自民党は119議席に議席を減らした。83人いた「小泉チルドレン」は10人を残すだけとなった。公明党は小選挙区の全候補者が落選するなど21議席にとどまり、共産党(9議席)と社民党(7議席)は現状維持、国民新党は1議席減の3議席にとどまった。「みんなの党」が1議席増の5議席、新党大地は現状維持の1議席、新党日本は田中康夫が当選して1議席、平沼グループは3議席、その他無所属が3議席(うち連立政権系が2議席)を獲得した。
小選挙区制が極端な結果を招くことは、今さら書くまでもないのでくどくどとは述べない。問題は、「政治改革」論者がもくろむような「(民主党と自民党による)政権交代可能な二大政党制」ができあがったといえるのかということだ。今回、自民党にどんな政治家が残るのか、私は注目していたが、結局残ったのは世襲議員と右翼議員ばかりだった。私は、無所属を含めて、当落線上にいるといわれた8人の右翼候補の当落に注目していた。町村信孝、中川昭一、稲田朋美、森喜朗、野田聖子、高市早苗、平沼赳夫、鳩山邦夫。彼らのうち、落選したのは「もうろう会見」で不信を買った中川昭一だけだった。安倍晋三、麻生太郎、城内実などは余裕の楽勝だった。投票日の朝、朝日新聞7面に載った自民党の全面広告には、日の丸と思しきグレーに塗りつぶされた円をバックに、「日本を壊すな。」と大書されていたが、日本をぶっ壊したのは自民党政権だったのだから、「お前が言うな」と言いたくなる。広告の文面も、「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない。」などと書かれているが、自民党はかつての国民政党から、ひどいイデオロギー政党に落ちぶれてしまったんだなあと思う。イデオロギーにばかり走って国民生活にかかわる問題をないがしろにした自民党が嫌われていることを何もわかっていない。そして、自民党をガタガタにした森喜朗、安倍晋三や麻生太郎が残り、世襲の小泉進次郎が当選し、小泉チルドレンの中でも極右の稲田朋美が生き残り、6年前の選挙でさえ落選した高市早苗が比例復活とはいえ議席を守った。落選濃厚と見られた野田聖子や小池百合子も、土壇場で比例復活を果たした。自民党が次期総裁に誰を選ぶのかはわからないが、残っている議員の顔ぶれから考えて、たとえ清和会以外から総裁が出たところで、自民党の右翼イデオロギーむき出しの体質は変わらず、党勢の急回復は望むべくもないだろう。
それにしても、自民党最大の敗因は、麻生太郎を総裁として選挙を戦ったことだろう。麻生というと、野中広務に対する差別発言で悪名が高いが、最近出た野中広務と辛淑玉の共著『差別と日本人』(角川oneテーマ21, 2009年)の中で、野中広務は、
と書かれた手紙を受け取り、この真偽について自民党の政治家たちに聞いたところ、のち国民新党に転出した亀井久興が、確かに麻生がそうした発言をしたと証言したことを明らかにしている。麻生太郎が、(2001年)3月12日の大勇会の会合で「野中やらAやらBやらは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」と笑っていた
これは、おそるべき発言であって、「あんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」というのは、麻生太郎自身に向けて発せられるのが相当の言葉だ。しかし、自民党はそんな麻生太郎に国民的人気があると勘違いして、麻生を総理大臣にして選挙を戦って惨敗した。これは、解党に値する知性の劣化というほかなく、私は自民党が119議席もとったのは議席の与え過ぎだと思う。自民党と民主党の二大政党制など幻であり、今後の日本の政治は多党制へと移行しなければならない。
それにしても、こんなひどい差別意識を持つ麻生太郎を易々と当選させてしまった福岡8区の有権者には呆れるばかりだ。同じことは、国籍法改正に関して、差別意識むき出しの醜いブログ記事を書いた城内実を圧勝させた静岡7区の有権者についてもいえる。これでは、日本人というのは差別に鈍感な民族であると言われても仕方がない。麻生太郎や城内実らの差別主義者を落選させることは、次回総選挙の課題として残ってしまった。
今回、有権者は民主党の圧勝をもたらしたが、懸念していた通り保坂展人(社民党)や亀井久興(国民新党)を落選させてしまった。かつてコイズミの郵政民営化に熱狂したと同じ人たちが、今回は「政権交代」の風に流されたのだからどうしようもないが、今回の選挙結果をもって有権者の民度が向上したなどとは間違ってもいえない。
最後にマスコミの予想と結果との関係だが、北陸・中国・四国・九州や青森県などではアンダードッグ効果が見られたが、都市部では逆にバンドワゴン効果が起きた。福井県と高知県では自民党が全勝し、このうち高知1区は橋本大二郎と民主党候補が票を食い合ったための漁夫の利だったが、福井1区の稲田朋美が小選挙区で当選したのには失望させられた。四国では小選挙区で自民党が民主党の5議席を上回る8議席を確保し、地元メディアを握る香川1区の平井卓也をまんまと復活当選させてしまったし、中国地方では広島県以外の4県で自民党はすべて小選挙区の議席を守り、民主・国民新の計9議席を上回る計10議席(平沼赳夫を入れれば11議席)を獲得したために、せっかく小選挙区で落選させた広島4区の中川秀直を比例で復活当選させてしまった。石川2区の森喜朗の当選を含め、北陸・中国・四国は自民党の極悪議員にとどめを刺し損ねた結果が目立った。もっとも、こうした地方の自民党の「最後の抵抗」が、かえって自民党の復活を難しくするかもしれない。地方の有力者との結びつきと右翼イデオロギーを特徴とする政党に明るい未来があるとはとても思えず、今後とも自民党の党勢は衰える一方であると考えるべきだろう。今回の下野で、公明党との提携が解消されるのも自民党にとっては痛く、自民党は今後万年野党に甘んじることになるに違いない。
あと、小政党も今のままでは将来は暗い。特に、ほとんど主張が変わらない社民党と共産党が別々の党であるために大きな無駄が生じていることを今回ほど強く感じさせた選挙はなかった。このまま民主党がもくろむ「比例区定数削減」なんかをやられたら、両党は事実上消滅するだろう。今後の政治のあり方として、民主党にブレーキをかけるべきは、自民党ではなく社民主義勢力であると私は考えており、そのためには今回以上に自民党を衰退させて、社民主義勢力を育てる必要がある。それには、社民党や共産党自身が変わる必要もあるのではないかと強く思うものである。
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NHKの出口調査では、各党の議席数予測は以下のようになっている。
自民党 84?131議席 → 119議席
公明党 12?36議席 → 21議席
民主党 298?329議席 → 308議席
共産党 7?18議席 → 9議席
社民党 4?15議席 → 7議席
国民新党 3?6議席 → 3議席
みんなの党 3?10議席 → 5議席
新党大地 0?2議席 → 1議席
新党日本 1?2議席 → 1議席
改革クラブ 0議席
幸福実現党 0議席
諸派・無所属 4?8議席 → 6議席
とりあえず、与党の惨敗と「政権交代」は確実な情勢だ。
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今回も、どんなに劣勢に追い込まれている陣営も、8年前の参院選における岡山の民主党陣営のように、最初から全く勝ち目のない戦いを展開している陣営も、戦っている人たちはみな必死で、終わった時には達成感や満足感や虚脱感を持つことだろう。8年前、正直言って私は、どうせ勝ち目のない戦いなのに空しさは感じないのかなあと思ったが、私が間違っていた。余裕の戦いぶりを見せていた岡山の自民党はその後弱体化し、「郵政総選挙」でさえ2区と4区を落とした(比例で復活)。岡山はその後も「姫の虎退治」の舞台となったし、今回の衆院選では、元自民党の大物・平沼赳夫が岡山3区で接戦になるという驚くべき状態を現出させている。岡山4区で情勢が思わしくないとされる橋本岳の父・故橋本龍太郎元首相は、かつてほとんど地元入りなどしなかったと聞くし、今回、岡山3区からは「平沼さんはこの4年間いったい地元のために何をしてきたのか」という声が聞こえてくる。一方、その平沼赳夫のグループにいる静岡7区の城内実は、4年間ドブ板に徹してきた。だから、国籍法改正をめぐっておかしなことをブログに書いても、ポスターをめぐる変な問題が起きても、城内実の優勢がびくともしなかった一方、無風に油断していた平沼赳夫が思わぬ苦戦を強いられているのかもしれない。もちろん、城内実が地元メーカーの支援を受ける一方、小沢一郎の肝煎りで岡山県のコンビニ業界の組合が民主党支援を打ち出したとされる件の影響などもあるのだろうけれど。
城内実は、ネットにおいて、左派というか「反グローバリズム」を気取る人たちからの人気が高いが、彼らは選挙の情勢が城内実は優勢なのに平沼赳夫は思わしくないと見るや、巨大掲示板で平沼赳夫を邪魔者扱いし始めた。私はこれを、『kojitakenの日記』に記録しておいた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20090828/1251448524
ネットにおける支持者の質などかくのごとしである。おそらく、彼らは城内実の後援会とは何の関係もなく、単に一部の城内実応援ブログに感化されているだけなのだろう。もちろん、城内実応援ブログは平沼赳夫の悪口など書かず、平沼赳夫を応援するスタンスをとっているが、ブログを書いて意見を発信する側はそれなりに筋が通っていても、それを読んで感化される連中は、排外主義にかぶれ、「悪徳ペンタゴン」の言説にかぶれ、「内外タイムス」の飛ばし記事を妄信するなどして、「ひいきの引き倒し」をしたあげく、結局自ら支持しているはずの政治家をスポイルしてしまうのである。城内実も、衆議院議員への返り咲きは確実だろうから、これを機に周囲の人たちやネットとのかかわり方を見直した方が良いと思う。国会議員としての軽挙妄動は、それこそ政治家として命取りになりかねないからだ。
当ブログは、もちろん衆院選が終わっても更新は続けるが、これまでのように平日は毎日更新するペースは改め、書きたいことが生じた時に新しいエントリを公開することにしたいと思う。「書を捨てて街に出よう」という言葉があるが、私は、「書」さえ読み足りていないので、「ネットを捨てて書を携えながら街に出よう」というのを新たなモットーにしたい。とは言っても、「書を捨てて街に出よう」と言う人が、実際には書を捨てないと同じように、私もネットは捨てないが、これまでのようなかかわり方は改めたいと考えている。
私がなぜブログで政治のことなどを書くようになったかというと、「郵政総選挙」以前には、あんなバカバカしい小泉政権なんかは、誰かが止めてくれるだろうと思っていたのに、あんな信じられない結果が生じてしまったからだ。もちろん、「郵政総選挙」以前に立ち上がっていた先人もいるし、「郵政総選挙」の情勢があまりに自民党優勢だったために、選挙期間中の投票日直前にブログを立ち上げた先人もいる。そして、選挙結果に危機感を抱いてブログを立ち上げた人たちは大勢いて、そんな中で2006年4月になってようやくブログを立ち上げた私は、ブログを立ち上げてから1年間くらいは、「後発組」として引け目を感じていたものである。
結局、ブログ開設から3年4か月が経って、その影響力が限定的であることだけはわかった。政治ブログの運営は、コストパフォーマンスが良いとは決して言えない。少し前にブログの意見に反対するコメンターたちとやり合った時、ある方が当ブログ管理人を弁護して、「ブログで毎日政治的な意思表示をするのはエネルギーが必要だ」と言ってくださったことがあり、私はそれに大変感謝しているが、確かにかなりのエネルギーが必要なのである。現在予想されている民主党の独り勝ちは、必ずしも私の望む姿ではなく、もっと左右を問わず小政党(極右や自民党との連携を志向する勢力を除く)が伸びてほしいし、それを阻害する民主党の「衆院比例区定数80削減」を阻止する戦いは今後も継続しなければならないと思っているが、それでも自民党・公明党の下野を機に、ブログに割く労力はある程度削減することにしたい。
それにしても、「野党共闘」のスローガンを掲げていた一連のブログが、民主党の主張する比例区定数削減問題を見て見ぬふりをし続けたのは残念至極であって、結局彼らの行動原理は「長いものに巻かれよ」以外の何物でもなかったことの証左だ。いくら、「小さな政党こそ共闘魂を発揮せよ」と叫んだところで、小政党の議席獲得を邪魔する民主党の比例区定数削減に賛成しているのでは、小政党に対して、大政党である民主党に「小異を捨てて付き従え」と強要する「上から目線」の議論に過ぎない。真に彼らのなすべきことは、共闘に参加しない共産党やその支持者を批判することではなく、民主党の「数の横暴」(比例区定数80削減の主張)に反対しない民主党支持者を批判することだろう。彼らは「庶民目線」を強調するが、庶民とは「郵政総選挙」で自民党をバカ勝ちさせたり、今回の選挙で民主党に票を集中させて、保坂展人、阿部知子(社民党)や亀井久興(国民新党)ら、真に日本にとって必要な政治家たちを見殺しにしかねない存在でもあるのだ。
いずれにしても、間違いなく民主党を中心とした政権が成立する。新政権は、情報公開についてはこれまでの政権よりは期待できるが、「なんとかしてくれそう」という幻想は通用しない政権である。民主党の新自由主義的な体質も、必ずしも悪いところばかりではなく、市民の政治参加を促す側面も持っているのだろうけれども、市民が何もしなければ、たとえば「地方分権」などは、既得権を持っている腐敗した地方の有力者が、これまで以上に好き勝手をするだけに終わってしまう。実際、地方を衰退させた小泉構造改革に、これら地方の有力者は反対しなかったどころか積極的に支持さえした。東国原英夫の真の狙いも、利権の拡充にあった。だから、これからは「なんとかしてくれそう」という発想を捨てない限り、日本の政治も社会も人々の暮らしも、決して良くならないと思う。話し言葉は必ずしも得意ではないが文章を書くことは好きな私にとっては、ブログを書くことが「なんとかしてくれそう」を脱却するための試みの手段だったし、現在の情勢を見て、「これではいけない」と危機感を持つ方は、新たにブログを開設されるのも良いと思う。ただ言えるのは、ブログを開設するにせよリアルで活動するにせよ、誰かが「なんとかしてくれそう」という発想だけは捨てた方が良いということだ。
その「なんとかしてくれそう」を脱却する第一歩が、衆議院選挙に投票することだ。まず一票を投じて意思表示をするところから、すべては始まる。
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郵政総選挙で水ぶくれした自民党議員たちは、ろくなことをやってこなかった。今回の総選挙は、おそらく今後「政権交代選挙」とでも呼ばれるのだろうが、今度は民主党議員たちが水ぶくれすることになる。なにしろ全員に近い候補者が当選するといわれているのだから、その中には使えない政治家たちもかなりの数いるだろう。だからといって自民党に生き残ってほしいと思う政治家は数えるほどしかいない。巨大掲示板を見ていると、「4年前と今回の選挙で、国民は小選挙区制の面白さを知ってしまった」などと書いている者がいるが、冗談じゃない。前回生まれたバブル国会議員たちは今回葬られるが、新種のバブル国会議員たちが生まれる。玉石混交のその中から、日本を背負って立つ本当の政治家が出てくるのだろうが、小泉チルドレンたちからそんな者が出てきただろうか? まさか、チルドレンにしては珍しく小選挙区で競り合っている稲田朋美なんかの名前を挙げるんじゃないだろうな。間違いなく復活する無所属の城内実らともども、右派民族主義系の政治勢力が残るだけだったら、その間自民党は何をやっていたのだということになる。あるいは、選挙でどうなるのかは知らないが、中川秀直や小池百合子などの新自由主義改革派がこれからの日本に必要だというのか? 彼らは国民に絶望しか与えなかったではないか。
これまた選挙の情勢が怪しい与謝野馨が、大勝するであろう民主党の「一党独裁」を懸念しているというが、これにも違和感がある。与謝野馨自体、これからの日本にとっては必要のない政治家だと私は考えているが、「政権交代」の実現だけで結集した民主党は寄せ集め政党であり、成員の主義主張はさまざまで、そんな政党の「独裁」と言われても、疑問符が浮かぶばかりなのだ。ただ言えることは、小選挙区の恐怖があるために執行部には逆らいづらいことで、誰の目にも明らかなのは、民主党の実質的な支配者は小沢一郎だということだ。70年代後半から80年代前半にかけて、「闇将軍」と言われた田中角栄を思い出す人も多いだろう。西松事件で代表の座を退いた小沢一郎の時代は終わった、と見る向きもあったが、そうはならなかった。今展開されているのは、かつて自民党内で展開されていた経世会と清和会の抗争が、民主党と自民党に分かれて続いている光景だ。清和会の流れは、前世紀には岸信介と福田赳夫が、それぞれそう長くない期間政権を担っただけだったが、2000年の森喜朗内閣以来、延々と清和会の時代が続いた。麻生太郎はもとは違うけれど、実質的に清和会の傀儡(かいらい)だった。闇将軍が森喜朗だったのでは、日本の政治がガタガタにされたのも当然だろう。
本屋には、まだ今月上旬に発売された月刊誌が売られていて、中曽根康弘と渡邉恒雄(ナベツネ)が対談して「自民党は150議席を切ったら永久野党になる」と言っている記事が載っているようだ。結構なことではないか。中曽根は、清和会とは別の流れだが、本質的にはイデオロギー政治家だし、新自由主義改革でも日本に爪あとを残した。「大勲位」などと祭り上げられている政治家だが、中曽根政治の否定的総括なくして日本の復活はあり得ないと私は考えている。
右派民族主義系の人たちから、よく「くだらない右や左のイデオロギーにとらわれている」と批判される当ブログだが、そんなことを言う人に限って右派イデオロギーが強烈で、国民の関心が極めて低い、民主党の「日の丸つなぎ合わせ事件」などにこだわり続ける。イデオロギー色の薄い人たちから、当ブログが「左右のイデオロギーにとらわれ過ぎている」という批判を受けることはほとんどないことも言い添えておこう。
とにかく、清和会的イデオロギー政治はもう要らない。生き残りが予想されている自民党の政治家の中には、そうでない人たちも多く、一部は新自由主義者で残りが保守本流といったところだと思うが、選挙後に行われる自民党総裁選の結果によっては彼らは身の振り方を考えるべきではないか。
清和会的イデオロギー政治家たちは、せいぜい右翼版の「たしかな野党」でも作ってはどうかと思う。彼らが2000年以降の9年間、日本をズタズタにしてきたことへの審判が下るのは明後日である。
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しかし、一昨年の参院選では、投票日に向けて高揚感や緊張感があったのに対し、今回はそうではなく、むしろ重苦しい気分に支配されている。それは、政権交代後に来るものについて、必ずしもポジティブなばかりのイメージを持ち得ないからだ。
