一部で指摘されているように、本音では自民党同様、財源として消費税増税を持ち出したかったであろう民主党は、自民党が先に消費税増税を言い出してくれてほっとしているかもしれない。民主党は本質的に経団連の主張に強く逆らえない保守政党だからである。しかし反面、民主党には世論に応じてクルクル政策を変える、悪く言えば節操がないが良く言えば柔軟な体質もあるから、そこに期待して近未来における消費増税の理不尽さを主張していくしかない。
財政について、私が国民必読の書と考えているのが、神野直彦著『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)である。中高生を対象にした本だが、内容を理解できる中高生がどれくらいいるだろうか。何より、働いて収入を得ている大人でなければ問題を切実に感じられないのではないか。これは、大人こそが読んで勉強し直すべき本であるように思える。そして、神野教授は社民党のブレーンであり、民主党の政策にも強い影響力を持つ人だと私は認識している。
この本の89頁に、国民負担率の内訳の国別比較のグラフが出ており、それについて著者が解説している。アメリカは個人所得課税のウェイトが高いが社会保障負担が低く、消費課税も低い。スウェーデンは所得税、社会保障負担、消費課税のいずれも高い。日本はどうかというと、個人所得課税が著しく低く、社会保障負担はアメリカやイギリスよりは高いものの、フランス、ドイツやスウェーデンに比べて著しく低い。著者は、「国民の最低生活を保障していく責任を政府が引き受けていない」(90-91頁)と指摘している。
実は日本の所得税は累進的になっておらず、ほぼ比例的だと著者は指摘する(67-69頁)。金持ちの所得は給与所得ではなくて、利子所得や配当所得、不動産所得などの資産所得が多いが、日本の税制ではこれらを分離課税にして累進税率の適用除外にしているからである。ただでさえこういう現状なのに、自民党は証券優遇税制の延長を言い出し、民主党でも同様の案を検討しているようだが、この期に及んで新自由主義的政策を競ってどうする、と自公与党・民主党の双方に注文をつけたい。さらに重要なこととして著者が指摘するのが株式の売却益で、これも累進課税を選択することも出来るが、事実上取引額の1%を払えばよいことになっている。このように、高額所得者の所得に対しては、累進税率が適用されない税制になっている。著者は、下記のように指摘している。
日本の所得税に関する問題点は、すべての所得を集めて累進税率をかけないで、あまりにも多くの多くの所得を分離課税していることです。多くのヨーロッパ諸国では金融所得も累進課税をしています。日本の場合は分離しているために、応能的に課税できる唯一といえるほど重要な所得税が、お金持ちに多くの負担を強いていないという問題点があるのです。
(神野直彦『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年) 69頁)
そもそも、金融所得など「努力をした結果報われたもの」でも何でもあるまい。それが累進課税されないでいるのに、「努力した人間が報われる社会を」などとほざく新自由主義者は、詐欺師以外の何者でもない。そういう詐欺師たちが消費税増税をたくらんでいるのである。
その消費税増税を叫ぶ議論について、神野直彦教授は、当然ながら厳しい批判を加えている(91-93頁)。これを以下に要約する。
消費税率の高いドイツ、フランス、スウェーデンなどは社会保障負担も高く、社会保障が充実している。これらの国々では、個人所得負担も高く、金持ちはそれだけ高い負担をしているからこそ、貧しい人々に消費課税の負担を求めることができる。
一方アメリカは消費課税が低く、個人所得課税のウェイトが高い。つまり自己責任を求める社会であって、所得税という豊かな人々が重く負担する税金で、社会秩序を守るための防衛や治安などの公共サービスを負担している。
日本はどうかというと、アメリカのような自己責任の社会を目指しているように見える(注:この本は安倍内閣時代の2007年6月に出版された)。それなら、アメリカと同様に、消費税ではなく所得税の増税を目指すべきだ。ドイツもフランスもスウェーデンも、社会保障が充実しているからこそ、貧しい人にも負担が担える。
(神野直彦『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年) 71-73頁より要約)
実際には日本では、コイズミ政権末期に閣議決定された「骨太の方針2006」に、社会保障関連予算を5年間で1兆1000億円削減することが盛り込まれており、毎年2200億円ずつ社会保障費が削られている。コイズミカイカクの総括がタブーになっている現自公政権はこれを守り続けている。「骨太」の命名者がコイズミか竹中平蔵かは知らないが、「骨粗しょう症の方針」としかいいようのない代物だ。そして、神野教授の論に従うと、社会保障を削減しているのに消費税を増税するなどとは、全く筋が通っていないのだ。これでは新自由主義でさえなく、アメリカよりひどい「やらずぶったくり」の政治である。アメリカではどうしようとしているかというと、次期大統領就任が確実視されるバラク・オバマは金持ち増税と庶民減税を打ち出している。麻生太郎は、金持ち低負担はそのままで、庶民増税を打ち出そうというわけだ。こんなでたらめな政策は、断じて許してはならない。
やらずぶったくりを続ける一方で、政権には恋々としがみつく、これが麻生太郎や自民党の正体というわけだ。今後麻生内閣の支持率はますます低下し続け、来年秋に任期満了総選挙をやった時には、自民党は130議席くらいしか獲得できないのではないかと思う今日この頃である。
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ところで、新自由主義の時代は終わったといえそうだが、コイズミ的な劇場政治の時代は全然終わっていないらしい。昨今の橋下徹に対する異様な支持の高さを見ていて、ことの重大さに勘の鈍い私もようやく気づいた。うかつにも、あんなやつを支持するのは、かつて横山ノックを二度選んだ大阪府民くらいのものだろうと見くびっていたのだが、なんのなんの、今の橋下は大阪でなくてもどこに行っても支持を集めそうだ。そういえば、宮崎県民も東国原英夫を支持している。閉塞状況の中、「強い指導力」を持って、「既成の権威」と戦うヒーローを、多くの人たちは欲している。その正体がどんな化け物であっても。
私学助成金削減めぐり橋下が大阪府の私立高校生たちと意見交換会を開き、橋下が「日本は自己責任が原則、あなたたちは自分で私立高校を選んだんでしょう」とほざいた醜悪なニュースは、FNNのサイトで動画を見ることができるが、腹の底からこみ上げる激しい怒りを抑えるのに苦しむほどひどいものだ。ところが、ネットを見回してみると、あれほどめちゃくちゃな橋下の言い分を支持するブログがたくさん見つかって、ひどい頭痛がした。それも、それらブログの著者は、何も大阪府民に限らないようなのだ。まるで「橋下バブル」だ、私はそう思った。アメリカでITバブルが弾けたあと住宅バブルが生成したように、「コイズミバブル」が弾けたら「橋下バブル」が生成したかのようだ。
とりわけ私が愕然としたのは、直接意見交換会の件に触れたものではないが、「Chikirinの日記」という、初めて知るブログに掲載された「橋下知事を叩くということ」というエントリで、「橋下を叩くマスコミ」対「橋下を支持するネット言論」というありもしない構図を勝手に仮定して、団塊世代前後の既得権を代表する前者を後者がぶっ壊す絵を描いている。
まさに、「自民党をぶっ壊す」と叫んだコイズミに対する熱狂をなぞるような、ステレオタイプそのものの主張なのだが、この劣悪極まりないエントリについた300件以上の「はてなブックマーク」のコメントの多くがエントリを支持するもので、「これはひどい」というタグが、私が見た時にはわずか5件しかついていなかったことには腰を抜かすほど驚いた。あんなにミエミエの橋下のアジテーションに簡単に乗ってしまうブログ主や、橋下やブログ主に簡単になびく多くの読者。ポピュリズムを克服するための道のりは果てしなく長い、そう思わされた。だいいち、ブログ主が主張するような「経験の浅さ」を論拠にして橋下を叩いている人間などどこにもいないし、そもそも、数少ないまともな「はてブコメント」が指摘しているように、「橋下氏を持ち上げたのは、関西ローカルの地上波テレビと言うマスコミの力」であって、「世代論からすると、知事の支持者ってネットよりもテレビを信頼するオバさんオジさん層」が橋下を熱狂的に支持しているのである。現に、昨夜放送された久米宏と八木亜希子(懐かしい!)がやっているTBS系の番組は、初めて見たのだが大阪・毎日放送が制作しているらしく、橋下に対する論評は橋下寄りの甘いもので、綾戸智恵なるオバハンに「周りで橋下を批判している人はいない」としゃべらせていた。既得権益につながったマスコミが改革者・橋下を叩く構図などどこにも見られなかったのである。この番組一つをとってみても、Chikirinなる人物のエントリがあさっての方向を向いた的外れな妄論であることがよくわかるだろう。
でも昨日は、失望させられる一方ではなく、橋下の本質を鋭く突いたエントリも見つけた。「kom’s log」の10月27日付エントリ「ボクタチの闘争」である。
この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。本人がたとえば目の前にいる高校生と競争しているのである。あらゆる場面においてこの人間には勝つかまけるか、しかない。
(「kom’s log」 2008年10月27日 「ボクタチの闘争」より)
この指摘には感嘆した。Chikirin氏の「橋下知事を叩くということ」との落差の大きさに目が眩む。
さらに読み進むと、
という指摘に続いて、「文革2008」という、個人的に懐かしいタグの話が出てきた。さらに、辺見庸が先週土曜日(10月25日)に大阪で行われた講演会で、国家社会主義の再来に警鐘を鳴らしたことを紹介した当ブログ10月27日付エントリにリンクが張られているのを見つけて、おおっ、と思ってしまった。というのは、辺見さんの講演会を聴いたあと、それを紹介した文章を書きながら、全体主義につながるものとして、「左のほうの水伝騒動」における「共感派」のことを思い出していたからである。「共感」を重んじる優しそうな彼らが、騒動の初期において異分子を排除しようとした行動を、私は忘れていない。万人の万人に対する闘争=平等原理は跋扈している
エントリは、
と結ばれる。これは、辺見庸が講演会で言っていた、「同じ人間だろ」といわれたら断固否定せよ。「わかるだろ」としなだれかかられたら拒否せよ。あるいは「ボクらはみんな闘っている」といわれたら却下せよ。ただ、わたしは違う、と。
という言葉とみごとに対応する。人民、大衆、市民という括り方を止めた方が良い。一人になれ。離脱せよ。
読んでいてこれほど感嘆させられるエントリは、滅多にあるものではない。下記にもう一度リンク先を示すので、読者の方々には、是非リンク先に飛んで全文をお読みいただきたいと強く希望する。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081027#p1
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99年の世界選手権前に発売された「別冊宝島」だったか他のムックだったかに高橋のことが書かれていた。いわく、世界最強の女子マラソン走者である高橋はレース後に涙を流さない。常に未来を見据えているからだ、と。この記事が印象に残ったので、世界選手権での高橋の走りを楽しみにしていたのだが、故障で出場できなかった。その後も回復が遅れ、シドニー五輪の予選も、三度ある選考会のうち最後の名古屋国際マラソンにやっと間に合った。そのレースでは、期待に違わぬどころか、見たこともないようなものすごいスパートに他の選手は全くついていけず、独走で優勝した。見ていた誰もが、これはとんでもない選手だと思ったことだろう。当然、シドニー五輪での金メダルが期待されたが、それに応えて五輪記録で優勝した。従来、金メダルを期待された日本選手は、重圧に押し潰されて敗退することが多かったので、重圧をものともしなかった高橋を見て、たいへんな選手だなあと感心したものだ。
だが、さっそく森喜朗首相(当時)が高橋の人気に目をつけて「国民栄誉賞」を高橋に授与したのは、全くいただけなかった。この賞は高橋に余計なプレッシャーを与えるだけだったと思う。もちろん賞が高橋にふさわしくないとは言わないが、授与するのであれば、現役引退を表明したこのタイミングが妥当だっただろう。やはり不人気に悩む麻生太郎首相は、8年前森が余計なことさえしなければオレが国民栄誉賞を高橋にやったのに、と思っているかもしれない。
国民的人気が出ると、マスコミにぐちゃぐちゃにされる。五輪の選考でも関係者が要らぬ動きをする。アテネ五輪の予選では、東京でのレースに敗れた高橋は、最後の名古屋のレースに勝てば五輪代表になる可能性があったが、名古屋に出なくても代表にすると陸上関係者が言ったとか言わないとかいう話があってむざむざ出場を見送ってしまい、その結果選に漏れたことがファンとしては残念だった。その後、2005年の東京国際女子マラソンで優勝して復活をアピールしたが、これが最後の優勝となった。昨日の引退会見で、高橋は「限界」を口にしたが、ニュースのコメンテーターが「高橋の口から『限界』という言葉を聞いたのは初めてだ」と言い、プロ野球の王貞治の現役引退(1980年)を思い出したと言っていた。常に未来を見据えてきた高橋が「完全燃焼した」と言った言葉に、嘘はないだろう。
現役に引退した今後は、政界からのお誘いが待っているかもしれない。特にスポーツ選手には自民党が目をつける傾向があるが、民主党もそれに対抗している。ちょっと前には民主党が、やはり女子マラソンで五輪で二大会連続のメダルを獲得した有森裕子を擁立するなどという噂があった。しかしやはり自民党入りする人が多く、女性では昨年の参院選に出馬せず引退した体操の小野清子とか、スケートの橋本聖子などの名前が思い浮かぶ。橋本など、政界で何をしたのか全く思い浮かばないのだが、調べてみると町村派所属の「保守派」議員らしくて「2007年12月7日に行われた保守派団体主催の『南京の真実を検証する国民の集い』にもメッセージを送った」そうだ(Wikipediaより)。おそらく、周りから勧められるままにそうしたのだろう。スケート選手時代には、その意志の強さに感心させられた人だが、政治家としては全く不要な人間である。
かつて森喜朗に国民栄誉賞を授与された高橋尚子も、間違いなく自民党町村派が目をつけるだろうが、絶対に政界入りなどしないで欲しい。政界入りしたが最後、当ブログでは高橋をバッシングせざるを得なくなり、かつてその走りに感嘆させられた私としては、そんなことはしたくないと思うからだ。
もちろん、民主党から政界入りした場合でも、当ブログは支持しない。スポーツ選手や芸能人の政界入りは、世襲議員の政界入りと何ら変わりない。日本の国益を損ねているのは、タレント議員と世襲議員である。せっかく民間が頑張っても、政治家たちの無能によって国富を外国にさらわれてしまう。それが国民から批判を受けるようになると、今度は排外主義に走ってやはり外国に力ずくでやられる。高橋尚子に限らず、スポーツ選手や芸能人が政界入りしたって、そんな馬鹿な人たちの片棒を担ぐ以上のことはできない。
高橋尚子には、余計な誘惑には乗らずに、後進の指導や陸上競技の普及などに専念してほしいと思う。最後に、お疲れさまでしたと言いたい。高橋尚子の走りを見るのは、実に楽しかった。
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ついこの間の9月上旬、自公政権に反対する側に立っているはずの知識人が、「良い小さな政府」という言葉を用いたのにショックを受けたばかりなのに、それから2か月も経たないうちにあの古舘伊知郎が「小さな政府」にネガティブな意味を込めて、アメリカの金融資本主義を批判している。製造業を外国にアウトソーシングして金融業を選び、「金融工学」によってリスクを回避するはずが、全世界にリスクをばらまいてしまったと、これは私などからすると当然の言説であるとはいえ、つい先日まで「カイカク教」を伝道してきた人間の口からその言葉を聞くとは信じられない思いだった。「天皇陛下万歳」と言っていた人たちがあっという間に民主主義に宗旨替えしたという終戦時もかくやと思わせる激変ぶりだ。
