前のエントリで取り上げた東谷暁著『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年)の第7章「財政出動は時代遅れなのか」に、以前には財政出動なんか不況脱出には効かない、金融緩和をせよと叫んでいた経済学者たちが、今ではこぞって財政出動を求めていることが記載されている。ネットでは、今なお池田信夫などというアカデミズムでは肩身の狭い思いをしている「経済学者」(本当か?)が「民主党は小泉改革を継承せよ」などとほざいているが、これはもちろん経済学の主流からは全く相手にされていないたわごとだ。それはともかく、この章で小野善康が1998年に書いた『景気と経済政策』(岩波新書)が言及されている。この本について、当ブログも2008年10月3日付エントリ「ようやく『脱コイズミカイカク』を打ち出した毎日新聞の社説」で取り上げたことがあるのを思い出した。このエントリから以下に再録する。
その後、世界同時不況に対応するために、どこの国の政府でも財政政策と金融政策を組み合わせて対処したので、現在では当時「上げ潮派」のように、「小さな政府と金融政策の組み合わせで、政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させる」ことができると主張する人はほとんどいなくなった。
それは当然だし、良いことだと思うのだが、前記『エコノミストを格付けする』が指摘するには、小野氏は『景気と経済政策』の中で、「不況期には人々は将来不安を抱えて消費意欲が萎え、貯蓄意欲が高いため、消費性向は小さい」、したがって、「消費増の部分が小さくなって、当初の公共投資を超える波及効果の部分は、ほとんどなくなる」、つまり、「不況期は乗数効果がもっとも効かない時期であり、このときには乗数はほとんど1である」と主張しているとのことだ(東谷暁『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年)150頁)。ところがそれにもかかわらず、小野氏が「不況期にこそ財政出動せよ」と主張する理由は、同氏が公共投資はもっとも無駄である失業を最小限にするためのものだと考えているからだ。つまり、不況の時には政府支出が必要だが、景気回復の手段として劇的に効くものではないと小野氏は考えている。
もし、この小野氏の主張が正しければ、リーマン・ショックの震源地だったアメリカには、莫大な政府支出が必要であり、それにもかかわらず劇的な景気回復につながるものではないともいえる。つまり、アメリカ政府にとって「無駄を削る」ことは切実な問題だろうと推測される。
果てさて、そんな時期にアメリカが極東の軍事基地をどれだけ必要としているだろうか。昨今のアメリカ経済を思えば、極東の軍備にかける金があるなら、その分を国内経済の建て直しに回したいと考えるのが普通だろう。私にはこのことが常に頭にあるから、右派メディアの産経・読売・日経だけではなく朝日や毎日までもが日々叫んでいる、アメリカが普天間基地の辺野古への移設を早く決めろと日本政府に圧力をかけているという話が信じられないのである。マスメディアや自民党は、アメリカに振られたくなくて、アメリカの気を引こうと必死だが、アメリカはそれどころじゃないというのが本音ではあるまいか。だって、公共投資の「乗数がほとんど1」なのだったら、アメリカ政府は経済を好転させるために莫大な政府支出が必要であって、極東なんかから手を引きたいと考えているのではないかというのが自然な推理だ。つまり、極東の米軍は言ってみればアメリカが「事業仕分け」の対象にしたくてたまらないのではないか。オバマ政権にとっては「国内経済が第一」なのである。そして、保守メディアや自民党は自意識過剰で自己中心的であり、彼らは何かというと「日米同盟」(1980年以前には保守政治家でさえこんな言葉は使わなかった)を口にするけれど、彼らこそ日本の(政官業癒着構造関係者の)都合ばかり考えていて、アメリカの都合さえ考えていない。辺野古に固執するのも利権がらみだろう。つまり彼らは、政権交代前の政官癒着構造にこだわっているのだ。おそらく、マスコミ人はそんなことは百も承知の上で自民党を応援している。もちろん沖縄の人たちのことなど彼らの眼中にはない。
私は、鳩山由紀夫首相はこの件に関してぶれまくっているとこれまで考えていた。しかし、日曜日(13日)の『サンデープロジェクト』で右派の渡辺周までもが社民党(阿部知子)や国民新党(亀井亜紀子)とがっちりスクラムを組んで自公の野党と応酬しているのを見ていると、辺野古移設を中止することで、政権の方針は固まっているように思える。容易に想像がつくのは、小沢一郎の意向が強く反映されていることだ。マスコミはよく、来年の参院選で民主党が単独過半数を確保したら、社民党を連立から切り離すと言っているが、それはマスコミの希望的観測に過ぎない。小沢一郎こそ社民党を必要としている。一つには、岡田克也を筆頭とする反小沢勢力との対抗上であり、今ひとつは、アメリカとの交渉に「社民党カード」を使うためだ。マスコミは、アメリカと一緒になって「日米同盟と社民とのどっちが大事なんだ」と金切り声を上げるが、私に言わせればこれ以上「売国」的な言論はない。彼らはいったいどこの国の人間なのかと思ってしまう。思い出すが良い。「55年体制」の頃、自民党政府はアメリカとの交渉で「社会党カード」を用いたものだ。もっとも、当時の自民党では吉田茂の流れをくむ保守本流が政策を決めており、売国的な岸信介の系列は「保守傍流」だった。その彼らが、今では「真正保守」(笑)を自称しており、保守本流の流れをくむはずの谷垣禎一も、彼ら「真正保守」たちに迎合しなければ自民党を運営できないようだ。
