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きまぐれな日々

27日に行われた自民党の麻生太郎総裁と民主党の鳩山由紀夫代表との間で行われた党首討論は、たいした内容のものではなかったが、どういうわけか新聞各社はこの党首討論を持ち上げていたようだ。昨日(28日)のテレビ朝日「やじうまプラス」で、朝日、毎日、日経の三紙が社説で毎週でも党首討論をやれと書いたと紹介していたが、それを見ながら、自民党と民主党だけで良いのかと思った。コメンテーターの中でただ一人それに触れたのが江川紹子で、公明党と共産党で党首討論をやっても良いのではないかと言っていた。

公明党と共産党の討論だったら、激しい討論になるかもしれないが、民主党が言っている衆議院の比例区定数80削減だとか、自民党が言っている国会議員定数の3割削減などには、両党とも「断じて反対」で一致するだろう。

民主党の「比例区80削減」は、2007年の参院選向けマニフェストにも盛り込まれた前々からの主張とのことだが、15年経って誤りが明らかになってきた「政治改革」の路線を無批判に継承するものである。誤りを正そうとする努力をしない民主党からは、やはりこのところ私が懸念しているように、百家争鳴の党風が失われてきているのだろうか。党内で路線転換の議論すらなされないようでは、民主党の前途は明るいものとはいえない。そもそも、このところの衆参の選挙で、選挙区ではまだまだ自民党が強いが、比例区では民主党に強みがある。その強みを自ら削ごうとは、民主党はいったい何を考えているのか。

自民党の「国会議員定数の3割削減」に至っては論外で、現在の衆参両院の合計定数722人を、約10年かけて200?300人程度減らすこの案は、憲法を改正して衆参両院を統合することを念頭に置いている。与野党が逆転している参議院が邪魔だから、なくしてしまえというのが自民党の本音なのだ。

このように、どんどん過激さを増す自民・民主の国会議員定数削減「カイカク」競争だが、私は多様な民意を議会に反映させるためには、二院制の堅持はもちろん必要だし、議員定数を削減する必要は全くないと考える。改革をやるなら、議員報酬を大幅に引き下げれば良いだけの話だ。自民党は両院の「ねじれ」を問題にするが、一昨年の参院選直前に、時の首相だった安倍晋三は何をやったか。民意を無視した強行採決の連発だった。その安倍が総裁を務めていた時に自民党が惨敗したのは、自公政府の暴走を止めよという民意の反映だったのである。

それにしても、党首討論を持ち上げる朝日・毎日・日経の翼賛新聞にも困ったものだ。毎日新聞はこれまで比較的頑張ってきたが、このところひどい記事が目立つようになった。三沢耕平という記者が書いた「御手洗経団連会長:難題次々「悲運の財界総理」 最終年へ」という記事など、とんでもない経団連ヨイショ記事で、むかっ腹を立てずに読むことは不可能だ。ともに世襲のボンボンである安倍晋三と御手洗冨士夫(キヤノン創業者は叔父の御手洗毅)が、2006年当時既に時代遅れになっていたレーガノミクスというか狂った新自由主義政策の推進に邁進し、自滅しただけの話なのに、それを御手洗や経団連、安倍らからの「目線」で「悲運」などと書くとは、日経、朝日に続いて毎日新聞も「経団連の広報紙」の仲間入りをしたいのだろうか。

こんな新聞が持ち上げる「党首討論」。多様な民意を汲み上げるどころか、世襲の政財界人による日本の支配を強化するつもりなのか、と思ってしまう。政治を国民の手に取り戻さなければならない。


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千葉県の森田健作知事が27日の記者会見で、3月の知事選に際し宗教法人「幸福の科学」(東京、大川隆法総裁)から支援を受けていたことを明らかにしたと報じられた(下記URL)。
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052701000665.html

「幸福の科学」が写真週刊誌「フライデー」の記事について講談社へ抗議活動を行い、マスコミが大々的に取り上げたのは、1991年のことである。もう20年近くにもなるから、若い方はご存じないかもしれない。当時「幸福の科学」の広告塔になっていたのは、故景山民夫や女優の小川知子らであるが、小川は女優としてのイメージを大きく落としてしまい、景山民夫は数年後自宅の火事で焼死した。景山の葬儀は「幸福の科学」が取り仕切ったが、葬儀委員長が右翼文化人の小室直樹だったところがきな臭さを感じさせる。

90年代の新興宗教の話題というと、「幸福の科学」が騒ぎになった翌1992年、元新体操の五輪選手だった山崎浩子が統一協会(統一教会)の合同結婚式に参加し、女優の桜田淳子も合同結婚式に参加することを表明したことによって、統一協会の正体が国民に広く知られるようになったことも思い出させる。私はそれ以前の学生時代に、統一協会の下部組織である原理研究会のしつこい勧誘に辟易したものだ。多くの大学で学生自治会の主導権を握っていた共産党系の民青(日本民主青年同盟)が配っていた、原研に注意を呼びかけるビラに従って、普通の学生は彼らには近づかなかったが、そうして原研が学生には敬遠されているのに、日本で長年政治を支配している自民党が統一協会とべったり癒着していることを知った私は、それ以前から持っていた自民党に対する不信をさらに深めたものである。3年前、安倍晋三が統一協会系の大会に祝電を送った一件は、繰り返し書くように私が「政治ブログ」の世界に足を踏み入れるきっかけになったが、その1年前の2005年には、民主党の鳩山由紀夫(現代表)が、統一協会の『救国救世全国総決起大会』に民主党のメンバー十数人を連れて出席していたことが「週刊ポスト」に報じられた(2005年4月22日号)。いまや、自民党も民主党も統一協会とべったり、というのが現実である。

とはいえ、「幸福の科学」や統一協会といったカルト宗教は、民主党以上に自民党とのつながりが深い。3月の千葉県知事選で当選した森田健作が「幸福の科学」から支援を受けていた件を知ったのはいつだったか、もはや記憶が定かではないが、昨日今日ではなくだいぶ前なのは確かで、もしかしたら選挙戦の終盤あたりだったかもしれない。

「政治ブログ」の読者なら誰でも知っていた森田健作の「偽装完全無所属」が、マスコミは投票日以前には全然報じず、選挙後に千葉県民が「騙された」と怒っているとの報道を見た私は、「本当に森田が『完全無所属』だと思って投票してたのか」と驚いた次第だが、当ブログが千葉県知事選で失敗したと思ったのは、当初民主党の推薦を得られるはずが党執行部(おそらくは小沢一郎)の意向で推薦を取り消された過激な新自由主義者・白石真澄ばかりに目が行って、森田健作はノーマークだったことだ。選挙戦が中盤にさしかかり、マスコミの選挙予想が出る直前に、某所で、この選挙はもともと森田健作が本命だと教えられた。そうと知っていたら、森田健作批判を早くからやるところだったのにと悔やんだものだ。もちろん、ミニコミ程度のブログの発信では影響力はたかが知れているが、NHKの職員が視聴者の問い合わせに対して、昨年秋の自民党総裁選を「自民党のコマーシャル」だと放言した件は、ブログの連鎖反応によって広く知られるところになったし、当ブログもそれに一役買った。個々のブログの影響力は限定的であっても、玉突き式に連鎖反応を起こすことによって、無視できない力を発揮することもあるのだ。

森田健作の当選で何を勘違いしたのか、「幸福の科学」は次の総選挙で候補を立てるそうで、昨日(27日)、17人の一次公認候補を発表した(下記URL)。
http://www.zakzak.co.jp/gei/200905/g2009052715_all.html

「夕刊フジ」に面白おかしく取り上げられるくらいがせいぜいのニュースではあるが、

麻生太郎首相の福岡8区には『金田一少年の事件簿』などで知られる女性漫画家、さとうふみや氏(43)が公認され、さながら漫画対決の様相に。

などと書かれている。私は、今でもたまに漫画を読むが、少年漫画はさすがに20年前に卒業したので、さとう氏の有名な漫画『金田一少年の事件簿』も全く読んだことがなく、「幸福の科学」の信者であることも知らなかったが、ファンの間では有名な話だったらしい。

得票は、参院選で「維新政党・新風」が獲得したのと同程度にとどまるだろうから、「自民党の票を食ってくれるかも」などとあまり期待しない方が良いのではないか。かえって、野党に行くはずの浮動票を食うかも? ま、影響は無視できるほど小さい、というのが本当のところだろう。


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一昨日のエントリ「クルーグマン教授の政策採点 & 経団連が日本を滅ぼす」は、ノーベル賞経済学者の名前をタイトルに用いたためか、多くのアクセスをいただいた。

このエントリの後半では、環境・エネルギー問題を取り上げた。温室ガス削減の2020年までの中期目標を、「4%増」としたいとする経団連を批判したが、これ以上の努力を強いるのでは企業は悲鳴を上げるとのコメントもいただいた。

だが、これは企業だけの問題ではなく、政官業の三者すべての問題である。24日のTBSテレビ「サンデーモーニング」をご覧になった方も多いと思うが、環境エネルギー研究所所長の飯田哲也氏は、1992年のリオ・サミットで「2000年までに温室効果ガス安定化」という約束をしておきながら、バブル崩壊にもかかわらず、無策のまま石炭火力を増設し、1990年以降二酸化炭素の排出量を減らすどころか急増させてきたことを批判していた。今になって、いけしゃあしゃあと「4%増」などと言い出す経団連の言い分は、国際的には全く通用しないが、それは政治家や官僚にも大きな責任があり、これぞ政官業癒着の弊害ともいえるものだ。

中期目標の「4%増」を主張しているのは、政官業の三者ばかりではない。全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)をはじめとする7つの労組も、経団連に歩調を合わせている。これは、24日の「サンデープロジェクト」で民主党の岡田克也幹事長も認めていた通りである。電力総連は民主党への影響力が強いので、民主党も自民党同様、グリーンニューディール政策推進の「抵抗勢力」になっている。よく、「悪徳ペンタゴン」という言い方をする人がいるが、これに大企業の労組を加えて「悪徳ヘキサゴン」というべきではなかろうか? ブログでも、無批判に「自民党=悪、民主党=善」としているかのような言説が目立つが、政治はそんな単純なものではない。幸い、岡田幹事長は労組の抵抗があっても温室ガス削減政策に前向きな姿勢を崩さないことを明言していた。

積極的といえば、斉藤鉄夫環境相も温室ガス削減に熱心で、NHKや朝日新聞のインタビューに応じて、自らの姿勢をアピールしている。朝日のインタビューでは、「中期目標で15?25%削減」という意欲的な目標を打ち出す構えで、これは、「サンデーモーニング」で寺島実郎氏が支持するとしていた「7%削減」または「8%?17%削減」よりさらに踏み込んだ数字だ。ウェブ版には出ていないが、26日付の朝日新聞紙面には、公明党議員である斉藤環境相は公明党の独自色を打ち出したいが、総選挙に企業の支援を必要とする同党の太田代表は、必ずしもそこまで積極的ではなく、公明党にも産業界の包囲網が形成されつつあることが報じられていた。強すぎる経団連の政治支配からいかに脱出するかが、今後の日本政治の課題だ。

「広島瀬戸内新聞ニュース」のエントリ「「政治介入」という「麻薬」に手を染め、後れを取る日本経済界」は、環境省のグリーンニューディール政策も、中身は原発推進だと批判している。北欧では1970年代からなされていた原発推進の是非に関する議論が、日本では今に至るも行われてこなかった。昨年5月に書かれた、飯田哲也氏の「「環境ディスコース」の欠落――なぜ日本は環境政策でいつも迷走し後追いするのか」と題した論考から以下に引用する。

■日本の忘れ物

 環境ディスコースを構築することなく、その都度、「落としどころ」でドロ縄的対応をしてきた日本の環境エネルギー政策には、少なくとも3つの重要な「忘れ物」がある。それが今日でも、気候変動対策の足を引っぱっているのである。

 ひとつは、言うまでもなく原子力だ。北欧では1970年代、ドイツでも1980年代に乗り越えてきた原子力論争を、日本は「国策」の名の下に避けて通り、未だに消化していない。じつは米国や英国も十分に消化してきたとは言い難いが、少なくとも経済合理性からの議論は経ているのに対して、日本はそれも避けてきた。そのため、今やその反動で、ナイーブな原子力復古主義が幅を利かしている。

 第2に、電力市場改革だ。これは、「落としどころ」どころか、電力会社対経済産業省の総力戦となり、最終的には「日本型電力自由化」、すなわち見せかけだけの「自由化」で事実上の現状維持となった。本来であれば、環境エネルギー政策としての共通意味世界を構築するべき言論が、経済学の一分野(公益事業の規制緩和)に矮小化され、さらには組織間バトルへと堕ちてしまった。

 第3に、環境税だ。税自体が日本では密教中の密教である上に、多省庁かつ多くのステークホルダーにまたがるため、これまでほとんどまともな政策論議の場が与えられず、「アジェンダに乗るかどうか」が唯一の争点だったのではないか。

(「「環境ディスコース」の欠落――なぜ日本は環境政策でいつも迷走し後追いするのか」(日経エコロミー, 2008年5月22日付)より)


