きまぐれな日々

気合いの入った記事がすっかり書けなくなってきた今日この頃だが、ようやく召集された臨時国会でも、自民党の谷垣禎一総裁や、総裁選で惨敗した西村康稔の代表質問がいっこうにパッとせず、野党・自民党も全然気合いが入っていないようだ。

「全員野球」で再起をめざしているはずの谷垣総裁だが、国会開会前の今月中旬に「鳩山政権はかなり社会主義的だ」と発言し、鳩山由紀夫首相の所信表明演説の時に与党席から飛んだ声援を「まるでヒトラー・ユーゲント」だと評するなど、選挙に負けてからも相変わらず民主党へのネガティブ・キャンペーンの続きをやるかのようで、全く意気が上がらない。

思い出すと、小泉純一郎率いる自民党が「郵政総選挙」で圧勝したあと、自民党内では誰も小泉に逆らえなくなった。2006年1月の通常国会における小泉首相の施政方針演説の時、「小泉チルドレン」と呼ばれた83人の新人議員たちは、何者かの指示に従って、小泉の演説中に一斉に拍手を送ったのである。
http://blog.livedoor.jp/djnmp610/archives/50346604.html

以下、上記リンク先より引用する。

 小泉チルドレンと呼ばれる新人議員の組織 「83会」 が前日、こんな会報を各議員に送った。
「総理演説の要所要所で声援、拍手をお願いします。 終了後は、米国議会における大統領演説のように83会全員が立ち上がって、30秒ほどの間応援の拍手をしましょう」


4年前にこんなことをやっていた政党の党首が、衆議院の議席の6割を失って再起へのスタートを切る時に、民主党新人議員の応援をヒトラー・ユーゲントにたとえるなどという、「お前が言うな」と言われても仕方ないことを言っているようでは、自民党の再起などおぼつかないだろう。

実際に、臨時国会の代表質問で、鳩山首相に挑んだ谷垣総裁は、「あなた方に言われたくないんです」(=「お前が言うな」)と鳩山首相に切り返された。谷垣は顔を紅潮させて不快感をあらわにしていたそうだが、自業自得としか言いようがない。

谷垣に限らず、自民党の政治家たちは民主党を「社会主義」呼ばわりばかりしているのだが、これには、政治思想的な右翼からの批判と、経済政策上の新自由主義側からの批判という2つの意味合いがある。麻生太郎が総裁として戦った衆院選では、もっぱら政治的右側からの民主党批判キャンペーンが中心だったが、ここにきて民主党の政策を「バラマキ」と批判し、来年度予算の概算要求が95兆円になるとこれを批判するという、新自由主義側からの批判も目立つようになった。谷垣も代表質問で概算要求95兆円の件を批判したが、一方で麻生内閣の補正予算執行を停止したことも批判していたから、何が何だかさっぱりわからず、単に民主党政府にいちゃもんをつけたいだけなのかと思ってしまう。

現実には、藤井財務相を中心とした人たちが緊縮財政に走り、民主党政権発の不況悪化を招くことが懸念されているのに、谷垣のトンチンカンな質問は不況悪化を助長することこそあれ、景気回復につながることはない。

民主党を「社会主義」として非難している今一人の大物が安倍晋三である。
http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000670910260001

上記リンク先の朝日新聞山口版の記事を引用する。

「本質は社会主義的」

◆自民議員ら内閣批判

  自民党県連の政治資金パーティー「政経セミナー」が25日、山口市内で開かれ、党員ら約800人が出席した。閣僚経験者がそろう県選出の国会議員や自民党員の二井関成知事らから、「本質は社会主義的」などと現政権を批判する発言が相次いだ。

  二井知事は23日に岩国基地の民間空港再開問題で馬淵澄夫国交副大臣と面会した際に「要求額や再開時期について、これから行政刷新会議で決めるので一切言えないの一点張りだった」とやりとりを紹介。「情報公開の面でも大きく後退した。政治主導というのが秘密主義、統制主義になっているのではないか」と話し、政権交代後、従来よりも政府内の情報が得られなくなったことへの不満をあらわにした。そのうえで、「自民党がよみがえることが県政の安定につながる」と自民の復権に期待感を示した。

  続いて県選出の衆院議員が相次いで登壇。高村正彦元外相は「国際公約を全く無視してことを進めようとしている」と述べ、日米関係が悪化することへの懸念を示した。河村建夫前官房長官も、子ども手当など国民への直接給付にこだわる現政権に「日本の国はいつから社会主義国家になったのか」と皮肉たっぷり。

  さらに、安倍晋三元首相は「民主党政権の本質は社会主義的政権であると言ってもいいと思う。まず給付ありきだ。国から給付をもらおうという堕落した国家への道を踏み出そうとしている」と痛烈に批判した。

(朝日新聞山口版 2009年10月26日付記事)


この記事を読むと、安倍は自ら小泉政権の中枢を経て自らも総理大臣に就任したものの、国民生活の問題をそっちのけにして改憲の準備にばかり熱中したために一昨年の参院選で惨敗した過去を、全く反省していないことがよくわかる。安倍は、自らが格差拡大の責任者であることも、財政の役割も、何一つ理解していない。この記事に報じられた発言には、安倍の頭の悪さがにじみ出ている。

鳩山首相の所信表明演説を評して、民主党を旧ソ連や中国の共産党、それに北朝鮮労働党、さらにはファシズムにたとえているのが城内実である。
http://www.m-kiuchi.com/2009/10/27/firstpolicyspeech/

以下、城内のブログ記事から引用する。

 鳩山総理の下で民主党が推進する行き過ぎた脱官僚・政治主導路線は、本来あるべき政治(=国民)主導ではなく、結果として(特定の)党主導路線に走りがちである。そのへんのところは、ファシズムやソ連共産党、中国共産党、北朝鮮労働党のようなたったひとにぎりの党エリートがすべてを牛耳るような全体主義路線の教訓を思い起こせば明らかである。立法府と行政府(=官僚組織)との適度な権限配分あるいは緊張関係こそ、日本の国益擁護と国民・市民の幸福実現につながると確信している。

 また、経済学的にも乗数効果が高く、わが国の景気浮揚にとって有効な社会資本整備(=内需拡大)を、悪しき公共事業と決めつけ、これまで民主的なルールにのっとって決定された事項を革命的な手法で白紙に戻すようなやり方は、小泉竹中路線と軌を一にする。

 結局、小泉竹中構造カイカク路線は、総理の靖国参拝を通じた似非右翼ポピュリズム、民主党の脱官僚政治主導路線は革命的な左翼ポピュリズムという側面がぬぐえない。

 鳩山(小沢)民主党政権がお隣の韓国のノムヒョン政権のような結果にならないことを祈るばかりである。

(城内実の「とことん信念」ブログ 2009年10月27日付記事より)


左翼だったら、前回のエントリで紹介したアラル海を干上がらせてしまったソ連のように、行き過ぎた計画経済で国土を破壊する方向性を持つはずであり、城内の批判の論理は、むしろ現在民主党政権が止めようとしている、不必要または有害なダム建設を推進してきたこれまでの自民党政権について当てはまる。そして、過度の公共事業叩きに走りがちな民主党に対する批判は、小泉政権に対するのと同じ方向性で批判すればよい。この論法だと、行き過ぎた計画経済と、行き過ぎた市場原理主義をともに批判する私の論法と同じになるが、城内には、自民党、特に安倍晋三やその仲間たちへの未練がまだ強くあるように見受けられ、それが城内のブログ記事を支離滅裂なものにしている。

谷垣禎一、安倍晋三、城内実と見ていくほどに惨憺たる野党勢力の言論であり、自民党(OBを含む)がこの体たらくでは、民主党政権の懸念される動きに歯止めをかけることはできず、せいぜい共産党に期待するしかないかと思う今日この頃である。


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順調に滑り出したかに見える鳩山由紀夫内閣だが、ここにきて壁に当たっているかのようだ。鳩山内閣に対する批判は、もっともだと思えるものと、批判の方がおかしいと思うものの両方がある。沖縄の米軍基地問題は前者だし、「バラマキ」や脱ダム政策への批判は後者である。そして、その中間にあるテーマがたくさんある。たとえば、環境・エネルギー政策に関しては、「温室効果ガス25%削減」の中期目標自体は評価できるが、そのために原発フル活用を明言した小沢鋭仁環境相(鳩山首相の側近)は全く評価できない。また、昨日テレビ朝日『サンデープロジェクト』で、小泉内閣で郵政民営化を推進してきた竹中平蔵と、その竹中を「ペーパードライバー」と批判し、郵政民営化に対しても「反対」を明言している榊原英資の間に挟まれて、郵政民営化自体への賛否をはっきりさせない大塚耕平内閣府副大臣は、竹中や田原総一朗、星浩、財部誠一ら郵政民営化推進派だけではなく、榊原英資からも「あなたは郵政民営化には賛成なのか反対なのか」と詰問されて答えに窮するていたらくだった。

