司会は懐かしさなど全く覚えない田原総一朗、民主党からはすっかり口が達者になった細野豪志、自民党からはすっかり影が薄くなった石原伸晃、あと社民党の辻元清美や共産党の穀田恵二らが出演していた。
税制の論議がメインだったが、辻元氏がもっとも当ブログの意見に近い発言をしていた。普天間基地移設問題では福島瑞穂党首が頑張ったが、経済問題に関しては辻元氏の方が福島氏より一枚上手であるように感じた。辻元氏のような人が、社民党と(もし存在するのであれば)民主党左派を束ねる形になれば、社民主義的主張も力を増すのになあ、と思った次第だ。福島党首との距離が遠いように見えることは残念だが、今後の政治において、辻元氏は重要なプレーヤーの一人になるだろうと改めて思わされた。
だが、今日のエントリの主題はそれではなく、福島瑞穂氏同様、経済問題を不得手とする菅直人首相がたくらんでいる「財政健全化会議」の座長に与謝野馨を据える構想への批判と、以前から民主党がたくらむ国会議員比例定数削減への批判。これが今日のメインテーマである。
前者は、『朝まで生テレビ』の番組中で、田原が情報を提供したものである。菅首相が超党派の財政健全化会議を、「自民党」という党派名を出して呼びかけ、当ブログはもちろんこれを批判したのだが、田原はなんと、菅首相がこの会議体の座長に、「たちあがれ日本」共同代表の与謝野馨を据える意向だと暴露したのである。
与謝野馨といえば当ブログにとって「天敵」の一人であり、「小さな政府」と「消費税増税」の両立を目指す与謝野を、「考えられる限りもっとも苛酷な経済政策を目指す政治家」であるとして、安倍晋三や平沼赳夫を筆頭とする「政治思想極右」の政治家たち(他に城内実や稲田朋美も当ブログではおなじみ)と並んで攻撃の槍玉に挙げてきた。
この与謝野を座長とした「財政健全化会議」なるものができたとしたら、その会議体が打ち出す方向性は決まっている。「消費税増税」と「小さな政府」の両立という最悪の政治。与謝野馨は中曽根康弘直系の政治家であり、読売・ナベツネ(渡邉恒雄)の強い支持を受けている。参院選後に民主党と自民党が「大連立」を組むか否かにかかわらず、与謝野を座長とした「財政健全化会議」が発足するだけでも、これは事実上与謝野を接着剤とした大連立だ。
おそらく民主党は、「たちあがれ日本」にくっついている平沼赳夫一派や、下野してますます極右色を強めている自民党とあからさまな形で「大連立」を組むところまではいかなくて、経済政策に関してのみ民主党と自民党が与謝野馨を軸として協力するという形になると予想しているが、これは私が前回の記事で非難し、『kojitakenの日記』で(経済軸上での)「超絶極右」と評したナベツネ(読売)が思い描く通りの税制改革が行われることを意味する。すなわち、法人税減税と引き替えにした消費税増税であり、金持ち増税は決して行われず、消費税の増税分は財政再建に充てられる。
ケインズ派の学者たちの主張については、さまざまな論評がなされているが、昨日のテレビ朝日『サンデーフロントライン』で小野善康・阪大教授が強調していたことは、基本的には「再分配」だったと思う。もともと小野氏は「ニューディール政策」をやれと主張しているだけなのだ。ただ、金曜日(25日)付の朝日新聞夕刊文化面(東京本社発行最終版)に掲載された数理経済学者の指摘にあったように、再分配であれば所得税の方が適切であり、実際小野教授のもともとの主張もそうなのだが、菅首相が増税したいのは消費税であり、そこに残念な齟齬がある。これは政治の勢力分布において、与謝野・自民党・民主党右派・朝日新聞・読売新聞など、あまりにその方面からの影響力が強いからではあるが、所得税との比較を藤原帰一氏に質問された小野氏が、「どちらがいいかと言われたら所得税の方が良いけれども、消費税でもかまわない」という言い方をしていたのは、学者として妥協が過ぎると思った。そりゃ人頭税と比較したら消費税にだって再分配効果はあるだろうが、それはあくまで消費税増税分が再分配に用いられた場合に限る話であって、現実の政治が推し進めようとしているのは、「財政再建のための消費税増税」あるいは「法人税減税分を穴埋めするための消費税増税」なのである。これでは再分配効果が生まれるどころではなく、逆再分配になる。つまり、新自由主義のプロジェクトの目的である「格差の拡大と階級の固定」にいいように利用されてしまうだけなのだ。
与謝野を座長に据えた「財政健全化会議」などができたら、間違いなく上記の最悪の政治が始まる。だから、われわれのなすべきことは、参院選で民主党と自民党の議席数を減らすことであり、同時に「たちあがれ日本」には1議席も与えないことである。大部分の地方の一人区では民主党と自民党のどちらかが議席を獲得することは避けられないからどうしようもないが、比例区及び二人区以上では、民主・自民・「たちあがれ日本」の3党にダメージを与えるような投票行動が求められる。
特に、民主党に過半数の議席を与えてはならない。なぜならば、参議院でも過半数が得られたら、例の「衆議院比例定数80減」の法案を上程してこれを通すと民主党の枝野幸男幹事長が明言しているからだ。『朝まで生テレビ』でも細野豪志がこれに言及していた。民主党は参議院も40議席削減するとしているが、これも比例区中心の削減なのだろう。
菅政権を批判する小沢信者たちからも、この比例定数削減への批判はほとんど聞かれない。それもそのはずで、これは鳩山前首相や小沢一郎前幹事長が強く主張していた政策なのだ。昨年、当ブログはこの政策を批判するエントリをいくつも上げたが、コメント欄常連の方々からは強いご賛同をいただいたものの、他の「政権交代ブログ」で同様の主張をするところはほとんどなかった。今でも覚えているのは、当ブログの「天敵」の一人である植草一秀・元早稲田大学教授が、民主党の「比例定数80減」を批判するエントリを上げたことだが、小沢・植草・鳩山の「三種の神器」(植草一秀は「鏡」に相当するのだろう)として信奉する人たちにとっては、三種の神器にも序列があって、小沢一郎と植草一秀の主張が異なる場合、植草一秀の主張は、この例のような正論であっても斥けられるのである。なんたる個人崇拝の世界。小沢信者たちと相性が良いのは、ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連、毛沢東の中国などだろう。
小沢信者批判はともかく、民主党が単独過半数をとれば「衆院比例区80削減」が実現してしまうのは、極めて深刻な事態だ。嘆かわしことに、「自ら身を切る」と称する民主党のこの妄動を支持する人たちが少なくないようだが、とんでもない話で、現在で既に日本の国会議員は世界的に見れば十分少ないし、ただでさえ民意を反映しない小選挙区の弊害がひどいのに、民主党が削減しようとしているのは比例区の定数なのである。それも、現在の180議席が半分近くの100議席にまで減ってしまう。これはとんでもない暴挙である。こんなことを断じて許してはならない。
民主党の単独過半数を阻止するためなら、先月まで「消費税増税」を主張していながら、急に「消費税増税反対」に主張を豹変させた二枚舌の渡辺喜美が率いる新自由主義政党「みんなの党」の力さえ借りたくなる、なんとも情けない今日この頃なのである。
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昨日、参院選が公示されたのだが、マスコミが勝手に「消費税」が争点だと主張している。しかし、最大与党と野党第一党がいずれも消費税増税を公約していて、連立与党の国民新党と、左側の野党である共産、社民両党と、右側の野党である「みんなの党」がいずれも消費税増税に反対している構図になっている。最大与党と野党第一党のいずれが勝っても、マスコミにとっては「消費税増税が国民の理解を得られた」ことにしてしまうのだから、争点としては無意味だ。
菅直人首相の言う「強い財政」とは、本来「強い再分配」を意味する。ところが、逆進性の強い消費税では再分配の効果は薄く、消費を冷やして景気回復の足を引っ張るという逆効果が大きい。
ましてや、財政再建や、それどころか法人税減税の穴埋めのための消費税増税であっては、再分配の意味をなさない。だから、最大与党と野党第一党の主張には理がない。そう当ブログは主張する。
ところが、昨日(6月24日付)の読売新聞社説は、下記のようなトンデモ主張をしている。
国民所得と対比した日本の個人所得課税の負担率は7%にとどまる。10%以上の欧米を下回り、基幹税としての役割が低下しているのは事実である。
しかし、累進構造を強めたとしても、負担する高所得層の数は限られるため、国の税収全体から見て、増収分はわずかなものだ。
これを書いた読売新聞論説記者の知性を疑う文章である。日本の個人所得課税の負担率は欧米より低いが、累進性を強化しても増収分は微々たるものだとして、負担率の低さを不問に付している。むろん、分離課税が多すぎるために、2千万円以上の高所得者(給与所得以外の所得が多い大金持ち)に対しては必ずしも累進課税になっていないことを、読売の記者は知っていながらわざと書いていない。
