きまぐれな日々

当ブログの最初の記事は2006年4月9日付だが、実際には同年4月16日に開設して、遡って9日付のタイムスタンプをつけたものだ。その直前、2006年4月7日に民主党代表に就任したのが小沢一郎だった。小沢一郎は、それまで新自由主義を志向していた党の方針を転換し、「国民の生活が第一」をスローガンに掲げた。

別に小沢民主党を応援するためにブログを開設したわけでもなんでもなかったが、小泉純一郎とともに、ポスト小泉の本命と見られていた安倍晋三を止めたいという気持ちは強かった。だから、ブログ開設2か月後に、安倍晋三が統一協会系の大会に祝電を送った件が、マスコミにはほとんど報じられなかったけれども、ネットで騒がれた時に、騒ぎに参加することによって、政治問題を扱う路線を確立した。もっとも、その前から政治について書いていたけれど。当時「AbEnd」と名づけた安倍晋三排斥運動の旗振り役を務めた。この時期の頂点が、2007年の参院選における自民党の歴史的大敗と、その1か月あまりあとの安倍晋三の退陣だった。

2007年11月の「大連立」政局以来、小沢一郎を批判する立場をとったことで独自路線をとり始め、2009年3月の西松事件以来、「自End」グループとはっきり距離を置くようになり、連立政権にも是々非々で臨む態度をとってきた。新首相の鳩山由紀夫は支持していなかったが、民社国連立政権の枠組は支持してきた。しかし、社民党の連立離脱に伴い、その枠組が壊れたから、もはや連立政権は支持しない。

前のエントリに書いた通り、無能な鳩山由紀夫や無能な平野博文は、辻元清美・国土交通副大臣を現職に残すことで、福島氏を更迭しても連立の枠組み自体は維持できると甘い考えで臨んで、福島瑞穂・消費者担当大臣を罷免したが、まさか鳩山がここまで人間心理を理解できない人間だとは思わなかった。それまで、「思い」がどうとか「腹案」がどうとか言っていたこととの落差はあまりにも大きく、ああ、これが鳩山由紀夫という人間の本性なんだなと思った。私が感じたのは鳩山由紀夫の酷薄さ、と言って悪ければ無神経さであり、この期に及んでなお鳩山由紀夫を弁護する人たちの心理が、私には理解できない。

もちろん、コケにされた社民党が黙っているはずもなく、本心では連立に残りたくてたまらなかった阿部知子でさえ、「罷免では連立に残れない」と言うしかなかった。阿部知子以上に残りたくて残りたくてたまらなかったのが辻元清美で、岩下俊三さんは、辻元清美が福島瑞穂を軽挙妄動だと非難していたのを漏れ聞いた、と書いている。

だが、鳩山由紀夫と福島瑞穂の対決は、福島瑞穂の圧勝だった。結局福島を「罷免」せざるを得なくなった時点で、鳩山の敗北だ。公約を破って前言を翻した者が、筋を通した者を「首切り」したのだから、いくら阿部知子や辻元清美が悔しがろうが、社民党は連立を離脱するしかなくなった。今回の福島党首の罷免劇は、嘘つきが正直者を切り捨てた上で、正直者の仲間たちに「これからも仲良くやろう」と言っている図式であって、およそ想像を絶した不条理の世界である。この一件で私が受けたショックは大きく、もう鳩山由紀夫の顔を見るだけで気分が悪くなるほど鳩山由紀夫に対する嫌悪感が募ってしまった。

社民党には、普天間基地問題もそうだが、労働問題や税制の問題で、社会民主主義の方向から政権に歯止めをかけてほしかったのだが、鳩山首相があんな行動をとったからには仕方がない。福島瑞穂に「あなたは筋が通っている」と言ったらしい小沢一郎が総理大臣になれば、ミズホタンは閣僚として戻ってくるんじゃないかとか、悪いのは無能な平野博文だとか、鳩山首相は北澤・岡田・前原らを罷免すべきだとか、その他いろいろ断末魔の叫びを上げている人たちがいるが、それらは全部、事実を事実として受け止めることができない人たちのたわごとだ。ここでなすべき選択はただ一つ、鳩山由紀夫の総理大臣辞任しかない。

もちろん、鳩山由紀夫ではなく、岡田克也が総理大臣になってたって普天間基地問題は解決しなかっただろうが、そもそも昨年5月の民主党代表選を、電光石火で国会議員だけで行うことを押しつけたのは小沢一郎と鳩山由紀夫である。あの時には、菅直人も打つ手なしだった。この時にも、当ブログは小沢一郎と鳩山由紀夫を批判したし、その前年の代表選で小沢一郎が無投票で当選した時にもこれを批判したが、今回の社民党の連立離脱は、これらの動きすべてがもたらした帰結である。そういう分析なくして、感情的に鳩山由紀夫や小沢一郎を弁護したって、それは未来に何の果実ももたらさない。結果を得ようとする者は、自分の感情に安易に流されてはならない。

小沢一郎は、功罪相半ばする政治家で、特に1989年に自民党幹事長に就任してから、90年代の「政治改革」、93年の7党連立政権を経て、自自連立から自自公連立に至るまでは、「罪」が「功」を大きく上回った。政治改革で当時の社会党が小選挙区制に乗ってしまったことが、今日の社民党の衰勢につながったが、選挙制度改革を強く推進したのも小沢一郎だった。そのせいで、もともとは「環境派」だった鳩山由紀夫は、民主党を結成する際に数合わせをせざるを得ない羽目に追い込まれ、それで旧民社系とくっついたのである。鳩山由紀夫が「環境派国会議員」として活躍していた頃に、脱ダム問題などで協調していた天野礼子さんなどは、鳩山由紀夫に対する評価が高いが、「旧民社の害毒」が鳩山由紀夫及び民主党を反動化させてしまった。元凶はもちろん小選挙区制を導入した「政治改革」である。小沢一郎ら根っからの保守政治家のもくろみは、みごと当たった。

だが、新自由主義を掲げたために地元土建業者への利益誘導に支障を来した小沢一郎は、地元土建業者の破綻とともに支持母体を失い、民自合併に際して、教職員組合から支援を受ける「組合政治家」に変身したとされている。要するに、小沢一郎が推進した新自由主義政策が、小沢一郎自身の政治生命を脅かしたのである。民主党入りした小沢一郎は、横路孝弘らと政策協定を結んで、「『小さな政府』研究会」とかいう、いかにも新自由主義むき出しの党内グループには参加せず、突如民主党内最右派から左派に軸足を移した。それが、岡田克也や前原誠司の新自由主義路線が行き詰まった2006年4月に民主党代表に就任した時の、「国民の生活が第一」のスローガンにつながった。

小沢一郎最大の功績は、社民主義的な「国民の生活が第一」のスローガンを掲げれば選挙に圧勝できることを、2007年の参院選と2009年の衆院選で示したことだ。自民党と民主党がともに新自由主義路線をとっていた頃には、新自由主義政策の進展によって生じた格差の拡大に苦しむ有権者の受け皿は、小政党である共産党と社民党しかなかったが、「国民の生活が第一」のスローガンによって、票が民主党に集中したのである。

ただ、民主党を圧勝させた票は、それだけではなかった。小泉純一郎の「構造改革路線」を支持し、その後の安倍晋三や麻生太郎に飽き足りなかった新自由主義の信奉者も、民主党に期待して投票した。相反する方向性を持つ、社民主義・福祉国家志向と新自由主義志向の票が合わさって、昨年8月の総選挙における民主党の歴史的圧勝につながったことは、多くの識者が分析している。

また、民主党幹部の多くは新自由主義者である。今後、民主党が公明党やみんなの党と組むとか、中曽根康弘とナベツネが熱望している「たちあがれ日本」と組むとか、いろいろな政界再編があり得るだろうが、どのように再編したところで、前述の「格差の拡大に苦しむ有権者」のニーズに応えることはできない。新自由主義をとらない政党が、右の国民新党と、左の共産党・社民党の3つの小政党しか存在しないからだ。