こうして、新自由主義は過去のものになったかのように見える。しかし、コイズミや竹中平蔵にはネガティブなイメージが定着した今でも、マスコミの寵児の座を守っている人間もいる。
大阪府知事の橋下徹である。
昨夜のTBSテレビ「NEWS23」でもやっていたが、橋下は26日、堺市内で開かれた一般参加者と教育問題を話し合う「府民討論会」に出席して熱弁をふるった。
http://www.47news.jp/movie/2008/10/post_1034/
この討論会は、昨日(27日)のワイドショーでも話題になったらしい。J-CASTの「ワイドショー通信簿」でも取り上げられている。
http://www.j-cast.com/tv/2008/10/27029259.html
橋下は、討論会で勇ましく日教組を槍玉に上げ、会場から拍手喝采を得ていた。日教組を批判した前国交相・中山成彬の発言を擁護したことについて訊かれたら、「中山大臣の発言は正しいじゃないですか。現場をみてくださいよ」と答えた。あげくの果てには、体罰容認論まで飛び出した。
ワイドショーでは、「府民全部の代表者なんだから、いろんな意見をすくって決めるもの。教育こそ、違う意見を大事にしないといけない」と指摘するコメンテーター(末吉竹二郎氏)もいたそうだが、みのもんたは「橋下さんのような知事が増えてほしいですよね」と発言した。
出た、みのポリティクス。みのの正義は日本人の正義。このやり方で、コイズミも郵政総選挙で圧勝した。今となっては、コイズミや竹中平蔵をどんなに叩こうが、たいした反論を受けないようなご時世になったが、橋下については話が違う。それは、当ブログ9月20日付エントリ「一度に346人の府立高校非正規職員の首を切る橋下徹」に対してついた51件の「はてなブックマーク」のコメントに、記事を批判して橋下を擁護する意見が目立ったことからもうかがわれる。昨年12月13日付のエントリ「大阪府民は「極右ポピュリスト」橋下徹を打倒せよ」は、当ブログでは有数の人気記事で、今でも毎月数百件のアクセスがあるが、これに対しても昨日、下記のようなコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-525.html#comment4311
橋下知事のことをいろいろ書かれているようだけど、これは彼がそれだけインパクトのある世直し人であることの証明で、古今東西 人に好かれた改革者はいないだろう。イエスキリスト、カエサル、ナポレオン、織田信長等々いずれも抹殺されている。世直しをする勇気ある人間を毛嫌いするような矮小な人間が大阪を今の状態にしたことを反省するのが最初だろう。女の腐ったように物陰でウジウジ言うような情けないまねをせず、橋下徹という人物に文句があるなら本人に会って直に言うのが日本男児というものだ。
2008.10.27 00:24 蒲田繁
改革者。そう、このどうしようもない時代の閉塞感の中、人々は改革者を求めているのだ。さらに言うと、強力な指導力を持ったリーダーを求めている。コイズミはそうして人気を得た。そして、そのコイズミによって自民党ならぬ日本社会がぶっ壊され、コイズミが見捨てられようとしている今でも、橋下徹のような程度の低いアジテーターさえ、大阪府民のおそらく過半数が支持しているのが現状なのだ。
かつて絶大な人気を誇った東京都知事の石原慎太郎も同様だ。昨年の都知事選の数か月前には、石原の無駄遣いや公私混同、それにでたらめな政策の数々が批判され、人気もかなり低下してきたようには見えたが、それでも石原が本気になって選挙活動に力を入れたら、対抗馬の浅野史郎や吉田万三は全く歯が立たなかった。
社会がこういう状態にある時は、独裁者を受け入れやすい。新自由主義の時代は終わりに向かいつつあるが、独裁者待望の時代は終わっていない。昨日のエントリで紹介した辺見庸の「国家社会主義の変種が『革新づらをして』現れる」という予言のリアリティは高まる一方である。講演会で辺見さんも言っていたが、コイズミも、「自民党をぶっ壊す」と言いながら現れた。新自由主義が否定されると、今度は国家による統制が肯定されるようになる。もちろん、国家による適度な市場の制御は必要不可欠であり、中庸を目指すのが修正資本主義とか社会民主主義と呼ばれる行き方だと思うが、群集心理というものは極端から極端に振れやすい。
特に私が警戒するのは、実はコイズミや石原、橋下のようにヒステリックに叫ぶリーダーではなく、一見優しくて物分かりのよさそうに現れて人々を束ねていき、いつの間にか集団に反対するものを排除するようになるタイプの人間である。そのような人間は、絶大なコクミンテキニンキを誇るようになる。それこそが、日本社会が本当に破滅への道を歩む時だ。
思えば、安倍晋三の台頭を私が極度に警戒したのは、あの極右の安倍に「サワヤカな」印象を国民に植え付ける宣伝が行われたことによる。あれほど見え透いた印象操作によってさえ人心は動かされ、一昨年秋の安倍内閣発足当時には、内閣支持率は60%を超え、読売新聞の調査では実に70%に達していた。但し、コイズミ内閣の発足当時よりは支持率が低く、その差は最初から内閣の正体を見抜いていた人たちが2001年よりは多かったということで、つまりいくら電通が宣伝に努めても覆い切れないくらい安倍晋三の実体がお粗末だったのである。日本にとって不幸中の幸いは、岸信介の孫である安倍晋三がどうしようもなく無能なことだった。
だが、そんな幸運がいつまでも続くとは限らない。
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当ブログは土日をお休みしたし、その前は2日続けてプロ野球の星野仙一を批判する記事だったので、政治に関する記事は当ブログには4日間書いていなかった。その間、東京都内で脳内出血を起こした妊婦が7つの病院から受け入れを拒否されて死亡した問題について、厚生労働大臣の舛添要一と東京都知事の石原慎太郎が醜い悪口の言い合いをするなど、普段なら飛びついてブログの記事にするような題材はいくらでもあったのだが、重大な歴史の転換点に立っているという意識が、そうした問題をブログで取り上げることを阻んだ。なお、あの問題では医師不足は当然厚労省の責任であって、舛添に分が悪い喧嘩であり、何よりあの切れ方には舛添の無能さがよく現れていたが、それを批判する石原にしても、日本の現状を「高福祉低負担だ」と評していたのに呆れた。1999年の都知事選以来の遺恨なのかもしれないが、身勝手な政治家同士の程度の低い言い争いにしか見えなかった。だが、世界大恐慌へ突入かという事態の重大さを思うと、犬同士が吼え合っているような舛添と石原のくだらない喧嘩について、長々と文章を書き連ねる気にはなれない。
アメリカ人や日経新聞が神のようにあがめ奉っていたアラン・グリーンスパンが、ついに米国議会で23日、自身の自由市場理論の欠陥を認め、「世界観が間違っていた」と言ったのである。数十年間にわたって、「自由市場理論が例外なくうまく機能する事例を見てきた」グリーンスパンは、現在の状況に「強い衝撃」を受けているのだと言う。
先月、「ニューズウィーク」は、「戦犯、その名はグリーンスパン」と題した記事で、
と、グリーンスパンを厳しく批判した。定評ある市場「感覚」で神様ともてはやされたグリーンスパンに対し、多くの人が、金融緩和が住宅ローンバブルを加速させた責任を問う。しかしはるかに大きな問題は、彼が「最小限の規制」を信奉したことだ。
今回、米国議会でグリーンスパン自身が、デリバティブの規制に対して反対の姿勢をとってきたことが誤りだったと認めたことの意味は大きい。ここ数十年、世界を支配してきた規範が、今転換されようとしているのだ。
ところが、グリーンスパンが厳しい批判にさらされている同じ時期に、竹中平蔵はテレビに出まくって、さらなる規制緩和の必要性を力説していた。昨日(26日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で辻元清美が、竹中平蔵や宮内義彦も国会に呼んで追及しなければならないと言っていたが、その通りだろう。この期に及んで、あの父っちゃん小僧のにやけ面で、いけしゃあしゃあと「規制緩和」を説く竹中平蔵の顔を見ていると、テレビをぶっ壊したくなる衝動に駆られる。
世界同時株安は、麻生太郎の足もすくませた。アメリカの大統領選では金融危機は共和党のマケインに不利、民主党のオバマに有利に働きそうだが、日本でも政権政党に不利に働くのではないかとの不安が、内閣支持率の低下と相俟って、麻生に解散をためらわせたものだろう。当ブログ管理人の地元でもそうだが、自民党議員はすでに選挙運動を始めていた。それは野党の議員や候補者も同じだろう。私は、いったん下野して新政権の施策を批判し、支持を拡大することが自民党にとってベストの選択肢だと思っていたが、いったん権力の座を手にした麻生太郎は、その道を選ばなかった。
だが、遅くとも来年9月までには選挙が行われる。グリーンスパンが「世界観の誤り」を認めているほどだから、いまだに「コイズミカイカク」の総括もできない自民党に勝利の目はない。麻生太郎のなし崩し路線変更は、落選必至の「コイズミチルドレン」の反発を招いて、執行部への求心力を弱める結果にしかならないし、一方で「構造改革」の核心を否定できない以上、政策も中途半端なものにならざるを得なくて、効果は全く期待できないのである。
ところで土曜日(25日)、大阪まで辺見庸の講演会を聴きに行ってきた。辺見さんは、病を得て体が不自由な上、風邪を引いているとのことだったが、休憩を挟んで3時間、熱のこもった講演を聴くことができた。自宅に帰り着いた時には午前1時を回っていたが、大枚をはたいて大阪まで行った価値があったと思えた。会場にはNHKのカメラが回っていたし、11月末には毎日新聞社から辺見さんの書き下ろしの新刊が出版されるそうだ。
だから、講演会の内容を長々とブログで紹介したりはしないが、印象に残ったことの一つは、今後これまでの新自由主義に代わって、国家による統制をよしとする言論が支持されるようになり、それに伴って国家社会主義の変種ともいうべき者が、「革新づらをして」現れるだろうという辺見さんの予言だった。
当ブログも10月16日のエントリで世界大恐慌突入(1929年)の2年後、1931年の満州事変を引き合いに出して、「歴史に学べない民族」の汚名だけは着たくないと書いたが、辺見さんの講演でも、まさにその満州事変への言及があり、過去に学ぶしかない、自分たちの手で日本人の自画像を描くべきだと力説されていた。
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)も、その正式名称が示す通り、出発点は社会主義だった。現在でも、反新自由主義が国家主義と結びつく傾向は一部に見られるし、「右も左もない」という言い方でそれにすり寄る「左」と思われている人たちもいる。これも辺見さんの指摘だが、戦前はナショナリズムの高揚とともに転向の時代がきた。同じ誤りを繰り返してはならない。
以下は私の主張だが、憲法9条と憲法25条は不可分の関係にあり、両者を関連づけて論じなければならない。戦前と現在でもっとも大きく異なるのは、明治憲法と日本国憲法の違いだと思う今日この頃なのである。
星野仙一は、中日ドラゴンズの投手として「打倒巨人」に燃えていた頃から、アンチもそれなりにいたけれども比較的好感の持たれるほうが多い人生を送ってきた。1974年に巨人の10連覇を中日が阻んだ時の中心選手だったが、それに至るまでは巨人に挑戦しては厚い壁にはね返されていたし、1987年の中日監督就任後も、途中高木監督時代の4年をはさんで計11シーズンの監督在任中、2度リーグ優勝しているものの、その間巨人は5度リーグ優勝しており(2度日本シリーズ制覇)、星野は巨人に敗れることの方が多かった。チャレンジャーには、さほど強い批判が集まることはないものだ。
星野仙一の今日の名声は、星野の中日監督就任と同時に「暗黒時代」に突入していた阪神タイガースを、監督就任2年目にして優勝に導いたことによるところが大きい。中日は、ほぼ東海地方限定の人気だが、阪神は、関西で絶大な人気を誇るだけではなく、全国的にファンが多い。巨人があまりに滅茶苦茶な補強によって戦力が巨大化し、それが巨人ファンの失望を招いて人気を落としていったこともあり、2003年の阪神優勝以降は、プロ野球の人気ナンバーワン球団の座は、阪神が巨人にとって代わった。2004年の岡田彰布監督就任後も、夏場に脱落した04年を除いて、毎年優勝争いに絡んでいる。1987年以降Aクラスの常連に定着した中日に続いて、阪神も優勝争いの常連になったわけだから、やり方はともかく、星野のマネージャーとしての能力は認めなければならないだろう。
しかし、星野の野望はこれにとどまらない。一説によると星野は、五輪とWBCの監督、終生ライバルとしてきた巨人の監督を経て、政界入りの野望を持っているとも言われる。星野の政治的スタンスは右翼であり、政界入りした場合当然自民党入りすることになる。星野は、プロ野球界のドンであるとともに、日本最大の発行部数を誇る読売新聞社の会長にして、政界に多大な影響力を持つ渡邉恒雄(ナベツネ)と懇意であり、北京五輪のつまずきさえなければWBC監督は決まりだったし、巨人の監督はどうだったかわからないが、政界入りの線は大いにあり得るところだった。
私が星野批判に大きく傾くようになったのは、第2期中日監督時代の後半くらいだっただろうか。2000年に巨人が優勝した頃くらいである。あの年の巨人の「巨大戦力」は、プロ野球を見る楽しみをぶっ壊すほどひどくて、これでは遠からず巨人戦中継はゴールデンタイムから姿を消してしまうだろうな、と当時から予想していた。それは今現実のものとなっているのだが、この頃からナベツネ本人だけではなく、ナベツネとつるむ人物に対する拒絶反応がひどくなっていったのである。星野とナベツネの相性が決して悪くないのは、当時から知っていた。星野が阪神監督に就任した時には、長嶋茂雄が星野に阪神入りを口説いたことを覚えておられる方も多いだろう。1997年には巨人・阪神・中日は揃ってBクラスに沈んでいたのだが、この3球団を持ち上げて人気を盛り返そう、というのが当時のセ・リーグのプロジェクトだった。
その星野が北京五輪で大コケしたのだが、2004年にアテネで敗れた中畑清の比でないくらいのバッシングを受けた。それは、短期決戦に弱い星野の弱点をあまりにもろにさらけ出した負け方のせいであり、それがあまりにぶざまだったために、山本浩二や田淵幸一と遊び歩いていたことまで蒸し返して批判された。不調の選手にこだわって傷口を広げたり、故障を抱えている選手を無理に使って故障を悪化させたりというのは、中日や阪神の監督時代から星野が繰り返していたことだったが、それを五輪でもやってしまった。プロは結果がすべてだから、星野は「あの犯罪者扱いのような批判やバッシング」などと泣き言を言ってはならないのである。
たまたま、政治の流れが星野が指向しているのとは異なる方向に向かいつつあることも、星野にとって災いしたのではないか。「星野は新自由主義の時代のヒーローだ」とまで書くと、こじつけが過ぎると言われそうだが、口八丁手八丁で資金を集めて強引にのし上がっていき、「一将功成りて万骨枯る」のが星野仙一だ。「中日の選手も阪神の選手もわしが育てた」と言うのが星野なら、「一流選手は自分の道は自分で切り開く」と言うのが落合博満である。落合は中日監督初年度に「今年は補強せずに現有戦力で優勝する」と宣言し、それを実現したが、その落合の方針を批判し、補強(金権野球)の必要性を声高に主張していたのが星野だった。星野対落合の対決は、落合の完勝だったのである。
本当は、今日のブログでは星野批判は前振りにとどめるつもりだったが、指が勝手に動いて星野批判を延々と続けてしまった。しかし、幸いにも星野のWBC監督断念をコミッショナーが受け入れ、野球ファンがもっとも恐れていた事態は回避された。次回のエントリからいつもの調子に戻したい。
