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きまぐれな日々

1日半ネットにアクセスできなかっただけで、報道は大きく変わっていた。昨夜、政府・自民党の人たちが何か言っただけで、「豚インフルエンザ」から「豚」の文字が消え、「新型インフルエンザ」なる情報量を減らした呼称に変わった。まるで「言葉狩り」みたいだと思った。そして、名称の人畜無害化とは裏腹に、「フェーズ4」に引き上げられたばかりのインフルエンザの警戒レベルは、早くも「フェーズ5」に再度引き上げられた。この分では、早晩「パンデミック」(世界的大流行)に当たる「フェーズ6」に引き上げられるのではないか。

もう一つあれっと思ったのは、感染者や死者が多かったはずのメキシコのデータが少なく修正されたに対し、感染者が少なく死者も出ていなかったはずのアメリカでも死者が出ていただけではなく、感染者数のデータが大幅に多く修正されたことだ。当初、メキシコでは対応が遅れて感染が広がり、アメリカではちょっと体調が悪いだけですぐ医者に診てもらう習慣がついているので被害が広がっていないなどと報道されていたが、それがとんでもない大嘘だったことがわかったのである。

インターネットが普及した情報先進国のはずのアメリカのこのていたらくは、あまりに情報が多すぎると、重要な情報とそうでない情報の区別ができなくなって、真に重要な情報を見逃してしまうのことを意味していないだろうか。常識的に考えても、貧困層がまともな医療を受けられないアメリカの社会は、インフルエンザ大流行のリスクを抱えているはずだ。

ネット界隈でも、「豚インフルエンザ」なんて大した問題ではない、政府批判の矛先をそらすためにメディアが大騒ぎしているだけだとする意見が多く見られた。しかし、さすがに『きっこのブログ』は、インフルエンザの名称変更に、アメリカの豚肉業者への政府・自民党の配慮があることを鋭く突いている。

さらに、河村官房長官が「総選挙に新型インフルエンザが影響しないように努めたい」と言っていると聞いて、平沼赳夫が「百年に一度の経済危機にあっては、国政選挙を十年くらい凍結すべき」と言った失言を思い出した。麻生のことだから、権力の座を維持するためには豚インフルエンザを口実にした憲法停止くらいやりかねないと思う私は、疑り深すぎるだろうか。

この4月末に話題になった事柄としては、月刊誌の休刊・廃刊などもあり、数日前の朝日新聞の論壇時評(評者・松原隆一郎)でも取り上げられていたが、これは、右派系論壇誌『諸君!』が最終号となる今年6月号を発売したこととも関係があるのだろう。しかし、活字媒体が凋落する一方で台頭してきたネット言論について言えば、もちろん個人が発信できるという特徴があって、当ブログのような素人ブログでもある程度の読者を獲得できるというレベルの問題もあるけれども、活字媒体と比較してポピュリズム色が強いことが、私には気になる。いわゆる「ネット右翼」の世界では、内輪ウケの閉鎖性がだいぶ前から常態化しているが、リベラル・左派系でも同様の傾向が目立ってきたのではないだろうか。「政官業癒着構造」にせよ「悪徳ペンタゴン」にせよ、最初の批判にはそれなりの根拠があったのだろうが、ディベートの武器として、自らの論に反するものを「悪徳ペンタゴンの手先」と決めつけ、ひたすら論敵に対する罵詈雑言を投げつけ続けるやり方からは、ネット言論の深みは生まれてこないし、それって結局ネット右翼たちがはまったと同じ落とし穴にはまろうとしていることなのではないかと私には思えるのである。

そして、気がついた時には、放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」が旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの特集番組に放送倫理上の問題があったと認定したことなど、ネットでは誰も触れなくなっている。2001年1月に安倍晋三と中川昭一がNHKに圧力をかけて番組を改変させたことは、2005年1月の朝日新聞の報道で発覚したのだが、このニュースにしても、部外者だった毎日新聞の方が当事者だった朝日新聞より突っ込んだ記事を書いているように思う。毎日新聞は、

 8年前に放送された番組について決定を出すのは異例。川端委員長はその理由を「NHKは放送・制作部門の責任者が政治家に放送前の番組の説明をする可能性を今も排除していない」と説明した。

と書いているが、これは、NHKが今も政治家による番組改変の可能性を事実上認めている以上(「政治家に放送前の番組の説明をする」とはそういうことだろう)、何年前の番組だろうが何度も繰り返して注意を喚起する必要がある件である。特に、安倍晋三と中川昭一がこの件に関与したとされることは、決して忘れてはならない。しかし、朝日新聞以上に政府やスポンサーの束縛など何もないはずの市民ブログがこの件に目を向けようともしない。こんなざまではネット言論が活字媒体にとって代わろうなど百年早いと言われるのが関の山ではなかろうかと思う今日この頃なのである。


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今日は時間がないので手短に。世界保健機関(WHO)が27日、豚インフルエンザの世界的な拡大を受けて、インフルエンザへの警戒レベルを現行の「フェーズ3」から「4」に引き上げられたことが報じられるや、途中から見たNHKの朝5時台のニュースは、この件に関するニュースがずっと流れていた。

従来の「フェーズ3」は、「人に感染する新しいウイルスを確認。人から人への感染は限定的」とされるが、「フェーズ4」は、「人から人に新しい感染が続く。感染集団は小さい」と定義される。この上の「フェーズ5」は「大きな集団で感染」、「フェーズ6」は「世界的大流行(パンデミック)」とされる(読売新聞より引用)。

私が「パンデミック」という言葉に接するようになったのは最近のことで、今年2月1日に放送されたNHK・ETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」を見た時だ。辺見庸が「しのびよる破局」というタイトルを最初に用いたのは、昨年9月に共同通信から配信された「水の透視画法」(四国新聞では2008年9月20日付)だったと思うが、その記事では「パンデミック」という言葉は使っていない。NHKの番組制作の過程で、このキーワードが前面に出てきたものと思われる。先月末に、同じタイトルを用いた単行本『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』(大月書店)が刊行され、この本については4月7日付エントリでも少し触れたが、第一章「破局の同時進行」の書き出しに、「同時性のパンデミック」というタイトルがついている。本は、昨年来の金融危機への言及から始まるが、辺見は、

新型インフルエンザの感染爆発をあらわす「パンデミック」ということばがありますが、いま進行している状況を広い意味で、いわば破局全体をあらわすことばとして、試みに、これを用いてもいいのではないかと思います。
(辺見庸 『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』(大月書店、2009年) 9頁)

と書いている。

今回の豚インフルエンザのニュースに接して、直ちにこの本のことを思い出したことはいうまでもない。一部で懸念された「フェーズ5」ではなく「フェーズ4」への引き上げだったことが救いだが、たった今NHKテレビので東北大学の押谷仁教授が、「フェーズ5や6と判定されてもおかしくない状況」だと語っていた。

メキシコには、昔アメリカのサンディエゴから国境を越えてティフアナを訪れたことがある。昨日のニュースではそのティフアナの様子も映っていた。感染者が集中しているメキシコ市からはるか離れているせいか、人々はのんきそのものだったが、感染は既に北米大陸のアメリカ、カナダのほか、スペインとイギリスに拡大している。ヨーロッパで「感染の疑いがある」とされた人はこの他数か国に及んでいる。徒に危機感を煽ってはならないことは承知しているが、今後もこのニュースから目が離せそうにない。


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河村たかしが名古屋市長選で圧勝したが、マスコミが喧伝するような、千葉・秋田の県知事選で民主党が推した候補が敗れたのは「西松事件の影響」で、名古屋市長選は与党の復調に水を差した、などという事実はない。千葉県知事選はポピュリズムにしてやられたものだし、秋田県知事選は「佐竹ブランド」の勝利、そして名古屋市長選はもともと民主党が圧倒的に強い地域でテレビによく出演するタレント性の強い候補が勝っただけの話だ。特にテレビへの露出度は候補の当選・落選を左右する大きな要因になっている。河村たかしは、テレビでよく右翼的な発言をする元民社党系の民主党右派政治家である。

こんなことを書くと、またお前はウヨサヨ論か、この世の中、右も左もないんだよ、などと批判を受けそうだが、ソマリア沖の海賊対策にかこつけた海賊対処法案の審議のニュースなどを聞くと、政治のなし崩し極右化はますます激しくなっていると言わざるを得ない。昨日(26日)のTBSテレビ『サンデーモーニング』でもコメンテーターたちに指摘されていたが、これまでは自衛隊の海外派遣は憲法に配慮した時限立法だったのに、海賊対処法案は恒久法で、しかも自公案では国会での事前承認も必要ないとしている。法案に反対している民主党にしても、修正にこだわっているのは「事前承認」の部分だけで、総選挙を経てしまえば仮に自公与党が過半数を確保しようが3分の2に到達する見込みはほとんどないのだから、審議を引き延ばせば海賊対処法案は潰れるのだが、民主党は参議院での審議を引き延ばさずに否決する方針らしく、要するにもう少し経てば確実に使えなくなる再議決をどうぞお使いください、と実質的に自公与党に協力しているようなものだ。『サンデーモーニング』では、普段は自民党べったりの岸井成格でさえ、「最低でも国会の事前承認を入れなければダメだ」と言い、寺島実郎を筆頭とする岸井以外のコメンテーターはすべて無条件で法案に反対していたが、いまや極右化して暴走している自民党と、それに無抵抗で従う、どこが弱者の味方かわからない公明党が、総選挙前にやれることは全部やってしまえとばかりに横車を押し、民主党もそれを事実上黙認する。そんな情勢下で、安倍晋三や平沼赳夫に近いのではないかと思われるほど右翼的な河村たかしの当選を喜ぶ「リベラル・左派」のつもりの人たちの気持ちが、私にはわからない。

話をミニ統一地方選に戻すと、現職の落選が目立つことこそ注目されるべきだ。朝日新聞(26日付紙面)でも、2面に小さく「ミニ統一地方選 現職苦戦目立つ」という見出しで、高知県四万十市でも自公が支援した現職の沢田五十六氏が、民主、共産、社民が推薦した新人の田中全氏に敗れたことを伝えている。要するに、この閉塞状況の中、どこの地域の住民も、「チェンジ」を求めているということだ。ところが、朝日新聞の記事を見ると、四万十市は別として、昨日投開票の行われた岐阜県各務原市、兵庫県淡路市、和歌山県田辺市などでは自公に民主党が相乗りした候補が当選している。四万十市のような民主・社民・共産の共闘の方が稀なケースであり、民主党がどこまで国民の不満の受け皿になれるか、かなり疑わしい状況である。

民主党の小沢一郎代表の問題について書くと、25日付の朝日新聞が、米コロンビア大教授のジェラルド・カーティス氏が、24日に行われた民主党が設けた有識者会議に出席して、「国民とのコミュニケーション能力がない人は総理大臣になる資格はない」と述べ、小沢氏と民主党を厳しく批判したと報じた。
http://www.asahi.com/politics/update/0424/TKY200904240296.html

カーティス氏は、昨日早朝に放送されたTBSテレビ『時事放談』でも同趣旨の発言をしていた。

このカーティス氏は、3月12日付の朝日新聞に、西松事件について「検察には説明責任がある」として、説明をしようとしない検察が国民の政治不信のみならず国家権力に対する不信感を深めていると批判していた。だから民主党が有識者会議に呼んだのかもしれないが、そこで民主党批判が飛び出したというわけだ。

これ以上小沢一郎は何を語れというのかと主張する人もいるが、どんなに怪しげな捜査であり、マスコミが権力側に加担した報道をしていようが、それに打ち勝つ説得力を持った言葉を発することができなければ、国民の多くには訴えは届かず、政治戦に敗れてしまうのである。もともと自公政権に反対である私を説得したところで何の意味もない。マスメディアのちょっとした報道ですぐに支持政党や選挙での投票先を変えてしまう人たちをどう説得するか。テレビによく出てくるタレントたちのほうが、プロの政治家が変えられないものを変えてくれると思われている情けない状態をいかに打破するか。訴えが届かないのは偏向マスゴミのせいだとかB層のせいだなどと言っているようでは、いつまで経っても負け犬の遠吠えから脱せないと思う今日この頃である。


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当ブログは別に民主党マンセーブログでも小沢一郎マンセーブログでもないのだが、自民党があまりにアレだし、安倍晋三に「前原さんなら民主党政権になっても自民党と変わらない」と言われても何も言わない前原誠司などを見ていると、自民党や前原誠司よりは小沢一郎の方がまだマシだなあと、半ば苦々しく思いながら日々ブログを更新している。昨日のエントリにいただいたブログ『非国民通信』管理人・Rebellionさんの「はてブ」コメントにあるように、

現在の政治的立場は「民主党」が「昔年の自民党」ぐらいで、今の「自民党」は過去に例のない極右政党と見れば概ね妥当ではないかと

というのが実感で、「極右よりはマシだから旧来保守よ頑張れ」と言わざるを得ない、嘆かわしい政治状況なのである。

民主党が打ち出した選挙区の世襲の禁止や企業・団体献金の全面禁止についても、自民党との差異を明確にするためというのと、西松事件への批判を小沢一郎自身が企業献金全面禁止を打ち出す「反転攻勢」の狙いがあるといえる。

民主党に関するニュースとなると、どうしても全国紙の中でももっとも民主党に食い込んでいると思われる朝日新聞に頼ってしまうのだが、今朝(24日付)4面の、秋山訓子記者の署名のある記事は、

 企業・団体献金全面禁止の検討を指示した民主党の小沢代表に対し、同党政治改革推進本部長の岡田克也副代表が先に出した答えは世襲制度だった。

との書き出しで始まる。

世襲制限は、自民党の菅義偉選対副委員長が、民主党の先手を取ろうとしたのか、先日総選挙のマニフェストへ盛り込みを目指すと表明したが、世襲議員の多い自民党内で麻生太郎首相をはじめとする議員たちから猛反発を食っている。中でも、高村正彦が「出自による差別」などと言ったのには苦笑させられた。というのは、朝日新聞が書く通り、

国会議員が子孫や娘婿ら親族に後援会など地盤を引き継ぐ世襲については、「政界への人材供給が限定される」と批判が強まっている

のが実態だからである。麻生は、憲法違反の疑いを示唆して世襲制限に反対しているが、憲法を屁とも思わない麻生には、「お前が言うな」と言いたい。4月17日付エントリ「世襲政治家の弊害を改めるには自民党を下野させるしかない」に、『ブログ blog で 情報交換』管理人・hamhamさんから、

民主政治の原点、多様な民意を国政に反映するためには、この世襲制度はガンです。そして、今後根本的な解決として、小選挙区制を比例代表制に変えるのが、一番、民主的、合理的で、憲法違反なんて言われることなく、主権者国民の多様な民意を政治に反映することが可能になる最善の改革ではないかと思います。

とのコメントをいただいたが、hamhamさんのご意見に私も賛成だ。それに至る前段階として、各政党が世襲禁止をマニフェストに盛り込んで、特にこの十数年日本の政治をめちゃくちゃにしてきた世襲政治家たちの弊害を廃する方向に進んでもらいたいと思う。自民党でも伊吹文明や中川秀直らは世襲制限に賛成している。コイズミがこの件について何か言ったとは寡聞にして知らないが、たぶん反対だろう(笑)。

ところで、前記の秋山訓子記者が書いた朝日新聞記事によると、自民党との差別化が容易な世襲制限に関しては、民主党がマニフェストに盛り込むことはすんなり決まったが、企業・団体献金の禁止については民主党内でも議論が分かれたようだ。岡田克也は移行期間を5年間設けたい意向だったが、若手が猛反発し、細野豪志、馬渕澄夫両衆院議員が即時禁止論をぶち、総会をもう一度開くことになったとのことだ。岡田克也は、当初「企業・団体献金が悪で、個人献金が善という二元論が正しいのか」と言っていたが、小沢一郎や鳩山由紀夫に押し切られた形だ。このまま小沢一郎に代表に居座られてはたまらないとばかり、岡田克也は西松事件に関する小沢一郎の説明責任を指摘し、このままでは政権交代などあり得ないと語った。岡田氏が企業・団体献金の全面禁止より先に世襲禁止を打ち出したことについて、秋山記者は