当ブログのように新自由主義を批判する意見に対して、「金持ちに対する嫉妬心」を動機として意見を述べていると批判する向きが、自民党などの支持者だけではなく、民主党支持者にも結構見られる。そう思う人は勝手にそう思っていればよいと私は思う。サッチャー、レーガン、中曽根康弘らが相次いで政権の座に就く直前の70年代末に、社民主義的な考え方に影響を受けた人間である私が主張するのは、結局新自由主義は日本経済を没落させただけではないかということだ。日本では、1982年に発足した中曽根康弘政権以来、30年近くにわたって新自由主義政策がずっと推進されてきたと考えるべきだが、その間の日本経済というと、80年代末にバブル好況期を迎え、それが破裂したあと、ずっと悪化が続いている。つまり、新自由主義政策の失敗は既に証明されていると私は考えており、だからそんな時代遅れの経済政策にこだわる松下政経塾出身の連中など、私は全く評価しないのである。

「国民の生活が第一」のスローガンを掲げて、二度の国政選挙に圧勝しながら、いざ政権に就くと全然公約を果たそうとしなかった民主党だが、有権者の一部も、いつしか新自由主義の熱さを忘れてしまったかのようだ。それを痛感したのが、前回のエントリにいただいたコメントの中で、橋下徹を評価するようなことを書いていた人がいたからだ。

橋下は、かつて「ウイングを左に広げる」と称して、一部の騙されやすい左派も味方に引き入れて、1986年の衆参同日選挙で空前の自民党大勝をもたらした中曽根康弘に倣っているのか、ひところの右翼受けを狙った言動が最近は影を潜めているようだが、それより何より、橋下の最大の問題点は、彼が新自由主義者であることだ。

もしかしたら最近の当ブログの小沢一郎批判に眉をひそめておられるかもしれない、当ブログコメント欄常連のsonicさんは、「橋下徹」という文字列に反応し、下記のコメントをお寄せいただいた。

橋下が私学への補助金をカットした際、異論を述べようとして相手にされなかった高校生たちを思い出しました。
泣きながら「私らもっと勉強せなあかんねん。あんな奴らに負けんようにもっと勉強せなあかんねん。」と言っていた生徒もいましたね。
彼女たちは今どうしてるんでしょうか?
橋下の本質にいち早く接したのは彼女ら高校生でした。
すでに2年。彼女らは有権者です。
大阪の橋下ポピュリズムにはたして飲み込まれているでしょうか?

私は大阪を救うのは橋下ではなく、あのときの高校生たちになるだろうと思います。

2010.05.29 17:25 sonic


私もsonicさんと同様、橋下というと真っ先にこの件を思い出す。この件に関しては、『kom's log』に、「ボクタチの闘争」と題した印象的な論評が掲載され、私はこのエントリに「2008年のブログエントリ中のナンバーワン」と賛辞を呈した。下記にURLを再掲するので、読者の皆さまにも是非再度ご参照いただきたいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081027

今後は、普天間基地の問題もあるけれども、それと並行して、民主党政権が強めるであろう新自由主義的性格への批判を強めていかなければならないと考えている。

民社国連立政権は、とりあえずは民国連立政権に衣替えするわけだが、唯一の救いは、残った連立のパートナーである国民新党の亀井静香が、新自由主義に反対する方向性をとる政治家であることだ。私はこれも、亀井静香個人の資質によるところが大きいと考えており、同じ国民新党でも下地幹郎など全く評価できないし、亀井静香にしても経済政策以外ではほとんど意見が合わない。しかし、それにもかかわらず、現在の日本では経済政策が最も重要だと考えるために、亀井静香に期待を託している。

前々回のエントリのコメント欄で、ふだんほとんどコメント欄の議論に口出ししない私が、鳩山首相は辞めて亀井静香を首相にした方が良いのではないかと書いたところ、参院選で共産党に投票すると言っているお前がなぜ亀井静香を首相にしろなんて言うのか、支離滅裂だ、お前はただ単に民主党が嫌いなだけなんだろう、などと口汚く罵られたが、そういうことを言う人の方が、経済政策を軸として思考することのできない、イデオロギーにとらわれた人間である。

5月21日付エントリ「神野直彦『「分かち合い」の経済学』に見る消費税増税論批判」にTBいただいた『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「参院選の予想と経済政策の混乱」に、縦軸に行政のサービスの大きさ、横軸に消費税率をとった2次元ダイアグラムが載っているので、是非ご参照いただきたい。国民新党と共産党は極めて近い立ち位置にいる。

北欧諸国は、サービス大で消費税率も大きく、社会民主主義や福祉国家指向の政策を主張する人の中にも、消費税増税を主張する人もいるが、現在なされている消費税増税論議の目的は財政再建であって、消費税率を上げても行政のサービスを拡充するつもりなど毛頭ない人たちによって扇動されている。たとえば、与謝野馨のごときは、小泉構造改革に責任を持つ大臣として、社会保障費を切り詰めてきたことを、『文藝春秋』に寄稿した文章で誇っている始末である。だから、自民党や「たちあがれ日本」、「日本創新党」などは、行政のサービスが小さいだけで消費税率だけを上げるという、およそ世界にも他に類例のない苛酷な税制を目指しているといえる。一部の社民主義者の活動家などが消費税率引き上げに賛成したところで、自民党他の政治勢力に利用されるだけである。

そもそも、金持ちが応分の負担をしていないのが日本の所得税制であるが、こう書くと必ず、「所得税の累進性を強化すると中所得層がダメージを蒙る」と反論のコメントをされる方がいる。よくブログの文章を読んでいただくと、累進性を強化する前に、分離課税だらけの所得税制のために、富裕層が異常に優遇されている、それを改めて所得に総合課税をすべきだと主張しているはずだ。だが、どういうわけかそれを読み取っていただけない。もっとも、それは読み手の読解力よりも、私の書き方が悪いせいである可能性が高いから、理解していただくまでこうやって何度でも書く。税率の累進制強化は、その次の段階にくる。まず高所得層から分担してもらい、次いで中所得層、そして、消費税増税はそれでも足りない分が生じた場合に初めて実施する。サービスの小さな政府であるアメリカでは、間接税に頼らなくとも政府の小さなサービスには支障を生じないので、直接税中心の税制になっている。それを、自民党や与謝野一派は、小さな政府指向なのに消費税を上げようとする。日本の金持ちとはどこまで強欲な人間たちなのかとあきれてしまう。

こんな主張が罷り通るのは、70年代末以来30年にもわたって、新自由主義のプロパガンダがずっと繰り返されてきて、福祉国家や社民主義を主張する人間など、貧乏人が金持ちに対してひがんでいるだけだ、という刷り込みが行われてきたせいである。

この手の宣伝をしてきた、これまでの支配者層にとっては、社民党が連立政権に加わることなど、あってはならないことだったに違いない。だから、今回の福島瑞穂党首の罷免劇には、してやったりの思いだろう。そう思うと、腹が立って仕方がないのだが、それもこれも、連立政権に反対する側の人間よりも、むしろ鳩山由紀夫を筆頭とする民主党の政治家たちの多くが新自由主義のイデオロギーにとらわれていることの責任の方が重い。なんだかんだ言っても、自民党や与謝野馨・平沼赳夫一派は野党であり、民主党は政権政党なのだから。

今回決定的な誤りを犯した鳩山由紀夫を引きずり下ろすことさえできないようでは、民主党は崩壊あるのみだろう。というより、国民の多くのニーズを満たす政党が小政党しかない現状では、新自由主義から一歩も脱却できない民主党など、百害あって一利なし、自民党と同じだが、無用な期待を抱かせる分だけ自民党よりもっと悪いとさえいえる。

何ともやりきれない5月末である。


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普天間基地問題に関して、考えられる限り最悪の決着を選んだ鳩山由紀夫首相に対しては、本当に怒り心頭に発した。

なぜ鳩山首相はダメなのかと考えると、政治家に必要な内発性を持っていないからだろう。突き詰めれば、大富豪のお坊っちゃんの政治家が、道楽で政治をやった結果がこれだと言う他ない。鳩山首相を見ていて思い出すのが前首相の麻生太郎だ。福田康夫や安倍晋三も「○○元首相の息子」や「×元首相の孫」だが、一番鳩山由紀夫に近いのは麻生太郎だろう。大富豪には「国民の生活が第一」の政治はできない。