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初戦で「1勝1敗のタイ」になるこの珍妙な制度は、最長6戦のすべてがリーグ優勝チームのホームゲームで行われ、リーグ優勝チームは2勝3敗1引き分けでも日本シリーズに進出できるのだが、「勝って当たり前、負ければ大恥」のプレッシャーをかけられるリーグ優勝チームと、仮に勝ったところで「12ゲームも離されたチームが日本シリーズに出るのか」と後ろ指を指される3位チームが戦う「クライマックス・シリーズ」というのはどうにも楽しめない。仮に今年も巨人が負ければ、また「プロ野球カイカク」が始まるだろう。もっとも、ナベツネは政界再編に忙しくて今は手が回らないだろうが、それが一段落した来年の6月頃に、横浜とヤクルトあたりの球団合併の話が出てくるのではないか。
そのナベツネがバックにいると誰もが信じている星野仙一は、バッシングに音をあげたか、WBC監督に推挙されても固辞すると表明した。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/yakyu/news/20081023-OYT1T00026.htm
星野は、自身の公式サイトでも「固辞」を表明しているが、家族の心労を持ち出して泣き言を言うありさまだ。
http://hoshino.ntciis.ne.jp/
「あの犯罪者扱いのような批判やバッシング」とか、「ママが入院している」とか、「パパひとり、こうまで悪者にされて」とか、お気の毒なことだが、これらはすべて星野自身の「身から出たサビ」だと言わなければなるまい。
北京五輪後のNHKの番組で、自己弁護に終始し、WBC監督就任に含みを持たせる発言をしていたのは、星野自身だった。WBC体制検討会議には星野自身も出席していて、野村克也が内幕を暴露しなかったら、密室で「星野監督就任」が決まったのではないか。「晴天とら日和」経由の情報だが、王貞治は、第1回の会議直前にナベツネと会食をしていたともいう。
もうすぐあの忌まわしい「大連立」騒動から丸1年になるが、それを思い出させる密室での工作だ。もっとも、それがすぐ表に出てしまう稚拙さもナベツネのやり方の特徴だ。
当ブログの星野批判に対し、「お前はスポーツを真剣にやったことなどないだろう。そんなお前に星野の気持ちがわかるか」などという批判を受けるが、そんな批判者が、それこそその道を窮めたイチローほど真剣にスポーツをやっていたはずがない。実質的な星野批判といってもよいイチローの言葉をどう受け止めるのかと言いたい。愛知県出身のイチローは、プロ野球新記録の210安打を放って一躍スターに名乗りを上げた1994年に、セ・リーグの優勝を賭けた中日対巨人最終戦をスタンドで観戦したほどの中日ファンで、幼い頃から星野仙一を見ていたはずだ。そのイチローによる星野批判なのである。
何より、批判されたら家族を盾にとって泣き言を言うあたりが、朝日新聞に弁護士資格返上を勧告されたら「僕が資格を返上したら、弁護士事務所の従業員はどうなるのか」などと言い出す橋下徹を思い出させて気分が悪い。そういえば、橋下は巨人ファンだった、などと書いたら、善良な巨人ファンの方々の怒りを買うかもしれないが(笑)。それはともかく、星野仙一自身が北京五輪に惨敗した直後に適切な言動をとっていればこんな騒ぎにはならなかった。星野自身が家族に謝らなければならないと思う。
橋下徹といい、星野仙一といい、やたら勇ましい言動をする人間に限って、批判されたら弁護士事務所の従業員や家族を盾にとって批判をかわそうとする。ふだん独裁者として振る舞って、職員や選手の首を切りまくっているのに、自分は贅沢三昧をする。「まず隗より始めよ」という言葉は彼らの辞書にはないらしい。
王貞治は、自身が監督を務めた前回のWBCでの優勝も、星野が監督を務めた今回の北京五輪の惨敗もたまたまだと言って次回WBCの監督に星野を推したという。確かに、2次リーグ1勝2敗で敗退確実と思われた前回WBCでは、アメリカがメキシコに敗れる大番狂わせに救われた。だが、見る者に与えた印象がWBCと北京五輪では大違いだった。仮に、「たまたま」だったとしても、それならなおさら監督が星野である必要はなく、日本シリーズの優勝監督がWBCの監督をやったって良いはずだ。渡辺久信、原辰徳、落合博満の誰が監督を務めても、星野がやるよりはるかにましだと多くの野球ファンは思うことだろう。
野心家・星野仙一にはとっとと退場してもらいたい。
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こんな朝日新聞だから、方向性が大阪府知事の橋下徹と同じかと思いきや、これが全く合わないらしく、先日、橋下が2日連続で朝日新聞を「廃業してしまえ」などと罵倒したことが報じられた。
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008102001000648.html
上記は共同通信の記事へのリンクだが、この件に関してネット検索をしていて目立つのは、スポーツ紙の報道だ。少し前の中山成彬と東国原英夫の宮崎1区自民党公認候補をめぐるドタバタ劇の時もそうだった。
ここから、橋下の狙いがうかがわれる。つまり橋下は、政治的信念に基づいてというより、マスコミの喜びそうなネタを提供して、自らの人気を浮揚させる目的で、本来「ネオリベ仲間」のはずの朝日新聞を過激に叩いて見せたのだ。
こんな橋下を真正面から叩いたって、それこそ橋下の思う壺だから、これ以上はやめておくが、朝日新聞叩きというのは、昔から社会党や北朝鮮叩きと並ぶ右翼の定番だった。最近では新聞では毎日新聞叩きも加わり(当ブログはこれに反対するキャンペーン展開を予定していたが、現在中断している)、社会党批判は民主・社民両党への批判に代わったが、定番であることには変わりない。
ところで、その朝日新聞叩きにことのほか熱心だったのが勝谷誠彦である。勝谷は、『WiLL』という右翼月刊誌に「あっぱれ!築地をどり」と題した朝日新聞批判専門のコラムを連載している。私も数回立ち読みしたことがあるが、あまりに紋切り型の朝日批判に、これは右翼としても頭の悪い部類に属するなあとあきれて、以後立ち読みもしなくなった。
とにかく勝谷の文章はレベルが低い。勝谷はかつて「さるさる日記」に書いていたウェブ日記で、朝日の日曜版が「阿保親王」を「阿保天皇」と誤記していたのを、まるで鬼の首を取ったように、「朝日は『アホ天皇』と書いている。不敬だ」と大騒ぎしていたが、あれは「あぼしんのう」と読むのである。勝谷の実家がある兵庫県尼崎市から2つ西の芦屋市に「阿保親王塚」があり、阪神間では結構有名なはずなのだが、勝谷はたぶん知らなかったのだろう。阿保ならぬアホである。その程度の人間が書く朝日新聞批判だから、程度が低いのも当然だ。
そんな勝谷は、光市母子殺害事件における橋下の弁護団懲戒請求も、もちろん支持している。勝谷批判ブログの『勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ』のエントリ「笑止! 橋下弁護士擁護論」(2008年10月8日)がこれを紹介している(下記URL)。
http://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/861746.html
同ブログによると、
とのことだ。どのように勝谷が自己矛盾しているかについては、リンク先に飛んでご確認いただきたいと思うが、勝谷は橋下を弁護したコラムを、下記のように締めくくったそうだ。勝谷氏は、『週刊SPA!』08/10/14号(現在発売中)に掲載の『ニュースバカ一代』VOL.304「橋下弁護士賠償命令 の巻」で
「メディアを持たぬ一般国民に"武器"を与えた橋下弁護士を擁護する!」
と、判決に不快感を示し、逆に橋下氏の行為を絶賛しています。
しかし、これがまあ、またしても自己矛盾に陥りまくった噴飯ものの主張です。
その橋下さんに対して自らは強大なメディア権力を握る朝日新聞は社説で弁護士辞任を要求した。弁護団も朝日新聞も良民常民の常識を踏みつけにした報いを受けるだろう。
私は、今回の橋下の過激な朝日新聞批判に火をつけたのは、この勝谷のコラムだったのではないかと疑っている。勝谷は、橋下とよくテレビのバラエティ番組(日曜昼の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」など)に共演する「電波芸者」仲間だからだ。
全国放送の「やじうまプラス」(テレビ朝日)から追われた勝谷だが、大阪では橋下徹ともどもまだまだ人気が高いようだ。当ブログは、たまに橋下を批判するが、その度に大阪府在住とおぼしき方々から激しい調子の批判を受ける。いまや、東京と並んでネオリベ最後の牙城になった大阪は、いつまであらぬ方向にさまよい続けるのだろうか。
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2003年、星野仙一率いる阪神を日本シリーズで下した福岡ダイエーホークス(当時)の王貞治監督は、阪神の監督が星野から岡田に代わったことについて、岡田が阪神二軍監督として実績を挙げていたことを指摘し、岡田には統率力がある、だから阪神はこれからますます手強くなると言った。しかし、王も岡田も短期決戦に弱く、2005年に阪神がリーグ優勝した時、ソフトバンクホークスはリーグ戦を1位で通過しながらプレーオフで千葉ロッテに敗れ、阪神は日本シリーズでそのロッテに4連敗した。その後は阪神もソフトバンクもリーグ優勝することができず、多くの人が期待していた王と岡田の対戦は、結局実現しなかった。
選手を気持ちよく働かせることには長けていたと思われる岡田だが、競り合いには弱く、一度負け始めたら歯止めがかからない面もあった。その点で巨人の原辰徳監督と弱点が共通しており、一昨年6月から7月にかけて、巨人は連敗がいつまでも止まらず、首位から最下位まで一気に転落したことがある(最終順位は4位)。
だから、野球の世界大会である「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の監督に誰がふさわしいかとアンケートをとると、岡田も原も上位には顔を出さない。人気が高いのは、現役監督では野村克也や落合博満であり、OBでは長嶋茂雄や王貞治である。
ところが、そのWBCの監督に、今年の北京五輪で惨敗した星野仙一を据えようとする動きがある。 プロ野球コミッショナー特別顧問に就任した王は20日、15日に開かれた第2回WBCの体制検討会議で、日本代表監督に星野を推したと明言した。
http://www.asahi.com/sports/bb/SEB200810200011.html
多くの人が、このニュースに耳を疑ったと思う。五輪での「星野ジャパン」の惨敗は、それほどひどかった。単に試合に負けただけではなく、新井(阪神)、川崎(ソフトバンク)、川上(中日)らを故障させた。特に新井の故障は、その後のペナントレースに影響を与えたと思われるが、星野は阪神の「シニア・ディレクター」でもある。
この妄動には、ファンだけではなく、野球選手やOBたちも一斉に反発した。東北楽天ゴールデンイーグルスの野村克也監督は、前記体制検討会議で王が星野を監督に推薦したことを暴露し、「出来レースなんじゃないの」と言った。野村自身は、「王がやればいい。WBC監督の経験もあるし、連覇目指してな」と発言したという。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081018-420221.html
検討会議では広島OBの野村謙二郎が発言の7割を占めたということで、恐らく、王貞治や野村謙二郎らは何者かに丸め込まれて、星野監督をプッシュする役回りを果たしていたのだろう。
19日のTBSテレビ「サンデーモーニング」では、やはり星野に批判的でWBC監督に王を推す張本勲が、「ワンちゃん(王)とこれから会って話をする」と色をなしていた。
しかし、なんといっても決定打となりそうなのが、シアトル・マリナーズのイチローの発言である。
イチローは18日(日本時間19日)、WBC監督問題について、「最強のチームをつくるという一方で、現役監督から選ぶというのは難しいでは、本気で最強チームをつくろうとしているとは思えない」と発言した。さらに、「大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなど不可能」と言い切ったが、誰がどう読んでも、これは星野仙一をWBC監督に担ごうとする妄動に対する強い批判だ。
http://number.goo.ne.jp/news/sports/article/kfuln20081020001001.html
先にリンクした朝日新聞の記事にもあるように、星野を推した王も、イチローの発言には一定の理解を示した。
星野仙一は、もともと権力志向がきわめて強い男である。1982年に現役引退したあと、すぐさまNHK野球解説者の職を得たが、さっそくやったのが当時の球界OBのドン・川上哲治への接近だった。83年に巨人の藤田元司監督が退任してNHK解説者になると、藤田氏にも接近した。
1987年に中日ドラゴンズの監督に就任すると、金に糸目をつけない補強を開始した。前年の86年まで、むしろBクラスが普通だった中日は、星野監督就任を境にAクラス常連になり、星野は監督2年目の88年に早くもリーグ優勝したが、長く監督を務めるにつれて人心を失っていくのも星野の特徴だった。第一期5年、第二期6年の中日監督時代、それぞれ一度ずつ優勝したが、それ以降は優勝を逃している。阪神で2年目にリーグ優勝を果たしてすぐ監督を退いたのは、星野には珍しく賢明な選択だった。
手始めに川上に接近した星野が、93年に巨人のオーナーになって以来、本当の「球界のドン」になったナベツネに接近したのは、自然の流れだった。かつて中日が金権球団になったのと同じように、2002年に星野が監督に就任した阪神タイガースも、巨人や中日ばりの補強に精を出すようになった。特に、広島から金本知憲を獲得したのが大きかった。星野監督時代の2003年と、岡田監督に交代後の2005年にリーグ優勝するなど、阪神もAクラス常連球団になった。
だが、反面、資金力の格差によって球団間の戦力差が開きすぎてしまい、プロ野球は魅力を失った。特に、パ・リーグは能力のある選手が多いのにメディアから注目されず、これを快く思わなかったオリックスの宮内義彦が、西武の堤義明や、それまで仲の悪かったナベツネと共謀してプロ野球再編を仕掛けた。2004年のことである。
彼らの狙った一リーグ化はならなかったが、オリックスと近鉄の合併、新球団・楽天の発足、両リーグの交流戦開始などの変化も起きた。しかし、セ・リーグは上位3球団と下位3球団のグループが固定されてしまうなど、問題は解決していない。特に、極端な金権補強をやった巨人は、ファンの支持を失い、地上波のゴールデンタイムの放送枠から、かなりの試合が弾き出された。
星野仙一が手本にした読売のやり方の結末が現状である。それなのに、星野は北京五輪日本代表のコーチを務めた田淵幸一や山本浩二と遊び歩いていたという。そして、好調の選手を選ばず、自分の好みで阪神や中日の選手や話題性のありそうな選手ばかり選び、不調の岩瀬を連投させては打たれて負け、新井の故障を悪化させてリーグ戦からの長期離脱を余儀なくさせるなどした。
五輪に惨敗した星野は、世間から厳しい批判を浴びたが、「日本はいじめ社会だ」などと泣き言を言い出すありさまだ。この上、あつかましくもWBC監督になりたいなどとは、呆れてものも言えない。間違いなく、バックにはナベツネがいる。
イチローの勇気ある発言をきっかけに、星野のWBC監督就任を、心ある球界人はなんとしてでも阻止してほしいものだ。
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しかし、アメリカではコリン・パウエル前国務長官がなんとライバル民主党のバラク・オバマ支持を表明した。
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008101901000467.html
日本では麻生太郎内閣支持率の毎日新聞調査が、発足直後の45%から36%に大きく下落した。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081020ddm003010188000c.html