父親の地盤を継いだ典型的世襲政治家の小沢氏に対する皮肉ともとれる面がある。

と書いている。但し、この記事には岡田克也のバックにイオングループがあることについては、何も書いていない。そして、民主党内には前述のように企業・団体献金即時禁止を主張する議員がいる一方、企業・団体献金に頼る議員からは移行期間をマニフェストに明記することへの反対論もあったようだが、結局5年以内の全面禁止の方向でまとまりそうだ。

自民党の町村信孝(よく、「町村のブタ化」という変換候補が現れるw)が企業・団体献金全面禁止を打ち出した小沢一郎を「盗人猛々しい」と評したことは記憶に新しいが、町村自身が無能な世襲議員にして企業献金に頼り切っているからこそ、こんな発言が出てくるのだろう。世襲や企業献金の禁止を総選挙の争点の一つとして論戦を戦わせてもらいたいと思う。もし自民党が憲法を持ち出して世襲禁止に反対するのなら、憲法を遵守する公務員の義務に反して敵基地攻撃論を主張する安倍晋三を、自民党から除名してもらいたいものである。


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当ブログに設置してあるカウンターの数値が300万に迫っていて、サーバーのトラブルでもない限り、今日、区切りの数字に到達する。ブログの開設は2006年4月16日であり(最初の記事は同4月9日付だが、さかのぼった日付をつけたものである)、先週でブログ開設からまる3年が経過し、4年目に入っている。

その間900件近いエントリを上げた。私は、どの記事を読んでも同じ、金太郎飴みたいなブログにはなるべくしたくないと心がけているのだが、能力に限界があり、似たような記事を多数書いてしまっている。それでも、今朝の朝日新聞4面に掲載されている、任期満了近い選挙を自民党が苦手としていて議席を減らす傾向があるという記事と同趣旨のエントリを、昨年9月3日付で上げたことを思い出すなど、いつどういう記事を書いたかはだいたい覚えている。そのうちのいくつかは人気エントリとなり、検索エンジンの上位で引っかかる。そして、その多くは特定の政治家や学者、あるいは電波芸者(テレビのコメンテーター)の名前で検索すると引っかかるものだ。だから、たとえば稲田朋美だとか大村秀章などが何かやらかしたりテレビでしゃべったりすると、いきなり彼らのことを書いたエントリのアクセス数がはね上がるので、何かやったなということがわかる。ブログにはこんなアンテナとしての活用法もあるのか、便利なものだなあと思うが、コンスタントにエントリを上げ続けないとその恩恵にはあずかれない。

そんなわけで、記念すべき300万アクセス到達の日を迎えたが、気分はいっこうに晴れない。労働者派遣法改正案の修正に向けた野党間の協議が難航していることを報じる朝日新聞の記事などを読んでいると、いっそう閉塞感が強まる。民主党議員は、「厳しすぎる規制は派遣で働く労働者や経済への影響が大きい」などと言っているらしいが、要は経団連の顔色をうかがっているのだ。政治思想的には民主党をはさんで「右」に当たる国民新党と、「左」に当たる社民、共産両党が規制の厳格化を求めて民主党を包囲する形になっているとのことだが、これはつまり、民主党には「第二自民党」的な新自由主義色が今なお濃いことを意味する。この例一つとってみても、仮に政権交代が起きたとしても政権には参加しないと予想される共産党が民主党を批判する時、共産党を「自民党の補完勢力」として非難するのは正しくないことがわかる。そして、朝日新聞も書くように、野党間で歩み寄らない限り、各党が問題視する現行法が温存されるのである。これでは政党、特に(自公与党は論外として)民主党がどこまで労働問題、貧困問題と真剣に取り組もうとしているのか疑われても仕方がない。

とはいえ、自民党も民主党も同じかというとそうでもない。特に政治思想関係におけるこのところの自民党の極右化は目にあまるものがある。その多くは「真正保守」などと自称しており、これは自民党から追い出された平沼赳夫一派にも共通するものだ。そんな「真正保守」のいかがわしさを、休刊間近の右派論壇誌『諸君!』で櫻田淳氏が喝破したと、上杉隆氏が伝えている。『諸君!』の記事は櫻田氏と櫻井よしこ、宮崎哲弥両氏との鼎談になっていて、櫻田氏は櫻井氏を面と向かって批判し、保守政治家のあるべき姿について次のように述べている。

私がイメージする保守政治家とは、複雑に変転する現実と予測不可能な未来を前にして、常に国民の幸福の総和が最大限になるよう、臨機応変に政策を打ち出す人々のことです。しかし、最近、保守を自称する政治家たちの言動を観察していると、彼らは「政治活動家」ではないかと思うことがあります。「政治活動家」とは、自分の頭の中に思い描いたビジョンに現実のほうを合わせようという行動原理の持ち主で、共産主義者がその典型例です。「北朝鮮と交渉する政治家は売国奴云々」といった狭溢な視座しか持てず、自ずと選択肢を狭めてしまう。また、自分の政治信条と少しでも違うところのある者を排除してしまう。安倍氏が自分と近しい者ばかりを集めて「お友達内閣」を形成したのは、その好例でしょう。これではイデオロギー先行型の左翼活動家とたいして変わらない。本来の保守政治家はもっとフレキシブルであるべきで、いざとなれば社民党と話ができるぐらいの腹がなければなりません。

(『諸君!』 2009年5月号より=『週刊・上杉隆』経由)


上杉氏同様、私も櫻田氏の見解にほぼ同意する。「いざとなれば社民党と話ができるぐらいの腹」を持った政治家としては、まさにそれを実行している国民新党の亀井静香氏がすぐ思い浮かぶし、それに対して櫻井よしこが熱烈に支持する安倍晋三は、改憲一本槍の典型的なイデオロギー政治家であって、だから参院選で「国民の生活を第一」のスローガンを掲げた民主党に歴史的惨敗を喫したのである。しかし、その敗因を認めようとしない「真正保守」たちは今なお醜態をさらしている。

そのもう一つの例が、今月5日に放送されたNHKスペシャル「JAPANデビュー」に対する「真正保守」たち(実は単なるヘタレ右翼)の反応だ。私はこの番組は見ていないのだが、台湾在住の「むじな」さんという方が書かれたブログ記事「NHK「JAPANデビュー」第1回、どこが「反日媚中史観」よ?」を読めば、どういう内容の番組に右翼がどんな反応を示しているのかがわかる。私も台湾を何度も訪問したことがあるが、確かにこれほど訪問した日本人に友好的な国はなく、台湾を訪れて失望したことはない。しかし、それは台湾が「媚日」であることなど決して意味しない。そんなことは、少しでも相手の立場に立って物事を考えてみればすぐわかることだ。ところが、「真正保守」たちには、日本人は世界に冠たる民族であるかのような手前勝手な思い込みがあり、台湾の人たちに対して故なき優越感を持って見下しているから、彼らが「媚日」であると思い込みたいのである。彼らは、櫻田淳氏が言うように、自分のイメージに現実を合わせようという行動原理に従って思考し、行動する。これが、いわゆる「真正保守」の正体であって、櫻井よしこ、安倍晋三、平沼赳夫はいずれもこの類型に属する人たちだ。麻生太郎の場合は、純粋な「真正保守」ではなく、彼らに媚びを売った方が得策だという打算が入っていると私は思う。

だが、現在のような社会の閉塞状況にあっては、こんなトンデモの「真正保守」たちの訴えに耳を傾ける人々が増えており、その影響はネットで「反カイカク」を訴える、もとはリベラル・左派系だった人たちにまで広がっている。

とんでもない世の中になってしまった、果たしてどこまで反撃できるだろうかと、重い気持ちでブログ4年目を迎えた今日この頃なのである。


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2、3年前の「AbEnd」界隈では、連日安倍晋三が叩かれており、一昨年7月の参院選における自民党の惨敗と同9月の安倍首相辞任で盛り上がりはピークに達した。首相在任当時の安倍が狙っていたのは日本国憲法の改正であり、安倍の悲惨な退陣によって改憲の機運はしぼんだかに見えた。

しかし、その安倍がゾンビとなって甦ろうとしている。先月行われた安倍の地元・下関市長選でも安倍系列の候補者が惨敗するなど、安倍はもはや地元からも見放されつつあるのだが、なぜか自民党ではいまだに安倍の発言が目立つ、というより最近安倍は元気を取り戻しており、首相在任時に「村山談話」に対抗する「安倍談話」を残せばよかった、などと本気で言ったそうだ。

安倍が内閣官房長官をやっていた2006年、北朝鮮のミサイル発射に関連して額賀福志郎防衛庁長官(当時)や麻生太郎外務大臣(同)とともに、敵基地攻撃論を検討する必要性を指摘したことがあったが、昨日(21日)自民党本部で開かれた中堅、若手議員の議員連盟「北朝鮮に対する抑止力強化を検討する会」の会合で講演した安倍は、集団的自衛権の行使や敵基地攻撃能力の保有について議論しなければならないと述べた。

明白な憲法違反である安倍の発言はもちろん言語道断だが、永田町では次の総選挙での政権交代はないというのが「常識」らしいから(今朝の新聞に掲載されていた『週刊新潮』の広告による)、勢いづいた安倍ら極右議員がまた増長を始めたものだろう。自民党も民主党もどっちもどっちというイメージが、マスメディア報道の影響もあって定着してきたので、第三極の結集を狙う極右(平沼赳夫ら)や新自由主義者(渡辺喜美ら)が伸びることを安倍らは期待しているのかもしれない。だが、森田健作以上にむき出しの「自民党別働隊」である平沼赳夫や渡辺喜美らでは、いくらなんでもキャスティングボートを握るのは無理だろう。それが証拠に、彼らはいまだに「新党結成」にさえこぎつけていない。城内実あたりは、前回の落選で同情を引いてもいるし、「無所属」を売り物にして次の衆院選で当選するのだろうが、せいぜい平沼赳夫と二人で吼え続けていれば良い。万一自民党政権が続いていれば、復党させてもらえるかもしれない。片山さつきやその他大勢のコイズミチルドレンは大部分が落選しているだろうから、自民党復党への障害は何もなくなるはずだ。

昨年の「国籍法改正」に大々的に反対したことを持ち出すまでもなく、平沼赳夫や城内実は排外主義をあらわにした極右だが、その彼らが抜けたところで、自民党の体質はほとんど変わっていない。昨日、asahi.comが、自民党の外交関係の合同会議で女性差別撤廃条約の「選択議定書」をめぐって交わされた議論を報じていたが、それによると、批准を求める意見の一方で、「国連に助けを求めるほどの女性差別は今はない」「堕胎、離婚促進法だ」などの反対意見が続出したそうだ。中でも呆れたのは、

「(批准を)後ろで支援しているのは左翼だ。日本の家庭崩壊の危機は、人権など西洋的な考え方を教えて日本の伝統教育がないからだ」(asahi.comより)

と言ったという「男性議員」の反対論であって、朝日新聞はなぜこの議員の名前を匿名にしたのかと思うが、人権というのは日本の伝統文化に反する「西洋的な考え方」なのだそうだ。私はこれを読んで、「日本国憲法」の「改正」ではダメで「自主憲法制定」でなければならないと主張する平沼赳夫を連想したのだが、むろん自民党を離党しているから発言の主は平沼ではあり得ない。しかし、平沼に極めて近い考えを持つ議員であると言わざるを得ない。要は、こういう発言が平気でまかり通るのが自民党という政党だということだ。安倍晋三も平沼赳夫と親密なことで知られる議員だが、安倍のようなやつらが自民党にはウヨウヨいるのである。

昨日のエントリでも示唆したが、安倍が目指しているのは、人権を大きく制限する「警察国家」である。昨日たまたま、2004年に元国家公安委員長の白川勝彦氏(いまや絶滅危惧種となった「保守本流」の政治家)が書いた「忍び寄る警察国家の影」と題された文章が一部で注目を集めた。この文章は、政治について論じたものではなく、白川勝彦氏が渋谷で4人の警官に取り囲まれて職務質問を受けた時の顛末を書いたものだが、

警察国家になった時、その国の国民がどういうことになるか、これもまた明らかです。残念ながら、日本の警察にも、日本という国家に対して、私はそれほど楽観的になれないのです。そのような考え方は、決して危険思想でもなんでもありません。そもそも、自由主義というのは、権力への不信から出発した思想なのです。

という白川氏の主張は、傾聴に値するものだ。

そして、漆間巌を内閣官房副長官に起用した麻生太郎や、その漆間を引き立てた安倍晋三は、明らかに日本を警察国家にしようとしているのだ。それを許さないためだけでも、次回の総選挙では自公与党を惨敗させ、彼らを政権の座から引きずり下ろさなければならない。


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今朝(4月21日)の朝日新聞を見ていると、内閣支持率調査が出ていて、微増の26%(前回22%)となっているが、「いま投票するとしたら」として聞いた投票先では自民27%(前回27%)と民主32%(同31%)と前回とほとんど変わらず、自民党への追い風は止まった形だ。もちろん、麻生太郎首相が解散を取り止めた昨年10月の時点より麻生内閣および自民党への支持率は低く、これでは一部で言われる「5月解散」の可能性はほとんどないだろう。

しかし、腹立たしいのは民主党が完全に受身に回ってしまったことだ。3年前の「偽メール事件」直後のことを思い出す。堀江貴文を騙ったメールが偽物であったことが、当時問題になっていた4点セット(耐震偽装事件、ライブドア事件、防衛施設庁の官製談合事件、米国産牛肉輸入問題)を追及する必要性を損なうものでは全くなかったにもかかわらず、民主党の追及は、「偽メール事件」ですっ飛んでしまった。2006年2月16日の永田寿康の国会質問から同3月31日の前原誠司民主党代表(当時)の辞意表明、そしてそのしばらく後に至るまで、国会論戦における民主党は著しく精彩を欠いた。今回も、3月3日の大久保秘書逮捕から1か月半あまり、民主党の政府追及は全く元気を失っている。

一刻も早く、争点を「西松事件」から「国民生活の再建」に争点を移すべく、民主党の果断な行動が求められると思うのだが、朝日新聞を読んでいると、今月中旬に結果が出るはずだった民主党独自の衆院選情勢調査は下旬にずれ込んだという。といっても既に下旬に入っているのだが、党執行部が先送りを図っているようにしか見えない。これでは、自公政権に不満を持つ多くの国民も納得できないだろう。

一方、千葉や秋田の知事選で「民主党が負けた」と大騒ぎしていたマスコミも、青森市長選をはじめとする「ミニ統一地方選」での自民党の劣勢を報じざるを得なくなっており、朝日新聞も今朝の紙面で、青森を選挙区とする津島雄二が衆院選で厳しい情勢だとか、自民党の参院幹部が「補正予算だけでは票にならない」と言ったとか、自民党の幹事長経験者が「なぜ、自民党の支持率が伸びてこないのか」と危機感を募らせた、などと報じている。厳しい経済状況の中、政治が膠着状態に入ったとは、大げさにいえば日本国が機能不全に陥ったといえるのではないか。こんなご時勢だから、選挙では「無所属」を謳うだけで有利になる。それを悪用したのが森田健作だったが、自民党はこんな姑息な手を使わなくてはやっていけないほど足腰が衰えてしまった。

政治の膠着状態についてぼやいているだけでは芸がないので、今日のエントリ後半では、部屋を整理していて見つけた3年前の週刊誌の記事を紹介したい。

コイズミ政権の最末期、安倍晋三内閣発足直前に発売された『サンデー毎日』2006年9月10日号に、「安倍晋三を支える「警察エリート3人衆」」と題された記事が出ていて、この記事によると、安倍内閣の事務方トップの官房副長官に警察庁長官(当時)の漆間巌を起用する説が浮上したというのである。

060910_サンデー毎日表紙当時安倍が政権の柱として打ち出したのが、「国家安全保障会議」(日本版NSC)の設立だったが、この組織は表向き外務省や防衛庁(当時)が主体になるはずが、記事中で安倍の知人が語るところによると、「安倍氏は軟弱な外務官僚が嫌いなので、結果的に警察庁と親密になっている」とのことで、漆間巌の官房副長官就任説が浮上したと記事は書いている。

