きまぐれな日々

早いもので、今年も残すところあと1か月。政権交代の起きたこの年が、果たして後世にどう評価されるだろうかと思いをめぐらせている。

ブログを開設してから今年の4月でまる3年が経過し、4年目に入っている。誰が言い出したのか、ウェブサイトの寿命は3年などと言われているそうだから、当ブログは平均寿命(?)を超えたことになる。

実は、かなり以前から私は、衆議院選挙の投開票日の翌日にどれくらいのアクセス数をいただけるブログになるか、ということを考えていた。8月30日に投開票が行われた第45回衆議院選挙の結果、政権交代が実現したのだが、その翌日の8月31日に、「衆議院選挙で民主党圧勝 ろくな議員が残らなかった自民党」と題したエントリを公開した。この日、当ブログへのアクセス数は、FC2カウンタの計数によるトータルアクセス数で過去最多の17,049件に達した。それまでの最多は、一昨年に『きっこの日記』からリンクを張って紹介していただいた時に記録したものだったが、それを2年ぶりに更新した。もちろん、この程度のアクセス数で世論に影響を与えることなどできないが、私の実力からすると、これくらいが精一杯だと思えた。前記の8月31日付エントリは、衆議院選挙の総括であるとともに、それまでの3年4か月運営を続けてきたブログの総決算でもあったのだ。現在では、アクセス数はピーク時の数分の一になった。

いざ政権が交代してみたら、いろいろと問題も出てくるだろうし、麻生前政権以上に新自由主義的な性格も現れてくるだろうとは予想していた。そして、その懸念は当然のごとく現実化している。その典型例が「事業仕分け」だろう。

あまり毎回毎回「事業仕分け」のことばかり書くのも何なので、今回でこの件は一区切りとしたいが、ひとことで言うと民主党政権の「事業仕分け」には、大きく分けて2つの問題点がある。民主党政権は「効率的な小さな政府」を目指しているように見えるが、軍事費のように本当に削るべき費用を削る姿勢が見えないこと、これが第一点。そして、さらに問題なのが、政権が政府支出自体を縮小しようとしていることだ。これは、既に深刻な不況下にあり、今後不況がさらに悪化することが懸念される現状にあっては、決定的に間違った方向性である。

昨日、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』に長妻昭厚生労働大臣が出演していた。長妻氏は、一昨年に同じ番組に出演した時、年金問題で自民党の大村秀章を完膚なきまでに論破した論客だ(当ブログ2007年6月17日付エントリ「自民党の「年金問題の切り札」・大村秀章の醜態」参照)。しかし、政権交代前、私は実は長妻氏に対して、新自由主義志向ではないかとの懸念を持っていたし、その懸念をブログで表明したこともある。だが、昨日のテレビ出演で、長妻厚労相は「日本の医療費、医師の数は先進7カ国で最低」と指摘し、「今回の政権交代の大前提は、コンクリートから人。医療崩壊を立て直すためには、一定の金額が必要だ」と診療報酬全体の底上げを改めて求め、財務省が診療報酬全体を引き下げて配分の見直しを求めていることに反論した(朝日新聞記事より)。また長妻厚労相は、小泉政権の「骨太2006」で示された年間2200億円の社会保障費削減も批判していた。私の感覚では、政権交代前と比較して株が上がったのがこの長妻厚労相であり、逆にストップ安まで値を下げたのが、藤井裕久財務相、平野博文官房長官、及びこの2人を任命した鳩山由紀夫首相である。鳩山首相については、「政治と金」の問題もあり、4年などといわず早期に退陣してもらいたいものだと考えているほどだ。概して新政権にはスピード感が不足していて、だから小沢一郎や菅直人も、私の評価としてはじりじり値を下げている。

話が脇道にそれたが、小泉構造改革が国民生活を破壊したあとに政権交代によって発足した民主党政権の目指す方向性は、「効率的な(サービスの)大きな政府」以外にはあり得ない。職務上当然とはいえ、財務省の狙う医療費や社会保障費の削減に長妻厚労相が反対するのは評価できる。

ところが、昨日の『きっこの日記』(2009年11月29日付)を読むと、「事業仕分けで漢方薬の保険適用除外を検討しようとしていることに対して、医師や患者が反対運動をしている」というマスコミ報道は虚偽であるとの批判に続いて、長妻厚労相を「厚労省の操り人形」と表現し、漢方薬の保険適用除外検討に反対する長妻氏を、「トンチンカンなことを言い出す」とか「『ミスター検討中』の次は『ミスターマリオネット』なんてアダ名をつけられちゃう」などとこき下ろしていた。これには大きな違和感を持った。

さらに引っかかったのは、これに続いて、漢方薬の保険適用除外批判の件を、「国民の8割から支持されてる『事業仕分け』にケチをつけたい一部の勢力」が起こしたバカ騒ぎだと断定していることだ。きっこさんは、「コイズミ」の構造改革が国民の8割どころか9割から支持されていたことをお忘れなのだろうか。私は、きっこさんがコイズミの登場時に騙されて期待していたものの、医療費の国民負担が高くなる一方であることからコイズミに疑問を持つとともに政治に関心を持つようになり、コイズミ批判のブログとしてもっとも有名になるに至ったと了解している。それなのに、今また「国民の8割から支持されてる」事業仕分けは正義であって、それに逆らう者は「悪徳ペンタゴン」じゃなかった、一部の勢力の陰謀だと言うのだろうか。長妻昭と枝野幸男を比較して、後者に軍配を上げているきっこさんの文章に、私は到底ついていけなかった。

「漢方が保険適用外になる」というのは本当にデマか、ということについては、『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「【漢方薬問題】「きっこの日記無謬主義」は「官僚無謬主義」と同じ過ちだ」が検証している。このエントリからリンクされている、同じ筆者が書いた『JanJan』の記事「漢方医療が危ない!?事業仕分けに疑問続出」と併せて、是非参照されたい。「一般用医薬品は安価である」という勘違いがきっこさんの議論を誤らせているように思う。

過去には「民主党なんて所詮は自民党の一派閥に過ぎない」と書いていたはずの『きっこの日記』が、小沢一郎や鳩山由紀夫を過剰に持ち上げたり、「事業仕分け」は国民の8割が賛成しているのだから、それに反対するのは抵抗勢力(という表現ではないけれど)だ、と言わんばかりの文章を書くに至ったのか、その動機は私にはよくわからないのだが、政権与党入りしてからいまひとつ存在感を打ち出せていない社民党と対応しているかのようだ。その社民党を叱咤激励しているのが、政治思想右派の亀井静香なのだから、リベラル勢力の不甲斐なさには目も当てられない。

それにしても、耐震偽装事件で『きっこの日記』が注目されたのが4年前。私がブログを始めたきっかけの一つが『きっこの日記』の活躍に刺激を受けたことだった。それを思い出して、時の流れを感じる今日この頃である。


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前回のエントリ「共産党と国民新党の経済政策の類似性と「城内実」の問題」に、ぽむさんから下記のコメントをいただいた。

マイカーからバスへの利用転換を図る「バス利用等総合対策事業」(国交省、13億円)も廃止、路線バスの維持に取り組む自治体を支援する「地域公共交通活性化・再生総合事業」(国交省、41億円)は「自治体や民間などに移管」と判断だそうです。
どう考えても小泉改革の延長にしか見えないのですが。

2009.11.24 23:09  ぽむ


公共交通機関の衰退は、地方に住む人の多くが痛感していることだろう。私は、旅行先で路線バスを利用することが多いが、徳島県で、時刻表に記載されていたバスが路線廃止になって他の会社に変わってしまったために、バスのダイヤが変更になってあてが外れたことがあった。それでも、この時はバス路線が廃止になっていなくて幸運だった。

バス停は存在するものの、路線が廃止になってもはやバスが走っていない例も何度も目にした。1999年に全通したしまなみ海道(広島県尾道と愛媛県今治を結ぶ本四架橋のルート)では、同海道の開通を当て込んで新設された愛媛?広島県間の島をつなぐ路線バスは、あっという間に不採算で運行が休止された。それを目にしたのは1999年12月初めのことだから、もう10年にもなる。訪れるたびにバスの路線が減っている中国地方の都市もある。四国のある市でコミュニティ・バスに乗ってみて、運賃100円のこのバスが、地元のお年寄りに重宝されていることを理解したが、そこでは民営の路線バスが壊滅状態になり、コミュニティ・バスに「発展的解消」をとげたのだった。だが、コミュニティ・バスが運行されている町は、まだ恵まれている部類だ。地方における公共交通網の衰退は、本当に深刻である。

