きまぐれな日々

鳩山由紀夫首相の強気は妥協の前触れというべきか、政府は普天間基地移設問題で、とうとう辺野古修正案の提示に踏み切る方向だとマスコミに報じられている。そんなことなら強気の発言などしないでほしいものだと思うが、いかんせん鳩山首相の言葉が軽いのは今に始まった話ではなく、2002年末に民主党の支持率を一桁にまで落とした後に民主党代表辞任に追い込まれたことを改めて思い出す。

少し前まで、私は鳩山首相には退いてもらって菅直人に後継首相をやってもらうしかないのではないかと考えていたが、野党・自民党の分裂というか崩壊も含めて混沌としてきた政局の現状では、菅直人も今このタイミングでは首相はやりたくないのではないか。

しっちゃかめっちゃかの連休直前(連休に入っている方も少なくないだろう)だが、混乱にさらに拍車をかけたのが、検察審査会が小沢一郎を「起訴相当」とする議決を下した件だ。やれやれ、また「検察 vs. 小沢一郎」の図式で、権力者である小沢一郎を「反権力」のヒーローでもあるかのように崇め奉る人たち、今ではすっかり人気が下火になってきた彼らの息を吹き返させてしまうのではないかと思った。

幸か不幸か、連休直前ということもあって、さほどネットで大騒ぎになっている様子はない。「検察 vs. 小沢一郎」については、権力と権力のぶつかり合いで、いまや民主党よりも自民党よりも大きな権力になっているかに見えるマスコミが検察側に立っている。

ここでは、憶測を交えて権力抗争の構図を陰謀論仕立てで描くつもりはない。ただ言いたいのは、この件に関して乱発された「市民の感覚」だの「市民感情」だのという言葉の胡散臭さである。事実に基づいて小沢一郎を批判することは、大いにやって良いと思うし、小沢一郎の顔色ばかりうかがって何もできない、何もやっていない民主党の政治家たちに対しては、私も頭にきている。しかし、「市民の感覚」だの、ましてや「市民『感情』」なるものを前面に押し立てて小沢一郎を論難しようとするその厚顔さが、私には我慢ならない。いったいこの国ではいつから「感情」なるものが大手を振って表通りをまかり歩くようになったのか。

ネットの世界にも、よく「庶民的感覚」を売り物にしているブログなどがあったが、彼らの大好きなものはトンデモと陰謀論だった。彼らは「専門性」が大嫌いで、アカデミズムを感覚的、感情的に否定するのが大好きだ。その典型例が「地球温暖化」をめぐる議論であって、たとえば極右の民族主義者・国家主義者たちが集まる『チャンネル桜』(城内実が常連であることでも知られる)には、「温暖化理論の虚妄」と題するスレッドがあって、そこでは地球温暖化懐疑論や、それをさらに敷衍(ふえん)した地球温暖化陰謀論が声高に語られている。こういう議論を好むのは、何も極右には限らず、池田信夫(ノビー)のごとき新自由主義者や、植草一秀のごとく、小沢一郎にコバンザメのようにくっつこうとする人間も地球温暖化懐疑論や同陰謀論が大好きだ。そこに共通するのは、専門性を否定して感覚や感情を優先させる姿勢であって、今回、「検察審査会」がしきりに市民感覚や市民感情を振りかざしたことと軌を一にしている。

民主党政権の事業仕分けにも、同じ心性の匂いがするが、要はポピュリズムなのである。ネット右翼にもノビーにも植草一秀にも民主党の事業仕分けにも、すべてその底流にポピュリズムがある。

そして、このポピュリズムは容易に排外主義に結びついてしまう。ネットが普及する以前にはどうだったのかはわからないが、ネット時代の拝外主義者にはポピュリズムとレイシズムを好む傾向があり、その代表格として無所属衆議院議員の城内実の名前を挙げることができる。議員が議員なら支持者も支持者で、城内実ブログの常連コメンテーターである「ピラリーちゃん」というハンドル名の人物は、リチャード・コシミズが主宰する「独立党」の党員であると同時に、ニセ科学系掲示板にも出入りしているようだ。

こういうポピュリストに限って、「上から目線」がどうのと、人に文句をつけたがるのだが、「検察審査会」は「市民の目線」を僭称していたようだ。一般にポピュリストたちは同様の僭称を好み、自分たちは「庶民の目線」で物事を見ていると主張する。どこからこういう態度が出てくるのかと考えてみると、これは新聞に代表されるジャーナリズムの視点に端を発しているのではないかと気づいた。

市民的感覚は、言葉本来の意味においてなら、社会にとって必要不可欠である。市民一人一人がそれなりの教養を身につけ、政治について発言し、権力をチェックすることは大事なことだ。そして、職業としてそれを行うのがジャーナリストだろう。

だが、権力のチェックも、事実に基づいて行わなければならないのが基本だろう。臆面もなく「感覚」や「感情」を前面に出す姿勢は、容易に権力に取り込まれる。「難しいことはわからないが小泉首相に親しみを感じる層」として支配者に見下された「B層」として、大衆操作の対象となる。

それに対して市民のなすべきことは、各人が自覚して事実に基づく思考を行って意見を発していくことであって、決して権力に対抗して権力側同様の「B層作戦」を行うことではない。かつて「反自公政権」を掲げたブログの中でも、「庶民の感覚」をウリにして「B層」は「いい層」だ、などと持ち上げ、小泉?竹中やその後継の安倍政権に「目には目を」ならぬ「B層作戦にはB層作戦」で対抗しようとした動きがあったが、ニセ科学などのトンデモに引っかかって自滅した。

今回やたらと「市民目線」だの「善良な市民の感情」だのを前面に押し立てた「検察審査会」の議決に、現政権という政治権力に対抗した今ひとつの権力、それは自民党が衰えた今となっては官僚と結託したマスコミとしかいいようがないのだが、それにいとも簡単に誘導されたことを私は見て取った。その手口には、マスコミのやり方の刻印が押されている。

小沢一郎の再捜査を余儀なくされる検察官としても気が重いだろう。検察上層部と小沢一郎の権力闘争のとばっちりを食って、強引な操作を行ったものの、結局証拠を挙げられずに嫌疑不十分で不起訴を余儀なくされたのに、また捜査しろと言われる。そして再度不起訴を決定しても、もう一度検察審査会に「起訴相当」の議決を出されると、強制的に起訴され、法廷闘争になるが、強引な捜査まで行いながら起訴できなかった件の裁判で検察側の不利は目に見えている。これでは検察官の士気も上がらないだろう。

断っておくが、私は「検察審査会」の意義を全否定するものではない。権力のチェックする機能は必要だ。だが、それは愚民による人民裁判であってはならないし、今回のように市民を愚民化しようと企むマスコミ権力に悪用されては(そのように私は今回の議決を位置づけている)ならないと強く思うものである。

小沢一郎への批判、権力に対する批判は、あくまでも事実に基づいて行われるべきであり、「感覚」や「感情」を臆面もなく前面に出す態度は、反知性ここにきわまれりとしか言いようがない。


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沖縄で米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会が開かれたが、参加者は9万人(主催者発表)に達し、県内移設反対の民意はいよいよ動かしがたいものになった。鳩山由紀夫首相の「腹案」はどうやら徳之島だったと思われるが、徳之島でも先週反対集会が開かれて大勢の人が集まった上、アメリカも乗り気ではなく、徳之島への移設の可能性はあり得ないだろう。

ようやく開き直った鳩山首相は、辺野古現行案を、「海が埋め立てられることの自然への冒涜を感じた。現行案の受け入れはあってはならない」と強い調子で発言した。沖縄県民大会を意識しての発言ではあろうが、国外・県外移設を訴えて総選挙で勝ったのだから、就任早々今のような強気で臨むべきだった。

鳩山政権発足当初、最初から敵対的な態度を取った産経は別として、日経や読売、それに朝日までもが「君子豹変」を鳩山首相に勧めた。それは、主に消費税増税を4年間凍結するとした公約を見直せという文脈で発せられたが、沖縄の米軍基地移設の件でも、保守系マスコミは現行案での決着を強く求めた。

その名を言及される時、必ず「無能な」という形容付きで呼ばれる官房長官の平野博文は、まんまとマスコミやその裏にいる官僚の誘いに乗ってしまった。平野は、辺野古移転に反対した稲嶺進氏が当選した名護市長選のあと、「民意を斟酌する必要はない」と言い放ち、池田信夫(ノビー)はその尻馬に乗って世迷い言を書き散らした。

ところが、民主党政権に反対しているノビーに対し、民主党政権を熱狂的に支持している植草一秀は、ノビーを強く批判するどころか、政権発足当初には、県外移設を決める時間的余裕など内、辺野古への移設を早く決めてしまえと主張していた。その後立場を変え、最近では「海外移設しかない」と言い出すに至った。植草の言説の変遷は、『大脇道場』のエントリ「普天間基地問題 植草一秀の『知られざる変節』」が検証している。

植草のように、一昨年以来ネットで人気を高め、特に民主党の小沢一郎・鳩山由紀夫ら主流派を応援するブロガーに影響力の強い人間が、普天間基地問題には全くの鈍感だったことが、小沢・鳩山命のブロガーたちに悪影響を与えた。この件に関して、ネットにおける「左」側からの鳩山政権への批判は弱く、批判しているのは共産党支持系ブログか、そうではなくても小沢一郎や鳩山由紀夫と距離を置くブログばかりだった。保守系のマスコミは、最初から鳩山内閣の支持率を落とそうという意図があったのだから、彼らにつけ込ませないためにも、公約のスピーディーな実現を鳩山政権に求めるべきだったと思うのだが、「できたばかりの新政権を温かく見守ろう」という論調ばかりが目立った。その結果、鳩山内閣の支持率は急落した。マスコミや官僚を甘く見た鳩山政権の失敗だ。

テニアン島を含むの島々からなる北マリアナ連邦の上院議会が、国防総省と日本国政府に対して、米軍普天間飛行場の移設先の最適地として北マリアナを検討するよう求める誘致決議を全会一致で可決したが、このニュースは琉球新報では読めるが、全国紙では読めないしテレビも取り上げない。そんなマスコミの神経を逆なでする公約を掲げて選挙に勝ったのだから、鳩山首相は最初から強気に出るべきだった。人の好意をあてにしてしまうあたり、鳩山首相の育ちの良さが災いした。

当ブログではこれまで取り上げてこなかったが、ワシントン・ポスト紙が書いた鳩山首相批判記事を嬉しそうに取り上げて囃し立てるのが日本のマスコミだ。谷垣禎一も先日の党首討論でこれを利用したが、攻撃している谷垣の方が馬鹿に見えた。あの党首討論で谷垣のイメージが上がったという人など誰もいないのではないか。

谷垣以上に滑稽なのは、「改革クラブ」と組むしか活路がなかった舛添要一だが、改革クラブの模様替えに過ぎない党の名前を「ますぞえ新党」にしようとして公職選挙法違反を指摘されて撤回するなどの醜態をさらした今になっても、テレビ朝日で小宮悦子が「総理大臣にしたい人ナンバーワン」などと舛添を持ち上げ、舛添はいい気になって好き勝手なことをしゃべっていた。しかし、例によって中身は何もなく、マスコミが喜びそうな新自由主義的政策を安易に列挙するだけだった。その新自由主義的政策にしてからが、前回のエントリでも書いたように舛添の本心から出たものではなく、単にメディアに迎合しているだけだ。正直言って舛添が何をしゃべったか、具体的な内容を思い出せないほど薄っぺらな言葉の羅列だったのだが、『ニコブログ』が記録している(下記URL)ので、興味のおありの方は参照されたい。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1336.html

そういえば、普天間基地移設問題についての見解は、前記小宮悦子(司会者としてあまりに無能だよねえ、このおばさん)の番組でも舛添は聞かれなかったし、新党騒ぎに精を出している人たちにもあまりコメントを求められない。

たとえば、反米的主張で一部「左」側ネット市民の「理解」(笑)を得ていた平沼赳夫や城内実も、普天間についてはほとんど発言していないのではないか。いくつもに分かれた新党は、それぞれに政策を問われることもなく、そもそも新党を作ってほしいなどと思っている人なんてほとんどいないのに、マスコミと政治家の都合で空疎な新党騒ぎが繰り広げられる。この馬鹿げた泡沫新党群について書きたいことは何もなくなってきた。

普天間基地問題で揺れ、税制や道路問題でも迷走する鳩山政権だが、自民党や「みんなの党」を含む自民系新党群はそれ以下なのだからお話にならない。「不安定の中の安定」ともいうべきか、妙な膠着状態になりかかっているように思える。


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今の生活パターンだと、こちらのメインブログを週3回更新するのは正直厳しいのだが、またまた政界ドタバタ劇が持ち上がったので、便乗して野次馬エントリを挙げることにして、前回のエントリで予告した、『中央公論』5月号掲載の神野直彦教授と与謝野馨の記事の比較は先送りする。

前回のエントリについては、コメント欄で議論になっているが、いくら効率的な政府を求めたり、天下りに反対したり、再分配の必要を認めたところで、「小さな政府」という用語を用いる限り、その論者は新自由主義者であると私はみなす。「小さな政府」という言葉にマイナスイメージを定着させるためにも、「小さな政府」という用語を肯定的な意味で用いる論者を私は認めない。「小さな政府」には、金持ちへの増税をよしとしないイデオロギーがある。植草一秀も、かつてテレビ番組のコメンテーターを長く務めたマスコミ長者だった。そのマスコミにおける税制の議論を見よ。「所得税」に言及することがタブーになっている。再分配政策は「頑張った者が正当に得た対価」を貧乏人が巻き上げることであって、非倫理的だ、といわんばかりの空気がある。

そんなものはナンセンスである。金持ちが自分の財産を守るためにそういう主張をするのはわかるが、貧乏人が同じことを言っていてどうする、そう私は思う。こんなことを書くと、貧乏人が金持ちに嫉妬して書いている文章だ、などとしたり顔に語る輩が必ず出てくるが、再分配こそが経済を活性化させるのだ。日本経済が頂点にあったのは、自民党政府が再分配政策にもっとも傾斜した時期だった。

私は、自民党政治の頂点の時期は、1972年の田中角栄政権発足に始まり、衆参同日選挙のさなかの1980年6月12日、大平正芳首相(当時)の急死で幕を閉じたと考えている。この時期は、日本経済の潜在能力が最大だった時期でもある。自民党の党勢及び日本経済は、そのあとの中曽根政権に頂点を迎えるが、それはちょうど夏至から1か月半ほどして夏の暑さのピークがくるようなもので、自民党も日本経済も頂点に達した時には潜在能力が既にかなり落ちていた。そして、日本の政治と経済をダメにした元凶が新自由主義だと私は考えている。日本における新自由主義の開祖は中曽根康弘だった。

その前の70年代、戦犯・岸信介の弟で、日米密約に深く関わったダークな佐藤栄作を首相に戴いた重苦しい時代から一転して、「庶民宰相」田中角栄が首相に就任して、日本の政治の印象が変わった。越後の田中角栄、阿波の三木武夫、上州の福田赳夫、それに讃岐の大平正芳の4代の首相に、無能な世襲政治家は誰もいなかった。この時代は、世論の自民党への風当たりがもっとも強かった時期でもあり、田中角栄は内閣支持率を就任当初の62%から2年後に12%にまで下げて退陣し、三木武夫は党内の「三木下ろし」に対抗するために「反自民」の世論を頼り、福田赳夫は「右」に舵を切り、保守の思想の流れに敏感だった大平正芳は、「小さな政府」を目指そうとして挫折した。そう、大平が死去した1980年には、すでにチリのアジェンデ政権がアメリカの関与したクーデターで倒され、ミルトン・フリードマンの思想にもとづいた新自由主義政治の実験がかなり進んでいた頃だった。敬虔なクリスチャンでもあった「保守本流」の大平正芳にも、新自由主義の正体を見抜く眼力は備わっていなかったが、「小さな政府」を目指したその大平が導入しようとしたのが「一般消費税」だったのである。