3年4か月前に私がブログを始めたきっかけとして、その前年の「郵政総選挙」における小泉自民党の圧勝と、その後に来ると予想された安倍晋三後継路線への強い反発があった。私は小泉純一郎の新自由主義政治に対しても、安倍晋三の政策として予想され、実際その通りになった改憲一直線の極右政治に対しても、ともに強い反感を持っていた。はるか昔の高校時代に、社会民主主義者だった政治経済の教師に影響を受けた私は、昔から護憲派であるとともにサッチャーやレーガンの就任当時から彼らに対して批判的な意見を持っていたが、その後の社会人生活においても、新自由主義化がもたらしたバブルの生成と破裂の波の影響をもろに受け、90年代後半には新自由主義を呪詛する立場に立っていた。大手企業に勤務していた方の中には、同様の経験をお持ちの方も少なくないだろう。私には90年代に大病を患った経験があるが、そのような劇的な災厄に見舞われるケースの他に、強いストレスによってうつ病を発症するケースも多く、いまやうつ病は日本人(や韓国人など)の国民病といえるのではないだろうか。
早くからグローバル経済の波を受けてきた人間にとっては、小泉改革など鼻で笑うしかない代物だったのだが、小泉政権が成立した2001年の時点では、そこまでの荒波にさらされていなかった日本人が多かったらしく、小泉が叫ぶ「痛みを伴う改革」を、皆嬉々として受け入れた。大怪我を負った貴乃花の優勝に、「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!!」と絶叫している小泉を見ながら私が考えていたことは、おそらく貴乃花はこの怪我が元で引退に追い込まれるだろうなということと、もしそうなっても小泉は何もしないだろうなということだった。そして、その予感は現実のものとなった。
あの時、田中真紀子が小泉を応援したこともあって、小泉内閣は空前の高支持率を記録した。小泉や田中真紀子への批判が許されないような空気が形成された。今回もその田中真紀子が民主党入りしたニュースを聞いて、ああ、また8年前のようなことになるのかなと思った。8年前、民主党代表を務めていた鳩山由紀夫は、小泉と改革競争をすると言って小泉に共闘まで呼びかけたが、その鳩山由紀夫が首相になる。そして、国債の増発はしないと言って、財政再建に注力する意向を鳩山由紀夫が口にしたニュースを聞いて、これじゃ小泉政権発足当時の再現じゃん、と思ってしまったのである。これでは、散々な痛みを蒙ったこの8年間の日本社会の経験が無駄になってしまう。民主党政権への批判はほとんど支持されないだろうから、まさに小泉フィーバーの再現が予想される。これでは、重苦しい気持ちにもなってしまおうというものだ。
今回の選挙戦前に、共産党は「自民も民主も同じ」として批判してきた方針を改め、成立が予想される民主党政権に対しては是々非々で対応することを言明した。私は、民主党の一部に改憲志向が見られるほかに、同党がともすれば新自由主義に接近する傾向が強いことを危惧しており、共産党にはできるだけ多くの議席を獲得してもらって、民主党のネオリベ化に歯止めをかけてもらいたいと思っている。
そして、連立政権内で民主党のネオリベ化に歯止めをかける役割を期待したいのが、国民新党と社民党である。ただ、両者を比較した場合、護憲や環境・エネルギー政策においてはブログ管理人は社民党に立場が近いけれども、社民党もまた小泉政権発足当時は「改革」という言葉をポジティブな意味合いで用いていた、否、4年前の「郵政総選挙」の時でさえ、福島瑞穂党首の顔写真が大写しになった社民党のポスターには、「国民を見ずして、改革なし」という文字が躍っていた。民主党政権のネオリベ化を阻止する役割に限って言えば、社民党より国民新党の方が頼りになる。
いずれにせよ、内閣に参加せず、野党の立場から連立政権を牽制する共産党を含めて、社民党や国民新党にも適度な議席配分を行うことによって、民主党政権に歯止めをかける選択をしたいものだと考えている。
なぜこんなことを書くかというと、いうまでもなくマスコミが行った選挙の情勢調査で、民主党の圧勝が予想されているからである。最新の朝日新聞調査では、民主党の予想獲得議席が下限307議席、中心値321議席、上限330議席に達している。330議席というと、候補者全員の当選を意味する。この場合、民主党の候補者の不足が生じ、民主党に投じた票が自民党を中心とする他党に回ることになる。
自民党は中心値103議席(89?115議席)の予想で、3分の1近くまで議席を落とすと見られており、公明党も議席を減らして24議席(18?30議席)程度にとどまると見られているが、共産党は現状維持の9議席、社民党は前回よりやや持ち直したものの2議席増の9議席、国民新党は現状から1議席減の議席が中心値として予想されている。新党大地は現状維持の1議席(最大2議席)、議席獲得が困難視されていた新党日本も、1議席(最大2議席)獲得の可能性が出てきた。政権に加わらないと見られる勢力では、みんなの党が現状維持の4議席、改革クラブは現有の1議席を失い、無所属は平沼グループの3議席(2議席増)を含む5議席の獲得が予想されている。以上からわかるように、民主党以外の政党で勢力を大きく伸ばすところはない。平沼グループは、元職2人の返り咲きが確実視されるが、平沼赳夫が公示直前に立候補を決めた西村啓聡(民主)と競り合いになっており、グループの長自身が落選する可能性がある。
今回の選挙戦で、民主党の圧勝がマスコミで予想されても、それが民主党になびく有権者の投票行動に歯止めをかける「アンダードッグ現象」が起きず、逆に民主党へと票が集中する「バンドワゴン現象」が起きるのは、それだけ自民党が有権者の強い嫌悪の的になっていることのあらわれだ。私も、票が自民党に流れないこと自体は、歓迎すべきことだと思う。ただ、昨日のエントリで書いたように、自民党で選挙戦を有利に進めている数少ない候補の中には、安倍晋三と麻生太郎が含まれていることが私には気になる。歴代の自民党総理大臣の中でも、もっとも質が低いのがこの2人だと私は考えているからだ。神奈川11区の小泉進次郎には、さすがに落選の可能性があるようだけれども。
民主党以外の野党に票を流すことによって民主党に歯止めをかける動きは、特に朝日新聞の予想する社民党の予想獲得議席数が、前回調査より増えていることからうかがわれる。これは、マスコミの情勢調査を知った有権者が投票行動を見直したこともあるだろうが、全国を回っている小沢一郎の戦術も効いているのではないかと私は思っている。当ブログは読者に特定の投票行動を勧めたりはしないが、東京ブロックにおける保坂展人(社民党)、南関東ブロックにおける阿部知子(社民党)、中国ブロックにおける亀井久興(国民新党)などは、個人的に是非とも議席を守ってほしいと思う候補者たちである。実績のあるこれらの候補者たちは、必ずしも議席獲得の目処が立っているとは言い難い。当ブログ管理人は、社民党や共産党との政策一致度が高いことは、ブログの右側カラムに示した毎日新聞「えらぼーと」の結果から明らかだが、国民新党というと、日本会議ともつながりのあるタカ派のイメージを持たれる方も多いだろう。おそらく、同党の中心人物である亀井静香がかつて自民党でも右派とされた旧中川(一郎)派に属し、現在でも日本会議のメンバーであることからきているのだろうし、小泉政権時代には亀井静香は「抵抗勢力」として悪役のイメージが強かった。現在では、その小泉改革自体が格差を拡大して国民生活を壊したという評価がほぼ定着しているが、憲法や外交・安全保障問題に関して国民新党の候補者はいかなるスタンスをとっているかを「えらぼーと」の結果から見てみよう。
まず憲法問題(9条関係)を問う第1?3問。

候補者によって、核武装も視野に入れたタカ派から、9条改憲にも集団的自衛権の政府解釈見直しにも反対するハト派までいるが、島根2区の亀井久興と鹿児島3区の松下忠洋の2人は、憲法9条改正にも集団的自衛権の政府解釈見直しにも反対しており、はっきりしたハト派といえる。特に、小沢一郎をはじめとして民主党に結構いる、9条改憲には反対だが集団的自衛権の政府解釈は見直すとする「解釈改憲派」とは違って、正真正銘の「ハト派」であることは強調しておきたい。
続いて、外交姿勢を問う問18?20の3問。

ここでも、アフガン派兵にはっきり賛成しているのは、熊本4区の松永真一と東京25区の真砂太郎だけである。「えらぼーと」への回答を見ると、国民新党の候補者の中でも、亀井久興はもっともハト派の候補者といえる。一方、これらの問いにほとんど答えていない岡山2区の赤松和隆は、核武装についてのみ「情勢次第で検討する」と答えている。岡山2区は、民主党候補がいるのに国民新党も候補を立てた選挙区になっており、同区の有権者で反自公の意見を持つ方の中には、赤松候補に良い印象を持たない方が多いと思うが、赤松候補は当選の望みがほとんどない一方、比例区で国民新党に投票することは、朝日新聞の情勢調査でも島根2区で苦戦が伝えられる亀井久興候補を救済することにつながる可能性がある。
おことわりしておくが、私は中国ブロックの読者の方に、「比例区は国民新党に」などと勧めているわけではない。実際、朝日新聞の情勢調査を読むと、従来絶望的と考えられていたこのブロックにおける共産党の議席獲得の可能性も出てきたようだ。閣外から連立政権を牽制することを重視したければ共産党に、連立政権内での牽制力を重視したければ国民新党に、いや、そんな戦略より民主党や社民党を支持しているんだと仰る方は、それぞれの支持政党に投票すれば良いと思う。もちろん、読者の中には自民党や公明党、あるいは「みんなの党」などを支持される方もおられるだろうから、それぞれの支持政党に投票すれば良い。ただ、戦略的投票行動の一例を示してみただけである。私が望む中国ブロックの選挙結果については明記はしないし、繰り返すがこの記事は特定の候補者や政党への投票を推奨するものでは一切ない。また、本エントリで取り上げたのはあくまでも中国ブロックの例であって、たとえば東京ブロックや南関東ブロックでは、戦略的投票行動は、ここで書いた例とは異なる形になることはいうまでもない。
ただ、ことほどさように現行の衆議院の選挙制度は厄介なものである。しかし、民主党がもくろむ比例区の定数削減が実現すれば、このように小政党の議席ををなんとか増やそうとする努力さえできなくなってしまう。
それでもあなたは民主党の主張する「衆議院議員の比例区定数80削減」を支持しますか、と、これだけははっきり読者の皆さまに私から問いかけたい。
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座談会は、これまで朝日新聞で「政治改革」の旗を振ってきた早野透、星浩両氏に、坪井ゆづるという編集委員が加わっているが、坪井氏は自民、民主両党の政策を「ばらまき」と批判しており、民主党政権成立後、朝日新聞的・財務省的スタンスから政府・与党(民主党)を批判する急先鋒に立つことになるのかもしれない。早野氏は、麻生首相の第一声は「おわび」から入った、これでは選挙にならないと自民党をバカにし切っているし、星氏は、「判官びいき」は負けている方にも何か理があって、かわいそうだから起きる、と自民党の「自業自得」だと言っている。間違いなく民主党シンパであると思われる両氏は、中盤にして大差がついた選挙戦を眺めながら、早くも勝利の美酒に酔っているかのようだ。
星氏は、自民党には「政権にいるから応援する人」と「政治家個人のファン」の2種類がいるが、前者は情勢が悪くなって一気に逃げている、とも指摘する。ネットでもよく指摘される「媚権」の人たちのほか、現実問題として与党とのパイプを構築しなければ生活に差し障りが出る人たちがいて、そうした人たちが自民党を見放すのは当然といえるだろう。星氏と早野氏は、政官業癒着に頼れなくなった自民党が総裁選でどんな指導者を選ぶのかまで推測しており、加藤紘一、谷垣禎一、石原伸晃、舛添要一らの名前を挙げている。私はそのリストに石破茂の名前も加えたい。
しかし、今自民党があてにしているのは、上記のような政治家たちを支持する有権者ではない。同じ朝日新聞の2面には、自民党がネットで展開している民主党に対するネガティブ・キャンペーンの記事が出ていて、自民党が作成したネガキャンアニメが、既に60万回再生されたと報じている。なんでも、自民党のネガティブキャンペーンには過去の実績もあり、1996年の総選挙では消費税率3%引き上げを主張していた新進党を自民党が新聞の全面広告で「新進党は、本当は何%ですか」と批判して、これが効いて新進党は選挙で議席を減らしたという。
朝日新聞にコメントを出している石澤靖治・学習院女子大教授は、「今回のネット広告も一定の効果がある」と言っているが、いかに麻生太郎首相の母校の系列大学に勤務しているからといって、あまりに自民党寄りの見方だろう。今回は、自民党の方が「4年間消費税率を引き上げない」と言っている民主党を批判しているのであり、自民党の方が負担増を求める立場だ。それに、多くのネット住民が指摘しているように、今回の自民党のネガキャンはあまりにも下品である。それでなくとも「責任力」をキャッチフレーズにしている麻生首相に対して、「お前が言うな」というのが国民の一般的な受け止め方ではないかと思う。
とはいえ、ちょっと気になるのは、今回の選挙戦を通じて、極右候補にはどうやら一定の人気があるらしいことだ。たとえば、自民党候補の中でもっとも楽な戦いを展開しているとされるのは山口4区の安倍晋三であり、その次が福岡8区の麻生太郎だ。同じ「ダメ総理三人組」の中でも、安倍や麻生ほどタカ派色を鮮明にせず、それどころか安倍の極右路線を若干修正した福田康夫(群馬4区)は、当初楽勝を予想されながら現在ではかなりの苦戦を伝えられているし、毎日新聞の「えらぼーと」への回答で、自民党には珍しく憲法9条改正と集団的自衛権の政府解釈変更にともに反対している後藤田正純(徳島3区)も選挙区での当選はかなり危うくなってきた。一方、「郵政造反組」として前回の総選挙で自民党を追い出された無所属の平沼赳夫(岡山3区)と城内実(静岡7区)は、ともに安倍晋三に立場の近い極右だが、楽勝の情勢だ。特に平沼赳夫は、かなりのタカ派候補でさえ核武装には「条件次第で」という但し書きをつけて検討の必要を主張するところを、但し書きなしの「検討すべき」を選んでいる。さすがに戦時中の極右・平沼騏一郎の養子だけのことはある超タカ派といっても過言ではないだろう。そんな平沼や城内(さすがの城内も核武装は「検討の必要なし」と答えている)をなぜか「政権交代ブログ」の一部が熱烈に応援しているが、彼らが同じ平沼グループでやはり当選確実とされる小泉龍司(埼玉11区)には目もくれないことも実に不思議である。小泉龍司は、後藤田正純同様、9条改正にも集団的自衛権にも反対しているが、彼が当選有力と見られているのは、単に埼玉11区に民主党が候補を立てていないためである。静岡7区や岡山3区には候補者を立てた民主党が、埼玉11区には候補を立てていないことは、平沼グループで当選の見込まれる3候補の今後を占う上で興味深い。岡山3区と静岡7区の民主党候補は、小選挙区では苦戦を強いられているが、比例区で復活する可能性が高い。また、岡山3区については、自民党の阿部俊子が比例区中国ブロックの名簿に1位で記載されており(他の中国ブロック候補は同順の4位で、中国ブロックの自民党候補には復活枠が事実上「1」しかないと見られている)、引き続き阿部氏が議席を確保することはほぼ確実である。
平沼赳夫の他に但し書き抜きの「核武装検討」を主張する極右は、自民党にもほとんどいないが、北海道11区の中川昭一はその数少ない例外だ。中川は、極右政治家であるにもかかわらず選挙で大苦戦しており、比例区での復活も危ぶまれているが、これは「もうろう会見」が影響しているものと思われる。いくら選挙に多少有利な極右でも、酔っ払って大失態を犯すような輩は、見捨てられて当然だろう。
この他にも、福井1区の稲田朋美が、苦戦とはされているもののなお当選の可能性を残しており、「小泉チルドレン」としては稀有の健闘といえるかもしれない。また、驚いたことに改革クラブの西村真悟も、まだ当選の可能性が消え去ったとまではいえないらしい。
以上見たように、幸福実現党などのキワモノは別にして、極右政治家の勇ましさには一定の支持が見られることは否定できないと思う。だからこそ、自民党が配布しているビラが北朝鮮の脅威が強調し、憲法改正を強く訴えているのだろう。とはいえ、極右政治家にシンパシーを持つ有権者が全有権者に占める比率は知れている。昨日のエントリでも書いたように、決してマジョリティではない。前記の平沼赳夫と城内実に関していえば、彼らのイデオロギーよりも、彼らが所属する自民党の党議決定に逆らって「郵政民営化法案」に反対したことが選挙戦を有利に進めている最大の理由ではあるのだろう。しかし、安倍晋三や麻生太郎が福田康夫より有利に選挙戦を進めていることを見ても、極右政治家のアドバンテージは無視はできないと思う。こんなことを延々と書くのも、今後民主党政権が批判を受けて支持率が低下した時、彼らが台頭するのを私が恐れているためであって、特に彼らが持ち前の国家主義的思想と「小泉改革路線」への批判を結びつけ、国家社会主義的勢力として台頭してきた時、日本の戦後政治が大きな危機を迎えるのではないかと恐れるものである。
[追記1] (2009.8.26 14:20)
本エントリで取り上げた朝日新聞編集委員の座談会は、その後asahi.comにも掲載されました(下記URL)。
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908260028.html
[追記2] (2009.8.26 15:40)
最初、岡山3区の自民党候補・阿部俊子が護憲派であるかのように誤って書いてしまいましたが、「えらぼーと」への回答結果を確認したところ、9条改憲にも集団的自衛権の政府解釈見直しにも賛成していることがわかりましたので、この部分を削除し、それに合わせて文章を一部変更しました。
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もちろん、多少はマスコミの予想と選挙結果に違いが出る。たとえば2003年の総選挙では、「自民 過半数うかがう勢い」と予想されたものの自民党は237議席で過半数にわずかに届かなかったし、「自民 過半数確保の勢い」と予想された前回2005年の「郵政総選挙」では、自民党は過半数(241議席)の確保にとどまらず、296議席を獲得した。しかし、選挙の勝敗まで違えたわけではない。「郵政総選挙」の時は、解散から公示を経て選挙期間中に至るまで、自民党の支持率が上がり続けたという特殊な状況でもあった。一昨年の参議院選挙も、「郵政総選挙」とは逆に、自民党の惨敗が予想されていたが、結果はその程度が予想よりさらにひどかったものの、自民党の惨敗自体は予想通りだった。古くは「山は動いた」という土井たか子の言葉で有名な1989年の参院選でも、マスコミは自民党の大敗を予想していた。
このように、マスコミの予想は当たることの方が多いが、マスコミの予想と選挙結果が大きく食い違ったというと、1979年、1983年の衆院選及び1998年の参院選の例が挙げられる。1979年の衆院選は、当時自民党の支持率が大きく回復してきたところで、大平正芳首相が一般消費税の導入を掲げて打った解散だったが、これが有権者の反発を買い、選挙戦早々の時期に公約撤回に追い込まれた。しかし、公約撤回後にも行われた情勢調査結果には一般消費税への国民の反発が反映されず、マスコミは自民党の安定多数確保を予想した。当時の保守回帰の流れからして、妥当な予想と思われたが、いざ蓋を開けてみると自民党は過半数割れした前回(1976年)をさらに下回る議席数しか得られなかった。この総選挙後に起きた自民党の党内抗争のあと、前回選挙から1年も経たずに行われた1980年の衆院同日選挙でも、マスコミの情勢調査では自民党の圧勝が予想されたが、今度はその通りの選挙結果になった。しかし、田中角栄元首相がロッキード事件の一審で有罪判決を受けた直後に実施された1983年の衆議院選挙では、中曽根康弘率いる自民党の勝利が予想されながら自民党は議席を大幅に減らして過半数割れした(選挙後、新自由クラブと連立して自民党は政権を維持)。衆議院選挙のマスコミ予想が大きく外れたのは、この時が最後だったと思う。