誰だったか忘れたが、民主党の政治家が、車を使わずに鉄道を使おうという主旨の本を書いていたのを本屋で立ち読みしたおぼろげな記憶もある(鉄道オタクで有名な前原誠司ではなかったと思う)。しかし、そのような意見は民主党では決して主流ではなさそうだ。マイカーからバスへの利用転換を図る動きは凍結され、不採算の路線バスは休止なり廃止してしまえ、というのが民主党政権の「事業仕分け」なのだから。この件を論じるのに、宇沢弘文の『社会的共通資本』でも持ち出してみようかとも思ったが、そんな気持ちも萎えてしまった。

そこで趣向を変えて、オーケストラの話でも書こうかと考えた。「事業仕分け」に日本オーケストラ連盟から批判が出ているが、ずっと前からオーケストラは貧乏で団員は悲鳴を上げていたはずだ。書いていたのは故岩城宏之あたりだったか、それは忘れたけれど。オーケストラへの予算配分の削減というと思い出されるのが大阪府知事の橋下徹であり、ちょっとネット検索をかけてみると、2008年の府知事就任早々、橋下府政が大阪の4つのオーケストラの予算をいずれも大幅に削減していたことを報じる産経新聞記事(リンク切れ)を引用したブログ記事が見つかった。ここに引用されている昨年4月9日の産経新聞記事に、「在阪4楽団をめぐっては一昨年、財界トップが「4つを1つにしては」と発言して物議を醸した」と書かれていたようだが、いまや民主党支持のブログが橋下を支持する関西の財界人と同じ発想に基づくブログを書いているらしいことが、『生きてるしるし』の記事からわかる。

だが、これについて熱く語る気持ちも盛り上がらなかった。毎日新聞調査で74%、産経新聞調査では実に9割にものぼる「事業仕分け」を支持する世論の前では、何を言っても無駄という気になってしまうからだ。

私は何も「事業仕分け」のすべてを否定するものではない。しかし、もっとも気になるのは、事業仕分けでスケープゴートを仕立て上げ、国民がそれに拍手喝采している間も、本当に削減すべき対象からは全然削減が進んでいないのに、「小さな政府」を目指す志向性が感じられることだ。「効率的な政府」が、何も「(サービスの)大きな政府」であってならないはずがないし、現実は「サービスの大きな政府」でなければやっていけないはずの状況なのに、庶民性を標榜するブログが「良い小さな政府」を目指すと公言する植草一秀を信奉し、新自由主義志向のブログはもちろん池田信夫を信奉している現状では、ブログで何を書いても空しいなあと思うばかりなのである。

何も、植草、池田両氏がともに経済学のアカデミーにおいては本流から外れているから軽視するわけではない。しかし、たとえば地球温暖化に関して、植草氏池田氏は、ともに専門外であるこの分野に首を突っ込んで、地球温暖化懐疑論を唱えるだけならともかく、そこから陰謀論的に議論を進めようとする。ともに東京大学経済学部を卒業しているこの2人は、他にもいろいろ共通点があるのだが、ネットでもてはやされるエコノミストというのはこの手の人たちである。池田氏はまだ旗幟鮮明な新自由主義者だから立ち位置が明らかだが、植草氏は自著に明記している通りマネタリズムと「規制改革=小さな政府論」を経済学研究の起点にしており、昨年にも「良い小さな政府」論を唱えている。そして、政治思想的にも、故中川昭一の「もうろう会見」や急死に関して陰謀説を示唆したり、小泉純一郎は厳しく批判しても、安倍晋三をほとんど批判しないばかりか、安倍が森内閣及び小泉内閣の官房副長官を務めていた頃に、「安倍晋三氏を囲む5人の会」のメンバーだったのではないかと推測される人物である(植草氏の著書の記述より推測した。『kojitakenの日記』参照)。一時、鳩山政権の緊縮財政思考批判に回る兆しが見られて注目していたが、記事が信奉者に支持されなかったためか、再び民主党政権マンセーの論調に戻った。

ブログで尊大な姿勢を崩さない池田信夫とは対照的に、植草一秀には読者に取り入ろうとする傾向があり、それが陰謀論やトンデモへの志向につながる。そしてそれは、当ブログが2007年12月23日付エントリ「ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する」で批判した対象との親和性が強いのである。

この壁を突き崩さない限り、ブログで何を書いても先に進めない。そんな思いにとらわれて、『きまぐれな日々』はなかなか更新できないし、更新しても書き手として満足のいく記事にならないことが増えている。


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このところの政治でもっとも話題になっているのは、「事業仕分け」だろう。

私には小泉構造改革の再来としか思えないのだが、なぜか世評は高い。一昨日(22日)のテレビ朝日『サンデープロジェクト』で、司会の田原総一朗が、「民主党政権の『事業仕分け』は国民に支持されている」と言っていた。事実、産経新聞の世論調査では、内閣支持率はわずかながら上昇し、事業仕分けを「評価する」意見が9割近くに達している。一方、毎日新聞調査では、内閣支持率は、産経と全く同じ10月17, 18日調査との比較であるにもかかわらず、支持率を8ポイントも下げている。しかし、「事業仕分け」については、「評価する」意見が74%に達している。

現在の野党第一党は自民党だが、国会では自民党はくだらない質問しかできない体たらくで恥をさらすばかりであり、国会で与党をたじたじとさせているのは共産党である。同党の機関紙『しんぶん赤旗』は、政府の「事業仕分け」を、下記リンク先の記事で厳しく批判している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-21/2009112102_01_1.html

 診療報酬の議論で財務省は借入金の返済など経営経費を考慮に入れない年収だけを比較し、開業医の「高収入」を問題にしました。財務省は「勤務時間は病院のほうが長い」とも指摘しました。しかし日本医師会の調査では40歳代以上では開業医の勤務時間の方が長くなっています。事実に反する議論まで持ち出して財務省が求めたのは開業医の診療報酬引き下げです。結論も「開業医・勤務医の(診療報酬の)平準化」となりました。これは、民主党が掲げた「診療報酬を増額する」というマニフェストにさえ反します。

 薬価見直しについては漢方薬、湿布など「市販品類似薬」を保険外にすることも検討対象に含めました。そんなことをすれば医療現場で欠かせない薬を使えなくなるとともに、低所得者はますます医薬品を利用しにくくなります。

 入院時の食費を患者負担増の方向で見直し、パートの均衡待遇助成金も見直し、子どもの読書推進の事業は廃止など、生活関連の予算を無造作にカットしています。科学・スポーツなど採算や効率では評価できない事業も、「赤字だ」「民業圧迫だ」と切り捨てる議論は、あまりにも乱暴です。

(『しんぶん赤旗』 2009年11月21日付記事「主張/「事業仕分け」 これはあまりに乱暴すぎる」より)


さらに『しんぶん赤旗』は、「仕分け人」に経済財政諮問会議や規制改革会議の関係者ら、小泉構造改革の推進者が名を連ねていることを指摘し、これを批判している。

 もともと「事業仕分け」を推進したのは小泉内閣です。事業ごとに採算・効率を取り上げ、公的な事業を減らして民営化を進めるテコにする狙いがありました。

 それを引き継いだ鳩山内閣の「事業仕分け」にも、「仕分け人」として、経済財政諮問会議や規制改革会議の関係者ら小泉「改革」の推進者が名を連ねています。

 「構造改革」路線に対する国民の厳しい審判を押し戻そうとする抵抗の動きが起きています。国民の世論と運動で打ち破っていこうではありませんか。

(『しんぶん赤旗』 2009年11月21日付記事「主張/「事業仕分け」 これはあまりに乱暴すぎる」より)



最近は、ちょっと共産党の意見に同調しただけで一部から過剰な反発を受けるが、総選挙で民主党が圧勝したのは、小泉構造改革を否定し、「国民の生活が第一」を掲げたためだと言って良いだろう。しかし、現実に鳩山政権が行っている政策は、財務省主導の緊縮財政路線に乗ったものである。

閣内で、共産党に近い主張をしているのが国民新党の亀井静香だと思う。日本会議に所属している亀井は、政治思想でいうと明らかな右翼で、つい先日も新党日本に加えて平沼グループ(当ブログでの呼称は「平沼一派」)を取り込もうとしたが、経済政策では一貫して積極財政政策を訴えている。現在のような厳しい不況下においては、財務相の藤井裕久の方向性よりも亀井の方向性の方が望ましいと思うのだが、こういう考えを持つ人間は残念ながら少数派だ。そして、その少数派として共産党のほかに右翼勢力があるというのが現実なのだ。