環境・エネルギー政策の推進は、政治主導でなければ進まない。財界や官僚と比べて、政治家の能力が著しく劣る日本にとっては、不得意な分野だと言わざるを得ない。せっかくの技術的なポテンシャルを持ちながら、それを政治が活かすことができていないのが最大の問題である。政治家の中には「官僚支配の打破」を訴える人が多いが、官僚や財界、労組などをコントロールできずにいいなりになる政治家の能力不足こそ解決しなければならない最たるものだと私は思う。経済や社会だけではなく、政治も今後混迷を続けるだろうが、その中で、国民のための政治を推進する能力を持った政治家を選んで育てていくのが、日本国民に課せられた課題である。


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民主党の鳩山由紀夫代表が、かねてからの持論である衆議院の比例区定数削減をきたる衆院選における民主党のマニフェストに盛り込む意向を示しているが、とんでもない話である。

私はもともと1990年代の「政治改革」を冷ややかに見ていた人間であり、「小選挙区制にすれば金のかからない政治が実現できる」とか、「二大政党制が実現できる」などというたわごとは、当時も今も「何を馬鹿なことを言ってるんだ」としか思っていない。

そもそも、中選挙区制のままであれば、菅直人が民主党、小沢一郎が自由党をそれぞれ率いていた時代に既に、民主党と自由党の議席を足せば自民党を上回る選挙結果になったはずだと試算した人がいたはずだ。小選挙区制は、第一党に圧倒的に有利な選挙制度であり、それを最大限に活かしたのが2005年の「郵政総選挙」におけるコイズミだったが、コイズミ自身は小選挙区制を含む「政治改革」には反対していた。政治改革を推進していたのは、小沢一郎をはじめ、現在民主党にいる面々である。これに関しては、鳩山由紀夫も岡田克也も菅直人も全員同罪であり、岡田克也は今回、参議院の定数削減まで言い出したし、菅直人もかつて単純小選挙区制を主張したことがある。

小選挙区制にしたところで、政治に金がかからなくなどなりはしなかった。ようやく民主党が「3年後」の企業・団体献金全面禁止を打ち出したが、政治改革の議論の頃からもう15年以上経ってもこのざまだ。また、小選挙区制の大きな欠点の一つとして、党執行部の権限が強まりすぎて、たとえ国会議員であっても党員が執行部に頭が上がらなくなったことが挙げられる。かつては「分裂選挙」で分裂した両方の候補が中選挙区制で当選することもあったが、現在では党の公認を得られるかどうかが候補者の死命を制する状態で、これを悪用したのが「郵政総選挙」で「刺客戦法」を仕掛けたコイズミだった。この悪夢のような総選挙以降、自民党議員は次の選挙で「刺客」を送られてはたまらないとばかり、コイズミに頭が上がらなくなったばかりか、以後の総裁選で、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と、「総裁選に当選しそうな候補」に一斉になびくという情けない姿をさらした。

いや、自民党ばかりではない。民主党でも、昨年の代表選が小沢一郎の無投票当選になったのは、議員たちが執行部を恐れたからにほかならないし、今月16日に行われた代表選でも、「小沢チルドレン」とも呼ばれる一昨年当選の参議院議員らを中心に、優勢と見られた鳩山由紀夫になだれを打つ現象が見られた。

このように、百害あって一利のない現行の小選挙区中心の選挙制度は、一刻も早く比例代表制を中心にした制度に改められるべきであって、当ブログは以前からずっと、小選挙区比例代表併用制(現行の制度は小選挙区比例代表並立制)にすべきだと主張し続けているのだが、自民党や民主党の面々はそれに逆行して比例区の定数削減の先鋭さを競い合うありさまだ。今回も、自民党の「50減」に対抗して、民主党はもっと過激な「80減」を言い出した。そもそも、90年代の「政治改革」の頃、小選挙区と比例区の定数を250ずつの半々とする制度になるはずだったのが、土井たか子による斡旋を社会党がのんで、小選挙区300、比例区200の案で制度がスタートした。それが、比例区180に減らされ、さらにそれが一気に80も減ると、限りなく単純小選挙区制に近くなる。これでは、社民党や共産党の議席はほとんどなくなってしまう。「多様な民意を汲み上げる」ことに真っ向から反する、とんでもない選挙制度改悪であり、その裏には一日も早く改憲を行いたいとの思惑が見え隠れする。

私は以前から選挙区と比例区の投票先を分ける「戦略的投票」を行っているが、民主党が比例区削減を選挙公約に盛り込もうとしていることは見過ごせない。読者の皆さまにも、仮に選挙区は自公政権を倒すために民主党候補に入れるとしても、比例区の投票先は他の政党(保守なら国民新党か新党日本、左派なら社民党か共産党)への投票を検討されることを、強くおすすめしたい。


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朝日新聞に、ノーベル賞経済学者で米プリンストン大のポール・クルーグマン教授と与謝野財務・金融・経済財政相が対談し、クルーグマン氏は定額給付金の支給について「0点だ」と指摘するなど、日本政府の景気対策に辛口の評価もしたと報じられている。0点とした理由は、給付金はほとんどが貯蓄に回ってしまって使われないからで、ブッシュ政権末期にアメリカが同じ誤りを犯したのにそれを見ていなかったのかと、批判は痛烈だった。

記事にもあるように、これは、昨日(24日)、フジテレビの「新・報道2001」が昨日放送したもので、クルーグマン氏は日本政府に積極財政を求めた。マスメディアが好意的な自民党の与謝野馨や民主党の岡田克也は、ともに緊縮財政指向であり、マスコミは積極財政策にすぐ「バラマキ」のレッテルを張るが、そうやって誤りを繰り返してきたのが90年代以降の日本だった。

クルーグマン氏の評価で面白いと思ったのは、自公政府が実施した高速道路の値下げは「40点」で、なぜかというと交通渋滞という副作用を招くからで、高速道路の料金はむしろ値上げすべきだと言っていた。これでいうと、民主党の高速道路無料化はさらに評価が下がるはずだが、これには異論がある。民主党によると、高速道路の無料化により、一般道の交通量の一部が高速道路に移行すれば渋滞が解消・緩和されることから、二酸化炭素の発生が抑制できるばかりか、2兆7千億円の経済効果も生まれるとのことだ。民主党の馬淵澄夫議員によると、国土交通省もこれを裏付ける資料を持っており、国交省は同省所管の財団法人「計量計画研究所」の試算では、高速道路無料化の経済効果は、馬淵議員の試算をはるかに上回る7兆8千億円に達するが、国交省は報告書から、高速道路無料化の試算結果の部分を隠蔽して結果を公表しなかったとのことである(下記URL参照)。
http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009030630_all.html

国交省がどこを向いて仕事をしているかがよくわかる話だ。なお、私自身は自民党も民主党も、道路より年々やせ細っている公共交通網の復活に力を入れてほしいと思う。中国・四国などの地方では、公共交通機関、特に路線バスの衰退は目を覆うひどさで、お年寄りや障碍者の方が年々暮らしにくくなっている。バス会社は、かつては利益の出ない路線バスを、観光バスの利益などで補う経営をしていたが、規制緩和によって誰でも観光バスを走らせることができるようになったためにバスツアーの値段が下がり、これがバス会社の経営を圧迫して、路線バスが次々と廃止に追い込まれたのである。これは、新自由主義の柱である規制緩和が、バスツアーを利用する都会人に恩恵をもたらす一方、地方の住民を苦しめた悪例の一つである。民主党が新自由主義に反対する姿勢をとるのであれば、公共交通網の復活に力を入れなければならないと当ブログは考える。

話をクルーグマン教授に戻すと、朝日新聞は、

省エネ家電への買い替えを優遇するエコポイント制度に対しては「評価は保留。現時点でポイントが何に使えるかわからないのに、ポイントが与えられる理由がよくわからない」とした。

と書いているが、テレビを見た限り、クルーグマン氏はエコポイント制度に「これは面白い」と肯定的な反応を示したが、現時点でポイントが何に使えるかわからない、つまり決めたことをすぐ実行していないことを批判していた。

クルーグマン氏から離れて、前のエントリでも取り上げた環境・エネルギー政策に話を移すと、経団連がまたやってくれた。

経団連の三村明夫副会長(新日本製鉄会長)は22日、東京都内で講演し、1990年を基準年に二酸化炭素排出量の削減を目指すことを決めた京都議定書を「外交上の失敗だ」と批判し、政府が6月に決める中期目標は、慎重に検討すべきだとの考えを示したのである(下記URLの毎日新聞記事参照)。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090523k0000m020100000c.html

中期目標を巡っては、経団連が12日、政府が示した「1990年比4%増」から「25%減」の6案のうち、最も緩い「4%増」の支持を表明。これに対し斉藤鉄夫環境相が「世界の笑いものになり、国際社会での地位をおとしめる」と批判したが、日本鉄鋼連盟の進藤孝生環境・エネルギー政策委員長(新日鉄副社長)は22日の会見で、「たとえ世界の笑いものになろうが、国民に過剰な負担にならないように国益を主張するのが行政責任者の役割だ」と反論したとのことである(前記毎日新聞記事による)。

こんなニュースに接すると、つくづく「経団連が日本を滅ぼす」と思ってしまう。昨日のTBSテレビ「サンデーモーニング」やテレビ朝日「サンデープロジェクト」でも、この中期目標が話題になっていたが、自社の不利益になることは何もしたくないという経団連傘下の企業や、その意を受けた経産省、それに彼らの言いなりになる麻生太郎首相以下の政治家の「政官業」三者が、日本を環境エネルギー問題の後進国にしてしまっている。

国民の意識も低く、当ブログを見にくるような、比較的政府に批判的と思われる人たちの間にも、「地球温暖化陰謀論」がまかり通っていたり、陰謀論に感化されていなくとも、「電力会社は現状の発電量で十分対応できており、新たな電気などいらない」などという論外なコメントを寄せてくる人(環境や資源の問題を全く考えていない)などがいる。地球温暖化陰謀論は、一部左派ブログに蔓延しているほか、新自由主義者の池田信夫も信奉しており、陰謀論の旗振り役をつとめている某ブログを見ると、「マスゴミ」というお決まりの物言いをしているほか、池田信夫のブログにリンクを張っていたりする(笑)。とんだ「左右共闘」である。

金子勝などは、この問題が話題になるたびに、再生可能エネルギー(新エネルギーまたはーとも自然エネルギーとも呼ぶ)は、地球温暖化対策と、新規雇用創出という二つの側面があり、是非とも力を入れなければならないと、口を酸っぱくして力説しているが、こうしたまともな議論が展開されているのはもっぱらマスメディアにおいてであり、ネットでは「グリーンニューディール」というと「原子力のPR」かと勘違いしてしまう人も出るほど、デタラメな議論ばかりがまかり通っているのが現実だ。ネットばかり見ていると、まともな認識は得られないと、ここに強調しておく。


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NHKの報道が政府・自民党寄りだとはよく言われることだが、やれ自民党だ、やれ民主党だという件に関しては、立場によって感じ方も違うだろうから、本当にNHKがどこまで自民党寄りなのか、私には判断がつきかねる。週末に各局が放送している番組を見る限り、もっとも自民党寄りに偏向しているのは、全国ネットの辛坊治郎の番組と、首都圏を除く全国の大部分をネットしているやしきたかじんの番組を制作している大阪の読売テレビで、次いで田原総一朗が政治番組を仕切っているテレビ朝日だと私は思う。

しかし、政策の各論になると、NHKは露骨に政府寄りの報道を行う。再生可能エネルギーをめぐる報道も、その最たるものである。

つい先日も、経済産業省が導入を決めた固定価格電力買い取り制度(フィードイン・タリフ、略称FIT)について、消費者やエネルギー産業側の否定的な見解を、朝7時のニュースで伝えていた。それを視聴して、ああ、こういうのがNHKの政府寄りの報道なんだなと思った。

よく知られているように、日本は、太陽光発電の設置量が長らく世界一にあったが、2004年、FITをいちはやく導入したドイツに抜かれ、それにもかかわらずコイズミが太陽光発電への補助金を打ち切った愚策を行ったこともあって、2008年には世界6位に落ちた。

そこで、経済産業省が重い腰を上げ、2月24日に二階俊博経産相が「日本版FIT」の導入を発表し、NHKを含むマスコミもこれを好意的に報道した。しかしその後、相変わらずの経産省の消極さが明らかになってきた。

週刊「エコノミスト」の5月26日号に、「環境先進国の嘘」という特集が組まれている。これに掲載されている岡田幹治氏や飯田哲也氏の記事を読むと、危機感を感じずにはいられなくなる。日本版FITでは、買い取り対象が家庭・公共施設での太陽光発電量のうち自家消費を除く余剰分だけで、事業目的は除外されているし、風力発電等、太陽光発電以外の再生可能エネルギーは適用除外になっている。しかも、買い取り条件は経産相が決めるとされ、事実上経産省に白紙委任されている。いうまでもなく、経産省は日本経団連と表裏一体だから、電力会社や鉄鋼会社などにとって不都合な政策が積極的にとられるはずがない。飯田哲也氏によると、経産省には、「原子力があれば新エネルギーは不要」と公言する官僚もいるとのことで、彼らに一任していては「日本版グリーンニューディール政策」が前向きに進むはずがない。

