などと書いていた。そんな状況下で、民主党沖縄県連は推薦したとはいえ、民主党中央は名護市長選にはいたって消極的だった。普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる。嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を軸に着地点を見出す必要があると考えられる。
似た例としては一昨年2月の岩国市長選があって、その時にも民主党執行部は不熱心だった。前年の参院選で安倍晋三率いる自民党を圧倒した民主党が本腰を入れれば簡単に勝てそうに思われたのだが、民主党中央の支援の鈍さもあってそうはならず、井原勝介は福田良彦に敗れた。この岩国市長選における苦戦は、市長選に立候補した福田良彦の辞職に伴って行われた同年4月の衆院山口2区の補選にまで尾を引き、この補選の序盤戦では、なんと自民党の山本繁太郎(ノーパンしゃぶしゃぶの常連だった元国交省官僚)が、比例区から鞍替えして議員辞職してまで立候補した民主党の平岡秀夫をリードしているとも報じられた。そのタイミングで後期高齢者医療制度が実施されて自民党に突如逆風が吹き始め、終わってみれば平岡秀夫の圧勝だったのだが、あれは後期高齢者医療制度が「神風」になったんだよなあと思ったものだ。小泉純一郎の時限爆弾によって山本繁太郎がやられ、そのおかげで平岡秀夫は助かったように見えた。いや、選挙戦序盤に流れた山本有利という情報が怪しかっただけなのかもしれないけれど、岩国市長選の後遺症がなかったとはいえないのではないだろうか。その意味からいうと、民主党執行部や岡田克也は本音では歓迎していないかもしれないけれど、稲嶺進の勝利は大きかった。
以上のように、民主党というのは自らの党勢を弱めたいのかと思われる動きをすることがよくあるのだが、それにしても一連の平野博文官房長官の発言は度を過ぎている。普天間基地移設問題に関して、名護市長選で示された民意を「斟酌する必要はない」とか、移設先の地元自治体の合意が得られない場合は、法的決着を図ることもあり得る」などと言いたい放題だ。
平野博文は、旧民社党系の松下労組出身議員で、鳩山由紀夫首相が平野を官房長官に任命した時、直ちにこれを批判する声が、左派ネットワーカーの間から起きた。以前から民主党を批判していた人たちに加えて、総選挙の前には民主党を熱心に応援していた人たちの間からも批判の声が上がったのだが、こうした批判の声を、「どんな政府が出来たら満足なのだろう?」などと冷笑したブログがあった。これを見てみると、政権発足早々、記者クラブ問題で早くも見切りをつけたかのように、平野博文や鳩山由紀夫を叩く者たちが出てきた、あいつらは自ら少数派の道を選んだのだ、などと得意げに書いて、当時80%あった内閣支持率をバックに多数派気分を満喫していた全体主義者の愚かしいコメントが確認できる。私は最近よく思うのだが、「政権交代」の旗を振っていた者の何割かは、このような全体主義者たちではなかっただろうか。上記のおバカなコメンテーターは、自らブログも運営していて、現在そこでは数か月前に平野博文をマンセーしていたことなどほおかむりして平野を非難しているのだが、おあいにくさま、私は当該ブロガーが過去に書いたことをしっかり覚えている。馬齢を重ねたくはないものだ。
ネット全盛の時代になって、良くなったことと悪くなったことの両方があると思うが、私見では良くなったことの最たるものは検索機能の充実と過去の情報の蓄積だと思う。たとえば、最近東京地検特捜部を擁護している元東京地検特捜部長の宗像紀夫が、昨年4月1日の朝日新聞に掲載されたインタビューでは東京地検を批判していたことは、ネットで調べればすぐにわかることだし、私のようにブログを運営していれば、アクセス解析によって、どのような検索語でブログを訪問してくださる方が多いかがわかり、おかげで過去の宗像紀夫の発言を容易に見つけることができた。つまり、簡単に「過去を水に流す」ことはできなくなってきている。城内実や平沼赳夫がレイシスト発言を発するたびに、彼らの過去の言動を蒸し返すブロガーだっているわけである。こんな時代に、うっかり平野博文なんかを支持してしまった人間が、そのことについてあとから批判されるのは当然だろう。
ところで、この平野だが、誰かに似ているなあという気が前々からしてたのに、誰に似ているのか思い当たらなかった。しかし、ついに昨日、それがわかった。田母神である。田母神俊雄と平野博文は似ている。なるほど、卑しい人間は同じような風貌になっていくんだなと、妙に感心した。
ただ、あんな発言を連発すれば国民の多くから嫌われることは、平野だって百も承知のはずなのに、なぜあえて嫌われ役を買って出るのかというと、やはり鳩山政権が国民や連立のパートナーの不興を買う政策をとる時、少しでも鳩山首相を矢面に立たすまいとしている面は、必ずやあるだろう。これも多くの人が指摘していることだ。事態が現在のように推移すると、米軍基地の県外移設を民主党が曲がりなりにも捨てていないのは、小沢一郎の意向が反映されているのではないかと想像せざるを得ない。
谷垣禎一総裁ら自民党の面々が、民主党内では言いたいこともいえない、自由にものが言える自民党とは大違いだと言っている。郵政総選挙のあと、自民党では言いたいことも言えなくなってしまって、自民党議員がみな小泉の顔色をうかがっていたことをよーく覚えている私は、谷垣らの妄言を鼻で笑うだけなのだが、自民党が自分たちのことを棚に上げているのはみっともないとはいえ、かつて百花斉放の党風だった民主党で小沢一郎への批判の声を上げづらい空気ができていることは確かだ。それはそれで問題ではあるが、仮に小沢一郎がにらみをきかしていなかったら民主党政権がどういう方向に走るかは見えているように思うのである。平野博文のはね上がりぶりは問題だが、そもそも平野を任命したのは鳩山由紀夫である。平野の暴言問題は鳩山由紀夫自身の問題だととらえなければならない。
小沢一郎がにらみをきかしていれば、普天間基地移設問題でアメリカや右派勢力などの圧力に屈せず解決に至ることができるのかといわれれば、これまた疑問ではあるのだが、少なくとも小沢が手を離せば鳩山由紀夫たちは右派勢力の喜ぶ方向へと簡単になびくとともに、政権の支持率は急落し、夏の参議院選挙では民主党の惨敗が待っているだろう。それでなくとも、鳩山政権からはスピード感が全く感じられず、何もできない政権なのではないかという前々から鳩山内閣に対して持っていた疑問は、確信に変わりつつある。
月曜日のテレビ朝日『報道ステーション』で古舘伊知郎が沖縄から中継していたが、立派なハコモノとは対照的な名護の商店街の様子が映され、基地問題について住民にインタビューしても答えづらい空気があることを伝えていた。それにもかかわらず稲嶺進が勝ったことは本当に大きいと思う。『報ステ』には感心しないことの方が多いのだが、それでも名護市長選のタイミングでキャスターが沖縄に飛ぶだけまだましかもしれないと思った。あの映像を見ていると、沖縄に米軍基地があることは、もちろんアメリカにとっても日本政府が多額の金を出してくれるメリットがあるのだろうが、それ以上に「基地利権」にかかわる者たちが大勢いて、彼らが既得権益に固執していることが問題の本質ではないかと思える。日米同盟がどうのというのは見え透いた口実に過ぎない。そもそも、「日米同盟」という言葉を、リベラル・左派までが無批判に用いる現状はどう考えてもおかしい。
本当に「事業仕分け」をするのであれば、こういうところから削減していかなければならないと思うのだが、それができないのが鳩山政権なのか。革命的な政権だなどと書いて政権支持を煽る者自身が、かつて早く嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を決めろと平然と書いていたことには呆れるほかないけれど、教祖さまの教えには逆らえない、というか逆らったが最後、村八分が待っているブログ村の住民たちにはそんな勇気はなく、勇気のない人間には何も変えられないのである。こう書いても、「またあいつは教祖さまだの信者だのと書いてやがる」などと陰口を叩くのがせいぜいなのだろうが、たとえば平沼赳夫や城内実の動き一つとっても、事実は彼らの妄想に基づく願望とは全く異なる方向に向かって動いている。そういえば、城内実が「9条護憲派」だ、などというたわごとはいつの間にか聞かれなくなった。誤りを犯した者はそのことについて総括すべきなのではないか。「右も左もない」と言っていた「下翼」もまた、日本の戦争責任を総括できなかった右翼や、社会主義者を総括できなかった左翼と同じ穴の狢ではないかと思える今日この頃である。
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さて、「小沢一郎vs.検察」との構図で語られる現在だが、昨年の事件には「西松事件」という呼び名がついたのに、今回は事件の名前さえついていない。まさか「石川議員逮捕事件」というわけでもないだろう。このこと自体が事態のわけのわからなさを象徴している。「水谷(建設)事件」でもあるまいし、「小沢事件」と呼ぶわけにもいかないから、せいぜい「小沢問題」などと呼ばれることがあるようだ。
で、この「小沢問題」が現在の政治権力である民主党を支配しているとされる小沢一郎と、検察のバトルであることは疑いがないと私は考えている。権力対権力のぶつかり合いであるが、昨年の西松事件の捜査で結果を出せなかった東京地検特捜部が、しゃかりきになって無理筋の捜査をしている現状であるように見える。
予告に反して何度もこの件を取り上げたのは、それだけ今回の検察のやり方に強引さが目立ったからだ。それと同時にマスコミの「検察リーク報道」も一段とひどくなっていた。これに対して、民主党の枝野幸男が「捜査途中の供述が起訴、公判の前に報道されるのはおかしい。検察官には守秘義務があり、リークだとしたら国家公務員法違反だ」と言った。この法律に違反すると、最高で懲役1年の刑が課せられる。
江川紹子が、リクルート事件におけるリーク報道について触れているが、江川はリクルート事件が発覚する前年の1987年まで神奈川新聞の記者だった。だからこそ、リクルート事件の報道を思い出して、それに対する違和感を表明しているのだろう。
私は最近、ロッキード事件当時の報道はどうだったかと思い返している。なにしろ古い話であって、おぼろげな記憶しかないのだが、現在ほどひどいリーク報道ではなかったような気がする。しかし、元日経記者で「FACTA」編集長の阿部重夫氏は、ロッキード事件について下記のように語っている(下記URL)。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20081009/316554/
この事件では文芸春秋に掲載された立花隆氏の記事が全国紙の記事を圧倒しました。当時の首相で後にロッキード事件絡みで逮捕される田中角栄氏の金脈を膨大な取材データから暴き,田中退陣のきっかけを作ったとされる内容だったためです。警察などからのリークが多い新聞報道とは全く異なる徹底した調査報道を見せ付けられたことは,大きな衝撃でした。
(『日経コミュニケーション IT Pro』?「時代錯誤の舞台装置はもういらない---続々・「マスゴミ」と呼ばれ続けて」より)
やはりロッキード事件でもリーク報道はあったようだ。しかし、フリーの立花隆は独自の調査によって田中角栄の犯罪を暴いた。最近気になるのは、ロッキード事件はアメリカの陰謀だったなどとする説が、反権力を気取る人たちの間でまことしやかに語られていることだが、昔はこんな陰謀論は渡部昇一のような極右が唱えていたことだ。これに対する反論は、たとえば『Apes! Not Monkers!』に掲載された「金大中事件関連外交文書公開とロッキード事件」を参照されたい。
ただ、報道の側からしても、検察リークに依存していたのでは、ろくな事件報道ができないことは確かにいえると思う。そして、マスコミの問題点だが、現在の東京の大新聞やテレビ局の記者たちとは、いったいどんな人たちだろうかと最近よく思う。