一つどうしても気になるのが、当ブログの天敵ともいえる城内実の存在だ。彼が昨年11月11日にブログで書いた「国籍法改正」に反対するブログ記事は実に醜悪であり、『日本がアブナイ!』経由でこれを知った私は、「はてなブックマーク」に、

kojitaken 城内実, これはひどい, 国籍法, 右翼, 極右, レイシスト, 差別 こんなひどい文章を書く政治家は見たこともない。二度と当選しないで欲しい。いや、視界から消えて欲しい。 2008/11/19

と書くとともに、『kojitakenの日記』で城内を非難するエントリを上げた。もちろん、当ブログでも繰り返し城内を叩いた。その結果、城内から煽りの反撃を受け、現在でも彼から「上から目線で重箱のすみをつつくことに自己満足を感じている絶滅危惧種の左翼全体主義ブロガー」という尊称をいただいている(名指しはしていないが、私を指しているとしか読み取れない)。同じ記事で城内は、別のブロガーを「一部のとんちんかんなネット右翼」と言って非難しているが、笑えるのは「全体主義」といい「ネット右翼」といい、城内実自身にこそぴったり当てはまる言葉であることだ。

とにかく、城内のレイシズムむき出しのエントリについた「はてなブックマーク」は、今なお増え続けて200件に迫っているし(もちろん、その大部分に城内実を非難するコメントがついている)、当ブログの昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」は、今年の7月末に城内実が「眞鍋かをりさん無断使用ポスター事件」を起こした時に、衆院選直前だったこともあって再び注目され、短期間に1万数千件のアクセスをいただいた。上記エントリでは、国籍法改正の是非には触れず、城内ブログに見られたレイシズム的言辞のみを徹底的に叩いたが、これが城内に言わせれば、「過去の私のブログの記事をろくに読みもしないで」ということになるのだろう。その後私は、過去に城内実がずいぶんご立派なことを書いているエントリも読んだが(これが『STOP THE KOIZUMI』への売り込みに功を奏したようだ)、衣の下から鎧を現したのが、「国籍法改正反対」のエントリであって、こちらにこそ城内の本音が表れていると思う。

例によって延々と城内実批判が続いたが、この城内実は、師匠の平沼赳夫と比較しても経済問題への関心が比較的高く、その小泉純一郎批判は、一部の共産党系論者からも肯定的な評価を受けていることを最近知った。その一方で、民主党などの国会議員らに、城内実の国籍法改正反対記事のURLを張って、城内への警戒を呼びかけるメールを送った人もいる。共産党系でも評価する人がいるくらいだから、政治思想も近い亀井静香が平沼一派を取り込もうとしたのは不思議ではない。私は、亀井静香の悪いところが出たと思ったが、亀井静香は彼なりに一貫している。国民新党を結成した頃、同党が提示する政策に「この指とまれ」をやって、自民党でも民主党でも、われわれの政策に賛同する人たちと組む、と亀井は言っていた。その結果が民主党、社民党と国民新党の連立政権になったのであり、社民党と国民新党は互いに大幅な譲歩をしながら、民主党が「小さな政府」路線に暴走しないよう歯止めをかけている「はず」である。現実には、社民党の歯止めの力があまり効いていないように見えるし、産経新聞などは社民党の連立離脱を期待しているようだが、事態は決して産経新聞が期待するようには進展しないだろう。最大の理由は、この三党連合が小沢一郎にとって利用価値があるからだと私はにらんでいるのだが、今回はそこには深入りしない。

で、当ブログのスタンスを改めて明確にしておかなければならないが、新自由主義に反対するためなら平沼赳夫や城内実とも組むというスタンスは、当ブログは決してとらない。国家社会主義はやはり誤りであり、それは歴史の教えるところであると考えている。城内実がむき出しにしたようなレイシズムや排外主義抜きの国家社会主義などあり得るだろうか? 自己矛盾に陥ってしまってそんなものは存在できないというのが、現在の私の意見である。

もう一つ頭が痛いのは、リベラル勢力に根強い、不況期の財政再建政策を容認というか支持する意見が根強いことであって、これは「サンデープロジェクト」(来年3月いっぱいで終了するらしい)で星浩がしばしば力説することから想像がつくように、朝日新聞などが強力にこの主張を繰り返している影響もあるだろう。なにしろ朝日は消費税増税まで強硬に唱えているが、財政のあり方からいって、金持ち増税をやったあと、それでも足りない分を消費税増税で補うという手順を踏まなければ成らない。ただでさえ借金の返済のために財政の本来あるべき機能である再分配ができなくなっているのに、財政再建のためと称して逆進性の強い消費税増税に走ると、ますます格差が拡大する。ところが、リベラル派の人たちがなかなかそれを認識できないから、城内実のような輩に付け入る隙を与えるのである。朝日新聞の記者たちは、みな高給取りであって、むしろ格差の拡大を歓迎しかねない人たちだということを頭に入れておく必要がある。


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前々回のエントリで、

その道の第一人者こそが、約束ごとにとらわれない自由な発想ができる。だからこそ第一人者なのであり、型にはまった考え方しかできないのは素人の方なのである。

どんな政党でも、党のそれまでの方針に固執するのは、執行部ではなく支持者である。そして、どんな社会でも、古い差別意識がもっとも遅くまで残っているのが一般市民というか、庶民のレベルなのである。だから、庶民が読み、書き、考えると称するブログには、旧弊の色が濃い。

と書いた。

これは、実は読者を挑発した表現であって、しばしば「上から目線」のブログと言われる当ブログが、思い切った「庶民批判」をしたものであるが、特にこれに対する批判のコメントはなく、逆にぽむさんから、

この部分には、特に強く共感しました。「上から目線」なんてことを言い出す人が出てきそうですが、「暴君の臣民は暴君よりたちが悪い」と言われるように時代を超えた普遍的な現象だと思います。実際、仕事などでリアルに接する人たちの会話を聞いていると、時にいかなる反動的なテレビのコメンテーターなどより弱者・少数者への酷薄な見方や差別意識にぞっとさせられることがしばしばあります。
賢い「リベラル・左派を自認するブロガー及びその支持者」はそんな「どうしようもないB層」とは違うはずが、結局大した変わりがないようですね。

という賛同のコメントをいただき、さらにぽむさんのコメントに対して、フリスキーさんから、

まったく同感です。
たとえば、
市民新聞JANJANのコメント欄などを拝見していると、
ステレオタイプな偏見、あからさまな差別意識、情けないほどの付和雷同ぶりに辟易とさせられることが多々あります。
そしてそららの言説は、ほとんどがネット上で言い古されたものばかりなのですね。
おそらく、ある論点についてあらたに本を読んで自分の頭で物事を考えるという習慣も希薄でしょうし、ネット検索という手法で安易に権力者に都合の良い論調に擦り寄って、自分を同調させることで脆弱な自己のかりそめの安寧を求めているのですかね。
私もいくつかのコメント欄で議論に参加したことがありますが、上記の観念に凝り固まっている様は絶望的なほどでした。

という賛同のコメントをいただいた。

私は最近、権力批判、政府批判も必要だけれど、国民や「庶民」を批判することも欠かせないと思うようになってきている。小泉純一郎の「劇場政治」を支持したのも国民だったし、先の戦争だって、国民の支持なしには遂行できなかった。そして、戦争に反対する人たちを弾圧し、「村八分」にしたのも庶民たちだったのである。

ネットの政治的言論で何がいけないといって、「庶民」の立場に立つポーズさえ見せれば、すべてが免罪されるような風潮がまかり通ることだろう。「嫌中嫌韓」を臆面もなく掲げて、「在日」に対する悪態をつくのは、何もネット右翼だけではない。左翼の側にもいくらでもひどいレイシストはいる。たとえば、ヘンリー・オーツと称する、アメリカかぶれ丸出しの名前を名乗っているブロガーは、

「平和の政党、庶民の味方」いつの時代かに掲げていた標語である。それが自公の連立となってからはアメリカのイラク攻撃に真っ先に賛意を示した小泉自民党に追随し、派遣法を成立させることで今日の格差社会を生み出すことに貢献して来たのがソン・テジャクこと大作大先生率いる朝鮮カルト「創価学会」と見事に政教一致している国賊公明党なのだ。