しかし、曲がりなりにも温暖化対策に前向きに取り組もうとした福田康夫前首相とは異なり、麻生太郎首相には環境・エネルギー政策に真剣に取り組むつもりは全くなく、岡田幹治氏によると、グリーンニューディール政策に最初に動いたのは環境省で、斉藤鉄夫環境相が麻生首相に日本版グリーンニューディールの素案を説明した(注)が、麻生首相は「環境省だけで考えるから、シャビー(みすぼらしい)なものになった」と言って、他省とともにまとめ直しを指示した。そこで経産省が機敏に動き、政策を骨抜きにしてしまったというわけだ。

FITは、かつて2000年頃に、超党派の議連による「自然エネルギー促進法案」が国会上程・成立の一歩手前まで進みながら、経産省と電力会社の強い抵抗によって立ち消えになった経緯がある。以後、経産省内ではFITが禁句になったのだそうで、それほど官僚にとってエネルギー政策の主導権が政治主導で行われることを何としても阻止したいのである。そして、その官僚の思惑通りに動いたのが麻生太郎だった。官僚支配の政治の弊害は、こういうところにある。グリーンニューディール政策の促進は、新たな雇用の促進にもつながるとされ、世界的に注目されているのだが、官僚に支配された自民党政権は、まるで日本が世界から取り残されても、政官業癒着構造を守りたいかのようだ。

1970年代にアメリカでマスキー法という厳しい排ガス規制が提案された時、日本の自動車メーカーは懸命の努力をして燃費の良い車を生み、それが現在の国際競争力につながったが、マスキー法を葬ったアメリカのビッグスリーは経営危機にあえぐことになった。現在、日本の政治を実質的に支配しているのは経団連だが、彼らは政権が自らの思いのままに動かせるのをいいことに、かつて70年代に日本の自動車産業が見せたような企業家精神を発揮しなくなってきている。かつてのビッグスリーの姿が、現在の経団連傘下の企業の姿であり、日本の斜陽を感じずにはいられない。

よく、政権交代したって何が良くなるんだ、民主党なんて自民党と同じではないかと言われるが、民主党にも電力総連や電機労連の縛りがあるとはいえ、エネルギー政策に関してはFITにも前向きで、自民党と比較すればかなり先進的だと思う。官僚支配の政治を打ち破ると、このところ民主党はそればかり言っているから、当然エネルギー政策も政治主導で進めようという意気込みは持っているのだろう。もちろん、官僚や経団連は、政権交代が起きたら起きたで、民主党を取り込んで新たな政官業癒着構造を形成しようとはするだろうが、全部が全部彼らの思い通りにはならないだろう。それだけでも、政権交代を起こす意味は十分あると私は考える。

自民党と同じところもあるが、違うところもあるという鵺(ぬえ)のような民主党だが、それをどのような性格の政党にするかは、国民にかかっていると思う。

(注)
『広島瀬戸内新聞ニュース』からいただいたTBによると、

「グリーンニューディール」を環境省が提案しているということですが、中身的にはやはり原発推進で、あまり、好ましくないと思います。

緑の経済と社会の変革
http://www.env.go.jp/guide/info/gnd/

それさえ骨抜きにしてしまったのが、官僚と自民党、経済界です。

とのことです。


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何の因果か、平日はほぼ毎日政治のことをブログに書く日々が続いているが、もちろん未来永劫続けるつもりはない。しかし当面は続ける。今黙るわけにはいかない、そんな思いが強い。

いつしか、エントリ数は900件に迫っている。アクセス数は、決して直線的には伸びていかず、政局になるたびに増え、それが一段落したりマンネリ化したりするたびに徐々に減りを繰り返し、ちょうど山道を稜線に沿って縦走しながら徐々に高度を上げていくような具合だ。

でも、時々政治のことを書くのがいやになることがある。一昨年秋の大連立騒動の時がそうだった。西松事件以降の今回はまた少し違う。ネット言論の世界にもファシズムの波が押し寄せてきているのを感じるのである。

西松事件の直前には、麻生内閣の支持率が日本テレビの調査で1桁に落ち込み、政権交代間近のムードが高まった。西松事件が起きると、一転して民主党と小沢一郎の支持率が下がった。

政治と金の問題については、政治に金がかかるのは事実だが、一部の小沢一郎支持者は、企業・団体献金をもらって何が悪い、と開き直った。その途端、小沢一郎自身が企業・団体献金の全面禁止を打ち出した。企業献金は、見返りがあれば贈収賄になるし、見返りのない献金なら企業に対する背任になる。だからこれは禁止すべきだとは、あの自民党べったりの電波芸者・三宅久之だって主張していることなのだ。ところが、小沢が全面禁止を言い出す前の小沢支持者は、それまでの主張をなかったことにするかのように企業献金を正当化した。ご都合主義もいいところである。

現在でも、岡田克也は企業・団体献金を禁止はするけれど猶予期間を設けたいという意向で、それよりも世襲制限に力を入れる方向性を示したが、小沢一郎の意中の後任候補であった鳩山由紀夫は、この点で岡田克也との違いを際立たせることをしなかった。だから、この点で両氏に大きな違いを見出すことはできない。

岡田氏で一番まずいと思ったのは、消費税増税に積極的な姿勢を見せたことだった。この点では、今後4年間は消費税増税の議論もする必要がないと言った鳩山氏の方に、議論の分があった。

しかし、いずれにしても、鳩山由紀夫と岡田克也に決定的な違いがあったわけではない。ところが、同じ民主党支持者であっても、このところ急激にアクセス数を伸ばしていたあるブログが、ある時新進党を解党した当時の小沢一郎を批判し、岡田克也支持を明確に打ち出したところ、突如として罵詈雑言を浴びるようになり、その後代表選で鳩山由紀夫と岡田克也の対決になったこともあって、コメント欄で「自公の工作員」呼ばわりされるに至るという例を見てしまった。鳩山由紀夫と岡田克也の違いは、私の見るところ、前者が小沢一郎の意中の後継者であり、後者はそうではないというだけのものだ。両者とも党内の保守派であり、私はどちらも支持しないが、世襲の鳩山由紀夫よりは非世襲の岡田克也をとるというスタンスだった。

だから、岡田克也支持者が「自公の工作員」だなどとはお笑い種で、ブログを始める前から掲示板で罵倒合戦に慣れっこになっていた私などは、別段そんなことを言われたくらいで「またか」という感じなのだが、岡田克也支持のブロガーの方には「ブログ論壇」の異常さがショックだったようだ。攻撃側には、岡田支持ブロガーを「嘘つき」呼ばわりしたブログまで現れる始末だから、無理もないかもしれない。私は、『きっこの日記』までもが鳩山由紀夫を反自民、岡田克也を親自民と言い出した時、この流れを止めなければならないと思うようになった。

ここで、ネットの議論とはそんなものと言ってしまったら身も蓋もない。熱心な小沢一郎支持者たちが、小沢から距離を持った言説を叩く過程で、小沢一郎の指示があったなどとは決して誰も思わないだろう。むしろ、小沢一郎自身は反米を掲げた人たち(その実態は反米左翼と排外主義極右の野合である)に担ぎ上げられていることなど知らないか、知っていても相手にしていないのではないか。今、ブログで小沢一郎擁護論をぶっているリーダー的な人が、民主党政権のブレーンになるかというと、絶対にそんなことはあり得ない。例えば経済政策だったら、榊原英資氏あたりが中心的なブレーンになるだろう。榊原氏は、やや新自由主義寄りのリベラルであり、もちろん反米などではない。

現在ネットで小沢一郎や鳩山由紀夫支持の中心になっている勢力は、いわば草の根から盛り上がっていったものだが、その過程でありがちな排他性を身につけ、まず共産党を自公の補完勢力であるとして排除し、次いで民主党でも岡田克也を小沢一郎に批判的な前原誠司らに支持されていることを理由に、また菅直人を小沢一郎に辞任勧告を突きつけたといわれていることを理由に、それぞれ批判の対象とした。自らは「反自公が分裂していてどうする」と言いながら、岡田克也支持のブロガーに「ブログ論壇」に恐れをなさせてしまっている。

この現象を説明する時に思い浮かぶ言葉が「ポピュリズム」である。この言葉は、以前かつさんから「大衆迎合主義というより大衆扇動主義というべきだ」と言われたような記憶があるが、まさしくポピュリズムによってアクセス数を伸ばしていったブログが存在する。こうした「暴走」ともいえる動きに対しては、ほかならぬ民主党関係者や同党支持者、あるいは必ずしも民主党支持でも小沢一郎支持でもないけれども反自公だ、という人たちからも苦情が出ているのが実情だ。

こういうのは、誰かが異議申立しないと話が始まらない。今なら、ポピュリズムがファシズムに至る前に食い止めることができる。そう考える次第である。「リベラル・市民派ブログシーン」に自由闊達な議論の空気を取り戻したいと強く願う。


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しばらく前に、福永文夫著『大平正芳―「戦後保守」とは何か』(中公新書、2008年)を、麻生太郎首相が読んでいると報じられた。大平正芳は、香川県出身ということもあって、大平について書かれた本は、香川県の本屋では比較的目立つ場所に置かれることが多い。そこで、この本を買って読んでみた。

「保守本流」のイメージとは異なり、大平正芳は「小さな政府」論者だった。私は、30年前の首相在任時に大平が「小さな政府」論を唱えていたことをおぼろげに覚えていたので、サッチャー登場前夜の経済思想に影響されていたのかとずっと思っていたのだが、そうではなく大平の「小さな政府」論はもっと若い頃からのもので、讃岐の農家で苦学して出世した経験からきているもののようだ。それは、大平が「小さな政府」論を当初「安くつく政府」と言っていたことからも伺われる。当時の高度経済成長時代には、既に官僚支配の政治からの脱却が政治の課題になっていた。現在民主党が言っているような「無駄を省く」ことを当時やっていれば、本当なら積極財政が求められる現在のような状況で、サービスの縮小も招きかねない「無駄を省く」議論がなされることはなかった。つまり、60年代から70年代当時であれば、「小さな政府」論にもそれなりの理があったと思われる。だが、大平の盟友だった田中角栄は、もちろん積極財政を実行した人間で、公共事業にも社会保障にも金を使った。1973年を「福祉元年」と定めて、老人医療費の無料化、健保改正による家族給付忌避上げ、厚生年金引き上げなどの施策を実施した。田中角栄には、開発独裁の次の段階は福祉国家への道だというビジョンがあったのだろうと思う。しかし、日本が福祉国家への道を目指し始めたとたん、石油ショックに見舞われ、結局日本が福祉国家になることはなかった。結局、「中負担低福祉」の国になってしまい、貧困層が急激に増えている今でも、政官業癒着構造はそのままである。民主党も、このところ官僚批判をしきりに行うが、財界批判はほとんどしない。そんなことでは、安倍晋三の「公務員制度カイカク」とどこが違うのかと思ってしまう。一昨年の参院選前に安倍の「公務員カイカク」を絶賛し、「小沢一郎は『小沢自治労』だ」と罵っていた評論家の屋山太郎は、現在では渡辺喜美を支持しており、小沢一郎を擁護する側に回っている。これは、民主党の「官僚叩き」が権力にとって(というか財界にとって)無害化していることを意味しないか。菅直人は昔から「政官業癒着構造」を批判していたものだが、いつの間にか民主党の批判から「業」が抜け落ちている気がしなくもない。

話を70年代に戻すと、保革伯仲時、自民党最左派の三木武夫が「保革連立」を模索したことがあったが、1974年の田中角栄退陣の時、椎名悦三郎の裁定によって三木を首相にしたのは、三木派が自民党を離党して、野党との連立政権を作るのを阻止する狙いもあったのだという。この当時から、自民党というのは政権維持を目的としてくっついている政党だったんだなと感心した次第だ。

ところで、首相を歴任した大平正芳、田中角栄、三木武夫、それに福田赳夫も中曽根康弘もみな非世襲の政治家たちだったが、だからといって当時の自民党に世襲議員が少なかったわけではない。1968年産の生産者米価をめぐって、自民党総務会で田村元、田村良平の両総務が、当時政調会長を務めていた大平は大蔵省のエリート官僚出であって、農民の生活など知らないからこんな低い米価が問題になるのだ、大平は辞職せよと批判したことがあった。それに対し大平は、自分は讃岐の貧農の倅であり、家の農業を手伝いながら苦学した。父が自民党の代議士で裕福な家庭に育った両総務に、農業を知らないと言われるのは心外だと反論したという。

だが、当時の自民党は二世議員よりも大平正芳ら実力のある非世襲議員が出世する政党だった。それが変わってきたのは竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎の「ニューリーダー」の頃からである。竹下登の父は、島根県会議員、掛合村長を務めた地方政治家だったから、竹下は「二世議員」には当たらないが、田中角栄や大平正芳のような叩き上げでもない。宮沢喜一の父は、戦時中に鉄道政務次官を務め、敗戦で公職追放された後、復帰して自由党から立候補するも落選した。事実上の二世議員といえる。安倍晋太郎の父は、当ブログでも以前、「安倍のもう一人の祖父は「平和主義者」だった」(2006年7月30日付)で取り上げた安倍寛である。二世議員だが、父は戦争に反対した気骨の政治家だった。安倍晋太郎は生前、「岸信介の娘婿」と呼ばれるのを嫌い、「俺は安倍寛の息子だ」と言っていたという。この三人は、世襲と非世襲の間のグレーゾーンにいた、いずれも実力を持った政治家だったといえる。