そう思ったから、前回のエントリでは久々に世襲政治家批判をしたが、麻生内閣発足当時とは打って変わって、反応ははかばかしくなかった。

安倍晋三や麻生太郎の世襲は許せないけれども、鳩山由紀夫の世襲は許すというのではダブルスタンダードだ。鳩山由紀夫の世襲に言及しないのであれば、安倍晋三や麻生太郎の世襲を批判する資格はない。当ブログは、道楽で政治をやっているようにしか見えない鳩山由紀夫を、総理大臣の座から引きずり下ろすべきだと主張する。5月14日付のエントリで、「真正保守」とは金持ちの道楽だと書いたが、それは何も「真正保守」だけには限らず、政権交代を実現させた内閣総理大臣も同類だった。

社民党の連立離脱騒ぎが起きて、ようやく、小沢一郎と関係の深い輿石東から、鳩山首相に対する批判が飛び出したが、小沢一郎自身は沈黙しておいて輿石東にしゃべらせるというせこいやり方をとっている。自身が矢面に立たずに済む今のポジションに、小沢一郎は深く満足していることだろう。

いい加減、「小沢一郎が総理大臣だったなら、普天間基地移設問題は違った結果になっていただろう」などという幻想は捨てた方が良い。鳩山内閣でだって、小沢一郎が本気なら、鳩山首相の判断に影響を与えられる力を持っていたのに、小沢一郎はそれを行使しなかった。つまり、小沢一郎にも「やる気」はなかった。そう私は解釈している。

この観測を裏付けるのが、一昨日(26日)の『日本がアブナイ!』に紹介されていた時事通信の記事で、同ブログから孫引きすると、

官邸にも大きな影響力を持つ小沢氏は普天間問題の調整に乗り出す気はなさそうだ。与党3党の国対委員長が25日、「基地の県外・国外移設に今後も取り組む」ことなどを盛り込んだ幹事長レベルの「覚書」で決着を図ろうと動いたが、小沢氏は「官邸と社民党でやってくれ」と拒否した。
(2010年5月25日 時事通信)

とのことだ。

よく、小沢一郎でなきゃアメリカにものをいえない、という人がいるが、前々から書くように私はそれを疑っている。古い話を持ち出すと怒られるかもしれないが、小沢一郎は日米構造協議で一方的にアメリカに譲歩した人間である。

小沢一郎は、確かに政権交代にはもっとも寄与した人間かもしれないが、政権交代を実現させたことによって小沢一郎は歴史的使命を終えた。何もできない鳩山政権を見ると、そう断定するしかない。小沢一郎は、鳩山由紀夫ほど浮世離れした人間ではないが、やはり世襲政治家には違いない。小沢一郎にも、自らが掲げた「国民の生活が第一」のスローガンにのっとった政治はできないと私は考えている。

これも久しぶりに書くフレーズだが、鳩山由紀夫や小沢一郎が「なんとかしてくれそう」という幻想は捨てなければならない時だ。彼らには、結果を出せなかった。それがすべてである。われわれは、事実に基づいて判断を下さなければならない。鳩山由紀夫がどこまで真剣にアメリカと対峙しようとしていたかなどということはどうでも良い。命がけだったと言わんばかりの小沢・鳩山信者もいる一方で、私などは、鳩山由紀夫には本気など全くなくて、ただ単に「対等な日米関係になれば良いなあ」という淡い願望があっただけだろうと考えているが、鳩山由紀夫の本心について議論するつもりは、私には毛頭ない。政治家は、出した結果だけから評価されるべきだ。

ところで、今朝の『朝日新聞』1面の見出しは、「首相、福島氏更迭を検討」となっている。asahi.netにも出ている(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0528/TKY201005270602.html

記事には、首相側近議員の一人が「社民党に弱腰なところを見せれば、政権の評価はますます落ちてしまう」と懸念しており、首相に更迭を進言したというが、普通に読むとこの発言の主は官房長官を務める無能な平野博文ではないかと思える。平野ではないとしても、鳩山首相のお友達である旧民社系議員の一人ではないか。実際には、鳩山首相は自ら辞任するどころか無能な平野博文さえ更迭しないから政権の評価は地に堕ちた。ハマグリという仇名の国家公安委員長が政権の足を引っ張った時にも鳩山首相はなんのお咎めもなしだった。お仲間の民社系議員に対してはとことん「友愛」精神を発揮するのが鳩山由紀夫という男だ。

社民党については、前掲の朝日新聞記事に、

政権内には、社民党の辻元清美・国土交通副大臣を現職に残すことで、「福島氏を更迭しても、連立の枠組み自体は維持できる」との見方がある。

などと書かれている。社民党もなめられたものだが、朝日は

 一方で社民党内にも、福島氏のかたくなな姿勢を批判する声がある。27日夜の社民党議員の会合では、福島氏を前に「党首として責任を果たしていない」と批判し、党首交代を求める声も上がった。

とも伝えている。確認はしていないけれども、阿部知子あたりが言いそうなことだ。阿部知子だけではなく、沈黙を守る辻元清美も、本心では連立離脱に反対なのではないかと思える。昨夜の『報道ステーション』では、社民党が福島党首を説得している構図になっていると伝えていた。

社民党の連立離脱は、マスコミの望むところだが、鳩山首相が「現行案」での決着に踏み切った以上社民党が連立離脱するぞと言って鳩山首相と争うのは当然だ。私の意見を言うと、連立政権発足後に社民党及び福島党首が出した結果には到底合格点は与えられないし、仮に普天間基地問題で鳩山首相を止められないと最初からわかっていたとするならもっと早い段階で連立を離脱すべきだった。いまさら連立を離脱しようがしまいが、今度の参院選で社民党に投票することはなく、今回は選挙区も比例代表も共産党に投票する。だが、その一方で福島党首にはあくまで粘ってほしいとも思う。最低でも無能な平野博文の首を取るくらいの結果を出すまで引き下がってはならない。

民主党内の社民党応援団もようやく動き出したように見える。前掲の朝日新聞記事で、もっとも目をひいたのは下記の箇所だ。

 ただ、民主党内では、7月の参院選での社民との選挙協力を重視して福島氏に譲るべきだとの意見も根強い。このため、首相の姿勢への党内の批判も厳しさを増しており、同党参院幹部の一人は27日夜、「鳩山さんはいずれにしても辞めないといけない。この内閣は完全に機能不全になっている」と語り、首相の辞任論に言及した。
(asahi.com 2010年5月28日)


最初読んだ時、これは輿石東の発言かと思ったが、記事ではその直後に

 平野博文官房長官や輿石東・参院議員会長は、政府方針を閣僚の署名の必要のない「首相発言」とすることで事態を収拾すべきだという考えと見られる。

と書かれているので、輿石ではないのかもしれない。いずれにしても小沢一郎の息のかかった者の発言と考えられる。ようやく民主党内からも「鳩山降ろし」の声が出てきた。もっとも、最近の小沢一郎の行動パターンから類推すると、強くは「鳩山降ろし」を推進しない可能性もある、というよりそちらの可能性の方が高いようにも思える。

手詰まりの鳩山首相は、昨日(27日)、東京都内で開かれた全国知事会議に出席して、普天間飛行場や嘉手納基地で行われている米軍の訓練の一部を各都道府県で分散して受け入れられるよう協力を要請したが、これを政治利用したのが橋下徹だった。石原慎太郎はけんもほろろの態度をとったが、橋下は、「基地負担をしている県の犠牲のもと、大阪府民は安全をただ乗りしている。もし何かあれば、できる限りのことをしたい」と述べた(5月28日付朝日新聞より)。『報道ステーション』では古舘伊知郎と朝日新聞の一色清がこの橋下発言を絶賛していたが、いよいよ極右ポピュリストの主役が石原慎太郎から橋下徹に交代したなと思わされた。おそらく、夏の参議院選挙で、石原が入れ込んでいる「たちあがれ日本」は、仮に送信塔もとい創新党だとか改革クラブの後身だとかと連携したところで惨敗するだろう。もはや石原の時代は終わり、今後もっとも警戒すべきは橋下徹だと私は考えている。在阪テレビ局は橋下信者に支配されているらしく、大阪はいまや極右と新自由主義者の一大拠点になっている。

苦し紛れの一手も橋下徹の人気取りに利用される鳩山由紀夫首相は、もはや日本の政治にとって百害あって一利なしの存在に成り下がった。繰り返すが、大富豪で世襲四世の鳩山由紀夫に「国民の生活が第一」の政治はできない。公約をほとんど守れず、結果を出せない鳩山由紀夫には、総理大臣の座から降りてもらわなければならない。