昔だったら、新聞記者というとベトナム戦争で命がけで取材した特派員の印象が強かった。特に有名なのは朝日新聞の本多勝一だが、ポル・ポトのカンボジア大虐殺を早くから報じていた井川一久や、カメラマン石川文洋の印象も強い。石川文洋は一昨年、『カラー版 四国八十八ヵ所―わたしの遍路旅』という本を岩波新書から出したが、ベトナム戦争取材で亡くなったジャーナリストたちを悼む文章がところどころに挿入されていて、印象に残る。戦場の特派員ではない政治記者であっても、毎日新聞の西山太吉記者のように、沖縄返還をめぐる日米政府の密約を暴いたところ、権力にはめられて逮捕され、有罪判決を受けた記者もいる。
そんな印象があったものだから、私は比較的最近までジャーナリストというか新聞記者たちに畏敬の念を持っていたのだが、ここ数年でその幻想が音を立てて崩れていった。先々週だったかのテレビ朝日『サンデープロジェクト』で、朝日新聞の星浩が、最近の若い記者は地方の支局の勤務を嫌がるとか政治家とメールのやりとりをしているなどと言っていたのだが、そんな彼らに果たしてどの程度の仕事ができるかと思ってしまうのである。
政治家の世界でも世襲議員が幅を利かせているが、大新聞や在京テレビキー局も似たようなものであって、よく誰それの息子や娘がどっかのテレビ局に入社したなどという話を聞く。昔はブン屋というとやくざな商売だったはずが、今や超エリートで世襲が幅を利かせている。そんな人たちが検察からリークを受ける。そんな報道が、権力をチェックするものなどにはなり得ないことは、あまりにも自明だ。記者時代、自民党の政治家や読売新聞の渡邉恒雄(ナベツネ)と親しかった西山太吉は、決して左翼ではなかったはずだが、ジャーナリストの使命を自覚しており、だから沖縄密約を暴いた。今の新聞記者にそんな職業精神があるだろうか。権力と一体となっているのではないだろうか。そういえば、「権力と一体となったジャーナリズム」はナベツネの理想だった。
こう書くと、民主党政権だって権力じゃないかと反論されると思う。確かにそうなのだが、ここで考えるべきは司法、行政、立法、マスコミ、それに経済界などから形成される権力の間の力学である。検察は実は司法ではなく行政にカテゴライズされる組織であるが、内閣からある程度の独立性を有することが要請されていて、実質的に司法に属する面も持つ。だからややこしくて、行政に属するからこそ法務大臣が検事総長に対してのみ指揮権を有する。しかし、それよりも何よりも、上記の互いに独立性が求められる権力が結託しないかどうかチェックする必要がある。本来、三権に対するチェック機能がジャーナリズムには求められたのだが、それが全く機能していない現在、第三者が三権とマスコミをチェックするしかない。そしてその機能は、ネットにも求められると思う。「検察リーク報道」への批判は、国家公務員法違反の問題もあるが、検察権力とマスコミの癒着を許してはならないという観点からも、絶対に欠かせないのである。
もちろん、金権政治への批判も欠かせないし、検察や警察の捜査官が取り調べの際に違法行為を働いて人権を侵害することも防止しなければならない。この2点に関しては、民主党が昨年夏の総選挙に向けて企業・団体献金の全面禁止と取り調べの全面可視化(取り調べの録音・録画など)を公約していたのだから、まず何よりも民主党がその公約を守るかどうかをチェックすることがメディアには求められる。もしメディアがこれを怠るようであれば、実質的に民主党政権と癒着していることになる。
後者の取り調べの可視化は、何も石川知裕や小沢一郎の人権を守るためにあるのではない。足利事件などの冤罪事件を起こさせないために必要不可欠であり、先進国では当たり前の制度だ。法案が自公政権当時の野党によって提案され、参議院で可決されたこともある。毎日新聞のアンケート(「えらぼーと」)でも、取り調べの可視化に関する設問があるが、民主党衆院議員の95%、社民党、共産党の全員、公明党の90%、国民新党の亀井静香を除く全員が賛成している。平沼一派でさえ、城内実は反対しているものの、平沼赳夫と小泉龍司は賛成している。自民党だけは反対の方が多いが、それでも賛成者が45%を占める。反対意見を表明している顔ぶれを見ると、安倍晋三、麻生太郎、町村信孝、鳩山邦夫、石破茂、平沢勝栄、小池百合子、稲田朋美、下村博文、高市早苗、小泉進次郎らの名前が並んでいる。取り調べの全面可視化は、警察や検察が強く反対しているのだが、同様に反対する政治家は、筋金入りのタカ派か極右に限られているし、極右の中にも平沼赳夫のような賛成派もいる。
足利事件の再審について論じた1月23日付の朝日新聞社説は、取り調べ可視化を求める論調ではあるが、
などと書いている。だが、上記のように全面可視化は実施されて当然なのであり、朝日社説の書き方はおかしい。正しくは、全面可視化を公約としてきた民主党内には、ここにきて可視化法案の国会への早期提出、成立をいう動きがある。だが、もしこれを小沢一郎幹事長の資金問題をめぐる検察への圧力に利用しようとするなら、まったくの筋違いである。
と書くべきなのである。こんなところからも、新聞が権力へのチェック機能を果たせていないことが露呈している。政府と検察の取引は、絶対に許してはならない。もしこれを小沢一郎幹事長の資金問題をめぐる検察との取引材料に利用しようとするなら、まったくの筋違いである
だが、それでも朝日新聞は取り調べ可視化を求めているだけまだマシで、日経新聞は朝日同様明確に取り調べ可視化を求めているが(日経は財界の主張に沿った主張をするが、こういう件は財界との利害関係はないから正論が書ける)、これが毎日新聞になると歯切れが悪くなるし、読売新聞になると消極的になる。そして、産経新聞に至っては「可視化法案 許されない検察への圧力」と題したトンデモ社説を書く始末だ。産経新聞がジャーナリズムとはいえない理由がよくわかる。
地方紙では保守的といわれる新聞を含めて、大部分が取り調べの全面可視化を求めている。四国新聞のオーナー一族の平井卓也(自民党)は取り調べ可視化に反対しているが、幸か不幸か四国新聞には社説はない(笑)。
今日も長くなりすぎたので以下はしょるが、昨年の西松事件のさなかに小沢一郎自身が言い出した、企業・団体献金の全面禁止も法制化すべきだ。最近鳩山由紀夫首相が、取り調べ全面可視化と企業・団体献金全面禁止の両方について、今国会の提出に消極的な発言をしたが、こんな姿勢では産経新聞や自民党は喜ぶかもしれないが、国民から不信をもたれるだけである。マスコミにはこういう鳩山発言こそ厳しく批判してほしいし、それができないマスコミをネットはビシビシ叩くべきだと思う今日この頃である。
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以下引用する。
「観念右翼」という言葉は、右派無所属代議士・平沼赳夫の義父で、東京裁判により終身禁固判決(講和前に病死)を受けた長老政治家・平沼騏一郎につけられた名である。彼は、昭和のはじめから政変や事件などのたびに、枢密院や司法畑での権力をバックとして歴史に顔を出した政治家である。
なぜ戦争が起きたか、ということは当塾にとって切り離せないテーマである。ことに昭和に入ってからは、軍部・政治・右翼の3勢力が微妙にからみ合いながらその底流をなしてきた。右翼といってもいろいろあり、一人一殺の井上日召のような在野の「行動右翼」に対して、政治に影響力を持つ「観念右翼」ということになったのだろう。そういえば、戦後「観念左翼」という言葉もあった。
平沼騏一郎もバイプレーヤーとしてではなく、系統的に調べたいと思ってはいたが、どうにもつかみにくいのだ。思想の源流は、戊辰戦争以前の攘夷思想を出るようなものではなさそうだし、彼の思い入れとは逆に、元老・西園寺公望や天皇からは毛嫌いされ、なかなか首相になれなかったらしい。
日独伊三国同盟は天皇の意志に反し、陸軍と駐独・駐伊大使が先走りしたことから始まった。その時の首相であった平沼は重大な責任を負っていたわけだが、彼自身の態度がどっちを向いているのかもうひとつはっきりしない。
さらに、太平洋戦争末期には、近衛文麿と組んで東条首相引きおろしに一役買ったり、支持基盤であった陸軍皇道派を裏切って終戦に導いたりするなど、「右翼だからこう」といった単純な発想とは結びつかないのだ。
(『反戦塾』 2010年1月21日付 「観念右翼」より)
同ブログ管理人のましまさんが書かれているように、先の大戦における平沼騏一郎の役割には、いまひとつはっきりしないところがある。平沼騏一郎は、首相退陣後はむしろ翼賛体制に逆らって、大政翼賛会を公事結社として政治活動を禁じたり、岸信介商工次官を辞任に追い込んだりもして、その結果、自ら極右といわれた人物でありながら、右翼に襲撃されて弾丸6発を被弾する重傷を負ったり(1941年)、ポツダム宣言の受諾に賛成して、終戦直前に自宅を焼き打ちされたりした(宮城事件、1945年)。
そのあたりはなかなか興味津々ではあるのだが、帝人事件までの平沼の行動はそれなりに一貫していて、要するに司法官僚として常に陰謀をめぐらせ、政党政治を崩壊させた張本人である。
例によって『kojitakenの日記』に「平沼騏一郎に関するメモ」を書いたので、そちらもご参照いただきたいが、帝人事件もさることながら、大逆事件における幸徳秋水らの謀殺や、治安維持法の制定など、平沼騏一郎が戦前の政治史において犯した悪事は、現在の政治状況を考える上からも、再認識されるべきではないか。
どういうわけか、野党支持の論者の間には、右系・左系・宗教系を問わず、「三権分立」の建前を盾にして検察批判をタブーにしてしまう態度が見受けられるが、私は、前の自民党(自公)政権であろうが民主党(民社国)政権であろうが検察であろうが、どれも権力には変わりなく、いずれに対しても先入観を排した批判的態度が求められると思っている。もちろん、人によって批判の強弱はあって当然だが、最初から検察批判をタブーにする態度はいただけない。
前振りが長くなってしまったが、今日のエントリの主な標的は、前回予告したように平沼赳夫である。前記の『反戦塾』は、平沼赳夫を下記のように評している。
いずれ、平沼騏一郎論が書けるような材料があれば改めて書いてみたいが、多分義父の騏一郎がこうだから右翼新党を画策する平沼赳夫もこうだ、という結論にはならないだろう。また、そういった遺伝(もっとも血縁はないが)的因子に重きを置くのは私の趣味に合わない。
ひとつ言えることは、平沼赳夫が事業仕分け人を務めた民主党の蓮舫参院議員について、「元々日本人じゃない」と発言し、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と言ったことを問題視するようでは、次元の低い国粋主義と偏見・差別意識を露呈したに過ぎず、「観念右翼」どころか「ネット右翼」の域さえ出ないということを発見できたことである。
(『反戦塾』 2010年1月21日付 「観念右翼」より)
同様の評価は、『日本がアブナイ!』のmewさんもしていて、
と酷評されている。平沼赳夫氏は、自民党時代に比べて、
随分、発言の品格が薄れて来て、ややネトウヨ的になっている
感じがしてしまう今日この頃なのだが・・・。
平沼が蓮舫を誹謗中傷したひどい発言に関する論評は、前回もリンクを張った毎日新聞記事につけられた「はてなブックマーク」のコメントで出尽くしていると思うので、当エントリでは、平沼のトンデモ発言史を振り返って、改めて平沼を嗤うことにしたい。
まず平沼は、「アインシュタインの予言」なるデマを信じていた(笑)。
それから一昨年には、中国が「パンダ外交」を展開しているさなかに上野動物園のパンダが死んだ時、
などと発言し、伝聞形とはいえ、あたかも中国がパンダ外交をやりやすくするために、上野動物園が中国の意を受けて(?)パンダを見殺しにしたとも言わんばかりだった(当ブログ2008年5月12日付エントリ「タカ派政治家の劣化?中曽根康弘と平沼赳夫の激しい落差」で紹介した)。山本一太を「抹殺するぞ」と脅した件も有名だ。タイミングよくパンダのランラン(ママ)が死んで、何らかの策謀があるんじゃないかと言う人もいた
脅迫の件はかなり悪質だが、アインシュタインとパンダの件はむしろ滑稽であり、このあたり養父の平沼騏一郎との差は歴然だが、平沼赳夫にはことあるたびに雑誌の取材に答えて新党結成をぶち上げる習性もあった。当ブログの2007年10月27日付エントリ「極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫」でも、『サンデー毎日』に掲載された平沼の極右新党構想の記事を紹介している。痛快なのは、この記事で私が、平沼の野望は実現しないだろうと予言し、それが当たったことだ。以下引用する。