比較的最近では、1998年の参議院選挙で自民党勝利のマスコミ予想が大きく外れたことは驚きだった。この時には、投票日直前に恒久減税をめぐる橋本龍太郎首相の発言が二転三転し、これが突然の有権者の自民党離れを招いたとされている。しかし、1998年といえば、「橋本行政改革」の悪影響によって景気や雇用情勢が悪化し、その後の小泉政権時代全期間を通してまで続いた9年連続の民間給与所得減少や、今も続く年間自殺者3万人超が始まった年だ。橋本政権の新自由主義政策は、明らかにこの流れを決定づけた。今にして思えば、あの時有権者はそれを敏感に察知し、橋本首相に退陣を促す投票行動に出たのではなかったか。とはいえ、そんな有権者も、橋本龍太郎の流れを受け継ぎ、それを極端に推し進めた小泉純一郎にはコロッと騙された。参院選では、その小泉時代の2004年にも、自民党の議席が予想ほど伸びなかったことがあったが、予想が大外れしたとまでは言えないだろう。
以上、マスコミの予想が大きく外れた3回の選挙のうち2回までが、税の問題で政権が批判を浴びたことが直前に自民党が支持を失った理由になっている。それを今回に当てはめると、消費税増税を声高に叫んでいるのは麻生首相の方だし、何かというと「財源は?」と口にする麻生首相に対しては、「お前が言うな」と思う人が多数だろう。選挙期間中の失言にしても、麻生首相が「金がないのに結婚しない方がいい」と発言したと報じられるなど、不利を予想されている側にマイナス要因が目立つ。それにもかかわらず「揺り戻し」が起きるかどうか、興味津々ではある。
うんざりさせられるのは、民主党のネガティブ・キャンペーンを満載した自民党の選挙ビラで、一昨年の参院選の時に「消えた年金」問題を民主党と菅直人のせいにするビラを作って批判を浴びたことなど忘れたかのようだ。特に今回のビラでは、北朝鮮の脅威を強調して改憲の必要性を訴える内容が中心になっているが、自民党はまさかネット右翼の意見が国民のサイレント・マジョリティであるとでも勘違いしているのだろうか。自らの公式サイトで、
などと平然と書く中川昭一などを見ていると、自民党の行く末が心配になってしまう。「マスゴミ」などというのは、政治ブログでも使用するだけで軽蔑の対象になる言葉だし、お菓子に引っ掛けた「鳩左ブレー」なんて中川昭一のサイトで初めて知った言葉だ。もし、ネットの言論が国民世論の代表だったら、一昨年の参議院選挙は、「維新政党新風」が第一党、「9条ネット」が第二党となって、その左右の中間に自民、民主、公明、共産、社民などの中道政党が細々と議席を占める勢力分布になったに違いない。内外のネットは「マスゴミ」「鳩左ブレー」とどんなに叫んでも、マスコミは「毒入りヤミ鍋」にどんどん薪をくべ、ぐつぐつ煮立てて国民に一生懸命食べさせようとしている。
選挙結果がどうなるかはわからないが、ネットで目立つ極端に右に偏った意見に自民党の一部の政治家が引っ張られて、真のマジョリティを形成していると思われる中道右派(穏健な保守派)の票を自民党は失っているように見える。そして、その「一部の政治家」の代表格が麻生太郎首相ではないかと思えてならないのである。
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現在は、4年前の「郵政総選挙」の時と同じで、国民が熱病にうなされたような状態だ。4年前は「郵政民営化」、今回は「政権交代」が「魔法の呪文」になっている。特徴的なのは、民主・社民・国民新党・新党日本の候補のうち、民主党の候補への追い風は強烈だが、他の3党への風はさほどでもないことで、「推薦を受ける民主支持層を十分に取り込めていない」などと表現されるケースが目立つ。「民主党」の看板は、それほどまでにもありがたいものらしい。
一方、自民党の内部分裂その他の理由で自民党系の候補者が複数立っている選挙区では、概して自民党の看板を背負った方が劣勢だ。たとえば、前回の郵政総選挙の「造反組」のうち、無所属の平沼赳夫や城内実は優勢が伝えられているが、自民党公認の野田聖子は小選挙区での当選は難しいと予想されている。平沼・城内というと「郵政造反組」のほかに、「真正保守」(笑)もウリにしているが、同じ「真正保守」でも自民党公認の稲田朋美は苦戦している。つまり、中身は同じでも、「自民党」の看板が逆に選挙戦で不利に作用するというおそるべき情勢調査結果が出ているのだ。国民の自民党政治への怒りは、そこまで強烈だということなのだろう。
有権者の支持が小政党に向かいにくい状況は、ブロックによっては民主党の当選者をあふれさせ、自民党の候補者が当選する可能性を増やす。小政党の戦いとは難しいものだが、かといって民主党に合併されてしまえとはいえないだろう。少数政党がはっきりものを言える状況を確保していくことは、とても大事なことだ。中には、民主党支持の立場から(つまり「上から目線」で)、小政党こそ小異を捨てて大同について共闘せよ、などとお説教を垂れる人もいるが、そんな人に限って民主党の「衆議院の比例区定数80削減」に賛成しているか、または何も発言していない。そして、「民主党」の看板さえあればどんな候補にでもなびいてしまう「素朴な庶民感情」に訴える。しかし、4年前の「郵政総選挙」における小泉自民党の圧勝も、そんな「庶民感情」がもたらしたものであることを忘れてはならない。今回、「政権交代」ムードに浮かれる人の中には、4年前には「抵抗勢力」と戦う小泉純一郎を熱狂的に支持して自民党に投票した人が少なくないだろう。
それならお前は自民党に入れろというのか、と誤解する人がいたら困るから書いておくと、別に自民党にお灸を据える選択肢は、小選挙区も比例区も民主党に投票することだけではないということだ。右を見て左を見て、周りの人たちの多数派と同じ行動をとるという習性は、いい加減に捨てた方が良い。そうでなければ、いつまで経っても日本の政治は良くならない。
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今日(19日)からは、期日前投票もスタートした。投票先を既に決めている方には、この制度の利用をおすすめしたい。投票先を迷われている方は別だが、有権者の義務である投票は早めに済ませてしまって、投票日当日は子供たちの夏休み最後の日曜日でもあるので、レジャーなどのリフレッシュに充て、投票日の夜に開票結果に一喜一憂すれば良いと思う。期日前投票は、通常は今日(19日)から投票日前日の8月29日(土)からの期間中、毎日午前8時30分から20時(午後8時)まで利用可能だが、一部の地方自治体や施設によっては若干異なる場合がある。郵送された「選挙のお知らせ」に記載されていると思うのでそれをご確認いただくか、不明の場合各地域の選挙管理委員会に問い合わせされるのが良いと思う。
さて、今回の選挙の位置づけだが、公示日の大新聞の社説には共感できるものがなかった。右派系の新聞は最初から論外だが、朝日新聞も毎日新聞もダメだ。東京新聞でさえ、無難にまとめてしまって心に響くものがない。
その中で、朝日新聞の社説をまな板に上げたい。「総選挙公示―「09年体制」の幕開けを」と題されたこの社説でいう「09年体制」とは、「政権交代可能な二大政党制」が機能する政治体制を意味する。社説は、尾崎行雄(咢堂)の言葉や戦前に5年しか続かなかった保守二大政党時代に触れながら、後者が失敗して日本が戦争への道を突き進んでいったことにはなぜか触れず、90年代の「政治改革」に話題を移し、その核心だった小選挙区制の意義を強調している。社説は、
と指摘しておきながら、課題の解決策については何も書かずに、似通った多様な主張が両党内に混在している。そのこともこの「政権選択選挙」を分かりにくくしている。小政党の主張をどうすれば反映できるかも課題だろう。
と、いきなり結論に飛ぶ。そして、だが、せっかくの2大政党・政権交代時代の流れを逆戻りさせることは許されない。
と社説を結んでいる。朝日新聞は、民主党と自民党による「二大政党制」の確立とその長続きを望んでいるようだ。政権党は日々の政治の中で自らの理念や存在理由を問い直し、政策を実現させていく。敗者は野党に徹し、「政権準備党」として次の総選挙に向けて自らを鍛え直すことがあくまで原則である。
政権交代時代にふさわしい政党文化を日本でも育てなければならない。私たちはそのとば口にいる。
政権交代がごく普通に繰り返される「2009年体制」の政治。30日の投票日、民意の力で新しい民主主義のページをめくりたい。
だが、その朝日新聞に先日掲載された細川護煕元首相インタビューを読むと、「政治改革」の波に乗って非自民・非共産連立政権の総理大臣を務めた細川元首相自身が、二大政党制よりも「穏健な多党制」の到来を予想している。
当ブログは後者を支持し、総選挙後の政治に、「二大政党制」対「穏健な多党制」の対立軸が生じると考えており、選挙制度は現在の保守二大政党が志向する小選挙区制重視ではなく、比例代表制重視の制度に改めるべきだと考えている。私自身は、そういう視点を持って選挙に臨むが、これは無論読者の皆さまにもおすすめするというものではなく、ただ一人一人が望ましい選挙制度について思いを致していただければ幸いと思う。
[追記]
コメント欄でご指摘いただいたのですが、期日前投票は、衆院選については19日から可能ですが、衆院選と同時に実施される最高裁判事の国民審査については、8月23日以降でなければ審査ができません。市民団体からは疑問の声も上がっているとのことですが、決まりは決まりなので、最高裁判事の審査も行いたい方は、23日以降に期日前投票をされることをおすすめします。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009081902000170.html
「2ちゃんねる」などで自民党の劣勢に焦るネット右翼の中には、選挙期間中に麻生太郎首相にもしものことがあったら、などと不謹慎なことを書く者がいる。当然、大平首相が死去して自民党が勝った1980年の選挙のことを念頭に置いて書いている。そんなことが強烈に印象に残っているとは、2ちゃんねるに巣食うネット右翼も、私同様決して若くないのだろうとしか思えないのだが、仮にそんな「万一のこと」があったとしても、あの年のような結果にはなり得ない。それは、当時の流れを覚えている私にとっては当然のことである。
あの年の少し前、70年代後半は、世の中の空気が急速に右旋回を始めた時期だった。自民党の党勢の底は、ロッキード事件の起きた1976年で、あの年に河野洋平らが自民党を離党して新自由クラブを結成し、同年の衆院選で躍進する一方、自民党は過半数割れの敗北を喫し、追加公認によってようやく過半数を上回った。しかし、ロッキード事件が忘れ去られた翌1977年になると、与野党逆転の成否が注目された参院選で、自民党は議席を減らしたものの与野党逆転を阻止した。これを機に自民党の党勢は拡大へと転じ、自民党は翌1978年の京都府知事選で28年続いた蜷川革新府政に終止符を打ったのを皮切りに、1979年の統一地方選における東京、大阪の知事選でも革新都政・府政を終わらせた。それにもかかわらず総理大臣は今と同じで短期でクルクル変わり、ロッキード選挙敗北の責任を取って辞任した三木武夫の後任となって参院選で踏ん張った福田赳夫は1978年の総裁予備選で大平正芳に敗れて退陣し、1979年には初の東京サミットで議長を務めた大平首相が、国内の景気回復もあって飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その大平首相が満を持して一般消費税の導入を公約した上で衆議院を解散して国民に信を問おうとしたのが1979年の衆議院選挙だったが、増税を嫌う有権者の反発によって公約の撤回に追い込まれた上に選挙にも敗れ、そこから「40日抗争」と呼ばれる熾烈な自民党内の抗争が始まったのである。
つまり、あの当時は順調に党勢を伸ばしていた自民党が、増税でこけたばかりに政局になり、1980年の国会で野党が不用意に提出した大平内閣不信任案が、自民党の福田派と三木派の造反によって可決されて衆参同日選挙になってしまったのだが、底流はあくまでも自民党の拡大基調の時代だったのだ。だから、大平首相の死で一丸となった自民党が劇的な勝利を収めたのだが、当時のことを記述した本などを読むと、大平首相が亡くなる前から自民党の独自情勢調査は自民党有利のデータを得ていたことがわかる。首相の側近は、そのデータを病床の大平首相に伝えていた。大平首相の死は自民党の勢いに弾みをつけたのは確かだが、首相の死がなくても、あそこまでの大勝にはならなかったかもしれないにせよ、自民党はやはり勝っていたはずだ。自民党の党勢拡大はその後も続き、中曽根康弘内閣時代の1986年に、やはり衆参同日選挙で自民党が圧勝した時にピークに達したが、これを最後に自民党の長い退潮が始まった。その始まりはやはり間接税がきっかけであって、1987年には中曽根内閣はいったん打ち出した売上税の撤回に追い込まれた。そして、消費税を導入した1989年には参院選で自民党は社会党に大敗した。
事実は小説より奇なりで、この1989年というのがまた大変な年であり、国内ではバブル経済がピークに達したが、国際的にはベルリンの壁が壊され、ルーマニアのチャウシェスク大統領が革命によって銃殺刑に処せられるなど、社会主義体制が崩壊して冷戦が終結した。そして、参院選で大勝した社会党にとっては、この選挙が最後の輝きとなってしまい、以後急速に社会党は党勢を衰退させていった。
組織が衰える直前には、このような狂い咲きがままあるようだ。「郵政民営化」を単一争点にして自民党が大勝した2005年の衆議院選挙も、後世の歴史家によって、1989年の参院選における社会党の大勝と同様の位置づけをされるだろう。今や何をやっても支持が得られなくなった自民党は、北朝鮮の脅威を強調して改憲を強く訴えるマニフェストを作成したが、これがえらく不評で、候補者は党のマニフェストとは別に候補者独自のマニフェストを作って有権者にアピールしようと懸命だと聞く。党執行部は冷戦思考からなかなか脱却できないのかも知れない。「小泉構造改革」が神通力を失った今、自民党は昔ながらの反共イデオロギー政党に先祖返りしているかのようで、同じくイデオロギー色の強い産経新聞などの応援団が、まだ不足だ、もっとイデオロギー色を強めよと煽るが、私にはなぜかその姿が、「改革が不十分だから経済が振るわないのだ、もっと改革を進めよ」と叫ぶ竹中平蔵とダブって見える。産経新聞も竹中平蔵も今となっては自民党の足を引っ張るばかりであって、改憲や構造改革では国民生活は良くならない。自民党内でも特にイデオロギー色の強い中川昭一が、党内の大物の中でも特に苦戦が伝えられていることはそのあらわれと言える。麻生首相はあまり盟友である中川昭一の影響を受け過ぎない方が良い。今回も国民の主たる関心事は年金、雇用、医療など国民生活にかかわる問題であり、改憲や、ましてや地方分権などではない。マスコミは地方分権を争点に誘導しようと動いたが、人々の関心はそんなところにはなく、その空気を察した橋下徹は支持政党名だけ挙げて、あとは高みの見物を決め込んでしまった。
当ブログでは本日以後の選挙期間中、特定の政党や候補者への投票の呼びかけはしないが、各党や無所属の候補者たちの訴えがどこまで有権者の心を捉えるかによって選挙の帰趨が決まるだろう。今回の総選挙は、日本の政党政治史上における大きな節目の選挙になると思うが、各政党や候補者のフェアな選挙戦を期待したい。
今日は、先週の12日に公開された、「毎日jp」の「毎日ボートマッチ えらぼーと」に掲載された、各党の候補予定者の回答を分析した結果を公開したい。このところ当ブログはこの「えらぼーと」の話題ばかりだが、昨年夏に「毎日新聞叩きに反対するキャンペーン」の開始を宣言した当ブログらしいといえるだろう。当時話題になった毎日デイリーニューズの「エロ記事事件」自体は批判されて当然だが、城内実だの某経済評論家だのが、騒ぎに乗じて毎日新聞に言いがかりをつけて私怨を晴らそうとしたことは、不愉快きわまりなかった。
下衆たちのことはともかくとして、今回の「えらぼーと」の設問を最初に見た時は、正直言ってなんてシンプルというかプリミティブな設問なんだ、と思って拍子抜けしたが、各党の立候補予定者の回答見ていくと、予想外に党ごとの政策の差がはっきりと現れていることがわかってきた。特に、このところ立場が接近してきて違いがわからなくなった印象を受けていた自民党と民主党の差が、思っていた以上に大きいことには驚かされた。
「えらぼーと」の設問は20項目あるが、当ブログ管理人は、それぞれの設問について各政党の候補予定者の回答の平均を求め、それをもとに政党間の政策の距離を算出してみた。たとえば、憲法9条改正の是非を問うた第1問では、「改正賛成」に1点、「反対」に0点を割り振り、政党ごとの平均値を求めた。全員が改正賛成なら1点、全員が改正反対なら0点、両者が同数なら0.5点といった具合だ。こうして、全20問の設問に対応する各政党のポジションを決定し、各点間の距離を求めた結果を下表に示す。ここで距離は0から1の間の数値を取り、その値が小さいほど政党間の距離が近いことを意味する。

個々の設問について、各党のスタンスを順番に並べた結果は、『kojitakenの日記』のエントリ「毎日新聞「えらぼーと」への回答に見る各党のスタンス」にまとめたので、あわせてご参照いただければ幸いである。
なお、表でピンク色の表示は政党間の距離が近い(0.3以下)ことを示し、グレーの白抜き数字の表示は、政党間の距離が大きい(0.5以上)ことを示す。
一見してわかることは、民主党が中道右派から左派までをカバーする巧みなポジショニングをしていることで、連立相手に想定している社民党、国民新党、新党日本といずれも近い距離にあるだけではなく、共産党や「みんなの党」とも十分近い距離を保っている。ここで、社民党と共産党は民主党より左側、国民新党、新党日本、みんなの党は民主党より右側に位置するから、民主党は両者の中間にあって左右両方とも協調できる位置取りをしているといえるのである。
一方、自民党と距離が近いといえるのは平沼グループ(当ブログにおける呼称は「平沼一派」)だけであり、社民、共産の両左翼政党だけではなく、新党日本および新党大地とも距離が大きい。これは、左翼政党とはイデオロギーの対立があることに加えて、自民党が小泉構造改革に一定の評価を与えていて、製造業の派遣労働や最低賃金の引き上げに関して、大企業寄りのスタンスを露骨に示していることが、中道右派のうち特に新自由主義に批判的な勢力と距離が開いた理由と考えられる。自民党と民主党との距離も、思いのほか大きい。そんな中、自民党と平沼一派とは異様に距離が近いことが注目され、これは平沼一派が、看板のはずの郵政民営化反対さえ明確にできておらず、労働問題に関してもかなり大企業寄りで、かつ外交・安全保障問題に関しては自民党以上にタカ派的である(自民党よりやや右に位置する)ことが影響している。平沼一派から見ると国民新党ともっとも距離が近いことからわかるように、「郵政総選挙」でともに刺客を送られた出発点においては、亀井静香と平沼赳夫はごく近いスタンスにいたのだが、国民新党を結成して民主・社民との接点を探り続けた亀井静香と、自民党に恋々とこだわり続けていまだに新党結成にさえ至っていない平沼赳夫の差が、4年経ってどうしようもないほど大きく広がったといえる。民主党から見て一番距離の近い政党は国民新党であるのに対し、平沼一派は民主党より自民党との距離の方がはるかに近いのである。
