昨年は、毎月月末にアクセス解析の記事を掲載していた。月ごとのアクセス情報の集計は、結構手間のかかる作業で、今年はそれをやめて、結局半期ごとのデータ公開にしてしまったのだが、それにしてもアクセス解析の記事は(当然ながら)不人気だ。だから、もともとアクセス数の少ない大晦日にやる(笑)。来年は、半期ごとも止めて、大晦日の1回だけになるに違いない。
FC2カウンタによるアクセス数は、122万2363件だった。今年は閏年で366日あったから、ほぼ3日で1万件のペースだった。ちなみに、昨年は年間アクセス数が105万7931件だったから、アクセス数は15.5%増えた。
特にアクセス数が多かったのは、9月から11月までの3か月間である(今年の月間アクセス数最多は11月度の13万8288件)。いうまでもなく、9月1日の福田前首相の辞意表明に端を発する政局の時期だった。もっとも、ブログのアクセス数を押し上げたのは、必ずしも政局の話題ばかりではなく、NHKの「自民党コマーシャル」事件の追及、橋下徹への批判(これにはネガティブな反応もずいぶんあった)、プロ野球・星野仙一への批判、田母神俊雄のアパ懸賞論文をめぐる一連の記事などへのアクセスが多かった。また、年の前半には、映画「靖国 YASUKUNI」の上映「自粛」の件をめぐって、検索語「稲田朋美」によるアクセスが非常に多かった。「稲田朋美」は、今年1年を通しても、検索語ランキング2位だが(1位はブログ名「きまぐれな日々」)、その6割強が4月に集中した。次にこの検索語によるアクセスが増えるのは、稲田朋美が総選挙で落選した時だろうか(笑)。なお、検索語ランキングの3位以下は、「勝谷誠彦」、「橋下徹」、「田母神俊雄」となっている。5位の「田母神俊雄」は、11月以降の2か月だけで大量のアクセスがあった。
下記に、今年の人気エントリのトップ20を示す。
- 電波芸者・勝谷誠彦の生態 (2006年7月29日) 9,575件
- 大阪府民は「極右ポピュリスト」橋下徹を打倒せよ (2007年12月13日) 5,855件
- 小泉純一郎と安倍晋三と「女系」 (2006年8月6日) 5,350件
- 田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々 (11月7日) 4,905件
- 山本繁太郎とノーパンしゃぶしゃぶと耐震強度偽装と (3月12日) 4,637件
- 一度に346人の府立高校非正規職員の首を切る橋下徹 (9月20日) 4,281件
- 極左と紙一重の極右・稲田朋美を衆議院選挙で落選させよう (3月30日) 3,704件
- 「水からの伝言」をめぐるトラブルの総括 (1月15日) 3,579件
- 田母神俊雄の「痴的生活の方法」 ? 日本の右翼は大丈夫か (11月5日) 3,451件
- 猿芝居・自民党総裁選のコマーシャルを垂れ流したNHK (9月13日) 3,359件
- 「WBC監督固辞」星野仙一の身から出たサビ (10月23日) 3,358件
- テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない (11月20日) 3,350件
- 自民党の「年金問題の切り札」・大村秀章の醜態 (2007年6月17日) 3,245件
- 指定暴力団工藤会の「おねがい」 (2006年7月14日) 2,936件
- ネット右翼の妄言を黙認する右派言論の偽善には反吐が出る (5月17日) 2,864件
- 櫻井よしこのトンデモ発言をめぐるさまざまな反響 (8月12日) 2,797件
- 「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを開始します (8月17日) 2,791件
- 福田内閣支持率50%超に見る日本人の知性の劣化 (2007年9月27日) 2,733件
- ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する (2007年12月23日) 2,679件
- 映画「靖国」と稲田朋美、日本会議、そしてネット右翼 (4月7日) 2,600件
アクセス回数別では、全アクセスのうち3分の1強の34.6%が初回訪問客で、4分の1強の26.4%が100回以上ご訪問のリピーターだ。この比率は時期によって異なり、当然ながら前の月と比べてアクセス数が増えた月には、初回訪問者の比率が増え、アクセス数が横ばいまたは減少している時には、リピーターの比率が増える。今年でいうと、4月と8?11月に初回訪問客が多く、アクセス数が増えた時期と一致している。
こうした月には、検索エンジン経由のアクセスが多い。つまり、検索エンジンを用いたウェブ検索によって、ブログのアクセス数の増減がほぼ決まる。当ブログへの検索エンジン経由のアクセスは、年間で24万0804件だった。月平均で約2万件だが、アクセス数の多かった11月度は、検索エンジン経由のアクセスが3万件を超えた。検索エンジン別では、Google経由が圧倒的に多く14万6691件、次いでYahoo! の8万0092件で、この2大エンジンだけで実に94,2%を占める。検索エンジンの世界は、ますます二強による寡占の度合いを増しているように思われる。
また、他ブログ経由のアクセスでは、『カナダde日本語』(13,786件)、『反戦な家づくり』(7,290件)、『たんぽぽのなみだ-運営日誌』(4,579件)の順で多かった。
最後に、今年一年間 「きまぐれな日々」 をご愛顧いただいた読者の方々に、厚くお礼を申し上げる。
それでは、皆さま、良いお年を。
さんざんな1年だったが、来年は今年よりもっと悪い年になるのではないか。これは、大方の人の感じるところだろうし、私も例外ではない。
昨日(28日)朝放送されたTBSの「サンデーモーニング」も、この話題で始まった。この番組は、昨年年末に時間を延長した特番を組んで、新自由主義を本格的に批判していたそうだ。私は残念ながら昨年暮の特番は見ることはできなかったが、普段の番組作りも、伝えられるその内容にほぼ沿ったものである。番組が鳴らした警鐘が現実のものとなったが、その激変ぶりは想像を絶するすさまじさである。
事態は、経験した人はほとんどいなくなっている1929年の世界大恐慌にたとえられる。アメリカで経済危機を立て直したのは、フランクリン・ルーズベルト大統領のとった「ニューディール政策」であり、これは、ほっとけば経済はよくなるとして、大恐慌に対して有効な対策を打たなかった共和党のフーバー大統領の政策をルーズベルトが大胆に転換し、政府が経済に関与する社会民主主義的な政策によって経済危機を克服したものである。もっともルーズベルトはテネシー川流域開発公社などの公共事業を積極的に行なって経済を立て直したが、均衡財政論者の巻き返しによってアメリカ経済は再び低調となり、結局、アメリカ経済を立て直したのは、第二次世界大戦による軍需景気だった。
ここで注目したいのは、現在の麻生太郎政権が曲がりなりにも積極財政路線をとろうとしていることであって、それに対して財政規律の面から批判する与謝野馨一派や朝日新聞・日経新聞を代表格とする大多数のマスコミは、ニューディール政策を批判して経済を冷え込ませた側の論理にのっとっている。つまり、麻生政権を批判するのは良いが、それが「新自由主義側」からの批判になってしまっているのだ。三十年にわたって浸透させられてきた新自由主義の刷り込みは、まことに強固なものだと思う。
もちろん、麻生らの狙う道路建設を中心とした公共事業による景気対策の裏には、政官業癒着構造と密接な関係がある。だから、癒着構造に関与している人たちだけが潤って、その恩恵は一般庶民には行き渡らない。これに対する真に有効な批判は、政府支出を抑えろというのではなく、適切な政府支出を行えと主張することだと私は考えている。
実は、26日付のエントリ「自民党政権最後の年末に日本版ニューディール政策を思う」に対し、タイトルに「日本版ニューディール政策」と書かれているが、「日経エコロミー」に載った飯田哲也氏のコラムへのリンクが張られているだけで何の説明もなく、さっぱり理解できないというご批判を読者の方からいただいた。そこで、私が考えていることを簡単に説明したいと思う。
まず、サブプライムローン問題で、日本の金融機関の痛みは少なく、日本経済への影響は限定的だとされていたにもかかわらず、日本が先進諸国のうちでもとくにひどい株価の下落や企業業績の悪化、そしてリストラなどの惨状に見舞われている理由は、日本の産業、特に製造業が輸出依存の体質になってしまっているからである。コイズミはいろんな大企業優遇政策をとったが、特に円安誘導政策は、トヨタなど輸出産業に大きな恩恵をもたらした。日本経済が低迷する中、昨年まで愛知県の好調が伝えられたのは、もちろんトヨタの好業績に負うところが大きい。要は、日本の輸出産業が作った製品を、アメリカなどの浪費好きの人たちが消費して、大手製造業の好業績が成り立っていたのである。
それが、アメリカ経済がおかしくなると、需要がなくなるとともに、これまで無理に円安誘導をしていたツケが一気に出て、急激な円高になってしまった。これが日本経済に与えた悪影響は計り知れないものがある。
これをどう立て直すかというと、外需に頼り無理な円安誘導をしていたこれまでの政策を改め、国内の需要を高める方策をとるしかない。つまり、ルーズベルト大統領がやった、ニューディール政策にならった政策をとるしかないと私は考える。これを私は、「日本版ニューディール政策」と仮に呼ぶのであるが、具体的には、農業支援や医療・福祉の充実、それに再生可能エネルギーの開発推進などによって、冷え切った国民の懐を暖め、雇用を創出し、国民が元気を取り戻すようにしようというものだ。この際、一時的に財政赤字は拡大するが、その分は将来の諸産業の伸びによる税収増加で取り戻すことができる。この点で評価できるのは、民主党が打ち出した農家の戸別補償政策である。これは、近年主流だった新自由主義的発想による「大規模化による農業再生」の考え方を大きく転換するものだ。
だが、なんといっても注目されるのは、ヨーロッパで実績をあげてきている再生可能エネルギーの開発推進であり、アメリカの場合、オバマ次期大統領は「エネルギー革命」を宣言している。
実は、オバマがこのような政策をとることはずっと以前から予想されていた。たとえば、金子勝とアンドリュー・デウィットの共著『環境エネルギー革命』(アスペクト、2007年)に詳しく記述されており、当ブログでもこの本を、7月23日付、7月25日付、7月26日付および7月27日付エントリの4回にわたる連載でとりあげた。
これらのエントリに引用した金子・デウィットの『環境エネルギー革命』の記述にあるように、再生可能エネルギーの開発には、長い期間をかけてエネルギー転換に伴う投資や需要、そして雇用を創出していく面がある。しかも、この事業は民間だけで立ち上げられる性質のものではなく、開発には補助金だけではなく国家主導のあらゆる政策を動員する必要がある。しかし、その一方で、欧州で再生可能エネルギーが伸びたのは、電力の自由化を導入したからでもあった。さまざまな再生可能エネルギー候補に競争をさせたのである。一方、日本では新自由主義政策をとる一方で、原子力業界を手厚くもてなし続けてきた。しかし、実は原子力というのは、単に放射性廃棄物の問題やメルトダウンが発生した時のリスクの大きさだけではなく、高コストなエネルギーなのである。ところが、それこそ政官業癒着によって、原子力政策はいっこうに改められない。日本の電力会社は、もともとは国策会社であり、今でも政官業癒着の甘い汁をたっぷり吸っている。日本で原子力発電に反対している政党は社民党だけであり、同党は当然ながら再生可能エネルギー推進や環境税創設などの政策を掲げているが、現在の同党は、すっかり泡沫政党に落ちぶれてしてしまっている。
このように、アメリカでさえ声高に叫ばれるようになった再生可能エネルギー開発による国内産業の再生は、日本では相変わらずさほど関心を持たれていないが、このままでは世界からすっかり取り残されてしまうだろう。そして、そのあげくに原発事故が起き、国土が焦土と化してしまうのが関の山ではなかろうか。
そうならないうちに、次期政権は、オバマの後追いでも良いから、再生可能エネルギーや農業支援、医療・福祉などを充実させる政策を打ち出して、日本経済を再生させてほしいと思う今日この頃である。
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ポストコイズミの自民党の歴代政権は、郵政総選挙で得た衆議院の議席が惜しくて、株取引にたとえれば「損切り」をし損ねたのである。
チャンスは三度あった。まず、安倍晋三が圧倒的な「コクミンテキニンキ」を背に受けて総理総裁になった時。しかし、安倍はこのチャンスを活かせず、自民党は2007年の参院選で与野党逆転を許し、参院第一党から転落した。次は、福田康夫政権に交代した直後の2007年11月に大連立騒動が発覚した時。しかし、福田も何もできなかった。そして、最大のチャンスだったのが三度目で、いうまでもなく麻生太郎内閣発足早々の臨時国会冒頭解散である。これをやられたら、自民党はもちろん大幅に議席を減らしただろうが、政権にとどまる可能性はあった。だが、麻生太郎は自らそのチャンスを放棄した。
結局、麻生内閣は死に体のまま年を越す。臨時国会の終盤に民主党が出した解散要求決議案に渡辺喜美が賛成し、毎日新聞などはこれを評価しているが、私は、コイズミカイカクの一翼を担った渡辺がそんな行動をとるのなら、自民党を離党して議員辞職し、9月までに行われる総選挙に無所属なり民主党なり新党なりから立候補すべきだと思う。だが渡辺はそれをせず、自民党離党を否定したり、中川秀直らとの連携を口にしたりしている。ネット検索で見つけたブログ『民間人です』の12月12日付エントリに書かれているように、「中川秀直や渡辺喜美のドタバタって国民だますための大がかりなイルージョン」だと私も思う。新自由主義者は、過去の政策で日本をすさまじい格差社会にしてしまった責任もとらずに、政権をとりそうな民主党に擦り寄ろうとしているのであり、これはとんでもない茶番だとしかいうほかない。
それに関連して思うのは、「野党共闘」とか「現政権に反対」などというスローガンは、果たして来年どうなるのかということだ。何もしなくても政権が転がり込むであろう民主党は、もはや選挙前に分裂する契機などなく、順当にいけば来年には民主党、社民党、国民新党、新党日本による連立政権が成立し、共産党はこれには加わらない。共産党は、社会民主主義的な立場から(つまり「左」から)引き続き政権を批判する勢力になるだろう。私はそれは大いに必要なことだと思うし、新政権にも新自由主義的な傾向は残るだろうから、共産党の政権批判に同調する記事も書くことになると思う。つまり、政権に対しては是々非々の立場をとる。これに対して、現在の「野党共闘」論者は今度は「与党共闘」を叫ぶのか、それとも、「所期の目的を達成したから、ブログで政治のことを書くのは止めます」というのか。あるいは、「現政権に反対」な人は、「前政権に反対」(笑)と看板を架け替えるのか。興味津々である。本当は、政権交代は第一歩に過ぎないのだけれど。