単刀直入に言って、私は普天間基地移設問題に関しては、小沢一郎?鳩山由紀夫のラインは結構買えると、最近認識を改めたのだが、他の問題に関しては、小沢一郎の専横ぶりにはいただけないことが多い。世間を騒がせた「天皇の政治利用」問題における小沢一郎の態度は、私にはかつて「皇室は最後の抵抗勢力だ」と言ったという小泉純一郎を思い出させるものだった。こと天皇制に関しては、小泉純一郎も小沢一郎も「真正保守」とは正反対に、全く皇室を重視していない。そして、この件で小沢一郎が突っ張ると、得をするのは安倍晋三、平沼赳夫、城内実、稲田朋美ら「真正保守」たちなのである。リベラル・左派はまずこれら復古的改憲(または自主憲法制定)論者たちを「お前が言うな」と批判して(だって、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を憲法に復活させようとする彼らのもくろみこそ、究極の「天皇の政治利用」だろ?)、それから小沢一郎の強権的な姿勢に注文をつけるべきだと思うが、左翼が右翼と一緒になって小沢一郎叩きに熱中しているようではどうしようもない。
小沢一郎が突如として「子ども手当の所得制限」などを言い出したこともいただけない。この件に関する私の見解は、『kojitakenの日記』のエントリ「「子ども手当の所得制限」に反対を表明する」および前エントリへのコメント欄に書いた。結論から言うと、「子ども手当」の所得制限は実施すべきではない。財源を求めるなら、税制を抜本的に改革し、所得税の累進性を強めるべきだということだ。
なんだかんだ言って、ようやく民主党政府の政策をめぐって多様な意見が出るようになったと感じる年の瀬ではある。
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たとえば小野善康著『景気と経済政策』(岩波新書、1998年)という本があり、ネット検索したらこちらに要旨が出ていた。小野氏は、不況期にこそ財政出動をせよ、不況期の財政赤字は余剰資源の有効活用ができるからかえって好ましい、不況期に必要なのは、政府が民間では吸収し得ない余剰労働力を積極的に使って、意味のある公共財を供給することである、国債発行は将来世代の負担になるというが、この議論自体にも多くの誤りがあり、特に不況期には負担にならないなどと主張している。
1998年当時からこのような主張があったのに、コイズミはその逆をやってしまい、日本をぶっ壊した。小野氏は、「官から民へ」という中曽根以来の新自由主義政権が使い続けたスローガンについても、「官から民へと騒げば、官は何もしないことになり、失業が放置されてかえって無駄が発生する」と批判している。
私には、中川秀直ら「上げ潮派」の、小さな政府と金融政策の組み合わせで、というか政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させるという主張(としか私には思えない)が、私の頭が悪いせいかもしれないが、どうしても理解できない。新自由主義者は、これは高度に洗練された理論であって、だからエスタブリッシュメントはみな支持しているのだと言うのだが、私には富裕層をさらに富ませるための詐術としか思えない。
(『きまぐれな日々』 2008年10月3日付エントリ「ようやく「脱コイズミカイカク」を打ち出した毎日新聞の社説」より)
その後、世界同時不況に対応するために、どこの国の政府でも財政政策と金融政策を組み合わせて対処したので、現在では当時「上げ潮派」のように、「小さな政府と金融政策の組み合わせで、政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させる」ことができると主張する人はほとんどいなくなった。
それは当然だし、良いことだと思うのだが、前記『エコノミストを格付けする』が指摘するには、小野氏は『景気と経済政策』の中で、「不況期には人々は将来不安を抱えて消費意欲が萎え、貯蓄意欲が高いため、消費性向は小さい」、したがって、「消費増の部分が小さくなって、当初の公共投資を超える波及効果の部分は、ほとんどなくなる」、つまり、「不況期は乗数効果がもっとも効かない時期であり、このときには乗数はほとんど1である」と主張しているとのことだ(東谷暁『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年)150頁)。ところがそれにもかかわらず、小野氏が「不況期にこそ財政出動せよ」と主張する理由は、同氏が公共投資はもっとも無駄である失業を最小限にするためのものだと考えているからだ。つまり、不況の時には政府支出が必要だが、景気回復の手段として劇的に効くものではないと小野氏は考えている。