問題は、橋本龍太郎以降である。橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と、途中に地方政治家の家系に生まれた、一応非世襲の森喜朗を挟んだ世襲政治家の首相たちは、あとになるほど質が落ちてきている印象がある(実際に最低最悪だったのは安倍晋三だと思うが)。私は、前記福永文夫著『大平正芳―「戦後保守」とは何か』に書かれた、大平正芳が田村元、田村良平の両世襲議員の批判に反論したくだりを麻生太郎が読んでどう思ったのか興味があるが、たぶん「親の代から25年も空いて議員になった俺には関係ない話だ」とでも思ったのだろう。

それにしても、仮に今度の総選挙で政権交代が起きても、総理大臣が「吉田茂の孫」から「鳩山一郎の孫」に代わるに過ぎないとは、ちょっと信じられない話だ。気が早いが、来年の民主党代表選では、党員やサポーターの意見を反映させた公明正大なプロセスで、次代の日本を担うリーダーを選んでほしいものだと思う。


PS

そういえばコイズミが世襲批判に反論したらしいね。書くの忘れてた(笑)。ま、コイズミや進次郎の批判は別途やります。


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私がブログに参入したばかりの頃、当時小泉内閣の官房長官を務めていた安倍晋三が統一協会系の大会に祝電を送ったことが発覚し、ネットで騒ぎになった。これは、完全にネット発のスクープで、最初の発信者は名も知れぬ2ちゃんねらーだが、それを広く紹介したのはカマヤンハムニダ薫さんで、赤旗が報じるまでのタイムラグが約10日、週刊朝日、サンデー毎日などの新聞社系週刊誌が報じるまでのタイムラグが約2週間で、それまでの間、完全にネット主導で情報が広まった。当時の情報の流れを、2006年6月23日付エントリに記録している。

この当時、なぜ『週刊ポスト』や『週刊現代』がこの件をスルーしたのかはよくわからない。その後、両誌が主導して安倍晋三批判が始まり、最後には安倍叩きがメディアのトレンドになったのだが、安倍が首相に就任する直前だけは、なぜか日本中に安倍晋三批判を自粛するムードがあり、当時私は安倍批判が載った週刊誌を買い集めたものだ。一番多く安倍批判記事を掲載したのは『サンデー毎日』だった。

しかし、その1年前、『週刊ポスト』(2005年4月22日号)は、鳩山由紀夫が統一協会の『救国救世全国総決起大会』に民主党メンバー10数人を連れて出席していたことを伝えていたのである。祝電どころではなく出席だから、安倍晋三の行為よりさらにタチが悪い。民主党が新代表に選んだ鳩山由紀夫がそういう側面を持った政治家であることから目をそらしてはならない。

鳩山由紀夫は、いうまでもなく鳩山一郎の孫だが、戦後政治史を調べてみると、戦後間もない頃に首相を務めた保守政治家は、幣原喜重郎を皮切りに、吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人など、ことごとくタカ派イデオロギーを持った国家主義者だったことがわかる(ほとんど唯一の例外であるリベラリストは石橋湛山だが、体調を崩して短命政権に終わった)。しかし、彼らの中でイデオロギー政治を行ったのは、A級戦犯だった岸信介だけである。吉田茂は、本質的には右翼だったが、戦勝国アメリカと渡り合うために、あえて軽武装の経済重視路線をとった。鳩山一郎は、強烈な反共イデオロギーの持ち主だったにもかかわらず、吉田茂に対抗するために、日ソ国交回復を成し遂げた。池田勇人は、大平正芳や宮沢喜一など側近のアドバイスを受けて、首相就任後は本来のタカ派イデオロギーを隠し、低姿勢に徹して所得倍増計画を打ち出して、日本の高度経済成長に大きく寄与した。

何が言いたいかというと、本人がどんなイデオロギーを持っていようが、政治家が現実を直視して、国民のためになる政治をしてくれれば良いということだ。吉田、鳩山、池田らは功罪相半ばするとはいえ、比較的肯定的に評価されている政治家だ。一方、現在でも悪評が高いのは、イデオロギー政治を行った岸信介である。

安倍晋三は、こともあろうに「岸信介の孫」を自ら売り物にして、祖父を意識したイデオロギー政治を行ったあげく、参院選で惨敗して、それにもかかわらず政権にしがみつこうとしたものの、行きづまって突如政権を投げ出した。麻生太郎は、本音より現実を重視した吉田茂には倣わず、祖父の右翼イデオロギーだけを受け継いでいるように見える。

それでは、鳩山由紀夫はどうか。祖父・鳩山一郎は、吉田茂の軽武装・経済重視の親米路線をよしとせず、重武装・自主独立路線を目指した人である。憲法改正を行うために、小選挙区制実現を目指したが(いわゆる「ハトマンダー」)、世論の反対にあって野望は挫かれた。そして、日ソ国交回復の業績を残した。

安倍晋三や麻生太郎同様、鳩山由紀夫は祖父をたいへん尊敬している人物のようである。スローガンの「友愛」も、祖父から継承したものだ。そのせいか、現行の衆議院の選挙制度から、さらに比例区の定数を削減しようとしている。そんなことをしたら、社民党や共産党の議席はほとんどなくなってしまうだろう。また、改憲にはやはり積極的で、NHKテレビで、これまで自民党との対立で凍結していた憲法審査会を容認し、設置することに同意の意向を示した。

この点で、やはり鳩山由紀夫は小沢一郎とは違う。小沢は、2003年の民由合併以降、自らを応援してくれる「小さな政府研究会」に加わらず、左派と政策協定を結んで、自らのイデオロギーを封印して、改憲よりも野党共闘を重視する姿勢を見せたが、鳩山は早くもその路線を転換しようとしているかのようだ。私は、鳩山由紀夫は右派色を強めることで、「小沢一郎の傀儡」批判をかわそうとするのではないかと警戒していたが、それが早くも現実のものとなってしまうのか。

鳩山由紀夫が改憲路線を鮮明にすることは、社民党との関係にマイナスであるばかりではなく、党内のあつれきも強めることになる。いくら鳩山由紀夫が本質的には統一協会やアパとべったりの右翼政治家であっても、小沢一郎の野党共闘重視・消費税増税凍結路線を継承し、結果として成果をあげてくれればそれで良いのだが、早くも改憲に前向きの姿勢を示すようでは、鳩山由紀夫に対する警戒を強めなければならないだろう。憲法問題に関しては、鳩山由紀夫は明らかに「親自民」なのである。


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民主党の新代表に鳩山由紀夫が選出された。国会議員による投票で、鳩山由紀夫が124票、岡田克也が95票を獲得、無効が1票だった。

予想通りの結果であり、民主党は代表選に敗れた岡田克也を幹事長に、代表を退いた小沢一郎が選挙担当の代表代行に就任、従来からの菅直人と輿石東と併せて代表代行3人の体制になった。これで、きたる総選挙で仮に民主党が敗れても、その責任は鳩山由紀夫や小沢一郎だけではなく、岡田克也や菅直人も連帯責任でかぶることになり、民主党は挙党体制を確立することになった。まぎれもない小沢一郎の政治的勝利である。小沢一郎は、もっとも得意とする「軽いみこしを担ぐ」ポジションを手にした。

だが、11日に小沢一郎辞意表明、16日に代表選という日程には、異論が噴出した。福山哲郎、長妻昭、安住淳、野田佳彦の「4人組」は小沢一郎に怒鳴り上げられたというが、この叱責劇についてはネットを見る限り、小沢一郎の主張に理があると主張する人はごく少数で、長妻昭らの主張を支持する人が多い。実際、前のエントリで紹介したsweden1901さんのコメントにもあるように、有権者の範囲を党員およびサポーターに広げることには、党規約の改正など必要なく、むしろ国会議員だけによる投票の方が緊急時の措置なのである。そして、民主党で名の通った議員の多くは今回の代表選で岡田克也支持に回った。前記の長妻昭のほか、平岡秀夫、馬淵澄夫、蓮舫、山井和則らは今回いずれも岡田克也に投票したのである。

なぜこんなことを書くかというと、ネットでは今回の民主党代表選で「反自民の人は鳩山由紀夫を支持し、親自民の人は岡田克也を支持した」という俗説が撒き散らされたからである。これは、とんでもないデタラメである。「ミスター年金」の異名をとり、テレビ番組で大村秀章を論破するなどして自民党に恐れられ、一昨年の参院選での民主党圧勝に殊勲甲だった長妻昭をはじめ、耐震偽装問題で『きっこの日記』と提携して問題を追及し、ヒューザー社長・小嶋進が安倍晋三の非公式後援会「安晋会」の会員だったことを証人喚問で暴いた馬淵澄夫も、「安晋会」の理事を務めていた野口英昭氏がライブドア事件に絡んで「自殺」したとされる事件を、本当に自殺なのかと国会で追及した細川律夫も(ちなみに、この時答弁に立って野口氏は「自殺」だと強弁したのが漆間巌である)、いずれも岡田克也に投票した。果たして彼らは「隠れ自民党」なのだろうか?

今回の西松事件で必要以上に被害者意識を募らせている、陰謀論に傾きがちな小沢一郎支持者たちは、岡田克也支持が鳩山由紀夫支持を上回っているとした世論調査は、「マスゴミの捏造」であって、真剣に政治を考えている人たちほど鳩山由紀夫を支持しているという。だが、この言いぶんも大いに疑わしい。

『毎日新聞』の地方版に、今回の民主党代表選における各県の民主党議員や党員、支持者たちの動向が報じられており、ネットでも読めるが、たとえば岡山県では、民主党岡山県連が、県内の党員・サポーター約4000人のうち電話番号が分かる2516人を対象に調査を実施したところ、1556人から972件の回答があり、岡田克也が610票(62.8%)で、鳩山由紀夫の251票(25.8%)を大きく上回ったそうである。党員・サポーターの実に4割から回答を得ての調査だから、サンプル数が少なすぎて信用できないなどという理屈は成り立たないし、単なる世論調査ではなく、民主党の党員やサポーターになるくらいの政治への意識の高い、普段から政治のことを考え続けているであろう人たちの回答なのである。これを、「マスゴミにだまされた結果」だという人がいるとするなら、その人は、マスコミ盲信の裏返しである、「マスコミ陰謀論」の俗説を無批判に信じ込んでしまっているのであり、その騙され易さは、マスコミに騙される人よりひどいくらいだと思う。岡山県選出の民主党議員を見ても、津村啓介、柚木道義両衆院議員が岡田克也に投票したが、姫井由美子参院議員は鳩山由紀夫に投票した。姫井由美子といえば、昨年夏、当時民主党に所属していた極右議員たちに誘われて「改革クラブ」に参加しようとした新人議員である。当時、「改革クラブ」の背後には自民党の二階俊博がいると噂された。私は、二階よりも平沼赳夫の関与を疑っているが、いずれにしても、「親自民」とそしられても仕方のない行動だった。そんな姫井由美子が鳩山由紀夫に投票したのである。以上から、「反自民の人は鳩山由紀夫を支持し、親自民の人は岡田克也を支持している」という俗説が真っ赤な嘘であることがよくわかるだろう。

私が是非とも参照してほしいと思うのは、山口2区選出で、昨年4月の衆院補選で、耐震偽装事件に責任があるとされる元国交省の官僚にしてノーパンしゃぶしゃぶの顧客でもあった山本繁太郎を破った平岡秀夫議員のブログである(下記URL)。
http://ameblo.jp/hideoh29/entry-10262125969.html

以下引用する。

 岡田さんは、私と同じ学年です。岡田さんは、三年半前に行われた「郵政民営化解散総選挙」で大敗して、民主党代表を辞任しましたが、その後しばらくして岡田さんとゆっくり話をする機会があり、その場で、「政権交代を実現するために、この党でお互いに頑張っていこう」と約束しました。その後、岡田さんの呼びかけで、党内に「核軍縮促進議員連盟」を設立し、岡田さんが会長、私が事務局長という組合せで今日まで活動してきた仲間でもありました。

 また、政治的課題の面からも岡田さんが良いと思いました。今の政治状況は、国民が「透明性の高い政治」を求めていると思います。「透明性の高い政治」とは、「政治とカネ」について政・官・業の癒着をできる限り排除していく政治であり、「機会の平等」という観点から世襲政治から脱却していく政治です。これらの問題にこれまで真正面から取り組んできた岡田さんには、多くの国民から期待が集まっていたと思います。

(平岡秀夫のブログ「至誠通天」?「民主党代表選挙」より)


当ブログに寄せられたコメントによると、岡田克也が前原誠司に支持されているからといって、岡田克也を軍拡派だと誹謗しようとした人までいたらしいが、それがとんだ濡れ衣であることがよくわかる。