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政治は、結果がすべてである。

どんなに根が善良な人間が政治をやろうが、結果を出せなければその政治家は評価されないし、ましてや政治家の善意を指摘して彼を庇おうという言説には、私は強く反対する。政治家とは、結果に責任を持たなければならない人間だからであり、なぜそういえるかというと、政治家の出す結果が国民の暮らしに直接反映されるからだ。

その意味で、鳩山由紀夫は政治家失格である。

昨年、小沢一郎が民主党代表を辞任した時、小沢一郎と鳩山由紀夫の二人が共謀して、5月12日に行われた小沢一郎代表退陣表明のわずか4日後の5月16日に民主党代表選を行うことを決定した。岡田克也を支持する人たちが反対したが、小沢一郎がこれを一喝したことが報じられた。

当時私は、鳩山由紀夫が2002年に民主党代表として党の支持率を数パーセントにまで下落させて代表退任に追い込まれた、つまり、かつて鳩山が代表を務めた頃に民主党の支持率がどん底まで落ち込んだことを指摘して、鳩山由紀夫と、自らの後継に鳩山を推した小沢一郎を批判したが、民主党は鳩山由紀夫を党代表に選んだ。

私の予想と違ったのは、過去もっとも不人気な民主党代表だった鳩山由紀夫が代表に復帰したのに民主党が衆院選で大勝したことだった。あの鳩山由紀夫を代表に据えて選挙戦を戦ってさえ総選挙に圧勝できるほどに、国民の自民党に対する不信感は強烈だったのである。

だが、政権交代を実現して総理大臣に就任した鳩山由紀夫は、前回民主党代表を務めた2002年と同じ失敗を犯した。失敗は、何も普天間基地移設問題に限らない。労働問題から企業・団体献金全面禁止や取り調べの全面可視化の件に至るまで、鳩山政権は何もなし得ていない。

それもこれも、組閣時に政権を担当することを甘く見て、気心の知れた人間で自分の周囲を固めようとしたからではないのか。例えば、誰が平野博文の官房長官就任など予想しただろうか。誰もが官房長官は菅直人がなるものだと思っていた。週刊誌もそう書き立てていた。

しかし、鳩山由紀夫は平野博文を官房長官に任命した。その名前に言及される時、必ず「無能な」と形容される平野博文だが、その平野を選んだのはほかならぬ鳩山由紀夫である。

鳩山由紀夫から見て「うるさい」存在であろう国民新党(亀井静香)や社民党(福島瑞穂)を抑えるためには、彼らにもっと重責を担わせれば良かった。それを、なまじ鳩山由紀夫自身に近い旧民社系議員で固めてしまったから、内閣が反動的性格を帯びることになった。その結果、「これくらいはやってくれるだろう」と思っていた取り調べの完全可視化さえ全然前に進んでいない。

普天間基地移設問題は、沖縄、連立与党のパートナー(社民党)、アメリカの「三元連立方程式」を解くと鳩山由紀夫は言っていたはずだが、結局、事実上前政権時代の「現行案」でアメリカと合意し、それを沖縄(と社民党)に呑め、という態度に出た。テレビで保守寄りのコメンテーターでさえ批判していたこの鳩山のやり方を、植草一秀のブログは必死に擁護している。これまでも当ブログは頻繁に植草一秀を批判してきたが、これに対して「植草が県外・国外移設を主張していることをブログ主は評価せよ」と言っていたコメンテーターは、おのれの不明を恥じるべきだろう。もちろん、金魚のフンのように植草を翼賛していたブロガー連中は論外である。

植草批判はこのくらいにして鳩山由紀夫の話に戻るが、政権発足当初、私は鳩山という人間にはもっとずる賢いと思っていた。それは、小沢一郎にコバンザメのようにくっついて忠誠を誓ったあげく、小沢が「政治と金」の問題で代表辞任を余儀なくされた時にちゃっかり後継についたやり方から抱いた印象だった。だが、実際には鳩山が自ら掲げる「友愛」を実現させたいという意欲だけはあった。普天間基地問題に関していうと、私は昨年の政権発足直後には、「最後には現行案で決着させようと最初から思っているのではないか」と鳩山を疑っていたのだが、実際には、福島瑞穂(や小沢一郎)に尻を叩かれてとはいえ、県外・国外移設を模索していて、それが官僚たちとの意見と合わずに迷走する形になったようだ。

アメリカとの関係は、マスコミは「日米同盟」としか言わないが、実際には利害関係が一致しない二国間の交渉事だから、相手国の政権の腰が定まっていないと見ればアメリカが強気に出たのが当然なら、それを丸呑みして「負担をお願いする」と言われた沖縄が激怒するのも当然だ。

結局、鳩山由紀夫という人間は、よく言われるように、いわゆる「いい人」なのだろうが、それは、結果責任を負わなければならない政治家にとっては別に美徳でもなんでもない。鳩山由紀夫がなぜ結果を出せないかというと、ここ数代続いた「○○元首相の息子」や「××元首相の孫」たち全員に共通しているが、困った時には誰かが助けてくれるだろうという、世襲政治家に共通する甘さがあるからではないか。たとえば安倍晋三は、狂ったように改憲にこだわった政治家で、次々と改憲に向けた法案を、小泉純一郎が「郵政総選挙」で獲得した議席数の力で成立させたが、それが国民に支持されず参院選で惨敗を喫すると、当初はそれでも政権にしがみついたけれども、結局小沢一郎が給油の延長に同意してくれないとかなんとか言って、政権を投げ出してしまった。福田康夫は安倍晋三などよりもよほどましな首相だったと思うが、やはり安倍同様就任後1年で自ら政権を投げ出した。

自民党支持者が安倍晋三を支持したり、民主党支持者が鳩山由紀夫を支持する心理が私にはわからず、どうして世襲の政治家をそこまで信頼できるのだろうかといつも思う。世襲の議員は、参院選でも乱立がいわれる「タレント候補」と同じで、安易に候補者を当選させることができるから政党に重宝されるが、かつても世襲議員は多かったけれども、総理大臣には非世襲の人間がなるのが普通だった。それが橋本龍太郎あたりの頃から世襲議員が総理大臣になるようになり、安倍晋三以降は元首相の子や孫が4代続くという異常事態を招いた。堺屋太一は安倍政権を「ベルサイユ化」と評したが、それは安倍の後に続く福田康夫、麻生太郎、それに鳩山由紀夫にも当てはまる。鳩山内閣は自民党内閣ほどには世襲議員で固めた内閣ではないが、いかんせん総理大臣が世襲の権化のような鳩山由紀夫である。

再来月の参院選については、このていたらくでも自民党相手なら勝てるだろうと小沢一郎と鳩山由紀夫が高をくくっているのか、民主党は現状のまま鳩山?小沢体制で強行突破を図るつもりのようだが、あまりに有権者をバカにした話だ。しかし、野党第一党の自民党が、「小さな政府」を指向しながら消費税大増税を掲げる、民主党以下のDQN政党であることも事実だ(もちろん「たちあがれ日本」も同様というか、自民党よりさらに下)。そういえば自民党総裁の谷垣禎一も、いずれも総理大臣になった「麻垣康三」の他の3人同様の世襲議員だ。

参院選では国会議員の世襲についても再度議論がなされるべきだし、たしか世襲に否定的だったはずの民主党は、世襲政治家を代表の座から下ろすべきだろう。そういえば鳩山代表の任期は今年9月末までだから、今年秋には民主党代表選があるはずだが、昨年5月のような八百長代表選を行うのではなく、民主党員自身に鳩山由紀夫を引きずり下ろしてほしいと強く願う次第である。


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昨日(5月20日)の朝日新聞3面に、参院選に向けて「みんなの党」の支持率が急伸しているとの記事が掲載された。この政党が政権与党である民主党への批判の受け皿になっているというのである。

それはその通りなのだろうが、全くいただけないのは、この朝日の記事が、「小泉政権時代に構造改革路線を進めた元財務省官僚」・高橋洋一の口を借りて、「みんなの党」の「小さい政府」路線を支持しているようにしか読めないところである。「小泉改革の自民党を支持し、政権交代を掲げた民主党を支持してきた人々は、早くも見切りを付けて第三極へと流れていくのか」などと書いている。