結局、平沼は衆院選で自民党が過半数を割るものの、民主党も過半数に至らない状況となった時、自民党と民主党の極右勢力を集めてイデオロギー的な新党を立ち上げ、自民党と連立を組むという程度の、稚拙な構想しか持っていないのではないかと思う。実際、『サンデー毎日』の記者に対し、平沼は衆院選での自民・公明の連立与党は過半数241議席にわずかに足りない240議席くらいに減らすのではないかと予想している。
きわめて甘い読みである。小選挙区制においては、獲得議席数は政党の得票率に比例せず、極端な結果になることが多い。一昨年の郵政総選挙と今年の参院選が良い例だ。
選挙の結果は、一番ありそうなのが民主党の大勝だが、民主党にスキャンダルが続出したり国会で下手に与党と妥協したりすると、結果は一転して与党の勝利になる可能性もある。平沼が望む「連立与党が過半数にわずかに足りない」という結果になる可能性ももちろん少しはあるが、それは、よほど平沼にとって運の良い場合に限られるだろう。
そんなかすかな可能性をあてにして、結局自民党政権の延命に寄与するだけの新党を立ち上げようとしているのが平沼赳夫なのだ。仮にそうした新党ができて自民党と連立した場合、最終的にその新党は自民党に吸収されることになるだろう。そうすれば、めでたく平沼は自民党に復党し、念願が実現する。平沼とは、どこまでも自民党へのこだわりから脱せない男なのである。
(当ブログ2007年10月27日付エントリ「極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫」より)
ただ、自民党政権が倒れたあとになってもなお、平沼が新党を立ち上げて自民党と組もうとすることまでは予測できなかった(笑)。
ところで、こんなDQN平沼だが、一つだけ笑い話ではすまされないことがある。それは、昨年2月24日に平沼が「10年ぐらい選挙を凍結して挙国一致内閣をつくり、難局に立ち向かわないといけない」と述べたことだ。『DAILYSQUARE POINT』は、昨年2月25日付エントリ「教えて!平沼さん、選挙の凍結ってどうやるの?」で、下記のように鋭く平沼を批判している。
平沼氏のプランはあまりに独創的で、私にはどうやったらそんなことが実現できるのか想像もつかない。戦前の日本においてさえ、選挙を凍結した例を私は知らない。大政翼賛会あたりが平沼氏の発想の根幹にあるのかもしれないが、翼賛政治体制のもとでさえ、選挙が凍結されたことはなかったはずだ。
実際に平沼氏のプランを実現させようとした場合、もっとも難しいのは選挙を10年間凍結するという部分である。これは国民の所与の権利を停止するに等しいため、戒厳令を施行して、現在の憲法の効力を停止しなくてはならないだろう。しかしその戒厳令に関する規定は現憲法のどこにもないため、自民・民主の大連立政権を組閣した後、衆参両院の2/3以上の賛同をもって憲法の改正を発議し、国民投票にかける必要がある。
実にすごいアイデアである。憲法改正に時間がかかり、とても経済政策を実行するどころではなくなるだろう。
ちなみに、過去日本において厳密な意味での「戒厳令」は発布されたことがない。大日本帝国憲法において戒厳は天皇が宣するものであるが、例えば日比谷焼討事件や2.26事件などでは、緊急勅令、つまり「緊急時の法律に代わるものとして天皇が発布したもの」として適用されたケースがある。憲法条文をも含む効力停止は日本の憲政史上、一度も行われたことがない。
平沼氏は、戦前戦後を通して一度も行われたことのない提案をさらりと言ってのけたわけだが、彼の曾祖叔父にあたる平沼騏一郎でさえそんな発想はなかったろう。平沼氏は適当に思いついたことを口にしたのか、それとも実現できるとの自信をもってそう述べたのかは定かではないが、少なくとも政治の世界に身を置いて経験も知識も豊富と思われていた平沼氏も、無所属議員の不遇をかこつ中で「只の政治好きのおっさん」になってしまったようだ。
(『DAILYSQUARE POINT』 2009年2月25日付エントリ「教えて!平沼さん、選挙の凍結ってどうやるの?」より)
曾祖叔父・平沼騏一郎をも凌ぐトンデモ極右にして、蓮舫参院議員について「元々日本人じゃない」と発言した、城内実に勝るとも劣らないレイシストの平沼赳夫センセが立ち上げるという極右新党に、いったい誰が参加するのだろうか。今から楽しみでならない。
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しかし、今回の石川議員逮捕劇では、小沢一郎の説明責任を問うよりも、東京地検特捜部を強く批判した。何故か。それは、彼らが全然結果を出せなかったからだ。当ブログは小沢一郎退陣を求めてから19日後の昨年3月23日には、「ネズミ一匹出なかった「西松事件」とひどかった「リーク報道」」で既に結果を出せなかった検察と、そのリークを垂れ流すだけのマスコミを批判する記事を公開している。但し、記事をお読みいただければおわかりと思うが、私は小沢一郎に対するスタンスを変えたわけではない。検察とマスコミに対するスタンスを否定的なものへと変えただけだ。結果を出せなかった者を評価せず、疑いの目を向けるのは、政治に絡む問題を論じる上ではあまりにも当然の態度だ。
そんな私だから、今回の石川議員逮捕劇では、最初から検察やマスコミを厳しく批判している。昨年の西松事件の捜査でも十分な結果を出せなかった東京地検特捜部が、今回は通常国会召集直前の金曜日深夜に、国会議員を逮捕するさらなる暴挙に出た。昨夏の総選挙で政権は自民党から民主党に交代しているから、構図は国策捜査ではあり得ず、権力と権力の正面衝突であり、双方に対する批判精神が求められると思うが、どちらか一方にしか批判の目を向けない人が多すぎる。私が検察やマスコミを批判するだけで、「小沢信者」と歩調を合わせている、などと評する読者もいるが、馬鹿を言っちゃいかん! あんたらには文章の読解力があるのか! そう言いたい。私の小沢一郎に対するスタンスは昨年3月4日に民主党代表辞任を求めた時と全く変わっていない。変わったのは、マスコミ及び検察への評価を大きく引き下げたこと、それだけだ。
ネットを見渡しても、私同様検察やマスコミへの評価を引き下げたブログは多い。たとえば『反戦塾』がそうだ。同ブログは、
と書いていることからもわかるように、かつて小沢一郎代表(当時)の辞任を求めるエントリを上げていたのに、今では検察やそのリークを垂れ流すマスコミを批判している。このブログでもこれまでに小沢氏に関する記事を書いてきたが、小沢氏の金権体質はぬぐいようがなく、その政治的信条や政治手法からみても代表は辞任すべきだと書いたことがある。
そもそも検察が歴史的に何をしてきたか。そこから見ていくべきだろう。このことに関連して、当ブログが昨年4月11日付のエントリ「『文藝春秋』5月号?平凡だった立花隆と驚かされた中西輝政」で取り上げ、『kojitakenの日記』及び当ブログの前回のエントリでも触れた、右翼学者・中西輝政の論文に関して、読者から批判のコメントを受けているので、これに言及しておく。
これらは、『文藝春秋』の昨年5月号に掲載された、中西輝政の「子供の政治が国を滅ぼす」と題された論文を紹介した文章であって、周知のように中西は「正論」文化人にして安倍晋三のブレーンでもある極右学者だが、その中西が「司法の暴走が昭和史を歪めた」という主旨の論文を書いたのを読んで驚き、これを昨年4月の当ブログで取り上げた次第だ。ここで中西は検察によるデッチ上げ事件である1934年の「帝人事件」を引き合いに出し、
と書いた。これは、前述の昨年4月11日付当ブログ記事で紹介した通りだが、Black Jokerさんから、帝人事件以前の「五・一五事件」(1932年)によって戦前の政党政治は終わっていた、「帝人事件」をきっかけに「検察による政党政治への挑戦」を受け、その結果として政党政治が転覆された、というのは史実に反する、というご指摘を受けた。さらにぽむさんからは、これは中西輝政の斎藤実内閣への過大評価である、史実は斎藤内閣時代に満州国を承認し、国際連盟を脱退したし、小林多喜二の虐殺、滝川事件なども起きているとのご指摘をいただき、中西のような極度に偏向した学者の論文を紹介する際には十分な慎重さが求められる、とのお叱りも受けた。端的に言えば、戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察のデッチ上げの疑獄事件だったのである。
幸い、手元にまだ『文藝春秋』の当該号が残っていたこともあり、当ブログの過去ログを読み返しながら、再度中西の論文を吟味してみたのだが、結論から言うと、中西の論文にも当ブログのエントリにも、「帝人事件が政党政治を終わらせた」とはどこにも書かれていない。但し、そう誤読されても仕方ない文章になっていた。中西の歴史認識にも確かに問題はあるけれども、それ以上に私の引用が誤読を誘う主な原因になっている。
中西論文の、当ブログの過去のエントリには引用しなかった部分に、下記のように書かれている。
よく、「五・一五事件で、戦前の政党内閣制は崩壊した」と言われるが、斎藤内閣は実質的には政党に支えられた内閣といえた。首相の斎藤実こそ海軍出身だったが、高橋(是清)、鳩山(一郎)、三土(忠造)は政友会に属し、主要官僚には多くの政党人が起用されていた。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)
つまり、中西は斎藤内閣が政党内閣とはいえない史実は一応おさえているわけで、それを引用しなかった当ブログに問題があったかもしれない。ただ繰り返すが、当ブログも「帝人事件が政党政治を終わらせた」とは書いていない。
中西は、戦前の検察官僚(元検事総長)だった平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)が、「政党政治に対して半ば公然と反対の姿勢をとっていた」とか、「政党つぶしを目論」んでいた、とは確かに書いている。しかし、それは「帝人事件」を単独に指すものではなく、極右としても有名な平沼騏一郎という男が一貫してとってきた態度を指す。これについては、昨年4月の「ダイヤモンド・オンライン」に上久保誠人氏が書いているし、『kojitakenの日記』でも、「戦前には極右・平沼騏一郎が牛耳っていた検察」と題した記事で、上久保氏の記事を引用しながら平沼騏一郎がなした主な悪事をまとめた。特に上久保氏の記事を参照いただくと良いと思うが、平沼騏一郎は約100年前に、汚職事件に関連している政治家を罪に問うかどうかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとする「政治的検察」を誕生させた。その頃平沼騏一郎は、大逆事件で幸徳秋水らに死刑を求刑している。1914年のジーメンス事件では山本権兵衛(ごんのひょうえ)首相を失脚させた。1925年には加藤高明内閣に接近して治安維持法の成立を認めさせ、この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党や共産党を弾圧した。これらは、中西論文には書かれていないけれども、中西が、平沼騏一郎(検察)が政党政治を破壊しようとしたと書いたのは、こうした事実を踏まえてのことだったと考えるべきだろう。「帝人事件」はその総仕上げに過ぎなかった。中西は、戦前の日本が道を誤ったのは、一般的には軍部の暴走が原因だったとされているが、それは結果であって原因ではない、原因は政党政治を内部から崩壊させていったことだ、と主張しており、それを行ったのが検察であり、そのトップに立っていた平沼騏一郎だったと指摘している。斎藤内閣は続く岡田内閣とともに、軍人首班ながら、政党人を多く入閣させた「中間内閣」とされていて、斎藤内閣は軍国主義化を止められず、岡田内閣時代は「二・二六事件」で倒れたが、斎藤内閣成立の時には、軍部及び政友会右派は軍人の斎藤よりも検察官僚の平沼を総理大臣にしようとしたし、岡田内閣時代には平沼に近いとされた蓑田胸喜(みのだ・むねき)らが岡田内閣を攻撃したとのことだ(注:これらについても中西論文に書かれているわけではなく、別途調べたものです)。つまり、戦前において平沼騏一郎は一貫して政党政治を攻撃し続けたとんでもない人間だった。「戦前政治のガン」と言っても良いだろう。検察には、こんな歴史があるし、私が常日頃から批判して止まない平沼赳夫の養父・平沼騏一郎は、そんな戦前の検察のトップに立って、政党政治の破壊を自らの使命としていたかのような人物だった。岸信介の比ではないほどたちの悪い人間だったと、私には思える。