私自身は、ともに保守である鳩山由紀夫と岡田克也はどちらも支持しないし、鳩山由紀夫には安全保障政策、岡田克也には経済政策でともに懸念を持っているが、あえてどちらかをとれというのなら、改憲派ではあるが、9条改悪と集団的自衛権には反対している岡田克也をとる。消費税増税に大きく傾く岡田克也の経済政策は良いとはまったく思わないが、鳩山由紀夫だって1999年?2002年の代表当時には、強烈な消費税増税論者だったし、コイズミ内閣発足後は、コイズミと改革の先鋭さを競う方向性を取り、自民党との差別化を図るどころかコイズミにすり寄る醜態をさらして国民の民主党離れを招いた。それを覚えているものだから、鳩山由紀夫と岡田克也の比較では、消去法で岡田克也をとることは、私にとっては当然だった。そもそも、私は民主党支持者でさえない。自民党との比較では迷わず民主党をとるが、もともと私はもっと社民主義寄りの人間である。

とはいえ、代表が鳩山由紀夫に決まった以上は、鳩山批判ばかりに精を出して自公を助ける愚は避けたいと思う。しかし、ネットで「岡田克也を支持する者は親自民」というような主張をする人たちは看過できない。彼らこそ、民主党支持者を分断しようとしているのではないかと思われるほどだ。

岡田克也叩きがもっとも目にあまるのは、「植草一秀の『知られざる真実』」である。同ブログが日々行っているのはアジテーションだと私は思う。従来、熱烈な小沢一郎支持の論陣を張っていた同ブログだが、小沢一郎が辞意を表明すると、いったんは「逆風を順風に転じさせる小沢民主党代表の英断」と題したエントリで、菅直人待望論を示すとともに、岡田克也も条件つきで容認する姿勢を見せた。これは常識的な判断であり、私にも支持できるものだったが、この論調では熱心な小沢一郎支持者の納得は得られないと看て取ると、植草氏は一転して鳩山由紀夫絶賛と岡田克也バッシングに論調を切り替え、その豹変ぶりには驚かされた。植草氏はポピュリストであるとしか私には思えない。

結果として鳩山由紀夫は代表選に勝ち、小沢一郎は名を捨てて実を取る結果となった。しかし、代表選を急いだ経緯は拙速であり、先に名前を挙げた長妻昭、馬淵澄夫、平岡秀夫、蓮舫らには納得できないものが残ったに違いない。今回、彼らはいずれも岡田克也に投票したが、そんな彼らが、自民党との連立を容認する「親自民」議員であって、9か月前に民主党を出て行こうとした姫井由美子が「反自民」を貫く筋の通った政治家だなどといえるだろうか。こう見ただけでも、植草一秀氏らがリードしている論調が、全く信じるに足りないものであることは明白だと私には思われる。

私自身は、代表選が終わった以上は、鳩山由紀夫代表を容認する立場である。テレビの討論番組で社民党の辻元清美議員が言っていたように、鳩山由紀夫には野党共闘に腐心した小沢一郎の良いところには倣い、悪いところは変えていってもらって、衆議院選挙での野党勝利に向けて党を指導して行ってほしいと思う。しかし、岡田克也やその支持者を誹謗中傷する、植草氏のブログを筆頭とする一部ブログの暴走は、民主党の結束はおろか、野党共闘にも水を差すものではないかと私には思える。

前にも書いたと思うが、植草氏自身の思想信条はリベラルだと伺っているが、なぜか氏の応援団には平沼赳夫や城内実の支持者が多く、彼らに配慮しているためなのか、植草氏のブログには必要以上に反米色が濃すぎると思う。私も、これまでの自民党政権の対米従属政策には反対であるが、日米中の関係は、加藤紘一が主張するような三角形が好ましいと思う。しかし、平沼一派は周知のように反米だけではなく頑迷な反中・反韓・反北朝鮮であり、要するにどことも仲良くしない排外主義をとる。彼らは反韓・反中あっての反米なのである。そんな彼らに迎合するために必要以上に反米の論調をとるのは百害あって一利なしである。そんなことが頭脳明晰な植草一秀氏に理解できないはずはないのだが、まさか筋の通った理屈よりもブログのアクセス数でも重視しているのだろうか。そうとでも解釈しなければ、あの異常な論調は理解できない。

いずれにせよ、本当に自公政権を倒したいのだったら、鳩山支持者と岡田支持者を善悪二元論で分けてしまうような馬鹿げたことは、断じてすべきではない。あなたは一体何のためにブログをやっているのですか。植草一秀氏には、そう問いかけたい。


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民主党代表選に関しては、明日にはもう結果が出てしまう。昨日も少し書いたが、比較的リベラルな人たちの間では、後継は菅直人が一番良かったのだが、保守同士の鳩山由紀夫と岡田克也では、世襲政治家で9条改憲論者の鳩山由紀夫より、新自由主義色が気になるものの真面目で9条改憲や集団的自衛権に否定的な岡田克也の方がよりましだとの意見が多い。一方、小沢一郎支持者の間では鳩山由紀夫の人気が高く、岡田克也は際立って不人気で、菅直人の評判もあまり良くない。小沢支持者は、小沢一郎との心理的距離の遠近が候補者の支持・不支持の判断基準になっているように私には思われる。

民主党代表選については、これ以上はもう書くことはないので、以下は当ブログにいただいたコメントを紹介したいと思う。いずれも、昨日のエントリにいただいたコメントである。基本的に、論評は差し挟まない。

まずは、shimuraさんのコメント。

民主党もとい民主党内小沢シンパへの風当たりの強い、今のマスコミの報道の偏向ぶりを考えるなら、自由闊達な弁論を交えた土日を挟む代表選は、民主党分断を狙う敵に隙を与えるだけでしょう。
自由闊達な弁論は、その中から親小沢と反小沢の対立を煽れそうなところだけを抜き出され、また何気ない言葉の綾をさも反小沢の心の表れのように記者の稚拙な妄想を付与されて報道され、期間があればあるほど、それらは「専門家」と称される人々によって拡大される。
小沢の西松事件以降のマスコミの動きを見ていれば、以上のことは容易に想像がつきます。
ただでさえ、完璧な指導者を求めるには程遠い代表選です。(もちろん小沢だって完璧からは遠いですが)官僚主導型政治及び官僚機構の改革のできる、実行性を感じさせる民主党のイメージを、これ以上マスコミによって損なわせないためにも、その隙をなるべく作らないことは大事なことです。
誰が党首になっても、民主党は割れない。結束を崩さない。
その上で次期代表は総理になり、官僚改革を確実に、冷厳に実行断行できる人物であるかどうか。
この一点のみを肝要とします。
その意味で、通産省出身の岡田は官僚を「知り過ぎて」いる。能力は高いが、官僚に対して、優秀な人間もいるのだしわかりあえる、などと情をもって改革を断行できると思っているような甘えが見える節が、私個人としては感じられる。
役人にとって官僚改革は、自分たちの生命線を切られるかどうかの大手術だ。
そこへ最初から彼らへの友和を掲げた人間が行って、果たして改革など出来ようか?
それならば、能力は低く、発言も甚だ軽く、世襲政治家の謗りも受けるだろうけれど、愚直な信念をもって一心不乱に、鳩山に次期代表をやり抜いてもらう方が、民主党による政権交代の意義、即ち官僚改革の断行が期待できる。
能力の低い鳩山が小沢に動かされるのを院政と嫌う人間も居よう。
しかし、政権交代の本筋たる官僚改革を行うにあたり、何が、どうすることが必要なのか。
その原則をこそ大事と思って各々判断していただきたい。
くれぐれもマスコミの印象操作に惑わされないためには、その大事を見極めているかどうか、そこに尽きる。
以上、長々と拙文ご容赦のほどを。

2009.05.14 09:19 shimura


続いて、風太さんのコメント。

私の岡田新党疑念について、kojitakenさんから返答をいただきありがとうございます。
私が小沢代表自体の政界再編主導はないと考えているのは、小沢代表が組合勢力を足場のひとつに置いた活動をしているからです。
今や小沢代表は大企業に支援を受ける政治家ではないのですからね。
ところが岡田副代表はともかく、彼を支える連中は、前原副代表以下、そんな組合との付き合いを絶つのをなんとも思っていない。
経済至上主義の新自由主義的発想と組合などの存在は対立する概念ですから当たり前ですか。
彼らは足元がおぼつかないくせに、いまだに風だけでも票を取れると考えているような節もあるのです。
ですからマスコミが味方についている今が、逆に民主党切捨て⇒脱皮のチャンスと睨んでいるのかもしれません。
などと勝手に想像してしまいました(苦笑)。
(考えてみれば自民党も足場ががたついていますよね、いまや自民党は公明党の学会組織の助けがないと選挙も戦えないていたらくですからね。)
ただ岡田副代表は、それ程愚かな人物とは考えてはいません。
岡田副代表が、民主党左派や他の野党を抱え込むだけの度量を持ち合わせていれば問題がないのですが、どうでしょう?

ところで小沢代表を貶める為に、マスコミがいかに下劣な事をするかの例です。
http://www.nakai-hiroshi.net/diary/
この民主党中井議員の日記に、当日の会議の模様が紹介されています。
新聞報道などでは、いかにも小沢さんが剛腕とやらで会議を仕切ったかのように描かれていますが、実態はこんなものです。
どうやら小沢さんのような変革の為には妥協をしない信念の強い政治家を、マスコミは口では改革を唱えながら本音は忌み嫌うところがあるのでしょうね。
いかにも自分らは安泰なので、改革はポーズだけで本音は何もしたくないマスコミ人の考えそうなところです。
彼らマスコミ人にとって、小沢代表はいまだに金権・剛腕政治家でなくては困るというところでしょうか。
その為のイメージ作りに必死なようです(笑)。

2009.05.14 10:02 風太


3件目は観潮楼さんのコメント。

うえすぎ氏
「いくらブログ界隈でメディア批判が出た所で奴らの増長は止まりませんよ。
メディアを喜ばせたくないからって拙速な代表選を良しとする考えは書生論にすぎませんね。
地方の声を封殺するのを良しとするなんて自民党以下ですよ。
まあ『自民党との違いは自由のない民主党』ってくらいですからw」

2009.05.14 11:23 観潮楼


読者の皆さまには、上杉隆氏の記事(下記URL)を参照されたい。
http://diamond.jp/series/uesugi/10077/

続いては、いつも辛口のBlack Jokerさんのコメント。

「小沢一郎は彼らを力ずくで抑え込もうとする。果たしてそんなものが「剛腕」の名に値するだろうか?」「民主党には、「自由闊達な議論を取り戻せ」と言いたい」
名は体を表す。自由民主党には自由があるが、民主党には自由がないのでしょう。
・・・というのは冗談ですが。小沢が「議会制民主主義」などというのは本当に滑稽ですね。強引、傲慢、独善。コイズミやイシハラやハシモトと大して変わらない。

2009.05.14 17:17 Black Joker


sweden1901さんからは、長文のコメントをいただいた。アバウトな当ブログには過分と思われるくらい、しっかりした検証がなされている。

こちらへの投稿は久々になります。
私は、特に大企業を優遇してきた小泉・竹中路線と決別すること、および官僚主導による政治から脱却するためには、民主党による政権交代が必要であると考えている者です。
特に後者(官僚主導による政治からの脱却)の実現のためには「小沢代表」のもとでの政権交代が望ましい、とする考えも理解できなくはありませんでしたが、これだけのマスコミ報道がなされれば、次期総選挙において民主党の過半数獲得が覚束なくなってくるのはある意味当然だと考えざるを得ません。(日本の有権者の民度を改めて思い知らされたとも言えます)
そして今後最も考えるべきなのは、小沢氏の代表辞任を、本人の辞任記者会見の言葉にもあるように、政権交代に「確実に」つなげるためにはどうすればよいか、ということだと思います。

中井議員のblogも目を通してみましたが、以下抜粋した部分の小沢氏の発言には首をかしげます。
ーーー以下引用ーーー
鳩山幹事長から16日土曜日、両院議員総会で現職国会議員だけで代表選出選挙を実施したいという提案があった。過去、歴代代表が中途で退任したとき規則にのっとって、両院議員総会で決めてきた。当然の提案だと聞いていたが、北澤副代表から次期衆議院の候補者、総支部長等を有権者として幅を広げるべきだと提案があった。小沢代表が手を挙げたので、僕が指名したところ、北澤さんの話とも思えない。もし、有権者を広げるというなら、規約を変えなければならない。辞めた代表のもとで規約を変える事は選挙前に突然、有権者を増やす事になって、民主主義のルールが崩れると激しい答弁があった。
ーーー引用以上ーーー

民主党の党規約
http://www.dpj.or.jp/governance/policy/index.html

の第11条は次の通り。

代表の選出は、所属国会議員、県連を通して本部に登録された党員(地方自治体議員を含む)およびサポーター、その他代表選挙規則にもとづき、役員会の議を経て常任幹事会の承認にもとづき定める有権者による選挙によって行う。代表選出のための選挙は、代表の任期が終了する年の9月に行うことを通例とする。
(中略)
任期途中で代表が欠けた場合には、代表選挙規則にもとづく選挙によらず、両院議員総会において代表を選出することができる。この場合、新たに選出された代表の任期は、欠けた代表の残任期間とする。
ーーー