公明党は、本来は中道政党なのに、距離が近いと言えるのは「みんなの党」だけであり、これは自民党との連立に足を引っ張られている形だ。このことから予想されるのは、下野後の早い時期に公明党が自民党との提携を解消することである。権力を持っていない自民党など、公明党にとって何のメリットもないから、提携解消は当然だろう。
みんなの党は、民主党よりやや新自由主義寄りだが、思ったほどではなく、意外にも平沼一派の方がより新自由主義寄りだ。この党も、選挙後に政界再編でうごめくことは間違いない。平沼一派との距離も近いから、平沼一派を取り込んだ上で民主党の右派勢力に手を突っ込むことは十分考えられる。そのためには彼らだけでは力不足だが、おそらく橋下徹や中田宏らが彼らに加勢することになるだろう。また新党日本(回答者は2人)は事実上民主党と同じと考えて良いが、民主党より新自由主義と距離を置いている。新党大地はそれよりは右寄りで、まあ佐藤優と親しい鈴木宗男の北海道ローカル政党だからしょうがない。
注目されるのは、社民党と共産党の距離がきわめて近いことで、今回調べた政党(平沼一派を含む)間の66通りの組み合わせの中でも、突出して小さい0.12という値を示す。つまり、両党は実質的に同じ主張を持つ政党である。歴史的な経緯があってそれぞれ別の政党で互いに仲も悪いのだろうが、政党が分かれていることによって比例ブロックにおける議席の確保が困難になっていることを考えれば、両党は合流を検討するのが筋だと当ブログは考える。
最後に、改革クラブ(回答者は西村真悟1人だけ)と幸福実現党は、どうしようもない極右政党であって、お互いと自民党および平沼一派以外のすべての政党との距離が離れている。逆に言うと、こんなトンデモ政党と距離がさほど離れていない自民党や平沼一派が痛いともいえるわけだ。よくいわれる「二大政党制においては二大政党の政策は中道寄りになる」という説との対応を考えると、民主党はみごとにこの説に当てはまっているが、自民党は政策が右に偏り過ぎていて、それが中道やや保守寄りの人が多いと思われる無党派層の支持を得られない原因になっていると考えられる。逆に言うと、民主党のポジショニングが選挙に勝つ上では最適だったということで、これは、2006年4月の代表就任と同時に、かつて「自民党より過激」と言われた民主党の新自由主義志向路線を改めて「国民の生活が第一」路線を打ち出した小沢一郎の寄与が大きかったというほかない。小沢一郎は今年5月に代表の座を退いたが、辞任がまた民主党の支持を押し上げた。ある意味では、30日の総選挙は小沢一郎の政治生活の集大成といえるかもしれない。そうはいっても当ブログ管理人は小沢一郎に対しては一定の批判を持っているのだが、認めるべきところは認めるしかないという思いを強くしている今日この頃である。
話を2006年に戻すと、この年の7月には日本経済新聞が「富田メモ」をスクープし、右翼に打撃を与えた。櫻井よしこなどは、「富田メモ」は偽物に違いないとテレビでほのめかしたが、進むと予告していた検証作業はその後全く音沙汰がなく、現在では富田メモは正真正銘の本物と認識されている。今でも思い出すのは、「富田メモ」スクープの2週間前に、「靖国神社と昭和天皇」と題した記事を書いて、以前からたびたび言われていた「1978年の靖国神社のA級戦犯合祀に昭和天皇が激怒して、以後靖国参拝を取り止めた」という話に触れたのだが、それを裏づける「富田メモ」のスクープによって一時的にブログのアクセス数がはね上がったことだ。増えたとは言っても、日に300件か400件くらいだったのが900件くらいになった程度だったが、ブログを書き始めたあの当時が、一番書いていて面白い頃だった。ただ、あの日経新聞のスクープは、日本の過度の右傾化を懸念する新聞社の首脳たちが政府要人の靖国参拝に水を差すべく発表のタイミングを計っていたものに違いなく、それにはナベツネも一枚噛んでいたのではないかと私は想像している。
当時、読売新聞のキャンペーンの影響もあったのか、「終戦記念日の総理大臣の靖国参拝は是か非か」と問うマスコミの世論調査では否定的な答えを返す人が多かった。しかし、いざコイズミがこの年の終戦記念日に靖国を参拝すると、途端に「小泉総理の靖国神社参拝を評価する」という意見が反対論を上回った。日本国民は、コイズミのやることなら何でも笑って許してしまった。コイズミ自身の厚生年金以上加入をめぐる「人生いろいろ」発言のような例外(2004年の参院選の自民党敗北につながった)もあったけれど。
コイズミは笑って許してもらえたが、安倍晋三以降となるとそうはいかず、たとえば安倍は総理大臣在職中に、従軍慰安婦に関する発言をとがめられてブッシュ米大統領(当時)に謝罪させられた。これにネット右翼はいきり立ったが、狂ったように改憲だけを目指して国民生活を一切顧慮しなかった安倍が率いる自民党が参院選で惨敗すると、後任の福田康夫は安倍のような極右政策や極右発言はやらなかったので、徐々に右翼的な言論は後退していった。かつては勇ましい右翼的な言説にかまけていた人たちも、格差や貧困の問題の前に、余裕を失っていった。
そんな中、今年も終戦記念日を迎えたが、朝日新聞は「靖国 無風の夏」という見出し(大阪本社発行朝夕刊統合版)で、自民・民主両党首とも参拝せず、議論も盛り上がらない靖国問題について触れている。
もっとも、コイズミや安倍晋三は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)の41人ともども靖国神社に集団参拝したそうだ。これを伝える朝日新聞の記事によると、鳩山邦夫が記者団に
とのことであるが、相変わらずの鳩山弟の空疎なパフォーマンスには虫唾が走る。そういえば、いかにも「靖国命」という感じの平沼赳夫や城内実は今日靖国を参拝したのだろうか。自民党下野後には、安倍晋三らと平沼一派のうちの極右メンバー(というか平沼と城内)、それに改革クラブなどが合流して極右新党でも結成すれば良いと私は思う。そうすれば対立軸がすっきりする。「総理が来ない。そんなバカなことがあるか。私は怒りに震えている」と述べた。
いずれにしても、靖国問題が衆議院選挙の論点になることはない。産経新聞などは、民主党が次期衆院選後に政権を獲得した場合、靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す方針を固めた、と報じて、なんとか靖国問題を総選挙の争点にして、右派を自民党に回帰させようと躍起になっているが、戦没者追悼施設の建設が民主党のマニフェストにうたわれているわけでもない。「毎日jp」の「毎日ボートマッチ えらぼーと」にも、靖国問題に関する設問がないことから想像がつくように、産経の努力は空しく終わってしまうだろう。
もちろん、靖国神社は戦没者を「追悼」する施設ではなく、戦没した英霊を「顕彰」する好戦的施設であることは、どんなに強調しても強調しすぎることはないのだが、それ以前にこの問題は選挙の争点にはなり得ない、こんな問題を考える余裕もないほど国民生活は疲弊し切っていることは指摘しておかなければならないと思う。
本当は、今日の終戦記念日は、6日の広島、9日の長崎の原爆記念日と並んで、戦争と平和について思いを致す日にしなければならないのだけれど。
今後、18日に総選挙が公示されると、特定の候補者に投票を呼びかける記事は公職選挙法に抵触する疑いがあるという話もあるので(落選運動なら構わないとも言われている)、静岡7区で斉木武志への投票を促したり、仮に斉木武志や民主党が気に食わなくとも城内実にだけは投票するなと呼びかける記事などは、18日以降は書かないつもりだ。だから今のうちに書いているのだが(笑)、情勢は残念ながらかんばしくない。静岡7区でも民主党への風は吹いていると思われるが、静岡県医師会が静岡6区および7区では自民党候補(7区では片山さつき)を推薦しないことを決めたのに続き、地元財界の大物・スズキの鈴木修会長が城内実支持を打ち出した。前回の「郵政総選挙」では、鈴木会長は支持する候補を打ち出さず、これが片山さつき勝利の一因になったようだが、今回はスズキは企業ぐるみで城内実を支援するのだろうか? 城内実を応援するブログ『がんばれ城内実』は、スズキの会長が重大発言をしたと大はしゃぎしているが、その記事には地元財界の虎の威を借りることに対するうしろめたさというか懐疑の念はみじんも見られない。語るに堕ちたとはこのことだろう。
そんなわけで、何とかこれまでのリードを守り切ろうと必死の城内実陣営だが、私は芸能マスコミに「ポスター事件」を大騒ぎさせず、地元医師会や地元大手メーカーの実質的支持を取り付けた城内実の権力とは大したものだなあと呆れるばかりだ。こうなったら、城内が当選したあとに、何かまた恥ずかしい騒ぎを起こすのを期待するしかないかもしれない。だから、自民党(というか安倍晋三)にせよ民主党にせよ、こんな男とは提携しないほうが賢明だと言っておく。
その城内実が属する「平沼グループ」(当ブログでの呼称は「平沼一派」)だが、党を結成せず無所属なので、グループとしての主張が明確ではない。昨日のエントリで紹介した「毎日ボートマッチ えらぼーと」でも、「みんなの党」とは政策一致度を比較できるが、平沼一派とは比較できない。しかし、各候補者の回答は公開されているので、これに当たってみれば平沼一派の候補予定者たちの主張がわかる。そこで、平沼一派16人と私の政策一致度を比較してみたところ、45%という結果が出た。
これは、自民党の27%という数字よりは高いが、公明党の52%より低い。保守で連立政権に参加すると見られる国民新党とは62%、同じく保守で第三極を目指す「みんなの党」とは59%の一致度だから、平沼一派はこれらの党と比較してはるかに自民党に近いといえる。「みんなの党」は、一部から「偽装CHANGE勢力」などと呼ばれており、私もその呼称は好まないものの、同党は自民党の補完勢力だと思っている。しかし、平沼一派はそれどころではなく、「偽装」の必要もない「第二自民党」そのものだ。そんな平沼一派とこれまで提携を模索していた民主党の方がどうかしていたのであり、小沢一郎が平沼一派を切り捨てたのは、遅きに失したとはいえ当然の判断だった。
それでも自民党よりは平沼一派と私との政策一致度が高いのは、一派の中にあれっと思うほどリベラルな主張をする候補予定者がいるためで、埼玉11区から立候補予定の小泉龍司は、私との政策一致度がなんと90%だ。城内実信者に言わせると私は「極左」らしいから、小泉龍司も「左翼」くらいには相当するだろう。私との政策一致度が100%の民主党・戸倉多香子氏は当然ながら城内信者のスタンスからすると「極左」に相当する。それはともかく、小泉龍司は、城内実と並んで当選も見込まれる平沼一派の政治家なのに、平沼・城内信者は彼についてはほとんど何も語らない。これは、小泉龍司がネットで支持を拡大しようなどとはあまり考えていないからかもしれない。実際、ネットで支持の高い政治家が選挙に強いわけでは全然ない。城内実はたぶん当選するだろうが、それは城内のブログとはほとんど関係なく(ブログの影響が強ければ、国籍法改正をめぐる城内実の妄言など、むしろマイナス要因の方が多いはずだ)、ネットにおける城内信者の寄与はほとんどないと思われる。当ブログはさんざん城内を叩き続けたため、ずいぶん嫌がらせのコメントをいただいたが(悪質なコメントは承認せず削除した)、それらの嫌がらせの中には静岡県から寄せられたと特定できるものは一件もなく、東京から来たものがやたらと目立った。
静岡7区については、「サンデー毎日」に電話調査の結果が出ていて、それによると片山さつき、斉木武志、城内実を選んだ人は1:2:3くらいの比率になっている。実際には片山さつきに創価学会票が上乗せされるはずだから、2:2:3くらいの比率になるのではないか。城内実が大きくリードしているとしかいいようのない情勢だ。なお、この電話調査によると、北海道で苦戦が伝えられる大物自民党候補予定者の中でも特に情勢の悪いのは中川昭一で、民主党の石川知裕に倍以上引き離されている。地元紙の情勢調査結果も悪く、「中川(酒)は比例復活も難しい」という噂の信憑性は増すばかりだ。同じように陰謀論好きのネット右翼に不祥事を優しく庇われる極右政治家なのに、城内実と中川昭一は明暗をくっきり分けているが、これは、城内が自民党を追い出されたことが、城内にプラスに働いていると考えるべきだろう。「サンデー毎日」の電話調査では、他に海部俊樹と山崎拓も苦しく、たぶん落選するだろう。森喜朗、町村信孝、武部勤、野田聖子あたりもかなり苦しいが、ここらへんになると創価票の上積みや選挙戦後半に予想される大物前職の巻き返しで当選してしまう(比例での復活を含む)のではないかと私は思っている。
今回の民主党への風は、民主党自身が巻き起こしているわけではなく、自民党に対する国民の怒りによるものだから、民主党は風を起こすどころか、暴風雨に自分たちの方が吹き飛ばされそうになっている。一昨日(12日)党首討論で「精彩を欠いた」と評された鳩山由紀夫などその好例で、翌朝のテレビ朝日で伊藤洋一が「鳩山さんは政権交代ばかり言ってたけど、もっと横綱相撲をとって、財源はここにありますとか答えれば良かった」と言っていた。つまり、いつの間にか「民主党圧勝で政権交代」はもはやマスコミ報道でも前提となっているのに、鳩山由紀夫をはじめとする民主党執行部がそれについていけていないのだ。そんな中、平沼一派をズバッと切り捨てた小沢一郎はさすがで、当ブログはまたしてもこれまで批判してきた小沢一郎を再評価せざるを得なくなってしまった。鳩山由紀夫や岡田克也は頼りにならないどころか、民主党を右寄り、新自由主義寄りに引っ張って党の勢いに水を差すKYにしか見えない。いずれにしても鳩山や岡田がこのざまだから、選挙戦終盤では民主党は自民党に一定の巻き返しを許し、政権交代は実現するものの自民党を壊滅状態に追い込むまでには至らないのではないかと考えておく方が良いと思う。
もっとも、このところの私の関心事は、民主党による衆議院比例区定数削減を阻止することにあり、そのためには民主党の独り勝ちも好ましくない。しかし、民主党の独り勝ちを阻止するのが自民党や平沼一派の極右政治家であっては何の意味もなく、社民党、共産党および国民新党の党勢拡大に期待したいと思っているのである。
今回もこの毎日新聞の企画が行われるということで、これを楽しみにしていたのだが、今回は白黒のはっきりする設問ばかりで、試しにやってみたところ、社民党や共産党の候補者との一致度がきわめて高い結果が出た。結果は当ブログ右側のコラムに張りつけておいたし、そこから「えらぼーと」に入ることもできるので、読者の皆様も是非お試しいただきたいと思う。私としては、経済政策で規制緩和と再分配のどちらを重視するかなど、もう少し微妙に回答が分布する設問が多くても良かったかと思う。
当然ながら、自民党の候補者とは一致率27%で、全然一致しなかったのだが、意外だったのは民主党の候補者との一致率が77%にのぼったことで、民主党の候補者が思ったよりリベラルな政策を掲げている。もちろん、自民党との対抗上だろうが、成立が予想される民主党を中心とした連立政権で、彼らが実際に行う政治と今回の回答結果との比較を行っていきたいと思う。連立政権が成立すると、それはもはや「野党共闘」ではなく、共闘も何もない(だって、与党の存在あっての共「闘」だからね)「連立与党」であって、厳しい検証にさらされるのは当然である。
ところで、民主党と私の一致率を設問ごとに見ると、きわだって一致率を下げているのが問5の「衆院議員の定数削減」である。「小選挙区を削減すべきだ」、「比例代表を削減すべきだ」、「小選挙区、比例代表とも削減すべきだ」、「削減する必要はない」の4つの選択肢のうち、大部分の民主党候補予定者は比例代表の削減を含む2つの選択肢のどちらかを選んでいる。「削減する必要はない」としている候補予定者はわずか4%しかいない。まだ全部の候補者について確認していないが、これまでに見つかったのは、北海道1区の横路孝弘氏、奈良3区の吉川政重氏、山口4区の戸倉多香子氏、鹿児島2区の打越明司氏である。上記4氏のうち、打越氏を除く3氏は私との政策一致度が「100%」であり、私と完全に一致したのは民主党ではこの3氏だけである。共産党や社民党には「一致度100%」の候補者は結構いるが、民主党でリベラルとされる候補者には、この定数削減の一点を除く、「一致度95%」の候補者が多かった。
私がもったいないと思うのは、奈良3区と山口4区では、共産党も候補者を擁立していることだ。両区では共産党候補も私との一致率が100%である。つまり、両区では同じような主張をする候補者が民主党と共産党から出ているわけだ。特に山口4区などあの安倍晋三(私との政策一致度は15%)が相手であって、これは何が何でも落選させたい政治家であるから、こういう選挙区でこそ野党共闘が実現すれば良かったと思う。
それはともかく、比例区の定数削減は民主党のマニフェストにうたわれている公約だから、候補者はそれに従って回答したのだろうが、当ブログは前々から何回も何回も書いているように、衆議院の定数削減、特に比例区の削減には大反対であるから、「比例区では自公民以外に投票しよう」という呼びかけを再度行っておく。
なお、当ブログが敵視している平沼一派では、岡山3区の平沼赳夫が「比例減」、静岡7区の城内実は「両方減」を主張している。静岡7区では、民主党の斉木武志も自民党の片山さつきも、ともに「比例減」を主張しており、この点では3氏とも支持できない。そもそも、3氏とも9条改憲派であり、片山さつきに至っては核武装も「情勢次第」とするなど、結構なタカ派ぶりだ。かつて財務官僚時代に防衛費削減を主張したとしてネット右翼から評判の悪い片山だが、保守票を意識して城内から票を奪うためにタカ派寄りにスタンスを寄せているのだろうか。一方、城内の方は右翼票を固めた自信からか、ずいぶん猫をかぶっており、「えらぼーと」で見る私との政策一致度は、斉木武志75%、城内実65%、片山さつき20%となっている。これは、城内が労働問題で「反格差・反貧困」の選択肢を選んでいることに起因するが、「問18」の日米関係については、これまで通り「日米関係を最重視すべきだ」、との選択肢を選んでいることには、アメリカを含む「悪徳ペンタゴン」と戦う闘士として城内実に幻想を抱いている向きにはがっかりだろう。もっとも、国籍法改正をめぐって、こんなことを書いた城内実が、「これまでよりアジアに比重を移すべきだ」などと答えるはずがないのは当然だ。思うのだが、毎日新聞はもっと「国際協調か排外主義か」を問う質問を用意すべきではなかっただろうか? そうすれば、一部候補者の特異な主張が浮き彫りにできたのではないかと思う。なお、コイズミカイカクを全否定している平沼赳夫に対して、城内実の方は「やや否定」にとどまっていることも注目される。城内は、コイズミカイカクを「大評価」している安倍晋三にも多少配慮したのだろうか?