戦後、平沼騏一郎はA級戦犯容疑で逮捕され、東京裁判で終身禁固刑の判決を受けて、1952年に病気で仮釈放された直後に死亡したが、平沼が築いた検察の伝統である政党政治への攻撃は、戦後も続いた。昭電事件や造船疑惑などがその現れとなった事件だ。政権政党と官僚との癒着が進んだ自民党政権の後半期には、検察が政権与党を攻撃することはほとんどなくなったが、その方が例外的な時代だったのかもしれない。
安倍晋三のブレーンである極右の中西輝政を弁護することなど当ブログの本意ではないのだが、本件に関しては、斎藤実内閣への評価が甘いことなどを除けば、中西は間違ったことは書いていないと思うし、むしろ読者の誤読を誘ったのは私の引用に問題があったと思われるので、それだけは書かねばならないと思った次第である。もちろん、中西の思想信条に私が露ほども共感していないことはいうまでもない。だが、権力と権力のぶつかり合いである現状を分析するのに、マスコミが主導して世論の主流になっている意見は、検察への批判が弱すぎるように私には思えるし、昨年の中西論文は、戦前の検察のゆがんだ権力行使を批判した点で、一定の評価は与えられるのではないかと考える。この論文は、中西がブレーンを務める安倍晋三らの利益に沿ったものにもなっていない。だから、極右学者の論文であることを百も承知の上で、あえて紹介した次第だ。もっとも、確かにぽむさんが指摘されるように、戦前の政府の戦争犯罪については評価が甘く、私の引用の仕方にも問題があったのは確かで、この点については真摯に批判を受け止めて反省したい。
平沼騏一郎の養子である平沼赳夫は、17日に岡山で開かれた政治資金パーティーで、極右新党結成をぶち上げたが、その際にレイシズム剥き出しのトンデモ発言を行った。これは毎日新聞が報じ、『日本がアブナイ!』も紹介し、毎日新聞記事についた400件を超える「はてなブックマーク」に添えられたコメントの大半が、平沼赳夫を批判するものだった。今日のエントリでは平沼赳夫批判にもスペースを割くつもりだったが、平沼騏一郎批判が長くなりすぎたので、赳夫批判の方はまたの機会に回したい。
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民主党における小沢支配は、確かに由々しき問題だし、いずれそう遠くないうちに民主党も国民も小沢一郎を乗り越えなければならないと私は考えている。それには、「政治とカネ」の問題ももちろん含まれるし、小沢一郎や鳩山由紀夫、菅直人をはじめとしてほとんどの民主党議員が主張している、衆議院の比例区定数80削減は、なんとしてでも止めなければならない。
だがそのことと、どう考えても無理筋の、今回の東京地検による石川知裕議員の逮捕劇は話が別だ。一言で言うと、小沢一郎は、今後、民主党にとっても国民にとっても乗り越えなければならない存在だが、乗り越えるべきは民主党員あるいは国民なのであって、東京地検特捜部というか検察権力では断じてない。ましてや、自らの既得権益を守ることに汲々としているマスコミなどでは絶対にない。
今回の件は、検察による政党政治への挑戦である。前回のエントリ「岸信介一派は追及されず、角栄系列ばかりが追及される怪」は、石川議員逮捕の前に書いたものだが、当ブログとしてはおそらく過去最多の、300件を超える「ブログ拍手」をいただいた。これは、記事中で前々回のエントリ「産経新聞と自民党は潰れてもらった方が世のため人のため」にいただいた「ブログ拍手」の数に言及した影響もあったのだろうけれども、今回の石川議員逮捕や、それに至るまでに東京地検特捜部の捜査、それに「検察リーク」を垂れ流すだけのマスコミ報道に納得しない読者の方々から、記事の内容にご賛同をいただいたものだと思っている。
前回のエントリでも書いたように、1989年に小沢一郎が自民党幹事長に就任した時以来、私は一貫してアンチ小沢だったし、1994年に反小沢の自社さ連立政権が成立した時にはこれを支持した。そして、昨年の西松事件の際には、早々に小沢一郎代表の辞任を求める記事を書いて、これに反発した「自エンド」主流の方々と袂を分かった。そのおかげで「裏切り者」と言われ、「自公の工作員」呼ばわりまでされたものである。しかし、そんな私でさえ、今回の石川代議士逮捕には抗議の声を上げるしかないし、16日に開かれた民主党大会で小沢一郎への批判の声が上がらなかったことを、異常とも何とも思わない。異常なのは東京地検特捜部の方である。
そもそも、石川議員が逮捕されるのなら、昨年の西松事件捜査の時に可能だったはずだし、それなのに、通常国会召集を翌週月曜日に控えた週末、金曜日の深夜になって、虚偽記載による政治資金規正法違反で国会議員を逮捕するとは、どう考えてもおかしい。現在は自民党政権から民主党政権に代わっているから、「国策逮捕」という表現は当たらないかもしれないが、思い出せば2006年のライブドア事件だって、前年の総選挙に自民党が候補に立てた堀江貴文が逮捕されたのであり、あの捜査は小泉純一郎、竹中平蔵、武部勤ら政権首脳の利益に反するものだった。あの当時私は、ライブドア事件を「旧保守による新保守への挑戦」という権力闘争だととらえ、大谷昭宏の「これは良い国策捜査だ」という言葉にうかつにも共感してしまった上、そのことを昨年にもブログに書いて批判を受けたが、これは批判者の方が正しくて私が間違っていた。そもそも、小泉政権にダメージを与えたライブドア事件の捜査を「国策捜査」だととらえること自体矛盾している。小泉純一郎や竹中平蔵とは異なるベクトルを持った勢力が政権に挑んだ権力闘争として、もっと突き放したとらえ方をしなければならなかった。あの時、東京地検特捜部に期待する発言をした大谷昭宏自身も、昨日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』では検察を批判していた。
自民党の新自由主義勢力に敵対的と推察される検察権力だが、昨年の西松事件や今回の石川議員逮捕などを見ていると、民主党というか小沢一郎に対しても敵対的だとみなせる。そして、検察は過去、ロッキード事件で田中角栄を逮捕したが、田中よりはるかに薄汚れた、否、どす黒く汚れ切った岸信介を逮捕することはついになかった。そう考えると、彼らは岸信介系列の旧保守タカ派勢力と高い親和性を持っているといえるのではないか。私は彼らがアメリカの意を受けているとは思わないし、清和会の中にだってリクルート事件に関係したために総理大臣になり損ねた安倍晋太郎のような人物もいて、逆に経世会の野中広務が検察の網にかからなかった例があるから、全部が全部とはいえないけれども、少なくとも傾向としては、検察権力が清和会系の旧保守タカ派勢力と高い親和性を持っているとはいえると思う。
こう書くと、すぐに陰謀論だと言われるし、一昨日に『kojitakenの日記』に書いた記事「中西輝政に教えられる時代がくるとは」は一部からそのように評価されているが、政治に陰謀がつきものなのは当然である。実際、岸信介や佐藤栄作がCIAから資金援助を受けていたことは、アメリカにおける文書公開によって公知の事実となっているし、前記『kojitakenの日記』の記事で孫引きした右翼学者・中西輝政の論文(『文藝春秋』2009年5月号掲載の「子供の政治が国を滅ぼす」)が指摘しているように、1934年に検察がでっち上げた「帝人事件」によって斎藤実政権が総辞職に追い込まれ、その背後には司法官僚出身で当時枢密院副議長を務めていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)がいたとされる歴史的事実もある。そもそも陰謀を仮定すること自体は陰謀論ではない。それを陰謀論だと言うなら、たとえば、デヴィッド・ハーヴェイは、新自由主義を「富裕層が格差を拡大して階級を固定するためのプロジェクト」だとする仮説を立てているのだが、それだって陰謀論になってしまう。いや、右側の論者はハーヴェイこそ陰謀論者だと言うに違いないけれども、陰謀を行うのは権力を持った者に限られるのである。もちろん力のない者も陰謀を企むけれども、そんなものは何の効果もないので論じるに値しないのだ。そして、岸信介や佐藤栄作がCIAから資金援助を受けていた件のように、証拠が現れれば陰謀の事実が確定するし、陰謀仮説を否定する材料が現れれば仮説を修正するか、または棄却するだけの話だ。それでは、何をもって「陰謀論」だとか「陰謀論者」などと批判するかというと、それは仮説がドグマと化してしまって批判を許さず、批判者を「裏切り者」とか「工作員」呼ばわりするような輩のことをいう。実際、私自身も「アメリカから金をもらっているに違いない」と書かれたことがある(笑)。
「陰謀論」論はこのくらいにしておいて、ここらで昨年の西松事件の公判について眺めてみよう。当ブログ管理人は大ざっぱな人間なので、いつも細かく政治のニュースを追いかけている『日本がアブナイ!』の記事に助けられているのだが(当ブログが大騒ぎしてネットで広めた城内実の国籍法反対に絡んだ差別エントリも、同ブログ経由で知ったものだった)、昨日(1月17日)付の「検察が焦ったのは、小沢&石川への不信と、大久保公判の失敗ゆえか?」も良い記事だ。エントリ後半で、昨年12月に始まった小沢一郎秘書・大久保隆規被告の後半について新聞報道がまとめられているのだが、これが全く検察の思うように進んでいないのだ。詳しくは同ブログをご参照いただきたいが、エントリ中で紹介されているのと同じ読売新聞記事について、当ブログにも「負け組みの矜持」さんからコメントをいただいているので、これを紹介する。
またまた、お邪魔します。以下の記事は全く面白いですね。
「2政治団体「ダミーと思わず」西松元幹部が証言」という見出しの記事です。読売の記事だから、皮肉を込めてですが、間違いないでしょう。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20100113-567-OYT1T01250.html
この記事によると、東京地検は窮地に立っているようです。だからこそ、またまた大久保元秘書を逮捕せざるを得なくなったようですね。実際、逃亡の恐れもないし、証拠書類も検察に取られてしまったわけだから、証拠隠滅の恐れもないし、本当に何故に今更再逮捕、と思っていたのですが、読売にさえこんな記事が出てしまうのだから、東京地検、地に落ちたと言えます。
2010.01.16 17:05 負け組みの矜持
以下、その読売新聞記事を引用する。これは、読売のサイトにも載っている。
2政治団体「ダミーと思わず」西松元幹部が証言
準大手ゼネコン「西松建設」から小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」などへの違法献金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記入など)に問われた小沢氏の公設第1秘書で同会の元会計責任者・大久保隆規被告(48)の第2回公判は13日午後も、岡崎彰文・元同社取締役総務部長(68)の証人尋問が行われた。
岡崎元部長は、同社OBを代表とした二つの政治団体について、「西松建設のダミーだとは思っていなかった」と証言した。
公判では、大久保被告が両団体を同社のダミーと認識していたかどうかが争点で、審理に影響が出そうだ。
岡崎元部長は、裁判官の尋問に対し、「二つの団体については、対外的に『西松建設の友好団体』と言っていた。事務所も会社とは別で、家賃や職員への給料も団体側が支払っていた」と説明。前任者に引き継ぎを受けた際にも、「ちゃんとした団体で、問題はないと言われていた」と答えた。
昨年12月の初公判で、検察側は、同社が信用できる社員を政治団体の会員に選び、会員から集めた会費を献金の原資にしていたと指摘したが、岡崎元部長は「入会は自分の意志だと思う。私自身は、社員に入会を強要したことはない」と述べた。
(2010年1月13日21時23分 読売新聞)
この公判の焦点は、大久保被告が2つの団体をダミーと認識していたかどうかの一点なのだが、検察側の証人がこんな証言をしたものだから、公判は一気に検察不利に傾いたようだ。