国会議員による両院議員総会による代表選は、緊急避難的な意味合いがあることが分かります。
さらに、代表選挙規約
http://www.dpj.or.jp/governance/policy/senkyo_policy.html
の第4条は次の通り。

代表選挙に関して投票をすることができる者(以下「有権者」という)は、 次の各号に定める者とする。
一  党員およびサポーター
二  党籍を有する地方自治体議員
三  政党助成法にもとづく党所属国会議員(以下「所属国会議員」という)
2 常任幹事会は、両院議員総会の承認を得て、国政選挙の党公認予定候補者を所属国会議員に準ずる有権者とすることができる。
ーーー

つまり、北澤議員の提案は、規約の改正を必要とするものなどではまったくないのです。
党員、サポーターを有権者とする「本来の」代表選は相当な日数を要するため、いつ行われるか分からない解散総選挙に備えるためには、短期間で済む「両院議員総会」で代表選を行うべきだ、という理屈は理解できなくもありませんが、次期首相になる可能性を持つ民主党代表の選出方法が、たった2日の選挙運動で、有権者も民主党国会議員に限る、というのは賢明な方法とは到底考えられません。

なお小沢氏辞任以前の報道では、小沢氏が辞任した場合の後継代表としてまず上がっていたのは岡田氏でしたし、小沢氏辞任後の世論調査でも岡田氏>鳩山氏、というのはどの調査でも明らかです。世論調査の影響が一番出にくい方法、それが執行部が提案したという、「短期間の選挙運動日程」「両院議員総会」での選出は、鳩山氏を勝たせるために仕組まれたと言っても過言ではなさそうです。

そういう観点からすると、毎日新聞のこの記事
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090513k0000m010121000c.html
の後半に出ている、各議員の反対意見が汲み取られなかったのは誠に残念です。
党が分裂含みになっているようにマスコミによって扇動的に報道される、という懸念を表明している方も当エントリーコメント欄にいらっしゃいますが、それを恐れるあまり、国会議員だけでこそこそと決めてしまうのが、betterな選択なのか、非常に疑問です。

2009.05.15 01:56 sweden1901


最後はぽむさんのコメント。

小沢氏支持者たちの岡田克也氏叩きはすごいですね。私も特に支持していないけど、Kojitakenさんと同じ理由で鳩山氏よりはいいかと。
全く関係ないけど、一昨日グアム協定が成立しました。でも「リベラル・左派」のブロガーさんたちはそんな事はどうでもいいみたいですけど。

2009.05.15 02:33 ぽむ


(グアム協定については、沖縄タイムズの記事などを参照)

長くなるので全部のコメントは掲載しなかったが、コメントいただいた皆さまには厚くお礼を申し上げる。


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はじめに訂正しておくと、昨日のエントリのタイトルにもした「担ぐみこしは軽くてパーがいい」と言ったのは小沢一郎ではなく、小沢側近の平野貞夫とのことだ。sarahさんにコメント欄でご指摘いただいた。お礼を申し上げる。

民主党代表選は、あれよあれよという間に「鳩山由紀夫vs岡田克也」の対決の図式になってしまった。菅直人、長妻昭、馬淵澄夫など、私が名前を挙げた人たちは誰も手を挙げなかった。もちろん、水面下では激しい権力闘争が展開されていることは想像に難くない。昨夜の『報道ステーション』では、馬淵澄夫らが第三の候補擁立を模索していると報じていたが、間に合わないだろう。

土曜日に代表選を持って行ったのは日曜日の政治番組における鳩山由紀夫と岡田克也の討論を避けるためだと、これはやはり当ブログにコメントいただいた与志さんの見解だが、『報道ステーション』に出ていた岡田克也の話を聞いていて、なるほどそうかなとも思った。岡田克也は、ちょうど自民党の与謝野馨と対応するような財政再建論者だが、現在が消費税増税をできるような経済状況ではないことくらいはわかっていると、消費税増税論の封印を言明した。代表選を「親小沢」対「非小沢」の図式にはしないと繰り返し訴える岡田克也の印象は、氏を支持しない私から見ても決して悪いものではなかった。一方、鳩山由紀夫氏は、何と言ってもこれまで小沢一郎代表と一蓮托生だ、小沢が辞めるなら私も辞めると言い続けてきたのに、突如としてこれまでの言明とは明らかに矛盾する代表選への立候補について、何の説明もしていない。説明責任を果たしていないとはこのことを言うのではないか。なぜ誰もそこを突かないのか、私には不思議でならない。

それに、自民党にいる鳩山由紀夫の弟(鳩山邦夫)もそうだが、鳩山由紀夫は時に意味不明な発言をする。森田敬一郎さんに言わせれば、「ふにゃふにゃして何を言っているかわからない」(笑)とのことだが、私が気になるのは失言癖であって、鳩山由紀夫代表になったら、これまで麻生太郎首相の失言を期待していた民主党支持者は、自党の党首の失言を心配しなければならなくなるのではないか。そして、岡田克也と鳩山由紀夫がガチンコの政策論争をしたら、誰が見ても岡田の圧勝という結果に終わることは火を見るよりも明らかだと私は思う。安全保障面でも、憲法9条改悪や集団的自衛権を認めない岡田克也の方が、9条改憲論者である鳩山由紀夫よりはるかにリベラルだ。だから、民主党支持者の中でもリベラルな傾向の人の間には、鳩山と岡田ではどちらも支持はしないが、よりマシなのは岡田克也だといういう意見が多い。岡田克也で気になるのは新自由主義色の強さだが、鳩山由紀夫だって代表在任中にはコイズミと「カイカクを競う」方針をとって失望させられた。選挙でコイズミに惨敗した経験があるのも両者に共通しているが、それぞれ惨敗した時以外の国政選挙の結果を比較すると、党勢は拡大したものの勝利したとは決していえない鳩山代表時代の2000年総選挙より、コイズミを相手に、コイズミの厚生年金違法加入をめぐる「人生いろいろ」発言に助けられたとはいえ、自民党を1議席上回った岡田代表時代の2004年参院選の方がはるかに評価できる。

あまり気の進まない比較なのだが、鳩山由紀夫と岡田克也との比較なら、消去法で岡田克也を選ぶのもやむを得ないというのが私の感覚だ。何より、岡田克也は非世襲政治家だ。だが、本当はもっと違った人に出てきてほしいと思う。

しかし、新聞報道で見る限り、それを抑えているのが小沢一郎なのだ。最近の朝日新聞は、クォリティペーパーの名には全く値しない、まるで週刊誌のような政界観測記事が目立つが、それなりになかなか面白い読み物にはなっている(笑)。今日(14日)の社説でも「小沢院政」は駄目だ、と書く朝日だが、昨日(13日)は民主党の役員会・常任幹事会で小沢が「お前ら言うことを聞け!」と怒鳴り上げたという記事が出ていた。怒鳴り上げられたのは福山哲郎、長妻昭、安住淳、野田佳彦の4氏。この記事には出ていないが、馬淵澄夫は野田佳彦に近いし、蓮舫も非小沢系である。民主党で名の知れた議員の多くはことごとく小沢一郎と距離を置いているのである。そして、小沢一郎は彼らを力ずくで抑え込もうとする。果たしてそんなものが「剛腕」の名に値するだろうか?

今朝の紙面では、これまで小沢一郎を支えてきた幹部が岡田克也支持に回り、その理由を聞かれて「鳩山で選挙に勝てると思っているのか」と言ったというのだが、あるいはこの幹部とは菅直人だろうか? 昨日までの紙面に載っていた図解では、鳩山側に身を置きながら、本心では岡田支持ではないかとされていた菅直人が、今朝の紙面の図解では、はっきり岡田克也支持とされている。

民主党左派も、悩みが深いのだろう。昨日のエントリには、風太さんから、

岡田副代表を旗印にして、民主党内の新自由主義勢力が若手中堅を巻き込んで独立新党結成をもくろんでいるのではと考えてしまいます。
そして親小沢派はおろか、民主党内の旧社会党勢力や連立を組む社民党や国民新党も追い落とす。
岡田新党で政界再編を仕掛け、小泉シンパとも合流して一気に政権を取る。

という懸念のコメントをいただいたが、むしろ私は、政界再編だったら、小沢一郎と鳩山由紀夫の方が、これまで組んできた左派を切って自民党の一部と組む可能性の方がまだあり得ると思う。自民党には鳩山由紀夫の弟もいるし、過去にも、小沢一郎は社会党とさきがけを切り捨てたことがあるからだ(1994年。この時は社さに逆襲されて自社さ連立の村山富市内閣の成立を許した)。だが、皮肉にも小沢一郎自身が成立に尽力した小選挙区制が政界再編成の動きを妨げている。小沢一郎らがやりたいような政界再編を行うためには、選挙制度を再改革する必要があるだろう(笑)。

いずれにしても、こんな記事は書き進むほどに空しさを感じていやになるばかりなので、このあたりで締めにかかりたい。言いたいのは、もっと十分に議論を行い、民主党内の様々な人たちの意見を広く国民にアピールするような場がどうして作れないのかということだ。朝日新聞の記事にもあったが、もともと民主党というのは自民党との対立軸を見いだすべく非自民勢力を結集して作られた実験的政党で、百家争鳴の気風を持っていたはずだ。それが、2000年の森政権成立時の自民党の密室政治に毛の生えた程度の、まず「鳩山新代表」ありきの短期間の代表選で次期代表を決めようなどとは、それで国民の支持が得られると思っているのかと怒りを感じる。菅直人も馬淵澄夫も長妻昭も、あるいは野田佳彦も前原誠司もみんな代表選に立候補して持論を述べれば良いではないか。この拙速の代表選は、民主党にとって決してプラスにはならない。民主党には、「自由闊達な議論を取り戻せ」と言いたい。


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小沢一郎の後継となる代表候補に鳩山由紀夫が浮上 ── これを聞いて思い出したのが、20年前に自民党の幹事長を務めていた小沢一郎が、当時の首相・海部俊樹を指して言ったという「担ぐみこしは軽くてパーがいい」という言葉である。

小沢一郎は、民主党代表を辞めても、政界を引退するつもりはない。それでは、何をやりたいかというと、誰もが想像する通り、師である田中角栄同様の「闇将軍」、キングメーカーになりたいのだ。

だが、言っては悪いが、田中角栄と小沢一郎では政治家としてのスケールが全然違う。田中角栄が1982年に担いだのは、中曽根康弘だった。「軽い」どころか、「戦後政治の総決算」をやろうとした右翼政治家の雄にして、1974年?76年の三木政権では、ロッキード事件で「三木下ろし」に遭った三木武夫を支え、田中角栄とは敵対した男だ。中曽根は、岸信介ともども、自らもロッキード事件で角栄より遙かに悪質な疑惑がささやかれていたが、児玉誉士夫の口の堅さにも助けられて逃げ切った。

こんな中曽根康弘を角栄は担いだのだ。新聞は「田中曽根内閣」として中曽根を批判したが、当時私は、いったい何を言ってるんだ、中曽根は田中角栄に支えられているから悪いのではなく、中曽根の政策こそ厳しく批判されるべきではないかと思った。しかし、新聞はそこは突っ込まなかった。果たして、田中角栄が1985年に倒れると、重石がとれた中曽根は思うような政治を進め、1986年の衆参同日選挙、いわゆる「死んだふり選挙」で圧勝した。中曽根康弘こそは日本における新自由主義の開祖であり、90歳を過ぎた今も憲法改正に執念を燃やす老害、いや右翼政治家の大物である。

一方、小沢一郎が過去に担いだのは海部俊樹であり、海部政権は1989年の参院選で惨敗した自民党の党勢を回復したが、実態は海部は小沢のロボットに過ぎなかったことは誰の目にも明白だった。小沢は、1994年に自社さ連立工作に対抗した時も、自民党から海部俊樹を引き抜いて担いだくらいだから、よほど海部の扱いやすさが気に入っていたのだろう。しかし、首相退任後の海部は存在感を早々に失っており、小沢は敗北し、自社さ連立による村山富市内閣が発足したのである。

今回、小沢一郎は明らかに鳩山由紀夫を担ごうとしている。5月11日に辞意を表明し、16日には代表選を行うというあわただしい日程は、他の候補者の台頭を抑えるためだ。民主党が国民の支持を回復させようとするなら、代表選は昨年9月に自民党がやったように騒いで盛り上げることが得策であり、もしミスター年金の長妻昭や、耐震強度偽装問題や道路問題で名を上げた馬淵澄夫、あるいは人気の高い蓮舫あたりが当選すれば、幅広い国民的人気を得て、自民党も旧態依然たる麻生太郎を下ろさざるを得なくなり、仮にそうしたところで小池百合子、舛添要一、石原伸晃ら程度では長妻昭や馬淵澄夫には歯が立たないに違いない。しかし、小沢一郎との距離から言うと、長妻昭は近くないし、馬淵澄夫に至っては保守派の野田佳彦に近く、小沢一郎からすれば論外なのだ。さりとて、岡田克也や菅直人も、小沢にとってはうるさく、遠ざけたい存在である。結局、コバンザメのように小沢にくっついてきた鳩山由紀夫が、小沢一郎にとっては制御が容易で好ましい後継代表候補だというわけだ。