消費税増税政策が、増税政策でありながらなぜ「新自由主義」政策であるかというと、それが直接税の減税とセットになっているからだとしか答えようがないが、直接税の税率を下げすぎて苦しくなった財政を消費税増税で解決しようというのは、単に直接税減税と間接税増税の順序がイレギュラーなだけで、その根本の精神はやはり「新自由主義」にほかならない。『文藝春秋』に掲載された与謝野馨の文章を読んでいると、小泉純一郎政権下で「骨太の方針2006」を策定した責任者の自負とともに、社会保障費を削減しようとしない民主党政府への批判が出てくる。麻生太郎が小泉構造改革を否定しようとしたのは一昨年に麻生が総理大臣に就任して以来だが、変わり身の早い麻生とは対照的に、与謝野は「小泉構造改革」の路線を墨守している新自由主義者である。

新自由主義というと、のちには竹中平蔵がイデオローグとなって、政治家では中川秀直が中心となった「上げ潮派」のみを指して、与謝野ら消費税増税派を新自由主義に分類しない論者もいるが、「上げ潮派」も「消費税増税派」も源流は同じで、小泉政権の終わり近くに分化したものに過ぎない。さらに以前に遡ると、平沼赳夫ら国家主義者もまた、新自由主義者と平和裏に共存していた。2004年に書かれた高橋哲哉の『教育と国家』(講談社現代新書、2004年)を読むと、日教組を批判し、やたらと「伝統文化」にこだわる国家主義者の思想が「弱肉強食」の新自由主義に基づいていることを鋭く指摘している。「郵政総選挙」の前年に書かれたこの本では、新自由主義と国家主義は、当然のことのように表裏一体のものとしてとらえられている。そもそも、平沼赳夫が心酔しているサッチャーの「教育改革」は、教育に市場原理を取り入れたものだ。

新保守主義者の一部が新自由主義者の本流と袂を分かったのは、2005年の「郵政総選挙」で、小泉純一郎が「郵政民営化法案」に反対した一部の国家主義者たちを除名し、刺客を送ったことがきっかけである。刺客(片山さつき)に敗れて落選した城内実は、左翼に接近してまでも貪欲に票を求める作戦に出た。現在は、城内実ばかりではなく、城内を支持していた人たちも身動きが取りづらい状況のようだ。

とはいえ、数年前までは新自由主義者と極右国家主義者は仲良くしていたのである。だからこそ、与謝野馨は平沼赳夫と、中田宏は山田宏と、そして舛添要一は「改革クラブ」と平気で野合する。ああ、やっと本論につながった(笑)。

そもそも、中川秀直や河野太郎がいる一方で、安倍晋三や稲田朋美もいる自民党も、新自由主義者と極右が野合した政党である。こんなことを書くと、民主党も同じじゃないかという人もいるだろうが、民主党にももちろんネオリベも極右もいるけれども、その範疇におさまらない人もいる。しかし、「保守本流」が絶滅危惧種になってしまった自民党は、加藤紘一などごく少数の例外を除いて、たいていネオリベか極右のどちらか、あるいはその両方に分類できるだろう。

要するに、「たちあがれ日本」にせよ「日本創新党」にせよ、舛添と改革クラブが野合してできる「新党改革」にせよ、第2自民党、第3自民党、第4自民党に過ぎないわけだ。そして、どんなに細かく分裂しようとも、必ず「新自由主義」と「新保守主義」の両方の要素をともに色濃く持っているところが共通している。本当は、「みんなの党」にだって新保守主義色はあるのだが(渡辺喜美もかつて大連立に色気を見せたり、平沼赳夫との接近を図ったりしたことがある)、あまりに「たちあがれ日本」以降の泡沫新党群がしょぼいために、相対的に「まだマシ」とのイメージを持たれて(実態はマシでも何でもないのだが)、漁夫の利を得ている。

それにしても舛添と改革クラブの野合には笑ってしまった。私は3年ほど前に舛添を見切って以来、ブログでも舛添を大きく取り上げた記憶はほとんどないし、マスコミへの露出ばかりが先行した中身のない政治家だと思っていたので、呆れたけれども驚きはしなかった。結局、今月の政局で新党を結成した人たちの中で、一番マスコミ人気の高かった舛添要一が、一番しょぼい選択をしたところに、電波芸者としての半面を持つ舛添という男の器の小ささを再認識しただけだった。

与謝野馨は鼻持ちならない財政再建厨で、『中央公論』5月号に掲載された聞き書きでも、菅直人が経済学を知らないと馬鹿にしておきながら、与謝野自身全く理解していないに違いない「複雑系」という用語をしたり顔で口にする鼻持ちならなさをむき出しにしているが、それでも与謝野の場合は、財務官僚に洗脳されての結果とはいえ、信念を持って財政再建と消費税大増税を唱えていることは伝わってくる。

しかし、舛添には何もない。新自由主義的な主張でさえ、舛添の本心に発するものではない。自ら介護で苦労した経験を持つ舛添は、いつだったか「高負担高福祉が日本には合っている」と口にしたことがある。一方でそんなことを言いながら、この言葉を信じる限り、舛添は福祉国家志向に転向しても良さそうなものだが、舛添はそんな気配もなく、以後も新自由主義政治家であり続けた。

つまり、舛添要一とは理念なき政治家である。そんな舛添要一が、テレビ局の調査で「総理大臣にしたい政治家」ナンバーワンだったというが、少し前まで小泉純一郎が1位を占めていたそんな調査には何の意味もない。現実には、極右の改革クラブと野合する、舛添要一とはその程度の政治家だ。

改革クラブといえば、一昨年8月、当時の代表・小沢一郎への反感を募らせた民主党の極右政治家が旗揚げした新党だが、前年の参院選で「姫の虎退治」をキャッチフレーズにして自民党の片山虎之助を破った姫井由美子に声をかけ、新党参加の同意を得ていたが、菅直人らに説得された姫井が改革クラブを裏切ったために、彼らはしばらく政党の要件を満たす5人を確保することができず、そうこうしているうちに、9月1日に当時の福田康夫首相が辞意を表明したために、そのニュースにかき消された、そんな政治家の集団である。結局西村真悟が参加して政党要件を満たした。

姫井由美子は岡山選挙区選出の議員だから、改革クラブ結成には平沼赳夫が関与していたのではないかと私は疑っていたが、思想的に極めて近いはずの平沼一派と改革クラブは、結局合流しなかった。今では、舛添要一同様「お山の大将」的な性格の平沼が反感を持たれて、結局新党結成の合意に至らなかったのではないかと推測している。改革クラブは、その後も公然と自民党の「別働隊」として活動しているが、昨年の衆院選では西村真悟が落選し、今度は中村喜四郎の加入で再び政党要件を得た。しかし、主要メンバーが今年の参院選で改選を迎えることから、党の存続が危ぶまれている。中村喜四郎は舛添との野合を嫌って改革クラブに離党届を出し、参院議員の大江康弘もこれに同調する構えを見せるなど、野合3党の中でも最低のドタバタ劇を展開している。

1月1日を基準日として算定される今年の政党交付金を継続して受け取れるよう改革クラブを存続させて舛添氏らが入党し、党名変更する形をとる(毎日新聞より)ため、「露骨な金目当ての野合だ」と他党からの評判もさんざんで、この件で舛添要一の人気は地に堕ち、二度と復活することはないだろうと私は予想している。自民党は舛添を除名し、舛添に議員辞職を求めるようだが、舛添はそれに従って議員辞職し、電波芸者に戻った方が身のためだろう。舛添には政治家としての将来はないが、今議員辞職をすれば電波芸者として巨額の収入は確保し続けられる。舛添要一とはその程度の人間だ。

マスコミが作り上げる人気政治家とはその程度のものだ。もっとも人気の高かった男がもっとも中身がなかった。ネットでも、もっとも人気の高い○○は実は(以下略)という例が転がっているかもしれない。数人のネットワーカーが祭り上げた人気者が何人かいる。そのうちの一人は、新党のいずれかと野合するのか、自民党に復党するのか、民主党入りするのか、いったいどの選択が自分にとって得かを見極めるべく、当面は「××系無所属」を貫くつもりらしい。マスコミ同様、ネットも「人気政治家」の虚像を容易に作り上げるから、読者はそれに騙されない「リテラシー」(笑)を身につける必要があるだろう。


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結局、電波送信塔、もとい日本創新党は思ったような支持が得られないようで、ニュース番組でも、「たそがれ日本」じゃなかった「立ち枯れ日本」、いや「たちあがれ日本」にも及ばないぞんざいな扱いを受けている。

結局、中田宏や山田宏では俗に言う「キャラが立たない」のである。小泉純一郎やかつての石原慎太郎、現在の橋下徹らは「キャラが立つ」から勝てた。逆に、安倍晋三はいくらマスコミが粉飾しても「キャラが立たな」かった。麻生太郎は、本人は「キャラが立つ」つもりでいた。小泉を真似てワルぶった言動をして、それが「視聴者」にウケると勝手に思い込んでいたが、錯覚に過ぎなかった。

中田宏は、十分テレビに売り込んでいたからもっと華々しい新党の立ち上げになるだろうと計算していたのではないか。だが、そうはならなかった。

印象批評的な話をすると、日曜日のテレビを見て、あれっ、中田宏ってもっと「さわやか」っぽいキャラで売ってたんじゃなかったっけ、と思った。同じことを、nesskoさんも感じられたらしく、『kojitakenの日記』に下記のようなコメントをいただいた。

中田宏と山田宏が映っているとき、ほんの2-3分だけですが見ました。
中田宏の顔が変わってきた。気持ち悪さが増し悪相化進行中と見た。
テレビ朝日はニュース番組全般に、ネオリベ宣伝傾向が強いように思います。


同感だった(笑)。

昨年6月26日付のエントリ「やはり東国原英夫らの妄動は『新自由主義の逆襲』だった」で私は、

元巨人の桑田真澄に似たいやらしい風貌の横浜市長・中田宏

と書いたが、日曜日に見た中田宏は、もはや桑田真澄にも似ていなかった。桑田とて私には好感の持てない人間だが、今の中田ほどひどい悪相はしていない。中田はなぜこんな気色の悪い顔つきになってしまったのだろうか、などと馬鹿なことを思ってしまう。権力欲の強さが人相ににじみ出てきたのだろうか。

それに、自分のブログ記事を読み返して思い出したのだが、中田は確かに橋下徹とつるんでいた。しかし、その橋下は今は大阪の「地域新党」に徹して力を蓄えている。だが中田は、なぜか功を焦っている。横浜市民や東京都の杉並区民は、どうしてあんな人たちを一生懸命応援したのか、日本中の人たちから訝られているのが現状だろう。横浜市や杉並区は、鹿児島県阿久根市と少しも変わらない「大いなる田舎」なのではないか。

そして、「大いなる田舎」の代名詞ともいえるのが、日本の首都・東京だろう。都民は石原慎太郎を熱狂的に支持し、過去11年もの間都政を委ねてきたが、その石原は年をとってからネットにはまったらしい。こんな馬鹿な発言をした(下記URLの東京新聞記事参照)。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010041890070655.html

『与党は帰化した子孫多い』 石原知事

 民主党などで検討されている永住外国人への地方参政権付与をめぐり、東京都の石原慎太郎知事が十七日、都内の集会で「帰化された人、そのお子さんはいますか」と会場に呼び掛けたうえで、「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は、調べてみると多いんですな」と発言をした。

 発言は、自民党を中心とした地方議員ら約五百人が参加して千代田区内で開かれた「全国地方議員緊急決起集会」の席上であった。「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」といい、根拠を「インターネットの情報を見るとね。それぞれ検証しているんでしょうけれど」と人物は特定せずに説明し、与党にも言及した。

 石原知事は「それで決して差別はしませんよ」としながらも、続けて朝鮮半島の歴史に触れ、韓国政府が清国やロシアの属国になるのを恐れて「議会を通じて日本に帰属した」として一九一〇年の日韓併合を韓国側が選んだと話し、「彼らにとって屈辱かもしれないけども、そう悪い選択をしたわけではない」などと述べた。

 その上で、「ごく最近帰化された方々や子弟の人たちは、いろんな屈曲した心理があるでしょう。それはそれで否定はしません。その子弟たちが、ご先祖の心情感情を忖度(そんたく)してかどうか知らないが、とにかく、永住外国人は朝鮮系や中国系の人たちがほとんどでしょ、この人たちに参政権を与えるというのは、どういうことか」と批判した。

 石原知事は、平沼赳夫衆院議員らの新党「たちあがれ日本」を支援、反民主の保守政治回帰を訴えている。

(東京新聞 2010年4月18日 07時06分)


今どき、根も葉もないネットの妄言を真に受けるとは、正気の人間の発言とも思えない。まあ品性下劣な石原のことだから、本気でネットの噂を信じているわけではなく、単に言いがかりをつけただけなのだろうが、この発言に福島瑞穂・社民党党首が怒った(下記URLの時事通信記事参照)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010041900308

石原知事の提訴検討=「帰化」発言めぐり?社民・福島党首

 社民党の福島瑞穂党首は19日の記者会見で、石原慎太郎東京都知事が与党幹部には親などが帰化した人が多いと語ったとした上で、自身を念頭に置いた発言だとの認識を示した。「私も両親も帰化した者ではない。発言は永住外国人の地方参政権に賛成してきた私の政治信条をゆがめ、踏みにじるものだ」として、発言を撤回しない場合は提訴も検討する考えを示した。
 一部報道によると、石原氏は17日に都内で開かれた会合で、永住外国人への地方参政権付与問題に関連して「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は(親などが帰化した人が)多い」と発言したとされる。 

(時事通信 2010年04月19日 12:43)


福島氏は、「発言を撤回しない場合は提訴も検討する考えを示した」なんて弱腰な姿勢じゃなくて、断固として石原を提訴してもらいたい。それでなくても、与党になった社民党からは「闘う姿勢」が全く感じられず、私は不満を持っている。

ところで、石原のレイシズムに関して、忘れてはならないのは「黒シール事件」である。当ブログでも、都知事選を翌月に控えた2007年3月12日付エントリ「石原慎太郎批判(その5)?石原慎太郎の『人権意識』」でこの件を取り上げた。これは単にWikipediaの記述を引っ張ってきただけの手抜き記事だったが、今回の差別発言を聞いてこの件を思い出した。マスメディアにあって、今回、「黒シール事件」を取り上げてくれたのが、『東京新聞』のコラム「筆洗」である(下記URL)。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2010042002000065.html