などという真っ赤な嘘を書いている。私は『kojitakenの日記』に、「池田大作の本名は池田大作」という記事を書き、その中で、ヘンリー・オーツを指して「ネオナチ同然」と書いたが、裏ブログより読者数の多いこちらのブログでも、改めてヘンリー・オーツの虚言を指摘し、この男が「ネオナチ同然」であることを強調したいと思う。同様の指摘は、今年7月26日付の『vanacoralの日記』によってもなされているが、こういうことは、大多数の人たちが納得するに至るまで、何回でも繰り返して書かなければならない。私とて公明党や創価学会に対する批判は持っているが、批判はあくまでも事実に基づいてなされねばならない。捏造に基づく批判は誹謗中傷にほかならず、ヘンリー・オーツが行っているのはまさにそれだ。この私の主張に反論するのであれば、「池田大作の本名がソン・テジャクである」ことを証明しなければならないが、そんなことが大嘘つきのヘンリー・オーツになどできようはずもない。そして、それができない限り、ヘンリー・オーツはネオナチ同然の人間として弾劾されなければならないのである。

ところで、このヘンリー・オーツは、地球温暖化についても、「地球温暖化詐欺キャンペーン」で得をする人VS損をする人は!?」と題する、呆れるほかない記事を書いている(昨年7月28日付)。以下引用する。

今、手元に図書館から借りた「地球温暖化論のウソとワナ」と「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」があり、飛ばし読みした。私は科学者でもないので細かく検証しようとは思わない。温暖化の原因がCO2によるものかどうかにはあまり興味がない。そんな時間があればもっと別の勉強をしたいと思う。そもそも本を読むきっかけは「反戦な家づくり」さんや「らくちんランプ」さんなどの記事を読んで(全部はとても読んではいません)急に政府が温暖化のことを取り上げるようになったことには裏があると確信したのだ。全然、論理的ではありません。

(『BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」』 2008年7月28日付エントリより)


「興味がない」という人間が、「地球温暖化詐欺」などと書く厚顔無恥さにも呆れるが、ここでオーツが言及している『地球温暖化論のウソとワナ』(ベストセラーズ、2008年)は、興味深いことにノビーこと池田信夫も絶賛している(『池田信夫blog(旧館)』 2008年5月12日付エントリ「地球温暖化論のウソとワナ」)。もちろん、ノビーはヘンリー・オーツのように「急に政府が温暖化のことを取り上げるようになったことには裏があると確信した」とか「全然、論理的ではありません」などとは言わないが、やっていることはヘンリー・オーツと何も変わらない。面白いのは、虚偽に基づいて誹謗中傷を行う札付きの陰謀論ブロガーと、酷薄な新自由主義的主張を振りかざしてネットで大人気の経済評論家のベクトルがぴったり合っていることだ。

私が思うのは、真面目に気候学を研究している研究者から見たら、マイナーなヘンリー・オーツはともかく、ノビーなんかがネットで大人気を博している現状をやり切れなく思うんじゃないかということだ。だが、この手の「反知性」の跋扈が、民主党政権にまで及んでいるのではないかと思わせるのが、昨今話題の民主党政権の「事業仕分け」による基礎研究の圧迫である。

基礎化学系のD1だという大学院生の方は、ブログに下記のように書いている。
http://www.chaoticshore.org/blog/2009/11/14-021318.html

「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンをもらえないと納得できません!」

これは仕分け人の蓮舫議員の言。自分としては趣旨そのものを否定するつもりはない。リターンを金銭的なものに限らないという条件付だけど。

研究、特に基礎研究は、すぐに目に見える形でのリターンは期待できない。10 年後、20 年後に何かのベースとして実用化されていれば儲けもの。
人類の知にひっそりと 1 ページを付け加えるだけ、というものが多いのも事実。だけど、これでもリターンとしては十二分だと思う。
もともとアカデミックでの基礎研究というのはそういうもので、応用を考えている人のためのライブラリの構築こそが本質と言えるだろう。

しかし、短期的なリターンだけ、採算性だけを求められると、こういう土台となるべき基礎研究はほぼ確実に崩壊してしまう。
今回対象とされた理研のスパコンや SPring-8、バイオリソースなどは多くの研究者にとって欠かせないツールであるし、科研費、競争資金、若手育成、理系教育は、現役の研究者および次代の研究者の卵にとっては必要不可欠である。

特に若手育成、理系教育は、世代の連続性を確保する上では欠かせないと考える。
いわゆる「理科離れ」の問題は理系領域への人の流入を弱めてしまうし、仮に高校での中等教育を無償化したとしても、その上にあるべき大学、大学院での教育、研究がボロボロになっていては、誰も科学技術の道へ進もうとはしないだろう。
資源のない日本にとっては、科学技術と人材こそが発展の鍵ではないだろうか。
今回の仕分けがそのまま通ってしまえば、その柱が崩れてしまう。

博士課程に進んだのは自分の意思だし、いまさらそれを否定するつもりもないが、現状では後輩に同じ道を勧めることは到底出来そうにない。相談されたら否定的な態度をとるつもりだ。勧めるとしても日本ではなく海外。かく言う自分が博士修了後に海外へ行くことを考え始めているのだから。
日本という国は嫌いではないが、日本という国で研究を続けることはできなくなってしまうのか。それがなんともやりきれない。

(『徒然なる記録 - Chaotic Shore』 2009年11月14日付エントリ 「事業仕分けと科学技術立国という幻想」より)


私はこの記事を読んで「またか」と思った。バブル崩壊後に日本経済が傾いた頃、あるいは新自由主義を高らかに謳い上げた小泉政権が発足した頃、自民党政府は同じように「役に立たない」基礎研究を圧迫し、それらにかける支出を、「金になる」研究に振り向けようとした。第1次小泉内閣で経済産業大臣を務めた平沼赳夫は、「大学発ベンチャー1000社構想」(別名・平沼プラン)を提唱したが、これは、「新市場・雇用創出に向けた重点プラン」の一環だった。もちろん、この政策が採られた時、同時に「金にならない研究」が圧迫されたことは言うまでもない。余談だが、平沼が経産相を務めていた時に、超党派の自然エネルギー促進議員連盟によって、ドイツのFIT(フィードインタリフ)法とほぼ同じ内容を持つ法案(「幻のFIT法案」と呼ばれる)が、議員立法として成立する一歩手前まで進んだことがあるが、経産省と電力業界の巻き返しによって潰された。つまり、平沼は経済産業省が自然エネルギー促進を後退させた時の最高責任者だった。その極右思想といい、百害あって一利なしの男である。

以上見たように、金にならない基礎研究なんかにかける支出を削って「効率化」してしまえという発想は、「真正保守」を標榜する平沼赳夫にも及んでいる。日本の学問、文化、芸術といったものを損なってしまうことを私は危惧するのである。

虚偽や思い込みに基づいてとんでもない誹謗中傷を行うヘンリー・オーツも、専門外の分野に首を突っ込んで妄言を撒き散らす池田信夫も、基礎研究にかける金を削って効率化一辺倒を志向した平沼赳夫も、同様のことをさらに過激に行おうとしている現政権や実質上現政権をコントロールしている財務省も、みんながみんな寄ってたかって、小泉純一郎がぶっ壊した日本に、さらにとどめを刺そうとしているようにしか見えない。

仙谷由人行政刷新担当相は、「事業仕分け」について「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と発言したが、中国の文革が学問や文化、芸術をぶっ壊すものだったことは論を待たない。いま日本で進行している事態は、まさしく「文化大革命」である。これぞ「無血革命」の成果。小沢一郎、鳩山由紀夫、植草一秀の「三種の神器」万歳!


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右翼雑誌『正論』の12月号を買った。この雑誌を買ったのは、多分初めてである。ついに「自公工作員・古寺多見」が本性をあらわしたのかもしれない(笑)。

なぜ買う気になったかというと、「鳩山総理よ、その「友愛」が日本を衰亡させる」と題した特集が組まれており、東京大学名誉教授・虫明功臣氏の「八ッ場ダムは本当に無駄なのか」およびアラスカ大学国際北極圏研究センター名誉教授・赤祖父俊一氏の「地球温暖化の原因は炭酸ガスにあらず」という注目すべき2本の記事が出ていたからである。虫明氏は水文・水資源工学が専門。水文(すいもん)とは耳慣れない単語だが、Wikipediaによると、「地球上の水循環を対象とする地球科学の一分野であり、主として、陸地における水をその循環過程より、地域的な水のあり方・分布・移動・水収支等に主眼をおいて研究する科学」とのことである。従って、ダムの専門家ではない。また、赤祖父氏は長年アラスカ大学で地球物理学教授を務めた人だが、気候学の専門家ではない。

いうまでもなく『正論』は民主党政権の脱ダム政策にも、温室効果ガス25%削減の政策にも反対であり、その理論的よりどころとして両氏の記事を掲載したものであろう。敵の論拠を知っておくのも良いかと思い、購入したしだいである。