そこで、今日のエントリでは「みんなの党」批判をメインにしようと当初考えた。「みんなの党」のマニフェストを見ると、朝日新聞が書く通り、この政党が典型的な「小さな政府」論に立っていることがよくわかる。国家公務員の10万人削減や給与・ボーナスのカット、国会議員の大幅削減(将来的には憲法を改定して衆参を一院化する)など、公務員や国会議員を「仮想敵」にして大衆受けを狙った公約が目白押しだ。一方で、増税には消極的だが、これは「小さな政府」を標榜する以上当然だろう。官僚悪者論に便乗した、典型的なポピュリズム政党である。

官僚の天下りや税金の無駄遣いは確かに問題だが、それは主に文科系の高級官僚の腐敗堕落に問題があるのであって、それは是正しなければならないけれども、「みんなの党」の公約を実行すれば、実務に携わる多くの官僚が関わる公共サービスは縮小するし、おそらくどんな種類の増税にも反対なのだろうから、財政による再分配の機能も今以上に貧弱なものになるだろう。つまり、みんなの党の政策を実行すれば、日本社会における格差はさらに拡大する。こんな政党が参院選で伸びるようでは日本の将来は暗い。だから、「みんなの党」を叩くエントリを上げようと思った。

だが、ちょっと考えを変えた。あちこちの有名ブログで消費税の議論が出ているようだからである。当ブログにも、フリスキーさんから、下記のようなコメントをいただいた。

今日一時的に日経平均が一万円割れしたようですが、ここのところ日米の株価が不調で、
これからも下値を切り下げていく展開になる可能性が小さくないのではないでしょうか。
消費税増税に路線転換したかに見えますが、
不況が再びクローズアップされていくと、
明らかに逆進性の強いこの増税に対する
批判が強まり、なにかと後手後手な
現政権がこの問題で右往左往していく
のではないかと予想しておきます。

2010.05.20 15:24 フリスキー


実は、税制調査会が所得税の問題点を洗い出して、所得税を含む税制の見直しをしようとする動きが今年初め頃から(というより菅直人が財務相に就任して以来)起きたにもかかわらず、これが注目されるどころか、文科系の高級官僚の意を受けた(?)マスコミの誘導によって、問題が消費税増税の是非にすり替えられてしまった。そこへもってきて、菅直人や仙谷由人も、消費税増税論に傾くようなことを口にするのだから、火に油を注ぐようなものである。

いわゆる「リベラル・左派」系のブログでも、税制の議論になると百花斉放というべきか、意見はさまざまである。たとえば、小沢一郎や鳩山由紀夫を支持する人たちの一部から崇拝されている植草一秀は「良い小さな政府」を理想としており、「みんなの党」と同様、あらゆる増税に反対する立場をとっている。植草は、今は積極財政で景気回復を図るべきと主張していて、それはその通りだと思うが、増収策は「天下り根絶」をやった後で初めて行うべきだ、などと言っている。だが、天下り根絶を行う時には、同時に国家公務員の人事処遇の見直しも行わなければならず、若い頃には薄給に甘んじる現在の待遇も改められなければならないだろう。仮に天下りを根絶したところで、削減したコストがすべて公共サービスに振り向けられるわけではない。だから、景気が回復したならば、「天下り根絶」を含むムダの削減と並行して税収増が図られなければならず、その際には消費税ではなくまず所得税からメスを入れていくべきであるのは当然だと私は思うのだが、おそらくこの意見に賛同される方は極めて少ないだろうと思う。

植草一秀の信奉者のように、あらゆる増税に反対、金持ち増税も反対なら環境税の創設にも反対という人がいるかと思えば、その一方で、福祉国家を実現するために消費税率を引き上げるべきだという人もいる。

福祉国家を目指す財政学者であり、民主党や社民党の政策に与える影響が大きいことで知られる神野直彦は、近著『「分かち合い」の経済学』(岩波新書、2010年)のあとがきを読むと、眼を病んでいて、著作は宇沢弘文との共著(未刊?)を最後の仕事にしようと思っていたが、ついつい引き受けてしまったと書いている。その神野は、同著の第5章以降で、消費税増税を推進しようとする日本の支配層を痛烈に批判している。神野は、新自由主義者が、「市場が分配する所得を歪めない中立的税制が好ましい」とする「経済的中立性のドグマ」を信奉して、所得税・法人税中心の税制を破壊し、消費税を推奨している(前掲書138頁)と指摘する。古典派経済学のアダム・スミスは消費税を「労働賃金を引き上げる」として批判して所得税を推奨したというのに、「新自由主義は古典派のように、比較的所得税を推奨はしない。推奨する租税はあくまでも、逆進的負担をもたらす消費税すなわち付加価値税なのである」(同139頁)。「『経済中立性のドグマ』を信じ、所得税・法人税中心税制をかなぐり捨てている国は、日本だけである。(中略)日本は、1990年から法人税の負担水準を激減させた唯一の例外国家なのである。」(同142頁)。「それにもかかわらず日本では、増税の選択肢は消費税しかないとの常識が、大手を振って罷り通っている。しかも、躍起になって消費税は逆進的ではないという常識を形成しようとしている」(同142頁)、などなど。

政権与党である民主党や社民党のブレーンである財政学者がこのように訴えているにもかかわらず、その訴えは全然浸透しない。神野直彦は、「常識は時代の勝者によって形成され易い」、「常識が形成されるまで、繰り返しメディアを動員して宣伝できることは、勝者の特権である」(前掲書140頁)と書くが、政権交代はメディアにまでは及んでいないようだ。朝日新聞、読売新聞と在京キー局、それにNHKが一致団結して消費税増税を叫んでいる。読売新聞のナベツネ(渡邉恒雄)は、自身では「市場原理主義」に反対しているつもりのようだが、内実は80年代からの筋金入りの新自由主義者であることは、10年前にナベツネの著書『ポピュリズム批判』(博文館新社、1999年)を読んだ私はよく知っている。そもそもナベツネは中曽根康弘の盟友だから、新自由主義者でないはずがない。

これに、小泉政権発足以来、熱心に「小泉構造改革」を支持してきた朝日新聞が加勢した。朝日は、読売と比較してもより熱狂的な新自由主義応援団である。なぜかというと、小泉純一郎の「抵抗勢力」すなわち旧来自民党への批判が、長年自民党政府に批判的な論調をとってきた朝日新聞のベテラン記者たちの琴線に触れたためだろう。特に主筆を務める船橋洋一は、竹中平蔵とも懇意な人物である。

テレビ局に至ってはどうしようもない。在京キー局の正社員は、信じられないほどの高給取りであって、日本の権力者たちそのものである。その彼らが、財務官僚をはじめとする、文科系の高級官僚と結託し、消費税増税の一大プロパガンダを展開しているのが現状であると私は認識している。特に腹が立つのが『報道ステーション』の古舘伊知郎と朝日新聞の一色清のコンビ、読売テレビで週末に極右番組を司会している辛坊治郎、それにみのもんた、岸井成格(毎日新聞)、星浩(朝日新聞)といった面々である。

あれだけテレビ番組で、宗教的な熱狂を持って「消費税増税教」を布教されると、神野直彦が、(サービスの)「『小さな政府』であるアメリカは、消費税つまり消費型付加価値税を導入すらしていない。アメリカは所得税と法人税を中心とした租税構造が確立されている」(前掲書144頁)といくら著書で説いても、その事実はほとんど知れ渡らない。先日、読売新聞が「読売経済提言」と称した特集記事(おそらくナベツネ自身の発案による)を大々的に掲載したが、そこにももちろん法人税減税と消費税増税の主張があった。そして読売も日本の税収において直接税、特に所得税の占める比率が他国と比較して低い事実を、おそらく意図的に無視していた。

読売や朝日もそうだが、自民党も「小さな政府を目指す」としながら消費税の大増税を求めている。その主張をさらに尖鋭化させたのが、「たちあがれ日本」の与謝野馨であって、中曽根康弘直系の政治家である与謝野がナベツネと懇意であることは、周知の事実である。これらの主張は、およそ世界でも他に類を見ない苛酷な税制を目指す、考えられる限り最悪の政策であって、与謝野は日本を「たちあが」らせるどころか、日本経済を根絶しようとしているのではないかと私は考えている。