そして、なんといっても一番いけないのは、マスコミやそれに影響された世論の「財政再建」の声に押されて、というより意地の悪い言い方をするとそれを口実にして、鳩山首相が「赤字国債発行への批判が強まれば公約の見送りもあり得る」などと言い出していることだ。マスコミは、明らかに小泉内閣初期と同じ緊縮財政路線へと鳩山内閣を導こうとしており、これは小泉内閣初期の頃、「改革競争」を小泉に呼びかけた鳩山首相の本音とも合うので、鳩山首相にとっては実は願ってもない追い風なのであるが、国民生活にとってはとんでもない逆風なのである。

この件については、前のエントリの内容と重複するので、今回はあまり深入りしない。新政権に対して同情できるのは、新政権は「計画経済」の矛盾と、OECD調査で世界ワースト4位(下にはアメリカ、トルコ、メキシコの3か国しかない)にまで悪化した貧困率という、互いに方向性の異なる2つの課題をともに解決しなければならない難題を抱えていることだ。

前者を象徴するのがダム問題である。昨日の『サンデープロジェクト』後半でも、大滝ダム建設に伴う白屋地区の地滑りをはじめとした数件の問題が取り上げられていた。大滝ダムの白屋地区地滑り問題については、意外にもWikipediaの記述がよくまとまっており、番組では、Wikipediaが「地滑りの危険性は1974年頃には既に一部から問題提起されていたといわれる」と書いている原資料が映し出された。ネットにこの資料について指摘したサイトはないかと思って調べてみたら、元京都大学防災研究所の奥西一夫氏が作成した、下記URLのpdf資料が見つかった。奥西氏は、前記サンプロの映像にも登場していた。
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/Kazuo.Okunishi/dam-test/opinion-02.pdf

以下、リンク先から引用する。

住民からの依頼で学術調査を行った吉岡金市・和田一雄の両氏は「奈良県川上村大滝ダムに関する調査研究」(1974)と題する報告書で,これまでの斜面変状の経過に鑑み,白屋地区の斜面がダム湛水によって地すべりを起こすことを予告している。ただし,実際に起きた地すべりは当時最も懸念された30m 級深度のものではなく,70m 級深度のものであった。

(奥西一夫 「ダム建設をひとまず中止すべきいくつかの理由」 より)


さらに奥西氏は、予見できたはずの地滑りを「予見できなかった」と強弁する事業者側の言い分を批判し、下記のように書いている。

事業者は蜂の巣のように高い密度でボーリングを掘削して地盤の状況を調査し,30m 級深度の地すべりを想定した地すべり対策工事を実施し,「万全の対策を講じている」とまで言明していたのである。地すべりを予見せずに地すべり対策工事をできないということは土木関係者の間では常識である。すなわち,上記事業者側の主張は二枚舌であると言わねばならない。

地すべりが発生する前にも,地すべりが発生した後でも,このように不可解な言動がおこなわれたのはなぜであろうか。わたしはこれを,自らの過ちを認めれば失脚して再び回復できないという上級官僚の恐怖心が,過ちを糊塗して問題をごまかしつつ,前へ前へと物事を進行させて行く原動力になっているのではないかと考える。「公共事業は一旦決めたら後戻りできない」とよく言われるのも多くはこのような原因によっているのかも知れない。論語に「過則勿憚改」(過ちては改むるに憚ることなかれ)という警句があり,しばしば引用されるのであるが,これまでの日本社会が過ちを悔い改めた人に対して極めて非寛容であったこともこのような恐怖心をあおり立て,誤った政策や事業が止めどもなく継続されるという結果を生んでいるのかも知れない。しかし,これからの日本は,いつまでもそのような欠陥社会であり続けるとは思いたくない。ここから我々が学ぶべきことは,おかしいと思ったら引き返す勇気を持つことである。

(奥西一夫 「ダム建設をひとまず中止すべきいくつかの理由」 より)


私は、財政出動による景気対策は絶対に必要だと考える人間であるが、それが住民に不利益を与えるばかりで、肥え太るのは土建業者をはじめとした「政官業癒着構造」の関係者だけであっては本末転倒である。つまり、民主党政権の「脱ダム」政策自体は正しいと考える。その代わりに「グリーンニューディール政策を行え」と言っているわけであり、これについても民主党は衆議院選挙の際にマニフェストで公約している。しかし、新自由主義志向の強い民主党右派は、自らの属する政党が掲げた公約自体を理解していないように見える。

サンプロでは、日本では必要なダムは既に造られつくしており、不必要なダムだけが残っているとも指摘されていた。実は、同様の自然破壊を、日本よりはるかに大きな規模で実施してきたのが、共産党一党独裁時代のソ連だった。ソ連共産党は、「科学が自然を凌駕する」という、科学万能主義に基づいた政策によってアラル海を干上がらせてしまったのだが、下記ブログ記事で生々しい画像を見ることができる。
http://labaq.com/archives/51268855.html

日本で今なお不必要なダムが造られようとしている誤りは、まさに旧ソ連がやったことと、規模こそ違え同質のものといえる。行き過ぎた計画経済を改めなければならないというのは、まさにこういうことであり、その意味からすると、これまで新自由主義政策を推進してきた自民党や、新自由主義を支持してきたマスコミが、民主党政権の「脱ダム」政策を批判するのは、摩訶不思議としか言いようがない。

こういう矛盾を解決する一方で、グリーンニューディールなどによって新たな雇用を創出することや、格差や貧困問題の解決が民主党政権には求められているわけで、こちらの課題になると、「ムダを省く」だけの新自由主義的な発想では絶対に問題を解決できないのである。

行き過ぎた計画経済も、行き過ぎた市場原理主義もともに批判するというのは、何のことはない、「修正資本主義」とか「社会民主主義」などと呼ばれる政策をとれ、という意味である。かつて日本経済が絶頂に至った過程においては、保守本流(間違っても「真正保守(笑)」と混同してはならない)が推進してきた修正資本主義政策がうまく機能していたと思うし(もちろん政官業癒着や公害などさまざまな問題を抱えてはいたけれど)、現在でもその路線に若干の修正を加えながら(たとえば、不要なダム建設の代わりに自然エネルギー開発を推進するなどして)進むべきだと思うのだが、なぜかマスコミにしても政治家にしてもネット言論にしても、極端な主張(特に新自由主義寄りの主張)に走りがちなのが残念なところである。政治思想と経済政策でともに極右に走った自民党政権が倒れ、とはいっても左翼政党でもない民主党を中心とした連立政権が生まれたわけだから、何より要求されるのが、かつて保守本流の政治家たちが持っていたようなバランス感覚を取り戻すことだと思うが、なかなかその要求に応えられずにいるのが今の政権の姿であるように、私には見える。


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すっかり更新間隔がまばらになってしまった当ブログだが、旧「政権交代ブログ」の興味の的は、日本郵政の社長人事らしい。しかし、この件には私はたいした興味を抱くことはできない。だって、郵政民営化の見直しだの反対だのって、あの平沼赳夫や城内実でさえ言っている、というか彼らは他にはたいしたことを言っていないのだが、彼らにさえ正論が吐ける議題でしかないからだ。もちろん、顔ではニヤけながら腸を煮え返らせている竹中平蔵が吐く捨て台詞などは論外だけれども、この問題は連立与党が公約通り粛々と進めてくれれば良いだけの話だ。

それより問題なのは、わが国の貧困率が15.7%に達し、自殺者が年3万人を超え始めた1998年以降をとっても最悪に達した(2007年)ことであり、それにもかかわらず、財務官僚の意を受けた鳩山内閣が、母子加算を復活するから、高校等就学費や学習支援費を廃止しようなどとしていることだ。