読売の社説は、さらに課税最低限の引き下げを求め、それに続いてこんなことを書いている。
各種の控除を縮小すれば最低限が下がり、より幅広い層に税負担を求めることになるが、国民が広く薄く負担するという税の原点からみてやむを得まい。
なんと、読売新聞の論説記者にとっては、「国民が広く薄く負担する」ことが「税の原点」らしい。私は、納税者の経済的負担能力(担税力)に応じて課税する「応能負担原則」が「税の原点」だと思っていたのだが、読売ワールドではそうではないらしい。要するに、読売新聞の社説は、人頭税こそ理想的な税制だと主張しているのと同じことである。これは、かつての竹中平蔵が「人頭税こそもっとも公平な税制だ」と(冗談半分に?)述べたのと同じ主張であるが、人頭税についてはかつてサッチャーが導入して大失敗し、サッチャーは退陣に追い込まれたという歴史的事実がある。
これはすさまじい「経済極右」の主張である。朝日新聞も真っ青というか、はっきり言って朝日の比ではないだろう。読売が、新自由主義新聞としての本性を剥き出しにした社説だといえる。竹中平蔵の方が、かつては消費税増税に消極的だった(現在はやむを得ないと主張している)だけ、まだましなくらいだ。朝日新聞や「たちあがれ日本」、それに自民党と並んで、否、それ以上に、読売新聞の主張は考えられる限りもっとも獰猛なものだ。
私はこの社説はナベツネが書いたのではないかとも疑ったが、普段と同じ2本立ての社説の一本なので、ナベツネ(渡邉恒雄)自身の筆になるものではおそらくなく、ナベツネの忠犬が書いた社説だろう。だが、新自由主義的主張を鮮明にした読売新聞の社説は、ナベツネの思想を反映したものであることは間違いない。朝日新聞の主筆を務める船橋洋一もそうだが、ナベツネもまた紛れもない新自由主義者だ。
ナベツネは、実はプロ野球で新自由主義の実験を行っている。1992年、読売ジャイアンツ(通称巨人)の藤田元司監督が優勝を逃して退陣した年のシーズンオフに、ナベツネが巨人のオーナーに就任し、長嶋茂雄を監督に復帰させるとともに、長年プロ野球界を牛耳ってきた巨人のオーナーの影響力をフルに行使し、ドラフト逆指名制度とフリーエージェント制を導入した。さらに、マスコミ界への影響力を生かして、巨人のライバル球団である阪神タイガースの宣伝をNHKに行わせた(1997年頃からNHKのプロ野球報道が阪神びいきになり、98年にはNHK-BSで甲子園球場の阪神戦を集中的に中継するようになった)うえ、ナベツネの息のかかった星野仙一を阪神の監督に送り込んだ。
それでも、ナベツネが巨人のオーナーに就任する以前のプロ野球機構が採用していた戦力均等化政策の影響がしばらくは残っており、たとえば1997年のセントラルリーグでは、ヤクルトが優勝、横浜が2位、広島が3位を占めた。当時、ヤクルトと横浜の首位攻防戦が見られるなんて、と思ったものだが、実質的にナベツネの支配下にあったセントラルリーグ会長は、「三大都市のチームが下位に沈んだためにリーグ戦が盛り上がらなかった」と発言した。いったいヤクルトはどこの球団なのかと訝ったものだが、5年後の2002年以降、セントラルリーグの優勝チームは巨人、阪神、中日の3球団に限られるようになった。
それで、セントラルリーグは盛り上がったのだろうか。否である。今年の交流戦では、パシフィックリーグの6球団が上位を占め、巨人、阪神、中日以下のセントラルリーグ6球団はいずれも7位以下のBクラスに沈んだ。テレビの地上波ではプロ野球中継の頻度が激減した。セントラルリーグは、人気も実力も凋落したのである。
昨夜などは、スポーツニュースは数時間後に迫ったサッカーW杯一色で、プロ野球の結果も言っていたのかもしれないが、私は気づかなかった。だから、昨夜の試合結果は今朝の朝刊で知ったのだが、私が注目したのは神宮球場で行われたヤクルト対巨人戦の観客数だった。それは、ナゴヤドーム(中日対横浜戦)やヤフードーム(ソフトバンク対日本ハム戦)より大幅に少ない15,969人だった。神宮球場には閑古鳥が鳴いていたようだ。主催球団のヤクルトは弱いけれど、ヤクルトと同じ東京を本拠地とする対戦相手の巨人は弱いわけではなく、それどころか、実質「二部リーグ」とはいえ、セントラルリーグでは首位を走っているにもかかわらずである。
この記事を書きながら、ずっとテレビでNHKニュースの音声を聞いているが、サッカーの日本対デンマーク戦は何回も何回も流すが、プロ野球の試合結果は全然言わない。そして、プロ野球より一足早く衰えた大相撲を騒がせているのは、そのプロ野球の試合結果で賭けを行う野球賭博であり、名古屋場所をNHKが中継しないのではないかとか、それどころか名古屋場所の開催自体が危ぶまれるなどの噂が聞こえてくる。
大相撲はともかく、プロ野球、特に実質「ナベツネリーグ」ともいえるセントラルリーグの惨状は、ナベツネによる新自由主義の実験が行き着いた先であるといえる。ナベツネは、プロサッカーのJリーグも、プロ野球と同様に読売支配の運営を目指したが、それはさすがに阻まれた。そして、読売クラブ時代から読売が長年育ててきたヴェルディを、自らダメにしてしまった。日本テレビがオーナーでもうまくいかなかったヴェルディは、読売グループから離れた後も再建できず、消滅の危機に瀕していると聞く。
プロ野球やサッカーだけなら、ナベツネが何をやらかして、チームやリーグもろとも衰退させたりしようが勝手だが、ナベツネは「権力と一体化したメディア」を理想として、政治に影響力を与えようとしているから最悪である。自自連立や自自公連立の仕掛人もナベツネだったといわれているし、未遂に終わった自民党(福田康夫首相時代)と民主党(小沢一郎代表時代)の大連立構想にも大きくかかわった。
そのナベツネは、昔から一貫して、消費税創設及び増税、所得税の累進性緩和、法人税の減税を求める主張を読売新聞で展開し続けていた。これは、再分配政策にもある程度の重きを置いた、かつての「保守本流」の政治とは全く異なり、早くから新自由主義の影響を受けていた「保守傍流」の中曽根康弘と同じ方向性を持つ主張である。中曽根とナベツネが昔からの親友であることは今更いうまでもない。
新自由主義とは、格差拡大を目指すプロジェクトに自覚的または無自覚に加担する者というのが当ブログの定義であるが、ナベツネの場合ははっきり自覚的な新自由主義者であるといえる。
朝日新聞の主筆を務める船橋洋一もひどいが、ナベツネのひどさはやはり船橋洋一どころではない。日本の政治、経済、そして社会を再建しようとする者の最大の敵、それがナベツネである。
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小沢一郎も菅直人も、1990年代の「政治改革」を引っ張った人たちであることを思い出す必要がある。ネット内を含む世間では、「反小沢」対「親小沢」だなどと未だに言っているが、「政治改革」の立役者も、かつて「福祉目的税」の名目で消費税率を倍以上に引き上げようとしたのも、2007年に自民党との「大連立」を企てたのもすべて小沢一郎である以上、「反小沢」対「親小沢」だのといった政局噂話には意味がない。小沢一郎の功績は、「国民の生活が第一」をスローガンに掲げれば選挙に勝てることを示したこと、このただ一点だけである。但し、この「たった一つの功績」は非常に大きく、要するに今の国会の勢力分布と国民の要求との間に大きなギャップがあることを、大政党の党首だった小沢一郎自身がはっきりと示したのである。
だが、小沢一郎自身が典型的な利益誘導型政治家から出発した政治家である以上、そこには自ずから限界があり、だから3年前の参院選で大勝した3か月後に、自民党と「大連立」をもくろんだ。小沢一郎を乗り越えなければならないのは当然である。しかし、小沢一郎を乗り越えるべき者は、市場原理主義者だとか、それよりももっと悪い「消費税を増税するのに小さな政府を目指す」自民党や「たちあがれ日本」であってはならない。
しかし現実には、市場原理主義者たちが小沢一郎を乗り越えようとしている。これではダメだ。もうそろそろ、草の根から新たな社民主義勢力が勃興して、民主・自民の保守二大政党制を打倒すべく立ち上がるべき時が迫っているのではないかと思う。だが、もちろん参議院選挙には間に合わない。
民主党は、消費税による財政再建に傾斜し、取り調べの全面可視化もマニフェストから外し(人権派法務大臣として期待された千葉景子は、正体といって悪ければ限界を露呈したとしかいいようがない)、政権交代前には新政権の目玉になると期待された環境・エネルギー政策は、自然エネルギーの「全量固定価格買取制度」をせず、原発の売り込みを「成長戦略」の柱に据えるていたらくだ。もちろん、鳩山由紀夫前首相の最後っ屁である普天間基地移設問題における新たな「日米合意」の大罪を、菅政権も引き継いでいる。