以下引用する。

 若手の論客として知られた新井将敬という政治家がいた。東大卒、旧大蔵省のキャリア官僚出身のエリートだったが、株取引での利益供与を要求した証券取引法違反容疑が浮上し、衆院が逮捕許諾の議決をする直前に自らの命を絶った▼在日韓国人として生まれ、十六歳の時に日本国籍を取得した新井氏は一九八三年に旧衆院東京2区から初出馬、落選した際に悪質な選挙妨害を受けた。選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張られたのだ▼それを思い出したのは、永住外国人への地方参政権付与に反対する集会で、石原慎太郎東京都知事が「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」などと発言したからだ▼選挙区内の新井氏のポスターにせっせとシールを張って歩いたのは、同じ選挙区の現職だった石原知事の公設第一秘書らだった。「それ(帰化)で決して差別はしませんよ」と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう▼与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる▼あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。「またいつもの放言だ」と取材側がまひしているならかなり深刻だ。

(2010年4月20日付東京新聞コラム「筆洗」)


少し前から、右翼政治家の差別発言を一部の新聞しか報じない例が続いている。1月17日に平沼赳夫が民主党の蓮舫参院議員について「元々日本人じゃない」と発言した時には、最初毎日新聞だけしか報じなかったために、報道の信憑性を疑うネット右翼までいた(その後、彼らの本尊たる産経新聞が報じた)。石原の発言は、東京新聞の他では朝日新聞が報じたと思うが、大きな扱いではなかった。

右翼政治家にマスメディアが甘くなって久しいが、このところそれが度を過ぎているように思う。だからこそ、政治的な示威の意味合いもこめて、福島党首には石原を正式に提訴して、「石原レイシズム問題」を世間にアピールすべきだ。「たちあがれ日本」を支援し、「日本創新党」の山田宏が心酔する石原慎太郎は「敵」の急所だ。容赦なく石原を突いて、打撃を与えなければならない。石原差別発言を読売や産経が書かないのには、もちろん政治的な意図がある。ならば、石原に対抗する側は、石原を徹底的に批判し、これを倒さなければならない。

ネットでは有名な、城内実の「国籍法改正反対」をめぐるトンデモ差別エントリ "bakawashinanakyanaoranai" も、ネット以外ではほとんど知られていない。そして、ネットの世界にも盲点がある。過去に書いた文章は、検索エンジンで上位に引っかかるエントリは別として、そうでない有象無象の記事は、ほとんど顧みられることはないのである。その一方で、根拠のない印象操作は簡単に成功し、虚像ができあがることが多い。

たとえば、「リベラル・平和系」といわれるブログの間では、植草一秀が大人気であって、いくら私が「植草は新自由主義者だ」と書いても、狼少年扱いされてほとんど信じてもらえない。だが、植草は「郵政総選挙」の投票日を6日後に控えた2005年9月5日付で、こんな記事を書いている(下記URL)。
http://www.uekusa-tri.co.jp/column/2005/0905.html

コラム
今週の金融市場展望(2005年9月5日)


(前略)9月4日に一斉に発表された、日本の総選挙についての主要各紙の中間調査は、総じて自民党の地すべり的な圧勝を示唆するものとなった。「郵政民営化の是非を問う」との小泉政権のキャンペーンが、小泉政権の思惑通りに有権者の行動に強く影響を与えた結果である。
これまでの経過をもたらした要因は次の三点である。第一は、テレビ、新聞などの大手マスコミが権力迎合の姿勢を著しく強め、主要なメディアが露骨な政権支援の情報提供に強めてきたこと。第二に、野党第一党の民主党が、「効率的な政府」、「小さな政府」実現に向けて、国民にアピールする具体的提案を効果的に打ち出せてこなかったこと。逆に、「民主党が改革に積極的でない政党」との印象を有権者に植え付けようとする与党の攻勢に押されてしまってきたことである。第三に、国民が小泉政権のこれまでの実績、郵政民営化後の行政改革や年金改革の具体的展開について、正確な情報を得ていないこと、を指摘することができる。

多くの有権者は、「小さな政府」、「効率的な政府」実現を強く求めている。経済は依然として停滞し、生活の厳しさは変化していない。一方で、国の財政状況の悪化が深刻化し、年金や医療保険制度の将来に対する不安をかきたてる情報が氾濫している。また、談合や天下りなど公的部門の不透明さや税金の無駄遣いを想起させる出来事が頻発している。
このような状況の中で、「27万人の公務員削減につながる郵政民営化をまず成し遂げたい」とのメッセージは、有権者の目には「国民の意向を反映した政策」と映りやすい。「郵政民営化法案に反対する人は改革に反対する『抵抗勢力』である」との説明も、何も考えずに聞いている限りでは、国民の共感を呼びやすい説明である。
総選挙に際して、論点を単純化して、繰り返し同じことのみを訴える手法が、与党に対する有権者の支持を急増させている大きな背景である。小泉政権の政治的技法が大きな効果を上げてきたと言える。ただし、問題は、郵政民営化が国民の望む「政府の効率化」、「小さな政府」実現につながる保証はどこにもないことだ。

筆者は、小泉政権が本当の意味での「小さな政府」を実現する可能性はゼロに近いと考えている。小泉政権は「天下り」を中心とした「官僚天国」の状況に、4年間、まったく手を入れてこなかった。今後も、改革のメスを入れる可能性は皆無に近い。財務省を中心とした官僚支配の構造は過去4年間に、著しく強化され、中央集権を地方主権に転換する構造改革もまったく進展していない。
本当の意味での「改革」はこれまで進展してこなかったし、今後も進展する可能性はゼロに近い。小泉政権は、選挙に際して国民の人気を獲得する演出を施す点に関してのみ、類まれなる天才的な政治的技量を有している。
小泉政権の国民支持獲得に甚大な貢献をしてきているのが、大手マスコミの著しい「偏向報道」である。振り返ってみれば、第二次世界大戦の遂行にあたっても、大手マスコミは同様の役割を果たしてきた。「鬼畜米英」、「一億玉砕」などのスローガンがマスコミによって広く流布され、虚偽の「大本営」情報が氾濫して、国民世論が誘導されたが、世論操作に最大の貢献をしたのが大手マスコミの行動だった。
今回の「郵政民営化」論争においても、テレビ番組では、自他共に小泉政権応援団の一員と認められる、元政治家、政治評論家、コメンテーター、御用学者、芸人などが、ほとんどすべての情報系番組を占拠してきている。正論を述べる正統な論客はほぼ完全に排除され、著しい偏向の傾向を有する番組キャスターが、世論誘導に全面的に貢献してきている。

野党第一党の民主党は、「小さな政府」、「効率的な政府」実現に向けての、インパクトのある具体的政策を「対案」として国民の前に提示する責務を負っているが、民主党代表の岡田克也氏は、この点でまったく成功していない。「小さな政府」には二つの意味がある。
第一は、「経済活動に介入しない政府」という意味だ。経済活動に対する「自由放任」は、結果における格差拡大をもたらすが、「小さな政府」推進には、「格差容認」の意味合いが含まれる。小泉政権の政策はこの意味での「小さな政府」を推進するものである。民主党はこの点については、独自の立場を強調する必要がある。金融における「弱者保護」、郵便事業における「地方、過疎地重視」を表明することが求められている。
第二の意味は、「効率的な政府」の意味での「小さな政府」だ。この点で、民主党は全面的に競争を挑まなければならない。「効率的な政府」を目指すとは、政府の無駄を徹底的に排除することである。政府の無駄はどこにあるか。それは「郵政」ではなく、「特殊法人、公益法人」にこそ存在する。財政投融資制度の「入り口」ではなく、「出口」にこそ、巨大な無駄が隠されている。この無駄を排除する、最大の施策は「天下り廃止」である。「天下り廃止」こそ、改革の本丸であり、国民が求める「小さな政府」を実現させる施策である。
岡田民主党代表が、「天下り廃止」を前面に掲げて、「真の改革」論争を全面的に展開してきていれば、世論動向は著しく異なるものになっていたはずである。岡田代表が「天下り廃止」を強く訴えていない背景として、同氏自身が経済産業省出身であり「天下り廃止」に消極的な考えを有していることがあるのではないか、との憶測が生まれてしまう。残された時間のなかで、民主党が劣勢を挽回するためには、「真の改革」の具体策として、「天下り廃止」を前面に掲げ、「郵政民営化」と「天下り廃止」の対決を演出する必要がある。

国民は「郵政民営化」が「効率的な政府」実現につながることを期待して、小泉政権に対する支持を強めている。だが、小泉政権のこれまでの実績を踏まえる限り、小泉政権が本当の意味での「効率的な政府」を目指しているとはまったく考えられない。国民はとんでもない思い違いをしている。
小泉政権の4年余りの期間に、旧大蔵省、現在の財務省・金融庁の権力は飛躍的に増大し、官僚主導政治は一段と強化されてきた。財務省を中心とする「天下り」はまったく是正されてこなかったし、今後も是正される可能性は皆無に近い。今後予想される政府系金融機関の制度変更に際しても、「天下り」が堅持され、財務官僚にとってより有利な条件の「天下り」が増加することは確実な情勢である。
すでに小泉首相は、道路公団や民営化郵政公社関係の「天下り」を容認し続けることを表明している。小泉政権が掲げる「改革」は「真の改革」とは「似て非なるもの」である。

また、小泉政権が継続する場合、2007年度消費税大増税が実施されるのは確実である。自民党の「政権公約」にはこのことが明確に示されている。2006年末の税制改正で決定され、2008年1月に消費税率が現行水準から3%ないし5%引き上げられる可能性が非常に高い。小泉首相は一連のテレビ等での発言でも、この可能性を明確に否定していない。

2005年9月5日
植草 一秀


ここで植草は、憑かれたように「小さな政府」、「小さな政府」と絶叫している。植草の主張は、小沢一郎が代表に就任する前の民主党の論調そのものであり、「小泉政権には『真の改革』はできない」として、小泉と「改革」の過激さを競おうとするものだ。植草は、「効率的な政府」を強調しているが、これは植草お得意の「良い小さな政府」の議論である。そして、この文章を読めば、「小さくて賢い政府」を目標とする中田宏と植草一秀の立ち位置が極めて近く、前回のエントリにも書いたように、2004年に最初に植草が逮捕された日にも、植草が中田宏の後援会で講演をしていた理由がよく理解できる。

だが、このように「動かぬ証拠」を突きつけてもなお、「植草・小沢・鳩山信者」たちは「三種の神器」への崇拝を止めないのだろう。「民主党に左派やリベラルは存在するか」という以前に、日本で政談ブログを書く連中に、(共産党支持系の人たちは別として)左派やリベラルは存在するか、と考えてしまう。少なくとも民主党「左派」や社民党を支持しているつもりの人たちが植草一秀を崇拝している現状にはお寒いものがある。いや、それどころか菅直人や福島瑞穂の発言を見聞きすると、リベラルだの社会民主主義だのの政治勢力自体、日本には存在しないのではないかという気さえしてくる。社民党のオフィシャルウェブページにも「良い小さな政府」論者たる植草一秀が登場する始末である(下記URL)。
http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/post/post090306.htm

少なくとも、風太さんがコメント欄で教えて下さった、『中央公論』5月号に神野直彦教授が書いた「『小さな政府』では格差と貧困を解消できない」を読むと、植草とは考え方が全く違うし、本当はリベラル・左派はこちらがメインストリームになってしかるべきなのではないかと思うが、現実は全然そうなっていない。面白いことに、この号の『中央公論』には与謝野馨の主張も掲載されており、それは神野教授の文章の直前に置かれている。だから、与謝野馨と神野教授の考え方を比較することもできる。本当は神野教授と与謝野の主張を対比して、今日のエントリのメインで取り上げるつもりだったが、いつものように文章が長くなり過ぎてそこまで行きつかなかった。前回のエントリのコメント欄で、私は「アメリカは『小さな政府』を徹底している国」だと書いたが、それに対してsonicさんから「予算規模、事業数、公務員数、すべてにわたってアメリカは典型的な『大きな政府』だ」とのコメントをいただいている。しかし、神野教授流の定義でいうと、そうであっても、アメリカは確かに「小さな政府」の国ということになる。このあたりの詳細を含めて、次回のエントリに回すことにしたい。


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田原総一朗が去った日曜朝のテレビ朝日だが、後番組の司会を務める小宮悦子はキャスターの役割を果たしているとは到底言えず、中田宏と山田宏は好き勝手にしゃべっていた。

先週、平沼赳夫と与謝野馨が「たちあがれ日本」という名前のトンデモ新党を結成した時は、テレビ朝日は二人を番組に呼ばなかったが、中田宏と山田宏は呼んだ。このあたりに、テレビ朝日のネオリベ好きが表れているように思えた。いや、「財政再建厨」の与謝野馨も、教育に市場原理を導入したサッチャー教育改革の信奉者である平沼赳夫も、私に言わせれば広義の新自由主義者(与謝野の場合は狭義でも新自由主義者)だと思っているのだが、この2人には同時に「古臭い自民党」のイメージもまとわりついている。一方、中田宏と山田宏らの「首長新党」は、私は軽視していたのだが、一部で「『たちあがれ日本』なんかよりずっと警戒すべきだ」という声もあがっていたから、番組を注視した。しかし、中田宏と山田宏の2人には全然魅力がなく、立て板に水のごとくぺらぺらとしゃべってはいたものの、国政で何がやりたいのか2人ともさっぱり言わないし、小宮悦子も全然質問しないので、なにやってんだこいつら、と見ていてイライラするほどだった。もちろん「首長新党」というだけあって、「地方分権」を掲げているのだが、彼らの言う地方分権など、中央で官僚が仕切っている利権を、地元の有力者によこせというだけのものなのではないかと思える。

中田宏は、土曜日に辛坊治郎がやっている読売テレビの右翼番組に時々出てくるが、話しぶりに知性が全く感じられないので、私は以前からこの男を馬鹿にしていた。中田の経歴を見ると、日本新党で小池百合子の秘書を務めたのが政界入りのきっかけだったらしく、なるほど低知性ぶりもうなずけると思ったが、なぜか横浜市民は少し前までこの男を好んでいたらしく、2006年の二期目の市長選では、自民・民主・公明の支持を受けて、共産党候補の5倍以上もの票を獲得して圧勝した。この頃の民主党代表は前原誠司で、中田とは体質的に近かった。中田はかつて無所属ながら、2000年に民主党の実質的な支持を受けて衆院選に初当選しながら、2001年の首班指名で小泉純一郎に投票して菅直人の怒りを買い、会派「民主党・無所属クラブ」から除名されたことがあるのだが、そんな男を支持することを認めた前原誠司も、やはり中田と同じ松下政経塾出身の新自由主義政治家だなと思う。

その中田が一転して強い批判を浴びたのは、横浜市長の二期目の任期を、半年残して投げ出したことによる。横浜の開国博が失敗に終わった責任を問われる前に逃げ出して、再び国政に復帰しようとでもしたのだろうが、この男を持ち上げてきた横浜市民も、ようやくこの男の正体を思い知ったに違いない。

杉並区長の山田宏については、正直よく知らなかった。杉並区で「つくる会」の教科書を採択したことは聞き覚えがあったから、右翼的な人物だろうくらいの認識だった。調べてみると、城内実が大活躍していることで知られる「チャンネル桜」で『山田区長の一言申しあげます―杉並区アワー』を担当しているとか、石原慎太郎を支持しているなど、新自由主義者である以上に極右色の濃い政治家のようだ。

どちらかというとイデオロギー的なイメージをさほど持たれておらず、新自由主義に特化しているように見える中田宏と、ゴリゴリの極右である山田宏の組み合わせは、ちょうど財政再建厨の与謝野馨と極右・平沼赳夫の組み合わせを連想させる。極右の山田宏が党首になったところも、「たちあがれ日本」と同じだ。