ところで、今回の「えらぼーと」で特に良いと思ったのは、温室効果ガス削減(問13)と環境税(問14)の設問が用意されていることであって、これは経団連と民主党で主張が真っ向から対立する項目だ。もちろん、鳩山由紀夫も小沢一郎も「温室効果ガスはもっと削減すべき」、「環境税は創設すべき」と答えている。この2つの設問については、日頃熱心に民主党への支持を呼びかけているネットの人たちの多くに、「地球温暖化陰謀論」が浸透しているから、彼らは鳩山由紀夫や小沢一郎と政策が一致しないはずだ。こと環境問題に関しては、ネットの民主信者はむしろ自民党の政治家たちと政策の一致度が高い(笑)。
今回の「えらぼーと」は、設問にもう少し工夫がほしかったとは思うが、各候補者の回答を見ているといろいろ面白いので、皆さまもご自身の選挙区における候補者の回答をご覧になって、投票先を決める参考にされてはいかがだろうか。
まず、橋下徹ら「首長連合」が民主党支持を表明したことに触れておこう。朝日新聞から。
http://www.asahi.com/politics/update/0811/OSK200908110099.html
橋下知事ら首長連合、民主支持を表明
大阪府の橋下徹知事と横浜市の中田宏市長は11日、大阪府庁で記者会見し、「首長連合」として総選挙で民主党を支持することを表明した。自民、民主両党のマニフェスト(政権公約)を比較した結果、民主には「(地方分権に必要な)政治的リーダーシップが発揮される政権運営の仕組みが盛り込まれている」(橋下知事)と評価した。
全国知事会は8日に自民、民主、公明3党のマニフェストで、地方分権にかかわる政策の採点結果を公表。自民が60.6点、民主は58.3点、公明は66.2点で、民主の評価が低かった。橋下知事は、首長連合が知事会とは異なる評価になる可能性を示していた。
(asahi.com 2009年8月11日 18時49分)
東国原英夫が自民党から出馬しようとしたのか、自民党が東国原を出馬させようとしたのか、あの騒ぎは大昔のように思えるが、まだ2か月も経っていない。鳩山邦夫が暑苦しいパフォーマンスを演じていたのはその少し前だっただろうか。先月末には城内実のポスター騒ぎが起きた。当ブログは、東国原、鳩山弟、城内実の3人を躍起になってこき下ろしたが、彼らのバカ騒ぎは、いずれも衆議院選挙をにらんだ権力闘争だった。東国原の野望は潰えたが、選挙の情勢が苦しかった鳩山邦夫は売名に成功して勢いを盛り返し、城内実の件はどういうわけか芸能マスコミに大騒ぎされずに済んだために城内は命拾いしそうだ。
だが、彼らよりずっとしたたかだったのが橋下徹だった。橋下は「地方分権」をぶち上げて、自民、民主の両党を自らにすり寄らせるのにある程度成功したが、当初橋下らを大々的に持ち上げようとしたマスコミというかテレビ局は、橋下らの唱える「地方分権」が視聴者の反響をさほど呼ばないことに気づくと(当たり前だ、国民は日々食うことに精一杯で、生活が第一なのだ)、少し橋下らのスタンスと距離を置くようになった。すると、橋下らもでしゃばり方を少し抑えるようになった。そして、マスコミの情勢調査によって、選挙の民主党圧勝、自民党惨敗が確実になった昨日(11日)、橋下、中田宏ら「首長連合」は総選挙での民主党支持を表明したのである。
既にだいぶ前から橋下らが民主党支持を表明するだろうことは多くの人が予想していたし、実際その通りになった。自民党寄りの産経新聞は、意地悪く、
と書いている。だが、大阪府知事選への出馬は200パーセントだか2万パーセントだかないと言っておきながら前言を翻した橋下にしてみれば、この程度の口約束が守れなかったことなどたいしたことではないのだろう。コイズミと同じである。私が想像するに、橋下は、「政権交代」で有権者が熱病に浮かされたようになっている今回の総選挙は民主党に軽くクサビを打つ程度でやり過ごしておいて、新政権への失望が高まったあとに迎える来年の参院選あたりで最初の勝負に出るつもりなのだろうと思う。そんな橋下を鳩山由紀夫や原口一博が持ち上げたことがあったが、彼らの軽さには大いに失望したものだ。いまや経団連の期待の星になった橋下は、着実に民主党の政策を財界寄りに引っ張りながら、国政進出の機をうかがうことになるだろう。全国知事会の評価は民主より自民が上で、橋下知事は当初、「知事会の結論に従う」としていた。ところが、結論は逆になっており、政党関係者の間で波紋を呼びそうだ。
一方、橋下らが民主党にすり寄ってきた余波からか、民主党から弾き出される勢力も出てきた。平沼赳夫一派である。
一昨日(10日)には、民主党が平沼赳夫の選挙区である岡山3区に西村啓聡(けいと)氏を擁立することを決定し、それに合わせて昨日、小沢一郎が「平沼氏の政治活動を見ていると、協力して自公に代わる政権つくりを目指すことは困難だ」と言い放った。一昨日には民主党岡山2区選出の前職・津村啓介や同党幹事長の岡田克也が、選挙後の平沼との連携を匂わせる発言を行ったが、小沢は選挙後の平沼との提携も否定し、平沼一派と距離を置く姿勢を明確にした。これも、選挙の情勢調査結果が良いことと、橋下ら首長連合の支持が得られたことから、自民党にも色目を使う鵺(ぬえ)かコウモリのような平沼を切り捨てたものだろう。橋下のすり寄りに民主党がいい気になっている点は全く買えないが、平沼との対決姿勢を見せたことは評価できる。スパッと平沼を切り捨てる判断を下せるあたりが、小沢一郎の強味だろう。
この民主党の「平沼斬り」を取り上げた、昨日(11日)付の『日本がアブナイ!』のエントリ「祝・民主党は平沼Gと連携せず!+民主は自由民主&平和主義を重視した「中道の道」を進め!+地震」は、長い間の胸のつかえがようやくおりたといわんばかりの内容で、久々に共感できた。同ブログは下記のように指摘する。
何分にも平沼氏の悲願は、多くの保守タカ派、改憲積極派の議員を集めて、1日も早く(2011年までに)新憲法制定をすることなので。
彼は、新グループを使って民主党に近づいて、同じ思想の議員を引っ張って来て、民主党を分裂させて。政界再編&改憲運動を進めようとしているのだ。(`´)
07年10月24日の産経新聞には、こんな記事が出ている。
『郵政民営化に反対し、無所属を続けている平沼赳夫元経済産業相は24日、都内のホテルで講演し、「保守系無所属で次の衆院選も戦いたい」と述べ、当面は自民党に復党しない考えを強調。「民主党で健全な保守を目指す人が乗りやすい船を作ることが先輩の使命だ」と述べ、次期衆院選を機に“平沼新党”を結成する考えを示唆した。
平沼氏は「無所属になり、民主党の若手に優秀な人がたくさんいることが分かった。衆参のねじれ国会を解消するには民主党に手を突っ込まないとダメだ」と明言。「先の参院選で民主党が割れると踏んでいたが、勝ちすぎたので足が止まった」と残念がった。』
「民主党に手を突っ込む」とか、「参院選で割れると踏んでた」とか。勝ちすぎたのを残念がったとか。
どう見ても、民主党と組んで、政権を支えるというのではなくて。民主党を壊すことしか考えていないでしょ!(ーー゛)
(『日本がアブナイ』! 2009年8月11日付エントリ 「祝・民主党は平沼Gと連携せず!+民主は自由民主&平和主義を重視した「中道の道」を進め!+地震」 より)
まさしく管理人の書かれる通りであり、平沼は、常にまず第一に民主党に手を突っ込もうとしていた。マスコミが二階俊博の手引きだと報道した昨年の「改革クラブ」結成も、本当は平沼赳夫の手引きではなかったかと私は疑っている。改革クラブを先に立ち上げておいて、あとから平沼一派と合流する手はずではなかったか。だが、当時民主党代表だった小沢一郎は造反議員を許さず、除名処分にしたことによって、民主党に色目を使っていた平沼は改革クラブと合流するわけにはいかなくなったのではないかと私は推測しているのである。
仮に、上記の推測が間違っていたとしても、平沼自身が「民主党に手を突っ込む」と公言していたことは、『日本がアブナイ!』が伝えるように、新聞のインタビューに平沼自身が堂々と語っていた通りだ。平沼は、あけすけに民主党の切り崩しを狙っていたのである。
もっとも、勢力を拡大するためには、これほど稚拙な作戦はない。平沼は、もともと自民党の議員だったのだから、自民党の政治家から平沼の極右思想に共鳴する人たちを集ってグループを大きくしていき、その上で民主党にアタックをかけるのが戦略の本筋だろう。平沼が自民党になかなか手を突っ込まなかったのは、平沼が古巣に遠慮したからなのか、あるいは自民党内に平沼に共鳴する人間などほとんどいなかったからなのかはわからないが(おそらく両方だろう)、自民党をスピンアウトした人間がいきなり民主党を切り崩そうとしても、たいした人材は集まらず、大きなグループにもなり得ない。そして、民主党執行部に警戒されるのも当然のことである。むしろ民主党が今まで平沼に色目を使っていた方が不思議で、右の頬を殴られながら左の頬を差し出すようなものだと私は思っていたのだが(もっとも平沼が殴るのは左の頬だけで、右の頬は殴らないかもしれないが)、もちろん民主党執行部がそんな聖人君子であろうはずもなく、今回ついに掌を返したが、この方が当然であり、平沼の認識が甘すぎた。
一方で平沼には政治資金の集金能力はあり、城内実らに資金援助を行っていることはよく知られているが、その資金力を頼りにしてか、自民党からも民主党からも弾き出された保守政治家やその志望者が平沼を頼ってくる。その思想信条は必ずしも平沼や城内実のような極右ではなく、というか実は平沼・城内ばりの極右の方が少ないくらいだ。当選が見込まれる埼玉の小泉龍司だって、別に右翼でもなんでもないし、さきがけで武村正義の秘書をやっていた元民主党の宇佐美登も平沼一派入りした。また、香川3区の真鍋健の父は、前参院議員の真鍋賢二であるが、真鍋賢二は大平正芳元首相の秘書を務めた保守本流のハト派政治家であり、私は彼が選挙演説で「憲法は時代に合わなくなった部分を変えるべきだが、9条は維持するべきだ」と述べたのをはっきり聞いた。もちろん、父はハト派で息子は極右という可能性もあるが、どうもそうでもなさそうで、単に平沼の資金力をあてにしたもののようだ。ちなみに、この真鍋健のポスターは、私も見たことがあるが、平沼赳夫と一緒に写っている。穏健保守と思しき真鍋健が「真正保守」(笑)の平沼と一緒に写っていることは、眞鍋かをりと一緒に写った「信念を貫く男」にして「国士」の城内実と対照的で、実に面白い。なお、真鍋(眞鍋)は香川県および愛媛県に多い姓で、眞鍋かをりは愛媛県西条市の出身である。
このように、実態が平沼の資金目当ての寄せ集め集団であることは以前からはっきりしていた平沼一派だが、そこになんと「郵政総選挙」で造反議員・堀内光雄の「刺客」として立候補し、選挙区では敗れたものの比例で復活したコイズミチルドレンの自民党前議員(7月13日に離党)の長崎幸太郎までもが加わったことには唖然とした。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009081100507
時事通信の報道によると、長崎は、平沼グループ参加に当たり「郵政民営化を見直す方針を受け入れた」というのだが、あっという間に転向した長崎も長崎なら、その長崎を受け入れた、というか引き抜いた平沼も平沼だ。長崎は、自民党では二階派に属し、必ずしも右翼議員というわけでもなさそうだったし、何よりコイズミチルドレンだから、渡辺喜美一派入りが予想されていたにもかかわらず、水と油としか思えない平沼一派入りした。何らかの事情があったのだろうが、こうなると思想信条も何もあったものではない。民主党の小沢一郎から見捨て去られた平沼赳夫にとっては、なりふり構っていられなかったのかもしれないが、あまりにもみっともない話だ。このいきさつを、「信念を貫く男」はどう思っているのか、聞いてみたいものである。
今日も長いだけでくだらない記事になってしまったが、言いたいのは、「真正保守」や「国士」を自称し、やたらと「信念」などという言葉を使いたがる平沼一派が、単なる権力亡者のボスの資金力目当てに集まった寄せ集め集団に過ぎないことで、こんな勢力は一人残らず落選させるべきだ。現実には、ボスの平沼赳夫を落とすのは無理だろうが、他の候補者を全滅させて、「劇団ひとり」の称号を渡辺喜美から平沼に奪わせてやりたいものである。もちろん、渡辺喜美一派も私は支持しないけれども。
さて、衆議院の解散から3週間が経ち、公示は来週だけれど選挙戦は実質的に後半戦に入っている。週刊誌の予想は、はっきりいってあまり当てにならないのだが、参議院選挙で流れを言い当てた「サンデー毎日」の電話調査(調査会社に委託)は興味津々で、それによると自民党が惨敗する兆候が見える。予想の後編が載った最新号は、ふざけたことに当地では明日にならなければ読めないのだが、毎日新聞のサイトに出ている見出しを見ると、「元首相3人落選危機」とか、「片山さつき静岡7区でドンジリ」、「野田聖子に「民主イケメン」大逆転」などの刺激的な文句が並んでいる。
これらのうち、片山さつきの「ドンジリ」(いくらなんでも幸福実現党には勝つだろうけれど)は当然としか思えないし(斉木武志は頑張れよ!)、「元首相」たちのうち海部俊樹などは当選する方が不思議だが、あとの2人に含まれると思われる森喜朗や福田康夫だの、岐阜1区の野田聖子だのが危ないという情報には、本当かよと思ってしまう。
しかし、週刊誌の予想よりはるかにあてになる新聞社の調査でも、自民党惨敗の兆候が見られる。昨日、中日新聞が発表した、東海・北陸地方の予想は、衝撃的なものだった。
中でも、自民党王国と見られてきた岐阜県の情勢の変化には、驚くべきものがある。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/gifu/CK2009081002000209.html
記事によると、岐阜1区は、「民主新人の柴橋さんと、自民前職で消費者行政担当相の野田さんが激しい争いを展開している」という。民主の柴橋正直の名前の方が、野田聖子より先に出てくるが、これは柴橋が野田を僅差でリードしているという調査結果が出たことを意味する。岐阜5区でも「前回に続く挑戦となる民主新人の阿知波さんと、自民前職の古屋さんが激しく争っている」と書かれており、岐阜1区と同様、民主の新人・阿知波吉信がわずかにリードのようだ。2区と4区は自民がリードしており、2区の棚橋泰文は、昨年の自民党総裁選の際の売名行為が功を奏したのだろうか。しかし、3区は民主の園田康博がリードしている。3区はともかく、自民党からしたら、悪くとも4勝1敗を見込んでいたであろう岐阜でのこの調査結果は驚きだ。
静岡の予想もすごい。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/shizuoka/CK2009081002000220.html
ここで目立つのは、比例区の投票先で、静岡1区で「民主(38・4%)が自民(10・8%)を圧倒した」となっているのが、その最たる例だ。政党支持率では、自民党の方が民主党より高いのだが、無党派層の大部分が民主党に流れている形だ。どうやら、「比例は民主」というのが有権者のトレンドらしく、一般に平沼一派の城内実が優勢と見られている静岡7区でも、比例は「民主が31・7%と、自民の10・7%に3倍の差をつけ」、自民の塩谷立が優勢と見られている静岡8区にいたっては、「民主は36・1%と自民の9・4%を圧倒」しているという。私としては、選挙区でこそ自民党や平沼一派の候補者を落として、比例区では多様な選択をしてほしいと思うのだが、なかなかそうもいかず、「昔から慣れ親しんだ××センセイ」とのしがらみは断ち切りがたいもののようだ。静岡7区の民主・斉木武志など、若いながらテレビの討論会でも片山さつきや城内実を押しているとのもっぱらの評判で、逆に城内実は3人の中でももっとも精彩を欠くと酷評されているのだが、それにもかかわらず、静岡7区では城内実の圧勝が予想されている(静岡選挙区の情勢は、ネットに公開された中日新聞の記事からは読み取れず、上記は一般的な予想の話である)。
もともと民主党の強い愛知県はパスして、北陸に目を移すと、福井1区と2区で「民主の立候補予定者が自民をややリードする展開で、自民支持層の一部が民主側に流れている傾向が出た」という。
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2009081002000155.html
かつて、「極左と紙一重の極右・稲田朋美を衆議院選挙で落選させよう」と書いた当ブログだが、正直言って福井1区の稲田朋美落選は諦めていたので、これはうれしい予想だ。だが、もちろん情勢は予断を許さない。
森喜朗のいる石川は、ネットに公開されている中日新聞の記事では選挙区の情勢は不明だが、石川県の地元紙が石川2区で「競り合い」としながらも、民主・田中美絵子の名前を森喜朗より先に出しているそうだ。つまり、森喜朗も本当に苦戦している。
以上、中部地方では自民党の総崩れが起き始めているようだ。もちろん、他の地域も同様で、産経新聞の調査によると、比例区の四国ブロック(定数6)では、実に56.3%が民主党に投票すると答え、自民党に投票するとしたのはわずか15.6%だったという。いくらなんでもこれはちょっと信じがたい数字だし、それでなくても産経新聞の予想は全国紙の中でももっとも当てにならないが、大規模な地殻変動が起きようとしていることだけは間違いなさそうだ。
現在は、芸能人の麻薬騒ぎや大災害のニュースが相次いで、政治のニュースはあまり報じられなくなっており、これは自民党が失点を重ねないという意味で自民党に有利なはずで、現に先月までの麻生内閣および自民党の支持率急落の流れは止まっている。だが、郵政総選挙で毎週自民党の支持率が跳ね上がって行った頃のような変化は全く見られない。郵政総選挙の時に当てはめれば、投票日の19日前というと2005年8月23日だ。その頃には自民党圧勝の流れはもはや確定しており、その後は目立った情勢の変化は起きなかった。今回も、もはや流れは変わらないだろう。
ただ、自民党の崩壊はもちろん大歓迎なのだが、比例区を含めて民主党の圧勝になってしまうと、日本の政治は必ずしも好ましい方向には向かわないと当ブログは考える。もちろん自民党のほか、平沼一派や渡辺喜美の「みんなの党」などの自民補完勢力を助ける必要は全くないが、比例区では共産党、社民党、国民新党などに投票することによって、民主党の暴走に歯止めをかける必要があると当ブログは考えている。
長すぎる解散から公示までの期間に、次々と芸能人の麻薬事件が起きたが、その間にも衆院選後の合従連衡を狙う連中らの動きは後を絶たない。