共同通信の内閣支持率調査でも、48%から42%に下げている。
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008101901000216.html
毎日新聞調査で特に目立つのは、40代から60代の、社会の担い手の世代が麻生離れを起こしていることだ。特に、50代の支持率低下が目立ち、支持は前回の38%から28%に減り、不支持は前回の33%から実に53%に増えている。
これは、今までの経済政策のあり方を大きく転換しなければならないという認識が広く共有されるようになり始めたためだろう。但し、民主党にも新自由主義者が多く、どれくらい経済政策を転換してくれるかはっきりしないせいなのか、自民党の支持率減が民主党の支持率増に必ずしも結びついていない。民主党がもう少しはっきり新自由主義への訣別を打ち出せば、もっと支持率も上がるだろう。
そういえば、テレビ朝日の「報道ステーション」でも、新たなコメンテーターの一色清が、「新自由主義」という単語を口にした。昨日の「サンデープロジェクト」でも、田原総一朗が「ブッシュはフーバー(世界大恐慌当時の米大統領)に、オバマはルーズベルトになぞらえられている。麻生太郎と小沢一郎のどちらがルーズベルトなのか」などと言い出していた。
『世界』11月号でも「政界交代選挙へ」という特集が組まれ、山口二郎や金子勝が論文を寄稿している。山口二郎は、政治思想の波には30年程度の周期があり、第二次世界大戦後から70年代までの30年間は福祉国家整備の時代、70年代後半から現在までが「小さな政府」をめざす新自由主義の時代で、現在は新自由主義に起因する問題点が、サブプライムローン問題が契機となった金融危機となって顕在化しており、きたる総選挙では新自由主義を転換するかどうかが問われると書いている。但し、麻生内閣がなし崩し的な構造改革否定路線をとっているので、対立構造がぼやけており(だから前述の田原総一朗のように、「どっちがフーバーでどっちがルーズベルトだ」などと言い出す人が出てくる)、民主党は自民党との対決を演出するより、自らの未来構想を具体化することに専念せよ、と書いている。オーソドックスな議論だと思った。
金子勝はいつものように過激で(笑)、ねじれているのは国会ではなく自民党だと書いている。つまり、福田前首相は「郵政総選挙」で増えたネオコン・ネオリベの「構造改革」と自らの「5つの安心プラン」を両立させることができなくなって自壊したというのだ。自民党は、コイズミカイカクを総括しないまま、景気が悪くなると景気対策のバラマキを行ない、景気が少し回復すると再び「構造改革」に走る、このパターンを繰り返しては沈んで行ったと指摘する。金子は、構造改革を総括し、戦略的な政策転換を行う必要があると主張し、法人と金持ちに増税するとともに、バラマキ公共事業ではなく、大胆な再生可能エネルギーへの転換によって新しい需要や雇用を作り出す政策が求められていると書いている。いつもの金子節だ。
いまや大きなうねりが、自公政権のみならず新自由主義をのみ込んでいこうとしているように見える。自民党も民主党も迷走を続けて心許ない限りだが、麻生太郎首相も腹をくくって国民に信を問うべき時が到来したと私は考えている。
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その一方で、既視感のあるできごとも相次ぐ。いつもの政治・経済ではなく、サッカーの話を持ち出すと、ワールドカップアジア地区最終予選で、ホームのウズベキスタン戦に引き分けた日本代表の岡田武志監督に辞任話が出ているが、11年前、加茂監督がW杯予選のカザフスタン戦でロスタイムに追いつかれて引き分け、更迭されたあと、岡田監督が就任した最初の試合は、アウェーのウズベキスタン戦で、敗色濃厚だった試合を、終盤に呂比須のしょぼい同点ゴールでどうにか引き分けに持ち込んだのだった。
当時の日本代表は、続くホームのUAE戦でも引き分けに終わり、自力でのW杯出場が消えたのだが、今回のホームでのウズベキスタン戦引き分けは、実にその時以来、11年ぶりにW杯のアジア予選のホームで勝てなかった試合だそうだ。
さえない船出だった岡田ジャパンは、11月1日にアウェーの韓国戦に勝ち、ライバルUAEのもたつきもあってW杯出場を果たしたのだが、この頃、韓国の財政難が悪化し、一時デフォルト寸前に追い込まれた。そして現在再び、韓国のウォン安が深刻化している。
アジア通貨危機から11年、今度はアメリカ発金融危機が起き、日経以外の一般紙でも毎日のように経済ニュースが紙面の中心を占めている。アジア通貨危機の翌年、1998年にはロシア財政危機への対応を誤ったヘッジファンド・LTCMの破綻をきっかけに、「円キャリートレードの巻き戻し」が起きて急激な円高局面になり、マネー雑誌などにダマされて外貨預金に励んでいた人たちが大損を蒙ったが、今回も、やはりダマされてFXに手を出して、円高で大損をこいた人たちが大勢いることだろう。
先日、岩波新書から出ている本山美彦著『金融権力』(2008)を読んでいたら、
との記述があった(同書90頁)。円キャリー・トレードのことは、2007年前半に日本で大きな話題になったが、この取引自体は、日銀のゼロ金利政策採用後(ママ)からずっと存在していたものである。たとえば、1997年時点で、すでにIMFの報告書がそうしたトレードが行われている気配があると警告していた。
ここで、「ゼロ金利政策採用後」となっているのは、「採用前」の誤り(書き間違い)と思われる。ゼロ金利政策が実施されたのは1999年だからである。そして、私が90年代末に買った新書の類のうち何冊かにも、確かに「円キャリートレード」に関する記述があった。
つまり、現在の金融危機は、すでに10?11年前に起きたことが、規模と波及範囲が広がった形で再現されたものだと思われる。前回と今回の最大の違いは、金融資本主義の超大国・アメリカの経済が、今回は大きく傷ついたことだろう。
「金融工学」という言葉に私が初めて接したのも、90年代末だった。私は、吉本佳生著『金融工学の悪魔―騙されないためのデリバティブとポートフォリオの理論・入門』(日本評論社、1999年)と、野口悠紀雄著『金融工学、こんなに面白い』(文春新書、2000年)の2冊を読んで、金融工学によってリスクを低減することはできても、「大儲け」することなどできないことを了解した。「ブラック=ショールズの式」なる確率微分方程式から金儲けの魔術が導き出せるはずがないことなど、あまりにも自明である。
経済学者の野口悠紀雄は、極端なまでの市場原理主義者だが、工学部出身ということもあって、理論からトンデモな詐欺的言論を導くような真似はしない。その点で、竹中平蔵らとは大違いである。上記『金融工学、こんなに面白い』の冒頭には、こう書かれている。
しかし、金融工学を学びたいと考える読者にあらかじめ注意したいのは、これを利用して金儲けをしようとは考えないほうがよいということだ。金融工学は、金持ちになる方法を与えていないのである。これは、重要なことである。
巷にあふれる投資法の本は、「この方法で株式投資をすれば、一億円儲けられる」という類のご託宣が述べられている。しかし、株式投資で確実に儲ける方法は存在しないのである。金融工学の基本的な結論の一つは、「そうしたご託宣はすべてまやかしである」というものなのだ。この結論は、きわめて刺激的である。また、実務的な観点からも、重要な観点を持っている。
(野口悠紀雄著 『金融工学、こんなに面白い』 (文春新書、2000年) 12頁)
理論から言っても大儲けなどできないはずなのにハイリターンをあげているということは、ハイリスクを取っているかインチキをやっているかのいずれかということだ。私は、その両方だろうと考えている。実際、ヘッジファンドの破綻率は非常に高いし、村上ファンドはインサイダー取引の罪に問われたのである。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺があるが、90年代末から2000年頃まで、金融資本主義の暴力性が話題になり、経済問題を論じた新書が多数出版されたにもかかわらず、2001年に発足した小泉純一郎内閣を、国民は熱狂的に支持した。それは、コイズミカイカクの前に、90年代前半に日本を席巻して非自民連立政権まで生み出した「政治改革」の余熱があり、それと竹中平蔵らの「新自由主義カイカク」がごっちゃになってしまったせいかもしれない。現在の政局は、1993年の細川内閣成立前夜を思わせるものでもあるからだ。
あの時、実は「政治改革」はさほど支持されておらず、1993年の総選挙では自民党は議席を減らしておらず、負けなかったのである。このことは、当時朝日新聞編集委員だった石川真澄氏(故人)も指摘していたし、私自身、当時の政治改革を必ずしも支持していなかったので、連立政権に対しては不支持ではなかったが、醒めた目で見ていた。そして、翌1994年に成立した「自社さ」政権に対しては、7党連立政権より積極的に支持したほどである(但し、自民党と社会党がともに腐っていたので、「自社さ」政権は失敗に終わった)。
だが、今回は私も、「チェンジ」を起こさなければならないと思う。同じ金融資本の暴走による経済の混乱は、三たび起こさせてはならないと思うし、80年前の日本が犯したさらに大きな誤りである侵略戦争への道は、絶対に繰り返してはならない。
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しかし、最近の政治に関するニュースに接すると、新自由主義者、新保守主義者、野党を問わず、「モラルハザード」という言葉が当てはまる事例があまりにも多くて、あきれてしまう。
今日のエントリでは、その中でも特にひどい2例について書きたい。
まず、先日引退を表明したにもかかわらず、昨日(16日)、引退撤回を言い出した中山成彬。
http://www.asahi.com/politics/update/1016/SEB200810160014.html
上記でリンクを張った朝日新聞記事にあるように、中山は9月25日、国交相就任直後の報道各社とのインタビューで「成田は『ごね得』」「日本は単一民族」「日教組が強いところは学力が低い」などと発言し、わずか5日間で国交相辞任に追い込まれた。その後10月4日には衆院選不出馬を表明し、宮崎県知事にして極右ポピュリストの東国原英夫の擁立を画策した。東国原が一時出馬に前向きな姿勢を示したが、宮崎県民の猛反発を受け、東国原は不出馬を表明せざるを得なくなった。
KYな中山成彬は、それでも東国原に「どうしても出てもらわないと困る」などと出馬を直接要請した。さらに、国交相辞任から東国原氏の国政転出までを、自民党が総選挙で勝つために仕組んだ自作自演のシナリオであると、自ら白状していた。
そして、東国原の翻意が難しいと見るや、引退撤回を言い出したのである。
一方、自民党宮崎県連は、中山の不出馬表明を受け、候補者公募を開始した。公募は既に締め切られており、18日に候補者を決める予定だった。このため、県連がカンカンに怒っているのはいうまでもない。ところが、中山が所属する町村派は、中山を批判するどころか「勝てる候補として派閥として当然応援する」のだそうだ。
私が想像するに、中山は、昨年の宮崎県知事選における勝手な振る舞いなどが災いして地元での支持を落としていて、総選挙では落選が濃厚という内部調査結果が出ていたのではないか。事実、「週刊文春」での宮川隆義の予想では中山は「落選」とされている。それで、中山は暴れるだけ暴れて自民党への票を増やそうとしたものだろう。しかし、あまりにKY過ぎて、完全に逆効果になっている。これで中山が当選したりするようなことがあったら、宮崎県の恥であり、野党は宮崎1区を重点区として、中山を落選させるために全力をあげるべきだろう。
中山と同様に、宮川隆義に「落選」予想をされた自民党の大物に、党内新自由主義勢力のボスである中川秀直(広島4区)がいる。
中川は、5日に事務所開きを済ませ、13日に約1000人(事務所発表)を集めて国政報告会を行った。中川事務所がプレ決起大会と位置付けしたものだが、これに駆けつけたのが田原総一朗だった。
http://www.chugoku-np.co.jp/senkyo/syuin/08/News/hiroshima/Sh08101501.html
上記リンク先の「中国新聞」10月15日付記事は、以下のように伝えている。
評論家の田原総一朗さんも応援演説に駆け付け「私が最も信頼する政治家。地方分権を本気でやろうとしている」と激励した。
かつて宮沢喜一内閣不信任・細川護熙内閣成立に大きく寄与したともいわれるテレビ朝日の政治番組「サンデープロジェクト」。影響力の大きいこの番組の司会者である田原総一朗が、公然と中川秀直を応援した。これを、モラルハザードと言わずしてなんと言おうか。
単に自民党対野党の対立構造において自民党を応援するだけではなく、自民党内でも「上げ潮派」の親玉・中川秀直を応援する田原総一朗は、命を懸けても新自由主義勢力を最後まで支持し、宣伝し続けるぞと宣言したに等しい。
世界が捨てようとしている新自由主義にいつまでも固執する老害・田原総一朗。テレビ朝日は、一刻も早くこの男を番組から放逐すべきだろう。
[追記1] (2008.10.17 07:30)
公開されたばかりの「日本がアブナイ!」によると、宮崎県連の立候補者の公募に応募した14人の中に、中山と長年の確執がある上杉光弘氏(66)が入っていて、このままだと候補者が上杉氏に決まりそうな情勢であるため、急遽中山が引退を撤回したようだ。スラップスティックの極致である(笑)。
[追記2] (2008.10.17 12:20)
二転三転、結局中山成彬は出馬しないことにしたらしい。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081017/1224213252
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このカナダ総選挙については、『日本deカナダ史』が詳しく、10月10日頃に一時自由党が巻き返したものの、その後再び保守党がリードを広げて逃げ切ったようだ。同ブログは、10月13日付エントリで、自由党の政権奪回の可能性を報じる共同通信の報道を「飛ばし記事」と批判し、「政権交代の可能性は万に一つもありません」と断言していたが、その通りになった。カナダの下院の任期は、「前回総選挙から4回目の10月」までとのことで、最大4年で日本とほぼ同じだが、期限が「10月」に区切られているところが違う。
カナダのスティーヴン・ハーパー首相は、要するにアメリカ大統領選でバラク・オバマの当選が濃厚になってきたので、その前に選挙を行って保守党の単独過半数を確保し、思うような政治をしたかったのではないかと想像するのだが、アメリカ発の世界金融危機に邪魔された格好だ。
そのアメリカの大統領選まであと20日。カーター大統領以来、28年ぶりに「大きな政府」を指向するオバマ大統領が誕生するかが注目の的だが、アメリカでは「経済が危なくなると民主党」という伝統があり、これは1929年以来の大恐慌を、1933年に大統領に就任したルーズベルトがニューディール政策によって解決した歴史に学んでいるものだろう。
1976年の大統領選で勝ったジミー・カーターは、しかしながら不運な大統領だった。当時、既に新自由主義が勃興していたこともあって、本来志向する政策とは逆方向の航空自由化政策をとってしまい、これに失敗した。また、任期中にイラン革命(1979年)が起き、テヘランのアメリカ大使館占拠では、人質救出作戦に失敗した。これらのため、1980年の大統領選で共和党のロナルド・レーガンに大敗し、アメリカは本格的な新自由主義の時代に入っていった。1993年から8年間のビル・クリントン民主党政権も、グローバリズムを強烈に日本に押しつけた新自由主義政権であって、私はこのクリントン政権に対して非常に悪い印象を持っている。だから、ヒラリー・クリントンとバラク・オバマの指名争いでは、オバマに肩入れしていた。国民皆保険制度の政策など、ヒラリーに分のある主張もあって、稀に見る接戦になったのも理解はできるけれど、日本人としての私の持つナショナリズムが、過去に日本を苦しめたビル・クリントンの悪印象を拭う邪魔をした。