テレビ朝日の番組ではなかなか政策を口にしなかったのだが、終わり頃にようやくフリップを出して政策の骨子が示された。実につまらない新自由主義の政策が並んでいるだけのものだった。「構造改革の推進」とかなんとか書いてあり、小泉構造改革と同様の路線を意味していることを彼ら自身が認めていたし、フリップでは法人税減税を掲げて、他の税については何も書かれていなかったが、小宮悦子に消費税について聞かれた山田は、政府の財政を家計になぞらえる陳腐なたとえを持ち出して、消費税の大増税が当然であるかのように答えていた。政策にしてもテレビでの受け答えにしても、中田や山田からは清新さが全く感じられないし、同じ新自由主義政党としても、「みんなの党」や自民党内の「上げ潮派」とは異なり、消費税大増税にも意欲を見せるなど、「みんなの党」よりもはるかに「たちあがれ日本」に近い、というより「たちあがれ日本」の亜流に過ぎないのではないかと思えるほど印象が悪かった。

「みんなの党」や自民党の「上げ潮派」は「小さな政府」の政策を徹底していて、私とは相容れないけれどもそれはそれで筋は通っている。しかし、中田や山田の新党は、「たちあがれ日本」と同様、小さな政府を目指すと言いながら消費税は大増税するという。こんな馬鹿げた政策が支持されるはずがない。まさか「たちあがれ日本」とほとんど差がないことしか言えないほど中田や山田が無能だとは思わなかった。これでは橋下徹や東国原英夫に逃げられるのも無理もない。番組では明かされなかった新党の名前が「日本創新党」だと知った時にはさらにずっこけた。なんて魅力のない名前だろうか。ATOKで変換すると「日本送信塔」と出てきた。きっと怪電波を発信するのだろう。

噴飯ものだったのは、そんな彼らが「小さくて賢い政府」を掲げていたことだ。「賢い政府」とは、「グリーンニューディール政策」に力を入れようとしたオバマがよく口にしていた。オバマは、大きな政府か小さな政府かの議論は無意味で、「賢い政府」であるべきだと言っていたと思うが、山田と中田は、臆面もなく「小さな政府」を掲げて、小泉構造改革の後継者に名乗りを上げた形だ。そのくせ、消費税大増税と極右イデオロギーがついてくるのだからたちが悪い。なお、山田や中田の言う「小さくて賢い政府」は、植草一秀が理想とするという「良い小さな政府」をも連想させる。2004年4月8日に植草が最初に逮捕された時は、当時横浜市長だった中田宏の後援会で講演を行った直後のことだったが、もともと植草という男は中田宏に共鳴するような思想信条の持ち主なのだろう。「小さな政府」を理想としている以上、植草一秀もまた新自由主義者であると私は見なしている。しかし、植草は新自由主義者らしくあらゆる増税に反対しており、「日本創新党」や「たちあがれ日本」に比べればまだ筋が通っている。中田や山田の政策のどこが「賢い」のか、私にはさっぱり理解できない。

そんなわけで、いざ蓋を開けてみたら「たちあがれ日本」と全く変わらなかった首長新党「日本創新党」だが、さっそく前原誠司や平沼赳夫からありがたいエールが送られた。平沼の発言は、NHKのニュースでも伝えられたが、選挙区の津山市(岡山県)で、「民主党や自民党の志ある人たち」に加えて、日本創新党との連携をも視野に入れる発言をしていた。平沼の節操のなさにも呆れたが、新自由主義と国家主義の醜悪なキメラである点では、「たちあがれ日本」と「日本創新党」は瓜二つといって良い政党だから、いっそ合流してはどうかと私などは思ってしまった。トンデモ政党が合併して大きくなったら、「たちあがれ日本」入りに尻込みした城内実あたりも喜んで合併新党に馳せ参じるのではなかろうか。


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今日4月16日で、当ブログは開設からまる4年を迎え、今日から5年目に入る。小学生でいうと高学年にあたる。

4月というと、新年度の始まる月でもあるから、いろいろと物思う時期でもある。今は、ブログを始めた頃のことを思い出す。4年前の今頃は、前年の郵政総選挙で自民党が圧勝したあと、その反動でもあるかのように、耐震偽装問題を皮切りに、ライブドア事件そのほか「四点セット」と呼ばれた問題で小泉政権が窮地に追い込まれながら、政権を追及する野党・民主党が「偽メール事件」の失態で自滅し、永田寿康衆院議員(当時、故人)と前原誠司代表(当時)が辞任を余儀なくされたのだった。

ブログ開設一周年の日には、『博士の独り言』という有名右翼ブログとの衝突を「市民メディア」に報じられたことも思い出深い。最初の1年目は「新参者」としての後ろめたささえ感じていたのだが、そのうち「ウェブサイトの寿命は3年」という話を聞くようになった。しかし、昨年4月に当ブログが開設3周年を迎えた時には何の感慨もなかった。その頃になると、当ブログは他のブログとつるむのを止め、わが道を行くようになった。過去4年のブログライフの中で、4年目の前半にあたる昨年4月中旬から10月中旬にかけてが、アクセス数がもっとも多かったし、手応えもあった時期だ。昨年の衆院選と政権交代も、その時期に起きた。

私は、政権が交代すればバラ色の未来が待っているなどとは全然考えていなかったから、いよいよ衆院選という昨年8月には、むしろメランコリックな気分にとらわれていたのだが、政権交代後、政治を語るブロガーたちの熱が徐々に冷めてきている現在の状況は、小泉郵政総選挙のあと耐震偽装問題とライブドア事件で騒然となったあと、偽メール事件で一気に熱が冷めた時期と似ているかもしれない、ふとそんな気がした。

権力者は、何も言われなければ好き勝手なことをやる。政権交代から7か月、長い目で見てやろうや、などと支持者たちが言っているから何もしない。消費税率を4年間上げないと公約して選挙に勝っておきながら、今になってその公約を破ろうとする。

公共サービスを行うためには財源が必要で、消費税率を上げないのであれば、税収を上げる方法を考えなければならないことは当然だ。消費税には逆進性があるから、不況時に消費税率を上げたりすると、人々の懐を冷やすから景気は上向かず、結局税収が増えるどころか減って、政府の財政はさらに悪化する。だから、不況時には景気刺激策を実施して、景気が回復すれば、まず他国と比較して際立って低い個人所得税の課税ベースを拡大し、他の税についても見直しを図る。これが神野直彦教授が委員長を務める税制専門家委員会の考え方だと理解しているし、いたってリーズナブルな考え方だと当ブログは繰り返し書いているのだが、なかなかわかっていただけないようで、普段はまっとうな考え方をされていると私が考えている読者の方からさえ、「所得税率を上げると企業活動に悪影響を与えて景気が悪化するのではないか」などという的外れなコメントをいただいたりする。それほど、財務官僚の意を受けたマスコミのデマ宣伝の弊害は深刻だ。

その最たる例が、『日本がアブナイ!』のmewさんが「た党」と呼んでいる(私は"tattoo"を連想し、同党を支持しそうな怖いヤクザのお兄ちゃんたちの入れ墨を思い出して恐怖に震え上がった)「たちあがれ日本」の与謝野馨であって、この男は口を開けば消費税増税、文章を書けば消費税増税と、消費税率を上げるために生きているような人間ではないかと私は思っている。当然、日本経済にとっては疫病神である。

実際はどうかというと、消費税と比較しても法人税と比較しても、高所得層を主なターゲットにした所得税制の改革が景気に与える悪影響は少ない。志の低い今時の日本の金持ちは、金を貯め込んで消費しないから、むしろ日本経済に悪影響を与えているからだ。

マスコミの嘘宣伝によって、所得税増税で最大のダメージを受けるのは中産階級だなどという誤解がまかり通っているが、神野直彦著『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)の68頁に、2004年度の所得階層別に見た所得税の実行負担率が図示されているので、一度目にしていただきたい。年間所得が2500万円以上の層は、2000?2500万円の層と比較して、税負担が低くなっていることが示されている。これは、利子所得、配当所得、不動産所得などが分離課税となって累進ではなく定率の課税になっていることや、株式の売却益については、累進課税も選択できるものの、事実上取引額の1%を払えばよいことになっているなど、「あまりにも多くの所得を分離課税している」ためだと書かれている(前掲書67?69頁)。富裕層は、給与所得よりも前記のようなその他の所得が多いので、分離課税の恩恵を受けて、高所得層ではむしろ逆進的な税制のもと、ぬくぬくと金を貯め込んで、それを使いもしないのである。もちろん、新自由主義全盛の現代社会では、金を貯め込んでおかないと不安だから彼らはそうするわけだ。

以前、消費税増税について聞かれた社民党の福島瑞穂党首が、まずムダの削減からだと言っていた。これは、世間一般で消費税増税に反対する人たちがもっとも多く持ち出す論法でもあるが、政府の公共サービスをも削減する方向に悪用されかねない、というか官僚たちは間違いなくそうしようとする。「た党」の与謝野馨などは、社会保障費の増大に手を打たない民主党政権を批判しているが、社会民主主義を掲げる党の党首が、新自由主義者に利用されやすい論法を持ち出すのは感心しない。菅直人財務相に至っては、消費税増税に積極的な発言までし始めており、論外である。とにかく、民主党と社民党を代表する菅直人と福島瑞穂が戦力として全然計算できないから、消費税増税論者の思うがままの世論誘導が進行している。

一昨日(4月14日)に、税調の専門家委員会が行われたが、産経新聞は「鳩山政権、増税路線に転換?背景に財務省の思惑にじむ」との見出しを打った記事の中で、

菅直人副総理・財務相は13日、「(増税は)必ずしも景気にマイナスではない」と発言したほか、政府税制調査会は14日に学識経験者で構成する専門家委員会を開き、消費税見直しに向けた本格議論をスタートする。

などと書いている。菅財務相の発言は「増税」についてであって、所得税も当然含むのだが、マスコミ的文脈では「増税」とは「消費税増税」を意味する。菅直人のいけないところは、消費税について余分な言及をしたことだ。しかも菅財務相の発言は事実に反しており、橋本政権当時の1997年の消費税率引き上げは、間違いなく景気に悪影響を与え、それが1998年参院選での自民党惨敗、橋本内閣総辞職につながった。

菅財務相発言については菅財務相とマスコミの双方に責任があるが、産経が「消費税見直しに向けた本格議論をスタートする」と書いた税調専門家委員会の議論はどんなものだったか。これをロイター通信が伝えている(下記URL)。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-14818320100414

以下引用する。

消費税上げの是非で踏み込まず=税調専門家委

 [東京 14日 ロイター] 政府税制調査会は14日午後に開いた専門家委員会で、消費税についての議論を開始した。しかし、終了後会見した神野直彦委員長(関西学院大教授)は、消費税引き上げの是非や幅などは政府税制調査会で決めることで、有識者からなる専門家委員会では「踏み込んだ議論をするつもりはない」とし、消費税上げの必要性の議論は「特にしていない」と述べた。

 焦点のひとつである消費税の使途については、社会保障財源と結び付ける議論は出たが、狭い意味での目的税化を支持する意見はなかった。

 税調会長の菅直人副総理兼財務・経済財政担当相と税調会長代行の仙谷由人国家戦略担当相がそろって消費税増税に前向きの発言をしているが、同専門家委員会では、消費税の使途や逆進性対策など構造問題を中心に議論した。

 使途に関しては、消費税を社会保障財源に充当するということを明確にすべきとの主張が出たが、その場合でも狭い意味の社会保障目的税化を支持する声はなかったという。また、社会保障財源として所得税が好ましいとの意見もあったという。また逆進性対策では、所得税なども含めた税体系全体で検討すべきとの考えや、複数税率、給付付き税額控除などの考え方が挙がったが、いずれも、複雑な納税環境整備が問題点として指摘された。

 消費税引き上げの経済への影響については、経済的に悪影響を及ぼすとの意見があったという。したがって、増税を財政再建と結び付けて議論するのではなく、社会保障の充実と結び付けて議論する必要があるとの意見が出たが、この場合、社会保障の財源としては所得税の方が好ましいとの意見もあったという。

(2010年 04月 14日 23:29 ロイター通信)


神野教授が委員長を務める専門家委員会なら、こういう論調になりそうだと予想される内容だが、私が昨日ネットで見た時、前述の産経の記事とこのロイターの記事が上下に並んで掲載されていて、そのあまりの落差に苦笑した。産経は、何が何でも民主党政権に消費税率を引き上げさせたくてたまらない。たまたま目についた記事が右翼新聞として有名な産経だったが、読売もほぼ同じような記事を書いていたし、消費税増税にかけては朝日や毎日も、読売以上に熱心であることは周知の通りである。だから、税制専門家委員会の議論を事実に即して報じたロイター電が目立つのである。ロイター電が伝える神野教授の言葉は、「消費税引き上げを議論したければ政府税制調査会で勝手におやり下さい。われわれはそんな議論なんかしませんよ」と突き放しているとしか読めない。つまり、政府要人の消費税引き上げ容認発言には、専門家委員会のお墨付きは一切ないのである。

それにしても、まあいったい日本のマスコミというのは何なのだと思ってしまう。マスコミの幹部記者は、実は財務官僚の本音などよく知っている。朝日新聞の経済担当の論説副主幹に、小此木潔という人がいるが、小此木氏が書いた『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年)には下記のように書かれている。

「消費税を導入したい、引き上げたい、という思いの強さが災いして、直接税を減らしすぎた」―― 表立っては言えない「反省」の言葉を財務省幹部から聞くようになって久しい。消費税を導入し、財源として大きく育てようとする「税制改革」路線が、所得税や住民税に代表される直接税を減らす要因になってしまったというのである。官僚がこうした反省を口にするようになったのは、日本経済がデフレから回復し始めてもなかなか税収が戻らない状況が続いたためでもあるようだ。

(小此木潔 『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年) 45-46頁)


「論説副主幹」が岩波新書にはこんなことを書いているのに、なぜいつも朝日新聞は社説で消費税増税を求めているのかさっぱりわからないのだが、これが官僚であり、これがマスコミ人なのだろう。そして、官僚にもマスコミ人にもいたってウケの良い政治家だったのが与謝野馨であり、与謝野が「政策通」とマスコミに評されてきたのは、彼が大の消費税増税論者だからだ。財務官僚にとってこれほどありがたい政治家はいない。

なお、所得税率を元に戻すと、それは中所得層を直撃するものになるだろうが、それ以前に行うべきは、神野教授が指摘している分離課税だらけの所得税制の見直しではないかと思う。税収なくしてサービスなしだが、負担はまず高所得層に求め、次いで中所得層に求め、それでも足りない分を消費税増税で補うという順番で増税を行うのが筋ではないか。それを逆順にやろうというのが富裕層の狙いであって、これこそ「階級を固定するためのプロジェクト」であるとデヴィッド・ハーヴェイがいうところの「新自由主義」そのものではないかと思う次第である。


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平沼赳夫の新保守主義も、与謝野馨の新自由主義も私は大嫌いである。与謝野馨の場合は、小泉純一郎?竹中平蔵の流れをくむと見られている中川秀直らとは異なり、「上げ潮派」ではない。世間には、「上げ潮派」を新自由主義と見なしながら、与謝野馨のような「財政再建・消費税率早期引き上げ派」は新自由主義者とは見ない誤った考え方があるが、当ブログは以前からたびたび主張しているように、与謝野一派も公共サービスを拡大しないことを誓う点で、れっきとした新自由主義者だと考えている。