小沢一郎や植草一秀とともに、鳩山由紀夫を「政権交代の三種の神器」として崇め奉っていた人たちの間では、鳩山由紀夫首相への批判はタブーらしく、明らかに小泉純一郎内閣発足当時を思わせるような緊縮財政政策を志向している鳩山内閣に対する批判は弱いし、数少ない批判者も、平野博文官房長官や藤井裕久財務相への批判はしても、鳩山由紀夫首相に対する批判は抑え気味だ。しかし、菅直人の就任が有力視されていた官房長官に平野博文を選んだのも、小沢一郎との緊迫したやりとりのあげく、小沢が極めて強く抵抗していた藤井裕久の財務相就任を強行したのも、いずれも鳩山首相だった。そして、なんといっても8年前の小泉純一郎内閣発足当時、小泉と「改革」の先鋭さを競う方針を打ち出したのは、当時も民主党代表を務めていた鳩山由紀夫なのだ。その時と今で、鳩山首相は何も変わっていないと私は思うし、このざまではマスコミの言うような「民主党発の不況」が本当に深刻化しかねないとも危惧する。

政治家としての力量だけで言うなら、総理大臣は鳩山由紀夫より菅直人の方がよっぽど良かった。だが、もし菅直人が総理大臣であれば、マスコミの政府への集中砲火は現鳩山首相へのそれとは比較にならないほど熾烈なものになっただろうと思われる。それを考えると、どちらが良かったかは一概には言えないのだが、少なくとも鳩山政権の経済政策に大した期待ができないことは間違いなさそうだ。

鳩山内閣以上にどうしようもないのがマスコミで、彼らの頭にあるのは財政再建と消費税増税だけと言っても過言ではない。マスコミの意向を気にするのは昔からの民主党の習性だが、ある意味藤井財務相が今のような方向性をとるのも、マスコミの後押しがあるからだといえる。特に、藤井氏を財務相に起用するかしないかで鳩山由紀夫と小沢一郎がもめていた時、テレビ朝日『サンデープロジェクト』司会者の田原総一朗が、藤井財務相を実現させるために渾身の力を振り絞っていたのを見て、なんだこいつ、と思ってしまった。

ところで、しばらく前に、民主党政権と自民党町村派の政策の類似性を指摘して、今年1月に『日経ビジネス』のコラムに載った神野直彦東大教授(当時。現関西学院大学教授)のインタビュー(下記URL)にリンクを張った非公開コメントを送ってきた読者がいた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090105/181859/

当ブログの継続的な読者であれば、私がしばしば神野教授の論考をブログで紹介してきたことをご存じのはずで、今さら神野氏の論考をもって私を説得する必要などないことくらい了解していることと思う。なぜこのコメント主はコメントを公開にしなかったのかと訝る次第だが、実はこのコメント主はコメント中で消費税増税を否定しない、というよりブログ主の私に対して、暗に消費税増税肯定の立場に立てと促す立論をしていたのである。つまり、当該コメントが公開されれば、当ブログの読者から批判を浴びることは確実だった。それが嫌でコメントを非公開にしたのだろうと私は推測している。

具体的には、コメント主は

「雇用創出のための公共投資」なんて小さな話ではなく、しかるべき政府の役割を認めて、出すべきところには金を出し、その財源として応分の負担を求めるというのが正しい左派のありかたのはず。それが消費税であるかどうかは、本来小さな話にすぎない。

などと書いていたのだが、実はこれは、神野教授の主張とはかけ離れているのである。

神野教授は、著書『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)の中で、次のように書いている。

(前略)国民からとりたてた税金を、国債の借金返しに使えば、一般の国民から税金をとって豊かな人々にお金を配分してしまうという現象になるのです。

 現在日本でおこなわれようとしている、財政再建のために消費税を増税しようという政策は、この典型です。なぜなら、消費税は負担が逆進的で、貧しい人に負担が大きく、豊かな人に負担が小さいからです。税金で貧しい人々に負担を求め、国債を持っている豊かな人々にお金を配分することになるわけです。

 つまり、本来の財政は、国民のお金を右のポケット(豊かな人々)から左のポケット(貧しい人々)に移すのが役割なのですが、財政再建のための消費税増税では、左のポケットからお金をとって、右のポケットに押しこむという逆再分配が行われる危険があるということです。

(神野直彦 『財政のしくみがわかる本』 (岩波ジュニア新書、2007年) 137頁)


つまり、神野教授は「応分の負担を求めるというのが正しい左派のありかたのはず。それが消費税であるかどうかは、本来小さな話にすぎない」というコメント主の主張とは真逆に、所得の再分配という財政のあるべき姿に反する消費税増税という手段によって財政再建を図ってはならないと主張しているのである。

コメント主は、偉そうに「神野直彦氏の以下の言葉をかみしめるべきであろう。」などと書きながら、前記『日経ビジネス』のコラムから、次のような神野教授の発言を引用している。

―― 国と国民の信頼関係が失われている日本は悪循環に陥っていますね。

 神野 正直なところ、今の国民が言っていることはよく分からない。メディアを含めて、「増税をするなら歳出を削減しろ」と言う。普通、公共サービスは国民の生活を支えるのに必要なものでしょう。そう考えると、多くの人は「必要な公共サービスを減らしてくれれば、負担増に応じる」と言っていることになる。

―― …まあ、そういうことになりますね。

 神野 それからさ、「財政再建のための増税に応じる」と言う人も多い。財政再建なんだから、サービスは増えませんよね。つまり、「サービスが減るか、同じだったら負担増に応じてもいいけど、サービスを増やすのは嫌だ」と言っていることになる。こういう考え方は普通あり得ない(笑)。どうなっているのか分からない。端的に言ってしまえば、民主主義が機能していない。

(『日経ビジネス』 2009年1月8日付 「この国のゆくえ 危機の今こそ考える」掲載 「手厚いセーフティーネットが強い国を作る」より)


この神野教授の言葉をかみしめるべきだ、というコメント主の主張に私は大賛成である。昨今の、歳出を削減しろとばかり民主党政権に迫るマスコミ報道ほど私を苛立たせるものはない。マスコミは、鳩山民主党政権に「小泉改革路線に再帰せよ」と迫っているのであり、それに便乗して「小さな政府」路線を走ろうとしているのが財務官僚、平野官房長官、藤井財務相、そしてほかならぬ鳩山首相その人なのである。これでは、失われた27年(俗に「失われた10年」とか「失われた20年」などといわれるが、私は日本における新自由主義の創始者・中曽根康弘内閣の発足時を起点とすべきだと考えている)をさらに継続せよ、と言っているようなものだ。政府支出を悪、財政再建を善と決めつける神話自体が間違っているのだが、いったいこのことを何度言えば良いのだろうか。財政再建は好況時にこそやるべきものであって、不況時には積極財政が欠かせないのである。応急的な諸施策とともに、長期的には「グリーンニューディール」への注力が絶対に欠かせないが、新自由主義に反対しているはずのネット左翼が、「真正保守(笑)」と共闘して「地球温暖化陰謀論」などを唱えて、グリーンニューディールに水を差す愚行を演じる。そして、「左派は人々に応分の負担を求めよ」などと言いながら、当ブログ管理人に「消費税増税を主張せよ」と迫って、あつかましくもそれとは正反対の主張をしている神野直彦氏の発言を引用して当ブログにコメントしてくる人間もいる。冗談ではない。神野教授も指摘しているように、所得の再分配は財政の大きな任務なのである(前記『財政のしくみがわかる本』の第4章を参照)。まるで、わが国で「政治に関心のある」人々の多くは、寄ってたかって日本を没落させようとしているかのようだ。「応分の負担を求める」べき相手は富裕層である。新政権は「大きな政府」の方針を鮮明にして、現状応分の負担をしているとはとてもいえない富裕層に「応分の負担」をしてもらい、本来得べかりし所得を手にすることができていない貧困層に所得を再分配しなければならない。そうしない限り、日本経済が再び浮上することはない。

まさにこのエントリを書き上げようとしている今、葉隠さんからタイムリーなコメントをいただいたので、これを紹介して今日のエントリの締めにしたいと思う。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1006.html#comment7769

公共事業そのものは悪ではないと思いますよ。
問題は優先順位。
一律に公共事業を削減する大愚策により 地方経済は疲弊しました。

老朽化したインフラが全国で沢山あります。もっと、生活に密着した分野に投資すれば内需拡大を図ることができます。

田中角栄氏を批判する方もいますが、私は『政治の本質は利益誘導』だと考えています。

70年代に求められたことと現代に求められることは違いますが、税金をいかに適正に再配分するかの本質は変わりません。

2009.10.22 23:46 葉隠


そう、再分配こそ財政の肝なのである。それを、「バラマキ」などという言葉を用いて非難するのは、日本を滅ぼしたい国賊の新自由主義者である。


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10月1日付エントリ「地球温暖化懐疑論者「武田邦彦」教授の呆れたトンデモぶり」に、りりさんと仰る方から下記のようなコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1002.html#comment7736