もちろん『正論』のことだから、アレな人たちの文章がたくさん載っている。安倍晋三による中川昭一への追悼文なども載っているが、なんといっても「巻頭言」として平沼赳夫が「保守再興へわが闘争は続く」と題した文章を寄稿しているのを見てぶっ飛んだ。平沼はついに「わが闘争」という言葉を堂々と使うに至ったのか、と感心したのである。

いきなりのサブタイトルが「左翼的政策を隠した民主党」である。衆院選前に、平沼一派と民主党の連携を夢想していた人に見せたいサブタイトルであり、文章だ。以下引用する。

■左翼的政策を隠した民主党

 わが国の根幹をズタズタにする革命が静かに進行している。政権を奪取した民主党がこのまま四年間政権の座に居座りやりたい放題にやれば、わが国は日本という名のまったく別の国になり果ててしまうだろう。

(『正論』 2009年12月号掲載 平沼赳夫 「保守再興へわが闘争は続く」より)


この書き出しに続いて、平沼は、まず八ッ場ダム建設中止を批判し、さらには民主党が永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓の早期実現を図り、恒久平和調査局や靖国神社に代わる国立追悼施設の創設を企てているなどとして、「こうした政策が実現されれば、日本の根幹が完全に破壊されるのは火を見るより明らかである」といきり立っている。

さらに平沼は、自民党も槍玉に挙げる。森喜朗や小泉純一郎だけではなく、「HANAの会」(別名「AHA?Nの会」=故中川(酒)命名)の仲間であるはずの麻生太郎も「首相在任中は靖国神社参拝を避けて通った。いとも簡単に「村山談話」を踏襲した」、「懸賞論文に「村山談話」を否定する論文を応募した田母神俊雄航空幕僚長を、論文の内容をしっかり検証することなく、本人に申し開きの機会すら与えないまま解任した」とけちょんけちょんにけなしている。もし麻生太郎ではなく平沼が総理大臣だったら、どれほど中国や韓国ばかりではなく、アメリカとも摩擦を起こしただろうかと思うと、かつて総理大臣候補とも言われたことのある平沼が総理大臣をやらずに済んで本当に良かったと思う。麻生太郎もろくでもない総理大臣だったが、それでも平沼赳夫よりはよほどましだろう。

平沼は、自民党総裁選についても、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔の三氏が、誰一人として「自民党が結党以来掲げてきた党則である自主憲法制定を声高らかに唱えることなく、安全保障についても言及しなかった」とおかんむりだ。

そして、ここからがお笑いなのだが、自民党総裁選前に自民党の衆参の議員が平沼の事務所を頻繁に訪れ、「自民党に復党してくれ、総裁選挙に出てくれ」と平沼を口説いたのだそうだ。しかし平沼は、自身の信念からこれを断り、たまたまその場に居合わせた城内実は、「平沼さんに頼むのならば、まず自民党本部にある小泉純一郎の額を外してから来い」と言い放ったとのことだ。これほどボスの平沼赳夫に忠実な城内実が、こともあろうに「9条護憲派」だなんて誰が言ったんだろう、と思い返すと、なんだか笑えてくる。

そんな平沼にとって何よりショックだったのが、中川昭一の死だった。そして、また「内緒話」だとして、総選挙前に中川昭一が平沼の事務所を数回訪れて、「私は自民党にこだわっていません」と言ったと書いている。私はこれを読んで「死人に口なし」だよ、ひどいなあと思った。故人について軽々しくこんなことが書ける平沼って、実に軽薄な人間ではなかろうか。まるで最晩年に中川昭一が自民党を見限ろうとしてたみたいじゃん。死者を自派の宣伝に利用するのかよ、お前は、と思って呆れてしまった。そんな平沼が、中川の死亡のニュースでローマの「泥酔会見」ばかり流していたと憤る。「お前が言うな」としか思えない。

平沼の文章の中でもっとも噴飯ものなのは、下記の部分だ。

いま私が目指しているのは、自民党と民主党の一部の真正保守政治家と手を携えて第三の流れを作っていくことだ。平沼グループと中川氏が遺した真・保守政策研究会のメンバーを核に真正保守勢力を立ち上げて、来年の参議院選挙を戦いたいと考えている。

(『正論』 2009年12月号掲載 平沼赳夫 「保守再興へわが闘争は続く」より)


平沼がこの手のことを言うのはもう見飽きた。平沼は何年も前から、新党を結成するぞ、結成するぞと言い続けてきたが、結局平沼一派は3人しか衆院選の当選者を出せず、政党の要件を満たしていないのが現実なのだ。

平沼は、期待を寄せている政治家として、自民党では古屋圭司と稲田朋美、参院の衛藤晟一(安倍晋三が強引に自民党に復党させた)、西田昌司、藤井孝男、民主党では松原仁、長島昭久、野田佳彦、渡辺周、笠浩史の名前を挙げているが、彼らの中に平沼一派に参加する政治家などいるだろうか。

平沼は、

従来のやり方に加えてインターネットというツールを利用しながら、一人でもお送り会社を増やしていくつもりだ。

と書いているが、弟子の城内実からやり方を教わると良い。そして、去年大評判をとった城内実の伝説のエントリ "bakawashinanakyanaoranai" を凌ぐ、ぶっ飛んだ主張を是非世に問うてもらいたいものである。

[追記]
国民新党と新党日本の合併構想があり、亀井静香は平沼赳夫にも合流を求めているらしい。亀井静香の悪いところが出た。やつらが与党入りするなら、私はもちろん連立政権不支持に回る。
http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911150333.html


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世間一般では、専門家よりも素人の方が決まりごとにとらわれず、自由なものの考え方ができると素朴に思っている人が多いと思う。

しかし、事実はそんな俗説とは真逆である。その道の第一人者こそが、約束ごとにとらわれない自由な発想ができる。だからこそ第一人者なのであり、型にはまった考え方しかできないのは素人の方なのである。

どんな政党でも、党のそれまでの方針に固執するのは、執行部ではなく支持者である。そして、どんな社会でも、古い差別意識がもっとも遅くまで残っているのが一般市民というか、庶民のレベルなのである。だから、庶民が読み、書き、考えると称するブログには、旧弊の色が濃い。

民主党支持のブロガーが、同じ民主党を支持する他のブロガーと意見が合わなかった時に、相手を「共産党支持」と決めつけたことは、親の世代の保守的あるいは反動的な考え方の影響が、無意識のうちに表れたものと思われるが、かつてテレビのコメンテーターを長く務めた植草一秀氏は、間違いなくそれが正当な考え方ではないことを了解していながら、謬論を煽動する挙に出た。私はそこに大衆を蔑視する植草氏の差別意識を感じ、強い反発を覚え、これを許せない。

民主党というのは周知のように寄り合い世帯で、自民党より右から、旧社会党でももっとも左に位置する人たちまでを抱えている。しかし、民主党右派の政治家だって、党内で意見の合わない人に対して「共産党」呼ばわりなどしない。一方、民主党支持のブロガーは、上記のように「共産党」呼ばわりをするほか、植草一秀氏が菅直人や岡田克也らに対して好意的でない文章を書くと、それに右に倣えしてきた。しかし、政権交代がなったあとに植草氏が書く文章は、氏がかつて誹謗した岡田外相の発言とほとんど変わらない内容である。そんな植草氏が、自らが影響を及ぼし得るブロガーに「共産党攻撃」をけしかけるのは、唾棄すべき醜い行ないである。見たくもない。

延々と植草一秀氏を批判し続けていても仕方がないから、今回のエントリでは、現在発売中の『世界』12月号に掲載されている、渡辺治・一橋大教授の論考「新自由主義転換期の日本と東京 変革の対抗的構造を探る」を紹介したい。この論考で、渡辺教授は先の総選挙における「民主党一人勝ち」を分析しており、民主党の勝利には、小泉構造改革によって疲弊した地方の「構造改革批判」が強まったことと、小沢一郎が民主党代表を退いて鳩山由紀夫が代表になったことに伴って、かつて自民党より過激な構造改革路線を掲げていた民主党を支持していながら、小沢の旧来自民党的な「利益誘導型政治」のイメージを嫌って民主党から離れていた都市部の人たちが民主党支持に戻ってきたという、相反する2つの要因があったとしている。論文には、2001年参院選から今年の衆院選までの6度の国政選挙におおける、宮崎県と東京都の自民党・民主党の得票率の推移を示すグラフが掲載されているが、宮崎県ではなんと2005年の「郵政総選挙」でも自民党は前年の参院選より得票率を減らしている。一方、東京都では2004年の参院選で得票率が26.50%と、民主党の38.87%に大きく水を開けられていた自民党が、「郵政選挙」では40.34%の得票率で民主党(29.62%)を逆転した。しかし、2007年の参院選と今年の衆院選では再び民主党が自民党を大きくリードした。