さて、一昨日(12月24日)の『きっこの日記』は、「食べ物を捨て続ける国」と題した記事で、食糧問題や環境・エネルギー問題に言及している。私は、たまたま2000年に出版された飯田哲也氏の『北欧のエネルギーデモクラシー』(新評論)という本を読み終えたところで、もう10年近くも前に出版されたこの本が全然新鮮さを失っていない、というよりその間日本の政策があさっての方向に向かい続けていたことに改めて愕然とした。北欧では30年も前から脱原発、再生可能エネルギー開発や、省エネルギーと経済成長の両立を目指す努力が続けられていたのに、日本での動きというと、大平内閣の頃の「省エネルック」なるダサダサのスーツや、コイズミ時代のクールビズのようなくだらないパフォーマンスしか思い浮かばない。それどころかコイズミは、再生可能エネルギーへの補助金を打ち切り、それ以後、従来高いシェアを誇っていた日本の太陽光発電のシェアは急激に低下している。
本当は、野党は自民党の道路建設に対抗して、再生可能エネルギーによる地域振興を訴えて、きたる総選挙での大きな争点としてクローズアップすべきなのである。ムダの削減ももちろん大事だが、それしか言わないようでは、「小さな政府」路線に固執する新自由主義そのものの発想に思えてしまう。もっと有効な政府支出による雇用の創出策を、前面に打ち出すべきである。
そうでなくても、飯田哲也氏が日経エコロミーに掲載した「グリーン・ニューディール――オバマ次期米大統領が担う大変革への期待」という記事で書いているように、アメリカも再生可能エネルギーの開発推進の方向に大きく舵を切る。そんな時代に、道路開発(必要なものもあるが、無駄なものが多い)にばかりこだわる一方で原発建設を引き続き進めようという自民党の政策は、世界的に見ても時代遅れだし、環境は悪化させるし、活断層だらけの地震国に建つ原発のリスクは増す一方だしと、良いところは何もない。だが、それに対して与謝野馨一派が主張するような財政再建路線を推し進めるのでは、国民の暮らしは全く良くなる見込みがない。遅ればせでも、先進国の真似でも良いから(もはや日本は先進国とはいえないと私は考えている)、今こそ「日本版ニューディール政策」を打ち出すべき時だと思う今日この頃である。
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大岡の小説は、有名な『野火』を読んだことがあるものの、とてもではないが良い読者などではなかったが、印象に残っているのは、没年の1988年、昭和天皇が病に倒れたことについて聞かれて、「おいたわしい」と発言したことだ。この言葉に大岡はどんな意味を込めたのだろうか。だが、それについて語る前に、昭和天皇よりも2週間早い1988年12月25日、大岡昇平は急逝した。
大岡と交流のあった音楽評論家の吉田秀和が、追悼文を朝日新聞の「音楽展望」に発表した時、この発言に触れたと記憶しているが、手元に資料がなく、ネット検索しても何も引っかからなかった。だが、このネット検索で思いがけない新聞記事に出くわした。
毎日新聞の伊藤智永記者が12月6日付の同紙「発信箱」に書いた「音楽を言葉に」である。
伊藤記者の名前には見覚えがあった。コイズミ政権最後の年の2006年、毎日新聞の名物コラム「記者の目」で「小泉改革とは何だったのか」と題した記事を発表したことがあり、それをブログをはじめたばかりでまだほとんど読者のいなかった当ブログが取り上げた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-24.html
ここでは、昨日のエントリで批判した関岡英之を肯定的に取り上げるなど、昔書いた記事だなあと思うが、取り上げた対象の伊藤記者の記事も、率直に言って、むしろコイズミへの批判の生ぬるさが感じられるものだった。だからエントリに「毎日新聞は小泉を正しく批判していたか?」というタイトルをつけた。今伊藤記者の記事を読み返すと、コイズミのみならず「新自由主義」への切り込みに、さらに不満を感じる。
だが、大げさに言えば「コイズミは神聖にして侵すべからず」のような雰囲気があった2年半前に、伊藤記者が「空気」に抗してコイズミカイカクに疑義を呈する記事を書いたこと自体は、今でも高く評価している。
その伊藤記者が、吉田秀和について論じている。以下引用する。
発信箱:音楽を言葉に=伊藤智永(外信部)
音楽評論家の吉田秀和氏は、大好きな相撲の実況中継を通して音楽を言葉にする方法を学んだ。目まぐるしい動きと一瞬の勝負のポイントを的確に分かりやすく伝えるすべが、音楽批評の勘所に通じるという例えは素人にも得心がいく。
95歳で現役の吉田氏の歩みを、鎌倉文学館が小さな企画展で紹介している(14日まで、月曜日休み)。感じ入るのは30代までの修業時代、吉田氏が方法論の前に、音楽を言葉にする仕事へにじり寄っていく精神の核を形作っていったことだ。
詩人・吉田一穂との交友で「本質だけを追求すること」こそ快いと知り、中原中也の詩の朗唱に「小鳥と空、森の香りと走ってゆく風が、自分の心の中で一つにとけあってゆく」言葉の魔力を体感し、ニーチェの著作から「感覚と心情の芸術としての音楽のほかに、精神の科学としての音楽を教え」られた。
50代で、なお「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」と青年のように宣言している。
後の吉田氏は「?かしら?」と口語調の平明でふくらみある言葉づかいになった。固い心棒ができているからだろう。
さて、新聞のコラムはとかく社会的教訓の落ちをつけたがる。ネットにあふれる他人を批評する言葉のゆるさ、政治や経済の言葉の薄っぺらさ……。
興ざめでしょう。そこで、吉田氏が明かす相撲中継以外の名文修業のコツを。夏目漱石、小林秀雄、大岡昇平。共通するのは皆、落語調ということ。
ちなみに吉田氏は、もう30年以上、FMラジオで一人語りを続けている。
毎日新聞 2008年12月6日 0時00分
この記事で印象に残るのは、
という箇所だ。そういえば、「自分が一向に傷つかない」どころか、自分が傷つくことを過敏なまでに恐れ、自分に対する「優しさ」を強要するような輩が目立つ。自らへの批判を、権柄ずくで抑え込もうとする佐藤優などはその典型例ではなかろうか。文章で飯を食っている人間でさえそうだから、一銭にもならないブログを書いている人間の間では、むしろ普通に見られるタイプではないかと思う。そして、そういう人たちが「世間」を形成して、異分子には「村八分」で対応し、「鵺のようなファシズム」を形作っていく。50代で、なお「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」と青年のように宣言している。
いや、人のことばかり言ってはならない。これは、何よりも私自身が自戒しなければならないことだ。公の空間に言葉を発するとはどういうことか。常に「覚悟」をもって、自分の書くものには責任を持たなければならない。
伊藤記者の記事に話題を戻すと、記事で紹介されている、吉田氏がFMラジオで30年以上続けている「一人語り」というのは、NHK-FMで今も続く「名曲のたのしみ」という番組のことで、調べてみると1971年4月11日開始だそうだ。私は、この番組でモーツァルトの音楽が作曲年代順に取り上げられていた70年代半ばから同年代末頃にかけて聴いていた。私にモーツァルトを教えてくれた懐かしい番組だが、3年前の夏、寝台列車の中でラジオをつけたら、偶然この番組が流れてきて、朝日新聞の「音楽展望」は3か月間隔になってもラジオ番組はまだ続けておられるのかと驚いたものだ。この時、吉田氏は既に91歳だった。
伊藤記者は、「ネットにあふれる他人を批評する言葉のゆるさ、政治や経済の言葉の薄っぺらさ」を批判する一方、名文修行のコツとして、
と書いている。ここでやっと大岡昇平に戻ることができた。夏目漱石、小林秀雄、大岡昇平。共通するのは皆、落語調ということ。
あと書いておきたいのは吉田秀和の盟友だった加藤周一のことで、ネットで検索すると、「加藤周一と吉田秀和を読むために朝日新聞をとっている」と書いている人が少なからずおられるが、私も同様だった。これは加藤氏が逝去された翌日、12月8日付のエントリにも書いたことだが、何度でも書かずにはいられない。そして、いつかは来る日だったとはいえ、この時期に加藤周一を失った損失の大きさに思いを致さずにはいられない。
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森田実が、この本は書店で入手が難しいと書いた。Amazonでは買えず、古本価格が3300円もするという話も聞いた。しかし、高松市中心部の百貨店の8階にある書店に行ってみたら、現物が普通に積まれていた。なんだ、ネット情報なんてあてにならないなと思って読み始めたが、本の中に当時話題になっていた耐震偽装事件の問題点を先取りして指摘しているような記述があり、興味深く読んだ。
アメリカ政府が毎年作成する「年次改革要望書」に書かれたプログラムに沿って日本の政策が決定される、という関岡の仮説は面白かったが、これはあくまで一個の仮説に過ぎず、この仮説を金科玉条にすべきでないことは言うまでもない。だが、思考が硬直した一部の(?)「リベラル・左派」はこの仮説をドグマに変えてしまった。
さらに、『拒否できない日本』ではあまり前面に出てこなかったのだが、関岡は実は平沼赳夫らに共鳴する右派民族主義者(私の用語法では「極右」)であり、講談社現代新書から出た『奪われる日本』(2006年)ではそのイデオロギーが露骨に前面に出てきた。私はこれに大いに失望し、以後関岡英之に対する懐疑派または批判派に転じた。
佐藤優が「リベラル・左派」にもてはやされているのは、関岡英之が一時「左」側からも注目を浴びたのと似た理由からだったと思うが、露骨に極右の本性をむき出しにした関岡と違って佐藤が巧妙だったのは、反ファシズムの論客を装って「左」に媚びたことだ。だが、一方で佐藤は稲田朋美や城内実ら日本会議系の人たちと同じ集会に演者として出席し、「右」に対しては国粋主義者として排外主義をアピールしているのだから、露骨な二枚舌としか言いようがない。
そんな佐藤の欺瞞を批判した、金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」は、発表直後の2007年11月29日付の『朝日新聞』夕刊掲載の「論壇時評」で、川島真東京大学准教授によって「今月の注目論文」に挙げられた。
しかし、この論文が金氏が勤務する岩波書店の逆鱗に触れ、佐藤優に対する批判が論壇において一種のタブーになっているのは、重大な問題であると当ブログは考える。「リベラル・左派」の論者は、関岡英之の本が書店で買えないなどという大嘘を撒き散らすくらいなら、佐藤優に対する批判がタブーになっている現状をなぜ告発しないのか。「リベラル・左派論壇」のムラ社会性というか閉鎖性を痛感させる現象だと思う。関岡英之を文春が世に送り出し、赤木智弘は今はなき朝日新聞の『論座』に取り上げられてブレイクしたのに、金光翔の「<佐藤優現象>批判」は岩波書店によってなかったことにされるというのでは、「論壇」のあり方としてあまりに不健全だ。
当エントリの後半では、前のエントリ「「新自由主義」への批判と対照的な「佐藤優現象」への無批判」(12月22日付)にいただいたコメントの中から、「佐藤優現象」に関するものを紹介したい(投稿時刻順)。管理人のコメントはあえて差し挟まない。
まず、普段はあまり私と意見が合わない(笑)、秀太郎さんのコメント。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-808.html#comment4665
非知性派ラジオ「アザーサイドジャーナル」です。
佐藤優氏の件ですが、中間的な立場で見ると、インテリジェンスの世界で生きてきた人が表の世界で生き抜くにはダブルクロス的に行動しなければならないと言う、「悲哀」は感じておりました。不徳にも今回初めて知ったのですが「左派系」の人々がそれに親和性を持っていると言う貴ブログには驚きました。本来ならば「鼻で笑う」ものだと思っていましたから・・。
何故でしょうか。改憲後の「保険」をかけたと言う事なんでしょうか?それほど切羽詰って「改憲」が迫っているとは思えず景気後退ではるかに遠のいてしまった感がしていますし、田母神論文の根拠の「浅さ」を見れば余程の事が無い限り世論にはなりえないのは明白で、護憲を貫くならば「保険」をかけるより「左派内」での「佐藤批判」を以って論理の「再構築」の時間的余裕はあるはずで、佐藤氏の言う「左右共闘」の欺瞞は暴かれるべきだと感じます。
それに反する象徴的な出来事としての金氏の迫害は「岩波」のする事とは思えません。この「スルー」は左派内部の構造変化の見えない「流れ」があるように小生の愚鈍な脳は直感するのです。もちろん金氏の論文は全文読ませていただきました。その感想はさておき、どうも「岩波かどうかは分からない何者か」が「右の田母神、左の金」としてフレームアップされるのを恐れているのかも知れません。中間層からみても「佐藤氏」はウザいのです。
2008.12.23 16:40 秀太郎
続いては、山茶花さんのコメント。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-808.html#comment4666
はじめまして。金光翔氏の論文は何度か読みました。各項目、さらに深く論じれば優に1冊の本になるものだと思います。かれにはさらに批評していただきたい。残念なことに発表の場があまりないようです。
2008.12.23 17:22 山茶花
次は、たびたび当ブログで紹介しているjunkoさんのコメント。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-808.html#comment4667
12月19日の「毎日新聞」夕刊に佐藤優氏のインタビュー記事が掲載されていますね。
>田母神論文は誰もがクーデターを意識させられただろうし、元厚生次官を巡る事件は、初動の段階で『年金テロ』との見立てが言論空間に広がった。クーデターやテロが起こりかねない世の中だという不安が生じる一方で、それらによる世直しへの期待もわき起こる。二つの問題は、日本人の集合的無意識を大きく変えたと思います。
>テロやクーデターは許してはならない。
と述べて田母神氏をきびしく批判していますが、佐藤氏はこの田母神氏の論文およびその後の氏の発言内容と共通点の多い(というより、むしろ相違点を見つけだすのが難しい)アパの元谷外志雄氏の著書の推薦人となっているわけです。新聞記者ならばこの事実を知らないはずはないでしょうから、田母神氏の話題が出たからにはこの点について質問をするのが当然のこと、それが新聞の役割ではないかと思います。しかし黙って言いたいように言わせ(そうしないと、後が怖い?)、佐藤氏も自身のこの行為についてなんら釈明しないですませていられるのは、これもまた<佐藤優現象>の一側面ではないかと思います。
金光翔さんは「首都圏労働組合特設ブログ」で、岩波書店から受けた「厳重注意」に関して次のように述べています。