武田邦彦 教授の呆れたトンデモぶりとあるが、呆れるほどではないと思う。
 理由は、将来の地球環境のことは誰にもわからない。わからないことを、さもわかったかのように一方的に言うのは馬鹿げているのであって、武田先生の独自の論も、その一つにすぎない。あらゆる見方があってしかるべきである。ただ、TV・新聞で報じられる内容だけで、信じきることはとても危険である。また、武田先生の論を唯一正しいと信じ込むことについても気をつけるべきである。
 だが、地球温暖化対策に力を入れる姿勢を見せているとあるが、世界にいい顔したいなら、鳩山個人の活動にしてもらいたい。国民の税金を使わないで欲しい。

2009.10.16 14:52 りり


やや表現に乱れの見られるコメントだが、言わんとすることはわかる。マスメディアが報じている「地球温暖化仮説」など本当に正しいかどうかなどわかったものではない、管理人が一方的に武田邦彦教授を批判するのはフェアじゃない。また、鳩山由紀夫首相が国連で意欲的な目標をぶち上げるのも、単なる鳩山首相の「ええかっこしい」ないし人気取りである。そんなことのために血税が使われてはたまったものではない。

おおよそ上記のようなことをコメント主は言おうとしたのではないかと思う。だがブログ管理人の私としては、率直に言って、いまだにこんなコメントを寄せてくる人がいるのかとうんざりした。私の言わんとしていることが全然通じていない。

いや、これは何もコメント主のりりさんだけの問題ではない。「人気ブロガー」としてもてはやされている新自由主義者の池田信夫が「地球温暖化陰謀論」を力説していることは、かつて『シートン俗物記』が辛らつに批評した通りである。

鳩山由紀夫内閣が成立した翌日(9月17日)に公開された『日経エコロミー』のコラム「飯田哲也のエネルギー・フロネシスを求めて」のエントリ「25%削減は可能であり希望だ・新政権における環境エネルギー政策の行方と期待」の中に、その池田信夫への言及があるので、以下に引用する。

「温暖化懐疑論」を論拠にしたエコノミストからの批判もあるが(例えば、池田信夫「温室効果ガス『25%削減』というポピュリズム」)、これらは無視してよい。温暖化サイエンスの世界であれば、学問論争として、温暖化仮説に対する異論は当然認められるし、実際にそのような「亜流説」を唱える人は存在する。しかし、圧倒的に少数派である上に、政策論から見れば、「予防原則」に反するのだ。人類と地球の未来を、そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない。温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう。最低限、そのバランスは必要だ。しかし、明らかに亜流の「温暖化懐疑論」だけを論拠に、また予防原則などお構いなしに、政策論を発言すること自体が、「知識人」として不適格といってよいだろう。

(飯田哲也 「25%削減は可能であり希望だ・新政権における環境エネルギー政策の行方と期待」 より)


「予防原則」とは、一言で言うと、環境行政においては「何かあってからでは遅い」という考え方に基づいて政策を行うべし、とする考え方であり、最近では花王の食用油「エコナ」が特定保健用食品(特保)から外れた時に、東京新聞(中日新聞)の社説でもこの「予防原則」が言及された。

当ブログ管理人も、「知識人」の範疇には入らないだろうが、「温暖化サイエンスの専門家ではない」人間であり、だからこそ学界で主流となっている温暖化仮説に配慮した考察をいつも行っているのである。私から見ると、明らかに私同様の素人であるブロガーたちが、自信満々に「これほどにも明らか」などと称して、温暖化仮説が誤っていると力説するのを見るたびに、なんて摩訶不思議な、と思う。なぜって、彼らがグラフを示しながら温暖化仮説の誤りが自明であると力説する記事をいくら読んでも、彼らの主張が明らかに正しいとは私にはどうしても了解できないからである。明らかに客観性を欠く主張を「自明」と断定して憚らない彼らには、冷静な判断力というものは持ち合わせがないのだろうと私は考えている。そして、このことは池田信夫にも当てはまる。「知識人」として不適格、と飯田哲也氏に断定される池田信夫のような人物が代表的なブロガーとされているところに、日本のブログ文化の未成熟さが現れている。

余談だが、池田信夫の名前を思い出してこの記事を書くきっかけになったのは、今月に入って、当ブログの今年(2009年)1月8日付エントリ「湯浅誠に対する池田信夫のみっともない嫉妬」へのアクセスが急増したことである。これは、検索語「湯浅誠」によるネット検索で当ブログを来訪されたものと思われるが、当然ながら、湯浅誠が菅直人副総理大臣兼国家戦略担当大臣に要請されて、国家戦略室へ政策参与として参加することが影響している。この人事は、ますます池田信夫の嫉妬心を刺激し、それが最近の池田信夫ブログを一段とヒステリックなものにしているのではないかと邪推する次第である(笑)。


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鳩山新内閣発足から1か月。その間、さまざまな対立軸が浮かび上がってきた。どのマスコミも指摘するのは、菅直人の国家戦略室の影が薄いことで、鳩山由紀夫首相?藤井裕久財務相のラインは、財務省好みの緊縮財政路線に走りたい意図がミエミエだ。だが、民主党のマニフェストのベクトルは、鳩山首相らの意向とは逆方向を向いているので、鳩山首相は内部矛盾によって引き裂かれようとしているかに見える。

抜群な人気に支えられて緊縮財政路線を進むとなると、これは2001年の小泉純一郎政権をそっくり再現することになるので、それは避けてほしい。そもそも藤井裕久財務相にこだわっていた鳩山首相に問題がある。この人は、もともと旧民社党系労組に支えられた政治家で、保守的、反動的な性格を持っているが、それを前面に出させないためには国民世論の盛り上がりが欠かせない。

八ッ場(やんば)ダムの建設は、もちろん中止の方向に持って行くべきだと思うが、政府はそれに代わって「グリーンニューディール」政策によって新たな雇用を創設しなければならない。繰り返し紹介するが、天野礼子さん

「ダム中止」では予算が減額するだけですが、「ダム撤去」なら、新たな公共事業が発生します。それがグリーン・ニューディールです。

と指摘している通りである。9月28日付エントリ「新自由主義かケインズ政策かの議論ではない。環境問題だ」にいただいたsonicさんのコメントによると、

村山政権下で、建設省は河川を蛇行させて氾濫原を回復しようと構想したことがあります。
しかし自社連立が崩壊したことでお流れになってしまいました。

河川の三面貼りが公共事業そのものって訳では有りません。
自然回復事業としての公共事業は技術的にも確立しており、他国での事業実績もはっきりしていて、予算次第で実行可能なのです。

とのことである。この事実を私は全く知らなかった。社会民主主義と環境問題の不親和を指摘するむきもあり、それは欧米の歴史からすると正しいのだろうが、日本では1960年代から70年代にかけて公害が深刻な問題になっていた経緯もあって、革新政党は環境問題に熱心だった。そして、社会党の村山富市首相を首班とする内閣の政権下では、グリーンニューディールのさきがけとなる河川再生の公共事業が行われようとしていたのだ。この点では、評判の悪かった自社さ政権が再評価されても良いかもしれない。

そういえば、自社さ政権発足当時、亀井静香が「私はハトを守るタカだ」と言っていたことを週刊誌で読んだ記憶がある。その頃は私はまだ亀井静香を嫌っていたから、「何言ってやがる」と思ったものだが、最近、モラトリアム政策をぶち上げて、すわ鳩山首相との意見の不一致か、とマスコミに騒ぎ立てられた亀井氏が、この懐かしいフレーズを再び用いていた。但し、15年前の「ハト」は「ハト派」を意味したが、今回の「ハト」は鳩山由紀夫首相を意味する。そして、鳩山首相は必ずしもハト派とはいえない。