一言で言えば、福祉国家志向の地方と、いまだに新自由主義志向の強い都市部の有権者がともに民主党を支持した結果が、衆院選の民主党圧勝だったという分析であり、妥当な分析だと思える。この分析だけなら、ブログで取り上げたりしようと思わなかっただろうが、面白かったのは、渡辺教授が民主党には3つの構成部分があり、3つの国家構想があると指摘している部分だ。

まず、渡辺教授は民主党指導部を「無自覚の新自由主義派」だとしている。彼らは、民主党政権が構造改革の怒りに対する国民の怒りに支えられて成立したことを理解していて、できるだけマニフェストに掲げた福祉の政治を実現しようと思っているにもかかわらず、実際にとっている路線は、明らかに構造改革路線だと渡辺教授は指摘する。民主党は福祉国家構想に基づく財政支出の位置づけや大企業負担を柱とする財源構想を持たないため、社会保障費は小泉政権時にも例を見ないほど大きく削られることになった。地方が疲弊・衰退したのは、「官僚丸投げの政治」のせいなどではなく、小泉政権が活用した「経済財政諮問会議」が官僚を押さえつけて政治主導で決めた毎年2200億円の削減の結果だったのに、鳩山由紀夫は「脱官僚の政治」などと称して、結局小泉と同じことをやっているというわけである。

これは納得できる考察であり、それにもかかわらず、植草一秀氏が積極財政を主張しながら鳩山首相や藤井裕久財務相を批判しないことは、摩訶不思議としかいいようがない。

一方、民主党には新自由主義志向の指導部とは明らかに異なる国家構想を持った有力な勢力があり、それが小沢一郎に代表される「修正利益誘導型政治派」だと渡辺教授は分析する。そして、官僚主導の政治の打破ではなく、民主党による開発と官僚の「独占」が小沢の狙いだとしている。

しかし、民主党には鳩山由紀夫らの指導部と小沢派のほかに、福祉国家志向の第3の勢力があり、それを渡辺教授は「個別的福祉政治派」と名づけている。このグループは、衆参両院にまたがる中堅議員集団からなっている「手足」であり、民主党の新しい政治の実働部隊はこのグループであると渡辺教授は指摘している。以下、『世界』の論文から引用する。

この勢力は、構造改革の矛盾が顕在化するにつれ、社会保障・反貧困・教育・環境などの運動団体、社民党、共産党などとも連携をとりながら構造改革政治の矛盾を突き、またそれに代わる制度の追求も行なってきた。このグループは、〇七年に民主党の反構造改革への方向転換が始まると勢いを増し、自公政権の開発型政治、構造改革政治の矛盾を国会で追及し、民主党の看板的な政策を担いマニフェストの拡充を行なってきた。

(『世界』 2009年12月号掲載 渡辺治 「新自由主義転換期の日本と東京 変革の対抗的構造を探る」より)


渡辺教授は、この勢力は独自の政治体制や国家構想を持っていないために新自由主義的な国家構想を持つ党執行部の裁量に任されてしまうと指摘し、彼らは財源などについて福祉国家型の国家構想を持つべきだ、と書いている。この分析は私にはよく納得できるもので、民主党にはこういう勢力があるからこそ、新自由主義的な鳩山執行部や、旧来自民党的な小沢一郎の存在にもかかわらず、民主党に対して大きな期待を持っている。

ところが、積極財政を唱えながら新自由主義色の強い鳩山由紀夫を熱心に支持してきた植草一秀氏は、「反権力」をウリにしてきた市民ブロガーに共産党攻撃をけしかけ、ブロガーたちもそれに呼応しているのが現状なのであり、これは、民主党中堅の「個別的福祉政治派」が「共産党とも連携をとりながら」構造改革に代わる制度を追求してきた現実から大きく乖離している。空想的反権力市民ブロガーたちを導く植草一秀氏は、私には「ハーメルンの笛吹き男」にしか見えない。

今も権力の実態は、「裏の権力」であるところの、CIA→電通→マスゴミ→東京地検→司法・警察の「悪徳ペンタゴン」だ、などという幼稚な戯言は、もういい加減やめてもらいたいし、彼らの主張がおかしいと思う人たちは、どんどんそう主張すべきだ。もういつまでも「自エンド」じゃないのだから、市民ブログも次の段階を目指さなければならないと思う。


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鳩山由紀夫内閣発足から50日以上経過し、来年度予算の概算要求が95兆円に達した件や普天間基地移設問題をめぐって内閣が批判を浴びるようになった。私は前者の批判は誤りだが、後者については批判されて当然だと思う。

国会論戦では自民、公明、共産、みんなの党などが野党として政府・民社国連立政権を批判しているが、それに伴ってかどうか、ブログの世界でも「民主対共産」の対立構図が見られ始めた。

しかし、呆れ返ったことに、その論戦たるやまことにお粗末なのだ。植草一秀元教授が、「企業団体献金全面禁止後の政治資金のあり方」と題したブログのエントリで、

 共産党は政党交付金を受領していないが、その分、共産党の支持者がその意志に反して重い負担を強いられているという現実も存在するのではないか。

などと書いたものだから、これが植草氏を信奉する民主党支持者の共産党攻撃を煽った形となった。

植草氏のブログにおける主張は、積極財政を主張する点が支持できるため、このところ私は植草氏批判を控えめにしてきたが、上記の主張はいくらなんでも滅茶苦茶である。支持者からお金を集める共産党のやり方は、今後民主党が倣って目指すべきものであって、民主党が掲げる「企業団体献金全面禁止」のあるべき姿ではないかと私は考えている。ところが、植草氏は「共産党の支持者がその意志に反して重い負担を強いられている」などと書いて、せっかくの良い流れに水を差している。植草氏の主張に煽られた民主党支持者のブログの中には、お粗末極まりない主張をする者までいて、「はてなブックマーク」で、ふだん共産党に批判的な方からも、

あちこちで無知な人がいっぱしの口を利き、自己の支持政党に後ろ弾を撃ってるのに気づいてないのは喜劇

と論評される始末である。この問題に関しては、「はてブ」で別の方が指摘されている、

共産党の主張は「政治に金をかけるな」ではなく「政治には金がかかるを理由にして企業と癒着したり国の税金を使ったりするのをやめろ」だろ?陰謀論に走るより前に個人献金してくれる支持者を増やせよ

というのが正論だ。植草氏の陰謀論は、民主党がまともな方向に向かうのを阻害するものであり、植草氏の支持者も、氏が書くことを金科玉条のごとくすべてありがたく受け入れるのはいい加減にやめたほうが良い。氏は、まともなことも書くけれどもトンデモなことも書く、ワンオブゼムのブロガーに過ぎない。妄信してはならない。

普天間基地移設問題についての植草氏の主張もいただけない。しばらく前に私が『kojitakenの日記』のエントリ「「平成の無血革命」と普天間飛行場移設問題」で批判し、昨日も『vanacoralの日記』が批判しているように、植草氏は「平成の無血革命成功を期す鳩山首相演説」と題したエントリで、

普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる。嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を軸に着地点を見出す必要があると考えられる。

と書いている。ところが、民主党が野党だった時代に沖縄の米軍基地問題について熱心だったはずの、植草一秀氏のフォロワーたちは、これを批判せずに沈黙を守っているのである。熱心な民主党支持者であるvanacoral氏が書くように、「キャンプシュワブへの移設一つ取って見ても自民党案の踏襲」である。植草氏はこんなトンデモなことを書きながら、同時に「平成の無血革命」などと書くのだが、私には信じられない感覚である。

この件に関して、『琉球新報』が「普天間県民大会 確かな「総意」を示そう/「県外・国外」は新政権の義務」と題した11月8日付社説で、下記のように書いている。

 突き詰めると沖縄の米軍基地を廃止すれば自主防衛・核武装という「高コストで危険な安保」を背負わねばならないという「究極の選択」に怯(おび)え続けてきた戦後日本政治の限界が透けてくる。