>岩波書店側は私に対して、私の論文「<佐藤優現象>批判」の公表により、会社は不利益を被った、と主張し、その不利益の典型例として、『週刊新潮』の記事を挙げている。私が論文を書いたから、『週刊新潮』が記事にし、それにより会社が被害を被った、というのだ。
前々から気になっていたのですが、岩波書店のこの主張はひどく不合理なものに思えます。岩波は『週刊新潮』の記事(首都圏労働組合特設ブログ「『週刊新潮』の記事について」参照)の責任は『週刊新潮』にではなく、金さんの論文の発表にあるといっているのだと思いますが、それでは、たとえば春先の映画『靖国 YASUKUNI』の上映阻止騒動の場合はどうなるのでしょう。『週刊新潮』の記事やそれに動かされたとおぼしき右翼や政治家の行動に問題はなく、製作した監督やそのスタッフに騒ぎの責任があるということになるのでしょうか? 2年前には『週刊新潮』の煽動により『週刊金曜日』主催の劇団「他言無用」による皇室劇が右翼に脅迫されたようですが、この場合も公演を行なった『金曜日』と「他言無用」が悪かったということになるのでしょうか。また2004年のイラク人質事件のさいの『週刊新潮』の記事の扱いはどうなるのか。さらに遡れば、1983年、『文藝』に掲載された桐山襲著の小説『パルチザン伝説』がやはり『週刊新潮』の煽動記事によって右翼が動きだし、出版社と著者をはげしく攻撃するという事件がありました。1983年といえば今から 25年前になりますが、このときすでに「またもや『週刊新潮』の記事をきっかけに右翼が動き出すという形で、言論弾圧が組織された。」という意見が天野恵一氏によって述べられています(「パルチザン伝説」事件(作品社1987年))。『週刊新潮』の言論弾圧雑誌としての歴史はこのように古く、筋金入りなわけです。岩波書店はそのことをよく承知しているはずで、まさかこの『パルチザン伝説』事件も著者である桐山氏のせいだとは言わないと思うのですが、どうなのでしょう。いずれにせよ「私(金さん)が論文を書いたから、『週刊新潮』が記事にし、それにより会社が被害を被った」と主張して「厳重注意」処分を下すのなら、上述の多くの『週刊新潮』が惹起したと思える事件や騒動も実は今回と同様『週刊新潮』ではなくて記事の対象者が責任を負うべき問題なのか、それともそうではなく今回の場合は異質であり特殊なのか。異質だというのならどのように異質なのかを岩波は言論を扱う雑誌社、出版社なのですから公的に明らかにしてほしいものです。
エントリーから脱線してしまいましたが、ご容赦ください。
2008.12.23 17:27 junko
最後に、観潮楼さんのコメントを紹介して、結びとしたい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-808.html#comment4668
岩波は・・・ま、リベラル面して口封じしてたらチンピラ雑誌に叩かれるのは当然だわねと呆れましたが。
上記の『週刊現代』の連載『新聞の通信簿』では、佐藤優が非正規雇用に関する記事を評しています。
そこで「日比谷の集会を一面にもってきた『朝日』に賛同する」、「『日経』の新自由主義は相変わらず」と書いてました。
しかし、媒体に応じて書き分けや言い分けをする氏のカメレオンぶりを考えると、眉唾だなと思いますが。
2008.12.23 19:12 観潮楼
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小渕恵三内閣(1998?2000年)の「経済戦略会議」で議長代理を務めていた中谷巌が、近著の『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』(集英社、2008年)で、規制緩和を推進してグローバル資本主義を信奉してきた自らの誤りを認めた。その中谷巌のインタビューが、『週刊現代』の12月27日・1月3日合併号に出ている。
もっとも、ここに出ている中谷巌の言い訳は、眉に唾をつけて読んだ方が良い。
中谷巌は、1969年に留学した時にアメリカの中産階級の豊かさに魅せられ、市場原理主義によってそれがもたらされたと思ったが、豊かさは実際にはケネディやジョンソンといった民主党政権の元でもたらされた政策によるものだったことにあとから気づいたという。だが実際にアメリカが新自由主義政策を取り始めたのはレーガン政権の頃であり、レーガン以降、民主党のクリントン政権も含めたアメリカの政策が製造業を弱らせ、貧富の差を拡大させていったことは、その間ずっと常識の範疇に属することだったはずだ。
『週刊現代』のインタビューで中谷巌は、今も構造カイカク路線に固執する竹中平蔵を批判し、「北欧諸国は国民負担率が75%に達しているが国民は生活の不安がなく幸せだ」とまで言っている。180度の転向と言っても良いが、これはアメリカでオバマが大統領になり、今後社会民主主義指向がトレンドになると中谷巌が判断したからではないかと、私などは勘繰ってしまうのである。
もっとも、『週刊朝日』で開き直って自説を吠え続けている竹中平蔵よりは中谷巌のほうがずっとマシだと思うし、政治家の世襲を禁止せよという氏の主張には、私も賛成だ。
このように、新自由主義の見直しが潮流になりつつある今日この頃だが、それだけに余計に「今後、国家による統制をよしとする潮流が生まれ、国家社会主義の変種とも言うべき者が、『革新づらをして』現れるだろう」という辺見庸の言葉(大阪における講演会、10月25日)が真実味をもって迫ってくる。
一昨年以来私は辺見庸の読者になり、先日も新著『愛と痛み 死刑をめぐって』(毎日新聞社、2008年)を読んだ。今年4月に東京で行われた講演会をもとに書かれたこの本で、辺見庸は山口県光市母子殺害事件に関して、橋下徹(辺見庸に言わせれば「テレビがひり出した糞のようなタレント」=前掲書64頁)やネット右翼たちが同事件弁護団の懲戒請求を煽ったことを批判している。この時、弁護団は「公共敵」とまで呼ばれてバッシングされたが、辺見は、日本では「公共」ということばが「世間」と取り違えられて真逆の意味で用いられていると指摘している。日本では「世間」はあっても「社会」はないと。個が確立されていない日本における「世間」を発見したのは、故阿部謹也だとのことだが、なるほど個人が埋没し、「鵺(ぬえ)のようなファシズム」ができあがる日本社会をうまく説明していると思った。あとこの本で印象に残ったのは、国権の発動たる戦争を放棄する憲法第9条を持つ日本が、同様に国権の発動で人を殺す死刑制度を存置するのかという問題提起だった。
この議論になると私が反射的に思い浮かべるのが、しばらく前まで私自身も騙されていた佐藤優および「佐藤優現象」のことだ。
私はこれまで何度かブログで「佐藤優現象」に言及しながら、「佐藤優現象とは何か」という説明はしてこなかった。『たんぽぽのなみだ-運営日誌』の12月21日付エントリ「佐藤優現象批判」を読んでそのことに気づいたので、概要を手早く知りたいと思われる方は上記リンク先を参照いただければ幸いである。
このエントリで特に目をひくのが、
というくだりだ。リンク先のエントリには「特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。」というタイトルがついている。つぎのエントリを見ると、批判された対象の人たちは、無視黙殺みたいです。
(それゆえ、あまり知られない状況が、1年も続いたのでしょう。)
しかも、論文を書いたかたは、出版者でいじめられるというお話です。
もはや、自浄作用が働かないところまで、来ているようです。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081210/p1
「佐藤優現象批判スルー現象」。そういえば、たんぽぽさんがかかわった「水伝騒動」でも「スルー戦略」を提唱した人がいた。名前はカッコいいが、要するに「あんなやつは村八分にしてしまえ」という意味だ。まさしく、辺見庸のいう「世間」の論理。これがリベラル・左派系言論の世界でも平気でまかり通る。「水伝騒動」ではたんぽぽさんを「村八分」にしようとした方の人たちの言説があまりにもお粗末だったので、彼らのもくろみは失敗に終わったが、「大」岩波書店ではそうはいかなかった。「佐藤優現象批判」を行った金光翔氏は、残念ながら社内で冷遇されているようだ。
興味深いのは、「水伝騒動」で「スルー戦略」を提唱した人物は、佐藤優や城内実の熱烈な支持者であって、城内が国籍法改正問題に関して自らのブログで醜悪な差別発言を公開して激烈な批判を浴びても、その件に関して「スルー作戦」を貫いているという事実だ。やはり、行動様式だけは一貫しているようだ。
これからは、「国家社会主義の変種ともいうべき」人たちとの戦いも重要になってくると思う今日この頃である。
思えば、私がブログを始めて間もない時期、「AbEnd」(異常終了を意味するコンピュータ用語の "abend" (="abnormal end")と「安倍(晋三)」の「エンド」を掛け合わせた言葉)を考案して、ネットでの反安倍晋三キャンペーンに参加した頃、右翼側の「反コイズミ・安倍」の人たち(政治思想右派で経済左派の人たち)の多くが期待していたのは、平沼一派とともに麻生太郎だった。野中広務に対する差別発言が強烈に印象に残っていた私としては、なぜ彼らが麻生なんかに期待するのかさっぱり理解できなかったが、どうやら私の感覚の方が正しく、彼らは誤っていたようだ。麻生内閣発足直後に、彼らは、「麻生、終わったな」などと言って麻生を見限ったが、麻生の正体さえ見破れなかった自分たちの見る目のなさも、よーく反省してほしいと思う。
政治に関する報道を見ていると、来年以降の政治にも全く期待できない気分になってくるが、来年には総選挙がある。再来年の2010年には参院選があり、もし来年の総選挙が春までに行われる場合、そのさらに次の総選挙は2013年に衆参同日というわけにはいかなくなるから、おそらく2012年までに行われることになるが、この選挙まででほぼ流れが決まるのだろう。
昨年の参院選では、民主党でリベラル系の公約を掲げた候補(内実がどうかはわからないが)が多数当選し、民主党の体質を、多少なりとも政治思想的にも経済政策的にも「左」側に傾けた。現在の民主党衆院議員には、政治右派も経済右派(新自由主義者)も多いが、世論に占める改憲賛成の意見の割合が減り、新自由主義が不人気になっていることを考えると、来年の総選挙で一気に増えるであろう民主党議員にも同様の傾向が生じるのではないか。現在は、コイズミバブルによって、不必要な「コイズミチルドレン」が大量に議席を占めているが、彼らの大半は国会から追い出される。もちろん自民党でも、渡辺喜美を筆頭に、小池百合子、石原伸晃ら不愉快なネオリベ議員は残るだろうし、彼らに呼応する主張を持った民主党の議員たちは引き続き議席を維持するだろうから、それらがまとまって新自由主義政党ができる可能性はある。今日(12月19日)の四国新聞に辻元清美(社民党)のインタビューが出ていて、自民党内の「反麻生」の動きを、「新自由主義的な人が多い」とした上で、「今は新自由主義と社民主義を対立軸にした政界ビッグバンへの過渡期で、いっぱい動きが出ればいい」と言っているが、基本的に私も同感である。個人的には、以前にも書いたように、自民党の新自由主義者にはろくなのがいないが、民主党の前原誠司は、その考え方は私とは全く相容れないけれども、主張にはそれなりに筋が通っていて、信念を持った政治家だと思うので、将来的には新自由主義者を束ねた政党のリーダーになれば良いのではないかと考える。あとは、民主党の「ポスト小沢」で、どれだけ新しい社民主義的勢力が台頭し得るかがカギで、これが伸びないようでは日本の政治に未来はないだろう。
この際に考慮しなければならないことが一つあって、それは有名ブログでも論じられ、私の身近な某所でも話題になった選挙制度の話である。日本は、90年代前半の「政治改革」以来、二大政党制を目指して衆議院選挙に小選挙区制を導入したが、これに対する批判がTBSの『サンデーモーニング』(12月14日)でも取り上げられた。この番組では、日本がお手本にしようとしたアメリカでも、共和党、民主党の二大勢力に加えた第3の勢力の必要性を、国民の47%が求めているという世論調査が紹介され、日本でも二大政党制で本当に良いのかという疑問を提示していた。
現在民主党の中枢を占めている小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人の各氏は、いずれも「政治改革」を推進した側だが、私は当時からこの「政治改革」には大いに違和感を持っていて、その最大の理由がこの小選挙区制導入だった。この制度では少数政党に不利だし、現在のように政治家が新しい動きを起こそうとしても、小選挙区制があるから有力政治家個人としてはともかく、新党として一定数の議席を確保するのは非常に難しい。だから、腐り切った麻生自民党政権が、それこそ「たらたら」と続いてしまって、国民を絶望に突き落とすのである。あの当時、小選挙区制だと金のかからない選挙ができるなどと言っていたが、そんなことは今や誰も信じていない。選挙制度は、比例代表制中心でなければならないと、これはずっと以前からの私の主張でもあるが、民主党内から台頭する社民主義指向の勢力にも、比例代表制に重きを置いた選挙制度の再改革を求めたい。
最後にひとこと言うと、私は絶望するにはまだ早いと思う。
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手塚治虫の晩年、といっても50歳台の1981年から86年に描かれたこの漫画のタイトル「陽だまりの樹」とは、幕末期の江戸幕府を指す。見かけは大きくて立派な樹だが、中身が腐っていて、倒壊する寸前。私がこの漫画を読んだのは、手塚の死後だいぶ経ってからの2001年の年末、自民党がコイズミの登場で息を吹き返していた頃だったが、私は読みながら、「自民党政府も同じだなあ、今はコイズミ人気で盛り返しているように見えるけど、内実はもう自民党は歴史的役割を終えた政党のはずだしなあ」などと感じていた。
その後、自民党は03年の衆院選、04年の参院選で党勢を落としたが、2005年の「郵政総選挙」で圧勝して、有権者の信任を得たコイズミは任期の末期にさらに過激な新自由主義政策を推進した。「骨太の方針2006」では、毎年2200億円の社会保障費削減の方針を打ち出し、同じ2006年には後期高齢者医療制度を強行採決で成立させたのである。
「我亡き後に洪水よ来たれ」とコイズミが思っていたかどうかは知らないが、いわば「コイズミコウズイ」がコイズミの後を襲った3人の宰相、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の世襲政治家たちを直撃した。最近、麻生太郎を徳川慶喜にたとえる論評も見かけるが、頭脳明晰だった慶喜が漢字も読めない無能な麻生太郎にたとえられたのでは、あまりにも慶喜が気の毒である。