今回、石川議員らとともに、大久保隆規被告も逮捕されたが、前記『日本がアブナイ!』は、大久保被告の訴因変更を検察が裁判所に申し立てる可能性が報じる読売新聞の17日付記事を紹介しながら、
と皮肉っている。まさか、西松事件だけでは無罪判決になるおそれがあるので、
それを避けるために、訴因変更(追加?)することも意図して、
逮捕をしたんじゃないでしょうね?。(ーー)
あれほど大騒ぎした大久保隆規氏の公判は、こんな状況なのである。それでなくとも納得しがたい石川議員の逮捕劇なのに、検察のこのていたらくを知ると、今回の捜査を根拠にして小沢一郎を非難する気になどならないのは当然である。ことこの件に関しては、民主党の議員たちが小沢一郎を非難せず、逆に団結を強めているように見えるのも、異常でも何でもない。ただ、鳩山由紀夫首相が小沢一郎に「戦ってください」などと言っていることはおかしいと思うし、小沢一郎は十分に説明をしてこなかったとも思う。後者は、郷原信郎氏なども繰り返し指摘していることだ。
しかし、繰り返して書くが、今回もっとも異常なのは東京地検特捜部の無理筋の捜査であり、それを無批判で全面的に応援しているかのようなマスメディアの報道である。「検察リーク報道」の異様さは、昨年の西松事件当時以上にひどいもので、「ジャーナリズムは死んだ」と言いたくなる。
最後に、最初に書いたことを繰り返すが、小沢一郎はいずれは与野党の政治家たちや国民によって乗り越えられなければならない存在だ。だが、小沢一郎を乗り越えるべきは、あくまで政治家やわれわれ国民なのであって、検察権力などでは断じてない。検察の尻馬に乗って騒ぐだけの言論は、「検察が何とかしてくれそう」という発想に基づく無責任な態度の露呈以外のなにものでもない。そんな姿勢では、やすやすと全体主義につけ込まれてしまう。われわれのなすべきことは、今回の件を機に、企業・団体献金全面禁止の世論を盛り上げていくことであって、明らかに暴走している検察に加担して「悪玉」の捕り物に拍手喝采することなどではない。
[併読をおすすめしたいエントリ]
『広島瀬戸内新聞ニュース』より
「政党政治転覆の「帝人事件」の轍を踏んではいけない」(下記URL)
http://hiroseto.exblog.jp/11978030
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衆院選が終わって来月末で半年になるが、今になってもやはり自民党は国民の多くから相変わらず嫌われているのだなと感じる。私は民主党に対して是々非々のスタンスをとっているし、民主党を批判したエントリには逆に読者から批判を浴びることも多い。しかし、こと自民党批判となると、逆風を感じることはほとんどない。5年前の郵政総選挙の頃、あれほどネットにあふれ返っていた小泉信者たちはいったいどこに行ってしまったのだろうかと思うほどだ。
現在、ニュースでもっとも盛んに取り上げられているのが、小沢一郎の「政治とカネ」の問題なのだが、正直言って私はこの問題にあまり熱中できない。むしろ逆に、「ああ、またその話か」とうんざりしてしまうのが正直なところだ。
このところ、以前に買い込んでいながら、ブログ書きなどにかまけて読んでこなかった本を引っ張り出して読み始めているのだが、その中の一冊に、岩川隆著『巨魁―岸信介研究』(ちくま文庫、2006年;初出はダイヤモンド社、1977年)がある。奥付を見ると、「2006年9月10日 第1刷発行」とあり、安倍晋三の首相就任を当て込んで文庫化したものであることは明らかだが、私はこの本を安倍晋三が総理大臣に就任した直後に買ったのだったが、巻末に猪瀬直樹が安倍をヨイショする解説文を書いているし、おそらく岸信介マンセー本だろうと思って読まずに放置していたのだった。
だが、読み始めるとすぐに、そうではなかったことがわかった。文章のそこかしこに岸信介を批判する表現が散りばめられており、岸を「ファシスト」とまで評している。そんな批判的なスタンスで書かれた評伝である。もともとは月刊『現代』に1975年(昭和50年)から翌年にかけて連載された記事だったそうで、そういえば同じ雑誌に連載された魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社文庫、2003年;初出は講談社、2000年)にも相通じる読みやすさと面白さがある。だが、政権が小泉純一郎から安倍晋三へと移行しようとしていた2006年に、猪瀬直樹はこの本を岸信介再評価の書であるかのように書き、「安倍晋三が宿命の人とは、それでも核兵器をもたずにアメリカと対等な関係を築くという、岸信介が始めた挑戦をつづけるに違いないからである」などというトンチンカンな安倍晋三賛美で解説文を締めくくった。事実は、安倍は「アメリカと対等な関係を築く」どころか、従軍慰安婦に関するトンデモ発言をして、アメリカでブッシュに謝罪する羽目に追い込まれたし、「挑戦をつづける」どころか、参院選に惨敗したあとに開かれた2007年の臨時国会で所信表明演説を行いながら、その2日後に自分から総理大臣の職を投げ出した。猪瀬直樹が書いた解説文は、その後1年も経たずして色あせ、陳腐きわまりない上に原著の価値を貶める蛇足と化してしまったが、岩川隆の原著自体は、今読み返しても十分面白いものだ。面白いノンフィクションは30年経っても価値を失わないが、御用ライターの書く権力者への歯の浮くようなお追従は、あっという間に無意味化するのである。岩川隆は2001年に他界しているが、猪瀬直樹は生きているうちから忘れ去られることだろう。
本を読んで、安倍晋三の祖父・岸信介をはじめ、麻生太郎の祖父・吉田茂、鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎、赤城徳彦の祖父・赤城宗徳、河野太郎の祖父・河野一郎ら、現役大物政治家の祖父たちが活躍していたことを改めて思い返し、ああ、政界とは世襲の世界なのだなあと一瞬思ってしまうが、よくよく思い返せば、70年代から80年代にかけて政権を担った三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)に世襲政治家はいなかったし、現在の民主党政権でも、世襲の鳩山由紀夫、小沢一郎の時代にあとには、非世襲政治家の時代が来るだろうし、また有権者がそういう方向に持って行かなければならない。政治を無能な世襲のボンボンに支配させた責任は、選挙で彼らを選んだ有権者にある。
もちろん岸信介自身も世襲政治家ではなかった。A級戦犯容疑で逮捕、投獄された岸が不起訴処分になった背景は、前述岩川の著書にも書かれているが、冷戦の時代になって日本の再軍備を待望するアメリカが、岸に利用価値を見いだしたからだ。アメリカにとっては、改憲より経済に力を入れようとする吉田茂も、改憲論者ながらソ連や中国との関係改善に熱心で日ソ国交回復も行った鳩山一郎も、いずれも好ましくなかった。だから岸信介政権の樹立を待望し、工作まで行った。本には出てこないが当時CIAは岸信介、佐藤栄作兄弟に資金援助を行っており、佐藤栄作などはCIAに金をせびったことさえアメリカで情報公開された文書から明らかになっている。
戦後政治における金権政治の創始者も、岸信介である。児玉誉士夫との関係は悪名高いが、前記岩川の著書を読んで驚いたのは、児玉にせよ岸にせよずいぶん開けっぴろげな言動をとっていることだ。たとえば児玉は、政治家との金銭授受から10年経ってから、「もう時効だから話すが」などといって雑誌で平然と過去の内幕を暴露する。岸も岸で、航空自衛隊の次期主力戦闘機選定をめぐって自民党が企業からの献金を受けたことが取りざたされている時期に、周り中が噂の企業の敷地である土地に、平気で豪邸を建てたりしている。大らかな時代といってしまえばそれまでだが、岸が「金権政治の創始者」であるとの評価が後世で固まったのは当然である。ひところ、「岸信介の孫」を売り物にして総理大臣にのし上がった安倍晋三は、金権政治の創始者が田中角栄であるかのようにしゃべったり、あの恥さらしななんとかいう著書(文春の記者に書かせたとの噂がもっぱら)に書いたりしているが、安倍の歴史修正主義者の本領発揮というべきところであり、もちろん事実は岸信介こそ戦後保守政治史における金権政治の創始者なのである。
だが、岸は前述の第一次FX(次期主力戦闘機)商戦やインドネシア賠償疑惑、それに前記岩川隆の著書が書かれたあとに発覚したダグラス・グラマン事件などに「疑惑の政治家」として名前を取り沙汰されながら、ついに罪を問われることなくあの世へと旅立った。これらのうち私がリアルタイムで報道に接したのは1978年暮に発覚したダグラス・グラマン事件だけであるが、1976年に発覚したロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたこともあり、ダグラス・グラマン事件でも政治家への捜査が期待された。日商岩井の海部八郎副社長が逮捕された時、のちに検事総長となる伊藤栄樹法務省刑事局長は、「捜査の要諦はすべからく、小さな悪をすくい取るだけでなく、巨悪を取り逃がさないことにある。もし、犯罪が上部にあれば徹底的に糾明し、これを逃さず、剔抉しなければならない」と述べ、政界中枢への波及を示唆したが、その1か月後、時効と職務権限の壁に阻まれたとして、岸信介をはじめとする政治家は罪に問われることなく、捜査は終結した。こうして、岸信介を逮捕できる最後のチャンスを検察は取り逃がした。
現在さかんに報道されている小沢一郎をめぐる複雑なカネの流れについて、検察のリークによると思われる報道がテレビに新聞にあふれ返っているが、正直言って私はどこが問題なのかよく理解できない。小沢一郎自身については、かつて90年代には強い嫌悪感を持っていて、そのために1994年に自社さ政権が成立した時には、反小沢および反新自由主義の立場からこれを支持したくらいだが(もっとも自社さ政権も、特に後半の橋本龍太郎政権時代に新自由主義政治を行ったのだが)、ことさらに小沢一郎への悪い印象操作を目的としているだけなのではないかと思える検察の捜査やマスコミの報道には強い違和感を覚える。そして、4年前のライブドア事件や村上ファンド事件の時にも、堀江貴文や村上世彰らが逮捕され、新自由主義陣営はダメージを受けたが、当時疑惑がささやかれた岸信介の孫たる安倍晋三には捜査は及ばなかった。その後に発覚した軍事利権疑惑にせよ、本質は経世会から清和会への軍事利権の移転だったと思うのだが、捜査は清和会系はおろか経世会系の政治家にさえ及ばなかった。小沢の疑惑については、それはそれで厳しく追及すべきだし、妙に小沢一郎をかばい立てする必要もないとは思うけれども、経世会系列より、もっとずっと悪質な清和会系列、戦後日本の復興と経済成長には「保守本流」と比べて寄与が著しく小さいばかりか、軍備増強派でありながら自主独立よりアメリカへの隷従路線に傾斜し、日本の政治や社会に害毒を流し続けた岸信介一派が何の追及も受けないことは、どうしても承服できないのである。
長く政権を担い、かつて「国民政党」といわれた自民党は、近く行われる党大会でイデオロギー色の強い運動方針案を採択する見込みだといわれている。前世紀には「保守本流」が支配していた自民党は、いまや岸信介の亡霊が支配する政党になってしまったかのようだ。もちろんそのネオ自民党を象徴する人物は安倍晋三である。いくら民主党というか小沢一郎が、昔からの田中角栄の流れを引き継ぐ金権体質を持っていようが、検察やマスコミの矛先が小沢にばかり向かって、昔から疑惑を逃れ続けた「昭和の妖怪」・岸信介の系列には何のメスも入らない状況に、私は強い苛立ちを感じる。
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記事を見ると、鳩山由紀夫首相の指導力や、小沢一郎幹事長の「政治とカネ」の問題に関する説明責任について、世論が否定的であるという結果になっているが、藤井裕久氏から菅直人副総理への財務相交代が、政権運営にプラスの影響を与えると思う人は47%で、マイナスの影響を与えるとした人の33%を大きく上回った。とかくこれまでスピード感に欠けていた鳩山政権だが、緊縮財政論者の藤井前財務相に代わって、昨年末に政府が発表した成長戦略をとりまとめた菅副総理が財務相に就任したことが、人々に期待感を起こさせ、これが内閣支持率の下げ止まりにつながったものと考えられる。なお、共同通信の調査でも、内閣支持率微増、菅直人財務相に「期待する」59.0%、「期待しない」35.2%と、読売新聞と同じ傾向が出ている。「右」の読売も「左」の共同も同じ傾向を示していることは、両者の調査結果が民意を忠実に反映していることをうかがわせるものだ。