今回から東京選挙区で投票することになった私には、共産党に投票するという選択ができるが、地方の一人区では、民主党に不満を持っていても、民主党と同等以下の政策を掲げる自民党候補を当選させるのも癪で、自民党候補を落とすために民主党候補に投票するか、当選には遠く及ばないだろうと思いつつも共産党候補に投票するか迷われている方も多いだろう。今回は、そんな方に「戦略的投票行動」をお勧めしたりはしない。参院選は、なるようになれとしか思えないが、それでも新自由主義的な方向性を持つ「みんなの党」と、共産・社民両党のどちらの得票率が伸びるかには注目している。それによって、民主党が参院選後にとる行動が影響されると思うからだ。
ところで、先週、消費税増税へと大きく舵を切った菅首相だが、もともと税調の専門家委員会委員長に神野直彦・東京大学名誉教授を引っ張ってきたのは、藤井裕久財務相に代わって財務相に就任した菅氏だった。そのことは、税調の議事録を見れば書いてあるので、興味のある方は探してみられたい。「経済オンチ」と揶揄される菅首相の本心がどこにあったのかは窺い知れないが、北欧に範をとる福祉国家志向の財政学者として知られる神野氏が税制改革の議論をリードする委員長になれば、まず所得税の見直しから入ることは誰もが予想できたはずだ。
もっとも、財務相に就任した菅氏に影響を与えた学者は何人もいて、『AERA』6月21日号に掲載され、前回のエントリで、「見出しで読者をミスリードしている」として非難した「『小野理論』と消費税増税」と題する記事は、「霞が関埋蔵金」の存在を暴いたことで知られる財務省OBの高橋洋一・嘉悦大学教授の名前を挙げている。小泉政権時代、竹中平蔵の補佐官を務めた高橋氏は、中川秀直ら「上げ潮派」のブレーンとしても知られるが、インフレターゲットの導入によってデフレから脱却できると主張している。インフレターゲットの導入を菅氏に進言したことが伝えられた勝間和代氏も、高橋教授の影響を受けたと考えて間違いないだろう。
その一方で、菅財務相(当時)は、『AERA』の記事のタイトルにも名前を挙げられ、植草一秀・元早稲田大学教授や陰謀論者の副島隆彦に「増税主義者」として攻撃の標的とされた、ケインズ派経済学者の小野善康・大阪大学教授と、マクロ経済学に関する勉強会を2月から5月までの間に、月2度ほどの間隔で、合計6回開いたそうだ(前掲『AERA』記事78頁)。菅首相には、小沢一郎にも似て、何でもかんでも吸収しようとする傾向があるようだ。
『AERA』が、高橋教授に関する記述に続いて、小野教授について前記のように書くと、「小野教授が菅首相に消費税増税による財政再建を焚きつけた」とミスリードしてしまうことになるが、事実はそうではないことは前回にも書いた。最初に言及した神野名誉教授ともども、小野教授も所得税を増税せよと主張している。ところが、何が何でも消費税を増税したいマスコミが、「増税」イコール「消費税増税」にすり替えてしまうのだ。
経済学の論争は神学論争みたいなところがあるように、門外漢たる私には思えるのだが、「リーマン・ショック」が引き金になって生じた金融危機には、各国政府は金融政策と財政政策の併用で対処したとされているはずだ。金融危機以前には、金融政策だけで対処できるような言い方がされていたが、現実の危機に対して各国政府がとって成果を上げたのは金融政策と財政政策の組み合わせだった。
少し前までは、「小さな政府にすれば国際競争力を増す」という竹中平蔵の主張が広く世に受け入れられていたが、最近では、「政府が大きいか小さいかということと、その国が競争力があるかは全く関係ない」という主張が力を増している。たとえば榊原英資氏もそういう主張をしている。但し、榊原氏は日本を福祉国家にするために消費税を増税せよと主張している(『ニコブログ』に、榊原、竹中両氏が最終回の前回のサンプロ=3月21日放送=に出演した時の発言が記録されている)。
小野善康氏は「増税して、その分をすべて何かの事業で支払い、人々に働いてもらう。そうすれば、人々のお金は減らずに失業率が減り、消費が増えて税収も増える。デフレは消える」と主張する(前掲『AERA』記事77頁)。その増税は消費税ではなくて所得税なのだが、それをタイトルのつけ方によって「消費税」にすり替えるのがマスコミの手口であることは何度でも書かなければならない。また、神野直彦氏は、「税負担の水準と経済成長率は関係ない」と主張している(2010年6月12日付朝日新聞掲載のインタビュー記事より)。
だが、「増税」が「消費税増税」であれば、消費を冷やすに決まっている。「増税」を「消費税増税」にすり替えるのは、ケインズ派の学者たちではなく朝日新聞などのマスコミなのだが、同じ福祉国家志向の学者でも、榊原英資氏のようなスタンスの人は、直接税の増税には消極的で、消費税増税による「大きな政府」を目指す方向性をとる。菅政権では、仙谷由人官房長官が榊原氏の立場に近いように見える。ここらへんは、より再分配を重視するかどうかの、各学者たちの思想の違いを反映しているのだろうと思う。
実際には、ケインズ派の学者たちが想定しているのは所得税増税だ。税制専門家委員会が税制改革の議論を始めたとき、真っ先に俎上に上がったのが所得税であることや、マスコミがその度に議題を消費税増税にすり替えてきたことは、当ブログがずっと指摘し続けてきたことだ。
所得税を増税すべきだというと、誰しも累進性の再強化を思い浮かべるが、神野氏の著書『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)を読んだ方なら誰しも印象に残っているに違いないのは、日本の所得税制が実際には累進的になっておらず、高所得者層ではほとんど比例的になっているという指摘だ(前掲書67頁)。その理由として神野氏が挙げているのが、金持ち(=超富裕層、筆者註)の所得は給与所得ではなく利子所得、配当所得、不動産所得などの資産所得が多いが、日本の所得税制ではこれら資産所得の多くを分離課税にして累進税率の適用除外にしていることだ。
本にはグラフが載っていて、2500万円以上の所得階層の所得税実効負担率が、2000万?2500万円の階層よりも低くなっており、その原因が分離課税による課税漏れであることが示されている(前掲書68頁)。このグラフは衝撃的であり、当ブログで何度か税制について書いた時、これと同等のグラフがどこかネット上にあれば良いなと思っていたが、ものぐさな性格ゆえにさぼってきた。
そうこうしているうちに、神野氏が小野氏ともども「増税論者」だとか「裏切り者」呼ばわりされ、菅首相が消費税増税の意向を明言するに至って、このままではいけないと思って真剣に探してみた。すると、他ならぬ財務省のウェブページで、神野氏の著書に載っているグラフよりさらに訴求力の強いグラフが見つかったのである。
そこで、一昨日(19日)昼に、『kojitakenの日記』に、「日本の所得税制が超高所得者に有利な逆進課税になっている動かぬ証拠」という長ったらしいタイトルの記事を書いて紹介した。このエントリでは、まず財務省のページに掲載されている、「租税負担率の内訳の国際比較」と題されたグラフを紹介し(下図)、日本の税収に示す個人所得課税の割合が、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンと比較して際立って低いことを示した。

(↑クリックするとグラフが拡大表示されます)
次いで、同じく財務省の別のページから、平成19年分の申告納税者の所得税負担率を示すグラフ(下図)を貼り付けて、「これが、日本の税制がいかに超高所得者を優遇しているかの動かぬ証拠である。超高所得者が、分離課税だらけの所得課税の恩恵を受けていることはいうまでもない」と書いた。

(↑クリックするとグラフが拡大表示されます)
『kojitakenの日記』には、超高所得層で負担率がフラットどころか逆進的になる理由が、超高所得層の所得が給与所得主体ではなく、分離課税の適用を受ける「株式等の譲渡所得等」が主体になることなど特記しなかったために、このエントリが思いがけず注目されるに及んで、ずいぶん疑いの目で見られた。記事を読んだ上、財務省のもとの統計を確認された方からコメント欄で「ちゃんと説明しておかないと誤解を招いてしまうのではないかという気がする」と指摘された。この方は、「逆に言えば、分離課税の問題を解決しないで、総合課税の税率のみを上げると、ここで指摘される問題がより深刻化してしまう危険性があります」とも指摘している。その通りで、分離課税だらけの所得税制を改めることは、何より真っ先にやらなければならない制度改革だろう。累進性の再強化はその次だ。
不思議なのは、高給取りとはいえ会社から高給をもらっているに過ぎず、分離課税の恩恵を大して受けていないと思われるマスコミ人が、超高所得者が甘やかされている現状を知りながら(知らないはずはないと思う)それをほとんど指摘せず、それどころか税制改革議論を「消費税増税議論」にすり替えてしまうことだ。超高所得者というと鳩山家だとか麻生家を思い浮かべるのだが、マスコミ人は鳩山前首相や麻生元首相におもねってでもいるのだろうか?