それはともかく、ここにきての自民党の迷走ぶりは目も当てられないひどさで、たとえば麻生は、まだ福田康夫が辞意を表明する前の今年8月に民主党をナチスにたとえて批判されたが、先日は鈴木政二・自民党参院国対委員長も同様の発言をした。だが実際には、「郵政総選挙」のあと、「物言えば唇寒し」の空気が生じて誰もコイズミを批判できなくなり、ナチスドイツかソ連共産党のような体質に変わり果てていたのは自民党だった。
伊吹文明に至っては、「YKKK」(山崎拓、加藤紘一、亀井静香、菅直人)を白人優越主義を唱える米国の秘密結社「KKK」(クー・クラックス・クラン)にたとえるという、ネット右翼並みの発言をやらかした。これも、より「KKK」に近いのは歴史修正主義者や反中反韓の人間が少なからずいる自民党の方だろう。もっとも、自民党よりさらに「KKK」に近いのは平沼一派だと私は思うけれども。
自民党の政治家はこういう妄言を繰り返すだけではなく、「反日教組」議連などという右翼イデオロギー議連を発足させる愚行まで犯している。国民の多くが明日の飯を心配する状況に追い込まれているこの時に、こんなくだらないお遊びをしていられる自民党のノーテンキさには呆れ返るし、「公明党を切れば比例票が増える」という意味の発言をした古賀誠とか、加藤紘一や渡辺喜美を意識して「離党すれば刺客を送るだけ」と脅したつもりでいる細田博之など、よくもこんなにおめでたい「KY」(「漢字が読めない」ではなく、「空気が読めない」ほう)が自民党には揃っているなあ、と呆れ返るばかりだ。公明党を切ったら、それでなくても苦戦必至の小選挙区で自民党候補者は壊滅的な打撃を受けるだろうし、落ち目の自民党に「刺客」を送られたって、加藤紘一や渡辺喜美は痛くも痒くもないに違いない。新自由主義者の渡辺は、中川秀直らとくっついてナンボの人物だから、単独でどこまで行動できるかはきわめて疑わしいと思うが、それはともかく、ノーテンキな古賀や細田は、「陽だまりの樹」を内部から食い尽くしていくシロアリのようなものだと言うべきだろう。
麻生は、「政局より政策」だと言う。それなら、民主・社民・国民新党の3党が提出した「緊急雇用対策関連4法案」を受け入れても良さそうなものだが、大企業の経営陣の利益しか頭にない自民党は、これに反対して否決する方針のようだ。
いまや、自民党には新自由主義者(中川秀直一派など)と極右(反日教組議連参加者など)しかいないかのような惨状を呈しており、下野後に民主党に対する反対勢力として生き残れるかどうかさえ疑わしい。かつて、自社さ政権時の選挙で、社会党が党勢を大きく落としたことがあったが、いよいよ自民党の番だと思われる。近い将来、総選挙で惨敗した自民党は一部が新自由主義新党、一部が極右新党(平沼一派はこちらに合流してもらえばすっきりすると思う)に分裂し、残りが民主党との合流を図り、大きくなり過ぎた民主党が、政権交代後のある時期に新自由主義指向のグループと社民主義指向のグループに分裂して政界再編成が行われるのかなとも思う。
いずれにしても、政官業癒着構造は大がかりに改めなければならないから、その意味でも次の総選挙の結果を受けての政権交代は必要不可欠だ。いまさら、選挙敗北必至の自民党が「大連立」を仕掛けようなどとは、甘ちゃんもいいところであって、各議員は自分自身のサバイバルに専念すべきだろう。そして、有権者の信任を得た議員だけが、そう遠くない未来に起きる政界再編に参加すれば良いのである。
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マスメディアがこの件を大々的に報じたが、私が注目したのは、12月13日に『広島瀬戸内新聞ニュース』が取り上げ、12月15日には森永卓郎が日経BPのサイトに不定期掲載しているコラム「構造改革をどう生きるか」の第164回「庶民の手元にカネを回す税制改革を」で取り上げた個人所得課税の見直しである。自民党税調ももうやく富の再分配強化の必要性を、おそらくはしぶしぶながらも認めざるを得なくなってきているのだ。
「平成21年度与党税制改正大綱」の11頁には、下記のような記述がある。
個人所得課税については、格差の是正や所得再分配機能の回復の観点から各種控除や税率構造を見直す。最高税率や給与所得控除の上限の調整により高所得者の税負担を引き上げるとともに、給付付き税額控除の検討を含む歳出面もあわせた総合的取組みの中で子育て等に配慮して中低所得者世帯の負担の軽減を検討する。金融所得課税の一体化を更に推進する。
(自由民主党「平成21年度与党税制改正大綱」(平成20年12月12日)より)
この方針が実現されると、分離課税によって優遇されてきた高額所得者の配当収入(不労所得の典型の一つ)に重く課税されることになり、所得再配分という財政の役割が強化されることになる。森永卓郎は、下記のように評価している。
(所得税の最高税率の引き上げと低所得者の所得税優遇は)小泉・竹中路線のときには絶対に考えられなかった方向性だ。金融資本主義、新自由主義の考え方では、金持ちが経済の牽引役だと考える。だから、金持ちを活性化するために減税し、その代わりに庶民に対して増税するというのが基本方針であった。今回の自民党税調の方針は、明らかにこれまでと逆を向いている。
(森永卓郎「構造改革をどう生きるか」第164回「庶民の手元にカネを回す税制改革を」(2008年12月15日)より)
神野直彦著『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)の89頁に図入りで説明されているように、日本では個人所得課税の国民負担率が低い。スウェーデンでは22%、英独仏で10?13%、アメリカでも11.1%なのに(いずれも2003年)、日本ではわずか6,6%(2006年)なのだ。それだけ極端な金持ち優遇税制になっているわけだが、従来コイズミや竹中平蔵らは、「金持ちの旺盛な消費が経済を引っ張って景気を浮揚させる」と説明していた。そんなのは真っ赤なウソで、金持ちはケチだから金持ちなのであって、「庶民の手元にカネを回す」ことこそ景気浮揚につながるのだが、ようやくその当たり前の事実を自民党も認め始めたというところだろう。個人所得課税の見直しというか、「金持ち増税」はどんどん進めてほしい。
だが、これは「与党税制改正大綱」に自民党が「仕方なく、しぶしぶと」盛り込んだものであって、彼らが何としてもやりたいのは、消費税率の引き上げと法人税率の引き下げである。いろんなブログを見ていると、一昨日(12月15日)にNHKテレビで放送された『セーフティ・クライシスII』も、結局は消費税率を欧州諸国並みに上げよという主張で番組をまとめていたらしい。だが、庶民に金が回らないための景気低迷なのだから、景気対策の意味からも、消費税増税は3年後などの早い段階で行ってはならない。1997年の消費税率引き上げで景気が冷え込んだところに、アジア金融危機の追い打ちを食って日本経済が低迷したことを、自民党はどうやら忘れてしまったらしい。欧州のように国民が十分な社会保障が受けられるようになって初めて、消費税増税が検討されるべきであって、それは10年くらい先の話だ。
法人税についても、森永卓郎が指摘しているように、昨年(2007年)11月の政府税調答申「抜本的な税制改革に向けた基本的考え方」の22頁に、「我が国の企業負担は現状では国際的に見て必ずしも高い水準にはないという結果も得た」と書いておきながら、その直後のセンテンスで「こうした点を踏まえつつも、法人実効税率の引下げについては、当調査会の議論において、法人課税の国際的動向に照らして必要であるとの意見が多かった」などと書いていて支離滅裂なのだが、税調の委員に神野直彦がいる一方、新自由主義者が大勢加わっているからこんな記述になったのだろう。そして、自民党の本音はもちろん大企業の優遇であり、だから彼らは法人税率引き下げに固執する。
だが、これでは日本経済は絶対に良くならない。トヨタやソニーを筆頭に、日本の大企業はこれまで輸出で好業績を上げてきて、コイズミ時代には輸出産業が最大限に優遇されて、その結果、「戦後最大の景気拡大」のはずなのに民間給与所得が9年連続で減少するという前代未聞の状況が現出した。しかし、アメリカ経済はサブプライム・ローン問題に端を発した金融危機によって、今後最低数年間は立ち直れない。日本経済を上向かせるためには内需を拡大するしかない。そんな時に輸出産業の支援にばかり力を入れても景気浮揚の効果は期待できず、税収が増えないから財政赤字は拡大するばかりだろう。
結局、自民党政権にはもう日本経済を立て直せないのだ。そもそも、「前場」を「まえば」と読んだり、株式に満期があると思っている男が総理総裁を務めているのではお話にならない。
自民党政権の速やかな退場こそ、当面もっとも効果的な景気回復策だと当ブログは考える。
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それから1年。私は、昨夜(12月15日)に放送された同じNHKの「セーフティーネット・クライシスII」を私は見ることができなかった。しかし、見た人が書いたネット情報によると、番組には湯浅誠が出ていたものの体制側の出演者が多く、新自由主義の「コイズミカイカク」の旗を振った、あの自民党の「年金問題の切り札」・大村秀章が長広舌を揮うなどして視聴者を苛立たせていたのだそうだ。大村が出演していたのでは見なくても良かったかな、少なくとも昨年の「ワーキングプアIII」のような名番組ではなかったのだろうな、と思う。これも、安倍晋三の息のかかったNHK経営委員長・古森重隆がNHK会長の首をすげ替えた影響なのだろうか。
「ワーキングプアIII?解決への道」の内容をまとめた同名の本がポプラ社から出ている。この本のページをめくると、番組の映像がまざまざと脳裏に甦るが、最初の章で日本よりひどい「非正規大国」になった韓国の労働条件の悲惨さが紹介され、次の章ではサブプライムローン問題の陰が差し始めながら、繁栄の最後の残照を受けていたアメリカにおいて、中産階級からワーキングプアへと没落したエンジニアの実例が描き出されている。そして、今やアメリカでは同様の人たちが大量に生み出されつつあり、その影響は日本でも大規模なリストラとなって現れている。
ところで、昨日のエントリで触れた「YKKK」の件は、ネットでは評判が悪いし、一般国民にも「古い人たちがまたうごめき始めた」という印象を持つ人が多いのだろうと思う。事実、この4人の背後には、森喜朗や渡邉恒雄(ナベツネ)の動きが見え隠れする。
民主党が現在表立って組もうとしている連立のパートナーは社民党と国民新党なのだが、この両党は「経済左派」というところだけが共通しており(民主党はむしろ新自由主義的色合いが結構濃い)、片や憲法9条命の護憲政党、片や議員の大半が「日本会議」に所属していて「国籍法改正」にも反対に回った右派民族主義政党と好対照である。この両党が民主党と組むこと自体、私が常々疑義を呈している「左右共闘」ではないか、と思われる方も多いだろう。
だが、政治家や政党は何もポリティカル・コンパスの政治軸・経済軸の二次元平面に投影された座標でのみ測られるべきではない。たとえば亀井静香は、死刑廃止論者で超党派の議連(左翼系の議員が多い)の会長を務めたり、1994年に日航のアルバイトスチュワーデス採用に反対して、今日の非正規社員の問題意識を先取りしたりしていた。そんな亀井だから、次期政権をより「反新自由主義的」なものにしようと、「YKKK」を仕掛けるのだろうと思う。
もちろん、この「YKKK」は同床異夢であるのも事実で、確かに菅直人は依然として二大政党の枠組にこだわっているし(それにも関わらず、14日の「サンプロ」で大連立容認のようにもとれる口ぶりも感じられて、正直危惧を抱いたが)、加藤紘一や山崎拓には逡巡があり、番組では表に出てこなかった森喜朗やナベツネには、与謝野馨ら「財政再建派」も入れて新自由主義勢力のみを排除する「大連立」を露骨に企図しているものと思われる。
だが、麻生太郎首相が解散を先送りしたあとに支持率を大きく落としてしまったために、大連立の現実性は薄らいでいるのである。麻生は、自民党の内部調査で総選挙敗北必至という結果が出たために、ひるんで解散を先送りしたのだが、その後の失政や失言続きで、自民党の票は間違いなくさらに減った。現時点で総選挙を行った場合、民主党の獲得議席数は230議席を超えて過半数に迫るといわれている。
こんな状態で勝手に渡辺喜美に出て行かれたら、それこそ自民党は完全に崩壊すると危機感を強めているから、彼らは渡辺の脱党を食い止めようとするし、民主党は民主党で、現時点で自民党に接近しては損だとわかっているから、せいぜい枝野幸男が渡辺喜美にリップサービスするくらいしかできない。渡辺の場合は、まだ同じ選挙区に民主党候補の擁立が決まっていないから、フラフラと民主党に接近したりするのだが(この点では渡辺と全く立場の異なる無所属の平沼赳夫や城内実も同様である)、渡辺以外の議員は、たいてい同じ選挙区に民主党候補がいるから、9か月以内に選挙を控えている今となっては身動きがとれない。
渡辺喜美とも平沼一派とも立場が違い、自民党に居残っても先のない加藤紘一や、同じく自民党にいても総選挙で惨敗必至といわれている山崎拓、動いて損はしない政治家というとそれくらいのものかもしれない。だから、既に民主・社民両党と組んでいる国民新党の亀井静香が2人を口説いたのだろう。
しかし、これが加藤紘一と山崎拓の2人だけではなく、ナベツネの盟友・中曽根康弘系の与謝野馨をはじめとして自民党の「反カイカク」派が大挙して「YKKK」と組もうなどという動きになると同時に、この集団は国民の支持を失い、マスコミが持ち上げる渡辺喜美やそのバックにいる中川秀直、小池百合子らが一気に息を吹き返す。現在、政治家にとって最大の関心事は次の総選挙だから、特に自民党議員で当選の見込める人たちは、自らの地位を危うくする行動はとれない。このままでは敗北必至の「コイズミチルドレン」たちもいるが、選挙区に民主党候補がいるから民主党の新自由主義者も彼らを受け入れることができない。「あのコイズミチルドレンと組むのか」と非難されて、選挙情勢を悪くするだけだからだ。だから、結局大部分の議員は動くに動けず、自民党は分裂することもできない。これには、選挙制度が小選挙区制中心になっている影響が大きい。
加藤と山崎が30人くらい引き連れて脱党することが期待されていたのに期待はずれだった、などという論評も見受けられるが、そんなことは最初から不可能だった。森喜朗やナベツネが希望する展開になるためには、もう少し自民党の支持率が上がらなければならないが、もうそのような状態にはならないだろう。自民党も「大連立」の仕掛人も、機を逸してしまったのである。
だから、自民党の政治家たちの大部分は党を割って出ようにも出られず、麻生太郎は解散したくてもできないが、格差社会下で始まった不況に国民の怒りや政治不信は頂点に達し、何らかの形で解散総選挙が行われることになるのだろうか。
いえることは、次の総選挙を勝ち抜いた政治家だけがそれ以降の政治を動かすという当たり前のことだけなのだが、選挙を前にした「大連立」を含む合従連衡がどういう影響をもたらすかについて押さえておいた方が良いだろう。