そんなわけで、やっと本格的に新自由主義を脱し、中産階級の再建に乗り出すオバマ政権ができるのが楽しみなのだが、15日(日本時間16日)に最後のテレビ討論会が行われるとのことだ。だが、よほどのことがない限りオバマの勝利は動かないと予想されている。
1976年にカーターが大統領選で勝った翌月に行われた日本の総選挙では、自民党が過半数ギリギリまで議席を減らして大敗し、同じく大敗した共産党を除く野党が議席を伸ばした。特に、自民党から分裂して結成された新自由クラブが躍進して17議席を獲得した。今回の大統領選も、間違いなく日本の総選挙に影響を与える。麻生太郎は、臨時国会の冒頭解散をすべきだった。「週刊文春」が自民党大敗の予想を出したが、「週刊ポスト」は逆に、民主党の内部調査では自公が過半数を制し、民主党は敗北すると書いていた。これは、記事を飛ばし読みした限りでは、「飛ばし記事」の印象を受けたものではあるが、小選挙区制においては、少しの民意の揺らぎが選挙結果に大きく左右するということだろう。だから、麻生が賭けに出る価値は十分あった。11月2日投票であれば、私は自民と民主は五分五分だったと思う。平沼赳夫グループは、伯仲の状況になれば必ず麻生自民党につくから(福田自民党にはつかなかったかもしれないが)、自民党の政権維持の可能性の方がやや高かったかもしれない。アメリカ大統領選でオバマが勝ったあととなると、同じ「民主党」だし、「チェンジ」が合言葉となり、確実に民主党の票を上乗せする効果が生まれる。NHKテレビなどで報じられた11月30日投票日でも、自民党はかなり苦しいが、それより遅くなればなるほど、ますます自民党勝利の可能性は小さくなっていくだろう。
昨日(15日)は、ネット仲間に教えられて、TBSテレビの新番組「水曜ノンフィクション」の第1回、2時間に拡大された番組枠のアメリカ特集を見た。
司会は関口宏で、コメンテーターには寺島実郎や堤未果らが出ており、TBSの番組にはつきものの岸井成格は出ていなかった。この顔ぶれから想像がつくように、新自由主義に批判的な内容だった。
最初にキューバ危機当時の映像が流されたあと、10年前にカストロがアメリカの金融資本主義がいずれ暴走して大爆発すると予言したシーンが紹介されたが、カストロならずとも、97年のアジア通貨危機や98年のロシア財政危機、ヘッジファンドLTCMの破綻などを覚えている者なら、当時同じ予想をしていた人が多かったことを思い出すだろう。
今朝もNYダウの暴落が報じられているが、私などは逆に、よく今の今までアメリカが持ったものだと、その方が驚きだ。経済失政だけではなく、ブッシュは、アフガニスタンやイラクに派兵するでたらめをやった。ブッシュだけでなく、それを全面的にサポートしたブレアやコイズミの罪は、限りなく重い。
日本も格差社会がずいぶんひどくなったが、本家本元のアメリカはやはりスケールが違う。上位400人の金持ちの資産は、下から1億5千万人分の資産と等しいと紹介されていたが、単純に平均計算しても、400人の富豪は一般人の37万倍の金持ちだということになる。そして、貧困層は国民の12.5%だが、白人に限っては10.3%、黒人では24.3%と、人種差別問題も相変わらず残っている(数値は前記TBSの番組による)。最近よく知られるようになったように、医療制度もきわめて貧困で、医療費は高く医療格差はすさまじい。日本でいえば憲法25条が全く守られていない状態に当たる。何しろ、患者を平気で見殺しにしたり病院から路上に放り出す国、それがアメリカなのだ。そして、日本をそんなアメリカのような国にしようとしたのが「コイズミカイカク」だった。
この番組で特筆すべきは、戦争と貧困の関係を指摘したことだ。「落ちこぼれゼロ(No Child Left Behind)法案」という名のブッシュの教育改革法案が2002年に米議会を通過し施行されたが、この法律によって実施されるようになった全国学力テストの結果の個人情報が軍に横流しされ、軍隊のスカウトに悪用されている実態を、番組は伝えていた。要は、家庭が貧しく成績の良くない生徒に軍隊がアタックをかけるのである。
これはひとごとではない。教育カイカクは、マーガレット・サッチャーが先鞭をつけ、それがアメリカや日本に影響を与えたものであり、日本でも安倍晋三や平沼赳夫、それに先日国交相を事実上首になった中山成彬らは、ことのほか教育カイカクに熱心だ。日本でも、全国学力テストが昨年から実施されているが、実施を決定したコイズミ内閣で文科相を務めていたのが中山だった。
そして、自衛隊が貧困層の若者にスカウトをかけているのも周知の通りで、湯浅誠さんの「もやい」にも自衛隊の募集担当者が積極的なアプローチをかけてくることを、8月13日付「kojitakenの日記」で紹介した。リンク先では、湯浅さんの著書からの引用もしているが、湯浅さんが指摘しているように、憲法第9条(戦争の放棄)と憲法第25条(生存権)は、切り離して論じることはできない。軍隊は、必ず貧困層に狙いをつけてくる。それは、昔も今も変わらない。
憲法9条と25条を切り離して論じることができないことの裏返しになるが、ネオコン(新保守主義)とネオリベ(新自由主義)も切り離して論じることはできない。国家主義偏重の極右と経済効率偏重の新自由主義者は、時に鋭く対立はするけれども、それは同一党派内の路線闘争に過ぎない。そして、ブッシュ政権は、いうまでもなくネオコンにしてネオリベであり、アメリカの中産階級をやせ細らせ、恐ろしいまでの格差社会を現出させた。この番組の終わりの方で、金融機関の救済に怒るアメリカ人たちが映し出されたが、怒って当然ではある。だが、「産業の血液」といわれる金融が不全になると、経済自体が死んでしまうので、公的資金の注入はどうしても避けられない。
しかし、とにもかくにも、アメリカはオバマを次期大統領に選んで、社会の再建に踏み出そうとすると思う。過去の歴史においては、日本はアメリカより一足早く大恐慌から脱出しながら、1931年の満州事変や1933年の国際連盟脱退など、外交・軍事面で次々と誤りを犯していって、1945年までの十五年戦争という愚行に至った。
麻生太郎や安倍晋三には同じ危険な匂いがする。彼らは、反中反韓だが、今後の世界情勢によっては反米にも舵を切りかねない(但し、麻生太郎は安倍晋三ほどの馬鹿ではないとは思う)。平沼赳夫に至っては、すでに反米に舵を切っており、平沼一派が政権に加わった場合、今以上に危険な政権ができる可能性がある。小沢一郎の国連至上主義にも問題は多いし、ISAFへの自衛隊派遣など論外だが、それでも反中反韓反米よりはマシだ。こんな究極の選択を迫られるとは不愉快千万ではあるけれど、ここまでどうしようもなくなった政治をよくしていくためには、気の遠くなるような長い道を一歩一歩進んでいくしかないだろう。
少なくとも、「歴史に学べない民族」の汚名だけは着たくないものである。
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こんな妙ちくりんな考え方が日本中を席巻し、熱病に浮かされたようなムードで行われた「郵政総選挙」から3年と1か月以上経った。日本では、総選挙のすぐあとに発覚した耐震強度偽装事件や、翌年初めのライブドア事件を契機に、新自由主義を見直す機運が生まれた。その頃から、「ワーキングプア」が社会問題になった影響も大きい。そして、「ワーキングプア」という言葉を定着させたのは2006年7月23日にNHKテレビで放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」である。
NHKは、先日の自民党総裁選において「自民党のコマーシャル」同然の放送を行ったことを職員自身が自覚していることが明らかになるなど、問題の多い報道機関で、政府からの圧力も強いが、良心的なテレビマンも多く、その取材力は民放の追随を許さない。
しかし、NHK経営委員会長には安倍晋三の息のかかった古森重隆が送り込まれており、NHKスペシャル「ワーキングプア」が放送された当時のNHK会長だった橋本元一を福地茂雄に交代させた。昨年11月5日付の毎日新聞が、NHK経営委員会がNHK業務執行への関与を強めているのを批判した記事を掲載しており、当ブログ昨年12月20日付エントリ「ミサイル防衛と「ワーキングプア」」の後半で、これを紹介している。
当ブログは、今年2月20日付エントリ「気になるNHKと毎日新聞の今後」でも、
と書いたが、「自民党のコマーシャル」事件は、その懸念が現実化したことを示すできごとだった。頑張っていたNHKも、安倍晋三の息のかかった新会長の就任によって、今後もこれまでのような報道ができるかは大いに疑問だ。私はこのことが非常に気になる。
今朝の朝日新聞1面に、「NHK、「受信料10%還元」 経営委、初の修正議決」(大阪本社発行統合版)という見出しの記事が出ていて、asahi.comでも読める。
http://www.asahi.com/national/update/1014/TKY200810140275.html
この記事によると、
とのことだ。執行部は、経営委に初の値下げ実施を表明したものの、値下げの時期や幅の明記は困難としていた。NHK経営委員会(古森重隆委員長)は14日、福地茂雄会長ら執行部作成の09年度から3カ年の中期経営計画原案に「12年度から、受信料収入の10%の還元を実行する」と盛る修正を加え、賛成多数で議決した。経営委が執行部案を修正議決するのは初めて。
値下げの方法については、経営委員会は単純に受信料の値下げ、執行部は市町村民税非課税者世帯で80歳以上の高齢者らへの免除による年100億円強の還元を挙げたとのことだ。
受信料の還元そのものは国民に受け入れられやすいだろうし、特に受信料値下げとなれば、一般視聴者に喜ばれるだろう。しかし、今回の修正議決は、経営委員会は執行部案の修正や付帯決議も可能であると定めた放送法に則ってとはいえ、初めての修正議決であり、昨年11月5日付毎日新聞が指摘した「NHK経営委員会の業務への関与強化」の実例だ。そして、この毎日新聞記事は、NHK経営委員会の論点が、竹中平蔵元総務相が設けた「通信・放送の在り方に関する懇談会」(竹中懇)が一昨年6月に出した報告書に沿ったものであると指摘している。竹中平蔵の最終目標は「NHKの民営化」だった。
まだまだ新自由主義勢力は死んではおらず、いたるところで新たな策謀を張りめぐらせている。受信料値下げの美名のもと、NHK経営委員会が何をたくらんでいるのか、注視する必要があると思う。
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「ロス疑惑」の三浦和義元社長の自殺、アメリカの北朝鮮に対する「テロ支援国家」指定の解除、G7による各国主要金融機関に対する公的資金の注入の合意、ポール・クルーグマン教授のノーベル経済学賞受賞などである。
G7の合意によって、まずアジア、ついで欧州の株価が急伸し、13日のNY株式市場は過去最大の上げ幅を記録した。14日の東証も間違いなく急反発するだろう。そもそも、アメリカの住宅バブル破裂に端を発した各国の株式市場急落の局面において、東証の株価がNYより大幅に下げるというのは、東証の主要プレーヤーが欧米の機関投資家及び個人投資家であって、彼らが一斉に売りに走ったことを考慮しても、納得できない話だ。
日経新聞系列などのメディアは、東証の株価が下がるのは、「カイカク」が不十分なせいだから、もっと「規制緩和」をすべきだ、などと言っていたようだが、世界が「新自由主義」を見直しているこの時期に、何をKYなことを言っているのかと思う。竹中平蔵を筆頭とする日本の新自由主義者たちは、今後軒並み没落していく運命にあるだろう。
新自由主義没落の象徴ともいえるのが、クルーグマンのノーベル経済学賞受賞だ。クルーグマンは、1982年から83年までレーガン政権で経済諮問委員を務めていたが、現在は反ブッシュの代表的論者として知られている。ブッシュに対するアメリカ国内の世論も、否定に大きく傾いており、その影響かどうか、米大統領選に関する世論調査で、オバマがマケインにこれまでで最大の大差をつけたと報じられている。
そのアメリカが、公的資金注入で合意したG7の翌日、北朝鮮のテロ支援国家指定解除に踏み切ったのは、暗示的なニュースだ。朝日新聞(12日付大阪本社版)の見出しは、「北朝鮮の主張 丸のみ」、「非核化検証 困難に」、「日本、拉致解決遠のく」などとなっている。本当に拉致問題解決が遠のくのか、私はむしろ逆のような気がするし、解散を先送りした自民党が利用する最後の切り札がこの拉致問題ではないかとも邪推しているのだが、単純な平沼赳夫あたりはいきり立っているようだ(笑)。
だが、自民党が本当に選挙に勝とうとするのだったら、絶対にやらなければならないことは「コイズミカイカク」の否定的総括だ。麻生太郎首相は、姑息にも「カイカク」の総括をせずに、なし崩し的に政策転換を図っているが、総括していないだけに、景気対策といっても相変わらずの輸出産業偏重であって、内需拡大に大きく寄与するものではなさそうだ。「コイズミカイカクの総括なくして自民党の再生なし」と言っておきたい。
その選挙だが、12日朝のNHKニュースでは、11月末(「下旬」ではなく「末」と言っていたから、11月30日のことだろうか?)の投票日を目処に与党で調整していると言っていた。水面下では、自民党と公明党の間で緊迫したやりとりが行われていることだろう。
マスコミには、自民党と民主党の対決ムードを煽るのも良いけれど、いい加減「規制緩和」だの「小さな政府」だのといった言葉にポジティブな意味合いを持たせるようなKY報道はやめてほしい。結局のところ、最後まで「カイカク」に固執するのは経団連ともどもマスコミではないかと思っている。
11日のエントリで、私は堀江貴文や村上世彰の逮捕について、「良い国策捜査だった」と書いて批判を受けたが、彼らの逮捕を「国策捜査」だと書いたのは、朝日新聞が出している週刊誌「AERA」編集部の大鹿靖明である。実際には、当時はコイズミ政権の「新保守」と、それに反対する「旧保守」が激しく戦っており、検察は「旧保守」側に立っていた。堀江貴文の逮捕を決断したのは東京地検特捜部長(当時)の大鶴基成だが、大鶴は、
と語った(下記URLより引用)。額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
http://www.moj.go.jp/KANBOU/KENJI/kenji02-01.html
この言葉に共感した方は多かったことと思う。ところが、新自由主義者と思しき朝日新聞の大鹿靖明にはこれが気に食わなかった。だから、ライブドア事件や村上ファンドの摘発を「国策捜査」だと難癖をつけたのだろう。
げに厄介なのは、新自由主義にいつまでも固執するマスコミ人たちである。
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虚のマネーを回して金儲けする人たちを、私は全く尊敬しない反面、昔から学者や芸術家に敬意を持ってきた。但し、シカゴ学派の経済学者たちや竹中平蔵らはその範疇には属さない。1973年のチリのクーデターに関与したミルトン・フリードマンや、2001年以降、コイズミのブレーンとして日本をぶっ壊した竹中平蔵は、政治に深くかかわり過ぎた学者であって、功績よりも害悪の方が比べものにならないほど大きい。
そんな邪悪な研究ではなく、自然科学の基礎研究を行ってきた日本の4人の学者が、今年ノーベル物理学賞と同化学賞に輝いたことは、たいへん喜ばしいことである。物理学賞の3氏は、素粒子論を専門にしている。
ノーベル物理学賞受賞者の中にも、江崎玲於奈のような、全く感心しない優生思想の持ち主がいたりするが、今回ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授は江崎とは全く違う。毎日新聞は10月8日に、益川教授を「反戦語る気骨の平和主義者」として紹介する記事を載せている(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000e040018000c.html
益川教授は、幼少時に戦争を体験し、長じては坂田昌一(1911-1970)の流れを汲む学者となった(下記URLの毎日新聞記事を参照)。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000e040076000c.html