渡辺喜美、平沼赳夫、鳩山邦夫の3人が、総選挙後の連携をにらんで話し合いをしたのは先月のことだが、最近でも鳩山邦夫が渡辺喜美が結成した「みんなの党」に色目を使っている。その一方で、渡辺喜美は昨日(9日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、民主・社民・国民新党の連立構想を批判し、民主党に渡辺らの「みんなの党」との連携を呼びかけるなど、権力亡者ぶりを露骨に見せていたが、普段は勢い込んで渡辺を応援する田原総一朗の口調にも、心なしか力が感じられず、渡辺喜美は浮き気味だなあと感じさせた。
渡辺が平沼にすり寄ったことを、江田憲司はよく思わず、「国粋主義とは組まない」と言ったそうだが、その江田憲司が立候補を予定している神奈川8区に民主党が候補者擁立を決めると、渡辺は民主党から参議院の浅尾慶一郎を引き抜いて、神奈川4区に投入する対抗手段をとってきた。この神奈川4区は大混戦で、浅尾慶一郎が有利とする見方と、民主党の長島一由が有利とする見方、さらには自民党候補が「漁夫の利」を得るとの見方が入り乱れている。
こうして、少し「みんなの党」と民主党の距離ができてきたが、一方で民主党岡山県連は昨日、岡山3区に、第二東京弁護士会所属の西村啓聡(けいと)弁護士(33)を擁立する方針を決めた。
http://www.asahi.com/politics/update/0809/TKY200908090177.html
リンクを張った朝日新聞の記事によると、この擁立は小沢一郎の意図を反映したもので、
とのことだ。同様の呼びかけを麻生太郎が平沼にしていたが、この麻生・小沢両氏の呼びかけについては、平沼が今春出版した本の中で、麻生・小沢両氏を批判していた。要は2人とも数合わせに俺たちを利用しようとしている、というのだが、私に言わせれば平沼こそ、あわよくば与野党伯仲の選挙結果になり、それに乗じて俺たちがキャスティングボートを握ろう、などと虫の良いことを考えている権力亡者に過ぎないと思う。その平沼にやっとこさ民主党が対立候補を立てる決定を下したことは、遅きに失したとはいえ歓迎したい。小沢氏に近い参院議員は9日、「小沢氏は新党をつくって協力しようと呼びかけてきたが、平沼氏が決断しきれなかったため、関係を見切ったのだろう」と語った。
私からすると、渡辺喜美も平沼赳夫も「同じ穴の狢」にしか見えないのだが、ネットでは、どういうわけか平沼一派、特に城内実を「悪徳ペンタゴン」と戦うヒーローに祭り上げて英雄視する一方、渡辺喜美一派を「悪徳ペンタゴン」の一味として敵視する漫画のような世界観を示すブログが見られる。その最悪の例が、『神州の泉』の8月7日付エントリ「城内実さんのポスター騒動の背後に、悪徳ペンタゴンの影がちらつく!」だろう。城内実の「ポスター事件」が下火になってからこのようなKYエントリを上げる管理人にはぶっ飛ぶほかはないが、これが日本の「政治ブログ」のレベルなのである。もちろん、こんなものを取り上げてあげつらう当ブログの程度も知れているのだが、このエントリはコメント欄が一段とひどく、私は彼らによると「日本の宗主国が中国様になって欲しいから反新自由主義の立場をとる輩」なのだそうだ。いったいいつ私が「日本の宗主国が中国様になって欲しい」などと書いたか、証拠を見せてほしいものだが、彼らネット右翼は、同様の決めつけで加藤紘一や河野洋平などの保守政治家を攻撃していたから、彼らに理性的行動を求めるほうが無理というものだろう。
もっとも、記事に寄せられたコメントの中には見るべきものもあり、「日刊サイゾー」の記事にリンクを張って、「業界の裏に通じていたのは城内氏で、眞鍋はこれに抵抗した」と主張する者もいる。なんでも、「サイゾー」は反「某芸能事務所」、デイリースポーツは「某芸能事務所の提灯記事を書く」ことで知られているのだそうだ。そういえば城内実は、「総理大臣経験者」の弟分だった...などと想像(憶測?)は尽きないのだが、これ以上は止めておこう。ひとことだけ言っておきたいのは、『神州の泉』の管理人が熱烈な植草一秀信者であることで、植草一秀氏のブログでの言説には、こうした狂信的な国粋主義ネット右翼をひきつける性質がある。植草氏は、せっかく優秀な頭脳をお持ちの方なのだから、こうしたトンデモ右翼を釣ってブログのアクセス数を増やすことなんかにかまけないで、もっと地に足をつけた言論を展開してほしいと思うのは私だけだろうか?
さて、バカバカしい話題はこのくらいにして、選挙後の政治シーンを展望する新聞記事を紹介したいと思う。昨日(9日)の朝日新聞「オピニオン」面に、細川護煕元首相のインタビュー記事が出ている。
http://www.asahi.com/politics/update/0809/TKY200908080277.html
インタビューには田中秀征氏も同席しており、司会は朝日新聞コラムニストの早野透氏。三紙とも、いわゆる「政治改革」の旗を振った人たちで、私はどうしても彼らに懐疑的になってしまうのだが、このインタビュー記事は予想に反してなかなか面白かった。
新聞の1ページをまるまる潰しての長大な記事だが、ウェブ版で読めるので詳しくはそちらをご参照いただきたいが、ここでは、インタビューの終わりの方にある選挙制度についての細川氏のコメントを紹介したい。
かつて、国会答弁で将来は「穏健な多党制」に向かうと発言した細川氏は、
と指摘し、田中秀征氏も、その時点とその後では事情が変わりました。選挙制度が変わった。最初の政府案は小選挙区250、全国区の比例代表250でしたが、法案成立時は小選挙区300、ブロック制の比例代表200。いまは300と180。だんだん二大政党制に有利な制度になっています。
と述べている。民主党の「比例区80削減」案に対しては、細川氏は「それはよくない」としながらも、政府案の「250・250」がそのまま成立していれば、穏健な多党制を担保できたのですが。少数政党は主張が明確です。大政党にあいまいさを許さない存在になるんですよ。今の流れだと、大政党がわけの分からない烏合(うごう)の衆になります。
と、楽観的に述べている。ただ惜しむらくは、しかし民主党が今度の選挙で勝利すれば、その先は二大政党制ではなく、「穏健な多党制」に移行するのではないかという予感もある。単純小選挙区制で二大政党制のイギリスでさえ、第三党の自由民主党が力をつけ、「穏健な多党制」にシフトしつつあるのですから。
と述べる細川氏が、選挙制度は一神教の小選挙区より多神論の中選挙区連記制がいいとずっと思っていました。
ことだ。この妥協が、その後15年の日本の政治を、大きく劣化させてしまったと私は考えている。あの時点で実現可能な選挙制度としてあえて推進した
自民党と民主党の大連立は「好ましくない」、憲法や平和の問題については、故宮沢喜一元首相と「同じ考えを持っていた」、憲法改正や「占領政策からの脱却」を主張した安倍晋三には「ノーサンキュー、ただそれだけ」と述べた細川護煕氏の認識には好感が持てるだけに、選挙制度改革における中途半端な妥協の罪は重いと思う。また、経済政策では新自由主義を推進したことも、時代の流れからきたものだろうとは思うが忘れてはならないだろう。しかし、それにもかかわらず、このインタビューの読後感は悪くない。未読の方には是非一読をおすすめしたい。
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城内実の件にしても、城内のような排外主義者が台頭して「鬼畜米英」を叫んで戦争に突き進んでいく恐れがあることと関連づけて議論されなければならないと思うが、単なる芸能スキャンダルと化し、しかもどこからどういう圧力がかかっているのか知らないが、女性週刊誌でさえ大して取り上げず、結局スポーツ紙間でバトルが展開されただけだった。日刊スポーツの勇み足をサンスポと報知が取り上げて騒ぎ、それに対抗する形で、スポーツ紙の中でももっとも格下のデイリーが飛ばし記事を流して大いに城内実陣営に恩を売ったというチンケな騒動で終わってしまったのである(その後の事務所の抗議などは、なぜか大きく報じられていない)。
そんなわけで、今年も風化が進む戦争報道だが、毎日新聞が先週4日から7日までのコラム「記者の目」で、連日若手記者が戦争や核廃絶について奮闘して取材した記事を載せていたことも、ほとんど話題になっていない。そのうち、4日の記事「被爆者の新たな取り組み学べ」(下記URL)は、同紙長崎支局の下原知広記者が書いた記事である。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090804k0000m070120000c.html
この記事は、約1万回もの語り部活動で被爆体験と核廃絶を訴え続ける長崎原爆遺族会顧問、下平作江(しもひらさくえ)さん(74)を紹介している。下原記者は書く。
下平さんは10歳の時、爆心地から約800メートルの防空壕(ごう)で2歳下の妹らと被爆した。翌日、壕を出ると外は地獄のような光景だった。自宅にいた家族は被爆死し、助かった妹もその後に病苦で自殺。30代で子宮、卵巣を切除するなど過酷な体験をしてきた。40歳ごろから語り部活動を始め、原爆症認定長崎訴訟の原告として被爆者全体の支援活動にも取り組む。その体験はもちろん、核兵器廃絶の取り組みを生活の中心に据える生きざまに、強い衝撃を受けた。
(毎日新聞 2009年8月4日付 「記者の目」 より)
こういう記事を読んで、戦争によって人間一人一人にどんな災厄が降りかかるかに思いを致したいものだ。経済関係の報道についてもそうで、「資本主義にバブルの生成と破裂はつきものだ」などとしたり顔に片付ける論評を見ると、私はなんだと思って筆者の思慮の浅さを馬鹿にしたくなってしまう。現実の経済の荒波が、人間一人一人の生活にどんな影響を与えるかを考慮しない論評は無意味である。
ところで、この毎日新聞「記者の目」の戦争シリーズで特に注目したいのは、5日付の東京社会部・滝野隆浩記者が書いた、「墓銘に残す核廃絶のメッセージ」と題した記事だ(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090805ddm004070162000c.html
記事のサブタイトルには、「保有論、もう退場願いたい 被爆者の強さを知る」とある。しかし、滝野記者は、核武装についての議論はすべきではないという立場には立たず、それどころか、
と書いている。その上で、下記のように主張している。私は核を即時廃止せよという訴えには賛同しない。すぐ近くに核を振りかざそうとする国がある以上、何らかの対処が必要だと思う。米国とは「核の傘」について、軍事技術の専門家を交えて話さなくてはならないし、抑止力として敵地攻撃能力についても検討を始めていい。
数十年にわたって核を研究してきた自衛隊OBはこう断言する。「軍事的にいえば核に行き着く。しかし、国民感情や国際情勢を総合的に考えれば、日本に核保有はありえない」
毎年数千億円をかけて試作し、秘密裏に地下実験をし、その何倍、何十倍の予算をつぎ込んで大量生産のプラントをつくり、運搬手段を整備し、配備し、防護も考え、必ず出る核廃棄物の処分も検討する??これが核保有の実現化プロセスである。加えて、日米同盟は破棄され、NPT(核拡散防止条約)からも脱退して国際的に孤立することになる。さらに気になっているのは、社会のありようを変える危険性だ。核という「国家最高の機密」の保有を決意した瞬間から、一気に軍事機密の情報管理が始まる。つまり、軍事優先の社会に変わらざるを得ないのだ。
(毎日新聞 2009年8月5日付 「記者の目」 より)
記事が指摘するように、核保有には莫大な金がかかり、もちろん日本の財政にそんな余裕はないし、外交・安全保障の観点からも、日本が核武装したと同時に、日本は国際的に孤立する。国連憲章には「敵国条項」が今も残っており、日本政府の見解によると、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当するとされている。現在は死文化しているともされる「敵国条項」だが、日本が核武装すると同時に息を吹き返し、日本は世界中から「敵」と見なされることになるだろう。麻生太郎や安倍晋三にとってはそれでも構わないのかもしれないが、大多数の日本人にはそんな事態は受け入れられないだろう。現実論からいえば、憲法9条の改定だって、世界中から日本が警戒心を抱かれる原因となる。つまり、憲法9条を維持する方が、日本にとってよほど現実的な選択肢なのである。
軍拡を語り、憲法改定を目指す者が現実的で、反戦を口にし、現憲法の維持を支持する者が空想的であるなどとするのは、自民党や右翼のプロパガンダに過ぎない。まして核武装論など、とんでもない空理空論に過ぎないことはあまりにも明白である。田母神俊雄の主張など噴飯ものの一語。きたる総選挙によって政権交代が起きる可能性が高いが、民主党には党内の改憲論者に引っ張られて国を誤るようなことがないよう、強く求めたい。
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極端な主張を唱える者が常にネットでは人気者だ。それも、左翼は人気が低く右翼が大人気を博する。共産党が反貧困で頑張って、2ちゃんねるで「CGJ」(Cとは志位委員長のこと、「シーグッジョブ」と読む)と賞賛されても、共産党の票はほんの少し増えた程度に過ぎない。それに対し、右側で勇ましい人物は次々とヒーローになる。コイズミや安倍晋三もかつてはネット住民のヒーローだったし、中川昭一の「もうろう会見」や城内実の「ポスター事件」は、ネット世論では「嵌められた」ことになってしまう。
城内実の件など、調べれば調べるほど城内と某大手芸能プロダクションが深くつながっているという疑惑が増すばかりである。なぜか新聞ばかりかテレビや週刊誌もこの件の報道に腰が引けていて、それについてネットでは「公職選挙法によって、候補者が不利になる事を書けないから、候補者の弁明のみを記事にするしかない。だから眞鍋さん側の主張を書く事に及び腰になる」などとまことしやかに語られているが、この認識は間違っている。現在は、衆議院は解散されたものの、まだ衆議院選挙は公示されていない。4年前の郵政解散・総選挙の時を思い出していただきたいが、解散後1週間ほどして、岐阜1区に野田聖子への刺客として佐藤ゆかりの立候補が内定した直後から、週刊誌は佐藤の「不倫メール」のスキャンダルを書き立てた。選挙の公示前であり、選挙妨害になど当たらないことはいうまでもない。それを考えると、今回の「城内実ポスター事件」があまり騒がれないのは、某大手芸能プロダクションのにらみが利いているからだと考えるのが自然だ。
当ブログには、「自民党を追われ、どん底に突き落とされた城内実がまだそんなに大きな権力を持っているとでも言うのか。芸能プロを動かす権力があるなんて噴飯ものだ、自公とつながっているフジテレビが城内を陥れようとしたのだ」という批判のコメントが寄せられたが、どうやらこの方は、ネットの一部論者が展開していた単純な善悪二元論に洗脳されて、城内実を「悪徳ペンタゴン」(笑)と戦うヒーローか何かと勘違いされているようだ。現実の世界はそんな単純なものではない。2003年に城内実が初当選した総選挙では、民主党を離れて二階俊博とくっついて連立与党入りした保守新党の熊谷弘が、自公の推薦を受けて静岡7区から立候補したが、無所属新人の城内実が森派幹部などの大々的な応援を得て熊谷を破ったのである。この時は、事実上の自民党分裂選挙であり、自民党はなんと自分たちにすり寄ってきた熊谷弘に刺客・城内実を送り込む冷酷非情さを見せたのである。劣勢に立たされた熊谷は、選挙戦最終日に記者団に向かって「内閣が一斉に攻め寄せてくる。ひきょうだ」と声を荒らげたものの、あとの祭りだった。刺客・城内実はまんまと初当選を遂げたが、この頃から城内というのは胡散臭い人間だったことが伺われる。城内実自身がかかわったこの例からも明らかなように、党を追われた在野の人間だから、権力とは何のつながりもなく、勇敢に権力と戦っているのだ、というのはあまりにもナイーブな見方である。もしそれが正しいなら、「悪徳ペンタゴン」の一角を占めるマスコミは「城内実ポスター事件」を批判的に報じまくるはずだが、人気タレントの絡んだ事件なのにむしろ異様に扱いが小さい。これは、城内実こそ「悪徳ペンタゴン」とつながっているのではないかと疑わせるに十分なものだ(笑)。
さて、またしても前振りの方が本論より長くなってしまいそうだが、田母神俊雄もまたマスコミの寵児として大活厄している。田茂神俊雄は、昨年11月7日付エントリ「田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々」に書いた通り、稚拙な陰謀論を信奉する頭の悪い人物である。上記4人に森喜朗か安倍晋三を加えれば、またぞろ「ペンタゴン」が形成できそうだし、この「アパ人脈」には城内実や鳩山由紀夫も絡んでいるのだが、それはおいといて、田母神というのは頭は悪いけれどもマスコミにとって利用しやすいキャラであるらしくて、いまやたいへんな人気者である。
その田母神が広島で行った問題の講演会だが、演題は「ヒロシマの平和を疑う」である。ネットで検索すると、三大紙はなぜか引っかからず、共同通信、時事通信と産経新聞が報じているのが見つかった。その中から、共同通信の記事(下記URL)を引用する。
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080601000852.html
田母神氏が広島で講演 「被爆国として核武装すべき」
原爆の日の6日、政府見解の歴史認識を否定する論文を公表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長が広島市で講演し、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張した。
日本会議広島が主催し、演題は「ヒロシマの平和を疑う」。参加者は講演に先立ち君が代を斉唱し、黙とうした。
田母神氏は「2020年までの核兵器廃絶は夢物語」と、秋葉忠利広島市長の平和宣言を批判。「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。
秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。
会場周辺では、田母神氏の主張に反対する横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる団体と、右翼の街宣車が言い争う一幕もあった。
(共同通信 2009年8月6日 19時58分)
当ブログには、「核抑止論」に基づいてブログの記事を批判するコメントが多数寄せられた。核抑止論などという大昔から論じられている妄論の批判など、馬鹿馬鹿しくていまさらする気にもならない。そんなものは権力がおかしくなってしまえば成立しないし、いくら権力者の暴走を防ぐシステムを構築して平和を守るのだといっても、歴史を見れば権力者も人民も狂気に陥って破局に突き進んだ例などいくらでもあるから、そんなものは一切信用できない。今醜態をさらしている自民党の面々を見れば、いかに政治権力などあてにならないかがわかろうというものだ。いくら道のりは遠くとも、目指すべきは完全な核兵器廃絶でなければならない。