ジャーナリストの川邊克朗氏によると、安倍は警備局長時代の漆間の、拉致問題に関する国会答弁が気に入ったらしいとのことで、漆間はコイズミ時代末期の首相官邸に出向く姿が目立っていたそうだ。

『サンデー毎日』の記事は、次のように書いている。

 だが、考えてもみよう。首相や官房長官(注:安倍は当時内閣官房長官)とはいえ、捜査機関トップが直接、特定の政治家のもとへ通う ── 仮に検事総長が同じことをすれば、日常的に「指揮権発動」を受けることになりかねない。警察庁は行政機関だが、準司法的な性格を持つ以上、素直にうなずけない行動だ。
(『サンデー毎日』 2006年9月10日号記事 「安倍晋三を支える「警察エリート3人衆」」より)


結局漆間巌は安倍内閣の官房副長官にはならなかったが、2年後に麻生太郎内閣の官房副長官になった。もちろん、漆間は検察ではなく警察の出身だから、検察に影響力を行使できたなどと主張するつもりはないが、安倍晋三や麻生太郎がどういう方向性を持った政治を行おうとしているかは明らかだと私は思う。そして、今回の西松事件の捜査は、エリート揃いの東京地検の検事たちにしては迷走が目立った印象が強い。捜査に影響を及ぼした何らかの力が働いていたのではないかという疑いを、私は捨て切れない。

なお、『サンデー毎日』が書いた「安倍晋三を支える「警察エリート3人衆」」のあとの2人は、三谷秀史・内閣情報官と北村滋・警察庁外事課長(当時)である。三谷秀史については、ネット検索をかけたら『カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記』の2006年9月9日付記事が引っかかり、酒に酔って共同通信記者を平手打ちした事件(前記『サンデー毎日』にも出ている)や、

三谷秀史と、共同通信・朝日新聞は、佐賀県警記者クラブで、ラグビーを通じて、合同ラグビーチームを作るほど、かなり深い繋がりがある。三谷秀史と森喜朗は、ラグビーでも繋がっていることになる。

などという記述が出ている。北村滋は、神戸新聞の記事によると、今年4月1日付で兵庫県警本部長に就任したようだ。

安倍晋三や麻生太郎はいったい何をたくらんでいるのか。今後も、彼らに対して警戒を怠ってはならないと思う今日この頃である。


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昨日(19日)朝のNHKニュースで、2016年の五輪を東京に誘致するために麻生太郎首相が主催した、来日中のIOC評価委員会を歓迎する公式晩餐会について報じていた。アナウンサーの首藤奈知子が、カメラを入れることは許されなかったのでと言いながら、晩餐会で出されたメニューの紹介をしていたが、それ以上ニュースを見る気がしなくなってチャンネルを替えた。私は2016年の五輪は東京なんかでやるべきではないと思うが、NHKは石原慎太郎や麻生太郎に媚びを売っていた。このところのNHKニュースの御用報道化はひどい。おかげで、ニュースを読まされるアナウンサーの印象まで悪くなっている。首藤奈知子も、松山放送局でローカルニュースを読んでいた頃の方が良かった。騒々しくて朝のニュースには似つかわしくない。

それでもNHKなどに持ち上げられて麻生太郎はこのところずいぶん機嫌が良いらしく、記者会見でエビちゃん(蛯原友里)を知っているかとか、あぶさん(水島新司の野球漫画の主人公)の年齢を知っているかとか、どうでも良い質問を記者にしたそうだ。内閣支持率が20%台、提灯持ちのNHK調査では30%に達して、これで実質的に封じられていた解散権を回復したぞ、というのが強気になっている原因らしい。しかし、昨年秋の首相就任当時には、麻生は内閣支持率が40%台にとどまったことに、予想外の低さだとショックを受けていたのだった。そして、このまま解散総選挙をやっても勝てないという調査結果が出て、解散に踏み切れなかった。それが今や、支持率が20%台に「上がった」ことで有頂天になっているのだから、根っからの楽天家というかおめでたい人である。たぶん15兆円の追加経済政策も国民の支持を得られると信じているのであろう。

昨日の早朝に放送されたTBSの『時事放談』では、国民新党の亀井静香が政府・与党の追加経済政策を「選挙目当てのバラマキで、しかもそれを消費税増税で回収しようとしている」と一刀両断にしていた。自民党案よりさらに規模の大きな財政出動を主張する国民新党の亀井氏による「バラマキ」批判だが、実際に政府・与党はエコカー買い替えへの補助金など、一定以上お金を持っている人たちにしか恩恵がもたらされない政策ばかりを打ち出すものだから、これでは財政政策に本来あるべき「富の再分配」の機能を果たさない「バラマキ」と批判されても仕方ないものだ。当ブログは、「バラマキ」という語の用法に特に注意しており、原則として批判語として用いないことに決めているが、今回は例外にせざるを得ない。言語道断なのは、亀井氏も言っていたが、ばらまいた分を消費税増税で回収しようともくろんでいることだ。

何より良くないのは、昨日朝8時からの同じくTBS『サンデーモーニング』で寺島実朗や金子実らも言っていたと思うが、政策に今後の産業を育成する理念がないことだ。今後は環境・エネルギー関係の産業を育成するのが世界の趨勢だが、たとえばコイズミが2005年に太陽光発電への補助金を打ち切って以来、日本の同分野のシェアは急落した。この分野は、政府が電力会社に過剰に配慮していて、政策がきわめて及び腰になっている。政府と電力会社は、日本の将来を暗くする国賊だと言っても過言ではない。環境エネルギー政策を転換するのは、自民党政府にはやはり無理だ。

しかし現在は、西松事件の影響で民主党の攻勢がすっかり鈍っているので、全然議論が盛り上がらない。前述の『時事放談』で亀井静香は、西松事件は「検察が選挙妨害をやってしまった」もので、「小沢さんは潔白だ」としながら、国民が不信感を持ってしまった以上、このまま総選挙に突入すると民主党は惨憺たる結果になる、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で、小沢氏は辞任すべきだと語っていた。また、経済3ポストを兼務している与謝野馨に対しても、あれほどの財政規律至上主義者がバラマキ政策をやるとは何事か、どうしても自分の信念に反する政策をやらざるを得ないのだったら職を辞して、後任の人にやってもらうべきだと主張した。小沢一郎についても与謝野馨についても的を射た批判だと思う。政治は結果がすべてだが、信念に反することを平然とやる与謝野馨の無神経さは、特にいただけない。与謝野馨は、朝日新聞や読売新聞の大のお気に入りなので、マスメディアにはほとんど批判されないが、日本の将来を暗くする無能な政治家であって、一刻も早く表舞台から退いてほしいものだと私は常々思っている。

ところで、麻生太郎が浮かれているほど自民党に追い風が吹いているかというと、全然そんなことはなく、昨日も青森市長選で現職の佐々木誠造氏が、27年間の地方議員時代に一度も政党に属さなかった「市民派無所属」の鹿内博氏に敗れた。地方自治体の選挙には、それぞれの地域の事情があり、鹿内氏にも、市長になったらそれまで行っていた核燃料サイクル施設への反対運動はしないと表明して、一部保守系県議らの支援をとりつけ、自民党支持層に食い込んだ作戦勝ちがあったことを見逃してはならない。しかし、それを考慮しても、青森で自公が支持したほか連合青森と電力業界の支援まで受けた現職市長が敗れたとはただならぬ事態である。地方都市にも自民党に対する不信がそこまで広がっているわけで、もちろんそれが民主党への支持にはつながっていないのだが、とりあえずは自民党を政権から引きずり下ろすしかないというのが、国民の多くの感覚なのではないか。今朝(4月20日)の朝日新聞2面にも、今春の地方選で自民党の苦戦が目立っていることが報じられている。麻生の支持率が多少持ち直したことは、選挙における自民党の成績改善には全然つながっていないのである。

お隣の韓国でも、盧武鉉前大統領のスキャンダルが報道されて、就任直後から支持率が下がり続けていた李明博大統領の支持率が上がっているそうだ。韓国では、故朴正煕元大統領の娘、朴槿恵の影響力が今後増すとの観測もあるが、日本で影響力を増すのはどんな人たちだろうか。昨日のテレビ朝日『サンデープロジェクト』が橋下徹や東国原英夫の宣伝をしていたのが私には気になるところだ。

いずれにせよ、自民党の命運は既に尽きている。麻生太郎の好きな漫画のセリフで言えば、「お前はもう死んでいる」といったところだろう。


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先日(13日)、自民党の菅義偉選対副委員長が国会議員の世襲制限を唱えたことが報道され、これに対して世襲3世の麻生太郎首相が難色を示していることには笑える。

この件が、昨夜のテレビ朝日『報道ステーション』で取り上げられた。政治家の世襲制限については、番組でも市川寛子キャスターの質問に対して菅直人が答えていた通り、民主党が公約に盛り込もうとしていたもので、岡田克也がとりまとめ役のはずだ。番組では、自民党の国会議員に占める世襲議員の異様な多さを指摘し、本当に菅義偉が言うような世襲制限ができるのかと疑問を呈するとともに、メインキャスターの古舘伊知郎が、これでますます自民党と民主党の政策が似てくると言っていた。

だが、現実には政策が似ているのではなく、自民党が民主党の政策をパクっているだけの話なのだ。たとえば経済政策では、民主党の政策は基本的にコイズミ以来の構造カイカク路線へのカウンターで、少し前まで自民党はこれを「バラマキ」として批判していたはずなのだが、自民党は民主党の政策を大企業や富裕層を優遇する方向に修正をかけた財政出動路線にいつの間にか転向したのである。いうまでもなく、「政策は自民党も民主党も似たようなものですよ。だから、これまでずっと政権を担ってきた自民党にこれからも政権を任せて大丈夫ですよ」という印象を有権者に与えるのが狙いだ。しかし、現実には自民党は郵政総選挙で圧勝したコイズミの頃の政策とは全然違うことをやろうとしている。

もっとも、コイズミ自身も前回の総選挙ではほとんど「郵政民営化」しか言わなかった。しかし、選挙に勝ってしまったら、社会保障の削減をバンバンやった。コイズミが勝手に総理を辞めると、後継の安倍晋三が狂ったように改憲に向かって邁進したあげく参院選で惨敗し、もはや民意は自民党政権を支持していないことは明白なのに、安倍、福田康夫、麻生太郎と政権を党内の世襲政治家がたらい回しした。その間、コイズミ、安倍、福田と三人続けて政権を投げ出した(世間では安倍と福田のことばかり言われるが、政権投げ出しの元祖はコイズミである。あそこでコイズミが政権を投げ出すなら、安倍は首相就任直後に衆議院を解散すべきだった)。

このように、世襲政治家はろくなことをやらない。『報道ステーション』で一色清が言っていたように、かつては世襲政治家が総理大臣になる例はきわめて珍しかった。当ブログでも何度も指摘しているが、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の「三角大福中」に世襲政治家は一人もいない。番組でもイギリスの例が引き合いに出されていたが、イギリスではトニー・ブレア率いる労働党が政権をとった1997年に世襲議員制度の改革が行われ、政治家の世襲は制限されている。日本でも、民主党が政権をとれば世襲議員を制限する選挙制度改革が行われることが予想されており、例の小沢一郎の国替えの件も、地元選挙区(岩手4区)における元小沢秘書・高橋嘉信との確執もあるのだろうけれど、世襲議員制度改革との絡みもあるかもしれない。小沢一郎自身が世襲議員だからである。

菅義偉と民主党の案には、ともに親と同じ選挙区からの世襲議員の立候補を認めないことが盛り込まれるようだが(たとえば鳩山由紀夫はこれをクリアしている)、これは菅義偉と反りの合わないコイズミの次男・小泉進次郎に対する牽制ともいわれている。しかし、菅の意図はどうあれ、方向性としては間違ったものではない。しかし、実施時期は次の次の選挙から、としており、自民党に大量にいる世襲議員に配慮した形だ。

『週刊文春』の1月15日号に、宮川隆義による衆議院選挙の予想が出ていて、これは西松事件の前の記事だから、民主党が280議席で圧勝し、自民党は149議席しか取れないという予想になっているが、この記事には、コイズミチルドレンは大量に落選するものの、世襲議員の減り方は相対的に少なく、次の選挙のあとでは自民党の世襲議員の比率はますます上がるという試算が出ている。現在でも37.3%の自民党の世襲議員占有率は、予想された選挙結果になると43.8%にまで上がり、一方民主党は小沢一郎が国替えすれば選挙後の予想世襲議員占有率は6.3%にとどまる(この記事では、「選挙地盤世襲議員」と「政治家家系の二世議員」を区分しており、親と同じ選挙地盤でなければ後者となって「世襲議員」にはカウントされない)。43.8%対6.3%ともなれば、どっちもどっちの世襲議員王国政党などとはとてもいえないだろう。

結論は、世襲政治家の弊害を取り除こうと思ったら、自民党を選挙で葬るしかないということだ。民主党は、代表の小沢一郎と幹事長の鳩山由紀夫の印象が強いために、自民党とどっちもどっちの世襲政党と見られがちだが、両党は実態が全く異なり、本当の世襲王国は自民党である。菅義偉が持ち出した世襲制限案は、一種の目くらましであり、選挙で勝ってしまえば自民党はそんな案など平気で反故にする。お隣の韓国には直接世襲国会議員は一人もいないそうだが、この上まだ自民党なんかに選挙で勝たせると、ネット右翼が見下して止まない韓国よりもはるかに遅れた、民主主義の後進国ニッポンの迷走がますます続くことになる。

騙されてはならない。世襲政治家の弊害を改めるためには、自民党を総選挙で惨敗に追い込み、下野させるしかないのである。


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先の千葉県知事選では極端な新自由主義者・白石真澄を応援しながら、森田健作の当選が決まるとさっそく森田に近づく節操のなさを見せた大阪府知事の橋下徹だが、この男の最大の悪行は、大阪・読売テレビが放送した極右番組『たかじんのそこまで言って委員会』で、光市母子殺害事件の弁護団の懲戒請求を煽ったことだろう。

この光市母子殺害事件に関しては、いくつかの有力な反政府系ブログまでもが厳罰主義を主張して弁護団を批判し、もちろんテレビは被害者の夫・本村洋氏の主張を全面的に支持していたから、マスメディア、ネット空間を問わず、日本では死刑廃止という世界の趨勢とは全く逆の方向に、厳罰主義、死刑はどんどんやれという風潮が強まってきていた。橋下は、そんな風潮に悪乗りして、テレビ番組で「許せないって思うんだったら一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」と発言し、懲戒請求をテレビで煽ったのである。放送日は2007年5月27日、橋下が大阪府知事に当選する8か月前のことだった。

たかじんの番組については、当ブログ3月16日付エントリ「新保守主義と新自由主義が一体となった「たかじん」の番組」で、その恐るべき極右的な内容について紹介した。キー局の日本テレビにはネットされていないが、それ以外の大部分の日本テレビ系列の放送局で放送されている。だから、光市母子殺害事件の弁護士4人には、全国から計2500件以上の懲戒請求が届いた。4人の弁護士は、業務に支障が出たとして、損害賠償を求めて橋下を提訴し、広島地裁は昨年(2008年)10月、「少数派の基本的人権を保護する弁護士の使命や職責を正しく理解していない」と指摘、橋下に計800万円の支払いを命じた。

また、この発言を問題視した全国の市民ら300人あまりが、橋下の発言は「刑事弁護の正当性をおとしめる行為だ」として、大阪弁護士会に懲戒処分を請求していた。

そして、同弁護士会の綱紀委員会が「懲戒相当理由がある」と議決したことがわかった、と毎日新聞が報じている。朝日新聞の記事はもう少し詳しくて、

同弁護士会の綱紀委員会が「弁護士の品位を失うべき非行にあたる」と認定する方向で意見をとりまとめたことが関係者の話でわかった。近く最終判断し、戒告や業務停止などの懲戒処分を決める懲戒委員会に審査を求めるとみられる。
(2009年4月16日付朝日新聞より)