「市場原理主義者」をしばしば厳しく批判する、読売新聞、いや日本のメディア界のドンこと渡邉恒雄(ナベツネ)も同様の誤りにとらわれているようだ。だから、ナベツネは竹中平蔵は蛇蝎のごとく嫌うけれども、財政再建のために消費税率を引き上げよと叫ぶし、そのナベツネの意に沿う主張をしているのが与謝野馨なのである。

与謝野馨は、もともと中曽根康弘の秘書だった。中曽根はナベツネの盟友。そんなつながりがあって、ナベツネは与謝野を全面的に応援している。自民党が昨年の衆院選で惨敗して、自民党が中心となってナベツネの宿願である憲法改正や消費税率の早期引き上げを実現することは難しくなった。ならば、与謝野馨を押し立てて、与謝野を民主党政権と組ませることによって消費税率を引き上げる。それがナベツネの発想だったのではないか。

だが、与謝野が新党を立ち上げようにも、人が集まらない。そこで目をつけたのが、もう3年以上も宿願の新党結成を果たせずにくすぶっていた平沼赳夫だったのだろう。もちろん、改憲派とはいえ平沼赳夫のような宗教右翼を忌み嫌うナベツネにとって、平沼赳夫など利用して使い捨てるだけの存在に違いない。だが、平沼を抱き込むに当たってはそんな素振りなど露ほども見せなかっただろう。

ナベツネは、平沼の子分・城内実とも接触した。このことは、城内実自身が昨年12月3日付のブログ記事で明らかにしている。この記事で、城内実は、

 渡辺主筆については、一部でとてもゆがんだマイナスイメージが流布しているが、私がお会いした限りでは、大変ものごしが丁寧な、ほんものの紳士だ。傲慢とはほどとおい、むしろ人間味のある優しい感じの方である。相手の肩書き次第で人を見下すような下等な人間とは違う。なにせ、落選中の私に二度にわって一時間もいろいろとお話をしていただき、必ず帰りにはエレベーターまで送っていただいたのだから。たぶん他の方にもそのように対応してらっしゃるのであろう。

とナベツネを絶賛している。そして、

 今回お会いしたことなどを城内実のブログに書いても良いとおっしゃってくださったが、私はあえて詳細について書くことは差し控えたいと思う。

と思わせぶりに書いたあと、

 いずれにせよ、来年に向けての私の政治活動の指針となるようなお話をうかがえた。渡辺主筆より貴重なお時間をいただいたことに改めて感謝申し上げる。

とエントリを締めくくっている。これは昨年末の記事だから、「来年」とは今年、2010年を指す。2010年の城内実の「政治活動の指針」とはいったい何か。

与謝野・平沼のトンデモ新党「たちあがれ日本」が結党した現在の目で、この城内実の記事を読み返すと、この会談で城内がナベツネからトンデモ新党の話を持ちかけられていたことは確実であると思われる。そして、ナベツネのオファーを受けた城内実は、明らかに有頂天になっていた。

年が明けると、城内実は精力的にテレビに出演するようになり、マイクを向けられると決まって「政界再編」について熱弁をふるった。それなのに、現在トンデモ新党参加に踏み切れずにいるのは、どうも後援会が城内の新党入りに難色を示しているかららしい。朝日新聞の星浩は、新党入りしたら次の衆院選で自民党に対立候補を立てられるのを嫌っているのだろうと言ったが、斉木武志と片山さつきの得票数を足しても城内実には及ばないほどの圧勝を果たした城内実が自民党の対立候補を恐れるとは私には思えない。城内実の支持者には跳ね上がりが多いらしく、平沼赳夫何するものぞといわんばかりの雰囲気がある。すでに昨年の衆院選前に、ネットで城内の支持者が平沼を批判する書き込みをしていたことを、私は昨年8月28日付の『kojitakenの日記』に記録している。後援会の人たちがネットの掲示板投稿者と同じような考え方をしているかどうかはわからないが、似たり寄ったりだろうと私は想像しており、そんな彼らを説得するのに城内実が手を焼いているのも想像がつくのである。あの政治家にしてこの支持者ありといったところだろうか。

くだらない城内実の支持者の件はともかく、ナベツネといえば反射的に思い出すのが「大連立」だ。私は、先月号の文春に与謝野馨の「論文」が掲載されたと知った時点で、ああ、これはまたしてもナベツネの「大連立」工作だなとピンときて、雑誌の発売日前日(3月9日)の『kojitakenの日記』に、

ナベツネは「大連立」の野望を決して捨ててはいないとここで指摘しておく。

と書いた。「ナベツネと聞いたら大連立を疑え」と言いたくなるくらいだ。

これは何も「ナベツネ嫌い」の私の思い過ごしではない。昨日のエントリでも書いたように、『週刊新潮』も指摘しているし、他の週刊誌でも同様の観測を見たことがある。そして、なんと大新聞までもがこの疑念を記事にしていた。しかも社説においてである。4月11日付の毎日新聞社説「平沼・与謝野新党 『立ち上がった先』を語れ」である(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100411k0000m070100000c.html

同じ日の朝日新聞は、「『たちあがれ』―民主、自民にそう言いたい」と題したつまらない社説を掲載した。これを見て、どうせ他紙も似たり寄ったりだろうと思って見に行かなかったのだが、あに図らんや、毎日新聞の社説は「大連立工作」の疑惑を突っ込んでいた。以下、抜粋して紹介する。

 「たちあがれ」に参加した代表の平沼氏ら5議員は、いずれも元は自民党議員だ。中堅・若手議員が参加を見送ったため平均年齢は約70歳となり、新鮮ではつらつとしたイメージを与えたとは言い難い。

 それ以上にすっきりした印象を抱けないのは、結党の動機が今ひとつ不明確な点にある。代表の平沼氏は10日の会見で参院選後の民主党との連携は「まったくない」と否定したが、民主党との対決姿勢を強調するほど、離党劇で最大の打撃を被ったのが自民党だという現実とのギャップがさらに際だってしまう。

 新党結成を後押ししたのは発起人に名を連ねた石原慎太郎東京都知事だ。石原氏は最近、福田康夫内閣時代に一時浮上した民主、自民両党の大連立構想に再三言及し、民主党の小沢一郎幹事長(当時代表)の関与を評価している。小沢氏と与謝野氏は関係が近いことでも知られる。

 新党は政界再編の橋渡し役を目指すというが、具体的にどんな姿を描いているのか。大連立構想の再現をにらみ、その接着剤となることも狙っているのか。国民に率直な説明が必要である。

(毎日新聞 2010年4月11日付社説 「平沼・与謝野新党 『立ち上がった先』を語れ」より)


平沼と与謝野は、「親自民・反民主」、あるいは「非自民・反民主」などと言う。これがかえってわざとらしい印象を与え、実は裏で小沢一郎と手を組んでいるのではないかとずっと疑っていたのだが、おそらく私だけではなく大勢の人たちが抱いていたであろう疑念を、毎日新聞は社説で書いてくれた。これには驚いた。

もちろん、2007年の大連立騒動の時には、毎日新聞だけではなく朝日新聞も、そして他の大部分の新聞も、読売新聞を除いてナベツネが工作に関わったことを社説も含めて書いた。だが、あの時は福田康夫と小沢一郎という二大政党の党首が手を結ぼうとしたのだ。いわば正攻法だ。今回はそうではない。「反民主」を標榜しながら小沢一郎と手を組もうとしているのではないか。そんな疑念が持たれるのである。旧世代の支配者たちも、やることのスケールがだんだん小さくなってきた。そして、平沼と与謝野の新党は、彼らの最後の悪あがきであるように思える。

実際に、毎日新聞の社説が危惧するように、与謝野・平沼新党を接着剤にして民主党と自民党が大連立を組む流れになるかどうかはわからない。わからないが、3年前は大半の民主党議員やマスコミの反対によって大連立は実現しなかった。今にして思うのだが、あの時民主党は大連立騒動を総括せず、小沢一郎を辞任させるどころか、必死に懇願して代表の座に踏みとどまってもらった。小沢一郎が代表の座にいなかったら政権交代は実現しなかったかどうかはわからない。民主党の「七奉行」の体質を見ていると、小沢一郎抜きの民主党だったら、もっと新自由主義色を鮮明にした政党になっていたかもしれない。

だが、もし今後与謝野・平沼新党が接着剤となって民主党と自民党が大連立を組むようなことがあれば、それは小沢一郎という劇薬の副作用によって日本の戦後政治が死を迎えることを意味しないか。

このところのペースを破って、毎日新聞の社説に触発される形で今日エントリを上げるのは、民主党のリベラル派というものがもし存在するのであれば、そろそろ「小沢一郎離れ」を起こすべきなのではないか、ちょうど自民党でかつて竹下登が創政会を結成したのと同じように、小沢一郎に反旗を翻すリベラル派集団の結成があっても良いのではないかと思うからである。やはりリベラル派である生方幸夫のような単独の反乱ではダメで、はかりごとをめぐらせてあるタイミングで集団を旗揚げすべきだろう。現状は、小沢一郎の弊害が目立ち始めてきた。そうは思わないか。社民党にしても、小沢一郎しか頼りにできなくて動きを封じられているも同然に見える。このままでは、ある議員は民主党に吸収され、ある議員は無所属になるなどして消滅への道をたどるだけではないのか。

それが言いたかったから、今日のエントリを上げた。これは、しばらく前から考えていたことではあるが、書くタイミングがつかめなかった。だが、その時がきた。中曽根やナベツネの生涯最後の悪だくみを潰し、彼らの政治生命を完全に終わらせるためにも、民主党左派の「小沢一郎離れ」が必要だ。


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新党「たちあがれ日本」が10日に発足した。

この新党を精力的に追っている『日本がアブナイ!』は、同党の結党会見は突っ込みどころ満載で、何をどこから書いていいかわからないぐらいだと書いているが、同感で、どこから批判していけばよいか、書きながら迷っている。

エントリが長くなりそうなので最初に書いておくと、この「新党」は、自民党がもともと持っていながら、ベクトルの向きが互いに異なる「自主憲法制定」と「消費税大増税」という二つの主張をともにより強調した、いわば自民党の持つ方向性をよりデフォルメしたような政党だ。「真正自民党」という形容がふさわしい。

これと比較すると、たとえば「みんなの党」には、「自主憲法制定」に見られるような復古的・国家主義的な主張はあまり見られず、新自由主義に特化した政党だ。また、ほんの少し前まで平沼赳夫やその子分・城内実、あるいは自民党の安倍晋三、稲田朋美らは、経済政策には関心がほとんどなく、「自主憲法制定」のほか、さまざまな復古的・国家主義的主張にこだわる人々だと思われていた。そのどちらでもない古い自民党を代表するのが、現自民党総裁である谷垣禎一らが属する「保守本流」と見られていて、現在ではその保守本流も新自由主義と新保守主義の影響を強く受けて、谷垣禎一は彼のスタイルには似合わないファイティング・ポーズをとらされているのだが、まさか新自由主義の一流派に属する与謝野馨と、典型的な新保守主義者である平沼赳夫が野合するとは思わなかった。

こんな野合政党にさえ、一部の「リベラル・左派」ブロガーが「反米」という共通項をむりやり抽出して弁護しようとしていたのには呆れたが、この新党の名前「たちあがれ日本」の名付け親が石原慎太郎であり、この石原が新党の強力な応援団長役を務めていることがわかると、「リベラル・左派」ブロガーたちも新党を庇いきれなくなった。

マスコミも、週末以来この「新党」の報道にかなりの時間を割いているが、特にクローズアップされているのが前述の石原慎太郎である。実際、石原慎太郎の興奮ぶりは異様で、石原がこんなに注目されるのは、3年前の東京都知事選の時以来ではないか。

石原の突出は、「リベラル・左派」のブロガー連に新党を立ち上げた平沼赳夫や与謝野馨を弁護する言葉を失わせただけではなく、一部の「真正保守」たちの反発を買っている。たとえば、古くから「さるさる日記」に寝言を書き続けているクライン孝子という産経文化人は、下記のように書いている。

石原東京都知事の今回の新党つくりにおける異様なはしゃぎぶりには、やや違和感を感じます。
これではせっかく発足した新党にもかかわらず、何か魂胆があるのではないかとつい勘ぐりたくなってしまう。
恐らく多くの国民特に無党派層や女性群、そんな印象を持ったのではないかなあ。

(『クライン孝子の日記』 2010年4月10日付より)


当ブログでクライン孝子を取り上げることはほとんどなかったと思うが(ネット内検索をかけたら過去2回だけ取り上げていた)、この人は結構正直なところが面白くて、当ブログを開設する直前の2006年4月1日に、『きっこの日記』の四月馬鹿の記事に騙された時には大笑いしてしまったが、クライン孝子がえらいのはその記事を削除せずに残していることだ。『きっこの日記』の方は、当該記事は数時間で削除し、別の記事に差し替えてしまった。いたずらの記事をわざわざ残しはしなかったわけだ。

今回も、「(石原慎太郎に)何か魂胆があるのではないかとつい勘ぐりたくなってしまう」とはよくぞ書いてくれた。もちろん、悪い魂胆があるに決まっている。

ついでに書くと、このクライン孝子の日記によって、『立ち上がれ!日本』というタイトルの本を竹中平蔵と櫻井よしこが2001年に出していたことを知った。新自由主義の権化・竹中平蔵と、現在では新保守主義の代表的な論客である櫻井よしこがこのような共著を出していたことからわかる通り、かつては新自由主義と新保守主義は表裏一体、不可分の関係にあった。2004年までに出版された本の多くにも、いちいち引用や紹介はしないけれども、そのことがよく指摘されている。

新自由主義者と新保守主義者を分裂させたのは、2005年の「郵政総選挙」における小泉純一郎だった。新自由主義に特化してこの選挙に勝った小泉は、翌年には「皇室は最後の抵抗勢力だ」と発言して、「郵政総選挙」で小泉に自民党から追い出された平沼赳夫の激しい怒りを買ったといわれている。

しかし、日本における新自由主義政治の開祖・中曽根康弘が総理大臣を務めていた80年代には、新自由主義と新保守主義は平和裏に共存していたのである。そして、今回の新党結成に関わった与謝野馨、平沼赳夫、石原慎太郎の三人は、いずれも吉田茂?池田勇人?大平正芳の流れをくむ保守本流でも、岸信介?福田赳夫の流れをくむ保守傍流中の本流でもなく、中曽根康弘の純粋な直系かやや外れているかの微妙な差こそあれ、全員が「保守傍流中の傍流」の政治家である。これに対し、小泉純一郎は福田赳夫の直系で、「保守傍流中の本流」にいた政治家だった。

今回、与謝野馨と平沼赳夫が手を結んだことは、ある意味、新自由主義と新保守主義が分化する以前の中曽根時代への回帰なのだ。復古主義臭が強いのも道理である。

ただ、絶対に忘れてはならないのは、中曽根政権は、発足当初こそ「田中曽根政権」などと揶揄されて支持率も低かったが、1983年の総選挙の惨敗を新自由クラブとの連立で乗り切って以来、徐々に支持率を高め、1986年には衆参同日選挙に圧勝して戦後自民党政権がもっとも支持された時代を築いたことだ。石原慎太郎にしても、1999年の東京都知事選初当選して以来、3度の都知事選にすべて圧勝してきた。3年前の都知事選では、『週刊現代』、『週刊ポスト』、『サンデー毎日』の3誌が毎週石原を批判する特集を組んだし、当ブログも浅野史郎氏支持を打ち出して連日石原を批判する記事を公開したが、全く歯が立たなかった。