 戦後政治の大半を支配した自民党政権が怯えた究極の選択を前に、鳩山新政権も萎縮(いしゅく)し判断停止に陥っている。

 だからこそ普天間の「県外・国外移転」を公約に掲げながら嘉手納統合案や辺野古沖という対米追従の自民路線の継承に傾いている。

 鳩山新政権の背信行為は、自民党政権ですら挑んだ北海道や岩国、厚木、横田、グアムなど県外・国外移転の調査・検討もなく「県内移設」を打ち出していることだ。

 戦後64年間、沖縄県民は絶えることのない米兵犯罪の犠牲、演習・爆音被害に耐え、救いを求めながら、十分すぎるほどに基地の重圧を背負い続けてきた。そんな沖縄の過重負担を軽減すると鳩山首相は約束したはずだ。

 普天間を県外に移設しても、在日米軍の専用施設の70%以上が沖縄には依然として残る。

 県内移設の強行は、県民の反軍・反基地感情を高め、日米安保の安定的運用すら困難を極める。

 県民は、安保の沖縄への過重依存や「米軍基地問題の沖縄封じ込め」という“差別”政策の転換を政権交代に期待した。鳩山首相に県民が求めているのは、首相自らが約束した普天間の県外・国外移設の実現という誠意だ。

(『琉球新報』 2009年11月8日付社説より)


これが沖縄の声なのである。

一方で中央のマスコミはどうかというと、昨日(11月8日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、司会の田原総一朗は、岡田克也外相に対して、「県外移設はありえないですよね」などと、論外と言わんばかりに聞いていた。これは実にふざけた態度であり、田原がいまだ自民党政権時代の「御用ジャーナリスト」気分から抜け出ていない、つまり「与党ボケ」していることを象徴するものであるが、民主党支持ブログの筆頭格である植草一秀氏が、さりげなく「普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる」の一語で片付けようとすることは、どう考えるべきなのか。

この問題について、与党では社民党が沖縄の声に耳を傾け、民主党にブレーキをかける役割を求められているはずだが、社民党の福島瑞穂党首は、宜野湾市で8日に開催された「米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会」に、いったんは出席の意向を示しながら、これをキャンセルしてしまった。党内からも福島氏の出席に反対する声があったといい、そんなことを言いそうな有力議員の顔も思い浮かぶのだが、ここは福島氏が出席してこそ、社民党が連立与党入りした意義があったというものだ。何をやってるのかと言いたい。

そして、内外からさまざな圧力を受ける政治家と違って、思ったことが書けるはずの市民ブログまでもが、リーダー格のブログがあっさり現状追認をしてしまうと、誰もそれを批判できないようでは、あまりにも情けない。もっと各自、誰かさんの顔色をうかがうことなく、自分の考えをブログに書いても良いのではないか、なぜそれができないのか、そんなに「村八分」が怖いのかと呆れる今日この頃である。


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それにしてもまあ、ひどい時代になったものである。鳩山内閣のデフレ政策を批判しないのか批判できないのか、政権交代ってその程度のものだったのかと思ってしまう。

そんな中にあって、民主党員のさとうしゅういちさんが、「藤井財務大臣を辞めさせ、亀井静香・金融担当大臣に財務大臣を兼務させるべき」と主張していることには、大いに共感できる。
http://www.news.janjan.jp/government/0911/0911032648/1.php

しかし、このように藤井財務相の緊縮財政路線を正面から批判する意見は、この夏まで「政権交代」を訴えていた人たちの中ではごく少数派である。大部分のブログの間には、まるで鳩山由紀夫首相への批判がタブーであるかのような空気が流れており、藤井財務相の緊縮財政政策(新自由主義政策の特徴の一つである)を批判する者などほとんどいない。たとえば、民主党支持ブロガーの間で絶大な人気を誇る植草一秀氏は、藤井裕久氏を批判しない。植草氏を熱烈に支持するブロガーの中でも、政治思想右派の人たちの間には、少なからず藤井氏を批判する声があるが、植草氏は積極財政を主張するものの、文章がなぜかそこで止まってしまい、藤井財務相を批判の槍玉にあげるところまでいかない。実質的には藤井氏を批判しているのと同様とも読めるが、藤井財務相を名指ししなければ、フォロワーたちは動かないのである。

また、「真正保守(笑)」の城内実は、経済政策では積極財政を支持しているように見えるが、なぜか民主党を「小泉政権と同じ新自由主義志向だ」と言うのではなく、安倍晋三に歩調を合わせて、「民主党は社会主義だ」という論法をとっている。安倍は、今でも首相就任時と同じ、極右にして過激な新自由主義の立場に立った主張をし続けている。

群から離れたブログの中には、藤井財務相のネオリベ路線を批判している者が少なからずいるが、群を形成しているメダカたちの間にはほとんどいないのである。勇気の欠けた人間ばかりだ。

中には、株式の売買で生計を立てていると称する者もいて、以前裏ブログの方で一度批判したら、「株式売買は頭脳労働だ」とか、「株式売買のみで生きている証券会社など全員働いていないのと同義」だとか、あげくの果てには「この薄ら馬鹿は資本主義そのものを否定している」などと私に悪態をついている。だが、裏ブログの別エントリで書いたように、株価にはその時点までの情報が反映されているはずで、平均株価が下落している局面では、時たまのラッキーはあっても、多くの株式売買を重ねて継続的に利益を上げることはできないはずなのだ。証券会社には手数料収入があるし、素人の投資家は逆に手数料を払う立場だから、両者を混同するのもおかしい。私が「資本主義そのものを否定している」という妄言にいたっては論外であって、同エントリで私は、株式売買に熱中する投機屋は批判しているが、余裕資金のある人に対しては、むしろ自らが育てたいと思う企業への投資を勧めている。私に悪態をついた人間が、本当に株式売買で生計を立てられているのか、私は疑っているのだが、こういう怪しげな人間までもが、「政権交代ブロガー」の主力選手の一人として通用していたのが実情だから、藤井財務相の緊縮財政路線を批判するどころではないのである。

それにしても、よくある株関係の雑誌が、企業の良し悪しを評価するのに、借金を減らして内部留保を積み上げた企業をよしとする傾向はいつから始まったのだろうか。1998年以来9年連続で民間給与所得は減少し、2007年にようやく前年比で上昇したと思ったら、リーマン・ショックに襲われた。今にして思うと、株関係の雑誌なんかも、新自由主義の旗振り役を務めていた。株の売買で生計を立てようとする人間など、福祉国家を目指す人々の「敵」と言っても過言ではないと思う。第一それは、何の価値も産み出さない。

前回のエントリのコメント欄で、こんなやりとりがあった。

インフレはよいことという議論が出ています。よくインフレターゲットなどの議論にみえるように適度なインフレはよいことという議論があります。確かにそれ自体はそうだと思いますが、問題はインフレが想定範囲内でのインフレで済むかということだと思います。私はそんなにうまく経済を持っていくことは難しいと思います。であるならば財政再建の問題は放置してよい問題であるとは思えません。

経済がこの状態ですから今すぐにとはいきませんが、最悪期である今現在は難しいとしてもなるべく早く財政再建に着手するべきです。IMFに言われるまでもなく財政の問題は危機的です。確かに藤井財務相が言うとおり経済なくして財務なしはそのとおりです。ですが財政自体の問題が経済に大打撃を与える事態もあると思います。

日本はこれだけの経済大国ですが小国のようにハイパーインフレのような大混乱も起こることはありえると思います。もちろん数年のうちに起こるようなことはありえませんが、長期的に見た場合それはありえると思います。財政再建は今のうちから手をつけなければならない問題だと思います。

財政再建は好況時にするべきだという議論があります。それはそのとおりです。ですが日本は今後所謂好況になるでしょうか。バブルのようなものはきません。ここ何年かの好況は戦後最長といわれました。ですが果たして財政再建を出来るような状態でしたでしょうか。少子高齢化と国際競争の中で必要とされる国費は大幅に伸びる一方、バブルや高度成長のような好況はもう来ません。逆に言えばそれほど経済がよくないときでも財政再建は行っていかなければならないということだと思います。

2009.11.05 12:34 れんれん



>ここ何年かの好況は戦後最長といわれました。ですが果たして財政再建を出来るような状態でしたでしょうか。

それは東京のマスコミが勝手に言っていただけで、小泉時代の日本は一貫して経済は悪化していました。
つまり「戦後最長と言われたこの何年かの好況」自体が存在していません。駄法螺です。
小泉時代は緊縮・縮小財政を試みた結果、政府の累積債務は更に増大しました。だいたい倍になりましたよ。。
当たり前の話ですが、通貨は政府・中央銀行からやってきます。
政府が支出を抑えれば、それはそのまま民間の収入が減ることになります。翌年以降の税収が減るのです。
小さな政府は財政の悪化を加速するのです。