それに、今回の田母神の講演会にはそれ以前の問題があり、それは田母神が広島市民を挑発するようなことを言い、わざわざ刺激的なTPOを選んで講演会を行ったことだ。秋葉忠利広島市長は、もちろん表現の自由を重んじる人だから、「被爆者や遺族の心情を逆なでする」として日程変更を要請しただけだった。地域感情に配慮してほしいとお願いしただけのことだ。ところが、右翼はこれを「言論弾圧」だと騒ぎ立てる。いくら、「表現の自由の問題ではなく、人道的な問題だ」と繰り返し言っても耳を貸さない。そして、ネット検索で共同・時事通信と、田母神支持の立場に立つ産経新聞の記事しか引っかからなかったことからもわかるように、大新聞はこの件の報道にいたって不熱心である。唯一の被爆国のジャーナリズムとして情けない限りである。
このままだと、日本の言論の主流は、田母神俊雄をはじめ、城内実、橋下徹、中田宏らが思い描くような方向へと突き進んでしまうのではないだろうか。この流れを止めなければならない。
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日本の敗色が濃厚になった1945年夏、中国・四国地方にも空襲が繰り返された。6月29日に岡山、7月4日には高知、高松、徳島の四国三県県庁所在地、7月27日には残る愛媛の松山が空襲の被害を受けた。地方都市でもっとも多くの空襲を受けた都市は浜松(静岡県)であり、浜松は判明しているだけでも27回の空襲を受け、あわせて3000人以上が犠牲になったとされている。そんな浜松から、極右政治家・城内実を国政に送り出さないでほしいと思う。
多くの地方都市が空襲の被害を受ける中、8月5日まで、広島市だけは被害がなかったのだが、これは米軍が原子爆弾を投下した時の被害を調べるために、意識的に空襲を行わないできたためだった。そして、その広島に原爆が投下されたのが、64年前、1945年の8月6日だった。
その8月6日に、田母神俊雄が広島で講演会を行う。ふざけた話である。この件に関して、『河野美代子のいろいろダイアリー』が記事を書いているので、これを紹介したい。著者は、広島で35年間産婦人科のお医者さんをやっておられる方だ。
「私的平和考?田母神氏が8・6に広島で講演をすると。」(6月25日付)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-b3f8.html
昨日の終わりに述べたように、田母神氏が、広島で、それも8月6日に講演を行うと中国新聞に出ていた。講演のタイトルは「ヒロシマの平和を疑う」。主催は日本会議広島。中国新聞の取材によれば「日本のために核武装をするべきだと考えており、講演ではそこに触れることになると思う」のだそうだ。
なぜ広島で8月6日にこのような講演を行うのか。自らの筆舌に尽くしがたい経験から、核兵器廃絶を願う被爆者に対し、あまりにむごい仕打ちではないか。
主催する日本会議広島は「原爆殉職者に追悼の祈りをささげる特別な日。戦後日本の運命を決定づけた象徴的な日をあえて選び、真の平和を考えるイベントを企画した」のだそうだ。
(『河野美代子のいろいろダイアリー』 2009年6月25日付エントリ 「私的平和考?田母神氏が8・6に広島で講演をすると。」 より)
「8月6日がやって来ました。」(8月6日付)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-8d67.html
8月6日になりました。
昨日のお昼、炎天下、中学・高校生たちが署名を集めていました。お疲れ様、私は明日、あなたたちの署名用紙を300枚配りますよ、と言ったら、女子高校生の顔がパッと輝きました。ああ、この子たちは本気で署名集めている、と、不覚にも涙がこぼれそうになりました。
(中略)
そして、やまとの湯に行って、夫が出てくるのをまちながら新聞をよんでいたら、出てました。7月12日に田母神さんが、講演で「となりでは慰霊祭とやらをやっていても、私は核武装です。」と、ヒロシマで8月6日、平和公園近くで講演をすることを言ったそうで。そして、1500人の聴衆が拍手を送ったと。
いくら言論が自由だといったって、ヒロシマでの慰霊式を揶揄することは許せません。ヒロシマでは大変多くの人々が、家族の命日なのです。だから、爆心地近くのお寺のお墓は、線香の煙でもうもうとするほどなのです。まだまだ生存してる被爆者は、いやでもあの地獄を思い出し、涙する日なのです。ヒロシマ中が命日なのですよ。多くの人にとって、決して過去の出来事ではないのです。(父の名前も慰霊碑の中に入っています。)
麻生氏が慰霊式に来るそうだけれど。この人も、田母神の講演会を主催する「日本会議」の重要なメンバーなのですね。
時が経って、ヒロシマが情けないことになりました。
でも、先日のはだしのゲンの英語版全翻訳の出版激励会で、秋葉市長が言われたことが励みです。「核兵器廃絶を願う人のほうが多数なのです」と。
(『河野美代子のいろいろダイアリー』 2009年8月6日付エントリ 「8月6日がやって来ました。」 より)
麻生首相も日本会議の主要メンバーだが、城内実も日本会議理事・城内康光の倅であり、城内実のボス・平沼赳夫は日本会議の重鎮である。一昨年惨めに倒れた安倍晋三内閣は、安倍をはじめとして日本会議のメンバーで固めた内閣だった。
それにしても許せないのは「となりでは慰霊祭とやらをやっていても」などという田母神の言い草である。「煽り文句」で喧嘩を売っている。このあたりも、ブログの批判に対して「煽り」のエントリで応戦した城内実とよく似ている。そもそも、「8月6日」に「広島」で核武装論を声高に叫ぶ講演会を行うこと自体「殴り込み」以外のなにものでもない。いくら言論の自由が保障されているといっても、地域感情に配慮するのが人の道というものだろう。
本来、静かに犠牲者を悼む日であるべき「広島原爆忌」の8月6日に、今日行われる田母神俊雄の講演会への注目を喚起せざるを得ないとは、まことに残念なことだ。
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一昨日のエントリで紹介した、『kom's log』管理人・三浦さんの秀逸な考察は特に強く印象に残ったが、『玄倉川の岸辺』の一連のエントリや、『extra innings』の考察も共感できるものだ。ことは人間(本件の場合は眞鍋かをりさん)の尊厳にかかわる問題であり、上記三氏の考え方は、いずれもそれを尊重する立場に立っている。
しかし、それ以上にこの件が面白いのは、ネットに蔓延する陰謀論者たちの生態を生々しく観察できるところにある。当ブログにも城内実支持の陰謀論者たちから当ブログを批判するコメントがずいぶん寄せられているが、陰謀論批判側からの簡潔なまとめとして、『Living, Loving, Thinking』の下記エントリがある。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090804/1249405632#20090804f1
「陰謀論者を探せ」とばかり、城内実信者たちがネットのあちこちで繰り広げている醜態を採集するのは、面白くはあるが、非公開を含む苦言のコメントで指摘を受けているように、重要なことでもないし、「知的」から程遠いのも確かだ。そこは、無償のブログだからと自分に甘く書き流してしまっている。たとえば、8月3日付のエントリ「城内実の「国籍法」を巡る酷い発言と「ポスター騒動」の連関」は、「左のほうの水伝騒動」の蒸し返しを入れてしまったために不必要に長いエントリになっており、これは論文や有料配信の記事だったらばっさり削ったところだが、個人的にこれを書かなければ腹の虫が収まらなかったために、読者の迷惑を省みず混入させてしまった。このあたりが、管理人が好き勝手に振舞える無償ブログの限界である。
本当は今日あたりは裁判員制度、小沢一郎と橋下徹との会談、あるいはビル・クリントン元米大統領の北朝鮮電撃訪問などを取り上げるべきなのかもしれないが、あまりまともな記事が書ける状態ではないので、今日はやめておく。その代わりといっては何だが、『広島瀬戸内新聞ニュース』からTBいただいた、「国会議員の定数削減に反対する共同声明」を紹介したい。本日(8月5日)午前中は、エキサイトブログがサーバメンテのために同ブログにアクセスできないので、呼びかけ人が運営されている『平和への結集ブログ』のエントリ(下記URL)にもリンクを張っておく。
http://kaze.fm/wordpress/?p=276
以下、同ブログから転載する。
共同声明「国会議員の定数削減に抗議する」
2009年8月4日
民主党は、7月27日に発表した衆選マニフェスト(政権公約)のなかで、「ムダづかい」削減のために衆議院比例区議員の定数80削減を提案した。
自民党でも、定数削減を政権公約にしている。
しかし、国会議員の定数削減は、議会制民主主義のもとにおける有権者の多様な意思の表明を困難にし、民主主義の精神を踏みにじるものであり、我々はこの提案に強く抗議する。
1. 議会制民主主義のもとでは、広範な市民の多様な意思をできるだけ的確に議会に反映させること、従ってまたこのための仕組みが極めて重要である。
2. このためには、然るべき人数の議員が必要である。
現在の衆議院の定数、480人は決して多すぎるものではない。
現在の選挙制度が発足した時には500人であったが、その後削減されている。
3. ヨーロッパの主要国(独、英、仏、伊)では、人口は日本の2分の1から3分の2であるが、下院議員の定数は600人前後である。
人口10万人当たりの定数は、独で0.74人、その他では1.0人前後である。
これに対し、日本では0.38人と極めて少ない。
4. 米国の連邦下院議員定数は、435人と少ないが、独特の大統領制である、州の権限が強い連邦国家であるなど、政治制度が日本と 著しく異なっており、比較の対象にするのは適切ではない。
それでも、米国の議会予算は日本より大幅に多い。
5. 定数削減の目的は、これまで、民間のリストラ、国の行政改革に対応して、国会も人員、予算の節約を図る必要があるため、といわれてきたが、今回「ムダづかい」削減による財源確保が目的、とされている。
しかし、国権の最高機関である国会の議員の在り方を、民間や一般公務員と同じように論ずることは基本的に間違っており、特に議員定数の一部を「ムダ」とみなしてその削減を財源確保の手段としていることは、到底容認できない。
定数削減の結果、国会がまともに機能しなくなったら、民主主義が衰退してしまうことを無視している。
6. このような危険を冒してまで議員定数を削減しても、それによる予算節約はそれほど大きいものではない。
国会の予算は、国会図書館を除くと約1,100億円である。(この他、政党助成費が321億円ある。)
これは、一般会計予算の0.12%であり、この一部を削減しても予算の1万分の1から2程度である。
因みに、米軍へのいわゆる「思いやり予算」は2千数百億円に上る。また、F?15戦闘機は一機100億円、F?2は120億円である。
もちろん予算節約の努力は必要であるが、他方、国会の基本的な任務遂行に必要な予算は、民主主義のコストとして負担すべきである。
7. 定数削減は、比例区の定数削減として提案されているが、この提案には、民意をより正確に反映する比例区の定数を削減し、最終的にはこれを無くして、完全な小選挙区制に変えてしまおうという意図が窺われる。マニフェストには「政権交代が実現しやすい選挙制度とする」と記されているからである。
ただし、専門家によると、小選挙区制では政権交代が起きる可能性が高い、ということは明瞭とはいえない。
8.小選挙区制には問題があることは広く知られているにも拘わらず、選挙制度の在り方について公に議論しないまま、定数削減によって完全な小選挙区制へと実体を変えようということは、極めて不公正、不当な政策であるといわざるをえない。
9. 小選挙区、2大政党制は、統治する立場からは好都合といわれているが、市民の立場からは、多様な民意を的確に反映させることにはならず、不公正である。
有権者の意思を的確に反映させるためには、少数政党への投票をも尊重する比例代表制を基礎とした制度が絶対に必要である。
10. このように大きな問題があるにも拘わらず、定数削減という方針が尤もらしく聞こえ、一定の支持を得ているのは、ろくに仕事をしない議員が多すぎる、世襲議員が余りにも多い、などのためであろう。
この状況を改めるのは、定数削減ではなく、望ましくない議員を落選させ、真っ当な人物を選ぶことである。
11. 参議院議員の定数については、今回は触れない。参議院の在り方を議論する過程で慎重に検討すべきである。
衆参合わせて何割削減などという粗雑な議論は、問題外である。
以上の理由により、我々は国会議員の定数削減という政策の撤回を強く求める。
「平和への結集」をめざす市民の風
http://kaze.fm/
join@kaze.fm
印刷用のファイルは、下記URLから入手できる。
http://kaze.fm/documents/teisusakugen_seimei.pdf
もちろん、以前から自民党および民主党の国会議員定数削減案に反対してきた当ブログは、この声明に賛同する。読者の皆さまにも是非ご賛同いただきたいと思う。
最後に、当ブログの関連エントリを下記に挙げておく。
「百害あって一利なしの「比例区定数削減」にこだわる民主党」(5月26日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-914.html
「二大政党の「党首討論」と過激化する議員定数削減競争」(5月29日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-917.html
「選挙制度改悪を批判できない言論に権力の「弾圧」は不要だ」(6月1日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-918.html
「こりゃダメだ! 論外の自民党、定数削減に固執する民主党」(6月10日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-925.html
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http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090803/elc0908031253003-n1.htm
結局眞鍋さんのブログにエントリが上がった7月29日か、遅くとも翌30日にとっておけばよかった行動を、昨日(8月3日)になってようやくとったことになる。それにしてもものは言いようで、リンクを張った産経新聞の記事にあるように、「おわびは申し上げるが、趣旨が伝わっていなかったとすれば非常に残念です」と述べた城内の発言は、まるで「周りがギャーギャーうるさいからとりあえず謝っといてやるけど、ほんとは俺は悪いことなんてしてないんだよ」と言わんばかりだ。普通なら、「趣旨をうまく伝えられなかったようで、眞鍋様はじめ関係者にご迷惑をおかけしたことについて、心からお詫びいたします」と言うところだろう。これでわかったことは、城内実にはポピュリストとしての才能さえないということだ。
ここで思うのは、コイズミだったらどういう対応をしたかということだ。「芸人いろいろ、事務所もいろいろ」と言っただろうか? いや、そんなことはあるまい。動物的勘にすぐれたコイズミのここ一番でのとっさの行動には舌を巻いたものだ。直ちに眞鍋さんに謝罪し、世間には「本当は眞鍋さんの事務所が悪かったかもしれないのに、自分が泥をかぶった潔い行動だ」と評価されたのではないかと私は想像する。コイズミはポピュリストとしての才能に恵まれており、それを最大限に発揮して国民をあらぬ方向に引っ張ってしまったのが4年前の「郵政総選挙」だった。あれは本当にひどい選挙だったが、一つだけ良かったことがある。それは城内実の落選だ。
さて、7月29日から延々と城内実のことばかり書き続けてしまったが、もともと城内実支援者の「煽り」記事に反撃するために、国籍法改正をめぐる城内実の暴言を蒸し返して批判した記事を公開したら、その日に「ポスター事件」が起きたので、その流れで城内実を叩き続けた次第だ。城内支援者にとってはとんだ薮蛇だった。城内支援者の煽り記事は、私を始め3?5人のブロガーを、
と評しているが、皮肉にも城内実こそこの評に当てはまる人間であることを城内実自身の行動が証明した。ということは、城内実と私は「似た者同士」ということなのだろうか。ああやだやだ。支援者が嫌う有名ブログの書き手に似ていると言われても、ああそうですか、という程度だが、「城内実に似ている」と言われたのではたまったものではない。「ボクちゃんは正しいことを言っている! 従って皆はボクちゃんの言説に従うべきなんだ!」タイプの方のようです
さて、以上は前振りで、ようやく本論に入る。当ブログが延々と城内実を叩き続けている間も、政界は締まりのない動きを続けていた。何度も書くが、4年前の郵政総選挙を前にした同じ時期には、コイズミが次々と造反組への刺客を決定し、世間の注目を集めるとともに自民党の支持率がうなぎ昇りに昇っていった。選挙の4週間前というと、確か野田聖子の刺客に佐藤ゆかりが決まった頃で、「人気の高い私にだけは刺客を送ってこないだろう」という野田の期待に反して、コイズミはもっとも注目を引きそうな刺客を送ったのだった。たちまち「ゆかりたん」人気が沸騰し、野田はネット右翼の罵倒の標的になった。もっとも標的になる方にも問題があって、野田の自民党への執着はたいへんなものだった。
今回、麻生太郎首相はコイズミのような手は打っていない。打つ手がないのだろう。その代わり、読売新聞などの自民党応援紙に、財源論を大々的にアピールさせて、民主党の人気を落とすことによって相対的に自民党を浮上させようとしている。自民党がやっていることは、民主党のネガティブキャンペーンばかりで、これでは自民党の人気を浮揚させることはできまい。
一方、民主党応援団ともいえる朝日新聞はどうかというと、昨日(8月3日)の大阪本社版(朝夕刊統合版地域)一面トップの見出しは「自公4年 「改革後退」」だった(asahi.comでは「自公政権4年に「及第点」与えず 9団体が実績評価」という見出し)だった。要は、「郵政総選挙」以後の自公政権は「コイズミカイカク」を後退させた、次期政権は「カイカク」路線に戻れ、と言っているわけである。「経済極右」たる朝日新聞の面目躍如だ。