旧「政権交代」論者には亀井静香の評判は悪い。私は、日本会議のメンバーである亀井氏の政治思想には当然ながら全く賛成しないが、経済政策は結構評価している。自民党政権の頃から、ムダな公共事業を中止させて、より乗数効果の大きな公共事業に集中することによって景気を浮揚させようとしていた。それは、決して間違っていない。最悪なのは、「お国の借金を孫子(まごこ)の代に残すな」という、一見わかりやすく人々の心をとらえるフレーズに乗って緊縮財政路線を走ろうとすることだ。財政再建は好況時に行わなければならないというのが鉄則であって(つまり、中曽根政権や竹下政権、特に後者が適切な政策をとらなかったことが大失敗だった。「ふるさと創成」などと言って竹下がバブル好況期にバラマキを行ったことを想起されたい)、現在のように働きたくても仕事がない人たちが大量にいる状況で緊縮財政路線をとるのは自殺行為である。

その意味で、「小さな政府」論は根本的に間違っている。私が一つ愕然としたのは、当ブログで「小さな政府」、「大きな政府」という用語を用いた時、前者が市場原理主義のレッセフェール(自由放任主義)、後者が福祉国家を指すのは自明だと思って記事を書いていたのだが、その意図が当ブログの継続的な読者の方にさえ十分に伝わっていなかったことだ。

それが、前のエントリ「「小さな政府」=新自由主義はやはり根絶しなければならない」のコメント欄のやりとりで明らかになった。「大きな政府」という言葉には「ムダな政府支出」だとか「全体主義」という負のイメージがどうしてもつきまとうものらしい。「小さな政府」、「大きな政府」という用語を用いること自体、新自由主義者の策略に自分からはまるものだという指摘が以前からなされているが、その指摘が正しいことを今回痛感した。今後は、必ず「レッセフェール対福祉国家」といったん言い換えた上で記事を書くように心がけたいと思う。

なお、同じエントリのコメント欄で、「衆議院議員の地位を世襲させた小泉は新自由主義者とはいえないのではないか」との意見が見られたが、これは正しくは「小泉は市場原理主義者とはいえない」と言うべきである。新自由主義というのは、デヴィッド・ハーヴェイ的な理解によると、新自由主義とは、「富裕階級の権力回復のプロセス」であり、「経済成長ではなく格差の拡大を真の目的としたプロジェクト」である。つまり、市場原理主義は格差を拡大するためのツールに過ぎず、その真の意図は階級の固定にあるのだから、小泉は平然と議席を息子に世襲させたのである。その意味で、「市場原理主義」と「新自由主義」という言葉は区別して用いられるべきである。それにしても、小泉が地位を世襲させたことは、ハーヴェイの仮説の確からしさを一段と高めるできごとだった。

2001年の小泉純一郎内閣発足以来、どうしようもない間違った政策が続けられてきたために「ぶっ壊された」日本を再建することは容易ではないが、「ローマは一日にして成らず」である。焦りは禁物だ。しかしそれと同時に、今まさに見殺しにされている人たちを悠長に放っていてはならない。長期的視野と応急処置の両方が求められるのだから大変だが、今が重要な時だ。


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当ブログの更新頻度を落としてしばらく経つが、メリットとデメリットがある。デメリットとしては、もちろんブログのアクセス数が伸びないことだ。ブログにカウンタを取り付けている人間なら誰でも、ブログのアクセス数が気になると思うが、そうそうブログばかり書いていられない時もある。私の場合は、引用記事の紹介やメモ書きが主の『kojitakenの日記』は更新できても、こちらのメインブログはそう毎日毎日は更新できないようになったというべきか、頻繁に更新する気にならなくなったというべきか、とにかく頻度を落とした方が良いと判断したわけだ。

しばらく同じエントリがブログのトップページに居座っているメリットとして、コメント欄での議論が活発になることが挙げられる。1つのエントリに数十件のコメントがつくことも珍しくなくなった。私自身は、必ずしもコメント欄での論戦に参加するとは限らないし、コメント欄で受けた質問にも答えないことが多い。これは、以前から「コメント欄を管理人と読者との議論の場とするつもりはない」と言明している通りである。しかし、この方針は読者の方同士の議論を妨げるものではないし、それどころか私自身も論戦に参加することもある。

前のエントリにも、TYさんから、

日本がリードしている科学技術は大半が政府の補助金、援助なしに開発されました。競争力がある分野のほとんどがそうです。逆に政府の関与が大きい領域が遅れています。

と書かれたコメントをいただき、それに対して私が、

もともと競争力のあった分野が、政府の愚策によって競争力を落としていったことを批判しています。特に、太陽光発電のような電力の分野は、民間だけでどうにもなるものではありません。

と反論した。これに対して、さらにTYさんから何件かのコメントをいただいたので、それに対して私が再反論したが、詳細は前のエントリのコメント欄を参照されたい。特に、リチウムイオン電池のように、日本発の誇るべき技術分野において問題になっている安全性の確保などといった、企業の利潤追求を阻害しがちな課題(安全性を重視した設計にすると、エネルギー容量が小さくなる。JR西日本で電車のスピードを重視して安全性を軽視した結果、福知山線の事故が起きたことを想起されたい)において、政府が強い指導力を発揮することを私は期待している。そうしたことや、自然エネルギーの分野で日本がイニシアチブをとれるような政策をとることが、「大きな政府」「小さな政府」という議論を超えた「賢い政府」だという議論が、かなり前からなされているのだが、どういうわけかマスコミはこの件に不熱心で、TBSの『サンデーモーニング』では以前から金子勝が熱心に論じているけれどもそれは例外中の例外で、鳩山由紀夫首相が国連で「温室効果ガスの1990年比25%削減」の目標を明言したことが国際的に高く評価されたらマスコミは驚いたかのような報道をしていた。私に言わせれば、これこそ前々から日本に求められていた役割であって、それなのに小泉内閣以来の自民党政権は、京都議定書から脱退したブッシュJr.に追随して自然エネルギーに冷淡な姿勢をとり続け、日本の地位を落とし続けてきたのである。こういうのは、「愚かな政府」とか「無能な政府」と評するべきだろう。それを、やっとまともな方向に向かわせる政権に代わったのである。

もっとも、新政権の経済政策については、鳩山首相や藤井裕久財務相が、財務省主導の路線を走りそうな懸念がある。新政権の経済政策がどうあるべきか、というのは、政権交代を求めていた人たちの間でも意見はさまざまである。『平成海援隊Discussion』の掲示板を見ていると、「保守の理念とは?」という書き込みから、興味深い議論が展開されていた。従業員の給与所得を下げ続け、役員報酬と内部留保ばかりを増やしていき、偽装請負に平然と手を染めるなどした、ここ数年の大企業が行ってきたことが「社会悪」であることは、自公政権の政治に反対してきた人間にとって自明であるとばかり私は思っていたのだが、いわゆる「リベラル」のカテゴリーに分類される人たちの間でも、それは必ずしも合意事項にはなっていなかったのだなと驚いた次第である。私自身は、『平成海援隊Discussion』の議論においては、浮船亭田中屋さんの意見にほぼ同意するのだが、さらに付け加えると、自動車産業の場合は、トヨタなどを食物連鎖の頂点とする産業の構造において、下請け、孫請け、ひ孫請けと遡るに従って、生身の人間にかかる負担が大きくなっていることを忘れたくない。これぞ階級社会。だから、大企業の経営者の努力だけで問題はすべて解決しようはずがなく、政府の所得再分配機能が十分に発揮されなければならないと考えるのである。つまり、「小さな政府」は不可である。「小さな政府」は、かつて福祉国家に「大きな政府」というレッテルを貼って悪いイメージを与えようとする新自由主義者が好んだスローガンだが、いまや一転して「小さな政府」に悪いイメージがつき始めると、「大きな政府」「小さな政府」というのはレッテル貼りだ、と今度は新自由主義者が言い始める。賢い税金の使い方という議論は確かに重要だが、いまだに「小さな政府」論をとる新自由主義を根絶しない限り、日本社会が活力を取り戻すことはないと考える次第である。


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すっかり4日に1度の更新になってしまっているが、明日からはまた3連休なので、次の更新も4日後になるかもしれない。

その数少ないエントリで、直近のエントリの話題を蒸し返すことは、前々回のエントリでもやったばかりだが、今回もやる。沖縄の米軍基地問題などで鳩山由紀夫首相の姿勢が早くもぶれたり、経済政策で怪しげなところが見えてくるなど、新政権を批判すべき材料も出てきたが、それらは次回以降に回して、前回のエントリで書いた中川昭一死去の件について補足したい。