12月8日の朝日新聞に、東大との共同調査結果が出ていて、自民、民主、公明の3党の立候補予定者に、連立を組むとしたらどの党かと聞いている。これによると、自民党候補予定者が「連立を組むべき」と考えている党は、公明党100%、国民新党74%、民主党52%、社民党13%、共産党1%となっているが、民主党候補予定者が「連立を組むべき」と考えているのは、国民新党99%、社民党97%、公明党30%、共産党24%、自民党13%となっている。これは、党の方針および支持者の傾向、それに何より立候補予定者の意向を反映した数字である。民主党の立候補予定者たちが、わざわざ選挙に不利になる選挙前の「大連立」など選択するはずがなく、現状はもはや大連立を組むのは不可能な状況だ。
だから次の総選挙後、亀井静香に言わせれば小沢一郎が政権運営を投げ出した瞬間に政界再編が始まるという観測には説得力がある。それに参加する資格があるのは、総選挙を勝ち抜いた政治家に限られることはいうまでもない。
そして、どういう政治家が国民の人気を得るかだが、これについては悲観的な見方しかできない。「YKKKこそ時代遅れだ」という、ネットなどの多くにも見られる意見を持っている人たちが支持するのは、コイズミや石原慎太郎、橋下徹、東国原英夫などの「劇場政治家」たちであり、渡辺喜美も彼らを意識したパフォーマンスをしようとしたのだが、そこは二世議員の悲しさでコイズミらのようには立ち回ることができず、周りからは押さえられ、そろそろ国民(テレビの視聴者)にも渡辺の見えすいたパフォーマンスの底が割れて見え始めた。ちょっと前の舛添要一など、テレビの宣伝で虚像が作られた小物のパフォーマーが出てくるが、いずれも長続きしない。
私はここで、華々しい人気はなくとも、アメリカのオバマ新政権やアジア諸国と適度な距離感覚を持ちながら、新自由主義者たちにズタズタにされた日本の社会や経済を、内需拡大・積極財政を主眼とした政策によって立て直す必要があると考えており、山崎拓はともかくとして、菅直人、亀井静香、加藤紘一といった人たちが政権の中枢を占めるのは決して悪いことではないと考えるのだ。特に、亀井静香には、その民族主義的主張には賛成できないが、もっとも急進的な積極財政による経済の立て直しが期待でき、仮に再生可能エネルギーの開発推進などに力を入れる方向性を示せば、政治思想では水と油の社民党ともうまくやっていけるのではないかと思う(現状でも、国民新党と社民党が新自由主義に傾斜しがちな民主党への歯止めになっている)。少なくとも、渡辺喜美に代表されるような軽薄なパフォーマーが力を持つよりはずっとましだろう。そして、政権が実績を挙げることによって、橋下徹や東国原英夫が国政に進出してきて日本の政治を完全に破壊するのを防止する必要があると思う。かつて国民がコイズミに熱狂し始めた頃は、まだ国民生活に余裕があった。だが「背に腹は代えられない」状態になれば、ポピュリズム政治への熱狂どころの話ではなくなるはずだ。まだ国力があるうちに、堅実な政策を行う力を持つ者たちが、政権を運営すべきだと思う。
すべては過剰な輸出依存体質のためにおかしくなって、国民生活が豊かにならないどころかアメリカ発金融危機の直撃を食らってしまった日本経済の建て直しからだ。民主党の掲げた「国民の生活が第一」というスローガンがどこまで実現できるかに、来年生まれるであろう新政権の命運はかかっている。
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http://d.hatena.ne.jp/macska/20081209/p1
上記ブログによると、メール&FAX攻撃を扇動したのは、呆れたことに戸井田徹という国会議員だそうだ。光市母子殺害事件に関係して弁護団への懲戒請求を煽った橋下徹を思い出させる愚行だが、この戸井田という男は2000年と2003年の総選挙で民主党の松本剛明(これもネオコン議員だが)に連敗して、本来ならその次の総選挙で候補者を差し替えられるはずだったのだが、急に「郵政解散」になったので代替の候補者が決まらず、仕方なく自民党が公認した経緯があり、次の総選挙では間違いなく惨敗して政界の表舞台から消え失せる男だ。こんな男の扇動に屈する「リベラル議員」はあまりにも情けない。
また、やはり強硬な国籍法改正反対論者で、ブログで数々の醜悪なエントリを公開した城内実を応援しているブログは、「城内先生が言うことだから正しいに違いない」とばかり、国籍法改正反対運動に加担したが、こんなブログが憲法9条を守れだの反貧困だといったお題目を唱えているのだからその偽善ぶりには呆れ返るばかりだ。そういえば、このネット右翼による国籍法改正反対運動は、今年の春から夏にかけて彼らが展開した「毎日新聞叩き」とも手口が共通しているが、これに便乗して売名行為を働いていたのが城内実だった。
このところの麻生内閣の支持率低下に伴って、政界再編の機運が高まってきており、平沼赳夫が「俺たちが接着剤になって自民党と民主党を大連立させ、俺が総理大臣になる」などと妄想を膨らませているようだが、客観的にはそういう情勢には一切なく、もうしばらくしたら、せいぜい彼らは「YKKK」のおこぼれにあずかろうと、不倶戴天の敵だった菅直人や加藤紘一に頭を下げる醜態をさらすのではないかと私は予想している。彼ら極右勢力の最大の敵はコイズミだが、彼ら単独では全く無力なので、敵の敵は味方の論理で動くのではなかろうかと思うのだ。
その「YKKK」(山崎拓、加藤紘一、菅直人、亀井静香)だが、先々週あたりから動きが報じられ、昨日は4人が揃ってテレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演するなど、動きが表面化してきた。一方で、渡辺喜美を先兵としてバックに中川秀直や小池百合子らがいる新自由主義者たちの「反麻生」の動きがあるが、同じネオリベ仲間の安倍晋三はブレーキをかける側に回っている。そもそも、コイズミカイカクを推進して格差社会を現出させた新自由主義陣営で活躍していた渡辺喜美が、どの面下げて麻生政権を批判できるというのか。彼らの論理は、「麻生内閣はカイカクを後退させているからダメだ」というもので、ネオリベ側からの揺り戻しであり、トカゲの尻尾切りよろしく麻生を切り捨てようとする、いかにも新自由主義者らしい冷酷非情なものであり、民主党は断じてこんな勢力と組んではならない。
これとは方向性の異なる「YKKK」の仕掛人は亀井静香であり、12月12日付の『四国新聞』(共同通信配信と思われる)に亀井のインタビュー記事が出ている。内容は、昨日テレビで亀井がしゃべっていたことと同趣旨なので、その一部を要約して紹介する。
麻生政権は既に死んでいて無政府状態だが、それを追い詰めるのに民主党のように「新テロ特別措置法案などの重要法案を通してやるから解散しろ、というやり方ではダメで、首相の前に回りこんで、「国民のためにこれをやれ」と追い詰めなければならない。首相問責決議案を通して参院が首相を一切受け付けなくなれば、解散するか総辞職せざるを得なくなる。追い込むにはそれしかない。
衆院選後には、天地がひっくり返らない限り必ず、小沢政権が生まれる。市場原理主義に染まった議員は民主党にもたくさんいるが、構造改革の名の下で弱者を切り捨てた「小泉政治」の復活阻止が国民新党の役割だ。
次期衆院選までは大がかりな政界再編は起きない。自民党議員が逃げ出したくても、選挙区に民主党候補が既にいると難しい。一方、民主党は「まぜご飯のおかゆ」で、選挙を控えて「丼」の中でまとまっているだけだ。
政権交代後、小沢一郎が「辞める」と言った瞬間に小沢の支配権は消え、与野党入り乱れての大乱になり、本格的な再編が起きるのではないか。
自民党から10人、20人の議員が出てくるのは難しいが、加藤紘一元幹事長や山崎拓前副総裁が飛び出す可能性はある。そうすれば、政界再編や「ポスト小沢」に絡める。そのためには小沢一郎のバックアップが必要であり、私(亀井静香)は加藤らを小沢に会わせている。泥船から冷たい大海に飛び出す度胸が二人にあるかどうかだ。
(『四国新聞』 2008年12月12日付 「混迷国会を問う」第2回 亀井静香インタビューより要約)
ここで亀井は、「YKKK」の仕掛人は自分だとあけすけに語っている。インタビューには菅直人のことは出てこないが、この4人は、かつての「自社さ」連立政権の中心人物で、新生党のち新進党の小沢一郎とは対立関係にあった。多くの人が思い出すのは8年前の「加藤の乱」だろうが、亀井の想定する「ポスト小沢政権」を射程に置く時、新自由主義者たちにイニシアチブを握らせないためには、加藤紘一や山崎拓は貴重な存在だと私も思う。
加藤紘一は、このまま自民党にいても先がないし、山崎拓にいたっては選挙区の情勢が非常に悪く、このままでは次の総選挙で落選必至と言われている。勇気を持って自民党を出る決断を2人に期待したい。
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たばこ税や消費税などではなく、日本の税制において欧米と比較してもっとも負担が低い所得税の制度を改革して、高額所得者の負担をせめてアメリカ並み(笑)に引き上げるとか、経団連が大反対している環境税を導入するとか、どうしてそういう方向に議論が向かわないのかと思う。たとえば共産党などは所得税の累進性再強化と法人税増税を主張しているはずだし、社民党は環境税創設を方針に入れているが、そういう議論はほとんど表に出てこない。どうやって社会保障を充実させていくか、入口と出口の両方について議論されなければ、福祉国家建設は着工さえできないと思う。もちろん、「埋蔵金」の問題もあって、短期的には取り崩しがきくのだろうが、永続的な財源にはならないのは当然だ。
最近は大新聞が軒並み保守化して、特に朝日新聞などはどういう人たちの主張を代弁しているのかと思う。日経新聞が経団連の代弁者であったり、読売新聞が自民党の代弁者であることは今や明らかだが、コイズミカイカクの路線にいまだに強くこだわる一方で、消費税増税を強硬に迫る朝日新聞を見ていると、少なくとも一般市民の声を反映する新聞ではなく、官僚か自民・民主両党にいる新自由主義者の声を代弁する新聞に成り下がってしまったように見える。
一方で朝日新聞は環境問題や再生可能エネルギーの問題に熱心で、社説を一本立てにしてこれらの問題をシリーズで論じたりもしており、こうした面は評価しているのだが、財源論になると消費税増税論一本槍になってしまうところがどうしても理解できない。今朝(12日)の一面トップの見出しも、「消費増税 首相の指示 与党覆す 「3年後」明記せず」(大阪本社発行統合版)などとなっていて、いかにも「せっかく麻生が2011年の消費税増税を言明したのに、選挙で議席を失うのを恐れた自民党がそれを潰した」と言わんばかりだ。消費税増税よりもっと前にやることがたくさんあるという発想は、朝日新聞からは決して出てこない。機能不全に陥っているのは、政治ばかりではなくジャーナリズムも同様に見える。
そうこうしているうちに、非正規従業員の首切りはすさまじい勢いで進んでいる。「JANJAN」に、「政治は「非正社員切り」に全力対応を」と題した記事が出ているが、ヨーロッパよりはるかに非正規の割合が多い日本は、労働時間はヨーロッパより長く、社会保障費ははるかに少ない(アメリカよりちょっとだけ多い程度でしかない)。その、ただでさえ手薄な社会保障をさらに削減しようとしたのが「骨太の方針」と称する、実質的に骨粗しょう症の方針だった。
最近はもっぱら、「はてな」で活躍されているブログ『美しい壺日記』の管理人・やっしゃんさんが『dj19の日記』で当ブログの昨日(11日)のエントリを紹介してくれているが、その記事に現状が簡潔な言葉でまとめられているので、以下に紹介する。
■[政治]こちらを唖然とさせる自民党の議連が2つ旗揚げ
普段ニュース番組をほとんどみないんだけど昨日の夜はめずらしくNHKの7時のニュースをみた。いまや社会問題化している低所得者層である派遣労働者の首切りが大量に行なわれている現状をつたえていた。ったく、人ごとじゃありませんぜ…(汗)。んで、その後に支持率急落で追いつめられてる自民党議員がいまごろになって社会保障に関する新たな議員連盟「(仮称)生活安心保障勉強会」を発足しようとしていることもつたえていたんだけど、そのメンバーというのが、なんとあのコイズミ構造カイカク派の中川秀直、渡辺喜美、小池百合子、安倍晋三といった新自由主義者達なわけ。周知の通りこの人達ってのは構造カイカクで社会保障を削り、ワーキングプアと呼ばれる貧困層を作りだしてきた側じゃん。どんだけ矛盾と欺瞞だらけのグループなんだよ、と。会長に就任する予定の中川秀直は「政策の実現が目的であり、政局的なねらいはない」と説明したようなんだけど、うそつけ!としかいいようがありませんね。ほんとこんな政権ははやく終りにしてほしいなぁ。
(『d19の日記』 2008年12月12日付エントリより)
特に、コイズミカイカクに反対してきた「リベラル」の人たちが渡辺喜美ごときにあっさり騙されるような愚は避けてほしいと思う。
一方で、自民党の右派議員たちは「日教組問題究明議連」なるアホバカ議連を立ち上げ、右翼イデオロギーごっこにいそしむつもりらしくて、そこらへんへの突っ込みはやっしゃんさんたちの大活躍に期待したいと思う。私は、これを報じる朝日新聞記事につけた「はてなブックマーク」に「こりゃダメだ」というコメントだけをつけた。あほらしくてまともに論じる対象ではない。ただ、こういうアホバカ政治家たちが、直面している大量首切り問題に何の手も打とうとしない一方で、こんなバカなお遊びをしているのは断じて許せないことで、やはり総選挙は一刻も早く行われなけれならない。
今日は、補給支援特別措置法改正案が、参院本会議で否決後、衆院で再可決成立する見込みだ。朝日新聞は1?3面には報じず、4面で報じている。民主党はこの件で与党を解散総選挙に追い込むことはできなかった。未曾有の大恐慌が始まりかねないこの時期に、アホバカ自民党が相変わらず衆院の安定多数を確保して国会議員に居座り続け、漢字も読めない総理大臣が命脈を永らえる。あってはならない状態が立法府でずっと続いている。国民の絶望は深まるばかりだ。
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中でも目立つのが渡辺喜美で、この男は田原総一郎を筆頭とする電波芸者たちのウケがよく、マスコミに持ち上げられているため、国民の間にも「善玉」のイメージで受け止められているが、実体は中川秀直や小池百合子と仲が良く、その動きは新自由主義者の反撃として位置づけられることは、当ブログでは何度か指摘してきた。
本家本元のコイズミも動き出し、「郵政民営化を堅持し推進する集い」なる自民党の議連を立ち上げ、安倍晋三、中川秀直、石原伸晃、小池百合子らが参加した。
http://www.asahi.com/politics/update/1209/TKY200812090304.html
彼らは「脱カイカク」路線をとろうとした麻生内閣の支持率急落を利用して、復権を図ろうとしている。今朝(11日)の朝日新聞5面にも、「中川秀氏 反攻」なる記事が出ていて、中川秀直は今日、新たに社会保障に関する議員連盟を立ち上げ、これに渡辺喜美や小池百合子が参加する。中川の側近によると、議連の政策は将来「民主党と議論するための下地作り」であり、「総選挙後の再編に備える仕掛け」なのだそうだ。