しかし、世論から歓迎されている菅氏の財務相就任を、ほかならぬマスコミは一斉の大ブーイングで迎えた。特にひどかったのは産経新聞で、就任早々為替レートが円安に振れてほしいと菅氏が願望を口にしたことをとらえて、「菅財務相の資質に「?」の声が続々 「軽率だ」「経済知らない」…」と題した記事を掲載した。
だが、ここ最近でこそあまり行われなくなっていたが、かつては財務大臣が為替市場に「口先介入」することなど当たり前だった。特に、私はあるいきさつから、小泉政権時代の2002年12月初めに、当時財務大臣だった塩川正十郎氏(愛称:塩爺)が露骨な円安誘導発言をしたことを覚えていたので、さっそくこの件を持ち出して産経新聞を批判する記事を8日の『kojitakenの日記』に書いたところ、これが裏ブログ今年初の人気エントリとなった(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100108/1262960519
リンク先を参照いただかない読者のためにエビデンスを挙げておくと、塩爺が「口先介入」をした事実は、下記URLのPDFドキュメントに記載されている。
http://www3.keizaireport.com/file/021207.pdf
以下引用する。
2002年12月1日に、塩川財務大臣は、購買力平価を念頭において、「世界の水準で計算したら1ドル=150?160円ぐらいがいいはず」と発言した。
この塩爺発言を、2002年当時の産経新聞が批判していたかどうかまで私は検証できなかったが、批判していたはずなどないことはわかり切っていた。当時私が購読していた日経新聞でも、塩爺の発言を批判する記事など見た記憶はなかったし、ましてや産経が批判していたはずなどあり得ないと思ったのだ。ありがたいことに、『Mちゃんの経世済民!』から当時の産経新聞の論調を検証したエントリを『kojitakenの日記』にTBいただき(下記URL)、想像していた通り、産経新聞は2002年当時、塩爺発言を批判するどころかむしろ歓迎していたことが明らかになった。なお、当時も菅直人が塩爺発言に同調して円安を待望する発言をしていたことが明らかにされた。
http://d.hatena.ne.jp/Mchan/20100109/1263022685
私などむしろ藤井裕久前財務相の円高容認発言の方が困ったものだと思っていた。いうまでもなく、急激な円高は、輸出産業にとってダメージが大きく、ただでさえ藤井氏の緊縮財政志向によって景気低迷が心配されているところに、円高容認発言をするとは、なんたるKYかと思った。小泉政権がやったような過度の輸出産業優遇も困るが、藤井前財務相のような財政再建原理主義者も困るのだ。菅財務相の発言によって為替市場が円安に振れたことを、経団連は当然ながら内心歓迎しているはずである。いくら頭の悪いことでは定評のある産経新聞の記者といえど、そんなことくらいは百も承知だと思うが、要するに産経新聞は、現民主党政権の悪口の材料になることであれば、どんなことでも書くということだ。
いや、産経だけではなく、この件では朝日、読売、毎日といった大新聞も菅財務相批判の記事を掲載した。『本石町日記』に掲載されたは「菅大臣の「口先介入」をめぐる報道について=「結果オーライ」だったので」のような冷静かつ的確な批評は、新聞では読めないのかと思う。いくら権力へのチェックがジャーナリズムの使命だといっても、こんなトンチンカンな批判は願い下げだ。菅直人や民主党政権を批判するのであれば、もっとまともな切り口がいくらでもあるだろう。だが産経新聞を初めとする堕落しきったマスコミはそれをしない。資質に疑問があり、軽率で経済を知らないのは新聞記者たちの方である。
ところで、こんな新聞などマスコミに事実上応援されているのが自民党だが、こちらは産経新聞に輪をかけてひどい。そもそも彼らは昨年夏の衆院選の敗因を理解していない。たとえば与謝野馨は今月末発売予定の新著『民主党が日本経済を破壊する』(文春新書)で、下記のように麻生太郎前首相を批判しているそうだ。日経新聞の記事(下記URL)から引用する。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100110AT3S0900H10012010.html
麻生前首相「オレの後なんて誰もいない」 与謝野氏が新著で
自民党の与謝野馨元財務相が今月下旬、「民主党が日本経済を破壊する」(文春新書)と題した著書を出版する。この中で、昨年7月の衆院解散前に、当時、財務相だった同氏と石破茂農相が一緒に麻生太郎首相(当時)を訪ね、辞任を求めた際の内幕を明らかにしている。
麻生氏は辞任を迫られると、「オレの後なんて誰もいないじゃないか」と拒否。与謝野、石破両氏の閣僚としての辞表も受け取らなかったという。与謝野氏は著書で「首相がスパッと辞めていたら、民主党が一番嫌がる展開になった」と振り返った。
民主党については「マクロ政策がないままでは、あらゆる個別政策が漂流する」「議員を採決の頭数としか考えていない」と批判。その一方で、海外では「出直し(を目指す野党の)新党首は30?40歳代と大幅に若返りを断行している」として、自民党総裁にも思い切った若手の起用が必要との立場をにじませた。
(『NIKKEI NET』 2010年1月10日 21:34)
要するに与謝野は、麻生前首相を引きずり下ろして総理総裁の首をすげ替えれば総選挙に勝てたと考えているようだが、このような自民党議員のKYぶりが自民党を惨敗させたのである。「マクロ政策がないままでは、あらゆる個別政策が漂流する」「議員を採決の頭数としか考えていない」という与謝野の民主党批判にしても、自民党にブーメランで跳ね返ってくる話ばかりだ。安倍晋三が繰り返した強行採決はいったい何だったのか。そもそも、藤井裕久の向こうを張れる財政再建原理主義者・与謝野の政策では、景況感は今よりもっと悪くなった。民主党政権の成長戦略を好感したものかどうかはわからないが、今年の大発会では、いきなり昨年来の高値をつけた。だが、民主党政権発足直後に低迷した株価に大騒ぎしたマスコミは、このことに関してはだんまりを決め込んでいる。
マスコミに甘やかされた自民党の勘違いはさらに続く。これまた産経新聞の報じるところによると、24日に開かれる自民党大会で発表される予定の、「保守」を前面に打ち出した自民党運動方針案の全文が判明したそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100110/stt1001102310010-n1.htm
この件についても、裏ブログ『kojitakenの日記』に「自民党に明日はない」と題した論評を書いたし、産経新聞の記事についた「はてブ」コメントおよび前記『kojitakenの日記』についた「はてブ」コメントを読めば「はてな」界隈での反応もわかるが(「2ちゃんねる」の反応がどうかは私は知らない)、要は開いた口がふさがらないということだ。
当エントリでは、産経新聞に掲載されている「自民党運動方針案の骨子」だけ示しておく。
- 品格ある日本を目指す
- 靖国神社参拝を受け継ぐ
- 早期の憲法改正を実現
- 消費税の全額が社会保障給付と少子化対策に充てられることを明確化し、税率を引き上げ
- 日本の歴史と伝統を重んじる教育を目指す
- 自衛隊の憲法上の位置付けの明確化
- 北朝鮮に断固とした対応
- 領土問題の解決に努める
- 参院選で第一党を奪取
もはやくどくどと贅言を費やす必要もあるまい。『kojitakenの日記』の「はてブ」より下記コメントを引用すれば十分だろう。
peacemedia 自民党, お笑い自滅党 お笑い自滅党、「国民の生活は二の次(消費税率上げ)、オレ様の妄想が第一(世襲万歳・靖国参拝・改憲推進・対朝鮮強硬論・教育改悪など)。」…泉下の石橋湛山が泣いてるぜ。 2010/01/12
思うのだが、自民党にせよ産経新聞にせよ、もはや歴史的使命を終えたのではないだろうか。民主党に対抗する政治勢力や言論はもちろん必要だけれど、それが自民党や産経新聞のようなものであってはならないと思う。産経新聞は、派遣村に対しても「自己責任論」に立つ冷酷な記事を書き続けているが、ああいうのを見ていると、これは一度産経新聞の記者たちにも失職してもらう必要があるよなあ、と感じる。
産経新聞と自民党には潰れてもらった方が世のため、人のためではないかと思う今日この頃である。
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リベラル・左派系ブログの中でも、経済問題に比較的関心を持っている人たちは、藤井前財務相の緊縮財政路線は、不況期にある日本経済をますます冷え込ませるものだと警鐘を鳴らしていた。藤井裕久と官房長官の平野博文を更迭しない限り、今年夏の参院選で民主党は負けると言う人もいて、実は私も同意見だったのだが、その日本経済の疫病神・藤井裕久が退任し、後任に菅直人が就任したのだ。これを重要視しない感覚はおかしい。
民主党びいきの人たちがどんなに庇ったところで、国民の多くはここまでの鳩山政権にスピード感を感じていなかっただろう。特に、何も変えようとしない官房長官の平野博文と財務官僚べったりの藤井裕久は印象が悪かった。発足当初からの鳩山内閣の支持率の落ち込み方も、安倍晋三や福田康夫、麻生太郎といった人たちが率いた自民党内閣と大差なかった。政党支持率ではなお民主党が自民党に大差をつけているから、鳩山首相ら個々の政治家に責めが帰せられる。そんな状況下で、藤井前財務相が体調不良を理由に職を投げ出した。小沢一郎の不興を買ってまで藤井氏の財務相就任にこだわった鳩山首相にとっては大きな失点となった。
後任の菅直人経済財政担当相は、昨年9月の鳩山内閣発足以来、国家戦略室を担当したが、これが開店休業であって、菅直人が暇そうにしているとはよくいわれていた。しかし、年末にかけて徐々に菅直人が目立つようになってきた。菅は、環境・健康・観光を「牽引産業」に位置づけて100兆円強の需要と476万人の雇用を生み出す目標を掲げた経済成長戦略を策定し、テレビなどでこれを宣伝するようになった。たとえば、元日にNHKで放送された今年最初のNHKスペシャル「生激論2010 にっぽん大転換!? 」に菅は出演し、多くのネオリベ出演者たち(塩川正十郎、永守重信、川本裕子ら)を向こうに回して熱弁をふるったようだ。伝聞形で書いたのは、私はこの番組を見なかったからだが、ありがたいことに『ニコブログ』が番組を文字起こししたエントリを公開し、当ブログにTBしていただいた(下記URL)。おかげで、番組での菅直人の発言を追うことができる。『ニコブログ』の管理人・ニコさんに感謝したい。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1068.html
最近、菅直人はよく「第三の道」を口にしている。小泉内閣の頃にも菅はよく「第三の道」を唱えていたが、これはなんのことはない、ケインズ主義と新自由主義の折衷だった。昨年12月27日に放送されたテレビ朝日『サンデープロジェクト』の党首討論でまたしても菅が「第三の道」と言ったのを聞いて、最初はまたかと思ったのだが、中身が以前とは違っていた。今回は、環境技術を柱にした需要創出の政策だった。それを元旦のNHKではさらに詳しく語っていたようだ。以下、『ニコブログ』より引用する。
経済の成長戦略
・公共事業による経済成長 第一の道
・企業の生産性向上 第二の道
公共事業によって経済成長を目指すやり方。規制緩和などによって企業の生産性を向上させることによって成長を目指す方法。鳩山内閣はこの2つの道をそれぞれ第一の道、第二の道と名付けていますが、これが巨額の財政赤字や格差拡大を生み出す原因になったとして今回、第三の道という考え方を示しました。
第三の道 新たな需要の創造
・環境、エネルギー 電力の買取制度 約50兆円の新規市場
・医療、介護 革新的医療・介護技術など 約45兆円の新規市場
・アジア アジア全体の所得倍増させ、それを日本の成長につなげる
・GDP(名目) 473兆円(2009年度)→650兆円(2020年度)
◇
討論3 鳩山政権の新成長戦略 賛成?反対?
