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きまぐれな日々

今年は、経済政策についての議論がますます混迷の度を深めた年だったと思う。

私は、基本的にその道の専門家の意見を尊重するものであるが、こと経済学に関しては、学者によって正反対の主張がなされるばかりか、同じ学者がころころ意見を変える例が目立つ。だから、裏ブログ『kojitakenの日記』では、その道の専門家である(ことになっている)池田信夫氏や植草一秀氏をしばしば批判するし、彼らに「トンデモ」だとか「陰謀論者」などというレッテルを張ることも厭わない。もっとも、池田、植草両氏はネットでは絶大な人気を誇るものの、アカデミーで地歩を築いているとは言い難いようだ。

しかし、小泉内閣の閣僚を務めた竹中平蔵となると話は別で、今でもしばしばメディアに出て、得意の饒舌をふるっている。今年の正月に、NHKの特番を初めとして精力的にテレビ出演していた頃の竹中は、金子勝や加藤紘一を相手にしても、その弁舌の巧みさにより、あたかもディベートに勝っているかのような印象を視聴者に与えることに成功していた。しかし、この頃が竹中の最後の栄光であり、政権交代が起きて「小泉構造改革」への批判がタブーでなくなると、竹中もテレビで議論するたびに「勝者」の印象を視聴者に与えることはできなくなった。最近、亀井静香との対論で、竹中は、積極財政を主張する亀井の意見に対して「それも一つの考え方です」と言ったが、かつては竹中はこのような言い方は決してしない男だった。この対論を見て、竹中も精彩を欠くようになったなあと思った。

政権交代選挙の直前の今年8月に、フリージャーナリストの東谷暁氏が書いた『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年)という本が出た。買い込んだまま読んでいなかったが、昨日一気読みした。この本の「あとがき」に、下記のようにある。

 数式やグラフが並び、緻密な論理によって組み立てられたエコノミストたちの議論を読めば、ここには客観的な真理を追求する「科学」があると思うかもしれない。しかし、お互いを激しく罵りあう論争や、自説についての傲慢なまでの確信を目の当たりにすると、むしろ、それは「宗教」に近いのではないかと感じることもあった。

 興味深いのは、2003年ころから一時的な景気回復が見られた際、構造改革派もインフレターゲット派も財政出動派も、この経済の立ち直りは自分たちの理論の正しさが証明されたと信じて疑わなかったことである。自分たちの世界観充足し、自説を疑うことがないというのだから、これはまさにカルト宗教に近いと言えるかもしれない。事実、経済学を宗教になぞらえる経済思想の研究家もいるほどだ。

 とはいえ、世界同時不況という事実を直視し、各国政府が実際に採用した経済政策を検討するならば、ある種のエコノミストたちが声高に論じていた絶対に正しい理論もなければ、何から何まで神秘的なオカルト的理論から成り立っていたわけでもない。ほどほどのところで仮説を立てて、そこそこの共通認識でアメリカの金融危機に端を発する経済的混乱に対応しているというのが、掛け値なしの現実というべきだろう。

(東谷暁 『エコノミストを格付けする』(文春新書、2009年) 251頁)


私はもちろん著者のように経済学の文献を読み込んだことなどないが、これは納得できる文章だ。この「あとがき」にあるように、この本は構造改革派、インフレターゲット派、財政出動派のいずれもを厳しく批判しているが、その中でも竹中平蔵、中谷巌、八代尚宏といった新自由主義者たちと、かつて日本にインフレターゲットを強く推奨しながら、リーマン・ショックに端を発するアメリカの経済危機に際しては財政出動派に変身してしまったポール・クルーグマンをこき下ろしている。

「転向」した中谷巌に対しても、

すっかり「時代の犠牲者」のような風貌を備えるに至ったが、中谷氏はいまも「改革論者」であることに変わりはない。(中略)中央政府の仕事を、外交と防衛だけに限定してしまうというのだから、夜警国家を推奨する「新自由主義者」であり、霞が関の官僚を激減させてしまうというのだから、小泉政権以上のハードな「構造改革論」を振り回しているわけである。(前掲書218-219頁)

と手厳しい。しかし、さらに辛辣を極めるのが竹中平蔵に対する論評であり、著者は竹中を、

これほどあけすけに、アメリカ金融界との間に立つ「フィクサー」として振る舞っていながら、多くの読者の支持を得ていることが不思議で仕方がない。(中略)これまで竹中氏が公言してきた経済についてのコメントは、ほとんどが矛盾を来し、しかも、そのすべてが政治的な行動のために経済学的な見解を犠牲にしてきた。私はこの人物が単にアメリカに「操られている」だけだなどとは思わないが、少なくともその発言を経済学者のものとして扱うのは間違っているだろう。(前掲書213-214頁)

と酷評している。実際、竹中が主張を豹変させてきたのはよく知られているところで、それでなければ閣僚はつとまらなかったのかもしれないが、竹中の特に悪質なところは、それを得意の詭弁でごまかしてしまうところだった。