民主党は、そんな朝日新聞の応援も受けて、次々と政策を新自由主義寄りに修正しており、「やはり鳩山・岡田体制ではダメだなあ」と思わされる。毎日新聞だったかが、「民主党は左側の票を固めた自信から、右側を切り崩そうと政策を右傾化させている」と指摘していたが、「左側」は民主党の右傾化に黙っていてはいけないだろう。
しかし、自民党の政治家には現状は全く違って見えるようだ。落選が予想されている自民党の太田誠一(福岡3区)は、激励会でのあいさつの中で、選挙戦の苦戦は「極左マスコミのせい」と決めつけた。
http://www.asahi.com/politics/update/0803/SEB200908030052.html
リンクを張った朝日新聞の記事によると、太田は、
と発言した。そりゃ中には過激派崩れも新聞社にはいるかもしれないが、現状はむしろ新聞記者のサラリーマン根性が年々強くなり、権力に対する批判精神を失っているところに問題がある。だから読売新聞は財源論ばかりを叫んで民主党を攻撃するし、朝日新聞は民主党を新自由主義側に寄せようと懸命になっている。だが、そんなマスコミさえ太田の目には「極左」に映る。俺が選挙に落ちるのは、あいつらが悪いんだと人のせいにする。ここで連想するのはまたしても城内実で、城内は、俺は悪くない、ブログにあんなことを書いた眞鍋かをりや、使用許諾をしておきながら眞鍋本人を納得させられなかった眞鍋の事務所が悪いんだ、と思っているに違いない。「共産党にさえいられなくなった武装革命派を極左と呼ぶ。(極左の)セクトに入って暴れたためにマスコミしか採用されなかった人がマスコミの中枢にいるから、私が(3区で)戦っている人を一生懸命応援し、連動している」
何事も人のせいにするような人間に国政を任せられないことは言うまでもない。
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そのうち約4%に当たる8276件が、昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」へのアクセスだった。8276件のうち、月の最後の4日間だけで7809件を数えた。さらに、7月30日と31日の2日間だけで7202件に達した。いうまでもなく私はポスターの一件よりも、国籍法改正に絡んで城内のレイシスト的考え方を露呈した、城内の公式サイト内にあるブログ記事 "bakawashinanakyanaoranai" の方がずっと問題だと考えているから、これを取り上げた当ブログのエントリがアクセスされることは大いに歓迎している。
とはいえ、7月31日に突如この件に関する「ネット世論」(というより2ちゃんねるで大勢を占める論調)が180度変わったことに触れないわけにはいかない。この話題から早く離れろという読者の声もあるが、率先して城内実批判を行った当ブログとしては、今日のエントリだけはこの件から逃げるわけにはいかない。
実は、31日の夕方から昨日(2日)の夜まで出かけていて、土曜日(1日)早朝のタイムスタンプのある記事は出先で書いたものだ。これを書いた時点で私はデイリースポーツが、というよりYahoo!ニュースが「眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった」という見出しをつけていたとは知らなかった。だから、それまでと同じ流れで書いていたし、「仲介者」(実際には城内実の代理人的な働きをした)がFAXを通じて証言したとはいっても、それは城内実が当初からの主張していたことの裏づけにはなっているとはいっても、肝心の眞鍋かをりさんが写真の使用を認めないと言っていることに何の変わりもないのに、なぜ急にブログに対する風当たりが強くなったのかさっぱり理解できなかった。
この経緯をくどくど書くとまた記事が不必要に長くなるが、幸い、『玄倉川の岸辺』が、「勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏」と題した、簡潔かつ秀逸な論評のエントリを上げているので、是非ご参照いただきたい(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/722d7c3b9235013425b8c1b30eea2d3b
要は、つけた見出し一つで記事の印象は大きく変わり(もちろんデイリーの記事自体も片側の当事者から裏をとっていないひどい飛ばし記事だが)、それによって「2ちゃんねる」世論が右往左往したということだ。「はてな」世論は2ちゃんねると比較するとかなり冷静で、デイリースポーツの記事についた「はてなブックマーク」も賛否両論というよりはむしろ城内実に批判的なコメントの方が多い。
ところで、『玄倉川の岸辺』は、管理人さんが「小泉ファン」とのことで、普段は当ブログとは意見があまり合わず、接点も少ないのだが、ひところかなり接点があった時期がある。それは、昨年リベラル・左派系ブログの世界で話題になった「左のほうの水伝騒動」に関するもので、『玄倉川の岸辺』は、昨年1月19日付エントリ「左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する」を皮切りに、この騒動に鋭い批評を加えた。そして、昨年8月までは当ブログもこの件にはかなり深くかかわった。
なぜそのことを蒸し返すかというと、今回の事件で最初城内実が「無断使用はしていない」と主張し、ポスターの使用にこだわった姿勢を見せた時、城内は初期の対応(以後、「初動」と表現する)を誤ったな、まるで「水伝騒動」の時に最初に批判を受けたブログみたいだな、と思ったからだ。あの「水伝騒動」は、ごく最初の頃を除いて「疑似科学批判」の本筋を離れた争いになったのだが、批判を受けた側のブログが初動を誤らなければ、あのように多くのブログを巻き込んで騒動が泥沼化することもなかった。
今回の件も、正直言って城内実の気持ちも全くわからないではない。城内が「眞鍋さんの許可をもらっている」という連絡を受けていたことはほぼ確実であり、だからこそ「なんで今頃『無断使用』だなんて言い出すんだ」と思ったに違いない。しかし、そこで立ち止まって冷静沈着な行動ができるかどうかが、政治家としての資質の有無を決定する。傍から見ていると、眞鍋さんが自身のブランドになっているブログであそこまではっきり書く以上、城内はポスターを撤去せざるを得なくなることは火を見るより明らかであり、私はおそらく城内はいったん「調査中」というコメントを出した上で、眞鍋さんに謝意を表明してポスターを撤去するんだろうな、と予想していた。しかし城内は初動を誤り、結局仲介者の社長に泥をかぶらせる形での事態の収拾を図ったが、それを報じる側が「眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった」などという見出しをつけて煽った影響もあったためか、眞鍋さんの所属する事務所が態度を硬化させてしまい、選挙ポスターへの掲載許可などしていないと反論を受ける羽目になって今に至っている。最初に城内が適切に対処しておけばどうってことなかったのに、初動を誤ったばかりに話をこじらせてしまったのである。
「2ちゃんねる世論」に右往左往した人たちから、当ブログも「管理人はなに感情的になってるんだ」、「報道を鵜呑みにして城内氏を卑劣漢呼ばわりしたお前こそ卑劣だ」、「先走って城内実を批判したことを謝罪すべきだ」等々の批判を受けた。だが、眞鍋さんの所属する事務所が反論したことにより、(デイリースポーツの)報道を鵜呑みにして感情的に城内を擁護したのは彼らの方であることが明らかになった。面白いことに、「水伝騒動」で最初に批判を受けたブログも、この件に関するエントリを上げ、デイリースポーツの記事をそっくり引用した上で(要はデイリーの報道を鵜呑みにして)、さあ真相は明らかになったぞ、間違った時はちゃんと謝れよ、と嬉しそうに書いており、城内実やその後援者に援護射撃したつもりらしいが、逆に足を引っ張る羽目に陥っている。さらに面白いのは、当該エントリに「水伝騒動」の火に油を注いだコメンテーターがコメントしていることだ。まったく懲りない人たちであり、彼らは騒動からいったい何を学んだのだろうかと思ってしまう(この記事は「号外記事なので後で消します」とのことだから、誰か魚拓をとったほうが良いかもw。あほらしいから私はやりませんけど)。
城内実ポスター問題に戻ると、初動を誤った城内実がとった対応(実質的にはそう言って良いだろう)を見て私が思ったのは、「ああ、城内実というのはやっぱり権力者なんだなあ」ということだ。どういうわけか、リベラル・左派系ブログの一部およびその読者たちの間には、平沼赳夫や城内実は「反新自由主義」や「反自公」の闘士であるという誤解が広く見られるが、城内実は4年前にはコイズミ新自由主義政権における重臣だった安倍晋三の腹心であり、権力の中枢にいた人物である。それなのになぜ失脚したかというと、これは安倍晋三の完全な読み違いで、城内が勇ましく郵政民営化に反対した理由の一つは、安倍が城内を世に売り出すに当たってこの件を利用しようとしたからだと私は考えている。恐らく安倍には「俺の懐刀の城内実なら、少々の火遊びは大目に見てもらえる」という読みがあったのだろうが、コイズミはそんな甘い男ではなかった(筆者が『kojitakenの日記』に書いた記事「「信念を貫く男」城内実の過去の行動」を参照されたい)。
さて、デイリースポーツの「飛ばし記事」についた「はてなブックマーク」に、kmiuraさん(『kom's log』の管理人・三浦さん)が下記のコメントを書かれている。
kmiura 真鍋自身が事務所に確認済みって早々に書いているではないか。どちらが権力を持っているのか考えれば、この一日の間に圧力ないし工作があったと考えるのが妥当。/id:rna これは人格権というか選挙権の問題ではないか 2009/08/01
そう、この件を考察するに当たって、権力の所在の問題を見逃してはならないと思う。城内実には、芸能プロダクション(や、もしかしたらそれにつながっている勢力)を動かすことのできる権力がある。さすがは権勢を誇ったコイズミ政権の中枢近くにいた男だ。一方、眞鍋かをりさんには、大人気を誇るブログの訴求力はあるが、権力は何もない。これを考えると、『玄倉川の岸辺』が真鍋さんの行動を勇敢だとして賞賛しているのはよく理解でき、納得できる。だが、世間一般には権力者に弱く、流されやすい人が大半を占める。だから、デイリースポーツが「無断使用ではなかった」と書いたら、容易にその流れに乗りたがる。「寄らば大樹の陰」的な発想である。
まことに光栄なことに、上記の優れた論者である三浦さんから当ブログにコメントをいただいたので紹介したい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-963.html#comment6691
古寺多見さま
この件、とても自分の琴線に触れるなあ、となんとなく思っていたのですが、さきほどこれは選挙権の問題だと思い当りました。すなわち、眞鍋さん個人は選挙の自由がある。で眞鍋さんが私はあなたを支持しないと城内氏に明言している状況で、城内氏はあなたの事務所はOKだしたではないか、と城内さんが反論している。事務所はそのような許可はしていない、と言明したことがついさきほど判明しましたが、これはともかくそれ以前の城内さんの態度はすでに私の心をぶるぶるゆさぶりました。というのも、城内氏においては雇用関係が、議会制民主主義における選挙権に先行している、すなわち眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見なのです。この部分に腹が立っているのだ、と判明した瞬間に、なるほど、これに腹がたっていたんだ、と思いました(すなわち城内氏の内面化された部分の排外主義、選民主義につながった)。もしよかったら考察に加えてください。
おくればせながら、昨年、ベスト記事に選んでいただきありがとうございました。なによりの光栄です。
三浦
2009.08.02 08:26 kmiura
これまた鋭い指摘である。この件で眞鍋かをりさんを擁護し、城内実を批判しているブログは、前記『玄倉川の岸辺』や当ブログのほかにもいくつかあるが、共通しているのは、眞鍋さんがブログに書いた文面を重視し、いくら事務所が認めたといっても眞鍋さんは認めていないではないか、デイリースポーツの報道は眞鍋さんのブログと整合しないではないかなどとこだわっていることだ。ところが、デイリーの記事についた前述の「はてなブックマーク」を見ても、三浦さんが指摘する
を持った城内実の発想と類似するコメントが結構見られる。perfectspellさんと仰る方が、「雇用関係が、議会制民主主義における選挙権に先行している、すなわち眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見」
と、皮肉たっぷりに書いている通りである。そういえば、「水伝騒動」でも初期の頃、批判を受けたブログは周囲のお仲間のブロガーたちと「鉄の結束」を固めて対処に当たろうとしたが、幸か不幸かブロガーには城内実のような権力は持ち合わせていないので、そのもくろみはあえなく潰えてしまった。このあたり、リアルの政界と比較して、ネットの世界はより本来的な意味での新自由主義的な世界だといえる。アクセスカウンターのほか、ブログランキングだとかウェブ(ブログ)スカウターだとかブログ拍手だとかソーシャルブックマークの件数などなど、ありとあらゆる指標でブログは市場の評価にさらされるのである。それらの中でもっとも操作が容易なのはブログランキングであり、だからこそブログランキングの順位を吊り上げることに血道を上げるブログが多い。タレントの政治信条はタレント個人のものでなく事務所が所有してる と考えてる歯車多いな。
またまた話がそれてしまったが、三浦さんのコメントに話を戻すと、三浦さんは、「眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見」は、「城内氏の内面化された部分の排外主義、選民主義」につながるものであり、だからこそ三浦さんは城内実氏に腹が立ったのだ、と思い当たったとのことだ。
やっと本日のエントリの核心部分に行き着いた。三浦さんの指摘は、一見全く無関係に思われた「国政法改正」をめぐる城内実の醜悪な言説と、今回の城内実が眞鍋かをりさんの写真を選挙ポスターに無断使用したとされる事件との隠れた連関を発見した、実にすぐれた考察だと私は考える。このような示唆に富んだコメントをお寄せいただいた三浦さんに深く感謝する次第である。当ブログとしては、城内実のポスター問題をメインに据えたエントリは、本エントリをもって打ち止めにしたいと考えているが、騒動が変なもつれ方をした場合にはこの限りではない。
最後に、私が昨年のあらゆるブログ記事の中でナンバーワンに選んだ『kom's log』のエントリ「ボクタチの闘争」に再度リンクを張り、私からのせめてもの返礼としたいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081027#p1
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これまで「無断使用はしておらず、ポスターを撤去するつもりもない」と言ってきた城内実は、昨日(7月31日)の昼前になって、一転してポスターを撤去すると発表した。
http://www.m-kiuchi.com/2009/07/31/oshirase210731/
☆お知らせ☆ 眞鍋かをりさんポスター掲載について
2009-07-31 11:41 by 城内 実
昨日より、マスコミ各社で報道されている標記の件に関し、当後援会作成のポスターに起因して、眞鍋かをりさんがテレビ番組の出演を見合わせるなど芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めております。
その結果を重く受け止め、現在掲示中のポスターを早急に撤去する事といたしました。
また、城内みのるオフィシャルサイトに掲載中の眞鍋かをりさんとの対談動画も早急に削除いたします。
眞鍋かをりさんの、今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
(「城内実の「とことん信念」ブログ」 2009年7月31日)
産経新聞は、下記のように報じている。
この騒動の最中、31日になってポスター作成を仲介した業者の社長が経緯を説明するコメントを出した。その中で「今年6月ごろ、城内氏の後援会との間で2人のポスターを作成する話が持ち上がった。掲載許可と写真を入手し、城内氏の後援会側に掲載許可を取れた旨を伝えた。しかし、私からの説明不足で眞鍋さん側に正確な意図が伝わらず、今回の事態を招いた」と説明。「双方の関係者に多大な迷惑をかけたことを心よりおわび申し上げる」と謝罪した。
(産経新聞 2009年8月1日 2時51分)
産経新聞は、「騒動は一件落着した」などと書いているが、誰がこんな説明に納得できるだろうか。そもそも、この件において城内実と眞鍋かをりさんの利害は全く非対称で、眞鍋さんにとって城内のポスターに写るメリットは何もない。それどころか、今回のようにテレビ番組から干されたり、城内が極右政治家であるため、「眞鍋かをりって右翼だったのか」と誤解される恐れがあるなど、デメリットばかりだ。一方、城内にとっては宣伝効果が得られる。このように非対称な利害関係にある両者を仲介した「業者の社長」というのはニュートラルな人物ではあり得ず、明らかに城内の利害に沿って行動した人物である。だから、眞鍋かをりさんに謝罪すべきはこの社長ではなく城内実であるべきだ。だが城内は謝罪せず、それどころか自分もまた被害者であるかのように振る舞っている。城内の行動は許されない責任逃れである。もし城内が当選したあと不祥事を起こしたら、すべてを秘書の責任に押しつけて逃げようとするに違いない。
この件を取り上げた他のブログを見てみると、「城内先生」は、郵政民営化に反対するなどまともな政治家だと思っていたのに少し残念な気がする、などと書かれたコメントがあった。おそらく、最近の「反自公(政権交代)ブログ」のトレンドに騙されて、城内実が、信者たちの言うところの「三種の神器」(小沢一郎、鳩山由紀夫、植草一秀各氏)に準じる「正義の味方」であるかのように思い込んでいたのであろう。一貫して城内実を批判する立場に立っている当ブログには、右側からの城内擁護のコメントはたまに来るものの、左側で城内に騙された読者からのコメントがくることはないが、これまで騙されて城内実にシンパシーを抱いてきた「リベラル・市民派」の読者がもしおられるなら、今回の一件を機に城内実という男の正体を直視してほしいと思う。
もちろん、静岡7区の有権者の方々には、城内実なんかを国政の場に送り出さないよう、強くお願いしたい。
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