菅直人 大賛成
「第一の道と第ニの道が間違っているのではない、時代に合うか合わないか」
「本州四国の橋を3本造った頃から、雇用は地方に出た、お金は出た、しかし投資効果はほとんどありませんでした。で、借金は溜まりました。時代に合わなくなった第一の道は間違い。第ニの道はその後、小泉竹中路線というところで、デフレ状態の中でひとつひとつの企業の生産性を上げる、生産性を上げるのはいいんですよ、しかしそれを全部がやった時に、リストラされた人はどこへ行くのか。リストラされた人が失業の状態に、あるいは格差の中で留まったとすれば、日本全体としては成長しない。つまり企業はリストラできても、国は国民をリストラできないわけですよ。今の時代においては、需要をいかにして拡大していくのか。これは単純に財政を使うだけではありません。休暇を分散化させることによって観光を活性化させようとか。若干のお金を使うにしても、これは旧政権もやってますが、エコポイント、エコ住宅で、1兆円が5兆円10兆円の需要を生み出すような、そういう形をとることが今の時代、今の日本にとって重要だということで、あえて大賛成と書かせていただきました」
マエキタミヤコ 賛成 環境経済◎
・エコシフトしていくのはとてもいいが、新成長戦略という名前が分かりにくい
・直接人へというのはちょっと違うと思う、新しい産業を興していく
・自然資本を生かした経済に行くんだとはっきり言って欲しい
東国原知事 賛成(具体策、ロードマップが見えない)
・イギリスのブレア政権がやってるから斬新ではない
・今回の政策を見ると、自民党政権の延長でしかない、総花的
・内需を拡大するのはいいが具体的に何をするのか、投資はどうするのか、税制はどうするのか、先行きが不透明
・方向性は賛成
永守重信 反対、企業が主役となっていない
・必ずしも中身には反対ではない
・成長戦略をやるためには企業の力を借りないと不可能
・法人税は世界的にも高いし、最近は労働強化の政策で企業のためになっていない
・GDPの半分は企業の付加価値で稼いでいるのに企業の意見が入っていない
・バッシングが激しいが大企業や金持ちが1番稼いでいる
・大企業や金持ちを叩いて成長できるのか
塩川正十郎 反対、具体策がない
・マスコミの論説委員の意見を集めてきた感じ
・もっと具体的なことを書いてもらわないと、これは評論家の文章
菅直人
・この10年ほどで16本ほどの前政権での成長戦略があった、全部精査したが1本も達成できていない
・なぜ達成できなかったのか、つまりは縦割りの役所と族議員で従来の配分を変えられない
・過去の政権にだぶっているが、やれるかやれないか
・民主党は強固な族議員はいないし、縦割りは壊すから、私はできると言っている
・永守さんは企業に厳しいと言うが、企業が一番必要なのは需要、需要があれば企業は強い
・需要こそが企業の成長を導くから、エコポイントなど需要を通して企業の頑張ってもらう
永守重信
・グローバルで戦っている、今のような条件であれば海外に出てしまう懸念を持っている
・需要をますます減らしてしまう政策になっているのでは
・法人税が40%と高過ぎる
菅直人
・その法人税はもともと自民党政権からのじゃないですか
・今になって上げたわけじゃなくて今までの継続
金子勝
・法人税が高過ぎるというのは誤解がある、社会保障を合わせればヨーロッパより軽い
・民主党が弱いのは産業政策
・なぜ反対なのかというと、マニフェストをやってない、官僚の寄せ集め
・再生エネルギーの全エネルギーの固定価格買取、地球温暖化対策で環境税、ほとんど出てこない
・グリーン化と書いてあるが小さい、買取制度は全てを買い取らないといけない、今は家庭の余剰電力だけ
(『ニコブログ』 2010年1月4日付エントリ 「NHKスペシャル「生激論2010 にっぽん大転換!? 」 メモ&感想」より)
環境・エネルギー政策は金子勝が以前から盛んに唱えてきた分野だが、米ブッシュ前政権に追随するだけが能だった自民党政権は力を入れようとはしなかった。そのブッシュ政権でさえ後期には政策を転換し始めると、麻生内閣になってようやく太陽光発電、それも家庭の余剰電力だけ買い取る日本版FIT(電力の固定価格買取制度)の導入を決めたが、これには強い批判があって、ドイツが導入して成果を上げたような全種全量の買い取りにしなければいけないと金子勝は主張している。
なぜ日本版FITが中途半端になったかというと、新エネルギー(自然エネルギー、再生可能エネルギー)開発に力を入れる政策には、経団連および経団連と癒着している経済産業省の強い抵抗があるからだ。ちなみに私が懸念しているのは、直嶋正行経産相や菅直人の後任として科学技術担当相を兼任することになった川端達夫文科相が旧民社系の政治家であることだ。
NHKの番組で永守重信は「(民社国政権の成長戦略は)企業が主役になっていない(から反対だ)」と言っていたようだが、これは噴飯ものの主張であって、経団連や経産省の官僚に言われるがままに自民党政権が長年行ってきた政策が日本経済を全然成長させなかった、少なくとも働く者には全然実りをもたらさなかった(1998年から2006年まで民間給与所得は9年連続で減少した)からこそ、自民党は下野に追い込まれたのである。
以下に、番組をご覧になったニコさんの感想を紹介する。
ゲストの人選はどうにかならなかったのでしょうか。
NHKは極端な人ばかり集めましたね。
塩川氏なんて何のために呼んだのでしょうか。
いまだにバカの一つ覚えみたいに自己責任の連呼をしていて、トップが汚れていると民主党批判。それもいいですが、全部まずは自民党に言えという話です。川本裕子氏も新自由主義の申し子みたいな人でしたね。企業、供給サイドのことしか頭にないようでした。誰がお金を稼いでいるのか、と言っていましたが、労働者が消費してくれないと企業は稼げないんですけどね。今まで大企業を優遇してきて消費が増えたことがありましたか、と。マエキタミヤコさんも言っていることはけっこう賛同できましたが、全体的に発言がふわっとしていて、一般の人はピンと来なかったのではないでしょうか。もっと日本全体を見据えた、政策に詳しい人の意見を聞きたいんですよ。そんな中で金子勝氏の発言は注目していたので全文書き起こしたりしました。次世代のエネルギー転換が1番イノベーションを生み出しやすいという主張には同意します。CO2の25%削減が予定通りに実現できるかは別にしても、そこに向かっていかないと日本に新たな産業は育ちませんし、世界で生き残っていけないので、もっと具体的なビジョン、政策を打ち出して欲しいです。介護や農業だけでは景気はよくなりませんし、世界で戦えません。菅直人氏は思っていたよりちゃんとした認識はしていると思いましたね。国家戦略室が機能するか注目したいと思います。
(『ニコブログ』 2010年1月4日付エントリ 「NHKスペシャル「生激論2010 にっぽん大転換!? 」 メモ&感想」より)
うん、うん、そうだよなあと思いながら読んだ。偉そうに威張っている財界人や彼らと癒着してきた経産省の官僚と自民党の政治家、彼らの指南役だった竹中平蔵を筆頭とするサプライサイド経済学者、それに彼らに尻尾を振ってきた田原総一朗を筆頭とする電波芸者たち、彼らこそ日本経済を破壊してきたのではないかと私は思う。そして、民主党の政策でもまだまだ官僚寄り(というより「経団連寄り」と表現すべきだと私は思う)だと言う金子勝は、日本国内でこそ異端扱いされるが、それこそ世界標準ではごく普通の考えではないだろうか。だが、かつて「グローバルスタンダード」を唱えていた新自由主義者たちは、世界の趨勢から取り残されても日本国内でだけは新自由主義のドグマを守りたいかのような滑稽な姿を現在晒している。新自由主義国として鎖国するという自己矛盾が彼らの理想なのかと思えてしまうほどだ。
菅直人だって結構緊縮財政政策に傾きがちなところがあったり、かつては新自由主義とケインズ主義のあいのこを目指していたことがあるなど、その思想は玉虫色なのだが、それでも実行力はある政治家だ。その菅直人はネオリベのマスコミの激しい憎悪を買っていて、就任早々「経済オンチ」だとか「為替レートに言及した」などと批判されている。マスコミのいう「経済通」とは新自由主義者の別名だし、財務相が為替レートに言及することなど、小泉内閣時代に塩川正十郎が日常茶飯事のようにやっていた。しかし、当時のマスコミは塩川を全然批判しなかった。
なんだかんだ言って今年の政治において最大のキーマンはこの菅直人と、もう一人小沢一郎だろう。鳩山由紀夫首相は今後、「君臨すれども統治せず」的な立場になっていくのではないだろうか。産業政策に政府の介入など不要という新自由主義者の意見もあるが、電力の絡んだ政策は民間だけでなし得るものではなく、政府の強い指導力が求められるのは当然のことだ。そして、電力会社という規制に守られた存在が日本の電力政策を歪めているのが現状だから、この分野に関しては政府の政策としてその規制にメスを入れることも求められる。つまり、規制改革を行った上で新産業を創出していくことが政府に求められている。いわゆる新自由主義者が電力政策の規制緩和についてほとんど何も言わないのは、私には奇異に感じられる。要するにこれも政官業とマスコミによる「刷り込み」なのである。ネットの世界でも、経済右派の池田信夫も、経済左派ということになっているらしい植草一秀も、政官業及びマスコミのおあつらえ向きに「地球温暖化懐疑論」を唱えているから、ネットでもこの件を取り上げるブログは少ない。しかし私は、民社国連立政権が環境技術を柱に据えた経済政策をどのように推進するか、大いに注目している。
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たとえば、朝日新聞論説副主幹の小此木潔は、著書『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年)で、下記のように書いている。
「政府は小さければ小さいほどいい」「すべてを市場に任せれば片がつく」という幻想は、「すべてを政府に任せればうまくやれる」と考えた古い左翼の幻想と対をなす誤謬であり、いずれも人々の暮らしや民意の実態を見ないイデオロギーだった。
市場取引の自由と野放しの強欲が需給の均衡をつくり出すことを素朴に信じた、現代の「おまじない経済学」の時代は終わった。
(小此木潔『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年) 192-193頁)
著者は「あとがき」で、わざわざ勤務する新聞社(朝日新聞社)とは独立した個人の立場で書いた本だとことわっているし、小泉・竹中の構造改革の時代には小此木氏は論説委員ではなかったが、それでも小泉・竹中の構造改革を熱心に支持する社説を書いた朝日新聞の論説に関わる幹部記者がこのようにはっきり書くくらい、新自由主義に対する否定的評価はほぼ固まったといえると思う。
もちろんネットの世界には変化は遅れてやってくる。ネットではいまだに単純にして獰猛な新自由主義の主張を振りかざす池田信夫が大人気だし、それに対抗しているはずの人々が担いでいる植草一秀氏にしても、もともとサプライサイド経済学を出発点として、今でも「良い小さな政府」を理想としている論者である。すなわち、社会民主主義や修正資本主義側よりはむしろ新自由主義側に近い立場に立っている。そして、池田・植草両氏が唱える「地球温暖化懐疑論」(または「地球温暖化陰謀論」)になびくネット住民たちは、経済軸の左右を問わず非常に多いし、いかなる増税であっても絶対反対という立場で、上記の「左」右はみごとに一致している。それは皮肉にも同様に温室効果ガス削減政策や環境税の導入などに熱心に反対している日本経団連にとってきわめて好ましい言論になっている。財界首脳は、こと経済問題に関してはネット工作など不要だなとほくそ笑んでいることだろう。
時代は、既に「良い小さな政府」という立場をも過去のものとしており、「賢い(効率的な)大きな政府」こそ望ましい、という立場が主流になろうとしている。特に、民主党政権も力を入れようとしている環境・エネルギー技術で日本が世界をリードしていけるよう、日本政府が適切に政府支出を行うことが求められる。