と書いている。

橋下は、「弁護士会の手続きなので、僕は従うしかないと思っている。法的には違法ではないと思っているが、テレビの発言としては行き過ぎたんだと思っている」(朝日新聞記事より)とコメントした。いかにもポピュリストの橋下らしい発言だ。この男は、どういう行動をすればテレビの視聴者の心をとらえ、大衆を煽動できるかどうかを常に意識している。刑事被告人の権利だとか、広島地裁が指摘した「少数派の基本的人権を保護する弁護士の使命や職責」などは、橋下の頭にはない。そして、大阪府民をはじめとする人々は、そんな橋下を熱烈に応援しているのである。先日は、橋下の「ファン」を名乗る女性が、「知事を応援したい。福祉に使ってほしい」と、「ふるさと納税」に1億円を寄付したことが報じられた(朝日新聞ほか各紙)。ふだんの橋下の行いを知っていれば、橋下は財政再建にかこつけて徹底的に福祉関係の予算を削っており、大阪府に1億円を寄付したところで、その金がどこまで福祉に使われるかはきわめて疑わしいことがわかったものを、ともったいなく思う。残念ながら、女性は1億円の使い方を誤ったと言わざるを得ないし、善意の女性を「ファン」にしてしまうポピュリスト・橋下およびテレビの威力のすさまじさには恐れ入る。

ともあれ、橋下は今後業務停止などの懲戒処分を受ける可能性があるわけで、そのうち「橋下元弁護士」になるのかもしれない。だが、既に十分名前を売り、大阪府知事にまで上り詰めた橋下にとっては、懲戒処分など痛くもかゆくもないだろう。私がもっとも恐れるのは、橋下の国政進出である。東国原英夫や森田健作のような小物のポピュリストとは違って、若くてバイタリティのある橋下は、日本を破滅に導く可能性を持っていると、私は深く憂慮するのである。


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昨日のエントリの末尾で少し触れた当ブログへの「脅し」ともとれるコメントの件だが、前後にいただいた関係のありそうなコメントについて情報公開しておく。最初に結論を書くと、コメント主は一種の愉快犯で投稿したものだろうと当ブログ管理人は考えている。

これまでに「一日本人」と名乗る人のコメントは計4件いただいている。最初は、4月8日付エントリ「「国連よさらば!我が代表堂々退場す」 by 坂本剛二」へのコメントで、投稿者のリモートホストIDはproxy3117.docomo.ne.jp、すなわちドコモの携帯からの投稿で、日時は4月12日14時00分である。文面は下記の通り。

タイトル:初めまして

>北朝鮮のロケットだかミサイルだから知らない…

どっちなんでしょう?我が国を恫喝、震撼させた北朝鮮に対し如何なるお考えか?
>筋金入りのタカ派、山崎拓…
山崎拓がタカ派とは笑止千万。東南アジアで意味不明なお詫びを繰り返し、国内は勿論、特亜以外の亜細亜諸国からも失笑を買ったハト以下、雀にも値しない。

>松岡洋右はかつて…安倍晋三と縁戚関係にある。

誰でも知ってます。それがどうかしましたか?説得力の欠片も無い。乏しい。

>いったい坂本剛二は、松岡洋右にでも…

逞しい立派な想像力ですね。然しながら、何処まで坂本議員に関して調べられましたか?HP位ですか?想像は勝手だが誹謗中傷甚だしい。そして、所謂「ネトウヨ」が好むような汚い文章。管理人殿も何等変わり無い。

>こんな痴呆にでも政治家が務まる日本の現状…

聊か義憤を感じる。核保有発言の背景が解らぬ程、管理人殿は馬鹿なのか?国民の生命、財産を蔑ろにしたような発言をした社民党党首は痴呆にあらずか?共産党は?民主党は?是非、北に対して話し合いとやらを持ち掛けるべきですよね?痴呆にあらざる政治家とは?そして痴呆の文字。痴呆症で苦しむ方。其れを支える家族の方々に失礼です。めったやたらに、軽々しく使う文字では無いと思いますが?これも、バカ、死ね、チョン野郎等々、匿名を良いことに相手を罵るネトウヨ等と大差ございませんね。最も、そういう馬鹿に対すべく作られたブログならば文句は有りません。

長文となり、大変失礼致しました。


なお、当ブログが用いているテンプレートの仕様により、タイトルはブログのコメント欄には表示されない。ご覧のように、「特亜」というネット右翼用語を用いている、典型的な「ネトウヨ」のコメントである。自ら「特亜」という言葉を用いながら、「痴呆」は差別用語だとか、ネトウヨと大差ないなどとわけのわからないことを書いている。

同じエントリに、追記のコメントをいただいた。
リモホIDはproxy384.docomo.ne.jp、投稿日時は4月12日14時50分。

一つ書き忘れました。
この核武装発言、管理人殿のような思考を抱く方、或はマスコミに云わせれば、「平和な日本の根源を揺るがす言語道断の発言」
ですよね?マスコミ、与党、野党、平和団体は何故に沈黙して放置するのか?
特にマスコミは、この重大発言を大々的に記事にすべきでしょう。
この議員の知名度が高い低いの問題では在りますまい。沈黙を貫く卑怯者のマスコミを叩こうじゃありませんか!!


そして3件目が問題の脅しもどきのコメントである。
リモホIDはproxy20006.docomo.ne.jp、投稿日時は4月13日19時50分。

タイトル:しつこいですが。

小林多喜二、伊丹十三、そして北野誠のようになりたくないのなら、このブログは、止めた方がよいと思います。

以上です。


これも、1件目のコメント同様、タイトルはコメント欄に表示されていない。

このコメントのあと、4本目のコメントがきた。
リモホIDはproxy3112.docomo.ne.jp、投稿日時は4月13日21時09分。

管理人殿

この度は拙者のコメントを掲載して頂きまして誠に有り難うございます。

管理人殿及び読者の方々には大変失礼ですが、このブログは所謂、閉鎖的左翼ブログとして取り上げられて居りました。

然しながら管理人殿は拙者の反論のコメントを掲載して下さりました。
大袈裟な表現ですが、敬意を表します。
拙者のコメントに対してと思われる丁寧なコメントが御座いましたので、是非論戦をと思いましたが、所謂、荒らしと思われるコメントが投稿されてますね。

>小林多喜二、伊丹十三…。
HNは同じでも拙者のコメントではありませんよ。
このような書き込みをする人間を卑怯者と云うのです。
しつこいようですが等と投稿された方。恥ずかしいと思わないのかな?
管理人殿の記事の表現には疑問を感じた次第ですが、全記事等拝見しますと勉強になる記事も多々あり、時折コメントをと思いましたが、気味が悪くてコメントなど出来ません。

失礼しました。


コメント主は「HNは同じでも拙者のコメントではありませんよ」と言うので、リモホIDを調べてみたのだが、コメントは4件ともドコモの携帯からの投稿だった。プロキシは毎回変わるので、これだけからコメント主の主張する通り、3件目のコメントのみ別人による投稿かどうかは判断できないが、私は3件目も別人の手になるものではなく、同一人物による愉快犯的な書き込みだろうと推測している。

最後のコメントで、コメント主が「時折コメントをと思いましたが、気味が悪くてコメントなど出来ません」と書いているし(つまり、今後はコメントしてこないだろうと期待される)、問題のコメントも、脅迫というにはあまりにしょぼいものだったので、今回は通報はせずブログでの情報公開にとどめておきたいと思う。

もちろん、当ブログ管理人が本当に「脅迫」と見なしたコメントが投稿された場合、断固とした対応を行うことをここに宣言しておく。


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昨日のエントリの前半で書いた秋田県知事選だが、いただいたコメントやトラックバックによって、選挙の帰趨を決めた要因が理解できた。

まず、昨日のエントリにリンクを張った『kojitakenの日記』にいただいたnorton3rdさんの「はてなブックマーク」のコメントに、

それにしても秋田では未だに『佐竹』ブランドが強いのか・・・。

とある。

当ブログにTBいただいた『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「「南北戦争」だった、秋田県知事選挙」の分析は、秋田市から南の県南部で佐竹敬久氏が大量に票を獲得した一方、北部では川口博氏が優勢であり、かつその傾向は一昨年の参院選における投票行動との相関がほとんどないことをはっきり示している。

そして、秋田の隣県にして小沢一郎の地元・岩手県在住のそにっくさんからは下記のコメントをいただいた。当ブログはエントリ本文よりそにっくさんのコメントの方が面白いともっぱらの評判だ。

あの?隣県と言うことで、多少、事情を知っているのでコメントします。

>秋田の知事選ですが、あれは単純に自民VS民主の戦いなどではなかったようですね。

おっしゃるとおりです。
今回、知事選に佐竹の殿様が立候補してしまったので、佐竹さまの御領地では殿様が圧勝し、南部さまの御領地など佐竹領でないところでは川口さんの得票が多かったということです。

東京のテレビ番組でしゃべっている連中の分析は頓珍漢なので無視して下さい。

そもそも東北の人には明治政府がでっちあげたた県ごとの帰属意識はありません。
江戸時代の御領地の境が地元の人々の意識の境です。
それを知っていれば、なーんだそう言うもんなんだって選挙結果でした。

で、今回の選挙結果によって、秋田県は君主制に移行したわけですよ。ははは。

以上

2009.04.13 20:52 URL | そにっく


そにっくさんのコメントは、『広島瀬戸内新聞ニュース』が分析した「南北戦争」の原因を明快に説明するものだ。今回の秋田県知事選は、「君主制への移行」というか、「江戸時代への回帰」だったというと、秋田県民の方々に失礼に当たるだろうか。

ともあれ、上記の事情がわかった上で、今朝の朝日新聞(昨日は新聞休刊日だった)4面の、「国政選挙 連戦連勝 → 知事選2連敗 小沢神話に陰り」と見出しのついた記事を読むと、型にはまった報道姿勢にうんざりさせられる。西松事件の秋田県知事選への影響は、ないとは言わないが限定的であり、それよりも野党共闘が乱れた影響が大きいと考えるのが普通だ。ましてや、細田博之の言う「自民党の経済政策への理解が進んでいる」などという馬鹿なことがあろうはずもない。それどころか、朝日の記事にも自民党参院有力幹部の言葉として書かれているように、秋田県知事選の結果は、自民党が期待していたほど差が開かなかった。同じ12日に投開票された秋田県の由利本荘市長選では民主推薦の新人が当選した。古賀誠選対委員長も、自民党や内閣への支持が明確になってきているというほどではなく、衆院解散を早める判断基準にはならないと認めている(2009年4月14日付朝日新聞4面より)。

さて、前述のように、ブログにいただくコメントやトラックバックは、まことにありがたいものだが、中にはとんでもないコメントをよこしてくる人間もいる。

小林多喜二、伊丹十三、そして北野誠のようになりたくないのなら、このブログは、止めた方がよいと思います。

以上です。

2009.04.13 19:50 URL | 一日本人


『広島瀬戸内新聞ニュース』主幹のさとうしゅういちさんのところには、殺害予告メールが届いたが、上記のコメントは脅迫にしてはあまりにしょぼくて脱力してしまうくらいだ。だが、どんなにしょぼくても脅しは脅しであって、こんな行為に屈する当ブログではないということは言っておかなければならないと思う今日この頃である。


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秋田県知事選は、予想通り自民党、社民党、連合が支持した前秋田市長の佐竹敬久氏が、民主党と国民新党が支持した前小坂市長の川口博氏ら3人を破って初当選した。得票数は下記の通り。

佐竹 敬久 無新 291150
川口 博 無新 234340
佐藤 正一郎 無新 77178
藤本 金治 共新 15991


これまた予想通り、マスコミは「小沢一郎民主党代表の進退問題に影響を与える可能性がある」と言っているが、思ったほどその声は大きくない。あるいは、このところマスコミ報道に対する批判が高まってきているのを気にしているのだろうかと思った。

共同通信の矢野晃生記者によると、事件は選挙戦を直撃し、高い知名度を背景に先行する佐竹氏を前に民主党県連は一時戦意喪失状態となり、終盤の追い上げも届かなかったとのことだ(4月13日付四国新聞による)。

秋田県知事選というと、8年前に自民党が村岡兼造の長男・村岡兼幸を立てて現職の寺田典城知事にダブルスコアで惨敗したことがある。その寺田知事は、1997年に初当選した時には、当時新進党の小沢一郎らの懇願で横手市長を辞して、新進、社民、公明各党などの推薦で知事選に立候補したのだった。この時自民党の推薦を受けて寺田氏と激しく競ったのが今回当選した佐竹敬久氏だった。今回は、社民党と連合が佐竹支持に回ったが、一方で自民党も分裂しており、県議の一部や「郵政造反組」の野呂田芳成元農相らは川口支持に回っていた。毎回KYコメントを発する頭の悪い自民党幹事長の細田博之は、「政府、与党の政策が効果を上げている。景気対策はまだ途上段階だが、政策への理解が進んでいる」などとアピールしたが、自民党の経済政策なんかに期待して佐竹氏に投票した人などほとんどいないだろう。各種世論調査でも、小沢一郎は辞任すべきだとする意見は相変わらず増え続けており、それに伴ってなぜか麻生内閣の支持率が上がっているが、自民党の支持率はすでに上げ止まっており、西松事件をきっかけに自民党寄りに戻る人は既に戻ってしまって、これ以上の自民党への順風はもはや期待できない状況だろう。

そもそも自民党の経済政策というのが笑わせる。その多くは民主党が出してくる政策をパクって、それを官僚たちが知恵を絞って下方修正したものだからだ。だから、マスコミの言うように「自民党も民主党も政策はさほど変わらない」ことになる。昨日(12日)のテレビ朝日『サンデープロジェクト』でも紹介されていたが、朝日新聞は「15兆円補正―大盤振る舞いが過ぎる」(4月10日付社説)、毎日新聞は「15兆円対策 大盤振る舞いの結末は」(4月10日付社説)として政府の追加経済政策を厳しく批判しているが、もちろん両紙の「バラマキ批判」の矛先は民主党の政策にも向くのである。

それにしても、また朝日・毎日の「バラマキ批判」が始まったかとうんざりさせられる。これは両紙の「病気」みたいなものだ。サンプロで朝日新聞の星浩編集委員が財政規律を重視すべきだと発言した時、町村信孝が「よく言ってくれた。民主党はそんなことは決して言いませんからね」と反応したが、これは朝日新聞から言質を取ったぞ、経済対策のあとにくる消費税増税をきっちり支持してくれよという意味だろう。昨日のサンプロには竹中平蔵まで出ていて、カイカクが足りないから日本の景気は他国よりひどく後退しているのだ、もっと法人税減税などのカイカクを進めよなどと吼えていて、実に気分が悪かった。

ただ、朝日や毎日の批判も、財政規律を重視しているという問題点はあるが、全部が全部誤りであるわけではない。同じ財政出動をするにしても、政府・与党の政策は経済界の要望を盛り込みすぎなのだ。毎日新聞の社説が書くように、「企業優遇、富裕者優遇の施策も少なからず入ってくる」のである。過酷な格差社会になった今、財政政策に求められるのは大企業や金持ちを優遇することではない。庶民の懐を暖めることや、民間だけでは対応しきれない分野において雇用を創出することである。

環境エネルギー政策でも、新エネルギーのフィードインタリフ(固定価格買い取り制度)を太陽光発電に限定しようとしているのは、経済産業省が電力会社やシャープなど大手メーカーに配慮した結果であることは、4月9日付エントリで見た通りだが、今回の15兆円対策でも、エコカーへの購入促進策も講じられる。これに対して毎日新聞は、

 環境にやさしい自動車の普及は悪いことではないが、低炭素社会を視野に入れるのであれば、マイカーに頼らなくてもいいまちづくりや地域づくりに力を入れるべきなのだ。

と書いており、私もその通りだと思う。ただ、毎日新聞はその分財政支出を切り詰めよと言いたいのだと思うが、私はエコカー購入促進に使おうとしている分を、公共交通網の充実に回せと言いたい。地方に住むお年寄りにとっては、公共交通が年々衰退して生活が不便になってきているのは、切実な問題だ。例の、民主党が無料化を主張している交通道路の通行料の件で、自民党はETC利権に配慮して1000円にしたとかいう件についても、政府与党の政策は論外だが、民主党の政策についても当ブログは賛成ではない。現在、車を買う金もない若者が急増しているが、高速道路の無料化(やETC利権の確保)は、そういう人たちにも負担を求める政策であると私は思う。