他のブログで見たのだが、ネット右翼たちは「中川さんは民主党に殺された」などと言って怒り狂っているらしい。それは勝手に言わせておけばよいのだが、反自公を掲げてきた旧「政権交代」ブログの間に、中川昭一はアメリカに反対したから死に追い込まれたのだ、という陰謀論を展開するところが目立ち、いったい何を言っているのかと呆れてしまう。

そのような陰謀論を書かなかったブログには、当該ブログの管理人を批判するコメントが多数寄せられている。当ブログのように、普段から陰謀論を批判しているブログには、ネット右翼が唾を吐きかけにくるくらいで、陰謀論者たちからの邪推コメントはほとんどこないが、普段は陰謀論に親和的なブログに対しては、「中川昭一は謀殺されたと考えろ」と言わんばかりのある種の同調圧力が働いているかのようだ。もちろん、この同調圧力はごくローカルなものであって、ネット空間のごく一部でしか通用しない。ネット右翼もネット左翼も陰謀論を唱えるが、謀殺した主体がネット右翼の主張では民主党、ネット左翼の主張ではアメリカであるところだけが違うだけで、思考回路は同じである。それこそ、「『右』も『左』もない、オレは『陰謀論者』や」、といったところだろう。

海外のメディアは、中川昭一の「もうろう会見」を蒸し返して、恥をさらした政治家が遺体で発見された、という伝え方をしているようだが、これがごく普通の報道というべきだろう。政治家が死ぬと同時に美化されて批判が許されない空気ができるあたりに、戦争責任を全く反省せず、戦後十数年にしてA級戦犯容疑者だった岸信介が首相になることのできた日本の病巣を見る思いだ。中川昭一の名前を引き合いに出す時には、少なくともイラク戦争の時の自己責任発言、NHKの番組改変問題、それに「もうろう会見」の3件は必ず踏まえておくべきである。

中川の最晩年の話題としては、自らのブログで「マスゴミ」だの「鳩左ブレー」といったネット右翼のスラングを用いて、思考回路がネット右翼と何ら変わらないことを露呈したことも思い出される。もうこの頃には政治家としてすっかりダメになっていたのだろう。本当なら、「もうろう会見」の時に単に財務大臣だけではなくて議員辞職すべきだったし、そもそもこんな男を財務大臣なんかにしてはならなかったのだ。世襲というだけで重用されることがなければ、早過ぎる死に追い込まれることもなかっただろう。一般人だったら、アル中の人間はまずアル中から立ち直って、社会復帰を目指すのが普通だ。ところが、自民党の世襲政治家は、「朝から酒臭い」と財務官僚にいわれても横柄な態度を通し、「将来の総理総裁候補」などといわれる。まあエリツィンなどの例もあり、酒癖の悪い政治家がのさばる例は外国にも見られるのだが、ニュースでも中川が醜態をさらしている部分がカットされてまともにしゃべっているかのように報道されていたのが、海外メディアの報道で初めて酔った醜態が晒されたというのは、日本のメディアの恥だろう。「もうろう会見」のあと、中川が普段の記者会見などでもしばしば同様の醜態をさらしていたことが暴露された。普段からマスコミが中川をきっちり批判しておけば良かったのだが、権勢を誇った小泉内閣時代に、中川が安倍晋三とタッグを組んでNHKの番組を改変させた横暴に逆らえなかったマスコミは、本来ジャーナリズムに求められる役割を何一つ果たせなかったのである。そのマスコミが、中川が死んだら人間像を美化する。「恥を知れ」とはマスコミに向けて発せられるべき言葉だろう。

ネット右翼とネット左翼の好む「陰謀論」については、自信のない人たちが持ち出すものだと考えるべきだ。衆議院の議席が4割になってしまった自民党を支持するネット右翼から見たら、民主党はとても強大で歯が立たないように思える。だから「民主党が中川を謀殺した」などという陰謀論が生まれる。ネット左翼にとっては、これまで同様、アメリカの強大さへの劣等感が強いから、アメリカによる謀殺説が生まれる。しかし、そのアメリカでは80年代には自国に都合の悪いことが起きると、「日本の陰謀だ」とする陰謀論が盛んに論じられたそうだ。

現実には、アメリカは新自由主義政策によって金融業は栄えたが、工業技術などでは日本に一日の長がある。たとえば、今後電気自動車の技術の中核となると予想されているリチウムイオン電池は、日本発の技術であり、日本が世界をリードしている。この技術には、安全性の確保という極めて大きな課題があるから、日本政府は国策としてこの技術に注力すべきだと思う。ところが、現実にこれを国策としようとしているのはアメリカの方である。これまでの日本は、民間の技術の優位性を、無能な政府が見殺しにしてきた。小泉内閣時代の2005年に太陽光発電設備の国の導入補助金を打ち切ったのは愚策の最たるものであり、ことほどさように「小さな政府」などというのは百害あって一利なしのしろものである。河野太郎はこれを自民党の旗印にしようと主張して総裁選を戦って敗れたが、勝った谷垣禎一にしても総裁選の論戦で「民主党は大きな政府を目指しておられる」などと言っていたから、「小さな政府」論者であることに違いはない。民主党政府がどこまで「小さな政府」路線から脱却しようとしているかは、本当は疑わしいのだが、少なくとも自民党が論外であることだけは間違いない。谷垣は、中川昭一の通夜で、「国士」などという言葉を用いて中川をたたえていたが、このように政治思想的に右派に配慮しているだけではなく、「小さな政府」路線から今なお脱却できない、つまり小泉純一郎の政治からいまだに脱却できていないことを指摘しておきたい。

財務官僚主導に傾きがちな経済政策や、沖縄の米軍基地問題などで信用できない姿勢を示す鳩山内閣だが、鳩山首相が「温室効果ガスの1990年比25%削減」を国連で明言して国際的に歓迎されたことは評価すべきだろう。もちろん、電力総連や経団連の圧力を受けて、民主党政府が原発推進に大きく舵を切るであろうことは警戒すべきだが、政府が高い目標を掲げることが、技術立国日本の再建につながると期待される。「電子立国 日本の自叙伝」と題したNHKスペシャルが評判を呼んだのは1991年のことだった。当時は、中曽根内閣(1982?87年)以来の新自由主義政策が日本を蝕み始めていたとはいえ、それまでの蓄積によって日本の国力がピークに達していた。しかし、その後の政治、特に橋本龍太郎と小泉純一郎の悪政が日本をぶっ壊したのである。

日本再興の道は遠いが、一歩一歩歩み続けなければならないし、そのためには無用な「陰謀論」の誘惑に負けてはならないと思う。


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かねて予告していた通り、ブログの更新頻度を落としているが、当然ながらその間にも新しいニュースは次々と飛び込み、それに思いをめぐらせている間に次のニュースに関心を奪われる日々だ。特に、政権交代が起きた直後だけに、変化が急激で劇的だ。

そんな中、かつて自民党タカ派といわれた政治家たちが話題にのぼることが多い。モラトリアム法案を言い出して、マスコミによって猛烈に叩かれている亀井静香金融・郵政担当大臣、2016年の東京五輪落選が決まった東京都知事の石原慎太郎、それに急死した中川昭一。

一方、タカ派でも、政権再編の起爆剤になるどころか3議席しか得られなかった平沼一派は、選挙が終わってすっかり忘れ去られた存在になっている。Wikipediaで平沼赳夫の項を見ると、かつて平沼赳夫は「石原慎太郎、亀井静香、中川昭一ら中川一郎に近い保守系議員たちと共に行動」してきたという。しかし、当然のこととはいえ、その後の彼らの運命は、それぞれに山あり谷ありで、ずいぶん違った道を歩むようになった。

彼らの中でもっとも華々しい道を歩んだのが石原慎太郎だろう。1999年に東京都知事に就任以来、高い支持率を誇り、2002年頃には総理大臣を目指すために03年の都知事選には立候補しないのではないかとの観測もあった。小泉純一郎がその動きを封じ込んだために、その野望はかなわなかったが、都政では暴政をほしいままに今日まできている。東京五輪招致は、一昨年の都知事選の争点にもなり、3人の対立候補は全員五輪招致に反対したし、毎日新聞がかつて携帯サイトで行っていた「日本のスイッチ」というアンケートで、都知事選の直前に東京五輪招致の可否について聞いたところ、五輪招致に「反対」と答えた人が72%に達した。しかし、それにもかかわらず東京都民は都知事選で石原を圧勝させたのである。そして、選ばれるはずのない五輪招致運動に東京都は大金をかけ、都民の血税が浪費された。都知事選当時、東京が五輪に選ばれなければ石原は都知事の職を投げ出すのではないかと観測する向きもあったが、政権も交代してもはや国政に復帰しても総理大臣になる目も完全になくなった石原は、都知事にでもしがみつくしかないと思っているのだろう、醜く権力の座に執着している。