こう書くと、そんな大富豪なんてごく少数だから、増税したって税収増への寄与はたかが知れているよとしたり顔で語るお馬鹿な人間が必ず続出するのだが、それならなぜ税収に占める個人所得課税の比率が、日本は他国に比較して著しく低いのか。累進性を緩和して貧乏人からもっと所得税を取り立てれば他国並みになるとでもいうのか。
もちろん、現時点では景気・雇用回復を最優先すべきであるのは当然だが、上記のような大金持ち増税が景気回復に悪影響を与えないのもまた当然である。大金持ちは所得に応じた消費などしていないからである。だから、超富裕層への増税、つまり総合課税化は、景気・雇用対策と並行して進めても問題ない。景気が本格的に回復すれば、所得税の累進性を再強化すれば良いし、法人税の見直しや環境税の導入検討も行い、それでも不足であれば消費税増税を検討するという手順で税制改革の議論を進めるべきだ。
日本は、世界でも他に類を見ない「金持ち天国」である。日本には昔から「武士は食わねど高楊枝」などということわざがあるように、やせ我慢の文化があって、それが権力者たちによって「ほしがりません勝つまでは」だとか「痛みに耐えて頑張れ」だのといったスローガンに利用されてきた。現実には、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と時の宰相に絶叫させた横綱は、怪我を押して土俵に上がった無理がたたって引退に追い込まれた。
もういい加減「やせ我慢根性」から脱却すべき時だ。さもなければ、「一億総貴乃花の末路」になってしまう。金持ちには応分の負担をしてもらわなければならない。
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菅直人首相に近い経済学者として、神野直彦、金子勝、小野善康氏らが挙げられるが、いずれも現在の経済学の主流には属さない。神野氏は著書で「私の思想は、異端である」と書き、財務官僚は「小野氏の学説は少数派」だと菅首相に言い、金子氏に至っては「経済学界のアルカイダ」を自称する。財政の大きな役割の一つとして、所得の再分配があるが、再分配を強めよと主張する神野氏や小野氏らに対し、ここ数十年間優勢に立ってきた人たちの主張は、「政府は余計なことはしなくて良い、市場に任せよ。努力して金を儲けた人たちから重い税金を取り立てるな」というもので、要するに再分配を弱めよと主張している。その代表格が竹中平蔵である。
しかし、竹中平蔵及び竹中をブレーンとして重用した小泉純一郎は、「市場に任せよ」という市場原理主義にはある程度忠実で、だから消費税増税には不熱心だった。
それに対し、財政再建を強硬に求めてきたのが財務省であり、その意を受けた主張をする代表的な政治家が与謝野馨である。新聞では、読売新聞も朝日新聞も与謝野に近い主張だ。読売の場合、与謝野が中曽根康弘直系の政治家である影響が大きいし、朝日には昔から自民党政府による財政赤字の拡大を批判してきた伝統がある。
与謝野、読売、朝日が一致して財政再建の財源に想定するのは消費税だった。ところが、周知のように消費税には逆進性がある。再分配が財政の役割であることは既に述べたが、消費税が「借金の返済」に用いられた場合、再分配には寄与しない。それどころか、もともと消費税には逆進的な性格があるわけだから、ここで生じる事態は「逆再分配」なのである。
小泉・竹中の「市場原理主義者」は「再分配などしなくて良い」と言っているだけだが、与謝野馨や読売新聞、朝日新聞などは「逆再分配」をせよと主張しているのだ。だから、再分配を強めよと主張する学者たちを「経済左派」、市場原理主義者を「経済右派」と位置づけた場合、与謝野や読売、朝日は「経済極右」に相当する。
これをグラフ化したのが、『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「朝日新聞にかく乱され、『誤爆』してはいけない」であり、当ブログでもグラフを借用して下記に示す。

グラフに、「一部民主支持者・植草(元)教授」が、前記「異端」の学者たち(グラフでは神野氏の名前が表示されている)を「誤爆」している様子が示されているが、これは、菅首相に近い学者たちが「消費税増税」を菅首相に吹き込んだかのような印象操作をする一部マスコミに誘導されて、「一部民主支持者・植草(元)教授」が菅首相ブレーンの学者たちを「増税主義者」として攻撃していることを揶揄したものである。実際に、菅首相ブレーンの学者たちが求めているのは再分配の強化であり、消費税より所得税の増税に重きを置いている。神野直彦氏については当ブログで何度も言及してきたが、所得税増税を求める小野善康氏の主張を、朝日新聞出版が発行している『AERA』(2010年6月21日号)が、記事本文ではそれを正しく伝えていながら、「経済オンチ菅首相が学んだ『小野理論』と消費税増税」という、いかにも小野教授が菅首相に消費税増税をそそのかしたかのような印象を与えるタイトルをつけるという悪質な宣伝行為をやっている。この件については、『kojitakenの日記』(下記URL)に書いたので興味がおありの方はご覧いただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100616/1276644523
なお、「一部民主支持者・植草(元)教授」の主張は、政府は国民から税金を取り立てるなとする、素朴な国民感情に沿ったものであって、だからネットでも支持を得やすいのものと思われるが、これは経済思想的には「リバタリアン」に位置づけられることを指摘しておく必要があるだろう。実際、植草元教授は、小泉政権が発足する際、「天下り撤廃」などいくつかの条件が満たされれば「小泉改革」を支持すると明言した。このことは、植草元教授の著書『知られざる真実』にも明記されているのだが、それこそ「知られざる真実」なのであろう。植草元教授が小野善康阪大教授を「攻撃」したのが果たしてマスコミに騙されての「誤爆」であるかどうかにも私は疑問を持っているが、話の本題からそれるので、ここではこれ以上は書かない。
前回のエントリにトラックバックいただいた『反戦な家づくり』のエントリ「参院候補への公開質問やりましょう! 賛同者急募」は、参院選の民主党候補に対して、消費税増税問題と普天間基地移設問題に関するアンケートを実施するとしているが、前者の設問は、「埋蔵金や天下りをはじめ徹底したムダの排除をやりきる前に、消費税の増税について議論することに賛成か?」となっている。
これもリバタリアン的な発想に基づく設問の典型例であって、「所得の再分配」の観点が抜け落ちている。「金持ち増税」と「法人税減税反対」に議題を再設定せよ、という当ブログの主張とは合わないので、3年前には『反戦な家づくり』のアンケートに賛同した当ブログだが、今回は賛意の表明はできない。
とにもかくにも、現状では「経済極右」の勢力は異様に強く、社民主義勢力は「異端」と自称せざるを得ないほどの少数派だ。菅首相も、いともあっさりと「経済極右」の軍門に下った。それでも、議論の場に立てるだけでも以前と比較すれば戦況は改善されたと前向きに考えて、意見の発信を続けていくほかない。
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私にとってはこれは別に意外でも何でもなく、むしろ菅首相が「効率的な政府」を意味し、かつ「大きな政府」を示唆するこんな言葉をよく思い切って使ったものだと思っていたから、このスローガンが神野氏の発案だと知っても、さもありなんと思っただけだった。しかし、その一方で、これを財政再建と取り違えるそそっかしい人が多く出てくるだろうなあとも思った。
菅首相でいけないのは、そのあとに、財政健全化検討会議を自民党も入れて超党派で作ろう、などと言い出したことであり、これは「財政再建」を意味するばかりか、「小さな政府」を目指す自民党の意見などを容れたら、消費税による財政再建の路線になってしまう。このあたりが、菅首相の危なっかしいところだ。
なぜかあまり指摘されないのだが、「強い財政」と「財政均衡政策」は相矛盾する。財政均衡を目指す政府に「強い財政」など実現不可能なのである。本来そういう点で菅首相が批判されるべきであるにもかかわらず、この所信表明演説が消費税を含む増税による財政を打ち出したものだとか、あげくの果てには菅首相の政策に影響を与えた神野直彦氏が朝日新聞のインタビューに答えて「菅首相はスウェーデンのような高福祉・高負担の社会を目指すと言ってもいいのではないか」と発言したことについて、「神野直彦は裏切った」などというトンチンカンな批判まで飛び出す始末だ。批判の方向性が間違っている。
そもそも、こういう言説自体が、消費税増税を議題にしようとするマスコミの思惑に乗ってしまっている。ここで思い出すべきは、以前村野瀬玲奈さんが書かれた、ブロガーは「高額所得への課税や法人税課税を含む税制全体の改革」という表記を用いるべし、という提言だ。私は、ずぼらなのでいつも「所得税を含む税制改革」と表記している。うっかり書いてしまった場合を除いて、「消費税増税論議」とは書いていないはずだ。