公然と新自由主義者が反攻を仕掛けてきたわけだが、私が特に気がかりなのは、渡辺喜美に関してマスコミが作り上げた「改革者」の虚像が、民主党支持者を中心とする自公政権に批判的な人たちに好意的に受け入れられてしまうのではないかということだ。彼らは「小さな政府」を唱え、社会保障を削減する「コイズミカイカク」を推進してきた人たちである。彼らの復権は、不人気な麻生太郎よりもっと悪い影響を日本の社会に与える。そもそも、彼らの政策が失敗したから、自民党政権の支持率が急落するとともに、アメリカ発金融危機の影響もあって日本の社会や経済がおかしくなったのだ。
ホンダのF1撤退やソニーの大規模な人員削減策は、日本経済のみならず世界にも大きなショックを与えている。他にもリストラを計画している企業が多いようだが、利益を出して株主に配当を出す企業が従業員の首を切るなどということは、昔なら考えられなかったことだ。昔なら経営状況の思わしくない会社は、無配の時期を長く続けた。新自由主義が浸透した現在は、株主様は優遇され、役員報酬はうなぎ昇りに上昇する一方、民間給与所得は9年連続で減少した。10年目にようやく前年比で少し増加したが、そのあとはまた激減になることは間違いない。
「小さな政府」ではもうだめだ、これからはサービスの「大きな政府」でなければならない、とは当ブログが繰り返し主張していることだが、12月4日付エントリ「共産党まで新自由主義のイデオロギーに侵されていた!!」に、主に共産党支持と思われる方々からご批判をいただいているので、ここで答えておきたい。
当ブログは日本共産党が「大きな政府」に懐疑的で「小さな政府」を指向している、などとは全く考えていない。そんなことは政治の常識であり、私はそこまで「政治音痴」ではないつもりだ(笑)。昨年の参院選で、民主党が「国民の生活が第一」のスローガンを掲げて圧勝したが、要は共産党の主張を一部パクったものだと考えている。
ただ、『きょうも歩く』の昨年4月のエントリを読んで、共産党でも組織の末端においては、「小さな政府」論が国民生活に与える脅威に鈍感な場合も多いのではないかと感じた。コイズミ政権時代の世論調査は、共産党支持者の間にもコイズミを支持する人が結構いることを伝えていたが、同様の誤りが共産党員にまで及んでいたとしても、なんの不思議もないと思った。
エントリのタイトルはちょっと刺激的だったかもしれないが、タイトルで読者の注意を惹くのは、ブログを書く側にとっては常套手段なので、そこはご勘弁いただきたい。
この件に関して、『きょうも歩く』の管理人・黒川滋さんからコメントをいただいたので、以下に紹介する。
やり玉にあげられているきょうも歩くの筆者です。
生活保護はきちんと払え、年金は減らすな、保育所も学童保育も給食調理員も公務員正職員にせよ、地方を見捨るな、教育費を無償化せよ、児童の医療費を無料化せよ、医師に高い報酬を払え、とにかく何かと自己負担を減らせ、こうしたことをすべて満たそうとすれば、どう考えても今の日本の財政規模ではやっていけないはずです。公共事業費や防衛費を減らすにしても、それだけの財源が捻出できるわけがありません。
ここできちんと一定の増税を対置できれば、きちんと筋が通るのです。
一時は地域福祉とか、そういうチチンプイの魔法で何とかなるような幻想を見せられましたが、それもNPO労働力を低廉に使えると見込んだ介護保険の崩壊状況を見るとどうやら限界にきているようです。
共産党が、自らが掲げる理想の社会を実現しようとすることはそれなりに欧州で実現していることで、筋があります。しかし、それは国民負担率でいうと、5割前後の政府になります。増税が対置されないとできないのですが、あらゆる負担増に反対するもので、そこでいつも非現実的、となってしまいます。
で、増税が悪いのかといえば、増税がないことによって、生活保護の必要な人はワーキングプアとして人生を犠牲にし、教育の格差は広がり、保育や介護ではサービスを受けられない人がいて、医療機関は人材確保に汲々としている実態があるわけです。そういうところで働いている人の労賃の問題を考えない立場の人にはまったく実感のない話だと思います。多少の増税をすれば、こうした社会のサービスがもっと余裕をもって提供されることになり、とりもなおさず金銭、人脈、家族、教育など社会的資源に恵まれない人の救いになるはずです。
そういうことの抗議の意味を込めて、埼玉県委員会の返答を例題に使わせていただきました。しかしこれは共産党批判ということではなく、社会サービスの足りなさに抗議しないのに増税反対運動に盛り上がるこの国の左派陣営の人たちの共通の弱点ではないかと思います。
もっともだからといって公共事業で何とかしようという議論には私は最もくみしません。
今の日本の公共事業は、何ら生産性の向上につながるものがないからです。
社会的ニーズが高く、日本人の生産性改善に寄与するはずの、通勤電車の改良、保育所の増設、介護施設の増設、ホームヘルパーの給与改善、そうしたことはすべて後回しで、道路ばかり造っているというのもいかがなものかとは思います。
2008.12.09 00:03 URL | きょうも歩く
当ブログの取り上げ方に問題があったせいか、黒川さんのブログが「槍玉にあがる」形になってしまったことを申し訳なく思う。批判のコメントが多い中、コメントしてくださった黒川さんに感謝したい。
今回、新自由主義者たちが反攻をしかけてきたのは、経済政策、特に財政や社会保障に関する議論を高めるチャンスでもあると思う。ここで、新自由主義者たちの欺瞞を徹底的に暴くとともに、彼らに反対する側としても、財政政策の「富の再配分」の機能を正しく認識して、分離課税の多すぎる個人所得課税を改めることによる所得税の累進性強化や、環境税の導入などの社会民主主義的、あるいは修正資本主義的な施策によって税収を増やし、それを乗数効果の小さな道路建設ではなく、医療や公共交通機関のサービス改良、再生可能エネルギーの開発推進など、生産性を改善するための支出に振り向ける、などの議論を深めていく必要があると思う。
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ブログの世界も同じで、エポックメイキングなできごとはなかった。個人的には今年もっとも印象に残ったのは「左のほうの水伝騒動」だった。私は、この騒動で、ポピュリズムや陰謀論、擬似科学などに与する者たちがあぶり出され、そのうちのある者は淘汰されたと思っているのだが、私自身一方の側に立って論陣を張っていたから、騒動を客観的に評価などできないことはいうまでもない。
講演会では、しばしば当ブログで言及する10月25日の辺見庸講演会(大阪)がもっとも印象に残った。新自由主義勢力に代わって、「国家社会主義の変種ともいうべき者が、革新づらをして出てくるだろう」という辺見さんの言葉は特に忘れ難い。この講演会以降、「佐藤優現象」や、「リベラル・左派」のブロガーに持ち上げられる右派民族主義者・城内実に対する関心が高まった。まあ、佐藤や城内程度の人物では日本を再びファシズムに導くことなどできようはずもないが、最近、ネットで彼らを持ち上げたある人物の空虚な内実をちょっと知ってしまって、こんな人が旗を振って、狭い「政治ブログ」の世界の内側だけとはいえ、それがある程度影響力を持ってしまったのかと唖然とした。ネット内だけならまだしも、「佐藤優現象」は岩波書店が煽った。この退廃にも心が寒くなる。同じ感覚は、麻生太郎首相の空虚さを知ってしまった時にも持ったが、麻生は保守派の論客が真剣に期待し、自公与党の政治家がこぞってその人気にすがりついた人物だ。その内実がかくも空虚だと知った時、日本の政治や社会全体の中身が、いつの間にかすっからかんになってしまったのではないかと虚しさを覚えた。トップの質が劣化していったのは、何も政治の世界だけではない。
辺見庸の言葉でもう一つ印象に残っているのは、「今こそ過去に学ぶべき時だ。日本人の自画像を描かなければならない」という言葉だ。昨日のエントリで紹介したジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(日本語増補版は岩波書店、2004年)は、アメリカ人による占領下の日本の描画だった。また、稲田朋美らによる妨害工作をはねのけて今年5月に公開された李纓(リ・イン)監督の映画『靖国 YASUKUNI』は、中国人による日本人の描像だった。私は公開初日に東京までこの映画を見に行ったが、映画が始まる直前、列の後に並んでいた老人が、「日本人は情けないねえ、中国人にこんな映画を作ってもらうなんて」と言ったことが印象深い。映画評(上、下)もブログに書いたが、最上とは言えぬまでも、なかなかよくできた映画だったと思う。
だが、いずれの作品も日本人の手になるものではない。今回の米国発金融危機は、10年前のアジア通貨危機とそれが引き起こした不況を思い出させるものだが、本や資料でしか知らない1929年の大恐慌を想起させ、そのあと日本が歩んだ道を再び選択してはならないという強い危機感を起こさせる。実際、前記の「佐藤優現象」に見られる、「排外主義」を共通項とした悪しき「左右共闘」の芽が生じている。ネットで人気の天木直人も、「田母神発言は国民必読の発言だ」などという見過ごせないことを書く始末だ(これは「左右共闘」のとんでもない悪弊である)。今こそ過去に学び、誤りを繰り返させず、「人民の人民による人民のための政治」を日本で初めて獲得するために努力すべき時だと思う。
ダワーは、大作『敗北を抱きしめて』のエピローグで、
と書いた(同書下巻、397頁)。人々がまだ夢を持っていた時代に育った私は、その目標は捨て去ってはならないと強く思うのだ。そして、日本の歴史は日本人自身が再検証しなければならない。ナベツネの読売新聞が一昨年に行った戦争の再検証の試みは、その意図は評価できるが、ナベツネ自身が右寄りの人物であるため、その検証には甘さが多く見られる。たとえば岸信介はナベツネにとっては無実だし、一昨年に日経新聞がスクープした「富田メモ」(私はこのスクープにもナベツネが一枚噛んでいると推測している)は、昭和天皇の戦争責任を免罪する効果も持っていた。日本の戦後システムのうち、当然崩壊すべくして崩壊しつつある部分とともに、非軍事化と民主主義化という目標も今や捨て去られようとしている。
今年は、朝日新聞社の『論座』や、講談社の『現代』といったリベラル系の月刊誌が休刊した年でもあった。世論では改憲に対する賛成意見が減って反対意見が増え、経済政策に関しても、国内・国外を問わず新自由主義への反対論や見直し論が主流となっている(竹中平蔵は、「新自由主義はもう限界でこれからは社会民主主義だ」などと言っているのは世界中で日本だけだ、などと主張しているが、もちろんこれは嘘である)のに、日本国内では右翼論壇誌ばかりが残っている。今日ではそれらも新自由主義には批判的で、たとえば平沼赳夫は『諸君!』2009年1月号で、ほかならぬ「新自由主義」という用語を用いて「カイカク」批判をしている。一部の「左右共闘」論者にとっては歓迎すべき自体なのだろうが、私には平沼の新自由主義批判は「排外主義」のあらわれにしか見えない。もともと反中・反韓だった彼らに「反米」が加わったら、これはもう単なる排外主義以外の何物でもないのだ。万一、こんな考え方が論壇の主流を占めるようなことがあったら、それこそ日本は破滅への道をまっしぐらに突き進むだろう。
一方で、そんなことにはなりっこない、そこまで日本人は愚かではないと思う気持ちもあるが、昨今の「ネット発」といわれる国籍法改正の反対の議論に、「リベラル」と思われていた人たちまでが巻き込まれて右往左往している状態を見ていると、日本人の理性もあまりあてにはならないかもしれないなあ、などとも思う。
そんな年の最後に、加藤周一が亡くなってしまった。今年の年末は、とても暗いものになった。
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この季節だとこの程度の寒波の襲来があってもおかしくないのだろうが、土曜日の新聞で加藤周一の死を知って、ますます寒さが身にこたえた。加藤周一については、私は論じる能力を持っていないので何も書かないが、朝日新聞は私にとって加藤周一と吉田秀和(音楽評論家)の文章が読める新聞だった。「夕陽妄語」は、「山中人間話」として掲載が始まった頃(1979年)から知っており、途中朝日新聞をとっていなかった期間もかなり長いが、朝日をとっている時期には必ず読んでいた。
加藤周一は逝き、吉田秀和も4年前に妻に先立たれてから3か月に1度しか朝日新聞に寄稿しなくなった。加藤周一は吉田秀和賞の選考委員も務めてきたのだが、95歳の吉田秀和は89歳の加藤周一にも先立たれた。長生きというのも残酷なものだと思う。
巨星が落ち、為政者は虚勢を張り続ける。土曜日の強風は去ったものの空気の冷たい日曜日の街を歩きながら、麻生太郎首相のことを考えると、なんともいえないむなしい気持ちに襲われ、それでなくても暗い心がますます沈んだ。非正規を中心に、大規模な首切りが始まっているというのに、麻生は連日政策も日本語も勉強しないで飲み歩き、何の政策も講じず、前の日に言った言葉を撤回し続ける。ふと、月曜日(今日、12月8日)は真珠湾攻撃の日だなあ、と気づいて、占領期の宰相・吉田茂の孫はなんたる愚物なんだ、どうしてこんな人物を総理大臣なんかにしてしまったのかと思いをめぐらせた。
10月25日に大阪で聴いた辺見庸の講演会で、辺見はジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(1999年、日本語訳増補版は岩波書店、2004年)を読めと読者に薦めた。半身が不自由になって以来、もっぱら文庫本を好むようになったという辺見庸が、例外的に開く大きな本だという。前々から気になっていたこの本を、私は昨年買ったのだがまだ読んでいなかった。辺見庸の講演を聴いたことがきっかけとなって、この大作を読んだのだが、読み終えてなぜ辺見がこの本を推薦したのかわかるような気がした。
日本国憲法の第1条と第9条はセットになっているという、よく聞く説の根拠も、この本を読んで理解することができたし、何より、戦後の「日本モデル」とされるものが実は日本とアメリカの交配型システム a hybrid Japanese-American model であり、このモデルに支配された時期は、戦争前の1920年代後半に始まり、1989年に終わった(つまり、大部分が「昭和」に重なる)、とする議論には説得力があり、目からウロコが落ちる思いだった。どうして自民党政権の政治家は代々対米従属路線を取らなければならなかったのか、その必然性も理解できたような気がした。
ダワーによると、日本にとっての戦後は1989年に終わったという。年の初めに昭和天皇が死んだが、ベルリンの壁が壊されて冷戦が終わった年でもある。国内経済ではバブルが頂点に達し、この年の大納会につけた最高値をピークにして、バブルは弾けた。この年が歴史の大きな転換点になったとは多くの人が指摘するところである。