中川一郎の流れにつながる人物で、現在もっとも勢いのあるのは亀井静香だ。亀井金融相の打ち出したモラトリアム法案は、なぜかマスコミの袋叩きになっており、特に一昨日(3日)に放送された読売テレビ(大阪)製作の辛坊治郎司会の番組はひどいものだった。日本の民放局の中でももっとも極端に右傾しているのはこの読売テレビではないかと思うが、これは同局解説委員の岩田公雄の趣味なのだろうか。ゲストに竹中平蔵を呼ぶ頻度が極めて高く、塩川正十郎や森本敏がコメンテーターの常連であるこの番組で、一昨日は竹中こそ出ていなかったものの、集中砲火を浴びた亀井は切れていた。昨日(4日)のフジテレビ「新報道2001」でも亀井の政策は批判されていたが、フジは同時に中小企業の経営者たちが亀井の政策をどう思うかと聞いた映像も流していた。彼らは、「仕事内容に集中しなければならない時期なのに、お金の心配ばかりしなければならない状態だから、亀井大臣の政策には拍手喝采だ」と言って、亀井の政策を支持していた。それを受けてフジテレビは亀井静香がチェ・ゲバラに心酔していると報じ、1994年に日本航空のキャビンアテンダントを派遣にしてはならないと横槍を入れた例も紹介していた。常に弱者の立場に立って政治を行うのが亀井静香の信念だというのである。

少し前に、当ブログのエントリについた「はてなブックマーク」で、野中広務と城内実が「左翼に人気のある右翼」だと指摘したコメントがあった。私には城内実が左翼に人気のある理由がさっぱり理解できない。「郵政民営化反対」で売り出したものの、城内は雇用問題にも差別問題にも関心がないようだからだ。「派遣村」運動に、今回の衆院選で城内に雪辱を許した片山さつきは参加したけれども、城内実は参加しなかったし、差別問題については「関心がない」どころか、自ら差別意識をむき出しにしたブログ記事を書くなど、極右排外主義者以外の何者もでもないとしか思えない。しかし、野中広務は差別と向き合ってきた人生を送ってきた人だから、左翼に人気があるのもわかる。そして、野中以上に左翼の人気が高いのが亀井静香である。94年のJALキャビンアテンダントの件は、時代を10年以上先取りしていたし、ダム建設を推進してきた亀井が突如方向転換し、ダム建設計画の内容を精査するようになったのも第2次森内閣時代の2000年である。市場原理主義をとるなら、率先して「脱ダム」を打ち出しても不思議はなかった小泉時代に「脱ダム」の動きが鈍ったことは、小泉自民党の政策において、「痛み」は庶民にのみ押しつけられて、ゼネコンは優遇されてきたことを物語っている。この欺瞞性こそが「新自由主義」の一側面であり、「新自由主義」は「市場原理主義」とイコールではない。「市場原理主義」に見せかけて、所得を低所得者層から高所得者層へ、庶民から大企業へと逆再分配してきた詐術こそ、「新自由主義」の正体なのである。小泉の新自由主義と比較すれば、まだ市場原理主義の方が幾分マシなくらいだ。これでは格差が極端に拡大するはずであり、私は現状でのモラトリアム政策は止むを得ない方策として支持するのだが、マスコミはヒステリックに亀井大臣を叩き続けている。これは、マスコミが所得逆再分配の恩恵にあずかっているからにほかならない。

しかし、マスコミにこれだけ叩かれているのに、亀井大臣の政策を支持する意見も多く、考えようによっては政治家冥利に尽きるともいえるかもしれない。逆にもっとも悲惨な結末を迎えたのが中川一郎の息子・中川昭一である。昨日報じられた急死のニュースを聞いて、自殺だろうと思ったのだが、死因ははっきりしないようだ。衆院選に落選したショックがあまりに大きかったのか、挨拶回りもしておらず、次の総選挙に立候補するつもりがあるのかと訝られるくらいだったというから、人生の目標を失ったところに突然の病魔に襲われたのかもしれない。過度の飲酒癖があったそうだから、自然死でも決して不思議ではない。

中川昭一というと、誰もが「もうろう会見」のことを思い出すだろうが、私はそれよりも2005年に安倍晋三とともにNHKの番組を改変させた悪行を書き記しておきたい。「死者に鞭打つ」ことを潔しとしない風潮もあるが、私はその行き方をとらず、死亡時にも辛口の文章を書くことにしている。安倍と中川の二人で行ったあの件で、NHKと朝日新聞は大いに萎縮することになった。両巨大マスメディアの罪も重いが、番組を改変させた政治家である安倍と中川の罪も重い。

それにしても、安倍晋三を巡って非業の死を遂げる人はなんと多いことだろう。ともに「安晋会」のメンバーが絡んだ耐震偽装事件とライブドア事件では、死亡者が1人ずつ出た。そのうちの1人、「野口英昭」氏については、いまだにこの名前を検索語にしたネット検索によるブログ訪問者が後を絶たない(当ブログは野口氏怪死事件当時未開設であったにもかかわらず)。安倍とは直接のかかわりはないが、ライブドア事件では「偽メール事件」を引き起こした民主党の永田寿康元衆院議員も自殺した。安倍内閣では松岡利勝農水相が自殺し、「消えた年金」問題とともに内閣支持率急落の原因になった。そして今度は、安倍とともにNHK番組改変事件を引き起こした安倍の盟友・中川昭一の急死。どうしてこう、安倍晋三の周辺にばかり「非業の死」が集中するのだろうか。

平沼赳夫、安倍晋三、中川昭一、麻生太郎の4人の頭文字をとった「HANAの会」というのもあった。OBの平沼赳夫を含んで、自民党タカ派の4人を中心に結成された「真正保守」の集まりだ。そういえば、石原慎太郎は必ずしも「真正保守」には数え入れられないことが多いようだが、早い時期に議員辞職したせいだろうか。また、2005年に下野して野党政治家として民主党や社民党と共闘してきた亀井静香も「真正保守」とは呼ばれないのが普通だ。

だが、現状を見ると、麻生太郎は自民党を下野させた元総理だし、その禍根は安倍晋三に遡る。そして、平沼赳夫は政界再編の起爆剤になるどころか政界の「絶滅危惧種」になり、中川昭一にいたっては早世してしまった。石原慎太郎を含め、「真正保守」及びその亜種は一様に黄昏時を迎え、右翼イデオロギーに固執しなかった亀井静香だけが意気盛んだ。

長かった「右翼の時代」がようやく終わりを迎えようとしているように見える。


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9月28日付エントリ「新自由主義かケインズ政策かの議論ではない。環境問題だ」は、私自身がコメント欄の論戦に参加してコメンターの方(資本主義者さん)に応戦したこともあって、過去最多のコメント数を記録した。しかし、ここしばらくネットにあまり時間を割けない状態なので、そのフォローとなるエントリを上げられずにきた。

議論は途中から「地球温暖化懐疑論」へと移っていったのだが、私がもっとも驚いたのは、懐疑論の論者として名高い武田邦彦氏が、信じられないほど粗雑な論述を行っているらしいことだった。これは、まず資本主義者さんが、

温暖化によって海水面が上がるというのは嘘ですよ(笑)

と言ったので、私が論拠を示せと要求したところ、

コップに氷を入れて水をコップの容量ぎりぎりまで入れましょう。で、氷が溶けたら水が溢れるんですか?北極の氷が溶けたら水面が上がるという人は実験してみましょう。水面はズバリ下がります。簡単ですね(笑)

と回答し、それに対して私が

モデルを立てる時には、そのモデルが現実をよくシミュレートできているかどうかの検証が欠かせないんですよ。そのモデルってめちゃくちゃでしょ? 現実の陸地は氷でできているんですか?

と否定的に応じ、さらに資本主義者さんが

東大卒の科学者がモデルとして出していたものです。確か、環境問題の嘘て題だったかな?