菅首相の所信表明演説に、「消費増税」という文言が出てこなかったことは、11日付朝日新聞夕刊(東京本社版)が不満そうに報じていた通りである。とにかく消費税増税に関しては朝日新聞は実に執念深く、他紙の社説が「消費税を含む税制改革」と書くところを、「消費増税を軸とした税制改革」などと、より強い表現を用いる傾向が顕著だ。
だからといって菅首相にも妥協する気は満点のように見え、そもそも予想通りとはいえ野田佳彦を財務相に据えた時点で、菅首相には警戒心を抱かざるを得ないのだが、それでも、決意表明や所信表明演説で「消費税」という言葉を用いなかった点は評価できるだろう。
そしてそれ以上に、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を打ち出したことは、かつて田中角栄首相が1973年を「福祉元年」として福祉国家に舵を切ろうとして以来、実に久しぶりに日本の政府が福祉国家路線を意味するスローガンを用いたことに意義がある。それに中身を伴わせるのはこれからではあるが。
高度成長時代の「日本型資本主義」に戻れ、と主張される方もいるが、高度成長時代には本当に人手不足で、パートタイマーの方が正社員より時給の高い状態が生じるなどしていた。だから、本来政府が張るべきセーフティネットを企業が代替することができた。だが、そんな状態はいつまでも続かない。だからそれを見て取った田中角栄は、首相在任中に福祉国家路線への転換をもくろんだ。だがそれは石油ショックとそれに続く不況の到来によって実現できなかったという史実がある。これを押さえておかなければならない。さらに、高度成長時代にも、上記の枠組の外に置かれた人々は大勢いた。たとえば、公害問題が深刻で、公害病に苦しむ人たちが大勢いたが、自民党政府は公害を垂れ流した企業の側に立つことが大半だった。本来イデオロギーとあまり関係ないはずの環境問題について、日本では社会党(当時)や共産党といった革新政党が熱心に取り組んだ背景には、こういう事情がある。高度成長時代の「開発独裁」ともいえる政策に回帰するのは不可能である。
田中角栄が「福祉元年」とした1973年には、チリのクーデターによって、シカゴ学派の経済学者たちが主導するピノチェト政府の新自由主義の実験が始まり、「小さな政府」が保守思想の世界で流行になった。日本でも、中曽根康弘が総理大臣に就任する以前の1979年に、時の首相・大平正芳が「小さな政府」を目指す方向性を示した。以来ずっと「小さな政府」の政策が「是」とされてきたから、政府のブレーンの学者が「高福祉高負担」などと口にすることは、つい最近まで考えられなかった。田中角栄がもくろんだ福祉国家路線が挫折すると、社民主義だとか福祉国家政策などは「論外」と見なされる風潮が強まっていった。菅直人自身も加藤紘一も、要するにリベラル色の濃いとされる保守政治家たちはみな一様に「小さな政府」に疑義を呈していなかったのである。「小さな政府」に反対するのは社民党と共産党くらいのものだった。
だから、神野直彦氏が菅首相に「高福祉・高負担の社会を目指すと言っても良いのではないか」と言った時、本来なら社民党の福島瑞穂党首も神野氏に加勢すべきなのである。神野直彦氏は民主党の他に社民党のブレーンでもあり、福島瑞穂党首と神野直彦氏が共著者として名前を連ねた本も出版されている。経済政策をあまり得意としない福島党首が、一生懸命神野氏の教えを吸収しようとしているという話も聞いたことがある。だが、福島党首は「高福祉高負担」とはあまり言いたがらないし、社民党が掲げている「環境税創設」の政策も、あまりアピールしようとはしない。
「高福祉高負担」と書くと、「貧乏人は今でも重税に苦しんでいるのに、これ以上税金を払えと言うのか」と批判される。この批判ゆえに、これまで「高福祉」はともかく「高負担」という言葉がタブー視されてきたのだが、現在は富裕層が応分の負担をしていないからこその「低負担」の状態なのであって、「高負担」にするとは、富裕層に応分の負担をしてもらうことを意味する。この点はどうしても理解してもらうのが難しいようだから、口を酸っぱくして訴え続けるしかない。また、「高負担高福祉」を唱えながら、直接税の増税よりも先に消費税の増税を言い出す人間は詐欺師だから、それにも気をつけなければならない。
それにしても、社会民主主義が高福祉高負担政策をとるのは当たり前だと私は考えていたから、まさかその言葉自体を捉えて、あたかも「新自由主義」であるかのような非難がなされるとは思わなかった。2年半前に、『週刊東洋経済』が北欧経済を特集した時に、狂喜した記事をブログに書いた人間であれば、当然降伏し高負担政策を容認していると思っていた。しかも、神野氏が「税制においても消費税の増税論議ばかりが注目されるが、所得税や資産課税を含めて、新しい社会を支える税体系のあり方を考えるべきだ」と述べているにもかかわらず、消費税増税論だとして断罪される。私には、その論理がさっぱり理解できない。おそらく論理というより情念なのであろう。
実は、同様の非難が大阪大学教授の小野善康氏に対してもなされてきた。小野氏は、菅首相に「増税しても景気は悪化しない」という考えを吹き込み、消費税増税をけしかけたとして、植草一秀や副島隆彦に非難されている(やや異なる観点から、池田信夫にも非難されている)。しかし、11日付の産経新聞に掲載された小野善康氏のインタビュー記事を読めば、植草や副島のヒステリックな小野氏批判には理が全くないことがわかる。消費税について、小野氏は、「増税は消費税よりも、(低所得層ほど負担が軽くなる)累進性のある所得税の方がいいと思う。ただ、税制は副次的な問題で、不況時こそ政府が雇用をつくるという目的が重要だ」と述べている。
それなのに、一部の人間が「小野善康が菅直人に消費税増税をけしかけた」ことにしてしまった。これを鵜呑みにしている人間は、多くの読者を持つブロガーをはじめとして大勢いる。なにしろ、1年前の今頃には植草一秀を「政権交代三種の神器」の1つとして崇拝していた人間もいたし、その植草と共著を出した副島も、植草と同様に持ち上げられていた。
菅政権は、右派からは「左翼政権」として批判されている、また、社民主義を左から批判する考え方もある。そして、菅政権の政策が本当に社民主義的なものになるかどうかは疑わしく、厳しく監視する必要があると思う。たとえば、菅首相は法人税減税には慎重だと東京新聞に報じられていたにもかかわらず、民主党は11日に行われた政権公約会議で、マニフェストに法人税減税を盛り込む方針を打ち出した。民主党自身が発表している(下記URL)。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=18354
これなどは、「強い財政」に反する妄動である。法人税減税が必要だとは、3月に鳩山由紀夫前首相が国会の答弁で述べたことで、鳩山政権の「既定路線」になっていた。今回もこれを踏襲したものと見られるが、これは改めなければならない。もっとも、法人税減税は財界が強く望んでいて、直嶋経産相が後押ししているが、財務省は消極的なはずである。
なすべきことは、民主党がこういう怪しい動きをすることをとらえて批判することであり、マスコミによって「税制全体の見直し」が「消費税増税」にすり替えられている現状に対抗して、「金持ち増税」と「法人税減税反対」に議論を再設定することである。それをやらずに、菅直人憎しの怨念にとらわれた人たちが、小沢一郎かわいさのあまり「菅直人は消費税増税論者」と叫ぶばかりだと、逆に菅首相に消費増税をさせる圧力になってしまうだろう。昔、「アンチ巨人も巨人ファンのうち」と言われたのと同じ理屈である。共産党などからの菅政権批判は筋が通っているが、小沢信者の菅直人批判には筋が通っていない。消費税増税反対だけなら、幸福実現党(消費税撤廃を主張している)だって言っている。再分配の強化を目指す人間にとっては、小沢信者は幸福実現党と同じく、足を引っ張るだけの存在である。「無能な味方」どころの騒ぎではない。
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星浩の言う「改革」とは小泉構造改革のことで、朝日新聞はマスコミの中でも特に熱心に「改革」の旗振り役を務めている。2005年にNHK番組改変問題で朝日新聞が安倍晋三と故中川昭一に屈して以来、朝日新聞は元気がなくなったと思っていたが、船橋洋一が主筆に就任して以来、それ以前から見られた新自由主義寄りの度合いがさらに強まってきた。自民党は消費税率の引き上げを参院選の公約に盛り込むそうだが、朝日新聞は間違いなく「民主党も財政再建の道筋を示せ」などと主張し、暗に菅直人に消費税率引き上げの公約を掲げることを迫るだろう。菅直人はそれに屈するような気がしてならない。
この予想のうち、朝日新聞に関して書いた部分は早くも当たった。しかも、私が予想したよりさらに露骨な書き方だった。菅直人内閣発足翌日の9日、朝日新聞社説は下記のように書いた。
とりわけ重要なのは消費税だ。自民党は、当面10%に引き上げることを公約に盛り込む方針だ。民主党も本気で取り組むのなら、手をこまぬいているわけにはいくまい。この点の書きぶりを全国民が注視するはずである。