だが、これは国民にとっては実に不幸な選択肢である。『カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記』が、さっそく鳩山由紀夫を批判するエントリを上げているので是非ご参照いただきたいと思うが、鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫は、単に安倍晋三(岸信介の孫)や麻生太郎(吉田茂の孫)と同じ類型の、世襲政治家の権化であるばかりではなく、耐震強度偽装や田母神俊雄が大賞を獲った懸賞論文で悪名の高いアパともべったり癒着している。鳩山由紀夫なんかが代表になってしまったら、民主党は自民党にはびこる世襲政治を批判することもできないし、それどころか田母神俊雄らの「コミンテルン陰謀論」に基づく噴飯ものの防衛論の批判さえはばかられるようになってしまうのではないか。小沢一郎は、自らはタカ派にして新自由主義的な本音を抱きながら、選挙区の事情や左派と結んだ政策協定によって左派を重用する党内采配を行ってきたが、代表が鳩山由紀夫に代わってしまうとそうはいかない。確実に左派の影響力は低下し、民主党の政策は右旋回をすることは間違いない。鳩山由紀夫を「前原誠司より右」と書いたら、コメント欄で反論をいただいたが、前原は軍オタの防衛政策や新自由主義的な経済政策はともかく、それ以外の政策では結構リベラルだ。歴史修正主義色も薄い。しかし、鳩山由紀夫は、カマヤンの表現を借りれば、「病的な左派嫌いで、世襲だけが取り柄で、宗教右翼と旧民社系に支えられ」ている。旧民社系というと河村たかしなどがそうだが、昔から「自民党より右」として悪名が高く、もちろんゴリゴリの歴史修正主義者が揃っている。経済政策についても、前原誠司のような筋金入りの構造改革論者でこそないものの(鳩山由紀夫は無定見だからね)、コイズミ時代に「カイカクを競う」誤った方針をとって、2001年の参院選で惨敗した。

そもそも、右だ左だという以前に、鳩山由紀夫は無能なのである。右左論から言えば、長妻昭も馬淵澄夫も私にとって好ましいとはいえない部分がある政治家だが、その能力と人気を買って、民主党代表になってくれればよいのではないかと思う。だが、鳩山由紀夫は、過去の代表時代にもろくな実績を残していない。だからこそ小沢一郎にとって操縦しやすく、好ましく思えるのだろうが、国民の利益には全く反している。口で「国民の生活が第一」と言いながら、その実国民の利益にも民主党の利益にも反する。最後にはいつも党や国民より自分を優先してしまうのが小沢一郎の最大の欠点であり、この点が田中角栄と小沢一郎ではスケールが違うと私が言うゆえんだ。私は、「小沢一郎でなきゃ政権交代はできない」などとは全然思っていなかったが、「鳩山由紀夫では政権交代はできない」かもしれないとは思う。西松事件が起きてからも、私は次の総選挙のあと政権交代が起きることは全く疑っていなかったが、民主党代表が鳩山由紀夫となると話は違う。ともに世襲の権化のような党首をいただく自民党と民主党では、それこそ「どっちもどっち」になるし、自民党が世襲の石原伸晃はともかく、小池百合子や舛添要一あたりに党首をすげ替えれば、旧態依然とした鳩山由紀夫よりはまだしも清新(?)なイメージによって有権者は自民党の方に流れかねない。よく、マスコミが岡田克也を推すのは、その方が「政官業トライアングル」だか「悪徳ペンタゴン」だかにとって好都合だからだ、などと言われるが、岡田克也以上に彼らにとって好都合なのが鳩山由紀夫なのではないか。

もちろん、今の自民党があまりにアレだから、鳩山由紀夫でさえも総選挙で勝てるか、そこまでいかなくとも自民党との伯仲状態に持ち込めるかもしれない。しかし、問題はどこまで国民生活を守る政治が実現できるかどうかである。鳩山由紀夫にそれができるとは、私には思えない。


PS

もし鳩山由紀夫が民主党代表になったら、「角影内閣」、「直角内閣」、「田中曽根内閣」などに倣って、「鳩山一郎体制」(鳩山由紀夫と小沢一郎が組んだ、民主党の世襲政治家支配体制)と呼ぶと良いと思う。


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小沢一郎民主党代表が辞意を表明した。昨夕5時から行われた記者会見では、小沢一郎は笑みさえ浮かべており、代表辞任の無念さより、肩から重荷を下ろした解放感の方が強く感じられた。

「戦うための選択だ」とする小沢の言葉に嘘はないだろう。田中角栄の秘蔵っ子として育ち、権力の何たるかを知り尽くしている小沢一郎は、「嘘も百回繰り返せば真実になる」という権力のやり方は百も承知だろう。西松事件に関しては、かつて自民党および自由党で政権側にいた頃の小沢一郎は、叩けばいくらでも埃の出る政治家であって、当時は法に触れることもしていたという情報もいただいているが、小沢が政権側から離れたのは2000年、さらに岩手県の有力建設会社が破綻したのが2002年であり、自民党や自由党時代の件はすべて時効になっている。それ以降の小沢一郎は、収賄罪やあっせん利得罪に触れるようなことは、しようにもできなかった。野党政治家の限界である。東京地検はいろいろ捜査したことだろうが、おそらく近い将来、総選挙の後にでも自民党の政治家を立件するための材料しか見つからなかったのではないか。だから、大久保隆規秘書を虚偽記載罪で起訴することしかできなかった。しかし、検察はともかく麻生太郎や読売・産経新聞などの狙いは、単に小沢一郎のイメージを落とすことにあったから、彼らにとっては大勝利なのである。

かつて、70年代頃までは「絶妙なバランス感覚」を見せることも多かった日本の有権者も、近年は勝ち馬に乗りたがる傾向が強まった。これは、選挙で与党が勝つ時(悪夢のような郵政総選挙をはじめ1980年と1986年の衆参同日選挙など)も、野党が勝つ時(1989年や2007年の参院選など)も、いずれも有利とされていた側が選挙戦終盤で大きく勢いを伸ばした。昨年10月に大阪で行われた辺見庸の講演会で、故阿部謹也・元一橋大学長が「世間」を発見したと聞き、氏の著書『「世間」とは何か』を読んだが、この本の上梓から14年、現在の日本の社会は、個の確立どころか際限なく「世間」の影響力が強まっているようにさえ感じられる。隣近所や職場だけではなく、電波芸者たちに誘導されるテレビ世論も似た者が集まる「ネット論壇」(笑)もまた「世間」である。西松事件で小沢一郎のイメージがダウンしたことで麻生内閣の支持率が上がることなど、「周りが小沢民主党から麻生自民党に乗りかえたらしいから、私もそうする」という行動だとしか思えない。

勝ち馬に乗る「バンドワゴン効果」を止めるには、自ら身を引くしかないと小沢一郎は考えたのだろう。政治家は結果に責任を持たなければならないものであるから、小沢一郎の判断は妥当だと私は思う。

そして、民主党には小沢一郎の辞任をプラスに転じるしたたかさが求められる。小沢一郎は、西松事件が起きると、企業・団体献金の全面禁止を打ち出し、自民党の町村信孝に「盗っ人猛々しい」と負け惜しみを言わせしめた。同様に、小沢一郎は自身の辞任を、政治家の世襲制限につなげるべきだろう。麻生内閣の過半数が世襲政治家である一方、民主党も小沢一郎や鳩山由紀夫が世襲政治家であるため、どっちもどっちと見られがちだった。しかし、実際の政治家を思い出していただければわかるのだが、かつて世襲政治家は首相になれない時期が続いたこともある自民党はすっかり性格が変わってしまい、今では世襲にあらずんば政治家にあらずという状態だ。安倍晋三に至っては、「岸信介の孫」を売り物にして総理大臣にのし上がった。一方、民主党の世襲政治家の多くは、小沢一郎や鳩山由紀夫のように自民党から移ってきた人たちだ。民主党の『次の内閣』の名簿を見ていただければわかるが、民主党式に親や祖父と別の選挙から選出された議員を世襲にカウントしないなら、世襲議員に該当するのは小沢一郎ただ一人であり、代表交代によって誰もいなくなるのである。これは、自民党と差別化して有権者に大いにアピールできる点だ。ましてや自民党では人生最後の仕事として改憲に執念を燃やす中曽根康弘が、世襲政治家の権化ともいえる安倍晋三を再び押し立てようとしている。民主党の「反世襲」は、麻生太郎ばかりではなく、国賊・安倍晋三に対する強烈なカウンターになる。このメリットを活かさない手はない。

そのためには、小沢一郎の後継者は「鳩山一郎の孫」の鳩山由紀夫であってはならないことは言うまでもない。鳩山は、小沢を支えてきたとして、小沢一郎支持者からの評価が高いが、政治的スタンスは前原誠司よりさらに右に位置する右翼政治家である。改憲にだって熱心だし、コイズミ時代に自民党と「カイカクを競う」誤った路線を選択して参院選に惨敗した。さらに、2002年に民由合併の動きがあった時も、説明責任を果たさず民主党の支持率を大幅に下げる失態を演じ、代表辞任に追い込まれた。結局、民由合併は菅直人と小沢一郎によって行われたのである。このように、何度も失敗を犯している鳩山由紀夫を代表に据えることは、民主党にとって自殺行為以外の何物でもないだろう。同じように構造改革支持者で改憲論者である前原誠司も、「偽メール事件」の大失敗を3年前に犯したばかりで、鳩山由紀夫同様、絶対に代表にしてはならない人物だと思うが、鳩山と前原を比較すると、世襲でないだけまだ前原の方がましかもしれないくらいだ。それくらい、鳩山由紀夫は絶対に代表にしてはならない人物なのである。第一、自ら幹事長を辞任すると言っているのだから、代表になるのは筋が通らない。

岡田克也もできれば避けてほしい。政治家としての世襲でこそないが、イオングループの御曹司である岡田克也は、この格差社会時代の野党第一党党首としてはいかにも弱い。郵政総選挙の敗北は、仮に小沢一郎や菅直人が党首であっても避けられなかったと思うし、2004年の参院選勝利の実績もあるから、鳩山由紀夫や前原誠司が代表になるよりはマシだが、政権交代を起こすためには岡田克也では力不足ではないか。

結局、緊急避難的に菅直人を昇格させるか、さもなくば思い切って若手の長妻昭か馬淵澄夫を代表にするのが良いと思う。後者の二人については、その思想信条など必ずしも支持できない部分もあり、本当ならもっと社民主義寄りの人の台頭を期待したいのだが、それでは右派が納得するはずがないことも考慮すると、選挙に勝つためには、間違いなく有能な政治家である長妻昭や馬淵澄夫という選択も、大いにあって良いと思う。目的のためには手段を選ばないのかと言われれば、政治とはそういうものだとしか言いようがないし、権力の陰謀だか検察の暴走だか知らないが、西松事件での大久保秘書逮捕も、目的のために手段を選ばなかった結果だと私は考えている。政治は結果がすべてなのである。

西松事件によって、企業・団体献金の全面禁止、小沢一郎代表の辞任によって、政治家の世襲制限。民主党には、災いを転じて福となすしたたかさで、自民党との差別化を図ってほしいと思う。


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13日に行われることになった小沢一郎と麻生太郎の党首討論について、民主党の鳩山由紀夫幹事長が、与党が補正予算案を衆議院で強行採決するなら党首討論を拒否する可能性を示唆するなど、直前まで討論自体をやる、やらないでもめそうだ。

コミュニケーション能力が政治家の大きな資質の一つであることはいまさら言うまでもない。どういうわけか、世襲政治家には自分の能力を過信する傾向が強く、その最たる例が安倍晋三だった。安倍は、「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と言って、別に政権選択選挙でも何でもないはずの参議院選挙を自分から政権選択選挙に設定したあげく、歴史的惨敗を喫する醜態をさらした。漢字の誤読をはじめ、日本語を話しても英語を話しても何を言っているかわからない麻生太郎も、安倍と五十歩百歩であって、一時は支持率が一桁まで落ち込んだ麻生が何を根拠に今自信満々なのか、私にはさっぱり理解できないし、昨年11月28日に行われた小沢との党首討論でも麻生は敗れたのだが、今回は西松事件で小沢を追及するつもりなのだろう。

小沢一郎は、安倍晋三や麻生太郎のように自らの人気やコミュニケーション能力について根拠のない自信を持っていないだけでも、安倍や麻生よりははるかにましだとは思うが、それでもそのコミュニケーション能力についてはすぐれているとはとてもいえない。地方を回ってミカン箱の上に立って聴衆に語りかける小沢一郎の演説は効果満点で、参院選でも小沢の地方行脚が功を奏したといわれているが、国会やテレビ番組での小沢はそうではない。それどころか、以前田原総一朗の番組に出た時など、自民党時代の小沢一郎の主張を思い出させるようなタカ派的言説の片鱗がチラチラと見えてひやひやさせられたりもした。