とにかく、100年に一度といわれる経済危機にあって、財政規律の話を持ち出す朝日新聞や毎日新聞もおかしいが(財政出動にしても、まだ規模が小さすぎるのではないかと思う)、せっかくの財政出動を大企業や金持ちに配慮して効果のないものにしてしまう政府・与党の政策はそれ以上に問題だ。それに比較すると民主党の政策の方がまだましで、たとえば前述の新エネルギーについてのフィードインタリフにしても、民主党案では対象を太陽光発電に限ったりはしていない。要するに、自民党は民主党と「脱カイカク」を競いたいのだが、コイズミの呪縛からまだ脱することができず(コイズミのおかげで現在の衆議院における圧倒的な議席数があるのだから当たり前の話だ)、経済界の圧力も強いから、自民党の政策はどうしても中途半端になるのだ。

やはり、これ以上自民党に政治を任せておくことはできない。


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今日はブログ定休日の土曜日だが、最新の月刊『文藝春秋』5月号に、いくつかの注目すべき記事が出ていたので、臨時で簡単に触れるエントリを上げることにした。

店頭に山積みされた同誌の表紙に、「小沢一郎の罪と罰 立花隆ほか」と出ていたので、すわ1974年の田中金脈の記事の再来か、と思って買ったのだが、読んでみると中身は朝日新聞編集委員の村山治との対談で、たいした内容ではなかった。4月1日の朝日新聞に掲載された立花隆の小沢一郎論は、なかなかに迫力があって、小沢一郎を辞任に追い込もうという立花隆の気迫が感じられるものだったが、『文藝春秋』での立花隆にはいまいち冴えがない。それどころか、みのもんたの番組に出たことについて述べたくだりなどを読んでいると、「みのポリティクス」を追認しているようにさえ読めて、大いに失望させられた。以下そのくだりを引用する。

 僕は大久保秘書の逮捕後、みのもんたのTBSの番組に呼ばれたんです。今後の捜査の展開を聞かれたから、「大久保の政治資金規正法違反で終わりじゃないですか」と言ったら、みのもんたは「小沢まで行かないんですか」と驚くわけです。僕はこのみのもんたの反応が一般の国民に近いんだと思いますよ。小沢代表本人まで捜査の手が伸びなければおかしいという。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 立花隆・村山治「小沢一郎の罪と罰」より立花隆の言葉)


この対談では、村山治が、世に言う「検察のリーク」に異を唱え、

検察取材の現場はそんなに楽な世界じゃない、体を酷使しながら、夜討ち朝駆けを続け、ようやく事実確認などに応じてくれる人が出てくる。しかも、検事はリークと言われるのを最も恐れていますから、決して全貌を語らない。

と主張している。今回の西松事件でもそうだというのだが、村山治は朝日新聞編集委員という社のえらいさんであり、本人が取材したわけではあるまい。村山の経歴を調べると、1973年に毎日新聞に入社、91年に朝日新聞に移っている。村山の若い頃はそうだったのかもしれないが、果たして今も同じだろうか、各紙にあふれ返る、「検察のリーク」としか思えない記事の数々は、本当に若い記者たちの「夜討ち朝駆け」のたまものだろうかと疑ってしまうのである。果たして、ロッキード事件の頃も今みたいな報道だったのだろうか。

結局、この対談は、末尾の企業献金を禁止すべきだという村山治の主張に見るべきものがあるくらいだった。立花隆と文藝春秋と朝日新聞編集委員という三者で「小沢一郎の罪と罰」などというから、決定的に小沢一郎にトドメを刺す記事かと思いきや、そんなものではなかったというのが私の感想だ。

ところで、同じ『文藝春秋』には、安倍晋三のブレーンとして知られる右翼学者の中西輝政が、「子供の政治が国を滅ぼす」という論文を書いていて、こちらの方に驚かされた。中西は、「真正保守」をもって任じる男で、安倍晋三が参院選に敗れて退陣に追い込まれた時など、悲憤慷慨して感情的な文章を右翼論壇誌に発表していたのを立ち読みした記憶がある。だから、西松事件で小沢一郎が苦境に立ったことなど喜んでいるに違いないと思いきや、現在を戦前になぞらえて「検察ファッショ」を批判する内容の論文を書いているのだ。中西は、

歴史家としての私の直感で言うなら、後世の史家は「あのとき、日本の政治はスムーズな政権交代の可能性を喪失した」と評することだろう。私は、個人的な政論ということでは、現在の日本で政権交代を望むものではないが、ことは日本の民主政治に関わる国民的見地からの「公論」が求められる時だと思う。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)

と書いている。そして、やはり政権が不安定だった浜口雄幸内閣時代に疑獄事件が相次いで発覚したこと、当時も世界恐慌や浜口内閣の金解禁の失政によって深刻な不況に見舞われていたことを指摘し、政党政治が国民の信頼を失う状況が類似しているとする。当時の政友会と民政党、現在の自民党と民主党は、ともに「どっちもどっち」と言われる状態だ。

中西は、昭和初期には「政治の不在」が「軍部の暴走」を招いたとし、極右政治家として悪名が高く、半ば公然と政党政治に反対の姿勢をとっていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)が検察のトップに立っていた歴史的事実を指摘する。そして、反政治的な司法が暴走した例として、昭和9年(1934年)に起きた帝人事件を挙げている。贈収賄で、鳩山一郎をはじめとする多数の政治家が連座したこの事件で、時の斎藤実内閣は総辞職に追い込まれたが、この帝人事件はなんと検察のデッチ上げだった。昭和12年(1937年)に全員無罪の判決が下ったが、時すでに遅し。日本は泥沼の戦争に突っ込んでいた。中西は斎藤実内閣が前年脱退した国際連盟への復帰の動きを見せ、高橋是清蔵相によるデフレ脱却のための積極財政政策が功を奏すなど、「バック・トゥー・ノーマルシー(常態への回帰)」を合言葉とし、「新規まき直し」(ニューディール)に取り組み始めていた内閣だったと評価している。そして、帝人事件の陰で暗躍したのが前記の平沼騏一郎であったことは研究者の間で定説とされていると指摘し、

政党政治を否定し、統制経済の下、対外強硬策を支持する平沼らの政治姿勢は、当時ムッソリーニのイタリアで一世を風靡していたファシズム政治になぞらえ、政党つぶしを目論むという意味で「検察ファッショ」と呼ばれた。端的に言えば、戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察のデッチ上げの疑獄事件だったのである。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)

と書いている。

さらに、戦前の検察は単に平沼らトップの陰謀に単純に操られて政財界の腐敗摘発に進んでいったわけではなく、そこには「清潔」を求める国民の支持があったとしている。

論文はこのあと、東京地検特捜部と小沢一郎の双方が、国民の検察不信と政治不信を招いていると両者を批判、さらに現在の日本は「子供が動かす幼稚な国家」になっているとして「劇場政治」を批判し、小泉純一郎の責任を厳しく問うているのだが、思い出されるのは同じ『文藝春秋』の2005年10月号に掲載された中西の論文「宰相小泉が国民に与えた生贄」だ。私は普段は中西輝政など全く評価しないのだが、4年前と今回の二度、『文藝春秋』に載った論文には強い印象を受けた。中西は、戦争に突っ込もうとしているかに見えた安倍晋三を熱烈に支持している人間なのに、なんで今回のような論文を書くのかと驚くほどだ。著者名を隠してこの記事を読んだら、著者が中西輝政だとは言い当てられない、少なくとも私には。

いや、普段から中西は学者としてはそういう仕事をしており、右翼論壇誌に発表している文章は、中西が感情の赴くままに書いているだけなのかもしれない。そうなのかもしれないが、狐につままれたような気がする今日この頃なのである。


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12日に投開票が行われる秋田県知事選は、自民党、社民党、連合などが支持する佐竹敬久氏の圧勝が予想されており、民主党が支持する川口博氏は劣勢だ。選挙結果が出たら、またマスコミが「西松事件の影響だ」と大騒ぎすることは目に見えている。

千葉県知事選でもマスコミはそう叫んだ。こちらこちらなどを読むと、この選挙がどういうものだったのがよくわかるし、東京都の小平市長選のように、自公の推す候補が惨敗した例もあり、自治体固有の事情をよく分析して報道しなければならないと思うのだが、マスコミは馬鹿の一つ覚えみたいに「西松事件の影響」の一点張りだった。

だが、どういうわけか民主党の鳩山由紀夫幹事長は、マスコミの言い分を半ば認めるかのように、自ら千葉県知事選と西松問題の影響を認めて、有権者にお詫びしなければならないと言うなど、前記リンク先のブログ記事に、

元々が知事選とは関係のないところでの事件でもあれば、30万票以上もの大差がついたことを考えれば、仮に影響があったとしてもそんなものは微々たるもの。にもかかわらず、影響があったとして陳謝してしまった鳩山由紀夫幹事長。甘ちゃんなのか、度胸がないのか、まったく理解に苦しみます。
(『undercurrent』?2009年3月30日付記事「バッカじゃなかろうか」より)

と酷評されるありさまだ。

小沢一郎に対して是々非々のスタンスをとる私などから見ても、鳩山はいったい何言ってるんだと思うのだが、菅直人と比較してより小沢一郎べったりの鳩山由紀夫は、小沢一郎に好意的な人たちからは好感を持って受け止められているらしく、なんだかなあと思ってしまう。鳩山は、2001年の参院選で民主党を惨敗させた一方、菅直人には2003年の総選挙で党勢を拡大した実績がある。

その鳩山由紀夫も、このところ姿勢がふらついてきた。都内での講演で小沢一郎の進退問題について、「大変厳しい世論が出ている。このままで政権交代できるかどうか、際どい状況になっている」と述べた。鳩山は「小沢代表を辞めさせることが政権交代をしやすくするのか、粘り腰で反転攻勢をかけることが評価されるのか。大変難しい」とも述べ、苦しい胸の内を吐露したという(下記URLの産経新聞記事参照)。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090408/stt0904082322010-n1.htm

私は、鳩山の本音は実は少し前から代表交代にあり、次の体制では、少しでも自らの属する右派の影響力を拡大しようという意図を持って動いているのではなかろうかと邪推している。現在の小沢一郎体制は、小沢が横路孝弘ら左派と結んだとされている政策協定なども関係するのか、左派の影響力が強く、右派には不満の多いものに違いないからだ。鳩山は、前原誠司あたりと比較しても「右」に位置する保守派の政治家である。

もう一つ、民主党の代表交代を後押ししているのが朝日新聞で、「きしむ民主トロイカ」、「代表続投巡り鳩・菅に距離」などの見出しのついた4月4日付記事の末尾に、鳩山・菅両氏をよく知る中堅議員の、

「結局、小沢さんに鈴をつけられるのは2人しかいない。その手法が違うだけだ」

という言葉を引用している。その朝日新聞は、もちろん鳩山ら保守派を支持しているわけではないが、以前にも菅直人を東京都知事選に転出させようとした例からわかるように菅直人とも合わず、中間派で新自由主義的傾向の強い岡田克也の代表就任を待望していることは明白だ。

私がダメ押しだなと思ったのは、昨日(4月9日)の朝日新聞に載った早野透のコラムで、「ポリティカにっぽん 「ラストエンペラー」は去る」と題されたこの記事は、90年代から小沢一郎を後押ししていたこの新聞記者による小沢一郎への惜別の辞としか読めないものだ。終わり近くから一節を引用する。

 小沢氏は、こんどの事件を「天命だよ」と語ったと伝えられる。ここ十数年の小沢氏が、時代の牽引力であったことはまちがいない。しかし、表と裏、理念と現実の乖離には、小沢氏も苦しむのではないか。かえっていま、そこが明るみに出て、小沢氏は安堵しているのではないか。「新しい政治文化」をつくるべき政権交代の前夜、角栄王国のラストエンペラーはやはり去るほかない。
(朝日新聞 2009年4月9日付記事「ポリティカにっぽん 「ラストエンペラーは去る」より)


「自エンド」にTBされる記事を読んでいると、小沢一郎体制は磐石であるかのような錯覚が起きるが、朝日新聞の記事を読んでいると、小沢一郎体制の終焉は間近ではないかと思われる。小沢一郎の指示でこれから行われる衆院選の情勢調査の結果によって、小沢一郎の進退が決まるのだろうが、調査結果の周知を長妻昭が迫ったことも報じられた。テレビの露出度も高く人気のある長妻昭のスタンスがうかがわれる。

そんなわけで、週明け以降はまた民主党代表がらみの政局の話で騒がしくなるのは間違いない。そうなったら、昨日のエントリのような環境・エネルギー問題関連の記事(予想通り不人気だったw)を上げるタイミングをまた失してしまいそうなので(昨日のエントリもいったんお蔵入りにしていたものだった)、これに関連してちょっと書いておきたい。

発売されたばかりの月刊誌『世界』5月号に、「日本版グリーンニューディール」の特集が出ている。その中に、飯田哲也氏が「日本の環境エネルギー革命はなぜ進まないか 賢く機能する政府への転換を」と題する論文を寄稿している。ここで飯田氏は、

オバマのグリーンニューディール政策は、単なるバラマキ公共事業ではなく、民間投資を促すと同時に長期的な構造改善に役立つ、「賢く機能する」政策が特徴なのである。

と高く評価する一方、フィードインタリフ導入をめぐる日本の政策の混乱を、

現状では、「賢くなく機能しない」政府のもとで、ただのバラマキに終わる懸念がある。

と評して厳しく批判している。

日本版グリーンニューディール政策が失敗すると予想する要因を、飯田氏は3点指摘している。1点目は、「知のガラパゴス列島 普遍知・実践知・統合知の欠如」として、政策を成功させるための「知」が世界の常識や現実から隔離されているとする。2点目は、「政治決定する官庁」、すなわち官僚の政治支配である。経産省と環境省が争っているが、環境・エネルギー政策に消極的な経産省が優勢で、政治はこれまでこの問題にほとんど関心を持っておらず、ようやく関心を持ち始めたものの、今年1月の国際自然エネルギー機関(IRENA)への出席にも消極的だったが、アメリカが出席するという情報が入ると、急遽日本も出席を決めるというていたらくだった。

3点目が、「電力幕藩体制」であって、飯田氏は、

自然エネルギーにもっとも消極的であり、かつ構造的な課題は、日本の一〇電力体制であろう。

と指摘している。戦時体制で一元化されていた電力事業は、戦後全国を10の地域に分け、それぞれの地域を唯一の電力会社が独占する「地域独占」と発電から送電、配電、売電までの機能を一つの電力会社が独占する「垂直統合」(機能の独占)を特徴とする体制となった。1990年代からの規制緩和・自由化の流れにあっても、部分的な自由化が進められたものの、根幹には手つかずで、「世界的に見ると途上国を含めても極めて異例」の状態が続いている。その電力会社が、電気事業連合会(電事連)という業界団体や経団連を通じて自民党のエネルギー政策に強い影響を与えている。一方、電力総連や電機労連は民主党に強い影響を与えている。つまり、国会のエネルギー政策は電力会社の強い影響下にあるということだ(以上、『世界』2009年5月号掲載飯田哲也論文の166頁より自由に引用)。仮に民主党中心の新政権へ政権交代が起きたところで、政策が劇的に変化することは考えづらいが、先進的な環境エネルギー政策を持つ(と筆者が考えている)社民党あたりが、民主党に強く働きかけて政策転換へと動かしていってほしいものだ。

飯田氏は、霞ヶ関政治のあり方やそれを産み出す政治構造を、打倒すべき「敵」だとして、

 今こそ、われわれの真の敵を見出し、近視眼的・ムラ社会的な利害を超えて、「賢く機能する政府」に向けて、真の政治改革を行うときではないだろうか。

と論文を結んでいる。「真の政治改革」という表現には若干抵抗があるが、飯田氏の論文は説得力に富んだもので、当ブログ読者の皆さまにも一読をおすすめする次第である。


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資本主義の世の中では、バブルの生成と破裂がつきものだが、新自由主義の時代になってからそれは一段と顕著になった。

現在注目されている「新エネルギー(再生可能エネルギー)」も、今後バブルを生成する(あるいはすでに生成し始めている)といわれており、発売からだいぶ日が経ってしまったが、『週刊東洋経済』の3月21日号にも、「新エネルギーバブル!」と題された特集が組まれている。