ただし、日本はまだ財政難に陥ってはいません。
毎年、一般会計約30兆円の歳入不足に対して特別会計で約40兆円以上の余剰金を出しています。
積み立てや繰り越しで誤摩化した分を除いた純余剰でも毎年2兆円以上の金を余しています。

広義の財政は黒字なのです。

800兆円を超える累積債務の大半は貸出しのためで、真の債務は300兆円ほどです。

日本の場合、財政危機は財政そのものが危機なのではなく、会計制度の歪さによって財政危機と見まがうような現象が起きているのです。
歳入不足だ財政なんだと言いながら、政府の金融資産は毎年兆単位で増加しているのです。

あなたが心配している財政の再建は、一般会計の縮小均衡では達成されません。
特別会計の洗い出しと一般会計への統合、不良債権が疑われる貸出し先の処理、ドル資産の現物化あるいは他通貨化、特別会計の株会計である基金に死蔵された資金の回収。
これが最優先します、
これだけで、心配される債務問題の相当数が消滅します。解決ではなく消滅です。本来財政難ではないのですから。

仮に財政難だとしても、債務のほとんど全てが国内にとどまっている日本の場合、様々な手段で処理することが可能です。

2009.11.05 22:19 sonic


「いざなみ景気」(?)の頃、大手企業の業績は確かに好調だったが、前記のように民間給与所得は9年連続で減少した。さすがに大企業の業績が良かった間は、大企業の社員の給料は下がらなかっただろうが、下請け、孫請けなどを含む中小零細企業まで含めて平均をとると、給与所得は下がり続けていたのである。増えたのは経営陣への報酬、株主への配当金、それに内部留保である。これでは「好景気」を人々が実感できる度頃ではなく、実質的に景気は悪化していたと言っても間違いではないだろう。

デフレが続く限り、景気は悪化する一方であり、デフレに「良いデフレ」などないと思うのだが、なぜデフレが進行している時にインフレの心配をする人が多いのか、デフレは金持ちにとってこそ有利なのに、なぜ貧乏人が金持ちを援助する逆再分配政策を支持するのか、それも私にはさっぱりわからない。民主党政権は、何度も書くように世論に影響されやすい政権である。世論がデフレの進行を望み、政府支出を減らし、財政赤字を減らす政策を支持するから、民主党政権も安心してそちらに進んでしまう。民主党支持のブログから、もっと藤井財務相の政策を批判し、積極財政を求める声が聞かれてしかるべきではないと思うのだが、なぜそうならないのか、私には不思議でならない。


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前回のエントリ「谷垣禎一・安倍晋三・城内実「民主党は社会主義」の大合唱」に関連するが、このところ、私がよく見に行くブログで、「小さな政府、大きな政府」、あるいはデフレスパイラルについて論じたブログのエントリが注目を集めているようだ。

ところが、それらについた「はてなブックマーク」を見ていると、驚くほど新自由主義的な考え方をする者が多い。これは、衆院選前にはさほど目立たなかった現象で、おそらく、「政権交代熱」の冷めた人たちがネットでの政治談議にあまりかかわらなくなり、根強く存在している小泉構造改革の支持者たちの意見が浮かび上がってきたのではないだろうか。下記URLのうちいくつかを眺めてみられるとわかると思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091023/1256302802
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091030/1256911673
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kechack/20091028/p1

上記リンク先の最後のものは、『Munchener Brucke』のエントリ「低賃金を前提にした産業は日本から出て行け 産業の空洞化など恐れるに足りぬ」についた「はてなブックマーク」だが、私もこのエントリをブクマしていて、「賛否両論あるエントリだろうけど、「『好況が好まれない国になってしまっているのである』という指摘は鋭い」とコメントをつけたところ、18個の「はてなスター」をいただいた。

「好況が好まれない国」とは、新自由主義国と言い換えても良い。デフレは、富裕層や大企業にとってこそ好都合だ。デフレとは、物価が持続的に下落していく経済現象のことであり、物価の下落は同時に貨幣価値の上昇も意味するからである。金を持っている人たちにとってはインフレよりデフレの方が都合が良いに決まっている。

また、デヴィッド・ハーヴェイは、新自由主義の「実践」を「富裕階級の権力回復のプロセス」ととらえ、新自由主義は、経済成長ではなく格差の拡大を真の目的としたプロジェクトであるとしている(2007年12月7日付当ブログエントリ「「痛みに耐えたカイカク」の先に現出した「階級社会」」参照)。この理解が正しいとすると、新自由主義者はデフレを好み、デフレスパイラルによって、格差は際限なく拡大していくことになる。「はてブ」を見ると、ブログ主を新自由主義者と誤解する人が多いのに驚くが、新自由主義は人件費削減を目指すものなのである。「最低賃金が時給1000円になったくらいで潰れるような企業はもう潰すべき」と書いた、shigeto2006さんの態度が、新自由主義に反対する者のあるべき姿だと思う。

Wikipediaは、右翼や新自由主義者によって編集されていることが多いのだが、デフレスパイラルに関しては下記のように記述されている。

経済全体で、供給過多、需要不足が起こって、物価が低下する。商品価格が低下すると、生産者の利益が減り、利益が減った分だけ従業員の賃金が低下する。また企業の利益が減ると雇用を保持する余力が低下するので失業者が増える。従業員と家族は減った賃金で生活をやりくりしようとするため、あまり商品を買えなくなる(購買力の低下)。その結果商品は売れなくなり、生産者は商品価格を引き下げなければならなくなる。

物価が下がっても、名目金利は0%以下に下がらず、実質金利が高止まりし、実質的な債務負担が増す。債務負担を減らすために借金返済を優先する企業個人が増え、設備投資や住宅投資が縮小される。投資の縮小は総需要の減少へつながり物価の低下をもたらす。

上記のような循環がとどまることなく進むことを「デフレスパイラル」と呼ぶ。政府による買い入れや物価統制など直接的な手段が有効であるが、現代の経済においては消費者物価の継続的な低下に対して金融緩和や量的規制緩和、為替介入などの金融政策で対処することが多い。所得税の累進性や社会保障はビルト・イン・スタビライザーの機能をもつため物価の安定に機能するとされている。

一方で80年代のレーガノミックス、サッチャリズムによる小さな政府政策以降、ワシントン・コンセンサスに見られる新自由主義や市場原理主義が先進主要国の政策に導入されており、ビルト・イン・スタビライザーの中心でもあった累進課税と失業者救済制度が「自由競争を損ない、経済活動を萎縮させる」と批判の対象とされて機能しなくなつつあり、2007年金融危機発生後の現在では世界規模でのデフレスパイラル発生が懸念されている。


Wikipediaにしてはまともな記述であるように思える。そして、現在、明らかな不況にあるにもかかわらず財政再建路線をとろうとしている鳩山内閣(特に藤井財務相)は、デフレ政策をとろうとしているとして批判されるべきだと私は思うが、そんな与党・民主党を谷垣禎一や安倍晋三や城内実は「社会主義」だと言って批判するのである(城内の主張は、本意としては民主党政府がデフレ政策をとろうとしていることを批判していると読解することが可能で、それなら正しいと思うが、城内は政治的配慮からか、わざわざ誤読を誘う文章にしてしまっている)。

10月14日、鳩山首相はマニフェストを実行するための赤字国債の増発に含みを持たせていたが、これがマスコミの批判を受けると、翌15日には一転して、

「マニフェストの実現よりも、やはり国債をこれ以上発行してはいけないと、国民の意思としてそのようなことが伝えられたら、あるいはそういう方向もあると思う」


と語った(ロイターの記事参照)。

これは、マニフェストを実現できなくて国民生活が良くならなくても僕知らないよ、と言わんばかりの発言であり、全くいただけないのだが、高給取りの人たちが構成しているマスコミの報道に騙されて、緊縮財政を支持する国民も悪い。数年前、金子勝・慶応大教授が、緊縮財政を特徴の一つとする新自由主義政策は、デフレ時に行うものではなく、インフレ抑制策として実施されるのが普通であり、デフレ時にやることではないと言っていたそうだが、これが正論だと思う。ところが、小泉純一郎も竹中平蔵も鳩山由紀夫も藤井裕久も、そうは考えていないらしい。現実に、バブル期には税収が増えて財政赤字幅はずいぶん小さくなっていた。その頃にこそ財政再建の政策を行うべきではなかったかと思うが、自民党政府はそうはしなかった。

「勝ち組」なんかであろうはずのない大多数の国民が、みんなで「お国の借金」を心配してあげて、お金持ちや大企業に奉仕しようというのは、とんでもない倒錯である。それこそ、神野直彦・関西学院大学教授が言うように、「民主主義が機能していない」と思う。


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