの時の選挙結果だったら、自民党には他党と連立を組む選択肢があったが、当時の自民党執行部は尊大な人間ばかりで、河野洋平氏によると、野党を惹きつける吸引力のある政治家は、ただ一人後藤田正晴氏がいただけなのだそうだ。実際、後藤田氏のとりなしによって、自民党は日本新党と連立を組む流れだったとも聞いたことがある。ところが、サミットの最終日に後藤田氏が体調を崩して倒れてしまい、梶山静六、三塚博、佐藤孝行では「とても他党の人は集まらない」(河野洋平氏による)状態になり、結局日本新党は新生党や社会党その他と組んで、細川護煕内閣が成立したのだった。つまり、後藤田正晴氏さえ倒れなければ、政権交代はなかった。「ハプニング政権交代」だったともいえる。
こんなことを延々と書いたのは、あの時小沢一郎が「剛腕」をもって進めた政治改革には、本来政権交代を起こす力などなかったことが言いたいからだ。当時自民党側が持ち出した案は単純小選挙区制であり、社会党や公明党は小選挙区比例代表併用制だった。後者は、実質的には比例代表制であり、自民党案とは水と油だったから、まさか社会党が小選挙区比例代表並立制で、しかも両者イーブンではなく小選挙区制300、比例区200などという案で妥協するとは想像もしなかったし、こんな案で妥協した社会党は馬鹿じゃないかと思った。94年の自社さ政権時代の変節ともども、政治改革における妥協でも、社会党は自滅への道を選んだ。
昨年の衆院選前に小沢一郎と鳩山由紀夫が「衆院比例定数80削減」を強硬に主張したのは、90年代からの一貫した自民党系「政治改革」の流れを汲むものだし、今回の菅首相の発言もその延長線上にある。
民主党が削減したいのは、むろん比例区であって、昨日(1日)、枝野幸男幹事長は「比例区削減というのは、それが一番簡単だからであって、実際どのように減らすかは野党と議論していきたい」などと詭弁を弄していたが、公明、共産、社民、みんななど少数政党はもちろん、自民党の石原伸晃までもが比例区定数削減には反対していた。もっとも、自民党やみんなの党は比例代表中心の一院制(当然憲法改正を伴う)を主張しているはずだ。
とはいえ、当面の政策としてだけではあっても、この件だけは自民党には比例区定数削減反対を貫いてほしいと思う。参院選で民主党が過半数を確保していたら、「衆院比例定数80削減」の法案は必ずや通っていただろうと思うから、民主党が今回の参院選で負けたことは、日本の政治にとっては良かったと思う。
それにしても菅直人。消費税増税発言で支持率を落としたかと思えば、今度は議員定数削減とは、いったい何を考えているのか。全然国民生活のためにならないことばかり口にするこの男にはほとほと呆れ果てた。このていたらくでは、9月の民主党代表選で負けても仕方ないと思う。本来百家争鳴の気風を持つ政党であるはずの民主党は、代表選でいろんな人たちが手を挙げて、一大論争を展開し、それを国民に示すべきだ。
その結果、前原誠司だの樽床伸二だのといった新自由主義者が民主党代表・内閣総理大臣になろうものなら、民主党政権は自壊への道を歩むだろうとは思うが、それも政権政党の選択であれば仕方ないだろう。次の総選挙で有権者が民主党を見放すだけの話である。いずれにせよ、菅直人代表が再選されたいと思うのであれば、論戦に勝たなければならない、そんな民主党代表選にすべきである。
最後に、昨年8月5日付エントリ「『国会議員の定数削減に反対する共同声明』に賛同します」へのリンクを示す。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-966.html
記事の前半は、昨年の今頃大騒ぎになっていた、城内実の「眞鍋かをりさんポスター無断使用事件」について書いているので、思い出していただくのも一興かと思う(笑)。もちろん、その部分は今回の本論とは全くの無関係であり、後半で 「国会議員の定数削減に反対する共同声明」を紹介している。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。