「バブル」と名がつくので聞こえが悪いが、未曾有(笑)の経済危機にあって、「クラッシュした経済を "緑の経済対策" で立て直す」(『週刊東洋経済』2009年3月21日号37頁参照)というのは、ごく自然な発想だ。つまり、たとえバブルを生成しようが力を入れなければならない分野なのである。アメリカの前大統領・ブッシュは、新エネルギーにはきわめて消極的だったが、新大統領のオバマは、大統領選挙時から公約していた通り、新エネルギーに積極的だ。2月17日に成立した米景気対策法では、総額の約1割を環境エネルギー分野に支出することを決めた(同37頁参照)。

よく知られているように、この分野ではヨーロッパが先進的だ。この分野は、市場原理に任せていたのでは成長しないから、投資に対する税額控除やフィードインタリフ(FIT、固定価格買い取り制度)を導入して、新エネルギーの需要を人為的に拡大させる必要がある。つまり、「官主導で市場を創る」という点が、「グリーン革命」の大きな特徴とされる(前掲誌38?39頁参照)。これは、新自由主義の精神には反するから、ブッシュやコイズミは否定的だった。コイズミは、住宅用太陽光発電設備への補助金を2005年に打ち切り、以後日本の太陽光発電のシェアは、FITを導入して市場を急成長させたドイツにあっという間に追い抜かれ、今では大差をつけられている。コイズミというやつは本当にろくでもないことばかりをした男だった。

アメリカの大統領が「小さな政府」志向のブッシュから「大きな政府」を許容するオバマに代わって、アメリカはヨーロッパに追いつけ追い越せで、新エネルギー市場に本格的に乗り込もうとしている。アメリカへの追随しか能のない日本も、今年1月になって環境省が「日本版グリーン・ニューディール」の構想立案に着手した(前掲誌38頁参照)。

しかし、『週刊東洋経済』の記事は、日本の新エネルギー産業の将来を不安視している。同誌によると、最大のネックは電力会社が発電所と送電線インフラの双方を抱えたまま、実質的に地域独占していることだという。電力自由化が進んだ海外では、発電所と送電線インフラで機能分離されているケースが多く、送電線の会社は積極的に新エネルギーと接続しようとするが、日本では電力会社が、新規参入を招く新エネルギーの拡大を、既存の発電所を脅かすものと受け止めて、風力発電など新エネルギーの送電線接続に制限を課している(前掲誌43頁参照)。

先月、ヨーロッパに遅れること十余年、ようやく経済産業省がFITの導入計画を発表したが、これも対象を太陽光発電に限定されており、風力などその他の新エネルギーは対象にならない。経済産業省が、電力会社と、太陽光発電の高い技術力を有するシャープなどのメーカーの両方に配慮した形である(前掲誌43頁参照)。

そもそも、日本政府はこれまで新自由主義カイカクを進めながら、電力についてはノータッチだった。当ブログは、「官から民へ」を錦の御旗にする新自由主義カイカクには賛成ではないが、規制緩和や自由化がすべて「悪」であるわけでないのは当然だ。私は、飯田哲也著『北欧のエネルギーデモクラシー』(新評論、2000年)を読んで、北欧諸国において電力の自由化が新エネルギー開発を進展させたことを学んだ。それ以前には、脱原発の動きがあり、たとえばスウェーデンが脱原発の方向に踏み切ったのは70年代である。日本は30年以上も遅れをとり、いまだに政府は原発政策に固執している。日本の政党で脱原発の主張を明確に打ち出しているのは社民党だけであり、同党にしても自社さ連立を組んだ頃には一時原発容認の方向性をとり、日本に反原発の政党が一つもなくなったことさえあった。そのせいか、「地球温暖化問題」というと、「原発推進をもくろむ勢力の陰謀」などというトンデモ陰謀論さえ政府系、反政府系双方のブログなどに流布しているありさまで、もちろんこれは事実に反する。アル・ゴアは現在では確かに原発推進勢力と関係があるようだが、ゴアが始めたキャンペーンに原発産業がすり寄ったというのが実際で、まず陰謀ありきなどではないし、前述のようにスウェーデンは脱原発を打ち出した上で新エネルギー開発に注力してきた。

政府と電力会社は既得権益を守ることに必死で、それに対抗すべき民の意見も、トンデモ陰謀論なんかに侵されている始末だから、日本における新エネルギーの将来は暗いと言わざるを得ない。現状では、新エネルギーが伸びた場合に期待される雇用の創出が生み出されないことには特に留意したい。つまり、このままでは日本経済はいつまで経っても浮かび上がれず、日本は世界から取り残された四流国になってしまうと危惧する。

せっかくの高い技術力を持ちながら、政治の貧困によって経済がずるずる後退している日本。こういうところに、官僚支配政治の弊害があるのだろう。現在の自公政権が続く限り、現状の改善は望むべくもない。民主党が政権交代を求めて総選挙を戦うのであれば、環境・エネルギー政策で「自公政権にはできず、民主党を中心とする政権にならできる新エネルギー政策」を争点の一つに据えてもらいたいと思う今日この頃である。


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北朝鮮のロケットだかミサイルだか知らないが、「飛翔体」発射にはしゃいでいるはねっ返りの右翼政治家たちのニュースに接するたび、その低劣さにうんざりする今日この頃だが、どんなにこっちが飽き飽きしても、痴呆どもはこれでもかこれでもかとばかり雄叫びをあげて狂態を演じ続けている。

大阪府知事・橋下徹は、「北朝鮮国内にいる人は声を上げられないから、せめて日本にいる北朝鮮の皆さんが声を上げて、今の体制を変更するように運動を起こしてもらいたい」と言った(朝日新聞より)。「お前が言うな」と反射的に思ってしまう。

敵地攻撃論は、ついに防衛大臣の浜田靖一まで言い出した。細田博之は、「ライス前長官らは弱腰だった」と言ったらしいが(産経新聞より)、面と向かっては絶対にそんなことは言えないだろう。自民党の役員連絡会では、「日本も核を持たざるを得ないという気持ちで取り組むべきだ」(同)という意見も出たという。

上記産経の記事には、この発言の主は明らかにされていないが、読売新聞によると発言の主は坂本剛二組織本部長で、坂本は核兵器保有論だけではなく、国連脱退にまで言及したとのことだ。

坂本は、記者団に「日本が核武装も国連脱退もできないことはわかっている。ただ、北朝鮮に強く臨むため、例え話をした」とイイワケしたが、山崎拓に「『日本も核武装して北朝鮮に対抗しよう』という意見が、公然と党の会議で言われることは非常に憂慮すべきだ。極端に言えば人類を破滅に導く議論だ」と批判された(同)。筋金入りのタカ派政治家・山崎拓が最近はハト派に見えてしまうくらい、自民党政治家のはね上がりぶりはひどい。

それにしても、国連脱退に言及とはおだやかではない。これを聞いて、1933年の国際連盟脱退を思い出さない人はいないだろう。当時、朝日新聞は「連盟よさらば!我が代表堂々退場す」という一面の見出しで、国際連盟で脱退の演説をぶった松岡洋右を称賛した。朝日新聞のコラム「今日の問題」の執筆者は、調子に乗って軍歌「連盟よさらば」の作詞までして、戦意を煽りに煽った。なお松岡洋右はかつて核保有論を唱えた安倍晋三と縁戚関係にある。

いったい坂本剛二は、松岡洋右にでもなりたかったのだろうか。パッとしなかったこれまでの政治家人生を振り返って焦りを感じ、松岡洋右に自らをなぞらえて、自ら属する町村派の大物政治家・安倍晋三に媚びを売ることによって、一躍名を売ろうとでもしたのだろうか。いずれにしても頭が悪いとしか言いようがなく、こんな痴呆にでも政治家が務まる日本の現状に、激しい怒りを感じずにはいられない今日この頃である。


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昨日のエントリで、改憲の機運が高まってきたことに警戒感を表明したが、hamhamさんから下記のコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-881.html#comment5504

今日は。
同感です。新憲法制定議員同盟(中曽根康弘元首相が会長)が2日国会内で経団連など経済団体と懇談を持ち、次の解散総選挙で憲法改正を取り上げ、盛り上げる話をしています。総務省は、改憲手続き法の「周知」パンフレット(500万部)を、多額の血税を使って作製し、4月から都道府県・市町村の窓口を通じて配布しています。

尚、今回の読売の調査結果では、9条については下記のようになっております。(読売は報じたくないようですが)

「しかし、調査結果を詳細に読むと、憲法9条については改正反対がやっぱり過半数を占めていることが明らかになっています。9条第1項と第2項に分けた質問で、それぞれ、「改正の必要がある」と答えたのは第1項17.7%、第2項42.0%なのにたいし、「改正する必要はない」は第1項 77.5%、第2項50.9%となっています。」
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2009/04/03205048/

しかし、本記事にあるように、憲法を蔑ろにして反国民、反民主政治を推進している勢力は、憲法改正の大キャンペーンを敢行すると思います。主権者国民は自分の存在をかけて、法の支配を守るためにも油断無く憲法をまもらなければならないと思っております。

2009.04.06 16:17 URL | hamham


9条改憲について、ネットで読める読売新聞の記事は、下記のようになっている。

憲法改正「賛成」51・6%、再び多数占める…読売世論調査

 読売新聞社の全国世論調査(面接方式、3月14?15日)によると、今の憲法を改正する方がよいと思う人は51・6%と過半数を占め、改正しない方がよいと思う人の36・1%を上回った。

 昨年3月調査では改正反対が43・1%で、改正賛成の42・5%よりわずかに多かったが、再び改正賛成の世論が多数を占めた。国際貢献のための自衛隊の海外派遣が増えたことや、ねじれ国会での政治の停滞などで、今の憲法と現実との隔たりを実感する国民が増えたためと見られる。

 1981年から実施している「憲法」世論調査では、93?2007年は改正賛成が多数派だった。ただ、04年の65・0%をピークに賛成派が減り始め、昨年は反対派を下回った。それが今回は増加に転じた。

 賛成派は自民支持層で54%(昨年比7ポイント増)に増え、民主支持層で53%(同12ポイント増)に急増した。

 改正賛成の人に理由(複数回答)を聞くと、「国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから」49%(昨年45%)が最も多かった。インド洋での給油活動、ソマリア沖の海賊対策への海上自衛隊派遣を巡る議論などを通じて、憲法を見直そうという意識が高まったようだ。

 戦争を放棄し戦力を持たないとした憲法9条については、「解釈や運用で対応するのは限界なので改正する」38%が最も多く、昨年(31%)から増えた。「解釈や運用で対応する」33%(昨年36%)、「厳密に守り解釈や運用では対応しない」21%(同24%)は、ともに昨年より減少した。

 国会の二院制については、「二院制を維持し衆院と参院の役割や権限を見直す」39%と「一院制にする」28%を合わせ、何らかの見直しを求める人が約7割に達した。

 憲法で関心がある点(複数回答)は「戦争放棄、自衛隊」47%が8年連続でトップ。「生存権、社会福祉」は昨年比7ポイント増の25%に増えた。金融危機や年金不信で暮らしへの不安が増していることを反映したようだ。
(2009年4月3日00時04分 読売新聞)


ここから読み取れるのは、「憲法9条を改正をすべき」と考えている人が38%、解釈や運用による対応をすべきという意見を含めて「憲法9条を改正すべきでない(または改正しなくても良い)」と考える人が54%だということだ。第1項と第2項に分けた質問およびそれに対する回答は、読売新聞の紙面でしか載っていないようだが、ネットに公開されている情報だけを見ても、確かに9条改憲不要派の方がまだ過半数を占めている。

しかし、読売の記事にあるように、中曽根康弘が改憲の旗を振っている。そして、読売新聞の主筆にして会長であるナベツネ(渡邉恒雄)は中曽根の盟友である(「刎頚の友」とまではいえないかもしれないが)。中曽根は今年91歳、ナベツネは今年83歳になるが、人生最後の大仕事として憲法改正に執念を燃やしており、今後大キャンペーンを張ってくることは間違いない。2006年にナベツネがやった戦争責任の検証は、憲法改正の前段階であったと考えるべきであって、その中にたまたま靖国神社に否定的な部分があったからといって、うれしそうにナベツネにすり寄っていった朝日新聞は、結局自らも改憲志向新聞になっただけだった。朝日新聞の3日付のオピニオン面で、休刊した『論座』の編集長を務めていた薬師寺克行が論説委員になっていたことを知ったが、その主張を読むと、コイズミに立場の近いことがうかがわれるし、2007年1月のテレビ朝日『サンデープロジェクト』では自ら「改憲派」だと明言していた。その時は、他のコメンテーターから「朝日の社論と薬師寺さんの意見は違うのか」と突っ込まれていたような気もする(古い話なので記憶違いかもしれない)が、いまや薬師寺克行は朝日新聞の社論を決める論説委員になっている。毎日新聞も、かつて論説委員だった岸井成格が、「護憲」から「論憲」へと方向転換させた。日本の大手紙で「護憲」を明確に主張する新聞は存在しなくなったと言って良い。

勢いづいた自民党のタカ派議員たちは、またぞろ「敵地攻撃論(敵基地攻撃論)」を唱え始めた。今朝の『日本がアブナイ!』に、時事通信の記事を引く形で紹介されているが、自民党外交、国防両部会などの合同会議で、山本一太、土屋正忠、鈴木馨祐らが「敵地攻撃論」ではしゃいでいたらしい。

何か3年前の夏を思い出させる。安倍晋三が次期総理大臣になることが確実になったその夏、アメリカの建国記念日に北朝鮮がミサイルの実験をやった。それに便乗して、額賀福志郎が敵基地攻撃論を唱え、麻生太郎や安倍晋三が呼応したのではなかったか。

その後、安倍が総理大臣になって、狂ったように改憲一本槍の政治を行って、「国民の生活は二の次、三の次」にしたために、一昨年の参院選で自民党は惨敗、それとともに改憲の機運は潰えたかに見えた。しかし、勝った方の民主党の支持者が「右も左もない」と言い出したり平沼赳夫一派に接近したり、いや、それはいくらなんでも極端な例外なのだろうが、安倍が政権を去って日が経つにつれ、あの異常な安倍が強迫観念に駆り立てられるように進めた改憲準備に対する警戒感は国民の間から薄れていき、そうこうしているうちにリーマンショックに端を発する経済危機が発生し、それに気を取られているうちに田母神俊雄のアパ懸賞論文問題が起き、陰謀論者の田母神がテレビで発する勇ましい国防論が視聴者の心を捉え、北朝鮮が「飛翔体」を発射すると自民党の国会議員が「敵地攻撃論」を唱えた。つまり、3年前に逆戻りしてしまったのである。

いや、安倍晋三はもう終わったと思って野党支持者、特に民主党支持者が憲法のことを言わずに小沢一郎の秘書の「国策捜査」のことばかり言っている今は、3年前よりむしろ改憲の危機が高まったといえるのではないか。

新自由主義には反対だが政治思想右派には寛容な人の中には、「9条護憲派」と「25条護憲派」が共闘すれば良い、という人もいる。しかし、前々から主張しているように、憲法9条と憲法25条が分けて考えられるべきものとは私は思わない。

憲法9条と25条を関連付けて考えるべきだとは、湯浅誠も昨年8月31日に「反貧困キャラバン」で高松に来たときに講演で言っていた。そして、最近刊行された辺見庸の『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』(大月書店、2009年)にも、「憲法九条と二五条の危機」と題された項がある(同書第三章「価値が顛倒した世界」より、62?66頁)。この本は、今年2月1日にNHK教育テレビで放送されたETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」の内容を再構成し、加筆・修正したものだ。辺見庸は、人の生存権が脅かされている現状について書いたあと、以下のように続ける。

 これからは二五条だけではなく、連動してまちがいなく九条もますますないがしろにしていくでしょう。たとえばODA(政府開発援助)のような予算が大きく削られていくなかで、自国民、自国中心になっていく。これは歴史的な恐慌時には確実にどこの国でもおちいっていく傾向です。同時にナショナリズムが起きて、九条的な不戦思想、非戦思想が薄まり、外側に対して戦闘的になっていく。それが怖い。だから、二五条という生活権、社会権の保障と九条という平和の保障は関係ないようでいて、じつは本質としては引きあう磁場というものがある。ぼくはそれを基本的に同じものだとおもっているし、そうでなければいけないとおもうのです。