元日付のエントリに、『広島瀬戸内新聞ニュース』からトラックバックをいただいたが、私はいつも同ブログから教えられるところが多い。昨年末に同ブログからいただいたTBのエントリ「2010年、経済政策の根本転換になるか?【総括2009・展望2010】」には、当ブログの昨年12月25日付エントリ「『減税は善、増税は悪』という観念こそマスコミによる刷り込み」に寄せられた下記コメントが引用されているので、当ブログでも改めて紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1027.html#comment8235
もう一つマスコミ及び経団連の刷り込みがあります。
グローバル化だから、右肩上がりに所得が、賃金が、上がることは ないという デタラメ。
2000年くらいから、刷り込みが始まり、今も続いています。
もし、上記が真実であれば、
日本以外の先進国、OECD国が、過去に一人当たりのGDPで3位<00年>だった日本を次々に追い越すことは出来ません。
日本以外の先進国だけが、グローバル化においても、所得、賃金を増やすことは出来なかったはずです。
ところが、現在日本の一人当たりのGDPは23位です。しかも、一人当たりの収入が100万円減った。
日本以外に労働者賃金を減らした先進主要国はないのです。すべて、増やしています。
1・5-2倍、所得を増やしています。それが、各国の一人当たりのGDPに現れています。
では、なぜ、日本だけが、労働賃金をデフレさせたか。
簡単です。
単純労働の外国人を入れたからです。90年から、外国人研修生、日系ブラジル人3世まで、外国人留学生、
これが、始まりで、仕上げは小泉の04年、製造業までの派遣拡大。
これで、賃金がデフレしない方が不思議、というか、そうさせるための立法。
そして、内需崩壊。
間違いです。
繊維産業を思い出してください。
日本の昭和前半は、これで、大幅な貿易利益を作ってます。しかし、60年代くらいから、中国が安い人件費で台頭します。
日本は徐々に確実に、高級品にシフトしています。
また、自動車他の輸出産業が育っている時期です。
そして、賃金のデフレはなかった。
従い、90年以降、自民は 政府補助政策の外国人をいれず、民間の運営に任せれば良かったのだ。繊維不況の時のように。
低品質、中品質なものは、中国と競争しても始まらない。繊維で学んだことだろうに。
そう意味での”小さな政府”政策ならば、正しかった。
実際は真逆の”小さな政府”の政策だった。
労働賃金を減らすことで、製造業を守ろうとしたことで、
他の先進国同様な発展が出来なかった。
ほかって置けば、民間企業、というか輸出型製造業は、新たな国際競争力のある製品へシフトしただろうし、
政府主導で、フランスのように農業の集約発展、もあっただろう、
自民は、経団連主導での大きな政府で、輸出型製造業だけを守ろうとしたことが、間違いの始まり。
マスコミ及び経団連の刷り込み
グローバル化だから、右肩上がりに所得が、賃金が、上がることは ないという デタラメ。
ひどい話の上に、今の日本がある。
PS 私はちょうど95年前後に、オーストラリアに移住しました。
移住して、驚いたのは、自身が10年前に廃車した車がまだ走ってる!
そんな、国でした。
しかし今は、一人当たりのGDP、日本を追い抜かし、
光景がいっぺん。新しい車がほとんど。
乗用車の平均車齢、日本は年々長くなってますが、他の先進国は減っているはずです。
平均車齢が増えるのは、購買力の低下です。
2009.12.26 22:04 もう一つの刷り込み
小泉・竹中のやった政治は「小さな政府」(新自由主義)でさえない、何もしなければまだましだったが、実際には経団連を甘やかして労働賃金を下げる政策をとってしまったという批判だ。そういえば、ここ10年ほどの自民党政治においては、経済財政諮問会議(鳩山政権になって廃止)に経団連会長の御手洗冨士夫らが参画して、財界の意のままの政治が行われてきた。よく「政官業のトライアングル」といわれるが、その頂点に立っていたのは経団連ではなかったか。企業献金あっての自民党、天下り先あっての官僚。両者の首根っこを押さえているのは財界であって、特に90年代後半以降の自民党の政治家は財界の言いなりだった。今でも、谷垣禎一の発言などを聞いていると、自民党は国民政党なんかじゃなくって財界のパシリに過ぎないと思える。
それでも、経団連の主張に沿った政策をとれば、日本が経済成長を遂げるのなら、まだ多少は意味があるかもしれないが、実際には経団連の言いなりの政策をとることによって国民1人当たりのGDPで日本はどんどん他国に追い抜かれていったのだ。経営陣が楽をできるような施策が、日本経済の首を絞めたわけである。もちろん割を食ったのは国民だ。
現在、民主党政権が推進しようとしている環境・エネルギー政策は、温室効果ガス25%削減の中期目標を掲げたものだが、これにも経団連は産業の競争力をそぐとして強く反発している。しかし、不況下で政府支出が求められているものの、道路建設にはかつてのような乗数効果が期待できない現在、環境・エネルギー分野での技術革新が新たな需要を産み出し、それが経済成長につながる可能性があることは、誰の目にも明らかなのではなかろうか。成長戦略の中心に環境技術を据えようというのが民主・社民・国民新党の連立政権の政策だと私は認識している。保守マスコミはすぐ「民主党には成長戦略がない」と言うのだが、これは立派な成長戦略だ。たとえば太陽光発電の設備を備えている住宅は現在極めて少なく、太陽光発電の普及は建築業なども潤すことが期待できる。他の分野への波及効果があるのだ。民主党政権には、まだ「小さな政府」志向から抜け切れていないという問題点はあるが、少なくとも「賢い(効率的な)政府」を目指す方向性は持っていると評価できる。
逆に、自民党こそ政権を担っていた頃から下野した今に至るまで成長戦略を全く持っていないのではないかと私は思っている。日本の国民1人当たりのGDPは、小泉政権が発足する前年の2000年には世界3位だったが、小泉が退任した2006年には18位に落ちたことがそれを示している。小泉・竹中が悪政を行っていた間、日本人はどんどん貧しくなっていった。2002年?07年の「景気拡大期」を「小泉構造改革の成果」と見るのは誤りである。その間小泉・竹中や安倍晋三に甘やかされた経団連はウハウハだったかもしれないが、日本国民には何の利益ももたらされなかった。そして経団連を喜ばせたのは自動車産業に代表される輸出産業の増収増益だったが、これはいうまでもなく、日本の輸出産業がアメリカの住宅バブルに乗って消費意欲旺盛になっていたアメリカ人に向けて製品を輸出していたためである。バブルは大きく膨らめば膨らむほど破裂した時のダメージが大きいが、輸出産業を最大限優遇した小泉・竹中は、世界金融危機のダメージを大きくするのに一躍買った戦犯に数え入れても良いとさえ思う。自民党の成長戦略とは経団連の成長戦略にほかならず、それが誤っていたことはもう既に現実によって示されている。だが、そんな経団連がなおマスコミとつるんで国民をだまそうとしている。そして今なお経団連とマスコミのイデオロギーは、もはや敗北が明白になった新自由主義なのである。神野直彦氏によると、少し前まで自民党内で対立しているとされていた「均衡財政派」、「上げ潮派」、「消費税増税派」はすべて新自由主義のドグマ(教義)の限界を抱えているとのことだ(前記小此木潔著『消費税をどうするか』より孫引き)。こう書くと、なぜ増税を主張する「消費税増税派」まで新自由主義なのかと言われそうだが、均衡財政派ともども消費税増税派も公共サービスの増加は認めない。つまり、「小さな政府」志向なのである。それが自民党なのであり、だから彼らは現在の民主党のような、「小さな政府」志向から抜け出せていない政党をも、「社会主義」などと非難するのだろう。
それでは、小泉・竹中の政策を否定するのであれば、今後の日本はどういう方向性をとればよいのか。前記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事が、さすがというべきか、わかりやすくコンパクトにまとめているので、これを拝借する。
・労働者には雇用のセーフティネットを。(労働基準監督署の執行体制も強化する)
・産業政策では、新しい分野の開拓を進める。
・財政政策では再分配を強化。
この組み合わせが必要なわけです。
今まではこの正反対を日本は行なってきました。
すなわち、お金持ちには減税。庶民には増税。その結果再分配後のほうが子どもの貧困率は高いという有様です。
そして、労働者を使い捨てることに企業の存続を求めてきた結果が今の惨状です。
2008年はその矛盾が噴出した年でした。2009年はそれに対する応急措置を取った。しかし、あくまで応急措置なんです。
2010年はそれに対する、根本治療に取り掛からないといけません。
このままでは、派遣法改正案は、はっきり申し上げて、派遣先に責任は取らなくてもいいが、労働者への指揮は強化するという、都合の良いものになりかねません。
財政政策でも、このままでは逆進性を是正できるかどうか?再分配を強化できるかどうか?
産業政策もそうです。これについては、これからは、地方レベルの取り組みが大事なのです。だが、旧態依然たる、東京にお金が流れてしまうような政策が、自治体によっては温存されています。産業政策については、地方の首長や議会を変えていく必要がありますね。
(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2009年12月30日付エントリ 「2010年、経済政策の根本転換になるか?【総括2009・展望2010】」より)
地産地消という観点からも、自然エネルギー開発は有効だ。地理や風土に合った発電方法に力を入れることができるからだ。従来の自民党の政策では、温暖化対策は原子力発電が中核になっていたが、原子力発電は高コストである上、万一の大事故のリスクや放射性廃棄物の処理の問題がある。長い間国策として推進されてきたので、利権構造がたっぷりあると思うが、そこにもメスを入れる必要があると思うが、現在の民主党は原発推進勢力でもあり、原発の見直しまでは現政権には期待できないだろう。しかし、せめて新エネルギー開発へのインセンティブを与える政策くらいは望まれる。自民党政権時代には、新エネルギー開発は原発推進の邪魔になるので、政官業癒着構造にどっぷり浸かっていた歴代政権は、新エネルギーには冷淡だったと思われる。
年の初めのエントリとしてはいささか冗長になってしまったが、今年は経済政策面では「セーフティーネットを強化する」、「小さな政府志向を改めて再分配を重視する」、それに「成長戦略として新技術、特に環境技術を軸に据える」という3点を軸にした政策を連立政権がとれるかどうかが政権の消長の鍵を握るのではないかと思う。これらは、いずれも経団連の気に入らない政策なので、経団連や自民党、それにマスコミは全力でネガティブ・キャンペーンを張ってくることが予想されるが、それにだまされてはならない。
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新年あけましておめでとうございます。
旧年中は「きまぐれな日々」の拙い記事をお読みいただき、どうもありがとうございました。旧年は政権交代の年でしたが、日本国民にとっては変化のきっかけをつかんだに過ぎなかったように思います。本年は、変化の兆しを確かにわれわれ一人ひとりの市民のものにするための大事な年だと思います。このところ沈滞気味のブログの世界を活性化するためにも、今年はいくつかの新機軸を打ち出していきたいと考えています。当ブログは、本年も皆さまとともに歩んで行きたいと存じます。
本年が皆さまにとって素晴らしい年になりますよう、心よりお祈りいたします。
本年も、「きまぐれな日々」をどうぞよろしくお願いいたします。
2010年元旦
「きまぐれな日々」 管理人
古寺 多見(kojitaken)