有権者に負担を求める政策では2大政党が話し合い、接点を探ることがあっていい。自民党がかじを切ったいまが実現の道筋をつける好機といえる。
(2010年6月9日付朝日新聞社説「菅内閣発足―『選択と説得』の政治を」より)
私は、朝日新聞は暗に菅直人に消費税率引き上げの公約を掲げることを迫るだろうと予想を書いたが、朝日新聞はなんと「暗に」ではなく「あからさまに」消費税率引き上げを公約せよと民主党に求めた。
この社説は船橋洋一が書いたと思われる。新内閣発足の翌日という大事な日の、通常の二本立てをぶち抜いた大型社説となると、これは「主筆」の出番である。船橋洋一は、北京生まれとのことだが、兵庫県神戸市の灘高(勝谷誠彦の先輩である)を卒業して東大教養学部を卒業し、朝日新聞社に入った。阪神間は、菅直人の選挙区である東京都武蔵野市を含む中央線沿線とともに、朝日新聞を購読している世帯が目立って多い地域である。大新聞の中で、菅内閣の成立を一番喜んだのは、おそらく朝日新聞だろう。そして、その朝日が社説で菅首相に消費税増税を打ち出せと叫ぶ。予想通りとはいえ、心が暗くなる。
久々の、世襲でない総理大臣。菅首相は、「サラリーマンの家庭に育った」ことを強調する。菅内閣に世襲議員は中井洽ただ一人しかいないそうだ。その点では、世襲議員で固められた麻生内閣と比較すると改善されたといえるが、中間層がやせ細り、貧困層が増えた現在の日本にあっては、都市部の中間層の利益を代表してきたこれまでの民主党の体質から脱皮できなければ、政権の前途は明るくない。
朝日新聞にも同様のことがいえて、現在の論調では、地方で部数を拡大することはできないだろう。実際、朝日の部数は読売に引き離され、盤石だった経営にも陰りが出てきたと聞く。
それにしても、9日付の朝日新聞はひどかった。社説では、民主党に自民党と消費税増税で協調せよと説いたばかりか、「憲法改正国民投票法をめぐる与野党協議などで兆しの見えた対話の流儀」を評価し、同様にすれば、「大政党が小政党に振り回され、政策決定が迷走する事態も減るに違いない」と結んでいる。
そして、社説の右のスペース、3面の3分の2を占めるのが、財政再建と消費税増税のキャンペーン記事である。見出しは、「財政再建に本腰」、「消費増税シフト鮮明」、「規律重視派ずらり 亀井氏と大きいズレ」、「歳出削減へ公約修正も」となっている(東京本社発行最終版による)。
この見出しを見ただけで、朝日新聞の本音がわかる。朝日新聞は、政権でさえ言っていない「消費税増税による財政再建」をせよと暗に言っているのだ。その「衣の下の鎧」が見えたのが、一昨日(9日)の『報道ステーション』における朝日新聞編集委員・一色清の発言だった。一色は、「消費税を増税して社会保障に充てると言うんですが、それでは財政赤字は減らないので、これをどうするんでしょうか」という意味のことを口走った。要するに、消費税を増税してそれを財政再建に充てよという意味である。それを見ていた私がブチ切れ、一色清と司会の古舘伊知郎からこそ、税金をバンバン取り立てれば良いのにと思ったことはいうまでもない。
前記朝日の記事を書いた記者は、伊藤裕香子、高田寛、星野真三雄の3人である。誰がどの部分を書いたかはわからないが、「消費増税シフト鮮明」という見出しに続く記事の末尾に、ようやく
と書いている。しかし、赤字ボールドに示した文字を見ればわかるように、朝日新聞の主張は「あくまで消費税増税ありき」である。しかし、消費税率だけ引き上げると、所得の低い世帯ほど負担感が増す「逆進性」が問題となり、小泉改革で生まれた格差是正を掲げる民主党の主張に反しかねない。消費税だけでなく、富裕層への所得税や資産課税をどう見直すかも、合わせて検討を求められている。
そもそも、財政の機能が所得の再分配にあるのだから、逆進性の強い消費税増税で財政再建をしようとしても効果がないのが当たり前である。朝日新聞の主張は議論が逆立ちしており、所得税や法人税を増税しても足りない分が生じる場合に、消費税増税を検討する必要が生じる可能性があると書くのが正しい。この場合、日本が「小さな政府」を目指すのであれば、消費税増税は不要である。その意味で、「良い小さな政府」を目指す、真の(?)新自由主義者・植草一秀が消費税増税に反対しているのは、新自由主義者なりに筋の通った主張だと思う。
それさえもないのが、自民党、たちあがれ日本、日本創新党の3政党であり、これらの政党はいずれも、「小さな政府」を目指していながら「消費税増税」を求めている。植草一秀らの立場を、「効率的な小さな政府」と言い換えれば、自民党などの立場は、「効率の悪い(サービスの)小さな政府」だといえる。
もちろん当ブログは、目指すべきは「効率的な大きな政府」であると考えている。
一昨年だったか、当ブログが「大きな政府を目指せ」と書いたところ、「大きな政府、小さな政府という言葉を使うこと自体、新自由主義者の設定した議題に乗った、倒錯した態度だ」という批判を受けたことがある。つまり、当時は「大きな政府」という言葉にネガティブなイメージがつきまとっていた。5年前の郵政総選挙で、小泉自民党が、公約に「小さな政府を目指す」と明記していたことを思い出されたい。
ところが、今朝(11日)の朝日新聞6面(東京本社発行最終版)に掲載されたアンケートを見ると、
と書かれている。「『大きな政府望む』58%」となっている。記事によると、「税負担が重いが、社会保障などの行政サービスが手厚い『大きな政府』」「税負担は軽いが行政にはあまり頼れず、自己責任が求められる『小さな政府』と説明したうえで、日本がどちらを目指すべきかを尋ねたところ、全体では「大きな政府」58%、「小さな政府」32%だった。
「小さな政府」だと、社会保障などの行政サービスには頼れず、自己責任が求められるなどということは、郵政選挙の際にこそ書いてほしかったことだが、現実に朝日新聞が郵政選挙当日の社説に書いたことは、小泉首相はこれまでになかった型の指導者で、その言葉を聞くと音楽を聴いているようだとか何だとか、そんな文章だった。そして、上記のアンケートも、朝日新聞が消費税増税を読者にすり込もうとしている狙いがあることには留意する必要がある。そして、「増税分は社会保障などの行政サービスに使われるのだから」といっておきながら、実は財政再建に使えというのが朝日新聞の本音なのである。
そもそも、小泉純一郎だけではなく、1982年の中曽根康弘首相就任以来ずっと続いた新自由主義政策のせいで痛んだ国民の懐を暖めることが喫緊の課題である。だから、増税以前にまずなすべきことは、景気・雇用対策であり、直接税の見直しがその次にくる。消費税増税を議論するのは、そのさらに次の段階であるべきだ。
日本人がなぜ増税を嫌がるかというと、税金が正しく使われていないからである。また、法人税を減税してもらわないとやっていけないような産業には縮小してもらうことも必要であって、今さら中国やインドに張り合って低賃金と低税率を求める重厚長大産業ばかりいつまでも優遇していたのでは、新しい産業が伸びる芽を摘んでしまい、それこそ国が傾いてしまう。
菅政権の経済政策は今後迷走するだろうし、亀井静香大臣の辞任は痛いが、それでも、「まず消費税増税と小さな政府ありき」の自民党政権よりはましなのだから、草の根からの意見発信も、あきらめずに続けていきたいと思う。
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何がって、税制改革の議論のことである。
土曜日に、『日テレNEWS24』がこんなことを報じていた。
1月に財務相に就任した当初は、消費税などの増税について、議論することさえ否定的だったが、2月には税制調査会の専門家委員会で、消費税を含む税制抜本改革の議論をスタートさせた。4月に入ってからは、増税しても環境や医療、介護などの成長分野に投入すれば、新産業が拡大して雇用が増大し、それが経済成長につながるとの持論を展開し、消費税を含めた増税に前向きな姿勢を示し始めた。
(『日テレNEWS24』 2010年6月5日 15:04)
「2月には税制調査会の専門家委員会で、消費税を含む税制抜本改革の議論をスタートさせた」などと日テレは言うが、当ブログの読者ならよくご存知の通り、これは事実に反する虚偽報道である。
政府税調専門家委員会の委員長を務める神野直彦教授らの考え方は、まず所得税や法人税の課税範囲を拡大し、さらには所得税の累進制を強化するなどして税収を増やすべき、というものだ。ひらたく言えば、まず富裕層に対する所得税の増税を行え、ということである。そして、もし日本が「小さな政府」を目指すなら、消費税を含む間接税の増税は抑えるべきだし、そうではなくて社会保障を充実させた「サービスの大きな政府」を目指す場合、直接税による税収では不足が生じるなら、その時初めて消費税増税も検討する必要が生じる。そういう道筋で議論がなされている。
こんなことはもう書き飽きたが、マスコミが懲りもせず虚偽報道を繰り返すものだから、こちらも何度でも書く。「蟷螂の斧」だとはわかっているが、それでも書く。大嘘つきのマスコミを打倒するまで書き続ける。菅直人首相がマスコミの圧力に屈するなら、菅政権も打倒の標的にするだけの話である。