本来、自民党の役割もこの年に終わったのだ。自民党だけではなく、社会党の役割も終わった。だから社会党は分裂し、一部は民主党に合流し、一部は小政党としてそのまま残り、さらに一部は零細政党に分かれていった。自民党も、2000年の森政権時代には、よく「歴史的役割を終えた政党」といわれていたものだ。それを、「自民党をぶっ壊す」と叫びながら延命させたのがコイズミだった。コイズミは、過激な新自由主義カイカクによって、自民党の代わりに日本の社会をぶっ壊した。
だが、社会の混乱と引き換えに政権政党を延命しようなどという馬鹿げた試みは永続はしない。自民党は相変わらず「戦後」を引きずっていて、日本とアメリカの交配型のシステムに縛られているから、アメリカのバブルが弾けて経済危機に陥ったこの期に及んでも、対米従属の政策しかとれない。国益をもたらす政策をとることができない。麻生太郎首相が無能さを露呈して内閣が自壊の様相を呈するに伴い、8年前に聞かれたと同じ言葉が、コイズミカイカクを熱心に持ち上げてきた電波芸者の口から聞かれるようになった。「お前が言うな」と私などは思うが、田原総一朗には恥も外聞もない。麻生内閣の支持率は、共同通信の調査で25%、朝日新聞の調査で22%、毎日新聞と読売新聞の調査ではそれぞれ21%にまで落ち込んだ。
この世論調査結果を知って、私は気を取り直した。絶望している場合ではない。今度こそ、日本の人民の手によって政治を変えていくべき時ではないか。そう気づいた今日この頃なのである。
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基本的な当ブログのスタンスを書いておくと、当ブログ管理人はもちろん福祉国家指向の「大きな政府」論者である。最終目標は「高福祉高負担」であり、新自由主義勢力の「低福祉低負担」はもちろん、民主党や朝日新聞の「中福祉中負担」と比較しても、ポリティカルコンパスの経済軸では「左」に位置する。
「バラマキ批判」への反批判を行うと、「それではお前は無駄な公共事業を支持するのか」という反発を招くのだと思うが、私の基本的な考え方は、乗数効果の高い政府支出を行うべきだ、というものである。たとえば国民新党の亀井静香氏は、実は以前から無駄な公共事業を切ってきた人である。私は「日本会議」所属のタカ派である亀井氏とは、政治思想では全く合わないが、亀井氏の経済政策は、もう10年近く前から支持している。効果がなく、「政官業癒着構造」に関わる人たちを肥え太らせて財政赤字を拡大するだけの「無駄な公共事業」は、もちろんやるべきではない。しかし、この論理は注意して用いないと、「小さな政府」を指向する新自由主義者に利用されやすいと私は言いたいのである。これにつけこんできたのが、コイズミであり、竹中平蔵であった。だから、
というさとうしゅういちさんの指摘は、いつも念頭に置かなければならないと考えている。現状認識としては、大きな政府【ただし、官僚機構ではなくサービス】でないともたないことを前提とすべきです。
昨日は、滅多にないことだが、私が常々感心して敬意を払っているmewさんのブログ『日本がアブナイ!』に、『kojitakenの日記』から注文をつけた。これに対し、さっそく『日本でアブナイ!』のエントリ「ロス三浦&元次官殺傷の小泉「異例の一括逮捕」の謎+与党、財政出動で30兆?+片山さつきのバラまき発言」でていねいなコメントをいただいた。深く感謝したい。以下、『日本がアブナイ!』から引用する。
kojitakenさんに指摘されてみて、チョット言葉足らずだったところがあったかな?と思ったので、ここで、もう少し補足してみたい。
* * * * *
私が、片山氏の言葉を取り上げたのは、当然にして(?)、彼女が選挙目当てにコロッと態度を変えたことを批判するためだ。
というか、それ以前に、「バラマキでもモチまきでも豆まきでも」という表現自体、節操がないorエゲツナイように思うし。何か国民をバカにしているような感じも受ける。それに「1年は(財政支出を)まいて」という言い方は、まさに選挙を意識した言葉ではないだろうか?(**)
<麻生首相いわく、日本の経済状況は、全治3年の重症なのに、片山氏は、とりあえず1年、選挙が終わるまでしか考えていないのかな?(・・)>
また、私自身、経済対策をするために、ある程度の財政出動をすることには賛成だが、いわゆる「バラまき」政策はすべきでないと考えているので、その点からも、この言葉には疑問を覚えたところがある。
尚、渡辺喜美氏に関しては、行政改革、構造改革の考え方については、賛同できる部分があるし。彼は筋を通そうとする政治家ゆえ、その点は評価している。
ただ、個人的には、民主党と特に中川秀、小池氏らの小泉改革派が手を組むのには反対だ。(**)
(『日本がアブナイ!』?「ロス三浦&元次官殺傷の小泉「異例の一括逮捕」の謎+与党、財政出動で30兆?+片山さつきのバラまき発言」より)
片山さつき発言の「えげつなさ」に対する指摘には思わず笑ってしまった。片山には、確かにそういうところがあって、私としてはああいう憎まれ役のキャラがあっても良いと思う。ブログの世界では私自身も憎まれ役になっているせいかもしれないが(笑)。ただ、片山は「コイズミチルドレン」の刺客だったのであり、いわば「コイズミカイカク」のシンボルだから、そうそうこれまでの責任を棚に上げて安易に転向してもらっては困るとは私も思う。それでも、またまた国籍法改正をめぐって、新興宗教の教祖じみたブログ記事を上げてきた同じ選挙区の城内実との一対一の比較なら、片山の方がはるかにマシなのは当然だ。
とにかく、このところの城内実のブログは本当にひどい。インターネットではなぜか「リベラル・左派」の間でも人気の高い城内だが、これまで彼を支持してきた人たちも、彼のブログをよく読んでほしい。それでも支持するというのなら、当ブログの主張とは永遠の平行線を描くので、これ以上は何も言わないが。
本論に戻って、財政規模と政府支出の話に戻るが、道路整備といっても全部が全部無駄なわけではなくて、以前亀井静香氏が「陸の孤島」という表現を用いて引き合いに出した高知県宿毛市には、私も行ったことがあるので、「陸の孤島」というのが決してオーバーではなく、正鵠を射た表現であることにはkechackさんにも同意いただけると思う。
ただ、そうはいっても「政官業癒着構造」関係者を肥え太らせるだけの無駄な政府支出も多いのは事実で、それに対しては、金子勝がかねがね指摘している「再生可能エネルギー」への支出に振り替えるなどの政策転換が必要だと思う。無駄の削減は、有効な政府支出に振り替えることとセットでなければならず、財政規模を縮小するとしたら、それは「小さな政府」を標榜する新自由主義政策そのものなのである。
税収増については、自民党も朝日新聞も消費税増税を求めているが、神野直彦の指摘にもとづいて以前から当ブログが主張しているように、日本の税制では「分離課税」の多用によって、事実上高額所得者の負担が累進的ではなく比例的になっていて、金持ちが応分の負担をしていないために、他の国々と比較して個人所得課税の税収全体に占める割合が極端に低くなっている。これを改めることが急務である。
新自由主義者は、金持ちへの課税を強化すると、国外に逃げていってしまうぞ、などと脅すが、なんのなんの、実際には日本は世界でも有数の金持ち優遇国家なのである。これを放置しておいて、まず消費税率から手をつけるなどの横暴は、断じて許してはならない。
法人税率そのものは、日本は決して低くはないけれど、福祉国家においては環境税を創設して、企業を中心に負担を求めている。また、再生可能エネルギー買い取り制度によって電力会社に負担を求めている。ところが日本では、経団連は「日本の法人税は高すぎる。下げろ」と連呼する一方で、環境税の導入には強く反対している。やらずぶったくりの姿勢を露骨に見せているのだが、これに異を唱える国民世論はほとんどない。政党では社民党が環境税創設を唱えているが、全く支持が得られていない。
こんな状況だから、日本における福祉国家への道のりは、はるかに遠いと言わざるを得ないのである。
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ま、以上はさほど目くじら立てる話でもないが、いただけなかったのは翌3日付の紙面だ。やはりネット版にも掲載されていて、「歳出抑制方針、首相「維持する」 党内から撤廃論大合唱」と題された、いわゆる「バラマキ」批判記事だ。大阪本社発行統合版の紙面では、「財政規律 土俵際」、「党の圧力、首相押され気味」という見出しがついている。要するに、コイズミカイカクの、政府支出を抑える「小さな政府」路線を転換させようと自民党が政府に圧力をかけているのを非難する記事である。
という書きぶりからも明らかなように、「コイズミカイカク」を支持する立場から書かれた、いわばポリティカル・コンパスの経済軸における「右」側から政府を批判する記事であり、ネオリベ新聞の代表格・朝日新聞の悪いところがまたも出た、そう思うとため息が出てしまった。対応が揺れた背景には、財政規律か財政出動かをめぐる政府・自民党内の亀裂が決定的になることへの懸念がある。この日の総務会では、山本一太参院議員が「中期的な財政再建を放棄してしまうのは間違っている」と発言、小泉政権以降守ってきたタガを外すことに強い抵抗感を表明した。
今朝(12月4日)の紙面は、さらにネオリベ度を強めていて、1面トップの見出しが「財政再建路線を転換」だし、社説は今日は1本で、「財政路線の転換―危機克服にこそ規律を」と題するものだ。朝日新聞の立場は、コイズミ後継者の中川秀直や渡辺喜美らが立つ「低福祉低負担」ほど過激ではないものの、与謝野馨らに近い「中福祉中負担」であり、なおかつ財政規律を重んじて、そのために消費税増税を求めるとともに引き続き歳出削減を図れというものである。私に言わせれば立派なネオリベだ。米大統領選でオバマが勝利した時、ブッシュの路線について「新自由主義」という用語を社説で批判的に用いた朝日新聞が、なぜか内政では自らその立場に立つのである。
30年近くに及ぶ「規制緩和」「小さな政府」神話に朝日新聞はどっぷり浸かり、コイズミ政権時代には積極的に旗振りまでしていたわけだが、ネットで調べてみて愕然としたのは、この弊害が共産党にまで及んでいたことだった。黒川滋さんのブログ『きょうも歩く』の昨年(2007年)4月8日付エントリは、「4/6 共産党も大きな政府論に反対とは・・・」と題されている。以下一部を紹介する。
私が持論の、もっと税金を取ってもっと給付が中途半端じゃない社会をつくるべきじゃないか、大きな政府を目指すべきじゃないか、と意見したら、「大きな政府、そんなのがいいんですか?」と反論された。共産党も増税反対運動による有権者の組織化のためだけに、大きな政府には賛成できないのか・・・。
私はこの5年ぐらい、日本の政府、地方政府は大きな政府がいけないというイデオロギーに呪縛されて、ボランティアやNPOに過度に期待して、福祉や教育政策がずたずたになった部分が多い。左翼政党は、今こそ、自分たちの思想でこそ主張できる、やや大きな政府ぐらいを主張して、政府の所得の再配分機能や、社会サービスの再建などを進めるべきなのに、思い切れないでいるというのは民主党左派や社民党もそうだが、共産党も同じだと感じた。
うちのまちの共産党の候補者はいい候補者だったのに、党がこれでは本当にもったいない。自分の大切な主張のために我慢と忍従なのかも知れない。
(『きょうも歩く』 2007年4月8日付エントリ「4/6 共産党も大きな政府論に反対とは・・・」より)
これは埼玉県朝霞市の例だが、さすがにこれには驚いた。昨年の時点では、共産党までもが新自由主義のイデオロギーに侵されていたとは。70年代末に高校生で、当時イギリスの首相になったマーガレット・サッチャーの政策を、日本の学者やマスメディアが(ポリティカル・コンパスにおける経済軸の左側から)批判していたことを覚えている私にとってはまさに隔世の感だ。
『広島瀬戸内新聞ニュース』に、「いい加減【中曽根の呪い】脱却を」と題されたとても良い記事が出ているが、ここで指摘されている、
というところからすべては始まると私は考えている。ブログ管理人のさとうしゅういちさんは民主党員だが、さとうさんのような考え方が民主党の主流を占めるようになったら、民主党にも期待が持てるようになるだろう。現状の民主党は、新自由主義色が強すぎると思う。現状認識としては、大きな政府【ただし、官僚機構ではなくサービス】でないともたないことを前提とすべきです。
今日は憶測に満ちた政局記事を書く予定だったが、あまりに新自由主義勢力の反撃が目にあまるようになったので、新自由主義の蔓延を嘆くエントリになってしまった。こんな状況だから、平沼赳夫一派の国家社会主義的主張が「リベラル・左派」を自称する人たちの一部にまで受け入れられてしまうのかと思うが、平沼赳夫が『週刊新潮』の櫻井よしことの対談で、社民主義からは対極にある醜い本音を語っていることが、ブログ『I'll be here?社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常』のエントリ「[国籍]週刊新潮 櫻井よしこ・平沼赳夫対談「『国籍法』改正は日本の危機」だそうです」に指摘されており、『kojitakenの日記』でも、「平沼赳夫のひどい「人権感覚」に呆れ返る」と題したエントリで取り上げたので、ご参照いただければ幸いである。こんな平沼一派と社会民主主義の区別がつかない人たちは、重症というほかない。
今後、自民党政権は間違いなく終焉を迎えるが、新政権にはこのような平沼一派ら復古主義者のみならず、中川秀直や渡辺喜美らの新自由主義者たちも加えてはならないと当ブログは考える。許容できるとしたら、加藤紘一ら、今では絶滅危惧種となっている「保守本流」くらいのものだろう。麻生太郎は血縁だけから言えばこの流れだが、現物を見ていればわかるように、新保守主義者兼新自由主義者で、なおかつ低能なので、当然排除されなければならない。
自民党政権が終わっても、新政権に渡辺喜美なんかがくっついてきたら、新自由主義にはストップはかけられず、日本は何も変わらない。そして世界からは取り残される。これでは元も子もないと思う今日この頃である。
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麻生が頭角を現した頃のイメージは、「単なるチンピラ」。とにかく滅多に見ないほど品のない男で、しかもしゃべっている言葉に内容が全くない。そのくせ、態度はやけに自信満々なのだ。聞けば、吉田茂の孫だという。くだらない世襲政治家だと思って軽く見ていたのだが、まさかこの男がコイズミに重用されて自民党の中心人物の一人になろうとは、夢にも思わなかった。
とりわけ印象に強く残っているのは、麻生が既に自民党の大物になっていた2004年に読んだ、魚住昭の『野中広務 差別と権力』(講談社、2004年)のエピローグに載った、麻生太郎の暴言と野中広務の激怒である。当ブログでも、一昨年以来何度も取り上げたが、これを再掲する。野中広務は、次のように激怒したのだ。
総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!