嘆かわしいことに、誰とは言わないがブログでも有名な民主党・社民党支持系の活動家や、「政治ブログ」の中でも代表的な「リベラル」系のブロガーまでもが、「消費税増税教」を無批判に受け入れている。こうした文章を目にするたび、ブログを書いていて無力感にとらわれる。せめて税制専門家委員会委員長・神野直彦の『「分かち合い」の経済学』でも読んで、マスコミに流された消費税に関する安易な思い込みを改めて欲しいと思う今日この頃である。
2010.05.21 08:23 | 税制 | トラックバック(-) | コメント(18) | このエントリーを含むはてなブックマーク
再来月に迫った参院選への政党の著名人担ぎ出しはとどまるところを知らず、民主党が山口選挙区でも俳優の原田大二郎を擁立するとか、国民新党が江本孟紀だとか、自民党が堀内恒夫や三原じゅん子だとか、果ては「たちあがれ日本」が中畑清だとかを立てて、有名人が乱立する選挙になりそうだ。

もっとも、有名人とはいっても、谷亮子や池谷幸雄を除けば、ほとんどが70年代や80年代に活躍したプロ野球選手やタレントであり、「B層作戦」をどの政党も行っている(共産党を除く。今回は社民党や公明党もあまり聞かないが、前科はある)。担ぐ方も担ぐ方なら、ヘラヘラと誘いに乗る方も乗る方だ。そんな中で、高橋尚子が毅然として政党の誘いに乗らないことが報じられ、評価を高めている。かつて高橋の師匠・小出義雄が2001年に自民党の誘いを受けた時、「俺はマラソンしか知らないから」と言って断ったが、後年師匠から独立した高橋にも師の教えは今なお生きているようだ。

それにしても、ただでさえ軽視されている比例代表制に2000年から導入された「非拘束名簿式」を各党とも悪用しているとしか思えない。3年前に、「AbEnd」 (「安倍を『The END!』させようと銘打ったブログ運動)界隈で「比例区は『天木直人』と書こう」というキャンペーンが起きた時、私は「非拘束名簿式比例代表制への疑問」という記事を書いて、天木直人に熱狂する人たちに冷水を浴びせて、某ブロガー氏の激しい怒りを買ったことがあるが(笑)、当該記事で紹介した社民党による「非拘束名簿式」の批判の方がもちろん正しく、「政党と国民との絆・結びつきを深めるという比例代表制導入で期待された理念をも否定すること」になり、「政党自らの存在価値自体を問われる」ものである。今、民主党、自民党、国民新党や「たちあがれ日本」がやっているのは、そういうことなのだ。

自民党や「たちあがれ日本」は、そもそもそういう政党だからどうでも良いとは前のエントリに書いた通りだ。これに対し、喫緊の課題は民主党の暴走を止めることだ、それには自民党への投票がもっとも有効だとするコメントをいただいたが、冗談じゃない。「小さな政府で消費税増税」を掲げる自民党に勝たせたら、民主党政権が「民意を真摯に受け止める」と称してその方向へと走り、政治は今よりさらに悪くなる。自民党に勝たせることは「地獄への道」以外の何物でもない。次の参院選では共産党しか投票先が見つからない。共産党が伸びて、民主党と自民党の両方に厳しい審判が下る選挙結果になれば、与党も民意を取り入れる方向に政策を改めるかもしれない。同じ民主党が負けるにしても、民主党の悪いところをさらにデフォルメしたような自民党が勝つようでは、何の意味もないのである。

民主党で一番問題だと思うのは、「国民の生活が第一」と言いながら、選挙に有名人を次々と立てて「B層」票を狙ったり、その先には比例区定数削減を狙っていたりすることにある。昨年、民主党の「衆議院比例区80削減」を当ブログが批判した時も、大多数の民主党支持ブログは頬被りしていたが、現在の谷亮子ら有名人に頼った民主党の選挙戦術にも何も言わない。

定数削減反対は、昨年6月に植草一秀でさえ言っていた。植草は、小沢一郎の信者には不人気の上脇博之教授の論を引いて、民主党が企てる衆議院の比例区定数削減案に反対したのだが、植草一秀と小沢一郎の意見が相反する時は、小沢一郎の意見を優先するのが小沢信者の行き方らしく、小沢信者のほぼ全員がこの時の植草一秀の主張を無視した。

ネットで「反自公」を掲げてきたブログの中には、2007年の参院選山口選挙区と、昨年の衆院選山口4区に立候補して落選した戸倉多香子氏を応援する人たちがかなりいたと思うが、今回の山口選挙区への原田大二郎擁立に際して、民主党本部は山口県連から推薦のあった公募者を認めず、小沢氏主導のもとで候補者選定作業を仕切り直したと報道されていることについて、誰も何も言わないことも解せない。

権力者としての小沢一郎の影響を直接受ける民主党の政治家ならともかく、なぜしがらみとは無縁に自由にものを言えるはずのブロガーまで何も言わないのか。「物言えば唇寒し」の風潮は、およそ「市民ブログ」には似つかわしくない。

ネット住民がこのていたらくだから、小沢一郎や民主党や自民党、マスコミや官僚、財界や御用労組などの権力者たちのやりたい放題は終わらないのである。


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政権与党・民主党の腐敗堕落ぶりがいよいよはっきりしてきた。

普天間基地移設問題の迷走に続いて、企業・団体献金の抜け道づくり、直接税に手をつける前の消費税増税など、政権交代後8か月にして、早くも政権党の驕りばかりが見られるようになった。前政権党の自民党が同じことをやっていたから、民主党が同じことをやってもそんなに強くとがめ立てされることはあるまいという、有権者を馬鹿にした態度が、小沢一郎からは感じられる。鳩山由紀夫首相は普天間基地移設問題で疲れ果て、菅直人は自分の番が巡ってくるのをじっと待っている。七奉行らはもう自民党と何も変わらない。

こんなふざけた政権与党には参院選で痛撃を食わせるしかないと思う。とはいえ、自民党や、極右と新自由主義が合体した新党群が伸びるのでは意味がない。私個人としては、これまでの参院選では1人区の地方から、5人区の東京都に移ってきたので、従来のような「戦略的投票行動」をとる必要はなく、選挙区も比例区も共産党に投票するしかないが、移住していなかったらこれまでと同じ投票行動を取るしかなかっただろうと考えると、小選挙区制を中心とする現在の選挙制度がいかに民意を歪めるものかが改めて感じられる。イギリスでも小選挙区制への批判が強まり始めているが、日本において小選挙区制導入を推進し、今なお議員定数の削減をまず比例区から行おうとしているのが小沢一郎であることも、改めて思い出した方が良い。

民主党が有権者を馬鹿にしていることを象徴するのが、谷亮子を担ぎ出したことだ。小沢一郎は有権者を「B層」扱いしているとしか私には思えない。参議院議員を、「私ならできると思った」と臆面もなく語る、面の皮の厚い谷亮子は、記者会見で政治のことを訊かれてほとんど何も答えられなかったらしいが、ジャーナリストたちは、毎日新聞の「えらぼーと」に出てくるような項目について、逐一谷亮子に質問すべきだろう。「私ならできる」と言う谷亮子なら、質問にすらすら答えられてしかるべきだ。

昨年夏の毎日新聞の「えらぼーと」には普天間基地問題や消費税に関する設問はなかったが、今年の参院選前にも同様の企画が行われるならば、必ずやこれらの設問があるだろう。谷亮子に限らず、昨年の衆院選に当選したポピュリスト議員の中にも、普天間や税制についてほとんど語らない人間がいる。たとえば城内実がそうだ。城内の師匠格だった平沼赳夫は、与謝野馨と野合することによって、「小さな政府志向なのに消費税増税」という路線に何の抵抗もない正体を露呈したが、そんな野合政党に参加するのは得策ではないと計算したに違いない城内実も、中身は平沼と何も変わらないと私は見ている。

城内実も平沼赳夫も、「真正保守」を標榜する人たちだが、同じ思想的傾向を持つ「改革クラブ」の大江康弘は、なんと幸福実現党入りした。この大江は、和歌山県議の倅だが、関西で勉強のできない大金持ちの子弟が進学することで知られる芦屋大学を卒業して、和歌山県選出の右翼系国会議員として有名だった玉置和郎の秘書を務めた経歴を持つ。そんな男が、小沢一郎に惹かれて自由党経由で民主党入りしたわけだが、民主党時代には「民社協会」に属した。大江自身は民社党に所属したことはないようだが、民主党の旧民社系議員には、このような市民感覚から乖離した人間がいることも認識した方が良い。