そんなわけで、小沢一郎を全面的に支持するわけにはいかないと私は常々考えているのだが、どういうわけか民主党内で小沢一郎に対して批判的な人たちを「反党分子」と呼んで、「民主党を出て自民党に行け」などと言う人たちがいる。それに同調する人が少なくないのは、民主党員でも支持者でもないため「反党分子」と呼ばれる筋合いもないし、仮にそう呼ばれたって痛くもかゆくもない私には、実に奇異に感じられる。

「反党分子」というと、共産党内の闘争を連想するのは私だけではないだろう。共産党では、党執行部を批判した人に対して「反党分子」のレッテルが貼られて除名されるということがしばしば起きる。日本の政党の中でも主張がいちばんもっともだと思われる共産党を私が必ずしも支持しないのは、一枚岩を追求するように見える同党の姿勢に共感しないからだ。公明党にも同様の性格が見られる。小沢一郎を支持しない党員を「反党分子」と批判する人たちは、共産党や公明党の悪いところを民主党に取り入れようとしているのではないかとさえ思えてしまう。

しばしば「反党分子」として指弾される前原誠司は、私も支持しないが、前原が民主党にいるのにはそれなりの理由があるのだ。前原は、構造改革支持者だし、憲法9条改正論者で集団的自衛権はもちろん核武装にも容認的であり、以上の点では安倍晋三とウマが合うのかもしれない。しかし、前原は構造改革には肯定的であっても、「小さな政府」には否定的であって、コイズミカイカクを継承した安倍とは立場が異なる。男女共同参画については積極的であり、バックラッシュの安倍とは対極にある。先の戦争における日本の戦争責任に対しても、真摯に反省する必要を認めており、歴史修正主義に立つ安倍とは全く立場が違う。原子力発電に対しても懐疑的で、原子力業界の意のままに政治を行っていた安倍とはスタンスがかけ離れている。

このように、前原の主張にも見るべきところがあると指摘するだけで、「前原誠司を買っておられるようだが」などと書かれたメールをいただくのには閉口してしまう。構造改革と9条改憲という大きな問題で前原に賛同できない以上、私が前原を支持できないのは当然だ。だが、それは前原の主張全体を否定することにつながらないのもまた当然である。

何が言いたいかというと、民主党内で小沢一郎を批判しているからと言って、「反党分子」である前原誠司を追放する「純化路線」を追求することは、構造改革路線の復活や憲法改正への道を、わざわざそれに反対する側から開くようなものだということだ。仮に前原が自民党入りしないまでも、新党を結成するなどして(実は小選挙区制重視の現行制度ではデメリットが大きすぎるため、平沼赳夫や渡辺喜美も新党結成ができず苦戦しているのだが)フリーな立場を確保すれば、自民党が呼びかける改憲への動きに呼応することは明らかだろう。

そもそも、「純化路線」は小沢一郎がかつて失敗した最大の原因であり、1994年に小沢一郎は連立政権から社会党を追い出そうとしたところ、社会党とさきがけが自民党と組んで、村山富市政権が成立してしまったのである。この時、河野洋平総裁のもと、自民党がハト派化したかに見えたこともあって、当時の私は小沢一郎が独裁を狙っているように見えた非自民連立政権よりは自社さの方がマシかと考え、これを支持したが、自民党内に多数棲息していたタカ派勢力は息を潜めていただけだった。そして2000年の森喜朗政権成立以来、清和会の勢力が伸張し、日本の政治はかつてなく極右化してしまった。その腐った土壌に咲いたあだ花が安倍晋三だったのである。

小沢一郎が、自身の言葉通り「変わった」かどうかは議論の分かれるところだが、私が小沢を評価する点の一つは、2006年4月の代表就任以来、「改革クラブ」を結成した極右議員を除いて分裂の動きを抑えていたことだ。そのやり方については、昨年代表選を行わなかったいきさつの不透明さなど、疑念を感じる部分も多いが、それでも政権を獲得するためには自民党より先に分裂しないことが肝要だ。それなのに、前原誠司らを「反党分子」と論難したり、離党をけしかける一部小沢支持者の論調を見ていると、この人たちは果たして本気で小沢一郎を支持し、応援しているのだろうかと訝ってしまう。

何より、「反党分子」呼ばわりの非難でいただけないのは、指導者への批判は許さないという全体主義的体質であり、日本共産党への類似を通り越して、反対者を粛清したナチスドイツやスターリンのソ連に相通じる危険性を感じる。また、コイズミへの批判がタブー化した、21世紀に入ってからの自民党との類似も感じる。

民主党や、かつての自民党で評価できるところは、党内の意見の多様性にある。党内で百家争鳴の議論のある政党でなければ国民政党になれないし、一足お先に多様な意見が封じられた自民党に続いて、民主党まで同じような性格の政党になってしまったら、日本に国民政党になり得る政党がなくなることになりはしないか。

どんなに批判がうるさく感じられようが、前原誠司や仙谷由人らの批判勢力を抱え込みながらでなければ、政権交代など夢のまた夢になってしまうのではないかと思う今日この頃なのである。


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昨年10月25日に大阪で行われた講演会における辺見庸の言葉が忘れられない。辺見は、「今後これまでの新自由主義に代わって、国家による統制をよしとする言論が支持されるようになり、それに伴って国家社会主義の変種ともいうべき者が、「革新づらをして」現れるだろう」という意味のことを語った。これについては、昨年10月27日付エントリ「新自由主義のあとにくるもの ? 国家社会主義を阻止せよ」に書いたが、その後のNHKの番組やそれに基づいて出版された辺見の単行本では、ここまで生々しい形ではこの警告は発せられていない。しかし、事態はますますこの方向に進んでいるように見える。

この辺見庸講演会の少しあと、国籍法改正騒ぎが起きた。自民党の政治家はおろか、産経新聞でさえ当初問題にしなかったこの改正について、排外主義を唱えるネット右翼が騒ぎ出し、それに呼応して平沼赳夫や城内実が法改正反対論をぶち始め、国民新党や新党日本など、民主党と右から提携している政党もなびいた。結局国籍法は改正されたが、ネット言論ばかりではなく一部の政治家、それも平沼赳夫や城内実のようなファシストばかりではなく、田中康夫らまで排外主義にいつでも加担する動きを見せたことには危機感を持った。

昨日のエントリで、1930年代とのアナロジーが気になると書いたが、連休前に発売された週刊朝日の増刊号「朝日ジャーナル 創刊50年・怒りの復活」に掲載された柄谷行人の「国家と資本?反復的構造は世界的な規模で存在する」は、1930年代よりも大英帝国が衰退して帝国主義列強がヘゲモニー国家を目指して争い始めた1880年代とはるかによく似ていると主張している。そして、ついこの前まで新自由主義を唱和していた日本で、急激に福祉政策・社会主義への関心が広まりつつあるが、それがまた急激に保護主義・排外主義に転化しない恐れは何もないと指摘している。

柄谷行人は、1890年代以降に勢力を拡大した社会民主主義者やアナーキストが第1次大戦において国民の利益のために開戦に踏み切ったとしているが、昨日のエントリにコメントいただいたぽむさんによると、現在の日本は、1930年代の日本よりも、同時期、ワイマール末期のナチス独裁へ向かったドイツにより近いとのことだ。第1次対戦の敗戦によって世界でもっとも進んだワイマール憲法を持つに至ったドイツが、ヴェルサイユ条約により過酷な賠償金返済の義務を課せられ、それが1929年の世界恐慌に先立つすさまじいインフレの一因となってドイツ国民の暮らしを苦しめるとともに、ドイツの再軍備にも厳しい制約を加えた事が「愛国者」たちの不満を鬱積させることとなり、1929年の大恐慌で壊滅的な打撃を受けて自暴自棄となった国民が全権をナチスにゆだねてしまった、とぽむさんは指摘する。

何年代により似ているかということは、さして重要ではなく、問題は、保護主義と排外主義を強く求める自称「愛国者」たちが過去に世界のあちこちの国で道を誤らせた歴史を人類が持っていることだろう。「右も左もない」というスローガンは、排外主義者にとって好都合だと私は考える。それは、このスローガンを掲げるブログが城内実を応援し、昨年ネットで集中砲火を浴びた城内の国籍法改正をめぐる言説さえ支持・擁護したことからも明らかだ。

今後、日本の政治・社会にとって最大の脅威は、排外主義者の台頭であると考える今日この頃である。


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連休中はブログをほとんど更新しなかったためか、ブログを書く調子が戻ってこないが、ここで止めるわけにはいかないから再開する。この連休は、新型の豚インフルエンザのニュースばかりだった。

インフルエンザの呼称については、ニューヨーク・タイムズなどでは "new swine flu"(新型の豚インフルエンザ)と表記しているようだし、当ブログもそれに準じる。4月30日付エントリ「情報過多社会は却って重要な情報を見逃すのではないか?」で、うっかり

「豚インフルエンザ」から「豚」の文字が消え、「新型インフルエンザ」なる情報量を減らした呼称に変わった。

と書いたが、これは必ずしも正しくなかった。テレビでは確かに「豚」とは言わなくなったが、朝日新聞が「新型の豚インフルエンザ」と表記しているほか、ウェブ版では「新型インフルエンザ」としか表記していない新聞の中にも、紙面では「豚」の文字を適宜入れているところもあった。

インフルエンザは、日本ではこれから1か月もすれば梅雨に入るし、報道も下火になるだろうが、この冬には脅威になる恐れがある。その頃には、総選挙も終わっているはずだ。

総選挙の日程だが、異様なまでにメンツにこだわる麻生太郎のことだから、サミットに出席したいだの安倍晋三や福田康夫なみの任期は務めたいだのとくだらないことを考えるに違いなく、それでも麻生の手で解散だけはするだろう。おそらく投票日は8月30日か9月6日で、実質的には任期満了選挙になり、自民党は負ける。但し次期首相が小沢一郎になる保証はない。

このところ気になって仕方がないのが1930年代とのアナロジーなのだが、当時の日本はイタリアやドイツのようなファシズム政権には分類されず、拡張主義的な軍事独裁政権とされているようだ。現在の日本は、国力の衰退が進むとともに、危険な排外主義の機運が高まっているように思う。世界経済危機に当たって10年間選挙を停止せよと発言したことのある平沼赳夫などは明白なファシストであると私は思うが、せめて歴史によく学んで、過去に人類が犯した誤りは繰り返さないようにしたいものだ。過去にもファシストたちは右も左も取り込もうとした。今後日本の政治も経済も大混乱は避けられないだろうが、日本は世界の中で生きていかなければならない。その一方で、日本経済が内需拡大を必要としている。今回のアメリカ発経済危機のように、大国に振り回されてもならない。内にこもってはならず、外に振り回されてもならない今後の日本の舵取りは非常に難しく、ファシストの平沼は論外だが、無能な世襲政治家どもにもとても任せられないと思う今日この頃である。


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62回目の憲法記念日は日曜日と重なった。そういえば、22年前の憲法記念日も日曜日だった。あの日、朝日新聞阪神支局の記者が凶弾に倒れた。そして、「言論の自由」の危機は、今日さらに深まっている。

昨年には稲田朋美が映画「靖国」を検閲しようとした。映画が一般公開されたのは、昨年の憲法記念日だった。

今年はそうした話題はないが、NHKが総合テレビで帝国憲法、教育テレビで現憲法の25条が取り上げられる。そして、前者はNHKスペシャル「JAPANデビュー」の第2回なのだが、その第1回、戦前、戦中の日本の台湾統治を扱った番組が、安倍晋三、稲田朋美、町村信孝ら極右政治家や、櫻井よしこ、金美齢ら極右文化人らから「偏向」批判を受けているのだ。

放送倫理・番組向上機構(BPO)が、昭和天皇の戦争責任問題を扱った2001年のNHK番組を安倍晋三と中川昭一が改変させたとされる件について問題性を指摘する意見書を出したことは、前のエントリで書いたばかりだが(私がBPOを批判したと受け取った方もおられたようだが、それは誤読であることをおことわりしておく)、安倍は性懲りもなく、またNHKを操ろうとしているのである。

このところ再び表舞台にしゃしゃり出るようになった安倍は最近、集団的自衛権の行使を可能にする憲法9条の解釈変更を自民党のマニフェストに明記せよと吠えているそうだが、そんなことは勝手に言わせておけば良い。一昨年の参院選の二の舞になるだけだ。しかし、安倍の危険なところは、かつてのNHK番組改変問題に見られるように、権力をかさにきて言論の自由を脅かすところだ。これは、断じて許してはならない。

今朝の朝日新聞は、ここ数年の憲法記念日の中ではもっとも地味な紙面で、1面で9条と25条、社説と社会面では25条に焦点を当てていた。しかし、正直言って周回遅れのランナーみたいに見える。生存権の危機は、もちろん大きな問題だが、もう指摘されてからかなり経つ。一方、昨今話題になっているリーク報道など、言論をめぐる問題は、ここにきて重大さを増してきたように思う。

そこへの目配りを新聞に求めるのは、ないものねだりにすぎないのだろうか。

(以下追記)