(魚住昭 『野中広務 差別と権力』=講談社、2004年より)
私はこの本を2004年9月5日の日曜日、米子から岡山方面に向かう伯備線の鈍行列車の中で夢中になって読みふけっていた。天気は前日の雨があがって、明るい初秋の日が差していた。欠点もいくつか挙げられるが、面白さでは比類のない本だった。同じ著者の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社、2000年)を、2000年にプロ野球・読売ジャイアンツが日本シリーズを制した日に読み返したことも覚えているが、読んだ時の状況まで忘れられないくらい読者を夢中にさせたということだ。当時ブログを開設していたなら、熱を込めた書評を書いたに違いない。
そのくらい面白かった本のエピローグに、この麻生太郎の暴言が載っていたのである。麻生は、こんな発言をしていないと主張しているし、それに対して魚住昭が何か語っているのは見たことがないが(魚住は現在大作の準備中だと、月刊『現代』の最終号=2009年1月号=で語っていた)、総理大臣就任後の麻生の失言、暴言の数々を聞いていると、野中を指して吐いた部落差別の暴言を麻生が口にしたとしても、いかにも麻生なら言いそうなことだとしか思えないし、野中の激怒に対して、
というリアクションしかできなかった(前掲書より)のも、いかにも麻生らしいと思う。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった
麻生太郎を見ていて思い浮かぶ言葉は「みっともない」の一語である。テレビを見ていると、麻生が記者に質問して答えさせては、「それが今の答え。」と偉そうに言い放つ場面が出てきてむかつくが、あれは実は麻生自身が答えたら言い間違いをする恐れが大きいから記者に言わせているのではないかと今ふと気がついた。なにせ、「経済の麻生」を自認しながら、株式に満期があると思っていたり、1929年の大恐慌と1987年のブラックマンデーを混同するような男だ。おそらく麻生の頭の中には単語だけはたくさんあるのだろうが、それが散らかり放題で整理も収納もされていない状態なのだろうと想像する。
ネットの政治アンケートサイト『政治オぴみオン』では、10台、20台の若年層で麻生内閣の支持率が暴落していると伝えている。11月6日?11日の調査では、50代の麻生内閣支持率が21.1%、40代が23.1%であるのに対し、10代は44.1%、20代は39.3%と異様に高かったが、11月20日?25日の調査では、10代が28.3%、20代が24.6%と急落した(50代は14.0%、40代は14.5%とさらに低下した)。
これはネットのアンケートだから無作為抽出ではなく、政治に関心のあるネットユーザーについての数字ということになるが、安倍内閣の時にも見られたことだが働き盛りの支持率が低く、若者ほど支持率が高くなっている。極右の意見が支配的論調になっている某巨大掲示板の影響力なのだろうか。もっとも、働き盛りの世代が運営しているブログでも、反政権を標榜しながら極右レイシスト(未満?)の元政治家を応援しているところも結構あるから、40代、50代も免罪できないと思うのだが。
まあ内実を伴わない元政治家やその支持者への悪口は今日はこのくらいでやめておいて内閣支持率の話に戻ると、『政治オぴみオン』のサイトを見ていてなるほどと思ったのは、
という指摘だ。赤字ボールドの部分の最後はそれ自体皮肉になっており、誰もが「みぞゆう」(私には「みぞうゆう」と聞こえた)という麻生の誤読を思い出すだろう。子供でも読める漢字が読めないとなると、流石に若い世代の支持は維持できないようだ。一国のトップの常識レベルが疑われるとは、まさに未曽有の事態といえる。
麻生内閣の支持率低下が雪崩現象の惨状を呈していて、いつもだったら毎日新聞あたりが劇的な支持率低下を示す調査結果を発表したあたりから支持率低下が問題になるのだが、今回はテレビ朝日、日経新聞、FNNなど、電波媒体や保守の新聞の調査から支持率が崩壊していっている。働き盛りでかつその先にはリタイア後のことも視野に入っている世代にとっては、消費税増税や社会保障削減が重大な関心事だが、若者にとっては麻生の常識の欠如がもっともインパクトが強いだろうことは容易に想像がつく。このところ私はしばしば、高校や中学校、いや小学校の国語の授業で、教師と生徒の間でどのようなやりとりがなされているだろうか、と想像するのである。漢字の誤読の多い生徒に対して教師は、「お前はまるで麻生総理みたいだな」とか「麻生総理か、お前は」などと言っているのではなかろうか。一国の総理が学校の授業で笑いものにされるようでは、確かにお話にならない。
この状態では、選挙はほっといても野党の圧勝になるだろうし、特に野党第一党の民主党にとっては絶対有利な情勢のはずなのだが、不可解なのは小沢一郎が「全党参加で超大連立の選挙管理内閣を作ろう」などと呼びかけていることだ。
http://www.asahi.com/politics/update/1201/TKY200812010420.html
ふだんから朝日新聞は民主党に好意的だから、
などと書いているが、それなら最初から民主党の選挙管理内閣で解散させよと言うべきだろう(当ブログも同様の主張をしている)。それをわざわざ、あの忌まわしい「大連立」という言葉を使うとは、何か意図があるのだろうと思うほうが自然だろう。早期解散をめぐる世論や政治情勢を見極めつつ、内閣が信任を失った場合には野党第1党が政権を担当するべきだという「憲政の常道」論を盾に共感を広げながら提案の時機を探る考えだ。
本当は、今日のエントリでは、小沢一郎やナベツネ、中曽根康弘、与謝野馨、加藤紘一、朝日新聞などの意図を勘ぐりまくったり、性懲りもなく「真正保守の結集」などとほざいている大物極右政治家を笑いものにしたりしたかったのだが、前フリに当たる麻生太郎の悪口がついつい長くなってしまったので、この続きは明日のエントリに回すことにしたい。
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田母神俊雄は、産経新聞のインタビューに答えて、
と発言した。民主主義だったら核武装すべきだという意見もあっていい。核兵器を持たない国は、核兵器を持った国の意思に最終的には従属させられることになりかねない
これについて、河村建夫官房長官は28日午前の記者会見で、「退職後の発言なので政府はコメントする立場にない。言論の自由は保障されている」と述べた。
また「言論の自由」かよ、と思った。誰よりも言論の自由を制限したいと内心思っている人たちに限って、右翼的言論については「言論の自由」を振りかざす。建前と本音が全然違うのは、あまりにもミエミエだ。
田母神俊雄に300万円を贈ったアパの元谷外志雄も、当然ながら核武装論を大々的に展開している。しばしば当ブログにコメントいただくjunkoさんが、産経新聞出版から出ている元谷の『報道されない近現代史』を読んで、内容を一部紹介して下さったので、それを以下に紹介する。
アパの元谷外志雄著『報道されない近現代史』を読んでみました。
283ページの長文です。どこかで内容について田母神論文との共通点が指摘されていたと思いますが、そのとおりです。それでも、こちらは情報量が多く、文章もはるかに洗練されていてすらすらと読めますし、また主張の論拠とか検証とか面倒なこと、小難しいことは著者にとって問題にならないようですので、大変勇ましくて、読めばスパイ小説のようにおもしろく感じる人もいるかもしれません。重要なのは、副題に「戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い」とあるように、この本の主題は日本における「核保有の必要性」の主張であるということです。
目についた文章をいくつか引用しておきます。>日本はこれからの情勢に備えて現在の憲法を廃止して独立自衛の出来る新憲法を作り、現在の日米安保条約を対等で平等互恵の新しい日米安保に改正するとともに、戦争抑止のための攻撃力を装備し集団的自衛権の行使の権利も当然認めなければいけない。
>今や日本はロシア、中国、そして北朝鮮という核保有国に包囲されてしまった。この東アジアの安定のためには、それらの国が核を破棄しない以上(そんなことはあり得ない)、日本の核武装が必要である。今の日本ではそれが現実的でないというのなら、一歩引いて、ニュークリア・シェアリングが望ましいと私は強く主張する。
>米下院は戦争中の従軍慰安婦問題を巡って、日本政府に公式の謝罪を求める決議をした。この問題は、1993年に河野洋平官房長官が旧日本軍の関与を認めるという事実ではない見解を発表したことがアダとなって一人歩きしていることは、国内の良識ある人は知っている。
>私も(略)、日米戦争を仕組んだのはアメリカだという確信を持っていたが、それを物的証拠と証言によって裏付けてくれた、「真珠湾の真実?ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著)には、我が意を得ると同時に、その綿密で周到な組み立てに圧倒された。
>真珠湾攻撃はハル・ノートによって暴発させられたものだが、これはやはりソ連の作為戦争謀略だったことが証明されたのである。(最近公開された米陸軍電信傍受機関のソ連暗号解読資料によって)
このくらいにしておきますが、本をひらくとまず6ページにわたってずらずらとカラー写真が出てきて、これにはちょっと面くらいました。米国のアーミテージ、韓国の金泳三、台湾の李登輝、森元総理など国内外の著名人と一緒の写真、またF?15戦闘機に搭乗しひとりVサインをしている写真も掲載されています。
(当ブログ11月26日付「佐藤優のダブルスタンダード ? 久々のコメント特集」にいただいたjunkoさんのコメントより)
なるほど、元谷外志雄が田母神俊雄に300万円を贈ろうという気になるのも理解できるようなトンデモ本のようだ。
私は、核兵器の保有や使用を容認する発言というと、6年前に安倍晋三が講演会(司会は田原総一朗)でしゃべった「核兵器の保有も使用も違憲ではない」というトンデモ発言や、一昨年の安倍内閣外相時代に麻生太郎がしゃべった「核武装について議論すべき」という発言を思い出す。
だから、田母神や元谷を増長させてきたのも、安倍や麻生といった無能な世襲政治家たちであったということは絶対におさえておかなければならない。つまり、こんな政府あっての田母神「論文」(笑)なのであり、「文民統制」以前に、政治権力が腐っているのだ。自民党の政治家全員が核武装論者ではないどころか、極右は自民党でもほんの一部だということはわかっているが、「コクミンテキニンキ」(笑)をあてにして極右を総理大臣に担ぎ上げたのも自民党の政治家たちなのだ。安倍と麻生の間に挟まれた、比較的ましな福田康夫にしたって、6年前にコイズミ内閣官房副長官の安倍がトンデモ発言をした時、内心舌打ちしながらかもしれないが、「非核3原則は今までは憲法に近かったけれども、これからはどうなるのか。憲法改正を言う時代だから、非核3原則だって、国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」(2002年5月31日付毎日新聞より)と発言して物議をかもした。後年コイズミや安倍晋三に対する反発からハト派へと転向したが、もともとは福田もタカ派の政治家だったのだ。
さらに問題なのは、元谷の著書を絶賛する佐藤優を、岩波書店などが重用し、「リベラル・平和系」を自称する一部のブロガーも崇め奉っていることだ。そういう人たちは、「レイシスト」といったら本当のレイシストに失礼にあたるらしい城内実を絶賛していたりする。この城内は、日本国憲法は改正するのではなく、明治憲法のような精神を持つ自主憲法を新たに制定すべし、教育勅語があるのだから教育基本法の改正は無意味だ、などと主張していた元政治家(笑)で、国会議員在任中は、すべての代議士の中でも、安倍晋三や平沼赳夫らよりももっと「右」の、究極の極右ともいえるスタンスをとった人物である。
こんな状況では、確かに「右」も「左」もない。みんながみんな、田母神俊雄、元谷外志雄、安倍晋三、それに麻生太郎らが目指している「核武装」路線を翼賛しているようなものだと思う今日この頃なのである。
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11月は土日や祝日が多かったせいもあって、当ブログの新規公開エントリも20件にとどまったが、月間アクセス数は138,288件(FC2カウンタによる計数)に達し、ブログ開設以来最多を記録した。特にアクセスが多かったのが11月7日公開の「田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々」で、このエントリに月間で4000件以上のアクセスをいただいた。次いで、11月5日付エントリ「田母神俊雄の「痴的生活の方法」 ? 日本の右翼は大丈夫か」が3000件以上のアクセスをいただいている。3位は11月20日の「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」で、2800件を超えるアクセスのうちかなりの数(952件)は、元政治家(笑)・城内実のブログから張られたリンクを経由したものだ。
先月の当ブログへのアクセス数を押し上げたのは田母神俊雄の論文だが、今朝(12月1日)の朝日新聞1面トップは、懸賞論文の選考において、アパの元谷外志雄会長が当初から田母神氏の論文と知り得る立場で審査に加わり、メンバーで唯一最高点を与えていたことを報じている。
http://www.asahi.com/national/update/1201/OSK200811300062.html
審査委員の一人・花岡信昭は、「審査は筆者名を伏せて進んだ」と主張していたが、朝日新聞は、少なくとも元谷外志雄はあの駄文が田母神の手になるものだったことを知っていたと報じている。
以下、朝日新聞の記事から引用する。
4人の審査委員のうち、取材に応じた3人によると、応募作は事前にアパ側が絞りこみ、委員が実際に目を通した論文は全体の1割程度の25作品にとどまった。委員に知らされたのは受理番号のみで、応募者名や職業は伏せられていた。
委員は作品を「5点」「3点」「2点」「選外」の4段階で評価し、ファクスで送るようにアパ側から求められ、アパ側は10月16日の審査会で集計結果を一覧表にして配った。まだ最優秀作は決まっていない、この時点で応募者名、年齢、職業が委員に明かされた。元谷代表だけが、1作品に限って付けることができた最高点の5点を田母神論文に与えていた。
委員の一人、花岡信昭氏によると、審査の後、元谷代表が審査前から田母神氏の論文応募を知っていたことを明かしたという。元谷代表は審査委員に名を連ねておらず、アパ側は元谷代表が採点に加わっていた事実をこれまで公表していない。
山本秀一氏は「元谷代表が、他の委員が高く評価した論文をおしなべて低く評価したことに不自然さを感じた」と話す。
一覧表では、田母神論文と大学生、近代史研究家の論文が合計点数で同点に並んでいた。元谷代表の提案で大学生の論文をまず優秀賞に落とし、残った2作品のうち、元谷代表が田母神論文を推した。「異存ありませんか」と元谷代表が各委員に確認したが、反対意見は出なかったという。
小松崎和夫氏は「今思えば、元谷代表は初めから田母神氏の応募を知っていたのだから、トップにしようと思えばできたはずだ」と話す。山本氏は「田母神氏に賞金を贈るための懸賞論文と見られても仕方がない」と語る。
アパグループの広報担当者は「審査の内容に関しては一切お答えしていない」と話す。元谷代表個人にも取材を申し込んでいるが、11月30日現在、応じていない。(武田肇)
(asahi.com 2008年12月1日)
ここで花岡信昭は「審査の後、元谷代表が審査前から田母神氏の論文応募を知っていたことを明かした」と言っているのだが、花岡はこの重要な情報をこれまで自分の記事には書かなかった。実にふざけた態度であり、花岡にはジャーナリストの資格など全くないと言わざるを得ない。
朝日新聞の紙面では、この件はもう少し詳しく報じられており、田母神らの論文が3点同点で並んだ状況で、元谷は「学生には賞金30万円で十分だと思う」という趣旨の発言をして、これを学生部門の最優秀賞(賞金30万円)とすることを提案したそうだ。
さらに、社会面では元谷の呆れた言動が報じられている。以下引用する。
また、中山泰秀衆院議員によると、元谷代表は中山議員本人や、代理で審査委員を務めた山本秀一氏に審査経過の公表について抗議の電話を入れていたという。田母神氏が更迭された後の11月上旬、山本氏がテレビ番組のインタビューに応じ「(田母神論文に)私は0点をつけた」と話したところ、元谷代表から電話があり「事実と違う」と強く抗議されたという。
山本氏によると、田母神論文に一時5点満点中「2点」をつけたが、誤ってアパの指示より1作品多い論文に点数を付けていたため、2回目の審査会の席上、点数のない「選外」に変更したという。
中山議員によると、元谷代表から携帯電話に電話があり、「あなたの秘書は2点から最低点ではなく、最高点に付け直したんだ。ウソをつくと選挙に落ちる。政治生命を失う」と語ったという。中山議員を審査委員に選んだのは、論文募集時、外務政務官だった肩書きがほしかったからとも明かしたという。中山議員はこうした経緯を大阪府警に相談しているという。
(朝日新聞 2008年12月1日朝刊より)
なんと元谷は、中山議員の肩書きを利用しようとしていながら、同議員秘書が田母神論文に0点を付けたことに怒り、中山議員を脅していたらしいのだ。
朝日の記事には、中山議員の秘書・山本秀一氏のコメントも掲載されている。
審査では元谷代表が田母神論文を強く推し、審査委員もそうした空気につられた感じがする。私自身は、日米安全保障条約と、日本が朝鮮半島を植民地にした条約を同一視する田母神論文には違和感があり、論文では低い評価にした。審査では元谷代表が自分の意向を反映させる機会が数多くあり、田母神氏に賞金を渡すための懸賞論文だったと見られても仕方がないのではないか。
(朝日新聞 2008年12月1日朝刊掲載の山本秀一氏のコメント)
この山本秀一氏に対しては、花岡信昭が罵詈雑言を投げつけていたことを思い出しておこう。JanJanの記事によると、東京・豊島区で11月15日に開かれた「日本文化チャンネル桜支援講演会」で花岡が「政局の動向と日本の行方」と題して講演し、その中で山本氏を罵倒した。以下引用する。
中山議員の秘書が0点をつけたというのは全くの嘘
政治的に保身に走って嘘を言ったのだろう。そもそも中山議員というのは、まったくけしからんヤツ。渡部昇一先生が委員長を務める審査会の委員に選ばれただけでも大変なことなのに、こともあろうか審査の場に本人が来ない。秘書に来させた。挙げ句にその秘書に嘘をつかせて保身に走った。
私は頭にきたのでその嘘を週刊誌で暴露した。が、その後、先方から何ら抗議はない。後ろめたいから何も言えないのだろう。私も保身のためにその時の書類はとっている。いつか機会を見つけて、公衆の面前でヤッツケてやる。
(JanJan 2008年11月21日 「花岡信昭氏、田母神論文審査の裏側を語る」より)
果たして嘘つきは山本秀一氏なのか、それとも花岡信昭や元谷外志雄なのか。今後明らかにしてほしい。
朝日新聞の紙面には、花岡信昭や審査委員長・渡部昇一のコメントも掲載されている、花岡は、「田母神論文に書かれた歴史的事実は、先の戦争でのコミンテルンの力を過大視するなどの難点があり、採点では最高点を付けなかった」と釈明しながら、審査は公正であり、「あらかじめ田母神論文が最優秀と決まっていたという勘ぐりは、審査委員の名誉を傷つけるものだ」と開き直っている。また渡部は、極右雑誌「WiLL」2009年1月号に「最高点を取った論文を開けてみたら、空幕長が執筆者だった」と書いているらしいが、「審査はスムーズだったので、特に記録に残っていません。雑誌「WiLL」に書いた審査経緯が私の記憶です」などとすっとぼけたコメントをしている。
だが、花岡信昭や渡部昇一の開き直りにもかかわらず、田母神論文事件にはますます「贈収賄」の匂いが濃厚になってきた。
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