坂田昌一は湯川秀樹らとともに素粒子論を研究した学者で、1962年に湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本版パグウォッシュ会議を提唱し、科学者の平和に対する責任を訴えた人だ。その流れを汲む益川教授は情熱的に反戦を訴える。前述の毎日新聞記事の後半を以下に引用する。
05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。
1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その1人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。
受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。【奥野敦史】
(毎日新聞 2008年10月8日)
益川教授は、昨日(10日)も、ノーベル賞を共同受賞した小林誠教授とともに塩谷立・文部科学相を表敬訪問し、その席で「選択式の試験問題で、教師は『知らない問題はパスしろ』と指導し、考えない人を育てている」と現在の学校教育を批判した(下記URLの毎日新聞記事を参照)。
http://mainichi.jp/select/science/news/20081010dde041040060000c.html
益川教授は、日本学術振興会で行われた受賞決定後初の共同記者会見でも、日本の教育制度、科学政策などについて熱く持論を展開したそうだ。
国会では、自民党と民主党の馴れ合いなのかわからないが、まさかと思っていた新テロ特措法延長案が衆院可決、参院否決後24日に衆院で再可決される見通しになる(下記URLの毎日新聞記事参照)など、相変わらず民意に反した妄動が続いている。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081010dde007010073000c.html
民主党がこんな対応をするとは、衆院選はだいぶ先に延びたと見るべきなのかもしれない。民主党は、選挙直前になると自民党との対決を前面に打ち出すが、そうでない時は自民党に妥協し過ぎる悪癖があるからだ。寄り合い世帯の民主党における右バネが効いた結果だろう。
そんな政治のニュースに接してイライラさせられることが多いだけに、益川教授の痛快な言動に溜飲が下がる今日この頃なのである。
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読売新聞によると、「文藝春秋」に寄せた「手記」の中で、麻生は
とのことだ。「私は決断した。野党は政局優先の姿勢だ。国会の冒頭、堂々と私と自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と述べ、自らの手で衆院解散・総選挙に踏み切る考えを表明している。
上杉隆は、麻生の言葉を真に受けて、最初から解散なんてするつもりはなかったと、あちこちのメディアで書いているが、もともとは麻生は国会の冒頭解散をするつもりだったというマスコミ報道の方が正しかったようだ。予想外の支持率の低さに、冒頭解散をしても勝てないと踏んだ麻生が方向転換をしたという通説を裏づける麻生自身の「手記」である。
衆院選に関しては、宮崎1区の候補者をめぐって、引退表明をした中山成彬が東国原英夫擁立に固執していて、周囲からも「KY」呼ばわりされている。ちなみに、当ブログはおそらくもっとも早い段階から中山を「KY」呼ばわりしていた。
この件は、一般紙も取り上げているが、スポーツ紙が熱心に報じている。たとえば「スポーツニッポン」は、「東知事 “KY”中山前大臣から出馬要請」と、タイトルに「KY」を用いている。また、「スポーツ報知」は、「中山前国交相 東国原知事に直接出馬要請「出てもらわないと困る」」と題した記事中で、
と書いている。現在、東(国原)知事を悩ませる国政転身論は、もとを正せば中山氏の『失言辞任→出馬辞退』から浮上したもの。東知事は突然のKY要請に不快感をあらわにしていた。
「KY」という言葉こそ用いていないものの、もっとも辛辣なのが「日刊スポーツ」で、「中山前大臣「東国原出馬は私のシナリオ」」と題した記事で、下記のように書いている。
中山氏はたたみかけるように「知事には(衆院選に)出てもらって、全国の自民党の候補者を回ってもらいたい。全国的な知名度がありますからね」と自民党の顔としての全国行脚を一方的に提案した。しかも「そのために私はポンッ、と休んで横におる。だから、どうぞ行ってください」と自らが参謀として同行するプランまで持ち出した。
さらに余計な秘密も暴露。県庁には県民からの電子メールなどが届き、現在約95%が出馬反対。7日には高速道路建設を訴える女性グループが、東国原氏を訪ねて国政転出を訴えた。「あれね、私の差しがねなのよ」と得意顔で話した。これを聞いた県職員は「中山さんが仕組んだことはみんな知ってるよ。公式の場で暴露するなんて、頭がおかしい」とあきれていた。
東国原氏は中山氏の7分半のあいさつの間、顔を上げずに聞いていた。会終了後に報道陣に囲まれた中山氏は「知事はニコッ、と笑っていたよ。(出馬要請は)初めてだよ。あれだけの知名度は利用しない手はない」とまるで東国原氏を私物のように言い「私の魂の、心の底からの訴えを以心伝心で分かってもらえたんじゃないかなぁ…おっ、直接だからハート・ツー・ハートだ」とはしゃいだ。
(日刊スポーツ 2008年10月9日)
「やらせ」の国政転出陳情まで自らぺらぺらとしゃべる中山成彬には呆れたものだ。そんな中山を庇う政治家は後を絶たないのだから呆れてしまう。たとえば細田博之は、中山が大臣就任直後に暴言を連発した直後に、フジテレビの「報道2001」で、「中山さんの熱い思いがほとばしり出たものだ」と、長々とまくし立てていた。やはり町村派に所属するタカ派政治家は違うなあ、と呆れて見ていたのだが、これも東国原を立てれば、宮崎1区だけではなく総選挙全体でも自民党が勝てるという中山の強い信念に基づいていることだけは間違いあるまい(笑)。
自民党、特に町村派の政治家にとっては、3年前のコイズミによる「郵政総選挙」の成功体験が忘れられないのだ。話題を盛り上げておいて、不意打ちのような形で解散する。そして、話題性の高い候補者を連日テレビに露出させる。そうすれば、「B層」の有権者は自民党に投票してくれるはずだ。これが、中山成彬の「信念」なのである。事実、スポーツ紙やテレビのワイドショーはこぞって東国原の擁立騒ぎを連日取り上げる。思い出せば、あの「郵政解散・総選挙」の時もそうだったのである。中山成彬の露骨なポピュリズムであり、そんな中山の「熱き思い」が、東国原英夫というポピュリストを力ずくで利用しようとする臆面もない行為につながっている。とんだ「国士」もあったものである。
注目を集めておいて、人気のあるうちに国会の冒頭解散をもくろんでいた麻生太郎にしても、中山成彬ほど露骨ではないけれども同様の発想にもとづいている。そして、うまくいきそうにないと思うと、一転して権力にしがみつく。その低俗さ、低能ぶりにはあきれるばかりだ。これらの妄動をとってみても、自民党及び麻生太郎内閣に政権担当能力など全くないことは明らかだ。
長く続いた権力が崩壊する直前というのはこんなものかと思わせる、目をそむけたくなるような末期症状を呈している。こんなものは、これ以上見たくない。
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その1994年の10月8日に、中日との最終戦に勝った巨人が優勝した。視聴率は、関東で48.8%、名古屋では54%を記録した。かつては、多くの国民がプロ野球に熱中していた。歴代の視聴率記録を見ると、王貞治の本塁打の記録がかかった試合やダーティーといわれた巨人の江川卓が初登板した試合、セ・リーグの中日と巨人の優勝争い(1982年)やパ・リーグで近鉄が勝てば優勝という最終戦で引き分けて優勝を逃した「10・19」の試合(1988年)、それに関西では1985年に阪神が21年ぶりの優勝を決めた試合などがリストに上がっている。1988年の「10・19」は、神奈川の川崎球場で行われた試合を大阪の朝日放送が中継し、試合は夜10時を超えて続き、「ニュースステーション」の枠で放送された。あの頃、プロ野球の優勝争いは国民的な関心事だったが、ドラマを見たい視聴者からは、プロ野球中継の放送時間が延長されてドラマの録画に支障が生じると不評を買ってもいた。
14年前と同じ、同率首位の直接対決となった昨夜の巨人?阪神戦は、巨人が勝って残り3試合でマジック「2」を点灯させた。私も見ていたが、14年前や「メークドラマ」の12年前のように怒りが煮えたぎる(私はアンチ巨人なので)こともなく、自分でも意外だった。そもそも、プロ野球の生中継を見るのは今年3試合目くらいだ。番組の延長も、かつてと違って15分しかなく、そのまま結果を調べようとする気も起きず、疲れが出て寝てしまった。深夜目が覚めてまずやったことは、NYダウ値動きの確認だったから、関心事の優先順位も昔とは様変わりしてしまった。巨人?阪神戦の結果はそのあと確認した。
私がプロ野球に興味を持つようになった頃は、長嶋茂雄は現役だったが、既に衰えていたので、熱烈な長嶋ファンの気持ちは私にはわからない。だが、王貞治は全盛期だった。王は、阪神ファンやアンチ巨人ファンからも尊敬されていた選手で、1977年にハンク・アーロンの本塁打記録を破った時は、同級生の阪神ファンも近鉄ファンも王を応援していた(この年は巨人が独走していたせいもある)。その後、王が巨人の監督になった時は、「巨人は常勝を宿命づけられている」などと言って、眉間にしわを寄せては采配ミスを繰り返したので、アンチ巨人ファンに喜ばれ、マスコミや巨人ファンは王をクソミソにけなしていたが、長嶋が巨人の監督に復帰し、王がダイエーの監督になってからしばらくは、マスコミは王のことは何も言わなくなり、「10・8の決戦(前述の1994年の巨人と中日の同率首位最終戦直接対決)は国民的行事だ」とか、「メークドラマ」(1996年の巨人の逆転優勝)など、長嶋巨人のことばかり大騒ぎしていた。
そもそも、アンチ巨人史観に基づいて日本プロ野球史を記述すると、1992年のシーズンオフにおける長嶋茂雄の巨人監督復帰は、読売新聞の渡邉恒雄(ナベツネ)が「読売一球団支配」の野望を達成するための「禁断の一手」だった。当時からそう論評されていたし、事実その通りになった。ナベツネは、サッカー界をも支配しようとしたが、そちらでは逆に排斥される結果になった。
ナベツネは、1978年の「江川事件」にも深くかかわっていたことが、当時の読売新聞記者によって証言されているが(確か数ヶ月前の「世界」に出ていたと思う)、ナベツネによって読売新聞の社史はねじ曲げられているとのことだ。そのナベツネが、読売新聞の社長に就任したあと、故務台光雄会長の死後1年半経って、プロ野球界支配に乗り出したのだが、その時に打った最初の一手が長嶋茂雄監督の復帰であり、ナベツネはさらにフリーエージェント(FA)制と逆指名制を導入した。私はこれを、プロ野球界の「新自由主義的改革」と位置づけている。前者のFA制は、プロ野球選手会も要望していたことだが、読売の利益にもかなっていた。これ以降、金のある球団でなければ優勝は難しい時代になった。90年代初め頃のセ・リーグは広島とヤクルトが強かったが、ナベツネによるカイカク以後、巨人と中日が強くなった。広島は勝てなくなったが、ヤクルトの野村監督は、「弱者の戦略」で巨人に対抗した。さらに読売は、ライバル球団・阪神にも目をつけ、1997年頃からNHKなども引き入れて、阪神をアピールするプロジェクトも始まった。日本テレビが東京ドームの巨人戦を放送している時間帯に、NHK-BSが毎晩のように甲子園球場の阪神戦を放送するようになった。
しかし、どんなにFAと逆指名で戦力を膨れ上がらせても、長嶋巨人はなかなか勝てなかった。94年も96年も、戦力的には巨人が飛びぬけていたが、94年は後半戦、96年は前半戦にチーム力を活かせず勝てなかっただけの話だ。それが「最終戦決戦」や「メークドラマ」になったもので、(巨人にとっての)結果オーライに過ぎない。巨人人気の最後の花が、2000年の「ON対決」だったが、日本シリーズの最初の試合で長嶋は継投に失敗し、観戦に来ていたナベツネを激怒させた。しかし、3戦目以降の4試合は、監督采配不要の圧勝続きで、ついにナベツネの描いたシナリオ通り、「ON対決」をNが制したのだ。だが、この頃既にプロ野球中継の視聴率低下が話題となっており、特にシドニー五輪期間中には巨人戦の視聴率が大きく落ち込んだ。
2002年に星野仙一が阪神の監督に就任して以来、セ・リーグは「巨人・阪神・中日」の金満3球団とそれ以外の3球団の格差が広がった。2003年の阪神優勝で、関西は大きく盛り上がったが、2004年からまたプロ野球人気はジリ貧になった。さらに、ナベツネは、パ・リーグを巻き込んで球界再編を仕掛けたが、これが決定的にプロ野球の人気を下げた。ついにゴールデンタイムからの巨人戦中継の撤退が始まり、今では巨人戦は相手球団主催のゲームは全国中継されない。甲子園球場の阪神?巨人戦も、関西ローカル番組になってしまっていて、地方局は中継しない(首都圏はどうだか知らないが、たぶん放送していないと思う。そうでなければ地方局が番組のネットを受けられないからだ)。東京ドームで行われる巨人のホームゲームも、日本テレビ系の中継はあったりなかったりだし、デーゲーム中継は地方局はネットせず、関東ローカルになっているはずだ。私も、先にも書いたように今年のプロ野球中継は3試合ほどを見ただけだ。
これは、プロ野球という娯楽が、かつてのプロレスや大相撲同様、国民的関心事ではなくなり、歴史的役割を終えただけのことともいえる。そもそも、野球はアメリカのスポーツであり、投手の負担が他のポジションの選手に比べて飛びぬけて重く、バランスの良い競技とはいえない。そして、アメリカは占領政策において、アメリカ的文化を日本に浸透させるために野球を利用した面は確かにある。日本プロ野球の父といわれる正力松太郎がCIAのエージェントだったことは、公開された機密文書によって明らかにされている。そして、いまや長年に及んだアメリカの覇権が崩れ去ろうとしている時代だ。そんなことが頭に浮かぶと、かつてのようにプロ野球に熱中する気持ちにはなれないのである。
ただ、昨日の巨人?阪神戦は、阪神が勝った方が日本経済にとっては良かった。いまや、巨人より阪神の方が人気が高く、阪神が優勝すると関西に経済効果が生まれるからだ。もっとも、阪神が2位に終わっても、クライマックス・シリーズ(CS)の第1ステージで阪神が中日を破れば、再び巨人との決戦だ。
だが、そうなっても今度は中継を見る気にはならないだろう。リーグ優勝のチームに1勝のアドバンテージがついた上、そのチームのホームゲームだけで最大6試合も行われるシステムは、バランスが悪すぎてちっとも面白くない。それでも、試合間隔が開いてゲーム勘を取り戻せない首位チームが、第1ステージで弾みをつけた挑戦者に敗れることはしばしばあるし、昨年の巨人はまさにその実例だったが、「地の利と1勝分のアドバンテージ」対「ゲーム勘と勝ち上がった勢い」の対決というのも、どこかピントがずれているように思える。
仮に、CSの第1ステージで阪神がリーグ戦でカモにした中日に敗れるようなことがあったら、制度自体への批判が高まり、プロ野球再編の第二幕が始まるような気もする。いや、CSが順当な結果に終わっても再編は起こりそうだ。セ・リーグでは川上(中日)や上原(巨人)のFA宣言によるMLB移籍が予想されているし、ダルビッシュ有(日本ハム)や「マー君」田中(楽天)など、パ・リーグの方が集客能力のある選手が多い。本拠地も、首都圏に3球団が集中するセ・リーグより、北海道、東北、九州に人気球団を持つパ・リーグの方がよく地方に分散している。これをナベツネが見逃すはずがない。
もっとも、今はプロ野球よりも政界再編の方にナベツネがご執心なのは間違いないから、すぐにはプロ野球再編は動き出さない可能性が高い。総選挙のあと、民意に反した政界再編が行われる可能性はかなり高いと私は覚悟しているが、それが終わったら、ナベツネは再び球界再編に手をつけるのではないかと私は予想している。