嘘も百回繰り返せば本当になるというのがマスコミのやり方である。昨日(6日)のテレビ報道で、怒りを通り越して爆笑してしまったのがテレビ朝日のサンデーなんとかであって、「消費税を増税して医療、介護、環境などの政府支出を増やすこと」が「菅ノミクス」だ(一瞬菅野美穂かと思った)、などと言っていた。その時に流れていたアニメーションがひどくて、一軒家の絵の上にドルマークのついた銭袋の絵が重ね合わされ、それが政府に流れていって、医療、介護、環境の支出として使われるという動画だった。家計だけから税金を吸い上げるアニメーションを作ったところは悪質というか露骨で恥知らずとしかいいようがない。
テレビ朝日の場合は日テレよりさらにひどく、「消費税を含む増税」とさえ言わずに「消費税」とだけ言うのだ。テレビ朝日のごときは潰れてもらった方が世のため人のためではあるまいか。トラックバックいただいた『ニコブログ』のエントリ「6月6日『サンデー・フロントライン』 菅首相は財政再建・消費税増税路線とミスリード」に、番組での議論が文字に起こされているから、是非ご参照いただきたい(下記URL)。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1411.html
『ニコブログ』の記事をお読みいただければわかると思うが、ここで行われていたのは、倒錯したとしか言いようがない議論であり、霞が関政策研究所(官僚出身者が作ったシンクタンクと思われる)の代表を務める石川和男という人が下記のように言っていた。
増税をして経済成長するというのはできません。医療分野、介護分野、福祉分野にお金が行くので、その分は成長しますよね。じゃあ他はどうなりますか?ということになります。消費税だけ上げて、他の税金はそのままということになると、単純増税ですから、それで経済成長というのはできない。もしできるんだったら、どの国だって、わが国だってすでにやっている。
そりゃ、「消費税だけ上げて他の税金はそのまま」だったら、「単純増税だから経済成長はできない」だろう。だが、「消費税だけ上げる」と言っているのはテレビ朝日を代表格とするマスコミであって、菅首相ではない。TBSの『サンデーモーニング』で岸井成格が、「菅さんは消費税増税と言わず税制全体の見直しと言う」と言っていた通りである。岸井成格だって本当のところを知っているのだ。知っていて消費税増税を煽る。これが岸井成格(毎日新聞)や星浩(朝日新聞)の手口である。
先週の金曜日だったか、『報道ステーション』に浜矩子・同志社大学教授が出ていて、消費税を上げるよりも富裕層から増税した方が国民のためには良い、日本の経済は成長していないのではなく、成長しているのに貧しくなっているのが問題なのだ、だから、法人税を減らすという方針はどうなのか、だから経済を成長させるって連呼してる菅首相はわかっていないのではないかと言っていた。税制についての主張はその通りなのだが、事実は税調専門家委員会でなされている議論は、浜矩子の主張に沿ったものであって、民主党員のさとうしゅういち氏が、JanJanブログの記事「菅新総理・代表を先頭に『全員野球』の民主党、そして日本を」に、下記のように書いている通りである。
民主党が直面している課題のひとつは、情報発信力の不足です。
例えば、政府税制調査会専門家委員会では、神野直彦会長を中心に、きちんとお金持ちへの課税ベースを拡大し、所得税収を増やそうという議論をしていました。それを十分アピールせず、「増収=消費税増税」という観念に閣僚さえとらわれ、議論を混乱させたのは残念
この議論は、「菅さんは消費税増税と言わず税制全体の見直しと言う」と発言した岸井成格や、浜教授の発言をメモしながら「(消費税は)逆進性(が強い)ね」(括弧内は筆者による補足)と合いの手を入れた星浩らは百も承知なのである。知っていながら、政権を法人税減税と消費税増税に導こうとしているからマスコミは悪質なのだ。かつて1989年の参院選での争点に「政治とカネ」(リクルート事件)とともに消費税を据えて、社会党圧勝の風を吹かせたマスコミとは大違いで、この20年間に進んだマスコミの反動化には目が眩む思いだ。「ブン屋」がエスタブリッシュメントに成り上がってしまったのが日本における諸悪の根源である。実際には、在京キー局や在阪準キー局が下手人になっているが、これらの放送局は、TBSを除いて大新聞社と事実上一体となっている。
税制専門家委員会の委員長に神野直彦を引っ張ってきた菅直人には、まだしも「きちんとお金持ちへの課税ベースを拡大し、所得税収を増やそう」という方向性はあるのだ。口では「次の総選挙まで消費税率を上げない」と言っていた鳩山由紀夫には、その方向性はなかった。なぜそう断言するかというと、財務相に藤井裕久を据えたからだ。最近の政局に関して、ブログの世界では、「親小沢対反小沢」の図式に、皆異様なまでに引きずり込まれていて、それを戒める発言をしていたはずのまっとうなブログまでもが、「菅&非小沢対小沢の仁義なき戦いが始まるのか」などと書く始末だ。私自身一時その傾向に引きずられていながら書くのもなんだが、もういい加減うんざりする。たとえば枝野幸男など新自由主義者の代名詞のように言われているが、当ブログのコメント欄で「竹」さんと仰る方から教えていただいた情報によると、事実は下記の通りである。
今週の「カンブリア宮殿」に河野太郎、渡辺喜美、枝野幸男の御三方が出ていましたが、河野、渡辺の両名は明確に「消費税増税、法人税減税」を唱えており、非常にがっかり。
別撮りの枝野幸男は「法人税減税」には反対、「消費税増税」については濁していました。
枝野幸男だって、税制専門家委員会の議論は知っているのだ。プロだから当然だ。問題は、怒濤のようなマスコミの「消費税増税と法人税減税」の圧力に政権が耐えられるかということだ。最後に、『kojitakenの日記』のエントリ「『小沢一郎中心史観』に引きずられない菅直人政権の評価が必要」に寄せられたGl17さんのコメントを引用しよう。
Gl17 2010/06/05 14:01
昨日WBSをみていました。
民主の副大臣にいろいろと聞くのですが、経済課題の設問が凄まじかった。
「消費増税と法人減税はどうやって実現しますか」
何をやるかは聞かないんですよ、やることは番組が決めてて、どうやってその言うこと聞きますか、って・・・。
これやるんだよね、返事は聞いてない!
回答者の方も、その空気でやらないとは言えない風で、言を左右にしてましたが。
結局のところ、世間の言うこと聞くのが政治家の仕事だからなあ、マスコミが世間なのかはともかく。(まあ大きな一部ではある)
「世間の要請を聞く」という本来に立ち戻る可能性があったのが「生活」のスローガンだったんですが、エスタブリッシュ層の反撃は甘くないです。
そう、今の日本では政策はマスコミが決めるのだ。
菅直人首相にはこう言いたい。「金持ち増税」を打ち出して嘘つきのマスコミと戦え、と。
また、ブロガーの方々にはこう言いたい。ブログのなすべきことは、「反小沢対小沢の民主党内抗争」を面白おかしく書くことではなく、民主党自身がこれまで打ち出してきた政策を実現させるべく、草の根から声を上げて政権に圧力をかけていくことではないのか、と。
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樽床は、一昨年の自民党総裁選に立候補した棚橋泰文を思い出させる売名屋としか思えないが、なぜか自主投票を決めた小沢グループの中には、樽床を推す人間が少なからずいるという。特に昨年の政権交代選挙で当選した新人に、樽床に流れる者が多いのだそうだ。そんな輩に「国民の生活が第一」の政治など到底できるはずがない。こんな売名屋に釣られる議員など全く評価できない。昨年の総選挙で民主党を大勝させた国民の期待とは裏腹に、民主党議員にはかなり質の低い人間が多そうだ。自民党の「小泉チルドレン」もそうだったが、バブル的に大量に発生した議員の歩留まりはどうしても低くなる。それにしても、そんなに民主党には人材がいないのか。この分では、9月の代表選が思いやられる。とはいえ、菅直人の優勢は動かず、以下、当然ながら樽床の代表選当選などあり得ず、菅直人が次期民主党及び日本国総理大臣に就任するという前提で記事を書き進める。
そんなわけで、今日菅直人内閣が発足することになると思うが、前回のエントリにも書いたように、もはや私には菅直人政権も支持できない。なんというか、今の日本に見られる、マスコミが主導する一種異様な反動化の流れには、菅直人も抗しきれないように思うからだ。安全保障問題では菅直人はもともと結構なタカ派なのだが、経済政策においても、朝日新聞の星浩がテレビで公然と民主党政権に「改革への回帰」を求めたことに象徴される流れができてしまっている。星浩の言う「改革」とは小泉構造改革のことで、朝日新聞はマスコミの中でも特に熱心に「改革」の旗振り役を務めている。2005年にNHK番組改変問題で朝日新聞が安倍晋三と故中川昭一に屈して以来、朝日新聞は元気がなくなったと思っていたが、船橋洋一が主筆に就任して以来、それ以前から見られた新自由主義寄りの度合いがさらに強まってきた。自民党は消費税率の引き上げを参院選の公約に盛り込むそうだが、朝日新聞は間違いなく「民主党も財政再建の道筋を示せ」などと主張し、暗に菅直人に消費税率引き上げの公約を掲げることを迫るだろう。菅直人はそれに屈するような気がしてならない。