昨年の衆院選前に自民党の小池百合子が幸福実現党と選挙協力したことも忘れてはならないが、小池もまた市民感覚からの乖離が著しい議員の代表格だ。大江が芦屋大学卒なら、小池はこの大学がある兵庫県芦屋市の出身である。「真正保守」とは金持ちの道楽なのではないかと思ってしまうが、実際、安倍晋三、麻生太郎、故中川昭一は言うに及ばず、平沼赳夫は平沼騏一郎の兄で早稲田大学総長を務めた平沼淑郎の曾孫にして平沼騏一郎の養子で東京出身、城内実は元警察庁長官・城内康光の倅で横浜出身と、主立った「真正保守」の政治家たちは、ことごとく金持ちの家に育ったボンボンである。例外は稲田朋美くらいだろうか。こんな人たちが、国民生活そっちのけで「真正保守」の思想を信奉して、それを振りかざす。

プロの政治家がこのていたらくだから、谷亮子に政治家という職業を見くびられるのも仕方ないといえなくもないが、国会議員を志す以上は、上記のボンボンの「真正保守」たち程度の識見で合格点を与えるわけにはいかない。マスコミも、普天間基地や税制、それに企業・団体献金、さらには雇用や社会保障などの問題について、谷亮子に厳しい質問をしつこく浴びせかけてほしいと思う。

谷亮子について、私が特に腹に据えかねるのは、「ロンドン五輪を目指し、政治の方でも頑張る」などと、国会議員をアスリートの余禄か何かのように勘違いしていることだ。国会議員の金バッジを、金メダルと等価のものと見なしているのかもしれないが、谷と同じ思想を持っている国会議員が前述の城内実であり、先のバンクーバー冬季五輪の女子フィギュアスケートで浅田真央を大差の判定で破って金メダルを獲得したキム・ヨナに感情移入して、「だんとつの圧勝というのもあれこれ文句のつけようんがないから気持ちがいいものだ。私の選挙もこれからもそうでありたい」と城内実自身のブログに書いた上、同じブログの別エントリでは、決勝戦で僅差で敗れたものの銀メダルを獲得したスピードスケート追い抜きの日本女子チームをこき下ろした(一時は大差をつけていながらゴール直前で僅差で逆転されたレースを見て、何かを思い出したのだろう)。

城内実の極楽トンボぶりを見ると、いわゆる「真正保守」とは、金持ちを中心とする人たちの道楽だよなあと改めて思うが、「真正保守=金持ちの道楽」説には、昨日の深夜にTBいただいたさにぃさいどさんからもご賛同いただいている。そんなものに踊らされているネット右翼たちが不憫でならない。

だが、「真正保守」たちはともかく、「国民の生活が第一」を標榜して昨年の衆院選に圧勝した政権与党の民主党や、同党の公認を受けて立候補する人たちが同じ態度をとるのを看過するわけにはいかない。民主党は他にも、池谷幸雄、岡部まり、岡崎友紀といった人たちを擁立するらしいが、有権者をなめ切った姿勢である。堀内恒夫や石井浩郎を擁立する自民党や、中畑清(や杉村太蔵)を擁立する「立ち枯れ日本」も同様だが、これらはもともとそういう政党なのだからほっとけばよい。しかし、「国民の生活が第一」という看板を掲げながら、浮世離れした谷亮子を擁立する民主党のふざけた姿勢は、強く批判したい。

民主党が谷亮子を売り出そうというなら、蓮舫参院議員並みに弁が立つとまではいかなくとも、谷亮子が政治に関する諸問題を堂々と論じることができるところを有権者に示す必要があるだろう。城内実が何も語らない普天間基地移設や税制の問題などについて、谷亮子が堂々と自分の言葉で論じるところを見せてくれれば、谷亮子を見直してやっても良い。


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あれほど田原総一朗の降板に快哉を叫んだというのに、その後釜に無能の代名詞のような小宮悦子が座ったのではドッチラケで、昨日(9日)などゲストが竹中平蔵だったせいもあって、音声もほとんど耳に入らなかった。ようやく番組名を覚えた『サンデーフロントライン』だが、おそらく9月末で打ち切られて、そのあとには娯楽番組がくるのではないか。

だが、テレビ朝日では、全国ネットはされない『サンデースクランブル』の方がもっとひどいネオリベ・ネオコン番組であることを知った。調べてみると、この番組は、関西や中国・四国(広島、山口、愛媛を除く)や九州ではネットされていないし、中京地区でも昨年10月からネットされるようになったばかりらしい。全国隈なくは放送されないこの番組では、テリー伊藤や黒鉄ヒロシが電波芸者ぶりを剥き出しにしていて、醜さの限りを尽くしている。長野智子も、全国ネットの番組で見せるリベラルっぽい顔とは打って変わって、電波芸者たちを後押しする司会ぶりで、これには驚かされる。地方局でも、大阪・読売テレビが製作し、首都圏を除くほとんどの地域にネットされている、やしきたかじん司会の極右番組(橋下徹はここで人気者になった)があるが、どうしてネットされない地域がある番組に限って、新保守主義や新自由主義色の毒々しいまでに強烈な番組が製作され、電波に乗るのだろうか。昨日も、テリー伊藤が猛烈な剣幕で社民党の福島瑞穂党首に噛みついたのだが、福島氏は巧みに身をかわしていた。しかも、安全保障問題に関する代表的な右派論客の一人である森本敏が、米軍基地を沖縄に置く必要は必ずしもないなどと言ったものだから、テリー伊藤は振り上げた拳の下ろしどころがなくなる赤恥をかいていた。

鳩山由紀夫首相が、抑止力の重要性を学んだなどと発言したものだから、「抑止力」なるものの議論が沸き起こっている。海兵隊が沖縄にいなければならない理論を、右派の方々が熱心に構築されているようなのだが、それをその道の大家であるはずの森本敏があっけなく否定し去るのを見ると、それはやはり負担を沖縄に押しつけるための「沖縄差別」を正当化する詭弁に過ぎなかったことが白日の下にさらされた格好だ。

沖縄差別というと、ひどかったのは山岡賢次の発言であって、「普天間や政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない。地方に行くと普天間は雲の上の話だ」と放言して、糸満市の伊敷郁子市議から猛烈な抗議を受けた場面がテレビに流れた。政権を右から批判する側だけではなく、小沢一郎の側近までもが平気で「沖縄差別」の発言をするのだから、この問題の根は深い。

保守政治家や右翼とつながりが深かった、歴史小説家の山岡荘八の婿養子である山岡賢次は、うさんくさい男だし人望もなくて、民主党が圧勝した昨年の総選挙を除くと、毎回自民党候補に負けて比例復活で議員の座を守ってきた二流の政治家だが、こんなのを側近に抱えている小沢一郎自身に対する疑念もぬぐえないのが正直なところだ。小沢一郎は、自らの不起訴が決まった直後に検察とのバトルの矛を収めた時もそうだったが、今回も肝心な場面で鳩山首相がサンドバッグのように叩かれている状況で沈黙を続けた。

小沢一郎の熱烈な支持者は、検察審査会の議決で、鳩山由紀夫が「不起訴相当」、小沢一郎が「起訴相当」とされたことについて、「鳩山が小沢を切り捨てようとしている」として、普天間基地問題についても、全責任を鳩山首相に押しつけて小沢一郎を免罪する構えを見せているが、それはいくらなんでもひいきの引き倒しだろう。彼らが言うように、「小沢さんでなきゃアメリカにものを言えない」のなら、なぜ今小沢一郎は沈黙を守るのか。

小沢一郎はやはり世襲政治家に過ぎず、たとえば石橋湛山のような政治家には遠く及ばないというのが私の見立てで、よく言われるように「壊し屋」としては抜群の才能を持つが、政権交代後には政権を内部崩壊させてしまったのが1993?94年の政局であり、それを16年後に繰り返しているように見える。同様に、いつも書くように、鳩山首相が内閣支持率を急落させた現状は、2002年に民主党の支持率を大きく落として代表辞任に追い込まれた過程を8年後に繰り返しているように見える。

これらからわかることは、結果がすべてである政治の世界においては、一度失敗した人間に「再チャレンジ」を許すとろくなことがないことだ。その伝でいうと、郵政総選挙や偽メール事件で失態を演じた岡田克也や前原誠司が鳩山首相の後継首相になってもろくなことはないし、それで再度の解散総選挙にでもなって自民党が政権に復帰し、安倍晋三や麻生太郎が総理大臣に返り咲くようなことがあろうものなら、目も当てられない「日本崩壊」を招くだろう。