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私は経済学は素人だから、ブログでは反新自由主義と言っているけれども、本当は何が正しいのかと、最近買った新書を読んだり、10年前のアジア金融危機(1997年)からITバブル崩壊(2001年)の頃までに買った新書の類をパラパラと読み返したり、ネットでいろいろ調べたりしている。本当は経済学を一から勉強すべきなのかもしれないが、時間もないし、経済学というのは素人から見ると全く立場の異なる学派が神学論争をしているようにしか見えない。
それでも私は、調べたり、いろいろ考えをめぐらせる時には、社民主義が正しくて、ニュークラシカル(新古典派)は間違っているという先入観は捨てることにしている。そうでなければ思考が硬直してしまう。
ただ一つ私が重視していることは、現実にどういう結果が起きているかということだ。バブルが弾けるたびに、生身の人間が犠牲になる。90年代初頭のバブル破裂はその後10年以上も尾を引いたし、そんな不況下で局所的に生成したITバブル破裂の局面では、私自身も好ましくない余波を蒙った。コイズミ総理就任前年の2000年には悪平等とも言われた日本の社会が、コイズミ政権最後の年の2006年にはOECDから「日本は異様な格差社会になっている」という経済審査報告書を受けた。ついこの間まで戦後最長の景気拡大が続いているとされていたが、民間給与所得は9年連続で減少している。そして、地方経済は壊滅的なまでに悪化し、それが昨年の参院選における自民党大敗につながった。
政治は結果がすべてである。ニュークラシカルの学者たちは、自己完結した理論体系の構築に熱心で、経済の実態が理論に合わない場合、「それは市場が完全でないせいだ」などと言いたがるとも聞く。だが、現実の社会に生きている人間にとっては、それは経済理論のモデルが現実と合っていないせいなのだ。モデルが棄却した部分は、実際には無視してはならないファクターだったのだ。だから、精緻な金融工学に基づいてリスクが分散されたはずなのに、サブプライムローンの破綻をきっかけに金融危機が起きてしまう。これは、現実の社会に生きている人間にとっては、理論の敗北にほかならないのである。
先日は、日本ではいまだに「小さな政府」という言葉が良い意味に用いられていると知って愕然とした。米大統領選でこのままオバマの優勢が続くかはわからないが(続いてほしいものだが)、バラク・オバマが勝てば、アメリカの経済政策において、約30年ぶりに「大きな政府」が復権するとされている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20080414/153028/
神野直彦・東京大学大学院教授は、横路孝弘(民主党)との2006年の「新春対談」で、「小さな政府とか大きな政府というのは、機能で判断するというのが財政の上で常識です」と語っている。
http://www.yokomichi.com/taidansyu.folder/2006.01.01sinsyuntaidan_yokomichi_vs_jinno.pdf
だから、よく言われる「無駄を削って小さな政府に」というのは、非常に誤解を招きやすい表現だ。私などは「小さな政府」と聞くと条件反射的に「新自由主義」を思い浮かべる。「小さな政府」という言葉にポジティブな意味合いを持たせる風潮には、いい加減ストップをかける必要があると考えている。
とはいえ、「ムダを省く」こと自体には私自身も異存はないし、その点では竹中平蔵のブレーンだった高橋洋一の言う「埋蔵金」を一時的な財源にする、という主張も納得できる。一説によると、東大の数学科卒業の高橋氏は、高度な数学を駆使して理論を構築していて、日本の経済学者の大部分には理解できないそうだが、だからといってそれをもって竹中一派の主張が正しいということにはならない。大事なのは、あくまで現実の社会に生きる人間を幸福にできるかということであり、その点で、コイズミや竹中平蔵は明らかに失敗したのである。
ただ、東京新聞の長谷川幸洋が主張した、高橋洋一らに影響された自民党の「上げ潮派」と民主党に親和性があるという主張には、ようやく少し合点がいくようになった。民主党は、「ムダを省く」とは主張しているけれども、その先のビジョンまで示していないからである。果たして、バラク・オバマ同様「大きな政府」への政策転換をするのか、それさえ明らかではない。「国民の生活が第一」を実現するためには、「大きな政府」を目指さなければならないはずだが、いろいろ調べてみると、まだまだ民主党には「小さな政府」という言葉をポジティブに用いている人が多いことがわかる。党として「大きな政府を目指す」ことを打ち出して初めて、自民党の「上げ潮派」と民主党の進む道が分かれる。「ムダを省く」ところまでは両者は共通していて、だから高橋洋一に影響を受けて、行動をともにしてきたジャーナリストである長谷川幸洋に「親和性がある」などと書かれるのだ。小池百合子あたりは、そう遠くないうちに自民党を離れて、民主党の長妻昭あたりにすり寄ってくるのではないかと、私には思われる。
とはいえ、いつになるかわからない選挙をにらんだ場合、財源について追及されることが必至の「大きな政府」路線は、現実問題としては打ち出せない。そのことは私も理解している。だが、いつまでも、手を変え品を変え「真の改革」などといって正体を覆い隠し、国民を騙そうとする新自由主義者たちにやられ続けるのではたまったものではない。
以上書いたようなことばかり考え続けていたら、すっかり疲れてしまった。そんな中、素粒子理論で成果をあげた日本の3人の研究者、南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏がノーベル物理学賞を受賞したというニュースに接し、久々に明るい気持ちになった。南部氏は、シカゴ大名誉教授とのことで、シカゴ大というと新自由主義の理論的支柱である経済学の「シカゴ学派」を思い出すが、もちろん正統性のないノーベル経済学賞(ノーベルの曾孫らは経済学賞の廃止を訴えている)と違って、ノーベル物理学賞は誇るべき賞だ。ノーベル物理学賞を受賞した日本人は、これで7人になる(経済学賞はゼロ)。これは素直に喜びたい。
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ヨーロッパはアメリカ以上に混乱しているように見える。先月30日にアイルランドが全額の預金保護に踏み切ると、ドイツのメルケル首相はそれに不満の意を表明したが、そのドイツ政府も個人預金を保護する方針を表明することになった。ドイツの不動産金融大手ハイポ・エステートが、アイルランドにある事業部門で起こった資金繰り難によって経営難に陥ったのが主な要因の一つだという。
ユーロは、今年7月には対円で170円目前まで値を上げていたが、一転140円を切るユーロ安となった。EUは共同体なので、経済政策で協調して素早く対策を打つことが容易でなく、それがユーロ離れを招いているのだそうだ。実体経済は、アメリカよりヨーロッパの方がもっと悪いようである。
朝日新聞に榊原英資のインタビューが出ているが、榊原氏は戦後最大の金融危機だと見ており、しかもまだ2合目くらいだという。今後全世界で金融収縮(貸し渋り)が起き、実体経済に影響を与えて、先進国の同時不況に展開するとのことだ。
榊原氏は、「仮に米国が日本に対して公的資金による不良資産の買い取りへの協調を求めてきても、断固応じるべきではない」と言っているが、現在の日本政府だったら簡単に応じてしまうのではないかと思える。この記事を読んでいて、日本で総選挙をやって政権交代が起きると、榊原氏は民間から入閣すると予想されていることを思い出した。
早く榊原氏が入閣する新政権ができてもらいたいものだと思うが、解散のタイミングを逸しつつある麻生太郎首相は、今後どうするつもりなのだろうか。
J-CASTによると、昨日(10月6日)のテレビのワイドショーは、東国原英夫の衆院選出馬をめぐる話題で持ち切りで、テリー伊藤が「ものすごく不愉快」と言い、勝谷誠彦は激高し、拳で机を叩いたという。そういえば、勝谷誠彦という男は、テレビ朝日の「やじうまプラス」を追われたあとは、私が見る習慣のある番組ではほとんど見かけなくなったが、まだまだ頑張っているらしい。彼が「さるさる日記」に毎朝駄文をを書いていた頃、「ノーブレス・オブリージュ」がどうのこうのと書いていたのを見て呆れたことがある。
結局東国原は、宮崎県民や世論の大反対にひるんだか、衆院選には出馬しないことになってほっと一息といったところだが、新聞の紙面から伝わってくる金融危機に対する世界各国首脳の緊張感と、東国原の擁立騒ぎから感じる自民党の緊張感の欠如の落差はあまりに大きく、日本の政治に対する絶望感は深まるばかりだ。
先月は福田首相辞任、自民党総裁選のバカ騒ぎとその宣伝に努めたNHKなどのテレビ、コイズミ引退表明と、ブログで取り上げる題材に事欠かなかったし、ブログへのアクセス数も急増したのだが、そういう状態で平日はほぼ毎日記事をアップしてきたので、正直言ってかなり疲れがたまっている。緊張感のない自民党には何を言っても無駄なようだから、ちょっと公開のペースを落とそうかとも思っているのだが、そんなことを書いた途端、政治家たちがまたわけのわからないドタバタ劇を起こすかもしれないと思う今日この頃である。
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上杉隆は、解散風など最初から存在せず、マスコミの捏造だというのだが、世襲議員のお友達を集めた、いかにも「選挙管理内閣」といった趣の麻生内閣閣僚の顔ぶれや、就任直後に言いたい放題を言って辞めて行った中山成彬前国土交通相を見ると、麻生首相も閣僚も周囲も、誰も本格政権だなどと思っていなくて、総選挙を勝ち抜くための人気取り内閣だというのは、暗黙の了解事項だろう。麻生太郎は解散したくてもできないのだ。それは、アメリカ発の金融危機のせいではなく、麻生内閣の支持率が上がらず、選挙をやっても自民党が負けるとの予測が出ているためだ。
昨日(10月5日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、田原総一朗がテレビ局の社員から聞いた話として言っていたことだが、麻生内閣の支持率は、発足直後もさほど、というより自民党が期待したほど高くなかったが、内閣発足から1週間あまり経って、早くも支持率が10ポイントほど下がったのだという。今朝の朝日新聞も、発足直後の48%から41%に、内閣支持率が7ポイント下落したと報じていた。それはそうだろう。もともと自民党に反対している私から見ても、もとから期待していなかったけれど、ここまでひどいとは思わなかったほどだから、多少なりとも麻生太郎に期待された方々の失望は大きいだろう。中には、麻生太郎が「村山談話の継承」を表明したことに失望したネット右翼もいるかもしれないが(笑)。
サンプロに先立って放送されたTBSの「サンデーモーニング」では、金子勝が、自民党には立ち直ってもらいたいが、そのためには一度有権者の審判を受ける(一度下野する)しかないのではないかと言っていた。私も同感である。「コイズミカイカク」を総括できないまま、「政官業」の癒着構造に執着して、政権にしがみつく姿勢は、みっともないの一語に尽きる。
特に呆れるのは、中山成彬が引退を表明した宮崎1区で東国原英夫を擁立しようとする動きだ。昨夜、フジテレビの「サキヨミ」なる報道バラエティ番組を初めて見たが、東国原は出馬したくてたまらない様子がありありだった。視聴者の反応は、「出馬すべきでない」とする意見が圧倒的だったが、いざ出馬したらブームを巻き起こして当選するに決まっている。テレビが大々的にバックアップするからだ。
自民党が何を考えているかは明らかだ。「自民党をどげんかせんといかん」とテレビで言っていた東国原の言葉は、「自民党をぶっ壊す!」というコイズミのフレーズの、そのまんまのコピーだ。つまり、絶大な人気を誇る東国原の人気に便乗して、劣勢が伝えられる総選挙の情勢を逆転しようというのだ。テレビには、菅義偉も出てきて、東国原を歓迎する意を表明していたが、そのあまりに恥も外聞もない姿を見てバカらしくなってしまい、気づいたら寝てしまっていた。
つまり、いまや自民党は窮地の打開策を、「お笑い政治」に求めているのだ。野党に懐疑的な人たちは、「民主党に任せて大丈夫か」と言う。確かに、大丈夫であるという保証など何もない。しかし、「このまま自民党に任せて大丈夫か」と私などは思う。いまや、民主党を中心とした政権に交代するリスクより、このまま自民党に政権を任せるリスクの方がはるかに大きくなった。私と同様の意見を持つ人は全国民の何割かを占めるに至っているのではないか。世界的な経済危機の時代に、お笑い芸人の人気で選挙の劣勢を挽回しようなどとは、いつから自民党はそんな誇りも何もない政党に堕落してしまったのだろうか。
とはいえ、自民党のメディア戦略に一方的にやられてしまった3年前の誤りを繰り返してはならない。野党も、神奈川11区に新党日本の田中康夫を立てるなどの対抗策を打ち出さなければならないだろう。
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アメリカの住宅バブル破裂は、欧州にも飛び火した。住宅バブルは、ドイツ以外の欧州各国で軒並み起きており、北欧も例外ではない。南欧でも、スペインの住宅バブルはとっくに破裂しているとされているようだ。
ドイツではバブルは起きていないらしいが、1990年の東西再統一以来、経済が低迷していたせいなのだろうか? 他に韓国でもバブルは起きていないらしい。その一方で、日本にはバブルを再び起こそうとしている人たちもいるようだ。
私はかつて、明らかなバブルだと感じていた「ITバブル」破裂の煽りを食って手痛い目に遭ったことがある。それも、自分では望まない形でそれにかかわって辛酸をなめただけに、よけいに悔いが残っている。だから、バブルが生成したり破裂したりの経済にはもううんざりだ。今後、資本主義経済のあり方が根本的に見直されなければならないのではなかろうか。
いずれにしても、今後の世界経済は大混乱が必至で、こんな難局を、世襲議員が閣僚の大半を占める麻生太郎内閣が乗り切れるはずがない。私はこれまで、この難しい時期に、何も焦って早く解散総選挙を行う必要はないのではないかと思っていたのだが、発足早々醜態をさらしまくっている麻生内閣を見ていて、これは一日も早く解散総選挙を行う必要がある、そう考えを改めた。
次の総選挙は、「コイズミカイカク審判選挙」であるとともに、「世襲議員審判選挙」にもなるだろう。民主党の小沢一郎や鳩山由紀夫も世襲政治家だが、世襲議員による汚染がひどいのは、なんといっても自民党だ。今度の総選挙では、世襲政治家への風当たりは、間違いなくこれまでになく強まる。
私が注目しているのは神奈川11区であって、ここは小泉純一郎が出馬するのであれば、野党が誰を立てても勝負にならなかったところだが、小泉進次郎であれば話は違う。小沢一郎は同じ世襲議員だからここに立ったって理屈が通らないが、噂されている田中康夫が立てば面白いと思う。田中康夫対小泉進次郎の対決は、衆院選最大の話題になるだろう。私は、コイズミがやったような刺客作戦には原則としては反対だが、神奈川11区だけは話が違う。この選挙区は、何が何でもコイズミジュニアの4世を落選させなければならない。小泉進次郎が落選すれば、「コイズミカイカクへの審判」と「世襲政治家への審判」が同時に下ることになる。
それにしても情けないのは、中山成彬の引退表明である。中山のふざけた暴言の数々に対する有権者の審判が下るところを見たかった。暴言以前には、宮崎1区は中山の楽勝と思われていたが、先日発売された「週刊文春」10月9日号に掲載された宮川隆義の記事では、中山は落選と予想されていた。しかし、有権者に審判を下される前に、中山はスタコラサッサと逃亡して行った。言いたいことだけを言い残して。なんという卑劣な政治家だろうか。
そんな、次期総選挙に立候補もできないような議員を国土交通大臣に任命した麻生太郎の責任も重い。私は、中山成彬引退表明の報を知って、麻生太郎内閣、いや自民党にはもはや政権担当能力はないと確信した。麻生内閣は、発足直後にして既に死に体である。