今回の「たそがれ新党」に関しては、石原の他に中曽根康弘やナベツネがバックにいることも盛んにいわれているが、彼らを馬鹿にすると泣きを見るぞというコメントもいただいている。30年来日本の政治を歪めてきた中曽根やナベツネに対しては、恨み骨髄でこそあれ、馬鹿にしようがない。彼らの晩年である今、彼らの意図を挫くことによって、せめてもの一矢を報いたいと考える次第だ。与謝野馨や平沼赳夫は、石原や中曽根、ナベツネの操り人形に過ぎないともいえる。

特に平沼赳夫は、記者会見で「(与謝野氏と)共同代表という形か?」と聞かれて、「党首はおれだから、協力してもらうということかな」と答える(JNNのニュースサイトより、『日本がアブナイ!』からの孫引き)など、すっかり「お山の大将」気分全開なのだが、ナベツネや文藝春秋の意図が全く別のところにあることを示しているのが、『文藝春秋』5月号に掲載された、与謝野馨と園田博之による「『たちあがれ日本』結党宣言」である。ここには、社会保障関係費の膨張と、鳩山由紀夫首相による消費税増税論議の封印を批判する文章はあるが、「自主憲法制定」などどこにも出てこない。それどころか、平沼赳夫への言及自体、末尾の方に少しあるだけだ。その部分を引用する。

 我々は現在無所属の平沼赳夫さんと新党の準備をしている。郵政民営化に反対して自民党を除名された平沼さんは、仲間の多くが復党したなかで筋を通して無所属を通されているが、平沼さんも現在の民主党政権の出鱈目な政策に強い危機感を持っている。「民主党は日本を社会主義にする。日本の危機を迎えてタカ派とかハト派とか言っている時代ではない。政治家として長いキャリアを持っている人が自ら日本の政治を過去のしがらみから決別させ、有能な若い人たちの手に渡そう」と考えておられる。最後のご奉公という気持ちで打倒民主のために立ち上がろうとしている。我々は大きな目標では一致できるのだ。

(与謝野馨・園田博之 「たちあがれ日本」結党宣言(『文藝春秋』 2010年5月号掲載)より)


これも突っ込みどころ満載だ。まず、雑誌で9ページ(本文8ページ)に及ぶ長文の記事に、平沼赳夫に言及した部分がこれだけしかないこと。平沼の「タカ派とかハト派とか言っている時代ではない」という言葉が、「『右』も『左』もない」という、以前どっかのブログが愛用していた言葉を思い出させること。「日本の政治を過去のしがらみから決別させ」などと言いながら、バックに中曽根やナベツネがいること。そして、極めつきは「我々は大きな目標では一致できるのだ」という文章である。

与謝野馨と園田博之は、要するに大きくない目標では平沼赳夫とは一致できないと言っているも同然なのだが、では何が大きな目標で、何がそうでない目標なのか。それを考えるヒントが新党の結党趣旨にある。結党趣旨には、「打倒民主党」、「日本復活」、「政界再編」が掲げられている。要するに、彼らにとってはこれらが「大きな目標」であり、「自主憲法制定」や「早期の消費税率引き上げ」は「大きくない目標」なのである。

早い話が、政権の座に返り咲きたい。その目的のためには手段を選ばない。そういう性格の政党ということだ。特に呆れるのは結党趣旨に「政界再編」を掲げていることであり、これが何よりこの政党の志の低さをよく表している。自分たちが天下を取るのではなく、「政界を再編する」のである。要するに、どっか大きなところ(どこかは知らないが)とくっついて、自分たちがやりたいことをやろうというスケベ心がミエミエなのだ。これが、世の人々から尊敬を集める存在であるはずのお年寄りのあるべき姿だとは、とうてい私には思われない。

この新党だが、少なくとも読売新聞の論説記事と文藝春秋の出版物は新党を支援するだろうから、決して馬鹿にできないことは間違いない。しかし、同じ右寄りの週刊誌で、発売日も『週刊文春』と同日の『週刊新潮』は、文春に名をなさしめてなるかとばかり、4月15日号で「『与謝野新党』が『小沢幹事長』と手を組む」という特集を組んでいる。ここでは、「政局音痴『ロートル軍団』の壮大相手は例によって『老害主筆』」(もちろんナベツネのこと)、「大叔父の遺言を守って残留『後藤田正純』板挟みで泣き言『城内実』」などの記事が掲載されている。

「板挟みで泣き言」を言っていると書かれた城内実だが、どういうことかというと、平沼赳夫から年間1千万円の資金提供を受け、傍目から一蓮托生と見られていた城内実は、本音は新党合流に乗り気ではなく、当然のように城内が新党入りするものと思っている平沼や与謝野の期待がたいへんなプレッシャーとなって、後援会の説得にも苦心している城内は、拙速に過ぎる状況で、周囲に「板挟みだ」と漏らしているのだそうだ。記事には「(事情通)」と書かれており、城内実の現状を週刊誌の記者にリークした何者かがいる。城内実には、「保守色が強いから新党入りに二の足を踏んでいる」、あるいは「安倍晋三から新党入りするなと釘を刺されている」という観測も流れているが、それらには城内実ウォッチャーである私は説得力を感じない。特に前者の観測に関しては、前回のエントリにも書いたように、城内実が安倍晋三や平沼赳夫を凌ぐ極右思想の持ち主である以上、あり得ない見方だ。しかし、『週刊新潮』に載った事情通の解説には説得力がある。テレビには、「たちあがれ日本」が結成された10日に浜松市内で街頭演説をする城内実の姿が映し出されており、そこで城内は「立ち上がれ日本」の結成をアピールしつつ、「私は平沼系無所属議員として、平沼先生のお力になりたい」などと、珍妙極まりない街宣をしていたので、画面を見ながら爆笑してしまった。ま、口から生まれていたような手合いにふさわしい街宣だといえる。

ところで、『週刊新潮』の特集の末尾にあるのは、「『小沢一郎』が肉を切らせて骨を切る『衆参ダブル選挙』皮算用」である。衆参同日選挙はさすがにあり得ないと私は思うが、同日選とならず、参院で民主党が単独過半数をとれなかった場合に、与謝野新党(と週刊新潮は表記している)と民主党が連立を組むというシナリオがあると書いている。そして、民主党関係者のコメントとして、「新党結成に不慣れな平沼赳夫が、何かと小沢サイドに相談を持ちかけていて、小沢一郎の側近らが党綱領の作り方などあれこれ相談に乗っている」という情報がリークされている。これも、これまでの小沢一郎の行動パターンからいってあり得ない話ではないし、これこそが中曽根やナベツネの真の狙いでもある。すなわち、自民党の政策をデフォルメしたようなロートル政党「たちあがれ日本」と民主党の連立による、憲法改正と早期の消費税率引き上げの実現。これこそが、このいかさま新党の真の狙いなのである。

もちろんこんな狙いは潰さなければならない。これを潰すためには、参院選でこの政党に1議席たりとも与えないことが必要だ。民主党か自民党か迷う人は、サイコロか鉛筆でも転がして、どちらかに決めれば良かろう。いや別に国民新党でも社民党でも共産党でも構わないけれど、少なくとも選択肢に「たちあがれ日本」など入れないことだ。こんな馬鹿げた政党に議席を与えてしまうと、そこから本当の地獄が始まる。


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昔、リクルート事件に関わったとされて78歳の高齢で逮捕されたNTT元会長の名前は真藤恒といった。私は、彼の姓を「しんどう」だとばかり思っていた。「しんとう」と読むことを知ったのは、テレビのニュースで真藤恒が逮捕されたことを知った時だった。

ロッキード事件とは違って、リクルート事件に関しては、逮捕された人たちは本当はどこまで悪いのだろうかと思っていたため、真藤恒にもさほどの悪感情は抱かず、むしろ「しんとう」という姓から「神道」という言葉を連想し、本当にたちが悪いのは、国家神道を信奉する連中なのになあ、などと考えていたことを思い出す。当時から私は狂信的な右翼が大嫌いだったし、真藤恒が逮捕されたのは、昭和天皇が死んで間もない頃だった。もちろん私は、昭和天皇が重体になった時の「自粛」騒ぎについて、なぜ戦犯が重体になったからってそんなに騒ぐのだ、と怒りを感じていた。私が個人でパソコンを購入したのは、昭和天皇の血圧が日々新聞に掲載されていた1988年の晩秋だったが、当時はパソコンはスタンドアロンでしか使用しておらず、パソコン通信に加入したのは5年後、インターネットのプロバイダと契約したのはさらにその4年後だった。もし1988年にブログをやっていたなら、日々私が展開する昭和天皇や天皇制への批判を見咎めた右翼の攻撃を受けてブログは炎上し、火だるまになっていただろう。

それからもう21年にもなる。昔、1985年にプロ野球の阪神タイガースが21年ぶりの優勝を決めた時、その前(1964年)の阪神優勝など知らない私は、このチームはずいぶん長い間優勝してなかったんだなと思ったが、1989年から現在までの21年間はあっという間のことのように思える。これが人間の時間感覚なのだな、現在から死ぬまでなんてほんの一瞬だろうなとも思うのだが、そうは言っても、現に生きている人間にとっては、現在がすべてであって、過去も未来もない。ペシミズムに浸る気にもなれない。

真藤恒が逮捕された1989年当時には、平沼赳夫も与謝野馨も既に国会議員だった。与謝野は、初めて立候補した1972年の総選挙で落選したが、三木武夫内閣のもとで行われた1976年の総選挙で、当時三木と組んでいた中曽根康弘のお墨付きで当選した。しかし、その3年後の1979年には、時の総理大臣だった大平正芳が打ち出した「一般消費税」創設の公約が有権者の反発を買って与謝野は落選した。与謝野は駆け出しの議員だった頃から消費税とは縁が深かったのだ。与謝野のボスだった中曽根康弘もまた、1986年の衆参同日選挙で公約しなかった「売上税」を翌1987年に導入しようとして世論の激しい反発を受け、導入に失敗した。

このように、若い頃から間接税との縁が深かった与謝野馨に対し、平沼は与謝野が初当選した1976年の総選挙で落選し、与謝野が一般消費税導入構想の煽りを食って落選した1979年の総選挙にも、与謝野ともども落選して2連敗を喫した。だが、平沼が落選した理由は与謝野とは全く異なり、経済問題などそっちのけで、ひたすら日本国憲法と教育基本法の改定を訴えたためだった。平沼の過激な右翼思想は、保守的な岡山県の農村部でさえ支持を得ることができなかったのである。

だが、ともに1979年10月に行われた総選挙で落選した与謝野馨と平沼赳夫にとって幸運だったのは、この選挙に負けた自民党が内紛を起こし、その結果翌年の通常国会で野党が提出した大平内閣不信任案の採決に三木武夫と福田赳夫の派閥が欠席したために、前年の選挙から8か月しか経たないのに、再度衆議院の総選挙が参院選と同日で行われたことだ。しかも、選挙期間中に大平首相が急死し、同情票を集めた自民党が圧勝した。もちろん、与謝野は返り咲き、平沼は初当選をそれぞれ果たした。その後は、地元岡山県の票をがっちり固めた平沼が選挙では無類の強さを示すようになった一方、東京のど真ん中を選挙区にする与謝野は相変わらず不安定で、森喜朗政権時代の2000年の総選挙では、比例復活もならずに落選した。

人脈からいうと、与謝野馨も平沼赳夫も、保守本流ではもちろんないし、保守傍流の中のメインストリームである岸信介?福田赳夫の流れとも異なる、それよりさらにタカ派の自民党最右派に属していた。与謝野馨は中曽根康弘の直系だし、平沼赳夫は中川昭一に近い。だが、与謝野は中曽根直系でありながら梶山静六に接近した。イデオロギー的にも、ハト派とか「リベラル」とはいえないが、さりとて近年の自民党で目立ったタカ派ともいえない。与謝野はイデオロギー的な議論をあまり好んでいないのではないかという印象もある。

一方、平沼赳夫はそのタカ派ぶりに磨きがかかり、「あの人は自民党の中でも極右ですからね」と三宅久之に評される存在になった。こちらはイデオロギー色むき出しの人物だが、どういう人脈があるのか、資金調達能力がある。なんだかんだいって政治には金が要るので、資金調達能力のない人間には政党は作れない。新党を結成した人物を思い出してみると良い。細川護煕(日本新党)、鳩山由紀夫・邦夫兄弟(民主党)、小沢一郎(自由党)など、大金持ちか資金調達能力を持つ者かのどちらかだ。平沼は、郵政民営化法案に反対して自民党を追われたが、同様の憂き目にあった城内実をはじめ何人かの政治家に資金提供をしたといわれている。城内実は、自民党時代には安倍晋三の腹心だったが、浪人時代には平沼赳夫と一心同体であるかのような言動を繰り返していた。

しかし、その城内実までもが与謝野・平沼新党への参加を決断しきれない。数日前、『報道ステーション』に映し出された城内実のコメントは、新党への参加の意欲を示したものとしか思えなかったが、その後まだ逡巡しているようだ。城内のブログを見ると、一昨日(7日)に、平沼赳夫が最高顧問、安倍晋三が会長をつとめている超党派議員グループの「創生『日本』」が渋谷駅前で街宣を行うという告知記事が出ている。この「創生『日本』」は、イデオロギーが一致している安倍晋三、平沼赳夫、城内実の3人が中心になって活動している極右国会議員の集まりだが、安倍は自民党、平沼は新党、城内は無所属に分かれる可能性も出てきた。

目を疑ったのが岐阜新聞の記事で、おそらく共同通信の配信だろうと思うが、

平沼氏とともに衆院会派を組む自民離党組の小泉龍司(57)、城内実(44)両衆院議員らは「保守色が強すぎる」ことなどを理由に当初からの参加を見合わせる。

などと書かれている。

この記事の存在は、ほかならぬ城内実ブログのコメント欄で知った。コメント主は、

自分は、与謝野・鴻池・中山氏らがどうかと申し上げましたが、この記事が本当かは知りませんが、保守色が強過ぎる、と指摘されたならば、自分の感性と同じだったので、良い選択をされたと思いました。それでも、全否定はせずに共通項のある平沼氏と関係を続けられる城内先生の主張すべきはちゃんと主張する媚びない態度、要所、要所できっちり良い判断をされていると思います。

などと城内実を擁護している。

しかし、城内実の支持者も人それぞれで、「三十路」と名乗る方は、下記のようにコメントしている。
http://www.m-kiuchi.com/2010/04/07/souseinipponshibuya/#comment-38492