 でも、予想される近未来の中では、二五条が危ういと同時に、九条の位置というのも明らかにどんどん低くなるのではないか。危ういというか、もうすでに無視されているとおもうのです。おそらく、自国優先になっていって、二五条重視というかたちはとりえない。なにが優先されていくかというと、人ではなくて、国家です。つまり、その国に住まう人間たちよりも国家の利害というものを優先していくような発想がどんどんつよくなっていく。いってみれば、シーソーゲームのように二五条に重きを置けば九条が危うくなるということではなく、じつはどちらもまちがいなく危うくなっている。
(辺見庸 『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』(大月書店、2009年)より)


だが、人間とは悲しいもので、かつて核兵器の保有や使用も違憲ではないと主張した安倍晋三が9条改憲志向をあらわにすると、左翼は「国民の生活」を(安倍と同じように)二の次、三の次にして9条改憲反対ばかりを叫び、経済危機に瀕して国民の生活が脅かされると、今度は9条改憲の危機には目もくれなくなる。そして、したり顔で「9条護憲派と25条護憲派の共闘を」などと言うのだが、ご当人が「25条護憲派」の一部として意識している平沼赳夫一派は、「大きな政府」志向ではあるが決して「25条護憲派」などではなく、それどころか現憲法を廃棄して「自主憲法制定」を主張する国権主義者なのである。政党や政治家の立ち位置を、横軸に「民権主義?国権主義」、縦軸に「大きな政府?小さな政府」をとった2次元ダイアグラムを、トラックバックいただいた『広島瀬戸内新聞ニュース』が示しているので、読者の皆さまには是非ご参照されたいと思う。このダイアグラムによると、かつて「国権主義」かつ「小さな政府」志向で、明らかなネオコン・ネオリベ政治家であった小沢一郎は、民主党入りに際して労組政治家に「転向」したことに伴って、今では「やや民権主義寄り、やや大きな政府寄り」へと立ち位置を移している。「民権主義寄りだが小さな政府寄り」の前原誠司があまり好ましくないのは当然だが、それ以前に「大きな政府寄りだが国権主義寄り」の平沼赳夫など問題にならない。平沼の立場は、『広島瀬戸内新聞ニュース』も書くように、ナチズムと親和性の高い「国家社会主義」である。

幸い、最近平沼赳夫は「麻生太郎も小沢一郎も新党結成を俺にけしかけてきたのに、その後何の話もない」などとぼやいているそうで、自民党からも民主党からも見捨てられているようだ。安倍内閣が成立した年に平沼が自民党に復党しなかったのは、新党でも作ってキャスティングボートを握りたいという野心があったからだろう。平沼の一の子分・城内実には、一時民主党公認で静岡7区に立候補するとの観測もあったが、これを潰したのはおそらく小沢一郎自身だ。小沢は、口では平沼に甘いことを言いながら、造反して「改革クラブ」を結成した渡辺秀央と大江康弘を民主党から除名した。彼らは、平沼赳夫に思想の近い極右議員である。極右は、自公政権にとっても邪魔になったのかどうかわからないが、「教育再生 地方議員百人と市民の会」の事務局長・増木重夫と、会員の遠藤健太郎が逮捕された。この件については、『dj19の日記』『黙然日記』などを参照されたい。逮捕された遠藤健太郎は、ブログ『KNN TODAY』の管理人で、平沼信者である。

「教育再生 地方議員百人と市民の会」には、中山成彬や山谷えり子、伊吹文明らも名を連ねているが、それにもかかわらず増木と遠藤は逮捕された。彼ら極右が大手を振って歩ける時代にまではまだ至っていないとはいえそうだ。


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民主党・小沢一郎代表の公設第一秘書・大久保隆規氏が逮捕された3月3日以来、当ブログのアクセス数はプチバブル状態になり、普段より3?4割多いアクセス数の日が続いた。当ブログは、捜査は無理筋であり、そこには権力の意思が反映されている可能性が高いとしながらも、総選挙が迫っていることを考慮すれば、小沢一郎の代表辞任も視野に入れるべきだと主張した。これに対して、自民党寄りの人たちからは「小沢支持の陰謀論者」、共産党寄りの人からは「政治とカネの問題に鈍感」、そして小沢一郎の熱烈な支持者からは「自公政権の回し者」などなど、ありとあらゆる批判を受けた。だからと言って自分の立場が「中道」だと主張するつもりなどさらさらなく、要は自分は自分、他の誰でもない、というだけの話だ。私には固有の立場がある。

その、小沢一郎をめぐって、ああでもこうでもないと騒いでいたバブルが、突如弾けた。土曜日(4日)の昼前くらいから、アクセス数が突然がくっと落ちたのだ。土日はもともとアクセス数が平日よりかなり少ないが、それにしても減り幅が大きい。いうまでもなく、北朝鮮のミサイル騒ぎの影響だ。

しばらく前にメディアやネットを騒がせた前財務相・中川昭一の「もうろう会見」の話題をもう誰も口にしないように、今後西松事件のメディアへの露出は徐々に減っていくことだろう。しかしそれは、小沢一郎や民主党が難を逃れたことを意味しない。メディアの世論調査では、すさまじい勢いで麻生太郎内閣と自民党の支持率が上昇しており、小沢一郎と民主党の支持率が落ちていっている。これを、「メディアの捏造」と言ってしまったら、2月までの麻生内閣の支持率の急落をメディアのせいにしていたネット右翼と変わらないことになってしまう。麻生内閣支持率低下は真実で、小沢一郎の支持率低下はメディアのせいというのは、いくらなんでも説得力を欠く議論だろう。マスメディア、特にテレビの影響を著しく受けやすくなった「民意」とはちょっとのできごとで激しく振れるものなのだ。実は、投票行動への影響はそんなに大きくないのだが、具合の悪いことにちょっとの民意の振れを著しく拡大する「小選挙区制」を中心とする選挙制度になってしまっている。それを推進し、さらに小選挙区の比重を増そうとしているのが小沢一郎や鳩山由紀夫であることは、きっちり批判しておかなければならない。

ところで、自民党や民主党の支持率以前に、私が強く懸念するのは、改憲論が急激に勢いを盛り返してきていることだ。改憲を社論とする読売新聞は、4月4日付の社説「憲法世論調査 改正論議を再活性化すべきだ」で、

 読売新聞の世論調査で憲法を「改正する方がよい」と思う賛成派は51・6%へ増加し、3年ぶりに過半数となった。「改正しない方がよい」という反対派は36・1%に減った。

 「ねじれ国会」に象徴される政治の混迷の中、憲法論議は脇に追いやられてきた。だが、改正論議を求める国民の声は、今回の調査でも根強いものがある。

 与野党は、次の総選挙に向け、改憲論議の再活性化をはかるべきだろう。

と、うれしそうに書いている。

それにしても改憲派の反撃は急だ。つい1年前、映画『靖国 YASUKUNI』の上映中止問題をめぐって、圧力をかけたとされる稲田朋美が批判を浴び、ちょうど1年前の昨年4月6日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』では、田原総一朗が稲田朋美を欠席裁判よろしくコテンパンに罵倒した。結局この映画は憲法記念日の5月3日に一般公開されたのだが、この日の読売新聞の社説は、上記で紹介した今年4月4日付のものとは全く異なり、元気のないものだった。例年なら社説を一本にまとめて改憲論を声高に叫ぶのだが、昨年は普段と同じ2本立ての1本で、弱々しく改憲を主張しただけだった。それもそのはず、2004年から翌年頃をピークに、改憲支持派は急激に減少し、安倍晋三が首相を辞任したあとの世論調査では、護憲派の数が改憲派を再逆転していたのだった。

それが、1年も経たないうちのこの様変わりである。「KY」と揶揄され、首相の座を石もて追われた改憲派の象徴・安倍晋三も元気を取り戻し、「『村山談話』に代わる『安倍談話』を発表すべきだった」などとほざいて、総理大臣への「再チャレンジ」をもくろんでいるらしい。どうしてこんなことになってしまったのか。

これを、北朝鮮のミサイル発射のせいになどできないだろう。たとえば田岡俊次(元朝日新聞の防衛担当記者)の著書を読んだ人間にとっては、北朝鮮のミサイルを、精度が怪しく命中するかどうか疑わしいPAC3なんかで迎撃するはずもないことなどわかり切っていたし、ましてや田岡の著書に推薦文を寄せた石破茂あたりは内心苦笑していたのではないかと思うが、テレビのニュースはミエミエの防衛省のデモンストレーションを仰々しく放送していた。あれって、「自民党のコマーシャル」ならぬ「防衛省および防衛産業のコマーシャル」だとしか私には思えないのだが、それに騙される国民は多い。しかし、それだけで改憲論がここまで盛り返すとは考えられない。

田母神俊雄である。アパ懸賞論文の最優秀賞受賞が問題視されて航空幕僚長の座を追われた田母神俊雄がメディアの寵児になったことが大きかった。田母神の論文自体は、右派の学者・秦郁彦にさえ、「歴史学では相手にされていない陰謀論」と一刀両断にされるほどお粗末なものだったが、電波媒体を通じて発信される田母神のトンデモ国防論が右寄りの視聴者の心を捉えた。

昨年11月29日に放送されたテレビ朝日『朝まで生テレビ』で行われた視聴者へのアンケートでは、「田母神論文を支持」する人が61%に達したそうだ。『朝生』のアンケートというと、つい先日、3月28日の放送で「小沢一郎続投支持」が66%に達したとして小沢支持者が熱心に宣伝しているが、田母神論文を論じた回のアンケート結果は、それの「右」バージョンといえる。

「田母神論文支持61%」を声高に叫ぶ人は「小沢続投支持66%」を無視するし、「小沢続投支持66%」を声高に叫ぶ人もまた「田母神論文支持61%」を無視する。しかし私は、両者は表裏一体の関係にあると思う。

昨年11月7日付エントリ「田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々」で指摘したように、田母神論文を最優秀に選んだ懸賞論文の主催者・アパの元谷外志雄は、安倍晋三の非公式後援会「安晋会」の副会長でもあるが、その元谷がトンデモ陰謀史観に基づいて書いた歴史本『報道されない近現代史』を、佐藤優が絶賛している。つまり、佐藤優?元谷外志雄?田母神俊雄は一本の線で結びついている。もちろん、政治家では安倍晋三、評論家では懸賞論文の審査委員長も務めた渡部昇一と直接結びついている。まさしく、「安倍晋三につながる極右人脈」、佐藤優の人脈の「右巻」である。

一方、検察批判に関しても佐藤優は第一人者である。こちらでは佐藤は魚住昭や宮崎学らとつながっている。『週刊金曜日』や『世界』といった左派雑誌にも佐藤優は寄稿しており、いわばこちらは佐藤優の人脈の「左巻」といえる。ここでは、佐藤は「青年将校化する東京地検特捜部」という見立てをしており、西松事件についての左派論壇の論調をほぼこの線で押さえてしまっている。

田母神俊雄は決して国民一般に広く支持されているとはいえないし、小沢一郎は説明責任を十分果たしていると思う国民も、決して多数ではない。政治問題を討論するテレビの深夜番組を熱心に視聴したり、ネットで政治について読み書きする人たちと世論の間には、大きな乖離がある。もちろん、先に触れた「テポドンの脅威とそれに対するPAC3の迎撃」などのように、マスメディアが平然と「政府のコマーシャル」をやっていて国民がそれに騙されている場合も多いから、マスメディアの世論調査に示される「民意」がいつも正しいというつもりなど毛頭ない。しかし、田母神論文の問題にしても検察批判にしても、何らかのバイアスのかかった見方であって、その双方に強い影響を与えている佐藤優という人物の「影」を見過ごすことはできないのではないか、そう私は思う。

そして、佐藤優の本質は強烈な国家主義者、排外主義者である。すなわち極右である。小沢一郎の秘書に対する捜査を「国策捜査」だと叫ぶ人たちの中には、極右系の陰謀論者や排外主義者がかなり混ざっていることを私は憂慮する。確かに疑義の多い捜査ではあるが、ここでリベラル・左派が安易に極右と手を組んではならない。現に、リベラル・左派は小沢一郎擁護にばかり熱心で、改憲論への警戒がおろそかになっている。かつて「安倍が改憲を急ぐわけ」などと書いたブログが、いまや「自主憲法制定」を目指す平沼赳夫一派の広告塔になっていることなどはその一つの象徴だ。かつて「AbEnd」(安倍晋三を終わらせるためのブログキャンペーン)で盛り上がったかに見えた「市民派ブログシーン」は、単なる「反権力」のファッションを楽しんでいただけではなかったかと、いま苦い自省の念を込めて振り返る。ファッションとファシズムは語源が同じはずだ。

[追記]
「はてなブックマーク」でyellowbellさんに教えていただいたのですが、「fascismの語源→fasces(執政官の象徴たる束桿), fashionの語源→factio(行為)」で、語源が異なるそうです。
なので、記事の最後の文章は取り消します。


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小沢一郎というと、湾岸戦争(1991年)の時に自衛隊をペルシャ湾に派遣しようとしたり、同年の東京都知事選で、元NHKの磯村尚徳を強引に担いで現職の鈴木俊一知事と闘ったことが私にはいつまでも忘れられない。湾岸戦争当時は、言語道断のタカ派政治家としてマスコミに叩かれたし、都知事選の時に磯村尚徳が銭湯にてお年寄りの背中を流すパフォーマンス(小沢一郎が指示したといわれる)を見せた時の印象は非常に悪く、磯村は都知事選に惨敗したあと、文化人としても鳴かず飛ばずになってしまい、後年パリに渡った。小沢一郎は、都知事選敗戦の責任をとって、自民党幹事長を辞任した。

しかし、当時は経世会支配の世。自民党幹事長を辞した年の秋、海部俊樹首相退陣に伴う自民党総裁選に際して、小沢一郎は宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3人の総裁候補を小沢事務所に呼び出して面談した(いわゆる「小沢面接」)。この頃が、権力者としての小沢の頂点だったに違いない。翌年、東京佐川急便事件で金丸信が失脚し、小沢は朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』に、連日のように「金竹小」(こんちくしょう=金丸信、竹下登、小沢一郎)の一人として叩かれた。当時、小沢一郎は金権政治の代名詞のような男だった。ところが、その小沢が「政治改革」の旗手として名乗りを上げるに及んで、いったいどうなってるんだと首をひねったものだ。

私は、あの「政治改革」には否定的だった、というより興味がなかった。何より気に食わなかったのは小選挙区制を重視した選挙制度の改革であり、私は小選挙区制を導入するなら比例代表併用制にしなければならないと思っていたし、社会党議員なども当初そう主張していたはずだが、小沢らに丸め込まれてしまい、小選挙区比例代表並立制が導入された。これが「郵政総選挙」におけるコイズミ自民党の大勝を呼び込んだわけで、この「政治改革」は小沢一郎最大の失敗である。小選挙区制の導入は、かつて鳩山一郎がやろうとして失敗し、小沢一郎の師・田中角栄も導入を試みたが世論の猛反発に遭って挫折した。鳩山や田中の小選挙区制導入の狙いは、自民党が3分の2以上の議席を獲得して憲法改正に持っていくことだったと私は考えているのだが、小沢は自民党を離れてもこれをやろうとした。そんなことをやったって、ちょっと民意が振れれば自民党の大勝になったりするのになあと、ずっと訝っていたのだが、その後数度の選挙ではそうはならなかった。しかし、2005年の総選挙でついに恐れていた事態が現実のものとなったのである。

しかし、小沢一郎も鳩山由紀夫も菅直人も、この「政治改革」、特に選挙制度改革の誤りをいまだに認めていない。それどころか、小沢や鳩山は、現行よりさらに小選挙区の比重を高める方向へ選挙制度を手直ししようとする発言を、一昨年だったか昨年だったかにしている。