もし、この小野氏の主張が正しければ、リーマン・ショックの震源地だったアメリカには、莫大な政府支出が必要であり、それにもかかわらず劇的な景気回復につながるものではないともいえる。つまり、アメリカ政府にとって「無駄を削る」ことは切実な問題だろうと推測される。
果てさて、そんな時期にアメリカが極東の軍事基地をどれだけ必要としているだろうか。昨今のアメリカ経済を思えば、極東の軍備にかける金があるなら、その分を国内経済の建て直しに回したいと考えるのが普通だろう。私にはこのことが常に頭にあるから、右派メディアの産経・読売・日経だけではなく朝日や毎日までもが日々叫んでいる、アメリカが普天間基地の辺野古への移設を早く決めろと日本政府に圧力をかけているという話が信じられないのである。マスメディアや自民党は、アメリカに振られたくなくて、アメリカの気を引こうと必死だが、アメリカはそれどころじゃないというのが本音ではあるまいか。だって、公共投資の「乗数がほとんど1」なのだったら、アメリカ政府は経済を好転させるために莫大な政府支出が必要であって、極東なんかから手を引きたいと考えているのではないかというのが自然な推理だ。つまり、極東の米軍は言ってみればアメリカが「事業仕分け」の対象にしたくてたまらないのではないか。オバマ政権にとっては「国内経済が第一」なのである。そして、保守メディアや自民党は自意識過剰で自己中心的であり、彼らは何かというと「日米同盟」(1980年以前には保守政治家でさえこんな言葉は使わなかった)を口にするけれど、彼らこそ日本の(政官業癒着構造関係者の)都合ばかり考えていて、アメリカの都合さえ考えていない。辺野古に固執するのも利権がらみだろう。つまり彼らは、政権交代前の政官癒着構造にこだわっているのだ。おそらく、マスコミ人はそんなことは百も承知の上で自民党を応援している。もちろん沖縄の人たちのことなど彼らの眼中にはない。
私は、鳩山由紀夫首相はこの件に関してぶれまくっているとこれまで考えていた。しかし、日曜日(13日)の『サンデープロジェクト』で右派の渡辺周までもが社民党(阿部知子)や国民新党(亀井亜紀子)とがっちりスクラムを組んで自公の野党と応酬しているのを見ていると、辺野古移設を中止することで、政権の方針は固まっているように思える。容易に想像がつくのは、小沢一郎の意向が強く反映されていることだ。マスコミはよく、来年の参院選で民主党が単独過半数を確保したら、社民党を連立から切り離すと言っているが、それはマスコミの希望的観測に過ぎない。小沢一郎こそ社民党を必要としている。一つには、岡田克也を筆頭とする反小沢勢力との対抗上であり、今ひとつは、アメリカとの交渉に「社民党カード」を使うためだ。マスコミは、アメリカと一緒になって「日米同盟と社民とのどっちが大事なんだ」と金切り声を上げるが、私に言わせればこれ以上「売国」的な言論はない。彼らはいったいどこの国の人間なのかと思ってしまう。思い出すが良い。「55年体制」の頃、自民党政府はアメリカとの交渉で「社会党カード」を用いたものだ。もっとも、当時の自民党では吉田茂の流れをくむ保守本流が政策を決めており、売国的な岸信介の系列は「保守傍流」だった。その彼らが、今では「真正保守」(笑)を自称しており、保守本流の流れをくむはずの谷垣禎一も、彼ら「真正保守」たちに迎合しなければ自民党を運営できないようだ。
単刀直入に言って、私は普天間基地移設問題に関しては、小沢一郎?鳩山由紀夫のラインは結構買えると、最近認識を改めたのだが、他の問題に関しては、小沢一郎の専横ぶりにはいただけないことが多い。世間を騒がせた「天皇の政治利用」問題における小沢一郎の態度は、私にはかつて「皇室は最後の抵抗勢力だ」と言ったという小泉純一郎を思い出させるものだった。こと天皇制に関しては、小泉純一郎も小沢一郎も「真正保守」とは正反対に、全く皇室を重視していない。そして、この件で小沢一郎が突っ張ると、得をするのは安倍晋三、平沼赳夫、城内実、稲田朋美ら「真正保守」たちなのである。リベラル・左派はまずこれら復古的改憲(または自主憲法制定)論者たちを「お前が言うな」と批判して(だって、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を憲法に復活させようとする彼らのもくろみこそ、究極の「天皇の政治利用」だろ?)、それから小沢一郎の強権的な姿勢に注文をつけるべきだと思うが、左翼が右翼と一緒になって小沢一郎叩きに熱中しているようではどうしようもない。
小沢一郎が突如として「子ども手当の所得制限」などを言い出したこともいただけない。この件に関する私の見解は、『kojitakenの日記』のエントリ「「子ども手当の所得制限」に反対を表明する」および前エントリへのコメント欄に書いた。結論から言うと、「子ども手当」の所得制限は実施すべきではない。財源を求めるなら、税制を抜本的に改革し、所得税の累進性を強めるべきだということだ。
なんだかんだ言って、ようやく民主党政府の政策をめぐって多様な意見が出るようになったと感じる年の瀬ではある。
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