117.
三十路 2010/04/8 10:43:05
???
保守色が強すぎると言うのは、城内議員のことなのでは?
私は、城内議員が保守色が強すぎるので、結党時のメンバーに入れない(でも、その後合流)、と言う平沼議員の主張なのかと思っていました。
違うんですね。
城内議員が、「(たちあがれ日本は)保守色が強すぎるから見送り」と言ったという趣旨なんですね。
もしそうなら、ガッカリです…。
あんなに、渡辺よしみやら(事務所に抗議メールしました。「立ち枯れ」発言に腹立たしく思うみなさんも是非)、マスコミやら、鳥越なんかに平沼議員を馬鹿にされるような発言を繰り返されて、城内議員は悔しくないんでしょうか。
私は悔しいです。
平沼議員が馬鹿にされているのは、まるで日本を馬鹿にされているよう。
本当に腹が立つのは、これに影響されて一般人までが「老人が!」などと言い出すことなんですけどね。
議員は年齢なんかじゃないです。小沢チルドレンを見たら分かるけれど、若くても法律も知らないリンゴを剥くしか能のない人間もいます。
私は年齢ではなく、日本のため、日本人のために働いてくれる政治家を応援します。


この方の意見の方が正論である。私も、平沼・与謝野新党を「新党たそがれ」と書いて馬鹿にしたが、それはこの新党が過去30年にわたって日本をガタガタにした張本人である中曽根康弘や渡邉恒雄(ナベツネ)ら前世紀の遺物がバックにいるからであって、単に与謝野馨や平沼赳夫が老人だからではない。そして、城内実の主張をネット検索などで詳しく調べたことのある人間として言わせてもらうと、城内実という政治家は、安倍晋三や平沼赳夫よりさらに右翼イデオロギーの強い人間である。以前にも紹介したが、2006年7月7日に、「チャンネル桜」の番組で、教育勅語を見直すべきだ、読めば読むほど、人間として、日本人としての徳が書いてある、教育基本法がああだこうだという議論をするのであれば、教育勅語と言うのが既にあるわけだから、国会を開いて議論をしたり、有識者の意見を求めるというのも、税金の無駄遣いだなどと放言している(下記URLのブログ記事参照)。
http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-207.html

平沼赳夫は、自民党を追われる前には、安倍晋三らとともに教育基本法改正に尽力した人間であり、城内が上記の放言をした約半年後の2006年12月15日に、教育基本法は改正された。この日付は、教育基本法が再改正されて以前の法案に戻す日まで、私は忘れることはないだろう。日本の政治がもっとも右に寄ったその「極北」の日であり、平沼赳夫は若き日に衆院選に二度の落選の憂き目にあってもこだわり続けた教育基本法改正をついに達成した日でもあった。その執念には敵ながら頭が下がる。ところがそれを、城内実は「教育勅語があるのだから教育基本法改正の国会での議論など税金の無駄遣いだなど」と、安倍や平沼よりさらに「右」の立場から馬鹿にした。

ネットの世界で城内実の悪名を高めた、国籍法改正をめぐるブログ記事にしても、ここまでレイシズムを全開にした文章は、平沼赳夫にだって書けないだろう。おそらく、世間では城内実は平沼赳夫ほどのゴリゴリの右翼ではないと思っておられる方が大半だと思うが、試しにその根拠を挙げてみられたい。いかにもこわもての右翼然とした平沼赳夫の風貌に対して城内実がやさ男であることとか、ネットにおいて一部の左翼が城内実を熱心に応援してきたことくらいしか思いつかないはずだ。実際には城内実こそ平沼赳夫よりさらに「保守色の強い」人物であることは、私が上記の根拠を示した通りである。

岐阜新聞の記事だが、小泉龍司なら、「保守色が強すぎる」と言って平沼・与謝野新党への参加を見合わせるのは理解できる。衆院選前に、各候補者の立場を検討した時、小泉龍司は平沼一派に所属するのが不思議なほどリベラルな人物だった。一方、城内実の方は、平沼赳夫でさえ賛成していた「取り調べの全面可視化」に反対したことは、当ブログでしばしば指摘した通りである。だから、小泉龍司と城内実を一緒にした岐阜新聞の報道はおかしい。

要するに、「信念を貫く男」とは名ばかりで、城内実の内心は揺れまくっているのだろうと私は思うのだが、どうして「真正保守」たちが一つになれないのかというと、これは小選挙区制の壁があるからだろう。今日のエントリでは、本当はこれをメインに論じるつもりだったが、時間切れになったので、とりあえず城内実批判エントリということにしておいて、小選挙区制の弊害については、来週にでも改めて論じることにしたいと思う。尻切れトンボだが、今日はここまで。


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与謝野馨と平沼赳夫の新党の話だが、どうやら共同代表ではなく平沼赳夫が代表に就任するようだ。どうも与謝野と平沼の協議では、平沼が強気に出て「お山の大将」気分でいるらしく、この件に関しては『日本がアブナイ!』の辛辣な批評が痛快だ。

ブログ主のmewさんが書く通り、中曽根康弘や渡邉恒雄(ナベツネ)は憲法改正を実現したくてたまらず、そのために与謝野・平沼新党と民主党、公明党の組み合わせで大連立を組ませて、野党・自民党の賛成も得て憲法改正へとこぎ着けたいと思っていることは間違いない。しかし、憲法改正は一朝一夕にはできるものではなく、中曽根康弘はおろか、ナベツネの目の黒いうちにも実現することはないだろう。彼らの生涯をかけた目標は、見果てぬ夢に終わることは間違いない。

ところで、一口に改憲派といっても、中曽根康弘とナベツネでは微妙に立場が違う。ナベツネは宗教がかった「靖国右翼」を嫌う男であって、4年前に首相になった安倍晋三に対しても、安倍を支持する条件として靖国神社に参拝しないことを要求したことがある。当然ナベツネが平沼赳夫に共感しているとも考えられない。

ナベツネの本命はあくまで与謝野馨なのである。『文藝春秋』の4月号に与謝野の「論文」が載り、週末に発売される5月号では、与謝野と園田博之による新党の政策が掲載されることもその傍証である。平沼が主役であれば、平沼の主張も大々的に文春の誌面を飾るはずだが、事実はそうではない。

それなのに、なぜ平沼を野合させたかというと、単に新党に参加する人数を集める目処が立たなかったからだろう。だから、ナベツネと与謝野は、同様にもう3年前から新党を立ち上げる、立ち上げると構想を語っていながら立ち上げられずにいた平沼に目をつけ、頭を下げて合流話を持ちかけたのではないかと私は推測している。だから、麻布高校の同級生ながら1歳年上で優等生だった与謝野馨(与謝野は父親の勤務の関係でエジプトにいて、帰国後麻布高校に編入したために1年学年が遅れた)に対して、落ちこぼれの生徒だった平沼赳夫がでかい態度をとることができるのである。与謝野は内心、苦虫を噛み潰しているだろう。

もっとも、私は平沼赳夫という男は浅はかだなあと思う。なぜかというと、党首ともなれば、日曜日の午前中などにテレビで放送される党首討論で議論をしなければならないが、自民党を離れてからの平沼のテレビにおける発言というと、私が真っ先に思い出すのは、一昨年に中国のパンダ外交を平沼が批判した時のことだ。平沼は、「タイミングよくパンダのランラン(ママ)が死んで、何らかの策謀があるんじゃないかと言う人もいた」などと発言し、伝聞形とはいえ、あたかも中国がパンダ外交をやりやすくするために、上野動物園が中国の意を受けて(?)パンダを見殺しにしたとも言わんばかりの発言をしたのだ。これは、当ブログ2008年5月12日付エントリ「タカ派政治家の劣化?中曽根康弘と平沼赳夫の激しい落差」にも書いた。このエントリでは、中曽根康弘を引き合いに出して平沼を批判したのだが、その中曽根も今回の新党騒動の黒幕と見られている。中曽根にしてみれば、「たとえ平沼赳夫だろうが利用できるものは何でも利用する」と思っていることだろう。

それはともかく、自民党時代には初代の経済産業大臣に就任して、それなりに識見のある政治家とみなされ、小泉純一郎政権時代には次期総理大臣候補にも名前の挙がっていた平沼赳夫だが、何のことはない、平沼の「識見」はすべて官僚の入れ知恵だった。自民党を追い出されて、官僚の助けがなくなったヒラ議員になると、「パンダのランランは謀殺された」という程度のことしか言えない政治家、それが平沼なのである。そんな平沼が、論戦でたとえば菅直人に太刀打ちできるだろうか。平沼赳夫が菅直人を言い負かす光景は、私には想像できない。

平沼には、さらにひどい発言もある。リーマン・ショックから5か月後の昨年2月に「10年ぐらい選挙を凍結。挙国一致内閣をつくり、難局に立ち向かわないといけない」と言ったことである。憲法を停止しなければできない翼賛政治をしようと言わんばかりのこの発言は、当然ながら批判を浴び、平沼は発言の撤回に追い込まれた。

しかも、平沼の思想信条といえば、憲法「改正」ではダメだ、自主憲法の制定でなければならないというものだ。これは、平沼にとっては絶対に譲れない一線だから、当然ながら新党の政策の柱になるだろう。つまり、新党は既存政党の中でももっとも右寄りの政党になる。

一方、与謝野馨との政策協議で、平沼はあっさり消費税増税を了承した。この点に関しては、私が楽しみにしているのは、10日に発売される『文藝春秋』5月号に掲載される、与謝野と園田博之が書いたという新党の政策だ。すでに、4月号に新党の政策の筆頭に「消費税増税」が掲げられているから、これも「自主憲法制定」とともに平沼・与謝野野合新党の政策の柱となる。

要するに、この新党の政策は柱が二本あって、「自主憲法制定」と「消費税率引き上げ」である。与謝野馨が小泉構造改革の責任者の一人だったことを考え合わせると、新党は平沼赳夫と与謝野馨の「悪いとこ取り」をした政党になる。その立ち位置を示したのが、『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「与謝野・平沼新党の珍妙な立ち位置『消費税増税+サービス小+国権主義』」であって、ここに掲載された2次元ダイアグラムを見て、私は爆笑した。消費税を大増税しながら、政府のサービスは小さい。もう一つのグラフを見ると、新党は「国権主義が強いにもかかわらず、政府が国民を助けてやらない」と位置づけられている。

こんな政党を誰が支持するのだろうか。

与謝野と平沼が政策協議で綱引きをするにつれ、当初新党への参加に前向きだった人たちの腰も引けてきた。新聞報道では、新党に参加する「5人目の政治家」がいないのだという。テレビの報道では、新党は東国原英夫にも声をかけたらしい。またかの東国原だ。だが、その東国原は、若手がいないといって参加に二の足を踏んでいた。

若手の政治家というと、平沼に近い城内実を誰しも思い浮かべるだろう。城内は結党時のメンバーではないとされているが、既に見た通り、新党の政策協議では平沼が横車を押しまくっており、党首も平沼が務める。新党が結成されれば、早々に参加を表明することはほぼ間違いない。だが、城内が入れば党に清新さが生まれるかというと、そうでもあるまい。

ところで、昨年政権交代を熱心に訴えていたブロガーたちがすっかり元気を失った。特にこの新党騒ぎにまともな批判を繰り出せないのが彼らの弱さだ。その秘密は彼らの教祖・植草一秀にある。植草ブログの4月4日付エントリは、「与謝野馨新党設立は自民党の終わりの始まり」と題されているが、「みんなの党」批判を延々と繰り広げたあと、後半でようやく与謝野・平沼新党を批判しているものの、与謝野に対しては厳しく批判する一方、

 他方、平沼赳夫氏は信念を貫く政治家であり、経済政策運営でも経済重視の考えを堅持する人物であると見られるが、財政再建原理主義の与謝野氏とは隔たりが大きい。

などと書いている。

植草がここまで平沼に理解を示すのは、植草の支援者の立ち位置と関係があるらしいという噂がある。植草には、2004年に掲示板を立ち上げて熱心に支援した人がいたのだが、一昨年だか昨年だかに関係が切れた。その裏には、支援者のグループにおける内輪もめがあったと言われており、植草はその片方と結びついたのだ。その人物は陰謀論系の右翼で、平沼赳夫や城内実を熱心に支持している(もっともここ最近はブログを更新していないが)。まだ植草がブログを立ち上げたばかりの頃は、植草は私の疑問の答える姿勢を見せていて、その時には確か植草の思想信条は支援者のそれとは異なると植草自身が言明したはずだが、それならばなぜ植草は平沼赳夫に歯の浮くようなお世辞を書くのだろうか。そもそも、なぜ「信念を貫く政治家」が政策の「隔たりが大きい」人物と野合するのか。そこにいったいいかなる「信念」があるというのか。

植草は、5日以降のエントリでは「みんなの党」は相変わらず批判しているが、与謝野・平沼新党への批判は姿を消した。また、植草支持者のブログを見ていると、「平沼赳夫は、敵ながらあっぱれ、アメリカに追従することはしなかった」とか、「与謝野馨は困った増税おやじだが、アメリカ国債の暴落を予測している。これはアメリカのポチは口にしてはいけない禁句だ」などと苦し紛れの平沼・与謝野擁護論を書いて、与謝野と平沼一派は中曽根とナベツネに切り捨てられたのではないか、などとトンチンカンなことを書いている。語るに堕ちた、とはこのことを言う。

上記のブログ主に限らず、植草支持系の人たちは「マスゴミ」という言葉を用いるのが好きだが、与謝野・平沼新党はまさに彼らの言う「マスゴミ」のドン・ナベツネが応援する政治勢力だ。それを正面切って批判できないブロガー連は、要するにナベツネの掌の上で踊っているに過ぎない。こんな人たちを操るのは、ナベツネにとっては赤子の手をひねるようなものだろう。

そもそも植草一秀とは何者か。かつてテレビ番組のコメンテーターとして大活躍した元「マスコミの寵児」ではないか。植草がナベツネの息のかかった「与謝野・平沼新党」を批判できず、植草の意見表明としては珍しく全面的に近く支持できると思っていた与謝野馨に対する批判さえ、平沼との合流が報道されたあとは筆鋒を鈍らせているのを見ると、「メディアのドン」が肩入れする政党を批判すると、マスコミ界への復帰への道が完全に断たれることを恐れているのではないかと勘繰りたくなる。

一昨年来、「リベラル・左派系」ブログ界に多大な影響を与えた植草一秀は、いわば「ブログ界の権力者」のようなものだ。そんな植草にもの申すこともできないブロガーが、「マスゴミ」などという言葉を使うこと自体噴飯ものだし、今や朝日新聞など一般紙やスポーツ紙までもが、与謝野・平沼新党の応援団には中曽根康弘、ナベツネ、それに「リベラル・左派系」ブロガーの宿敵の一人である石原慎太郎がいることを伝えているのである。

マスコミでさえ平気で批判する与謝野・平沼新党をまともに批判できない「リベラル・左派ブログ」に存在価値など何もない。


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以前から新党を結成する、結成すると言いながら全然実現できなかった平沼赳夫だが、結局与謝野馨と野合して新党を結成する運びとなった。

財政再建至上論者である与謝野馨と極右イデオロギストの平沼赳夫という、およそ水と油としか思えない組み合わせである。それ以前に鳩山邦夫あたりが暗躍していた頃には、自民党内の保守派、否、極右イデオロギストたちと平沼赳夫、城内実ら平沼一派が、鳩山邦夫をブリッジにして極右新党を結成するのではないかとの観測がなされていたし、私もひそかにそれを期待していた。『日本がアブナイ!』のmewさんも同様だったようだ。自民党には、安倍晋三を筆頭に、稲田朋美、下村博文らのトンデモ極右政治家たちがおり、昨年までは故中川昭一という大物もいた(麻生太郎も表向き彼らと同調していたが、私はそれが麻生の本心だとは考えていない)。彼らが、平沼赳夫や城内実と組めば、極右政治家が結集した政党となって、わかりやすくて良い。もちろん私は決してそんな政党は支持しないし、ことあるごとに批判するに決まっているけれども。