現行の衆議院選挙制度は、ちょっとの民意の振れが極端な結果を招く、明らかな欠陥選挙制度だ。それがもたらした大量の議席の威力で強行採決を連発したのが安倍晋三だった。安倍が参院選で惨敗し、参議院で与党が過半数を獲得できなくなると、後継の福田康夫や麻生太郎は衆院での再議決に頼った。小選挙区比例代表並立制なんかを採用していなければ、こんなことにはならなかった。

いつかは民主党も小沢一郎離れをしなければならないというのは、当ブログがしばしば主張していることだが、その一つが、弊害が明らかになった衆議院の選挙制度を再改革し、比例代表中心に改めることだ。これには、社民党や国民新党だけではなく、共産党も賛成するだろうし、敵失で多少浮上したとはいえ、なお衆院選大敗の可能性がある自民党も、反対はしないはずだ(現在の自民党には、「政治改革」当時、「守旧派」とレッテルを張られた議員が多い)。何より、小選挙区制はギャンブル性が強く、まるで株取引みたいだ。私は「小選挙区制」にどうしても「新自由主義」を連想せずにはいられない。とにかく、90年代の「政治改革」には、メリットよりデメリットの方がずっと大きかった。

それと、先日小沢一郎が言い出して、「盗人猛々しい」と自民党(町村信孝ら)から批判を浴びた企業献金の全面禁止。私は、経団連の政治支配こそ、日本の政治の最大の問題だと考えている。今回の西松事件で、小沢一郎シンパの方々の中には、「企業献金の何が悪い」と主張する方もおられたが、80年代以来の共産主義国の崩壊のあと、「共産主義の脅威から国を守るため」企業が保守政党に献金するという大義名分は失われており、それでもなお企業が政治家に献金するとなると、何らかの見返りを期待する以外の動機はあり得ない。そして、経団連の思うがままに政治が動かされた結果が、ワーキングプアやすさまじい格差社会の問題である。小沢一郎は自ら多額の企業献金を受け取っていながら何を言うか、と自民党がいきり立つのは、自らの拠って立つ基盤が崩されるのがいやだからだ。政官業癒着の政治を続けたいからだ。これからも貧困者が続出したり、格差がさらに拡大したって、自民党の政治家にとってはどうでも良いことだからだ。

発話者が誰であろうと関係ない。主張が正しければ、それを取り入れるべきである。企業献金の全廃は、時代の要請だ。

「災い転じて福となす」としたい今日この頃である。


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朝日新聞に掲載された立花隆の寄稿を紹介した昨日のエントリは、コメント欄で集中砲火を浴びた。いただいたコメントの大多数が、当ブログや立花隆を批判し、小沢一郎を擁護するものだった。中には、「エープリルフールではないか」という冷やかしのコメントまであった(苦笑)。

そんな中にあって、もっとも私の感覚に近かったのは、ぽむさんのコメントだ。以下に紹介する。

小沢氏支持でない私でも最近の朝日の辞任誘導キャンペーンには食傷気味なくらいだから、今日の立花氏の記事に小沢氏擁護派から反発が出るのは当然と思われます。
ただ、それとは別にみなさんのコメントを読んでいて気になったのは「小沢さんに期待すること(=政権交代で期待することですよね)」として「官僚政治の打破」を書いてられる方がすごく多いということ。
でも、土曜日に行われた「反貧困フェスタ2009」にみられるように今の日本でいちばん切実な問題は貧困・失業・格差・新自由主義でずたずたにされたセーフティーネットの張り直しだと思うんです。「そのためにも官僚政治の打破が必要なんだ」という考えもわかりますが、そもそも諸悪の根源を官僚とする考え方は小さな政府や新自由主義と親和性が強いものなんです。「霞ヶ関をぶっ壊せ」って橋下氏なども好むスローガンですし。
リベラル派ブロガーおよびその読者が政権交代に託す最優先の目的は新自由主義の克服だったはずで、それで考えるとちょっとなんかなあと思ってしまいました。

2009.04.02 00:12 URL | ぽむ


その通りだと思う。私も、朝日新聞の過剰な小沢一郎降ろしには食傷しており、だから先月末に立て続けに朝日新聞を批判するエントリを上げた。今朝(4月2日)の朝日新聞4面では、「「岡田待望論」ホントはどうなの?」などという見出しを打っており、

 小沢氏側近の一部にも「小沢氏も、岡田氏を後継とみている」との見方がある。岡田氏は著書で、93年に自民党をともに離党した小沢氏を「政治の世界の父」と書いた。小沢氏が企業・団体献金全面禁止の議論とりまとめを岡田氏に託したことも「後継指名の布石か」と憶測を呼ぶ。
(2009年4月2日付朝日新聞より)

などと書いている。「憶測を呼ぶ」というより、朝日新聞記者自身が岡田克也を代表にしたがっているとしか私には読めない。岡田克也というと、ジャスコ創業者・岡田家の御曹司で、現在のイオン社長・岡田正也は岡田克也の実兄。当地・香川県にも一昨年、昨年と相次いで「イオンショッピングセンター」がオープンした。私も「WAONカード」を持っていて時々利用するが、最近では行くたびに(空洞化した商店街のことだけではなく)岡田克也のことを思い出してしまう。その岡田は、かつてコイズミとカイカクの先鋭さを競った新自由主義色の強い人物であり、朝日新聞と親和性が強いのはよくわかる。外交・安全保障政策でも、決してハト派とはいえない菅直人よりもさらにタカ派色が強い。

つまり、私は民主党が「右」に舵を切って、反新自由主義の傾向を弱めて、再び(中川秀直あたりが主導権を握った)自民党と「構造カイカク」を競う、かつてのような方向性に戻るのが嫌だから、朝日新聞などによる「新自由主義側」からの小沢降ろしに反対しているのだ。昨日の立花隆の寄稿は、その朝日新聞の意図に乗る形になっている。それに対する反発はわかるが、朝日新聞にあのような立花隆の寄稿が載ったことは、決して見過ごせないことだ。当ブログが昨日のエントリのタイトルに「立花隆」と「小沢一郎」を用いたのはアクセス数稼ぎ狙いだろうとの批判コメントもあったが、当ブログのアクセス数はせいぜい日に数千件、それも同一IDからの重複アクセスをカウントしての数字である。一方朝日新聞の部数は800万部だ。もちろん「押し紙」による水増しもあろうし、駅売りの売れ残りもあろうし、朝日新聞をとってたって立花隆の論文など読まない人も多いだろう。それでも、少なく見積もっても百万人内外の読者に立花氏の記事が読まれたことは間違いない。過去の立花氏の業績を考えた時、朝日新聞にあのような立花氏の寄稿が載ったことの影響力は、絶対に無視できないことなのだ。だから、早朝に朝日新聞を読んで、予定していた記事を差し替えて昨日のエントリを上げたのである。

ぽむさんのコメントの中で、

そもそも諸悪の根源を官僚とする考え方は小さな政府や新自由主義と親和性が強いものなんです。「霞ヶ関をぶっ壊せ」って橋下氏なども好むスローガンですし。

という部分には、特に強く同意したい。本当を言うと、民主党が総選挙で確実に勝利を収めるためには、長妻昭を代表に据えるのが最善だと私は思うのだが、長妻昭にもちょっと上記のような傾向があって、だから「長妻代表」には私は躊躇する。もっとも、岡田克也を代表に据えるくらいなら、長妻昭代表の方がよほどましだと思うけれども。

いったいいつから、「小沢さんじゃなきゃ官僚支配から脱却できない」という信仰が広まったのか、私にはよくわからないのだが、「政官業癒着構造の解体」はもちろん大事だけれども(というか、政権交代が必要な理由はそこにあると思うけれども)、官僚を諸悪の根源としてこれを攻撃するのは、橋下徹好みでもあるが、それ以上に「郵政総選挙」に勝ったコイズミと同じ行き方というべきだろう。

そうではなく、「今の日本でいちばん切実な問題は貧困・失業・格差・新自由主義でずたずたにされたセーフティーネットの張り直し」であり、「リベラル派ブロガー(およびその読者)が政権交代に託す最優先の目的は新自由主義の克服」なのだ。まさにその通りである。「反貧困フェスタ2009」には遠方ゆえ参加できなかったが、昨年8月31日に高松市にも来た「反?貧困全国2008キャラバン」では、私も湯浅誠の講演やシンポジウムを聴講した。会場には、民主、社民、共産の野党3党の政治家が来ており、民主党からは来賓として挨拶した小川淳也衆院議員のほか、植松恵美子参院議員も来ていたが(社民・共産両党は国会に議席を持っていない)、自民党と公明党の議員は来ておらず、司会者が自民党の国会議員から届いた祝電を読み上げた時、会場がざわめいたことをよく覚えている。そしてその翌日(9月1日)、福田康夫首相が辞意を表明し、半月後にリーマン・ショックが起きた。日本の経済や社会は昨年8月末とは比べものにならないほど崩壊していっている。小沢一郎ならこの難局を解決できるというのは、いくらなんでも過大評価だろう。それでも、自公政権には適切な手は打てないことは明らかだから、選挙では民主党に勝ってもらわなければならない。そのためには、選挙の争点を「西松事件」なんかにしてしまってはならないのである。選挙の争点は絶対に「国民の生活を守る」ことでなければならない。この争点のもとに、各政党が政策を競うべきなのである。

私は実際には、小沢一郎は辞任のタイミングを測っていると思う。自民党の方も脛に傷をいくつも持つ身だ。効果的なタイミングで小沢が辞任すれば、むしろ自民党にとって多大なダメージになるはずだ。秘書が起訴された3月24日の時点での辞任は得策ではない、そう考えただけなのだろう。何より小沢一郎は、かつて自らが総理大臣に担いだ海部俊樹を指して、「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」と放言したとされる男だ。ナンバー1に立つより、ナンバー2として影響力を行使する方が得意に決まっている。そして、せっかく「労組政治家」に転向した小沢一郎なのだから、闇将軍でも何でもいいから、従来にも静岡7区における城内実の民主党からの擁立や、千葉県知事選における白石真澄の民主党推薦を阻んだように、今後も極右や新自由主義者の民主党への影響を排除し、「国民の政治が第一」のスローガンの導く方向へと民主党を動かしていってほしいと思う。それが小沢一郎の本心から出たものではなく、止むを得ない選挙区の事情からくるものであったってかまわない。

なんたって、政治は結果がすべてなのだから。


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今朝(4月1日)の朝日新聞「オピニオン」面に、「小沢氏 VS. 検察」という特集が組まれていて、フリージャーナリスト・立花隆氏の寄稿と元東京地検特捜部長・宗像紀夫氏のインタビューが出ている。そのうち、立花隆の寄稿が非常に印象的だったので、これを紹介したい。

立花隆はロッキード事件を追い続けたジャーナリストだ。最近では、2006年に今は休刊となった月刊『現代』で、「安倍晋三への宣戦布告」を発し、改憲志向の首相・安倍晋三(当時)を批判し続けた。その立花隆が書く小沢一郎論である。「民主代表のまま 裁判を続けるのか 師から何を学んだ」という見出しがついている。

立花はいきなり、「小沢一郎は結局、悲劇の政治家として終わらざるを得ないのではないか」と書き出す。そして、「小沢が裏舞台の政治工作能力は抜群だが、表舞台の大衆コミュニケーションに必要な資質がほとんどない」と厳しく批判。それが露呈したのが今回の事件だとする。

小沢が「自分が何よりも望むのは政権交代だ」というなら、万人が納得する釈明をするか、自分が身を引くかのどちらかだと立花は迫る。そして、裁判闘争を宣言する小沢一郎の言葉を聞いて、立花隆は「この人は田中角栄から何も学ばなかったのだろうか」と唖然としたというのである。

これに続くくだりは、今回の立花隆の寄稿の中でも、特に読ませる部分だ。ロッキード事件で逮捕された時に田中角栄がまっ先にやったことは自民党への離党届だった。角栄は自分の無罪を確信していたが、裁判闘争は自分一個の闘いにとどめ、自民党をそれに巻き込まなかった。この時、田中角栄が党に所属したまま幹部として裁判闘争を行っていたら、自民党内で田中の裁判闘争をめぐって大混乱が起き、自民党は分裂解体していただろうと立花は書く。

さらに、立花隆がもっとも重視するのは、3月24日に小沢一郎が続投と裁判闘争を宣言した記者会見における新聞記者の質問である。記者は、もし次の衆院選で民主党が勝ち、総理大臣になったら、あなたは総理大臣としてその裁判を続けていくつもりかと問うた。それに対して、小沢は問いに正面から答えなかった。

立花隆は書く。

 総理大臣というのは、この世に存在するあらゆる職業のうちで最大の激職である。日々その職務以外のことを全く考える暇がないほど、あらゆるデシジョン・メーキングが山積状態で追いかけてくる。そんな裁判をやっている暇はとてもないはずだ。

 この問題、政治資金規正法の法的解釈などをめぐって、多くの論争すべき点があるのは小沢の言う通りだが、総理大臣の前にはもっと大事な争点が毎日のように出てくる。どちらが大事なのか。裁判が大事という人を日本国の総理大臣にするわけにはいかない。

(2009年4月1日付朝日新聞より)


以後、立花の記事は小沢一郎の金権体質批判や、鳩山由紀夫幹事長を筆頭とした民主党幹部の危機感の欠如への批判が続き、小沢一郎は田中角栄にならって「党に迷惑をかけない」を第一の行動の原則にすべきだ、民主党は小沢の私党ではないのだから、小沢の泥沼闘争に巻き込まれるべきではない、として寄稿を締めくくっている。この後半の部分は、私は立花の議論には全面的に賛成はできない。しかし、激職である総理大臣を務めながら、裁判闘争などやっている暇があるのかという立花の問いに、小沢一郎は答えなければならないと思う。現在が平時であるならまだしも、「100年に一度」とも形容される経済・社会の危機にわが国はあり、震源地のアメリカより大きなダメージを受けている、とんでもない状態にあるのだ。麻生太郎が「どす黒い孤独」と言うのは、決して大げさな表現ではないと思う。今の日本の舵取りは、とても麻生太郎などには任せておけないことは当然だが、裁判闘争に時間ををとられながら小沢一郎が果たして日本を舵取りできるのか。

とにかく、今朝の朝日新聞に載った立花隆の寄稿は、まことに説得力に富むもので、かつて田中角栄を辞任に追い込み、最近も安倍晋三の辞任に大きく寄与した立花隆が、またしても一つの時代に幕引きをする記事を書いた、そんな印象を受けた。

朝日の紙面にもうひとつ載った宗像紀夫氏へのインタビュー記事には、「捜査方法も着手時期も疑問多い」、「特捜の体質変容を危惧」との見出しがついていることからわかるように、東京地検を批判する内容だ。インタビューの最後で宗像氏は、

検察はいつでもどんな事件でもやれるということになったら、『検察国家』になってしまいます

と語っている。確かにその通りだと私も思う。しかし、現実に検察は無茶な捜査をやってしまったのだ。これは事実として受け止めなければならない。小沢一郎が裁判闘争をする権利はあるし、小沢の主張には理もあると私は思うが、現在の日本にとって何より必要なのは、政権交代を実現することだ。そのためには、小沢一郎の民主党代表辞任は、どんなに控え目な言い方をしても、真剣に考慮しなければならない選択肢の一つだと私は思う。

昨日、森永卓郎氏が日経BPのサイトに毎週月曜日に寄稿しているコラムに、「財務省の復権で漂う日本経済の暗雲」と題した記事を書いた。森永は、今回の大久保隆規秘書の逮捕で、麻生首相への逆風がピタリと止み、麻生内閣の経済政策を牛耳る与謝野馨によって、新自由主義路線は廃棄されつつあるものの、今後、財務省好みの財政再建路線(増税路線)が推進されると分析する。そして、財政官僚の意のままに動く麻生内閣が続く限り、日本経済は立ち直れない、麻生内閣がずるずる続けば日本経済もずるずる落ちていく、と書いている。全くその通りだと思うし、今何よりも求められるのはそんな麻生内閣を一日も早くお払い箱にすることだ。

だからこそ、いろいろと問題を抱えているとはいえ、民主党に一定の期待をかけざるを得ないのだが、その民主党が、国の危機的な状況にまともに対応できないのではないかとの疑いを国民に抱かせる動きをしていてはならない。自民党に全く期待できない以上、民主党にはしっかりしてもらわなければ困るのである。


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