有能とはとても思えない政権党の執行部や、安倍晋三をはじめとする自民党の世襲政治家の力の源泉になっているのが小選挙区制ではないかというのが私の意見で、70年代に、小選挙区制が実施されると自民党の議席数が激増することが支持されずに小選挙区制導入が見送られたことを知っていた私は、90年代の「政治改革」の議論を冷ややかに見ていたのだが、あの時には田原総一朗ら電波芸者が「改革派」を全力で応援し、無理が通れば道理が引っ込む結果を招いた。小選挙区制が導入されなければ、1996年の総選挙で自民党は下野していたはずだと言う人もいる。

総選挙の行われたイギリスで、第一党に返り咲いた保守党と、第二党の労働党が、いずれも選挙前に「政治と金」のスキャンダルを引き起こした影響で、第三党の自由民主党(同名の日本の右翼政党とは異なり、中道政党)が伸びると見られていたが、結局同党は前回総選挙よりわずかに得票率を伸ばしたものの、議席数を減らす結果となった。保守党との連立協議で自由民主党は選挙制度の見直しを要求したと伝えられる。

小選挙区制導入後の日本の衆議院選挙では、最初の3回は第一党の圧勝とはならなかったが、続く2回で第一党が地滑り的圧勝を演じた。しかし、その二度の選挙で当選した、なんとかチルドレンとやらの大半は、日本の政治にほとんど何の寄与もしていないように見える。

小選挙区制の弊害ばかりが目立つと私には思えるのだが、テレビでは朝日新聞の星浩が、民主党は政権についたら議員定数削減をやらないとご不満で、早くやれとせっついている。その影響があったのかどうか、民主党は参院選の間にフェストに参議院の議員定数40減を掲げるそうだが、今回は比例区かどうかは明言していない。しかしどうせ比例区に決まっていると私は思う。

なすべきことは、比例区の定数削減なんかじゃなくて、90年代?00年代に失敗を犯し、賞味期限の切れた政治家の影響力を排除するためにも、小選挙区を中心とした選挙制度を見直すことだと思うが、小選挙区制論者の小沢一郎が権力者として君臨している限りは、その見直しは行われない。

一部の世評に反して、アメリカに対しても言うべきことなど全然言えていないのが小沢一郎なのであるから、そろそろ小沢一郎の「神格化」など止めて、とらわれのない議論がなされるべき時が来ているのではないかと思う。


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連休中は、裏ブログには毎日記事を書いたが、こちらは6日間お休みした。中6日のインターバルは、プロ野球の先発投手並みだが、当ブログとしては開設直後以来のことになる。

ゴールデンウィークというと憲法記念日の5月3日を含むが、憲法というと9条改憲の是非をめぐって、9条改憲賛成・反対両派の意見がメディアに取り上げられるのが常だった。しかし、今年は政権交代で改憲が遠のいたと見られたためか、改憲派の集会が盛り上がらず、各種世論調査でも改憲支持派の漸減傾向が続いていることが報じられた。

私事だが、最近香川県を離れ、東京に出てきたこともあって、5月3日に「自由と生存のメーデー」の「サウンドデモ」に参加してみた。今年で5回目だそうだが、数年前、私と年齢の近いのさるブロガーがこのデモに参加した体験記を書いていて、それによると、いわゆるプレカリアートのデモは「若者の運動」と紹介されることが多いけれども、実際には中高年の方も結構いたとのことだったが、私が見たところでは多くは若者だった。私はといえば中年だし、多くの参加者ほどの苦しい立場には立たされていないが(もし本当に苦しければブログをコンスタントに更新することなどできない)、「棄民の逆襲」と銘打たれたこのデモで、参加者たちが誇りを持って主張をしていることが感じられた。

憲法記念日に行われたデモだったが、「憲法9条改悪反対」のプラカードは、少なくとも私が見渡した限りでは見つからなかった。もちろん憲法と無関係であろうはずはなく、憲法第25条で保障された生存権を取り戻し、確保することを求めたデモだった。そして、その中に普天間基地の沖縄県内移設に反対するプラカードがあり、これは憲法9条に関わる訴えだといえるだろう。プレカリアートと沖縄県民には、「棄てられた民」という共通点がある。沖縄には、戦後一度も憲法9条が適用されたことはないとはよく言われることだし、憲法記念日の夜には日本テレビの報道番組のキャスターまでもがこのことを言っていた。なるほど、湯浅誠が「憲法9条と25条は関連づけて論じられるべきだ」と著書で書き、講演会でも語ったことが、リアルでも実践されているのだなあと思った。わざわざ「9条改悪反対」などと掲げなくとも、精神は紛れもなく憲法9条に立脚している。なお、デモでは、雨宮処凛さんら女性たちが、「残業反対!」、「会社反対!」、「労働反対!」、果ては「社会人反対!」、もちろん「生きさせろ!」と声を張り上げていた。これらの標語に眉をひそめる方もおられるかもしれないが、私はウケた。働きたくても職がなく、ひとたび非正規の職を得たら、今度は休む暇もなく安くこき使われるという窮状を訴えながら、それを笑いに昇華しており、そのセンスはたいしたものである。雨宮さんがいかにも楽しそうに声を張り上げていたのが印象に残った。

ところで、一昨年の読売新聞調査(下記URLの孫引き参照)によると、改憲派は年代別に見ると30歳代が最多(50.1%)で、20歳代はそれよりだいぶ少ない(44.9%)。
http://home.384.jp/kashi/9jowaka/shinbun1/yoron-yomi080408.htm

30歳代より年長の世代では、年長者ほど改憲派が少なくなり、70歳以上では31.8%にまで減る。2008年に70歳を迎えた人は1938年生まれで、戦争を体験している世代だし、当時の60歳代も高度成長期以前に物心のついた人たちだ。その世代の人には日本国憲法への愛着が強く、逆に、1980年代以降論壇で力を増した右翼的論調の影響が大きい世代ほど改憲派が多い形だ。一方、自民党支持者の比率は、上記読売新聞の調査には含まれていないが、一般に40?50歳代がもっとも少なく、60歳代、70歳代になると増える。30歳代も40?50歳代より自民党支持者が多い。これらのことから、60歳代以上では、「自民党支持者だが護憲派」という人たちが少なからず存在する一方、30歳代には「自民党支持で改憲派」という人たちが多いと思われる。20歳代で改憲派が減るのは、最低限の生活をするだけで精一杯で、イデオロギーなど知ったことではないと考えているからではないか。

昨夜、NHKテレビで、「日本の、これから ダイジョーブだよね?若者とニッポン」と題された番組を見たが、「草食系」と言われる若者たちと、高度成長期やバブル期に社会人になった人たちの議論はかみ合わなかった。番組でも冷静な論者に指摘されていたが、日本経済全体が高度成長していた時代に仕事をした人たちと、閉塞感に覆われて就職もままならない現在に生きる若者では、同じ努力をしてもリターンの期待値が全然違う。それを考慮せずに「若者は努力が足りない、覇気がない」と居丈高になっているのだから、威張っている人たちの方が馬鹿に見えて仕方がなかった。この威張り屋たちがつい先頃まで推進していたのは、「自己責任論」を振りかざす新自由主義である。最近の総理大臣たちは小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と、揃いも揃って無能な世襲政治家ばかりだが、そういう人たちをのさばらせてきた責任も、80年代以降の有権者にある。つまり、日本をダメにした世代(私自身もそれに属する)が今の若者を叱っている構図であり、噴飯ものの一語に尽きた。1900年代や1910年代に生まれた政治家は、戦争を経験し、戦後自民党政治の最盛期を築いた三木武夫、田中角栄、福田赳夫、大平正芳の「三角大福」は皆個性が強く、能力にも秀でており、世襲政治家ではなかった。

それに比べれば、国家主義や新自由主義の刷り込みが弱い20歳代の若者たちは、むしろ将来の日本を背負って立つポテンシャルを持っていると言えるのではなかろうか。憲法9条と25条を関連づけて論じる流れは、今後ますます活発化していくだろうと私は予想しているが、そうなったあかつきには、「9条護憲」というと反射的に「サヨク」の専売特許と思ってしまうような今の30代の人たちの右翼的感覚は、より若い世代によって「教条主義的」として笑い飛ばされるのではなかろうかと思う今日この頃である。


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