だが、そうはならずに与謝野馨と平沼赳夫が野合した。与謝野馨は、先月10日に発売された『文藝春秋』4月号に、「新党結成へ腹はくくった」と題した「論文」を掲載した。そのあまりにひどい内容を見て、これを批判する記事を書こうかと思ったが、他に書きたいことがあったので止めた。3月12日付エントリ「政権交代で右派政権が倒れて、右翼化が進むパラドックス」で少しだけ触れたが、そこで私は、

これは予想通り「右」からの改革を唱えたもので、「論文」中にナベツネや中曽根康弘が出てくるなど、与謝野が中曽根?ナベツネラインと直結していることは明白である。

と書いた。本エントリでは、その詳細について述べる。

ここでいう「右」とは、平沼赳夫のような政治思想的右派を意味するものではなく、経済政策における与謝野馨の立場を表す。与謝野は、財務官僚の影響を強く受けた財政均衡論者だと私は理解しているが、財政均衡論自体が「小さな政府」を志向する立ち位置であると指摘するのが、関西学院大学の神野直彦教授である。1月4日付エントリ「経団連にだまされるな ― 『小さな政府』や温暖化陰謀論の罠」で、神野教授が、少し前まで自民党内で対立しているとされていた「均衡財政派」、「上げ潮派」、「消費税増税派」はすべて新自由主義のドグマ(教義)の限界を抱えていると指摘していることを、小此木潔著『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年)から孫引きして紹介した。要するに、均衡財政派も消費税増税派も、公共サービスの増加は認めない、つまり、「小さな政府」志向という点で共通しているのである。

そのことを頭に入れて、『文藝春秋』4月号に掲載された与謝野馨の「論文」を読むと、与謝野が典型的な新自由主義者であることがよく理解できる。与謝野は、論文の冒頭でいきなり国と地方を合わせた長期債務残高が積み上がって、財政破綻が現実味を帯びてきたと書いている。そして、鳩山由紀夫首相には緊張感が全くないとか、自民党の谷垣禎一総裁には鳩山政権を倒すという気構えがないなどと批判したあと、与謝野が衆議院の予算委員会で質問に立って鳩山首相を「平成の脱税王」と呼んで非難した時、安倍晋三に電話で「もう一度質問に立ってほしい」と言われたとか、読売新聞の渡邉恒雄会長(ナベツネ)から「スポーツ新聞で大きく報じられている」といってそのスポーツ紙を送ってもらったとか、質問を行う前、総選挙後のある日、中曽根康弘に野党の心構えを聞きに行って、中曽根に「自民党は戦う野党に脱皮して、政権を倒すしかないだろう」と言われたなどと、安倍晋三や中曽根?ナベツネラインとの親密さを誇らしげに書き連ねている。

与謝野は、「鳩山政権の『六つの大罪』」を挙げているが、その筆頭も「民主党政権に長期的な財政の展望がない」ことである。そして、

私(注:与謝野馨)が経済財政担当大臣を務めていた小泉内閣時代に作成した「骨太の方針二〇〇六」では、国と地方を合わせたプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化するという目標を盛り込んだ。

などと威張っているのだが、この箇所は与謝野の「論文」の中でももっとも注目される部分だろう。つまり、与謝野は「社会保障費自然増の2200億円抑制」で悪名高い「骨太の方針2006」策定の責任者だったのだ。小泉構造改革を推進した人間、それが与謝野馨である。

与謝野は、菅直人副総理(財務相)が昨年の臨時国会で、今後の歳入見込みや歳出削減などの展望を盛り込んだ「中期財政フレーム」を今年6月までにとりまとめると言ったことをとらえて、「展望を示さずに2010年度の予算編成を行った」として批判しているが、与謝野が「示すべき展望」であると考えている内容が「消費税の大増税」であることはいうまでもない。一方、菅財務相は就任早々神野直彦教授を税調専門家委員会の委員長に招くことを決めたが、神野教授の腹づもりが、まず他国と比較して個人所得課税が著しく低い点をとらえて、所得税の課税ベース拡大から手をつけるものであることは、当ブログでも何度も紹介した。そもそも、バブル時代に税収が増えた時に、所得税減税をやり過ぎた結果が、現在の他国と比較して極端に低い個人所得課税を招いた。新自由主義のイデオロギーがほとんど批判を受けることのなかった時代にバブル経済の好況期があったことが、日本の税制を滅茶苦茶にしてしまったのではないかという気が、最近私はしている。しかし、自民党政権であれば直接税の見直しに手をつけることは考えられないし、そもそも神野教授を税調の専門家委員会に招くことなどあり得ないから、この点に関しては政権交代をして本当に良かった。自公政権が続いて、与謝野馨が経済政策の責任者なんかになったらとんでもないことになるところだった。

与謝野の「論文」で目を疑うのは、民主党政権が「供給サイドから需要サイド」というキャッチフレーズを掲げた「新成長戦略」を批判して、

そもそも需要と供給は雇用を通じて表裏一体であり、二つに分けられるものではない。鳩山首相はそうした基本的なことすら理解していないのだ。

などと書いていることだ。供給側(サプライサイド)の活動に着目した「サプライサイド経済学」と呼ばれるマクロ経済学の一派が存在することや、対照的にケインズ経済学は需要側の経済学と呼ばれることは、門外漢の私でさえ知っている。一般的には竹中平蔵はサプライサイダーとして位置づけられているのだが、おそらく与謝野はここで「小泉構造改革は『サプライサイド経済学』に基づいた政策などではない」と言いたいのだと思う。しかし、世の中に「供給側」、「需要側」と呼ばれる経済学の流派があることを意識的に無視した上記のような文章を書く与謝野馨の姿勢は、そもそも論客としてアンフェアだ。このくだりだけでも、与謝野馨が信用できない人間であると確信させるに十分なものである。

今週末の10日に発売される『文藝春秋』5月号にも、与謝野馨と園田博之が新党の政策を公表するのだそうだ。4月号にも「『新党』の六つの基本政策」が出ているから、「屋上屋を架す」という言葉を思い出す。4月号掲載の「基本政策」には「村山談話・河野談話の見直し」どころか「憲法改正」(平沼赳夫流に言えば「新憲法制定」)も出てこない。最初に出てくる文字は、予想通り「消費税」であって(笑)、「消費税を含む税制抜本改革、社会保障改革、成長戦略の三つを総合化した『復活五カ年プラン』を策定し、速やかに断行する」というのが「六つの基本政策」の筆頭項目だ。菅・神野税調では所得税を含む税制の抜本的見直しを掲げているわけだから、この違いは大きい。トラックバックいただいた『岩下俊三のブログ』は、「(与謝野は)財務官僚と同じ頭脳構造のため、税金は取りやすいところからとるという大蔵省時代からの悪習に、染まっているということである。すなはち、間接税しか考えてない欠陥がある」と指摘しているが、その通り、与謝野が考えていることは、ひたすら狂ったように消費税率「だけ」を上げることだ。周知のように消費税は逆進性が強いから、この不況時にそんなことをやったら、日本経済は再起不能の大ダメージを受ける。しかし、財務官僚に洗脳され切った自民党のロートル政治家は、何度失敗を繰り返してもそのことが理解できない。与謝野馨こそ「老害」の最たる政治家といえるだろう。

そんな与謝野馨が平沼赳夫と野合することによって、「与謝沼新党」の基本政策は、上記のような消費税大増税によるゴリゴリの財政再建路線に、「自主憲法制定」を柱とする平沼赳夫の極右イデオロギーが合体した、世にも醜怪なものになるだろう。そして、いくら「与謝沼新党」を石原慎太郎のような極右ポピュリストや読売新聞が全力で応援しようが、人々の支持が得られるはずはない。民主党や自民党に飽き足らない人々の心をとらえるのは、相変わらず「みんなの党」であり続けるのではないか。もちろん当ブログは、「みんなの党」のような新自由主義ポピュリズム政党には大反対だが、「みんなの党」と「与謝沼新党」を比較した時、後者に支持が集まる事態はまず考えられない。何より、与謝野馨も平沼赳夫も「古い自民党」の代名詞のような長老政治家である。彼らの新党にはひらがなの名前がつけられるそうだが、「たそがれ」あたりがふさわしいのではないだろうか。

ところで、この新党「たそがれ」の真の狙いは、中川秀直らのいわゆる「上げ潮派」と、社民党や民主党左派などの社民主義勢力の両方を外した「保守政界の再編」による政権づくりであって、その仕掛け人は中曽根康弘やナベツネだろうと思う。やはり老害の代表格である中曽根やナベツネは、「財政再建派」も「消費税増税派」も新自由主義の流派の一つに過ぎないことを理解しておらず、ただ単に、わかりやすい「市場原理主義者」だけを新自由主義者だと考えているに違いない。だから、政界にトンチンカンな手出し口出しをしてくるのだろうと私は思っているのだが、おそらく、「たそがれ」の与謝野馨や平沼赳夫に対して中曽根やナベツネが期待している役割は、民主党にも自民党にも飽き足らない有権者が「みんなの党」や中川秀直ら自民党内の「上げ潮派」勢力に流れるのを阻止することにあると思われる。そして、おそらく参院選後に、野党の「みんなの党」や自民党の議席を抑えたご褒美に、「たそがれ」たちが公明党ともども民主党と連立を組み、社民党と国民新党を連立から弾き出す。これが、中曽根やナベツネが描いている青写真だろう。もっと言うと、私は、小沢一郎の経済に対する理解も中曽根やナベツネと大差ないのではないかと疑っているし、与謝野馨が小沢一郎と近いといわれる点も、大いに警戒している。

だが、民主党と公明党と「たそがれ」政治家の与謝野馨や平沼赳夫の連立政権など、2000年の森喜朗内閣と何も変わらないではないか。そんな馬鹿げた政界再編を実現させてはならない。与謝野馨や平沼赳夫のごとき「たそがれ」の政治家たちを徹底的に批判していかなければならないと考える次第である。


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4月に入って、学校や企業、役所など、新年度が始まったところも多いと思うが、当ブログは新年度初日の昨日(1日)は更新しなかった。これは、ブログを開設した4年前以来だ(この年の4月1日にはブログ未開設だった)。昨年秋以降、週2回更新を基本にしているせいもあるが、今年は例年になく気分の浮き立たない年度初めである。

昨年の4月1日には、朝日新聞は立花隆が小沢一郎を厳しく批判する文章を載せ、小沢一郎の時代の終わりを予感させが、そうはならなかった。小沢一郎は、昨年5月に民主党代表を退き、電光石火の代表選で鳩山由紀夫を後継の代表にして、自らは民主党幹事長に収まったが、その体制下で昨年の衆院選に圧勝した。しかし、鳩山政権は実績不足もさることながら、意欲をあまり感じさせず、人々にフラストレーションだけならまだしも、政治に対する失望と無関心を引き起こしているように見える。

政権交代後、それまで自民党を応援していた保守派のメディアだけではなく、自公政権時代に政権に批判的だったメディアも、徐々に新政権を批判するようになった。ジャーナリズムの使命は権力の監視にあるから、それはそれで当然ではあるが、なぜかその批判が人々(市民というべきか、人民というべきか?)の側からではなく、大マスコミ自身がその一員であるところの既得権益だとか新自由主義者の側からなされていて、「産経も朝日も同じ」とまでは言わないが、少なくとも「読売も朝日も同じ」という様相を呈している。蛇足だが、自民党と一緒に下野した産経新聞は、やはり異彩を放っており、最近は自民党の方が産経色に染まってカルト化してきたように思う。

朝日新聞のダメっぷりを痛感させられたのが、新年度に入っての昨日(4月1日)付と今日(4月2日)付の紙面である。たとえば1日付では、党首討論で普天間基地問題を現行案支持の立場に立って論じた谷垣禎一自民党総裁に好意的な記事(社説や4面など)を掲載した。この問題で迷走する鳩山政権を厳しく批判すべきことは当然だが、それがアメリカの言うがままに沖縄に負担を強いてきた前政権と同じ側の立場からの批判であっては何の意味もない。

また、新自由主義側の論者ばかりを集めた、刀根館正明編集委員編集のオピニオン欄「こうする!日本再生」も全くいただけなかった。中でもうさんくさいと感じたのが、「成長政策」に特化するのではなく、「安定化政策」と「再分配政策」も大事だと、一見物分かりの良さそうなことを言っている駒沢大学准教授の飯田泰之なる人物だ。この男は、現在の日本では都会から地方へと一律に富が移転される設計になっているなどと書いている。だが、私が肌で感じるところでは、地方は都会よりずっと貧困がひどい。ハコモノや道路の建設は、都会から地方への富の移転なんかではない。潤うのは東京に本社を持つゼネコンであり、政官業癒着にあずかる役人や政治家たちである。その政治家のセンセイたちも、特に自民党の世襲議員などはその大半が生まれも育ちも東京であって、選挙区には週末に「帰る」というより「訪れる」だけだ。

飯田泰之のインタビュー(聞き手は杉井昭仁記者)は、読み進むにつれてどんどん馬脚を現していくのに唖然とした。税制を改革して(消費税は毎年1%ずつ引き上げて10%にするらしい)税収を70兆円超にしたら、労働市場の規制緩和や流動化に着手するのだそうだ。ここまできて、飯田泰之は新自由主義者の正体をむき出しにする。この飯田泰之という人物は、雨宮処凛との共著『脱貧困の経済学』や、勝間和代及び宮崎哲弥との共著『日本経済復活 一番かんたんな方法』を出していて、後者は嫉妬心の強さで有名な池田信夫(ノビー)に批判されているが(注:これらの書籍やノビーの文章にはいちいちリンクは張らないので、興味のある方はネット検索などで調べてほしい)、なんのことはない、飯田泰之とノビーは同じ穴の狢なのである。今では竹中平蔵のようなストレートな新自由主義者は敬遠されるようになったから、羊の皮を被った飯田泰之のような人物がもてはやされるようになったというべきか。雨宮処凛との共著を出すとは、編集者も出版社もあくどいことを考えるものだと感心してしまった。そして、そんな人物を朝日新聞が新年度最初の日の紙面に取り上げる。これでは救いがない。

朝日新聞は、2日付の科学面では、「転機の原子力」という連載をスタートさせ、「原発導入、高まる機運」という見出しで、原発推進の姿勢を維持してきたフランスの政策を紹介している。この連載は、毎週金曜日に掲載されるようだが、少なくとも原発を否定的に見直す記事にはならないことは予想される。こういう記事を見ていると、以前、「朝日新聞の民主党化」を指摘した魚住昭を思い出すが、その魚住も今では佐藤優や田原総一朗のお仲間だ。

しかし、「ネットで真実」を言っている面々はそれ以下なのだからお話にならない。植草一秀が副島隆彦と共著を出版していたり、ベンジャミン・フルフォードと対談していることを批判できないようでは、「ネット言論」とやらもタブーだらけだとしかいえない。フルフォードとリチャード・コシミズとの距離は、もうそんなにない。「植草一秀はトンデモである」と当ブログは書くが、そう書くことのできないブログが大多数である現実はお寒い限りである。

そんなわけで、真実はネットにもない。いや、探せばあるのだろうが、読者が多いサイトに真実があるわけではない。そもそも、そんなにお手軽に真実にたどり着けるのなら、誰も苦労しないのである。かくして、羅針盤なき航海は続く。


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