と書いたことから、資本主義者さんが武田氏の議論を引用していたことが判明したものだ。

この議論を受けて、フリスキーさんから武田氏を痛烈に批判するコメントをいただいたので、以下に紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1001.html#comment7578

資本主義者さんが、ご自身の地球温暖化現象否定論の論拠とされた
武田邦彦著「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(洋泉社)に
目を通しました。

かなり怪しい本ですね。
まず、
北極の氷の融解による海面上昇についての言及ですけど、
やはり、武田氏は北極海の海氷(海に浮かんでいる氷)の融解を
アルキメデスの原理から説明しているにすぎません。
北極海ではなく、北極圏とくにグリーンランドの氷床(陸を被っている氷)の
融解による海面上昇の問題についてはスルーしてますね。
地球温暖化問題において論じられているのはこの氷床の部分なのに、
どういうわけか武田先生は北極圏における氷床の融解の問題をスルーされている。
北極圏については何が何でも浮かんでいる氷以外取り上げたくないようです。
これでは一般人をなめているとしか言いようがありません。
子供だましとしか言いようがありません。(笑)

次に、
武田先生は、環境庁発行の環境白書が、IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)
のレポートを曲解した上で誤訳して地球温暖化の誤った結論を流していると
批判してています。
ところが、肝心の元となっているIPCCの文書ですが、それがどの文書を指しているのか
不明なのです。普通ならそのレポート名を出しますよ。
どういうわけか
漠然とIPCCのレポートとしか言いません。(笑)

さて、
そのIPCCの文書ですが、
オフィシャルなものとして出されているのは、
環境庁ではなくて、気象庁によって翻訳された文書
「IPCC第4次評価報告書第1作業部会報告書政策決定者向け要約」があります。

http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/ipcc/ar4/index.html

この文書はIPCCによる公式文書であり、オリジナルの英文を気象庁が
日本語に訳したものです。訳文はオリジナルからの要約ではなくて、
気象庁による全文の翻訳です。
こちらを読んでみてください。

http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/ipcc/ar4/ipcc_ar4_wg1_spm_Jpn.pdf

ここから以下、要所を引用しましょう。

(引用開始)

・第3次評価報告書以降の新しいデータによると、
グリーンランドと南極の氷床の減少が1993?2003
年の海面水位の上昇に寄与した可能性が非常に高い
(表SPM.1参照)。グリーンランドと南極の内陸の氷
床を源とする氷河の中には、流出速度が増加したも
のがあり、氷床内部から氷を流出させている。それ
に対応する氷床減少量の増加は、しばしば、氷棚の
縮小、減少または消失、或いは海上に浮かぶ氷河舌
の損失に引き続いて起こった。そのような力学的な
氷の減少は、南極の氷の正味減少量の大部分と、グ
リーンランドの氷の正味減少量のおよそ半分を説明
するのに十分な大きさである。グリーンランドにお
ける氷の減少量の残りの部分は、降雪による蓄積を
上回る融解による減少である。{4.6, 4.8, 5.5}

・世界平均海面水位は1961年から2003年にかけ
て、年平均1.8[1.3?2.3]mmの割合で上昇した。
1993年から2003年にかけての上昇率はさらに大き
く、年当たり約3.1[2.4?3.8]mmの割合であった。

北極の平均気温は、過去100年間で世界平均の上昇
率のほとんど2倍の速さで上昇した。北極の気温に
は大きな10年規模変動性があり、1925年から1945
年にかけても温暖な期間が観測されている。{3.2}

・1978年からの衛星観測によれば、北極の年平均海
氷面積は、10年当たり2.7[2.1?3.3]%縮小した。
特に夏季の縮小は10年当たり7.4[5.0?9.8]%と
大きい。これらの値は、第3次評価報告書で示され
たものと整合している。{4.4}

・1980年代以降、北極域の永久凍土の表面温度は全
般的に上昇した(最大3℃)。また、1900年以降、北
半球の地表面が季節的に凍結する領域の最大面積は
約7%減少し、特に春季における減少は15%に達し
た。{4.7}

グリーンランドの氷床の縮小が続き、2100年以降
の海面水位上昇の要因となると予測される。現在の
モデルでは、(工業化以前と比較して)世界の平均
気温が1.9?4.6℃上昇すると、気温の上昇による
氷の質量の減少が、降水による増加を上回り、表面
の質量収支が負に転じると示唆される。質量収支が
数千年間負の値であり続ければ、グリーンランド氷
床は完全に消滅し、約7mの海面水位上昇に寄与す
るだろう。

現在の全球モデルを用いた研究によれば、南極の氷
床は十分に低温で、広範囲にわたる表面の融解は起
こらず、むしろ降雪が増加するためその質量は増加
すると予測される。しかしながら、力学的な氷の流
出が氷の質量収支において支配的であるならば、氷
床質量が純減する可能性がある。{10.7}

過去及び将来の人為起源の二酸化炭素の排出は、こ
のガスの大気からの除去に必要な時間スケールを考
慮すると、今後千年以上の昇温と海面水位上昇に寄
与するであろう。{7.3, 10.3}

             (引用終了)
これがIPCC文書の引用部分です。

さて、
問題の武田邦彦先生ですが、
その出典不明の“IPCCのレポート”とやらの結論が、
「北極の氷も南極の氷も海面の上昇にはほとんど関係が無い」
というものだと漠然と述べています。
いっぽう、
上記のIPCCの報告書には、北極圏および南極における
氷床の融解による海面上昇について、きちんと言及しております。
どういうわけか、
武田邦彦先生は、この点には目をつぶる。
また、自説に都合の悪いところはすべて伏せて、
しかもIPCCの結論をねじ曲げて紹介している。
IPCCの報告に対する曲解も良いところです。
まあ、そもそも武田氏の引用するレポート自体が出典不明なので
アレですけどね。(笑)

また、
武田先生がしきりに曲解だ、誤訳だと批判する環境白書ですけど、
白書にはこう書いてあるのです。

「気温の上昇は、海水の膨張、極地及び高山地の氷の融解を引き起こし、
その結果として海面の上昇を招きます」

これは、IPCCの報告の結論と符合しています。
どこが誤訳なんでしょう。
ところが、武田先生は、この環境白書の結論をIPCCの結論と
“まったく逆になっている”と批判している。
さて、どこが逆なの?(笑)
どの部分がどうIPCCの知見と逆なのですか?
逆どころが、両者はきちんと符号しているじゃないですか!

ああ、武田先生の挙げている
オリジナルの文書がどれなんだか不明でしたね。(ここでも笑っちゃう)

はっきり言って、この本は子供だましの“トンデモ本”の類ですよ。
(後略)

(フリスキーさんのコメントより)


「リベラル・左派」に分類されるブログでも、一時期「地球温暖懐疑論」は大流行し、武田邦彦教授の主張の引用を繰り返していた有名ブログもあったが、そんなブログもいつしか消えてしまい、民主党を中心とした新政権が、地球温暖化対策に力を入れる姿勢を見せていることから、「リベラル・左派」ブログも「地球温暖化陰謀論」をほとんど言わなくなった。これは、政権交代で良かったことの一つだと私は考えている。

私は何も、地球温暖化に関する温室効果ガス仮説を100%正しいなどとは言っていない。仮説は仮説なのだから、それが否定的に検証されれば仮説を修正していけば良いだけである。しかし、仮説への批判が武田教授のようなトンデモであっては意味をなさない。地球温暖化仮説の可否以前の問題である。

同じコメントで、フリスキーさんは勝谷誠彦も槍玉に挙げている。

ちょっと面白い動画を見つけました。
既に見ているかもですが、

http://www.youtube.com/watch?v=2rYIhj4vGME&feature=related

この武田邦彦先生が出演している民放番組でして、ここでも
コップに入れた氷の話を持ち出して
同じ自論を繰り返してますけど、
そんで勝谷誠彦もコメンテーターでいるんですけど、
この勝谷が、「僕は地質学の専門家なんで・・・」と切り出してから、
この武田トンデモ論に乗じて御託を並べてる。
勝谷さんって地質学の専門家だったんですね。(笑)

(フリスキーさんのコメントより)


勝谷は早稲田大学文学部卒業だったと思うが、大学及び専攻分野に何の誇りも持っていない勝谷は、村上世彰や西村康稔を排出(誤変換ではない)した神戸の灘高校を卒業したことを誇りにしている。「地質学の専門家」というのは、灘高校における勝谷のクラブ活動のことなのである(笑)。ちなみに、勝谷は早稲田大学では「少女マンガ同好会」に所属していた。

武田教授といい勝谷といい、なんと形容したら良いのか、文章に詰まってしまう方々である。


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