とはいえ菅直人は鳩山由紀夫よりはずっとマシだ。小沢・鳩山信者は「菅直人は新自由主義寄りだ」とか「菅直人は官僚に屈した」などと言うが、実際には、菅直人は転向後の小沢一郎との比較はともかく、かつて小泉純一郎に共闘を申し入れたことのある鳩山由紀夫よりは間違いなくマシである。財務大臣に藤井裕久、官房長官に平野博文を任命したのはいったい誰だったのか。次の衆院選まで消費税を上げないと言っておきながら、財政再建厨の藤井裕久を財務大臣に任命した鳩山由紀夫は、自らの言葉の意味を理解していなかったとしか言いようがない。
普天間基地問題にしても、『日本がアブナイ!』が書いたように、鳩山由紀夫は「職を賭して」沖縄より日米安保をとり、新たな「日米共同声明」まで出してしまったのである。ところが世間には、それでも鳩山由紀夫を弁護しようとする人たちがいる。ブログでは、去年の今頃、植草一秀の口車に乗って、当時小沢一郎と蜜月関係にあった鳩山由紀夫を絶賛していた連中だ。ブログではなく掲示板でだが、植草一秀、小沢一郎、鳩山由紀夫の3人を「政権交代の三種の神器」として崇め奉る人間まで出現した。まさしく宗教的な熱狂だった。もちろん、鳩山由紀夫が日米共同声明を出し、社民党が連立を離脱した以上、菅直人もそれを踏襲するだろうし、そのことで菅直人も責めを負わなければならないが、元凶が鳩山由紀夫であることは忘れてはならないだろう。
私は、小沢一郎が民主党代表を退いた時、鳩山由紀夫も一蓮托生で幹事長を辞めるというので喜んでいたら、なんとその鳩山由紀夫が代表選に出馬すると 聞いて大いに落胆したものだ。あの頃、「植草・小沢・鳩山信者」たちは、「鳩山由紀夫=正義、岡田克也=悪」という、単純な善悪二元論のレッテル貼りをして気勢を上げていた。確かに岡田克也がろくでもなかったことはその後証明されたが、言葉が軽い分だけ岡田克也よりもっと悪かったのが鳩山由紀夫だった。
昨年の鳩山由紀夫首相誕生で、何が嫌だったかといって、せっかく政権交代したのに、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続いた世襲総理大臣の系譜がさらに続いてしまうことだった。その世襲の時代がようやく終わる。菅直人はサラリーマンの家の生まれだった。直近の非世襲総理大臣は森喜朗ということになっているが、森は地方政治家の息子であって、政治家一族の出でない総理大臣となると、村山富市以来14年ぶりとなる(蛇足だが、樽床も非世襲議員である)。
とはいえ、菅直人内閣に対しては、期待よりも懸念の方が多いのが正直なところだ。政権交代後最初の総理大臣は、鳩山由紀夫より菅直人の方がよほど良かったと思うのだが、鳩山が悪い流れを作ってしまったあとでの菅直人では、多くは期待できないように思う。普天間の問題は全く期待できないし、前述の税制の問題を含む経済政策も私は期待していない。一方、情報公開をはじめ、菅直人が得意とする分野ではそこそこアピールできる可能性がある。但し、苦戦と見られる参院選があるし、9月には代表選があるから、16年前の羽田孜内閣のような短命内閣になる可能性もある。
かつて期待した菅直人が首班となる内閣が発足することになりそうだが、全然気分が浮き立たないのが正直なところである。
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私は、一昨日(5月31日)の報道を受けて、昨日(1日)に、鳩山首相が辞意を表明するものとばかり思っていた。月初の総理大臣の辞意表明といえば、一昨年9月の福田康夫首相(当時)の例があったな、あの時は、テレビの通常番組が突如中断されて、福田首相の記者会見の映像が流れたな、などと思いながら、テレビ朝日の『報道ステーション』を見ると、なんと鳩山首相が巻き返したと報じられていて、鳩山首相が親指を立てて不敵な笑みを浮かべる映像が流れたものだから、狼狽してしまった。
そういえば昨年6月にも、「麻生降ろし」が起きたけれども、結局森喜朗や与謝野馨らは麻生太郎首相(当時)を降ろせなかったな、などと思い出すと、冷静ではいられなくなった。
改選を控えた民主党参院議員も怒りのあまり逆上したという、親指を立ててにやりと笑う、いかにもふてぶてしく見えた鳩山首相は、実際にはその時点で辞意を固めていたのか、それとも今朝になって観念したのかは知る由もないが、結局2日午前、鳩山首相は辞意を表明したのだった。鳩山首相は次期の衆院選には立候補せず、政界を引退するという。鳩山由紀夫という男もまた、歴史的使命を終えたと私は思う。政界引退は賢明な判断であり、「第二自民党」といわれる民主党も、いつまでも森喜朗や安倍晋三がのさばっている自民党とは少しは違うところを見せることにもなる。
私の正直な感想を述べると、「ほっとした」の一語に尽きる。あの福島瑞穂大臣の罷免劇にショックを受けた私は、その後何日も怒りがおさまらず、日常生活にも支障が出るほどだったから、昨日の「鳩山首相、続投に意欲」の報道には逆上してしまった。
マスコミは「小沢一郎も幹事長を辞任」ということをやけに強調するが、師の田中角栄に倣う小沢一郎にとって、政権を奪取したあとの幹事長辞職など大したダメージにはならないと私は考えている。植草一秀は愚かにも、
などと鳩山由紀夫を非難しているが、私は小沢一郎が鳩山由紀夫のプライドに配慮して、「鳩山首相が小沢幹事長に辞任を求めた」ことにしたのではないかと推測している。鳩山由紀夫は総理大臣をクビになったら次期総選挙には立候補せず引退するしかないが、小沢一郎には闇将軍としての余生が残っている。鳩山由紀夫と小沢一郎では受けたダメージの大きさは天と地ほども違う。というより、今回の政局は明らかに小沢一郎と鳩山由紀夫の正面衝突であり、相手が総理大臣であるというハンデを負いながら、小沢一郎は鳩山由紀夫に苦もなく圧勝したのである。鳩山総理が小沢一郎民主党幹事長に対して幹事長辞任を求めたことは、参院選を控えて民主党の党勢を回復するための主張であると考えられるが、捉え方によっては、極めて重大な禍根を日本の歴史に残すことになる点に十分な留意が必要である。
この期に及んで、まだ「鳩山首相は官僚にやられた」と鳩山由紀夫を庇う人に言いたいが、昨日の『報道ステーション』では、「ゴールデンウィーク明けには、鳩山首相は、社民党を切ったら小沢さんに政局にされる、とプレッシャーを感じていた様子だった」と伝えられたのである。だが、鳩山由紀夫は最終的に沖縄と社民党と小沢一郎を捨てて、日米安保をとる道を選んだ。つまり、連休明けには、鳩山由紀夫は社民党を切る腹を決めて、小沢一郎と正面衝突する覚悟を決めていたということである。普天間基地移設先の「腹案」だとか沖縄への「思い」などは口から出まかせにすぎなかった。そして、自らの強いリーダーシップで福島瑞穂を罷免し、小沢一郎に宣戦布告したのである。
これに対し、小沢一郎は、最初は最近腹心になった細野豪志、次には参院選での苦戦が囁かれる輿石東、さらには連立を離脱したばかりの社民党幹部(又市征治や重野安正)の口を借りて、自らは何も語らずに鳩山由紀夫を辞任へと追い込んでいった。小沢一郎があそこまで深く社民党の男性幹部たちに食い込んでいたとは知らなかった。彼らの言葉は、誰が見ても小沢一郎の意志を反映していることはミエミエなのに、それでも小沢一郎自身は何も語らないのである。このやり方に、鳩山由紀夫は音を上げたのではないか。もしかしたら、鳩山由紀夫が解かなければならなかった連立方程式の変数とは、社民党というより、社民党と等号で結ばれた小沢一郎だったのではないかと思ったほどだ。
鳩山由紀夫の発言その他も「マスゴミの捏造」だと信じたい者は、勝手に信じていればよいだろう。私が言いたいのは、そんな「幻想」にしがみついて特定の政党や特定の政治家の「信者」と化した人間には何もできないということである。
昨年の小沢一郎辞意表明では、代表選は4日後だったが、今回はさらに短い2日後。明らかに小沢一郎が主導した政局である。おそらくは菅直人が次期民主党代表に就任して、7日の月曜日には菅新内閣が発足すると思うが(仮に岡田克也あたりが菅直人に勝てば、さらに別の政局が生じるが、とりあえずそれはないものとして話を進める)、まさかこんな形で菅直人が総理大臣になるとは思わなかった。かつて菅直人に期待していた私だが、菅政権ができても当面は支持する側には立てない。新幹事長は細野豪志あたりだろうか。財務大臣に亀井静香でも起用すれば少しは評価できるが、それよりも竹中平蔵あたりとも親和性のある新自由主義系の人物を据える可能性の方が高いと思う。
このエントリは特別版なので、このくらいにしておくが、鳩山由紀夫首相の辞任は当然であるとだけ最後に言いたい。言葉を信じられない人間に総理大臣を続けさせることは、私には我慢ならなかった。心からほっとした。
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