ところで、著者が竹中とともにメインのターゲットにしているのが、昨年のノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンである。かつて1998年に日本が不況に陥った時、クルーグマンが日本に勧めた政策がインフレターゲットであり(つい最近も経済学者でもない元新自由主義者の勝間和代が菅直人に勧めて話題になったが)、日銀が量的緩和を続けながら日銀総裁が日本経済をインフレにすると宣言して国民のインフレ期待を引き起こせば、不況なんて簡単に脱出できるよと言っていたが、昨年来アメリカ経済が危機に陥った際にとられたのは普通の金融緩和策と財政政策の組み合わせであって、しかもクルーグマン自身がインフレターゲット論ではなく「ためらいなき財政出動」を推奨する旗振り役になり、かつてインフレターゲットを勧めた日本に対しては「謝罪」した。著者はクルーグマンをくるくる立場を変える人間と見ている。そして、かつて金融緩和はダメな企業を生き残らせるとして反対してきたサプライサイド経済学者の竹中平蔵が、突如として究極の金融緩和策であるインフレターゲット論を受け入れる立場に転向したことについて、

この人物(竹中平蔵)を、「自説」といったものを持つ経済学者であると認識している限り解けない謎だろう。(前掲書115頁)

と皮肉っている。竹中は論外としても、ついしばらく前までは、不況には財政出動なんか効かない、効くのは金融政策だけだと言われていたのが(どうもこの説が主流になったのは、1993年にクリントン時代のアメリカが緊縮財政をとりながら不況を脱出したことが原因らしい。著者はこれを、冷戦の終結(社会主義陣営の崩壊)と日本のバブル崩壊という、(アメリカにとっての)幸運に見舞われたためだと考えている)、今どこの政府でもやっているのは財政政策と金融政策の組み合わせであって、改革派経済学者である野口悠紀雄までもが財政出動を訴えている。ましてや、他の大勢の学者が小泉政権時代の2000年代前半には「小さな政府」論を唱えながら、現在では過去の自らの誤りに言及するのでもなく「大きな政府」を推奨している実例が、証拠を提示しながら、これでもか、これでもかというほど本に書き連ねられている。この本を読んで、経済学者たちに不信感を持たない人などいるだろうかと思えるくらいだ。

現在、ネットで一部民主党支持系ブロガーたちに神のごとく崇め奉られている植草一秀も、リーマン・ショックの直前には「良い小さな政府」を唱えていた。そもそもこの人物は、経済学者としての出発点がマネタリストであり、レーガン大統領の任期中、日本の経済学アカデミーの間でレーガノミクスに対して否定的な評価が主流になっていた1983年に、レーガノミクスを評価する論文を書いたことを今でも自著(『知られざる真実 ?勾留地にて?』)で誇っている。どうしてそういう人物が現在金融政策を軽視して財政出動だけを叫ぶ人間になっているのか、私にはさっぱりわからない。

また、やはり現在ネットで一部新自由主義系ネットワーカーたちの熱烈な信奉の対象になっている池田信夫は、竹中平蔵をさらに過激にしたような主張を展開している。この人物の場合、まだ主張が首尾一貫しているとはいえるが、竹中平蔵でさえ世の支持を急速に失っている時代に、ネットにおける池田信夫の人気が衰えないのも謎だ。そして、前記東谷暁氏の『エコノミストを格付けする』には池田のいの字も植草のうの字も出てこないことからもわかるように、ご両人とも経済学のアカデミーから認められた人物ではないが、ネットではともに一部の信者たちから絶大な支持を集めている。

池田信夫の高慢な文章はよく知られているが、読者、特に一部の有名ブロガーに取り入る文章を書く植草一秀にしても、

仙谷由人行政刷新相の発言がこれまでの発言と一変した。(植草一秀の書いている)『金利・為替・株価特報』を熟読していただいたのだと思われる。(11月29日付の植草氏のブログより)

と書くなど、その「知られざる」高慢さは池田信夫に一歩も引けをとらない。現実は、どこの国でも財政政策と金融政策を組み合わせて不況に対処していることなど、別に植草一秀のレポートなど読まずとも誰でも知っている。誇大宣伝をしている植草一秀にも呆れるし、世界中の政府の政策に反して、いまだに「改革が遅れているから景気が回復しないのだ」と叫ぶ竹中平蔵や、それに追随する池田信夫に至っては論外というほかない。

そして、「無駄の削減だけしていれば財源は確保できる」としてきた民主党政府や、その「事業仕分け」を熱狂的に支持してきた国民を見ていると、日本がいまや世界の主流から大きく乖離した小泉構造改革路線に立ち戻ろうとしているようにしか見えず、暗澹たる思いになる。一昨年の参院選および今年の衆院選は、「国民の生活が第一」というスローガンを掲げた民主党を第一党にすることによって、有権者が新自由主義に「ノー」という審判を下したものとしか私には思えないのだが、その結果小泉構造改革が復活するようでは、日本経済の再建が果たして本当に可能なのかという暗い気持ちになってしまう。日本人はいつになったら「改革詐欺」に騙されていたことに気づくのだろうか。


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