戦前の議会だったら、安倍晋三や福田康夫のように、総理大臣が政権を投げ出した時には、政権を野党に渡して選挙管理内閣を作り、解散を行ってもらうのが「憲政の常道」だったという。昨年9月13日の毎日新聞社説も、安倍の政権投げ出しを受けて、民主党に選挙管理内閣を作ってもらって直ちに衆院を解散したほうが良いくらいだ、と書いていたように記憶している。だが、権力亡者の集団と化した自民党に、そんな道理は通らない。ついこの間まで、「総裁選で弾みをつけて一気に解散」を狙っていたというのに、形勢不利と見るや政権にしがみつくみっともなさだ。
これから来年まで政権にしがみついたって、自民党にとって良いことなど何一つない。ブッシュは政権を去る。たとえマケインが大統領になったってアメリカの政策は大きく転換されると思うが、有利とされているオバマが勝てば、麻生はハシゴを外されたも同然だ。公明党も、いつまでも自民党と行動を共にするメリットなどないから、再議決で賛成票を投じるとは限らなくなる。何より、世襲議員で固めた麻生内閣に、難局を乗り切る実力などあろうはずがない。ここは、早いとこ解散総選挙を行い、民主党と中心とする政権を難局に直面させた方が、次の次の選挙で自民党が巻き返す可能性が高くなる。
つまり、自民党に逆風が吹いていることが明らかになった今でも、自民党にとってベストの選択肢は、早期の解散総選挙なのである。
ところで、本来、自民党に反対しているはずの私が、なぜ自民党に有利な選択肢を勧めているかというと、今後選挙が先送りされて自民党の獲得できる議席がさらに減るメリットと、政権担当能力を失った自公政権がこれ以上続くことによって日本社会がダメージを蒙るデメリットを比較した時、後者の方が重くなってきているからである。
御用マスコミは、「民主党は財源を示せ」としか言わないが、民主党から「政府は補正予算の財源を示せ」と反撃されて、一瞬口ごもったあと「年末までには示す」と答えて野次を飛ばされた、麻生太郎のあたふたした答弁を見て失望しなかった人はいないだろう。麻生太郎は、攻撃は多少強いかもしれないが防御に回るとめっぽう弱い、そんな印象を受けた。こんな男に総理大臣は務まらない。
麻生太郎は、補正予算成立後、間を置かずに衆院を解散すべきだ。投票日は、11月9日か16日にすべきである。グッドルーザーになることができれば、麻生太郎にも自民党にも再起の道はある。しかし、ここでジタバタしようものなら、自民党は完全にぶっ壊れてしまうだろう。いや、それより何より、これ以上日本を壊されたのではたまったものではない。
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「現代」に戻ると、11月号に長谷川幸洋という東京新聞論説委員が、中川秀直が新党を結成して民主党と手を組むのではないかとする記事を書いている。飛ばし読みしただけだが、要はネオリベ(新自由主義)政権の復活を待望する内容である。東京新聞も、朝日新聞と同じで、8月頭の福田改造内閣発足の際に「改革の後退」を批判する社説を掲載して失望させられたが、あるいはこの長谷川が執筆したのだろうか。リベラルといわれる新聞でも、東京にいるジャーナリストの感覚というのはそんなものなのか、と思う。
私は、ブログをご覧いただければわかるように、政治学にも経済学にも素人のわけだが、このところのアメリカ発の金融危機のニュースに接して、1998年から2001年頃に買い集めた新書の類を引っ張り出して、当時、学者やジャーナリストたちはどんなことを書いていたのかと読み直している。たとえば小野善康著『景気と経済政策』(岩波新書、1998年)という本があり、ネット検索したらこちらに要旨が出ていた。小野氏は、不況期にこそ財政出動をせよ、不況期の財政赤字は余剰資源の有効活用ができるからかえって好ましい、不況期に必要なのは、政府が民間では吸収し得ない余剰労働力を積極的に使って、意味のある公共財を供給することである、国債発行は将来世代の負担になるというが、この議論自体にも多くの誤りがあり、特に不況期には負担にならないなどと主張している。
1998年当時からこのような主張があったのに、コイズミはその逆をやってしまい、日本をぶっ壊した。小野氏は、「官から民へ」という中曽根以来の新自由主義政権が使い続けたスローガンについても、「官から民へと騒げば、官は何もしないことになり、失業が放置されてかえって無駄が発生する」と批判している。
私には、中川秀直ら「上げ潮派」の、小さな政府と金融政策の組み合わせで、というか政府は財政出動などしなくても、適切な金融政策だけで景気を浮揚させるという主張(としか私には思えない)が、私の頭が悪いせいかもしれないが、どうしても理解できない。新自由主義者は、これは高度に洗練された理論であって、だからエスタブリッシュメントはみな支持しているのだと言うのだが、私には富裕層をさらに富ませるための詐術としか思えない。
そして、いまや麻生内閣の中川昭一財務相も、民主党が提示した政策も、ともに財政出動による景気対策を主張している。「コイズミカイカク」による格差社会の出現という高い高い代償を支払って、ようやくまともな政策が実施されようとしていると私には思えるのだが(但し、自民党の景気対策は金持ち優先だから効果は野党案に劣る。社民党や国民新党は民主党よりさらに踏み込んだ景気対策の必要性を主張している)、そんな時に、民主党の政策が「上げ潮派」と親和性が高く、両者が手を組むのではないかという東京新聞論説委員氏の主張は、何を考えてそんなことが言えるのかさっぱり理解できない。
相変わらず中央のマスコミはアナクロな社説を掲載し続けているが、その中で比較的評価できると私が考えているのが、毎日新聞である。コイズミの引退表明を受けて、9月27日に朝日新聞と読売新聞がそれぞれ、コイズミを部分的には批判しながらも、全体としては肯定的に評価する社説を発表した時は、そのネオリベぶりに頭痛がしたが、毎日新聞は遅れること2日、9月29日に「小泉氏引退へ 「改革の総括」を聞きたい」と題する社説を掲載した。「小泉政治の評価は功罪相半ばしている」として、劇場型の政治手法を肯定的に評価していることには全く同意できないが、コイズミカイカクによって「自由競争や市場原理、自己責任を重視し過ぎた結果、日本社会では格差が拡大した」と指摘した。当たり前の指摘だが、朝日は「たしかに多くの劇薬を含んでいた小泉改革は、日本の社会に負の遺産も残した」、読売は「経済政策でみられた「市場万能主義」は、拝金主義の風潮を生んだ」という書き方しかしておらず、「格差拡大」がコイズミカイカクの帰結であると指摘したのは、三大紙では毎日だけである。
イラク戦争についても、「対米従属に過ぎたとの批判もある」などと、毎日新聞の主張では必ずしもありませんという及び腰の表現ながら触れているし(驚くなかれ、朝日は「不良債権の処理やイラクへの自衛隊派遣、そして、長年の悲願だった郵政民営化が実現したのは、小泉氏一流のそうした「突破力」があってのことだった」などと、肯定的に評価しているのだ!)、コイズミ自身にカイカクの総括を求め、安倍、福田、麻生と続いた後継首相がコイズミ路線を継承するのかどうかあいまいにしたまま、麻生が小泉路線から決別しようとしていることに対し、「なし崩し的印象が強い」と批判している。
毎日新聞も、これまでずっと朝日に追随するかのようにコイズミカイカクを肯定的に評価する社説を掲載してきたわけだから、毎日にもこれまでの報道の総括を求めたいところだが、朝日や読売、東京新聞(中日新聞)などに一歩先んじてカイカク離れをしようとしている(ように見える)ことだけは歓迎したい。
「景気テコ入れ策 家計の元気付けが第一だ」と題した最新の3日付社説でも、毎日は「政府・与党の政策では相変わらず、企業側を強くすることに力点が置かれている。供給側をてこ入れすれば、家計はいずれ元気になるという発想だ。それでいいのか」、「勤労者の収入増は家計消費増加をもたらし、企業自身も潤す。非正規雇用の正規化や雇用機会の拡大も所得拡大を通じて、景気を盛り上げる効果を持つ。政府・与党は家計の元気付けが、最も有効だと知るべきだ。この観点から緊急対策を組み直すことが最も時宜にかなっている」と主張している。ようやく大新聞にもまともな社説が載るようになったと評価したい。
朝日や読売がネオリベにこだわっている間に、毎日が「反カイカク」路線を打ち出していくことができれば、現在毎日新聞が陥っている苦境を脱出する目も出てくるだろう。今後に期待したい。
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実は、数日前から「コイズミカイカク」の総括について書こうとしてまたも機を逸しつつあるのだが、昨日もまた大阪で個室ビデオ店が放火される事件があり、15人が死亡した。この事件は、小沢一郎の代表質問や、「解散より景気」と言う麻生太郎の指示を受けて、財務省が2次補正の検討に着手したというニュースを新聞の1面トップから追いやった。
私は、この種の事件が起きるたびに、希望の持てない格差社会が引き起こした事件だと思う。「秋葉原事件」が起きた時、「岡山のプラットホーム突き落としも、秋葉原の通り魔殺人事件も、極言すれば、みなコイズミを支持した人たちが引き起こしたようなものだ」と極論を書いて、記事につけられた「はてなブックマーク」で、「テサロニケ大先生かと思った」と皮肉られたが、私の意見は変わらない。神野直彦の『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)からの孫引きだが、日本は、「2000年に出た報告でも、「悪平等といわれるほど平等な社会だといわれてきた」(同書172-173頁)社会だったのに、「2006年7月、OECD(経済協力開発機構)は日本に対して「日本は異様な格差社会になっている」という経済審査報告書を提出」したのである(同書180頁)。日本社会にこの急激な変化が起きた間、政権を担っていたのは誰か。小泉純一郎である。コイズミは、日本に社会不安を引き起こしたのである。
神野直彦は、以下のように書いている。
説得力のある主張である。日本の現状は、格差社会に陥って、社会のさまざまなところに亀裂が走っています。そうした社会の亀裂は、かならず抵抗運動や逸脱行動をともないますが、日本では組織的な抵抗運動はおこらず、逸脱行動がおこっているのです。そのため、毎日のように社会的な病理現象が発生するのです。
このことは、社会的な危機や経済的な危機を解消して、社会を一つのものとしてまとめていくことが使命である財政が、日本の場合は有効に機能していないからだ、といっていいと思います。日本では政府が財政責任を放棄してしまっているのです。
(神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年) 182-183頁)
朝日新聞の報道によると、大阪の個室ビデオ放火事件の容疑者である46歳の男性は、かつて「子ども思いの優しいお父さん」と周囲にみられていたが、会社をリストラされてから人が変わってしまった。2006年に一人暮らしになったあとは、近所の人に手話を教え、福祉関係の仕事をしていると言っていたそうだが、まもなく体調を崩して長期入院した。そして、「生きるのが嫌に」なって犯行に及んだ。同じ朝日新聞の記事は、事件の被害者の中に、事業に失敗して巨額の借金を抱えながら、介護福祉士を目指して勉強を続けていた50代の元会社経営者がいたと伝えている。その人が、同じような境遇にある人間によって殺されるという痛ましさ。こういうニュースに接して冷静でいられる人など、誰もいないだろう。
NHKの朝のニュースでは、ビデオ店の初期消火の遅れなどが報じられているが、そんなことより、こういう事件を引き起こした真犯人は誰かということを追及してほしいものだ。
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法案否決は、11月4日の下院選挙で苦戦している共和党の議員が、人気とりのために大量に造反したせいだとされている。共和党は法案説明にブッシュ批判を盛り込んだ民主党のせいにしているそうだが、なにか所信表明演説に民主党批判をてんこ盛りに盛り込んだ麻生太郎を思い起こさせる話だ。法案に反対したのは、主に共和党右派の議員たちだった。
ここはいうまでもなく、かつての日本を思い起こせば、公的資金の投入が正解なのだが、これは市場原理主義(すべて市場に任せて、政府は介入しない)という新自由主義の大義に反するため、手のつけられないネオコン・ネオリベの共和党議員が、「素朴な庶民感情」に阿って、一斉に反発したのだ。その軽挙妄動は全世界を揺るがせることになった。
これが、日本の総選挙の日程にも影響を与えている。時事通信などは、早々と解散総選挙の大幅な先送りの可能性を報じていたし、昨夕の毎日新聞は、細田博之、加藤紘一、津島雄二らの解散先送り論を伝えている。加藤紘一などは、「解散を1、2週間延ばすとか、補正予算を通すとかではなく、選挙をやらない、とはっきり示すべきだ」と言っている。
政権交代を望むブロガーや読者など多くの方々は、「そんなことをごちゃごちゃ言ってないで、一刻も早く解散総選挙をやれ」と言われると思うのだが、私は加藤紘一の主張の方が正論だと思う。しかし、私の見立ては解散総選挙先送りではなく、ずばり11月2日投票だ。
なぜかというと、投票日をそれ以降にするメリットが自民党にとって全くないからだ。当ブログは、ずっと以前から、解散総選挙の日程は、衆議院で再可決可能な3分の2以上の議席数を持っているメリットと、総理大臣の専権事項、いわば伝家の宝刀である「解散権」の威力が、任期満了に近づくにつれて失われるデメリットをはかりにかけて、デメリットがメリットとつり合うくらいに大きくなった時期に解散を行うと予想してきた。前にも書いたが、ちょうど1年前、昨年9月30日に、
と予想している(「お前は解散権を理解していない」とかわけのわからないイチャモンをつける輩がいるから、しつこく書いておく)。私が福田康夫だったら、できるだけ引き延ばしながらも、解散権という伝家の宝刀の威力が落ちない頃合いを見はからって、自民党の都合の良い時期に解散しようとすると思う。その時期は、ずばり来年秋頃だろう。
あちこちで指摘されているように、アメリカの大統領選が11月4日にあり、選挙をそれ以降に先送りするメリットは、自民党にとっては何もない。だから、11月2日投票は、自民党にとって動かせないだろうと私は考えている。現時点では、この日を投票日に設定することが、自民党の獲得議席を、現在の持てる力としては最大にすることになる。もちろん、そこまで自民党有利の日程を組んだところで、自民党が勝てる保証は何一つないのだが、少なくとも負け方をミニマムに抑えることはできる。
私が注目していたのは、民主党びいきの朝日新聞がどう書くかということだった。朝日新聞は、未明の記事(1日午前3時2分)で、
と書いている(下記URLの記事)。10月26日で調整していた衆院総選挙の投開票日は、11月2日以降になる見通しだ。
http://www.asahi.com/politics/update/1001/TKY200809300406.html
つまり、補正予算案の審議入りが決まる前は、3日解散、14日公示、26日投票にするつもりだったのが、補正予算案を衆参で審議したあとの解散、21日公示、11月2日投票に延びたと言っているのだ。
朝日の記事には、
とも書かれているが、そんなことにはならない。しばらく前から、自民党は「小沢代表の代表質問によって解散の時期を判断する」と言っている。つまり、自民党は小沢一郎の代表質問の文言にイチャモンをつけて、解散にもっていくというわけだ。ただ、金融危機の拡大で、自民党内には解散・総選挙の時期をさらに先送りすべきだという声も出ており、首相の判断にも影響を与えそうだ。
自民党の議員は、アメリカ発金融危機のことも、日本の国民生活のことも、実は何も考えていない。景気対策にしても、麻生太郎の頭にあるのは、金持ちや大企業を優先した施策だ。森永卓郎は、
と書いている。彼(麻生太郎)が口にするのは、研究開発投資減税、不動産取得減税、株式投資の減税など、要は大企業や金持ち側に対する減税ばかりである。
そんな麻生のことだから、何だかんだと理由をつけて、結局11月2日投票に持って行くに決まっている。そう私は予想している。
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